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義理観念の一背景 ; 2 : 反体制的倫理観の系譜

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(1)義 理観 念 の一 背景. (2). 一―反体制的倫 理観 の系譜―一. 久 保 田. 勉. 1. が封建 的道徳観念 と して 固定化す る歴史的 時点 につ. 小論 │ま ,「 義 理」 `Jl念. いて ,そ の 社会的背丸tを 考察 せん とす る もので あ る。 じ 江戸 り 1中 業 に「 義 理 」観念 の成立 を予 旭tす るとき,幕 藩体制 の指導原 理 で あ った儒 学的思性 の展 開 のなか に成立 の時点 を位置 づ け る こ とが まず考 え ら れ るで あろ う。 しか し,儒 学 は 中国 にお け る士 大夫層 を基盤 として成立 した もので あ り, したが って 為政者 のための倫 理 を主眼 とした も ので あ ったか ら,庶 民 の倫 ]lL意 識 にまで思 旭t的 視野 が広 げ られ て いなか った し,と くに儒 jえ られて いた社会的役害Jは 特殊的 (武 教的)で あ った。 もち 学 その ものに ′ ろんその 間,思 惟 の展開過程 において ,一 般 的社会 の現実的倫 理 へ の指 向性 があ った とはいえ_,な お両方 の 間 には隔離性 が埋 め残 され ず に存在 して いた と考 え られ る。 したが って ,さ しあた り表題 につ いて 考 え られ るいまひ とつ の祝点 は,む しろ「 反体制 的思 ││た の. 流」 とい う対 1駒 :的 側l面 か らの歩み で あ. ろ う。 ここに反 体‖ iJ的 とい うのは,の み にみ るよ うに,「 都 '1月. llJ‐. 的感覚」 か ら. くる世界 に1を 指 して い るので あ るが,倫 理 鶴1と して は,士 分 の外 におかれ た 民 衆 , と くにif可 業 ri本 的思惟 の連載者 た る町人衆 に顕著 で あ った反禁符(的 傾 向 と して のそれ を指 して い る。 と ころで,古 くは「 土 倉」 ,あ るいは くだ って「 掛屋 」 ,「 1気 元」 にその 典 型 を見 出す こ とがで きると思 うが,わ が 国 の商助t資 本 ・高利 1ミ 資本 の発展 を通 は1す るとき,総 体的 にいえ る こ とは,時 と して泉州堺 の殷賑 の ご と く ,.

(2) 久. 保. 田. 勉. ヨ2,. 西 欧 の都 丁 貴族 Patrizierを 思 わせ るよ うな形態 を生みだ しは ヒ ノたが,そ れ │∫. らが常 に,深 浅 の差 は どうで あれ ,時 代 の支配権力 に結 びつ いて いた とぃ ぅ こ とで あ ろ う。 そ こには,い わば 商業資本 の もつ 一 般 的思 想 と して,一 に 方 おいて 自由な る営利 の追求 を指針 と し,ひ とつ の社会秩序観 を形成 し,そ こ か ら酸酵 す る倫 理 観 を貫 かん としなが ら,他 方 では一 見 して 相容れ ざるが ご とき権 力 (幕 藩体制 )に 大 な り小 な り妥協 あ るいは依存 ・迎合 1)す る姿態 を 呈示 して い る こ とが見 受 け られ る。. F.Borkenauが 示 して い る Gentryの 論 2)は , もちろん その まま江戸期 町人思 想展 開 のな か に妥 当す る ものではあ るまいが,わ れわれ の 目論んで い る「 義 理 」御1念 成立 の背景考察 の 出発 にあた って きわめて 示 唆的 であ る。 か れ は nOblesse de robeの 性格 づ けを行 な った箇 所 で ,王 政 に対 す る階級 的 利益 の代表者 で あ り,同 時 に王 政 に仕 えて 市民 的平均化 を遂 行 せん とす る こ の Gentryが 「 一 面 で は……市民 的 ・資本主義的分子 か ら成 りたち,が い し て おそ ら く市民 的諸集団 の うち の 富裕 な集団 で あ り,… …他面 …… その経 済 生活 を封建 的 ・伝統 的保証 の もとで送 る こ とがで き,ま た身分 的体面 を保 つ 掟 が きび しか ったために,そ うした保証 の もとで生活せ ざるをえなか った と ころの,唯 ―^の 集団であ った」 といい,ま たかれ らは「 貴族 に対抗す るとき は,王 政 に 協カ ヒ ノ, 自己の利益 を代表 す るときは王 政 に反 抗 す る。 …… フロ ン ドの乱 の 中 で , 貴族 の一 部 と同盟 しさえ した ……■oblesse de robeの も っとも徹底 した代表者 は,国 王 の具体 的な政策 に対 す る同時代 の闘 いに加 わ りな が ら,終 始 ,忠 実 な王 党 派 で あ った」 とい う。 Gentryが ,か れ らの 自 あ るいは諦徳1, 逃 避 も考 え られ る。 これ も幕府 権力 の 強大 さか ら くるひ とつ の抵 抗 で あろ うが,方 向 と しては,中 世 的世界 へ の憧憬 , 場所 と しては劇場 , 遊 里 と い う隔離 され た開放 社会 で あ った りす る。 な お, 拙稿『 義理観念 の一背景 』 `カ ミ優先思考 の流れミ (甲 南女子大 研究紀要 0第 四号 )は , 迎 合性 を 日本 心性 の ひ とつ とて,「 義理」観念形成 の一背景 と して観 てい る。 2). Fo Borkenau ; ]Der. て 」 bergang vOn feudalen zunl burgerlichen LVeltbild, ∈ 光udien. zur Ceschichte der PhilosOphie der Manufacturperiode。. 的世界像か ら市民的世界像へ 。p.218以 下)。. 1934(ガ く田イ 山訴卜 :封 建.

(3) 久保 田勉義理観念 の一背景 レ. ヨθθ. ). 己の利益 を代表す るときには, しば しば権 力 と同盟 を結 ぶ こ とを観 てい るの で あ る。 商業資本 の思 想 が もつ この よ うな二 重 の姿態 は,生 産 関係 を中心視 点 において思 想 を論ず る傾 向 のあ る学者 によ って 多 く支持 されて い る共 通点 の よ うで あ る。 M.Weberの 示 した道徳 と経済 の「 適合性 」 理 論 もさる こ と な が ら, このよ うな見 地 は,「 義 理」観念 の成立 を観 よ うとす る場合 ,わ れ われ を刺 激 して ,ひ とつ の 出発点 と視点 にたた しめ る示 唆を与 え るもので あ る。普 遍的道義観念 として の 義 理 が「 義理 」 と して封建 的外皮 を被 るには. ,. 儒学的思 惟 の一 般 的現実 へ の指 向性 の跡 を も充分 に視界 に入れて いかねばな らな いで あ ろうが, 反体制 的倫 理 観 の 系譜 を経済 の 発展相 と対応 させ なが ら,成 立 に関す る背景 の考察 を進 めて い くこ とも, いまひ とつ の 視点 とし て ,取 り扱 わ るべ き重 要 に して有効 な筋道で あろ うと考 え させ られ るので あ る。 姿態 の二 重性 は,要 す るに批判性 と依存 ・迎合性 で あるが,江 戸 中期 に即 し て これ るみ ると,批 判性 は営利 の 自由 な る追 求 をふ まえた もので あ り, した が って ,そ こか ら醸酵 す る反禁欲的倫 理 観. (=反 体制的倫 理観 )を ふ まえた. もので あ る。 江戸初期か ら中期 にいた るまで の文芸史 の 中 に この倫 理観 の系 世之介 "が その頂点 で あ り,禁 欲 譜 を求 め るな ら,西 鶴 の『 好色 一 代男 』 “ 1),. 的倫 理 観 へ の転換 がみ られ は したが. 近松 にお け るいわゆ る「 世話物」24. 篇 の時期 にいた って , この潮流 は一一 一 方 において ,経 済 的現実 の変展 に即 2)儒 学 して反禁欲的倫 理 を迎 え るに充分 な見解 を用意 して いた と考 え られ る 思 想か ら くる主 従 道徳 の核 心 その もの と迎 合 す る こ とによ って ,近 松 にあ っ て「 義 理」 と「 人情」 を モ チー フに した封建 悲劇 の構成 を促 した もの と考 え 〃 ` ■) 『好色 一代男』か ら『 日本永代蔵』へ の流れは, 世之介 的生 き方,つ まり完 全消費 (経 済生活 の否定的側面 )の 生活讃歌か ら, 全国市場開拓期 に直面 した人 ` 間 の処世術 としての 知恵 と才覚ミ を もととす る禁欲性 の認容姿勢へ の変換 と考 え られ る。 この間 の事情 は西鶴におけ る視点 の流動 とも考 がえ られ ようが, 経済 の展 開相 に照 らす とき, この変換 はまった くの 偶然 として見過 ご しえないものが ある。. 2)小 論。. p。. 118脚 注 1).参 照。.

