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l-r奈良法学会雑誌』第7巻3・4号 (1995年3月〉 ま え カミき
江戸時代に非人と称せられた人びとは、抱非人と野非人に区別される。 野非人については、天保一三(一八四一一)年七月一九日、﹁野非人杯之体-一而、素生不能之分﹂を平人身分に引上 げることの可否についての御尋に対して、弾左衛門が差し出した書付はこう述べている。 (前略)野非人と相唱候儀ハ、素人一一而身持不行跡ニ付、親之勘当請候もの、又は不身上-一相成難給続、可使方 無之無宿-一相成、所々物曙歩行候而巳ニて、非人手下-一も不相成候ものニ一冊、頭無之、私支配非人頭共手下人別 入 ニ 一 小 相 成 候 も の 共 -一 御 座 候 ( 下 略 ) い う と ζ ろは、野非人とは、親類から久離をうけたり、欠落して無宿となり、物貰いにより渡世しながら、非人頭 の支配下に入らず、非人の人別にも加えられていない者たちである。彼等は、弾左衛門ll
非人頭i
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小屋頭の支配 系列に属せず、弾左衛門は彼等の生活に直接関与することはない。こうした無宿者が、食をもとめて江戸や大坂の大第7巻3・4号ー-2 都市に集まったが、その対策については既に述べたことがある。 一方、抱非人は、弾左衛門│非人頭の支配の系列のもとにあり、非人の人別に加えられている者たちである。その 人数は、天保一一一年の調べで左のとおりであった。 浅草非人頭 千 代 松 一、惣高非人 四千二十九人 一 、 同 百四十二人 口 問 川 非 人 頭 藤右衛門 善 三 郎 久 兵 衛 明治維新後の非人が置かれた状態については、中尾健次氏の小耗かある。ここでは、維新直後における非人の職務、 ﹁賎民廃止令﹂と非人の解体の二項目に分け、非人の役の変動を論じておられる。そのなかで非人の生活についても 言及されてはいるが、野非人と抱非人の区別を明確にされていないようにみえる。 一 、 同 四百七人 深川非人頭 一 、 同 二百五十二人 代々木非人頭 東京都中野の矯正協会の図書館には﹃弾左衛門訴並両溜諸留﹄と題する未紹介の留書三冊が保存されており、安政 四年一一月一四日から明治三年正月二四日にいたる諸記録が綴じ込まれている。この小論の目的は、そのなかから、 これまで知られなかった維新後の抱非人の生活にかんする資料を紹介し、明治維新前後の非人の生活基盤について述 べようとするものである。 維新前の非人の渡世 寛政三亥(一七七一)年五月九日付浅草浅之助後見伝七の申立は抱非人の収入源についてつぎのように記してい る 。
3一一維新時における東京の非人 一、仏事祝儀御座侯節、町人方より其町内を勧進場所一一預り居候小屋頭と相対之上、仕切と申候儀ハ、先年より 有之由ニ候へども、如何程と高極り候義一一は無御座、其分限相応一一相対いたし、其町内預り居候小屋頭へ米銭 等もらひ受、外物貰非人とも門口へ為立不申、仕切候小屋頭方より米銭とらせ遺候由ニ御座候、尤右之趣私方 へ相届候上いたし候義一一は無之、非人頭共より申渡候義一一も無之由ニ御座候 但、右之外月井仕切と申義も有之、是は三日五節句等物貰壱ヶ年表庖壱軒一一付、凡六十四文位より百文位迄 一一仕切、其町方を預居候小屋頭方へ貰受候由ニ御座候 一、小屋頭共助成之義は、御用向其外用向無之節ハ、雪駄直し又は物真似稼等ニ罷出、猶又銘々預り居候勧進場 所致物貰うヘハ、小屋頭へ上ケ銭致、其余分又は非人共抱置候小屋頭共ハ夫々ニ稼為致、小屋頭共方え受取候 飯代之内-一て、少々宛之徳分有之候閥、右之助成を以、上は小屋頭下小屋ともニ日々之暮方致し、善七松右衛 門方ニては溜御用向相勤、猶又善七方一一てハ私方より申付候御仕置もの御用其外諸人足等相勤、松右衛門、善 三郎、久兵衛方ニても、善七方助成之者は御用人足差出、尤右助成之依多少致甲乙、都て小屋頭とも相勤候義 -一 御 座 候 一、非人頭善七手下小屋頭五百五十壱人 一、同松右衛門手下小屋頭百六十人 一、深川非人頭病死善一二郎手下小屋頭四拾六人 一、代々木非人頭久兵衛手下小屋頭廿五人 一、木下川非人頭欠落久兵衛手下小屋頭七人 〆七百八十九人
