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日本民族性と仏教の発展(4)

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Academic year: 2021

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われわれがいつまでも分別の世界におるときには→そういう世界では、分別を離れようとするですナ。分別を離れ て、そうしてそれとは逆なところに何かを見ようとするですナ。或いは、分別というものを土台にして、それによっ てほかへ伸びてゆこうとするですナ。けれども、分別を離れてものを見ようとするのは、やはり分別に捉えられてお ることで、いくら分別を離れよう離れようと思っても、分別は離れられるものではないですナ。それから、分別を通 して、それによって向うへゆこうとするということは、それはその、数珠玉を数えるような塩梅で、いくらいっても、 いくらいっても、限りがないのです。もとの所へ戻るか戻らぬかは関係ない。この珠は無窮に続くのであって、どこ までいっても済んだということはない。そういうものが分別なんです。ですから,分別の力で向うへゆこうとしても、 分別を離れてゆこうとしても、分別に足がひっかかっておって、どうしても跳べないのです。

日本民族性と佛教の発展

第二講︵承前︶ ’ /一一、

、、_ノ

鈴木大

82

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そんならどうしてそれが得られるかというと、分別をそのままにして分別でないものを見る。煩悩をそのままにし て極楽へ往生出来るという、そういう意味に見なくてはならぬと思うのです。だから分別を捨てて極楽へ行くという ことでなく、分別をそのままにして、善いものは善い、悪いものは悪い、橡いものは穂い、綺麗なものは綺麗な、そ のままでそこに展開する極楽を見る。そうしてその極楽から見ることによって、その極楽から見るときに、そこに本 当に弥陀からの廻向の世界が体験せられる。こう私は言いたいのです・ これが経典にどういう根拠があるかというと、ここに書いてきておりませぬけれども、こっちの鏡が向うの鏡に映 る、向うの鏡がこっちへ映る、というようなことがよくお経に載っておるですナ。極楽の鏡がこっちへ映る、娑婆の鏡 が極楽へ映る・そうして極楽の鏡と娑婆の鏡があっちへ映り、こっちへ映りするということは、これは譽えなんだが、 そんな鏡がそこに二つあって、お互いに照しあっておるのじやないか、こういわれるけれども、それは臂えであって、 人間の知識の分別の制約としては、どうしてもそういう臂えを離れるわけにいかないのだから、そういうことでもい わないと、わからぬようになっておるのでありまするけれども、その実、向うの鏡がこっちの鏡に映り、こっちの鏡 が向うの鏡に映って、その映った途端にその間に何等の影像なし、影もなければ姿もなしというものを体験する。そ れが﹁信﹂なんです。ここてものが結晶して来る。そいつがなかったら、いくら話しても仕様がないと思うのです。 それで、極楽往生というものは、どうしてするかというと、行ってみてするのです。ここでこうしておって、往生 するとかしないとかいうような話でなくして、極楽往生することによって往生が可能になるわけです。そういうこと ならどうも話のしょうがないじゃないかというが、実際、話のしょうがないのです。そいつに人間としていろんなこ とをいうものだから、それに尾がつきヒレがついて、そうして、︲もうしょうがなくなる。そうしていわゆる学問の講 者達というような人は、その言葉をいろいろに分析したり、まあ何とかかんとかいって色んな講釈するというと、屋 根の上に屋根を栫え、頭の上に頭を栫えて、そうしてどうも重くて困る、というようなことになるのですナ。 83

