皇學館大学大学院
博士
( 文学
) 学位請求
論
文
近
世
奉
納
和
歌
の
研
究
――
和歌三神
奉納
和歌
の場合
――
神
道
宗
紀
平成二十五年六月一日
近
世
奉
納
和
歌
の
研
究
――和歌三神奉納和歌の場合――
目
次
序 論 本稿の目的および和歌 三 神 と 御所伝授について ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥ 頁 09 はじめ に ‥‥ ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 09 一、 和歌三 神 の概 要 ‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 11 1 柿本人麻呂 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 11 2 玉津 島明神 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 12 3 住吉明神 ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 14 二、 御所伝授の概要 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 16 注 ‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 18 第一章 玉津島社と住吉 社 への古 今 伝授後御法楽および月次和 歌御法楽 ‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ 頁 20 一、両社に奉納され た 御法楽五十首和歌 ‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 20 1 御法楽五十首 和歌の概要 ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 20 2 御法楽五十 首 和歌成立の背景 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 24 3 御法楽五十首和歌に用いられた短冊 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 29 二、玉津島社に奉納された御法楽五十首和歌の異種短冊 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ 頁 32 1 冷泉為村 と為泰父子の短冊 ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ 頁 32 2 飛鳥井雅章 と 中院通茂の短冊 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 36 三、住吉社に奉納された法楽五十首和歌からわ か ること ‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ 頁 40 ――天和三年の御法楽和歌に添 えら れた歌 題 目録――
1 住吉社御法楽五 十 首和歌 の 概要 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 40 2 天和 三年の歌題目録 の 筆跡 と冷泉為村の書 風 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥ 頁 43 3 天和 三年 の歌題目録 と 明和四年 の短 冊歌 題の比較 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 45 4 寛文四 年 と 寛 政九年の 歌題目録 ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 48 四、仙洞御所からの 月 次御法楽和 歌 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 50 注 ‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ 頁 52 第二章 明石柿本社と 高津柿本社への古今伝授後御法楽 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ 頁 57 一、明石 柿本社に奉納された御法楽五十首和 歌 ‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 58 1 現存する御法楽五十首和歌 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 58 2 宝 暦 十年と寛政九年の御法楽五十首和歌 ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 59 3 延享 元年の 御 法楽五 十 首和歌 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 62 4 寛政九年御法楽五十首和歌の奉納年月 ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 64 二、高 津 柿本社へ奉納された御法楽五十首和 歌 ‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 65 1 御法楽五十首和歌の概要 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 65 2 各御法楽五十 首和歌の書 写 本 ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ 頁 67 三、社寺側か ら見た 古 今伝授後の御法楽五十首和歌 と 御 祈 祷 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 69 1 月照寺と 御法 楽和歌と霊元天皇 ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 69 2 月照寺 と 古 今 伝授の御 祈祷 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 76
3 禁裏 御所から 月照寺への御撫物 ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 84 注 ‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 88 第三章 人麻呂千年忌に関する霊元法皇の御法楽和歌 ‥‥ ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥‥‥‥ 頁 90 一、 柿 本 人麻 呂 と 神位神 号 ―月 照寺蔵「神 号 神位 記録 」を基に― ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 90 1「神号神位記 録 」の意訳 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 90 2 両柿本社に奉納さ れた和歌 およ び関連資料の現在 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 105 二、 月照寺蔵「 御 奉納 石見 播磨 柿本社御法楽」 成 立の背景 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥ 頁 109 1 月照寺蔵「御奉納 石見 播磨 柿 本 社御法楽」と高津柿本神社蔵「五 十 首和歌短冊」の関係 ‥‥ 頁 110 2 和歌作品を 写 す場合 の 書 写 態度 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 113 3「御奉納 石見 播磨 柿本社御法楽」の書かれた時期 ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥ 頁 117 4「御奉納 石見 播磨 柿本社御法楽」の書 写 態度 ‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ 頁 119 5 検討の結果 確 認 で きた こと ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 125 注 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 125 第四章 冷泉為村の奉納 和 歌 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 128 一、冷泉家と奉納和 歌 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 128 1 冷泉家概 略 と和歌の奉納 ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 128 2 冷泉家から住吉社と玉津島社への奉納和歌 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 130
