所の寺院の仏像の建立・移動をめぐって―
著者
ドンネレ・アリーセ
雑誌名
論集
巻
43
発行年
2016-12-31
URL
http://hdl.handle.net/10097/00130345
寺院の境内における地蔵尊の役割
ー仙台市の四ヶ所の寺院の仏像の建立・移動をめぐって
一ドンネレ
・
アリ
ー
セ
1. はじめに 日本において, 地蔵尊は「庶民のほとけ」[頼富本広,1984], 「個人的な祈 願を何でも受け入れる身近な方能利益者」[渡浩一,2011], 「現代日本人にとっ て伝統的習俗と化し仏教としての宗教性を失ってくる菩薩」[大島建彦編 1992a : 1]とされている。 しかし, 現在の日本では 地域社会で古くから祀ら れていた地蔵堂がその社会の変化とともに壊され, その中に祀られていた地蔵 尊が近くの寺院に移されることがあるし このような地蔵堂が少なくなってくるうちに, 日本人の地蔵尊との接触は, 多くの場合, 寺院,特に自分の回向寺において行われているではないかと考え られる。 そのため, 現在寺院特に, 観光スポット ・参詣スポットではない一 般寺院における地蔵尊の役割の研究が必要であると考えられる。 筆者はこれまでに仙台市の寺院の156箇所における地蔵信仰のの事例を集め ている。 地蔵尊が祀られている場は主に 「入りロ ・ 境」(例えば, 山門の前, 墓地の入り口など)と言えるところであると分かった。 多くの場合, 地蔵尊が 古くから同じところで祀られているため, 現在の住職も, 住職の家族もその建 立事情を把握していない。 しかし, 訪問した寺院のいくつかにおいて, 最近祀 られたり,及び移動されたりした古い地蔵尊を見ることができた。その場合,「こ こでこのような地蔵尊を祀る」という決定までの道を調べることができ それ から一般寺院に存在している地蔵信仰の形もさらに明らかにすることができる と考えた。 1 例えば, 泉区の見松寺には近くの村から移動された地蔵尊が数多く祀られている。 青森県五所川原市金木町にある川倉賽の河原地蔵尊の住職によると, 本堂で祀られ ている地蔵尊は近くの村から移動された。 村の住民が都市に引越ししているため, 地蔵尊の世話をできる人がいない。(2013年7月21日の見松寺の東堂とインター ビューより)そのために, 本論文においては 地蔵尊の建立・移動の事情を手がかりに, その背景にある地蔵尊に期待されている役割を考えてみたい。 可能な限り, 地蔵尊を祀る場である寺院の環境を伝えたいため, 本論文にお いては, マクロに多数の事例を扱うのではなく, 4ヶ所の事例だけを選択して とりあげてインテンシヴに検討したい。 具体的には, 筆者が作った地蔵尊の地 図, それに加えて, 各寺院の住職のインタビューを通じて, 詳細にこれらの寺 院の境内に祀られているその地蔵尊の建立の事情を比較することによって, 現 代寺院における地蔵尊の位置とその役割について論じる。 2. 地蔵尊を祀る理由 日本の寺院において, 地蔵尊の石像はおびただしい数にのぼる。 筆者が調査 した寺院の中には, 列に並んでいる地蔵尊の像が80体まで確認されたところも あって2, 個人墓にも小さな地蔵尊の像はしばしば祀られている3 0 地蔵尊の像はなぜこんなに多く立てられてきたのか。 まず, 地蔵信仰に関す る文献を手がかりに, 日本における地蔵尊信仰の背景を考察していきたい。 日本では, 地蔵尊は比丘の姿で表されることが多い。 それは『地蔵菩薩霊験 記』[大島建彦, 榎本千賀編, 2002-2003]などの説話集における地蔵尊の化 身の姿でもある。 また, 日本における地蔵尊の像のほとんどは声聞形である。 この形の由来について, 真鍋広済は『八大菩薩曼荼羅経』,『地蔵菩薩儀軌』 な どにおける「菩薩形」, つまり, 頭に冠をつけて, 右手が施無印をしている姿 を取り上げ, 地蔵尊がそのような姿ではなく, 比丘形・声聞形の姿をしている というのは, 衆生には近づきがたい菩薩の姿を隠すためであるとしている[真 鍋広済, 1959 : 18]。 また, 地蔵尊が一般的に人間らしい比丘形の姿をしてい ることはその特徴であると言えるとも言う[真鍋広済, 1959 : 19]。 多くの研究者は地蔵尊の人気をこの形の影響であるとしている。 五来重は地 蔵尊についてつぎのように述べている。「地蔵菩薩は唯一の人間(比丘)の姿 をした仏だからで, 個々にこの仏への親しみの原因の一つがある。 すなわち多 種多様な地蔵信仰を分析してゆけば, 結局は日本人の最も根源的な信仰対象で 2 例えば, 仙台市若林区新寺にある光壽院の参道の右に祀られている地蔵尊。 3 例えば,[福原堂礎1988 : 66]には, 一家の墓にて, 子供・水子に必ず地蔵尊が 必要とされている。
-161-ある「祖霊」または「先祖」を仏教化したものに他ならない」[五来重, 2007 : 272]。 また, 寺院の建物の中に祀られている本尊と主に外で祀られてい る地蔵尊の関係について,「この構造は, 上部構造の諸大寺の高級僧侶は結構 な庫裡客殿僧房に金襴の衣に包まれているのに, 民間寺院の下級僧侶や遊 行の聖は破れ寺に住み,雨露風雪に打たれて科撤勧進をするのとおなじになる」 と述べている[五来重, 2007 : 27 4]。 中世日本の仏教における地蔵尊のイメー ジを纏めたヘンク ・ グラスマンも比丘形が大きな意味を持っていたと述べ, 僧
侶 で あ る 地 蔵 尊 がa familiar and in many ways a very ordinary figure. At the same time, of course, this Buddhist monk is absolutely extraordinary. He is exemplary monk but also guide, mediator between life and death, shaman,
thaumaturge, and teacher. (筆者訳:身近で, 様々な意味でとても一般的な姿で
