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官話和合訳の改訂にかかる参照官話訳の影響について : 新約聖書『使徒行伝』における考察から 利用統計を見る

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(1)

官話和合訳の改訂にかかる参照官話訳の影響につい

て : 新約聖書『使徒行伝』における考察から

著者

永井 崇弘

雑誌名

国語国文学

52

ページ

1-19

発行年

2013-03-20

URL

http://hdl.handle.net/10098/9017

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官話和合訳の改訂にかかる参照官話訳の影響について

新約聖書 『使徒 行伝 』にお ける考察から

永  井 崇  弘

は じ め に 1890 年 の 在 華 プ ロ テ ス タ ン ト 宣 教 犬 会 (T he Genera1 Conference of the Pr otestant Mis s ion-aries of China) の 決 定 に よ り 文 理 、 浅 文 理 と と も に そ の 翻 訳 出 版 が 決 定 し た 官 話 和 合 訳 は 、 そ の 翌 年 の1891 年11 月 に は 全 体 の 訳 者 が 集 ま っ た 。1898 年 に な っ て 最 初 の 委 員 会 が よ う や く 開 か れ 、 翌 年 の1899 年 に 単 巻 で 『 使 徒 行 伝 』 が 出 版 さ れ る 。 そ の 後 、1907 年 に 新 約 聖 書 と し て 出 版 さ れ 、 旧 新 約 が 揃 う の は さ ら に1919 年 ま で 待 つ こ と に な る 。 こ の 間 、 官 話 和 合 訳 に も 改 訂 が 加 え 続 け ら れ 、 最 終 的 な 決 定 訳 と し て1919 年 に 自 日 新 約 全 書 』 と し て 出 版 さ れ た 。 そ の 後 、 現 在 に 至 る ま で 多 く の 教 会 で 用 い ら れ 、 巾 国 語 聖 書 を 代 表 と す る 訳 本 と な っ て い る 。 こ の 官 話 和 合 訳 は 文 理 訳 、 浅 文 理 訳 と 同 じ く 、1881 年 に 新 約 聖 書 、1885 年 に 旧 新 約 聖 書 と し て 出 版 さ れ た 当 時 と し て は 比 較 的 新 し い 英 語 改 訂 訳 (English R evised Version ) を も と に 漢 訳 が 行 わ れ る こ と 、 ま た こ の 官 話 訳 の 翻 訳 に 際 し て 、 北 京 委 員 会 訳 本 、 グ リ フ ィ ス 訳 本 、 メ ド ハ ー ス ト 訳 本 の 3 種 類 の 既 存 の 官 話 訳 本 を 参 照 す る こ と が 決 め ら れ て い た 。 北 京 委 員 会 訳 は 北 京 官 話 に よ る も の で 、 グ リ フ ィ ス 訳 本 は 華 中 地 域 の 官 話 、 そ し て メ ド ハ ー ス ト 訳 木 は 南 京 官 話 で 翻 訳 さ れ て い る と さ れ て い る o 本 稿 で は 、1910 年 訳 の1912 年 版 『 使 徒 行 伝 』 と そ の 改 訂 決 定 訳 で あ る1919 年 訳 の 「 使 徒 行 伝 」 の 改 訂 箇 所 を 比 較 す る こ と に よ り 、 そ の 改 訂 に 際 し て 3 種 の 官 話 訳 が ど の よ う な 影 響 を 与 え て い る の か を 明 ら か に し た い 。 1. 参 照 官 話 訳 本 に つ い て 官 話 和 合 訳 が 参 照 し た 3種 の官 話 訳 につ い て は 、1890 年 5 月 7 日 か ら20 日 に わ た りヒ 海 で 挙 行 さ れ た在 華 プ ロ テ ス タ ント 宣 教 大 会 の記 録 に 以下 の 記 敢 が 見 ら れ る。

3. T h at t he C o m m itt ee on R evis ion s h all m ak e const ant an d caref ul us e of the union M an-da rin v ersion of t h e N e w T est am ent , pre par ed in P ekin g an d widel y em ployed in t h e M a n-darin-s p eaking r e gions of C hin a, 0f the recent version prep ared by D r. John, an d of t he M e d-h urst version for m erly ir] eχt e nsive use in C ent r a1 C hin a:

(7? a・ θ ㎡y げ1/ 1E G とlj,?j77y C a,加,・ a lce げ/ 加 月フフy a 仙 ぴMII ∬ 加,laj・,・肖・OfCh11,m 43 頁)

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1.1  北 京 委 員 会 訳 本 ま ず 初 め に 示 さ れ て い る の は 、 北 京 委 員 会 訳 本 で あ る 。 こ の 訳 本 は 最 初 に そ の 名 が 挙 げ ら れ て い る よ う に 、 官 話 和 合 訳 の 委 員 会 が 最 も 重 視 し た 参 照 訳 で あ る 。 同 書 の514 頁 に あ る D. Z.Sheffidd に よ る 「 Report of t he C om mittee on M andarin Revision 」 に お い て も 、 官 話 和 合 訳 の 委 員 会 と し て は 、 8 年 か ら10 年 か け て 完 成 さ れ た 北 京 委 員 会 訳 を 基 礎 訳 本 と す る べ き 考 え が あ っ た こ と が 記 さ れ て い る 。 こ の 北 京 委 員 会 訳 は 、1860 年 の 北 京 条 約 に よ り 宣 教 師 が 北 京 に 入 る こ と が で き る よ う に な っ た 後 、 翻 訳 の 委 員 会 が 設 置 さ れ て 北 京 官 話 に 翻 訳 さ れ た も の で あ る 。 Garnier 1933 で は 、 8 年 の 歳 月 を 費 や し て 完 成 さ れ た こ と が 記 さ れ て い る 。 こ の 委 員 会 の メ ン バ ー は 。 英 国 倫 敦 会 のJoseph Edkins ( 莫 約 認:1823-1905 )、美 国 公 理 会 の Henry B10dget( 白 漢 理:1825-1903 )、 John Sha w Bur don ( 包 爾 騰:1826-1907 )、 美 国 聖 公 会 の Sam uel Isaac Joseph Sche reschew-sky ( 施 約 認:1831-1906 )、 美 国 長 老 会 の W nliam Parsons Alexander M artin ( 丁 賄 良:1827 -1916 ) の 5 人 に よ り 構 成 さ れ て い る が 、 当 初 M artin は H enry W heaton の £晶 a 自 げノ・i Γε・’-llational L λlw (「 万 国 公 法 」) の 翻 訳 に 専 念 し て い た た め 。 4 名 で の 開 始 と な っ た 。 こ の メ ン バ ー の う ち 、Edkin s は 最 も 長 く 中 国 に 滞 在 し て い た 宣 教 師 で あ る と と も に 漢 学 者 で も あ っ た 。Edekin s は1848 年 に 英 国 倫 敦 (London M issionary Society ) の 宣 教 師 と し て 香 港 を 経 て 上 海 へ 到 着 し 、 そ こ で 宣 教 活 動 を 行 う が 、 そ の 後 、 彼 の 宣 教 地 は 華 北 へ と 移 る 。1860 年 に は 煙 台 へ 赴 き 、1861 年 に は 天 津 に 移 り 、1863 年 か ら は 北 京 で 宣 教 活 勣 を 行 っ て い る 。1872 年 に 北 京 委 員 会 に よ るr 新 約 仝 書 』 が 出 版 さ れ た 後 、1880 年 に は 税 関 の 通 訳 と し て 招 へ い さ れ 当 初 は 北 京 に 、 後 に 上 海 へ 移 っ て15 年 渫 在 し た 後 、 天 に 召 さ れ た 。 二 人 目 のBIodget は 美 国 公 理 会 (A m erican B oard of Com missioners for F oreign Missions) の 宣 教 師 で 、1854 年 に 上 海 に 到 着 し た 。1860 年 か ら1862 年 ま で は 天 津 で 活 動 し 、1863 年 に 宣 教 地 を 北 京 に 移 し た 。 彼 は1861 年 に は 既 に 人 口 の 半 数 以 上 が 使 用 し て い て 理 解 し や す い 北 方 の 中 国 語 で 聖 書 を 翻 訳 す べ き だ と 主 張 し て い たll。 三 人 目 の B urdon は 英 国 聖 公 会 (T he Church M ission Society ) と と も に 中 国 へ 渡 っ た 宣 教 師 で 、1853 年 に 上 海 に 到 着 し て い る 。 江 蘇 お よ び 浙 江 を 宣 教 地 と し て い た が 、1862 年 北 京 に 京 師 同 文 館 が 開 設 さ れ る と 、 T hom as W ade に よ り 推 薦 さ れ た B urdon は 北 京 へ 移 り 、 そ の 開 設 当 初 か ら 英 語 教 師 と し て 英 語 を 教 授 し た 。 そ の 後 、 英 国 大 使 館 の 牧 師 を 経 て 、1874 年 に は 英 国 聖 公 会 (A nglican C hurch ) の 香 港 ピ ク ト リ ア 主 教 を 歴 任 し て い る 。 1882 年 か ら は 広 西 。 海 南 島 を 新 た な 宣 教 地 と し て 活 動 し た 。 四 人 目 のSche reschewsk y は リ ト ア ニ ア 生 ま れ の ユ ダ ヤ 系 宣 教 師 で あ る 。 1859 年 6 月 に 米 国 を 発 ち 、 同 年12 月 に 上 海 到 着 、1862 年 の 春 ま で 上 海 で 活 動 し た 。 1862 年 6 月 か ら1875 年 4 月 に 米 国 に 一時 帰 国 す る ま で の13 年 間 、 彼 は 北 京 で 宣 教 活 動 を 行 っ て い る 。Schereschew sky は1864 年 の 時 点 で 北 京 官 話 の 聖 書 が な く 、 そ の 必 要 を 感 じ て い た 。 ヘ ブ ラ イ 詰 に 通 じ て い た Sche reschewsky は│ 口 約 聖 書 を 原 文 か ら 一 人 で 官 話 に 訳 し 、 そ れ が1875 年 に 美 華 聖 経 会 よ り 出 版 さ れ て い る 。 そ の 訳 文 は 高 い 評 価 を 受 け、1872 年 の 北 京 委 員 会 訳 の 新 約 と 合 わ せ て 、1878 年 に 「│日 新 約 仝 書 」 と し て 大 英 聖 書 公 会 よ り 出 版 さ れ て い る 。1877 年 か ら1881 年 ま で 美 国 聖 公 会 ( A m erican Church Mi ssion ) の 上 海 地 区 の 主 教 を 歴 任 し 、 同 地 で 聖 約 翰 書 院 (St.John ’s