a 和歌懐紙・折本・巻子の類 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 130 b 和歌短冊の 類 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ 頁 132 3 為村の奉納和歌 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 134 a「百首 和歌 ( 連名百首和歌 ) 」‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 134 b「詠百首和歌」‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 137 c「住吉社奉納和 歌 ( 為村卿二十首和歌 ) 」‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 138 d「 報賽五首和歌 毎首 置字 」‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥ 頁 138 e「春日詠五 十首和歌」‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 140 f「九月十 三 夜詠三十一首和歌 毎歌首 令冠 字 」‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ ‥ ‥‥‥‥ ‥‥ 頁 141 g「吹上八景手鑑」‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 146 h「御法楽五十首和歌 」に見る為村自筆短冊 ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 147 i「堂上寄合 二十首短冊」‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ 頁 149 二、奉納和歌に見る 為 村の書体 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 150 三、為 村 の書風の変遷 ‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 156 四、奉納和歌に見る為村の言 語 遊戯 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 161 五、奉納和歌に見る 為 村の定家仮名遣 ‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥ 頁 169 1 藤原 定家の仮 名遣 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 169 2 源知行 ( 行阿 ) の仮名遣 ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 172 3 定家 と行阿 の 仮名 遣の相違 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 173
4 住吉社奉納和 歌に見る仮名遣 ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 176 5 住吉社奉納和 歌仮名遣の特徴 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 184 6 冷泉為村の仮 名遣 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 191 7 「 驚く 」に見る為村の仮名遣 ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 196 8 この節 の お わ りに ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 199 注 ‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ 頁 200 第五 章 その他の奉納和歌 ‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 207 一、玉津 島社の場合 ‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ 頁 207 ―堺田通節の「木綿襁和 歌 」― 二、住吉社の場合 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 210 1 津守 国治・ 国 教・ 国輝 の和歌 ‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 210 ―各奉納和歌に見る仮名遣を資料 と し て ― a 津守 氏と 和歌 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 211 b 近世期の和歌 と仮名遣 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 213 ―「正徹百 首 和歌」と 「源雅奉納百首和歌」 を基に― c 津守 国治・ 国 教・ 国輝の 和 歌 ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 217 津守 国治 と 「 寛文五 年 二 月 吉 日 奉納三 十 首和歌」 ‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ 頁 ア 218 津守国教と「正徳二年正月吉日奉納五十首和歌 」 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥ 頁 イ 220
津守国輝と延享元年および寛延三年奉納各十首和歌 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 ウ 222 第1項cのお わ り に ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 エ 224 2 津守 国 礼 の 和 歌 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 225 ―「有賀 長収ほか奉納和歌 」中の国礼和歌仮名遣から― a「有賀長収ほか奉納和歌 」の筆者 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ 頁 226 b 詠歌 の場と筆者の書 写 意識 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 230 c「有賀長収 ほか奉納和歌 」に見る仮名遣 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 233 d 津守 国 礼 と 仮 名遣 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 237 e 第2 項のおわ りに ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 244 3 為村の奉納年月不記和歌「堂 上 寄合二十首 」 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥ 頁 245 a 概要 と奉納時期の検討 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 245 b 為村短冊 ( 「 浜菊 」 ) の筆跡による判断 ‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ 頁 250 4 その他の奉納 年月不記和歌 ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 252 三、明石柿本社の場合 ‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 253 1「桑門三余 柿本社奉納和歌」‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 254 2「藤堂 ( 藤原 ) 良徳 奉納和歌 」‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ 頁 257 3「嶺良成 奉納 百首 」‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 260 四、高津柿本社の場合 ‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 263 1 霊 元法皇の「五十首和歌短冊」と冷泉 為 村 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 263
