『聖ブランダンの航海』における中途半端な天使
著者
伊藤 了子
雑誌名
年報・フランス研究
号
16
ページ
1-18
発行年
1982-12-25
URL
http://hdl.handle.net/10236/9112
『聖 ブランダンの航海』における
中途半端 な天使
「 聖 ブランダンの航海」 は地上 の天国 を求 め る航海物語 であ る。聖 ブランダ ンは生 きてい る間に「聖人に約束 された地」 あるいは「地上 の天国」 を見 たい と思い,弟
子17人 と共 に航海 に出 る。 そ して7年
目に 目的 を達 し帰還す る。 こ の物語 は アイル ラン ドのimrama「
航海物語」,キ
リス ト教的 vision「 見神」 文学,
そ してギ リシア 。ラテ ンの Odyss6e「 航海奇談」,そ
の他 さま ざまの要 素 を合わせ持 つ 興味深 い作品であ る。 中世 ヨー ロ ッパの 至 る所 で この物語が 読 まれ た ことは,
その写本 の数 と分布 によって 明 らか であ る。 ラテ ン語散文Navigatio Sancti Brendani Abbatisの 写 本 は 現在 発見 され てい るだ けで も
10世
紀 の ものか ら17世
紀 の もの までその数 は120に達 す る。 そ して 同 じ中世 に この Navigatio Sancti Brendani Abbatisは , フランス語,
ドイツ語, ア イル ラン ド語等 さま ざまな土地 の言葉 に翻訳 され た。 さて,地
上 の天国 を求 めて航海 に出た ブランダンとその一 行は,海
上 で さま ざまな試練 に出会 う。 目的地 にた ど り着 くまでの7年
間,毎
年 同 じ場所 で,彼
らはPaque「
復活祭」 とNoё l「ク リスマス」 とを祝 う。毎年 同 じ場所 で とい って も,航
海 は全 て風 と波 つ ま り自然 にまかせ られ る,そ
して ここでは 自然 は 神 の意志 であ るか ら,全
ては神 の意志 によ る ものであ る。 ブランダンた ちは鯨 の背 の上 でPaqueを
祝 った後す ぐ「 小鳥 た ちの島」 に行 き,Pentec6te「
聖霊 降臨節」 の 8日 目まで約2ケ月 をそ こで過 すのであ る。 ブランダンー行 は7年
の航海 の間に 海上 および島 々で さま ざまの 善 と悪 の見本 を見せ られ る。 そ し子
了
藤
伊
2
『聖ブランダンの航海』における中途半端な天使て彼 らが 出会 う者 た ちがすべ て 善 であるか 悪 であるか は っ きりしてい る(1)の に
,
この島の小鳥 た ちだけは それが明確 でない。 善 なのか悪 なのか は っ きりしないのである。 この小鳥 た ちは
,
実 はサ タンが 天か ら追放 され た とき一緒 に墜落 した 天使 であ る。 カ トリックの 伝統 では,
天使 は二 つに分 け られ る。Les bons anges「良い天使」 と les mauvais anges「 悪 い天使」 であ り
,後
者は les anges de t6nё bres「悪魔」 あ るいは les anges d6chus「 墜天使
,悪
魔」と も呼 ばれ る。 この悪 い天使 とい うのはヘ ブライ語 で「 敵」 を意味す るSatan 「 サ タン」 お よびサ タンと同 じ罪 を犯 した天使 た ちの ことであ ってles d6mons 「 悪魔」 とも呼 ばれ る。 サ タンと天使 た ちの墜落の 理 由は「 うぬぼれの罪」 で あ る と一般 に考 え られ てい る。彼 らは大胆 に も自分 た ちは 自分 た ちの創造主 と 同 じ位偉大 であ ると思 った
,あ
るいは神 よ りも自分 を愛 したのである。 そ して 彼 らは神 に反抗 した。 良い天使 は 自分 よ りも神 を愛 し,神
の敵 と戦 った。 サ タ ンは戦いに敗れ,彼
に加担 した者 た ちと共 に 1'enfer,1'abime「 地獄」 に落 ち た。 ブランダン物語の中で もこのサ タンと悪魔 た ちは地獄の住人 として登場す る。 それ では一体 この もと天使 であ って,サ
タンと共 に落 ちた小鳥 たちはなぜ 地獄 に送 られずに, この島にい るのであろ うか。 この島は どうい うところなの か,な
ぜ小鳥 た ちは天か ら追放 され たのか,そ
して彼 らの罪 は何 なのか。 これ らの疑間 を, ブランダン物語の中のい くつかの versions(こ こでは特 に ラテ ン 語, ア ング ロ 。ノル マ ン語,古
フランス語の versionsを取 りあげ ることにす る。)を 比較検討 しなが ら明 らかに してい きたい。 これが本論文の 目的である。 なお これ らのversionsは大 きく次 の二つの グル ー プに分 けることが で きる。 I)Navigatio Sancti Brendani Abbatis(ラ テ ン語散文)お よびそれ らの忠実 な翻 訳 であ ると考 え られ る古 フランス語散文 と
,古
フランス語韻文,II)Voyage
de Saint Brendan(ア ング ロ・ ノルマ ン語韻文)そ
して このVOyage de SaintBrendanの
翻訳 であ るラテ ン語韻文。便宜上 IをNa宙 gatio系
,Ⅱ をVoyage
系 と呼 ぶ ことにす る。 テキス トにはNavigatio系
としてCarl Selmer版
の ラ語散文 ③
De saint Brandainne le moineと
lBI De monseigneur saintBrandanお
よび Jubinal版の古 フランス語韻文De Saint Brandansを
使用 し,Voyage系
