著者
白井 義昭
雑誌名
試論
巻
51
ページ
1-19
発行年
2016-10-30
URL
http://hdl.handle.net/10097/00121920
“
In Mediis Rebus”:『嵐が丘』のエンディング
白井 義昭
エミリ・ブロンテ(Emily Brontë, 1818-48)の『嵐が丘』(Wuthering Heights, 1847)は、古典作品とみなされ、「古典」の名に相応しく様々な解釈がな されてきた。従来の研究は主として第一世代のキャサリン(Catherine)と ヒースクリフ(Heathcliff)の恋愛を中心にして論じることが多く、第二世 代のキャサリン(以降キャシー[Cathy]と呼んで区別する)とヘアトン (Hareton)を扱った、この作品の後半部分は看過される傾向にあった。1 映 像化される場合でもこの傾向は続いている。後半部分はおざなりにしか取 り扱われないのだ。 もちろん第一世代と第二世代を関連づけた研究がなされていないわけで はない。たとえば、第二世代の恋愛が第一世代の恋愛の姿を変えたもの、 あるいはそれが逆転したものとする見方がある。前者に立てば、第二世 代は第一世代が成し遂げられなかった恋を成就すると取るし(Chase 504-6)、後者に立てば、たとえば両者を対極的なものと取る(Gilbert)。しかし、 これらの解釈では第一世代の情熱的な愛が薄められているという思いを禁 ずることができない。そうした思いを振り払うものとして、この作品をヒー スクリフの復讐の物語として読み、彼の復讐が第二世代の子供たちにも及 ぶとする解釈がある。キャサリンとの愛を成就することができなかった ヒースクリフは、それに対する復讐を次の世代において追い求めたと考え るのだ。2 なるほど、これは一見もっともらしく見える。しかしそれならば、 この作品はどうしてキャシーとヘアトンの結婚を予測させるような終り方 になっているのか。ヒースクリフが完全なる復讐を遂げるためには、キャ シーとヘアトンの不和や別離などが描かれるべきではないか。それなのに、
実際はその反対であるのはなぜなのか。復讐説では、この説明がなかなか できないという難問が残る。 しかしよくこの作品を読んでいくと、これら従来の解釈はこの作品の全 体的な物語構造に目を配らなかったことから生じた必然的結果だと思われ てくる。この作品は第一世代がどうであるとか第二世代がどうであるとか の議論に矮小化して終わらせてよい物語ではないのである。世代を超えた 大いなる時間空間の中に存在する雄大な作品と解すべきなのである。それ では、そのことを以下において論じていくこととしたい。
I
サンガー(Sanger)は、わずか 3 箇所の手掛かりをもとに本文を丁寧に 読んで分析した結果、登場人物たちの生年月日、没年、結婚年などを明ら かにするという偉業を成し遂げた。この研究からさらに明らかになったこ とは、この作品がキャシーを縦軸とした線対称構造を持っているという事 実である。すなわち、以下の図から明らかなように、「嵐が丘」(Wuthering Heights)と「スラッシュクロス屋敷」(Thrushcross Grange)の双方に挟ま れたキャシーに縦軸を据えれば、その左右に位置する「嵐が丘」の家族構 成と「スラッシュクロス屋敷」のそれとがぴったり重なりあうようになっ ているのである。 この意味するところは何か。それは一つには「嵐が丘」と「スラッシュク ロス屋敷」が対立する存在だということである。しかしながら、視点をキャ Mr. Earnshaw m. Mrs. Earnshaw Mr. Linton m. Mrs. LintonHindley m. Frances Catherine m. Edgar Heathcliff m. Isabella Hareton m. Catherine m. Linton
シーに転じれば、異なる見方ができるであろう。それは両家の中心に位置 しているキャシーが両家のいずれにも属しているということ、すなわち “in mediis rebus”3 という「中間状態」、言い換えれば「只中」にいるとい うことである。キャシーは「嵐が丘」で生を受け、長じて「スラッシュク ロス屋敷」のエドガー(Edgar)と結婚したキャサリンの娘であり、した がって彼女の体内には「嵐が丘」のアーンショウ(Earnshaw)家とリント ン(Linton)家の血が混在している。その意味で彼女はアーンショウ家に も属するし、リントン家にも属することになる。彼女は両家の“in mediis rebus”にいて、両家に遍在していることになる。 キャシーが“in mediis rebus”にいる存在であることはさらに以下の点で も窺うことができる。キャシーは、リントン家の長女イザベラ(Isabella) とヒースクリフの間にできたリントン(Linton)と結婚してリントン家に 入る。しかし、リントンが死亡すると、彼女はアーンショウ家の長男ヒン ドリー(Hindley)の息子ヘアトンと再婚して、今度はアーンショウ家に入る。 つまり彼女は、母親を介してだけでなく、彼女自身の二度にわたる結婚に よって両家と繋がり、両家の間で“in mediis rebus”状態にいることになる。 すなわち彼女はアーンショウ家にも属し、かつリントン家にも属している のだ。この意味においても彼女は遍在性を有しているということになる。 だが遍在性はキャシーにだけ限定されるのではない。なぜならば、彼女 がキャサリンの娘であることを考慮すれば、キャシーが有する遍在性は キャサリンにも及ぶと考えるのが道理だからである。事実アーンショウ家 の娘であったキャサリンはリントン家のエドガーと結婚し、リントン家の 一員ともなり、その意味において両家の間で“in mediis rebus”状態にいる ことになる。キャシーを縦軸として成立していた線対称構造は、キャシー に母親の姿が重なるがゆえに、キャサリンを縦軸とした線対称構造と読み 替えることが可能となる。キャシーの有した遍在性は母親のキャサリンの 遍在性でもあるのだ。 こうしたことから『嵐が丘』は、キャサリンがアーンショウ家とリント ン家の間で“in mediis rebus”状態にいて、両家のどちらにも属する、換言 すればいずれにも遍在する物語と読むことができる。彼女は両家の間を行 き来し、そのいずれかに腰を落ち着けることはない。このようなことがサ ンガーの研究の結果から明らかになった。
II
