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西日本豪雨災害被災地調査報告と今後の課題

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Academic year: 2021

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はじめに

本稿では, 2011 年に教員有志によって結成された 日本福祉大学 防災研究会 によって 2019 年 2 月に行われた 「西日本豪雨災害」 被災地の視察調査報告及びそこから導き出された知 見をもとに, 災害時における犠牲者を出さない防災の在り方について考察する. 研究会メンバー である今回の視察調査参加者は, 健康科学部教授大場和久, 元子ども発達学部教授 (現放送大学 客員教授) 磯部作, 元子ども発達学部教授 (現福祉経営学部非常勤講師) 生江明, そして著者の 4 名である. 今回, 磯部作は, 自宅のある岡山市ばかりでなく, 倉敷市, 総社市などを災害直後 から岡山県内の各地を幾度となく調査に入り, 高梁川や小田川の上流部から下流までの災害状況 をつぶさに調べ, 我々の今回の調査を導いた2. 今回の調査では, 岡山では倉敷市真備町, 総社市下原地区の洪水被災地, 広島では広島市, 呉 〈調査報告論文〉

西日本豪雨災害被災地調査報告

1

と今後の課題

吉田

直美

要 約 繰り返される大規模な自然災害の発生を経験する中で, 近年, 気象庁も各自治体も非常事態の備 えを進めている. しかし, 犠牲者は後を絶たず, 情報の提供だけでは住民の避難行動に結びついて いないという現実がある. 今回, 日本福祉大学防災研究会のメンバーで, 2018 年7月に発生した 「西日本豪雨災害被災地 (岡山・広島)」 を, 発災 8 か月後となる 2019 年 2 月末に訪れ, 被災地で の対応をされていた自治体職員・自主防災組織役員の方へのインタビュー及び視察調査を行った. 本稿においては, ①被災地の被害状況を, 特に犠牲者が多くでた地域の地形の特徴や, 気象庁の発 表した 「大雨特別警報」 からはじまった県と自治地帯の時系列的な動き (災害避難対策本部設置・ 避難情報の発令時間) の振り返り, ②インタビュー及び視察調査, の2つから導き出された知見を もとに, 災害時における犠牲者を出さない防災の在り方について考察した. キーワード:災害, 避難情報, 住民間の情報共有 1 日本福祉大学学内助成 (共同研究会育成支援) を受けて行われた. 2 磯部作, 「予知され, 防げたはずの西日本豪雨災害−ダムの放流問題を中心に」, 人権 21・調査と研 究 2019・2 月号

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市, 安芸郡熊野町の激甚な土砂崩れ被災地の視察およびインタビュー調査を行った. 被災から 9 か月たった今も, 被災した家々に人の姿は殆んど見えない. 聴き取りが出来たのは, 受けた被害 が比較的軽微で, 原住地での暮らしが可能な方たちであった. わずか二泊三日の調査行であったが, 災害の渦中において, ひとびとは, また自治体行政は, 事前デザインの防災行動が, 残念なことにほとんど無力であったことを示すものであった. それ だけ, 今回の災害は過去の災害レベルを超えるものであったとも言えよう. この 4 名の専門領域は, 情報工学, 地理学, 政治学, 社会福祉学と異なる 4 分野である. これ らの専門を縦軸とするなら, 災害は多様な観点の総合を不可欠のものとする横軸に位置する. 今 回の調査においても, 我々が直面したのは, 大雨災害という自然現象が, 多くの犠牲者を出した という社会現象を捉えることの難しさである. 岡山・広島の被災地には共通点がある. それは, 明治あるいは戦前の古い地図と, 現在の地図を比較するとき明らかになる. かつて人が住んでい なかった場所 (河川氾濫域や急傾斜地) に, 高度成長期の都市への人口集中が急速度に進んでい くとともに, 住宅地として開発された地域である. 川には堤防が築かれ, 沢には砂防ダムが幾重にも作られ, それらに守られるようにして家々が 増えた. 江戸時代など古い時代から住んでいた人たちに, これまで伝えられてきた自然災害の記 憶は, この 70 年ほどの間に新たに住むようになった人々にとっては, 極めて薄いか, 巨大な堤 防や砂防ダムへの信頼の前では, 説得力は無意味に見えた可能性がある. 災害を捉えるには防災あるいは災害と対するとき我々が直面するのは, 災害が起きて初めて, 我々の日常がどのような前提の上に組み立てられているのかを目の当たりにすることである. ど れほど大雨が降っても堤防の高さを越えないならば, 何事もなくいつもの日常に変わりはない. しかし, ひとたび災害が起きた時, 私たちはこの日常に前提条件があったことに気づく. 自然の 猛威は, その前提条件を守る義理も理由もなく, 一気に人々を襲う, それが災害である. 今回の被災地の共通点は, 気象庁が異例の記者会見を開き, 警鐘を鳴らされた地域であったこ とである. しかし, 気象庁から いままでに経験したことのない大雨 という警報3が出た時, ひとは自分の経験のどこを 越える 事態を思い浮かべればよいのだろう. 想定を大幅に上回る 水位の上昇が現実に発生するのであるなら, 「堤防があるから安心だ!」 という前提を捨てねば ならない. 堤防にはこれまでの経験上最大限の水量増加を基にした堤防の規模想定がある. 今回 の特別警報は, その想定を凌駕するものという警報ならば, どこが危ないのか, 県市町村は把握 していたのだろうか. あるいはそこに暮らす人々自身はどうであったのか. これまでの日常を支 える前提となっていたことは, 脆くも崩れたのだ. 3 2012 年 7 月 12 日に気象庁予報部が発表したひとびとに注意喚起を求める表現として登場した. これ 以後, 多くの激甚災害の前に特別警報発表の際に使われている. 気象庁の 「経験したことのない大雨 そ の 時 ど う す る ? 」 と い う ワ ー ク シ ョ ッ プ ・ マ ニ ュ ア ル が あ る . http://www.jma.go.jp/jma/ kishou/know/jma-ws/ を参照のこと.