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C 011ege) の 設 立 に 尽 力 し た 。 五 人 目 の M artin は 美 匠 長 老 会 (Am erican Presbyterian Mission N orth) の 宣 教 師 で あ る0 1850 年 に 香 港 を 経 て 寧 波 に 入 る 。 1854 年 に は キ リ ス ト 教 教 義 の 解 説 書 で あ る 『 天 道 潮 源 』 を 寧 波 で 出 版 し て い る 。 第 二 次 ア ヘ ン 戦 争 、1859 年 の 英 仏 連 合 軍 の 第 二 次 侵 人 に 際 し 、 通 訳 、 翻 訳 に 従 事 し 、 そ の 活 動 地 が 華 北 に 移 っ て い く 。 一 時 帰 国 を 挟 ん だ1862 年 に は Martin は 宣 教 地 を 北 京 に 移 し て い る 。 彼 は 宣 教 師 と し て の 活 動 の か た わ ら 、1869 年 か ら1894 年 に わ た り 京 師 同 文 館 の 総 教 習 を 務 め 、 国 際 法 の 教 授 も 行 っ て い る 。 1898 年 に 京 師 大 学 堂 が 設 置 さ れ る と 、 M artin は そ の ま ま 総 教 習 と し て 迎 え ら れ て い る ‰ 北 京 委 員 会 は こ れ ら 5 名 の メ ン バ ー に よ っ て 構 成 さ れ 、 新 約 聖 書 が 北 京 官 話 へ と 翻 訳 さ れ る こ と と な っ た 。 し か し 、 こ の 北 京 官 話 へ の 翻 訳 に 際 し て 基 礎 訳 本 と さ れ た の は 、 そ れ ま で 広 く 流 布 し て い た 南 京 官 話 訳 と い わ れ る メ ド ハ ー ス ト 訳 本 で あ っ た ‰ ま ず、 単 巻 と し て1863 年 に 『馬 太 伝 福 音 書 』 と 『 達 羅 馬 人 書 』 が 大 英 聖 書 公 会 に よ り 出 版 さ れ 、1864 年 か ら1865 年 に か け て は 『 約 翰 伝 福 音 書 』、『路 加 伝 福 音 書 』、『 使 徒 行 伝 』 が 大 美 国 聖 経 会 か ら 出 版 さ れ て い るo 1870 年 に は 新 約 全 体 の 完 訳 が 終 わ り 、1872 年 に 『 新 約 全 書 』 と し て 大 英 聖 書 公 会 と 大 美 国 聖 経 会 の そ れ ぞ れ か ら 出 版 さ れ て い る 。 し か し 、 こ の 際 に い わ ゆ る タ ー ム 問 題 が 発 生 し 。 [God] の 訳 語 に つ い て は 、 最 終 的 に 大 英 聖 書 公 会 か ら は 「上 帝 」 版 と Burdon の た め の 「 天 主 」 版 が 、 ま た 大 美 国 聖 経 会 か ら は [ 真 神 ] 版 が そ れ ぞ れ 出i版 さ れ る こ と と な っ た 。 こ の 訳 本 は 山 版 後 、 急 速 か つ 広 範 に 流 布 し 、1919 年 の 和 會 訳 の 出 版 ま で の 長 き に わ た っ て 官 話 訳 聖 書 の 主 要 な 訳 本 と な っ た 。 次 に 大 会 記 録 で と り あ げ ら れ て い る の は 、1890 年 の 時 点 で 最 新 版 の 官 話 訳 で あ っ た グ リ フ イ ス 訳 本 で あ る 。 1.2  グ リ フ イ ス 訳 本 こ の グリ フ ィス 訳 本 は 、1890 年 の プ ロ テ ス タ ント 在 華 宣教 大 会 が 開 催 さ れ る 前 年 の1889 年 に 『新 約 全 書 』 とし て出 版 さ れ た当 時 で 最 も新 しい 官 話訳 本 であ っ た。 グリ フ ィ ス訳 の 訳 者で あ る グリ フ ィ ス (Grimth John, 1831-1912 ) は英 国 倫 敦 会 の 宣 教 師 で あ る 。 1850年 に 英 国 Brecon CoHege に 入学 し、1853 年 3 月 に は 英 国 倫 敦 会 で の奉 仕 を 始 め て い る 。 1855年 3 月に 英 国 を 発 ち 、1855 年 7 月下 旬 に上 海 に到 着 。 1860年 ま で は上 海 を 拠 点 に、 そ の 周 辺 にお い て も宣 教 活 動 を 行 っ た。 第二 次 ア ヘ ン 戦 争 に よ り天 津 条 約 が 結 ば れ1861 年 3 月 に 漢 口 が 実 際 に開 港 さ れ る と、 グリ フ ィ ス は早 々 と そ の大 よ そ 3ヵ 月 後 に は 漢口 に 入 っ て い る 。 そ れ以 降 、 彼 は 宣 教 活 動 の 拠 点 を 漢口 に 移 し、 そ の後50 年 に わ た り 伝 道や 聖 書 翻 訳 な ど の 活 動 を 行 っ た。 グリ フ ィ ス が 漢 口 人 っ て 1年 も満 た ない1862 年 3 月 に は 早 く も 漢 口 伝 道 の 実 が 結 び、 華 中 地区 にお い て初 め て の バプ テ ス マ 式 が 執 り 行 わ れ てい る 。ま た、1905 年 に な る と 教 会 員 が8000 人 に も膨 れ 上 が っ てい る 。 こ の よ う な宣 教 師 グリ フ ィ ス の 特色 と し て 山 口1921 は 、「 グ リ フ ィ ス ・ ジ ョ ン は 街 上 伝 道 士 と し て 名 あ り、 又 新 約全 書 の 翻 訳 に も預 て 力 あ り。」¨)と 記 述 し て い る 。 グ リ フ ィ ス は 直 接 伝 道 に豊 か に用 い ら れた だ け で は な く、 山 口 1921 の 記 述 後 半 部 に も見 え る よ う に 、 聖 書 の 翻 訳 と い っ た 問接 伝 道 に も優 れ た 賜 物が 与 え ら れ てい て 、 そ の 事・実 は 多 く の 人 々 が 知 る とこ ろ とな っ てい た よう であ る 。 実 際 、官 話 和 合 訳 の 翻訳 委員 会 は グ リ フ ィ ス に 官 話 を含 む和 合訳 の 翻 訳 者 と し て 参 加 す る よ う 要 請 し て い る≒ −60 −       (3 )