a 冷泉家と霊 元天皇 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ 頁 264 b 冷泉為村 と 霊 元院 と和歌 三 神 ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 266 2 人麻呂千年忌と 津和野藩主 ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 271 a 人麻呂年忌の奉納和歌 ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 271 b 亀井茲監の人麻呂千百五十年忌奉納和歌 会 ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 277 この和歌 会の概要 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 ア 277 この和歌会の自筆短冊五十枚につい て ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥ 頁 イ 279 3 高津柿本社奉 納和歌に見る言語遊戯 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 281 a 冷泉為村の言語遊戯 ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 282 b 桑門 慈延の 言 語遊戯 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 283 c 越智盛 之 の 言 語遊戯 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 286 4 津和野藩の人々の人麻呂意識 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 289 注 ‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 294 第六章 高津柿本社奉納 和 歌の書誌 的考察 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 299 はじめ に ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 299 高津柿本神社 蔵書目録 と書誌 ‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 300 資 料 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 353
Ⅰ 古今伝授 後 玉津島社 住吉 社 御法楽五 十 首 和 歌 資料 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥ 頁 354 Ⅱ「 御 奉 納 石見 播磨 柿本 社御法楽 」と他本の 校 合 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥ 頁 358 1 御奉納石見国柿本 社御法楽の分 ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 358 2 御奉納 播 磨 国 柿本社 御 法楽の 分 ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 370 Ⅲ「有賀 長収ほか 奉納 和歌 」 中 の津守国礼六十四首 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥ 頁 379 Ⅳ 和歌 三神各社蔵書 ( 分野別 ) 一覧 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥ 頁 389 Ⅴ 勅撰集におけ る津守 氏 歌人の 歌 数お よび個 人 別歌数 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 406 各章 で用 いた論文の初出 ‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 407 序論 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 407 第一章 ‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥ 頁 407 第二章 ‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 408 第三 章 ‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 408 第四章 ‥‥ ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥ ‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 409 第五 章 ‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 頁 409 第六章 ‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥ 頁 410 あと がき ‥‥ ‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥ 頁 411
序 論 本稿の目的および和歌 三 神 と 御所伝授について はじめ に 我が国の各神社が所蔵する奉納和歌の調査を、平成十九年 度から二十年度にか けて皇學館大学「神社奉納和歌研究 会 」( 代 表 深 津睦夫教授 ) が行い 、 平成二十一年三 月 には報 告 書 『 全国神社奉納和歌のデータベース化と 研 究のための 予備的研究』が出された。全国二千二百 十五社にアンケー ト調査を行い三百四十五社から 回答を得て い るが、江戸時 代の奉納和歌 を 百 点以上所蔵する神社が十八社あると いう 。ア ン ケ ー ト に は 、一 度に複数の和歌 が 奉納さ れ てい る 場 合 に は 一 括し一点と数え る 旨を明記して あ るものの、神社側 の誤解か ら正確に数えられなかった可能性もない とは 言 えない。例えば〈御法楽五十 首 和歌短冊〉などの場合、そ の短冊がバ ラ バ ラ に保管されれば 別 種の ものと把握され、 一点扱いにはならないことに な る。と も すれば、百点以上 所蔵する神社の数は減るかも知れない。 また、同 報告書の玉津 島神社(和歌 山市)十 八点 と住吉大 社(大阪市)三 十点は、平 均 から見れば 多 い方だと判断 し て よい。明 石 柿 本神社(月照寺〈明石市 〉 )と 高津柿本 神社(益田市)については同報 告書に載って いないので、 注01 両社か ら の回答はなかったものと思 わ れ る 。 しかし 、 我々の調 査で は 、 前者三 十 七点 (和歌関連の文 書 や 記 録を 含む ) 、 注0 2 後者九十点(和歌関連の文書や記録 を含 む)の所蔵 で ある。 このように、玉津島神社・ 住吉大社・明石柿本神社・高 津柿本神社への和歌 や 関連文 書 奉納が他神社に比べて 多い のは、この四社の神が和歌三神と し て 敬わ れて いたこと に よ る。つまり、一面的 で は あ るものの〈近世奉納和歌〉と 注03 言っ た時、 和 歌三 神と し て の信仰を集 め て い た玉 津島社・ 住吉社・柿本人麻呂(明石柿本社・高津柿本社)の計四社 に奉納 さ れ た和歌と そ の 関 連文書を 指す、と 見て も過言で はないだろ う 。
本稿では、筆者が実際に目にし てきた、この四神社の所蔵 する江戸時 代 の和歌 や 関連資料(ただし一 部 明治期・大 正 期 を含 む)を紹 介する と と も に、そ れ 等が、 ど のよ うな背景のも とに奉納さ れ た の か、各 作品には どのよ う な特徴 が見 られるのか、な ど に つ い て 私見を述 べてみたい。便宜の上か ら 、 第一章 玉津島社と住吉社への古今伝授後御法楽および月次和歌御法楽 第二章 明石柿本社と高 津 柿本社への古今伝授後御法楽 第三 章 人麻呂千年忌に 関する霊元法皇の御法楽和歌 第四章 冷泉為村の奉 納和歌 第五 章 その他の奉納和歌 第六章 高津柿本社奉納 和 歌の 書誌 的考察 の六つに大別し て 考えて い く。 な お 、 和 歌 三 神 四 神 社 の 内 、 玉 津島神社 ・住吉神社 ・ 明石柿 本 神社 につ い て の 調 査 と 研 究 の 成 果 は 、 既 に 、 ・ 『 紀州 玉津 島神社 奉 納和歌 集 』 ( 鶴﨑裕雄・佐貫新造・神 道 宗 紀 編著 平成 四年一二月 玉津 島 神 社) ・ 『 住吉大 社奉 納 和 歌集 』 ( 神道 宗紀 ・鶴 﨑 裕 雄 編著 平成一一年 三 月 東方出版社) ・ 『 月 照 寺 明 石 柿本社 奉納和歌 集 』 (鶴﨑裕雄・神道宗 紀 ・小倉嘉夫 編著 平成二 三 年 八 月 和泉書 院 ) と し て ま と め た。高津柿本神社について の 調 査も終 了 し、現在は 同 社奉納 和 歌研究の続行中で ある。 右 三社所蔵の 和
