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《異本病草紙》の美術史的位置について

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はじめに   《 病 草 紙 》 は 様 々 な 病 気 や 先 天 性 疾 患 の 症 例 を 表 し た 絵 巻 で あ り、 か つ て 関 戸 家 に 伝 来 し た 十 七 場 面 に、 そ の 連 れ と 見 ら れ る 四 場 面 の 断 簡 を 加 え た 計 二十一場面が現存し、京都国立博物館ほか各所に分蔵される。制作の経緯を直 接的に示す史料は存在しないものの、その作風・画面形式の分析や所依経典の 検討などにより、十二世紀後半に後白河院(一一二七~一一九二)の周辺にお いて、現存する《地獄草紙》 ・《餓鬼草紙》とともに浩瀚な六道絵巻の一部をな す作品として制作された可能性が有力視され る ( 1 ) 。   現存する《病草紙》各場面の絵には複数の異なる作風が看取され、本作品が 複数の絵師の分担により制作されたことが窺われるが、いずれの場面も洗練さ れた構図と暢達な線描によって表され、登場人物の心情までもが的確に表現さ れ て い る。 こ の 絵 巻 が 院 政 期 絵 巻 の 優 品 と 位 置 づ け ら れ る 所 以 で あ る。 ま た、 本作品の詞書の記述や絵画表現には当時の「病」に関する知識や認識が表れて おり、医学史や思想史においても重要な作品である。それゆえに、これまで本 作品に関しては複数の方面から多くの研究が重ねられ、豊かな成果が生み出さ れてきた。   さて、本稿で取り上げるのは、上記《病草紙》とは別種の《異本病草紙》と 称される作品である。本作品も《病草紙》と同様に様々な病気や先天性疾患の

《異本病草紙》の美術史的位置について

 

   

症例を場面ごとに表した絵巻であり、原本は失われているものの、十数本の伝 本が現存する。各伝本は十五図前後からなる「略本系」と三十五図前後からな る「広本系」とに大別され、場面の配列や内容には各伝本間で異同があ る ( 2 ) 。こ こで、現存する広本系作例の中でも最多の三十七図を有する京都国立博物館本 ( 以 下「 京 博 本 」 と 呼 称 ) に 拠 っ て 各 図 の 配 列 と 主 題 を 示 す と、 次 の よ う に な る。ただし、本作品には詞書を伴う伝本が一つも現存しないため、ここで挙示 する各場面の主題は、先行研究における推定によるものであ る ( 3 ) 。なお、本稿の 以下の記述には今日の倫理的基準に照らして不適切な表記が含まれるが、先行 研究との間で表記の不統一が生じることを避けるため、そのまま用いることと する。差別の助長を意図するものではないことを先に明言しておきたい。    [一]屍体を喰う狂女    [二]踊る僧侶    [三]婦人病の女    [四]腹から膿を出す女    [五]皮膚病の男    [六]眼疾の男と治療する老女    [七]腹部を病む男と看護する女    [八]陰茎切断の僧侶    [九]陰嚢を指さす男    [十]陰嚢の大きな僧侶

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   [十一]熱病の女    [十二]痘瘡の女    [十三]肥満の女と痩せた男    [十四]背中に腫瘍がある女    [十五]顔に瘤がある女    [十六]炉に倒れる僧侶    [十七]臨終の場    [十八]下痢の女    [十九]色情狂の老女    [二十]幼児の針治療    [二十一]喧嘩する狂人の僧侶    [二十二]狂人と屍体    [二十三]病臥の男    [二十四]躄の男    [二十五]女の胸に咒を書く僧侶    [二十六]象皮病の女    [二十七]口の無い男    [二十八]食中に嘔吐する男    [二十九]躄車の僧侶    [三十]背中に瘤のある女    [三十一]天然痘の幼児    [三十二]布を裂く女    [三十三]鼻に腫瘍のある女    [三十四]腸瘻の男    [三十五]乞食の男    [三十六]露出狂の女    [三十七]行水する女達   《異本病草紙》については、 原本と詞書がいずれも残らないことによるのか、 こ れ ま で あ ま り 活 発 な 議 論 が な さ れ て こ な か っ た。 例 え ば、 《 異 本 病 草 紙 》 は 本来《病草紙》と一具のものであったのか、それとも後世に《病草紙》の影響 下に制作されたものなのか、という本作品の成立に関する重大な論点について は、散発的に見解が提示されるものの、研究者間で積極的な議論がなされるに は至っていない状況である。また、各場面の逐次的なディスクリプションと図 様分析も未だなされていない。   しかしながら、本作品は美術史学における院政期絵巻研究を進展させる可能 性 を 孕 む 作 品 で あ り、 よ り 盛 ん に 議 論 が な さ れ て し か る べ き も の と 思 わ れ る。 というのも、 もし本作品が本来《病草紙》と一具であったと認められるならば、 院政期絵巻の伝本と見做される作例が増えることとなり、院政期絵巻研究に大 きな影響を及ぼすであろうし、そうではなく後世に《病草紙》の影響下で制作 されたのであったとしても、後世における院政期絵巻受容の一事例として美術 史上に重要な位置を占めると思われるからである。ただし、本作品の成立に関 する議論が十分に尽くされず、その美術史上の位置が定まらないままでは、本 作品の存在が院政期絵巻研究の進展に寄与することは叶わないであろう。   そ こ で 本 稿 で は、 本 作 品 の 略 本 系 諸 本 に 含 ま れ る 諸 図 の 絵 画 表 現 を、 主 に 《 病 草 紙 》 と の 比 較 を 通 し て 分 析 す る こ と に よ り、 本 作 品 と《 病 草 紙 》 と の 間 にある距離を測り、本作品の美術史的位置を探ることとする。なお、略本系所 収の諸図を分析の対象として取り上げる理由は、第一章で後述する。   もとより本稿の考察のみによって本作品の美術史上の位置が明らかになると は思わないが、本作品所収諸図の絵画表現についての現段階における分析結果 を提示することにより、本作品をめぐる議論の活性化に資するところがあれば と思う。

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一、先行研究の概観と論点の整理   具体的な分析に先立って、 《異本病草紙》に関する主要な先行研究を確認し、 本作品をめぐる主要な論点を整理しておきたい。その上で本稿の方針を提示す ることとしたい。 先行研究の概観   一九六六年、梅津次郎氏は《病草紙》及び《三老人巻》に関する論考におい て、 《 異 本 病 草 紙 》 に も 言 及 し た ( 4 ) 。 そ の 中 で 梅 津 氏 は、 略 本 と 広 本 の 存 在 に 触 れ、同氏が実見した数種の伝本を紹介したうえで、本作品の原本がもとは《病 草 紙 》 と 一 具 で あ っ た 可 能 性 は 十 分 に あ る と し た。 本 論 考 は、 「 絵 巻 物 残 欠 愛 惜の譜」と題して連載された十六編の論考のうちの一編であり、紙幅の都合ゆ えか詳細な図様の分析はなされていないが、管見の限りでは《病草紙》と本作 品原本との関係性に触れた最も早い論考である。   続 い て 一 九 八 一 年、 《 病 草 紙 》 に 関 す る 包 括 的 な 論 文 を 発 表 し た 佐 野 み ど り 氏は、その中で《異本病草紙》をも取り上げ、かつてないほど詳細に本作品の 主題や図様等について論じ た ( 5 ) 。この論考は本作品に関する基礎研究と位置づけ られるべきものであるため、やや長くなるが、以下にその論旨を詳しく記述す る。   まず佐野氏は、八種の伝本を挙げてその概要を紹介したうえで、三十五図前 後を有する広本系が本作品本来の姿であり、その後各図が散逸した結果として 十五図前後からなる略本系諸本が成立したとする立場から、広本系の中でも最 多の三十七図を有する京博本を最も完備した伝本と位置づけて、同本に基づき 各図の主題を検討した。そして京博本全体を通観して気がつくこととして、治 療や看護の場を多く描くことと、性的関心が濃厚で猟奇的な主題を含むことの 二点を挙げるが、これらは《病草紙》にも共通して見られる特徴であり、これ らを理由として《異本病草紙》が《病草紙》と異質な傾向を有していると考え ることは妥当でないとした。   また、本作品の各図を構図・線描・主題の観点から分類すると、そのパター ンがおおむね《病草紙》と合致することや、本作品の彩色及び文様の使用にお い て、 《 病 草 紙 》 と の 共 通 性 が 認 め ら れ る こ と を 指 摘 し、 こ れ ら の こ と と 本 作 品に描かれたモチーフに《病草紙》と重複するものがないことを考えあわせる と、本作品の原本と《病草紙》が一連の作品であったと想定することの蓋然性 は 十 分 に あ る と し た。 さ ら に、 《 伴 大 納 言 絵 巻 》 や《 年 中 行 事 絵 巻 》 に お い て 用 い ら れ る 文 様 や モ チ ー フ と 同 種 の も の が 本 作 品 に お い て も 用 い ら れ る こ と、 また人物描写や顔貌表現についても両絵巻と本作品において近しいものが認め られることから、本作品を含めた《病草紙》全体の作家群は、 《伴大納言絵巻》 と《年中行事絵巻》の作者と目される常磐光長系工房の画家たちであったと推 定した。   その上で、改めて京博本をもとに本作品と《病草紙》の諸図を比較して、本 作品中の多くの図が《病草紙》中の諸図との間に共通性を有することを個別に 指 摘 し た。 た だ し、 [ 二 ] 踊 る 僧 侶・ [ 十 七 ] 臨 終 の 場・ [ 二 十 一 ] 喧 嘩 す る 狂 人 の 僧 侶・ [ 二 十 三 ] 病 臥 の 男・ [ 三 十 五 ] 乞 食 の 男・ [ 三 十 六 ] 露 出 狂 の 女・ [ 三 十 七 ] 行 水 す る 女 達 の 諸 図 は、 い さ さ か 問 題 が 残 る 図 様 で あ る と す る。 特 に[三十六] ・[三十七]について、前者は遠ざかった視点から情景が表される ことや人物の所作に解釈困難な点が多いことにより、後者は「病」の症例を表 すとは考えにくいことにより、他本からの混入である可能性も否定しがたいと する。しかし、上記の問題を踏まえつつも、佐野氏は、本作品を「病」のみな らず「病」 ・「瘋狂」 ・「老」という人間の苦しみに関わる三種の主題を描いた作 品と捉え、そうであるならば、上記の諸図を含めたすべての図がその中に包摂 さ れ る と 考 え る。 そ し て、 「 個 々 の 主 題 が 病 で あ れ、 瘋 狂 で あ れ、 老 で あ れ、