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これは何やら信者の吉兵衛言行録だったか何かに書いてあったが、同行の一口でしたか、同行の示談ですか、何か 講者の三年の勉強にも勝る、というようなことをどこやら書いてあったと思うのです。それは学問を誇るという意味 では決してないのです。学問というものはどうしても概念的で抽象的なものであるが、行者の方の物語というものは、 これは学問でなしに体験の世界を話しているから、如何にも直附けなんです。学者の話というものは、丁度、数学者の 数字を研究するようなもので、数字というものは、一つの机とか、二つの机とかいうような塩梅に机を勘定するときに、 一、二、三、四というその一、二だけを机から離して勘定するのが、これが数字の世界ですナ。抽象したものなんで す。学問もその数字と同じようなことで$一つ二つというその一つは林檎にもあてはまれば机にもあてはまるし、国 にもあてはまるし、また飛行機にもあてはまるというような塩梅に、その一つは、何処へでもあてはまるが、しかし ながら、その一つにあてはめられる机なら机、林檎なら林檎、梨なら梨というものは、その一つ二つと別に関係のな い極めて実質なもので、梨一つのその一つだけを食尋へてはお腹が脹らぬけれども、一つというところに示されておる 梨は食べればお腹が脹るとか、美味いとかいうことになるのです。それを梨にもつければ林檎にもつく、栗にもつけ れば柿にもつくという、その一つだけいくら食令へたって、お腹が脹らないにきまっておる。そいっを百、二百食べた って何にもならぬ。それを一つの林檎でも食べたら百の数字を食今へたよりも、より役に立つわけなんです。 そういうもので同行の体験の世界を見れば、如何にも実質性を持ったものであるのです。そこを学者は概念を取扱 うから、なるほどものはわかったようにみえるのですけれども、実質はそうはいかない。そんなら概念ということを 総て捨ててしまって抽象の話はやめにしてしまわんならんかというと、それはいけないのです。それは出来ないこと われわれが今日世界の地図を見ます。いま戦さを盛んにやっておるところが、実際行って見ぬから、どの位遠いの かわからぬけれども、あの辺はやたらに島があるとみえて、近頃は毎日新たな島の名を覚えるようになっておるので 奔挫ノル︽、キーナ0 84

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す。けれどもしかしあれは地図で学んでいるというわけです。しかしその地図の出来たもとはどうかというと慾みん な一尺二尺と、二本の足で歩いてみたことを概念化して地図にしたものです。その地図というものが概念だが、その 概念だけでは、私達今日ソロモン群島へ行ってみるというわけにはいかぬから、やはり地図を見るより仕方がないの です。地図といえば概念というと同じようなことで、それを一纒めにしてみることができる。地図では実際のもので はない。いくら地図でソロモン群島を噛み砕いても敵は依然としてそこにおるということになる。けれどもそれを見 ておらぬというと話にならぬから、どうも地図でいうより仕方がない。そこで概念というものは、よほど大事なもの です。最も大事なものだけれども、しかしそれに捉えられておっては話が出来なくなる。そこが一番難しいところで、 人間がいつもそれに苦しんでおるわけなんです。 それでこれも概念の弊であると思うことは、こういうことがあるのです。歎異抄を読んでおるというと、親鴬聖人 はわし一人のために弥陀が本願を立てられた︲というような、言葉はしっかり覚えておりませぬけれども、そういう ふうになるですナ。そうして自分というものを助けるために、お釈迦さまが出てお経を説かれた、自分一人を極楽へ やろうとして、お経を説かれたというようなふうに信者は感ずるのです。行者はそういう体験をするのです。 これを言い表わすには、概念でないというと表わせないが、しかしその人の実際の体験をするところは最も具体的 なものの上に感ずるわけなんです。それはどういうことになるのかというと、いま私とか他人とか、ここに何という ものがある、あそこに何というものがあるといっておるものは、すこぶる具体的なもののように思うけれども、それ ほど抽象的なものはないわけなんです。そういってはまだわからないが、親鴬聖人が親鶯といわれておる、その個人 というものは、この個体というものは、個我といってもよいのでございますナ。 西洋の言葉に、インディビドゥーム︵三号ぐ昼自己日︶という言葉があるのですが、それがよほど面白いと思うのです、 親鴬聖人が九十なら九十で亡くなられた。京都のここの大谷辺に居られた。そういう空間に、そういう時間に居られ 85