歌 と 関連文書および記録の解 説 は、各々の奉納和歌 集 「解題」に施したので 参考にし て い ただきたい。 さ て 、各奉納和歌 や 関 連文 書等を検 討 す る 前 に 、 先 ず 和 歌 三 神 お よ び 御 所 伝 授 の お お よ そ に つ いて 見 て お こ う 。 一、 和歌三 神 の概 要 1 柿本人麻呂 天武・持統・文武朝に活躍した万葉の歌人柿本人麻呂が、 古今 和 歌 集 の 仮 名 序で 〈 歌 の聖 な り 〉と 評 さ れて いるの は 周 知のことで あ る。彼は 歌の上 手 と し て 、 同じ万 葉 の 歌 人たちにより既に 意識 され目標と さ れて いた。 例えば 、 聖武朝に越中守と し て 下 向 し て いた大伴家持は 、「 万 葉集 」( 『 新 編古典全集本 ( 小学館 ) 』下 同 ) ⑰ 三 九 六 九 番歌の題詞に「幼年に未だ山 柿 の門に逕らず」と 言い、傍 点部のような語を用いて い る。これは、山上憶良 や 柿 本人 、 、、、 い た 注0 4 麻呂 を意 識し ての 用語 であ る。 また、同じく 越中守時代に詠んだ万葉歌に次のよう な ものがある。 夜ぐたちに 寝覚め て 居れば 川瀬尋め 心もし の に 鳴く 千鳥かも (⑲四一四六) 、 、、、、 、 、 傍点部の「心もしのに 」 「 千鳥」は、 人麻呂の歌にも 詠まれた表現 で あ った。 近江の海 夕波 千鳥 汝が 鳴けば 心もし の に 古思ほゆ (③ 二六六) 、 、 、 、、、、
ちなみに 、「 心もしのに 」 という語は 「 万葉集 」 中九例を数えるが 、 そ の内 「 千 鳥 」 と共に用いられるのは 、 人麻呂 と 家持の二例だけで ある。すなわち、奈良時代の万葉歌人家 持が、いかに人麻呂を敬慕し目標 と し て い たかの一端を知 ること が でき る。 さ ら に、室町時代後期の歌人 三 条西実隆の日記 、 「実隆 公 記」 ( 『 続群書類 従本 ( 同完成会 ) 』 ) には正 月 一日における 自宅 の恒例 行 事 と し て 、例 えば、 朝膳之後於柿本影前詠二 首和歌矣 (明応六年正月一日条) 、 、、、 などと、 人麻呂の肖像画の前 で 和 歌 の 上達 を 願 いつつ歌 を詠んだ旨の記事がよく見られる。 このように柿本人麻呂は、同じ万葉歌人たちの目標 と さ れ、後には歌聖と謳 わ れ、さ ら に歌神 と 評される ようにな って 行 く 。 神 代 の昔か ら 我 々 の祖 先 は 、霊験あ らたかな大木 や巨石な どを前にし て 、神が坐 す と 感じ てきた 。 また 、菅 原道真 の御霊を恐れ神と して 祀り祟りを封じた。つまり、人間を も神格化し て きたので ある。 和 歌三神の各々が歌の神にな って 行 く のに も、 同様の背 景があっ たと 考え る。 2 玉津 島明神 玉津島明神 は 、古く か ら「 万葉 集」にも詠ま れる風 光 明媚 な地に祀られる。聖武 天皇の行幸もあり、従駕した山部
赤人 の長歌 と 短歌 に、 やすみしし わ ご大 君 の 常宮と仕へ奉れる 雑賀 野ゆそ が ひ に 見ゆる 沖つ 島清き渚 に 風吹けば 白波騒き 潮干 れ さ ひ か の ば玉 藻 刈 り つ つ 神代 より然そ貴き 玉津島山 (⑥ 九一七) 沖つ 島 荒磯 の玉藻 潮干満ち い隠り行かば 思ほえむ かも (⑥ 九一八) 若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺を さ して 鶴鳴き渡る (⑥ 九一九) のごとく詠ま れ て いる。 祭神は稚 日 女 命および神功皇后、そし て 允恭天皇の寵愛を受 け た衣通姫 で あ る。 わかひるめ の み こ と そと お り ひ め 衣通姫は「日本書紀」では 、天皇の寵愛を 受 け つ つも嫉 妬 深 い 姉皇后の心情を 思 い、 天皇が姫のために設 け た離宮 「茅渟宮 」 ( 大阪府泉佐野市) に退き住んだと い う。一方 、 「 古事記」によれば允恭天皇の皇女軽大郎女の別名 と され る。同母の兄木梨之軽皇子 と婚姻関係 を 結んだ こ と に より、兄 は伊予 の 湯( 道後温 泉 )に流さ れる。妹も兄 を追っ て 行き、二人 は 心中する。この物語 を 背景にした和歌 は「古事 記」や 「 万 葉 集」など に残るが、前者において 、 流 さ れ る時に兄木梨之軽皇子 と妹軽大郎女 は、次のように歌い交 わ す ( 「 古事記」 〈 『 新編古典全 集 本 ( 小学館 ) 』 〉 ) 。 ・大君を島に放 ら ば 船余り い 帰り来 む ぞ 我が畳ゆめ 言をこそ 畳と言はめ 我が妻は ゆめ (允恭天皇 軽太子 はぶ ふ な あ ま と軽大郎女条) ・夏 草の 阿比泥の 浜の 掻き 貝 に 足踏ますな 明し て通れ (右同条) あ ひ ね
さ て 、 允 恭天皇寵妃衣通姫 の 、 帝の訪問を 待 って 詠んだ 歌 に次がある ( 「 日 本書紀 」〈 『 新編古典全集本 ( 小学館 ) 』 〉 ) 。 我が背子が 来べき 夕 な り ささがねの 蜘蛛の行 ひ 今夕著しも (允恭紀 八年二 月 条) よひ こ よ ひ しる 私の愛しいあ の方が、 きっと来 てく ださ るに違いない 宵だよ 。 そ れ にし ても 、 夫 の訪 れる前兆 だ と いう蜘蛛 の巣作りが今宵は特に激しいよ。 (口訳筆者) と い うのだ。この姫もまた和 歌 の上 手 で あった。 その後に は 、 「古今 和 歌集 」 ( 『 新 編古典 全 集本 ( 小学館 ) 』 ) に 、 小野小町は、古の衣通姫の流なり (仮 名序 ) 、 、、、 、 などと 見 えて、平安時代前期 の 人たちが姫を女流 歌人の源 流と考え、誉 め称え た こと が わ かる。 衣通姫もまた歌神と な るに 十分な背景を有し て い たので あ る。 3 住吉明神 住吉社の祭神は、住吉大神 つ まり底筒男命 ・ 中筒男命 ・ 表筒男命の住吉三神 と 神功皇后で あ る。住吉三神は、黄泉国 から 戻っ た伊 邪那岐 命 が 、 筑紫 の日向の橘の小 戸 の檍 原で 、 禊を行っ た時に生まれ た 。 神功 皇后 の 三 韓 出 兵 の 時 に は あわ ぎ は ら 海上 守護を任されたという。そのような わ け で、住吉明神は 古くから禊祓および 海 路平安の神と し て 崇敬され、遣唐
使の出発にあたっては住吉社に平安を祈願するのが習 わ し で あ った。 では、住吉社が和歌神 と して 見られるようになったのは 何故 なのだ ろ う。住吉は「万 葉 集」以降、多くの歌集そし て 「 源氏物語」 や 「 土 佐日記 」 な ど の和歌にも詠 ま れ てい て 、 ここが和歌に縁の ある地 で あることは容易に知られる 。 し か し、大き な 影 響を 与え たのは、平 安 時代 後期の 歌 人で 、住吉社神主 で もあった津守国基で あ る。国基は 歌 人と し ても有名 で 、「 後 拾遺和歌 集 」 に三首が入 集 し て 以降、 他 の勅撰和歌 集 にも多く の 歌 が採録さ れた 。「 後 拾 遺和歌 集 」( 『 新 古典大系本 ( 岩波 ) 』 ) 中 に は 次 の 一 首 が あ る 。 薄墨に かく 玉梓と 見ゆるかな 霞める空に 帰るかり がね (① 七一) 国基は歌人 と し て 活躍すると同時に、住吉社神主 と し て 玉津 島 社 祭神衣通姫を住吉社に勧請した。 衣 通姫と国基に 係 わ る資料 と し て 「国基集」と 「奥義抄」を 引用 しよう。 先ず「国基集 」 ( 『 新編 国歌 大観 本 ( 角川 ) 』 ) だ が 、 とし ふ ( 経 ) れど お ( 老 ) いもせずし て わか の う ら ( 和歌 浦 ) に いくよ ( 幾代 ) になりぬ たまつしま ひ め ( 玉津 島姫 ) (一五三〈 ( )内筆 者 〉 ) と い う歌があり、この一首に は 詞書と 左 注が付いて い る。 そこには、 住吉社の壇の 葛 石を探しに紀国へ行 っ た時に玉 津島 社を 訪れ た 。 衣通姫がこの 地に心をひ か れ 、 ここに止ど ま り かず ら い し 祀られて いると聞い て 、 こ の歌 を奉納した ( 以上詞書 ) 。 和歌 を奉納した夜の夢に女房が出て 、 歌 のお礼に 、 ど の