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グ リ フ ィ ス 訳 の 『 新 約 全 書j は 、 大 英 聖 書 公 会 (British and Foreign Bible Society ) と 蘇 格 蘭 聖 経 会 (N ationa1 Bible Society of Scotland ) か ら 依 頼 さ れ て 官 話 訳 さ れ た も の で あ る 。 1889 年 に 『 新 約 全 書 』 と し て 蘇 格 蘭 聖 経 会 か ら 印 刷 出 版 さ れ 、1893 年 に は 参 照 が 付 さ れ た 版 本 が 出 版 さ れ て い る 。 こ の グ リ フ ィ ス 訳 は 、 直 接 ギ リ シ ャ 語 の 原 文 か ら 訳 出 さ れ た も の で は な く 、 1885 年 に グ リ フ ィ ス が 訳 し た 浅 文 理 を 官 話 に 訳 し た も の で あ る ≒ ま た こ の グ リ フ ィ ス 訳 本 は 、1872 年 に 北 京 委 員 会 に よ り 『 新 約 全 書 』 が 出 版 さ れ て い た が 、 北 方 的 色 彩 が 強 く 、 華 中 地 区 で 通 用 す る 官 話 訳 本 の 必 要 を 満 た す た め に 漢 訳 が 行 わ れ た と さ れ て い る 。SpinetlJe 1975 で は 、 グ リ フ ィ ス に よ る 官 話 訳 は 四 福 音 書 が 『 新 約 全 書 』 に 先 行 し て1887 年 に 出 版 さ れ て い る こ と が 記 さ れ て い る が 、 そ こ で は こ の 訳 本 が 華 中 官 話 あ る い は 爾 京 版 と 呼 ば れ て い る こ と が 説 明 さ れ て い るo グ リ フ ィ ス の 新 約 訳 本 が 参 照 訳 と し て 選 ば れ た の は 、 当 時 に お け る 最 近 の 官 話 訳 で あ る こ と は も と よ り 、 そ の 訳 文 の 完 成 度 の 高 さ 、 ま た 華 中 地 区 で 通 用 す る 南 方 系 官 話 で 訳 さ れ て い る こ と が 考 え ら れ る 。 1.3  メ ド ハ ー ス ト 訳 本 参 照 訳 本 と し て 最 後 に 挙 げ ら れ て い る の は メ ド ハ ー ス ト に よ る 官 話 訳 本 で あ る 。 こ こ で は 、 こ の 官 話 訳 本 を 「 以 前 に 華 中 地 区 で 広 く 使 用 さ れ て い た 訳 本 」 と 記 述 し て い る 。 こ の メ ド ハ ー ス ト 訳 本 は 英 国 倫 敦 会 の 宣 教 師 で あ っ た メ ド ハ ー ス ト ( Walter Henry Med-hurst,1796-1857 ) に よ り 漢 訳 さ れ た も の で あ る 。 メ ド ハ ー ス ト は1810 年 に ロ ン ド ン の 聖 パ ウ ロ 大 聖 堂 に 附 属 す る 小 学 校 を 卒 業 す る と 、 グ ロ ス タ ー 市 に あ る 印 刷 工 場 の 瞰 人 と し て 働 き 、 印 刷 技 術 を 習 得 す る 。1815 年 に は 、 倫 敦 会 の 宣 教 師 で あ る R、モ リ ソ ン と ミ ル ン に よ っ て ガ ン ジ ス 以 東 伝 道 会 (Ultra-Gangis Miss ion/│亘河 外 方 伝 教 会 ) の 構 想 が た て ら れ へ1818 年 に そ の 拠 点 で あ る マ ラ ッ カ に 英 華 書 院 (The Anglo-Chinese Conege) が 開 校 さ れ る が 、 こ の 英 華 書 院 の 設 立 に と も な っ て 倫 敦 会 は 印 刷 技 術 の 指 導 者 を 募 集 し て い た 。 メ ド ハ ー ス ト は こ れ に 応 募 し て 採 用 さ れ 、 海 外 宣 教 の 宣 教 師 を 養 成 す る ハ ッ ク ネ ー ・ カ レ ッ ジ (Hackney Co1-1ege) で の 学 び を 経 て 、1816 年 、 印 刷 機 械 を 携 え て 英 国 を 発 ち 、 翌 年 の1817 年 6 月 に マ ラ ッ カ に 到 着 し た 。 印 刷 技 術 の 指 導 者 と し て 赴 い た メ ド ハ ー ス ト で あ っ た が 、 こ の 頃 マ ラ ッ カ 宣 教 の 担 い 手 で あ っ た ミ ル ン 夫 妻 が 長 年 の 宣 教 活 勣 に よ り 静 養 が 必 要 と な り 、 メ ド ハ ー ス ト も 直 接 宣 教 活 勣 に 携 わ る こ と と な る 。 ミ ル ン 夫 人 が 天 に 召 さ れ た1819 年 に は 、 正 式 な 宣 教 師 と し て の 資 格 を 得 て ミ ル ン と も に 慟 く が 、 こ の 年 に 『地 理 便 童 略 伝 』 と い う 地 理 学 の 問 笞 書 を マ ラ ッ カ で 初 め て 出 版 し て い る 。 1822 年 に ミ ル ン が 天 に 召 さ れ る と 、 そ の 遺 志 を 継 い で メ ド ハ ー ス ト は 新 た な 宣 教 地 で あ る バ タ ビ ア に 渡 る 。 翌 年 の1823 年 、 こ の 地 で 聖 書 を は じ め と す る キ リ ス ト 教 文 書 を 販 売 す る 書 店 を 開 く と と も に 、『三 字 経 』 の 形 式 を 採 用 し た 伝 道 文 書 で あ る 『 三 字 経 』 を 出 版 、 こ れ を 契 機 と し て そ の 後 多 数 の 信 仰 書 を 山 版 す る こ と と な る 。 こ の よ う に メ ド ハ ー ス ト は 、 宣 教 師 と な っ た 後 も 、 賜 物 で あ る 印 刷 技 術 を 豊 か に 用 い て い た だ け で な く 、 彼 の 関 心 が 印 刷 物 そ の も の に 向 か っ て い る こ と が 分 か る 。 Wylie1867 に は メ ド ハ ー ス ト の 著 作 と し て 、 中 国 語 に よ る も の が59 点 、 マ レ ー 語 に よ る も の が 7 点 、 英 語 に よ る も の が28 点 の 計94 点 が 見 ら れ る 。 1819 年 の 『址 理 便 童 略 伝 』 は 地 理 学 書 で あ る が 、 こ の 次 に 出 版 さ れ た1823 年 の キ リ ス ト 教 伝 道 文 書 で あ る 『 三 字 経 』 以 降 は 、 そ の ほ と ん ど が 聖 書 や キ リ ス