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たという意味で、親篭聖人が親賛聖人であるのじやないですナ。親鶯聖人が自分といわれておるその自分というもの は、親鶯聖人でない親鶯聖人であると、それを見ておられるのです。いわゆる般若的にいうというと、般若は般若に あらず、それで般若だ。こういうことで親駕聖人が親鴬聖人でなくして、しかも親鶯聖人であるそのものを見て、そ こに足を置いて、そこに立場を置いて、そうして自分一人のために説かれた、こういうわけなんです。だからその自 分というものは、もう一つ歩を進めていうと、阿弥陀自身である。こういってもよいわけです。 親篭聖人が︲自分のために阿弥陀様が法を説かれたということを言い直すというと、阿弥陀様は阿弥陀様自身のた めに本願を起こされた、こう言ってもよいわけなんです。それは要らぬ話じゃないか。要らぬ話なんです。分別の上 からいうと要らぬ話。それを分別を離れた世界から見るというと、それが最も具体的な如何にも生々とした事実なん です。そこに立場をおいて見るというと、ここに権兵衛とか、太郎兵衛とか、親鴬とか、法然上人とか、日蓮とか、 空海とかいうものは、みんな夢のようなものなんです。そういう世界に住んで、そうしてものを見るというと、一番 具体的なものだと思っておるものが、一番抽象的な、一番空無なものなんです。その無という意味は大分違った意味 に言うのだが、そういうものがあるので、われわれは普通に空間がどうだの、時間がどうだのいって、甚だ分ったよ うな話をしておるのだけれども、この時間というものも、空間というものも、これはよほど抽象したものであって、 いまの、弥陀が弥陀のために本願を起こした、自分が自分のために本願を起こして自分の姿を鏡に映した、自分の姿を 鏡に映したという、その鏡が自分なんです。自分が自分を否定して自分を見ておるというと、その立場から見るとい うと、われわれが普通に分別というか、計らいとか何とかいっておるものほど抽象的なもので、そうして空虚な夢の ようなものはないですナ。ですから、ここでこういうものがあると思って、これが一番具体的なものだと思っておる、 それがわれわれの知識の上で分別の上で働いて、これ、これとわけるときに、これ、あれというものが出来るのであ って、そうでないというと抽象的なもののように思われ、それが最も具体的なものと思われているが、それを見ると 86

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いうと、こんなものはみんな抽象的なものなんです。そういう点を親鴬聖人が見られたと思うのですがネ。 親鶯聖人の伝記を見ても、親鶯聖人が何処でこの禅宗のような悟りを開かれたかということは載っていないですナ。 禅宗の坊さんになるというと、何処其処で悟りを開いたとか、わしはこういうことがあった、などということをよく いうのですナ。けれども親鶯聖人の、まあ伝記というものも甚だ足りないもので、断簡零墨から推察するだけにすぎ ないのだが、私は何処かで何かあったものだと思う。 親鶯聖人は、飛躍の世界、横超の体験というものが何処かで決っておると思うのです。そうでなければ、歎異抄の ようなものは出て来ないのです。勿論、歎異抄というものは、親鶯聖人自身が書かれたものじゃないのだから、大分 違うといえば違うが、しかし親鶯聖人の側におったお弟子が伝えられたところで、却って聖人の面目が現われるとい うことが私はあると思うのです。自分が言おうと思って言うときには、自分が言おうという意識がそこにあるので、 いくらか他人行儀というものが出て来るのです。いくらか仮面を被って装束をつけておるのです。ところが、弟子の 仲間で、日常、聖人なら聖人、これは誰でもよいのだが、話をしておるようなときには、却ってその人の天真燗漫な ところが出て来るのです。なるほど弟子には、その師匠の天真燗漫なところを伝えてあったって、自分の器量だけし か見えないということもあるですナ。 鐘を叩くに大きい撞木と小さい撞木と、その撞木によって音の大小がある。弟子の境界の大小によって師匠の境界 を測度する計りに大小が出来て来るのである。けれども、なおそれを読む人の力によって、これだけが弟子のもの、 これだけが師匠のものであるというようなことが頚別出来ないとはいえないですナ。そういう点から見て、歎異抄を 読む人が、もう昔からどの位あったか知らないが、その読んだ人が悉くあれは唯円坊が書いたとすれば、唯円坊の境 界にも至らず、呪んや聖人の境界には至り得なかったものが、もう無数にあるだろうと思うのです。その代わり、ま た歎異抄を一寸読んだだけでも、もう既に横超の世界を体得した人もあったろうと思われるのです。 87