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あるいは, 自治体の災害対策本部が各支所からの随時変化する状況報告を受けて, 地域全体状 況を掌握し, そして統括するという, 災害に直面する体制・システムが, もしこれまでの経験か ら得た防災デザインであったとするなら, いままでに経験したことのない大雨 警報を受けた 時, そのデザインのどこに弱点・落とし穴があると考える必要があったのだろうか. 災害が生起 する現場の混乱の中で, そして錯綜する情報の飛び交う中で, 私たちは多くの課題を認識するこ とになった. 各地の自治体は避難所の開設を行い, 非常事態に備えたが, 住民の多くは避難を開始せぬまま であった. 不幸にして犠牲者となった人々が, なぜ逃げ遅れたのか. この点に関し, 今回の調査 では貴重な認識を現地の方たちから得ることが出来た. この共同研究会の役割は, 犠牲者を出さ ない防災の在り方を検討することである. 筆者が検討した事例4においても, こうした警報への 対処が, 住民や人々の避難に結びつかなかった. 命に関わる私たちの課題は山積していく. 今回 の調査を, 調査のための調査でなく, 犠牲者を出さないための調査とするために, この報告書を 作成したことを, 我々防災研究会自身が肝に銘じたい. (本稿では, 末尾第 4 章に調査参加者である研究会メンバーの調査所見を付け加えた. それぞれ 異なる分野からの視点であり, 今後研究会内外で検討する予定である.)

西日本豪雨災害= 「平成 30 年 7 月豪雨」

平成 30 年 (2018 年) 6 月末から 7 月初旬にかけて, 台風 7 号と梅雨前線により西日本を中心 に記録的な大雨が続き, 7 月 6 日から 8 日にかけ, 長崎・福岡・佐賀・広島・岡山・鳥取・京都・ 兵庫・岐阜・高知・愛媛の 11 の府県に 「大雨特別警報」 が気象庁から発表された. 本稿 「はじ めに」 で触れた, 「これまで経験したことのない大雨」 という豪雨は, 西日本を中心とする多く の地域に, 河川の氾濫や洪水, 土砂災害をもたらし, 死者 224 名, 行方不明 8 名という深刻な被 害をもたらした. 気象庁はこの大規模な大雨災害に対し 「平成 30 年 7 月豪雨」 と命名した (マ スコミはそれ以前から 「西日本豪雨災害」 と呼んでいる). 広範囲に被害が及び, 死者・行方不明者は広島県の 114 名, 岡山県 63 名, 愛媛県 19 名など全 国で死者 224 名, 行方不明者 8 名, 負傷者 459 名, 全壊家屋 6,758 棟, 半壊家屋 10,878 棟, 床 上浸水 8,567 棟, 床下浸水 21,913 棟などとなった (平成 30 年 11 月 6 日現在, 平成 30 年度消防 白書より). 広島県の被害は, 県内 8,000 ヵ所以上の土砂崩れ・斜面崩壊が主で, 岡山県は, 主に堤防決壊・ 4 吉田直美, 「ドウシテダレモタスケラレナカッタノカ?」 日本福祉大学経済論集 (第 54 号) 31-61, 2017 年 3 月

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溢水などの洪水が主であった. 愛媛県は土砂崩れと洪水によって多くの死者・行方不明者が出た. 災害後の避難生活の中で災害関連死と認められた犠牲者は, 2019 年 5 月 6 日現在で, 広島県 24 人, 岡山県 18 人, 愛媛県 5 人などとなっている. 2016 年 4 月 14 日に発生した熊本地震では, 地震発生後半年で, 110 人の犠牲者のうち, 半数を災害関連死が占めたが, これに迫るものであ る.

1. 岡山県と 「平成 30 年 7 月豪雨」

―倉敷市真備町は, 南流する一級河川の高梁川に東流する支流の小田川が合流する地点に位置す る. 真備町の中心部は河川の氾濫原であり, 近代以後でも明治 26 (1893) 年の 大水害をはじ め, 1972 年や 1976 年などに水害に見舞われている. 西日本豪雨では小田川とその支流である 高馬川, 末政川, 真谷川の堤防が8カ所で決壊しており, 末政川などの陸間からの越流もあ り, 真備町全体の 27%にあたる約 1,200㌶が浸水し, 約 4,600 戸が浸水被害を受けた. 堤防決 壊付近では, 濁流により家屋が破壊されてお り, 浸水は深い所で水深 5・8mにも達し, 住宅 の二階までも水没した. このため, 多くの住民が二階の屋根に避難して救出されたが, 障害を もった高齢者を中心に 51 人もの死者があった. ― 磯部作 「岡山県における西日本豪雨災害の状況と課題」, 住民と自治 2018.11 月号 −1. 岡山県被害概況―倉敷市真備町を中心に 平成 30 年 7 月豪雨は, 県内の 27 全市町村に被害を与えた. 倉敷市真備町だけではなく, 岡山 市東区, あるいは真備町の西に位置する小田郡矢掛町, 真備町の上流に位置する総社市, 高梁市 などでも河川堤防が切れ氾濫が生じている. 我々に先行して現地調査を重ねていた防災研究会メンバーの磯部作は, 岡山市倉敷市などを流 れるいくつもの水系ごとに調査を重ね, 今回の河川氾濫に各水系の上流域にあるダムの緊急放流 が影響している可能性を指摘している5. 通常の降雨による水量の増加だけでなく, 7 月 6 日夜 8 時過ぎから, 高梁川上流にある新成羽川ダムなど 4 つのダムで予備放流なしに行われた緊急放流 による水位の急上昇が, 下流域でおきた氾濫と強い関連性を持っているという指摘である. 似た 事例は, 今回の豪雨で, 西予市や大洲市に氾濫を起こした愛媛県肱川水系の野村ダム, 狩野川ダ ムの緊急放流においても見ることが出来る6. この豪雨それ自体は自然現象であるが, ダム放流も含めた水系全体の流量コントロールに問題 がなかったか, あるいは, 緊急放流情報を下流域市町村に通報する手段 (一般回線は混雑, ファッ クスも同じ回線を使用している故に) が万全であったかなど, 筆者が岩手県岩泉町大雨災害の事 5 磯部作共著, 豪雨災害と自治体 防災・減災を考える 大阪自治体問題研究所, 2019 6 磯部作, 「岡山県における 西日本豪雨災害の状況と課題」, 住民と自治 2018.11 月号