石を 採っ たら いいか教え て くれ た。お 告 げど お り の石 が あ って 、壇の よ い 葛 石 に なっ た ( 以上 左注 ) 。 との旨が記さ れている。 国 基の衣通姫への敬愛と感謝が窺える。 続いて 「 奥義抄 」 は 、 衣通 姫の項目において 、 次 のよう な 注釈を施し て いる ( 「 奥義抄 」〈 『 日本歌 学 大系本 ( 風間 ) 』 〉 ) 。 住吉の社は四社おはします 。 南 社は此衣通姫也 。 玉津島明神 と 申す 也 と ぞ津守国基は将作に語り申し け る 。 (衣 、 、 、 、、 、 、 、、、 通姫の条) 傍点部「南社」が、四社の内 の 一社 を指すの か、別 の 社 を 指すのか はよく わ か ら ない。しかし 、ここに見る、津 守国 基が「奥義抄」の作者藤原清輔 の祖父顕季に( 「 将作」は 顕季のこと ) 、住吉の南社に衣通姫を勧請し た と 語 ったとい う話は、当時これが万人周知 の 事実 で あ ったことに外なら ない。 だ からこ そ 「奥義 抄 」 に も こ の よ うに 注釈 され たの であ る 。 神主津守国基のとっ た和歌神衣通姫勧請の方策が、世の 人 たちに〈和歌神住吉〉をより印象 づ けることとなり、歌 神と して の信 仰を さら に集 めること に な っ た と 考 え る 。 二、 御所伝授の概要 江戸時代の禁裏御所 や 仙洞御所 では、古 今伝授をはじめ天爾遠波 伝 授・三部抄 伝 授・伊勢物語 伝授・源氏物語 伝 授
など 、様々 な 御伝授 が 盛 ん に 催 され た。こ れ ら 御 伝授 事の 背景には、元和元年(一六一五)に、前将 軍 徳川家康 や 将 軍徳川 秀 忠 ら が 制 定し 公布した 、天皇 と 公家 の 守 る べ き法「 禁 中 並 公家諸 法 度 」 の第一条に「 天子御 芸 能 の 事 、 第一 御学問也」と 謳っ たこと が ある。 つ まり、天皇は 和歌等 の 学問を 第 一とすべきこと が こ の 時代の流れと なっ たので あ る。 古今伝 授 は 「 古今 和 歌 集 」 の 難 解な 歌や 語句の 解 釈を 秘 伝 と し て 、 師から 弟 子へと 伝 え 授 け る こと を 言 う 。「古今 和 歌 集 」の歌の解釈は、同歌 集 が 和歌の規範で あった こ とも あり、平 安時代末頃から、各 歌 道の家々で 独 自のものが伝 えられていた。しかし一般的には、室町時代後期に二条宗 祇流 と二条堯 恵流が成立し 、口 伝・切紙・抄物による伝授 形式が定ま っ て か らを言う。二条堯 恵流は後に断絶 す るが 、二条宗 祇流 は三条西 実隆 、細川 幽 斎 、 八条宮智仁 親王な ど を 経て、後水尾天皇へ と 相伝される。さ ら には、歴代天皇・公家へ と 継承されて、い わ ゆる〈御所伝授〉 とし て 確 立するので あ る。 天爾遠波伝授は、和歌における仮名遣の伝授(定家仮名遣 など)を言い、三部 抄 伝授 は、藤原 定家の著作と される 「詠歌 大 概・秀歌之体大略 」 「 百人一首」 「 未来記・雨中吟 」の 読み癖や 注釈の秘伝を伝 え るもので ある。と もに 古今 伝授と並んで 江戸時代の禁裏御所においては重要な 御 伝授 事と なって い た。明石 柿本社 の 別当月照寺は、禁裏 御 所か ら永代勅願所の勅命を賜っ ているが、 同 寺所蔵の「御 祈 祷記録 写」 や「 書状綴 」 に は 、 禁 裏御 所 か ら古 今 伝 授 の 折 の 御祈祷、天爾遠波伝授・三部 抄 伝授・歌道繁栄などの 御 祈 祷を命じ られた旨の記載が頻出する。例えば、 ・禁中様 江 、仙洞様より、天 仁遠波の御 て んしゆあそ は され候 ニ 付、御祈祷仰付られ候 、 (書状綴) 、 、、、、、、、、、 ・桜町院御在 位延享元年 子 四月 、古 今御 伝受 ニ 付、従禁裏 御 所(略)三七日御祈祷被仰付、 (御 祈祷記録 写) 、 、、、、 ・此度、禁裏御所 江 、従仙 洞 御 所 、三部抄御 伝 授 ニ 付、臨時御祈祷被仰付、 (書状綴 ) 、 、、、、、
・ま ん
く
年、 御寿命御長久様 ニて 、歌 道はん ゑ ひの御事にあ らせ られ候 や う ニ 、来 ル 十四日より一七ヶ日 よ くく
、 、、、、、 御きと う 候へと め うや う に 申とて 候 、禁 中様 御撫物、 白か ね二枚、仙洞様、御撫物、白かね二枚、め て 度つか わ され候、 (書状綴) などの記載があり、これらの御伝 授 事や 歌道 繁栄が重要視されて い たこと が わ か る。 このようなことから 、 禁裏御所 で行 われ た御伝授事 や 和歌 会は 、「 禁中並公家諸法度 」 に 定め られた と いう理由から だけで は な く 、 和 歌の上 達 を 真 剣に願 い 研鑽を積 んで 催 さ れて いたこと が知ら れ る 。 前述 、「 実 隆 公 記 」 の 筆者三 条 西 実隆が恒例の行事と し て 、 正月一日に柿本人麻呂の肖像画 の前 で上達を期し て 和 歌 を 詠ん で い たように、江戸時代の 堂上衆 や 皇族方も和歌の研究に余念が無かっ たので あ る。 さ て 、 禁 裏御所 で 古 今 伝授が行 われた 時 には 、 伝 授を受 け た天皇が堂上衆 と と も に、 い わ ゆる 〈 古 今伝授後 御法楽 五十首和歌〉を和歌三神各社 に 奉納するのが習 わ し で あっ た。玉津島社をはじめ、住吉社、 明石柿本社、高津柿本社 に は 、歌 題も詠 者 も異 な っ た五十 枚 の兼題和歌短 冊一 式が各 々 奉納さ れ ている 。 注 注 明石柿本社への奉納 和 歌 や 関連文書等は、そのほとん どを別当寺 で あ っ た月照寺が所蔵し ている。 01 注 和歌 三神(注 参照)で ある玉津島・住吉・柿本 人麻呂への奉納和歌の調査研究は、帝 塚 山 学院大学「奉納 02 03 和歌研究会」 (代 表鶴﨑裕雄名 誉 教授)が平成四年の頃から行ってきた。注 近世、 一 般的には玉 津 島明神・住吉明神・柿本人 麻 呂を 指す。ただし、玉津島明 神 ・住吉明神・天満天神、 03 柿本人麻呂・山部赤人・衣通姫とする説もある。 注 「山」に関し ては、山上憶良 で はなく山部赤人を 指すという説もある。 04
第一章 玉津島社と住吉 社 への古 今 伝授後御法楽および月次和歌御法楽 一、両社に奉納され た 御法楽五十首和歌 前述のごと く 、江戸時代の禁裏御所 や 院 御所 では様々な御伝授事が頻 繁 に催された。続い て、天皇が古 今伝 授を受 けられる様子 や、その後に公 家衆 と共に詠 む〈古 今 伝授後 御法楽五十首和歌 〉 ( 以下「御法楽五 十 首和歌」と 略 す) が 成 され、玉 津島 社と 住吉 社 に 奉納 され る 時 の様 子、お よ び 仙 洞 御 所から 玉 津島と 住 吉 の 両 社 に奉納 さ れ た 〈 月 次御 法楽和歌〉について 見 て み よう。 なお 、 本 稿中に出て 来 る和歌作品は 、〈 資料Ⅳ 〉 に 「 和歌三神各社蔵書 ( 分野別 ) 一 覧 」 と して ま と めて ある ので 、 参 考にし て いただきたい。 1 御法楽五十首 和歌の概要 玉津 島社 と住吉社に残る各七点の「御法楽五十首和歌 」は、天皇 や 上皇が古 今伝授を受 け られた後に、公家衆 と 共 に詠ん で 奉納したもの で あ る 。 両社に奉納さ れた 、 歌 題と詠者の異なる ( 但 し重複する歌題も詠者も一部ある) 各 「 御 法楽五 十 首和歌」は、次の 七点で あ る。 ① 寛文四年(一六六四)六月一日奉納
五月、後西 上 皇・日 野 弘資・烏丸資慶・中院通茂が 後水尾法皇より古 今伝授を受 け る 六月、後西上皇他 、 「 御法楽五十首和歌」を玉津島社・住吉社に奉納 ② 天和三年(一六八三)六月一日奉納 四 月 、霊元天皇が後西上皇より古今伝授 を 受 ける 六月、霊元天皇他 、 「 御法楽五十首和歌」を玉津島社・住吉社に奉納 ③ 延享 元年(一七四四)六 月 一日奉納 五月、桜町天皇が烏 丸 光栄より古今伝授を受 ける 六月、桜町天皇他、 「 御法楽五十首和歌」を玉津島社・住吉社に奉納 ④ 宝暦十 年 (一七 六 〇 ) 三月 二十 四日奉納 二月、桃園天皇が有栖川宮職仁親王より古今伝授を 受 け る 三月 、桃園天皇他、 「御法楽五十首和歌 」 を玉津島社・住吉社に奉納 ⑤ 明和四年(一七 六 七 ) 三 月 十 四 日 奉 納 二月 、後桜町天皇が有栖川 宮職仁 親 王より古 今伝授を受 け る 三月、後桜町天皇他 、 「御法楽五十首和歌 」 を玉津島社・住吉社に奉納 ⑥ 寛政九年(一七九七)十 一 月二十六日奉納 九月、光格天皇が後桜町上皇より古 今伝授を受 け る 十一月、光 格 天皇他 、 「御法楽五 十 首和歌」を玉 津島 社・住吉 社に奉納 ⑦ 天保 十三 年 ( 一八 四 二 ) 十 二 月 十三 日奉 納 五月 、仁 孝天皇が 光格 上皇よ り 古 今 伝授を受 ける
十二 月、 仁孝 天 皇 他 、 「御法楽五 十 首和 歌」を 玉 津 島 社・住吉 社に奉 納 今、右の七点中第二例、②天和三年六月 一日の「御法楽五十首和歌 」が奉納された時の様子、またその背景にある 古 今 伝授 が行 われた時の様子を 「 御 湯殿の上の日記」 ( 『 続 群 書類従 補遺三 「 お湯 殿の 上 の 日記 ( 十 ) 」 』 下 同 ) に よ っ て見 てお こう 。 こ こか ら は 、同 年四月 に 霊元 天 皇 が 後 西 上 皇より古 今伝授を受 け られた こ と、そし て 同 年六 月の玉津 島社 と住吉社両社御法楽のことな どを窺うことが で きる 。「 御 湯 殿の上の日記 」 天 和 三 年四月二日条 、 お よび三日の条 には、 ・二日。はる ゝ 。 雨 ふ る。けふより古 今 の御かうし や く は しめさせられ候。新院の 御 かた御幸。こんゑとの。中院 、 、 、 、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、 、 、、、 、、、、 大なこ ん もしこう候。品の宮ノ 御方もなる。ふ し み殿よりほたんの花 まいる。 三日 。雨 ふる 。 け ふも御か うし やく に て 御幸 なる 。ほた ん ま い る 。 左 大 臣殿 。中院 大 な こ んもし こ う也 。 (四 、 、 、 、、、、、、、、、 月条) とあ って、 こ の時 の古 今伝授が四月二日か ら 開始さ れた こと 、 「 新院の御かた 」 ( 後西上皇 )が 霊元天皇への御講釈の ために、仙洞御所か ら 禁裏御所へ来 られた こ と等が わ かる。後西 上 皇御幸 の記事 は 、四月十四日ま で 毎日続く 。そし て、一 日 飛んだ四月十 六日条に、 ・十 六日 。はる ゝ 。 古 今御 てんし ゆ に て 新院 の御かた御幸 。御かく もん所に て御 てんし ゆ あそ はさ れ候。其後つね 、 、、、、、、、、 、、、、、、、、 、 、、、、、、、、、、 、、、、、、、、 の御所に て初こんま ん 。 (四月条)