(4) 久 保 田. ゴ θ ヱ. 勉. られな いで あろ うか。 か くなれ ば,儒 学的倫 理 の 内的論 理 展 開 もさる こ とな が ら,一 方 において ,両 者 を迎合 せ しめた もの として ,経 済 の展 開相 を見 落 ¬¬ す べ きで はあ るまい。 あ る段 階 での商業資本 (と くに一側面 た る反 体制 的倫 副 理 観 )と 権 力 (体 制 の 指導原 理 か ら演繹 され る体制的倫 理 観 )と の必然的結 合 もし くは この「 上 位な る もの」 へ の迎合 の時点 において,普 遍的道義 た る │ 義 理 は「 義理 」 と して成立す るで あろ う。 さすればおそ ら く,「 義理 」成立 の 時点 を近松 の時期 に求 めてい くこ との適切 な こ とで あるか どうか も明 らか に され るが あ ろ うし,西 鶴 や近 松 な どにお け る「 義 理」 の性格 (81念 として の 固定度 な ど)を 論 ず る布石 のひ とつ ともな るので はな いか と考 え る次 第 で あ る。. 2. 自然経済圏 にのみ その安定性 と妥 当性 を獲得 し うる幕藩体制 は,ま ず そ こ に 朱子学 的思惟 の定着 を促 し,い かな る論 理 を もって して も自己 の体制維持 1)。. の ためには,こ の経済 的基盤 を喪失 して はな らぬ もので あ った. したが っ. て ,農 本 主義 の主張 は結局 の と ころ支配者身分 の支配権維持 とい う利 己的 動 機 に発 した思 想 で あ った し,商 品経済 の進展 と相 侯 って 生産層 に対 す る名分 上 の蔑視 と実 質 的依存 とい う論 理 的苦境 に支配者身分 を立 たせ ざるをえなか った ので ある。 信 長入洛 (永 禄 11年 01568)よ り関ケ原合戦 (慶 長 5年 016. 00)ま で のや く30年 は “桃 山時代 "と 呼 ばれて い るが, この時期以前 に,す で に堺 をは じめ京 都 ,大 阪 を中心 に して畿 内経済 圏 は相 当な商業資本 の先進 性 を示 していた こ とは経 済史 の示す と ころで ある。 ここか ら生 まれ る「 都市 的 感覚 」 は,文 化 の形成 を大 き く規定 し,か つ この伝統 は商業 資本 の思 想 と して,根 深 く畿 内経済 圏を中心 に滲透 していた と考 え られ る。 これを文 芸面 に 沿 うて み るとき,『 お伽草子』 の持 つ もっとも大 きな特色 で あるマ チ (都 市 )・ 財宝 へ の憧憬 ,す なわ ち「 都市 的感覚 」 へ の追順 ,ま た『奈良絵本 』 ■)家 永 三 郎 :「 日本道徳思想史 Jp。 119-p。 124参 照 。.

(5) ヱθ2. 明にお け る都市 の発達 ろ ご とき奢修 を尽 した金銀使用な ども この時り にみ られ′ 「 と,そ こか ら くる「 都 的感覚」 を抜 きに して は考 え得 な い こ とで あろ う。 │∫. この よ うな ,い わば Gesellschaft的 思考 の産 出土壌 と同時 に Gemeinschaft 的思考 の産 出土壌 た る朕│'こ の,よ り素朴 な る 自然 的経済圏 を合 めなが ら,体 つ の 制支配 の実 をあげ よ うと した徳 川幕府 は,ふ た の異質 的思惟形式 とそ 基 1)。. 盤 を同時 にあ、まえて いた といえ よ う. 生産者層 に対 す る名分 上 の蔑視 と実. べ 質的依 存 としヽう支配者層 の立 場 に理論 的根拠 を与 え る く採用 された朱子学 は,そ の道 徳論 を と くに支配 層 の1:者 分野 に準用 して い った ので あるが,と く に農本 思 旭tと 節倹論 は体制維持 の経済 理 論的根拠 た るべ きもので あった。 限 られ た一定 の土地 を収益財 #::と す る支配肛│が ,生 産 の増 強 よ りも消費 の節約 を まづ もって 旨 とす る素朴 な士」建 的経済倫 理 を高唱 した こ とは,封 建 主従道 のは もち こ 徳 か ら派生す る分 限 意識 ,階 級秩序句1を 前提 に して の とで あ った 明・徳川初 期 に活躍 した京都 ,大 阪 ,堺 商 ろんで ある。 だが しか し,戦 国末 り it調 とな って い くも 人 の もつ 営利 と消費 に対 す る態度 は,以 後 の 町人 思 俎tの 見 ので あ る。 か くて ,か れ らが もった社会 観,秩 序 修1と 支 li己 者層 のい う経済倫. 理 とは相容 れな い ものが生 ず るのは 当然 で あろ う。 の ほる里 の 「 桜 もちる に欺 き,月 はか ぎ りあ りて入佐 山,麦 に但馬 国 かね 辺 に,浮 世 の事 を外 にな して …… 」 (『 好色 一 代男 』 )と 筆 した西鶴 は,町 人 的 な生 の議 T勝 (と して ,完 全 │li費 の遊興 を,楽 天 的 に うた いあげて い く。桜 も月 も,同 様 に「1然 美 の シンボル で あ るが,か れ は この │:1然 美 を尊重 す る中 を 世 的詩精おllを 否定 して人 間 と社会 を尊重す る文学精 神 を掲 げ ,人 間的歓喜 ]に おける,体 制的倫 理批 り 反禁 欲性 │∵ 定 の1世 界 において主張 して い る。徳 川す の思 想が も 半」のひ とつ のJЦ ]Ч として の,か か る反禁欲性 の根元 は,71業 資本 つ 批判性 とい う一 面iか らこれ を推 し測 る こ とが で きるで あろ う。 わた くしは. 1). の人は言受 のみよ くて 『徒然草』 に 「 あづ まの人 こそ言 ひつ ること頼 まるれ, 都 理観の差異であろう。 こ 実 な しJ と見え るが, これは中陛人 の 目に映 じた東西倫 であることを暗示 し が 型経済 商業 れはまた関東経済圏が農村型経済, 畿内経済圏 の ている。『慶長見聞集五 』 にみえ る関東衆 と西国人 の 自慢話 も, 関東経済圏 非 町人的・非商業 的性格 を物語 っている。.