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例で検討した7ことと同様の問題がなかったか, 今後の検証が待たれる8. その理由は, 河川氾濫の犠牲者が, 高梁川と小田川の合流部周辺に出ていることが, 避難の緊 急性を判断する情報が欠落する中で, 住民の避難が大きく遅れたものと推測できるからである. 県内の人的被害状況は, 全体で 63 名の犠牲者が出たが, その内, 倉敷市真備町が 51名とそ の大半を占め, さらに, この内 42 名が 「災害時要支援者」 に登録されていた方々であった. 真 備町犠牲者の遺体発見場所は, 8 名が屋外で, 残り 43 名は家屋内であったが, 二階で発見され たのは 1 名のみ, 21 名は平屋建ての一階で, そして 21 名は二階建ての一階であったという (2019 年 8 月 5 日朝日新聞). 逃げ遅れた人々の大半 (82%余) が 「災害時要支援者」 であった ことは, この支援制度が有効に機能していなかったことを示している. そして, 自力で二階に上 がれなかった人々が 21 名を数えたことは無念である. 実はこのことが, 今回の調査を行う一番 の動機であった. また, 真備町犠牲者の約 8 割が 70 歳以上であった10ことは, 「災害時要支援者」, 特に災害時の 高齢者避難のあり方を問い直す必要があることを意味する. 2018 年 7 月 5 日から 7 日までの豪雨の中の行政の動きを, 以下に時系列で整理した. 図1. 岡山県倉敷市真備町と氾濫河川9 7 脚注 3 に同じ. 8 産経新聞の報道 (2018 年 8 月 7 日) によれば, 7 月 6 日午後 10 時から 24 時間で, 2500 件以上の 119 番コールが殺到した. 通常は一日 100 件程度であるという. コールの受付体制は 20 人と通常の 3 倍 で対応したが, 電話は鳴り続けたという. 9 岡山県における 河川災害の概要 (水工学委員会平成 30 年西日本豪雨災害調査報告 岡山大学 前野詩 朗) より転載 http://committees.jsce.or.jp/report/system/files/maeno.pdf 10 国土交通省 https//www.mlit.go.jp/hazard_risk. によれば, 70 代 20 名, 80 代 18 名, 90 代 3 名. 他に 10 歳未満 1 名, 20 代 1 名, 40 代 3 名, 50 代 1 名, 60 代 4 名である.

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上記表から, 7 月 6 日深夜から翌日の未明にかけ, 倉敷市とその周辺地域に緊迫した状況が進 行している状況が看取される. そこからは, 各地の災害対策本部設置や避難関係の発令は以下の ようにまとめられる. 表 1 西日本豪雨下の岡山県及び自治体の動き一覧 岡山県 倉敷市 総社市 その他 5 日 7 時 12 分 注意体制 5 日 14 時 19 分 警戒体制 同 19 時 特別警戒体制 同 21 時 28 分 早島町災害対策本部 設置 同 23 時 災害対策本部設置 6 日 9 時 45 分 災害対策本部設置 同 16 時 30 分 非常体制=災害対策 本部設置 6 日 17 時 30 分 市全域避難勧告 6 日 20 時 矢掛町災害対策本部 設置 6 日 21 時 50 分 小田川氾濫警戒情報 6 日 22 時 真備地区全域に避難 勧告 6 日 22 時 20 分 小田川氾濫危険情報 6 日 22 時 15 分 市内全域避難指示 6 日 22 時 40 分 倉敷市大雨特別警報 6 日 23 時半 総社市下原, 朝日ア ルミ爆発 6 日 23 時 45 分 真備地区・小田川南 側に避難指示 (倉敷 市小田川の水位上昇 により) 6 日 23 時 49 分 小田川支流の高馬川 堤防決壊 7 日 0 時 30 分 小田川氾濫発生情報 7 日 1 時 30 分 倉敷市真備地区・小 田川北側に緊急避難 指示 (「高馬川の堤 防が越水」 「 小田川 の水が北側に流れ込 んでいる」 「高台に 避難!」

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この流れを見ると, 倉敷市においては, 6 日午前 11 時半に, 市内全域の山沿いの地区に土砂 災害を警戒12して, 「避難準備・高齢者等避難開始」 が発令されたが, その他の地域 (特に今回最 も大きな被害が出た川沿い平坦地である真備地区) には, 結局この指示は発令されることなく, 突如 6 日午後 10 時に真備町全域に 「避難勧告」 が発令され, さらに 6 日午後 11 時 45 分に小田 川南側に 「避難指示 (緊急)」, 翌 7 日深夜 1 時 30 分に小田川北側に 「避難指示 (緊急)」 が発令 された. 洪水氾濫の可能性が急速に増し, 倉敷市災害対策本部がその変化に対応しきれなかった 可能性が見えてくる. 磯部が上記論文で指摘する, 高梁川水系の緊急放流との関連が問われる点 である. 結局, 真備町では, 小田川で 2 か所, 支流の高馬川で 2 か所, 同じく支流の末政川で 3 か所, 同真谷川で 1 か所の決壊が確認された. 表 2 災害対策本部設置時間および避難勧告等発令時間11 早島町 倉敷市 総社市 岡山県 矢掛町 災害対策本部 5 日 21 時 28 分 5 日 23 時 6 日 9 時 45 分 6 日 16 時 30 分 6 日 20 時 避難準備・高齢 者等避難開始 6 日 11 時 30 分 山沿いの地区 小田川氾濫警戒 情報 6 日 21 時 50 分 避難勧告 6 日 22 時 真備地区全域 6 日 17 時 30 分 小田川氾濫危険 情報 6 日 22 時 20 分 避難指示 6 日 22 時 15 分 市内全域 大雨特別警報 6 日 22 時 40 分 避難指示 (緊急) 6 日 23 時 45 分 小田川南側 堤防決壊 6 日 23 時 49 分 小田川支流高馬 川決壊 7 日 0 時 30 分 小田川氾濫発生 情報 避難指示 (緊急) 7 日 01 時 30 分 小田川北側 11 国土交通省 (脚注 8), 日本地理学会調査団報告書などより筆者作成. 12 倉敷市広江では, 団地の裏山で土砂崩れが発生し, 20 棟余りが全半壊となった.