『嵐が丘』が特異な語りの構造をもっていることは周知の通りである。 ロックウッド(Lockwood)が最初に登場して、この物語世界へ読者を誘 う。ここまでのロックウッドの語りを記号化してAと表そう。だが、ま もなくして語りは、第1巻第4章において、“Before I came to live here, she commenced, waiting no further invitation to her story, I was almost always at Wuthering Heights. . . .”(30)4 と、使用人のエレン・ディーン(Ellen Dean)、
愛称ネリー(Nelly)に引き継がれ、彼女の語りによってヒースクリフとキャ サリンにまつわるこれまでの出来事が読者に知らされる。このネリーの 語りの部分を記号化してBと表そう。それが終わるのは“Thus ended Mrs. Dean’s story.”(264)とある第2巻第 11 章である。 ネリーの語りの中にはさらにイザベラが書いた手紙による語り(第1 巻第13 章から第 14 章)(119-136)(この部分を記号化してCと表す)、イ ザベラ自身の語り(第2巻第3章)(153-161)(この部分を記号化してD と表す)、それにキャシーの語り(第2巻第10 章)(217-224)が入る(こ の部分を記号化してEと表す)。その直後にロックウッドが顔を出すもの の、すぐに“I was summoned to Wuthering Heights, within a fortnight of your leaving us, she said; and I obeyed joyfully, for Catherine’s sake.”(275)からは 再度ネリーの語りとなり、それはこの作品の最終章である第2巻第20 章 の “I cannot help it, I shall be glad when they leave it, and shift to the Grange!” (299)まで続く(この部分をFと表す)。それに続く“ ‘They are going to
the Grange, then?’ I said.”(299)のロックウッドの言葉からは彼自身の語り に戻り(この部分を記号化してGと表す)、ついに物語は終わりを迎える。 このように『嵐が丘』はロックウッドからネリーへ、ネリーからイザベ ラへ、そして後半においてはイザベラからネリーへ、そして一時キャシー の語りをまじえて、最終的にロックウッドへと語り手が変わる。つまりこ の作品は単なる入れ子式の語りになっているのではなく、二重、三重の入 れ子式語りという極めて特異な語りの形式を有しているのだ。 こうした語りの形式で注目すべきは、イザベラ自身の語り(Dと記号化 した部分)が第2巻第3章に置かれていることである。『嵐が丘』は第1 巻が14 章、第2巻が 20 章の全 34 章で構成されており、イザベラの第2 番目の語りが見られる第2巻第3章は全34 章の 17 番目の章となり、ちょ
うど全章のまさしく中央に位置する章となる。それを中心軸とすると第1 巻第13 章にあるイザベラの手紙による語り(Cの部分)と第2巻第 10 章 にあるキャシーの語り(Eの部分)はほぼ線対称的な位置に置かれている ことがわかる。つまり、前節でこの小説が家族構成の面においてキャシー を中心軸とした線対称構造であることを指摘したところであるが、この作 品は語りの面においても第2巻第3章におけるイザベラの語りを中心軸 に据えた線対称構造を持っていることになる。記号的にはA ─ B ─ C ─ D ─ E ─ F ─ G と表せるからだ。しかもAとGはロックウッドの語りで、 BとFはネリーの語りになるので、それを整理すれば先ほどの語りの流れ はA ─ B ─ C ─ D ─ E ─ B ─ A となる。すなわち語り手が前半ではロッ クウッドからネリーへ、そしてネリーからイザベラへと移り、後半ではそ の逆にイザベラからネリーへ、そしてキャシーの語りを経て最終的には ロックウッドへと戻ってくるわけである。つまり前節で触れたキャシーを 縦軸としてアーンショウ家とリントン家が線対称構造を有しているために 家系図の左端と右端が重なり合っていたのと同じように、語り手はロック ウッドからネリーへ、そしてイザベラを折り返し点としてネリーから最初 の語り手ロックウッドへと戻ってくるわけなのである。 これをさらに詳しく言えば、この物語はロックウッドによって1801 年 11 月から語り始められ(1)5、それからまもなくしてエレンによって語り 継がれ、その語りの中で時間は30 年前の夏へ遡り、その 30 年間に起こっ た「嵐が丘」と「スラッシュクロス屋敷」を背景にしたキャサリンとヒー スクリフの愛憎物語の顛末が語られる。さらに第2巻第3章においてイザ ベラがヒースクリフの許から逃げ出してきた顛末が彼女自身の口から語ら れ、第2巻第16 章末から第 18 章(作品冒頭の年から約一年後の 1802 年 9月)まではロックウッドの語りに戻り、その後第2巻第18 章まで、途 中にキャシーの語りを挟みながら、ネリーによる語りを経て、語り手は最 終的にはロックウッド、つまり最初の語り手に再び戻るのだ。 イザベラを軸とした線対称的なこの語りの構造には前節同様、遍在性が 認められる。前節ではキャシー、そして彼女を介してキャサリンの遍在性 が見られたのだが、ここでは語り手としてのロックウッドの遍在性を認め ることができる。なぜならばこの作品においては以下に見るようにネリー、 イザベラ、あるいはキャシーによる一方的な語りの構造で終わってはおら ず、ロックウッドが全編にわたって時折登場し、彼が真の語り手であるこ とを読者に意識させるからである。
ロックウッドの語りを受けて、第1巻第4章の“Before I came to live here”(30)からネリーの語りが始まる。ネリーが第1巻第7章でエドガー・ リントンの肖像画にロックウッドの目を向けさせるところで、
Thus interrupting herself, the housekeeper rose, and proceeded to lay aside her sewing; but I felt incapable of moving from the hearth, and I was very far from nodding.(54)
というロックウッドの声が入り、語りは彼が行っていたのだということを 読者に気付かせる。