あるが, 同時に特殊な僧侶である。 規範的な僧侶で, 指導者, 生と死の間の世 話役, シャマン, 奇蹟を行う者, 先生でもある)[Glassman, 2011 : 19] と結論 している。 しかし, 特殊な僧侶であっても, 地蔵尊は人間らしさを保っている。 五来重 が述べているように, 僧侶だけでなく, 例えば, 理想的な親のイメージになっ たり, 子供・ 水子の象徴になることもある\ 地蔵尊は非常に多様な役割を担っており, 民衆のほぼ全ての生活の場面に対 応できる仏である。 早川征子は説話集の『今昔物語集』における地蔵尊に関す る説話を次のように分類する:(イ)蘇生の利益 ー 12話, (口)地獄の苦を 免れる利益 ー 2話(ハ)現世利益 ー 9話(二)生身地蔵 ー 4話,(ホ) 死期(場)を知る利益 ー 2話, (へ)地蔵像の霊験 ー 2話, (卜)そ の他 ー 2話がある[早川征子, 1966 : 96]。 この分類から見られるように, 死に関する利益と現世利益は大体同じ数である。 死に関する利益に関して, 地 蔵尊は地獄からの救済者として信仰されている。 地蔵尊は『大乗大集地蔵十輪 経』, 『地蔵菩薩本願経』では無仏世界の六道の救済者とされ, 六道に苦しんで いる衆生を救う役割か記載されている。 例えば, 『地蔵菩薩本願経』の「分身集会品」には 4 水子供養における母としての地蔵尊・子供としての地蔵尊について, [Harrison, 1996]を参照。
(地蔵菩薩は)六道の中に在りて, 百千の方便をして罪悪の衆生を度し, 疲倦を辞さず。 と説いている。 あるいは, 「地神護法品」 には, この地蔵菩薩閻浮提において大因縁あり。 文殊・普賢・観音・弥勒の ごときは, また百千の神形に化し, 六道を度すも, その願なお畢寛あり。 この地蔵菩薩は, 六道一切衆生を教化し, 発するところの誓願の劫数は, 千百億恒河沙のごとし。 などとある。 六道とは, 天道, 修羅道人間道畜生道餓鬼道地獄道であり, そのう ち, 一番苦しみのある世界は地獄である。 地蔵尊は特に地獄に入って, 地獄で 苦しんでいる衆生, あるいは, 他の悪道で迷っている衆生を救う[速水侑, 1975 : 21]。 また, 末法思想とともに広まった地獄必定の意識の結果として, 死後の世界=地獄という観念が生まれた[速水侑, 1975 : 104]。 さらに, 地獄 のイメージに似ているところ, 例えば, 青森県の霊場恐山は死後の世界とこの 世の接点としてみなされてきた。 このようなところは, 鈴木岩弓が述べたよう に,「仏教的地獄と異なる,もっと身近で親しい 『地獄』」であり,「参詣者にとっ て, 一年に一回死者と交換し交歓する癒しのく場>」[鈴木岩弓, 2002]でも ある。 これらの場所には多くの地蔵尊が祀られている。 地蔵菩薩は死者を救 う地獄の救済者であるが, 一方, 五来重の説(地蔵尊は先祖の象徴である)と 鈴木岩弓の死者と出会える 「身近な地獄」の説を考察すると, 恐山, 賽の河原 と名づけられているとこちで祀られている地蔵尊の像は生者が接触できる死者 を象徴しているではないかと思える。 そうだとすれば, 墓地の周囲に祀られて いる地蔵尊もこのような役割を果たしているかもしれない。 もうひとつの地蔵尊の特徴は子供との関わりである。『霊験記』,『今昔物語集』 などでは地蔵尊はよく小僧として現れる5。 小僧に身を変えるという信仰は, 地蔵の子供の守り神としての役割を産んだと考えられる[速水侑, 1975 : 152 5 詳しくは, [片寄正義1974 : 432], [Dykstra 1978] などを参照。
-159--159]。 それは生きている子供,なくなった子供両方を含み,死後の世界では, 三途の川で子供を守る地蔵を描いている「賽の河原」の話が有名である。 地蔵 尊が親に先立って亡くなった子供の世話をするため,子供の魂の死後の安定を 求めて,江戸時代には埋葬した上に,石の地蔵の像を置くようになった[吉田 障也1962], [井之口章次,2000: 50]。 吉田嘩也が『因幡の童子地蔵』に収 めたこのような石地蔵の写真からよく理解できるのはその石像の子供らしさ・ 可愛いらしさである[吉田障也1962]。 個人墓の隅でよく祀られている童子 地蔵が古い墓が処分されるときに,どのように扱われるのか,後で事例をあげ て述べたい。 また,地蔵尊を祀る理由は日本の仏教より古い信仰に基づいているという説 もある。 柳田国男,和歌森太郎,五来重などは地蔵尊と道祖神(別名は境の 神,塞の神,賽の神)との習合を指摘している。 柳田国男によると,ムラの境 通路などには道祖神が祀られていた。 地蔵尊もムラの境,路傍など,「境」と いわれるところで祀られているため,地蔵は道祖神の本地といわれる[柳田国 男,1963: 277-282]。 和歌森太郎は地蔵は六道において迷っている者を導い くとされたところから, 幽明の境の菩薩として受けとられ,現実の境を守るも のとされ,道祖神と容易に習合したものであると述べている[和歌森太郎, 1951]。 五来重は形態的 ・ 宗教的な理由を取り上げ,道祖神はムラを病気,災 害を起こす悪霊から守る神であるとする。 そのムラの境あるいは悪霊の入り ロとされている四つ辻,三叉路などで祀られている石棒は仏教の影響で似た姿 の地蔵尊に変化してきたと述べている。 また,石棒の形は男根形であるため, 性神となり,縁結びや安産の神となり, また増産の神として福神ともなるため, 地蔵尊は そちらの機能も受け継いだと述べている[五来重,2007: 266-271]。 また,井之口章次は水引き地蔵雨乞い地蔵を取り上げて,地蔵尊が水神と関 連させられているではないかと述べている[井之口章次,2000: 52-54]。 このような古い時代から受継がれてきた民間信仰は寺院における地蔵尊の場 (例えば,寺院の入り口,墓地の入り口に地蔵尊を建立する習慣)に影響して いるのではないかと想像できる。 以上,先行文献を手がかりに,地蔵尊の信仰を考察してきた。 地蔵尊は他の 菩薩と違い,僧侶の形をしている。 その形は非常に特徴的であり,いくら素朴 な像でも,すぐ地蔵尊として認められる。 同時に, その形に地蔵菩薩だけでな
