補足的失業補償制の生成 二二
補足的失業補償制の生成
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一 序 一九五五年六月目フォード自動車会社と全米統一自動車労組︵UAWlCIO︶の間で締結された補足的失業補償制︵G。偉写 ℃冨ヨ2巨¢器日層ξヨ①卜しdΦ器卸コ磐1ωdゆコ窪︶は、 アメリカの大規模生産産業における最近の団体交渉の成果のなかで 最も注目さるべきものである。それはUAWが一九五一年の大会以来、団体交渉の目標として掲げてきた、所謂年間保証 賃金制︵σq屋轟葺①巴碧玉巴壽σq?−O︾≦︶の修正されたもので、アメリカ労使関係の歴史においてまさに画期的な意義を有 しているといわれる。勿論賃金もしくは雇用保証の制度はこのプランが最初というわけではない。否、その歴史はかなり 古く、今世紀の初頭に湖ることができるといわれる。特に一九二三年に創設された中09臼鋤巳○国目溢①コ⇔昌や三〇年 代の不況を契機に登場した出。同心2コ讐、Z自目ししu話﹃匹きなどは、その代表的なものとして知られている。 しかしこの制度が組織労働者の重要な運動目標として意識されるようになったのは、一九四三年に鉄鋼労組がこれを団 体交渉の要求事項として提起した時からである。この要求は結局戦時労働局によって拒否されたが、しかしこれが機縁と なって設けられた同問題調査委員会は、有名なラティマー報告︵訂け唐臼肉9。邑をもたらし、SUBプランを生みだすも とになった。唯、終戦後暫くの聞は、組合の活動目標が賃上げと年金制の獲得に集中されたため、一時棚上げの形になつら たのである。そして一九四八年のGM⋮UAW賃金方式と一九四九年のフォード年金プランはその成果であった。しかし 一九五一年に至って鉄鋼労組が再度保証賃金制を持ちだし、UAWもまた同年の大会で次期団体交渉の主要目標と決定す るに及んで、にわかに世の注目を浴びるようになった。 一般に保証賃金制は、使用者、がその従業員全員もしくは限定されたグループに対し、一定期間賃金乃至雇用を保証する 制度と定義される。賃金の保証と雇用の保証は区別さるべきだが、何れにせよ、こうした保証制度は企業にとって労務 費の固定化をもたらすことは明らかである。それ故季節的な変動や景気の動きが強く作用する業種程、実施に大きな困難 を伴うとみられる。﹁保証賃金制は、既に十分な生活の保障を得ている人々に対して与えられ、 最も保障を必要としてい ダ る人々に対しては与えられない﹂制度であるといわれる所以はここにある。そして自動車産業はまさしくこのような制度 を最も必要とするが、実施するのにきわめて困難な産業に属するといってよい。自動車産業の労働需要は甚だしく不規則 で、年々季節的に大量の一時解雇者をだしていることは周知の事実である。それ故に、UAWが保証賃金制に強い関心を 示したことは容易に理解できるが、自動車産業の経営者がこれに応じて実施にふみ切ったことは大いに注目される。それ はどのような経過をへて成立に至ったのか。この点を明らかにするのが本稿の目.的である。尚SUBプランの具体的な内 容や問題点、その後の修正、普及情況などについては、稿を改めて論ずるつもりである。
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補足的失業補償制の生成
補足的失業補償制の生成 二四 二 保証賃金制の歴史 アメリカにおける保証賃金制の歴史はかなり古く、十九世紀末に始まっている。しかしそれが急速に普及するようにな ったのは、一九三三年以降のことである。大不況が主な契機となったことはいうまでもない。しかしそれはきわめて一時 的な現象であった。一九三五年越成立した社会保障法︵﹃。芭G。①8・尊︾3に基づく公的失業保険制度の導人は、保証賃金 制の意義を著るしく減殺せしめた。けだし当時の保証賃金制は、多く私的失業補償制︵喝﹃冨器自①ヨ℃ξヨΦ葺。。ヨ唱2案凶8コ ・。dきαq①ヨΦ葺︶とも称すべき性格のものであったからである。 勿論同制度が完全に姿を消してしまったというのではない。 しかし、失業保険制の下での保証賃金制は、すぐれて労使関係的な配慮による雇用保証的性格のものへと変貌していった のである。 そして保証賃金制の第三期はフォードSUBプランの成立以後の現段階である。このプランの特徴は、第一に、公的な 失業給付︵§Φ巳喝ξ日①三げ8置け︶を補足する私的失業補償制であること、及び第二に、それが巨大組合のイニシィアチィ ブの下に、主に大規模生産産業を中心に取り上げられてきていること、の二点に存している。前者は保証賃金の一種とし てのSUBプラン自体の性格に係わる特徴であり、後者は同プランの推進主体に係わる特徴である。 いうまでもなく保証賃金制は直接使用者と被用者乃至組合双方の利害に係わる問題である。SUBプランの生成を歴史 的に跡づけようとすれば、当然制度それ自体の変遷だけでなく、当時者たる関係主体の同制度に対ずる態度、行動の変化 をもそれとの関連において解明することが必要になる。以下これら二つの側面について、保証賃金制の歴史を振り返って みたい。 ︵一︶保証賃金制度の変遷