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1−2. 現地インタビュー調査 1−2−1. 倉敷市役所真備支所にて (2 月 26 日午前) インタビュー調査を受けてくださったのは, 地元出身であり, かつ災害時の真備支所災害対応 に携わった市職員である. 同氏からは平成 30 年 7 月豪雨災害の真備支所の災害対応の様子を中 心に以下, お聞きした. ……… 私が災害時に担った職務としては, 災害対策真備地区本部 (総務系・他との連携・電話対応, ・ 防災備蓄品の対応), 被災後では, 支所1階が浸水し孤立状況下の支所周辺被災者救出援助及び その保護, 体育館で支援物資の搬入搬出, 被災支所の復旧作業, 支所業務再開の準備が主なもの です. 直接携わった業務は限られており間接的に見聞きしたことや私的な思いが入り混じったも のも多く事実と異なる話もあるかも知れません. 〈避難所体制〉 (住民は避難所に避難できましたか?) 真備町が倉敷市と合併して 13 年がたちます. 真備町内には, 被災前2万3千人弱の住民が暮 らしていました. 7 月 6 日, 記録的な大雨により河川が決壊し大規模な洪水被害が発生した. 町 内3か所の小学校が避難所となり, 想定を超える 2,000 人以上の避難者が集まり混乱した状況と なりました. しかも備蓄が不足し (特に水とコップが), 町内で買い付けし補充するなど対応に 追われました. 真備支所の災害対策地区本部は, 警戒パトロール, 情報収集, 電話対応, 避難所対応に追われ た. 応援による職員増員もなされたが終始混乱した状況が続いた. 洪水による浸水間際には公用 車を高台へ逃がすべく脱出を試みた職員もいましたが, 支所が1階天井まで浸水した後は職員の 安否確認もできませんでした. 電話対応は避難に関する事が多かったです. また, 避難所近郊の渋滞から自家用車による避難 が多かったと思われる. これは, 夜間, 降雨, 遠方からの避難によることが要因と思われます. (今回指定された 3 か所の避難所は以前から住民に認知されていたでしょうか?) 古くからの小学校であり多くの住民に認知されていました. 結果からしてみると, 水没しない 安全な避難所という点では, この 3 か所 (岡田小学校, 薗小学校, 二万小学校13) は正解でした. 高台にある運動公園の体育館への避難ができるかとの問い合わせが多くありました, 体育館は避 難所でないが自主的な避難もあり多くの人が避難しました. (当初, 土砂災害危険個所であり避 13 倉敷市指定避難所資料によれば, 岡田小学校, 薗小学校, 二万小学校の屋内アリーナ収容人数は, 180 名, 180 名, 160 名, また屋外収容人員は, それぞれ 13,290 名, 7,660 名, 7,410 名となっている.

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難所開設はせず. 避難者が続々と集まったため, 職員を配置し避難所と同様の対応をする. 翌日 別の避難所へ移送し, その後体育館は支援物資の集積所となる.) (避難時の状況は?) 自家用車の避難が多く大渋滞が発生しました. 入りきれない人たちは別の避難所へ案内する対 応をしましたが, 終始混乱が発生していたように思います. (避難所の備蓄は?) 多くの方が避難したため, 支所の備蓄資材も枯渇する状況で, 飲料水補充要請を災害対策本部 へ行い, 直接本部対応もあったが, 支所から町内へ飲料水の買い出しに行き対応しました. (避難状況) 早目に市民に避難情報が入ったことはよかったと思います. しかし, これが行動に結び付くか どうかは, その方その方の判断だと思います. 早めに避難されている方は, 家庭に障害者や高齢 者がいる家庭でした. 足の悪いおばあちゃんがいるから早めに避難したので助かったとも聞いて います. 家族を思う気持ちから早く対応しなければと思うのでしょう. 地元の人間は, いろんな体験はしていますが, 今回のようにまさかそんなこと (ここまでひど くなるようなこと) はないだろうという思いはあったと思います. 小田川は西から東に流れてい ます. 自分は地元なので真備より西に雨が多いと危ないという感覚はありました. *真備町では西から東へ小田川が流れ, 小田川支流は北から南下して小田川に流れ込んでいる. 近年大きな災害は無く, 住民の危機意識も低下していたように感じます. 何か所も一度に支流 と小田川が決壊するのは想定外ですが, 個人的には, たぶん多くの住民も同様に, 決壊した洪水 は小田川の上流からと支流の上流の雨が浸水してくる感覚としてありました. 高梁川から逆流し てくることなど夢にも思いませんでした. 高梁川上流の降水量も多く, 総社市日羽では危険水位 を上回った状態であり災害も発生しているとの情報もあり, また, ダム貯水量も限界に達してお り, 放水も異常な状態であったと思います. *北から小田川に流れ込む末政川や高馬川から水が出た. *高梁川に流れ込む新本川沿いに下原はあり, 高梁川の水位が急激に増し, 新本川はバックウォーター= 背水現象が起き, 下原地区は水没した. 次節で詳述. (当時の川の状況は?) 職員や消防団によるパトロールで小田川の水位は把握していましたが, その後急激な水位上昇 と浸水区域の広がりで巡視も困難な状況となりました. 小田川の基準水位観測所は西隣りの矢掛 町にあり町内には無く, 支流の河川の水位計も無かったです. 小田川の水位も急激に上昇しまし た. また, ダムの放流が関係するかわかりませんが, 一気に高梁川の水位も上昇する異常事態と

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なっていました. (救援物資仕分けについては?) *救援物資は総合体育館に運び込まれた. その受け入れから, 運び出しは大きな問題であった. 市職員と応 援に駆けつけてきた他の自治体職員やボランティアについて話された. 支所が被災し機能できなくなり, 支所職員は数名の建設技術系職員は本庁土木部復旧班に所属 し, 福祉課は罹災証明の発行, その他の支所職員は体育館で支援物資仕分け業務につくことにな ります. 支援物資は 24 時間対応となり物資の内容, 形状, 数量, 到着時間, 搬出日時が不確か な状況下でイメージも掴めぬまま作業が待ったなしで進行しました. 他県他市の応援部隊は, 経験値も高く統率力と判断力に富み 24 時間対応能力もあり大きな力 となりました. 発災直後の混乱した状況下で彼らからの適切な指導助言を受けられたのでなんと か作業ができました. 連絡無しで届く物資も多く, 膨大な量が一気に届くことや, トラックの大きさも問題になり, 到着が重なることもありました. 積み下ろしが人海戦術しかなく, 作業に携わる職員は疲弊し負 傷者や事故がなかったのは奇跡だと思います. 支援物資とニーズのバランスが最も重要ですが, 改善されず問題が山積でした. 大規模災害になると全てが異常な状態が続き状況の変化する度合 いも大きく, 臨機応変に柔軟な対応が求められました. 早めの解決策をとるためにの応援部隊リー ダーの指導は的確で打てば響く行動で頼もしく, 多くのことを学ばせていただきました. (支援物資のニーズ) 避難所でのニーズは, 時間経過と共に激変しました. 時とともに変わりました. 例えば, 最初 は水で良かったものが, 味の付いたお茶でないと満足できなくなり, その後は嗜好品にまで変わっ ていくのです. 限られた数量や多種類の支援物資は配布方法に苦慮しました. 各地区の公民館や 拠点施設が全半壊し物資の供給場所に時間を要するなか, 支援を早く届けるためにと, 当初は来 館者一人ひとりに職員がオーダーをとり体育館の中を走り回って支援物資を提供していました. 全壊の被災が多く, 被災者は衣類身の回り全ての家財を失い体一つで非難している状況でした. 衣類の支援物資が多くなり, 個々の対応ができなくなり, 独り占めや早い者勝ちにならぬよう, 小出しにしたり陳列を工夫したりしました. また, ストリートを形成し衣類, 長靴, 雑貨, 飲料 水, 届く支援物資の殆んどを多くの人に自由に選んでもらう試みをしました. サイズがない場合 もありましたが, それは諦めてもらうしかありませんでした. 苦情や不満を口にする者も多かっ たのですが, 大きな混乱も起きず運営はできたように思います. 〈災害対応と行政組織の課題〉 避難所で地域の人や避難者が運営に参加し避難所コミュニティが形成された点は大きいです. 当初から地域コミュニティの各地区の 「まちづくり推進協議会」 が協力しいただきました. 応援