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卜 教 関係 の 著 作 で ど め ら れ て い る。 1835 年 8 月 1 剛 こミ ル ン に 次 いで ガ ン ジ ス 以 束 伝 道 会 の 中 心 人 物 で あ っ た モ リソ ンが 天 に 召 さ れる が 、 英 国 倫 敦 会 は そ の 直前 の 7月21 日 に メ ド ハ ース ト を 広 州 に 派 遣 し 。 モ リ ソ ン と ミ ル ン の 後 継 者 と し た。 ア ヘ ン 戦 争 後 の1843 年 に は メ ド ハ ース ト は 早 々 と 活 動 の 拠 点 を上 海 に 移 して 宣 教 活 勁 を展 開 し てい る。 Wylie 1867に は メ ド ハ ー ス ト が 翻 訳 し た 聖 書 と し て、1847 年 の 『約 翰 伝 福 音 書 』( 上 海 語 )、1852 年 のr 新 約全 書 』( 文 理代 表 訳 )、1855 年 の 『旧 約 全 書 』 (:丈理代 表 訳 )、↓856年 の 『 新約 全 書 』(官 話訳 ) の 3 点 が 記 栽 さ れ て い る。 本 稿 で 使 用 し て い る メド ハ ー ス ト に よ る 南 京官 話訳 の 版 本 は1857 年 版 で あ る が 、Spillette 1975に よ る と、 こ の 版 本 は Wylie 1867で は1856 年 と さ れ て い る こ と が 指 拙 さ れ て い る ‰ い ず れ に し て も 、Sp11-1ette 1975の 記 栽 を 見 る 限 り で は 、 こ の メ ド ハ ー ス ト 訳 が 最 も早 い 官 話 訳 の 新 約 聖 古 であ る と 言 え る 。 ま た、Broomha11 1934に は 、 こ の 訳 本 が 文 理 代 表 訳 か ら 南 京 人 に よ っ て 南 京官 話 に 訳 さ れ た もの で あ る こ とが 述 べ ら れ て い る ‰ こ の メ ド ハ ース ト の 南 京 官 話 訳 は 官 話 訳 の 記 念 碑 的 存 在 で あ り、1872 年 の 北 京 委 員 会 訳 が 現 れ る まで 、 ま さ に官 話 訳 の代 表 とし て の 役 割 を 米 た し て い たの で あ る 。 こ の よ 引 に官 話 和 介 訳 へ の 翻 訳 に 際 し、 官 話 和 會 訳 の委 員 会 で は上 述 の 3種 の官 話 訳 を 参 照 訳 と す る こ と が 決 め ら れた 。 し か レ 委 員 会 とし て は当 初 、1872 年 の 北 京 委 員 会 訳 を最 も 有力 な 基 礎 訳 本 とし よ う と し た が 、 蘇 格 蘭 聖 経 会 の 圧 力 に よっ て グリ フ ィ ス訳 本 お よ び メ ド ハ ー ス ト 訳 本 も北 京 委 員 会 訳 本 と 同 等 の 参 照 訳 と さ れ たの で あ る」≒ 次 に 実 際 の改 定 筒 所 に お け る 3 種 の 訳 文 の 影 響 に つ い て 考 察 を 行 う 。 2. 改 定 箇 所 か ら み る1919 年 決 定 訳 成 立 に お け る 3 種 官 話 訳 の 影 響 に つ い て こ こ で は1919 年 の 決定 訳 とそ の元 訳 で あ る1910 年 訳 と の 異 同 箇 所 、つ ま り改 訂 さ れ た 箇 所 にお い て上 述 の 3 種 官話 訳 が ど の よ う な 影 響 を 与 え て い る の か に つ い て 考 察 を 行 う 。 1912 年 版 の1910 年 訳 『使 徒 行 伝 』 か ら1919 年 の 決 定 訳 目吏徒行 伝」 へ改 訂 が 行 わ れ た 箇 所 の う ち、GOd の訳 語 、 注、 字休 、 圈点 の 異 同 を 除 い た 上 述 の 3 種 類 の官 話 訳 と 比 較 可 能 な 箇 所 は 、 全874 箇 所確 認 で きる 。 こ の874 箇 所 につ い て 3 種 類 の官 話 訳 と 比較 し た 結 果、 ① い ず れの 官 話 訳 も参 照し てい ない 箇 所 、 ② 北 京委 員 会訳 を 参 照 し てい る 箇所 、 ③ グ リ フ ィ ス 訳 を 参 照 し て い る 箇所 、 ④ メ ド ハ ース ト 訳 を 参照 し てい る 箇 所 と して 全1263 箇所 を確 認 す る こ と が で きた 。 なお 、 こ の1263 箇 所 に は 、 ③ 北京 委 員 会訳 と グリ フィ ス 訳 の 両 者 を 参 照し て い る 箇 所 、 ⑥ グ リ フ ィ ス訳 と メ ド ハ ース ト 訳 の両 者 を参 照 して い る 箇 所 、 ⑦ 北 京 委 貝 会訳 と メ ド ハ ース ト 訳 の 圈 者 を 参 照 し て い る 箇 所 、 さら に⑧ 3 種 類す べ て を 参 照し て い る 箇 所が 含 ま れ て い る 。 つ ま り1 つ の 箇 所 で 重 複 し て 累 計 し てい る た め、 改 訂 箇 所874 箇 所 に 対 し て 参 照 箇 所 が1263 筒 所 に の ぼ っ て い る。 こ こ で は 、 こ の 8 類 型 につ い て 考 察 を す す め る 。 2.1  独 自 訳 独 白 訳 と は 、 北 京 委員 会 訳 、 グ リ フ ィ ス 訳 、 メ ド ハ ース ト 訳 の い ず れ の 参 照 も認 め ら れ な い 官 話 和 合訳 委 員 会 に よ る 独 自 の訳 を 採 用 し て 改訂 を 行 っ て い る も の で あ る。 重 複 を 含 む参 照箇 所 全1263 箇 所 の う ち440 箇 所、 約35 % が こ の 独 自 訳 に よ る 改 訂 で あ る 。 こ こ で は 、 口 語 −58 −       (5 )

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← 的 な 表 現 か ら 3 種 の官 話訳 に対 応 さ せ る こ と な く 、 独 自 に 文 語 的 な 表 現 へ と改 訂 し て い る 箇 所 が多 く 見 ら れ る 。 ま た 、 虚 詞 で は 「 就 」 ⇒F 便 」、 陣 ]」 ⇒ 「 輿 」、「 的 」 ⇒ [ 之 ] が 多 く見 ら れ 、「 把 」 ⇒ 「 将 」、「 在 」⇒ 「 於 上 「 几 」 ⇒ 「一 切 」 な ど も 見 ら れ る。 以 下 に 例 を 示 す が、 矢 印 の左 側 が1912 年 版 『 使 徒 行 伝 』 の 訳 で 、 右 側 が1919 年 の 決 定 訳 で あ る 。 ま た、 括 弧 内 は 上 か ら 北 京 委 員 会 訳 、 グ リ フ ィ ス 訳 、 メ ド ハ ー スト 訳 の順 で 、 下 線 部 は論 者 に よ る。

(1) 帚到了 、並帽 也椚姑在公會前、

帚到了 、便叫 吏徒姑在公 會前、(5 :27)

(摯到了、叫他椚姑 在公 會富中、)

(帚到了、叫他 椚姑 在公 會富中、)

(帯了 束、姑 在公 會的地方)

( 2 ) 葬在 亜 伯 拉 牢 在 叙 剣 用 銀 子 従 吟 抹 的 兄 子 買 束 的 墳 墓 裏 。 − ⇒  葬 於 亜 伯 拉 早 在 示 剣 用 銀 子 従 恰抹 子 孫 買 来 的 墳 墓 裏 。  ( 7: ㈲ − ( 葬 在 亜 伯 拉 早 用 銀 従 吟 抹 的 子 孫 買 束 的 墳 地 裏、 ) (葬 在 叙 剣 的 墳 墓 、這 墳 墓 、是 亜 伯 拉牢 用 銀 子 、従 叙 剣 的 瞼抹 子 孫買 来 的、 ) (就 是 肢 剣 的 瞼 抹 子 孫的 地、 従 前亜 伯 拉 早 出 銀子 買 的。 ) ( 3) 因 焉 称 所 姑 鎧 地 方 是 聖 地 。 − ⇒  因鴬 祢所 姑 之 地 是 聖 地。  (7 :33 ) − − ( 因 鶏弥 所 姑 立的 地 方、 是 聖 地。 ) ( 因 協 称所 姑 立 的 地 方 是 聖 地、 ) ( 竹;所 姑 立 的 地 方 、 是 潔 浄 的 呵。 )

(4) 摯多 加躾他椚同在的時候、

拿多 加黒 側 門同在時、(9 :39)

(聘多加活著時候所倣的衣服給 他看。)

(把多加活着的時候、所 作的 衣服給 他看、)

(拿出多加活時所 倣的衣 服給 他看、)

( 5 )要 担 保 羅西 拉帚 到 百 姓 那 裏。 − ⇒  要匠 保 羅 西拉 帯 到 百 姓 那 裏 。  (17: 5 ) − ( 要 拉出 保 羅 西 拉 束 、 交 給 百 姓、 ) ( 要 拉 出 保 羅 西 拉 来 、 交 給 百 姓、 ) ( 要 拉 出 保 羅和 西 拉 来 、 給 百 姓 看、 ) ( 6 ) 称 教 訓 几 在 外邦 的 猶 太 人 、 − ⇒  弥 教 訓二 切 在 外 邦 的 猶 太 人 、  (21 : 21) -(6 )       −57 −

(8)

(仏 教 訓 散 住 在 異 邦 的 猶 太 人、) (称 教 訓 住 在 異 邦 中 的 猶 太 人、) (教 訓 許多 猶 太 人 違 背 摩 西 的 話、) 例 ( 3 ) に 見 ら れ る よ う に「 ∼ 的 地 方 」 と い う 表 現 は 、「 ∼ 之 地 」 の よ う に 「 ∼ 之 十単 音 節 語」 の形 式 に 改 訂 さ れ て い る 場 合 が 多 い 。 また 、 同 フレ ー ズ中 に 「的 」 が 2箇 所現 れ てい る 箇所 で は 、「 的 」 の 連 用 を 避 け る た め に そ の 一 つ を 「之 」 に改 訂 し 、「 ∼ 之 十複 音 節 語 」 の 形 式 が 採 ら れ て い る。 以下 に 例 を 示 す。 ( 7 ) 所 敬 拝 的 大 女 神 的 威 柴 、 − − ⇒ 所 敬 拝 的 大 女 神 之 威 螢 、 (19 : 27 ) − − ( 以 及 天 下 各 處 都 供 奉 他 、 他 的 威 敲 必 滸 蛸 滅 了。 ) ( 和 天 下 所 供 奉 的 亜 底 米 、 他 的 条 耀、 ) ( 而 且 偏 亜 西 亜 和 天 下 人 所 供 奉 亜 氏 米 的 渠 耀 将 要 滅 了。 ) 例 ( 1)、( 2 )、( 3)、( 4 )、( 5) で は、 官 話 の文 体 と し て は 成 立 し て い る に も関 わ ら ず 、 古 い 白 話 の 語 彙 を使 用 し て文 語化 が 行 わ れ てい る 。 こ れ は 恐 ら く 、 官 話 和 合 訳 委 員 会 が 、 北 方 に 偏 っ た官 話 の表 現 で あ る と判 断 し た た め で 、改 訂 を 加 え て 南方 の 色彩 を 入 れ る こ と に よ り 、 南 北 を調 和 させ た官 話 を 成 立 さ せ よ う と し た の で は な い か と 考 え る 。 例 ( 6 ) に つ い て は 、 意 味 を 明 確 化 す る ため に強 調 の 色 彩 を加 え た こ と に よ る も の であ る と 考 え ら れ る 。「 几 」 に つい て は 、 全 体 的 に そ の 使 用 が 抑 制 さ れ てい る よ う に 思 わ れ る。 2.2  北 京 委 員 会 訳 の 参 照 官 話 和 合 訳 の 委 員 会 が当 初 、 基 礎 訳 本 と し て 見 て い た 北京 委 員 会 訳 を参 照し て い る と 思 わ れ る も の は、1263 箇 所 の う ち311箇 所 、25 % 見 ら れ た。 こ の う ち72 箇 所 の 約23 %が 北 京 委 員 会訳 の み と 一 致 し 、 残 り の239 箇 所 は 他 の 2 種 の 官 話 訳 と重 複 し て い る 。 他 の 官 話 訳 と の 重 複 箇所 につ い て は 、 後 述 す る も の と し 、 こ こ で は 北 京 委 員 会 訳 の み を参 照 し て い る 例 を示 し て 考 察 を行 う。 ( 1 ) 律 法和 先 知 的 書 頌 完 丁、 ⇒  趙完 ヱ 律 法和 先 知 的 書 、  (13 : 15) -(會 中誦 完 了 律 法 和 先 知 的 書、 ) (會 中頌 律 法和 先 知 的 書 已 畢、) (誦 誦 律 例 和 先 知 的 書 已 畢、 ) ( 2 ) 監 門 立 刻 徨 開 了 、 − ⇒ 監 門 立 刻 全 開 、 (16 : 26 ) −− ( 各 門・ 一 時 全 開、 ) −56 − ( 7 )

