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中国における日本女性文学の翻訳と研究に関する一考察

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(1)中国における日本女性文学の翻訳と研究に関する一考察 宋 波、張 璋 (南昌大学 外国語学院) 要旨:日本の女性文学は日本文学の重要な部分であり、長い歴史と古い伝統を 持っている。中国の学界は日本の女性文学に対する翻訳と研究を従来からいっ そう重視してきたが、中国における日本女性文学の翻訳や研究に関する研究論 文はまだ十分ではない。従って、本論文は清末から現代までの中国における日 本女性文学の翻訳や研究の歴史を「初期段階」、「発展段階」、「翻訳と研究の 多元化」や「翻訳と研究の新紀元」という四つの段階に分けて分析し、その発展 と変化の脈絡をはっきりした。全体から見れば、中国における日本女性文学の 翻訳と研究は文学作品の思想性や社会的意味への重視からその芸術価値に対す る客観的な評価へ変わってきた。そして、翻訳と研究の分野も次第に広くなり、 研究方法も多様化してきた。このように、日本女性作家の文学作品に関する翻 訳や研究が次第に我が国で盛んに行われるようになった。 キーワード:中国、日本、女性文学、翻訳、研究. はじめに 女性作家は日本文学の重要な部分であり、日本文学の中でも非常に重要な役 割を果たしている。明治時代に入ってから、樋口一葉(1872-1896 年)や与謝 野晶子(1878-1942 年)、平塚らいてう(1886-1971 年)を代表とする女性作 家たちがすでに今までと違う芸術分野を切り開いて活躍していた。大正時代を 経て、昭和時代に入ると、日本の女性文学はさらなる大きな発展を遂げた。従っ て、中国の学界は日本の女性文学に対する翻訳と研究をますます重視するよう になった。特に、注意したいのは、日本女性文学史の編纂である。例えば、肖霞 が監修した『世界的な文脈の中の日本女性文学』(山東大学出版社、2009 年) と劉春英の『日本女性文学史』(商務印書館、2012 年)が代表的な著述である。 しかし、女性文学史の編纂はわれわれに日本の女性作家群に関する情報を提供 したが、それは作家や作品に関する紹介であり、日本の女性文学についての翻 訳や研究を視野に入れていない。筆者の調査によれば、中国における日本女性 文学の翻訳に関する論文は劉春英の『日本女性文学の中国百年翻訳史』(『外国. 77.

(2) 問題研究』、2014 年第 4 期)の一本だけである。同氏は論文の中で、主に与謝 野晶子の『貞操は道徳以上に尊貴である』や日本の左翼女作家、ドラマ『おし ん』の主人公「おしん」を代表とする新女性について論じたが、中国における日 本女性文学に関する研究や 21 世紀以降の翻訳と研究などの情報が入っていな い。日本女性文学についての理解や研究を深めるために、近現代中国の日本女 性文学の翻訳と研究をまとめ、分析することは非常に必要であると思う。 北京師範大学の王向遠教授の『日本文学漢訳史』は中国の最初の文学翻訳史 で、中日文化交流史において画期的な意義を持っている。同氏は日本文学漢訳 史を五つの段階に分けた。それは清末民初(1898 年から 1919 年まで)、二三 十年代(1920 年から 1936 まで)、抗戦期(1937 年から 1949 年まで)、建国 後三十年(1949 年から 1978 年まで)、改革開放以後(1978 年から 2000 年ま で)である。筆者はこれを基礎に、女性文学の翻訳と研究を中心に、さらに時間 を 2000 年から 2016 年まで伸ばし、1898 年から 1949 年までを日本女性文学の 翻訳の初期段階、1949 年から 1978 年までを発展段階、1979 年から 1999 年ま でを日本女性文学の翻訳と研究の多元化、2000 年から 2016 年までを日女性文 学の翻訳と研究の新紀元とする。このように、拙論は 19 世紀末から始まった近 現代中国の日本女性文学の翻訳と研究を整理し、その発展と変化の脈絡をはっ きりさせることを目的とする。. 一、. 日本女性文学の翻訳の初期段階. 明治維新まで、日本は中国文化から栄養を吸収し、自国の文化を豊かにして きた。日本の遣隋使や遣唐使が日本に大量の中国の歴史書や仏教経典、白居易 を代表とする有名な詩人たちの詩歌を持ち帰ったことも、日本の江戸時代に儒 教が盛んになったことも、日本が中国文化の影響を受けた証である。それまで 中国の日本に対する文化の輸出はほとんど一方的である。王向遠はこれについ て、『日清戦争までは中国は全然日本を相手にしなかった。従って、中国語に訳 された日本語の本はほとんどなかった。譚汝謙の「中日間翻訳事業の過去、現在 と将来」の統計によると、1600 年から 1825 年までの二百年間の間、漢訳され た日本語の本はたった 12 冊しかなかった。しかも、その中で、中国人が翻訳し たのはただ二冊だけで、ほとんどは中国で漢学を研究する日本人が訳したので ある。』と述べた。①従って、明治維新まで、漢訳された日本語の本は非常に少. 78.