“Sit still, Mrs. Dean,” I cried, “do sit still, another half hour! You’ve done just right to tell the story leisurely. That is the method I like; and you must finish in the same style. I am interested in every character you have mentioned, more or less.”(54)
とロックウッドがネリーに話を続行するように促し、それを受けてネリー は“‘The clock is on the stroke of eleven, sir.’”(54)と再度彼女の語りに入る。 しばらく彼女の語りが続くが、第1巻第9章の終盤に近づくと再びロック ウッドが
At this point of the housekeeper’s story she chanced to glance towards the time-piece over the chimney; and was in amazement on seeing the minute-hand measure half past one.(79)
と口を挟んで顔をだす。その状態は次章の第1巻第10 章の初めまで続き、 I got Miss Catherine and myself to Thrushcross Grange: and to my agreeable disappointment, she behaved infinitely better than I dared to expect.(81)
でネリーによる語りが再開され、それが延々と第1巻の最終章である第 14 章まで続く。しかし、その章の最後において再びロックウッドが顔を 出す。
Dree, and dreary! I reflected as the good woman descended to receive the doctor; and not exactly of the kind which I should have chosen to amuse me; but never mind! I’ll extract wholesome medicines from Mrs. Dean’s bitter herbs. . . .(136)
第2巻に入るとその第1章冒頭でロックウッドが口を出し、それを受 け て“In the evening, she said, the evening of my visit to the Heights, I knew, as well as if I saw him, that Mr. Heathcliff was about the place. . . .”(137)とネ リーの語りが続けられるものの、その後でロックウッドが突然登場して 口を挟む。いやロックウッドがというよりはネリーに促されて登場させ られたと言うべきかも知れない。キャサリンの遺体を前にしたネリーが “‘Do you believe such people are happy in the other world, sir? I’d give a great deal to know.’”(146)とロックウッドに問いかけ、それに応えてロックウッ ドが“I declined answering Mrs. Dean’s question, which struck me as something heterodox.”(146)と顔を出すのだ。その直後に“She proceeded”とあるように、 ネリーの語りが再開される。
ネリーの語りはその後も続くのだが、第2巻第4章の冒頭で“The twelve years, continued Mrs. Dean, following that dismal period, were the happiest of my life. . . .”(167)とロックウッドが口を挟み、彼が語り手であることを 読者に意識させる。次に彼がネリーの語りに割り込んでくるのは、ネリー の語りの中に嵌め込まれたキャシーの語りが終了した直後である。キャ シーがリントン・ヒースクリフとの交際を真剣に考えていることをネリー に語り聞かせてくれたことがあって、そのことがあったのが去年の冬のこ とだとネリーが言うのを、以下の引用が示すように、ロックウッドが聞い たことになっている。
“These things happened last winter, sir,” said Mrs. Dean; “hardly more than a year ago. Last winter, I did not think, at another twelve months’ end, I should be amusing a stranger to the family with relating them!”(226) ネリーはそこにおいて、キャシーと会った者はだれでも彼女を好きになら ずにはいられないとロックウッドに言う。独り身のロックウッドはネリー がキャシーのことを話すときにはとても活き活きとして、身を乗り出すよ うにしてその話を聞く。部屋の暖炉の上にキャシーの肖像画を掛けてくれ と私に頼んでいましたわねとネリーに言われると、ロックウッドはキャ
シーへの恋心を言い当てられて狼狽し、次のように弁明する。
“Stop, my good friend!” I cried. “It may be very possible that I should love her; but would she love me? I doubt it too much to venture my tranquility by running into temptation; and then my home is not here. I’m of the busy world, and to its arms I must return. Go on. Was Catherine obedient to her father’s commands?”(226)
