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訓令12号の思想と現実(1)

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Academic year: 2021

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(1)と 現実(1). 訓令12号の思想 久 The. 12 th. 木. lnstruction. Its ldeas,. Bases,. 男. 幸. of. Ministery. and. Effects. Yukio. of Education Education upon. in 1899:. (1). HISAEI. StJMMARY Tbis 12th. paper. education), of. and. lnstruction. the. through. following. one. nqinistery. of. analyzing. are. intented. Education. the. process. in of. to Clarify the ideas and functions 1899” (soICalled "the interdict of. the. formation,. application. and. of "The religious. adaptation. Instruction.. The shows. of. course. that. tbougbts 1iberal beginnlng. in this paper, is discussed promulgation of the Instmction, which to Instruction was the the structure aim of reinforce educational and by the semiTenno System, the conservative replacing sides of the System Tenno System to the new the ones, or at situation adapting to. the. the. of. (or pseudo-liberal) Of the. 20tb. Century. Japan.. 序 「一般ノ教育ヲシテ宗教ノ外二特立セシムル-,学政上最必要トス。依テ官立公立学校 及学科課程二閑シ法令ノ規定アル学校二於テ-,課程外タリトモ宗教上ノ教育ヲ施シ又-. 宗教上ノ儀式ヲ行フコトヲ許ササル-シ1)+という,明治32年文部省訓令12号,いわ ゆる宗教教育禁止訓令(以下,訓令と略称)に対しては,. 「日本における宗教に関する学. 校教育の方針を確立したものとして歴史的意義を有する+という評価がなされている2)0 それだけにこの訓令についてほ,けっして数少ないとほいえない先行研究が,これまでに. 発表されてきているB)。これらの諸研究においてほ,とくに私立学校令との関係を中心に した訓令の成立過程,訓令の趣旨や狙いやそれを支える思想,訓令が宗教学校なかんずく キリスト教学校に与えた諸影響,反対運動と訓令の実質上の部分修正などの問題がとり上 げられ,訓令を支える思想と,訓令が直面しなければならなかった現実とが,かなりの程 度明らかにされている。そして,論者によって若干のニュアンスの差ほあるが,訓令の狙 いがキリスト教抑圧にあったこと,その意図がストレートに貫徹したにせよ,しなかった にせよ,訓令が結果的にほ天皇制教育補強の役割を果したことを認める点でほ,先行諸研 究,とりわけ戦後の諸研究の結論ほ,ほぼ一致しているといえる。 この結論ほ,その大筋においてほおおむね承認され得るであろうが,若干の疑問が残ら ないわけでほない。訓令が抑圧したのは果してキリスト教だけであったのか,その抑圧と ほ,とくに訓令の実質上(運用上)の部分的修正を考慮にいれた場合,具体的にどんな意 味をもつ事柄であったのか,また訓令はどのようにして天皇制教育補強の役割を担うこと *教育学教室(°ept.. of. EdllCation).

(2) になったのか。先行諸研究がこれらの問題のことごとくを看過してきたとほいわないまで も,そこにはまだ再吟味を要する問題が残されているようである。これらの問題をじゆう ぶんに明らかにするためには,昭和20年,戦前天皇制の崩壊とともに訓令が失効するに 至るまでの約半世紀にわたって,訓令をめく小って生じたさまざまの問題を,それぞれの時 代状況に照らしつつ綿密に洗い直してみる必要があろうと考えられる。しかし本稿および 続稿では,とりあえず訓令成立前後に考察時期をしぼり,その成立過程と実質的修正過程 とを分析することを通じて,訓令本来の思想と,それを生み出しその実質的修正をもたら した現実とを明らかにする計画であるが,本稿でほそのうちの成立過程の問題を先ず取り 上げたいと思う。 注. 1) 『明治以降・教育制度発達史』巻4, 37 2)井門富士夫「政教分離に関する政策資料+(東京大学東洋文化研究所『東洋文化研究所紀要』 p. 281) 昭和40年, 3)戦前の主な研究としては平塚益徳『日本基督教主義教育文化史』 (昭和12年)があり,戦後 ほ市丸成人「文部省訓令第十二号(明治三十二年)の告示とその影響+ (『西南女学院短大研究 紀要』 7,昭和36年),石田加都雄「明治三十二年文部省訓令第十二号,宗教教育禁止の指令 について+ 8,昭和36年)などの労作が発表されている。また,片山 (『清泉女子大学紀要』 清一「明治後期における私立学校とその建学精神+ (日本教育科学研究所〔編〕 『近代日本の私 学』昭和47年)も,訓令とそれがキリスト教学校に与えた影響との分析にかなりの紙数を割 p. 661.. いている。. よく知られているように,訓令はもと私立学校令案中の宗教教育禁止条頁が,同案の作 成・審議過程で削除され,代って訓令として公布されるに至ったものである。したがって, 訓令の成立過程ほ私立学校令成立過程と完全に重なりあっており,前者を明らかにするた めには,先ず後者が明らかにされなければならない。 ところで,これもまたよく知られているごとく,私立学校令実は明治32年4月の第3 回高等教育会議に第10号諮問案として提出され,小修正をうけて可決,文部省の手でさ らに修正されて,同年6月,法典調査会で審議,修正,ついで内閣法制局において調整, 最終案が確定され, 7月末の枢密院の審議を経て8月3日,勅令第359号として公布され るに至ったものである。このように私立学校令ほ,その公布に至るまでに再三の修正を経 ており,当初の高等教育会議提出案全文30か条が最終的には20か条に縮少されたのみ (ママ) ならず,内容的にも,当時の新聞が「尚更一層寛大の老と為りたり1)+と評しているごと き,重大な変更を多くの点で受けている。どの点がどのように修正変更されたかを明らか 6月21日法典調査会 4月18 にするために, 日第3回高等教育会議提出案(第1次案), 付議案(厳密にほ内閣へ提出。内閣から法典調査会へ廻付)(第2次案)2)と,最終案(枢密院提 出案)とを対照し,さらに修正箇所を先ず次ページ以下に表示してみよう。 一見明らかなように,第1次案30か条のうち8か条ほ第2次実作成過程で削除され, 第2次案も-3か条が法典調査会において全文削除されているほか,大きい修正変更をうけ.

(3) 訓令12号の思想と現実 第1表. 私立学校令各案対照表 i. 1. 第. 次. 案8). 次. 第1条. 本令二於テ私立学校卜 称スル-公二教育ヲ施ス所ニ. 第1粂. 案4). 私人-法令ノ規定二従. 法典調査会修正4). 最終案4) 左に同じ. 全文削除. E掌壁 ヲ設立スルコトヲ得. シテ私人ノ設立二関-ルモノ ヲ謂フ. 本令ノ私立学校-幼稚園ヲ包 含ス. 第19条. 本令ノ規定-私立幼稚. 園二準用ス. 第2粂. 私立学校-第一次二於. 箪旦垂 私立学校-別段ノ規定. テ地方長官之ヲ監督シ第二次. アル場合ヲ除クノ外地方長官. 二於テ文部大臣之ヲ監督ス. ノ監督二属ス. 第3=条. 私立学校ノ設置廃止及. 第3条. 私立学校ヲ設立セント. 設立者ノ変更-地方長官ノ認. スル老-監督官庁ノ認可ヲ受. 可ヲ受クへシ. ク-シ. 第16条. 条文無. 左に同じ. 条文無. 左に同じ. 修正. 第1粂. 「除クノ外+. 修正. を「除ク外+. 些墜重ー 第2条. 条文無. 左に同じ. 修正. 私立学校ノ廃止及設立者ノ変 更-監督官庁二開申ス-シ 私立学校ノ設立者死亡. 第4条. シタル場合二於テ共学校ヲ継 続セントスル老アルトキ-. 第4条. 私立学校ノ設立者死亡. 箇月以内二監督官庁二開申ス. 〔二箇月〕ヲ過クルモ尚継続者. 続ノ開申ヲ為ササルトキ-其. ナキトキ-共学校-当然閉鎖. 学校-当然廃止シタルモノト. スルモノトス. 垂艶. 左ノ場合二於テ-私立. 左に同じ. 第10条「第12条+. 左に同じ. シタル場合二於テ其学校ヲ継 統セソトスル者アルトキ-. ー箇月〔二箇月〕以内二地方 長官ノ認可ヲ受ク-シー箇月. 第5条. 全文削除. ニ箇月ヲ経タルモ尚継. へシ. 塾!旦垂 左ノ場合二於テ-監督 官庁-私立学校ノ閉鎖ヲ命ス. を「第9条+に. ヲ得. ルコトヲ得. 修正. 1.設立者ニシテ本令二規定. 1.法令ノ規定二違反シタル. 学校設立ノ認可ヲ取消スコト. セル要件ヲ欠キタルトキ. 2.法律命令ノ規定二背キタ ルトキ. 3.安寧秩序ヲ素乱シ又-風 俗ヲ壊乱スルノ虞アリト認 ムルトキ. トキ. 2.安寧秩序ヲ素乱シ又-風 俗ヲ壊乱スルノ虞アルトキ 3.六箇月以上規定ノ授業ヲ 為ササルトキ 4.第12条二依り監督官庁ノ. 4.教育上有害卜認ムルトキ. 為セル命令二違反シタルト. 5.衛生上危害アリト認ムル. 辛. トキ. 6.六箇月以上規定ノ授業ヲ 為ササルトキ. 第12粂. 私立学校ノ設備授業及. 其他ノ事項ニシテ教育上星二 衛生上有害ナリト認メタルト. 第9粂「又-衛 生上+を削隙. 「其+を「其 ノ+に改め. たはか左に 同じ.