(3) なく、女性文学の本は皆無と言ってよい。 明治維新後、日本政府は「富国強兵」、「文明開化」、「殖産興業」という三 つの政策によって、政治、経済、文化のあらゆる面で西洋に師事し、列強諸国の 列に入ることができた。中国と日本との地位が逆転して、強烈な民族危機意識 を持つ中国の志士たちは日本のように革新するのが今の中国を救い出す唯一の 方法だと主張したのである。民衆の啓蒙と思想の伝播の有効な手段としての文 学を活用して、志士たちは日本文学の翻訳に力を注いだ。しかし、梁啓超(1873 -1929 年)が東海散士の政治小説『佳人之奇遇』(『清議報』1―35 冊、1898 年)を訳したように、彼らは中国を救うために、民衆の啓蒙を主な目的として翻 訳した。つまり、文学作品の文学的価値より政治的実用性を重視し、文学の功利 主義を主張したのである。その後、1910 年代の中国で、胡適(1891-1962 年)、 陳独秀(1879-1942 年)、魯迅(1881-1936 年)らを中心にした新文化運動が 起こった。それに加えて、西洋から伝わってきたヘンリク・イプセン(Henrik Johan Ibsen、1828―1906 年)の芝居『人形の家』(Et Dukkehjem、1879 年) の女主人公の「ノーラ」は新時代の女性の姿として受容された。さらに、個性の 解放、個人の自由と平等、婦人の解放という運動が盛んになったのである。これ らは中国における日本女性文学の翻訳に有利な社会環境であると言えよう。 一方、日本は大正時代に入り、与謝野晶子を代表とする日本の女性作家たち も封建社会の家父長制度に挑戦し始めた。このように日本でも個人の自由と婦 人の解放を唱える運動が起こったのである。このような社会環境の下で、中国 では『与謝野晶子婦人問題研究会叢書―与謝野晶子文集』(上海開明書店、1926 年)が翻訳出版された。この本の出版は中国新文化運動下での婦人運動の成果 であり、中国側が日本女性作品の翻訳によって中国の女性の封建制度に対する 反抗、自由と平等を求める意欲を励まそうとした証とも言える。他にも、張資平 (1893―1959 年)の訳した田村俊子(1884—1945 年)の『圧迫』(上海新宇 宙書店、1928 年)、沈端先(1900—1995 年)の訳した平林たい子(1905—1972 年)の『治療室』(原題は「施療室にて」、水沫書店、1929 年)、『平林たい 子集』(現代書局、1933 年)、『新婚』(小説集)(文光書局、1938 年)など がある。田村俊子は樋口一葉につづく職業女性作家で、個人の体験に基づき、西 洋の婦人解放運動の影響を受けて婦人の解放と男女の平等を強く主張し、封建 家父長制度にも強く反抗した作家なのである。平林たい子は昭和初期から登場. 79.

(4) したプロレタリア文学作家である。訳者の張資平と沈端先は同じに日本に留学 した経験を持っていた。張氏は 1922 年に東京大学を卒業し、創造社という現代 の文学団体に参加し、数多くの恋愛小説を書いた。個性尊重を主張する張氏は 田村俊子の『圧迫』で表された女性の解放に共鳴して訳したのであろう。それに 対して、1927 年に日本から帰国した沈氏は、中国共産党に入党し、プロレタリ ア作家として活躍した。平林たい子と同じ政治理念を持っていたので、沈氏は 平林たい子の数多くの小説を翻訳したことも不思議ではないだろう。さらに、 銭杏邨(1900-1977 年)は『女性像の一面――平林たい子創作の考察』(『現代 小説』、1927 年 9 月 17 日)という論文で、「平林の創作はイデオロギーの面 では明らかであり、彼女は旧社会の一切を呪い……圧迫された無産者の前提を はっきりと認識し、現実社会のすべてを精細に解剖し、未来の光明のために戦 い続けている」と評価した。ここに、プロレタリア作家としての銭氏も平林たい 子の作品の進歩的な思想に目を向けたと言える。 以上からわかるように、張資平と沈端先、銭杏邨などによる日本女性文学の 翻訳や紹介は、日本女性作家を選択する基準について、文学作品の芸術的価値 より、思想性及びイデオロギーの面を重視していたことがわかる。では、なぜ彼 らはこのような選択基準を持っていたのか。それはおそらく当時の中国のプロ レタリア思潮に関係していたのであろう。特に、沈端先と銭杏邨はプロレタリ ア作家として、意識的にプロレタリア作家である平林たい子を選んだのであろ う。しかし、社会の現実から見れば、日本女性作家のプロレタリア文学作品は当 時の中国のプロレタリア思潮にふさわしく、中国文学、特にプロレタリア文学 の発展に多いに貢献したと言えよう。 それから、1930 年代に日本政府は中国に対する侵略戦争を起こし、国内では 国民に対して高圧的な政策を取ったため、日本のプロレタリア作家たちは転向 を余儀なくされた。例えば、日本共産党の最高指導者であった佐野学(1892- 1953 年)と鍋山貞親(1901-1979 年)は、1933 年 6 月に獄中で転向声明『共 同被告同志に告ぐる書』を出し、共産主義を放棄する宣言をした。これらの事件 は日本のプロレタリア活動や左翼文学に致命的な打撃を与えてしまったのであ る。こういうわけで、1937 年以降、「五四運動」(1919 年 5 月 4 日)以来盛 んになっていた日本文学の翻訳活動もほぼ中止の状態に追いやられた。戦時中、 中国語に訳された本は五十冊ぐらいしかなかった。しかも、その中で女性作家. 80.