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自治体の指導協力も力となり, 地域の方の参加協力が不便な避難生活の中にも秩序が生まれて多 くの問題も解決していったように思えます. 被災の程度により 24 時間の災害対応が必要になってきます. 通常業務のなかで災害対応をす るため, 担当部局で人員を確保しますが, 欠員となった部署は負担が増加し目に見えないところ でも影響してきます. ゴミの収集も担当地域を収集後, 被災地に向かい作業する職員もいました. 応援自治体の県や他市職員の応援協力が大変重要です. 今回は市内で局地的な大災害となったため, 市内のほんのちょっと離れたところではごく普通 の日常がありました. 何事も身近なところで起きないと関心も低いと痛感しました. 災害時に与えられる権限については課題があると感じました. 避難所担当では避難者からあり とあらゆる要求があり, 知らないこと, 決まっていないことの質問も多かったです. 安易な要望 でも明確な判断, 回答ができない事も多く, 悩む避難所担当職員も多くいたと聞いています. 職 位と権限の問題は難しいですね. 倉敷の中でも田舎であり, 落ち着いて和やかな雰囲気はあります. 河川の決壊により大洪水が 発生し多くの犠牲者を出したことはとんでもない話です. 河川の浚渫や堤防強化など対処できて こなかったことは市民からだいぶ責められました. 国, 県管理のことでは, 国や県に対しこれま でにも改善要求を再三していましたが, 実施されない状況でした. 小田川の川床は木が鬱蒼とし ていました. (この災害で対応ができていなかった, 気になった…という点はありましたか?) 人づくりが地域づくり, 地域の連帯が災害時の早期避難につながり, 要だと思います. 災害発生時は, 停電, 電話の不通, 様々なものが機能しなくなりリアルな情報が伝わらなかっ たです. 正しい情報を伝えるシステムが必要です. (新興住宅地の人とか後から来た人たちについて, 彼らの避難はどうでしたか?) 地域性も色々あり, 高度経済成長期のベッドタウンとなり人が増えてきた団地エリア, 従来か ら居住してきた人がいるエリアが混在します. 現在ベットタウンも高齢化による老人世帯の増加 も他の地域と同様です. 地域おこしとで各種イベント, お祭り等で住民参加を呼び掛けも多く地 域での交流あると思います. 今回, 地域の協力のもと避難に至ったケースもあります. 今は, 昔と違って, 家に立ち入ることがはばかられるとこがあるので, だれだれはどこで寝て いるとか, ご近所の情報共有は低いかも知れません. あるところでは, 独居老人の避難への呼び掛けを, 地域の世話人が親戚に電話して, 親戚が動 いてくれて, その人が避難できて助かったこともあったのも事実です. 行政で個人情報の取り扱 いは難しい問題で, 慎重に取り扱う必要があります. 「何かあったら困るじゃない」 ということ もでてきています.

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(地域コミュニティはどう動いたでしょうか?) 一部の地域コミュニティでは, 役員が声かけして避難したということで地域全員助かった事例 もありました. 自主防災組織が機能して地域全体が避難したという例はなかったようです. 隣近 所での避難呼び掛けがあったことは後々の話にはよく聞きます. あくまでも地域全体で手をつな いで逃げようというところまではなかったといいます. 〈情報伝達手段〉 被災当時, 真備支所庁舎の職員配置は1階に集中しており, この浸水災害で1階天井まで水没 し殆んどの設備機材は使用不能の状態になり, 停電と電話回線の不通により孤立した状況での連 絡体制は個人の携帯電話のみとなりました. 発災直後から携帯電話の電波状態は悪化し繋がりに くい状態は続きました. NTT電話交換施設が水没し復旧まで1か月を要し, 各社携帯電話の中継局も衛星回線による 中継車を臨時に設置し次第に繋がりにくい電波状態を改善していきました. 体育館は停電しておらず断水と電話不通状態でした. NTT衛星電話, 携帯電話での情報伝達 が当分の間続いたと思います. ……… *長いインタビューに, 課長には貴重な経験を大変率直に応えていただいたことに, 感謝の意を 表する. 以下に, 今回の調査で訪れた真備町の写真を紹介する. 真備町 2 階の軒下まで水が来た家