のよ うに見 え ている。そ の 後の関連記事 は、次 の ごとく で あ る 。 ・十九日。はる ゝ 。新院の御かたへ御歌 題まいらせる。 兵 部卿宮へもまいる。 (四 月条) 、 、、、、、、、 、、、、、、、 ・廿八日。はる ゝ 。ちきやう院殿より ふ りまいる 。夕かた玉津島。住吉御ほうら く御神事。 (閏五 月 条) 、 、 、、、、 、 、、、、、、、 、、 そし て、御法楽和歌奉納の 当日、天和三年六月一日条には次のごと く記される。 ・一日。はる ゝ 。 朝御さか月まいる。 内 侍所より御く まま いる。 中 宮の 御かた。大納 言のすけ 殿。 長は し。大 御 ち 、 、 より御くままいる。五れうより巻数しん上。すみよし。玉 つしまの 御ほうら くの 御よみ あ け つ ねの 御所上 た んに 、 、、、 、 、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、 て。く御御引なをし御か さ ねにて あ そはさる ゝ 。 御なて 物 。御たんれう わうこん廿両両社へまいる。八日より一 、 七ケ 日 御 き た う 仰 付ら れ 侯 。 御たん さく両 社 へ ま いら せら る。 勧修大納言。日野中納 言奉行也。 あ さかれいしん 、 、、 、、、、、、、、、、、 、 、、 、、 、 、、 、、、、、 す け 殿 。 新内 侍殿 。小弁 也 。けふ の 御 し う き いつも の こ と くま いら せらる 。 あな た よ りもま い る 。 外 宮 の長くわ ん位かゐの御礼に御はら へ 。 の ししん上 。 夕 かた三こんの 御い わ ゐ いつも と おなし 。 こほりかちんも出ル 。 女中 。 お と こた ち御 とをり 有 。 (六 月条) このような流れで 古今伝授が行わ れ 、 さ ら に 住吉社と玉津島社への御法楽が行わ れたので ある。 以上、天和 三 年六月一日の「御法楽五十首和歌 」 奉納と、その背景にある古 今伝授の様子を見 てきた。 他の「御法 楽五十首和歌」 の 様子に関しては 、 次の 〈 2 項〉 で扱うものを 含め て除き 、〈 資 料Ⅰ 〉 の 「 古 今伝授後 玉津 島社 住吉 社 御法楽五十首和歌 資料 」 に ま と め て おく 。
2 御法楽五十首和歌成立の背景 前項に引用した「御湯殿の上の日記」の記載のごと く 古今 伝授が行 われた後、天皇 や 上 皇 は公家衆 と「御法楽五十 首和歌」を成す。そし て、こ の 五十枚の和歌短冊は玉津島 社や住吉社などに奉納されることとなる。次に、その様子 を見 てみよ う 。 初 め に、前項①寛文四年六月一日に奉納さ れ た「御法楽五 十首和歌」の場合 を考えてみる。これは、同年五月に後 西上皇が後水尾法皇から 古 今 伝 授された折のもので、同じ 時に烏丸資慶・中院通茂・日野弘資も古今伝授を受 け てい る。この時の「御法楽五十首和歌 」 の奉納につい て 「 近代 御会和歌 集 ( 十一 ) 」 ( 内閣文庫 蔵 写真 複 製 ) に は 、 ・寛文四年六 月朔日 水無瀬御法楽詠廿 首和歌 新院御 奉納、題者 飛鳥井大納言 奉行 烏丸大納言。 、 、 、 、 ・寛文四年六月朔日 住吉御法楽詠五十首和歌 新院御 奉納、題者 飛鳥井大納言 奉行 烏丸大納言。 、 、 、 、 ・寛文四年六月朔日 玉津 島 御 法楽五十首 新院御 奉 納、 題者 飛鳥井大納言 奉行 烏丸大納言。 、 、 、 、 のごと く 記されて いて、三社 へ の「御法楽五十首和歌」に おける題者や奉行が知られる。題者は 歌 題の提出者、奉行 は歌 会のま と め 役 と、文字 どおり に 捉 え てよ い だ ろう 。
ところで 、住吉社・玉 津 島 社 両社に奉納 さ れた計百枚の 短冊 は、歌 題 がいずれも同じ書体によって い る。そし て そ の筆は、題者で あ る飛鳥井大納言(飛鳥井雅章)の自筆短冊 との比較におい て 、雅章の 字 体と判断さ れ る。つまり題 者は、あ らかじめ五十首和歌 の 歌 題 を考 え、そ れ を各短冊に記し て おく の で あ る 。各 々の短 冊 におい て 、歌 題 と 和歌 と の 字体が異なって い るのはこのことに よる。題者飛鳥井雅 章はこ の 時に、三 社で 三 組 、 百 二 十 の 歌 題を用 意 し、 そ れを 百二 十枚の 短 冊に書き 留 め たこと に なる。こ れ 等 の 「 御法 楽五 十首和歌」は兼題 (兼 日題)で 詠 ま れ た 。 また、住吉社・玉津島社両 社 に奉納された各「御法楽五 十首 和歌 」は、水引 で 綴じ られ た最終短冊の裏面に、奉納 年月日が明記さ れ ているが 、 こ の年に両社に奉納 されたものには 、 同一の筆 で 「 寛文四 年 六月朔日 住吉社御法楽」 「 寛 文四年六月朔日 玉津 島社御法楽」と書かれ ている。 そし てこれも、奉行 で ある烏丸資慶 の自筆短冊 と の比較におい て 、 資慶の筆によ ったの で はないか と 思 われる。すな わち 、奉行が最終短冊 の裏面に、奉納の次第を記したものと 推 察さ れる。 ちなみに 、 奉 行烏丸大納言 ( 烏 丸資慶 ) の 、 こ の時の兼 題和歌は 、 玉 津島神社に 「 夏月 」「 田家水 」「祝言」 の三 首 、 住吉大社に 「 夜 梅」 「 落 葉 」「 後 朝恋 」 三 首が現存する 。 題 者で ある飛鳥井雅章の和歌も 、 玉津島神社に 「 暁 蛍 」「 梅 」 注0 1 「嶺月」の三 首、住吉大社に「盛花 」 「躑躅」 「名所松」の三首が残って いる。 注02 次に前項 ② 、 天和 三年六月一日 奉納 「 御 法楽五十首和歌」 を見 てみよ う 。 両 社への奉納の様子 は 、 前に引 用 した 「 御 湯殿の上の日記」同年閏五月二十八日条と六月一日条に記される。重複するが引 用 し て おく 。 ・廿八日。はる ゝ 。ちきや う院殿より ふ りまいる 。夕か た 玉津島。住吉御ほうら く御神事。 (閏五 月 条) 、 、、 、 、、、、、、、 ・一日 。 はる ゝ 。 (略 )すみよし 。 玉つしま の御 ほう らくの御よ み あ け つねの御所 上 たんに て 。く御御引 なをし御 、 、、、、、 、、、、、、、、、、、、、 かさねにて あ そは さる ゝ 。 御なて 物 。御たんれうわ う こん 廿両両社へまいる。八日より一七 ケ 日御 きたう仰付ら 、 、、、 、 、、、、、、 、、、、 、 、、、、、、、
れ侯。 御たんさく両社へ ま いら せらる。 勧修大納言。日野 中納言奉行也。 (六 月条) 閏五 月二十八日の記載から、住吉社と玉津島社の御法楽 神事が夕刻より御所で 催され た こと がわ かる。 ま た、六月 一日の記 載によって 、 御所の 上 段の間 で 、「 御法楽五 十首和歌」 短冊の読み上げが行わ れたことを知るので あ る。 読み 上げが終了 す る と 、食事 や 引 出 物な どのも て なしがあり、両社へ〈御な て物 〉 、 〈御 壇料〉 の 〈黄 金廿両〉 を遣 わ す こ と、六月 八日か ら七日間 のご祈祷を仰せ 付 け る こ とも確認さ れ る。 なお 、 六 月一日条に見 られる勧修寺大納言 ( 勧修寺 経 慶 ) は住吉社奉行 で 、 玉津 島社 「 水 郷月」 、 住吉社に 「 新 樹 」 の二首 を この時 に 詠んでいる。また 、同条の日野中 納 言(日野資茂)は玉津 島奉行だが、玉津 島社「 橋 上霜 」と住吉 注03 社「廬橘」の二首 を詠ん で いる。 注0 4 さらに前項③、延享元年六月一日に奉納された「御法楽五 十首和歌」 の 場合で あ る。久我通兄「通兄公記 」 ( 『 史料 纂集 本 ( 七 ) 』 続群書類従完成会 ) の 、 同 年五 月二十七日条 ・五 月二 十九日条・六月五日条に 、 両社への奉納の様子が 見ら れ る 。 ・住吉 社 ・ 玉津嶋社御法楽短 冊 御奉納 云々、勅題 到来、 付札云、 六月一日 題云 、旅 行友 住吉、 奉行民部卿 ( 飛鳥 井 雅 香 ) 、 ・ 初秋露、 玉津 嶋、 奉行宰相中将 ( 庭田重熙 ) 、 則申承之由、 (五 月二 七日 条) ・自今夜公家御神事 、 明日依披講両社御法楽也、 (五 月二九日条 ) ・住吉 ・ 玉津 島両社御法楽御奉納、今日召左大弁宰相 顕道 ( 勧修寺 ) 住吉執奏 、但依所労、 左少弁俊 逸 ( 坊城 ) 為代参上云々、 ・ 侍従 三位 兼雄 ( 吉田 ) 玉津嶋 執 奏、 等 各賜 御法楽 御 短冊、 被納柳筥歟、御檀料・ 御撫 物同 被出云 々 、 来八日可 奉納、且自八日一七 箇 日可勤御祈之由、被仰下云 々、 議奏被 伝之 云 々 、 即両卿召両社神主 先日有御沙汰、自執奏家 召上 也、 於私 第授 御短冊、仰奉納 御 祈等之事云々。 (六 月五日条)