(5) の作品はさらに少なかった。筆者の調べによれば、翻訳されたのはただ平林た い子の作品と中国での抗日戦争を応援した作家鹿地亘(1903-1982 年)の妻で ある池田幸子の反戦小説だけである。こう見れば、戦時中翻訳された日本の女 性文学作品も左翼進歩文学作品を主とし、作品の思想性を重視していたことが わかる。それと同時に、これらの翻訳は中国人民の抗戦意欲の励ましになり、日 本政府の文化侵略を抵抗するのにも有意義なものであったと言えよう。. 二、. 日本女性文学の翻訳の発展段階. 1949 年に中華人民共和国が成立したということは、文学の翻訳活動に適切な 環境を提供した。従って、日本女性文学の翻訳も新たな時期に入った。建国後の 翻訳チームは前より水準が上がり、文傑若(1927-)、葉渭渠(1929-2010 年) などの若くて優秀な翻訳家が登場した。例えば、文傑若は小さい頃、1934 から 1936 年まで家族と一緒に日本で生活していた。1950 年に中国清華大学英文科 を卒業してから、英文や日本語の小説を数多く翻訳した。葉渭渠は、1956 年に 中国北京大学東方言語文学科日本文学専攻を卒業してから、日本文学翻訳や研 究に力を入れてきた。彼らの努力があったからこそ、日本文学作品の高水準の 翻訳が可能になったと言えよう 建国後まもなく翻訳活動が活発化したのは、外部世界との架け橋としての翻 訳事業が中央政府から強い支持を得たからである。1954 年 8 月に開かれた「全 国文学翻訳工作者会議」で、当時の代表作家茅盾(1896-1981 年)はその会議 報告の中で『われわれも各資本主義国家、植民地、半植民地の革命的、進歩的な 文学作品に強く興味を持っている。』や『日本の「万葉集」や「源氏物語」はい まだ名前だけしか聞いたことがない。』と述べていた。このように、建国後三十 年間日本文学作品の翻訳事業を進める方向が示されたのである。つまり、すべ ての日本文学を翻訳するというのではなく、日本の「革命的な」、「進歩的な」 左翼文学、反戦文学作品および日本の古典文学作品の翻訳を目的としていた。 特に古典文学作品の翻訳は画期的で、『あるべきでない空白を埋めた』ものと評 価されていたのである。② 建国後三十年間の間に、翻訳された女性文学は、大体「全国文学翻訳工作者会 議」の示した方向に沿って進められた。代表的なのは、宮本百合子(1899―1951 年)の『宮本百合子選集』全四巻(人民文学出版社、1959 年)、松田解子(1905. 81.

(6) ―2004 年)の長編小説『地底の人々』(泥土社、1954 年)および有吉佐和子 (1931―1984 年)の『人形浄瑠璃』(作家出版社、1965 年)、『有吉佐和子 小説選』(人民文学出版社、1977 年)、壺井栄(1899―1967 年)の『二十四 の瞳』(上海新文芸出版社、1956 年)、『壺井栄小説集』(人民文学出版社、 1959 年)、中本高子(1903―1991 年)の『滑走路』(上海文芸出版社、1962 年)などである。特に、宮本百合子や松田解子、壺井栄のようなプロレタリア作 家は翻訳家に注目されていた。これらの文学作品は、戦争に対する批判と反省 や戦争のもたらした被害、日米軍事同盟に対する日本人民の反抗などに重点を 置いたものである。したがって、中国側はこの時期でも同じに文学作品の思想 性と進歩性を重視していたと考えられる。 その他に、明治時代の女性作家樋口一葉(1872―1896 年)の『樋口一葉選集』 (人民文学出版社、1962 年)も翻訳された。樋口一葉は日本の明治時代のもっ とも有名な女性作家であり、日本短編小説の先駆者でもある。一葉の『たけくら べ』(1895-1896 年)はすでに日本近現代文学の傑作になっている。しかし、一 葉の作品に思想性や進歩性がそれほど見つからないが、どうして翻訳したのか。 それは、当時の人たちの作品のテーマについての捉え方に関係していた。例え ば、『樋口一葉選集』の序言に次のように書いていた。 樋口一葉は十九世紀末に日本の優秀な女性作家であり、近代日本の批判現実 主義文学の開拓者の一人でもある。その文学活動の期間は非常に短いが、一葉 は日本の民衆たちに明治時代に下層階級の悲惨な生活を深く反映した数々の作 品をを残した。作品の登場人物は、大体資本主義と封建主義という二重の抑圧 を受けながら、生活の奥から退廃的な社会に憎しみや怒りの声をあげていた。③ 上に述べたように、中国の訳者はマルクスの階級理論から出発して、一葉の 作品に思想性や進歩性を求めようとしていたことが分かる。文学作品自体の価 値判断をするより、イデオロギーの面を重視していることは否定できない。そ の後、『文化大革命のような政治的な原因で、政府がだんだん翻訳事業を支持し なくなり、したがって翻訳活動も減少し、研究もあまり行われなくなった』。④ このように、日本女性文学の翻訳事業の再開は中国の「改革開放」を待たなけれ ばならなくなった。. 82.