く, 様々なもの, 例えば, 自分の先祖, 子供・水子などを読み取ることができ る。 菩薩であっても, 同時に人である。 また, 仏教の伝統の一部であるが, 仏 教以前の信仰との関わりを持つため (道祖神, 水神など), 建立の理由と祀る 場所は仏教以外の信仰に基づく可能性がある。 次に, 四つの違う宗派, を取り上げ, もっと詳しく う地域の寺院にお ・移動 していきたい。 2. 仙台市内の寺院における地蔵尊の建立・移動の理由 まず, その研究の対象について述べよう。 前に述べたように, トーリー 台市内の全ての寺院を研究の対象としているが, 本論文では より詳しく各地 トーリー, そして, 寺院の環境を取り上げたいため, 四つ 択して, その事例だけを取り上げる。 今回の事例は泉区実沢の西照寺(真宗大谷派), 太白区富田の金 , 若林区の保春院(臨済宗妙心寺派) と青葉区上杉の光禅寺(天台宗) で ある。共通点はいずれも観光スポットでもなく,参詣のスポットでもない,主に ている一般寺院である。しかし,多様な事例を取り上げたかったため, っている宗派の寺院を選択した。 しかし, 事例の選択の主な理由は寺 院の地蔵尊の位置である。 例では, 真宗大谷派における地蔵尊の 扱いを考察したい。 金昌寺には地蔵尊 が多く, 様々なところに祀られている。 保春院の場合, 地蔵尊がニヶ所( 建物 の外一ヶ所と建物の内一ヶ所) に祀ら れている。 また, 光禅寺は仙台の中心 部にある小さな寺院であり, 珍しく地 としている60 まず, ける地蔵尊の位置 の地図を見てみよう (地図A)。 写真l。 山門の隣に祀られている江戸時代 浄土真宗の寺院には阿弥陀如来以外, の地蔵尊(Al)。 筆者撮影,2016年10月6日。 6 仙台市内には地蔵尊を本尊としている寺院は四つしかいない。
157-仏像はほとんど見られないことが多いが, 例外もある。 西照寺はその一つであ る。 山門の隣に二つの仏像が祀られている。 ひとつは門徒から
菩薩で, もう一つ, Alは江戸時代の地蔵尊である。
れた観音 また, 駐車場から境内への参道の左にはA2, A3, A4, A5, A6の地蔵尊の 列がある。 A3 , A4 , A5, A6は江戸時代の童子地蔵であり, A2は昭和の後期, あるいは平成時代の水子地蔵である〗
写真2. 参道に祀られている江戸時代の童子地蔵の列(A3, A4, A5, A6)。 筆者撮影, 2015年8月12日。 写真3. A3のそばに置かれた水子地蔵(A2)。 筆者撮影,2016年10月6日。 住職によると, A2はおそらくだれか持ってきたものであろうという。 より 古い地蔵尊の建立の事情は明らかではないが,住職によると,「開創は1898年(明 治31年)で, これ (地蔵尊)は西照寺が創立される前にここにあったかな」 と のことであった8。 しかし, 2年後のインタビューでは, 「このあたりは農家が多 く, 自分の墓地がなくなって, お寺に持ってきたかもしれない」と追加した。 また, 寺院の墓地合葬碑には2mぐらいの地蔵尊, A7, が祀られている90 そちらは観音菩薩とともに門徒から寄付されたものである。 西照寺の地蔵尊の特徴は, 全て住職ではなく, 信者によって建立されたもの だということである。 また, 住職は境内に祀られている仏像について, 信者が 7 2014年7月25日のインタビュー, 及び2016年10月2日のインタビューより 8 2014年7月25日のインタビューより 9 2016年10月2日のインタビューより
親しみを感じられる仏像(地蔵菩薩 および観音菩薩)を寺院に祀りたいな ら, 時にその希望に応じて, 例えば, 寄付された仏像を受け取ると説明し た叫つまり, 地蔵尊を祀りたいのは 信者であり, 寺院はそちらを受け取る ことによって, 信者にとってもっと身 近なものになろうとしている。 次に, 金昌寺という曹洞宗の寺院を 見てみよう(地図B)。 金昌寺の山門の前には1773年(安 永2年)10月15日に建立された六地蔵 B9が祀られている。 写真4. 墓地に祀られている地蔵尊(A7)。 以前は道沿いに向かい合わせて祀ら 筆者撮影, 2016年10月6日。 れており, 山門の前には 二つの「南無阿弥陀仏」 の石碑があった。 しかし, 境内の改築の際, 石碑は 内の奥に移動され, B9はその代わり に の入り口に外向きで祀ら れるようになった。 住職 は「こちらの変更には特 に意味がなく, ただ山門 をもっと綺麗にしたかっ 写真5. 山門の前に祀られている六地蔵(B9)。 筆者撮影, たから」IIと説明したか," 2016年8月23日。 B9をもっと見やすいところで祀りたい希望があったと考えられる。 また, 境内に入ると, 本堂の前に「水掛合掌地蔵」(Bll) が祀られている。 これは2004年(平成16年)に建立され, 住職はBllの意味を次のように述べ 10 2014年7月25日のインタビューより 11 2016年9月18日のインタビューより
-155-ている。「このお地蔵さ んに水を掛けると, 自分 の悩み, 不安を流すこと ができます。 住職ば忙し いので, 時々すぐにお会 いできません。 その場合, お地蔵さんは私の代わり に悩みのある方を慰めま す。」震災の際に, Bll が倒れたとき, 住職は再 び建立する必要がないと 写真6. 本堂の前に祀られている「水掛合掌地蔵」(Bl1)。 考えたが, 近所の子供達 が「お地蔵さんはいつ戻 りますか」と言い続けた ため, 水掛地蔵が再び建 立された 。 隣には水道があり, そ ちらにも地蔵 尊(BIO) が祀られている12 住職はBIOについて 「お地蔵さんですが, 同 時に小さくて, かわいい 筆者撮影, 2016年8月23日。 写真7. 水道に祀られている地蔵尊(BlO)。 筆者撮影, お坊さんといってもいい 2016年8月23日。 です。 水を無駄にしない ようにというメッセージを伝えるために立てました」13と言う。 墓地の入り口には多くの地蔵尊が祀られている。 1978年(昭和53年)に建立された大きなBl2は「水子子育て地蔵尊」と名づ けられているが, 実は, 水子供養のためだけでなく, 永代供養のためにも祀ら 12 2016年9月18日のインタビューより 13 2016年9月18日のインタビューより