(4) 辛-監督官庁-之力変更ヲ命 スルコトヲ得 第6条. 私立学校設立者-学校. ヲ代表シ校務ヲ掌理シ職員ヲ 進退ス. 第7条. 私立学校設立者ニシテ. 地方長官ノ認可ヲ受ケ別二校 長ヲ置キ前条ノ事項ヲ委任ス. 象旦垂 重量掌墜三選三塁堕三 第3条 私立学 軽重三三壁墜三豊墾と星二二嘩 校二於テ-校 員ヲ進退スル者二対シテ-衣. 長若-学校ヲ. 令中校長二関スル規定ヲ準用. 代表シ校務ヲ 掌理スル者ヲ. ス. 定メ監督官庁 ノ認可ヲ受ク. ルトキ-本令中設立者二関ス. -シ本令中校. ル規定ヲ適用セスく但第3条. 長二関スル規 定-之ヲ学校. -此ノ限リニアラス〉 前項ノ場合二於テ-本令中設. ヲ代表シ校務 ヲ掌理スル老 二適用ス. 立者二閑スル規定-校長二準 用ス. 第8条. 私法人又-組合二於テ. 左に同じ. 該当条項なし. 左に同じ. 左に同じ. 該当条項なし. 左に同じ. 左に同じ. 第7条. 第5粂「専門学. 「校長及+杏. 私立学校ヲ設立スル場合泣二 私立学校ヲ法人卜為ス場合二 於テ-其理事又-代表者ヲ設 立者卜看倣ス. 第9条. 私立学校設立者-相当. 学校教員免許状ヲ有スル老叉 -教員クルノ認可ヲ得タル老 但小学校教員免許状 二限ル ヲ有スル者又-小学校教員ク ルニ相当ナル資格ヲ有スト認 ム-キ老-幼稚園設立者タル コトヲ得 第10条. 私立学校教員-相当学 校ノ教員免許状ヲ有スル老ヲ 除クノ外-共学カヲ証明シ小 学校幼稚園盲唖学校其他小学 校二額スル各種学校二在1)チ -地方長官其他二在リテ-文 部大臣ノ認可ヲ受ク-シ 前項ノ認可-当該学校在職問 有効ノモノトス. 第11条. 前条ノ認可ヲ受ケント. スル者-く五年以上帝国内二 居住シ且〉国語二通達スルコ トヲ証明スルヲ要ス但専門学 校二於ケル専門学科ノ教員専. 専門学校ニアラサル私. 立学校ノ校長及教員-相当学 校ノ教員免許状ヲ有スル者ヲ 除クノ外共学力及国語二通達 スルコトヲ証明シ小学校盲唖 学校及小学校二類スル各種学 校ノ校長及教員二在リテ-地 方長官其他二在リテ-文部大 臣ノ認可ヲ受ク-シ. 校ニアラサ. 削除(3か. ル+を削隙,. 所), 「其+を. 「外国語+を. 「其ノ+に(2. 「外国語専門. か所), 「但+. 学科+に,. 「某. を「但シ+に. 種+を「特種+. 改めたほか. に修正. は左に同じ. 但専ラ. 外国語又-某種ノ技術ヲ教授 スル教員及専ラ外国人ヲ入学 セシムル為二設立シタル学校 ノ校長及教員-国語二通達ス ルコトヲ証明スルコトヲ要セ. 「除クノ外+ を「除ク外+ に修正.

(5) 訓令12号の思想と現実. ラ外国語又-菜種ノ技術ヲ教. ス. 授スル教員及専ラ外国人ヲ入. 前項ノ認可-当該学校在職問有. 学セシムル為メニ設立シタル. 効ノモノトス. 学校ノ教員-此限二在ラス 前項但書二依り教員タルノ認 可ヲ得クル者-専ラ外国人ヲ 入学セシムル為メこ設立シタ. ル学校ヲ除キ其他ノ私立学校 ノ設立者タルコトヲ得ス. 第12条. 第10条及第11粂ノ証明. 第8条. 前条ノ証明ヲ不充分ト. 不充分卜認ムルキ-文部大臣. 認メタルトキ-監督官庁-本. 叉-地方長官-本人ノ志望こ 依り試験ヲ施スコトアル-シ. 人ノ志望二依り試験ヲ施スコ. 第13条. 私立学校教員ニシテ教. 第9条. 私立学校ノ校長又-戟. 員ニシテ不適当卜認メタルト. -文部大臣又-地方長官-其 与-タル認可ヲ取消スコトヲ 得. 辛-監督官庁-其与-タル認 可ヲ取消スコトヲ待. 左ノ諸号ノーニ該当ス. ル老-私立学校教員クルコト ヲ得ス 1.重罪ヲ犯シタル者 2.定役二服ス-キ軽罪ヲ犯 シタル老. 3.破産若ク-家資分散ノ宣 告ヲ受ケ復権セサル者又身代限ノ処分ヲ受ケ債務ノ 弁償ヲ終-サル老. 4・垂選〔懲戒二俵り免職二 処セラレ〕又-教員免許状 裾奪ノ処分ヲ受ケ未ダニ箇 年ヲ経過セサル者 5.性行不良卜認ム-キ老. 条文無. 左に同じ. 条文無. 「其+を「其. 修正. トアノレへシ′. 員タルニ不適当卜認ムルトキ. 第14条. 第6条. 第7条 修正. に同じ. 象旦垂 左ノ萎号ノーニ該当ス 第4条 ル者-私立学校ノ校長又-教 員卜為ルコトヲ得ス. ノ+に改め たほか,左. 修正. 条文無. 「諸+を「各+ に,. 「但+杏. 「但シ+に, 「此+を「此. 1・重罪ヲ犯シタル老興国事 犯ニシテ復権シタル者-典. ノ+に,「ア. 限ニアラス. ラス+を「在. 2.定役二服ス-キ軽罪ヲ犯. ラス+に改 めたほか,. シタル老. 左に同じ. 3.破産者若-家資分散ノ宣 告ヲ受ケ復権セサル老又身代限ノ処分ヲ受ケ債務ノ. 「破産者+杏 「破産+に修. 弁鎮ヲ終-サル老 4.懲戒二依り免職こ処セラ. 正. レニ箇年ヲ経過セス又-懲 戒ヲ免除セラレサル者 5.教員免許状旗奪ノ処分ヲ 受ケニ箇年ヲ経過セサル者 6.性行不良卜認ム-千老. 第15条. 私立学校ノ学則-設立. 者二於テ地方長官ノ認可ヲ受 ク-シ其変更セントスルトキ 〔其変更ノ場合〕亦同シ. 該当条項なし. 左に同じ. 左に同じ.

(6) 第16条. 文部大臣-教育上弊害. 左に同じ. 左に同じ. 該当条項なし. アリト認ムル教科書ノ使用ヲ. 私立学校二禁止スルコトヲ得 第17条. 小学校中学校高等女学. 校其他学科課程二開シ法令ノ. 校其他学科課程二関シ法令ノ. 規定アル学校及政府ノ特権ヲ. 得タル学校二於テ-宗教上ノ. 規定アル学校及政府ノ特権ヲ 得タル学校二於テ-宗教上ノ. 教育ヲ施シ又-宗教上ノ儀式. 儀式ヲ 行ヒ支-課程トシテ宗. ヲ行フコトヲ得ス. 教上ノ教育ヲ施ス. 第18条. 私立学校二於テ-政治. 左に同じ. 箪担室 生掌廷吏掌墜重畳皇軍 全文削除. コトヲ得ス. 該当条項なし. 左に同じ. 左に同じ. 二関スル時事ヲ講談論議スル コトヲ得ス 第19条 私立学校二於テ-公立 学校二代用スル私立小学校ヲ 除クノ外学令児童ニシテ末タ 就学ノ義務ヲ了ラサル者ヲ入 学セシムルコトヲ得ス 但小 学校令第21条及第22条二依り. 第11条. 第8条. 条文左に同じ. 条文無. 修正. エア. ニ在ラス に改めた じ. を「除ク外+ に修正 該当条項なし. 左に同じ. 左に同じ. 該当条項なし. 左に同じ. 左に同じ. 筆些垂 第13条二依り地方長官. 第12条. 学校二在リテ-第4条及第7 条ノ認可-設立ノ場合ノ例二 依ル. 前項ノ学校二在リテ-第5条 及第13条ノ処分-地方長官ノ 具申こ依り文部大臣之ヲ行フ. 第3条第4粂第7条及. 第10条ノ認可ヲ外国人二与ソトスルトキ又-外国人若ク ハ外国人ノ設立シタル学校二 対シ第5条文-第13条ノ処分 ヲ行-ソトスルトキ-地方長 官-予メ文部大臣ノ指揮ヲ受 クへシ. 第22条. 第5条又-第13条二依. り地方長官ノ為シタル処分二 対シ不服アル老-文部大臣ニ. 檀. 「除クノ外+. 大臣ノ認可ヲ経テ設立シタル. 第21条. +. か,左に同. ラス. 特別ノ規定二依り文部. ラス+. を「 此ノ限. 市町村長ノ許可ヲ受ケタル児 童ヲ入学セシムル-此限ニア. 第20粂. 「但+を「但 シ+に「此限. メ. -文部大臣二訴願スルコトヲ. ル老. 第10条. 二依ル処分二 対シテ-訴願. 左に同じ.