(7) 三、. 日本女性文学の翻訳と研究の多元化. 1978 年に中国政府が「開放政策」を実施したことで、文学の翻訳活動により よい社会環境を提供した。その結果、日本の女性文学の翻訳と研究はますます 盛んになった。何よりも注意したいのは、1980 年代から欧米のフェミニズム文 学を受容し始めたことである。例えば、1981 年にアメリカ文学の専門家である 朱虹は『「米国女作家作品選」序』(『世界文学』、1981 年第 4 期)の中で、 アメリカのフェミニズム文学を論じた。また、同氏が現代アメリカの女性作家 の作品を収めた『米国女作家短編小説選』(中国社会科学出版社、1983 年)を 編集した。それから、欧米のフェミニズム文学が中国で普及し始めたのである。 これと前後するが、1972 年 9 月に田中角栄首相が中国を訪問し、中日間の政 治、経済と文化の面における交流が一層緊密になったことも見逃せない。中国 側としても、文化大革命(1966-1976 年)の後、人々がプロレタリア文学作品 だけではなく、多元的な精神的糧を求めていたこともあるので、それまでの日 本文学翻訳とは異なる段階に入ったのである。「開放」以降、日本女性文学の翻 訳と研究の質も量も大幅に水準が上がったと言える。 まず、翻訳の面から論じていきたいと思う。日本の古典文学について、代表的 なのは『万葉集』(湖南人民出版社、1984 年)と『源氏物語』(人民文学出版 社、1980-1982 年)、『枕草子』(人民文学出版社、1988 年)である。『万 葉集』は日本の最古の和歌集で、およそ 4500 首の詩歌を収録している。日本歴 史上の地位は中国の『詩経』に当たる。統計によると、『万葉集』の約 478 人 の歌人の中で、額田王を代表とする女性歌人は 26%を占めている。『万葉集』 の翻訳はそのなかの女性歌人の歌が中国に伝わったのを当然意味している。中 国の人々にとっても、日本文学の発足段階に日本の女性がすでに貢献したとい うことも中国の人々に伝わったのである。また、『源氏物語』と『枕草子』は日 本古典文学の双璧とも呼ばれ、いずれも女性による作品である。『源氏物語』は 日本だけではなく、世界でも有名な長編小説であり、日本の伝奇物語と歌物語 の特徴をも取り入れ、それ以後の日本文学に大きな影響を与えた。『枕草子』は 日本最古の随筆で、その作者である清少納言の鋭い観察力と感受力を表してい て、それからの日本の散文に大きな影響を与えた。これらのほかに、古典文学で はないが伝統文芸である『赤松恵子俳句選』(中国友誼出版公司、1991 年)や 『藤木倶子俳句、随筆集』(中国社会出版社、1996 年)なども翻訳された。. 83.

(8) 日本の大衆文学も、この時期にある程度の翻訳が行われた。例えば、原爆文学 として知られる佐多稲子(1904―1998 年)の長編小説『樹影』(湖南人民出版 社、1980 年)や曾野綾子(1931 年―)の『曾野綾子小説選』(人民文学出版 社、1982 年)、三浦綾子(1922―1999 年)の長編小説『青い棘』(外国文学 出版社、1987 年)などの作品が翻訳された。これらの作品は、大体戦争のもた らした災難を描き、ある程度の反戦傾向を帯びていたと言える。特に、訳者の文 傑若は『文滙報』(1995 年 6 月 11 日)に『作品で侵略者の罪を暴き、良知を示し た日本女作家――三浦綾子』という論文を発表し、次のように述べた。 深い感情をこめて、読者に真の愛国心を伝え、日本人民が二度と過去の過ち を犯さないよう呼びかけた。彼女の熱烈な感情には感動した。三浦綾子のよう な真実を描く作家さえいれば、そういう作家たちを支持する大勢の読者さえい れば、日本は軍国主義の道を踏まなく、アジア平和の未来は光明であると信じ る。 上述したように、訳者は文学作品の戦争に対する反省や批判などの社会的意 味を重視したのである。 これらの他に翻訳された女性文学は山崎豊子(1924―2013 年)の『華麗なる 一族』 (百花文芸出版社、1994 年)、 『白い巨塔』 (江蘇人民出版社、1999 年)、 有吉佐和子の『恍惚の人』(人民文学出版社、1979 年)、『祈祷』(黒竜江人 民出版社、1986 年)、円地文子(1905―1986 年)の『女坂』(中国文聯出版 公司、1987 年)、黒柳徹子(1933 年―)の『窓ぎわのトットちゃん』(中国展 望出版社、1983 年)、住井すゑの『橋のない川. 第 1 部』(上海訳文出版社、. 1983 年)などである。では、なぜこれらの女性作家の作品を翻訳したのか。そ れは日本の女性作家の社会的現実に対する鋭い洞察力と強い責任感を中国の翻 訳者が重視したからだと考えられる。例えば、山崎豊子は綿密な取材に基づく 社会派の問題作を数多く作った女性作家である。有吉佐和子も老人性痴呆症や 公害問題などの現代の社会問題をあつかった作品を書いた。二人共社会的意味 を強く意識した作家とも言えよう。王向遠もこれらの女性作家について、『彼女 らの作品は大体家庭生活を基礎に、家庭に限らず、視野を広げ、日本の社会と家 庭生活に対する観察や体験は細緻で、強い社会的責任感と道徳意識、広い社会 視野を表現している』と評価し、特に「強い社会的責任感と道徳意識」や「広い 社会視野」を強調した。⑤. 84.