これ以降は“‘She was,’ continued the housekeeper.”(226)というネリーの返 答から、再度ネリーによる語りが続行され、それが第2巻第16 章の“Thus ended Mrs. Dean’s story.”(264)によって、ロックウッドの語りと代わる。 しかし、それから2章後の第2巻第18 章の “I was summoned to Wuthering Heights, within a fortnight of your leaving us, she said; and I obeyed joyfully, for Catherine’s sake.”(275)が示すように、彼の語りはネリーの語りに引き継 がれる。ネリーの語りはこの作品の最終章、第2巻第20 章まで続く。こ の作品ではロックウッドが突如として顔を出し、口を挟む。ネリーの、イ ザベラの、あるいはキャシーの語りで物語が完結はしない。果たしてこの 作品の最後を締め括るのはやはりロックウッドである。ネリーとイザベラ とキャシーの語りを聞かされてきたロックウッドはこの作品を彼自身の語 りでしっかりと締め括るのである。ヘアトンとキャシーが結婚するだろう と予測したロックウッドは“‘They are going to the Grange, then? ’”(299)と ネリーに尋ねて、彼の物語の語りを終える準備を整える。この作品は、
I lingered round them, under that benign sky; watched the moths fluttering among the heath, and hare-bells; listened to the soft wind breathing through the grass; and wondered how any one could ever imagine unquiet slumbers for the sleepers in that quiet earth.(300)
というロックウッドの語りで終わる。 『嵐が丘』はネリーの語りが物語の大半を占めるために、われわれ読者 はともすれば本来の語り手であるロックウッドを忘れる危険性にたえず見 舞われているわけなのだが、これまで考察してきたように彼は適宜に登場 し、この物語が彼の語りのもとで進んでいることを読者に確認させる。す なわちロックウッドは遍在する語り手なのである。
ロックウッドの語りで始まったこの作品は、中間部に他者の語りを取り 込みながら、かつその他者の語りにロックウッドの語りも遍在させながら、 最初の語り手であるロックウッド自身の語りに戻って完結する。このよう にしてイザベルの語りを軸とした線対称構造のこの物語の語りにはロック ウッドの語りの“in mediis rebus”性、つまり遍在性が窺える。
III
“In mediis rebus”性(そして遍在性)はヒースクリフにも見られる。6 彼 は両義性を備えた人物なのだ。すなわちAでもあり、非Aでもあり、それ らのいずれでもあるのだ。まず彼の「ヒースクリフ」という名称にそれが 見られる。すなわち「ヒースクリフ」は苗字でもあり、名前でもある。し たがってこれは「姓と名を兼ね」(“between names”)る。かつヒースクリ フという人物は「アーンショウ家とリントン家の双方に属する」(“between families”)。ヒースクリフはアーンショウ家に属する人物だったが、イザ ベラと結婚することによってリントン家の縁者となるし、イザベラが死亡 したあとは嵐が丘のアーンショウ家の主人となるのだ。次にヒースクリフ はドアの「外側にいる・ドアに入る・ドアから出る」存在として作品で描 かれる。さらに彼はアーンショウ家の外部の人物でもあり、内部の人物で もある。なぜならば彼はその家の使用人でありながら、そこの養子でもあ るからだ。彼の素性もどっち付かずである。下賤の身かもしれないし、中 国の皇帝の血を引くのかもしれない(50)。神の子かもしれないし、悪魔 の子かもしれない(50)。彼はアーンショウ家の者とリントン家の者を破 滅へと向かわせる力強い男である。しかし、キャサリンへの恋心に翻弄さ れる無力な男でもある。キャサリンからすれば、ヒースクリフは彼女の「兄 弟」であるとともに、「恋人」でもある。ヒースクリフの両義性はこれに とどまらない。失踪から3年後に戻ってきた彼は権力を持ち、アーンショ ウ家とリントン家を完全に掌握する強い男だ。しかし、彼の子リントン・ ヒースクリフは極めてひ弱である。さらに、少年の頃のヒースクリフは アーンショウ家でできるだけ大人しくふるまおうとしたが、その反面彼は 強い復讐心を抱く激しい性格の持ち主でもある。あるいは、ヒンドリーを 賭けと酒に溺れさせ、堕落させ、かつ復讐の一つの形としてイザベラと結 婚し、彼女を見捨てる冷たい男である一方で、キャサリンには彼女の生前と死後を問わず火のように熱い思いを持つ激情家でもある。さらには彼は 文化と自然という両極端なものにも同時に関わっている(“A half-civilized ferocity”)(84-85)人物でもあるのだ。 このような両義的側面を備えたヒースクリフの“in mediis rebus”性(そ して遍在性)は第2巻第15 章においてさらに強烈に読者に印象づけられる。 エドガー・リントンの葬儀の晩にヒースクリフは、スラッシュクロス屋敷 にやってきて、葬儀の前日にエドガーを葬る墓穴を寺男が掘っているとこ ろに行った話をネリーにする。それによると、寺男が柩の上の土をどけて いたので、ヒースクリフはキャサリンの柩の蓋を開け、柩の片側の横板の ネジを緩めた。しかし、その横板はこれから埋葬されるであろうエドガー の隣の側の板ではなく、その反対側、つまりヒースクリフが将来死亡した ときに埋葬させる予定の彼の柩の側である。さらにヒースクリフは次のよ うな行動に出る。
“I bribed the sexton to pull it [one side of the coffin] away, when I’m laid there, and slide mine out too─I’ll have it made so, and then, by the time Linton gets to us, he’ll not know which is which!”(255)
だが彼がキャサリンの墓を掘ったのはこれが初めてではない。実は、この 時よりすでに18 年前に、埋葬されたばかりのキャサリンの墓を掘ってい たのであった。
“ ‘I’ll have her in my arms again! If she be cold, I’ll think it is this north wind that chills me; and if she be motionless, it is sleep.’