れている。 この中には世 話ができる家族がいない 死者の遺骨が入っており, 御墓参りに来る檀家は B12を必ず通って, でいる。 また, お彼岸, お盆の時期にはたくさん の供物が供えられている。 住職によると, B12は寺 院で一番参拝されている 仏像である。 写真8. 墓地に祀られている地蔵尊。 筆者撮影, 2016年8 Bl2の左右に は50cm 月23日。 ぐらいの六地蔵Bl3が 写真9, 写真10. 彼岸の時期にたくさんの供物が供えられている。 供物から見られるよ うに, 水子のために供えられたと思われるヤクルト, 子供用のお菓子などとともに, 一 般的に墓参りの時期に供えられている果物, 和菓子なども見られる。 筆者撮影, 2016年 9月22日。 並び,後ろには子供の供養のため れた地蔵尊が数多く祀られている(主 に江戸時代のものであり, 明治時代・大正時代・昭和時代の地蔵尊もいくつか ある)。 その地蔵尊は古くなった墓を整理した際にここへと集められ, 列に並 べられたが, 同じ墓の墓石などは墓地の奥の永代供養塔に集積されている。 住
-153-職は墓石と地蔵尊を別々 に祀る理由を次のように 述べている。「亡くなっ た子供の為に祀られてい るお地蔵さんは可愛そう なので, 人が拝んでくれ るところで祀ることにし ました」 14。 また, B12の そばに夫婦の永代供養の ために建立されたB14が ある。 そちらも「お墓が 写真2016年8月23日。11. 本堂に祀られている地蔵尊(Bl, B2)。 筆者撮影, ないため, 人が拝んでく れるように, 墓地の入り口に建立され たもの」 15である。 つまり, 墓地の入 り口にいわゆる忘れられた死者のため のメモリアルのようなものがあり, 地 蔵尊は無縁仏を象徴するように置かれ ている。 次に, 金昌寺の建物の中に祀られて いる地蔵尊を見よう。 本堂には, 本尊 の釈迦牟尼の左に檀家から預かった仏 像であるBl, B2以外, 地蔵尊は祀ら れていない。 位牌堂には, 本尊の十一面観音の下 には一人の檀家が彫った地蔵尊, B4, 写真12. 位牌堂には, 一人の檀家が彫った B5, B6がある。 には がある。 三身本の地蔵尊(B4, B5, B6)が祀られて いる。 右の端には, 同じ方が彫った観音菩 き地蔵」, B3 薩が見られる。 筆者撮影, 2016年8月23日。 14 2016年9月18日のインタビューより 15 2016年9月18日のインタビューより
これは住職の代わりに不満・ 不安を 聞くと いう意味を持ち, 最初には外で 石仏にして祀る予定があったが, 結局 ためしに木像を作ってもらって, を作る必要がないと決め, 建物の中, 本堂の入り口のそばに祀った。 しかし, 「他の人の前でお地蔵さんと お 話するは恥ずかしい」 と言ったので, もっとプライベートに参拝できる位牌 堂に移した巴 また, 位牌堂の隣にある納骨堂には 本尊の観音菩薩の左右に二体の江戸時 代ぐらいの木造の地蔵尊B7, B8があ 写真13. 位牌堂に祀られている「愚事聞き るが, その由来は不明であり, 納骨堂 地蔵」(B3)。 筆者撮影, 2016年8月23日。 で祀る理由は「特にあり ません」17と されている。 金昌寺の例には, 次の 特徴が見られる。 まず, 金昌寺は西照寺と同じよ うに, 檀家からもらった 地蔵尊を寺院に祀ってい る。 また, 住職が信者の 悩みを慰める「愚事聞き 地蔵」と「水掛合掌地蔵」 を建立し, さらに信者の 写真14. 納骨堂に祀られている地蔵尊(B7, BS)。 筆者 希望に応じて「愚事聞き 撮影, 2016年9月22日。 地蔵」 を移動したり, 地震で倒れてしまった「水掛合掌地蔵」 したり した。 つまり, 金昌寺の場合でも, 住職が地蔵尊を建立する ・移動するとき, 信者の希望について考えている。 墓地に祀られている地蔵尊の例は非常に興味 16 2016年9月18日のインタビューより 17 2016年9月18日のインタビューより
-151-深い。 親戚がない, 墓参りに誰も来ない死者の慰霊のために, 何体もの地蔵尊 が建立された。 また, 処分された個人墓の地蔵尊(童子地蔵と水子地蔵)は子 供の供養のために祀られたものであったが, 住職はそれだけを墓石などから分 けて, 綺麗に列に並べた。 子供らしい童子地蔵と水子地蔵は大きな て地蔵尊」を囲む様子は「賽の河原」を思い出させる。 住職が子供の供養のた めに建立された地蔵尊が可愛そうであると思って, ここで童子地蔵・水子地蔵 を一番参拝されている地 蔵尊のそばに祀ることに よって, 亡くなった子供 を供養しようという があると考えられる。 また, 山門の前に祀ら れている六地蔵は境内の 改修の以前は, 寺院の外 から見えなかった。 それ が正面向きにされ, の代わりに祀られること になった理由について考 写真15. 墓地の入り口に祀られている地蔵尊。 筆者撮影, 2016年9月9日。 察したい。 石仏の研究者佐藤宗太郎によると,寺院の入り口が日常生活空間(俗 的空間 )と非日常空間 (聖的空間 )の境界であり, 石仏が自らの宗教性によっ て, より具体的な(リアリティーのある)宗教空間 を現出させている。[佐藤 1982 : 142-143]六地蔵が正面向きにされている様子はもっと綺麗に見える理 由はここにあるかもしれない。 次は臨済宗妙心寺派の保春院である(地図C)。 墓地の入り口に地蔵尊が立ち並んでいるのが目を引く。 C5以外の地蔵尊は古くなった墓から集積されたものである。 もともと墓石 とともに永代供養塔に収集されていた。 境内の改築のとき, 墓石も地蔵尊も処 分する予定であったが, 檀家から「お地蔵さんにお参りし続けたい」という声 があり, 地蔵尊だけを列に並べて, 墓地の入り口に置いた。 また, もともと本 堂の前に立っていたC5も墓地に移動することで, 境内の石地蔵を全て墓地の