(7) 訓令12号の思想と現実 訴願スルコトヲ得. 法二依り訴願ス. 待. ルコトヲ得 第23条. 本令ノ外学校ノ種類二. 該当条項なし. 左に同じ. 第14条. 第11条「依ラシ. 左に同じ. 依り特別ノ規定アルキノ-其 ムル所二依ル. 第24桑. 名儀ノ何タルヲ問-ス. 監督官庁二於テ学校ノ. 学校ノ事業ヲ為スモノト認ム. 事業ヲ為スモノト認メタルト. ルモノ-地方長官-其旨ヲ関 係者二通告シ本令二依ラシム. 辛-其旨ヲ関係者二通告シ本 令ノ規定二依ラシムル コトヲ. へシ′. 壁. 第25条. 文部大臣-本令施行ノ. 為メ必要ナル命令ヲ発スルコ トヲ得 第26条. 第20条. 文部大臣-本令施行ノ 為必要ナル命令ヲ発スルコト. ムノレ. コ. ト ヲ. 「其+を「其 ノ+に改め. 得+を「依ラシ. たほかは左. ム-シ+と修 正. に同じ. 第17条. 条文無. 左に同じ. 修正. ヲ得. 第3条第4条ノ認可ヲ. 第16条. 第3条二違反シタル老. 第13条「第3条+. 及第13条二依り閉鎖ヲ命セラ. スル老及第5条二依り認可ヲ 取消サレタル後尚私立学校ヲ. レタル後尚私立学校ヲ継続ス. 告ヲ受ケ第2条 第1項ノ手続ヲ. ル老-五円以上百円以下ノ罰 金二処ス. 2粂第2項ノ規 定+に, 「及+杏. 継続スル老-五円以上百円以. 為ササル者及第 「鼓ニ+に,. 下ノ罰金二処ス. 左に同じ. を「第11条ノ通. 得スシテ私立学校ヲ設置継続. 「第. 13条+を「第10. 秦+に修正. 第27条. 相当学校教員ノ免許状. ヲ有セサル者ニシテ第10条ノ 認可ヲ得スシテ私立学校教員. 第17条. 第7条ノ認可ヲ得スシ. 第14条「第7条+. 「ヨリ+杏. テ私立学校ノ校長又-教員タ. 「依り+と改 左に同じ. ル者及第9条ニヨリ認可ヲ取. を「第3条文第5条+に,「第9. タル老及第13条二依り認可ヲ 取消サレタル後尚私立学校教. 消サレタル後尚私立学校ノ校. 条+を「第7条+. 長又-教員タル者-三日旦±. に,. 員タル老-ニ円以上三十円以. 三拾円以下ノ罰金こ処ス情ヲ. 「三十円+に修正. 下ノ罰金二処ス之ヲ使用シタ. 知リテ使用シタル老亦同シ. 「二門以上+を削. 「≡拾円+を. 除. ル設立者亦同シ 第28粂. 姥)たほかは. 第16条二依り禁止セラ. 第18-秦 第10条及第11条二違反. 第15条. 第8条. レタル教科書ヲ使用シタルト. ヱ冬空畳二二三貝些±重塗日以 二違反シタル老. キ及第15条第17条第18条第19 条二違背シタルトキ-設立者. 下ノ罰金二処ス. -十日以下ノ罰 金二処ス. 左二同じ 「十円+を「二 十円+に修 正. ヲニ円以上五十円以下ノ罰金 二処ス. 第29条. 本令-明治. 年. 月. 第21条. 条文左に同じ. 日ヨリ施行ス. 第30条. 既設ノ私立学校ニシテ. 未夕設立ノ認可ヲ受ケサルモ. 条文無. 左に同じ. 第19:条 条文無. 左に同じ. 第18条 修正. 第22条. 既設ノ私立学校ニシテ. 未タ設立ノ認可ヲ受ケサルモ. 修正.

(8) ノ-本令施行ノ日ヨリ三箇月 以内二本令ノ規定二依り認可. ノ及私立学校設立者及教員ニ シテ相当学校ノ教員免許状ヲ 有セサル老-本令施行ノ日ヨ リ三箇月以内二本令ノ規定二 依り認可ヲ受ク-シ此場合二. ヲ受ク-シ 第23条. 於テ-第12条ノ規定ヲ適用セ ス. 本令施行ノ際現二校長. 第20条「欲スル. 叉-教員タル者ニシテ引続キ 当該学校ノ校長又-教員タラ. 「其+を「其. 者-+の次に 「相当学校ノ. ノ+に,「此+. 教員免許状ヲ. を「此ノ+に. ソト欲スル老-本令施行ノ日. 有スル教員ヲ 除ク外+を入. ヨリ三箇月以内二其旨ヲ監督 官庁二開申ス-シ此場合二於. れ「第7条ノ規 は左に同じ 定ヲ適周セス+ を「第3条文-. チ-第7条ノ規定ヲ適用セス. 改めたほか. 第5条ノ認可. ヲ受クルヲ要 セス+と修正. 〔 〕ほその儀正文.く 〉は追加部分. (注)第1次案の-は,高等教育会議における修正箇所。 第2次案の-ほ,法典調査会における修正箇所(修正文は「法典調査会修正+欄に)0 は枢密院における修正箇所(修正文は「最終案+欄に) ----I-は法制局の修正箇所。. た箇条も少なくない。このように重要な変更が次々に加えられるに至った経緯,つまり, 高等教育会議における第1次実の審議状況,第2次案から最終案確定に至る時期の文部省 をめぐるさまざまの動き,さらに宗教教育禁止条項が訓令の形で公布されることになる事 情などについてはⅡ以下において述べるが,それに先立って一言しておかなければならな. いのほ,私立学校および宗教教育に対する法的規制が公に問題になったのは,上記第1次 塞が最初ではないということである。すでに石田加都雄氏も明らかにしているように6), これらの問題は明治31年10月の,第2回高等教育会議において,次の第9号諮問案と して議題にのぼっているのである.ただし,この第9号案と,半年後の第8回高等教育会 議に提出された私立学校令第1次案との間にほ,大きい相違点があり,後者を単純に前者 の延長と見ることはできないようである。 第九号案. 教育二関シ新条約実施準備ノ件. 改正条約実施ノ期日前二迫レリ之卜共二外国人ニシテ教育二閲スル設備ヲ為シ文教員タランコト ヲ望ムモノモアラン且居留地内二設置セシ学校取扱ノ事等-教育上重要ノ問題二属ス幸二高等教育 会議ノ開会二際シ左ノ条項二閑シ其会ノ意見ヲ問フ 外国人二日本臣民ノ為二私立小学中学及其他普通教育二関スル営造物等ノ設立ヲ認可ス-キヤ. ー. 否ヤ. 外国人ノ設立スル学校ノ卒業生ニ-文官任用令第二条徴兵令第十三条陸軍補充条例第七条及教 員免許ノ特権ヲ附与ス-キヤ否ヤ 三 外国人ノ設立スル学校内こ於ケル宗教上ノ関係二就テ-何等ノ規定ヲ設クル必要ナキヤ 四 外国人ニ-小学校令ノ義務ヲ課ス-キモノナリヤ否ヤ(以下略)8) ニ. この諮問案の審議ほ, 10月12日から3日間にわたって行われたが,論議は主として 第1項をめくすって展開され,第4萌を除く他の5項目ほ文部省が撤回している.第1項の 論議が永びいたのほ,それが重要な問題であっただけでなく,文部省内部にも意見の対立 があって,まとまった形の原案を提出できなかったことにも起因しているようである。文.