“I got a spade from the toolhouse, and began to delve with all my might─ it scraped the coffin; I fell to work with my hands; the wood commenced cracking about the screws. . . .”(256)
しかし、土を掘って行き、墓をあばき、もう少しでキャサリンを抱けると いうそのときに、彼には次のような奇妙な現象が起きた。
“I was on the point of attaining my object, when it seemed that I heard a sigh from some one above, close at the edge of the grave, and bending down─‘If I can only get this off,’ I muttered, ‘I wish they may shovel in the earth over us both!’ and I wrenched at it more desperately still. ”(256)
柩のネジをむしりとろうとした瞬間、彼には再びキャサリンの溜息が聞こ えてくる。
“There was another sigh, close at my ear. I appeared to feel the warm breath of it displacing the sleet-laden wind. I knew no living thing in flesh and blood was by─but as certainly as you perceive the approach to some substantial body in the dark, though it cannot be discerned, so certainly I felt that Cathy was there, not under me, but on the earth. ”(256)
屍姦症患者のような行動をするヒースクリフではあるが、彼にはキャサリ ンの躯むくろが躯ではないように感じられる。血のかよっている生身の体として 感じられるのだ。そのためにヒースクリフの心臓から安堵感がどっと溢れ 出し、彼の心は安らぐ。そしてネリーに次のように言う。
“You may laugh, if you will, but I was sure I should see her there [in his house]. I was sure she was with me, and I could not help talking to her.” (256)
墓地から嵐が丘の屋敷に急いで戻ったヒースクリフはドアをこじ開け、 キャサリンの部屋に駆けつける。しかし、そこに彼女の姿を見ることはで きない。彼女は悪魔となって姿を現したのだった(257)。それ以来ヒース クリフは彼女に会いたいという“that intolerable torture”(257)にさいなま れ、ヘアトンと居間にいると、外へ出ればキャサリンに会える気がするの であった。
“When I sat in the house with Hareton, it seemed that on going out, I should meet her; when I walked on the moors I should meet her coming in. When I went from home, I hastened to return: she must be somewhere at the Heights, I was certain! And when I slept in her chamber─I was beaten out of that─I couldn’t lie there; for the moment I closed my eyes, she was either outside the window, or sliding back the panels, or entering the room, or even resting her darling head on the same pillow as she did when a child.”(257)
ヒースクリフはキャサリンを見たいがために一晩に100 回も目を開けたり 閉じたりしてきたが、それは徒労に終わっていた。しかし、たった今キャ
サリンの亡骸を見たので、“‘Now, since I’ve seen her, I’m pacified─a little.’” (257)となる。
この一連の流れのなかで重要なことは、ヒースクリフが生の世界と死 の世界の双方の世界にいるということである。キャサリンが死亡して18 年が経過したというのに、キャサリンの顔は昔のまま(“‘when I saw her face again─it is hers yet’”)(255) で あ り、 ヒ ー ス ク リ フ は“‘I expected such a transformation on raising the lid, but I’m better pleased that it should not commence till I share it.’”(255-56)という感想を漏らす。キャサリンの肉体 は死滅したのに、腐敗は全く進まず、死亡直後のままであり、もし腐敗が 進むとすれば、それはヒースクリフが死亡し、彼女の躯の隣に埋葬されて からだというのである。ヒークリスフにとってキャサリンは死んでいなが らも、生きているのである。彼にとって18 年という月日は彼を苦しめる 期間ではあったが、その期間を彼は死の時間としてではなく、生の時間と して認識するわけである。彼は死と生、過去と現在を同時に生きているこ とになる。 ヒースクリフが死と生(過去と現在)を同時に生きていることはすでに 第1巻第3章のあの有名な場面において証明ずみである。ロックウッドは、 嵐が丘屋敷で宿泊を許されたときに、かつてキャサリンが住んでいた部屋 で、キャサリンの“‘Let me in─let me in!’”(20)という懇願を聞く。
“Who are you?” I asked, struggling, meanwhile, to disengage myself. “Catherine Linton,” it replied, shiveringly (why did I think of Linton? I had read Earnshaw twenty times for Linton). “I’m come home, I’d lost my way on the moor!”