第7巻3・4号一-4 但、此内当時小屋頭不定之小屋凡弐百軒余も有之侯へども、非人頭と共相礼不申侯問、荒増を申上候 とある。ここに記されているのは非人小屋頭の収入についてである。 ( 6 ﹀ この文書の内容について、石井良助氏はつぎのように解説しておられる。 これによれば、非人小屋頭は各町にそれぞれ勧進場と称する縄張りを持っている。そして、その町内の者に、仏 事祝儀などがあるときは、その町人はその小屋頭と相談して、仕切と称して、 小屋頭は、外の物もらいや非人を門口に立たせず、かれらには自分の方から、米銭をくれてやる。しかし、この 縄張りについては、弾左衛門も非人頭も関与しない。月並仕切というのがあるが、これは、一二月一一一日、五月五日 の節句などの際の物もらいを、表庖一軒につき六十四文から百文ぐらいの聞で仕切って、その額をその町方を預 一定額の米銭をかれらに支払うと、 かっている、すなわち勧進場としている小屋頭がもらうことである。 概ねこれでよいかと思うが、傍点の﹁かれら﹂とは小屋頭支配下の抱非人を指しているとみるべきであろう。 一 定 額の米銭を町内から受け取ることにより、町内を他の物貰いなどから防衛し、 る。但書の﹁一一一日五節句﹂は正月三ケ日と五節句の意味であろう。 かつは自己の縄張りを確保したのであ 文政四(一八二一)年九月、浅草非人頭善七は町奉行に嘆願を行った。 一つは、溜役・囚人送迎の人足賃の増額で あ り 、 いま一つは非人稼ぎの減少の原困と窮状を訴え、表庖から日々一銭の臨時勧進願いである。先の願いは聞き容 れられなかったが、後の願いは許可された。町方に対しても年番名主宛に左の達が出された。 江戸四ケ所非人頭共手下小屋持非人共、古来より銘々勧進場之内日々相廻り、施物を貰ひ、右助成を以、浅草、 品川両溜預之もの番井囚人送り迎又は奉行所えも相詰、或は野非人共を狩込、手下ニ致し、町々不浄物之取片付 等をも可致儀之処、近来稼薄く、手下之もの共相減、野非人共之制は怠り侯故、増長致し、居前え立寒り、悪ね
たり致し、河岸杯に群居、場末-一は小屋を作り、大勢住居致し候分も有之、右之内ユは無宿もの拝も入込、悪事 致し候類も可有之哉、且町々往還之不浄もの等片付も等閑ニ成行候-一付、是迄祝日等-一て遣し来候外、古来之こ とく、町々表庖之分計り、場所柄に応し、日々隔日或は二日置位一一、其所之小屋持共致勧進、施物乞受度、尤志 無之ものえは強てねたり候儀一一は曾て無之旨、非人頭共相願候-一付、願之通聞届候問、得其意、其方共より、無 急度申渡置候様可致候 午正月 5一一維新時における東京の非人 いうところは、抱非人たちの稼ぎが減少し、手下の数も減り、野非人の取締がおろそかになって野非人が増長し、 往来の不浄物の片付けもなおざりになった、このため、これまでの祝日等のほか、町々の表庖から、日をきめ場所柄 に応じ、施物をするようにと触れたのである。願い出たのは浅草非人頭であったが、四ケ所の非人に通用された。 ところが、後掲する明治二年十月二七日付の非人頭の嘆願書によれば﹁文政五午正月中、南町御奉行所様
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御免被 成候、表庖日壱文勧進云々﹂とあって、この文政五年正月に表庖から一日に一文宛の勧進を受け取ることになったと 見えている。この臨時勧進免許には期限が付されていないが、弘化三(一八四六)年品川浅草両非人頭から出された 再融願は無視され、嘉永五年の再度の願は不行届の廉で取下げさせられている。 維新時の非人頭の嘆願 慶応三ハ一八六六)年一一一月王政復古の大号令が発せられ、翌四年五月には江戸の三奉行を廃し社寺、市政、民政 の三裁判所を設けた。これにより従来町奉行所の支配をうけていた弾左衛門以下は市政裁判所の管轄となった。四年 七月江戸を東京に改め、同年九月八日に年号は明治と改められた。まだ年号の改まらないこの年八月、浅草・品川・第7巻3・4号 6 深川・代々木・木下川の非人頭たちは連名で、左の嘆願書を提出した。﹃弾左衛門訴並両溜諸留﹄では、 仕法替井非人渡世増御願箇条書上﹂と記され、別紙を先に、本文を後にして綴じてあるが、ここでは本文を先にして 掲 載 す る 。 ﹁ 上 勧 進 乍以書付奉嘆願候 非人頭善七跡相続人庸之助後見善三郎、品川同松右衛門、深川向見習佐助、代々木同久兵衛、木下川同久兵衛 跡引請人文次郎・仙之助、右一同奉申上候、私共儀数代預役被仰付、諸御用向相勤永続罷在、手下小屋頭共儀は 社寺境内井町家外レ杯ニ被差置、相応之諸役相勤候、中ニ者役筋-一寄、勧進場所定割渡置、非番之節其持場相廻 り、無宿・野非人・物貰杯相制、三ン白五節句其外祝仏杯有之侯屈