として,Waters版
お よびShort版
の ア ング ロ 。ノル マ ン語韻 文 Voyage de Saint Brendan,とMartin版
の ラテ ン語韻文 を使用す る②。島の様 子
島の描写 とい って も,あ るのはただ泉 と木 だ けであ る。 その木の描写が ver_
sionsに よってか な り違 っていて面 白い。
Navigatio系
は どれ も簡単 に取 り扱 ってい るQた
とえば,Navigatio Sancti Brendani Abbatisで
はErat autem super illum fontern arbor 夕γzグγθ′αιづノz`ダづπづs in girurrl, ,2ο% 夕,oグタZπS
α′′づι%αづ%づs, cooperta auibus candidissilniso ln tantum cooperuerunt illam ut
folia et rami eius uix uiderentur。 (Nα υグgαιグθ3): caput ll-16∼18)
(その泉の上には木があった。周囲に見事に枝を張 り
,高
さも広が りに劣らなぃ。そ して白い小鳥に被われている。余 りにもその数が多いので枝も葉も殆んど見えない く らいである。) 一体 この木の高 さや広が りは何か を意味す るのであろ うか。 す るか もしれ ない が,な
に よ りもブランダンが不思議 に思 うのは,つ
ま り常 で ない様相 を呈 して い るのは木 自体 ではな く,そ
の木 に とまってい る白い小鳥の多 さであ る。 とこ ろが この木に見事 に意味 を 持 たせ た と 思われ るversionが
あ る。 それ はアン グ ロ・ ノル マ ン語 のVoyage de Saint Brendanの
次 の一節 で あ る。Al chef del duit out une arbre ltant b′απεんι cunl marbre,
E les fuiles inult sunt ledes,
De γ%gθ e bノ απε taceledes.
De haltece par vedue Muntout l'arbre sur la nue; Des le sum6t desque en terre La brancheie mult la serre
び″ηbγαJθノノlιグ協θノοJι J'θ sεノαJγ,
Tute asise de b′α32εs oiseus
Unches nuls hom se vit tant beuse(フ θノαgθ V・V0491∼502)
(その木は大理石のように白く
,葉
は広 く赤と自の斑い りである。その木は雲の中に 抜けるほど高 く,槍
か ら下まで ぎっしり枝が茂 り,空
中に広 く伸びている,そして遠 く陰を投げかけ,光
を遮っている。枝にはぎっしり白い小鳥たちがとまり,こ れほど 美しい木を人は今まで見たことがない。) 木 の高 さ,色 ,様
態,美
しさ,全
て超 自然的 であ る。 ブランダンが不思議 に思 うのは この木 と小鳥 た ちの美 しさのためであ る。 ところが この木はただ美 しい だ けではない。 この木の描写 にはポジテ ィフな意味 を持 つ要素 とネガテ ィフな もの とが混在 してい るのであ る。 まず色 に関 して,自
は一般 に潔 白,無
垢,純
潔 を表 わす。 では赤 は ど うか。 赤 は死 を意味す ることが あ る%
木 の白 さ,小
鳥 の白 さ,木
の葉 の白い斑 は潔 白を,本
の葉 の赤 は死 を表 わす とい うことにな る。 そ して この木の葉 は白 と赤 とを同時に持 つので,本
の葉 によって潔 白 と死 とが共存 してい ることが表 わ され ると考 え られ る。 どうして死か,
ど うして潔 白か は後 の「 墜落一罪 と罰」 の章 で再 び触れ るつ もりであ る。 ここでは,
この 死が この本 の表 わ してい る もう一 つのネガテ ィフな性格 と重要 な関係が あ るこ とを指摘 してお きたい。 そのネガテ ィフな性格 とは,「
この木が周 囲に陰 を投 げか け,光
を避:ってい る」 とい うことであ る。 この陰 は安 らぎを与 えるための 陰 ではない。光 とい うのは神 の光 の ことであ る。 神が光 にた とえ られ る ことは よ くあ る。 つ ま りこの木 は神の光 を遮 ってい る。 そ して この木 自体 は「 白い」 ので あ るか ら,
この木が神の光 を遮 ってい るのは悪 の しわ ざに よるのではな く, 神 自身 の意志 によってである。 そ して小鳥 た ちには神の光が届か ない。 これ は 小鳥 た ちに とって死 に も値 す ることなのであ る。反面,
このポジテ ィフな要素 で あ る高 さ,美
しさは神の恩恵 を表 わす と考 え られ る。 そ して この恩恵の ため に ここはOiseus li ParaTs(7り
αgθV.546)「
小鳥 た ちの天国」 と呼 ばれ る。 しか しここには本当の地上 の天国,つ
ま り7年
目に ブラ ンダ ンた ちが見 る 天 国には絶対 ない もの,天
国にはあ ってはな らない ものが存在 してい る。 それは あの「 陰」 である。 したが って ここは本当の「地上 の天国」 とは性質が違 っ てい る。
ラテ ン語 の韻文 はアング ロ・ ノルマン語 の
Voyage de Saint Brendanを
手本 に した といわれ てい るが
,
この本の問題 はそ こで どう取 り扱 われてい るか み てみ よ う。Arbor marmor Pariunl superans θα%αOγθ