As it spoke, I discerned, obscurely, a child’s face looking through the window─Terror made me cruel; and, finding it useless to attempt shaking the creature off, I pulled its wrist on to the broken pane, and rubbed it to and fro till the blood ran down and soaked the bed-clothes: still it wailed, “Let me in!” and maintained its tenacious gripe, almost maddening me with fear.(20-21)
死者となっているはずのキャサリンが姿を現し、ガラスに擦られた彼女の 手から血が流れ出てベッドを濡らす。ここにおいて死と生(過去と現在) の共存を認めることができるのだが、そこにヒースクリフが加わることと なる。
ロックウッドの叫び声を聞いて駆けつけたヒースクリフは、騒ぎの理由 を尋ね、それがキャサリンに関わっていると知らされるや、まことに異常 な行動を取る。
I stood still, and was witness, involuntarily, to a piece of superstition on the part of my landlord, which belied, oddly, his apparent sense.
He got on to the bed, and wrenched open the lattice, bursting, as he pulled at it, into an uncontrollable passion of tears.
“Come in! come in!” he sobbed. “Cathy, do come. Oh do─once more! Oh! My heart’s darling, hear me this time─Catherine, at last!”(23-24) この世をすでに去ったはずのキャサリンにヒースクリフは戻って来いと呼 びかける。彼には現世とあの世の区別はない。ヒースクリフにとってキャ サリンは死してもなお彼の中で生きているのである。換言するならば、彼 は死と生(過去と現在)を共に生きているのである。 ヒースクリフが死と生(過去と現在)を共に生きていることはキャシー とヘアトンについての彼の見方にも表れている。第2巻第19 章では 18 歳 のキャシーが23 歳のヘアトンに教師のような役を演じて、彼に勉強を教 えている場面が出てくる。それまでヒースクリフに野卑な生き方を強いら れてきたヘアトンであったが、キャシーの指導により知性が澄んでくるよ うになる。二人が熱心に勉強をしているところにヒースクリフが帰宅する。 本来ならヒースクリフはヘアトンに勉強などするなとどなりつけるところ だが、今回はそうしない。なぜなのか。それはキャシーとヘアトンがキャ サリンと同じ目をしているからである。
They [Cathy and Hareton] lifted their eyes together, to encounter Mr. Heathcliff─perhaps you have never remarked that their eyes are precisely similar, and they are those of Catherine Earnshaw. The present Catherine has no other likeness to her, except a breadth of forehead, and a certain arch of the nostril that makes her appear rather haughty, whether she will or not. With Hareton the resemblance is carried farther. . . .(286-287)
ヘアトンの目がキャサリンの目そっくりであるために、彼の目を見たとた んに、ヒースクリフの興奮はたちまち冷める。ヒースクリフは次のように 言う。
“In the first place, his startling likeness to Catherine connected him fearfully with her─That, however, which you may suppose the most potent to arrest my imagination, is actually the least ─for what is not connected with her to me? and what does not recall her? I cannot look down to this floor, but her features are shaped on the flags! In every cloud, in every tree─filling the air at night, and caught by glimpses in every object by day, I am surrounded with her image! The most ordinary faces of men and women─my own features─mock me with a resemblance. The entire world is a dreadful collection of memoranda that she did exist, and that I have lost her!”(288)
ヒースクリフにとってヘアトンをはじめとして、この世の全てがキャサリ ンを思い出させる彼女の似姿になっているのだ。したがって“‘Hareton’s aspect was the ghost of my immortal love, of my wild endeavours to hold my right, my degradation, my pride, my happiness, and my anguish. . . .’”(288)となる。
以上から知られるように、ヒースクリフにとって死と生(過去と現在) の区別は、存在するようでありながら、実は存在しない。彼にとって死と 生(過去と現在)は綯い交ぜになっているのだ。彼は両者の「只中」(“in mediis rebus”)に遍在しているのだ。 そうしたヒースクリフは過去と現在だけでなく過去と未来の「只中」に 存在する人物でもある。そのことを探るために作品末尾に目を転じてみよ う。ネリーはある晩スラッシュクロス屋敷に向かっている途中に、嵐が丘 の曲がり角で羊飼いの男の子に出会う。その子は激しく泣いていた。ネリー がその訳を聞く。
“What is the matter, my little man?” I asked.
“They’s Heathcliff and a woman, yonder, under t’ Nab,” he blubbered, “un’ Aw darnut pass ’em.”