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その基調となる精神は、尋常ではない素材、下賤な素材すらを通して、人間の 実相に肉薄せんとするものであ る ( 6 ) 」として、京博本所収の三十七図をすべて一 具のものと解釈した。   その後、医学史の立場から論考を発表した林美朗氏は、佐野氏の論考初出時 には未だ一般に知られていなかったと思われる略本系の古本である武田科学振 興財団   杏雨書屋所蔵の伝本(以下「杏雨書屋本」と呼称)を挙げ、同本が南 北朝時代に描かれたものとする立場から、これに先行する鎌倉時代ごろには略 本系の図様が成立していたと推測し た ( 7 ) 。そして、略本系が次第に増補される形 で、最終的には江戸時代に至って広本系が成立したのだと推定して、広本系が 先に成立し、その図が散逸した結果略本系が成立したと想定する佐野氏の見解 に異議を唱えた。   国文学の立場から本作品の図像解釈を試みた吉橋さやか氏は、本作品と《病 草紙》が当初は一具のものであったと見做す佐野氏に対して、本作品には《病 草紙》と趣向の異なる点がいくつもあり、その制作背景や絵巻全体の意味が同 じであったとは考えがたいとし た ( 8 ) 。具体的には、以下の六点を本作品の特徴と して挙げている。①皮膚疾患図の増加、②脳・精神疾患と思しき、常軌を逸し た様子の人物の増加、③性器の描写の増加、④僧形者の病者の数の増加、⑤治 療・看護・予防図の増加、⑥新たな画面構成の登場である。その上で、問題の あ る 場 面 と し て 、[ 二 ] 踊 る 僧 侶 ・[ 八 ] 陰 茎 切 断 の 僧 侶 ・[ 九 ] 陰 嚢 を 指 さ す 男 ・ [十六]炉に倒れる僧侶 ・[三十五]乞食の男 ・[三十六]露出狂の女 ・[三十七] 行水する女達を挙げ、 中世の説話や医学書を参照しつつ、 各図の解釈を行った。   近年加須屋誠氏は、伝来・技法と表現・図像・歴史的位置の各方面から総合 的に《病草紙》について論じ、その過程で本作品と《病草紙》の関係に言及し た ( 9 ) 。 同 氏 は 京 博 本 を も と に 本 作 品 の 絵 画 表 現 を 観 察 し、 《 伴 大 納 言 絵 巻 》 な ど に 見 ら れ る 藻 勝 見 文 様 が 描 か れ て い る こ と、 《 病 草 紙 》 や《 病 草 紙 》 断 簡( 大 和 文 華 館 所 蔵 ) や《 粉 河 寺 縁 起 絵 巻 》 と よ く 似 た 人 物 表 現 が 見 出 さ れ る こ と、 また《信貴山縁起絵巻》などでしばしば用いられる、頭頂で筆を分ける剃髪の 描き方が見られることを指摘し、本作品の一部には、平安後期にさかのぼる古 い 絵 巻 物 の 描 法 が 写 し 取 ら れ て い る と 判 断 し た。 し か し、 本 作 品 に は、 [ 二 ] 踊る僧侶や[三十七]行水する女達などのような、上記の古様な表現に対して 明らかに異質な要素を持つ場面が含まれており、本作品からは「全体に散漫で なにか色々なものを寄せ集めたような印象を受け る )(1 ( 」とする。それゆえに、本 作品は本来《病草紙》とは別種のものであり、いくつかの古い絵巻物から採ら れた図像を抜き描きし組み合わせたものであったと推測した。   な お、 加 須 屋 氏 と 山 本 聡 美 氏 の 編 集 に よ る『 病 草 紙 』( 中 央 公 論 美 術 出 版、 二 〇 一 七 年 ) で は 京 博 本 全 巻 の カ ラ ー 図 版 が 掲 載 さ れ た。 そ の 図 版 解 説 で は、 京博本には一部に《病草紙》からの影響が認められるものの、背景の粗密や人 物の大小にばらつきがあり、各図の配列にも脈絡がないと指摘され、これらを 勘 案 す る と、 《 異 本 病 草 紙 》 の 原 本 も、 首 尾 一 貫 と し た 絵 巻 と し て 完 成 さ れ た というよりは、先行する複数の古画から写し取った場面と、新規に描出した場 面を集積したものであったと想定するのが妥当とする、前掲の加須屋氏の論考 と同様の判断が下されている。また、その成立時期は中世後半のことと推定さ れている。 論点の整理   以上、先行研究を概観してきたが、これらにおいて見出される本作品をめぐ る美術史学上の主要な論点は、現段階では次の二点に絞られるであろう。 ①本作品の成立過程。広本系が先に成立して、その図が徐々に散逸した結 果略本系が成立したのか、それとも略本系が先に成立して、これが次第 に増補されることにより広本系が成立したのか。 ②本作品原本と《病草紙》との関係性。もとは一具であったのか、それと も本作品は《病草紙》の影響のもと、後世に作られたのか。

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  これらのうち①については、後者の想定が妥当であると考えられる。その理 由 と し て は、 《 病 草 紙 》 と 異 質 な 要 素 を 持 つ と 指 摘 さ れ る 図 の ほ と ん ど が 広 本 系のみに含まれていること、また、広本系の伝本がいずれも近世以降のもので あるのに対して、略本系には転写年代が中世に遡ると目される杏雨書屋本が存 在してお り )(( ( 、早い段階で略本系の諸図が一まとまりとなっていたと推定される ことが挙げられる。   そのため、本稿が問題とすべきは②である。先に紹介したように、佐野氏の 論考の後に発表された論考や書籍においては後者の見解が主流であると見られ る が、 し か し、 本 作 品 を 後 世 に 作 ら れ た 作 品 と 見 做 す こ れ ら の 論 考 や 書 籍 は、 い ず れ も 本 作 品 と《 病 草 紙 》 と の 関 係 を 明 ら か に す る こ と を 主 眼 と し た も の ではなく、それゆえに両作品の絵画表現の比較分析がそれほど詳細に行われて い た わ け で は な い。 「 は じ め に 」 で も 述 べ た 通 り、 本 作 品 は 院 政 期 絵 巻 研 究 に 大きな影響を及ぼす可能性のある作例であり、その美術史的位置付けに直結す る②の論点について結論を出すに当たっては、より詳細かつ逐次的な諸図の分 析が行われる必要があると思われる。それゆえに、本稿ではこの分析作業を行 い、両作品の関係性を探究することとする。   なお、これまで上記②の論点について論じた先行研究は、いずれも広本系で ある京博本に基づいて画面の分析を行っているが、①の論点に関して述べたよ うに、本作品の原本により近い形をとどめているのが略本系であるならば、本 作品原本と《病草紙》との関係を探るにあたって取り上げるべきは、当然略本 系であろう。そのため本稿では、広本系のみに含まれる図はひとまず分析の対 象から除外し、略本系の図を対象として分析を行う。 二、略本系所収諸図の絵画表現分析   では、略本系所収諸図の絵画表現の分析に移ろう。ここでは現存最古の伝本 で あ る 杏 雨 書 屋 本 に 基 づ い て 各 図 の 分 析 を 行 う。 『 杏 雨 書 屋 所 蔵   病 草 紙 模 本 集成』 (武田科学振興財団、二〇一七年)所収の東野治之氏による作品解説は、 谷口耕生氏による様式的観点からの教示を反映して、同本の制作年代を室町時 代としてい る )(1 ( 。その理由として、肥痩の強い描線、特色ある中間色の使用、や や強調された彫り塗りの技法、水墨画的な樹木の表現など、十五世紀前半の絵 巻物と類似する点が同本に見られることが挙げられている。筆者もこの見解に 異論はなく、ここでは同本の制作年代を室町時代と推定しておきたい。   各図の分析は、構図や人物の姿態といった画面の骨格をなす要素、ならびに 人物の顔貌など画面の細部を埋める要素を、主に《病草紙》の諸図と比較する ことにより行うこととする。杏雨書屋本は模本であるため、輪郭線の筆勢やモ チーフの形態把握の的確さなどは原本から差し引いて考えなければならず、特 に顔貌などの細部表現を観察するにあたっては、慎重な態度で臨まなければな らない。ただ、 後述のごとく同本には、 顔貌等の細部表現においても《病草紙》 との類似を示す箇所が多々見られ、原本の表現を比較的良くとどめていると考 え ら れ る。 そ れ ゆ え に、 杏 雨 書 屋 本 に 見 ら れ る 絵 画 表 現 を《 病 草 紙 》 と 比 較 し、両者に共通する要素を抽出していくことには、 《異本病草紙》と《病草紙》 との距離を測るうえで一定の意義があると考えられるのである。   杏雨書屋本には以下の十七図が収載されており、本章ではこの配列に従って 順に分析を行っていくことする。なお、参考までに各図の京博本における配列 を併記する。    [一]背中に腫瘍がある女(京博本[十四] )    [二]人面疽を指さす男(京博本[九] ) )(1(    [三]背中に瘤のある女(京博本[三十] )    [四]幼児の針治療(京博本[二十] )    [五]婦人病の女(京博本[三] )    [六]女の胸に咒を書く僧侶(京博本[二十五] )