(9)

(各 門 頓 開、) (監 門頓 開、)

( 3) 我営 作怨磨 緩可以得 救。

我 常包 匯丘 視可以得救。(16 : 30)

-( 我富忠 様行、縮可得救。)

( 我廃常甚磨事、繊可以得救、)

(我l 該倣什磨、可以得救。)

(4)勉猶太 人、和希利尼 人。

⇒ 勧豆 猶太人和希利尼 人。 (18:4 )

-( 勧化猶 太人和 希利 尼人。)

俐 猶太 人和 希利尼 人、)

(勧猶太和希利 尼人。)

( 5) 和 几 輿 我 椚 同 在 的 衆 位 、 − ⇒  和 在 這 裏 的 諸 位 阿. (25 : 24) (亜 基 帖 王 和 在 這 裏 的 諸 位、) (和 凡 在 這 裏 的 人、) (和 凡在 這 裡 的 人、) 例 ( 1 ) お よ び ( 3 ) は官 話 以 前 に 中 国 語 の 口 語 で も不 自 然 な 訳 文 で 、 そ れを 北 方 系 の 表 現 で 改 訂 を 行 っ て い る。 例( 1 )は南 方 系 の グ リ フ ィ ス、 メド ハ ー スト 訳 にあ る「讃 ∼已 畢 」 を 採 用 せ ず に 、 語 順 を 変 え て 北 京 委 員 会 訳 と同 じ 結 果 補 語「 完」が 用い ら れ てい る 。 例( 3) で もメ ド ハ ース ト 訳 に あ る よ う な 目故j を採 用 せ ず に、 北 京 委 員 会 訳 にあ る 「行 」 が 用い ら れ て い る。 例 ( 2 ) は文 語 化 の 例 で 、「 都 ∼了 」 か ら 「了 」 を 削 除 す る と後 ろ が 単 音 節 と な る ため に、「 全 」 を 採 用 し た よ う で あ る。 例 ( 4) は 意味 を 明 確 化 す る ため に 語 素 を 追 加 し た も ので 、 結 果 とし て 口 語 化 さ れ てい る も ので あ る。 こ れ はつ ま り、 口 語 を 文 語 化 す る と 北 方 系 官 話 と な り 、そ れ を さ ら に文 語 化 す る と 南 方 系官 話 に な る とい う 構 造 が 見 え て くる 。 例 ( 5 ) は 、「 几」 の 不使 用 、[ 和 ] ⇒ 「 輿」 と い っ た 官 話 和 合 訳 全 体 の 翻 訳 方 針 に 沿っ た 改 訂 で 、 そ れ が 北 京 委員 会訳 とー 一致 し た と 考 え ら れ る もの で あ る。「 凡」 の 他 に、 他 の 官 話 訳 の 参 照 に も見 ら れ る 「 就」 ⇒ 目則 も確 認 で きる 。 2.3  グ リ フ イ ス 訳 の 参 照 グリ フ ィス 訳 を 参 照 し て い る と 思 わ れ る 箇 所 は 、1263 箇 所 の う ち315 箇 所25 %で あ る。 こ の グリ フ ィス 訳 参 照 の 特 徴 とし て 多 く 見 ら れ る の は 、「 叫 」 ⇒ 「 使 」 へ の改 訂 で あ る。 ま た、 他 の官 話 訳 の 参 照で も見 ら れ る 「和 」 ⇒ 「 輿」 へ の改 訂 も確 認 で き る 。 こ れ ら は 、 文 体 の 統 一 性 を 保つ た め の 機械 的 な改 訂 と 考 え る べ き で あ る。 以 下 に グ リ フ ィ ス 訳 を 参 照 し て い る 例 (8 )        −55 −

(10)

を示 し 考 察 を 行 う 。 け) 叫 這 個 人 行 走 孔 − − ⇒  使 這 人 行 走 屁 。 (3:12) − − (「吽 這 人 行 走 磨。」 (使 這 人 行 走 磨、) ( 就 叫 這 人 行 走 的 口馬。) ( 2 ) 因 鳥 上 帝 血 他 同 在 。 − ⇒ 因 鴬 神血 他 同 在 。  (10 : 38) − ( 耶 解 蒙 上 帝 的 獣 佑、 ) ( 因 鴬 上 帝 輿 他 同 在、 ) ( 因 焉上 帝 幇 助 他。 ) (3) 我 定 晴 観 看 、 思 想 、 見 有 地上 四 足 的 牲 畜 、 -⇒  我 定 晴 観 看 、 沁ly114 地 上 四 足 的 牲畜 、( H : 6) -(我 注目 靉 看 、 内 中 有 地 上 四 足 的 牲 畜.) (我 注目 観 看 、 見 内 中 有 地 上 四 足 的 牲畜、) (我 瞳 着 眼 晴 、 看 見 裡 面 有 四 脚 的 畜 牲、)

( 4) 比帖訓 莉ま迦的 人、乖枇 良訟、

⇒ M於帽 叫 幻ぶ緋り人、 (17: m

( 比帖撒羅尼 迦的 人、性情良善、)

(賢 於帖撒 羅尼迦的 人、)

(比帖 撒羅尼 迦的 人良善 些、)

(5)満心感 謝的承受。

例 け )、( 2 )、( 4 )、( 5 ) は改 訂 前 で も官 話 と し て は 成 立 し て い る が 、 文 語 化 す る こ と に よ り 硬い 表 現 の官 話 に変 化 さ せ てい る も の で あ る 。 例 (4 )、( 5 ) の よう に、 文 語 化 は 硬 い 表 現 の官 話 に変 化 させ る だ け で な く、 文 の 簡 明 化 と い う 効 果 も も た ら し て い る 。 例 ( 3) は 、「 内 中 」 を付 加 して 意 味 を 明 確 化 し て い る が 、 動 詞 に 単 音 節 「見 」 を採 用 し て い る た め 、 メ ド ハ ース ト 訳 の 「裡 面 」 を採 用 せ ず に、 文 語 的 な 表 現 「 内 中」 が 用 い ら れ て い る 。 つ ま り、 こ こ で も文 語 化 に よる 北 方 系 官 話 か ら 南 方 系 官 話 へ の 転 換 が 見 ら れ る 。 −54 −       (9 )

(11)

← 2.4  メ ド ハ ー ス ト 訳 の 参 照 メ ド ハ ー スト 訳 を参 照 し て い る と 思 わ れ る 箇 所 は、1263 箇 所 の う ち197 箇 所19 % と他 の 官 話 訳 と比 べ て 少 ない 。 以 下 に 例 を示 し てそ の 特徴 につ い て 考 察 を行 う 。

(1)和几住在耶路撒冷的人、

和一切住在耶 路撒 冷的人墜 、 (2:14 )

(和几住在耶路 撒冷 的人、)

(和 几 住 在 耶 路 撒冷 的 百 姓、) ( 猶 太 人 和耶 路 撒 冷 住 的 百 姓 呵.) ( 2 ) 有 一 位 天 使 、 在 西 乃 山 的 啖 野 荊 棟 火 焔 中 、 ⇒  在 西 乃 山 的 啖 野 、 有 一 位 天 使 、 従 荊 棟 火 焔 中 、  (7 :30 ) ( 主 的 使 者 在 西 乃 山 的 映 野 、 荊 輔 火 焔 中、 ) ( 主 的 使 者 在 西 乃 山 的 啖 野 、 荊 棟 火 焔 中、 ) ( 在 西 乃 山 野 、 従 荊 練 的 火 焔 常 中 、上 主 的 使 者、 )