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で、親鴬聖人は教行信証というものを書かれてあるが、あれは親鴬聖人を偉くするものというよりも、むしろある 意味でいえば、平凡化したといってもよいじゃないかと思われるのです。こういうと、真宗のお方は、何だ、わからぬ 奴が、門外漢が、とこういわれるだろう。例えば親鴬聖人は教行信証を書かれても書かれなくても、消息、手紙とか、 歎異抄というようなものだけあったら、それで沢山だと思うのです。或いは、教行信証というものがあったがために、 却って多くの概念的学者というものを栫えあげて、真宗の発展というものが単に学問上においてのみ止まって、それ 以外に出なかった。出なかったのでない、出ておるけれども、もっと出てもよかったではないかと思うのですがネ。 頗る推参な話だけれども、ある一面から言うと、親篭聖人は教行信証というものを漢文で書いておられる。沢山いろ いろな文句を引いておられて、自分の書き加えられたということは一寸しかない。また他から引いて来られた文章で も、よい加減なところで切っておられる。もっと書いてもよいというところを、自分の肚だけで切っておられるとい うところを見ても、如何にも思索思想的な偉さがみえるのです。しかし思想的な偉さは、宗教体験の上から見る偉さ と違う。全く違うというわけにはいくまいが、いくらか違うということは言い得ると思うのですナ。 何故$私がそういうことを申すかというと、親鴬聖人が京都だけにおいでたならば,駄目だったろうと思うのです。 御流罪に遭われたということは、如何にも天の配剤というか、こういうように真宗というものが展開すべき運命をも っておったということが、そのときに見られる、こういうてもよいかもしれぬと思うのです。親鶯聖人が越後へ行か れてから、ああいう体験があったか、越後から常陸の方へ廻られて、ああいう体験があったかわからぬ。けれども、 実は聖人が田舎へ行かれたということ、もう一遍言えば、百姓と相い知ることが出来た、すなわち大地、地面と相い 接触することが出来ることによって、大地からの空気、霊気というものを吸取ることが出来たのだと、きっと私はそ うだと思うのですネ。京都に居って、公卿文化の中に生きておったならば、中をああいう親鶯聖人のような経験は出 来ないと思うのです。 88

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人格ということは、先に申し上げました個、親鶯聖人という個ですナ。この個がすなわち人格、その人格というも のが、これが最高のものなんです。これがすべての我執とか、我慢とかいうものを取ってしまって、そうしてあとに 残された赤裸為のものがあるのです。それが個です。それが人格です。それが阿弥陀と相い触れ、それが阿弥陀であ るのです。だから相い触れるというときに、そこに阿弥陀というものが一方に出、一方に親鶯聖人というものが出る。 そういう意味からして親鶯聖人は、阿弥陀様の権化であるというようなこともいわれる。或いは弥陀の再来、或いは 応身・応化であるというようなこともいわれる。こう思うのです。これが禅宗の言葉を使うと、こういう言葉がある ですナ。これは無難禅師といいまして、徳川の中頃の人でありますが、この人の言った言葉の中に、

生きながら死人となりて死にはてて心のままになすわざぞよき

この歌の意味が、生きながらということは、こうして何某が生まれ、甲が生まれ、乙が生まれ、伝兵衛がある。太郎 がある。次郎がある。これが生きた世界です。生き物の世界です。この中にわしも入っておる。あなたらも入ってお る。この生きておると思っておる世界に居ながら、そこに死人となる。自分が死んでしまうというのです。そうして 体験というものと思想というものとが、どうしても一つにならないといかないです。思想が体験から遊離してゆく というと、その思想というものは力を持たない。しかしながら、その思想というものが体験を土台にして動いてゆく というと、思想の方面に論理的な間違いというものがあるにしても、なおその思想というものには力があるのです。 命があるのです。人を動かすものが何だかその間違いながらの文句の中に見える。哲学者においてもその通りですナ。 ただ論理の遊戯をやる哲学者が、その哲学者の展開をする思想的綿密さというものがないにしても、何となくその哲 学から出て来るところの一つの力、力という字も私は嫌いだけれども、まあ力といっておくというと、それを感ずる ですナ。体験というものが必要なものである。それは何かというと、もう一遍いうと、それは人格ということだ。こですナ。体験、 う思うのです。 89

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死んでしまっただけではない。死にはてて、徹底して死んでしまう。そんなら何にもないかというと、何にもないこ とはないのです。そこに心というものが動いておるのです。それが人格なんです。それが個なんです。それが親鶯聖 人が我一人のため、というその一人です。その一人の動くままに動く。それが﹁よき﹂、とこうなる。﹁よき﹂という ところが面白い。﹁よき﹂という価値がそこへ出て来る。 しかしながら、この﹁よき﹂という字は善悪の範鳫できめられる﹁よき﹂ではないのです。善悪を超越したところ の﹁よき﹂であるわけである。絶対価値の﹁よき﹂ということであるのである。 禅宗の言葉で見るというと、そういう言葉を使ったその﹁心のままに﹂というその心が親鶯聖人のわれ一人のため、 というその一人です。その一人が一人のままに動く。一人の心のままに動くということは、阿弥陀様が阿弥陀様のま まに動くのであるということである。阿弥陀様が阿弥陀様の心のままということは、どういう意味であるかというと、 阿弥陀様自身だけでおられるときには、心ということも、本願ということも、慈悲ということもいわれないのです。 これが、弥陀が弥陀を否定するというときに、弥陀が本願というものを運び出すわけなんです。 これをわれわれの方からいうと、我というものが我となるとき、生きたものが死人になりはててしまったとき、そ のときにそこに動いて出るもの、個というもの、人格というもの、一人というものがそこに出て来るのです。そこへ 出て来たところの一人、人格というものが、弥陀というものとそのときに触れ合うということになるのです。触れ合 うというよりも、それが弥陀である。こう言ってもよいわけなんです。そういうもののために総てのお経が説かれた。 これを禅宗的の言葉を使うというと、自分が自分を見るというようなことでなくして、自分が自分を殺してしまっ て、つまり自らを離れてしまったところに、万物来って我を証するなり、というような、これは道元禅師の言葉です。 万物来って我を証する。自分が自分を証するということでなくして、万物来って我を証するということになる。そう すると自分が死んでしまうということは、弥陀に証せられるということになる。自分を捨てるというときが、弥陀の 90