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勧進仕、貰銭之内月々私共方え揚銭差出候 上、諸御用向井御仕置人足、其外諸役銭差出来候、尤役督無之小屋頭弁抱非人共は、平日雪踏直稼・紙屑拾ひ・ 物貰杯仕、露命札町叫んツ候上、夫々女非人-一至迄、旧来無賃ニ而御用向相勤候儀は、先年御尋ニ付、奉書上候儀も 御座候、然処近来物騒敷御時節-一立至、御屋敷様方は不及申上、寺院方迄兎角倹約之趣に而、勧進米銭杯皆無不 被下置分も多御座候、丘町家之儀も所-一寄閉応逼塞致、祝ひ仏事都而手軽之取行ひ故、右ニ准シ施物銭減シ被下 置候方も有之、其時々難渋之趣申入候共、御時節柄ヲ申開済無之、猶相願候得は、ねたりケ間敷、無拠差控罷在 候ニ付、自然米銭共相減、其上稼向は次第ニ薄相成、其余仕来候古木・不浄物貰ヒ或は下水設、其外都而変死倒 死取片付、又は町家庖々え掃除人と唱ひ、抱非人之内実排成者差出、賃銭仕着井日々残飯杯乞、其外種々憐思ヲ 受来候得共、近来不浄木は市中湯屋ニ而買入、其上木拾ひ差出候-一付、非人渡世一一差障り難渋仕候、旦下水没・ 不浄之取扱杯迄無厭、町家之衆業鉢-一被成、殊ニ右掃除人杯遺ひ不申様相成、非人之生業杯廉々相減、当時雪駄 直シ、紙屑拾ひ稼ぎ而巳ニ一問、自然難給続候哉、手下共之内欠落人杯追々有之次第ニ及、人少ニ余時御用向被仰付候節、御差支ニ相成候市は可奉恐入と相弁居候得共、前段奉申上候通、都而非人共生業其外入銭杯悉相減候上、 近年引続諸色格外高値之折柄、手下共寒苦ニ差迫り罷在候得共、利宣之売買不相成身分柄、歎ケ敷儀と見聞難忍 侯得共、倶ニ窮乏之折節、 一助之手当向杯も自力-一難及、歎息罷在候、自然諸御用向非人足杯差支候様成行候哉 ニ奉存、重々恐入候儀と夫是旦夜痛心罷在候、乍去外手段杯無御座候-一付、無余儀奉歎願候、尤当今恐多も王政 御復古、海内御統一之折柄ニ候得は、往々鼓腹安住之御治世-一立到候は必然之儀と奉存候得共、何分是迄累年之 窮迫難為凌、依之勧進嘱方井渡世向杯之儀は、別紙書面之通御願奉申上候、出格之以御憐感御聞済被成下置候上 は、私共始手下共多人数飢渇相免シ、無此上も御仁他と銘々難有相弁、乍恐御思儀之程、世々忘却不仕、依之是 迄御奉公一一相勤来候御用向之外、猶御廓内外変死・到死惣而不浄之取扱井溜定式番人足杯為冥加御奉公ニ相勤可 申候、且市中表裏白々一円是迄祝ひ仏事其外夫々躍来候勧進銭杯更-一申受不申、且又変死・行倒都而不浄之類有 之候節、取片付賃銭杯貰来候得共、以来は対シ市中え、為奉公と無賃-一両可仕候、尤右之外御用筋之儀は、何様 見苦之業も聯厭無御座候一一付、非人身分相応之御用其御筋
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被仰付候ハヘ為冥加之一同粉骨砕身仕、精勤相励 7一一維新時における東京の非人 可申候問、前件之次第偏ニ御憐察被成下置、御用向無惹相勤リ、且手下非人共一同露命相繋、小屋頭共勤役相成 候様、何卒偏一一以御慈悲、別紙書面之廉々御開済被成下置候様、乍恐以書付一同御願奉申上候、以上 慶応四辰年八月 右 善三郎 松右衛門 同 佐 助 同 同 久兵衛 同 仙之助代機第7巻3・4号一一8 文次郎 右善三郎外四人儀、前書之通奉申上候ニ付、私奥印仕奉差上候、以上 弾 内 記 ( 別 紙 ) 勧進仕法替井非人渡世増御願箇条書上 非人頭善七跡相続人庸之助後見善三郎、品川同松右衛門、深川同見習佐助、代々木同久兵衛、木下川同久兵衛 跡引受人文次郎・仙之助、右一同奉申上候、近来世上物騒敷、御時節柄手下一同索、苦一一差迫り候儀、見聞ニ難忍、 先般御願可仕と奉存候得共、累年御国事御多端之御場合故差控罷在侯処、当今恐多も王政御一新之就御場合-一、 上 乍恐左之廉々奉歎願候 勧進貰方之儀者、本文書面-一奉申上候通、都而祝ひ日其外屈之祝仏有之候節、夫々施物銭耀来候得共、近年倹 約之折柄、右祝仏杯手軽ユ被取行候ニ付、入銭甚減少仕、難渋ニ立到候哉ニ奉存侯得共、銘々是又窮迫之折柄故 手当向杯不行届、此上如何成行之儀、種々心痛罷在侯得共、外手段工夫杯無御座ニ付、勧進場所之内、表庖之分 者、表小間割ニ致シ日々銭八文宛、一泉家者尤地主家持之分間断、全借家之分者一軒前銭弐文宛之日勧進仕度、然 ル上者是迄申請来候祝仏施銭井其度々途中物貰制方、骨折銭杯至迄、皆無貰不申相勤可申、其上持場所見廻り方 一段出情為仕、無宿・野非人杯相制可申、左候得者、是迄差出被成候施銭減シ、殊三変死行倒都而不浄物取片付 杯、本文書面一一奉申上候通り、無賃-一而相勤可申、自然町入用聯減少之廉-一も相当候、非人共一同露命永続之儀 -一御座候問、此段何卒以御慈悲、乍恐御触流之程御願奉申上侯 社寺境内見世物杯、井市中寄セ下足番等之儀者、泥下駄・泥草履預り、相当之銭貰候不浄之業ニ付、非人共仕