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1−2−2. 総社市下原 2019 年 2 月 26 日お昼過ぎから, 真備町の東隣りに位置する総社市下原地区を訪ねた. 総世帯 数 110 戸, 世帯人数 350 人のこの地区は, 高梁川と小田川の合流点から北西側の位置にある. 集 落の裏は山があり, その前には, 高梁川に寄り添うように入る支流 (新本川) がある. この川の 堤防の向こう側 (そこは高梁川河川敷) にアルミ処理工場がある. 高梁川の増水によるバック・ ウォーター現象で, 2018 年 7 月 6 日深夜, 溶鉱炉に水が入り, 爆発した. 工場の鉄骨や溶鉱炉 の一部などが集落内の家々に降り注いだ. その後, 集落は2mを超す洪水に襲われ, 多くの家が 流されるか, 全半壊した. 我々はこの集落で, 今回の災害の前から, 活発な防災講座, 演習, 夜 間も含む避難訓練などを, 自ら積み重ねてこられた自主防災の組織 ( 下原・砂古自主防災組織 ) の本部を訪れた. *自主防災組織に関わる法令として, 災害対策基本法第 5 条がある. 1 項 市町村は, 基礎的な地方公共団体として, 当該市町村の地域並びに当該市町村の住民の生命, 身体及 び持参を災害から保護するため, 関係機関及び他の地方公共団体の協力を得て, 当該思考村の地域に関 わる防災に関する計画を作成し, 及び法令に基づきこれを実施する責務を有する. 2 項 市町村長は, 前項の責務を遂行するため, 消防機関, 水防団等の組織の整備並びに当該市町村の区域 内の公共的団体等の防災に関する組織及び住民の隣保共同の精神に基づく自発的な防災組織 (第 8 条第 2 項において 「自主防災組織」 という.) の充実を図り, 市町村の有するすべての機能を十分に発揮する ように努めなければならない. 全国のほとんどの地域に自主防災組織が設立されている. しかし, 名目だけで, 自発的な活動 を行っていない自主防災組織もある. 下原・砂古自主防災組織の副本部長である川田一馬氏に, 7 月6, 7 日の対応の様子及び自主 防災組織の活動についてお話を伺った. ……… 〈総社市 下原・砂古自主防災組織 の活動について−副本部長の川田一馬さんのお話〉 (当時の状況は?避難をどのタイミングで何に基づいて実施しましたか?) 現状では各市町村は警報などを出している. 私たちはそれをもちろん参考にするが, 私たちは, より早く自主的に動いた. 7 月 6 日午前に総社市災害対策本部ができた. 私たちは, 午後 4 時に 自主防の打ち合わせ会議を開き, 土砂崩れ, 大雨への対応を検討し, 私たち自主防と消防団員の 2 名で川の増水状況を見に行くことを決めていて見に行った. 一旦解散後, 夜 9 時半, 市の災害対策本部から避難勧告が発令された. その後すぐの 9 時 35 分に大雨特別警報が発令, 直後に高梁川の支流である川の増水状況を見に行った仲間から危険で あるとの情報がトリガーとなり, 京大の防災研究所の矢守先生が言う所の我々自身の 「避難スイッ

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チ」 を入れた. 7 月 6 日の夜 10 時から 10 時半まで, 軽トラに拡声器を積んで, 二階への垂直避 難を地区住民に呼びかけた. そして, 消防団と地区の 「自主防災組織」 との相談中, 夜 10 時 35 分に総社市から 「全市避難指示」 の連絡が入った. 下原公会堂で自主防の仲間が水平避難などを相談中, 1 時間後の 23 時 35 分にアルミ工場が爆 発した. オレンジ色の炎があがり, 救急車, 消防車が来た. 7 日の0時 34 分に, 「2 回目の爆発 が起こる可能性があるから, 下原のマイカーある人はマイカーで逃げるように」 という指示が市 災害対策本部からあった. しかし, 今回の爆発は大きなものだったので, 地区の家々は爆発で飛 んできた工場の配管, 煙突, 鉄骨などで被害を受け, 結構の数の家が, 自宅のシャッターが壊さ れ車が出せないという事態になっていた. マイクロバスを呼ぼうにも配車できず, では総社市の 方でマイクロバスを出すという話も出たけれど運転手を確保できないという. 結局公用車が 6 台 来てピストンで避難者を運んだ. 逃げた先は, 「吉備路アリーナ」 です. 結局置き去りにされた 車は, その後の洪水で水没してしまった. 午前 2 時半に大半の住民は避難し, 最後の人の避難が 午前 4 時半に終えた. 2 回目の爆発の恐れで水が来る前にみんなで避難できたということになる. もし, 水害だけだっ たら, 果たしてどうだったか. 自主防災組織が 「避難スイッチ」 を入れるというところから, 避難指示は早く出さなくてはダメ である. 何もかも行政でなくて, 行政側が連絡してくれるのも大切だけど, 自分たちも動かなくて はならない. いかに一人ひとりが危機感をもつことが大切か. 必ず災害は時を択ばず起きるから. (「下原・砂古自主防災組織」 について) 自主防災組織は平成 24 年の 4 月 1 日に作られ, この間に地区内のあらゆる団体組織が参加し ていろんな取組みを行ってきた. 最も重要視していたことは, 毎年実施してきた避難訓練. 「災 害発生!」 というスイッチを自分たちで入れようというのもその成果だった. その面子が, 自主 防災役員と消防団二人一組のチームを川の岸辺に送ることだった. みんなに危機意識をいかに持 たせるかが課題だった. (班について) 下原には七つの班がある. 班長は 2 年が任期だが, 2 年で終了している人はほとんどいない, 班長が 2 年ごとに変わってしまうと対応できない. 3 期 4 期と長くやる人が多い. 私は 8 年やっ ている. 班長は民生委員より自分の班内の住民のことは家族の人間関係まで知っている. 防災・ 避難においては, 継続が大切. 夜中の訓練も実施した, 市の危機管理室も一緒にね. 我々の 「自 主防災組織」 と市は対等で信頼関係にある. (要配慮者への対応について) 当時, 下原には 30 人の要配慮者がいた (全世帯数の一割). 「自主防災組織」 での要配慮者情

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報の把握は 8 年前から始めた. 私が民生委員として情報を把握し, あわせて7つの班の班長さん がキーマンとなり 実際の避難は班の責任とした. 今回は, そうしたことより, 「とにかく, み んな逃げろ!」 ということだった. それで, 要配慮者はみんな助かったわけである. 要配慮者を含む世帯台帳の見直し確認作業は年 1 回, 実際の避難は班の責任, 班単位で避難す ることを訓練を通じてやってきた. 班長さんからは, 要配慮者が逃げ遅れたとか手がかかったと かいう話は入ってない. ここは代々古い人たちが住んでいる, 避難時, 何人かは家族・親戚や若 者が避難に同行したという話があるが, 実際の避難行動を現在検証中である. 要配慮者の見守りは, 7 日から市の健康長寿係の職員や岡山に本部がある AMDA (国際医療 情報センター:国際緊急援助 NGO) の医師と看護師さん, および吉備医師会の皆さんが, 避難 先を回ってくれた. (防災士について) 高齢化が進んでいる. 地域の防災活動を継続するためにも若い人に引き継げるように, 私の後任 者 (50 歳) に防災士の資格を取得していただいた. 防災の事例発表にも彼を連れて行っている. (被災後と今後について) 地区で亡くなった人はいなかったけど, 家, 家財, 自動車などをなくした. 一番しんどいのは 思い出まで破壊されたことだね. 精神的に参ってしまった人, 兄弟が仲違いしてしまった人がい る (涙ながらに語った). 心の復興が大切. だから, 「家を建て直すよりも心を建て直さにゃあ」 と, 年配の女性に言われた. 知恵だね. 今回の洪水の被害もひどいものだったが, 明治 26 年 10 月 14 日の大洪水では, 112 軒が流され, 8 軒が残った. 今, この集落には 110 軒の家がある. 地 震の時は, 残った家が避難所だよ!と皆に言っている. (地区防災計画だけではダメだ) 地区防災計画については, 作ってしまった後, トーンダウンしてしまう. しかし, そこで終わっ てしまってはいけない. 下原の自主防 (自治会) では, 避難訓練をはじめみんなで決めたことに は, みんなで従う. 以上. ……… この地区は, 人間関係のつながりが強い地区である. 副会長さんが 「実際の避難は班の責任, 班単位で避難することを, 訓練を通じてやってきた.」 と言い切る言葉に, その実践が徹底して いることに, その思いを強くした. 避難が一人ひとりの自己責任に加えて 「班 (みんなの) 責任」 という考え方, これにおそらく連動している班長の任期の長さについても 「班内の人間関係まで 把握している」 という身内意識が強く, 「みんなで避難」 の発想に結びついているのではないか.