(9) 80 年代、90 年代には日本女性作家の青春小説、恋愛小説の翻訳も進んだ。吉 本ばななの小説集『キッチン』(花城出版社、1997 年)、原田康子(1928―2009 年)の長編小説『挽歌』(湖南人民出版社、1987 年)などがある。特に吉本ば ななは二十三歳の時に『キッチン』で「海燕新人文学賞」を受賞し、その後多く の文学賞を受賞し、日本国内だけではなく世界中で有名になった作家である。 推理小説の面において、夏樹静子(1938 年―)、山村美紗(1931―1996 年) の作品は大量に翻訳された。これはある程度中国の推理小説の発展にも貢献し たと言えるのである。一方、児童文学の面でも翻訳が始まった。その中で、代表 的なのは松谷美代子(1926―2015 年)の『龍の子太郎』 (江蘇人民出版社、1980 年)、『モモちゃん』(重慶出版社、1984 年)、安房直子(1943―1993 年) の『だれにも見えないベランダ』(遼寧少児出版社、1986 年)、住井すゑ(1902 ―1997 年)の『大地とともに――住井すゑ児童文学作品選』 (吉林大学出版社、 1998 年)などである。上述の日本女性作家はいずれも日本の有名な児童文学作 家である。日本児童文学の翻訳は中国に質の高い児童文学作品を提供し、中国 児童文学の説教を重視し、想像力の足りない欠点を補って、中国児童文学の発 展に役立ったのである。 「開放」以後の日本文学の翻訳と研究において、一つの重要な特徴として、日 本人の編纂した日本文学史の翻訳及び中国人の編纂した日本文学史が多くなっ たことである。呂元明(1925 年―)の『日本文学史』(吉林人民出版社、1987 年)は中国人の書いた初めての日本文学史で、画期的な意義を持っている。中国 の有名な日本文学の研究者である叶渭渠、唐月梅夫婦が書いた『日本文学思潮 史』(経済日報出版社、1997 年)も、「文学思潮」に焦点をあてることによっ て、今までの日本文学史の編纂の構造を変えることが出来た。しかし、いずれの 日本文学史の中でも、日本の女性文学が重視されていないことは、日本文学史 の編纂は男性中心主義で、女性たちは周辺化されたのを表している。 日本古典及び近現代文学作品の翻訳は、中国の人々に日本の古典文学を理解 する絶好のチャンスを提供しただけではなく、中国の日本文学に関する研究を 盛んにする一面もあった。ここで、中国国内で日本文学、文化を研究する定期刊 行物の『日本語学習と研究』に収録された論文を例として論じていきたい。 例えば、李芒の『編案帳宮廷貴族の恋情絵巻――「源氏物語」をめぐって』 (『日本語学習と研究』、1985 年第 3 期)や李果樹の『「小倉百人一首」の中. 85.

(10) の女性恋歌』(『日本語学習と研究』、1988 年第 4 期)、王向遠の『「ものの あわれ」と「源氏物語」の審美理想』 (『日本語学習と研究』、1990 年第 1 期)、 陳東生の『清少納言と「枕草子」』(『日本語学習と研究』、1992 年第 3 期) と『紫式部と「源氏物語」』(『日本語学習と研究』、1995 年第 2 期)は日本 の古典文学について研究を進めた。李国棟の『試論有吉佐和子の「地歌」の主 題』(『日本語学習と研究』、1988 年第 4 期)や郭来舜の『日本現実主義文学 のシンボル―野上弥生子の「迷路」を中心に』(『日本語学習と研究』、1989 年第 3 期)、文傑若の『山崎豊子と彼女の使命感』(『日本語学習と研究』、 1989 年第 4 期)と『宮本百合子と彼女の創作』(『日本語学習と研究』、1991 年第 2 期)などの論文は文学作品の社会的意味を強調した。呂元明の『評八尾 昌里訳俵万智の和歌』(『日本語学習と研究』、1991 年第 3 期)は俵万智の人 生遍歴を紹介し、日本人の都市生活を描くという特徴を指摘してから、八尾昌 里の訳した俵万智の短歌を高く評価した。 上述したように、中国の日本文学研究者たちはテキスト分析や美学理論の面 から、日本の近現代女性文学だけでなく、日本の古典文学をも研究し始めた。そ して日本の研究成果を積極的に取り入れながら、優秀な成果を収めている。文 学批評方法の面から見ても、今までの単一のマルクス主義の社会学批評を脱皮 し、日本女性文学のもつ多様性に目を向けたことにも注目すべきである。それ から、叶舒憲らの編纂した『太陽女神の浮き瀋み:日本文学の中の女性原型』 (陝西人民出版社、1992 年)も注目すべき研究成果である。同書は数多くの研 究成果の中で代表的な日本女性文学の研究書であり、神話原型理論に基づき日 本女性の運命を分析したのである。本書は日本女性文学の研究者に新しい視角 を提供し、理論とテキスト分析を併用する範例にもなった。. 四、. 日本女性文学の翻訳と研究の新紀元. 改革開放後、中国の学者はより開放的な姿勢で日本文学を翻訳し、研究して きた。特に、日本の女性文学の翻訳と研究は著しい成果を収めた。1995 年に北 京で開催された「第四回世界女性会議」が国内の女性地位の向上、男女平等など を促進し、「フェミニズム」という術語をも普及させた。さらに、1995 年が「女 性年」として認められたのである。 21 世紀に入ってからの中国は、人々の生活水準が上昇し、それにふさわしい. 86.