(6) 久. 保. 田. 勉. /θ. 3. ここに本阿弥光悦 か ら,そ の系譜 をた どり出 して い きた い と思 う。 わた くし は この延長線上 にすで に封建 的外皮 を被 った「 恩」 の意識 ある いは武 教的儒 学 との交差点 を予想 し「 義理 」観念成立 の 時点 を予想す る もので ある。 と こ ろで ,和 辻博士 は,本 来 的町人像 を問 うに先立 って ,町 人根性 のあ りかを求 1)。. めたなかで ,町 人 の類型 をおおむね つ ぎの よ うに捉 えて い る. 1。. 冒険 企. 文化創造型 ,3.大 尽型 ,4。. 守銭 奴型 ,そ して最後 に前 四者 の. もつ 一 面 的契機 を止揚 した型 として ,5。. 模範 型 がそ うで ある。 この類型 に. 業型 ,2。. 従 が うとすれば,光 悦 は営利 の気慨 を もつ 戦 国末 期町人 の風格 を学芸文化 の うち に表 出 した京 都 上 層 町衆 のひ と りと して ,第 二 の類型 的町人 で あろ う。 「 学文 を好 む とも,文 華 の学文 は用ふ べ か らず。殊 に天下 の政務 に仏 法甚 だ よろ しきにや ,上 官太子 な ど所 々に寺 々を御建 立 にて和 るべ し。今 時 め け る林道春 な ど,太 子 をそ しり,兼 好法師 のつ れ づ れ卿 ,源 氏物語等 をそ しら るるが如 き, 朱晦奄 が余風 を真似 らるる事 と, われわれ はおか し くこそ候 へ. 2)。. 」 とぃ う光 悦 の考 がえには,幕 府権力 と結 び つ いた御用教学 に対 す る辛. 辣 さと冷淡 さが 明 白で あるЭ この言葉 の 中 に暗示 されて い る 反体制的性格 は,た だ に光悦 ひ と りにか ぎ らず ,京 都 上層 町衆 はい うにおよばず ,「 都市 的感覚 」 の所有者 に共通 の もので あ ったろ う。 もちろん, ここで光悦 を商業 資本家 その もの として 取 り上 げ る こ とは正 当を逸 す るか も知れな い。 周知 の ように,代 々刀釧鑑定 ,磨 欄 ,浄 拭 の家職 を継 ぐもので あ り,か れ は法華宗 の篤 き信者 で もあ った。 しか し,『 本阿弥行状 記』 ,『 にぎはひ草』 に依 っ て 知 るか ぎ りで も茶屋 四郎 二郎 といい,角 倉素庵 といい,い わゆ る鷹 ケ峰 グ ル ープ といわれ る者 たちのほ とん どが京都 上層町衆 で あ り,先 に もみた よ う に,か れ らが商業資本 の もつ思 想を背景 とす る反 体制的 ・批判的精神 を もっ て いた こ とは一応云 え る こ とで あろ う し,光 悦 に して も, したが って ,そ う 考 え られ る正 当性 を持 つ者 で あろ う。 幕藩体 制 の完成期 と目され る寛永期 に 1) 不口美士孝 嘔』p. た日本米 青本 野虫Б 中5ヒ 百 汗う 『え. 2). 312-― p. 320.. 『本 阿弥行状記 』第 79段 。『行状記 』 か らの 引用 は, す べ て正 木篤 三 『本 阿弥行 己』 に依 って い る。 己と)Lじ色』前半 に11又 め られ た『本 阿弥行状言 状言.

(7) lθ 4. 義理観念 の一背景 9). おいて ,家 族主 義的擬装 による主従 関係 を もって 家芸相伝 を 旨 とす る家元制 度 が,茶 ,能 ,狂 言 ,呑 i首 ,庖 丁 な どの世界 に確立 して い るが,と くに絵画 面 で は狩 野探 幽を中心 に幕府権 力 に積極 的接近 を果 た し,奥 絵 師 四家 ,表 絵 師十 五 家 が ヒェラル ヒー を形成 して い くよ うな中で ,光 悦 は畿 内経済圏 とい う先進性 ・「 都市 的感覚」 を もって ,い わば反体制的 ・批判的世界 において 「 今 時 め け る」 t断 目を離 れ て , その芸術的 理 想を追求 して い った 者 で あろ う。 しか し,光 悦 といえ ども,封 建 的社会 の精神生活 を一般 的 に支配 した実 践 的規範 た る保 守性 の枠 を ,一 見 した と ころ,完 全 には超 え得 て いない よ うで あ る。 む しろ「 …… た とへ 開国 の御掟 よ り能事 にて も,下 々新法 は困 り候様 にな り候物 と承 り候。 ……先祖 の掟 を破 り, 自分 の才 を 働 か し,却 て 横 ざま に相成候 な ど,続 な る町人式 さへ毎度 これ有。 とか く無 為 と申 こ と,甚 だ 目 出た きお しへ と被存候。」 (『 行状 記』 34段 ),「 ……昔 よ りの何事 も古掟等 も有之候 へ ば こそ, …… 0新 法 は当分便利 にて も, 能事 はな きと 被存候。 」 (27段 )な どとい うとき,わ れわれ はそ こにかれ の第 二 類型 的町人 の気慨 と. は別 の,消 極退嬰 の実践哲学 (封 建 支配者 の実践 的規範 )の 面影 を見取 らさ れ るので ある。 これ は,光 悦 にお け る古 典 へ の志 向,中 世 的意識 の基 盤を推 測 させ る もので あ り,か れ の芸術 的理 想 の方 向を暗 示す るもので もあ るだ ろ う。「 おか し くこそ候 へ 」 とい った羅 山 へ の辛辣 さの 出所 もそ こにあ るで あ ろ う。 しか し,そ れがかれ の真 意 の全 体 を埋 めつ くす もので あろ うか。 かれ の 批判 的精神 は,か れ の もつ「 尊皇」 と「 尚古」 とい う,い わば後 向 きの姿 勢 か らよ り多 く滲み 出た言葉 で あ って も, これを保守性 の枠 の 中 でのみ 考察 し終 え る こ とは早計 といわれ は しないだ ろ うか。 わた くしは,か れ の言葉 の 中 に,ま えに述 べ た ご とき「 都市 的感覚」か ら くる体制批判 の態 度 を ,一 方 に おいて汲み とろ うとす る 者 で あ り, この視点 を 見据 えたい と 思 う者 で あ る。 商業資本 の もつ思 想を体臭 として 持 って い るがゆえに,つ ぎの言葉 は. ,. 「 都市 的感覚 」 の所有者 が持 つ思惟 の一 般 的な 自由 の形式 と,い まひ とつ そ れ とは矛盾 す る迎 合 の響 きとを われわれ に与 えて い る。 いわ く「 当時 関東御 憐 慇 ,わ れわれが親類共残 らず蒙 り奉 るといへ ども,い つ まで も王城 に住居.