⑨ 一般に保証賃金制なる語は、賃金の保証と雇用の保証の双方を含むものとして用いられることが多い。しかし、賃金の 保証がすべて雇用の保証を伴うものではなく、また逆に、雇用が保証されても、一定賃金額の保証はなされていない場合 もあり得る。失業給付を中心とする保証賃金制は明らかに前者に属し、雇用保証を中心とするそれは後者に属する。上述 のように、アメリカの保証賃金制の歴史は、概括的にいって、失業給付中心のものから雇用保証中心のものへと変化し、 最近に至って再び失業給付中心のものへと転じている。アーノウが、﹁保証賃金制の歴史は円環的に変遷してきている﹂ と述べているのは、まさしくこのことを指すのである。 , 初期の保証賃金制が概ね公的な失業保険制の代替物︵ω毎ω蜂露︶であったことは明らかである。σq轟冨艮8畠≦oσqΦなる 語が何時頃から一般に用いられるようになったか明白ではないが。少なくとも一九二〇年代には失業保険︵暮。ヨ℃一。囮日①巨 ぎ。・負§8︶という名称で保証賃金制が論ぜられている。例えばプラムは一九二五年の﹁労働経済学﹂のなかで次のように 述べている。 ﹁アメリカにおいては、公的な失業保険制は全く存在しないが、無拠出の基金を設定し、そこから一時解雇された労働 者に賃金のある割合を支払っているくいくつかの会社がある。﹂ 例えば保証賃金制の代表例として屡々あげられるプロクタi・アンド・ギャンブル・プランー一九二三年創設1、ホー メル・プランー一九三一年創設一、ゼネラル・エレクトリック社ランプ工場のケースー一九三一年創設1などをみても、 細部の差.異は別として、何れも失業給付を中心とするものであった。すなわち、一定期間を経過した労働者には、仕事の 有無にかかわりなく、一定期間賃金の総額もしくはその何割かの支払を保証する、というのがその要点である。 以上のような性格の保証賃金制が、公的な失業保険制度の登場によって、著るしくその存在を意義を喪失したであろう ことは容易に推測される。事実一九三五年から実際に同制度による保険給付の支払いが始められた一九三八年までに、保 補足的失業補償制の生成 二五
補足的失業補償制の生成 二六 証賃金制を中止したケースが非常に多かったといわれる。それ故に、中止されずに続いたのは、もともと失業給付中心の ものではなくて雇用保証中心のものであったか、あるいはそのように内容を改めたものに限られたとみてよい。 いうまでもなく、失業給付を中心とする保証方式では、一時解雇された労働者の収人の保証が主な狙いとなっている。 勿論多量の一時解雇は使用者にとって大きな負担となるので、それを阻止するため種々の試みがなされたことは当然であ り、そしてその結果間接的に雇用の安定が促進されたものと推測される。しかし雇用の安定が本来の目的ではなかった。 これに対して、雇用保証に中心をおく保証方式は、もともと一時解雇者を出さないことを目的としている。しかし実際に は、市場の季節的な繁閑や、一般的な景気の変動が避け得ないものである以上、全従業員に年五二週、主面〇時間の雇用 を完全に保証することはきわめて困難である。それ故に、雇用保証といっても保証される週の数や、週時間数もしくは賃 率にある程度の弾力性をもたせているのが普通である。改訂されたプロクター、アンド・ギャンブル社の方式がそのいい 例である。 同社の雇用保証は年間四十八週となっているが、保証される週時数はその七五%を限度に、重役会の決定に委されてい る。また賃率に弾力性をもたせている例としては、有名なナン・ブッシュ・プランー⊥九三五年創設一がある。同プラン では賃金を製品の売上高にリンクさせ、その二〇%相当の労務費を保証するという方式を採用している。これは不況時に も速かに市場価格の低落に即応でき、それによって一時解雇を最少限度に食い止めることを狙いとしている。しかしこれ にも限度があり、同プランの下で完全に雇用が保証されるのは古い従業員のみで、全体の八五%を限度にしている。 このように雇用保証といっても、そこに一定の限度がある。一時解雇もあり得る。事実﹁大部分のプランが仕事のない 場合の給与の保証を明示していない﹂といわれる。また雇用そのものの内容にもかなりの幅が設けられている。条件づき 保証方式︵8巳a。轟一αq葛錘葺①。”冨コ︶と称される所以である。しかし、 一歩つっこんで考えてみると、雇用保証方式には失