( 3) 非斯都和議會商議丁、

非斯都和議會血並了 、(25 : 12)

( 非斯都奥議事會商議 丁、)

( 非士都和議事的公 會商議了、)

(非士都和議事 的公 會商量、)

( 4) 等我解他到該撒那裏。

⇒ 等我解他到該 撒那 裏去 。(25 : 21)

(等候我 解他到 該撒那裏。)

(等 候我 解他到 該撒那裏、)

( 解到 該撒那 裡去。)

(イ示必 姑 在 該 撒 面 前、) (称 必 定 姑 在 該 撒 面 前、) (27 : 24) メド ハ ース ト 訳 の み を参 照 し て い る 箇 所 は、 こ れ ら の 例 を 見 て も 分 か る よ う に 、 口 語 化 に と も な う 参照 が多 い 。 メド ハ ー スト 訳 は南 京 人 に よ っ て 南 京 官 話 に 翻 訳 さ れ た も の で あ る が 、 こ のメ ド ハ ー スト 訳 の み を参 照し て い る 箇 所 は 、 南 京 官 話 で あ る が 故 に 和 合 訳 に 採 用 さ れた と は思 わ れ ない 。 例 ( 1) は 語気 助 詞 を 付 加 し て の口 語 化 に つ い て は 参 照 し て い る が 、 そ の (10 )        −53 −

(12)

付 加 さ れ た 語 気 助 詞 は メ ド ハ ー ス ト 訳 の も の と は 異 な っ て い る 。 ま た 、 例 ( 3 ) で は 硬 い 表 現 の 『 商 議 』 が 口 語 化 さ れ て 「 商 量 」 と 改 訂 さ れ て い る の が 分 か る 。 例 ( 5 ) は 意 味 の 明 確 化 さ せ る た め に 「 要 」 を 「 定 」 と 交 換 し て 強 調 す る こ と に よ り 、 口 語 的 表 現 と し て 残 さ れ て い る も の で あ る 。 例 ( 2 ) に つ い て は 、 英 語 訳 の 影 響 を 受 け て い る 表 現 か ら 中 国 語 が 持 つ 自 然 な 表 現 順 序 に 改 訂 さ れ て い る 例 で 、 英 語 改 訂 訳 で は 「an angel appeared to him in the w11-derness of mount Sinai, in a name of fire in a bush.」 と 訳 さ れ て い る 。 こ こ ま で 、 単 独 で 参 照 さ れ た 箇 所 に つ い て 考 察 を 行 っ て き た が 、 さ ら に 続 け て 複 数 の 官 話 訳 と 一 致 し て い る 箇 所 に つ い て 考 察 を 行 う 。 2.5  北 京 委 員 会 訳 お よ び グ リ フ イ ス 訳 の 参 照 こ れ は 改 訂 箇 所 が 北 京 官 話 の 北 京 委 貝 会 訳 と華 中 官話 の グ リ フ ィ ス訳 と 一 致 し 、 両 方 を 参 照 し て い る とみ なす こ とが で きる もの で 、121 箇 所確 認 で き た。 こ れ は、 独 自訳440 箇 所 、 北 京 委 員 会 訳 の み72 箇 所 、 グリ フ ィス 訳 の み44箇 所 、 メド ハ ー スト 訳 の み38 箇所 、 北 京 委員 会 訳 と メ ド ハ ース ト 訳 9 箇 所 、 グ リ フ ィ ス 訳 とメ ド ハ ー ス ト 訳41 箇 所 、 3 種 類 す べ て109箇 所 の う ち 、 独 自 訳 に次 ぐ 多 さ と な っ て い る 。 こ れ につ い て 以 下 に 例 を示 し 考 察 を行 う。

( 1)門徒都聚集在一個地方。

-⇒ 門徒都聚集在一處。 (2:1)

-(門徒都│可心合 意的聚集在一 處。)

( 門徒都同心合 意、聚集在一 處、)

( 學生椚聚集 、大家同心。)

( 在這 地 方 服 事我。) ( 在這 地方 服 事 我、) ( 服事 我 在 這 個 地方、)

(3) 主£

.

有水的地方.

-⇒ 到了有水的地方.(

:36)

-(到了有水的地方.)

(到了有水的地方、)

(来到水逡、)

(4) 就把他椚下在監裏、

便聘佃 門下在監裏、(16 : 23)

(滸他椚下在監裏、)

(就滸他椚在下在監裏、)

−52 −

(11)

(13)

− −    − ︲ ︲ − − − ( 就 把 他椚 下 在 監 裏 、 吟 附 獄 官、)

( 5) 不 脚却 廼賓 情、

一-⇒ 得不 着賓情、(21 : 34)

-(得不著賓情、)

(得不 着賓情、)

(不 能暁得 情由、)

こ の 北 京 委 貝 会訳 お よ び グ リ フ ィ ス 訳 の 参 照 で は 、 例 ( 1 )、( 2) の よう に過 度 に口 語化 さ れ て い る 箇 所 に対 し て 文 語 化 の 処 置 を 行 い 、 表 現 の硬 さ を加 え て 官 話 ら し さ を 出 す手 法 が 採 ら れ て い る も の と 、 例 ( 3 )、( 5) の よう に目 的 語 の音 節 数 の多 さ や 複 合 動 詞 に よ る リ ズ ム に よっ て 口 語 的 表 現 の 範 囲 内 で 表 現 方 法 を変 え た も のが 見 ら れ る。 例 ( 4 ) に つ い て は 、 「 把 」 ⇒ 「 聘 」 が 統 一 的 に 適 用 さ れ た も の で 、 こ の 処 置 に と も な っ て 直 前 の 「 就 」 を 「 便 」 に改 訂 し 、 フレ ー ズ全 体 を バラ ン ス 良 く文 語化 し てい る。 2.6  グリ フ イ ス 訳 お よ び メ ド ハ ー ス ト 訳 の 参 照 こ の グリ フ ィ ス訳 お よ び メド ハ ース ト 訳 の 参 照 は 、 改 訂 箇 所 が メ ド ハ ー スト 訳 と グリ フ ィ ス 訳 と 一 致 し 、 こ の 両 者 を 参 照 と し て い る と考 え ら れ る も ので 、41 箇 所 見 ら れ る。 こ れ は 複 数 訳 の 参 照 、 つ ま り 北 京 委 員 会 訳 と グ リ フ ィ ス 訳 の121 箇 所 、 北 京 委 員 会 訳 と メ ド ハ ー スト 訳 の 9箇 所 、 3 種 類 す べ て の 参 照109 箇 所 のう ち、 北京 委 員 会 訳 と グリ フ ィ ス 訳 の121 箇 所 に 次 ぐ 数 とな っ て い る 。 以 下 に例 を示 し て考 察 を 行う 。 ⇒ 又 謐 注 神 曾向 他 起 誓 、 -(知 道上 帝 曾 向 他 起 誓、) ( 暁 得 上 帝 曾 向 他 起 誓、) (2 :30 ) (就 暁 得 上 帝 曾 有 登 誓 的 話、) ( 2) 以 色 列 家 、 ⇒  以 色 列 家 阿 、  (7 :42 ) (以 色 列 人、 ) (以 色列 人阿、 ) (以 色 列 族呵、 ) ( 3 ) 保 羅 照着 他 素常 的規 矩 進 去 、 − ⇒  保 羅 照 他 素 常 的 規 矩 進 去 、  (17: 2 ) ( 保 羅 照 著 他 向 常 的 規 矩 進 去、 ) ( 保 羅 照 他 的 規 矩 進 堂、) (12 )        −51 −

(14)

(保 羅 照 他 的 規 矩 進 堂、) ( 這 些 人 没 有 愉 扁 殿 裏 的東 西、) ( 況 且 這 些 人 没 有 愉 扁 殿 裏 的 東 西、)

( 5) 就辞別起行、 往馬其 頓去ヱ。

⇒ 就駱別起行、 往馬其 頓去。 (20: n

( 絆別他椚、往馬其 頓去了、)

( 辞別他椚、就 往馬其 頓去、)

(大家 敦別、就到馬其 頓去。)