(9) 9. 訓令12号の思想と現実. 部省内に意見対立があったことほ,本諮問案の説明に当った高田早苗高等学務局長が「当 局者に於ては,之が可否に就ては方針未だ一定せず+と述べ7),同案をめぐる質疑応答が紛 糾したとき,木下広次が,. 「外国人の宗教に関することに就きては,文部省は措き,内閣. ですら方針確立せざるが故,当局者イジメの質問はなさざる事にせん,との動議を提出8)+ していることからも,たやすくうかがわれる。文部省内では,尾崎行雄文相,相田盛文次. 管,高田高等学務局長ら憲政党ないし同党系の首脳部ほ,外国人による学校設立を認める 立場をとっていたが,. 「嘉納,野尻一派+ほそれに反対だったといわれている9)。当時の. 憲政党隈坂内閣下の文部省でほ,憲政党中堅幹部として,参与官兼高等学務局長に就任し た高田が,一応.) -ダ-シップをとっていたようだが10),嘉納治五郎普通学務局長,野尻 精一視学官など高等師範系文部官僚の抵抗も根強く,文部省入りして日の浅い憲政党系首 脳部としては,その抵抗をおしきって,外人の学校設立を認める形の諮問案提出にまでふ みきれなかったのであろう11)0. このような文部省内の意見対立ほ,高等教育会議にもそのまま反映したような形となり, 島田三郎,鎌田栄吉,沢柳政太郎らの外人学校設立承認説と,井上哲次郎,湯本武比古ら の否認説とが鋭く対立12),さらに谷干城,杉浦重剛,伊沢修二,外山正一など,原案は不 備なるゆえ議決困難とし,あるいほ諮問案撤回を主張する意見もあって13),三説鼎立の姿 「半ば老要したる加藤議長,顛倒迷惑して を呈し, 「議論紛々,恰も討論会の如し+とか, 適従する所を知らず,各員相競ふて弁説を達しうし,不体裁を極め+た,と報じられる有 様であったが14',結局第9号案審議の第3日目になってようやく,学校種類別に外国人の 設立を認めるべきか否かの採決に入った。その結果ほ,設立を可とするもの小学校の場合 11名,中等学校の場合14名,各種学校の場合17名で,いずれも過半数に達しなかっ たという16) (ただし,設立否定論老,第9号案撤回論者の数ほ不明16))0 この後第2項の審議途中に,文部省ほ前述のごとく第4噴を除く第9号案の残部の撤回 を言明,会議は第4項について,外人子弟には就学義務なしと簡単に議決し,他の諮問案 の審議に移って10月20日までの会期を終了している。それゆえ,翌年の私立学校令制 定過程で大きい問題となる宗教教育(第3項),外人教師資格条件儒6項)などについて 紘,第2回高等教育会議は何らかの結論を出す棟会をもたなかった。その上,外人の学校 「排外心の凝 設立問題に見られたような,当時の文部省首脳のかなりリベラルな態度ほ, 塊17'+という批評をうけた私立学校令第1次案とは,遠くへだたるものであった。第3回 高等教育会議に諮問案第10として上程された私立学校令第1次実の説明に当った岡田良 平参与官ほ, 「此第十ノ諮問案-昨年一度此二提出シマシテ諸君ノ御意見ヲ問-レマシタ 外国人二関係ノ問題デゴザイマスガ,詰リアレノ結果卜申シテ宜イヤウナコトデアリマ ス18)+と,第9号諮問案と第1次案との連続を強調しているが,両者の問にほ,第2回高 等教育会議閉会直後に起った隈板内閣の自壊,第2次山県内閣(文相ほ樺山資紀). -の政. 権交代があった。この間,教育政策の大きい転換-とはいえぬにしても,何らかの手直 しが行われたことも当然予想され,第1次案を第9号諮問案の延長と見なすのほ適切でな かろう。外人設立の学校や宗教教育に対する方針の確立が必要祝されるようになったのは,.

(10) 10. 久. 木. 宰. 男. むろん改正条約実施に伴う外人の内地雑居を契機としており,このことは両者に通じてい えるところだが,確立せられるベき方針についてほ,第9号諮問案が含蓄するものと第1 次案の目ざすところとでは,やはりかなりの相違があったというベきであろう。 しかしこの相違を過大視して,隈坂内閣の教育政策と第2次山県内閣のそれとの間に, 決定的な断絶を見ようとするのも,また恐らく適切とほいえないであろう。「最初の政党内 関+の文部省では,嘉納,野尻一派が尾崎文政のブレーキとなっていたが,他方,明治絶 対主義の権化といわれる山県のもとで文相に就任した樺山海軍大将も,きっすいの官僚・ 岡田良平を参事官に抜擢するとともに,合理主義者・上田万年や沢柳政太郎を局長に迎え てバランスをとっている19).隈坂内閣は「絶対主義と戦うことを忘れた政党内閣20)+と批 評されているが,一方,樺山文相がその「蛮勇+を振う余地もまた少なかった21).私立学 校令の成立過程および訓令の実質的部分修正過程ほ,ある意味では樺山の「蛮勇+の挫析 過程であるとともに,天皇制絶対主義とその教育が,明治20年代とほかなり異質の段階 に入りつつあったことを示すものでもあろう。 注 1 2. 3 4. 5 6. 7 8 9 10 ll. 『東京朝日新聞』明治32年8月2日。 従来の諸研究ほ,この第2次実の内容にまったく言及していない。 文部大臣官房秘書課『第三回高等教育会議議事速記錬』 p. 54 ff・ 『公文群発』第23編,巻28,学事門。 (『清泉女子大 石田加郁雄「明治三十二年文部省訓令第十二号,宗教教育禁止の指令について+ 学紀要』 8, p. 48ir.) p・25・ 『教育時論』488号(明治31年11月5日) p・21・ 『教育時論』487号(明治31年10月25日) 日。 『時事新報』明治31年10月14 p・22・ 『教育時論』487号(明治31年10月25日) 京口元書『高田早苗伝』 p. 171. 「議案+のうちにほ私立学校令も含ま 第2回高等教育会議は,当初9月25日開会が予定され, れていると伝えられたが,結局開会は10月5日に延び,私学令でほなく第9号塞が諮問され 486号,明治31年10月15日, p.17。同, た(『教育時論』481号,明治31年8月25日, p.20ff.). 12. 13 14 15 16 17 18 19. 日。 『時事新報』明治31年10月14 p・21. 『教育時論』487号(明治31年10月25日) 『時事新報』明治31年10月15日。 日。 『時事新報』明治31年10月15 日) p・22・ 『教育時論』487号(明治31年10月25 第2回高等教育会議の速記掛ま未見であり,審議状況を比較的詳しく伝えている『時事新報』 や『教育時論』もこの点にはふれていない. 日。 『時事新報』明治32年7月25 文部大臣官房秘書課『第三回高等教育会議議事速記録』 p. 56. 『岡田良平』 (p. 90)によると,外山正一が岡田,上田,沢柳を樺山に推薦したとい 下村寿-. う。 20) 21). 服部之聡『明治の政治家たち』下, p. 70. 例えば樺山ほ,第3回高等教育会議の紛糾を恐れて秘密会にしようとし,岡田もこれに賛成し 『万朝報』は当初, 「文相如何に蛮勇ありとはいへ たが,上田,沢柳の反対で実現しなかった。 --局長に上田,沢柳あり。裏道に斯くまでの大蛮勇を遂行せしむべしとも思はれず+と予想.

(11) 11. 訓令12号の思想と現実 したが,事実ほ予想どおり,樺山の蛮勇ほ挫折している(『万朝報』明治32年3月26日, 日)0. 4月13. 明治34年4月18日,第3回高等教育会議の第3日目に上程された私立学校令第1次 実は,質疑応答ののち7名の委員に付託された。ついで22日に委員会の報杏(小修正) があって第1読会を終り,さらに同日の第2,第3読会でほぼ委員会の修正どおり可決さ れたのであるが1),審議の過程で問題になった箇条と,それを問題にした議員名とを初め にあらずておこう。. 第2表. 第1次案中,質疑討論対象となった箇条および発言者 発 第. 第5条(認. 可. 取. 1. 読. 者. 言. 会. 2. 読. 会. 第. 3. 読. 会. 消) 伊沢. 駒井,穂積,伊沢, 第9条(設立者資格). 長谷川,田中敬 母型. 野尻,寺田,手島,菊池,隈本 第10条(教. 員. 資. 格). 堅塁. 菊池. 駒井,江原,穂積,鎌田. 第11条(教員認可条件). 、/\へ/\/. 〉\-/\.  ̄J. 田中敬,野尻,駒井,寺田,伊沢, 第14条(教員欠格条件) 篠田,大窪,鎌田 穂積,江原,鎌田. 第16条(有害教科書禁止) 第17条(宗教教育禁止). 伊沢,江原,鎌田. 鎌田,穂積. 第18条(政治論議禁止) 第19条(私立小学校). 江原. 第24条(学校類似事業). 河原. 第26-28条(罰. 江原,鎌田. 則) 江原. (注)-ほ原案(委員会修正案を含む)賛成論, -は同削除論, --・・---ほ修正論。なお文部省側説 明委員は岡田参与官のほか,渡辺董之介書記官,福原鎮二郎参事官ら5名だが,主として岡田 が答弁に当り,福原がこれを助けている.. 第2表から明らかなように,第1次案30か条のうち,質疑や討論の対象となったのほ 13か条だが,その6か条については第1読会で簡単な質疑が行われたに止まり,第14条 も委員会修正案の不備が比較的活発な発言を呼んだものにすぎない。これらを除くと,請 議が集中したのは,私立学校設立者の資格をきびしく制限した第9条およびそれに関連す る第10, 11粂と,私立学校の教育内容に露骨な干渉を加えようとする第16,. 17,. 18条で.