業ニ奉願上候、尤是迄神仏開扉弁法談拝有之候節、 A 仕来候分御座侯得共、寄セ下足番之儀者、不浄之無厭、町家 之衆被成候-一付、差控居候得共、町人者何様之職業も栢出来候、非人共者右等と違ひ、外渡世不相成身分柄之儀 -一 付 、 御 憐 察 被 成 下 置 、 以 来 人 寄 セ 場 下 足 番 之 犠 者 、 一円非人共生業ニ相成候様御願奉申上候 古木拾ひ・不浄物取扱・下水凌杯者非人共仕業-一有之処、近来下水没者、素人足業鉢之様成行、本文書面-一奉 申上候通り、至極難渋仕候、乍去以只今仕来候町内庖々拝も有之、既一一八丁堀御組屋敷様方者、最寄小屋頭共相 勤罷在候ニ付、外町々之儀も同様非人共仕業一一奉願上度、且古木拾ひ湯屋-一而被差出、同様難渋仕候-一付、向後 トー維新時における東京の非人 御差止メ御触流、乍恐奉願候、尤薪高値之瑚一一付、此儀御聞済無御座候ハ L 無是非次第-一付、此上古木拾ひ差出 シ 候 湯 屋 々 々
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壱軒前日々相当之銭申受度、此段御願奉申上候 一紙屑拾ひ之儀者非人稼一一有之処、物価高直之折柄故、庖々ニ而是迄掃捨候反古鼻紙都而廃紙杯も溜置、紙屑買 え売渡候一一付、自然右稼者及手薄候得共、是又前書同様、外渡世不相成身分柄、難渋迷惑而巳と心得侯連無余儀 右稼致罷在候、乍去如一万掃捨呉候様相願も難相成、依之廃り紙買入之儀、非人渡世-一奉願上候、尤御聞済之上者、 是迄紙屑買え売渡候通り、時之相場に而買入可申候、且非人渡世之儀者何れも雨天之節不相成義ニ付、至極難渋 仕候問、右為凌買入侯紙屑井拾ひ来候分共、漉返紙一一仕立、市中え下値ニ売捌申度、尤是迄町方紙漉渡世之分者、 明差構無御座候、此段御願奉申上候 一藁草履井藁靴造之儀者同様非人渡世-一奉願上度、尤売捌方者前同様-一可仕候、此段御願奉申上候 右之廉々被為御聞苔候上者、本文書面-一奉申上候通、御用向為冥加、無賃ニ而奉相勤可申候、且市中え対シ奉公筋 も相立、其上非人共多人数行立候義ニ御座侯問、何卒以御慈悲御憐感、御聞済被成下置候様、偏ニ御願奉申上候 以 上第7巻3・4号一一一10 慶応四辰年八月 右 善三郎 同 松右衛門 同 佐 助 同 久兵衛 同 仙之助代兼 文二郎 いうところはこうである。 自分たち支配下の非人は、代々さまざまな役を勤め、非番のときは持ち場を廻って無宿者・野非人・物貰いなどを 取締り、三ケ日や五節句、その他祝儀や仏事には施しを受け、貰い銭の中から頭のもとに揚げ銭を出し、諸御用向、 御仕置人足、その他諸役の費用を賄ってきた。役得のない小屋頭や抱非人は、平日、雪踏直し、紙くず拾い、物貰い などの収入により露命をつないできた。女非人にいたるまで、無賃で御用を勤めるものについては、先年お尋ねがあ り、あり様を申しあげた。 (この経緯は不明である、牧) ところが、近年もの騒がしくなり、 お屋敷はじめ寺院方まで倹約の趣で、勧進の米や銭を全く下されないところが 多くなった。又町家でも、屈を閉じたり落ちぶれたりして、祝儀や仏事を手軽に行うようになり、施し物を減らされ ることが多くなった。そのつど難儀の旨を申し上げても、時節柄ということでお聞き入れがない。こう言われて更に 願うのも、ねだりがましく、 やむなく遠慮してきた。そのため自然と施しの米や銭が減り、その上稼ぎも少なくなっ て き た 。 そ の 他 、 しきたりの古木や不浄物貰い、下水淡い、変死人の片付け、掃除人などにより、賃銭 γ しきせ・残飯の施