Parte ripe cernitur in secretiore, Lata densans folia: bづ %ο sθ%ノタノαj″ογθ
ニグノづογ%夕π gノογづα
γοsθ ε
%%
γ%bογθ. Stipes stupor nubibus arboris elateeRamos ex se sperserat sPaCiantes late Longos et innumeros PlenOS novitate,
Avibus nitentibus ,oグυグs εJαγづ′α′θ
. (ラ
テ ン語韻文,スタンザス90,91)(Paresの大理石 よ り白い木が岸か ら遠 くに きわ立 っていた。茂 った広い葉は百合の 栄光 とバ ラの赤 をあわせ持つ二重 の花が彫 られてい る。驚 くほ ど高いその幹 は雲 まで
届 く。幅広 く枝 を伸 ば し,その枝は長 く
,無
数で比類 ない もの。 そ して雪 の よ うに輝く小鳥 た ちでい っばいで あ った。)
これ は非常 に装飾的
,詩
的 な文章 で ある。 ここでは美 を強調す る表現が多 く使わ れ てい る上 に
,ア
ング ロ 0ノ ルマ ン語のVoyage de Saint Brendanの
あ の「 陰 をお とし,光
を遮 る」 とい う文章がみ られ ない。 したが って,
このバ ラトの赤が ここで死 を表 わす とは考 え難 い。 ここではただ美 しさだ けが描かれてい
るので あ る。その美 しさのため この
versionも
この島 を ParadiSus noster「 小鳥 た ちの天 国」 と呼んでい る。
以上が島にあ る木 の様子であ る。 もう一 つ この島が どん な ところか を表 わす
.ことばが ある。 それ は
,
この島には苦 しみ とい うものが ない とい うことである。これ は全 ての
versionsに
共通 であ る。結局 この島はNavigatio系
,Voyage
系 の全 ての versionsに おいて地獄 で もな く,天
国で もない,
地上 の島なので あ る。小鳥 た ちの素姓
ブランダンは小鳥 た ちが何者 なのか知 りたい と思 う。彼の願 いが神によって か なえ られ る。 小鳥の一羽が降 りて きて人間の ことばで 説 明す る。Navigatio
系 では
,そ
の小鳥 は Nos sumus de illa magna ruina antiqui hostis(Nαυタ ″″ο:Caput ll,35)と
言 う。 つ ま り,antiqui hostisと はサ タンの ことであるか ら
,サ
タンが墜落 したとき一緒 に落 ちた者であるとい うことである。 それに対 し
Voyage系
はAngele sumus,E enz en ciel jadis fumus;E chimes
de halt si base… (7りα″ v.V・
521-523)(我
々は天使 であ る。 かつては天 にいたが落 ちた)と い う。先 に挙 げたNavigatio系
では,小
鳥 た ちは 自分 た ち が天使 であ るとは言わない。Navigatio Sancti Brendani Abbatisは 常 に言葉 使 いに関 してl真重 で あ る。 しか した とえ天使 とよばな くて も,「
サ タンと共 に 落 ちた」 とい うだ けで,か
つて彼 らが天にいた者であることは明 らかである。 したが ってNavigatio系
で もVoyage系
で もこの小鳥 た ちはかつて天使 であ った とい うことにな る。 なぜ彼 らは墜落 しなけれ ばな らなか ったのであろ うか。 墜落―罪 と罰 彼 らの墜落の理 由は罪 であ る。 この罪 は二重構造 にな っていて二 つの罪が あ る。一 つ は小鳥 た ち自身 の罪,
もう一 つは小鳥 た ちの罪 の原因 とな った罪 であ る。 その発生年代順 に,
後者か ら各versionの
中で ど う表 わ され てい るか を み てみ よ う。Navigatio系
では,“Nos sumus de illa magna antiqui hostis,sed non夕 ιεθα%αοづ% ιογ%ηz cOnSensu fuimus。"(Nαυなαガο:Caput ll-36,37)
とい う文の中で「彼 ら(敵であるサタンとその仲間
)の
罪」 としか表わ されて いない。強いて この表現の中に 罪 とは 何かを 読み とろうとす るならantiqui hostis「神の敵」であることが罪である。 ただ し, Navigatio系
の versions の うち Navigatio Sancti Brendani Abbatisの 写 本Aと
K③ お よび古 フ ラ ン ス語 散 文 lBlで は少 し先 で彼 らの ことを superbi,orgueilliex「 うぬ ぼれ た者たち」 と呼んでいる。つま り していることになる。
この「 うぬぼれの罪」は,
danで
は,次
のよ うに もっとこれ らの verslons
では「 うぬばれの罪」を明示
ア ング ロ・ ノル マ ン語 の Voyage de Saint Bren‐ は っ き り示 され て い る。
E challnes de halt si bas
Odノ'ογg%づJJ%s e od le las
Par s%夕θγbθ qui revelat,
Vers sun Seignur mal s'eslevat. Cil fut sur nus inis a]meistre,
De vertuz E)eu nus doust paistre;
Pur oc que fut de grant saveir, Sil nus estout a meistre aveir.