業給付方式にまざる次のよ.うな利点がある。 第一に、失業給付方式では、現実の受益者が一時解雇の対象となる、雇用期間の短い、換言すれば低い先任権︵ぴ≦。。91 騨芽︶労働者に適用対象が限定され易いという欠陥がある。 これは退職年金制の場合と比較した場合きわめて明白であ る。周知の如くアメリカ産業においては、先任権は尊重さるべき労働者の重要な権利とされている。高い先任権保持者と 低い先任権保持者の間の衡平を堅持することが、職場の秩序を維持する上で一つの重要な要件となっているのである。失 業給付方式は明らかにこのような先任権尊重の質行に矛盾している。これに対して雇用保証方式では、重点が雇用そのも のに置かれており、こうした問題の生ずる恐れがない。 第二に、両方式は雇用の安定化に対する当事者の努力において差異が生ずる。一般的にいって、失業給付方式における 雇用安定化の努力は、失業給付基金の流出を少なくするという間接的な目的によってなされる。しかるに雇用保証方式で は、雇用の安定化そのものが、直接の目標として労使の双肩にかかってくる。例えばナン・ブッシュにおける労務費の弾 力化、プロクター・アンド・ギャンブル社における配置換えの促進、拡張に際しての部門間の釣合の重視など、その端的 な現れである。そしてこのような方策の実施には、何よりもまず、当事者たる労使相互の理解と協力がなければならぬ。 雇用保証方式が労使関係の改善という点でより有効であるといわれる.所以はここにある。 以上のことは新しい私的失業給付方式とも称すべきSUBプランとでは、制度そのものとしてみても大きな差異がある ことを見逃すことはできない。すなわち前者は、公的な失業保険制度のなかった時期の、それの代替物であったが、後者 は、公的な制度が受人されて既に二〇年も経過した時期に、それを補足する方式としてでてきたのである。一体、一旦そ の意義を失ってしまったかにみえた私的失業給付方式が、何故にSUBプランという新しい形で再現するに至ったのであ ろうか。SUBプランの生成を跡づけるためには、まずこの点をはっきりさせる必要がある。 補足的失業補償制の生成 二七
補足的失業補僧制の生成 二八 第一に、公的な失業保険に対する不満があげられる。周知の如く、アメリカの場合は失業保険は州の管轄に属し、運邦 政府は雇主に課せられる賃金支払総額の三%の拠出金の内○・三%を運営費に留保し、残り二・七%は各州が、連邦政府 ノ 所定の失業保険制度をもった場合、それに利用できる仕組になっている。しかし、実際の課税額は失業者数に応じてその 額が変る所謂実績料率法︵ヨ臼旨同讐5σqo門突℃Φコ㊦58冨叶5σq︶によってきめられるから、各使用者によって差異が生ずる。平 均課税率は、州と州の間で給付額と拠出額を低くしょうとする不健全な競争と、また同制度導入以来のめぐまれた好況の 持続とによって異常なまでの低率にとどまり、一九五三年には一九三八−四〇年の二・七二%に比べその半ばにも達しな い一・三%に下っている。 他方週当り失業給付額の平均賃金に対する比率は、一九三八−四〇年の四一・一%から、一九五一−五三年の三二・五 %に下っている。すなわちこの間に名目賃金は三倍になっているが、失業給付額は一〇・七二弗から二二・八二弗にあが ったにすぎない。一九五七年には約半分の州でかなりの増額がなされたが、しかしまだ喪失賃金の半ばに達していない。 要するに公的失業保険制度は、平均課税率が遂年低下してきているため、積立金の蓄積が少なく、一時的に大量の失業を 生じた場合には、到底支払いにたえ得ない程弱体であったこと、並びに個々人に対する支給高が生活を支えるに足る程の 額に達していなかったこと、などが不満の主な理由とみられる。 第二に、私的失業給付制の設定は、一種の付加給与︵出塁σq①ぴ①器h詳︶による賃上げと看倣されている点が注意を要する。 周知の如く、付加給与は戦後のアメリカ産業においては、団体交渉の一つの中心主題となっている。そしてその額も、今 日でば暮々直接賃金として支払われる額の二〇%に達しているといわれる。$UBプランも付加給与による賃上げ方式と しての性格を内包していることは否定できない。つまりそれは、年金プランと並んで生活の安定︵ω①8﹁尊︶という労働者 の最大の要求に繋がる変則の賃上げ方式であるともいえる。﹁組合の指導者は、オーソドックスなアプローチによるより