与その他の憐みを受けてきた。ところが、湯屋が直接不浄木を買い入れ、又木拾いを出すようになった。下水没いや 不浄物の取扱いまで町人たちが自らするようになり、非人の生業はなにかと減少し、 いまや収入は雪踏直しと紙屑拾 いだけで、生活ができなくなったためか、手下の非人たちに欠落者が出てくるようになった。これでは手薄になって 御用に差し支えるのでないか心配している。先に申し上げた通り、非人達の仕事や収入が減少したうえ、このところ の物価高で、手下たちは困り切っているが、利益のある売買など許されない身分であるし、ただ嘆くのみである。こ れでは御用向きの人足にも差し支えるようになろうかと、 日夜心痛している。さりとて外に手段もないので、余儀な くお願いを申し上げる次第である。 やがては鼓腹安住の世になることは疑いないが、長年にわたる窮迫を凌ぐ ことができず、そこで勧進貰い方と渡世向きについて、別紙のようにお願いを申し上げる。 お許しいただけるならば、多くの手下共が飢渇を免れ、その御恩義を忘れず、これまでの御用の他に、廓内の変死 いまや王政復古、海内統一の御時勢で、 1 1 -維新時における東京の非人 人や倒死人をはじめ不浄の取扱、溜定式の番人人足などは冥加として御奉公する。また祝儀仏事などで広々を廻り勧 進を乞うことも止める。これまで市中の変死、行倒れはじめ不浄物の取片付も無料で奉仕をする。その他御用のすじ は、どのような見苦しいことも厭わず、非人身分相応の御用は冥加として紛骨砕心精励するので、別紙書面の願いを お聞き入れいただきたい。 第 勧進貰方について 今後、表庖及び裏家も地主家持ちの分は一日銭八文、借家人からは一軒まえ銭二文の割 で貰い受けたい。そのかわり、これまで受けてきた祝儀仏事の施し銭や骨折り賃などは受け取らず、持場の見廻りに いっそう精を出し、野非人や無宿者の警戒にに努め、変死人や行き倒れ人などすべて不浄物の取片付けなど無賃で勤 めるから、町の出費も減るし、非人共も露命をつなぐことができる。
第7巻3・4号一一12 第二社寺境内の見せ物や寄席の下足番は、相当の銭を貰って泥下駄や泥草履を預かる不浄の仕事であるから、こ れは非人の業務としてほしい。これまで神仏の開帳や法談などのとき非人が勤めたこともあったが、寄席の下足番は 不浄の厭なく町家の衆がしていたので遠慮していたが、町人はどのような職業もできるけれども、非人は他の職業に っけない身分であるから、この点をご理解あって、下足番はすべて非人の生業としてほしい。 第三古木拾い、不浄物取扱、下水凌などは非人の仕事であるのに、このごろ素人の人足の仕事のようになって非 人たちは甚だ困っている。八丁堀の組屋敷では小屋頭が勤めているが、町々でも同様に非人の仕事としてほしい。湯 さもなくば古木拾いをだしている湯屋から日々相当の銭を受け取れるように 屋が古木拾いにでるのは禁止しするか、 し て 欲 し い 。 第 四 紙屑拾いは非人の職業であるのに、物価高になって庖々ではこれまで掃き捨てていた反故や鼻紙もためて売 るようになった。これも非人共は他の渡世が許されない身分であるから困っている。廃紙の買入れは非人の渡世とお 決めいただきたい。そうなれば従来紙屑買いと同じ時の相場で買い取りたい。又非人の渡世は雨天の日は許されない ので難儀
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ているが、その凌ぎに、拾ったり買ったりした紙を漉返し市中に売りさばきたい。これは従来町方の紙漉 渡世の分まで妨害しようとするものではない。 第 五 藁草履・藁靴の製造と販売は非人の渡世として欲しい。 以上の諸件を許可されるならば、御用向は冥加として無賃で勤める。市中に対しても奉公筋は立っし、多くの非人 たちも生活ができるので、どうか御慈悲をもってお聞き届けいただきたい。 しかしながら、この嘆願は聞き届けられなかった。ただ、御用人足の賃銭は引き上げられた。 ﹃弾左衛門訴井両溜諸留﹄は、同年七月付の﹁非人人足賃銭増方之儀ニ付申上候書付﹂の案文を伝えている。正式に願いでたのは、同年 ﹃史料集・明治初期被差別部落﹄は、東京都公文書館所蔵の文書のなかから の 一