Cil fud inult fels par s%夕 θγbθ,
En desdein prist la Deu verbe.(7ο夕αgθ V・V・ 523∼532)
(うぬぼれによって主に反抗 し
,立
ち向った傲慢で不幸な者 と一緒に,我
々は高い と ころか ら落 ちた。その者は我々の師 とな り,そ
して神の徳によって我々を導 く筈であ った。彼は博識であったので,我
々は彼を師 としなければな らなか った。彼は うぬぼ れによ り神を裏切 った。神の御言葉を軽蔑 した。) 「 彼」を して神 を裏切 らせ たのはsuperbe「うぬ ばれ」であ った とい うのである。 これ は,ラ
テ ン語韻文 では ど うな ってい るだろ うか。Sumus cum Lucifero lucidi creati,
Cetus quidam subditus ejus majestati.(ラ テン語韻文,ス タンザス95) (我々は Luciferと 共に輝 しく創造 された。一頭の怪物が Luciferの 威厳にとって
代 った。)
文 字 通 りで は何 の ことか よ くわか らない。Luciferと い う名 は
,
もと もと金 星 に あて られ た名前 で,この星 は 1'6tOile du matin「 暁 の星」,1'6toile de berger 「 羊 飼 いの星」,porte lumiёre「 明星」 と も呼 ばれ る。 そ うす る と LuciferとCorninent es‐tu tomb6 du ciel,
ι′οづノθα
%%α
′れ,ルJS αθ J'α %γογθAs¨tu 6t6 jet6 a terre,
vainqueur des nationsP
Toi qui avais dit dans ton coeur:
“J'eSCaladerai les cieux,
au‐dessus des 6toiles de Dieu j'61ё verai mon tr6ne, je si6gerai sur la rrlontagne de l'Assemb16e,
aux conins du septenturion. Je mOnterai au sommet des nuages,
je m'6galerai au Trёs一Haut."
Mais tu as 6t6 pr6cipit6 au sh6ol,
dans les profondeurs de l'abime。 (ISAIE 14-12∼15) 13
14
で は怪 物 とは何 か。 怪 物 と墜 天使 の話 が結 びつ くの は次 に挙 げ る ヨハ ネの黙 示 録12-3,4お よび 12-7∼
12に
お い て で あ る。Puis un second signe apparut au ciel: un 6norme E)ragon rouge feu, a sept tetes et dix cornes, chaque tete surmontle d'un diademe. sa queue balaie
le tiers des 6toiles du ciel et les pr6cipite sur la terre。
(L'APPCALYPSE
12-3,4)
Alors il y eut une bataille dans le ciel: Michel et ses anges combattirent
le Dragon. Et le Dragon riposta, avec ses Anges, mais ils eurent le dessous et furent chass6s du ciele On le jeta donc, 1'6norme E)ragon, 1'antique Ser‐ pent,le]Diable ou le Satan, comlne on l'appelle,la s6duction du monde entier,
on le jeta sur la terre et ses Anges furent jet6s avec lui(L'APOCALYPSE
12-7∼12) ユ ダヤ教 の伝統 では
,蛇
あ るいは竜 は悪 の力,つ
ま り神 および神 につか える人 間 に敵対す る力 を象徴 していた。 したが って この問題 の二行 は「Luciferは
善 と して神 によって 創造 され たが,
彼 に悪 が芽生 えた。」 とい うことを表 わす。 そ して次 に来 るス タンザス96の
Tumido servivimus「 我 々は うぬぼれ た者 に 仕 えた」 とい う文 に よって,
この悪が「 うぬばれ」 であることがわか る。以上のように
,ア
ングロ・ ノルマン語のVoyage de Saint Brendan
とラ テン語韻文は,結
局意味す るところは同 じであるのに,そ
の表現法はこんなに も違 っている。前者は理解 しやすい説明文であるのに対 し,後
者は短か く,聖
書 を暗示す る象徴的,詩
的文章である。次に小鳥たちの罪 とは何かを考えてみよ う。 まず
Voyage系
か ら始 める。Puis que out 9o fait, lui servimes,
E cum an9eis obedilnes; Pur 9o sumes deserit6t
De cel regne de verit6t,(7ο ノαgθ,V・V0533∼536)
(サタ ンが 罪 を 犯 し た 後 も我 々 は 彼 に 仕 え
,以
前 の よ うに 従 った 。 そ の た め に 我 々 は 真実の王国か ら遠 ざけられた。)Ei dum paruilnus post ausum peccati,
Cum ruente ruimus:(ラ テン語韻文,スタンザス95)