I saw nothing; but neither the sheep nor he would go on, so I bid him take the road lower down.(299)
ヒースクリフは、死亡した後もキャサリンの霊と一緒に荒野を彷徨い、現 実世界に住む人々の中に登場するのだ。ヒースクリフとキャサリンは、か つて生前行ったように将来も二人して荒野を彷徨い続けるであろう。ここ に至り彼らの未来は彼らの過去と重なる。彼らに終着点はない。
IV
これまで考察してきた『嵐が丘』における“in mediis rebus”性(そして 遍在性)は、第1巻第3章ですでに予兆されていた。そこではロックウッ ドが「嵐が丘」で案内された部屋の張り出し窓の棚の隅に本が数冊積んで あって、その棚には引っ掻き傷で名前が書いてあった。
This writing, however, was nothing but a name repeated in all kinds of characters, large and small─Catherine Earnshaw, here and there varied to
Catherine Heathcliff and then again to Catherine Linton.(15)
書かれていた三個の名前Catherine Earnshaw、Catherine Heathcliff 、Catherine Linton に関してカーモード(Kermode)は、これらの名前を左から右へ読 んでいけば、それはアーンショウ家の娘として誕生し、ヒースクリフと恋 に落ち、エンドガー・リントンと結婚したキャサリンの物語を再現し、右 から左へ読んでいけばリントン家の娘として誕生し、リントン・ヒース クリフと結婚してキャサリン・ヒースクリフとなり、最後にヘアトン・ アーンショウと結婚してキャサリン・アーンショウとなるキャサリンの娘 キャシーの物語を再現したことになると指摘した(“A Modern Way with the Classic” 344)。キャシーは母親キャサリンの目をしており、額の広いとこ ろや高慢な印象を与える弓形の鼻をしている(286-87)ところも母親似で あること、さらにキャシーが何にもましてキャサリンの血を分ち持った彼 女の娘であることなどを考慮すれば、この小説におけるキャサリンの遍在 性がこの章において提示されていると言っても過言ではない。 キャサリンの遍在性を暗示するこれらの名前を目にしたロックウッドは そこにあったキャサリンの日記を読みはじめる。そうしているうちに急に 睡魔が襲い、彼は夢を二度見る。第一の夢はジェイベス・ブランダラム師 (Reverend Jabes Branderham)が 490 部に分かれた説教を読む夢である。そ の夢が覚めたかと思うと間もなく第二の夢を見る。それは子供の顔をした キャサリン・リントンが部屋に入れてと懇願する夢であった。ロックウッ ドはその子供に消え失せろと怒鳴り、飛び起きようとするのだが、手足一 本動かすことができない。それで大声をあげる。
Thereat began a feeble scratching outside, and the pile of books moved as if thrust forward.
I tried to jump up, but could not stir a limb; and so yelled aloud, in a frenzy of fright.
To my confusion, I discovered the yell was not ideal. Hasty footsteps approached my chamber door: somebody pushed it open….(21)
引用文中の“ideal”が“imaginary”7という意味であることから明らかに なることは、ロックウッドの夢が夢で終わっていないことである。とする ならば、キャサリンの霊とされる声は果たして霊界からの呼び声だったの かという疑問が生じてこよう。 第1巻第3章というこの小説のごく早い章での出来事と対になってい るのがこの作品の最終章である第2巻第20 章におけるヒースクリフの死 である。ヒースクリフはキャサリンを思い、部屋にこもって呻き、呟き (“groaning, and murmuring to himself”)(297)、その後自分の部屋にこもっ て二夜を過ごす。二日目の夜はひどい雨だったのだが、ヒースクリフの窓 は開け放たれたままであった。果たしてヒースクリフは部屋にいるのだろ うかと疑いながらネリーが彼の部屋に入ると、仰向けに寝ている彼の姿が 目撃された。彼は雨に打たれ顔から喉へかけてぐっしょり濡れた状態で死 んでいた。
I could not think him dead─but his face and throat were washed with rain; the bed-clothes dripped, and he was perfectly still. The lattice, flapping to and fro, had grazed one hand that rested on the sill─no blood trickled from the broken skin, and when I put my fingers to it, I could doubt no more─ he was dead and stark!(298)
格子窓がぱたぱたと開閉しているのは、死者の霊を出すために窓を開けな ければならないという民間信仰を反映している8のではあろうが、しかし これは先ほどの部屋に入れてくれというキャサリンの場面と対になってい ると考えることができる。まさしく同じ部屋において、第1巻第3 章では ロックウッドがキャサリンの部屋へ入れてという声を聞き、ここではヒー スクリフがキャサリンの霊に語りかけていたと推察されるのである。 『嵐が丘』は、第1巻第9章でヒースクリフが「嵐が丘」から姿を消す までのキャサリンとヒースクリフに関する前半の物語と、彼がそれから3
年後に第1巻第10 章において「嵐が丘」に舞い戻ってから、キャサリン が死亡する第2巻第2章までの波乱に満ちた中間の物語、それに第2巻第 3章から最後までのキャシーとヘアトンに関する後半の物語と大きく三つ の部分に分けることができる。このような枠組みの中で、この後半部分の 最後に来て、再び小説の冒頭近くと酷似した場面が登場することを考える と、この作品は中間の物語部分を対象軸とする線対称的な構造を持ってい るとみなすことができよう。すなわち、終わりが終わりにならず、振り出 しへ戻る構造になっているのだ。物語の枠組み自体が“in mediis rebus”性 を有しているのである。
V