引用の第一例によって 、「 御法楽五十首和歌 」 の 短冊は 歌 題の記さ れた 状態 で 、 前以 て詠み人の許に届 け られた、 つ まり兼題和歌 で あ った ことがわ かる。また第二例からは、 公家方御神事の行 われた こ と 、 御所 で 和 歌短冊を読み上げ る( 披講 )日の こ とな ども 窺える。さ ら に第 三例により、御所 で和歌短 冊が披講さ れ た数日後に、二名 の執 奏を召し て 、 柳筥に納めた各 「 御 法 楽五十首和歌 」 を 、 住 吉社・玉津島社両社に献納する 「 御 檀料 」「 御 撫 物」 と 一 緒に授け た こ と もわ か る 。 両 執奏 は 、 あ ら か じ め沙 汰を して お い た両 社の 神主 を呼ん で 、奉納は六月八日とし、 八日から七日間 の御 祈祷を行う べ き旨を伝えている。この時 の執 奏は、住 吉 社 が左大弁宰相 顕道 (勧修 寺 顕道)で あっ たが、 病 気の ため左少弁俊逸(坊城 俊逸) に 代 わ っている。玉津 島社執奏は侍従 三位 兼雄( 吉 田兼雄) であ った 。 ところで 、玉 津島 神社・住吉大社に現存する、この 時 の 久 我通兄の 和歌短冊は 各 々 一 首 で あるが、 歌題は 次 のとお り前 者「 初秋 露」後 者 「旅 行友 」 で 、 「 通兄 公記 」引 用第一例 の記述 と 一 致 し て いる 。 ・初秋露 秋のきて おつる 一 葉 の はつ風 に これもみたる ゝ 木々 の あ さ露 (玉 津 島 社) ・旅行友 いてゝ こ し そのふ る 郷は かはれと も おなし旅なる 人そしたし き (住 吉 社 ) さ て 、 以 上のごとき 「 近代御 会 和歌 集 」「 御 湯殿の上の日記 」「 通 兄公記」 の記載事項を参考にし て 、「 御 法楽五十首 和歌 」が詠ま れ て 玉津 島社・住吉社両社に奉納さ れるま で の 次 第 を 簡 単 にま とめ てみると、次のようにな ろ う。 ① 住吉社・玉津島社 御法楽の御神事が御所で行わ れ る。 ② 題者が各 歌題を施した短冊を、奉行は選出され た 公家衆の 許に届ける。また、奉行 が 題者を兼ねる場合もあっ たようだ。
③ 両社御法楽の公家方御神事が行 わ れる。 ④ 御所 で両社御法楽の御神事が行 われた四・五日後、和 歌短冊の披講(読み上げ)が 御 所にて 行 わ れ る。 ⑤ 披講 の終了後 、食事・引 き出物な ど がく ださ れる。また 、 両社へ〈御撫物 〉 〈御 壇 料 の黄 金廿両〉 な ど を下すこ と 、 七日 間の 御祈祷を 仰せ付け ること 等 が申 し合わ される 。 奉行は 、 最終 短冊 の裏 面に 、 こ の 日 の 日 付と 神社 名 を記す。 ⑥ 和歌短冊読み上げの何日 か 後 、 両社への 執奏 二名が御 所に 召され 、 柳筥に納められた 各 「 御法楽五十首和歌 」 を 受 け 取る。その際に両社 へ 授けられる〈御なて 物 〉 〈 御壇料〉など も受 け取る。 ⑦ 両 執 奏は 、 両 社の神主を 呼 んで 奉納の日時と 、 奉納の 日 から 七日間のご祈祷の旨を 知ら せる 。 両 社へは 、 あら か じめ 、御法 楽 五十首和歌 の 奉納があ る こ とを知 ら せ て おく 。 ⑧ 奉納の当日、両社に「御法楽五十首和歌 」が奉納される。両社 で は 七日間のご祈祷に入る。 天皇 や上皇が、古 今伝授を 受 け られた後に公家衆 と共に 詠 んだ、い わ ゆ る「御法楽五 十首和歌」は、右のような過 程を経て 、 玉 津島 社と 住 吉 社に奉納 され たので あ る 。 ついで な がら 、 両 社に現存す る同和 歌 短冊を見ると 、 五 十枚の短冊は天皇の御製を上にし て 重ね 、 歌 題の上部に 孔を あけて 水 引で 綴じ 、 懐 紙に包んで 柳 筥 ( 上の写 真参照 ) に 入れて あ る 。 ただ し 、 天皇の 御 製と 一部の公家 の 短冊を 別 々の 懐紙に包んで 、他の 短 冊と 一緒に 柳 筥に 入れて い る も の も ある。 なお 、 右 に引 用しなかった他の 「 御 法楽五十首和歌 」 に関し て の記載事項な どに ついては、 〈 資料Ⅰ 〉 の 「 古今 伝授後 玉津 島社 住吉社 御法楽五十 首 和歌 資料」 柳筥 と 奉 納和 歌 短 冊 ( 玉津 島 神 社 蔵 )
に掲げることとする。 3 御法楽五十首和歌に用いられた短冊 おおよそ、室町時代頃より 和 歌に用い られる短冊は、帝の用いるもの で、 ・縦 約三五.八 セ ンチ(一尺一寸八分)~ 約三六 . 四センチ(一尺二寸)ほど ・横 約五.五センチ(一寸八分)~ 約六.一 セ ン チ(二寸)ほど 諸家の用 いるもので 、 ・縦 約三三 . 三センチ(一尺一寸)ほど ・横 約五.五セ ン チ(一寸八分)ほ ど に定ま っ た と いう。 玉津島社と住吉社に奉納 さ れた短冊も、例に漏れず、ほ ぼ このサイズになって い る。 ただし、前〈1項〉①、寛文 四年六月一日奉納の「御法楽五十首和歌 」短冊だけは、両社共に諸家のサイズで ある。 、 、
・玉津島社 縦三三.七 セ ンチ×横五.二 セ ンチ(同神社調査) ・住 吉 社 縦三三.八 セ ンチ×横五.一 セ ンチ(筆者 実 測) 両社の間にお ける各一 ミ リ の差は、計測 器 や 計測 の仕方 な どによ る 誤差 で、実際には 同 サ イ ズ の短 冊 で あ る と判断 さ れ る( これについ て は後述 ) 。 さ て 、両社に奉納された各「御法楽五十首和歌 」 短冊は 、 各々 同系統の紋様を有して いる。 そ して 、これは 同一年 月日に奉納された両社の短冊に共通し て いるところで もあ る。今試みに、前〈1項〉⑦ 、 天保十 三 年十二月十 三 日に 住吉社へ奉納された短冊を、紋様がつながるように並べて みると、いくつかのグルー プに分かれる。つまりこれは、 注0 5 同じよう にし て 漉 いた用 紙 から、これらの短冊が切り取られて いることを 意 味 し て い る。 しかし 、 興味深 い ことにこのグルー プに 属 さ ないものがあ る 。 例 え ば 、 住 吉 社 の 歌 題 「暁 鶏 」「増 恋 」 の 短 冊 は 、 同 じ日に玉津島社へ奉納された 短 冊 「 岸柳 」 の 、 向 って 右に 「増恋」 、 左 に 「 暁鶏 」 が 位置するよう になる。 つまり 、 次 の よ うに並べ ると 短冊の紋様 が つながるので ある。 ・住吉 社 短冊 歌題 増恋 ・玉津島社短冊 歌題 岸柳 ・住吉社短冊 歌題 暁鶏 同様の 関 係を 探して 、 同じように右から 左へ並べて み ると、
a 玉津 島社短 冊 歌題 待恋 b 住吉社短冊 歌題 久恋 c 住吉社短冊 歌題 埋火 a 住吉社短冊 歌題 初鴈 b 玉津 島社短 冊 歌題 島霧 c 玉津 島社短 冊 歌題 河蛍 a 玉津 島社短 冊 歌題 紅葉 のごとく になる 。 a を 例にする と 、 横並びの三枚は、 住吉社 「 初鴈」 の 右に玉津 島社 「 待 恋 」 、 左 に玉津 島 社 「 紅葉」 を置いて 、 短 冊の紋様が一続き になる。bcのグルー プも 同様で あ る。 このことは、住吉社用と玉 津島社用の 短 冊を 別々に用 意 し たのではなく、両社用と し て 一 括準備し、出来上がった 短 冊 を無 作為 に五十 枚 ずつ分 け た こ とを示唆し て い る 。ま た、両社に奉納 さ れた短冊の サ イズも、このことを裏付け て い る。 その短冊のサイ ズ は、 左に示したが ( 単 位 セ ンチ ) 、 住吉社 の 数 値 は筆 者の実測 であ り、 玉津 島社 の 数 値 は 同 神社の調査に従った。 住吉社・玉 津 島社両 短 冊の 間には、⑥の二ミリを 最大と し て 一 ミリ 程度の誤差がある が、前述のごと く 、これは 計 測器や 計 測の仕方などによる 誤 差と 見るべきで 、 実際には 、同じ時に同じ方法 で 漉かれ 裁 断された短冊 で あ ると判断 して よ い だろ う 。 各御法楽五十首和歌 住 吉 社 玉津島社 ① 寛文四年六月一日奉納 縦三三.八×横五.一 縦三三.七×横五.二 ② 天和 三年六月一日 奉納 縦三六.四×横五.九 縦三六.三×横五.八 ③ 延享 元年 六 月 一日奉納 縦三六.七×横六. 一 縦三六.八×横六.〇 ④ 宝暦十 年 三月 廿四 日奉納 縦三六.七×横六.二 縦三六.八×横六.二