(8) 久 保 田. ヨ θ 5. 勉. して ,御 用 向 の節 は出府仕 るべ く,決 して江 戸御表 へ 引越 の儀 ゆめゆ め有 べ か らず。 …… 関東 の憐慇 も厚 く,御 恩 は海 山 よ りも深 じといえ ども,権 現様 当代 にて 漸 く二 代 な り。 ……是非 引越被仰付候 はば嫡 家 は御 断 申,別 家衆 一 両 人 引越可被 中哉。 同 じ くは是 も好 まぬ事也」 (80段 ),「 我等親類共 の娘 な ど上様 へ御奉公 に差 出候事 は一切無之 ,内 々申合家 の掟 の一 ケ条 に致置候」 (66段 )と い った岡1直 な言葉 が一方 にあ り,他 方 において は「 太 閤秀吉様 古. 今独歩 の名将 にて 候 へ ども,只 御 自分 の智恵計 りにて ,御 一 代御取計 遊 ば さ れ ,我 を忘れ給 ふ 故 に,… …信長公 ……是下賤 よ り立身 し給 う上 ,御 一 代知 術 にて不 義を人 は しらぬか と自身御高慢 ゆえ諌 めを 聞入れ たまわず」 (16段 ) ともに「 仁徳 は露 ほ どもな き者 」 とされ ,ひ るがえ って ,徳 川家 は「 凡 中華 llC聖 人 にちか き君後漢光 武帝. ,わ が朝 にて は東照宮 此両君 を除 て ,後 人 は じ. らず ,当 御代 まで決 して 外 に聖 君 あ りとも存 ぜ ず。難有御代 に生 れ候事 と毎 度 落涙 いたす事也」 (84段 )と い った調子 が と くに16段 か ら49段 にいた る行 間 に多 く感 ぜ られ る。 現実 的態度 として は後者 の ご とき権 力 へ の迎合性 を示 して い るが,同 時 に光 悦 の胸奥 にあ った ものは,さ きの80段 ,60段 その他 に 散 見 せ られ るよ うな,戦 国末 期堺 町人 の示 した第 一 類型 的町人 の気. J既. を その. ま まに伝 え聞 くほ どの岡1直 な気 塊 で あろ う。 この こ とは,と くに倹約令 に示 した光 悦 の批 判的態度 のなか に顕著 で ある。 伝 え られ ると ころによれば,光 悦 は個人 的生活 において は「 光悦 が身 上 に 奇 特 な る事多 けれ ども,学 びがた き こ とは,二 十歳計 りよ り,八 十歳 17Cて 相 果 候 迄 は,小 者 一人 ,飯 た き一人 にて くら し申事 な り。此 ゆゑ に一生講 ひ不 申 …… 」 (15段 )「 ……世 に有 べ き人 間 とは覚侍 らず …… 我身 もか ろ くもて な して ,一 類脊属 のお ご りを し りぞ けん事 を思 い,住 宅危相 にちひ さきを好 み て ,一 所 に年経 て住 る事 もな く,茶 湯 にふ か くす きた りけれ ば,二 畳 三畳 敷 いづれ の宅 に もか こひて ,み づ か ら茶 をたて ,生 涯 のな ぐさみ とす. 1)」. る. ほ どに,み ず か ら分限 よろ しきを 得 た生活 を送 って いた よ う で あ る。 しか し,だ か らとい って ,か れ の心 情 は儒教的 ・封建 的倫 理 が 要請 す る節倹論 を. 1). 『 にぎはひ草』佐野紹益著。 (日 本随筆全集,第 18巻 ,所 収).

(9) 褒理ill念 の一背Лl(2). ゴ θ δ. 黙視 す る こ とを しな い。 む しろ,か よ うな論理 の根拠 とな り,政 策 の 出所 た る朱子 的自 勺思惟 に対 して は,先 に も/S、 れ た ご と く,至 極冷 厳 な態 度 を とって い るので あ る。「 宋一 統 の天下 に学文 の力 にて 成不 中。 学文 は治 tけ の要 とは 中なが ら,至 って学文 i量 候 と,物 毎 こまか に理 屈計 に罷成 ,又 乱 の端 とも相 成候」 (23段 ),「 宋朝 の儒者 のil残 され し書 な ど,高 論 も有之候 と承 り候 へ ども,誠 に日先計 りにて ,天 下 一統 の功 は埓 明 申さず。 左候 えば学文 も我 朝 の衡l政 務 には余 り宜敷 かた とも不 被存。」 (24段 )と い う。 さて ,こ の よ うに光悦 にお け る批判的態 度 をわlた 上で ,社 会修1,秩 序 観 の 一端 を も推測 して論 を進 め よ う。 幕府 は Fあ る毎 に節倹 の令 を 出 して い るの で あ るが,光 悦 は率 直 に「 い つ 連 も倹約 は人 間 の常 に候 へ ど も,下 々の者 ど ものいたまぬ様 に御倹約御 じめ し有度候。 倹約 と吝 晉 とl又 連 へ 候 もの ま ゝ是 あ り候」 (19段 )と い う。「下 々の者 ど ものいた まぬ様」 と│ま どの よ うな仕 1賤 と も倹約 を専 らに御示 し有 がた く候。 儀 を考 えて の こ とで あろうか。「 」 しか し余 り11ノ 、がた御]倹 約 被遊候 と,諸 職 人わ けて織屋 な ど今 日のた つ きに つ き申候か。 」 1人 は貴人 の御倹約 これ有 か にて ,余 り衣裳 法度 な ど強 く被仰 ll仕 ,〔 1分 方 付候 と,下 々は,表 向は君 の御l意 に│││ひ 候様 に見苦敷 もの を着ナ. の用 ,夜 分 または私 の宿 にて ,存 の外結構 な る もの を着用仕候事 な ど出来仕 候物 に御座 候。 十 人が九人 は よき物 を着 たが り,旨 きもの を喰 たが り中候」 (同 段 )と い って い るが,要 す るに これ は生産 と流通 ・ 消費 の融即 す ると こ. ろ,ネ L会 の秩序 と安寧 が存す る こ とを云 い 得 て い る。 生産 0流 通 ・ 消費 が社 会秩序 │li成 の動力 で あ り, これ らの融即 が あ って 初 めて 人 々は「今 日のたつ き」 につ き得 る者 で あ り,「 よ き物」「 旨き物」 を求 め る人 間 の 自然 な る欲 1)。. 31て い るので あ る 求 を相応 に充足 す ると ころにネll会 と人心 の安定 を作. ■ 「 天下 の政 は重箱 を11打 」木 にて汚Lひ 候 が よろ しき」 (18段 )こ とを力説す るとき,光 との胸 :奥 にあ った ものは,前 に も方、れ たよ うに,京 都 上層 町衆 と │り. 1)た とえ ば,惰 落 した公家 の政 治jよ 覚,恥 とも思 わぬ生活 態度 も,光 悦 によれ ば「 こ れ貧 敷 よ り事発」 る もので 「 何卒総公家 衆 の 内へ , 三 万石 ばか り被遣 候 はば, 御 イ 子儀 も直 lU中 か にて候』 とい って い る。 (41段 ).

(10) 久 保 田. 勉. ヱ θ 7. 共 に持 ったで あろ う反体制 的 ・批判性 で あ り,単 な る保 守性 の枠 にいれ得 な い もの,つ ま り「 都市 的感覚 」か ら くる如上 の社会秩序観 で あ り,経 済観 で あ り,そ して反 禁欲 的倫理肯定 の思 想 で あろ う。 これ はす くな くとも,海 外 貿易進 出 とい う気宇 の大 きさ, 自由な る営 利追求 の機会 に巡 り会 わせ た精神 が 有 した 自由活達 の気慨 の表 出で あろ う。 この第 一 類型 的町人 の気慨 が,光 悦 の場合 にはお もに芸術 の分野 に集 中 した もので あろ うが,そ の基底 にはあ くまで も自由が あ り,こ れが封建 経済 の もつ 秩序原 理 に対 して以上の ご とき 態度 を採 らしめた根 源 の もので あろ う。 しか し,光 悦 において まだ消極 的 に しか見 る こ とので きない この批半J性 の実相 (「 都市 的感覚」 か ら由来 す る社 会秩序観 ,経 済観 ,そ して反体制 的倫観理 の崩芽 )は ,か れ の弟子佐野 紹益 において ,よ り積極 的な姿勢 を もって顕 われて くる。. 3 かれ の 『 にぎはひ草』 の うち “ 倹約 の丼 "を 中心 に,反 体 制的倫 理 観 の先 鋭 化 して い く姿 を 観 て い くこ とに したい。 そ して西 鶴 にお け る その残 影 を 「 ま こ と」 とい う倫 理 的理念 の表現 の うち に観 たい と思 う。 紹益 は,「 倹約 の御世 なれ ば とて ,万 人 しは き事 を本 とす ,今 倹約 の御制 法 には,其 心 たがひ侍 べ し」 とい う。光悦 が さきに「 倹約 と吝音 と取違 へ 候 もの ま ゝ是 あ り候」 とい った心 を一段 と明 白 に再現 して い くので ある。 紹益 によれ ば「 万人其分 々に随て 身 を つ ゝしみ ,つ ゞまやか に して 下 を労 りて. ,. くる しみ あ らしめ じとす るを倹約 とは申べ き也 ,当 世 はお ご らぬ を倹約」 と 心 得 て「 我物 を つ か はぬや うにす る こ とのみ」 と心得違 い を して い るとい う。 それで は紹益 が考 えた倹約 とは ど うい う こ とで あ ったか。 かれの考 え る と ころによれ ば,倹 約 を もって「 我物 をつ か はぬ よ うにす る こ と」 と心得 る と き,世 liき はまさに「 い と ゞしは き事」 とな る。「 しは じ」 ,「 しはい」 は 「 微」 で あ る。 つ ま り自己の所有物 を「 つ か は じと しめ置 く」 こ とに対 して 「. つ か ひや るはのべ た る心也 , じめちぢめれ ば しはに成 也」 とい う。 ここに.