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   [七]肥満の女(京博本[十三] )    [八]躄の男(京博本[二十四] )    [九]狂人と屍体(京博本[二十二] )    [十]顔に瘤がある女(京博本[十五] )    [十一]鼻に腫瘍のある女(京博本[三十三] )    [十二]屍体を喰う狂女(京博本[一] )    [十三]眼疾の男と治療する老女(京博本[六] )    [十四]腹から膿を出す女(京博本[四] )    [十五]腸瘻の男(京博本[三十四] )    [十六]口の無い男(京博本[二十七] )    [十七]象皮病の女(京博本[二十六] )   [一]背中に腫瘍がある女【図一】   治療の情景と見られる。画面左側に背中に腫瘍がある女がおり、莚の上に座 り、 も ろ 肌 を 脱 い で 患 部 を 見 せ て い る。 そ の 右 奥 に は 片 肌 を 脱 い だ 男 が 座 り、 右手の火箸で炭火を扱っている。男の右では横向きに座る女が右手に持った扇 で炭火に空気を送っている。佐野氏は本図を《病草紙》の「小舌の男」に通じ る 図 様 と 述 べ て お り、 首 肯 す べ き 見 解 と 思 わ れ る )(1 ( 【 図 二 】。 画 面 の 片 側 に 病 者 を置き、それに対して二人の治療に当たる人物を配する構図は両者に共通のも のといえるであろう。また、高岸輝氏は「小舌の男」の構図について、三人の 人物が少しずつ重なって一つの大きな三角形を構成していると分析するが、本 図も三人の人物の輪郭が少しずつ重なることによって画面に緊密さが生じてい る点で、同種の構図法が用いられているといえよ う )(1 ( 。なお、高岸氏が指摘する 通 り、 《 病 草 紙 》 中 の「 息 の 臭 い 女 」 で も「 小 舌 の 男 」 と 同 様 の 構 図 法 が 用 い られている【図三】 。   続いて、顔貌表現を見てみよう。まず、画面右端の扇を持つ女の横顔を見る と、 一 筆 で 引 か れ た 細 い 目、 「 つ 」 の 字 形 の 口、 そ の す ぐ 上 に 口 と 平 行 に 引 か れた皴が特徴的である【図四】 。これと近似する表現は、 《病草紙》中の「背の 曲 が っ た 男 」 の 病 者 の 顔 貌 に お い て 見 出 さ れ る【 図 五 】。 目 を か た ど る 線 の 向 きは異なるものの、口やその上の皴の輪郭は相似形といえるほどに近い。次に 火箸を扱う男の顔貌を見ると、正面観で捉えられた鼻の両脇に頬のふくらみを 表す二本の曲線が入れられており、これが小鼻を覆い隠している様が印象的で あ る【 図 六 】。 模 本 ゆ え の 平 板 さ は 感 じ ら れ る も の の、 顔 の 豊 満 さ を 良 く 表 し ている。同様の表現は、 《病草紙》 「肥満の女」の病者の顔貌において認められ る【 図 七 】。 こ ち ら は 顎 の た る み を 表 す 線 を 入 れ る こ と に よ っ て 顔 の 豊 満 さ を 一層強調するが、頬のふくらみによって小鼻を遮蔽する点は、両者において共 通している。最後に、背中に腫瘍がある女の顔貌を見ると、口を開けて病状を 訴えているようであり、額に刻まれた三筋の皴がその苦しみを端的に表現する 【図八】 。ただ、鼻・頬・口の位置関係には不可解な点があり、写し崩れが生じ ていると見られる。それゆえに、類似する表現を院政期絵巻作品中に見出すこ とは難しいが、強いて挙げるならば、奈良国立博物館所蔵《地獄草紙》第二段 「 凾 量 所 」 の 画 面 右 手 前 に 描 か れ る、 燃 え る 鉄 塊 を 桝 で 量 ら さ れ る 罪 人 は、 額 に縦方向の皴を寄せ、口を開けて悲嘆するという点で本図の病者に一脈通じる といえよう【図九】 。 [二]人面疽を指さす男【図十】   床に座り膝にできた人面疽を指さす男が画面右側におり、左側には三人の傍 観 者 が い る。 佐 野 氏 は、 本 図 に つ い て も《 病 草 紙 》「 小 舌 の 男 」 に 通 じ る 図 様 と 見 做 し て い る )(1 ( 【 図 二 】。 た し か に、 足 を 投 げ 出 し た 病 者 の 姿 態 は 両 図 に お い て 類 似 す る の だ が、 「 小 舌 の 男 」 が 三 人 の 人 物 を 少 し ず つ 重 ね る 構 図 を 採 る )(1 ( の に対し、本図は対角線によって病者と傍観者を截然と分かつような構図を採る 【図十一】 。対角線によって画面を分割し、それぞれを対照的に描くという構図

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法 は、 《 病 草 紙 》 に し ば し ば 見 ら れ る が )(1 ( 、 本 図 は そ の 中 で も、 対 角 線 に よ っ て 病者と傍観者を分かつ点で、 「肥満の女」に近いところがある【図十二 ・ 十三】 。   では、顔貌表現はどうであろうか。まず注目すべきは、本図の傍観者たちの う ち 扇 を 持 っ て 隣 に 向 か っ て 笑 い か け る 男 の 顔 貌 で あ る【 図 十 四 】。 男 は 口 角 を大きく上げて歯をむき出して笑っており、その分上唇の輪郭線の中ほどが下 方 に 湾 曲 す る。 こ れ と 類 似 す る 笑 顔 の 表 現 は、 《 病 草 紙 》 を 含 む 所 謂《 六 道 絵 巻 》 の 現 存 作 品 中 に し ば し ば 見 ら れ る。 例 え ば、 《 病 草 紙 》「 白 子 」【 図 十 五 】・ 「 二 形 」【 図 十 六 】・ 京 都 国 立 博 物 館 所 蔵《 餓 鬼 草 紙 》 第 二 段【 図 十 七 】 に 描 か れた笑う男の口の描き方は、いずれも本図に近く、また人間を描いたものでは ないが、 奈良国立博物館所蔵 《地獄草紙》 第三段 「鉄磑所」 の笑う獄卒の口 【図 十八】の描き方も本図と類似する。次に注目したいのは、本図の傍観者のうち 僧形の男の横顔の描き方である 【図十九】 。これを 《病草紙》 「侏儒」 の病者 【図 二十】と比較すると、両者の顔立ち自体は似ていないものの、両者はいずれも 額に二本ないし三本の線を入れ、こめかみに三本の線を入れることによって老 相を表すという描法を共有している。また、頭の輪郭を頭頂部から左右に線を 引くことによって表すという描法も共通する。 [三]背中に瘤のある女【図二十一】   医師らしき男二人による診療の情景と見られる。画面左側に背中に瘤のある 女が座り、患部を見せている。僧形の男は右手で患部に触れ、その手前の烏帽 子を被った男は僧形の男に向かって何かを話しかけている。本図も、佐野氏に より《病草紙》 「小舌の男」 【図二】に通じる図様であると指摘され る )(1 ( 。筆者も 異論はなく、本図は略本系の全ての図の中で「小舌の男」に最も近い構図と人 物 構 成 を 採 る も の と 考 え る。 す な わ ち、 本 図 は「 小 舌 の 男 」 と 同 様 に、 人 物 の輪郭を少しずつ重ねて全体として大きな三角形を形成する構図で描かれてお り、また、病者の性別は異なるものの、治療者を僧形の男と烏帽子を被った男 として表す点や、治療者のうち病者に近いほうの人物が右手指を患部に向ける 姿態をとる点が両図で共通している。 両図の間には強い親近性が認められよう。   続いて顔貌表現を見ると、本図の病者【図二十二】と《病草紙》 「霍乱の女」 の 病 者【 図 二 十 三 】 の 表 現 が 近 い こ と に 気 が つ く。 両 者 は、 顔 の 輪 郭、 「 つ 」 の字形に近い口、頬のふくらみを表す線などの要素を共有している。 [四]幼児の針治療【図二十四】   幼 児 の 病 の 治 療 と い う《 病 草 紙 》 現 存 場 面 に は 類 例 の な い 情 景 が 表 さ れ る。 画面中央に座る女が裸の幼児を抱きかかえ、対座する老尼が幼児の腹部に針治 療を行っている。画面左側には治療の様子を心配そうに見守る侍女の姿が見え る。本図は、画面の中央・右・左に人物を配置することにより、中央の人物の 頭部を中心とした三角形の構図を形成しており、これにより画面には安定感が 生 じ て い る。 こ の よ う な 構 図 は、 《 病 草 紙 》 の う ち 高 岸 氏 が「 三 角 形 構 図 」 と 分類する諸図に類するものと考えられ、その中でも特に「息の臭い女」 【図三】 に近いと思われ る )11 ( 。   顔 貌 表 現 に つ い て い う と、 針 治 療 を す る 老 尼 の 額 や 目 尻 の 皴 の 入 れ 方【 図 二 十 五 】 は 、 先 に も 挙 げ た 「 侏 儒 」 に お け る 描 法 【 図 二 十 】 に 近 い と 思 わ れ る 。 [五]婦人病の女【図二十六】   画面左側に敷かれた畳の上に婦人病の女が膝を崩して座る。右側には侍女が 二人おり、手前の一人は汚れた下着を右手で持ち、顔をしかめて左手で口元を 押さえる。もう一人は口を覆い、病者から遠ざかる姿勢を見せる。本図の構図 は《 病 草 紙 》 の う ち「 息 の 臭 い 女 」【 図 三 】 を 左 右 反 転 し た も の に 近 く、 両 図 の 親 近 性 を 感 じ さ せ る。 た だ、 「 息 の 臭 い 女 」 で は、 二 人 い る 健 常 者 た ち の う ち、一人が病者を指さしながら何かを語りかけ、もう一人は鼻を押さえながら も笑っており、画面にはある種の親密さが漂っているのに対し、本図では健常