(12) 12. 久. 木. 幸. 男. あった。. 第9粂ほ,外人はもちろん日本人による私立学校についても,その設立者の資格条件に 厳重な制限を加えようとするものであっただ桝こ,批判が集中した。批判は,設立者資格 制限ほ「私立学校令ノ主意二背ク+. (穂積八束), 「慈善的ノ考ヲ以テ+学校設立を志す人 を「拒ソデ仕舞フ+(伊沢修二),あるいほ,学校設立ほ「成可ク自由ニスル+べきもの(菊 池大麓),. 「成可ク設立者二対シテ面倒ナ規則-ナイヤウニシタイ+. (手島精一)という立. 場から展開されたが,結局多数をもって原案に決している。 第16粂についてほ,それが言論・出版の自由を抑圧するという穂積の意見文部官僚 にほ教科書判定能力なしとする鎌田栄吉の主張があり,第18粂に対してほ樹熟ま無用の 規定だと述べ,鎌田ほ,本条は政治・経済・法律などの教育・研究を妨げるものだと批判 したが,いずれも少数意見として葬り去られた。 第17粂ほいうまでもなく訓令の母体となった条頚であるから,その審議状況と問題点 とをやや詳しく紹介しよう。第2表に示したように,第1読会で第17条について発言し たのは,伊沢修二江原素六,鎌田栄吉の3名であるが,そのうち伊沢ほ,第17条が禁 じた「宗教上ノ教育+の範囲を,江原と鎌田ほ第17条適用校の問題を,それぞれ取り上 げている。これに対する岡田参与官の答弁ほ,宗教教育禁止条賓が含蓄する思想がどのよ うなものであるかを,かなり明白に示していると思われるので,伊沢らと岡田との間に交. わされた質疑応答の要点を摘記してみよう。 伊沢. 宗教上ノ教育卜云フコト-即チ宗教上ノ精神モ此中二含ソデ居ルノデアリマスカ,又サウデ ナイ,学校こ於テ「バイブル+ヲ読マセルコト-出来ヌトカ云フ形式上二係ツタコトデアルカ ト云フコトガ誠二判然セヌ。 膏ニ「バイブル+ヲ用ヒテ授業ヲスルヲ許サヌノミナラズ,総テ精神二於テモ宗教上ノ教育. 岡田. ヲ禁ズルト云フ環リデアリマス。 江原. 特権ヲ得テ居ル学校デ-,ドゥ云フ趣意デ宗教ガ悪イト云フノデスカ。. 岡田. 政府ガ私立学校二向ツテ特権ヲ与フル-只共学校ヲ保護スルノ精神デ-ナイ。. -国家ガ教育. ノ総チノ機関ヲ経営シテ往ク場合二私立学校ガ国家ノ経営ノー部分ヲ代用シテ居ルモノデアル カラ,夫二対シテ特権ヲ与-テ差支-ナイト云フコトニ考-テ居ル。夫デ既二政府ガ施設スベ キモノヲ私立学校ガ代用シテ居ルモノデアルナラバ-共学校-何人デモ自由こ入学出来ルモノ デナケレバナラヌ。. 来ヌ。. -併シ共学校二於テ基督教ノ教育ヲ施シタナラバ,他ノ仏教徒-入学ガ出. -夫故宗教卜教育ト-全ク分界ヲ立テテ-何人モ這入ル所デアルカラ宗教-入レルコト. -出来ヌ-政府カラ特権ヲ与-ラレタ半公立学校ニ-宗教-入レルコト-出来ヌトシタノデア リマス。. 鎌田. 学科課程ノ定ツタモノ-ニ宗教教育ヲ施スコト-ナラヌト云フノ-甚ダ分ラヌヤウニ思ヒマ (ママ). ス。. ・・・文部省-最初カラ宗教臭イコト-ー際除イタ学科課程ヲ定メテ,教科書ヲ検定シテヤリ. マシタ以上-,宗教教育卜云フモノ-アラレヤウ訳ガナイ。 岡田. 御尤モナ御気付キデ,莱-是-殆ンド書カナクテモ宜イカノヤウニ思ヒマス。. ・・.併ナガラ・・・ 宗教上ノ儀式ヲヤル事-差支-ナイモノカト云フ疑ヒヲ抱ク人モ沢山アリマスルシ,兎二角塞 こ明カニ掲ゲテ置クト云フコト-必要デアラウ。.

(13) 訓令12号の思想と現実. 13. rママ). 伊沢宗教ヲ十分ニ信ジテ居ル人ガ教育ニアレ/ll・英人ノ言語モ動作モー言-行悉ク其宗教ノ感化 ト云フモノガ其上ニ現-レテ来ルモノデアル。ソレヲ以テ往ク所-即チ宗教上ノ感化ト云フモ ノデ,其無形ノ精神ト云フモノノ及ブ処-,是ガ宗教上ノ教育ト云フモノニナルデアラウ。. -. 此無形ノ精神ニマデモ(第17粂を)及ポストナラ/洞レ是ヲ判定スル御考モアラウト思フ. 岡田. 無形ノ勢力ヲ生徒ノ上ニ及ボシテ,サウシテ感化スルト云フコト-随分宗教家ニモ出来得べ キ力デアラウト思ヒマスガ,ソコニ至リマシテ-ドゥモ此17条デ-取締ルコトガ出来ヌ。. --. (宗教法2'で宗教家が教員になるのを禁じぬ限り)無形ノ勢力ヲ及ボスモノニ付イテハ,ドゥ 伊沢. モ取締ルコト-出来ナイ。 或宗教家ノ手ニ成ツタ其書ヲ見タコトガアリマスガ,ソレ-教育勅語ト云フモノヲ宗教的ヲ 以テ-立派こ解釈シテ居ルモノデアル○サウ云フモノガ若シアツタナラバ是-矢張第17条ニ触 レルモノデアリマショウカ。. 岡田. 其根底ヲ宗教ニ取釆リマシテ,勅語ヲ説明スルヤウノコトデアリマシタラ,矢張是-宗教上 ノ教育ヲ施スモノト認メテ差支ナイモノデアラウト思ヒマス。. 伊沢の第1問に対する岡田の答弁ほ,必ずしも外形に現われるとは限らない「精神+の 領域にまでふみこんでそれに介入する「権利+を,国家(具体的にほ政府官僚)がもつと いうこと,少なくとも教育という営みの中でほ国家が精神介入権をもつということを,改 めて宣言したものと見ることができる。しかも上引の答弁を敷街して岡田が, 「此学校果シテ宗教上ノ授業ヲ致シテ居ルモノト認ムルヤ否ヤ---・・其事実ニ当ツテ始メテ判断ス ルコトガ出来ルノデ,ドゥモ規則ノ上ニ顕-スコト-出来マセヌ+と述べているところか ら明らかなように,この「権利+は,その行使について「規則+の制約をうけない(つま. り,官僚の慈意にゆだねられる)無制限のものであり,伊沢の第2問への答弁が示すとお り,有効な取締り方法の有無が,わずかにその現実的制約となるにすぎない。つまり,国. 民の「精神+ほすべて国家の支配下にあり,取締り可能なものほすべて取締るという,絶 対主義国家の思想を,岡田ほ率直に語っているのである。むろんそれほ,岡田個人の思想 だっただけではなく,宗教教育禁止条頑を支える思想であったというベきであろう。. しかし,なぜ国家ほ「精神+に対する無制限の介入権ないし支配権を有するとされるの か。江原の質疑に対する岡田の応答ほ,ある意味でこの間いに対する答えともなっている ようである。岡田の答弁の核心をなすのは,. 「国家ガ教育ノ総テノ機関ヲ経営シテ往ク+も. のだという,素朴かつ露骨な形をとった国家教育思想ないし国家教育権思想である。そし て,教育-国民の精神的形成-が国家の事業であるなら,国家は少なくとも教育の面 で国民の精神-の介入権をもつことにもなろうし,私立学校ほ「国家ノ経営ノー部分ヲ代 用+するかぎりにおいてその意義をようやく認められ,在学者に対する徴兵猶予等の「特 権+をも与えられるにすぎぬ存在と規定されることになる。このような国家教育権思想ほ, おそらく森有礼の国設教育3)思想にまで遡り得るであろうが,それほまたひとり第17条 のみならず,私立学校令第1次案全体を貫く思想でもあったのである。 岡田がいうように,. 「政府ガ施設スべキモノヲ私立学校ガ代用シテ+いるにすぎぬなら,. 国民の多面的な教育要求にこたえる私立学校の独自性は否定されざるを得なくなる。私立 学校令ほ,第1次実の内容発表以前すでに「私立学校にも亦夫の画-制度を立て+その独.

(14) 14. 久. 木. 宰. 男. 自性を圧殺するのでほないかと危供され4),発表後は「私立学校の自然的発達を妨げんと する+ものとの批判をうけたが5),第1次案が国家教育権思想に基くものであったかぎり, この危供や批判はまさしく的中していたといわなければならない。私立学校を官公立校の 「代用+と見る思想は,一方からいうと,その設立をできるだけ制限する態度を生み出す。 「代用品+ほなるべく少ないのが宜しい,とされるのほ当然であろう。前述のように第1 次案第9条が,私立学校設立者資格に厳格な制限を設けたのほ,国家教育権思想からすれ ば必然のことであったD. 「文部省の方針ほ私立学校撲滅にあり6)+とか,. 「私立学校令ほ私. 立学校撲滅令7)+とかいう世評が高かったのもふしぎでほない。 岡田ほ第1次案提案理由説明に際して,私立学校設立の「条件ヲ定メソト云フコト+と, 「モウーツ宗教上二関ネル点+とが,第1次実の中・Lだという趣旨を述べている.このよ うに,第9粂と第17条とが第1次案の中心であり,しかもこの両粂を一貫するものが上 述のごとく国家教育権思想であるなら,それはまた第1次実の中心思想だったといってさ しつかえないであろう。しかもこのような国家教育権思想は,ただ第1次実のみならず, 少なくとも樺山文政-とくに明治32年6-7月ごろまでの樺山文政を支える思想でも あったと思われる。樺山が文相として手がけた最初の仕事の一つである高等女学校令制定 に当って,明治31年11月22日付で閣議に提出した,次の制定理由書が,素朴な国家 教育権思想によって組立てられていることからも,このことほ容易にうかがわれるところ である。 女了満等普通教育ノ国家ノ進運二関係ヲ有スル-男子ノ高等普通教育卜特二軽重スルヲ見ス-女子ニシテ高等普通教育ヲ受ケントスル老年々英数ヲ増スニ拘ラス高等女学校ノ数甚夕少ク到底其 志望ヲ達セシムル能-ス之レカ為メ止ムナク廃学シ又-不完全ナル女学校二人り若ク-志ヲ柾ケテ 宗教的学校二入ルカ如キ老比々皆是ニシテ遺憾少カラス若シ従来ノ如ク高等女学校ノ設置ヲ地方公 共団体又-私人ノ随意二委セソカ女子高等普通教育ノ普及ヲ期ス-カラサルノミナラス亦其本旨ヲ 誤ルノ虞ナシトセス8). 私立女学校の「不完全+視ほ,良質の教育を供給し得るのほひとり国家のみだという, 「其 官僚の自負と結びついているとも考えられようが,この場合何が良質の教育であり, 「地方公共団体 「国家ノ進運+ 本旨+であるかが, -の貢献度においてとらえられており, 又-私人+に教育をゆだねること,つまり国家教育権を発動しないことが「其本旨ヲ誤ル+ ことだとされている。この理由書が善かれた時期には,岡田ほまだ参与官には就任して おらず9),ここに現われた国家教育権思想を岡田のものということほできない。しかしか れが文部省条約実施委員長10)としてその策定に当った私立学校令第1次案と同じ思想がこ こには見られるのであり,それほやはりこの時期の樺山文政全体に通じる思想だったとい うべきであろう。. もっともこのような素朴な国家教育権思想ほ,明治30年代のわが国社会でほ,もほや 時代-の適応性を失ない,時代を領導する力を減じつつあったのでほないかと思われる。 片山清一氏ほ,. 「わが国の経済・社会等の諸方面の発達に伴い,新しい人材の必要が痛感. されてきたため,その要望に応えて創設された私立学校+早,. 「地方的に創設の必要を感.