(11) ゴθ8. 義理観念 の一背景 9). は「 きたな き」「 む さき」 風情 の生ず る義 があ り,「 当世万 々の人 の 中 に. ,. しは きを しらざる人稀 な るべ し, しは きが倹約 な らば,い ま しむ るに及 ば ざ る事 な り」 とい って い る。 われわれ が ,こ こに,生 産 ・ 流通 ・ 消費 の融即性 を もって社会秩序構成 の原 動力 とし,そ こに秩序 と発展 の基 礎 を考 え よ うと す る紹益 の反体制的思惟一一 とい うよ りは町人衆 の もつ 社会観 ,反 禁欲的倫 理観 をみ る こ とに独 断 はないで あろ う。 この こ とを さ らに,紹 益 自身 に語 らしめ る こ とによ って た しかめて お きた い。倹約 を もって「 お のが物 は,つ か は じとしめお きて」 お ご らぬ こ とと同 一 視 す る こ とは,「 人 を いたは る こ ゝろさ らにな く,い ため くるしめ,我 と く 分 として ,非 義 な りと しれ ど も,や らず つ か は ぬ を倹約」 となす ことで あ り. ,. 盗 み もいたわ しい事 で あ るが,「 しは き」 こ とはそれ以上 に「 我 ためのみ を お もひて ,人 の くる しみを い は ざるもの」 で 「 世 にに くき物 の最上」 で あ る。 そ して また,と りわ け紹益 の貨 幣流通 の丼 を聞 くに いた って ,わ れ われ は反禁欲的倫 理 観 の 出所 をそ こに確認 しうるで あ ろ う。貨 幣を「 片時 もわす れず ,た くみ て土蔵 の 内地 をほ りて埋 置 な ど,人 の思 ひが けぬ所 を求 めてか くしお く」 とすれ ば「 此金 は世界 のたか ら物 にあ らず」 ,金 銀 の財 は「 こな たかなたへ 通て 自由 に物 を と ゝの へ る こそ,宝 には侍 るべ けれ」 とい う。 財 貨 の流 通 をは ゞむ者 あれば「 此 た ぐひの者対面 もすべ か らず ,お そ ろ しき心 の者」 で あ り「 小利大損 を しらざる也」 といい,か え って「 分 際 よ り家居身 持過 な る者 ,た また まあ らば めで た し」 とい う。 なぜ な ら,そ の者 は分限 を しらぬが ゆえ に,万 一 に もそ の家財 を失 な う事 があ った として も「 其 つ かひ 捨 た る金銀 ,あ るひは大 工 た ゝみや絹や等 にわた りて ,又 その下 々の もの ま で も,夫 ぞれ に うり物 し,か よわ しわた りて ,世 界 をめ ぐりて ,減 ず る事 に あ らざるな るべ し」 とい うに及 んで ,わ れわれ はまさに反体制 的 ,都 市 的感 覚 の発露 として の倫 理 観 を光悦以 上 にその 中 か ら汲 み と りうるので あ る。 い 「 価人分 な る物 は,求 む る事 なかれな どとい う こ と,普 く世 のな ら とな 「 道具 の代 とな る金銀 ,あ まね く世 りなば , 日本 の宝金銀 も過半 は減滅也。」 に次 々段 々に通 じわた りて ,万 人 の あ きな ひ と成 て ,一 銭 うせ ず減 ぜ ず ,下.

(12) 久 保. 田. 勉. 9 =θ. ・……自然経済的原 理 か ざままで もおだやかな るべ き,根 元 ともいひつべ し。」 ら派生す る体制 的 ・禁 欲 的倫理観 はその影 を と ゞめず , ここに あ るのはた く ま し く流動す る経 済 の動 きのな か に こそ「 おだやかな るべ き根元」を観 る反 体 制的倫 理 観 の あ らわな る姿で あ る。光悦 に比 して ,よ リー 段 と明 白 に封建 領 主 に対 す る批判 す ら行 ないつつ 生産 と消費 の徳 を述 べ ,人 心 の安 らぐ根元 をそ こに求 めてい るので あ る。 さて ,『 にぎはひ草』 の刊行 され た天和 三 年 (1682年 )は ,同 時 に西 鶴 の 『 好色 一 代男』 の成立 した年 に 当 って い る。 この時点 において ,経 済進展 の 相 は ど うで あ ったか。海外貿易 を基盤 として台頭 して いた第一類 型的町人 の 姿 は,す で にそ こには見 当 らな い。元和 三 年 か ら寛永十八年 (1616-1641) に至 る一連 の海外貿易制限 (鎖 国令 )は ,か つ て の封建 勢力か らの独立性 と 進取 冒険性 を委縮 させ ,窒 息 させ るに至 った ので あ る。 したが って ,こ の時 点 で の新 しい商人 は,専 ら参現交代 に 因 って 生 じた 国内商業発展 の上 に勃興 した者 たちで あ る。参朝交代制 (寛 永十九年 ,1642成 立 )の 結果 ,一 大消費 大江戸 "が ,そ の成立事情 は変則 的 で はあ ったが,関 東 自然経済圏 の 都市 “ 一 角 に 出現 し,全 国武士 階級 の購 買力 の半 ばを集 中 させ ,か つ 消費 させ るに 至 ってい る。 この “ 大江戸 "消 費 圏 の 出現 とその商品需要 は,江 戸周辺 か ら だ け の商品供給 を常 に上 回 り, か つ 特定高級 品生産 か ら 大衆商品生産 を促 し,必 然 的 に広域経済圏 の形成 を促 が さざるをえなか った。 そ こで,最 適供 給市場 と して の大阪を中心 に,こ の機能完遂 のために新 たに広 く各地 に市場 を開拓せ ざるをえなか った ので あ る。 ここに大勢 的 には局 部市場 か ら全 国市 場 へ と発展 す る経 済 の傾 向がみ られ ,競 争経済 的現実 が操 り広 げ られ てい く ので あ った。 この現実 に 対処 す るには, “ 三 井九郎右衛門 " にその典 型 をみ るよ うな 「 才覚 」 と「 智恵」 を必要 とし,「 永代蔵」的町人 の 出現 が促 が され ず には おかれなか ったで あろ う。 そ こには,す で にか って の第 一 類型 的町人 の姿 は 消え失 せ ,い まや海外市 場 の封鎖 ,株 仲 間 の漸次形成 の兆 し,そ の他 の特権 的独 占 (権 力 との結 合 )に よる経 済活動 の枠 づ け,加 えて封建 的蔑視 のなか.