⑤ 明和四年 三月 十四 日奉納 縦三六. 四×横五.九 縦三六.五×横五.八 ⑥ 寛政九年 十一 月 廿六 日奉納 縦三六.五×横五.五 縦三 六.三×横五.五 ⑦ 天保 十三 年 十二 月 十三 日奉納 縦三六.三×横五.五 縦三六.三×横五.五 なお、私的に奉納さ れた諸家の和歌短冊、例 え ば住吉大社に残る、 ・正徳二年正月吉日 津守 国教奉納五 十 首和歌 ・年月不記 中院 通躬奉納二十首和歌 ・年月不記 中院 通躬奉納三十首和歌 ・年月不記 冷泉為村ほか奉納 堂上寄合二十首和歌 など も、 各々 同様の漉き 方 を し た用 紙を使って い る。こ の ように、五 十 首和歌・三 十 首 和 歌・ 二 十 首和歌など 、 まと まっ た和歌短冊を奉 納する際には、 そ のために用 紙 を漉き 、 そこ から 切り取っ た同じ紋 様の 短冊を用いたので ある。 これ で 、 両社に奉納さ れた和歌短 冊 が、 どのようにし て調 達されたのか、 部 分的ではあるものの知ることが できた 。 二、 玉津島社に奉納 さ れた御法楽五十首和歌の異 種短冊 1 冷泉為村 と為泰父子の短冊
前 〈 一節3項〉 で 検討した と お り 、 玉津 島社・住吉社両社に奉納さ れた各 「 御 法楽五十首和歌 」 の 短 冊は 、 各 々同じ時に漉かれ た同一紋様のものを用いるの だが、 実 際には 、 他と紋様の明らかに異なった短冊が含まれている 。 そ れは 、 玉 津 島社に奉納 さ れた、 〈 一 節 1項 〉 ④ 、 宝 暦十年三 月二十四日御法楽中の冷 泉為村短冊 で あり 、 同 じく ⑤ 、 明和四年三月十四日御法楽 中の為村・為泰父子 短冊で あ る。 先ず 、 玉 津島社・ 住吉社両社に奉納された、 前者宝 暦 十年の 「 御法楽五十首 和歌」 短冊中にある冷泉為村の短冊を見 て みよう 。 この御法楽 で 冷 泉 家から短 冊を奉納し て いるのは、 為 村 ( 一五代当主 ・ 四九歳 ) と 為 泰 ( 一六代当主 ・ 二 六歳) の 父子だけで あ る 。 為村は 、 玉津島社に 「 故郷柳 」「 惜 月」 を 、 住吉社 に「 残 菊 匂 」「 述 懐 」 の 計 四 首 を 詠 み 、 為 泰 は 、 玉 津 島 社 に「 別 恋 」 を 、 住 吉 社に「寄露恋」の計二首を詠んで い る。 宝暦十年の奉 納では 、 内曇金銀泥下絵の短冊 ( 写 真Ⅰ・Ⅱ 、 為 村短冊 〈 Ⅰの 右1 とⅡの左2 〉 を除く ) が共通し て用いられているが 、 玉津島社に奉納さ れ た為村の短冊二枚 ( 「 故郷柳 」「 惜 月 」 ) だ けは 、 内 曇金銀泥下絵に霞 を施した、、、、、 短冊、すな わ ち異種 短 冊に書かれている。 写 真Ⅰの向って 右から一枚目と写 注0 6 真Ⅱの左二枚目が為 村 のもので ある 。 こ の 短 冊が 他の 短冊と 一 緒に 、 予 め配付 され たもので ないこと は 、 為 村 短冊の 歌 題を 見ればわ かる 。 冷泉家 が ハ レ の 場 、 、 で用いる独特な書法 、 冷泉流書体を避けて 、 他の歌 題 の筆に似せ て 書かれてい 写真Ⅱ:宝暦十年 為村「惜月」短冊 写真Ⅰ:宝暦十年 為村「故郷柳」短冊
るものの、 写 真Ⅱ「惜月 」 の 書 体は他 と 明らかに違う。こ れら 「御法楽五 十 首和歌」の奉納短冊は、 歌 題が題者の筆 によ り 統 一し て書か れ 、予め詠 者に 渡さ れる こ と 、前〈一節 2 項〉 にも 述 べ た と おり で あ る 。 なお、玉津島社に奉納された和歌短冊五十枚の最終短冊 「祝 言」の裏面に、為村の作 り 上げた独特な筆法、冷泉流 書体で 「 御奉納 宝暦十 年 三月 廿四日 玉津島 社 御法楽」と 記 されて い ること か ら、 また、子の為泰よりも歌数が多 いこと か ら 、 宝 暦 十年の玉 津島 社 奉 行は 父冷泉 為 村で あっ たこと が 推 察 される。 、 、 、、、、 続い て 後 者 、 明和四年に奉納された 「 御 法楽五十首和歌 」 の場合で ある 。 冷泉家からは 、 為村 ( 五 六歳 ) と 為泰 ( 三 三歳 )そし て 為章(一七 代 当主 ・一 六歳 )の三代が 、 次 の 歌 題 のも とに詠ん でいる 。 ・父為村 玉津 島社 … 「 a 尋 残花」 「 b 山 館竹」 「 c 織 女別」 「 d 雪」 「 e 逢 夢 恋 」 住 吉 社 … 「 雨 夜 虫 」 「 春 名 月 」 「 鷹 狩 」 「 寄 門 恋 」 「 浦 船 」 … … 計十首 ・子為泰 玉津 島社 …「f 関 春月 」 「 g夜虫」 住 吉 社 …「花 埋 路」 「寄雲恋」 … … 計四首 ・孫為章 玉津 島社 …「早苗」 住 吉 社 …「水辺 蛍」 …… 計二首 特に、為村短冊の両社 で合 計十枚という数は、他の歌人の 短冊数に比べて 極 め て 多い。さて、明和四年の奉納には 内曇に霞を施した短冊が用いられて いるが、中に七枚の異 種短冊が含まれる。それが為 村 ・為泰父子の和歌短冊 で あ 注07 る。写 真 Ⅲ・Ⅳ・Ⅴを見れば 一 目瞭然で あるが、Ⅲは右 か ら二枚目が為村、三枚目が為泰の短冊。Ⅳは左一枚目二枚 目が 為村短冊。Ⅴは左一枚目が為村短冊で あ る。
異種短冊七首の内訳は、右の歌題に施した記 号で 示すと 次 のごと く 三 種 類になる。 ・本来の短冊と よ く似 て い るもの(内曇に霞)………… ………beg 三枚 (e と g の 写 真は割愛) ・ 本 来の短冊と比較的似 て いるもの(霞)………acf 三枚 ・本来の短冊 とは全く似 て いないもの(霞 に 下絵と箔散らし ) …… d 一枚 写 真 Ⅳの右一枚目「早苗」 は孫為章の短冊だが、これは 予 め配付 さ れた、内曇に霞を 施 し た短冊を用いて い る。当 時の 堂上 歌壇に お いて 、玉 津島 社と 住吉 社の両 社 に 計 十首 を詠 む よ うな影 響 力を有し て い た為村に とっ ても、さ すが に 十 六 歳 の 為 章に異種短冊で 詠 んだも の を 提 出 さ せるのは、 孫 の 将 来を 考え ると 憚られ た のだろ う 。 写真Ⅲ:明和四年 為村と為泰の短冊 写真Ⅳ:明和四年 為村と為章の短冊 写真Ⅴ:明和四年 為村の短冊 a b c d f
で は 、なぜこの よ うなこと が起こっ たのか。書き 損じたの だろ うか。で も、宝 暦 十年奉納の二 首中全て に、明 和 四 年奉納の父子五首中全 てにお い て、それも、玉津島社奉納 分にだけ書き損じが生じた と い うのは不自然だ。また、も し単 なる書き 損じならば 、 刃 物 などで 削 って 訂正すれば 済 むことだろ う 。住吉大社や 月照寺(明石柿本社別当)での 奉納和歌調査におい て 、丁寧に削って 訂 正し て あ る和歌懐 紙などを目にすること もあったが、実際にそのようなこと 注0 8 が行わ れ て い たことは明 白 だ。 さらに、 短冊を紛 失したと するのも不自然で ある。為村と 為泰が同時に 失うこと も、同一人物 が宝 暦十年と 明 和 四 年の二度にわ たって 失 うと い う こと も考え に くい。 この奉納和歌短冊のす り替えということに関し て は、残 念 ながら、その理由を明らかにすることはできない。それ なりの訳 があったので あ ろ うが、今は、和歌の指南家当主 と し て 和 歌界に影響力を 保持し続けてき た (後述〈四章二 注0 9 節~五 節 〉 参 照 ) 、 冷 泉為村で あるがゆえ に 、 こ の よ うなこと ができ た と い う 推 測と 、 短 冊すり替え の 事実があっ た と いうことを述べるに止ど め て お きたい。 2 飛鳥 井 雅 章 と 中院 通 茂 の短 冊 続い て 、 飛鳥井雅章 と 中院通茂の異種短冊を見 てみよう 。〈 一節1項 〉 ① の、 寛文四年六月一日に玉津島社へ奉納さ れた「御法楽五十首和歌 」 を 見 ると、実は、この中にも異種短冊が含ま れ て いる。 寛文四年の「御法楽五十首和歌 」は、同年五月に後西 上 皇 と日野弘資・烏丸資慶・中 院通茂が、後水尾法皇から古 今伝 授を受 け られた後の御法楽 で あ る 。 この 時の奉納和歌に関し て は 、 前述 〈 一 節2項 〉 のと おり、 「 近代 御会和歌 集 」
に次のように記さ れ て いた。 ・寛文四年六月朔日 水無瀬御法楽詠廿 首和歌 新院御 奉納 、 題 者 飛鳥井大納言 奉行 烏丸大納言。 ・寛文四年六月朔日 住吉御法楽詠五十首和歌 新院御 奉納、題者 飛鳥井大納言 奉行 烏丸大納言。 ・寛文四年六月朔日 玉津 島 御 法楽五十首 新院御 奉 納、 題者 飛鳥井大納 言 奉行 烏丸大納言。 右の記載によって 、住吉社と玉津島社だけで な く水無瀬社にも 二十首が奉納 されたこと、各社と も に題者は飛鳥井 大納言(飛鳥井雅章)で奉行は烏丸大納言( 烏丸資慶)で あった こ となどが窺える。 さ て 、前〈一節2項〉に、題者は予め五十枚の短冊に歌題 を書 き付けておく 旨を記した 。 そ れ は、玉津 島社・住吉 社両社に現存 する寛文四年奉納の短冊計百枚の 歌 題 が 、同 じ筆で 書 かれて い ることによって も わ か る。この筆跡は、 題者飛鳥井雅章の自筆短冊 ( 両 社計六枚 ) に書かれた和歌の筆跡 と 、 計 百首各歌 題の筆跡 との比較におい て 、 同 じ筆 、 つまり雅章の書いたものと 判 断 される。ち な みに、今 回の 寛文四年奉納では、寸法縦三三 ・八 センチ × 横五・一 セン チ、鳥の子紙、上下金界の短冊を用いて いる。 ところ が 、玉 津島社の 方に 奉納 された五 十首の中には六 枚 の異種短冊が混入して いる ので ある。この六枚自体は 同 種の紋様で あ るが、右に記した本来の短冊と比べて 違 うところは、