(11) 「精神の糧」を必要とする時代となった。インターネットの普及に加え、出版業 も大きな発展を遂げた。日本の女性文学に対する興味も以前にも増して湧いて きた。そして、欧米のフェミニズム文学の影響をうけ、意識的に積極的に日本の 女性文学の翻訳に取り組むという新傾向も出てきた。それは日本の文壇で最も 権威のある芥川賞の受賞者に女性作家が多いこととにも関係する。2000 年から 2009 年まで 22 人の受賞者の中で女性作家は 8 人で 36%、2010 年から 2014 年 までは 11 人の受賞者の中で女性作家が 7 人で 50%以上となっている。日本の 女性作家がこのように勢いのあるところを見せているので、中国の日本文学の 研究者や評論家の注意を引くのも当然のことと思われる。まず、21 世紀に入っ てからの日本女性文学の翻訳から見よう。 2001 年 9 月 14 日の『人民日報・海外版』には次のような文章が載っていた。 1980 年代以後の中国文壇では、女性作家の創作が盛んになり、男性作家と 肩を並べるような女性作家も多く出た。量も、質も、風格も、あらゆる面 において 20 世紀初めごろの文学水準を上回っている。日本の文壇も同様 に女性作家が続々と登場し、生理と心理、性意識、家庭、倫理などの面に おいて男性作家には取って代わることのできない役割を果たしているので ある。 このような時代背景の下で、10 余名の若手の実力女性作家が北京に集まり、 中日女性文学の現状と未来を検討するという出来事があった。これは「半世紀 にわたる中日文化交流史上初めての活動で、両国女性作家の創作活動には積極 的な影響を及ぼすに違いない」(『人民日報・海外版』2001 年 9 月 14 日)と 言われる出来事である。同年、こうした動きを受けて、中国文聯出版社は 10 冊 の中国女作家作品と 10 冊の日本女性作家を含む『中日女作家新作大系』(中国 文聯出版社、2001 年)を出版した。その中には、津島佑子と柳美里、山田詠美、 小川洋子、高樹信子、多和田葉子、川上弘美、笙野頼子、中沢けい、松浦理英子 ら十名の日本女性作家の作品が収録されている。新世紀の始めに、このような 大型叢書を出版したことは、日本女性文学の翻訳と研究の強固な基礎を作った だけでなく、日本女性文学に関する研究水準をも向上させたと言える。 そのほかに、水田宗子の『女性の自我と表現』(中国文聯出版社、2000 年) という日本女性文学についての評論が翻訳されたことにも注意すべきである。 水田は比較文学者、詩人、教育家として女性学、文学評論の領域ですぐれた業績. 87.

(12) を残している。『女性の自我と表現』の翻訳はわれわれが日本の女性文学の作品 だけでなく、評論書をも重視し始めたことの証になったと考えられる。叶渭渠 はこの本の序文で次のように高く評価した。 この本は日本と欧米の女性文学の比較研究を通して、日本近代女性文学の歴 史過程を深刻に論述し、近代日本と西欧の女性文学の代表的作品を精密に分析 し、女性の自我の覚醒と自我の確立、自我の表現の艱難辛苦の道のりを全面的 に反映し、女性文学研究の最新成果を収めることができている。⑥ 翌年、水田宗子編集の『日本現代女性文学集』(上海訳文出版社、2001 年) が出版された。この中には、20 世紀初頭から 90 年代までの日本の有名な女性 作家の小説、詩歌などが紹介された。この本は作家たちの現代文学の中での位 置づけを明らかにし、高い文学研究的価値を持っている。「南開日本文学精品教 材」として大学生用に出版された『日本当代女作家小説導読』(南開大学出版 社、2009 年)もこうした新時代の空気を反映している。平成時代の女性文学で 文学賞を受賞した作を収録した本書は、教材として日本の女性文学を普及させ たことは間違いない。また、中国の大学が日本の女性文学の普及に力を入れて いるということの証にもなったであろう。 この時期に日本女性文学の名作が再翻訳、再出版されたことも忘れてはなら ない。『源氏物語』や樋口一葉の作品が「高等学校文学作品選読教材」にも収録 されるようになった。さらに、数多くの芥川賞、直木賞、太宰治賞、吉川英治賞 などの女性作家の受賞作品が翻訳された。その規模やスピードは前世紀を大き く上回っている。例えば、『情熱の法則:日本著名女作家情感小説選』(文匯出 版社、2011 年)と題された一書には、小池真理子、山田詠美、高樹のぶ子、吉 本ばなな、林真理子、内田春菊、森瑤子の 14 篇の中短編小説が翻訳され、収録 されていたのである。ほかに、青山七恵、津村記久子、宮尾登美子、江国香織、 山本文緒、向田邦子、綿矢りさ、川上弘美、糸山秋子、夏樹静子、篠田節子らの 小説と、高木直子、小栗左多里、西原理恵子、池田暁子らの漫画作品が翻訳され たことは、現代日本女性作家の活躍ぶりを伝えている。こうした翻訳はわれわ れの日本女性文学に対する理解を深めるだけでなく、これからの日本女性作家 研究の準備をも整えてくれたといえる。 次に、日本女性文学についての研究状況を見てみよう。 叶琳の『現代日本文学批評史』(上海外国語教育出版社、2008 年)は中国初. 88.