(15) 訓令12号の思想と現実. 15. じてつくられた私立学校+が少なくないことを,この時期の私立学校の特徴としてあげて いるが11),たしかに産業資本主義の急速な確立を見つつあった当時の日本社会がうみ出し た多面的な教育要求に, 「同一模型の中に人を入れる12)+と評された官公立学校がじゆうぶ んに応じきることができたとはいい難い。こうした状況下においては,私立学校をせいぜ てい. い「半公立学校+としか位置づけない底の素朴な国家教育権思想ほ,多面化しつつあった 教育要求の切り捨て-さらには私立学校の切り捨て(私学「撲滅+)にも連なり,明らか に時代適応性を喪失していたと考えられる。前述のように,数学者の菊池や工業教育家の 手島が,私学設立の自由化を率直に主張し,保守派の法学者・穂積までが,いささか皮肉 の口吻をもって同様の主張をしたのは,おそらく第1次案第9条に表現された素朴な国家 教育権思想の時代不適応性を認めていたからであろう。このような国家教育権思想は,何 らかの手直しなしにほ,もほや教育政策を指導する思想たるの力を失っていたのである。 第1表から明らかなごとく,そして後にもふれるごとく,第1次案第9条が第2次実にお いてすっかり削除されたことは,私立学校令案の中心思想である国家教育権思想に手直し が行われ,樺山の「蛮勇+がまた一つの挫折を経験したことを意味すると見てよいであろ う。. ただし,第9条とともに第1次案の中心条頁と考えられる第17条に限っていえば,そ れを支える思想ほ国家教育権思想のみではなかった。このことをほっきりと示すのは,教 育勅語の宗教的解釈を問題にした,前引伊沢の第3問およびそれに対する岡田の答弁であ る。天皇制教育の根本聖典である教育勅語と宗教教育との関係を問うた伊沢の質問ほ,ち とより宗教教育禁止が天皇制教育思想に淵源することを前提としてなされたものであろう。 前に掲げた江原-の答弁において岡田ほ,公教育の世俗化-「宗教ト教育ト-全ク分界ヲ. 立テ+るベきことを強調し,さらに第3読会でほフランスやアメリカの例を引いて宗教教 育禁止の理由づ桝こ努めているが,かれが宗教との問に「分界ヲ立テ+るベしとする教育 ほ,フランス,アメリカの場合とほ異なり,形式的には上述のごとく国家教育(「国家ノ経 営+する教育)であるとともに,内容的にほ天皇制教育であることはいうまでもない。こ のことを前提にした上で,どの範囲の宗教教育が天皇制教育に抵触するものとして禁じら れるのか,教育勅語の正統性を認めるほどに天皇制教育に妥協的な宗教教育も第17条の 禁止対象となるのかを,伊沢ほ質問しているのである。そして,伊沢のこの質問の意味は, 明治25-26年の「教育と宗教の衝突+事件以降の天皇制教育をめくやる状況変化を考慮に 入れるとき,さらに明確になるのではないかと思われる。. 周知のごとく「教育と宗教の衝突+事件は,教育勅語発布以降において,天皇制教育と 宗教(具体的にはキリスト教)との関係が大きい問題として取り上げられた最初の「事件+ であった。この「衝突事件+は,山路愛山がいうように「耶蘇教は教育勅語の趣意に反す てふ13)+立場からのキリスト教攻撃,つまりキリスト教が天皇制教育に非妥協的であると の非難に端を発する異端征伐であり,つまりそこでほ天皇制教育に妥協することがキリス ト教に求められたのである。ところがあたかもこの求めに応じるかのごとく,その後数年 の問にキリスト教側にほ天皇制教育への妥協的姿勢が現われるようになり,. 「日本絶対主.

(16) 16. 久. 不.. 芋. プラ. 義の強力な発展につれて日本の教会がそれ-の抵抗の態度を漸次緩和していつた14)+と指 「日本絶対主義の強力な発展+が直線 摘されるごとき傾向が顔著になっていく。もっとも, コースの単純な構造のものでなかったことほ,既述のとおり明治20年代型の国家教育思 想が破綻しつつあったことからもうかがわれるし,. 「古今二通シテ謬ラ+ぬはずの教育勅. 語も,例えば西園寺公望文相の「新教育勅語+発布企図(明治31年)に見られるように その絶対性ほいちじるしく動揺を示し始めていた15'.このように,両者が「衝突事件+以 降においてそれぞれ大きい変ぼうをとげていたとすれば,両者の関係もまた当然変る可能 性があろう。キリスト教ほ依然として異端であるのか,妥協的なキリスト教に対し天皇制 教育は寛容をもって臨むのかどうか,換言すれば,第17条を支える天皇制教育思想は教 育勅語発布ないし「衝突事件+当時と同じなのか否か-伊沢の質問ほおそらく,このよ うな意味を含蓄するものだったのではないかと考えられるのである。 これに対する岡田の答弁ほ,第17条を支える天皇制教育思想が,すでに新しい段階に 入りつつあったことを示唆しているようである。岡田によれば,教育勅語の「根底ヲ宗教 二取釆+るような勅語解釈を教えることは第17粂違反だとされるのであるが,これは第 一に,. 「衝突事件+当時とはまったく異なる態度を,天皇制教育が宗教に対してとり始め. たことを示している。. 「衝突事件+ほ上述のごとくキリスト教の非妥協性に対する攻撃,. すなわち天皇制教育-の妥協要求であった。ところが岡田の答弁は,このような妥協は認 められぬことを断言して,天皇制教育の非寛容性を強調しているのである。第二にそれは, 教育勅語よりも宗教がより根底的だとする思想を排撃しており,いいかえれば,教育勅語 の絶対性を改めて主張するものだといえる。教育勅語の絶対性が動揺しつつあった状況下 において,香,そのような状況であればあるほど,その絶対性はいよいよ強調されなけれ ばならなかったのであろう。だからこそ,宗教排除の学科課程をもつ学校で改めて宗教教 育を禁止するのは無意味だとする,前引鎌田のしごく当然の指摘にもかかわらず,第17 条ほ固執されねばならなかったのである。. むろん教育勅語の絶対性がこの時に始めて強調されたのでほない。教育勅語発布当時, 起草者たちが, 「亘於万世不可復易一字粂16)+とか, 「千載不滅之聖勅17'+とか,その絶対 性を自讃したことほよく知られている。同時にこれもまた広く知られているところだが, 「哲学上の理論+ 「政事上の かれらはその絶対性確保のための周到な用意を怠らなかった。 臭味を避け+, 「1丑にあらゆる各派の宗旨の-を喜ばしめて他を怒らしむるの語気+を排. し18),対立する諸価値からの超越ないし中立のポ-ズをとることによっで9',教育勅語の 絶対性確保に腐心したのである。しかし第1次案第17条には,もはやこうしたポーズほ 見られない。岡田の答弁も前述のように絶対性宣言と天皇制教育の非寛容性強調に終って いる。このことほ,当時の天皇制教育が直面した危機の深さと,その危棟突破の途が非寛 容性強調の方向に求められたこと,つまり,天皇制教育思想が明治20年代とほ異なる段 「衝突事件+と同質の 階に入りつつあったことを示している。第17条あるいほ訓令を, ものと見,あるいほその延長と見なすのは,この意味でおそらく妥当とはいえないであろ う。. 「衝突事件+ほキリスト教に妥協を要求したが,ここでは妥協でほなくて全面的な屈.