も、このような方法でより多くの賃上げが獲得できるしとみている。すなわち﹁保証賃金制は経営に何らの付加的な賃金 コスト︵毘α隷霞巴蓄σqΦ8巴を課さない⋮⋮このようなプランの下では、雇用が不安定であれば、 当然多額の支出を免れ ることができないが、逆にそれが刺激となって経費の節減が促進されるから、使用者はより多く余裕をもてるし、また与 論の支持を得ることも容易である﹂というのが組合側の支配的な見解である。要するに、付加給与の形での賃上げがより 抵抗が少なく、且保証.賃金制は労働者の生活の不安を減ずる効果的な方策である、との認識が基調になっている。 第三に、SUBプランは技術革新の速度をゆるめる狙いをもっているといわれる。すなわち急激な技術革新は必然的に 多量の失業者を生みだすと信じている組合の指導者は、私的失業給付方式の導入にようて、使用者にこれを調整するため の大きな費用負担の義務を課し、それによって技術革新のスピードをスロー・ダウンさせようと意図している。この点に ついては、例えばオートメーションと雇用との関係についての論議にみるように、理論的には種々問題があるが、組合側 がコストの面から間接的にブレーキをかけるのに、こうした方式がきわめて有効と考えたのは、十分理解できる。 そして最後に、この一時解雇者を対象とする補償プランは、戦後のアメリカの組合運動の動向からみて、早晩何らかの 形で取り上げらるべき主題であったと解される。いうまでもなく組合員たる労働者の生活の安定と、生活水準の向上は、 組合活動の不断の目標である。四八年目GMIUAW賃金方式は、これら両者を同時に満たした一つの注目すべき解答で あった。しかしこの賃金方式は、現に雇用されている労働者の一般賃金に適用領域が限定ざれている。産業労働者の生活 の安定は.、対象をさらに老年退職者、︸時解雇者へと拡張考慮せらるべきことが当然要請される。こうしてフォード年金 プランが一九四九年に実現し、残された一時解雇者の生活の保障の問題が、SUBプランとして登場するに至ったのであ る。 このようにみてくると、SUBプラン生成の契機は、根本的には、公的な失業保険制度に対する不満に存するのである 補足的失業補償制の生成 二九
構足的失業補償制の生鵬 三〇 が、それが補足的失業給付といった形で登場するに至った理由として、戦後の組合運動の方向、性格も無視できないと考 える。しかもこの問題は、他面保証賃金制の推進主体が使用者側から組合側に移行したという事実とも結びついている。 以下この角度からみてみよう。 ︵二︶保証賃金制度の推進主体 一九三四年の労働統計局︵BLS︶の調査によれば、﹁自発的な失業給付プランは総数で六八に⊥り、内会社側によって 創設され、維持されているのが二二、団体協約に基づいて設けられているのが五、組合が単、独で実施しているのが四一﹂ となっている。しかし、数では最も多い、組合が単独で実施しているプランも、実質的には大して成果を収めていない。 すなわち四一のケースの内、三つは全国組合によって計画されたものであったが、その規模はきわめて小さく、他・は地方 組合単独のものであった。適用人員も全体の僅か一%を数えるにとどまり、大した影響力はなかったといわれている。未 だ組合のみの力では、大規模な解雇は勿論のこと、季節的な変動に基づく一時的な解雇に対しても、救済めめどがっかな かったのである。 団体交渉による同プラン実施のケースはごく少ない。僅かにクレープランドの衣服産業を先駆とする国際婦人服労組 ゆ (H R聾轟号邑訂島諒、9§①葺毛。蒔Φ邑と業者の、協約に基づく失業保険制度がみられるにすぎない。概括的にいって、初 期、の失業給付方式で成功しているのは、多く使用者の善意もしくはパターナリステックな意図からでた贈与の性格をもっ ていたといってよい。組合はまだ弱体であったし、他方使用者はみずからの利益のための雇用の安定化には、失業給付方 ゆ 式以外の色々な方策をもっていた。それ故に、使用者の善意か、特別の意図なしにこのような方式が創出される余地はき わめて少なかったのである。 しかし乍ら、上述のように公的な失業保険制の導入によって、これらの私的な失業給付方式は殆んど姿を消し、僅かに
雇用保証方式のみが残った。そしてそのイニシィアチィブをとったのは使用者側であった。但しこの方式を成功させるに は、労使の協力が不可欠であるといわれるが、しかし主導権は何れも使用者側にあった。ナン・ブッシュ・プランがその いい例である。組合が保証賃金制の歴史において真に主役として登場するに至ったのは、一九四三年鉄鋼労組が保証賃金 の要求を行った時である。 賃金乃至雇用の保証が労働者自身にとってきわめて切実な問題であることは敢えて言うまでもない。しかしこの問題が 労働者の組織である組合自身によって取り上げられるまでには長い時日を要したのである。周知の如く一九三〇年代後期 までのアメリカの労使関係は、オープン・ショップ運動︵ε9号・℃ヨ。<・8Φ巨︶、従業員代表制乃至会社組合制の普及など 組合勢力の伸張を阻止しようとする使用者側の活動が活発で、組合は組織を防衛することさえ難かしかった。一九三〇年 後の大不況を経験している労働者にとっては雇用や賃金の保証は最大の関心事であったが、それを取り上げるだけの力が 組合にはなかったのである。