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正覚を成ぜられたときである。すなわち、自分が極楽へ往生して自分も正覚を成じたということになる。しかしなが ら、そこでは極楽へ行ってしまったということではなくして、やはり分別の世界、善悪の世界というものは、そこに 歴然としてあることなんです。そうすると、どういうことになるのかというと、それを自然法爾と言ってよかろう。 自然法爾、義なきを義とすというようなことは︲それが佛教の見地であると思うのです。それ以上には、佛教は展開 する余地はないと私は思うのであります。 そういうことが日本の宗教で出来た。佛教が鎌倉時代へ来て、こういう方面までも展開することが出来たというこ とは、やはり日本民族性のなかに何か頗る世界的意味をもった、これから世界へ打って出て、そうしてどういうふう に思想が混乱して来るようになるかはわからぬけれども、その混乱というものを救い出す道はこういうところから出 て来ないか。こういうふうに私は考えておることなんですがネ。 それから、昨日申しました中で、不完全ということを言った。この不完全という言葉よりも、不均衡という、釣合いの 取れないという、右に何かあると左に何かある︲左大臣があれば右大臣がある、男があれば女がある、上があれば下が あるというような、そういう釣合いの取れていない、上があるかと思うと下が全くなかったり、右に山のような高い ものがあるかと思うと左の方はガラ空きになって、何にもそれと釣合いの取れるものがない、片一方に仁王さんのよ うなものが、如何にも〃阿″の呼吸が鋭く現われておるが、片一方の〃畔″の方は、ウンともスンとも言わないよう な、何にもないものがあるというような均衡のとれないことです。これが日本人の狙うところなんです。これがよほ ど面白いと思う。ああなければならぬ、こうなければならぬといわないで、ああなければならぬが、こうなければな ら画方は、何にもないというようなことが随分あるのです。ことにそれは芸術の方面に現われて来る。その方では禅 宗の方によほど現われて来る。信は真宗の方の宗教的生活の方へ入って来ておると思われます。けれども禅宗の方は 芸術の方面へ出て来ることが多いのです。真宗の信者とか同行のようなもの、あるいは講者のようなお方も芸術家と 91

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禅宗の方は不思議に芸術の方面へ入ってきておる。生活の方面へ入ってきておらぬ。例えば、絵を描くにしても、 撃剣をするにしても、謡を謡うにしても、華を活けるにしても、そういうところへ禅がずっと入ってきておるのです ナ。生活の芸術的方面、あるいは生活を芸術的に把握するというところが禅の方で見られておると思うのです。宗教 の方は日本人の信の境涯に入るし、禅宗の方は日本人の美の方へ入って来る。美の方面から見て、今の釣合いのとれ ぬということ、釣合いのとれぬところに禅的美なるものがありはしないかと思うですナ。だから大きなものを小さく して見る。須弥を芥子粒の中へ入れてしまって、そこから須弥を出す。いわゆる灰吹きから龍を出すというようなこ とにもなるか知れぬですナ。もう一遍それを進んでいうと、私がこう言っておる、その言葉一だが悉く弥陀になって そこに飛び出す。こう言われ得ると思うのです。これは善導大師に限ったことでない。空也上人に限ったことでない。 誰でも彼でも如何にあさましい凡夫といっても、その凡夫の言っておる言葉、その動かしておる手や足というものに は悉く後光がさしておる。こういうふうに言われるのです。それを真宗的には言われないかも知れないが、禅宗的に いうと、そういうことが言われるのです。その言われるところに美があるのです。そこによほど面白いものがあると 思う。単に宗教の方面ではそういうことは言い得られぬかも知れないが、美という方面から見るというと、そういう そこで、一茎草という一つの草です。禅宗の坊さんに言わすというと、一本の.ヘン。ヘン草ということをいうが、そ れは何草でもかまわないが、それを持ち上げては、そこに丈六の紫磨黄金の佛が光って出るというのです。そうかと 思うと、その紫磨黄金の丈六の佛様をこの指一本にしてしまうということもある。こういうのです。そうすると美事 に思われておるものが甚だ釣合いを失ってしまって、西洋の言葉に、如何にも荘厳なことが一転して滑稽千万なこと ことが言われるですナ。 思う。単に宗教の方面 んじゃないかと思うがネ。 いうものは殆んどないといってよいですナ。真宗の人に芸術家があれば何か禅宗的なものを持っておる。こう言える 92