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者 た ち の 病 者 に 対 す る 忌 避 感 が 露 わ で あ り、 そ の 点 で は 両 図 は 対 照 的 で あ る。 なお、本図の病者の姿態は《彦火々出見尊絵巻》第四巻に描かれた龍宮の官人 の姿態と酷似する【図二十七】 。   顔 貌 表 現 を 見 る と、 本 図 の 病 者【 図 二 十 八 】 と《 病 草 紙 》「 顔 に あ ざ の あ る 女」に描かれた老尼【図二十九】との間には、部分的に類似が認められる。具 体的には、何か言葉を発している口の形、一本の線で引かれた目の形などに通 じるところがある。 [六]女の胸に咒を書く僧侶【図三十】   両脇を侍女に支えられたやせ衰えた病者の胸に、僧侶が咒を書いている。僧 侶の脇には硯が置かれ、その手前にはもう一人の侍女の後ろ姿が見える。本図 と 図 像 上 類 似 す る も の と し て た だ ち に 想 起 さ れ る の は、 《 病 草 紙 》「 肥 満 の 女 」 【 図 十 二 】 で あ ろ う。 両 図 の 病 者 は、 両 脇 を 侍 女 に 支 え ら れ た 女 主 人 と い う 点 で 図 像 上 の 共 通 性 を 有 し て お り、 さ ら に 左 脇 を 支 え る 侍 女 の 顔 が 比 較 的 面 長 で、 右 脇 を 支 え る 侍 女 の 顔 が 比 較 的 ふ く よ か で あ る と い う 特 徴 を も 共 有 し て い る【 図 三 十 一 ・ 三 十 二 】。 両 者 は こ の よ う な 図 像 上 の 共 通 性 を 示 し な が ら も、 かたややせ細り、かたや肥満しており、好対照をなしているように思われる。   続 い て 顔 貌 表 現 を 見 る と、 本 図 の 女 の 胸 に 咒 を 書 く 僧 侶 の 顔 貌【 図 三 十 三 】 に は、 先 に も 挙 げ た《 病 草 紙 》「 侏 儒 」 の 病 者【 図 二 十 】 と 通 じ る 描 法 が 用 い られている。すなわち両者は、額に三本の線を入れ、またこめかみに三本の線 を入れることによって老相を表すという手法や、頭の輪郭を頭頂部から左右に 線を引くことによって表すという描法を共有しているのである。 [七]肥満の女【図三十四】   療養所らしき場の情景と見られる。画面右側には脇息にもたれて座る男がお り、その左には肥満の女が伏せっている。手前では尼姿の女が、薬が入ってい ると思しき鍋を火にかけており、その背後から赤子が歩み寄る。なお、京博本 等一部の広本系作例では、本図の左側にさらに図が続いており、病臥する痩せ た男や曲げ物に寄りかかって眠る女などが描かれている。   本図の画題を解釈することは、詞書がない現状では難しく、また構図と顔貌 表現のいずれの面でも《病草紙》の中に本図と近い例は見出しがたいため、い ささか不審である。ただ、 薬を作る女のもとに赤子が近寄るという図像は、 《病 草紙》 「霍乱の女」に通じるところがある【図三十五】 。 [八]躄の男【図三十六】   画 面 中 央 下 部 か ら 右 側 に か け て、 手 に 下 駄 を 履 い た 躄 の 男 が 描 か れ て お り、 画 面 左 側 に は、 こ れ を 傍 観 す る 烏 帽 子 姿 の 男 と 大 工 道 具 を 持 っ た 子 供 が 描 か れ て い る。 佐 野 氏 は、 本 図 に は《 病 草 紙 》 の「 頭 の あ が ら な い 乞 食 法 師 」【 図 三十七】 ・「白子」 【図三十八】 ・「侏儒」 【図三十九】等に通じる気分がうかがわ れると述べてい る )1( ( 。たしかに、これらの図と本図は、いずれも市中における病 者 と 傍 観 者 た ち の 姿 を 描 い て お り、 か つ 両 者 を 截 然 と 分 け る 構 図 を 採 る こ と、 また烏帽子姿の男と子供という人物の組み合わせを用いることなどの特徴を共 有しており、佐野氏の見解には全面的に同意できる。中でも「侏儒」は、傍観 者たちが病者を上から見下ろす構図を採る点で、特に本図との親近性を有する といえよう。   続いて、顔貌表現を見てみよう。まず、大工道具を持った子供を見ると、目 は墨を点じるのみでシンプルに表され、鼻と口は一本の簡潔な筆線により描か れ て い る【 図 四 十 】。 ま た、 伸 び た 髪 が 左 右 に 跳 ね 上 が っ て い る の も 特 徴 的 で ある。このような特徴を具えた子供は《病草紙》 「白子」においても見出され、 両 者 の 顔 貌 表 現 は 酷 似 し て い る と い え る【 図 四 十 一 】。 ま た、 烏 帽 子 姿 の 男 を 見 る と、 目 は 一 本 の 弧 線 に よ っ て 描 か れ、 口 は「 へ 」 の 字 形 の 抑 揚 あ る 線 に よって表される【図四十】 。同種の目と口の描法は《病草紙》 「霍乱の女」の薬