しかし、ワグナー法の成立を契機に組合は急速な躍進を遂げた。但し失業補償については、 一九三五年の社会保障法の成立と、それに基づく各州の失業保険制度の導入によって、逆にその関心は低下した。 ラティマーもその報告書のなかで、 ﹁保証賃金制の要求の増大は紛うかたないものであったが、それが労働者の組織の 方針となるまでに深く根をおろすに至っていない﹂と述べている。保証賃金制の歴史に組合が主役として登場するにば、 労働者の公的な失業保険制に対する不満と、それを除去できるプランを強力に進めうる程に組合勢力が強化されることが 必要であった。それ故に、景気変動によって操業度に著るしい変化のある鉄鋼業や、モデル・チェィンジュなどで例年季 節・的.に大量の一時解雇を出している自動車産業のような代表的大規模産業の巨大組合が、この問題に取り組むようになっ て、漸く新しい段階を迎えるに至ったのである。 而も、 ﹁組合が四十八州の失業保険法改正に圧力をかけるに必要な政治力を結集することは不可能であった。これらの 補足的失業補償制の生成 ’ ゴ=
補足的失業補償制の生成 , 三二 諸腰の多くが農業議員︵鋤豊8巨﹃巴江。。。。︶ によって占められていたという事情があったからである。・従って組合は独力で ⑳ 給付水準の引き上げを目指さざるを得なかった。しまた新しい保証賃金制の要求が、雇用保証方式をとらなかったのは、 主役が大規模生産産業を背景とする巨大組合であったことが大きく作用しているとも解される。これらの組合の指導者は 労使協調的な性格の強い雇用保証方式によらず、組合の①口江び。身としての性格を堅持し乍ら、交渉によってその目的を 達しうると考えた補足的失業給付方式を選んだのである。 之を要するに、保証賃金制の歴史は、内容的には失業給付中心から、雇用保証中心へと推移し、さらに新しい形の失業 給付中心の方式が生みだされた。他方この制度の推進主体は使用者側から組合側へと移った。特に大規模産業における巨 大組合がその主役になった点が注目される。 ①連邦社会保障法が成立したのは一九三五年であるが、それに基づき各州に失業保険制度が設けられ、実際に失業保険金を支給するようになったのは 一九三八年からである。 ②この点に関しては次を参照。 ℃ぼ=℃︾言。∼、、ωoヨ①勺旨〇三①日ωo漆冨○賃四補き零aを。ぴq①コ帥p..︼≦oロ叶蒔くピρ。ぴ。既菊Φ三Φ比周①耳ロp蔓お総も■竃ド O碧﹁9一図.∪きゆ身冨肖蔓− い魯。同勺δ三Φ︼βω貯﹀日臼一8コぎ匹口ω鐸ざ一Φ自■戸㊦b。ω. ③ラティマーは次のように定義している。﹁保証賃金制は使用者が、全従業員乃至特定の従業員集団に対し、少なくとも三ケ月間賃金もしくは雇用を 保証する制度である﹂と。但し三ケ月という期間は、調査対象を期間の面で限定する必要があったためとも解される。 ︵い鋤叶ぎΦき8●鼻二㍗田刈刈︶ ④︾讐。き8●簿こ娼﹂自・ ⑤ωoδ80コQdぎ3訂げ。搬国88ヨ8ω口8伊。﹂謹● ⑥ これらのプランについては例えば次を参照。℃①﹁ωoコづ9閏。口⊆びooFo℃・o搾−弓.卜。軽ωh勝O.oQ.を暮犀ぎωき匹勺●﹀・Uo自9↓げΦ]≦β。己αqoヨ①ロ曽 o臨いpげ。﹃因Φ冨二〇霧℃一㊤ら。。。℃娼ウ。。瞳∼。。醤・ ⑦一九三四年の四十四社から、三七年の出社に減じている。︵∪碧mq冨答ざ8.鼻二署■①b。卜。∼露。。■︶ ⑧勺。諺。ヨ巴山帥巳げooぎ8巳簿二戸塾。ミ。 ⑨ ナン・ブッシュ・プランは雇用保証と攻入保証の二つの側面をもっている。古い従業員は﹁A﹂クラスにランクされ、一時解雇されることがない。
F 新しい従業員は﹁B﹂クラスにいれられ、臨時雇いの扱いをうける。この区分は一九四四年に改正され、A・B・C・DB・HA・HB・とより細か に区分されたが、完全な雇用保証は﹁A﹂クラスに属する五九五名に対してのみ与えられ、 ﹁A﹂クラスに欠員の生じた時のみ﹁B﹂クラスからの昇 進が認められる。但し﹁B﹂クラスには二年以上の先任権を有する従業員がランクされる。他方同プランの今入保証額は、正味の売上げ高の二〇%と きめられた。この率は一九二六−三四年の実績を調査した結果、経営状態や労務費に大きな変化があったにも拘らず、労務費率が殆んど変化していな い︵平均一九・四六%、最高一二・一七%、最低一八・一八%︶ことを発見して決定したものである。例えば、ある月の工場の生産総額が一〇〇万弗 あったとすれば、従業員の取り分はその二〇%、二〇万弗になる。一五〇万弗になれば三〇万弗になるが、逆に七〇万弗に下れば一四万弗に引下げら れる。こうして労務費に弾力性をもたせることにより、会社側は市場の動きに即応して販売価格を容易に調整することができ、且一時解雇によらずに 労務費を引き下げることができた。