入り口に安置した18 また, 本堂, 位牌堂には現在地蔵尊が祀られていない。 お茶会, 様々 徒の集まりが行われている書院には, Clの地蔵尊が「本尊」として祀られ, その下には20cmぐらいの水子地蔵C4, と二体の木造の地蔵C2, C3が祀られ ている。 書院は本堂の改築のときに建てられ, 本堂の本尊であ 書院に移動した。 本堂の改築が終って, 本尊を本堂のもとのところに戻したが, 書院にも本尊が必要と考え, 位牌堂に祀られている文殊菩薩とClの中からCl を選んだ。 そして, 檀家がいつの間にかC2, C3とC4を書院に安置した。 Cl の選択の理由については「特にありませんが, 書院に人がよく集まっているた め, 地蔵菩薩がもっとふさわしいと思いました」19とのことである。 ここで, 本堂の前で祀られた地蔵尊を墓地の入り口に移動して, らら 残った地蔵尊(主に童子地蔵)とともに祀ることは西照寺と金昌寺と同じよう に, 信者の希望にもとづいている。 そして, 文殊菩薩と地蔵尊の中から書院の 本尊を選択するとき, 結局地蔵尊が選ばれたことは地蔵尊の信者の中の人気 に影響されたのである。 最後に, 天台宗の光禅寺の事例を紹介したい(地図D)。 光禅寺は他の寺院 と較べて, 地蔵信仰と深い繋がりを持っている。 まず, 光禅寺の本尊は延命地 蔵大菩薩(D1) である。 写真16, 写真17. 光禅寺の本尊。 筆者撮影, 2016年9月24日。 18 2016年10月9日ー10日のインタビューより 19 2016年10月9日のインタビューより
-149-『光禅寺便り』にて本尊は次のように紹介されている: 「l 現在の青葉城址に慈覚大師円仁様が千身本のお地蔵様をお祀 りし, 「仙台」の名前の由来になったと伝わります。 お地蔵様は大地がす べての命・ し, 育むように, すべてを包みこみ, 救い, 導いてくだ さいます」20 0 また, 光禅寺のリーフレットには, 次のような文章が掲載されている: 「ご本尊様は地蔵菩薩 お寺の通称は「おじぞうさん」です。「我代わって苦を受けん」とおっしゃら れた仏様です。 敷居の低い親しみのあるお寺でありたいと願っております」(太 字はママ) 210 本尊の紹介では, 本尊の地蔵菩薩は人を救って, 導く とされ, 光禅寺自 体は地蔵尊のイメージを利用して, 親しみのある寺院であるともアピールして いる。 写真18, 写真19. 光禅寺の本尊の脇。 筆者撮影, 2016年9月24日。 本尊の脇として, 小さい地蔵の像が使われている。 この像は月一回に行われ 20 『光禅寺便り』, 2016年8月 21 光禅寺のリーフレットにより
ている「千身本地蔵を彫る会」にて作られたものである。 この会には檀家だけで なく,誰でも参加することができる。 また,光禅寺では本尊を基にしたマスコッ トが存在して, 寺院のお土産などにも使用されている。 寺院の二階の座禅会, 茶道教室, どが行われている部屋には,「本 として釈迦牟尼が祀られ, その下には小さい江戸時代の地蔵尊, D3が祀 られている。 本堂の中には, 入り口の右に70cmぐらいの石地蔵尊D2が祀ら れている。 写真20, 写真21, 写真22, 写真23. 光禅寺のお土産。 筆者撮影, 2016年9月24日。 住職によると, ある檀家の墓地が2011年3月11日の震災で流されて, 墓参り ができなくなった。 そのため, 檀家は残った墓石からD2を彫ってもらって,
-147-それを光禅寺で祀ることにした門住職 は, 「こちらのお地蔵さんは古い石から 作られているし,また,本人に対してとて も大事なものなので,外ではなく,建物の 中で祀ることにした」23と言っている。 外に祀られている地蔵尊は次の通りで ある。 まず, 寺院の門の近くには地蔵堂があ る。 この地蔵堂に祀られている石地蔵, D4は 「斬られ地蔵」と呼ばれ, 夜な夜 な笑い声を立てて人々を驚かせていたが, 剣の達人に袈裟掛けで斬られてから笑わ 写真24. 光禅寺の本堂の入り口(建物の なくなったという伝説がある。 境内の改 中)に祀られている地蔵尊 (D2)。 筆者 築前は参道の左に祀られていたが, 現在 撮影, 2014年9月23日。 では, 通りから見える場所に移動されて いる。 光禅寺の永代墓には「幸せ地蔵」という かわいらしい地蔵尊(D5)が祀られて いる。 それは光禅寺によく来ていた檀家の供 養のために祀られているものである。 こ の方が亡くなった後遺族は本人が好ん でいた光禅寺の境内でその地蔵尊を祀ろ うとした。 住職はD5をその故人の記念 碑と呼んで, 「幸せ地蔵は御墓参り ている人に幸せを与えるという意味づけ がある」と言っている24 また, 寺院の水道には水子地蔵尊, 22 2016年9月23日のインタビューにより 23 2016年11月24日のインタビューにより 24 2016年9月23日のインタビューより 写真25. 光禅寺の山門の近くにある地蔵 堂(D4)。 筆者撮影, 2014年9月8日。
D6が祀られている。 住職にD6をこのところで 祀る理由に ついて質問すると, 結局「特に無いです が, 水子地蔵を井戸に祀ったほうがいい かな25」と答えた。 金昌寺のBlOも水の近 くにあった。 本稿ではとりあげていない 前述の仙台市泉区の二つの寺院, と林泉寺で 水道のそばに水子地蔵が祀ら れているのが見られた。 両方は「水を無 駄にしないように祀りました26」 と説明 している。 つまり,ここでおそらく「水」 と「水子」 の関係が無意識に浮かんで い るかもしれない。 光禅寺の本尊である仙台の名前の由来 とされている「千身本の地蔵尊」は住職と 信者の協力で作られているものである。 誰で も自分の手で 地蔵尊を彫って, 本尊 に加えることができるため, 光禅寺の本 尊は他の寺院の本尊に較べて, 信者に もっと近いものである。 また, 二身本の地 蔵尊D2とD5は檀家の希望に応じて祀 られたものである。 「斬られ地蔵」は光禅寺自体より なものであり, 金昌寺の六地蔵と同じよ うに, 元のところから門の前に移された。 こうして,「斬られ地蔵」は住宅に囲ま れている光禅寺の印になった。 25 2016年9月23日のインタビューより 写真26. 墓地に祀られているD5, 「幸せ 地蔵」。 筆者撮影, 2014年9月8日。 写真27. 水道に祀られている水子地蔵。 筆者撮影, 2014年9月8日。 26 2014年8月16日の満興寺に行われたインタビュー, 及び2014年9月27日に林泉寺に行 われたインタビューにより