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を作る女の顔貌においても見ることができる【図四十二】 。 [九]狂人と屍体【図四十三】   門と建物の縁側の間という境界領域に黒ずんだ屍体が置かれ、その傍らで狂 人の男が笑みを浮かべながら踊っている。これを見た二人の女がその場から逃 げようと走り出している。略本系諸図の中で本図の具体的な場面設定はやや異 質 で あ る が、 佐 野 氏 に よ り、 本 図 は《 病 草 紙 》「 眼 病 治 療 」 の よ う に 説 話 性 が 濃厚な詞書を持つものであったと推定されてい る )11 ( 。   各モチーフの表現を見ると、屍体は死後ある程度の時間を経過していると見 え、 肌は黒ずみ腹部はガスのために膨張している 【図四十四】 。これは 《九相図》 の諸作例において必ず見られる図像であるが、院政期の現存作例でいうと、東 京国立博物館所蔵《餓鬼草紙》第四段においても類似した図像が見られる【図 四 十 五 】。 次 に 狂 人 の 男 の 顔 貌【 図 四 十 六 】 を 見 る と、 そ の 笑 顔 の 描 法 は 先 に 挙げた 「人面疽を指さす男」 の笑う男 【図十四】 と同じ傾向を持つものであり、 それをさらに過剰にしたものといえるであろう。 [十]顔に瘤がある女【図四十七】   医師による診察の情景と見られる。室内には顔に瘤がある女が座り、僧形の 医師がその患部に右手の指で触れる。傍らでは赤い衣の女が、庭では下人の男 がその様子を見守っている。庭には水墨画風の梅が描かれている。本図につい て 佐 野 氏 は、 《 病 草 紙 》「 霍 乱 の 女 」 に 通 じ る 図 様 と 述 べ て い る )11 ( 【 図 三 十 五 】。 たしかに、室内と庭という複数の階層を画面中に設定する点や、画面の上方に 霞を引く点などは両者に共通する特徴であるが、個別のモチーフの図像や姿態 のレベルにおいては、両者の間に共通性は認められない。室内空間に限ってい う な ら ば、 本 図 の 人 物 の 配 置 は む し ろ《 病 草 紙 》「 小 舌 の 男 」 に 近 い と い え よ う【 図 二 】。 す な わ ち、 両 者 は 医 師 を 頂 点 と し た 三 角 形 を 形 成 す る よ う に 三 人 の人物を配する点で、構図上の親近性を有するのである。また、女性の顔に生 じた異常という主題の面では、 《病草紙》 「顔にあざのある女」が本図に通じる といえよう【図四十八】 。   顔貌表現を見ると、本図の僧形の医師【図四十九】と《病草紙》 「小舌の男」 の僧形の医師【図五十】には通じるところがある。両者の顔の各パーツはそれ ほど似ていないのだが、後頭部と顎の尖った輪郭、頭頂部から左右に輪郭線を 引き分ける点において、両者は同じ特徴を示しているといえる。 [十一]鼻に腫瘍のある女【図五十一】   画面中央に鼻に腫瘍のある女が座っており、その左方には手紙を差し出す女 がいる。手前では子供が寝そべり冊子を広げて読んでいる。本図を見てただち に 想 起 さ れ る の は、 《 病 草 紙 》「 鼻 黒 の 父 子 」 で あ る【 図 五 十 二 】。 両 者 は 鼻 に 生じる病を主題とする点のみならず、三角形に近い輪郭の病者を画面の中央に 据え、その顔を向かって左に向ける点、また、画面左手前に腹ばいの子供を配 する点において、明らかな共通性を見せる。本図が「鼻黒の父子」の図を下敷 き に し て 描 か れ た 可 能 性 は 大 き い で あ ろ う。 た だ し、 「 鼻 黒 の 父 子 」 で は 男 の 妻 を 除 く 家 族 全 員 の 鼻 が 黒 く、 画 面 に は 一 種 の 団 欒 が 表 さ れ て い る の に 対 し、 本図の病者は鼻に腫瘍のある女のみであり、病者の孤立が強調されている。 [十二]屍体を喰う狂女【図五十三】   画面右側に描かれた髪を振り乱した女が、四つん這いになって屍体の右肩に 喰らいついている。画面左側には、この異様な情景を呆気にとられつつ眺める 傍観者たちが描かれている。画面左上角と画面右下角を結ぶ対角線を想定する と、病者と傍観者たちはこの対角線により截然と分かたれていることに気がつ く【図五十四】 。このように病者と傍観者を分ける構図は、 先に取り上げた「人 面 疽 を 指 さ す 男 」【 図 十・ 十 一 】 に お い て も 見 ら れ、 ひ い て は そ の 類 例 と し て

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挙げた 《病草紙》 「肥満の女」 【図十二・十三】 においても見られるものである。 佐 野 氏 は 本 図 に つ い て、 《 病 草 紙 》「 頭 の あ が ら な い 乞 食 法 師 」【 図 三 十 七 】・ 「 白 子 」【 図 三 十 八 】・ 「 侏 儒 」【 図 三 十 九 】 に 通 じ る 図 様 と 指 摘 し て お り )11 ( 、 加 須 屋 氏 も 同 じ く、 「 頭 の あ が ら な い 乞 食 法 師 」 と 本 図 に は 良 く 似 た 者 が 描 か れ る ことを指摘してい る )11 ( 。いずれも首肯される見解である。   細部表現についていうと、先学も指摘するところだが、本図の市女笠の女と 祈禱師らしき老人【図五十五】は、それぞれ「頭のあがらない乞食法師」中に よ く 似 た 特 徴 を 持 つ 者 が 見 出 さ れ る。 具 体 的 に は、 市 女 笠 の 女 は 左 手 で 笠 を 持 ち 上 げ る 仕 草 や 目 鼻 立 ち が 近 似 し【 図 五 十 六 】、 老 人 は 目 を 点 で 表 す こ と や 顔 に し み を 表 す こ と な ど が 共 通 す る【 図 五 十 七 】。 ま た、 本 図 の 烏 帽 子 姿 の 男 【図五十八】の顔貌表現には、 「白子」に描かれた坊主頭の子供【図五十九】と 通じるところがある。すなわち、大人と子供の違いはあれども、両者のほほの ふくらみを表す線の入れ方、口と鼻の形状には近しいところがあると思われる のである。さらに、本図に描かれた子供【図六十】と「侏儒」に描かれた子供 【図六十一】は、 姿態こそ異なるものの、 体躯のプロポーションや手足の骨ばっ た表現などにおいて強い親近性を示す。また、本図の屍体【図六十二】と東京 国立博物館所蔵《餓鬼草紙》第四段の男の屍体【図六十三】は、目を赤く塗る 点と顎の骨を強調して表す点などにおいて、図像の近さを感じさせる。 [十三]眼疾の男と治療する老女【図六十四】   眼病治療の情景である。眼疾の男が床に横たわり、尼姿の老女がその右目を 刃物で突いている。男の目からは血が噴き出し、近くに置かれた角盥に注いで い る。 本 図 の 主 題 か ら 想 起 さ れ る の は、 《 病 草 紙 》 の「 眼 病 治 療 」 で あ る【 図 六 十 五 】。 両 者 は と も に 眼 病 の 治 療 と い う 主 題 を 表 し、 医 師 が 病 者 の 目 を 突 い た瞬間を描く点で強い親近性を有する。ただし、 両者には異なる点も多い。 「眼 病治療」では、病者と医師のみならず複数の傍観者が描かれ、それぞれが自身 の 立 場 と 関 心 に よ り 異 な る 表 情 を 見 せ る が、 本 図 に は 病 者 と 医 師 し か 登 場 せ ず、 「 眼 病 治 療 」 に お い て 看 取 さ れ る よ う な 人 間 関 係 の 機 微 ま で は 表 さ れ て い ない。 [十四]腹から膿を出す女【図六十六】   豪華な調度に飾られた室内に腹部が異常に肥大した女がおり、腹から角盥に 膿を出している。傍らには病者を看護する侍女がおり、少し離れたところには さ ら に 二 人 の 侍 女 が い る。 そ の う ち 一 人 は 左 袖 を 目 に 当 て て 涙 を 流 し て い る。 《 病 草 紙 》 の 現 存 場 面 の 中 に は、 病 者 の 苦 し み に 対 し て 明 ら か に 悲 し み を 示 す 傍観者は一人も登場せず、その点で本図からは《病草紙》とは異質な印象を受 ける。手足が細く腹部のみが膨らんだ病者の姿は餓鬼の姿を連想させ、例えば 東京国立博物館所蔵《餓鬼草紙》第三段に描かれた餓鬼との間には親近性を認 め得るであろう【図六十七】 。 [十五]腸瘻の男【図六十八】   体を横に倒して座り腹部から排泄する男が画面中央におり、少し離れた位置 に は 排 泄 物 に 興 味 を 示 す 犬 が 座 っ て い る。 排 泄 物 に 近 寄 る 犬 は《 病 草 紙 》「 霍 乱 の 女 」 に も 描 か れ る モ チ ー フ で あ る【 図 三 十 五 】。 奥 に は 高 下 駄 に 腰 を 下 ろ した女が降り、排泄物の悪臭を避けるためか左手で鼻を押さえている。本図に つ い て 佐 野 氏 は、 《 病 草 紙 》 の 中 で も 二 者 一 対 の 構 図 を 採 る「 歯 の 揺 ら ぐ 男 」 【図六十九】や「尻の穴あまたある男」 【図七十】に近いと述べてい る )11 ( 。   細部表現に目を向けると、病者の顔貌には、一線で引かれた目と「へ」の字 形 の 口 と い う 特 徴 的 な パ ー ツ が 認 め ら れ る【 図 七 十 一 】。 同 様 の 顔 貌 表 現 は、 先に取り上げた「躄の男」の烏帽子姿の男【図四十】においても見られるもの で あ り、 ひ い て は そ の 類 例 と し て 挙 げ た《 病 草 紙 》「 霍 乱 の 女 」 の 薬 を 作 る 女 【 図 四 十 二 】 に も 見 ら れ る も の で あ っ た。 こ れ ら の 人 物 は 顔 貌 表 現 の 型 を 共 有