(17) 訓令12号の思想と現実. 17. 服が求められているのである。. 以上第3回高等教育会議第1読会における第17粂の審議状況と,そこで明らかになっ た問題を概観した。第2表に示したとおり,第17条は第2読会では論議されず,第3読 会で江原と鎌田とがその削除説を唱えたのであるが,これらの問題点や第17条を支える 思想そのものほ,第3読会においてじゆうぶん掘下げられたとほいい難い.江原ほまず,I 「此教育卜云フコトニ付イテ政府ガ---特権ヲ与-ルト云フコト-,教育其モノニ付イチ ノ成績如何ニアル。. ・・-・・宗教ヲ信ズルガ為メニ其他ノ権能ヲ悉ク備ツテ居ツテモ,ソレヲ. 禰奪スルト云フコト-,甚ダ道理二背イテ居ル+と,. 「教育其モノ+の「道理+をもち出. して国家教育権思想を間挨に批判する。しかし「道理+の内容が深く吟味されていないの で,国家教育権思想の核心に迫る批判とほなり得ず,岡田の反論も「半公立学校+論をく り返すにとどまっている。. 江原の主張の重点ほむしろ,宗教ないし宗教教育の効用一天皇制教育補完療能の力説 にあった。すなわちかれほ,宗教教育禁止がやがて「人民カラ宗教心ヲ嬢フ+傾向を生じ, 「下等社会-其風俗ガ素レテ来+る,と警告する。そして,「義務トシテ多少ノ倫理ノ講義+ がなされていても,それは形式にすぎぬと修身教育を批判し,. 「苛モ宗教ヲ信ジテ居ルモ. ノガ深キ精神ヲ以チャリマス倫理卜云フモノ-余程此国民ノ道徳心ヲ刷新スルニ足+りる から,結局宗教教育禁止は「国ノタメニ-害ガアツテ益ガナイ+と結論している。要する に江原の所論ほ, 「義務トシテ+なされる修身科よりも宗教教育の方が「国家二益ガアル+ つまり宗教教育は天皇制教育の至らざるを補なうものとする,宗教教育国益論であり,い わば天皇制教育-の妥協申し入れである。しかし上述のごとく,第17条が要求したのは 天皇制教育-の妥協ではなく屈服であった以上,岡田の「文部省-宗教ヲ有害デアルトモ 何トモ云-ヌ+という肩すかし的答弁の前に,この申し入れほ不発に終るほかなかった。 これに対して鎌田は,精神介入「権+の問題をとり上げ,. (ママ). 「行政官-行政官ラシイコト. ニヤツテ居ルガ宜イ。. ・・-・無形上ノ人ノ『オツピニオン』人ノ論説ノ善悪トカ宗教ノ有害 無害トカ,サウ云フヤウナ人ノ精神二立入ツタコト-断然ヤラナイガ宜カラウ+という立 場から,第17条を批判しているが,岡田は「サウ云フコトナラバモウ政府モ何モ要ラヌ ダラウ+と介入権を固執し,議論ほ平行線をたどった。も ̄っとも江原,鎌田の第17条削 除説についてほ,. 「所論頗る青紫に中り,番外との討議多時に捗りて何れも無用の条項た. りしが如き感あり20)+とも報じらられているが,. 『議事速記録』に見られるかぎりでは,読. 議の活発なぁりに,内容的な深まりほない。そして第17条削除説ほ,それに反対する意. 見が議員の中から出なかったにもかかわらず,結局少数意見として葬り去られ,既述のよ うにおおむね委員会修正どおり第1次案が可決されているのである。 注. 1)第3回高等教育会議における第1次案審議状況はすべて,文部大臣官房秘書課『第三回高等教 育会議議事速記録』 p. 56 ff. p. 180 fr.による。 2)岡田がここで示唆した「宗教法+案ほ,周知のごとく明治32年12月,第14帝国議会に提 案され,否決廃案となるが,この「宗教法+案にほ,宗教家の教員就職を禁じる条項は含まれ.

(18) 18. ていない。 3. 「学政要領+. 4. 5 6. 7 8 9. 10) ll) 12 13 14 15. 16 17 18 19. (大久保利謙〔編〕 『森有礼全集』第1巻, p. 355) 『万朝報』明治32年4月11日。 日。 『時事新報』明治32年4月25 『万朝報』明治32年5月24日。 7 日。 『日本』明治32年5月 『公文額釆』第23編,巻28,学事門。 岡田が専門学務局視学官から参与官に抜擢されるのは,明治32年4月である(『教育時論』 日, p.15) 504号,明治32年4月15 明治32年1月17日付,内閣書記官長通牒「各省二条約実施委員ヲ設ク+によれば,各省 参与官を条約実施委員長にあてることとされている(『公文類釆』第23編,巻18,外事門)。 片山清一「明治後期における私立学校とその建学精神+ (日本教育科学研究所〔窮〕 『近代日本 の私学』 p. 192f) 『万朝報』明治32年4月11日。 (『現代キリスト教講座』巻3, p. 164) 工藤英一「日本の近代化とキリスト教+ 山路愛山「現代日本教会史論+ (岩波文庫版, p. 110) 渡辺幾治郎『教育勅語換発の由来』 (p. 188)ほ,西園寺の企図は「教育勅語の意義を補正する 「補正+にせよ, 「発揮+にせよ,教 ことでなくて発揮することであった+と解釈しているが, 育勅語を時代に再適応させようとする試みであったことほ疑えない。 明治23年11月3 日付,山県有朋宛元田永字書翰(『教育勅語換発関係資料集』巻2, p.444) 22 日付,元田永字宛井上毅書翰(『井上毅伝』史料篇, 4, p. 606) 明治23年10月 p. 432f.) 明治23年6月20日付,山県有朋宛井上毅書翰(『教育勅語換発関係資料集』巻2, この超越ポ-ズは一面において,状況に応じて特定の価値体系を攻撃する自由を留保するもの であるとともに,他面,対立する諸価値がそれぞれ教育勅語にリンクすることを拒むものでほ 「各派の宗旨の-杏+ なかった. 「衝突事件+は一見, 「怒らしむる+ものであったが,実ほこ の留保された攻撃権の発動であり,攻撃されたのほ教育勅語-の非妥協性であった。教育勅語 ないしそれに表現せられた天皇制教育思想が,寛容と非寛容の複合であることを,この事件ほ よく示している。. 20). 『東京朝日新聞』明治32年4月23日。. 「会員四十三名中・・・・・・全く政府の外に立ち独立の意見を主張し得べき地位にある老八, 九名1)+とその当時批判され,現在も「絶対主義官僚の保塁2)+と批評されている高等教育 会議を通過した第1次案ほ,賛否の世論がジャ-ナリズムをにぎわす中で8),案文修正作業 が文部省において進められることになる。ところがこの間,表立った賛否の議論とほ別に, キリスト教学校関係者,宣教師,外国公使などによる反対運動が,しだいに激化していっ 「米英両 たようである。その詳細はもとより不明だが,比較的早い時期の報道によると, 国公使ほ本件に閲し,詳かに文部省の意見を問合せ,猶公然抗議にも及ぶべしといへり4)+ 『万朝報』が次のように報じている。 と伝えられ, 5月下旬ごろまでの状況としてほ, 宣教師学校ほ--宗教を学校内に入る可らずとする同令の条項には大に痛痔を感じ,一方にほ委 員を選みて文相に運動し,一方には学制研究会に発題せしめて同会の意見を敬し,頗る勉る所あり しが,其際外国宣教師等は敏捷にも英仏公使に運動し,之をして外務省に対し信教の自由,布教の 便宜,外交の円滑等各種の点より説く所あらしめたり。当時政府ほ何故なるか之を隠蔽して民間に 知らしめず,窃に文相に通じ,私立学校令の再調査をなさしめ,同令十七条の変更を謀れり5)0.