145-3. 地蔵尊の建立 ・ 移動にみる特徴 以上, 仙台市内四ヶ所の寺院の地蔵尊の地図と寺院の住職のインタビューを 通じて,寺院の中の地蔵尊の場を調べてきた。いくつかの点に注目したいと思う。 A2, B3, B4-6, Bll, C5-14, D2, D5の事例では, 檀信徒の希望に応じ て地蔵尊を祀る・移動する傾向が見られた。 地蔵尊に対しては, 宗派に関係な く, どの寺院においても檀信徒から祀りたいという希望がみられる。 また, 祀る場所は建物の中より, 外のほうが多い。 そこは本堂と較べて, 参 拝しやすいところであり, A2の事例では, 住職が100%管理している地域では なく, 誰でも入って参拝できる場所となっている。 特に門の周囲, 参道墓地 では, 小さい仏像を持ってきて, 勝手に祀ることもできる。 外で祀る場所は参道・寺院, 本堂,墓地の入り口など境といわれるところが 多い。 これは地蔵尊の道祖神との習合によるものであると考えられるが, 一方, B3, B9, Bll, B12-46, Cl-14, D2, D4, D5の建立・移動の話からわかる ように, 住職が人がよく通っているところに地蔵尊を建立する傾向がある。 ・ 地蔵尊の建立には信者の願いが大事である。 住職は檀信徒の声に応じて地蔵 尊を建立・移動する傾向もあり, 自分の意思で地蔵尊を建立するときでも, 檀 信徒, および近所の人の立場に立ってみて, 祀る場所と地蔵尊の形を決める。 また, 死者の場合, 地蔵尊を立てると, 人が必ず親しみを感じて, 拝んでくれ るという考え方が見られた。 しかし, 住職はなぜ地蔵尊を自分が管理している寺院で祀るのか。 その地蔵 尊は寺院の境内においてどんな役割を果たしているのか。 その問題を詳しく考 察するために, 事例の地蔵尊のストーリーを詳細に見てみましょう。 まず, 地蔵尊の移動のストーリーを次のような表で表すことができる: 表1 寺院 地蔵尊の情報 移動前の場 移動後の場 移動の理由 B3: 平成10年ご 本堂の 前(外) 位牌堂 檀家はもっとプラ ろ建立, 住 職の で祀る予定だっ イベートに参拝し 金昌寺 代わりに苦難を たが, 本堂の入 たい 聞く り口のそばに 祀った B9: 安永2年に建 境内の中, 参拝 境内の外, 門 「門をもっと綺麗 金昌寺 立された六地蔵 道の左右寺 院の一番古い の前 にしたい」(住職) 石像
B15- B46 : 処分 墓地 それぞれ 墓地 一番参 住職は子供の供養の された墓のそば の個人墓のそば 拝されてい る ために建立された地 に祀 った童子地 「水子子育て 蔵尊がそのま ま永代 金昌寺 蔵(子 供 の 供養のた め に建立 さ 地蔵尊)の左右, 供養塔などに積まれ四列を形成し るのは, かわいそう れた地蔵)• 水子 ている だと思って, 墓参り 地蔵 に来る人が気づくよ うなところで祀った。 Cl: 建立の事情 位牌堂 書院, 本尊の 書院に は本尊が必 保春院 代?)は不明(江戸時 位置 要で, 地蔵尊がふさわしいと決めら れた C5: 建立の事情 本堂の前 墓地の入り口 境内にあ る全ての 保春院 は不明(昭和の 石地蔵尊を一ヶ所 中期?) に集め たい C6- Cl4: 個 人 もともと個人墓 墓地の入り口 永代供養塔が処分 墓のそばに祀ら のそばに祀られ されるようにな っ 保春院 れてい た地蔵尊 たが, 後は永代(童子地蔵 水 供養塔に集めら て, 檀家から 地蔵尊だけを残してほ 子地蔵と思 われ れた しいと言う依頼が る ) あった。 04: 「斬られ 地 境内の中, 参拝 境内の外, 門 もっと見やすいと 光禅寺 蔵」,嘉永4年建立,仙台の有名な 地 道の左 の周囲 たこ ろ で祀りたか っ 蔵尊 地蔵尊の移動のストーリーには三つの動機が見られる。 一つは, 寺院の一番 有名な地蔵尊をもっと見やすい, 人が必ず通るところに移動したという動機で ある。 地蔵尊が境内の中から境内の外に移動されることによって, いわば寺院 の「看板」になるのである。 寺院の門は寺院と周りの世界の境であり, 地蔵尊 がその境に立って, 門を通る人にとって寺院の代表の役割を果たしていると言 える。 また, 保春院の場合, 位牌堂には檀家しか入らないが, 書院には講座, お茶会, ワークショップなどが行われているため, 檀家以外の人も集まる。 つ まり, 保春院の場合, 書院は住職と外の人が交流できる場でもある。 このよう な交流の場では地蔵尊が住職とともに寺院の代表になるではないかと推定でき る。 次の動機は個人墓のそばに祀られた地蔵尊を永代供養塔などに集めるより, 墓地の入り口に祀ろうとすることである。 また, 西照寺の場合, Al-A6の建 立事情ははっきり知られていないが, 住職はその地蔵尊を死者供養のために祀
-143-られた地蔵尊として理解している。 死者供養(特に子供・水子の供養)のため に建立された地蔵尊は住職にも, 信者にも「かわいそう」に思われ, 家族の代 わりに他人が拝んでくれるところで祀られるようになった。 また, B3, C5の場合, 移動の理由は檀家の希望であった。 B3の場合, 檀家 が他人に見ない, 聞かれないように自分の苦難を地蔵尊に伝えたかったため, 本堂の入り口から位牌堂に移された。 C5は墓地の入り口に地蔵尊の列ができ た後その列の頭に移された。 両方の地蔵尊が本堂の入り口から死者供養と関 連しているところに移動された。 同時に, 位牌堂も, 墓地も, 檀家の位牌, 檀 家の墓があるところであり, 本堂と較べて, もっと身近な場であるではないか と考えられる。 次に, 現住職の記録に残った地蔵尊, つまり, 昭和60年代・平成に建立され た地蔵尊を次のような表で表してみよう: 表2 寺院 地蔵尊の番号 地蔵尊の形体 地蔵尊の祀り場 建立の事情 西照寺 A7 合掌をしている 墓地合葬碑 檀家の寄付, 死者供 養のために建立 B3 左手 に錫杖を持っ 最初は本堂の 住職が忙しい ため, ている, 右手で「は 入り口, 後は 住職の代わりに話の 金昌寺 い, どうぞ」のよ 位牌堂 相手になる うな身振りをして いる B4- B6 B4とB5は合掌をし 位牌堂 檀家の寄付 ている, B6は左手 金昌寺 に如意宝珠, 右 手 に錫杖を持ってい る BlO 子供の姿で, 合掌 水道 住職の代わりに「水 金昌寺 をしている を無駄にしないよう に」というメッセー ジを伝える Bll 「水掛合掌地蔵」, 本堂の前 住職の代わりに慰め 金昌寺 ぽっちゃりで, 合 る(悩み事を水と流す) 掌をしている