(Luciferが大胆に罪を犯 した後 も我々は彼に仕 えたので落 ちる者 (=Lucifer)と 共 に落 ちた。)
この よ うに
Voyage系
は具 体 的 に その罪 を明示 して い る。つ ま リサ タ ンが 罪 を犯 した後 も以前 同様 にサ タンに従 った とい うことで あ る。それ に対 し Navigatio tt versionsの 殆 ん どは
Voyage系
の よ うな は っ き りした理 由 を挙 げて い ない。 た とえば Navigatio Sancti Brendani Abbatisで は,
sed πο% peccando in eorum θο%sθ%s% ノ%うπ%So Sed %bづ fuilnus creati, per
lapsum illius cum suis satellitibus contigit et nostra ruina. (Nα υづgα′グο:
Caput ll-36,37)
(しか し我 々は彼 らの罪 に同調 しなか った。が
,我
々が創造 され た とき,サ
タンが仲間 と共 に墜落 した ことによ って我 々 も落 ちた。)
ここでは,「同調 しなかった」 とい うのは サタンの仲間にな らなかった
,
サ タンと同じ罪を犯 さなかった とい う意味に取 ることがで きる。10
『聖ブランダンの航海』における中途半端な天使古 フランス語韻文 と古 フランス語散文 lBlも これ と同 じであ る。 つ ま り小鳥 た ちは「 サ タンの罪に同調 しなか った」 のにサ タンと共 に落 ちた ことで一致 して
いる。
ところが同じ Na宙 gatio系 の versionsで も
,
古フランス語散文
0
と
Navigatio Sancti Brendani Abbatisの写本
Aで
はこの箇所に次のような
相違がある。
namque η3οχ%ιsづη3%′ creati sumus peccando illius ο夕η%づ%ο πο,o θOπιγαグづχづ夕,多πs
(Nαυなαιづο:写本 A)
(実は
,我
々が 創造 された ときす(゛に,我
々はサ タンの罪 に 完全には 反対 しなか った。サ タンが仲間 と墜落 したために我 々は墜落 した。)
Lttais πο%s%θ 夕ιελα%レθs ,%づιαづ%s πο%sづεοπsθπιグ%レθs O et′αο%nous fumes crie
αθ Jα Par le caiement dou prernier anenli auoecques tous ses sergans vint no
dechaiemens (古
フランス語散文0)
(しかし我々は全 く罪を犯していない。ただ罪に同調しただけである。そして我々が 創造されたところか らサタンが仲間全員と共に墜落したため,我
々は落ちた。) この古 フランス語散文lAlの中のconsentimes「
同調 した」 は具体的には どう い う意味 なのか。 そのす く゛前 で「 我 々は罪 を犯 していない」 と言 ってい るので あ るか ら,小
鳥 た ち自身 は「 うぬ ばれの罪」 は犯 していない ことは確かであ る。 そ うす ると,
この「 同調 した」 はVoyage系
の よ うに 「 サ タンが罪 を犯 した 後 も以前 同様 にサ タンに仕 えた」,
あ るいはサ タンが罪 を犯 した後 もサ タン と 仲 良 くしていた,あ
るいは うま く調子 を合わせていた とい う意味 に しか解釈 で きないよ うに思われ る。 以上要約す ると次 の よ うにな る。 神の敵 サ タンとその仲間がい る。versions に よっては彼 らの「 うぬばれの罪」が 明記 されてい る。 そ して小鳥 たちは「 神 の敵」 ではない。 彼 ら自身 は うぬばれ は しなか った。 つ ま り小鳥 た ちは神の敵 とは全 く違 う別 の集 団である。 そ して神の敵 は落 ちるべ くして落 ちた。 小鳥 た ちが墜落 したのは,1)サ
タンが罪 を犯 した後 も,それ以前 と同様彼 に仕 えたか ら(Voyage系
のversions),2)サ
タンの罪 には同調 しなか ったが,サ
タンが 墜 落 したか ら (Navigatio系 の殆 ん ど全 てのversions), 3)サ
タンの罪に完『聖ブランダンの航海』における中途半端な天使
11
全 には反対 しなか ったか ら (Navigatio Sancti Brendani Abbatisの 写本A),4)サ
タン (の罪)に
同調 したか ら (古フランス語散文0)で
あ る。2)以 外 は少 な くと も墜落の理 由が あ る程度 は っき りしてい る。一体2)には理 由はない の であろ うか。理 由がないのに落 とされ たのであろ うか。 サ タンが墜落す ると き生 まれ たので偶然一緒 に落 ちたのであろ うか。全 くの事故 であ るのか。 しか し
,「
神 の敵 の墜落」 とだ け言 って多 くを語 らないで全 て をわか らせて しま うNavigatio Sancti Brendani Abbatisが
,「 サ タンの罪 に同調 しなか ったがサタンの墜落 によって我 々は落 ちた」 と言 うとき
,我
々は「 理 由がないのに落 ち た」 と文字通 りに取 ることはで きない。 そ こには語 らな くて もわか る,読
者の よ く知 ってい る思想的事実が あったのではないか と思われ る。 これ は仮定 にす ぎないのであ るが,
これ を解 く鍵 にな るのが上 の3)サ
タンの罪に完全 に反対 しなか った,で
あ る。 つ ま り,「 同調 しない」 だ けでは不十分 で,「神 の敵」 に は完全 に,積