(13) の日本文学批評史の専門書で、中国の日本文学研究者たちに系統的な文学理論 を提供し、それまであった空白を埋めた。著者はこの本の中で、「女性作家の文 学創作はこれまでさまざまな流派とあわせて論述されていたが、彼女らが現代 日本文学の中で果たす重大な役割を考慮し、特別な一章を設けて日本の女性作 家の日本文壇への貢献とは何かを論述したい」と述べている。⑦同氏が編纂した 『現当代日本女性作家研究』(南京大学出版社、2013 年)は日本近現代女性作 家に関する研究成果を集めた専門書で、中国学者の研究成果や日本の研究者た ちの研究成果を含め、中日の日本女性文学に関する研究の総括となっている。 著者は序文で「1980 年代以降、日本文学は女性の創作家、女性の読者の新時代 に入った。勢力の大きくなった女性文学は膨大な数の読者層を持ち、日本の評 論界においても注目されている。したがって、近現代日本の女性文学を研究領 域に入れることは、中国国内の学術界に日本の近現代女性文学を検討するプラ ットフォームを提供することになると思う」と研究の意義を述べた。⑧周閲の『吉 本ばななの文学世界』(宁夏人民出版社、2005 年)は日本の人気女性作家を研 究対象に選び、「女性の目線、豊富な資料、優美な筆致、透徹な分析」という評 語で吉本ばななの文学世界を開示したことは注目に値する。また、呉光輝の『変 貌と回帰:現代性日本文学主題研究』(アモイ大学出版社、2013 年)は女性文 学に関する著述ではないが、その後編に吉本ばなな、林真理子、川上弘美、山田 詠美、柳美里らの作品についての分析が載っている。その分析は日本の古典的 伝統と現代欧米の文学理論を結びつけてなされており、高い研究価値を持って いる。田鳴の『生命記憶の記述:日本現代女作家大庭美奈子小説叙事研究』(中 国社会科学出版社、2014 年)も同様で、現代の女性作家の代表である大庭みな 子の作品に関する著述である。著者は作家の人生経験や創作活動をまとめた上 で、フェミニズムとポストコロニアルフェミニズム、物語論などの文学理論を 用いて、さまざまな視角から大庭作品を分析したのである。 一方、日本文学史の編纂においては、今までの日本文学の編纂様式の固定化 状況を乗り越えたものが出てきたことに注目すべきである。例えば、肖霞が監 修した『世界的文脈の中の日本女性文学』(山東大学出版社、2009 年)は、日 本の女性作家およびその作品を人類文化という大きな視野に入れ、現代文学批 評理論を駆使し、日本の女性文学を再解釈し、分析したものである。こうした研 究は、日本女性文学研究のためだけではなく、中国の現代文学、特に女性文学の. 89.

(14) 発展にとっても有意義なことであるに違いない。劉春英の『日本女性文学史』 (商務印書館、2012 年)も同様で、日本の古代から現代までの女性文学の脈絡 を整理し、その中の代表的な作家について深く分析した。そして、豊富な資料を 添えている点で得がたい著述であると言える。 なお、中国学術情報ナビゲータ CNKI で検索してみると、日本の女性文学と 特定作家の作品に関する研究は枚挙にいとまがない。マクロ的立場から日本の 女性文学を研究する論文には、王成の『日本の女性文学が新時代に入る』(『外 国文学』、2000 年第 2 期)、王宗杰の『試論当代日本女性文学の特徴』(『東 北師範大学学報・哲学社会科学版』、2005 年第 5 期)、王晶の『戦争期の日本 女性文学』(『遼寧工程技術大学学報・社会科学版』、2006 年第 3 期)、劉春 英の『戦後日本の女性文学の芽生えの時代背景』(『外国問題研究』、2009 年 第 2 期)、牛水蓮の『20 世紀日本女性文学:女性の覚醒と解放』 (『職大学報』、 2010 年第 1 期)、周萍萍の『日本女性文学の発展過程:哀愁、抗争から反抗ま で』(『国外文学』、2014 年第 2 期)などがある。特定作家の作品研究につい ては、代表的なのは肖宁の『日本女性作家. 与謝野晶子と近代中国の女性運動』. (『日本研究』、2002 年第 1 期)、張小玲の『試論. 田村俊子の代表作「生血」. の叙述風格』(『日本語知識』、2002 年第 11 期)、許金龍の『心と歩むネッ ト精霊――日本の女性作家田口ランディを解読する』(『外国文学動態』、2003 年第 4 期)、周閲の『日常生活の中でキッチンを探る――吉本ばななの新作 「TUGUMI」の紹介』(『外国文学動態』、2004 年第 3 期)、柳揚の『日本女 性作家三浦綾子の文学世界』(『瀋陽師範大学学報・社会科学版』、2004 年第 6 期)、林進の『当代日本女性作家糸山秋子の「沖で待つ」』(『日本研究』、 2008 年第 1 期)、童暁薇の『田村俊子とその女性小説』(『外国問題研究』、 2009 年第 2 期)、張玉蓮の『安房直子の幻想世界についての研究』(『当代文 壇』、2012 年第 5 期)などがある。これらの論文は、新しい視角からさまざま な文学批評法を用いて、新世紀に入ってからの中国の日本女性文学の研究成果 を示し、われわれの日本の女性文学に対する理解を深めることに役立っている。 CNKI 博士論文データーベースにも数多くの日本女性文学に関する研究論文 が収録されている。代表的なのは、王宗杰の『新世代女性文学の位相』(東北師 範大学、2009 年)、李暁光の『林芙美子の流行符号の解析――一生を貫く庶民 感情』(上海外国語大学、2010 年)、鮑同の『山崎豊子の文学研究』(吉林大. 90.