B12 「水子子育て地蔵 墓地の入り口 水子供養, 永代供養 尊」, 左手で如意宝 のために建立 金昌寺 珠を持って, 右手 で施無畏印をして いる。 B13 小さくて, かわい 墓 地 の 入 り 口 B12の脇として建立 金昌寺 らしい六地蔵。 合 B12の左右 掌をしている B14 ぽっちゃりで, 合 墓地の入り口 夫婦の永代供養に建 金昌寺 掌をしている。 Bll li' とほぼ同じ Dlの脇 様々な形体である 本堂 , 本尊の 本尊は「千身本地蔵菩 が, 合掌をしてい 左右 薩」と名づけられ て る地蔵尊が多い いるが, 1体だけであ 光禅寺 る。 名通り, 千身本に するために 住職は 信者と一緒に小さい 地蔵尊を彫っている D2 微笑んでいる, か 建物の中, 本 檀家殻の寄付。 津波 わいらしい地蔵尊。 堂の入り口 で流された墓石から 光禅寺 合掌をしている 作られ, 拝んで続く ように, 光禅寺に祀っ た D5 「幸せ地蔵」, 微笑 永代墓 一人の檀家の供養に 光禅寺 んでいる, かわいらしい地蔵尊。 合 建立 掌をしている D6 左手に 如意宝珠, 水道 水子 地蔵であり, ど 右手に錫杖を持っ うしてここに建立さ 光禅寺 ている れたのか, 住職も説 明できない。「こうい う習慣がある」 この表からよく見られる点は, 一番代表的な地蔵尊の形, つまり, 錫杖と如 意宝珠を持っている地蔵尊が少ない。 それとも, 一番多いのは合掌をしている 地蔵尊である。 また, その中でも少し変わっている, 可愛い地蔵尊が多い。 地 蔵尊の姿をこのように変容することによって, もっと人間らしいイメージにな ると考えられる。 地蔵尊の建立の事情を詳しく調べると, もう一つの特徴が見えてくる。 地蔵
-141-の像は場合によって, 死者の象徴となったり, 住職の象徴となったりする。 住 職は地蔵尊を建立するとき, 同時に地蔵菩薩と合掌しているお坊さん(仏教 徒?) を読み取れる姿を選んでいると思われる。 しかし, 地蔵尊のイメージは祀る場によっても影響されている。 金昌寺の場 合, ほぼ同じ姿のBllとB14の性格は住職にとって, 異なるものである。 Bll は本堂の入り口に祀られ, 住職の代わりに悩んでいる人を慰める。 しかし, B14は墓地に祀られており, 死者供養のためのものとして説明する。 光禅寺の場合, B2とB5は両方死者供養のためのものであるが, B2は住職の 知り合いの先祖のために建立され, B5は光禅寺の一人の檀家の供養に建立され, パーソナルな感情があふれるものだと思われる。 以上, 地蔵尊の建立・移動の事情を調べて, 次のことを推定できる。 現在の 寺院には, 地蔵尊は地蔵菩薩だけではなく, 理想的な仏教徒の象徴になる。 門 の周囲, 本堂の入り口に祀られている地蔵尊は理想的な僧侶として, 信者を歓 迎したり, 信者の悩みを聞いたりする。 そして, 墓地の領域に祀られている地 蔵尊は成仏した死者の象徴として先祖供養及び水子供養の対象となっている。 そのため, この二つの領域1)寺院の入りロ ・本堂の入り口と2)墓地の雰囲 気が異なっているが, 現在寺院において, 主な地蔵尊を祀る場となっているで はないかと考えられる。 参考文献: 井之口章次, 2000, 「お地蔵さんと神信仰」, 『地蔵さま入門』, 東京:大法輪閣 岩崎敏夫編, 1978, 『東北民俗資料集(七)』, 仙台:萬葉堂書店 上原昭一, 宮次男, 1989, 『観音 ・ 地蔵・ 不動一民衆のねがい一』, 東京:集英 社 大島建彦編1992a, 『民間の地蔵信仰』, 東京:渓水社 大島建彦, 1992b, 『道祖神と地蔵』 東京:三弥井書店 大島建彦, 榎本千賀編 2002-2003, 『十四巻本地蔵菩薩霊験記』, 東京:宮井 書店 片寄正義, 1974, 『今昔物語集論』, 鎌倉:藝林舎 五来重, 1980, 「平安京と六地蔵」, 『探訪日本の古寺月報』 2 五来重, 2007, 『石の宗教』, 東京:講談社
佐藤宗太郎,198 2, 『石仏の世界』, 東京:東京書籍 下泉全暁2015, 『地蔵菩薩ー地獄を救う路傍のほとけー』, 東京:春秋社 鈴木岩弓,200 2, 「この世に現れた「地獄」 一霊場・恐山のコスモロジー一」,『ファ ンタジーの世界』, 福岡:九州大学出版会 西田長男三橋健1983, 『神々の原影.』, 東京:平河出版社 早川征子,1966, 「平安末期における地蔵信仰」 『史湖』96 速水侑,1995, 『地蔵信仰』, 東京:塙新書 速水侑,1996, 『観音・地蔵・不動』, 東京:講談社現在新書 平川彰,198 2, 『生活の中の仏教』, 東京:春秋社 福原堂礎,1988, 『お墓の基礎知識』, 大阪:朱鷺書房 真鍋広,1959, 『地蔵尊の世界』, 東京:青山書院 真鍋広,1960, 『地蔵菩薩の研究』, 京都:三密堂書店 和歌森太郎,1951, 『歴史と民俗学』, 東京:実業之日本社 渡浩一, 2011, 『お地蔵さんの世界一救いの説話・歴史・民俗ー』, 東京:慶友 者 柳田国男1963, 「賽の河原の話」, 『定本柳田国男集』二十七, 東京:筑摩書 房 頼富本広,1984, 『庶民のほとけー観音・地蔵・不動ー』, 東京:日本放送出版 協会 吉田嘩也,196 2, 『因幡の童子地蔵』, 東京:東峰出版株式会社
Dykstra, Yoshiko Kurata. 1978. "Jizo, the Most Merciful: Tales from Jizo bosatsu
reigenki." Monumenta Nipponica 33 (2)
Glassman, Hank. 2011. The Face of Jizo. Image and cult in medieval Japanese
Buddhism. Honolulu: University of Hawai' i Press
Harrison, Elizabeth. G., 1996. "Mizuko kuyo: the re-production of the dead in