(19) 19. 訓令12号の思想と現実. この記事中,外国公使の動きについてほ確かめようがないが,学制研究会ほ5月下旬以 5月23日の第1回会合にほ,本多庸一 降,たびたび第1次実検討の会合をもっている。 6月9日の会合ではいったん第17粂等の削除を (青山学院)が第1次案修正案を提出6), 決議したが7),結局7月10 日の会合において「本令は不完不備---此際発布を見合せ更 に審査を尽さんことを切望す+という建議案を可決し,翌11日,会を代表して伊沢修二 が文相を訪問,私立学校令の発布延期を申し入れている8)。もっとも7月11日は,法制 局における審査,調整が終った当日であり,建議案がうけいれる余地ほなかった。. 6月21. 日に閣議に提出される第2次案に何らかの影響を与えたものがあったとすれば,それほや ほり外国公使の抗議行動であろう。第2次実の作成過程は不明だが,その完成までにほか なり発航したようである9)。このことほ,第1次実の高等教育会議通過から第2次案の閣 議提出までやく2か月を要していることからも容易に知られるが,この間文部省内にも意 見対立があったらしい。その一端ほ,. 「 (私立学校令は)果して之を勅令として公布するか. 将た亦単に(高等教育会議の)諮問に止め置くべきか,日下文部省に於て審議中なり10)+と いう奥田義人文部次官の談話を,野尻視学官が「同令握潰しなどの事ほ決して+しない, とうち消していること11),宗教教育禁止条噴について,. 「文部当局者に於ても既に異論あ. りたり12)+と報じられていることからもうかがわれる。こうした意見対立がどのような経 過で収拾されたかは判らないが,結局第2次案がまとめられた。そして次の提案理由を付 して閣議に提出され,即日法典調査会に回付された。 私立学校ノ設置廃止及其他ノ監督二就テ-従来法令ノ設未夕完カラス唯僅二明治十四年文部省達 第十四号及明治二十四年文部省令第十八号等ノ規定アルノ外私立学校二閑スル規則-各種ノ法令中 二散在スルノミ之ヲ以テ往々ニシテ彼是権衡ヲ失シ或-不便不備ナル点砂シトセス加之条約実施ノ. 期日前二迫り居留地制度廃止ノ後居留地内二設置セラレタル各痩ノ学校亦本省監督ノ下二帰セント スルヲ以テ鼓二各種私立学校二通スル規定ヲ設ケ監督ノ方法ヲ明ニスルノ必要ヲ認ム依テ別紙勅令 案ヲ具シ至急閣議ヲ請フ 明治三十二年六月二十一日 内閣総理大臣侯爵. 文部大臣伯爵. 樺山資紀. 山県有朋殿13). 私立学校に関する法令整備の必要性を強調するこの提案理由ほ,第1次案の高等教育会 議諮問に当って岡田が述べた提案理由(私立学校設立条件設定と宗教教育禁止)とは,まったく 異なっている。このことほ,第2次案を支える思想が第1次案のそれとは異質のものであ ること,つまり第1次案を貫く明治20年代型国家教育思想が第2次案では大きく後退し ていることを示している。当時,第2次案ほ第1次案に字句修正を施したものにすぎぬと のうわさが文部省筋から流されたが14),事実がけっしてそうでないことは,第1表に明ら かである。第1次実にあって第2次奏で全文削除されたのは,第8条(法人設立の私学),輿 9条(設立者資格),第15条(学則),第16条(有害教科書禁止),第18条(政治論議禁止). 第20条(文相認可校の特例),第21粂(外人設立学校の癌例),第23粂(他の法令の適用) 2, 4-7, 17, 24, 28, 30条の10 の8か条におよび,実質的修正をうけた箇条ほ,第1, か粂に達している。その中でもとくに,第17条と並んで第1次実の中心条額と見られた.

(20) 20. 久. 木. 辛. 男. 第9条が削除されたことは,同条とともに高等教育会議で批判の的となった第16,. 18条. の削除とあいまって,両案の性格の差をはっきりと示している。換言すれば,第2次案ほ, 明治20年代型国家教育権思想にもとづいて私学「撲滅+を意図した第1次案とほちがっ て,私立学校の設立をある程度自由に認めつつ,干渉・監督を厳にして,私立学較を天皇 制教育体系の中に位置づけていこうとするものであったのである。だから,校長・教員資 格(第2次案第7条),校長・教員認可取消(同第9条),私学閉鎖(同第13条)などの規定 ほ第1次案がほぼ踏襲された上に,新たに授業設備等変更命令規定(同第12条)まで追 加され,監督を厳重にすることにとくに考慮が払われている。それゆえ第1次案が第2次 実に改められたということは,既述のごとく時代適応性を失いつつあった旧型の国家教育 権思想から新しいタイプの国家教育思想-,樺山文政がその思想的基盤を転換していった ことを意味するといえる。転換のきっかけとなったのほ,おそらく外国公使等による第1 次案反対運動であろうが,この転換とほぼ時を同じうして,樺山が推進しようとした「八 年計画+ (官立学校大増設計画)が挫折していることを考えあわせると1b',転換にほやはり じゆうぶんな必然性があったといわなければならない。. もっとも,第1次案第17条の宗教教育禁止規定は,第2次案(第10条)においても維 持せられた。しかしそれは,かなり大きい修正を伴ってのことであった。修正されたのは・. 第1次案でほ何らの限定なしに禁止されていた宗教教育に限定を加え,. 「課程トシテ+行. われるもののみを禁止対象としたことである。私立学校令反対運動を契機に第1次案が崩 れていった中で,. 「教育ニ閑スル勅語ノ旨趣ニ基16'+く修身科を筆頭教科とする「学科課. 堤+への宗教教育の進入を何とかくいとめようとした結果が,第2次案第10粂となった ものであろう。しかし,上記『万朝報』の記事に見られるごとく,反対運動の鋒先がもっ ぱら宗教教育禁止条項に向けられていたにもかかわらず,既述のごとくこの条項を支える 天皇制教育思想が必ずしも古いタイプのものでなかったことが,結局第2次案第10条を 残すことになった,より根本的な原田ではないかと考えられる。 ところで第2次案を付議された法典調査会では,三浦安(宮中顧問官)を部長,穂積八束 らを主査委員,平田東助(法制局長官)らを委員とする第4部会17'がその審議に当った18)0 審議状況は不明だが,第1, て(第1表参照),. 4,. 10条が全文削除,第6条など11か条が若干修正せられ. 7月4日,法制局に回付されている。修正ほいずれも比較的細部のもの. であり,削除された第1,. 4条もほとんど無意味に近い条項であったが,第10条宗教教. 育禁止規定の削除は,文部省の激しい反対を招くことになった。そのため法制局は「文部 省と衝突を釆たし,数回交渉を試み19'+た,といわれているが,当時の文部省の強硬態度 については,次のように報じられている。 文部当局者は宗教学校を目して,根抵より国民教育の主義に合したる資格を有せざるものとして, 宗教と教育とほ飽迄も分離せしめざる可からざるを信じ,欧米諸国に於ても独逸を除きては大概此 主義を採用するに至りたれば,如何なる事あるも此点のみは動す事なく,近々発布せらる可き私立 学校令に於ても堅く規定する処ある筈なりといふ20)0. このように宗教教育に対する非寛容をもって,. 「国民教育の主義+,天皇制教育を守りぬ.

(21) 21. 訓令12号の思想と現実. こうとした第1次案第17条以来の立場を固執する文部省の強硬態度の前に,法制局はつ いに第10粂復活に同意するに至った。法制局長官が委員として議決に加っている法典調 査会の削除決定を,法制局自身がくつがえしたことになるわけだが,これは文部省の第 10条削除反対の態度がいかに強硬だったかを示すものであろう。 ところが,こうしていったん復活と決った第10条ほ,. 7月11日に至って再び削除さ. れることになる。そしてその代りに第10条の趣旨を「文部大臣ヨリ訓旨+することでこ の問題に終止符が打たれ,ここに訓令12号の成立を見ることになった。この間のおよそ の事情ほ,明治32年7月11日付の,次の法制局文書に明らかである。 別紙法典調査会総裁覆申私立学校令ノ件ヲ審査スルニ右-私立学校二閑スル従来ノ法規不備ナル ヲ以テ新条約ノ実施ヲ期トシ新二各種私立学校二通スル規定ヲ設ケントスルモノニシテ覆申ノ通関 議決定セラレ可然卜認ム 〔但第十条-法典調査会二於テ削除シタルモ右-復活セシメラレ可然卜思考ス只内務省-第十条 ノ復活二同意ヲ表セス〕 く第五条校長ノ資格ヲ規定スルノ必要ナシト認ムルニ付削除相成可然且原案第十条-殊二本令二 規定スル-妥当卜認メサルニ依り削除セラレ可然但小学校中学校高等女学校其他学科課程二閑シ法 令ノ規定スル学校二於テ-課程トシテ-勿論課程外クリトモ宗教上ノ儀式ヲ行ヒ又-宗教上ノ教育 ヲ施スコトヲ得-キモノニ非ラサルヲ以テ文部省ヨリ其ノ旨趣ヲ訓旨セラレ可然〉 追テ本件-枢密院二御諮謁相成可然21). 上の引用中, 〔 〕内ほ抹消された部分,く. 〉内ほこの抹消部の上に付せられた貼紙であ. るが,これによって法制局がいったん第10条復活に同意したにかかわらず宗教関係の主. 務省たる内務省がそれに反対であったこと,第10条が最終的に削除された理由が,それ を「本令二親定スル-妥当卜認メ+られなかったことにあることなどが知られる。第10. 条を結局削除にもちこんだのは,おそらく内務省であろうが,同省が第10粂削除を強く 主張した理由はつまびらかでない。しかし改正条約実施を前にして内務省は,とくに帝国 憲法第28条重視の方針を強調しており22), 「宗教学校を目して,板抵より国民教育の主義 に合したる資格を有せざるもの+とする文部省の方針とほ,若干のニュアンスの違いが感 じられる。むろん内務省も,宗教に対する無制限の寛容の態度をとっているのではなく, 「之れが取締を為す+ことを忘れているわけでもない22)。そのかぎり,文部省の第10条 復活論と内務省の削除論との間にほ妥協の余地があったのであり,対外関係などをも考慮 して,宗教教育禁止規定を私立学校令から文部省訓令に移すことで妥協が成立したのであ ろう。しかもその際,第10条でほ「課程トシテ+の宗教教育のみが禁じられていたのを, 「課程外+にまで禁止範囲が拡げられるとともに, 禁止適用校から除外された。つまり,. 「政府ノ特権ヲ得タル学校+ほ宗教教育. 「政府ノ特権ヲ得タル学校+はキリスト教系よりも. むしろ仏教系に多いともいわれていたが23),それを適用校から除外し宗教教育禁止条賓を 私立学校令からはずす代りに,小・中学校・高女については禁止範囲が拡大されたのであ る。その上,. 7月14日の閣議決定を経て,. 7月17日にほ次の内閣書記官長通牒(文部. 次官宛)が発せられ,宗教教育禁止は「政府ノ方針+として正式に認知された。.

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