(13) θ ゴ イ. 義理観念の一背景. (2). で ,な お進行 をlLめ ない貨 幣経済 の発達 は,分 の意識 に規定 されていた新興 町人 の足 を,少 な くとも封建 的極桔 の外 にあ った遊里 ・ 観劇 へ と向わ しめた こ とで あろ う。 か くの ご と く,江 戸期 中葉 の 町人 の気t慨 は,海 外 か ら遊里 ・観劇 へ とそ の 場 所 を変 え ざるをえ なか った よ うで ある。 そ して一 方 ,大 局的 には,序 々に で はあ るが蓄積資本 の「 食 い込 み現象」 が表面化 して い く。 この時点 におい て ,『 好色 一 代男』 “ 世 之介 "的 町人像 が西 鶴 によ って 描写 されてい るので あ る。 『一 代男』 の形成 にあた って ,何 が どの よ うに作用 したか, この文学 的 解 釈 につ いて ,わ た くしは 円外 の漢 として 知 ると ころ が少 ない 者 で あ る が ,少 な くとも,鶴 永を西鶴 と改名 し,の ち 自ら二 万 翁 と号 したほ どの談林 俳諧 師 が「 お らん だ西鶴」 と罵 しられた この言葉 の 中 に,す で に合 まれ て い る反伝統的思考 と大阪町人 の 自己拡充的 バ イタ リテ ィーの質 的1云 換 を計 らん とした こ とに囚 るもの で あろ う。 ともあれ , ここに あ る 浮世草紙 的町人像 は ,天 和 の現実 に即 してみ た とき,そ れだ け に非 現実的人 間像 を大胆 に表 出 させ た もので あ り,天 和 の時点 にお いて 肯定 さるべ き肖像 で はなか った と考 え られ る。 しか らば,な にゆえ に西鶴 はかか る非 現実的人 間像 を描写 した の で あろ うか。 “ 世 之介 "を もって ,町 人的 可能性 の極 限 を求 めて描 いた とい う こ とは,明 らか にかれ の もつ 批判的精神 (反 体制的倫 理 )が その奥底 にな けれ ばな らな いので ある。 『 一代男』 の構 想そ の ものがそれ 自体 そのままに 現実 批判 で あ るといえ るで あろ うが,実 は, これ は光悦 においてわれわれが す で に看 て きた と ころの批判性 ,そ して紹益 によ って よ り鮮 明 にされ た反体 制的 ・批 判的精神 (営 利追求 と奢修 の認容 )と 同質 同系 の ものが,西 鶴 を し てかれ らの延長線 上 にあえて立 た しめた もので あろ う。 “陛之介 "的 世界 の,文 学的表現 の作法 が ど うで あろ うとも,つ まると ころそれ は都市 的感覚 の もつ 反体 制的倫 理 の再確認 で あ り総決算 とい うべ きで あろ う。 さて ,西 鶴 が天和 の現実 に目を転 じた とき 『永代蔵』 的人 間像 が描写 され た ので あるが,そ こで は,こ の現実 は非 道 の人 の住む と ころ として ,外 面 的 べ “偽 り"の 世界 にはま り込 まぬ生 き方 を一方 において教 えて い る。 注意す.

(14) 久. 傑. 田. エ. 勉. =イ. きは,「 智恵」 と「 才覚」をもつ賢明な処世術が要請 され る競争経済的現実 ではあぅたが,そ の背後 に “それ 自体 が実践 の 目的"と さるべ き広義の義理. :. 世之介"を 美 (道 )の 自覚 が流れているとい うことである。かつ て西鶴 は “. の擁護者 として描き,物 質的・打算的世界を超えたところに心情の美 しさを 世之介"的 生き方の行 描き出していたが,さ らに進んで『好色■代男』は “ :. 詰 り,こ 反省を加えつつも,金 銭を超えたところに「 まことごころJの 発霧す る ことを把握 している。 『好色五人女』. (と. くに 10405巻. )に おいて も 1. これはいい得 ることだと思 う。「 ま ことごころ」の悲劇性を通 じて「 ま こと ごころ」を人間的至上価値 として 自覚 しているのである。町人 の経済社会を 通 して新 しい人間の哀歓 を活写 したかれの筆致 のなかに倫理 的翠念 として の. ・ 「 まことごころJを 提えている│と をわれわれは見落しえない。これは屎体 市J的 思 者 の 系譜 か ら捉 え られた倫 理 的. ・理 的表現 で あ ると,ヽ え よ うo 傘. 世 之介 "は ,天 和 の地上 に住 めぬ可想人 と 一一非 現実的人 間像 として の “ して ,可 想 の世界 へ と移 されて い った。 この可想人 を現実人 として許容で き な か った程 に幕府権 力 , したが って 自然経済 的論 理 (禁 欲 的倫 理 )の 支配 は 強力 で あ った ろ うし,都 市 的論理 の もつ 反禁欲的志 向 は経済 の実態 にもそ ぐ〔 わ なか った ので あろ う。迎合 を知 らぬ 商業資本 の思 想 は逃避 す るよ り他 に途 ヽ. を知 らぬ程 のものであろうし,や がては 自ら挫折 し消え去る運命の もので し .. かなかったの であろう。 さきの紹益 もまた 『つれづれ草』 の言葉を借 りて. ゝ らたよぅでぁる 「古き世」への憧れの想いを述べざるをえなも. 1)。. しか し,わ れわれ に とって大事 な事 柄 は,反 禁欲的倫 理観 の系譜 は,理 念 的表現 として「 ま こ と ごころ」 を提 えて いた とい うこ とで ある。倫理 的理念 へ のパ トス的側面 か らの深化 は,そ こに「 ま こ と ごころ」 を発見 してい た と い う こ とで ある。. さそ,「 大江戸」 の出現 0参 期交代需Jの 成立は,鳥 部市場 か ら全国市場形 とを進めてい ったあでぁるが,武 士 成 人 としヽう競争的現実 をもた らし,飽 和イ は武力的勝利者 であ り道義的勝利者 として 自らを彩色 したものの天下 の大平. 1)『 に ぎはひ草 』p.130. ゝ │.

(15) 142. 義理観念の一背景 υ ). とともに実際 は無用化 し,生 活 の弛緩 を進 めてい くとき,緊 張 の度 を加 えて い った のは町人 の世界 で あ った。競争的現実 において “ 才覚 "を め ぐらした 分限者 の輩 出は,多 く論 ぜ られ て きたよ うに,金 銀 の威 勢 によ り武士 階級 を 抑制 しつつ あ った し,同 時 に町人的 自覚 の価値化 も相 当に表 明 されて きて い 身分 "相 応 か ら “ 財 た。 た しか に 消費調整 の基準 は, 大局的 にみれば, “ 力 "相 応 へ と変 じつつ あった。 町人 の文 化創造力 も このエ ネル ギー の もた ら した もので あろ うが , 自然経済的論 理 によって 導 かれ た道 徳意識 (分 限意 識 )は ,当 時 の町人 的思惟 を していわゆ る新 しい近 代 道徳 の 出発点 に立 た し め る こ とを阻んだ よ うで あ る。 町人 の世界 を活力 ある筆 で描 いた西鶴 におい て も,現 実 に生 きる町人独得 の 倫 理思想 は 表面切 って語 られ る こ と少 な く 「 武士 の生態 を描 く場合 にはその義理 の感 覚 が 中心課題 にな ってい るが,町 1)」. 人 の場合 はた ゞ利発 さ Klugheitだ けが 問題 とされて い るので ある. と観. られ てい る し,西 鶴 の描写 した町人 の姿 には「 町人独得 の生 き方 を説 いてい るとはいえ るが, しか しそれ は主 として商業活動 に即 した賢 いや り方 を教 へ て い るので あ って , 町人 の人 として の 行為 の仕方 を 論 じてい るとはいえな い。 町 人 の 間 には当時 ど うい う道徳意識 があ ったかは,こ れ とは別 問題 だ と 2)」. い わねばな らな い. として 「 町人 の賢 いや り方 が人 々の意識 にのぼ ってい. た丁度 その 頃 に,道 徳思 想 と しては古風 な主 従 関係 の道 徳 が,町 人 の 間 に澁 っていた とい う こ とも認 めな くてはな らな い。 これ は実 際 に案 外 な ほ ど顕著 3)」. な 事実 で あ る. とぃ ゎれ てい る。 な るほ ど町人 の生活 の仕方 がその まま道. 賢 いや り方 " 徳 の原 理 を物語 るもので はな いで あろ う。 われ われ はすで に “ とは別 に,反 体制 的倫 理観 の系譜 と しての理 念 的表現形式 た る「 ま こ と ごこ ろ」 を一 瞥 してお いた。 しか し文芸 的描 写 の上で ,明 らか に 町人 の新 しい現 実 に即 した道徳意識 (「 義理 」 )が よ り多 く表現 され て くるのは,町 人作家 西鶴 よ りもかえ って武家 出身 といわれて い る近松 が描 く封建 悲劇 の世界 で あ. 1)和 辻哲郎,『 日本倫理思想史』下巻。p.592。 2)和 辻哲郎,『 日本倫理思想史』下巻。 594。 3)和 辻哲郎,『 日本倫理思想史』下巻。p.595。 p。.