contemporary Japan. In Relig i on in Japan, Peter F. Kornicki and Ian J.
McMullen ed. ; Cambridge: Cambridge University Press
-139-/ /
弗産国
<
苓]8ぐ迄コ
罪瓢俎
◎厄
n冷 詈⑲鸞?§翌履固—⑯
璽璽墨◎
4一一
一一
一
l l l ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ工
c
保春院
/-"
一
ァ
_
�
-"
-/一�
ー / 3rL -" •••••••••• ••••••••••••••••••••••••• • っ ← ー / : ··:·:·:·:·:·……·:·:·:·:+: /▼⑭舎昌©©©乞0ここ
/
/ 9 ー ーー1 1 9ー
/
/
且
/ ⑬⑫⑪⑩⑨⑧⑦⑥⑤ →→ → →→ → →►
一
ヽ -I、
l l l-、、
、
、
、
、‘、
ー皿
且
且
l\ ー \ーハ\`ハート\\ -135The functions of Jizo statues in modern buddhist temples
The stories of Jizos in four temples of Sendai
Alise DONNERE
The cult of boddhisattva Jizo is one of the most prominent Japanese folk cults of buddhist origin. Statues of Jizo - young buddhist monk with shaved head, monk's staff with rings on the top, shakujo, and a wish-fulfulling jewel nyoihoju - can be found almost in every Japanese buddhist temple, as well as in some shinto shrines and in small sanctuaries both in rural and urban areas.
Famous Jizo statues and places, related to the worship of Jizo, often become a subject of field studies. However, there are few studies that consider Jizo statues in average buddhist temples, not well-known pilgrimage and tourist spots. Hence, the functions of the majority of Jizo statues that don't have a dramatic legend behind them are out of the attention of majority of researchers. The present research puts these average Jizo statues in the highlight, suggesting that their role in understanding the cult of Jizo was underestimated.
In an average buddhist temple, Jizo statues mostly are being placed outside of the temple's buildings, e.g., near the temple's gates and at the cemetery. When a temple's territory is being reorganized, old Jizo statues are moved to a new place, chosen by the present abbot, but usually influenced by requests from temple's parishioners. New Jizo statues are often being errected as well, and in this case, the abbot has to choose the place where the statue should be errected and the form of the statue. Sometimes the statues are being moved several times before finally everyone is satisfied with the result. This paper concentrates on these stories of finding a right place and a right form for a new Jizo statue. By presenting the examples of four buddhist temples of different sects, the author is determined to show that these processes of moving the old Jizo statues and errecting the new ones are not by any means random. Tracing the tendencies in changing of the place and the overall image of Jizo, the author suggests, that for priests and parishioners these statues symbolize not only boddhisattva Jizo, but an ideal buddhist - a monk, or a dead person who is supposed to "become a Buddha''(成仏する).