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月になってからであったらしい。 弾内記の奥印のある庸之助後見善三郎の﹁乍恐以書付御願奉申上候﹂および松原晋三郎・中田潤之助の二人が﹁:・御 増方相成候様仕度奉存候、依之別紙願書相添此段申上候﹂の語をそえた﹁申上﹂を収録している。同史料集の見出し は﹁願いを許可﹂としているが、厳密にいえば、これは許可の文書ではない。 ﹃弾左衛門訴並両溜諸留﹄は、許可伝 達の模様を 右十月十七日於東京府、晋三郎殿え木村可之助面会、前書朱書願書之通ニ判事衆人。書面御下之由談申候得共、い また御定治之処碇と相知不申候処、同月廿四日、御同人牢屋敷御見廻之処、委細相伺、即日弾内記代弁善三郎非 人頭治郎兵衛・新四郎・長兵衛呼出之、晋三郎殿, Z 被仰渡候 と伝え、左の請書の本文を収録している。 13ーイ監新時における東京の非人 東京府様井民政御裁判所御掛入牢又は御呼出者、牢屋敷内外掃除、不浄物取捨杯之非人人足賃銭御増方之儀、奉 願候処、願之通被仰什候旨被仰渡、難有仕合奉存候、右御請伺如件 非 人 頭 善 七 跡 相 続 人 明 治 一 克 辰 年 十 月 廿 四 日 庸 之 助 後 見 善 コ 一 郎 煩 -一 付 代 佐 衛@
丘 ( 組E
頁 治郎左衛門 @ 本 材 木 町 小 頭 @ 新 治 郎 E. 衛@ @
同 四 良 日 伝 馬 町 小 頭 長 丘 ハ 衛第 7巻 3・4号一一一14 右善三郎外四人前畳一日之通り御請仕候ニ付、何私奥印仕候、以上 これにより、明和八(一七七二年以来据え置かれていた、囚人呼び出し送迎の人足賃は一人に付百文からコ一百文 に、不浄物取捨掃除などの人足賃は四十八文から百四十八文に増額された。 再度の嘆願 明治二年八月、東京府は弾内記に、府内で支配下の﹁非人頭共支配人別之もの、市中物貰致歩行候人数高、井野非 人又者乞食等致歩行候類、凡人高調可書上旨﹂を命じた。弾内記報告の概数は、非人頭庸之助後見善三郎の手下は七
OO
人ほど、乞胸仁太夫支配下で五OO
人ほど、その他野非人を合せて二千三百八十人で小計三千五百八十人。品川 非人頭松右衛門の手下が二OO
人ほど、野非人が一六O
人ほど、小計三六O
人。深川非人頭見習佐助の手下が五六人 ほど、野非人が一六八人、小計一一一六人。代々木非人頭の手下は七九人、野非人が一OO
人、小計一七九人。木下川 非人頭久兵衛跡引受人文二郎手下が八人、野非人が三O
人、小計三八人。総計で四千三百七十三人となっている。つ まり、東京府内在住の非人等物貰に歩く人数のうち、御用を勤める非人身分の合計は一O
四 三 人 で あ っ た 。 なおこの月、東京府は市中町人の貧富の調査を行った。その結果は、 富民 家持地借 一 九 六 、 六 七O
人 ( H 一 二 九 % ) 貧民 屈借 ( H 四O
%
)
二O
一 、 七 六O
人 極貧民 庖借、御救戴侯者 一O
三、四七O
人 ( Hニ
O
%
)
極々貧民 岡、救育所入相願候者 一 、 八OO
人 ( H 0・
四
%
)
と な っ て い る 。 (口)内の数字はそれぞれの階層の比率を計算してみたものである。九月一七日、太政官は、東京中の非人乞食は調査の上、壮健の者はそれぞれ旧里に引き渡し、受け取った藩県は再 度管轄外に出ないよう処置を命じた。同月二五日、高輪に救育所を増設し、ここには市中野非人乞食のうち、 療疾不便之もの﹂を収容することとした。小屋非人はその対象外である。 ﹁ 老 幼 昨年の勧進仕方嘆願が不受理となった非人頭たちは、 一
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月二七日、改めて左の嘆願の書付を提出した。 乍恐以書付歎願候 一同奉申上侯、私 15一一維新時における東京の非人 弾内記支配非人頭善七跡庸之助後見善三郎、品川松右衛門、深川見習佐助、代々木久兵衛、 共儀、旧来支配頭弾内記 J 割渡相来候市中勧進場、手下小頭と唱候者共え豆町三町宛割渡、銘々其持場三ン日五 節句祝仏度々勧進仕候、入銭之内持場町数ニ応シ、私共方え月々収納差出候上、親妻子養育致、此外勧進場無之 者共は雪踏直シ、紙屑拾ひ其余病身或は幼少成者は物嘱致、日夜送り罷在候ニ付、御国恩為冥加之、御仕置人足、 囚人取扱、都市不浄之御用相勤来侯処、近来物価格外沸騰致候ニ付而は、市中諸職人賃銀旦雇一一一至迄、時ニ応シ 引上、夫々生活相来侯得共、私共手下勧進之儀は、兎角町家之憐思ヲ受候迄ニ而、時之物価-一准シ勧進物嘱侯義 ニは無之問、仕来之通、勧進仕候而も、衣食一一引足り不申候処、御屋敷様方御変革一一付、勧進被下物一切無御座 候、市中におゐても時節柄一統御倹約-一付、勧進次第一一手薄一一相成候市巳ならず、御一新御改正之御時節、勧進 杯も旧例之儀一一付、不差出候共不苦杯と申候仁も有之、必至之難渋仕候得共、一万J