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だからこそ, こんなに大きな被害に合いながらも, 副会長さんらが, 家という建物が失われるこ とも大きいがそれよりもっと重要なことは, 「いろいろなものを失って悲しむ心」 を建て直す? という女性の言葉に強い共感をもったのではないだろうか. 誠実で, 毅然としたお人柄に, 同氏 のお話に我々もどんどん引き込まれて, お話を伺った. 改めて感謝の意を表する. 聴き取りの後, 私たちは地区内の被害状況を見学させていただいた. 以下の写真は, その様子 である. 写真パネルは, 被災直後に撮影されたアルミ工場から農家の軒先まで飛んできた大きなパイプ. 多くの家々がこの爆発で壊された. インタビューは 「下原福興委員会」 の本部で. 下原では殆どの家が床上まで水が来た. 2 階 屋根窓のブルーシートは爆発による雨漏防止

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下の写真左は, 集落の電話配電盤. 洪水で水没し, 電話回線は使用できなくなった. 右は下原地 区防災マップ, 洪水時の避難ルートが太線で記されている.

2. 広島県と 「平成 30 年 7 月豪雨」

2019 年 2 月 27 日, 広島駅前で高校教員の越智秀二氏と合流, 調査地へと向かった. 同氏は, 2018 年 7 月の広島県内の豪雨災害被災地を丹念に歩かれて来た方で, 研究会として案内をお願 いした. 2018 年 9 月 12 日に日本学術会議が開いた 西日本豪雨災害の緊急報告会 において日 本地質学会を代表して 「花崗岩の風化特性と砂防・治山のあり方∼広島豪雨災害と西日本豪雨災 害∼」 と題する報告をされた方で, 同氏が著した広島県南部各地の詳細な土砂崩れ現場調査記録 は, 今回の 8,000 か所を超す大規模かつ激しい土石流を伴う被災地を実際に調査し, その発生メ カニズムを捉えようとするものである. 2−1. 豪雨災害現地を訪ねて 今回の西日本豪雨災害による県内の人的物的被害は以下のようになっている. 表 3 西日本豪雨災害人的物的被害概況 死者 行方不明 全壊 半壊 一部損壊 床上浸水 床下浸水 広島県 115 5 1,650 3,602 2,119 3,158 5,799 岡山県 66 3 4,828 3,302 1,131 1,666 5,446 愛媛県 31 625 3,108 207 187 2,492 全 国 237 8 6,767 11,243 3,991 7,173 21,296 2019 年 1 月 9 日現在 内閣府発表より筆者作成

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また, 広島県内の犠牲者は, 自治体別にみれば (同上内閣府資料より), 広島市 23 人, 呉市 25 人, 竹原市 4 人, 三原市 8 人, 尾道市 2 人, 福山市 3 人, 府中市 2 人, 東広島市 15 人, 安芸高 田市 2 人, 海田町 1 人, 熊野町 12 人, 坂町 17 人, 神石高原町 1 名の計 115 人となっており, 広 島県は今回の西日本豪雨災害最大の犠牲者を出している. がけ崩れ, あるいは土石流といった, 斜面の崩落や, 崩落土砂が沢を下り, 砂防ダム (砂防堰 堤) を越えて住宅街に押し寄せる, また, 土砂で埋まった川の水が住宅地の道路へと流れ落ちる という, 2014 年の豪雨災害と同じことがまた起きたものである. 調査メンバーは, 広島駅から災害地点への道中で, 越智さんから説明を受けた. 広島市とその 周辺の地質 (風化したものが崩れやすく, 真砂土と呼ばれる地質) の問題, 何本もの断層線・断 層涯があり, ここから崩れやすい地層からの土石流が谷口から緩やかな傾斜地 (土石流扇状地) が形成され, 戦後高度成長期に, 沢筋に多くの砂防ダムを設置しながら, 傾斜地を上へ上へと住 宅地が伸びていったこと, 今回の豪雨ではこの風化した土砂の中に風化されずに残った巨大な岩 の塊が, 雨水と一緒に斜面を転がり落ち, 多くの家々を押しつぶし, 押し流していったことなど をお聞きした. 車窓から見える山肌の中に, 流れ落ちた土砂の斜面や山頂近くに, 巨大な岩石が 各所に見えた. 「あれがその転がり落ちる危険のある巨岩ですよ」, と言われたが, 遠方にある岩 の姿からはその大きさが想像できなかった. しかし, 現場に辿り着き, 崩れた斜面を上がってい くと, そこ此処におびただしい数の巨岩が転がっている. その中には, 落ちてきた土石流に抗し きれずに破壊された砂防ダム (砂防堰堤) の断片も交じっていた. ふと麓側を見下ろすと, そこ には住宅地が広がっている. 現場に近づくにつれ, 道を行き交う住民の姿はほとんど見かけなかっ た理由は, いつ次の豪雨が来るか, 来たらさらに土石流が上から来るのではという恐怖は, 人を 近づけさせないという説明に調査メンバーは一同うなずくばかりだった. 図2. 広島市安芸区矢野東周辺地形図 出典:国土地理院電子国土 WEB 地図より