このようにナシ。ブッシュ・プランの特徴は、労務費に弾力性をもたせることで、雇用保証と賃金保証を巧みに結 びつけている。同プランが津Φ巴三Φ℃冨コと称される所以はここにある。尚、同プランの詳細については、閏①旨団い.高田ロP↓ずΦ≦ず。一①冨9。謬 Oo窃8≦o﹃ぎ一り㎝ω.角田禎三訳﹁この労使関係﹂をみよ。 、 ⑩﹀ヨ。ぎ8・簿こO﹂踏・ ⑪零冨。弓巴出四aげ8ピ8.。罫”℃.櫨メ ⑫℃Φ冨。暮2口9巳90ぎ。唱.9什こり・b。烏・ ⑲妻障匹口ω鋤&Uoま℃ε・9け二署●㎝ミ∼宅㊤.U巴①嶋a①ぴ勺①議。毒9罎ゆロ擢Φヨ①馨9巳ぎ含ω簿幽巴困①冨二8。・”濠ず①巳二〇員刷り呂”喝・①Φb。. ⑭この課税方式については賛否両論がある。詳しくはω錯日。霞中団団ユ望、、国ooロ。ヨ8ωoh夢①O轟飾罫けΦΦα≦国αqρ二ζO高堂貯ピ菩。﹃園①諜Φヨ .聞。げ歪四蔓一繍伊℃唱・一①も。∼一罐.国8≦一$堵8G9什二℃℃.濠b。∼瞳トを参照。 ⑯出錠二ψ8●9酔二娼.δω. ⑯ 最近の数字では平均週当り二七弗、月一一七弗となっており、喪失賃金の略々三分の一に相当している。なお積立金の額も決して十分といえない。 一九五二年の失業保険基金勘定は総額で略八五億弗、州によっては重大な危機に遭遇した経験もあり、親機もその恐れはあるといわれる。そしてこの 原因は主に実績料率による課税方式にあるとされている。︵国幽零ぎΦ団・≦葺ρ.甫冨団信ε冨ohωo。芭ω①6鼻輪同.、ぎq●ω﹄民霧町一睡菊①冨什卿。葛− ①臣こび鴫智Oぽω銭⑦げΦさお切Q。噛℃●置刈・︶ ⑰ アメリカの労使関係における付加給与の意義については、O冨日びΦ二⇔ぎ一〇唱・。ドー℃喝.舘。。∼ω㎝㊤・団oqoひ。℃.o一け二℃℃.蒔8∼お刈・など参照。 ⑱⑲ 国母ユρOや9汁二℃7鵠㊤∼目8の ⑳芝舞匠易きαUoα98幽9叶こ唇.㎝§∼㎝刈ω. ⑳Uき帥q冨腎ざ8.6一汁こ℃・㎝Oω. ⑳ クレ:ブランド衣服産業の保証賃金制の要点は次の如くである。ω組合は製品の質と量に責任をもち、使用者は半年二〇週の雇用を保証する。②雇 用保証に失敗し一.時解雇を行なった場合は、その人人に規定の最低賃率の三分の二を支払う。③使用者側の負担は賃金総額の七・五%を限度とする。 補足的失業補償制の生成 三一二
補足的失業補償制の生成 三四 ω基金に残余が生ずれば会社側に返選される。以上の取りきめで実施された最初の半年︵一九二一年六月一一二月︶の結果は、基金総額九三、OOσ 弗の内給付額三三、OOO弗、参加三一工場、内失業者なしが四、残余基金零が二、基金に不足を生じた工場が二、他はすべて残余が生じた。尚同産 業の一時解雇は年間平均一一週目達し、全国平均三〇目に比べ著るしく高かった点が注意を要する。︵国g昼。や。一六二尊●一芸∼ミ㊦.︶ ⑳ ワトキンスウは次の七つをあげている。ε団×8コ。・一〇コ。臨oD①器。二巴竃程評。け一び︶ゆ¢ασqΦ什ぎoqO8爲。一9。ロαじd島ぎ①ωω男。器8ω鉱八州。︶ζ山口﹃ hp9二﹃ぎぴqho塊Qn80ぎα︶∪一く①二目一〇ρユ。昌oh勺﹃oα口。箭噛①︶ω富コユp﹁巳N国ユ。昌薗コαω一∋一罵戸。鋤二〇量 騰︶℃﹁oΩg∩諏。口ho﹃ω巴窃−αq︶○①コ興巴℃o﹁一 。肛。目9旧。鵠9$がそれである。︵甫9。鼻ぎω雪氏∪&98.o陣け.−署.綬刈∼㎝岩層︶ ⑳ ト9ニヨ①び。や曹。詳二掌㎝蕊. ⑮ 07β・日びΦ二蝕ジoO.ユ什こO.凱◎。㊤・ 三 フォードSUBプランの生成 前述の如く大規模生産産業に・おける巨大組合が中心となっての保証賃金制獲得の運動は、一九四三年に鉄鋼労組が行っ た一〇〇%の賃金保証要求を以て嗜矢とする。当時は戦争中であったため、戦時労働局︵WLB︶に付託され、結局承認 を得ることはできなかったが、しかしこれが契機となって同問題の調査委員会が設けられ、有名なラティマー報告が生れ たのである。 鉄鋼労組の要求は、﹁協約の有効期間中、全従業員に一〇〇%の平均時間賃金を保証する﹂ことを求めるものであった。 そしてこ.れに対する委員会の勧告は、このような保証方式の採用は、会社側に無制限の債務︵巨巨隠伍広口ξ︶を負わせ る結果となり、実行の可能性に乏しいということであった。しかし、注意すべきは、この報告が決して保証賃金制そのも のを否定しているのではない、ということである。否、逆に実現可能な保証賃金方式にはどのような前提要件が必要か、 という積極的な見解がつけ加えられているのである。それは略々次の四点に要約される。 ︵1︶会社の私的保証賃金制は公約な失業保険制度と結びつけるべきである。 ︵2︶対象となる従業員は一定の先任権をもっているものに限定すべきである。