(15) 学、2012 年)、陳雪の『批判、焦慮、探り―夏目漱石の小説の中の近代新女性 の構築』(上海外国語大学、2012 年)、李蓮姫の『田村俊子の文学世界』(上 海外国語大学、2014 年)、楊本明の『同時代女性の言説』(上海外国語大学、 2014 年)などである。これらの論文にはマクロ的立場から日本の女性文学をま とめて分析するものもあれば、特定女性作家についての研究もある。特に、陳雪 は博士論文の中で、フェミニズム理論にもとづいて漱石小説の中の典型的な近 代新女性の身分の構築を分析したことは注意すべきである。総じて言えば、こ れらの論文は日本の女性文学に対する研究の範囲を広くし、様々な批評方法を 用いて研究したものであり、中国の日本女性文学の研究水準の向上にも繋がっ たと言える。 以上は代表的な日本の女性文学に関する翻訳と著述、研究論文を紹介し、分 析したのであるが、そのほかに、数多くの翻訳や研究成果がまだ残っている。し かし、紙面の都合上、それらを取り上げることができないのが残念である。要す るに、新世紀に入り、日本の女性作家は男性にも負けない勢いで、女性特有の文 学理念、独創性のある芸術手法で次々と優れた文学作品の創作活動に取り組ん でいる。そうした日本女性作家の文学作品に関する翻訳や研究も次第に我が国 で盛んに行われるようになった。. おわりに 拙論は清末から現代までの中国における日本女性文学の翻訳や研究の歴史を 「初期段階」、「発展段階」、「翻訳と研究の多元化」や「翻訳と研究の新紀元」 という四つの段階に分けて分析し、その発展と変化の脈絡をはっきりさせた。 その「初期段階」において、訳者たちは日本女性作家を選択する基準として、文 学作品の芸術的価値より、思想性及びイデオロギーの面を重視していた。特に、 戦時中翻訳されたのはほとんど左翼進歩文学作品である。「発展段階」に入って から、中央政府の決めた方針に沿って、宮本百合子や壺井栄のようなプロレタ リア作家の作品が翻訳された。これらの文学作品は、戦争に対する批判と反省 や戦争のもたらした被害などに重点を置いたものである。「翻訳と研究の多元 化」という階段になると、日本女性文学の翻訳と研究の質も量も大幅に水準が 上がったと言える。日本古典及び近現代文学作品の翻訳は、中国の日本女性文 学を豊富にしただけではなく、中国の日本文学研究を盛んにする一面もあった。. 91.

(16) 女性文学に関する研究の範囲が広まっただけでなく、今までの単一のマルクス 主義社会学批評を脱皮し、日本女性文学のもつ多様性にも目を向けるようにな った。「翻訳と研究の新紀元」という段階には、日本における女性文学研究の成 果を受容し、女性文学批評理論を翻訳するだけでなく、特定の女性作家に関す る研究も進んだのである。中国の研究者たちは欧米の新しい文学批評理論を用 いて、日本の女性作家と作品を分析したり、日本女性文学史を編纂したりして、 あらゆる面で高水準の研究成果を収めることができるようになったのである。 このように、日本女性作家の文学作品に関する翻訳や研究が次第に我が国で盛 んに行われるようになった。 註 ①. 王向遠『日本文学漢訳史』宁夏人民出版社. 2007 年. 6 頁。. ②. 王向遠『日本文学漢訳史』宁夏人民出版社. 2007 年. 182 頁。. ③. 樋口一葉著・萧萧訳『樋口一葉選集』人民文学出版社. ④. 許鈞・穆雷「建設と発展――新中国翻訳研究 60 年」 『中国翻訳』2009 年 第6期. 1 頁。. 5~12 頁。. ⑤. 王向遠『日本文学漢訳史』宁夏人民出版社 2007 年. ⑥. 水田宗子著・叶渭渠監修『女性の自我と表現 巻』. 1962 年. 中国文聯出版社、2000 年. 343 頁。. 日本現代女性文学集. 研究. 1 頁。. ⑦. 叶琳等『現代日本文学批評史』上海外国語教育出版社. 2008 年. 序文。. ⑧. 叶琳『現当代日本文学女性作家研究』南京大学出版社. 2013 年. 3 頁。. 92.

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