(16) 久 保. 田. 勉. =43. ろ う。 そ こに現 われ る人 物描写 の尺度 は,決 して利福 を究極 の原 理 とす るよ うな もので はな い。 しか し,「 古風 な主 従 関係 の道徳 が張 って いた」 とい う こ とが,新 しい現 実 に即 した道徳意識 を形成 していた とすれば, われわれ の 傾1か ら考 え ると き,こ れ はどのよ うに検証 しうるもので あ るか。. 4 反体制 的倫理 の系譜 を “ 世 之介 "と い う非 現実 的人 間像 のなか にみて きた ので あるが,経 済 の実相 は競争経 済 の もとに生 きる『 永代蔵』 的人 間像 をそ こに要請 していた し,悧 議な処世術 もそ こにあ ったけれ ど も,同 時 に町人 的 自覚 の価値化進行 の姿 もそ こにあ った ので あ る。 しか も,わ れわれ は反体 llI 的倫 理 の系譜 か ら くる理念 的表現形式 として の「 ま こ と ごころ」 の把握 もあ った こ とを観 ていた。 それで は,ど の よ うな事情 が新 しい町人 の道徳観念 (「 義 理 J)の 形成 因 とな った もので あろ うか。 この形成 因 が観 られ ると ころ,「 義理 J観 念成立 の 時点 を同時 に予 想 しうるで あろ う。 近松 がいわゆ る 「 世 話物」 24篇 を書 きあ げ たのは, 周知 の ごと く,1703 (元 禄十六年 )の 『 曽根 崎心 中』 か ら1721(享 保六年 )の Dい 中宵庚 申』 に. いた るまでの,か れ の後半生 に属す る18年 の間 で あ った。 この時期前後 は. ,. か つ て西鶴 が直視 した全 国市場 開拓 の競争経済 的現実 か ら,す で に発展 の飽 享果 和期 に達 し,表 面化 した蓄積資本 の食 い込 み現象す らあ って,た だ ちに “ の改革 "を まつ 時節 で あ り,町 人 の世界 に もかつ て経 験 した よ うな活力 が う すれ てゆ く時期 に当 って い る。 したが って,蓄 積資本維持 の欲望 は,漸 次形 成 され つつ あ った特権化 の道 を ます ます安定強固 にす る必要 と急 ぐ必要 を生 じていたので あ る。 商業資本 の もつ二 重姿態 は,こ のよ うに一段 と幕藩体 告I との迎合面 を明 らか に示 して く るので あ るが, また一方 , 儒 学 の思 想展 開 は体 制的倫理 の側 か ら 反禁欲的倫 理 許容 の道 を用意 していた とも 考 え られ.

(17) 義理観念 の一背景 υ. ,コ. ). `」. る. 1)。. ともあれ ,封 建体制的論 理 との 出会 いの経済的必然性 を道徳 の面 か ら考 え る と,反 禁欲 的思 考 の側 か らすれ ば体制 的倫 理 へ の積極 的迎合 で ある。「 古 ´ 風 な封建 的主従 の道 徳」 の受 入 れを積極 的な らしめた現実 がそ こに存在 して ,い. たので ある。 この よ うな新 しい現実 に直面 してそ こに芽生 えん とす る新興. の 道徳意識 は,概 して一 般 的 に,伝 統 的 イデ オ ロギーの外皮 を,そ の過程 に おいて採用す る必 要 を有す るもので ある。 この よ うな事情 が採用 せ しめん と した古 い イデオ ロギー とは何で あろ うか。 これ は「 古風 な封建 的主従 の道徳 が 渋 っていた」 といわれ るその道徳 の核 心 を問 う こ とにほかな らな い。 さて,主 従 関係 の道徳 の うち もっとも基本 的地位を与 え られ るものは何 で 、 あろ うか。封建 的 に規定 され た主従 関係 を支 え る道 徳意識 には,「 施恩」 「 報恩」 ,「 忠」 ,「 奉公」,「 体面」 の意識 か ら「 献身」,「 分」 の意識 そ して「 倹約」 な どと,多. ,. ,. くを挙 げ る こ とがで きる。 ここに は,直 接 に主 従. 関 係 を支 えて これ を成立せ じめて い る もの とそ うでない もの とが考 え られ る ´ が ,前 者 を基礎 的意識 と呼ぶな ら,「 恩」や「 忠」 が この意識 に入 るで あろ うし,後 者 を派生 的意識 と呼ぶな らば,基 礎的意識 を完全 に果 す手段 と して 「 体面 」,「 分」 な どの意識 が この系列 に納 まるで あろ う。 しか も. :要 求 され る. 当時 は,武 士 階級 の主従 関係 に準 じてあ らゆ る階級 と階層 が枠 づ け られ固定 化 されていた こ とか ら,こ れ らの主 従 的関係 はその準用 を うけ て,ふ たつ の 意識 の型 態 が及 んでいた こ とは明 らかで あ る。 そ して,基 礎 的意識 の うち主 1従. 先 "と 観 られ 関係意識 の契機 か らして も論理 的 に, もっとも一次 的 に, “. うるの は「 恩」 の意識 で あろ う。 もちろん,こ の「 恩」 は武 教 的 に彩色 され た「 恩」 の意識 で あ る。 か くて,古 風 な封建 主従 の道徳 の核 心 とは圭」建体制 倫 理 と しての「 恩」 で ある。 ユ)儒 教 倫 理 の 当為性 を 強調 した仁斎 が 「荀 も礼義 の以 て之 を裁 く有 れ ば, 情 は即 ち 是 れ 道 ,欲 は即 ち是 れ 義 ,何 の悪 しき こ とか之 有 らん」 (『 童子 間巻之 中』)と い う と き,情 欲 に対 す る寛容 さが見 出 され る。素行 において も同様 の こ とが いえ る。いわ く「人特 の情欲 は各 々己むを得 ざるな り。 気栗形質 な けれ ば情欲発 すべ き無 し。. l先 儒 無欲を以 て之 を論ず。夫 れ差謬 の甚 しきな り」 (『 山鹿語類 』巻 三 十三 )と 。│.