非 人 境 界 外 産 業 不 相 成 、 実 -一 窮迫難凌、此分一一而は往々飢渇ニ逼り、自然手下共離散、御仕置人足其外諸御用向、難相勤成行候而は、私共儀 も滅亡-一至り可申と心痛罷在候処、当今市中極貧之者井無宿・乞食・療疾之者-一至ル迄、御救育被為遊、難有奉 慕御仁政、不顧恐ヲ奉歎願候、市中-一おゐて祝仏之度々、旧例一一不拘、家柄-一応シ心付ケ勧進差出候様御触渡被 成下置候様願上候、此外旧幕府之硯、四拾八年以前文政五午年正月中、南町御奉行所様ぷ御免被成候市中表脂日第7巻3・4号一一16 壱文勧進之分、一ニ文相増、表居一日四文、裏広之分壱文宛勧進御免被成下置候様奉願上候、尤日々門一一立、勧進 申受候而は広々ニおゐても手数、殊一一商売柄一一寄り混雑致、差障相成候向も有之哉一一奉存問、月両度、町年寄方 ぷ目印鑑札申受、勧進為相廻度奉存候、御開済相成候上は右勧進入銭ヲ以、御用向相勤候者共え、衣食為手当配 当仕度、猶為冥加之、御郭内外市中ニ至迄、変死・倒死之者取片付候御入用、一切頂戴不仕相勤可申候、且余時 町用被申付候節も、同様賃銭杯貰受不申為相勤可申候、都而御用向一切勉強可仕候問、何卒御憐察御仁岨之御沙 汰乍恐奉歎願候 以 上 明治二巳年十月廿七日 右
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善 三 郎 松右衛門 右 右 佐 助@
右 久 兵 衛 @ 右善三郎外三人、前書之通御願申上候付、私奥印仕、倶々奉願候 以 上 弾 内 記 嘆願の趣旨はこうである。近来物価高騰のおりから、諸職人の賃金は引上げられているが、非人たちの勧進は町家 のあわれみを受けるのみで物価の騰貴に対応しない。お屋敷様方からも御変革ということで勧進下され物が一切なく なった。市中でも倹約され勧進物が減少したのみならず、御一新御改正の時節であるから勧進などの旧例はしなくて もよいと申す人も出てきた。そのため必至の難渋をしているが、非人の境界としては外産業もあいならず、このぶん では手下どもも離散し、御用向きも勤まらず滅亡にいたるものと心痛している。そこで、祝仏の度々には家柄に応じ て心付けや勧進をするようにお触れをだしていただきたい。その他、 四八以前の文政五年に南町奉行所から許可され た、表広から日に一文の勧進を四文に引上げ、裏庖からも日に一文宛の勧進をお願いしたいというのである。ここでは昨年八月に出された新規の項目はすべて表面から消えている。しかし、この嘆願に対しても何の反応もな ミ つ こ o , 刀 φJ ﹃弾左衛門訴並両溜諸留﹄にも﹃史料集明治初期被差別部落﹄にも、この嘆願に関連する記事はみられない。 正式に提出されたかどうかも確認はできない。この時点では賎民廃止令の布告はまだ日程に上っていない。 明治四年八月二五日、賎民廃止令は唐突に公布された。この布告は横多・非人等の称を廃止し、彼等を一般民籍に 編入し職業も平民と同一にするものではあったが、同時にこれらの身分に認められていた排他的な得分をも否定する も の で あ っ た 。 同布告にもとづき、東京府の区々の世話係中年寄から、具体的な手続きについて五ケ条の伺いが府に出されたが、 当面の問題についても、その第三に左の箇条があった。 非人共、是迄日勧進井吉凶ニ付、町家より金銭施請候処、平民相成候上者、右様施乞者一切為相止候積 東京府は、この点について﹁伺之通﹂と指図してよいと考え、九月一八日付で大蔵省に伺いをたてた。大蔵省は九 17一一維新時における東京の非人 月二九日、大蔵卿大久保利通の名で﹁書面朱書指図之通ニ而可然事﹂との指示を与えている。 制度としての非人が消滅し平民となったのであるから、町家から非人に対する在来の日勧進や士口凶による施与も廃 止というのである。こうして、非人たちは何らの補償もなく、形式的には平民として自由競争の渦中に放り出された の で あ る o カミ あ