グ リ フ ィ ス訳 と メド ハ ー スト 訳 は、 そ れぞ れ華 中 の官 話 と 南 京 官 話 と い う 南 方系 官 話 で 訳 さ れ て い る もの で あ る 。 つ ま り、 両 者 に共 通 して い る も の を官 話和 合訳 が 採 用 し て い る と い う こ とは 、 南 方 系 官 話 の要 素 を取 り入 れて い る可 能 性が 考 え ら れ る。 例 ( 1 ) で は 明 ら か に 南 方 系 官 話 の語 彙 が 用 い ら れて 改 訂 が 行 わ れ てい る と と も に、 例 ( 3 )、( 4 )、( 5 )で も 文 語 化 と い う 現 象 が 見 ら れる 。 特 に例 ( 4) で は 目勣頴」 の 後ろ も 「廟 中 之物 」 と文 語 化 さ れ て い る 。 ま た、 例 (2 ) の よう に呼 び か け の 文 にお い て 、 語気 助 詞 を付 加し て し てい る 例 も 見 ら れ る 。 や は り 、 北 方 系 官 話 の 文 語 化 で 南 方 系 官 話 に転 換 する こ とが で きそ うで あ る。 2.7  北 京 委 員 会 訳 お よ び メ ド ハ ー スト 訳 の 参 照 こ れ は 北 京 委 員 会 訳 と メ ド ハ ース ト 訳 が 一 致 し て い る もの を 官 話 和 合 訳 の 改 訂 で 採 用 し て い る 箇 所 で 、 該当 す る の は 9 箇 所 と 少 な い 。 こ れ は 北 京 委 員 会 訳 が 北 京 官 話 に よる もの で 、 メド ハ ー ス ト 訳 が 甫 京 官 話 に よ る と こ ろ が 大 きい よう で あ る 。 以 下 に 例 を示 して 考 察 を行 う。 ( 1 )這 雨 個 人 、 我 椚 可以 恙 揉 辨 呪 、 -⇒  我 椚 営 恙 揉 諧 這 雨 個 人 ㈲ 、  (4:16 ) -(我 椚 座 常 忠 様 處 洽 這 雨 個 人、 ) (這 雨個 人 、我 椚 聘 恙 揉 處 治 呪、 ) (我 椚 聘 恙 磨様 處 治這 雨 個 人. ) (2) 和 よL聴 見這 事的 人、 − ⇒  和 聴見 這 事 的 人 、 (5:11) (全 教 會 和 聴 見這 事 的 人、) (全 會和 几 聴 見 這 事 的 人、) (通 會裡 和 聴 見 的 人、) −50 − (13)

(15)

− −

(3) 他椚聴見. 就極其悩怒、

⇒ 公會的 人聴見就 極其恬怒 、 (5 :33)

(公會 的人聴見大 怒、)

(衆 人聴見 這話、 就大怒、)

(衆 人聴見大怒、)

(行 希 有 的 異 能、) (上 帝 用 保 羅 倣 早 有 的 奇事、) 例 (1 ) は語 順 の改 訂 で あ る が 、 改 訂 前 の 箇 所 が 英 語 訳 の 影 響 を 受 け て い る た めで は な く、 特 に文 頭 に 「這 雨個 人」 を 置 く 必 要性 な い た め に 、 通 常 の 目 的 語 の 位 置 に戻 し て い る も ので あ る。 改 訂 前 の表 現 は グ リ フ ィ ス訳 の 参 照 と 考 え ら れる 。 ま た、 例 (3 ) で は 複文 が 単 文 化 さ れ て い る が、 こ れ は 官 話 以 前 の口 語 化 さ れ た 中 国 語 とし て も改 訂 す べ き も の であ る。 例( 4 ) は 訳 語 の適 正 化 に 関 わ る も の で 、「miracles」 を 「 異 能」 か ら よ り 適 切 な 「 奇 事 」 へ と 改 訂 し て い る 。 例 ( 2) は、 こ の フ レ ーズ の 前 に 「 全 教 会」 が あ る ので 、 意 味 が 重 複 す る 「 几 」 を 削 除 し た も の で 、 こ れ は 「 凡 」 を 「 一 切 」 に置 き 換 える か 使 用し ない か と い う 全 体 の 翻 訳 の 方 向 性 と も一 致 し て い る 。 こ の よう に、 北 京 委 員 会 訳 お よ びメ ド ハ ー スト 訳 の 参 照 箇 所 は 、多 く が 口 語 体 、 南 方 系 官 話 体 、 北 方 系 官 話 体 とい う 言 語 体 以 前 の 中国 語 とし て の 最 も 基 礎 的 な 問 題 に 関 す る も の で あ る こ とが 分 か る 。 ま た、 北 京 官 話訳 の 北 京委 員 会訳 と 南 京 官 話 訳 の メ ド ハ ース ト 訳 の 一 致 箇 所 が 存 在 す る 理由 とし て は、 北 京 委 員 会 訳 成 立 の 際 に メ ド ハ ー ス ト 訳 を 基 礎 訳 本 とし たこ と に よ る も の と 思 わ れ る。 2.8 3 種 類 す べ て を 参 照 こ れ は 北 京 委員 会 訳 、 グ リ フ ィ ス 訳 、 メ ド ハ ース ト 訳 の 3種 す べ て の 表 現 と 一致 し てい る つ ま り 3 種 類 の官 話 訳 す べ て を 参 照 し て い る と考 え ら れる も ので あ る 。 以 下 に 例 を 示 し 考 察 を 行 う 。 け ) 即i 洵 服 是 病 腿 的 、 -⇒  生 来 是 病 腿 的 、  ( 3: 2) -( 有 一 個 人生 束 是 廟 腿 的、 ) (有 一 個 人 生 束 是肢 脚 的、 ) (有 個 人生 束 就 折 脚 的、 )

(16)

( 2) 恙磨能明白屁。

-⇒ 

l 鉉明白軋 (8 :31)

-(忠能明白 W。)

(恙能明白屁、)

( 忠能暁得、)

( 3 ) 用崔 把 他 従 城 綺 上 槌 下 去 。 − ⇒  用L 丘把 他 従 城 談 上 槌 下 去 。  (9 :25 ) -( 用 隋 子 滸 他 従 城 上 繋 下 来。 ) ( 用 筥 子 滸 掃 羅 従 城 上 槌 下 束、 ) ( 於 是 學 生 椚 夜 裏 用 筥 子 従 城 駱 上 、 把 掃 羅 槌下 来 。) ( 4 ) 約 在 第 九 粘 鐘 、 -⇒  約 在 申 初 、  (10: 3 ) -( 有 一 日 約 在 申 初 時 分、 ) ( 有 一 日 約 申 初 的 時 候、 ) ( 有 一 日 約 申 初 的 時 候、 ) (到 了 第十 四 日夜 間 、 船 在 亜 底 亜 海 瓢 蕩、) (到 了 第十 四 日夜 裏 、 船 在 亜底 亜 海、) (到 第十 四 天、 船 在 亜 底 亜 海 瓢 来 瓢 去、) こ れ ら の 例 か ら 、「 3 種 類 す べ て を 参 照 」 の 傾 向 と し て 、 官 話 体 を 構 成 す る 共 通 事 項 の 改 訂 と い う も の が 見 え て く る 。 そ の 中 に は 、 英 語 訳 の 影 響 を 受 け た 箇 所 の 官 話 化 も 含 ま れ て い る 。 例 ( 4 ) の 英 語 訳 は 、「as it were about llle nillth h。tlr of the day,」 で 、 改 訂 前 は 「 第 九 鐘 」 と 訳 さ れ て い る 。 例 ( 5 ) の 英 語 訳 は 、「But when the fourteenth night was come, as we were driven to and fro in the sea of Adria,」 で 、 改 訂 前 で は [ 我 椚 ] と 訳 さ れ て い て 英 一 語 訳 と 一 致 し て い る 。 3. 3 種 官 話 訳 参 照 の 変 化 永#2012 で も指 摘 し て い る よう に、 官 話 和 合 訳 『使 徒 行伝 』 は 、 官 話 委 員 会 初 の 和 合 訳 と し て 、1899年 に出i版 さ れ、1907 年 に初 め て改 訂 さ れ 、さ ら に1910 年 の 第 二 次 改 訂 を 経 て 、1919 年 の 決 定 訳 へ とつ な が っ て い る 。 こ れ まで は 決定 訳 に 際 し て 、 ど の 官 話訳 が どの よ う に 参 照 さ れ た か を 考 察 し て き たが 、 こ こ で は1910 年 訳 が ど の官 話訳 を 参 照 し 、そ の 箇 所 が改 訂 の 際 に ど の よ う に 変 化 し た か を 考 察 す る 。 −48 − (15)