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しているといえるであろう。また、腰を下ろした女【図七十二】に注目してそ の類例を探すと、近似する姿態の女が東京国立博物館所蔵《餓鬼草紙》第三段 に 見 出 さ れ る【 図 七 十 三 】。 こ れ ら に お い て は、 共 通 の 図 像 が 用 い ら れ て い る 可能性が想定される。 [十六]口の無い男【図七十四】   画面の左側に病者が座り、箸と椀を持って食事をしているが、表題のごとく そ の 顔 に は 口 が な い。 代 わ り に 胸 部 に 口 状 の 裂 け 目 が あ り、 そ こ か ら 食 物 を 摂 取 し よ う と し て い る よ う に 見 え る。 現 実 的 な 病 態 と は 思 え ず、 何 ら か の 説 話 に 基 づ く も の か と 思 わ れ る が、 そ の 出 典 は 未 だ 探 し 得 て い な い。 画 面 右 側 には、食事の有様を呆然と眺める男と、扇を持った右手を口にやって笑う女が 描 か れ る。 口 の 異 常 に よ り 食 事 に 支 障 を き た す 様 を 描 く 類 例 と し て は、 《 病 草 紙 》 中 に「 歯 の 揺 ら ぐ 男 」 が あ り 注 目 さ れ る【 図 六 十 九 】。 た だ し、 本 図 の 構 図 は 、 病 者 と 二 人 の 傍 観 者 と を 対 置 す る 点 で 、《 病 草 紙 》 の う ち 「 風 病 の 男 」【図 七十五】 ・「息の臭い女」 【図三】 ・「顔にあざのある女」 【図四十八】により近い と考えられる。 [十七]象皮病の女【図七十六】   着衣をはだけた病者が、象皮病に侵された両脚を二人の朋輩のほうへ投げ出 している。病者の着衣は左右に大きく広がり、本図における病者の存在を際立 た せ て い る。 二 人 の 朋 輩 の う ち 手 前 に 座 る 一 人 は、 病 者 を 指 さ し て 口 を 開 き、 何らかの言葉を発している。 もう一人は両手を大きく開いて驚きの感情を示す。 本図の構図は、女性の病者を画面の中心に置き、これに対面する朋輩二人を配 す る 点 で、 《 病 草 紙 》「 顔 に あ ざ の あ る 女 」【 図 四 十 八 】・ 「 息 の 臭 い 女 」【 図 三 】 に近い。特に「顔にあざのある女」は、病者の着衣を大きく広げることにより 病者の存在感を印象付ける点、二人の朋輩の体の向きをそれぞれ横向き、斜め 後ろ向きとする点において、本図との間に強い構図上の親近性を示す。   続 い て 顔 貌 表 現 を 見 る と、 朋 輩 二 人 の う ち 病 者 を 指 さ す 者 の 横 顔【 図 七十七】は、頬の膨らみを表す線により口角が遮蔽される描法とやや切れ長の 目 が 特 徴 的 で あ る が、 同 種 の 表 現 は《 病 草 紙 》「 歯 の 揺 ら ぐ 男 」 の 病 者 の 傍 ら に い る 女【 図 七 十 八 】 に お い て も 認 め ら れ る。 な お、 加 須 屋 誠 氏 に よ り、 「 歯 の揺らぐ男」の女と京都国立博物館所蔵《餓鬼草紙》第六段の阿難尊者の顔貌 表現【図七十九】が共通することが指摘されており、これも本図の類例として 挙げられよ う )11 ( 。 三、 《異本病草紙》の美術史的位置   前章では杏雨書屋本 《異本病草紙》 所収の諸図を一図ずつ取り上げ、 主に 《病 草紙》との比較によってその絵画表現を分析した。本章では、これまでの分析 を踏まえて本作品と《病草紙》との距離を検討し、さらに本作品の制作背景や 美術史上の位置について若干の考察を行いたい。   まず前章における分析の結果を端的に述べると、図によって程度の差はある ものの、杏雨書屋本と《病草紙》との間には、実に多くの類似する絵画表現が 見出されたということになろう。第一章で確認したように、従来本作品と《病 草紙》の関係が論じられる際には、本作品の広本系作例に基づいて各図の主題 や表現の比較が行われていたため、両絵巻の表現上の類似が部分的に指摘され ながらも、むしろ両者の相違点が強調されることが多かった。ただ、本稿にお いて、本作品の原本により近い姿をとどめていると考えられる略本系の最古本 で あ る、 杏 雨 書 屋 本 所 収 の 図 の み を 取 り 上 げ て、 《 病 草 紙 》 と の 比 較 を 行 っ た 結果、両絵巻の絵画表現の距離は、従来想定されていたよりもはるかに近いこ とが明らかになったといえよう。   では、ここで改めて第一章において提示した論点に立ち返ると、本作品の原

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本と《病草紙》は本来一具であったと考えるべきなのであろうか。検討の余地 はあると思われるが、現段階では、本作品は当初から《病草紙》と一具ではな く、後世に同作品を参照して制作されたものだと見做すのが穏当であると考え る。両絵巻の表現上の近さを示す前章の分析結果とは一見矛盾するようである が、次のような理由から、両者が一具であったと見做すことには難点があると 考えられる。   第 一 に 挙 げ る べ き は、 本 作 品 に は「 《 病 草 紙 》 と 類 似 す る 」 と い う よ り も、 「《 病 草 紙 》 を 下 敷 き に し た 」 と い う べ き 表 現 が 散 見 す る こ と で あ る。 例 え ば、 本作品の「鼻に腫瘍のある女」 【図五十一】と《病草紙》の「鼻黒の父子」 【図 五十二】を見ると、両図はともに鼻に生じた病を主題とするのみならず、前章 で指摘した通り、寝そべる子供の図像をも共有している。一方、現存する《病 草紙》 諸図のうちには、 「頭のあがらない乞食法師」 【図三十七】 と 「背の曲がっ た 男 」【 図 八 十 】 の よ う に 類 似 す る 病 態 を 描 く も の も 並 存 す る が、 こ れ ら の よ うな図であっても、その画面中に全く同じ図像を用いるということはなく、各 図の間には視覚的バリエーションが保たれている。 《病草紙》制作にあたって、 各図の間で図像の重複が生じないような配慮がなされていたのであろう。この こ と を 踏 ま え る と、 「 鼻 に 腫 瘍 の あ る 女 」 が も と も と《 病 草 紙 》 に 含 ま れ る 図 であったとは考えがたく、むしろ「鼻黒の父子」の図様を下敷きにして後世に 描 か れ た 図 と 考 え る の が 妥 当 で あ ろ う。 同 様 の こ と は、 《 病 草 紙 》「 眼 病 治 療 」 【 図 六 十 五 】 と 主 題 が 重 複 す る、 本 作 品 の「 眼 疾 の 男 と 治 療 す る 老 女 」【 図 六 十 四 】 に つ い て も い え る。 本 図 で は「 眼 病 治 療 」 の 病 者 が 座 る の に 対 し て、 病者が横臥するという姿態の変化が見られるが、そもそも《病草紙》において 同じ病を描く図が重複して存在していたとは考えにくい。恐らくは、 本図も 「眼 病治療」を参照して後世に描かれた図であり、病者の姿態の変化は本図の制作 にあたって加えられた工夫であると考えられるのではないか。   第二の理由として挙げられるのは、本作品の中に《病草紙》とは異質な図像 や 主 題 が 含 ま れ て い る こ と で あ る。 具 体 的 に は、 図 像 面 で は、 「 腹 か ら 膿 を 出 す 女 」【 図 六 十 六 】 に 描 か れ た、 主 人 の 病 に 対 し て 涙 を 流 す 侍 女 が 挙 げ ら れ よ う。 前 章 で も 指 摘 し た よ う に、 《 病 草 紙 》 に は 看 病 の 情 景 は 描 か れ る も の の、 病者に対して明らかな同情や悲しみの感情を示す者は一人も描かれない。それ ゆ え に、 病 者 の 苦 し み に 対 し て 明 ら か な 悲 し み を 示 す 人 物 が 描 か れ た 本 図 を 《病草紙》に含めることは、躊躇されるのである。また主題面では、 「幼児の針 治療」 【図二十四】が挙げられる。前述のごとく、 本図の構図や顔貌表現は《病 草紙》の中に類例が認められるものの、幼児の病の治療という主題は、現存す る 《病草紙》 の中に例を見ないものである。 《病草紙》 の中に類例がないことが、 本図を《病草紙》に含まれていなかったものと推定する直接的な根拠になるわ けではないが、ただ、やはり《病草紙》と異質な主題が本作品中の図に描かれ ていることは、両者が一具の作品であったとする推定を困難なものにする。   以 上 を 勘 案 す る と、 本 作 品 原 本 と《 病 草 紙 》 と は 当 初 よ り 別 の 作 品 で あ り、 本作品原本は《病草紙》の図様を参照して後世に制作されたものと考えるのが 穏当であると思われる。   ただ、繰り返しになるが、ここで強調しておきたいのは、本作品の略本系作 例と《病草紙》の絵画表現上の距離は、従来考えられていたよりもはるかに近 い と い う こ と で あ る。 本 作 品 の 原 本 が《 病 草 紙 》 よ り 後 世 に 作 ら れ た も の で あったとすると、その制作にあたっては、極めて強く《病草紙》の図様が意識 され、その摂取が図られたと推定されよう。模本である杏雨書屋本においてさ え、構図や図像のみならず顔貌表現の細部に至るまで《病草紙》と近似する要 素が多く見出されることは、本作品原本の制作にあたって同作品の様式が丹念 に写し取られたことを示唆しており、本作品が新たな《病草紙》の創出を意図 して作られたことを推測させる。   では、本作品原本の制作は、いつ、誰によって企図されたのであろうか。本 作品の原本自体が残らず、その制作の経緯を窺わせる文献史料も存在しない以