極 的に反対 し,神
のために戦 わなけれ ばな らなか ったのではない か。「 敵 に も加担せず,完
全 に反対 もせず」 とい うのが この者 た ちの取 った態 度 であ った。神 は この よ うな中途半端 な態度 を妹 われ ると次 にあげる聖書 の箇 所 は言 ってい る。Je COnnais ta conduite:tu n'es ni froid ni chaud― que n'es―tu l'un ou l'autre
ainsi, puisque te voila tiё de, ni chaud ni froid, je vais te vornir de ma bouche。 (L'APOCALYPSE 3-15,16) 以上要す るに
,彼
らの墜落の理 由である罪 はひとつに帰す る。 それ は彼 らが 神 を選 んで悪 と戦 わな けれ ばな らなか ったのに,そ
うしなか った ことであ る。Voyage系
の天使 た ち も,サ
タンが罪 を犯 した と き神 を選 ぶべ きであったのに, そ うしなか った。Navigatio系
の天使 た ちは,サ
タンの罪 に「 同調 しない」 ま では良いが,神
を選 ばなか った ことは罪 であ る。結局 どのversionの小鳥 た ち も「 神 の敵」 で もな く「 神 の味方」 で もない とい う中途半端 な態度 を取 った天 使 であ るとい うことにな る。 しか しその中途半端 な態度 のあ り方 は,上
に示 し12
『聖 ブランダンの航海』における中途半端な天使たよ うに versionに よって違 っている。
この相違が
,彼
らに対 して与 えられ る罰に もあらわれている。「罪を犯 した 後 もサ タンに従 った」 となっているVoyage系
では小鳥たちはどんな罰を受 け ているのであろ うか。Pur 9o sumes deserit6t
De cel regne de verit6t.
Mais quant ico par nus ne fud, Tant avum par D)eu vertud: N'avum peine si cume cil Qui menerent orguil cum il. Mal nen avum fors sul itant:
二α%″θSノθ″ S%%θs夕θγαα″, 二α 夕γθSθ%θθαθ″αgノογづθ,
E
αθυα%′ Dθ%ノ α bα〃ογグθ。(7οノαgθ v.v.535∼ 544) (そうい うわ けで 我 々は この真実 の王 国 か ら追 放 され た。 しか し罪 を犯 した の は我 々 で は な い ので神 の恩 恵 を こん な に も受 けてい る。 サ タ ン と共 に うぬ ぼれ た天 使 が 受 け てい るよ うな苦 しみ は我 々に は な い 。我 々の不 幸 は た だ ひ とつ 。 それ は我 々が あ の成 光 を,あの栄 光 の存 在 を,そして神 の前 の あ の喜 こび を失 った とい うこ とだ 。) 彼 らが失 な った もの こそま さに良い天使 た ちが受 けてい る至福 なのであ る0。 天使が,天
使 に与 え られ た この至福 を失 な うことは天使 に とって死 に も値 す る ことでは ないであろ うか。あの木の 描写 の ところで 触れ た「 赤=死
」 お よび 「 陰」 は この不幸 を指すのであ る。 同 じVoyage系
の ラテン語韻文 は この不幸 につ いて述べ ていない。 ではNavigatio系
では どうであろ うか。「 サ タンの罪 に同調 した」 とな って い る古 フランス語散文0だ
けを除 いて,他
は全 て「 神 を見 ることがで きる」 とな ってい る。 これ は良い天使 に与 えられ た至福 である。 この箇所 をNa宙
ga―tio Sancti Brendani Abbatisで みてみ よ う。
Penas non sustinernus. Hづ ε 夕γθSθπεづα% Dθ づ夕οssπ
『聖 ブランダンの航海』における中途半端な天使
13
alienauit nos a consorcio aliorum g%づ s′θ′θグ%%ι.(Nα υグgαガο: Caput ll-39″ 41) (我々は苦 しみを与 えられない。我々はここで神の存在を見 ることがで きる
,が
しか し神に忠実であった者たちか ら遠 ざけられた。)要 す るに 良 い天使 が受 け る至 福 を彼 らは失 って はい ないが
,良
い天使 の群 か らは引 き離 され た とい うことで あ る。 と ころが上 の文 の 中 の steterunt「 残 っ た,忠
実 で あ った」 が fuerunt superbiと な って い る写 本 が二 つ あ る (Navi‐gatio Sancti Brendani Abbatisの
写 本Aと
K)。 それ らは「 うぬ ばれ た者 たちか ら引離 され た
,つ
ま り悪 い天使 の群 か ら引 き離 され た」 と言 って い るの で あ る。Navigatio系
の他 の versionsも この二 つ に分 かれ る。 次 の通 りで あ る。(1)Ne sentons paine ne torment,
Et Dθ%αθθづυθづγ夕οο%S, Mais compaignie n'i avons
U ciaus g%づ θ″θづθJ αι%ογεγθ%′
Quant li autre jus tr6buciёrente(古フランス語韻文 v.v。 476∼480)
(我々は苦 しみ も苦痛 も感 じない。そして我 々は ここか ら神 を見 ることがで きる。 し
か しサ タンた ちが落 ちた とき天に残 った者 た ちと我 々は一緒ではない。)