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朝顔に釣瓶取られて貰い水 ということがあるですナ。加賀の千代は真宗の人に決っておるが、そこからああいう芸術家が出たのだから、一概に 真宗に美はないというわけには行かぬが、あれにしても〃朝顔に釣瓶取られて″というのは実際の方面からいうと、 一晩の話なんです。朝顔に釣瓶取られるということなど何んでもない。一晩位で絡んでいったところが、戻して釣瓶 で水を汲むなんぞ何でもないことなんです。そういえば実際的の実用家の方面から見るというと、千代というのは如 何にも間抜けた女だな、田舎の女だな、こうなってしまうのです。けれどもこれを千代の立場から見るというと、朝 顔が朝咲いておる。夏の朝、涼しいときに朝顔が咲いておる。その美に打たれると$それをどうしても解いて釣瓶を 挙げるということが出来ぬのだ。そこに、一つの美の世界へ入ってしまって、そういうものを見ておると、〃朝顔に 釣瓶取られて貰い水″ということになるわけなんです。それをくんで見なければならぬと思うのです。そこに千代の に何かそういうものが、やはりあるものだと私は思っておるのです。 うことが美というのですかナ。何というか、そういう方面を禅は開拓してきたと思うのです。そこが日本民族性の中 も働きのないところの、犬に小便でもひっかけられるような、どこかの草一本になるというようなことです。そうい になるという言葉があるのですがネ。そういうようなわけで、紫磨黄金の佛様が一寸ひっくり返すというと、如何に 真宗の人の中には大芸術家というものがあったか、今迄の歴史にはあまり出ていないようだが、禅宗の人の中には 随分と芸術家が出ておるですナ。それはまあ日本芸術を見てもシナ芸術を見てもわかると思います。それはどういう ことかというと、妙ということをいうのです。宗教というものは、すでに思議を絶したもので不可思議であるわけで す。妙ということも不可思議の世界だが、その妙という方が真宗的に発展するというところに宗教の世界が出るし、 それが禅宗的に発展するというと、妙の世界が美の世界へ出て来る。一女の生活の中に美というものが光って出る。 例えば加賀の千代の句に 93

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美という世界がある。美の世界をそこにやっておるのだから、何も実用的に朝顔をどうしよう、こうしようという事 実はどうであったかわからない。実際、千代は貰い水をしたかしないか、それはわからぬ。しかしながらそれはどう でもよいので、朝早く起きて水を汲もうとするときに、その朝顔の美というものに打たれる。その千代の心持ちとい うものは、いわゆる天地の美です。, 阿弥陀様が、皆が救われなかったら正覚を取らぬと言われた、その暁、その明け方の美がそこへ出ておるのです。 宗教的にいうと、そういうことは言われぬかも知れないが、今の美的の世界から見るというと、そこにそういう美が あるのです。阿弥陀様が正覚を取らんとして、その思惟の暁にパット自分が出た。そこが朝顔の開いたところです。 それを朝起きて見たから、それをどうしてというわけにいかないから、それを発句に出したのが〃朝顔に釣瓶取られ て〃ということになったと私は解釈するのですがネ。これは今の場合は$千代は禅宗でなくして真宗になってしまっ た。さっき言ったことと、一寸違うのですけれども、大体いうと禅宗の坊さんの方にその方が多いですナ。 そういうことをもっと申し上げると、まだ何かあるように思うけれども、実際はまだ書いてきておりますけれども、 あまり長くなりまするし、わしも、それよりもくたぶれてきたから、やめることに致しましょう。どうも失礼しまし ザ ア ノ ー 0 ︵第二講、了︶ 94

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