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上、これを明らかにすることはほぼ不可能であるが、ここでは一つの可能性と して、敢えて憶説を提示したい。   まず制作を企図した人物について考える。先述の通り、本作品原本が《病草 紙》の様式を良く受け継いだものであったと想定されることを踏まえると、そ の制作を企図した人物は、 絵師に《病草紙》の丹念な模本、 あるいは《病草紙》 そ の も の を 資 料 と し て 提 供 す る こ と の で き る 者 に 限 ら れ る の で は な か ろ う か。 《 病 草 紙 》 の 伝 来 過 程 は、 加 須 屋 誠 氏 に よ り 丁 寧 に 整 理 さ れ て お り )11 ( 、 貞 永 二 年 ( 一 二 三 三 ) 三 月 時 点 で は 蓮 華 王 院 宝 蔵 に 納 め ら れ て い た も の の )11 ( 、 同 年 五 月 に は出蔵されて後堀川院のもとに置かれたことが知られ る )11 ( 。その後、いずれかの 時 期 に 西 園 寺 家 に 移 さ れ、 永 和 三 年( 一 三 七 七 )、 嘉 吉 元 年( 一 四 四 一 ) の 時 点 で は 西 園 寺 家 の 管 理 下 に あ っ た こ と が 確 認 で き る )1( ( 。《 病 草 紙 》 が 西 園 寺 家 の もとに至った時期は不明であるが、延慶二年(一三〇九)ごろ西園寺公衡の発 願により制作された《春日権現験記絵巻》巻八第二段には、 《病草紙》 「霍乱の 女」に類似する図像が用いられていることが増記隆介氏によって指摘されてお り、この図像が《病草紙》より直接に引用されたものと見做すならば、延慶二 年 以 前 に 同 作 品 が 西 園 寺 家 に も た ら さ れ て い た と 考 え ら れ よ う )11 ( 。 も し《 病 草 紙 》 が 西 園 寺 家 の 管 理 下 に 置 か れ る 前 に 本 作 品 原 本 が 制 作 さ れ た の だ と す る と、 も は や そ の 制 作 主 体 は 推 測 し 得 な い が、 《 病 草 紙 》 が 西 園 寺 家 の 下 に 到 来 してから本作品原本が作られたのだと仮定すると、その制作を企図したのは西 園寺家の人物か、あるいは西園寺家に《病草紙》の貸出を命じることができる 天皇家の人物であった可能性が高まる。   次に、制作を企図した人物以上に推測しがたいのだが、本作品原本制作の時 期について考えてみたい。注目されるのは、高岸輝氏により、先に挙げた《春 日 権 現 験 記 絵 巻 》 の ほ か、 《 玄 奘 三 蔵 絵 巻 》・ 《 絵 師 草 紙 》 と い っ た 一 連 の 高 階 隆 兼 様 式 の 絵 巻 に お い て、 《 病 草 紙 》 の 構 図 や 図 像 が 受 け 継 が れ て い る と 指 摘 されることであ る )11 ( 。特に《絵師草紙》は《病草紙》の構図パターンを良く受け 継 い で い る と さ れ、 「 眼 病 治 療 」・ 「 白 子 」 に 近 似 す る 構 図 や 図 像 が 用 い ら れ る ことや、象皮病らしき人物が描かれることが指摘される。象皮病の人物という モチーフは、 本作品の「象皮病の女」との関連が想起され、 とりわけ興味深い。 こ れ ら の こ と を 踏 ま え る と、 十 四 世 紀 初 頭 の 宮 廷 画 壇 に お い て、 《 病 草 紙 》 の 図様が規範性を有していたことが想定される。当該期が本作品原本制作の機運 が高まった時期であった可能性は、検討される価値があるだろう。   以上、論拠に乏しいうらみがあるが、本作品の制作背景に関する推論を提示 した。この推論の当否はともかくとして、本作品を中世における《病草紙》の 規範性や受容と継承の様相を端的に示す作品として、美術史上に位置付けるこ とには大過ないであろう。 むすび   本稿では、本作品に関する主要な先行研究を概観してその論点をまとめたう えで、現存する最古の略本系の伝本である杏雨書屋本を取り上げて、 《病草紙》 を主たる比較対象として、その逐次的な画面分析を行った。そして、その結果 を踏まえて本作品と《病草紙》との関係、本作品の制作背景と美術史上の位置 について推論を提示した。現段階で示すことができる知見はすでに各章におい て述べたので、ここでは本作品に関する研究の今後の課題を簡潔に記して、本 稿のむすびとしたい。   まず挙げるべきは、本作品の広本系作例において増補された図の図様分析を 行うことである。本稿は本作品の原本の図様に遡源することを志向するもので あるため、上記の課題に取り組むことはなかったが、広本系において増補され た諸図は、略本系に比べてより広範な典拠を持つものであり、それ自体が中世 後期における病に関する図像の宝庫と称すべきものである。これら広本系にお いて増補された諸図の図像の由来を他の絵画作例や説話・経典などに探求する

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こ と は、 中 世 に お け る 病 の 図 像 学 の 試 み と し て 意 義 あ る こ と で あ ろ う。 な お、 一部の図については、第一章において挙げた吉橋氏の論考においてすでに分析 がなされており、上記の課題に関する重要な先行研究として注目され る )11 ( 。   も う 一 つ 挙 げ る べ き は、 後 世 に お け る 本 作 品 受 容 の 様 相 を 探 る こ と で あ る。 本稿は本作品原本と《病草紙》との関係を明らかにすることにより、本作品の 美術史上の位置を探ることを目的としていたため、その考察の射程は本作品原 本の成立以降には及んでいない。本作品の近世の伝本が数多く現存することに 鑑 み る と、 《 病 草 紙 》 が 中 世 に お い て 規 範 性 を 獲 得 し た の と 同 様 に、 本 作 品 も 近世において倣うべき古画として重んじられていたと想定される。そうだとす ると、本作品の図様を参照して新たに制作された作品もあると予想され、その ような事例を探ることは、本作品の、ひいては《病草紙》の受容史を研究する うえで有益と考えられよう。 注 ( 1) 《病草紙》が六道絵巻の一部であったとする見解は、夙に福井利吉郎により一九三一 年 に 提 示 さ れ た。 同『 六 道 絵 巻 解 説 』( 大 和 絵 同 好 会、 一 九 三 一 年 )。 そ の 後、 山 本 聡 美氏が下記の一連の論考において、 《病草紙》に描かれる数々の病と『正法念処経』の 記 述 と の 対 応 関 係 を 指 摘 し た こ と に よ り、 本 作 品 が 経 意 絵 巻 と し て の 性 格 を 有 し て い ることが示され、上記の福井説は補強された。山本聡美「 「病草紙」︱︱経説から説話 へ」 (同『中世仏教絵画の図像誌︱経説絵巻・六道絵・九相図︱』吉川弘文館、二〇二 〇 年、 以 下 の 旧 稿 を 再 構 成: 「『 正 法 念 処 経 』 か ら「 病 草 紙 」 へ ︱ 経 説 の 変 容 と 絵 巻 の 生成︱」 『国華』一三七一号、二〇一〇年、 「「病草紙」と経説」加須屋誠・山本聡美編 『病草紙』中央公論美術出版、二〇一七年) 。また、加須屋誠氏は、 《病草紙》 ・《餓鬼草 紙》 ・《地獄草紙》に描かれた人物の顔貌表現や手足 ・ 身体表現に類似性が見出されるこ とを多数の事例によって示した。同 「総論 「病草紙」 」(同 『仏教説話画論集   上巻』 中 央公論美術出版、二〇一九年、初出は加須屋誠 ・ 山本聡美編『病草紙』中央公論美術出 版、 二 〇 一 七 年 )。 こ の こ と に よ り、 《 病 草 紙 》 が 六 道 絵 巻 の 一 部 を な し て い た と す る 見解は、より説得力を増したと考えられる。 ( 2) 伝 本 間 で の 異 同 に つ い て は、 林 美 朗「 異 本 病 草 紙 の 伝 本 に 就 い て 」( 『 日 本 医 史 学 雑誌』四十八巻一号、二〇〇二年)が詳しい。 ( 3) 場 面 の 主 題 の 表 記 は、 加 須 屋 誠・ 山 本 聡 美 編『 病 草 紙 』( 中 央 公 論 美 術 出 版、 二〇一七年)に従う。 ( 4) 梅津次郎「病草紙・三老人巻」 (同『絵巻物残欠の譜』角川書店、一九七〇年、初出 は『日本美術工芸』三三〇号、一九六六年) 。 ( 5) 佐野みどり「病草紙研究」 (佐野みどり『風流   造形   物語︱︱日本美術の構造と機 能 ︱︱』 ス カ イ ド ア、 一 九 九 七 年、 初 出 は『 国 華 』 一 〇 三 九 号・ 一 〇 四 〇 号、 一 九 八 一年) 。 ( 6) 注五前掲佐野論文五八一頁。 ( 7) 注二前掲林論文。 ( 8) 吉橋さやか「異本『病草紙』の展開」 (『説話文学研究』四十八号、二〇一三年) 。 ( 9) 注一前掲加須屋論文。 ( 10) 注一前掲加須屋論文一七五頁。 ( 11) 杏雨書屋本の制作年代については、第二章で述べる。 ( 12) 東野治之「杏雨書屋所蔵   病草紙模本解説」 (武田科学振興財団杏雨書屋編『杏雨書 屋所蔵   病草紙模本集成』武田科学振興財団、二〇一七年) ( 13) 杏 雨 書 屋 本 や 東 京 藝 術 大 学 乙 本 に お い て は、 膝 に で き た 人 面 疽 を 指 さ す 男 が 描 か れ る。 京 博 本 を は じ め と す る 広 本 系 に お い て は、 人 物 の 姿 態 は 同 一 だ が、 病 態 は 膝 に で きた人面疽でなく、陰嚢の腫瘍として表される。 ( 14) 注五前掲佐野論文。 ( 15) 高 岸 輝「 「 病 草 紙 」 の 構 図 」( 同『 中 世 や ま と 絵 史 論 』 吉 川 弘 文 館、 二 〇 二 〇 年、 初 出は加須屋誠・山本聡美編『病草紙』中央公論美術出版、二〇一七年) 。 ( 16) 注五前掲佐野論文。 ( 17) 注十五前掲高岸論文。 ( 18) 高岸氏は、 《病草紙》のうち「尻の穴のない男」 ・「肥満の女」 ・「霍乱の女」を対角線 分割による構図を用いた図として挙げる。注十五前掲高岸論文。 ( 19) 注五前掲佐野論文。 ( 20) 注十五前掲高岸論文。 ( 21) 注五前掲佐野論文。 ( 22) 注五前掲佐野論文。 ( 23) 注五前掲佐野論文。 ( 24) 注五前掲佐野論文。