Nous ne soufrons nule painne. Mais′ θ夕γθsιπεttθ αづ%%θ 夕οο%s υθづγO Tant
nous a il entrechangie de le corrlpaignie des autresん グづノ%″%′ (古フラン
ス語散文
0)
(我々は如何な る苦 しみ も受 けない。 しか し神 の存在は見 ることがで きない。同様 に
そ こにいた他 の者た ちの群れか ら神 は我 々を遠 ざけた。)
(2) ou nous soumes sanz paine et夕 θ%ο%S%ιOづγノα夕γθSα%θθαθ″%づ. Einsi nous
estrania de la compaignie des autres g%レ ∫跳γθ%′ ογg%θグJJづι″(古フランス語
散文lBl) (ここで我々は苦しみがな く
,神
の存在を見ることができる。 者たちの群れか ら我々を引き離した。) 要す るに,NavigatiO系
では「 罪に同調 しなか った」 と の小鳥 た ちは (1)良 い天使の受 ける至福 を失 っていない, 同様に神は うぬぼれた な って い る versions しか し良 い天使 の群14
『聖 ブランダンの航海』における中途半端な天使 れか ら引離 されている,(2)良
い天使の 受 ける至福は失 っていない,主
主悪い 天使の群れか ら引 き離 された,の
二つに分かれ る。 そして唯一つ「罪に同調 し た」 となっている古 フランス語散文0だ
けが,良
い天使の受 ける至福 を失 っ た,ま
た良い天使の群れか らも引離 されている,
となっている。 以上,
小鳥たちが 良い天使の 至福 を 失な うのは,ア
ングロ0ノルマン語のVoyage de Saint Brendanと
Navigatio系
の古 フランス語散文0に
おいて であ り,
その他の Navigatio tt versionsで は彼 らは良い天使の受 ける至福 を受 けている。 この他に も次のよ うな相違がみ られ る。霊的存在であるはずの天使が小鳥の 姿 に変 えられ,
この島に とどまっていなければ ならないのは 一種の 拘束であ る。すなわち罰である。Voyage系
がいつ もこの島にとどま り,小
鳥の姿でい なければな らないのに対 し,Navigatio系
ではそれは主の 日と聖なる日に限 ら れている。その他の 日にはこのよ うな 拘束 を 受 けていないとい う。たとえば Navigatio Sancti Brendani Abbatisの 小鳥は こう言 っている。Vagamur per diuersas Partes aeris et flrmamenti et terrarurn, sicut alii
S夕づγづι%S qui Ⅱlittuntur. Sed in sanctis diebus atque doΠ linicis accipilnus
corpora talia qualia nunc uides et cOrrlinoramur hic laudamusque aestrum creatorem.(Nαυづgαιグο:Caput ll-41∼44)
(我 々は送 られ て くる他 の霊 の よ うに空 中
,天
空,地
上 を動 きまわ る。 しか し主 の 日 と聖 な る 日に は あな た方 が 今見 てい るよ うな鳥 の姿 に な って こ こに とどま り創造 主 を た た え る)この文の中の spiritusとい う語は古 フランス語訳において
,
いろんな意味 に解 されている。たとえlゴ si coume autre esperit qui sont issu hors deleurs cors(古 フランス語散文lBl)「彼 らの身体の外に出た他の霊のよ うに」,
Com autre angle(古
フランス語韻文)「
他の天使のよ うに」, aussi que li autre esperite qui sunt enuoiet(古 フランス語散文0)「
送 られて きた他の 霊のよ うに」。Navigatio Sancti Brendani Abbatisに
おいて この spiritusが どうい う意味 で 使われていて も
,
この島以外 の 無限の空間 を 動 き回 ること が で きるのは,
彼 らに 与 えられ た神 の恩恵 で あ ると考 え られ る。 この恩恵 はVoyage系
の versior Sで は与 えられていない。 贖罪者の姿Navigatio系
では,小
鳥たちは時課 として詩篇を長 々と詠 じ続 ける。 そして 彼 らが歌 う詩篇の冒頭が全て引用 されてい る。小鳥たちが詠唱す る姿 をみてブ ラダンたちはこう思 う。et uidebatur。 .。 illa modulatio et sonus alarum quasi εαγ夕ηθ% タノαπειπS pro
suavitate(Nαυづgαιづο: Caput ll-53∼ 55) (その抑揚 と羽音はやわ らか さのため哀歌 のよ うに思われ た) あ るいはSio I.夕JαれS′ θ″απιαοJογ (古フランス語韻文,v。 502)「 大 き な悲 しみの うめ き声 の よ うに」。 これ はま さに贖 罪に服す る者 の姿 である。
Voyage系
は これ らの描写 を詩篇 の 引用 と共 に全 て省 いて しま ってい るために,そ
こでは贖 罪に服す る小鳥 の姿 も同時 に消 えて しま った。 したが って,
罪 も罰 もVoyage系
よ り軽 いNa宙
‐gatio系
の方 で この贖 罪者の姿が描 かれてい るとい う結果 にな ってい る。 以上見 たよ うに,