(18) 久 保. 田. 勉. 14伊. と ころで,「 侍 の子 は侍 が育 てて,武 士 の道 を教 え るゆゑ に武士 と成 り,I 町人 の子 は町人 の親 が 育 てて商売 の道を教 ゆ るゅゑ に商人 と成 る。侍 は利徳. .. を捨 てて名 を求 め,町 人 は名 を捨 てて利徳 を取 り金銀 をた め る。是 が道 と申 1)。. す もの. 」とい う言 葉 は,武 士 の道 を示 し,町 人 の道 を示す と同時 に人 間平. 等観 を率 直 に表現 してい る。「 それ人 間 の一心万人 ともに替 れ る事 な し。長 創 させ ば ,武 壬 ,烏 帽子 をかづ けば神主。黒衣 を着 すれ ば 出家 ,鍬 を握 れば 古 姓手斧 つ かひて職人十露盤 を きて商人 をあ らはせ り……J2)と ぃ ぅもまた. 同 じく「 一心」 た人 間.的 本質を求 めている。「 侍 とても貴か らず,町 人 とで 3)と. 賤 しか らず,豊 Jヽ もあぬ とあ面上ら……」. ぃ ぅも,他 にも例 は多 いが. ,. 人間平等 の認識 である。西鶴 ・近松 の文芸を通観す るとき, この後天性 の背 後 にある人 間的特質は,前 者 において「 ま ことごころ」であ った し,後 者 に あって「 なさけ ごころ」である,と 倫理 的 ・理念 的な表現をもって示す こと 4),. ができるであろう。「まこと」も「なさけ」も. その淵源は人の「道」と. い うべ きもので あ り,こ れ は別 の云 い方 をすれ ば条理 と しての義理 で あ ると い え るだ ろ う。 もちろん, これ は決 して封建倫 理意 識 と しての「 義理 」 で は _. 1) 『 山崎与次兵衛寿 の門松』 (岩 波・ 日本古典文学大系 04) 2) 『武家義理物語』 (朝 日新聞社版・ 日本苦典仝書 ) │ │ 3) 『夕霧阿波鳴渡』 (岩 波・ 日本古典文学大系 ,49) 4)近 松 の作品を「義理」・「人情」 とい う対応概念 で捉 えてい くことは 一般 的な こと か も知れな いが,『 なにわみやげ』〃発端 〃 にみるかぎり, 近松は「 人情Jと しヽ う語を用 いてお らな い し,近 松 の全作品を通観 したところで も対応概念 としてのヽ. 1. 「人情Jは 絶無とい ってよい。む しろ,「 義理」の対応概念は「 情」 (な さけ)と 思われ る。「情」 はそのまま「 人情Jに ゃ きなみ得 なr特 有 の内容を持 ってい ぅ。 だか ら,近 松 では「義理」に「人情Jを 対応 させず とも悲劇構成 に 事欠 かなか っ、 たか も知れな い。 いま, ここに詳論を尽 し得 ないが,「 な さけ」は 「 こころ」 と って も良 いだ ろ う。 ミ 浄瑠璃作法ミ に照 らしたとき「な さけJは 人間精神 の根 つ 底 的把握 の法 であ り,か 個別的・主観的側面か ら万物 に 「 精」 を もたらせ る法. tい `′. :. であるゆえ,類 型的概念 │Lも. (「. 人情」)で はな く,,個 別 のなかに特殊 に定在 してい く. の│ したが って根源的には普遍的条理 としてあ 「 道」 あるいは義理 と同質 の な. のとい って もよいであろ う。 ただ儒学的系譜か ら産出され た理念化 でない事 は強. I.

(19) ゴ46. 義理観念の一背景 υ ). な い。 とすれ ば,歴 史的 0社 会 的 ・現実的規定 を うけた義理 (人 の「 道」) の 特殊 的表現形式 と して,「 名」 は武士 の道 ,「 利」 は町人 の 道で あ る。 「 名」 を尊 び,「 利」 を重 んず る に して も, 根源的 な人 の 「 道 Jに 照 らせ べ きもので はな 4ぎ ,両 者 ともに「 道」 た る「 な さけ」 ,「 ま こ と」 を失 な う か った。 この こ とは両 人 が理念 と して の武士 ,町 人 のあ り方 を求 めた態 度 に おいて明 らか で あ る。 武士 は「 公」 にむか う義理 と して「 名」 を重 ん じ,町 人 は「 私」 に働 ら く義理 として「 利」 を求 めん と した。 しか し,人 倫 的理 想 のあ りかを「 ま こ と」 と「 名」 の調和融合 ,「 な さけ」 と「 利」 の融即 に求 めた もの として,両 者 の倫 理 観 を述 べ る こ とがで きるで あろ う。 人 間的本質 の町人 的思惟 は,か くて,「 な さけ」 の倫 理 を打 ち出 したので あ る が ,「 ま こ と」 といい「 ま こ と」 とい う義 理 の 出所系列 は,「 都市 的感 覚 」 に淵源す る反 体制 的論 理で あ り,そ して ,そ れ は ここか ら出 て くる反禁 欲性 の理 念的表現形式 で あ る。 しか し,元 禄 ・享保 の現実的時点 に立 った と き,蓄 積資本維持 の要請 は,体 制倫 理 の 出所 た る幕 藩権力 と商業資本 の結托 を促 して いたので あ った。 か くて 義理 は現実 の道 徳 と して機能 す るにあた っ て封建 主従道徳 の イデオ ロギ ー を外皮 と して要請 す るに至 っていた。 しか る 1に. ,封 建 主従 道徳 の基 礎意識 は「 恩」 で あ った。義理 は封建 的 に彩色 され た. この「 恩」 と結 びつ くこ とによって Sitteと して の「 義理 」 を形成 せ じめた と考 え る次 第 で あ る。 利 己的営利追求 を 旨 とす る「 都市 的感覚」 か ら くる論 理 とは異質 の ,「 恩」 とい う本来 の武教的主従 道徳 に適 応 す る こ とを抜 きに して ,町 人 の道 が許容 され得 ない現実 が厳然 と して いたので あ るD今 や 町人 の道 はか くの ご とき「 古風 な封建 主従 の道徳」 を必要 とした。 商人 の道 は商 業 経済社会 にお け る前期資本主義 の エー トスで あ る。 しか し商業資本主義 が あえ て異質 な る体制論 理 と共存 せ ざるを得 ない と ころ,商 業資本 の思 想が も つ 寄 生 的性格 が うか がえ る次第 で あ る。 反体制倫 理 観 か ら滲み 出て きた町人 的 自覚 の価値化 は,「 な さけJを 積極的 に人 間 自然 の愛情 としての「 人情」 と して肯定 し,そ して この 自愛 と他愛 の讃美歌 を文学 を通 じて ,わ れわれ は :観. る こ とがで きるので あるが ,「 義理 」 の 自覚 は美 しい哀 しみ にみ ちた文学.

(20) 久 保. 田. 勉. ヱど7. の 世界 を 自ら形成 せ ざるを得 なか った ので あろ う。 ―一 以上 の ご と く,「 義理 」観念成立 の背景 につ いて,商 業資本 の思 想が もつ二 面性 を出発点 として,ま ず本阿弥光悦 にそれ を もとめ,そ の系譜 を佐 野 紹益 ,西 鶴 とい う反禁欲的生 き方是認 の流れ のなか に概観 して きた。 そ し て この流れ の 中 で把 え られた普遍的道義 あ るいは条 理 として の義理 た る「 ま こ と」 0「 な さ け」 ごころを倫理 的表現形式 としてみ た。 一 方 ,経 済 的現実 が 体制 的思 想 との結合 を余 儀 な くした とき,こ れ は倫理思 想的 には封建倫 理 た る「 恩」 と義理 との 結合 を意味す る こ と で あ った。 この筋 を われわれ は 「 義理 」観念成立 の一 背景 としてみ たので あ る。 われわれ は,更 に進 んで こ の よ うな系譜 とは別 の,体 制倫 理展 開 の線 に沿 うて観念成立 の背景 を伺 って み たい と思 って い る。.

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