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( 25) 注一前掲加須屋論文。 ( 26) 注五前掲佐野論文。 ( 27) 注一前掲加須屋論文。 ( 28) 注一前掲加須屋論文。 ( 29) 「尊性法親王書状」貞永二年(一二三三)三月二十二日条。 ( 30) 民 経 記 』 天 福 元 年( 一 二 三 三 ) 五 月 十 一 日 条、 「 尊 性 法 親 王 書 状 」 天 福 二 年( 一 二 三四)三月十日条。 ( 31) 洞 院 公 定 日 記 』 永 和 三 年( 一 三 七 七 ) 三 月 八 日 条、 『 後 鑑 』 嘉 吉 元 年( 一 四 四 一 ) 四月二十九日条、 『看聞日記』同年五月九日条・六月十七日条。 ( 32) 増 記 隆 介「 「 病 草 紙 」 と 唐 宋 絵 画 」( 加 須 屋 誠・ 山 本 聡 美 編『 病 草 紙 』 中 央 公 論 美 術 出版、二〇一七年) 。 ( 33) 注十五前掲高岸論文。 ( 34) 注八前掲吉橋論文。 【図版出典】 図一・四・六・八・十・十一・十四・十九・二十一・二十二・二十四・二十五・二十六・ 二 十 八 ・三 十 ・三 十 一 ・三 十 三 ・三 十 四 ・三 十 六 ・四 十 ・四 十 三 ・四 十 四 ・四 十 六 ・ 四 十 七 ・四 十 九 ・五 十 一 ・五 十 三 ・五 十 四 ・五 十 五 ・五 十 八 ・六 十 ・六 十 二 ・六 十 四 ・ 六 十 六 ・六 十 八 ・七 十 一 ・七 十 二 ・七 十 四 ・七 十 六 ・七 十 七 : 武 田 科 学 振 興 財 団 杏 雨書屋編『杏雨書屋所蔵   病草紙模本集成』 (武田科学振興財団、二〇一七年) 図二・三・五・七・十二・十三・十五・十六・二十・二十三・二十九・三十二・三十五・ 三 十 七 ・三 十 八 ・三 十 九 ・四 十 一 ・四 十 二 ・四 十 八 ・五 十 ・五 十 二 ・五 十 六 ・五 十 七 ・ 五 十 九 ・六 十 一 ・六 十 五 ・六 十 九 ・七 十 ・七 十 五 ・七 十 八 ・八 十 : 加 須 屋 誠 ・ 山 本 聡美編『病草紙』 (中央公論美術出版、二〇一七年) 図 十 七 ・十 八 ・四 十 五 ・六 十 三 ・六 十 七 ・七 十 三 ・七 十 九 :「 e 国 宝 」 http://www. emuseum.jp/ (最終アクセス:二〇二〇年十二月八日) 図二十七:小松茂美編『日本絵巻大成二十二   彦火々出見尊絵巻   浦島明神縁起』中央公 論社、一九七九年) 【付記】   武 田 科 学 振 興 財 団   杏 雨 書 屋 所 蔵《 異 本 病 草 紙 》 の 図 版 掲 載 に あ た っ て は、 武田科学振興財団より刊行物からの図版転載の許可をいただきました。末筆な がら深く御礼申し上げます。

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【図1】武田科学振興財団 杏雨書屋所蔵《異本病草紙》 (以下、杏雨書屋本《異本病草紙》)「背中に腫瘍がある女」 【図6】図1部分 火箸を扱う男の顔貌 【図7】《病草紙》「肥満の女」部分 病者の顔貌 【図3】《病草紙》「息の臭い女」 【図4】図1部分 扇を持つ女の顔貌 【図5】《病草紙》「背の曲がった男」部分 病者の顔貌 【図2】《病草紙》「小舌の男」

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【図8】図1部分 病者の顔貌 【図9】奈良国立博物館所蔵《地獄草紙》 第2段「凾量所」部分 病者の顔貌 【図10】杏雨書屋本《異本病草紙》「人面疽を指さす男」 【図12】《病草紙》「肥満の女」 【図11】図10に対角線を挿入したもの 【図13】図12に対角線を挿入したもの

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【図14】図10部分 笑う男の顔貌 【図15】《病草紙》「白子」部分 笑う男の顔貌 【図16】《病草紙》「二形」部分 笑う男の顔貌 【図17】京都国立博物館所蔵《餓鬼草紙》 第2段部分 笑う男の顔貌 【図18】奈良国立博物館所蔵《地獄草紙》 第3段「鉄磑所」部分 笑う獄卒の顔貌 【図19】図10部分 僧形の男の顔貌 【図20】《病草紙》「侏儒」部分 病者の顔貌

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【図21】杏雨書屋本《異本病草紙》「背中に瘤のある女」 【図23】《病草紙》「霍乱の女」部分 病者の顔貌 【図22】図21部分 病者の顔貌 【図24】杏雨書屋本《異本病草紙》 「幼児の針治療」 【図27】明通寺本《彦火々出見尊絵巻》第4巻第2紙  龍宮の役人 【図28】図26部分 病者の顔貌 【図29】《病草紙》 「顔にあざのある女」部分 老尼の顔貌 【図25】図24部分 老尼の顔貌 【図26】杏雨書屋本《異本病草紙》 「婦人病の女」

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【図30】杏雨書屋本《異本病草紙》 「女の胸に咒を書く僧侶」 【図31】図30部分 病者と従者たちの顔貌 【図32】《病草紙》「肥満の女」部分 病者と従者たちの顔貌 【図33】図30部分 僧侶の顔貌 【図34】杏雨書屋本《異本病草紙》「肥満の女」 【図35】《病草紙》「霍乱の女」 【図36】杏雨書屋本《異本病草紙》「躄の男」

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【図37】《病草紙》 「頭のあがらない乞食法師」 【図38】《病草紙》 「白子」 【図39】《病草紙》 「侏儒」 【図40】図36部分 烏帽子姿の男と子供の顔貌 【図43】杏雨書屋本《異本病草紙》「狂人と屍体」 【図41】《病草紙》「白子」部分 子供の顔貌 【図42】《病草紙》「霍乱の女」部分 薬を作る女の顔貌 【図44】図43部分 屍体 【図45】東京国立博物館所蔵《餓鬼草紙》第4段 膨張した屍体

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【図46】図43部分 狂人の男の顔貌 【図47】杏雨書屋本《異本病草紙》「顔に瘤がある女」 【図48】《病草紙》「顔にあざのある女」 【図49】図47部分 僧形の医師の顔貌 【図50】《病草紙》「小舌の男」部分 僧形の医師の顔貌 【図51】杏雨書屋本《異本病草紙》「鼻に腫瘍のある女」 【図52】《病草紙》「鼻黒の父子」

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【図53】杏雨書屋本《異本病草紙》「屍体を喰う狂女」 【図54】図53に対角線を挿入したもの 【図55】図53部分 市女笠の女と祈禱師らしき老人の顔貌 【図56】《病草紙》 「頭のあがらない乞食法師」部分 市女笠の女の顔貌 【図57】《病草紙》 「頭のあがらない乞食法師」部分 老人の顔貌 【図58】図53部分 烏帽子姿の男の顔貌 【図59】《病草紙》 「白子」部分 坊主頭の子供の顔貌 【図60】図53部分 子供 【図61】《病草紙》 「侏儒」部分 子供

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