ブランダン物語の小鳥 た ちは「 神の敵」 ではない。彼 らは 「 うぬ ばれの罪」 を犯 さなか った。 しか し神 を選 んで神 のために戦 うべ きで あ ったのに,そ
うしなか った。 その中途半端 な態度が原因で彼 らは天か ら追放 さ れ た。 天か ら追放 された この中途半端な天使たちは,「
うぬばれの罪」 を犯 してい ないので地獄へは送 られず,
この地上の島を与 えられた。 ここには苦 しみが全 く存在 しない。 その上,Voyage系
では,
これは美 しい島であるので「小鳥た ちの天国」 と呼ばれ る。 アングロ0ノルマン語のi Voyage de saint Brendan16
『聖 ブランダンの航海』における中途半端な天使 は小鳥 た ちの運命 を島の木によ って象徴的に表 わ してい る唯一 のversionであ る。 この天使 た ちの中途半端 な態度 のあ り方がversionによ って違 ってい る。 そ れ は結局,罪
を犯 した後 のサ タンに仕 えた と明記す る もの と何 も示 していない ものの二 つに大 きく分 けることが で きる。 そ して罰が それ に対応 す る。罪 を犯 した後 のサ タンに仕 えた とな ってい るversionsで
は,小
鳥 た ちは良い天使 に 与 えられ る至福 を奪われている(Voyage系
および古 フランス語散文0)。 そ して具体的には何 も示 していないversionsで
は,小
鳥たちは良い天使に与 え られ る至福を受 け続 けている (古フランス語散文0を
除 くNavigatio系
の全 て)。 そ してVoyage系
では,彼
らは常に小鳥の姿で この島にとどまらなけれ ばな らないのに対 し,Navigatio系
では主の日と聖なる日以外は他の霊的存在 と同 じよ うに自由に空中,天
空,地
上 を飛びまわるとい う恩恵が与 えられてい る。 結局Voyage系
の方がNavigatio系
よ りも,小
鳥 た ちの罪 と罰が重 い とい うことにな る。 以上が ブランダン物語 にお ける中途半端 な天使 た ちの取 り扱 い で あ る。 註(1)Ro ITO: Navigatio Sancti Brendani Abbatis et Anglo_Normand“ Voyage de Saint:Brendan", La Navigatio est―elle “a mere odessey" P Bulletin Annuel d'Etudes Fran9aises No.14の 中で この問題 を取 り扱 った。
(2)Selmerは lo世紀か ら12世紀 まで18の写本 を使用 してい る。
古 フランス語散文の は12世紀末,lBlは 13世紀末 の写本で あ る。
古 フランス語韻文 は Gautier de Metz(13紀の フランスの詩人
)の
作品 Imagedu Mondeに収 め られ てい る。
ア ング ロ・ ノル マ ン語版 は6つの写本 (12∞年か ら13世紀末
)に
基 いてい る。ラテ ン語韻文は14世紀 の写本で あ る。
(3)イタ リックのNαυなαιづοは Navigatio Sancti Brendani Abbatis,を 7りαgι は
『聖 ブランダンの航海』における中途半端な天使
17
準)Bar F.Les Routes de l'autre monde p.84参 照 。
(5)写
本 の詳 しい解 説 が Selmerの序 文 と巻 末 に あ る。(6) 《Elle(la b6atitude des bons anges) consiste dans la vision du I)ieu (Mat. XVHI,10),dans le fait d'etre en sa pr6sence, de former sa cour(H6rb. XII, 22;Apoce VII, 11), d'etre au service de l'Eglise du Christ。 》
LA
CRЁ
ATION ET LE PЁ
CHЁoRIGINAL p.100よ
り。テ キ ス ト
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BRENDANS MEERFAHRT 1900 Slatkine Reprints Genё
ve 1974JUBINAL Achille:La 16gende latine de s. Brandaines, avec une traduction in6dite en prose et en po6sie romane Paris 1836
WATERS Edwin George Ross: The Anglo_Norrrlan Voyage of St. Brendan by
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Genёve 1974
1SHORT Ian&BRIAN Mcerilees:Benedeit The Anglo一
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MARTIN Ernst: DIE LAT. UBERSETZUNG DES ALTFRANZOSISCHEN
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NF。 16 1873. 289∼322 Berlin
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│
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