『嵐が丘』はこれまで見てきたように四つの重要な側面において線対称 的な構造の上に成り立っていて、そこには“in mediis rebus”性(そして 遍在性)が認められた。第一にキャサリンと娘のキャシーはアーンショウ 家とリントン家の「只中」(“in mediis rebus”)にいて、そのどちらにも属 していた。次に、作品冒頭で登場したロックウッドは中間にネリーの語り を挟み、かつ彼自身その時々に顔を出しながら、最終的には彼の語りでこ の物語が終る。つまりこの物語は最初の語り手に戻る形のエンディングと なっているのである。ロックウッドはこの作品の「只中」にいて、常に「遍 在」していたのである。第三に、ヒースクリフは多様な両義性を備え、か つ常に死と生、過去と現在、そして過去と未来の「只中」にいた。第四に、 物語自体が中間部をはさんだ三部構成となっていて、エンディングが冒頭 部分に振り戻る構造になっていることが明らかになった。 このように『嵐が丘』は、始め、中、終わりとプロットが展開して、あ る特定の結論に達するのではなく、すなわち直接的時間、歴史的時間のあ る一点でエンディングを迎えるのではなく、そのように見せながらも、絶 えず「只中」にいて、再び振り出しへ戻る線対称的な円環構造になってい ることがわかった。キャシーとヘアトンという第2世代においてヒースク リフとキャサリンの思いが成就され、それでこの作品がエンディングを迎 えるという見方は一見もっともらしい。だが、そうしたことをエミリが意 図したのではあるまい。彼女が意図したのはエンディングに到達したと思 えば、また振り出しへ戻る、永遠に終焉することのない愛である。ハリス(Harris)は次のように言っている。
The children’s world of union and oneness which was destroyed by Catherine’s marriage is regained beyond chronological time─in the midst of natural time, yet not subject to cyclical decay.(Harris 117)
子供の頃から幽霊と死後の生命を信じていたヒースクリフとキャサリン (Almeida 61)は、常に永遠の愛の旅路という道程の「只中」に留まり、純 粋の愛を求め合っているのであり、彼らにエンディングは存在しない。し たがって、ジョンソン(Johnson)が
Yet the diction subverts these conventional religious conclusions. At every level the novel expresses violent resentment of death and a passion to live, even violently. The final line, supposedly alluding to peace, speaks not of quiet slumbers but of unquiet slumbers.(Johnson 783).
と述べているように彼らに静かな安らぎはないのだ。
注
1 たとえばVine は第一世代だけを扱っている。また Grudin は『ジェイン・エア』よりも『嵐
が丘』を好む読者でさえも、第二世代に多くのページが割かれていることに不満を感じて
いる、と指摘している(Grudin 396)。
2 See Carlisle; Garofalo; Vargish.
3 この“in mediis rebus”は Kermode が The Sense of an Ending で用いた表現で、ラテ
ン語で「事の半ばで」を意味する。Kermode は時計の「チックとタックの間の間隔」、つま
り始めも終わりも持たない「純粋に継起的で混沌とした時間」がギリシア語聖書の時間用
語で言う「クロノス」にあたると述べている。しかしながら本論では“in mediis rebus”を
Kermode の説く時間論的概念にとどめず、それ以外のあらゆる空間に拡大して、中間的 立ち位置を表すというふうに解釈するものとする。
4 使用するテクストは、Emily Brontë, Wuthering Heights, ed. Ian Jack(Oxford: Oxford University Press, 2009)で、本文中での Wuthering Heights からの引用はすべてこの版か らのものである。
5 『嵐が丘』における年表はSanger に依る。
6 「ヒースクリフ」に関する以下の考察はKermode の“A Modern Way with the Classic”
に依る。
8 Brontë, Wuthering Heights, Explanatory Notes, 340-41.
引用文献
Almeida, Amy E. “Wuthering Heights: ‘Curioser and Curioser.’ ” The Trinity Papers (2011): 49-67.
Brontë, Emily. Wuthering Heights. Ed. Ian Jack. Oxford: Oxford University Press, 2009. Carlisle, Kitty. “Emily Brontë’s Heathcliff: His Journey of Jealousy.” Explicator 70.1
(Jan-Mar 2012): 46-48.
Chase, Richard. “The Brontës: A Centennial Observance.” The Kenyon Review 9.4 (Autumn 1947): 487-506.
Garofalo, Daniela. “Impossible Love and Community Culture in Emily Brontë’s Heights.” ELH 75.4 (Winter 2008): 819-40.
Gilbert, Sandra M., and Susan Gubar. “Looking Oppositely: Emily Brontë's Bible of Hell.” The Madwoman in the Attic: The Woman Writer and the Nineteenth-Century Literary Imagination. New Haven: Yale UP, 1979. 248-308.
Grudin, Peter D. “Wuthering Heights: The Question of Unquiet Slumbers.” Studies in the Novel 6.4 (Winter 1974): 389-407.
Harris, Anne. “Psychological Time in Wuthering Heights.” The International Fiction Review. 7. 2 (1980): 112-17.
Johnson, Diane. “Must a Novel Have a Theme?” The Southern Review 37.4 (2001): 779-89. Kermode, Frank. “A Modern Way with the Classic.” Ed. Eleanor McNees 340-57.
---. The Sense of an Ending: Studies in the Theory of Fiction. Oxford: Oxford University Press, 1966.
McNees, Eleanor, ed. The Brontë Sisters Critical Assessments. Vol.2. Mountfield: Helm Information, 1996.
Sanger, C. P. “The Structure of Wuthering Heights.” Ed. Eleanor McNees 71-82.
Vargish, Thomas. “Revenge and Wuthering Heights.” Studies in the Novel 3.1 (1971): 7-17. Vine, Steven. “The Wuther of the Other in Wuthering Heights.” Nineteenth-Century