︵3︶信託基金︵碁・=・融︶を設け、好況時にそれに振り込み、 一時解雇が生じた場合、そこから給付金の支払いが行 われるようにすべきである。但し基金へ振り込まれる支出については免税とすることが望ましい。 ︵2︶使用者の債務は賃金総額のある率に限定すべきである。 そしてわれわれは、以上の見解が、実は今日の代表的な保証賃金制とみられるSUBプランの基調になっている点を見 逃してはならないと考える。すなわち一九五一年の鉄鋼労組の要求は、保証期間を五十二週とするという点を別にすると 平々ラティマー報告の線にに早ったものであった。しかし、この時の要求も朝鮮戦争下という特殊な情況の下にあったこ とも影響して実現に至らず、代って自動車労組︵UAW︶が主役として登場した。周知の如く自動車産業は年々季節的に 大量の一時解雇者をだす雇用の不安定な産業であり、賃金乃至雇用についての保証を最も必要とする業種に属していた。 UAWがこの問題を最初に取り上げたのは一九五一年の大会であるが、実際に団体交渉の要求事項として提示したのは 五五年の春である。これには次のような事情が存していた。第一に、ゼネラル・モーターズとの五ケ年協約が五五年春で 切れ、フォード、クライスラーとの協約も大体同じ頃に切れるため、五五年春は、UAWが保証賃金制という、使用者側 の強い反対が予想される要求の獲得に総力を結集するに最もいい時期であった。第二に、鉄鋼労組の失敗からみて、朝鮮 戦争︵一九五〇年六月−一九五三年七月︶の下では組合に有利に運動を展開することが難かしいという反省があった︵フォー ドとの協定は五二年四月が期限であったが、この時はGAWをとりあげなかった︶。そして第三に、ラティマー報告、鉄鋼労組の再 度の要求で保証賃金がにわかに注目されるようになったが、これに対しては単に使用者側からだけでなく、学識経験者、 組合員自身から種々異論があって、十分期間をおいて調査研究を進め、啓蒙運動を行うことが必要であった。 UAWは一九五三年の大会で、保証賃金制を来るべき交渉の中心主題にすることを再確認し、同時に、﹁団体交渉におい て合意に達しうるような、コストの点で十分納得のゆく案を作成するように組合を指導する諮問委員会︵9・舞三⑦。翫芝・、σq。 補足的失業補償制の生成 三五
補足的失業補償制の生成 三六 ℃自密﹀牙同。。。蔓。。日ヨ旨一Φ①︶が創設された。しそして同委員会は次の基本原則に基づいて試案を作った。 ︵1︶雇用乃至賃金保証は先任権に応じて一年を最高とし、段階的に行われるべきである。 ︵2︶支払の保証は州の失業保険給付と一体化せらるべきであり、経営者はそれの実現に必要な州法の改正を働きかけ るべきである。 、 ︵3︶中立委員を議長とし、労使同数の代表が参加する管理委員会を設けるべきである。 ︵4︶使用者は保証賃金の支給を現金払方式︵℃昌−諾−罵。ローσq。げ鐘。。︶で行い、異常なコストについては積立基金︵・Φ器7 く①ぎω江§α︶を以て補足するようにすべきである。 つづく一九五四年暮には、UAWの経済及び団体交渉全国会議が開かれ、要求獲得のためのストライキ基金の増額と、 年間雇用保証︵讐・・磐§儀磐宕巴・ヨ唱δ防塁・巳の大綱を決定し、翌五五年春の大会に上程して承認された。但し雇用保証に ついては他の方式も考慮さるべきことが付記された。同大会で承認された大綱は次のようなものであった。 ﹁同制度は合同して管理さるべきである。各労働者は仕事に呼び出された週もしくは事前に一時解雇の通告を受けなか った週につき、四〇時間の仕事乃至は支払いを保証される。先任権を有する労働者は、先任権を得た時から二週間の雇用 につき一週間の割合で、最高五二週間までの期間一時解雇に対し保証が与えられる。保証支払額は州失業保険給付相当額 だけ減額される。使用者は同プランを現金払い方式と積立基金方式の二つ方式で運営するよう提案する。但し債務の最高 額は現行賃金総額の一定率に限定する。また積立基金は再保険さるべきである﹂というのがその主な内容になっている。 UAWの会長W・ルーサーは﹁組合員に対する報告﹂のなかで、同制度に対する組合の基本的な考え方を次のように述 べている。 ﹁今年︵五五年︶は五三年よりも、予定年生産高の内不当に多い割合を前半期に集中している。すなわち後半期における大量の一時