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と これまで述べてきたところを要約し、これらの史料の歴史的意味を考えておこう。 慶応四年および明治二年両度の非人頭たちの嘆願書によれば、小屋非人たちの生活を支える収入源は、勧進場を廻第7巻3・4号一一18 り三ケ日・五節句その他祝事や仏事のある家々から集める勧進、役得(勧進場)のない小番頭や抱非人は平日雪駄直 しゃ紙屑拾いによる利益、病人や幼少のものは物貰いということであった。嘆願書では御用人足に対する手当をあげ ていない。その理由が、あるいは取るに足らない額であったからか、改正をもとめる対象となり得なかったからなの かは確かめ得ない。 ところが幕末から維新への政変のなかで物価は騰貴し、物情騒然となった。御屋敷や寺院まで倹約のため非人たち への勧進銭米を出さないところが出てきた。明治二年の嘆願書では、御屋敷様方は﹁御変革ニ付﹂勧進下され物を出 さなくなったという o 町屋も逼塞し閉屈する庖があり、祝い事や仏事も手軽に済ませるようになり、施物や銭が減少 した。明治二年の嘆願書によれば、御一新の時節となり、非人たちへの勧進は旧例であるから不要と言い出すように なった。この意識の変化は重要である o さらに、古来の仕来として非人たちが行ってきた不浄物に関する領域が侵さ れてきた。市中の湯屋が不浄木を直接買い入れたり、自ら古木拾いを出すようになった。非人たちの仕事であった下 水凌・不浄物の取扱まで町屋の衆の業拡とされるようになった。 慶応四年度の嘆願では勧進仕法を改め、表庖からは一日に八文、全借家から一日二文を受け取り、その代わりに祝 仏の施銭・途中物貰い・骨折賃も辞退し、持ち場の見廻りにも精を出し、変死・行倒をはじめ不浄物の取片付も無賃 で奉仕する、下足場・古木拾い・不浄物取扱・下水渡・紙屑拾い・藁草履藁靴の製造販売まで非人たちの専業と認め てほしいと願い出た。不浄処理の仕事の範囲の確認と、その拡大を求めたのである。 しかし、これらの願いは無視された。翌明治二年、非人頭たちは要求を大幅に後退させて、市中表庖は一日四文、 一裏庖は一文宛の勧進を制度化することのみを願い出た。しかし、この願いも聞き届けられなかった。 幕末になると、さまざまな分野で合理的精神が浸透し、旧制度の基盤を揺るがせていた。合理的精神の浸透は、伝
統的な非人たちの既得権を蚕食する。江戸の市民たちは、経済的不安と触藤忠避の観念の解体のなかで、従来不浄と され忌避された領域を侵しはじめたが、この動向はもはやとどめることは不可能であったであろう。 江戸幕府のもとにおける非人の職業は、往古の﹁キヨメ﹂の系譜をひく不浄の除去であった。往古の不浄の領域は 歴史的過程のなかで拡大され、それが制度化され、既得権として非人たちの生活を支えた。 一般民衆は不浄除去の代 償として、その任にあたる人たちに施与をおこなってきた。 ここに取り上げた二つの嘆願書の背後にあるものは、不浄に対する忌避感の破綻であった。不浄に対する忌避が悉 くなくなれば、制度上の非人の存在理由は消滅する。非人頭たちが提出した二つの嘆願書は、生活の保証がないなか での旧制度における非人たちの側からする最後の要求であった。 19一一維新時における東京の非人 ( 1 ) ﹃ 幕 末 御 触 書 集 成 ﹄ 第 五 巻 、 三 三 九 頁 八 十 一 、 無 宿 物 も ら い 非 人 等 之 部 。 ( 2 ) 拙稿﹁おこし奉公人
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大 坂 の 非 人 と 江 戸 の 非 人 ﹂ 平 松 義 郎 博 士 追 悼 論 文 集 ﹃ 法 と 刑 罰 の 歴 史 的 研 究 ﹄ 所 収 。 ( 3 ) 幕府提十一、石井良助﹁近世賎民に関する若干の考察﹂所引、﹃日本団体法史﹄二三七頁。 ( 4 ) 中 尾 健 次 ﹃ 江 戸 社 会 と 弾 左 衛 門 ﹄ ( 5 ) ﹃ 寛 政 享 和 撰 要 類 集 ﹄ 第 六 。 ( 6 ﹀石井前掲、二三八頁。 ( 7 ﹀この歎題については塚田孝﹃近世日本身分制の研究﹄二七三頁以下を参照。町触は﹃御触書天保集成﹄下、八二二頁六回 五 八 号 。 ( 8 ) ﹃ 史 料 集 ・ 明 治 初 期 被 差 別 部 落 ﹄ 二 八 頁 、 二 一 号 。 ( 9 ) 前 掲 、 七O
頁 、 五 七 号 。 ( ω ) 前 掲 、 七 五 頁 、 五 七 号 。 ( 日 ) 前 掲 、 七 六 頁 、 五 九 号 。第7巻 3・4号一一20 r、、,-、、'" 14 13 12 、._/、、J 、、J 前掲、七人頁、六三号、同一