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3。1  改 訂 前 と 改 訂 後 の 参 照 の 変 化 まず 、 改 訂 前 と改 訂 後 の そ れぞ れ の 3種 官話 の 参 照 率 を表 1 に示 し 考 察 を 行 う 。 表 1 . 改 訂 前 お よ び 改 訂 後 の参 照 率 の変 化 (改 訂 前1151 箇 所 、改 訂 後1263 箇 所 に対 す る 割 合 、 少 数 第一 位 を四 捨 五 入) 改 訂 前 の 参 照 数( 率) 改 訂 後 の 参 照 数( 率) 独 自 訳 506(44 %) 440(35 %) 北 京 委 員 会 訳 264(23 %) 311(25 %) グ リ フ ィ ス 訳 234(20 %) 315(25 %) メ ド ハ ース ト 訳 147(13 %) 197(16 %) 表 1 か ら 、 改 訂 前 に 独 自 訳 が 採 用 さ れ た箇 所 は 、 改 訂 後 に は10 % 減 少 し 、 そ れ が 北京 委 員 会 訳 へ 2 % 、 グ リ フ ィ ス 訳 へ 5% 、 メ ド ハ ース ト 訳 へ 3 %の 比 率 で 移 っ て い るこ と が分 か る。 こ こ か ら 。 恐 ら く1899 年 に 最 初 に 単 巻 とし て 出 版 さ れ た訳 で は 最 も独 自訳 の 割合 が 高 く、 改 訂 の た び に参 照 訳 が 加 わっ て 独 自 訳 の割 合 が 下 が っ て きて い るこ とが 考 え ら れ る。 ま た、 メ ド ハ ース ト 訳 を 1 と し た比 率 で 表 す と、 お お よそ そ れぞ れ 3: 2: 2: 1 と 2: 2 : 2 : 1 に なり 、 改 訂 後 で は 独 自 訳 、 北 京 委 員 会訳 、 グリ フ ィ ス訳 が 同程 度で 参 照 さ れ て い るこ と が 分 か る 。 3.2  改 訂 前 の 参 照 訳 の 変 化 3.1 で 改 訂 後訳 が 参 照 し た 訳 とし て 、 独 自 訳 、 北 京 官 話 訳 、 グ リ フ ィ ス 訳 、 メ ド ハ ー ス ト 訳 があ り 、 そ れが 2 : 2: 2: 1 の 比 率 で 参 照 さ れ てい るこ と が 分 か っ た 。 こ こ で は さ ら に 改 訂 前 に 参 照 さ れて い た訳 が改 訂 後 で は ど の よ う に 変 化 し て い る か に つい て 考 察 を 行 う 。 表 2. 改訂 前訳 の 参 照 訳 と そ の 変 化 先 ( 縦: 改 訂 前 に 参 照 さ れ て い た 訳 、 横 : 改 訂 後 に 参 照 さ れ た 訳 、 割 合 は 少 数 第一 位 を四 捨 五 入) 独 自 訳 北 京 委 員 会 訳 グリ フ ィ ス訳 メ ド ハ ー スト 訳 独 自訳 211(25 %) 247(30 %) 241(29 %) 138(16 %) 北 京 委員 会 訳 194(66 %) 1(O % ) 50(17 %) 51(17 %) グリ フ ィ ス 訳 171(70 %) 41(17 %) 3(1 % ) 30(12 %) メド ハ ー スト 訳 96(57 %) 38(23 %) 33(20 %) O(O %) 表 2 か ら 、 改 訂 前 に 独 自 訳 を 参 照 し て い た箇 所 は 、 お お よそ 改 訂 後 で は さ ら に 別 の独 自訳 、 北 京 委 員 会 訳 、 グ リ フ ィ ス 訳 へ と 参 照 訳 を変 化 させ てい る こ とが 分 かる 。 改 訂 前 の参 照 が 北 京 委 員 会 訳 の 箇 所 は お お よそ 独 自 訳 へ 変 化 し 、 グリ フ ィス 訳 で もお お よそ 独 自訳 へ変 化 し て (16 )       −47 −

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い る と言 え る。 改訂 前 の 参 照 箇 所 が メ ド ハ ー スト 訳 の も の は 、 独 自 訳 へ の 変 化 が 最 も 多 く 、 ほ ぽ 同率 で 北京 委員 会 訳 と グ リ フ ィ ス 訳 へ 変 化 し て い る こ と が 分 か る 。 お わり に こ れ ま で の 考 察 に よ り 、 決 定 訳 へ の 影 響 に 関 す る 特 徴 と し て 、 まず 口 語 的 表 現 の 文 語 化 が 挙げ ら れ る。 官 話 と し て 過 度 に 口 語 的 な 表 現 を文 語 化 す る こ とに より 北 方 系 官 話 を 構 成 し 、 こ の 北方 系 官 話 を さ ら に 文 語 化 す る と 南 方 系 官 話 と な る とい う こ とで あ るO そ の文 語 化 を 行 う 際 に、 文 言 語 彙 を 直 接 用 い た り 、 文 言 語 彙 を 直 接 用 い ら れな い 場 合 に は古 い 白話 語 彙 を 用 い た り し て い る こ と が 確 認 さ れ た 。 南 方 系 官 話 と 北 方 系 の 官 話 を 識 別す る 標 識 とし て 個 別 の 語 の み に 注 目 し が ち で あ る が 、 作 品 全 体 の 文 語 化 の 濃 淡 に よっ て 、 北 方 系 官 話 にな っ たり 、 南 方 系官 話 に な っ た り す る よう に 、 全 体 の 文 語 化 の 程 度 に も 注目 する 必 要が あ る。 本 稿 に お け る 考 察 か ら 、 改 訂 前 の1910 年 官 話 和 合 訳 は 北 京 語 と北 京 官 話 の 中 間 に位 置 す るこ と、 そ れ が 改 訂 に よ っ て1919 年 の 官 話 和 合 訳 で は、 南 方 系 、 北 方 系 両 方 の 官 話 を 構 成 す る要 素 が 混 合 さ れ て い る こ と か ら 、 南 京 官 話 と北 京 官 話 の 間で や や 北 京 官 話 よ り の官 話 で あ るこ とが 分 か る 。 また 意 味 内 容 を 明 確 化 し たり 、 簡 素な 表 現 に 改 め たり 、 中国 語 の持 つ 表 現 方 法 に適 合 さ せ る た め に 、 3 種 類 の 官 話 訳 が 参 照 さ れて い る こ と も判 明 し た。 3 種 の 官 話 訳 の 参 照 割 合 とし て は 、 改 訂 前 と改 訂 後 で は大 き な 差 は 見 ら れ な かっ たが 、 改 訂 後 の 独 自 訳 の 参 照 が 改 訂 前 に比 べ10 % 減少 し、 そ れ に と も ない 独 自訳 、 北 京 委員 会訳 、 グ リ フ ィス 訳 が お お よそ 均 等 に参 照 さ れ るこ と とな っ た。 さ ら に、 改 訂 前 に独 自 訳 を参 照し て い た 箇 所 は 、 別 の 独 自 訳 、 北 京 委 員 会 訳 、 グリ フ ィ ス訳 へ と参 照 訳が 変 化 し 、 北 京委 員 会 訳 の 参 照 箇 所 と グリ フ ィ ス訳 の参 照 箇 所 はお お よそ 独 自訳 へ 変 化 し 、 メド ハ ー ス ト訳 へ の参 照 は 少 な い とい う 結 果 が 得 ら れ た。 メ ド ハ ー スト 訳 の 参照 が 少 ない の は、 お そ ら く官 話 とし て は 最 早 期 の 訳 文 で 官 話 とし て成 熟 度 が 不足 し て い て採 る べ き とこ ろが 少 ない た めで あ る と 考 え ら れる が 、 こ れ につ い て は さら に北 京委 員 会 の 北 京官 話 訳 と メド ハ ー スト の 南 京官 話 訳 の 全 体 を 比 較 し て 考 察 す る 必 要が あ る 。 注 1 ) Eber 1999 : 108 を 参 照 。 2 ) 吉 田1993 で は 、1862 年 以 降 の 著 作 の 傾 向 と し て 、 キ リ ス ト 教 教 義 の 解 説 書 よ り 払 欧 米 近 代 文 化 を 紹 介 す る 啓 蒙 的 著 作 が 多 く な っ て お り 、 こ れ を M artin の 宣 教 活 勣 に お け る 転 機 と し て い る 。 3 ) BroomhaH 1934 : 83 を 参 照 。 4 ) 山 口1921 : 284 を 参 照 。 5 )Zet zsche 1999 : 206 を 参 照 。 な お 、 結 果 と し て グ リ フ ィ ス は 和 合 訳 の 翻 訳 に は 参 与 し な か っ た 。 6 ) Garnier 1933 で は 、 こ の 浅 文 理 訳 は ギ リ シ ヤ 語 「 公 認 本 文 」(Textus Receptus ) か ら の 訳 出 と さ れ て い る 。 7 ) 正 式 な 設 立 発 表 は1817 年 。 −46 −       (17 )

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8 ) Wylie 1867の1856 年 出 版 に つ い ては 、Garnier 1933で も1857年 で は ない か と い う指 摘 が 見 ら れ る 。 9 )Broomha11 1934 : 80を参 照 。 10 )Zetzsche 1999 : 199を 参 照 。 参 考 文 献 1857 「 新 約 仝 書 」 ( メ ド ハ ー ス ト 訳南 京 官 話 )。 上 海 : 墨 海 書 館 1892 「 新 約 仝 書 」 ( グ リ フ ィ ス訳 )。 漢 口 : 英 漢 書館 1903 「 新 約 仝 書 」 (1872 年 北 京 官 話 訳 )。 上 海 : 大 美 国 聖 経 会 1912 「 使 徒 行 伝 」 (1910 年 官 話 和 合 訳 )。 上 海 : 聖 書 公 会

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参照

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