解雇と、非常な難局は不可避と考える。われわれの雇用保証に対する要求は、このような会社側の無責任且非入道平行為をやめさせる ことを意図している。われわれは、われわれの要求が常に組合員の正当な要求と希望を反映するだけでなく、道徳的に正しく、経済的 に健全で、社会的に責任をもったものでなければならないと信じている。⋮⋮社会的・経済的な観点からすれば、雇用保証の要求は、 失業を最少限にくいとめ、且労働者の購買力を安定ざせ、失業のコストを、失業に対して責任ある、而も完全雇用を維持する能力をも っている人々に課し、以て地域社会や国民に及ぼす影響力を最少にするための要求である。本来失業のコストは、事業運営のコストの 一部として負担せらるべきものである。而るに今日、経営者は多くそれを労働者と一般社会に転嫁している。L この報告がかなり誇張された、宣伝臭を帯びたものであることは否定できないが、しかし同時にわれわれは、自動車産 業が年々モデル・チェインジに際し、多数の一時解雇者を排出し乍ら、尚他産業を遙かに凌ぐ巨額の利潤をあげている事 実を見逃してはならない。UAWが有効な雇用の安定化方策と、不十分な公的失業保険制の補足を求めたのも、一面無理 からぬことであった。而も組合の打ち出した要求案は、鉄鋼労組が最初に要求したものに比べ、使用者側の負担能力につ いても考慮が払われ、略ラティマー報告の線に沿っている。 , 保証賃金制を中心主題とするUAWと自動車産業の大手のゼネラル・モーターズとフォードとの団体交渉はそれぞれ四 月七日、四月十二日から開始された。そして五月九日にはUAWのゼネラル・モーターズ部会もフォード部会も、共にス トライキについて組合員の賛否を問うことを決議し、ゼネラル・モーターズは同月二十四日に、フォードは二十六日に投 票を行い多数を以てスト権を確立した。,しかしフォードの場合は、二十六日に会社側がかなり思い切った反対提案を行っ た。そしてこれがきっかけで、フォードが五五年協約の︾讐8導ω①簿2になったのである。 フォード社が提示した案は..勺貯葺臼ω霞℃一可融8℃臼一¢℃冨目.、と称する包括プラン︵冨。訂㈹①唱露︶で一般賃金、●牟金 保険金その他の付加給与の引き上げを含んでおり、その額はビジネス・ウィークの計算によると、時間当り三十七セント 二分の一に上るといわれた。そのなかで特に注目されるのが、同社独自の収入保証方式を謳った次の三点である。 補足的失業補償制の生成 三七
補足的失業補償制の生成 三八 ︵1︶政府証券の購入と一緒にフォード株の購入機会を与える。すなわち従業員が同プランに対し一〇〇弗を払い込む 毎に、五〇弗は政府証券に投資し、他の五〇弗に対し時価一〇〇弗のフォード株を与える。 ︵2︶無利息の貸付金によって一時解一旦の期間の収入安定を計る。この貸付金は再雇用されたとき、週三十二時鯉超 える就業によって得た収入の二分目一を以て返済するものとする。但し三年以内に再雇用されぬ場合は帳消しとする。 ︵3︶五・九八○弗を限度に退社手当︵紹く。﹃き8冨団︶を支払う。 しかしUAWはこのプランを受け容れなかった。組合側は一時解雇の給付額を、当初の、週四〇時間の手取り収入の一 〇〇%から、八○%に下げ、且保証賃金制の実施に伴う会社側負担額を時間当り一群セントーこれは評ぽ5臼跨昼ジ 雷畠℃霞算団勺冨昌の持株参加、収入安定資金、退社手当に要するコストと同額であった⋮に減じて会社側の承認を求め た。しかし、その後両者の間で補足的失業補償プランとすることに話し合いがっき、ここにフォードSUBプランが誕生 した。そしてこの最後の交渉で、組合側は会社側の主張をいれて、収入の八○%、年間五二週保証を、収入の六五−六〇 %を年間二六週保証することに同意したのである。 以上アメリカ産業における保証賃金制の推移の概要と、今日の代表的形態であるSUBプランの生成の経緯を一瞥した。 広い意味での保証賃金制は、当初私的失業保険制としてスタートし、雇用保証を中心とする制度から、現在の補足的失業 補償の制度に変ってきている。特に後者すなわちSUBプランはアメリカ産業における所謂℃o芝臼8艮2において生れ た保証賃金の最も有力な冨簿興pである点が注目される。尚プランの具体的な内容、問題点、実施成果などについては、 稿を改めて考察する。 ①9凶ヨげ嘆顛章。や舞二℃.し。。。Φり ②O冨ヨσ①ユ巴poや簿こ℃.㎝㊤O搾
③↓ざ=窪08︿窪蔦80喘什げΦ¢﹀≦19ρζoコ序ξ冨び。噌高くδき竃p団お舞7お◎ ④筐飢・も・お①冒 ⑤↓冨ao器と房op↓冨一㎝導9塁姦凶goh爵⑦9Qω︾ロ8を。蒔①﹃ω噛ζ8芽ぐU呂。﹁即。︿冨ヨ竃塁お劉℃.㎝b。Φ・ ⑥切・竃.ω鮎辞ヨ蝉pQっ・丙・ω9Φ評ヨ9。p餌壷ω・=.周匝冨び写〇三〇ヨ。・写喜びg男三豊8砂﹂霧。。順7おN・ ⑦この間の詳しい経過については、ωΦ冨閃日き9コユ03興ω−oロ噛〇一什こ薯のおω∼蕗。。.を参照。 ⑧ω①δ胃ヨ碧雪幽。け冨量8・9仲二℃.お凱. ⑨この語はデュービンらが自動車産業の労使関係の分析において一の中心概念としている。︵閃・=● 嵩⇔触び凶ωO躊 国5ユ 図。 一︶己三9℃凶洋臼口。隔d三〇ロー .罎髄コ四閃Φヨ①5け園Φ一”二〇口の一一Φ軽刈鴨男O﹃け一一∩TO昌①弓9一ツ蒔O梓O﹁ω薗5qd>♂くlO一6Ψ・︶ ﹂ 補足的失業補償制の生成 三九