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下は, 斜面を上へ上へと延びる住宅地 (広島市安芸区矢野東にて生江撮影) 2−2. 災害現場から 扇状地にさらに土石流を供給する多くの沢, 真砂土の土壌, そこに砂防ダムを築いては, 住宅 開発が沢を上へ上へと昇り詰めていくのが, 発展してきた広島市とその周辺の開発手法であった ことが, 目の前に広がる災害状況であることに言葉を呑む思いがした. Appendix として報告の 末尾に加えた他の調査の所見で, 生江が述べているように, まさにバベルの塔を上へ上へと目指 していた光景という表現があたる. 岡山倉敷市真備町で見た小田川堤防に守られるようにして氾 濫原に広がっていった新興住宅地や特別支援学校の姿を思い出す. あれも 「バベルの塔」 の一つ であったか, という思いである. 山沿いの傾斜が急な道を案内してもらうと, 急な傾斜となっている土地にぎっしりと家が建っ ていた. これほどの急傾斜地に宅地や道路が整備されて, 多くの人が生活するにあたって, 暴風 雨や地震による土砂崩れが発生したら, 非常に危険ではないかと感じた. それは, この土地を初 めて見た人々にとっても同じであったと思われる. しかし, これだけ多くの家々が建っていると いうことは, 「この土地は安全である」 と説明をして, 不動産屋や建築会社が売買したのか, あ るいは市などの公共機関が 「もしもの時の防災対策はしっかりしてある」 と住民に説明したのか, それらは定かではない. こうした地形の中で, 開発許可や, 建築許可が下りたということに, よ り恒常的で公共政策的な開発構造の問題が見え隠れしてくるのを禁じ得ない. 今後の課題であ る14. 矢野町 (広島市安芸区矢野東7丁目横河ハイツ) で, 通りがかりの住民の方と唯一話を伺うこ とが出来た. その方の話によれば, 「この住宅地の下の方に小学校があるが, そこへ通う子供た ちの通学路に溜まった土砂はまだそのままとのこと. 下から上がってくる通学路も確保できてな 14 広島県砂防課が運営する 「土砂災害ポータルひろしま」 を見ると, どれほどの危険個所に家々が建て られ続けたかがわかる. (https://www.sabo.pref.hiroshima.lg.jp/portal/sonota/sabo/pdf)

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い. 地域住民としては, 通学路だけはちゃんとしてほしい. こういうところは後回しでも, 通学 路は大切だよ. 現在, 親が誘導して (裏道を) 通るようになっているがね.」 と語られたので, 我々は帰路そこを確認してみた. その通りだった. 逆に, 子どもたちが通学している時間帯にも し土石流が道路を流れ始めていたら, より大きな犠牲者がでた可能性もある. この通りがかりの方は, さらに続けて, 「陸橋の向こうの 6 丁目 (熊野 6 丁目) はこのあたり よりもひどかった. 小屋浦は (危険という) 指定がまだ済んでなかった. 日光団地と梅田ハイツ は (土砂災害のときに) 孤立した. 日光団地はたいした被害でなくて大丈夫だったが, 梅田ハイ ツは夫婦が死んだ. 去年の 3 月にできたばかりだった. 宅地の整備はお金がかかることであるか ら, 國と県がもっと厳しく対応しなくてはならないと思う.」 と, この散歩途中の方は 20 分余り, 我々行きずりの調査団に熱心に語りかけてくださった. 山の傾斜地の土石流や土砂崩れによって, 山肌の大量の土 (黄土色の真砂土), 土砂や倒され 流されてきた木々が流木となって散乱, 小石から巨大な岩までが下の方に流れ出し, あふれ, 堆 積しているところがあちこちにあった. 7 月の豪雨から 7 か月経過しているにも関わらず, 立ち入り禁止の表示はあっても, 実質, そ のまま対応されていない状態のところが多かった. つまり, 大きな岩や土砂が次に大雨が降った ら上の方にも堆積したまま落ちてきて, 再び大きな被害が出る可能性がある状態であり, 車が通 る道のすぐ横にも大量に堆積したままであった. 土石流等が流れ出した地域では, 根こそぎ倒さ れた木, 丸ごと流されたり傾いたり潰れてぺしゃんこになった家々が, 既に工事が入って整備さ れている部分もあるが, まだまだそのままにされて朽ちているところも少なくなかった. あるい は, 黒いビニール袋に入った応急処置の土嚢が山積みであった. 砂防堰堤が土石流のため決壊し たことにより, その役割を果たせず, 被害が甚大化したものと思われる. 以下は, 調査地点での写真記録である. 2−2−1. 調査地点 安芸郡熊野町川角 大原ハイツ (ハイツは住宅団地を意味する) 小川の両岸に建った住宅地は土石流に流され, 今は更地になっていた

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2−2−2. 調査地点 広島市安芸区矢野東7丁目横河ハイツ (同上) 砂防ダムを越えて土石流が住宅地を直撃した. 沢は土砂が流れ, 岩が流れ出し, 砂防ダムを乗 り越えた. 沢をのぼり見上げると, 向こう岸の山肌がみえた. (下の写真) 沢から下を見ると, 我々の乗ってきた車がみえるが, そこにあったはずの家屋は消 えている. 土石流で広がった沢を, 今も流れる川が画面左端端に見える. 荒れ狂う土石流を想像 するのは難しい. 安芸郡坂町小屋浦

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2−2−3. 調査地点 呉市天応地区 西條3丁目 大屋大川沿いに大量の真砂土を含む土石流が流れた 2−2−4. 調査地点 安浦町 野呂川ダム 豪雨時, 規定より非常に大量の水を放流してしまったために, 野呂川の下流が氾濫してしまい, 被害が広がってしまった. ダムを取り囲む山々の所々が土砂崩れの跡で山肌が剥き出しとなり, ダムの周辺には流木や瓦礫が集まり, また流されてきたと思われる傾いた家も散見された.

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2−2−5 調査地点 東広島市黒瀬学園台 広島国際大学 大学から裏山 (前平山) を見上げると, 大規模な土石流が流れ落ちた様子がわかる. 災害発生 時 (豪雨時) には土砂は敷地内の学生寮まで流れ込んできていたという (学生は全員無事だった). 現在 (2019 年 2 月 27 日) も敷地内及び道路等は整備のための工事中であった. 朝早くから夕方まで, 越智さんにはお世話になり, 執念を持って広島という災害の頻発する地 域の中で, 調査と同時に防災活動にも献身する同氏の姿勢と熱意に調査メンバー一同頭が下がる 思いで, 深い謝意を抱いた.

3. おわりに

今回の調査は, 短期間でありながら多くの考えるべき課題が与えられるものであった. 見るこ とと, 読むこと, 聞くこととの大きな違いがあることに痛感させられた. 今さらながら, 現場に 立つことの大切さが迫って来るのを禁じ得ない. 筆者は災害時要援護者問題に関心があるのだが, その対策の1つとしての福祉避難所に関しては, 今回は直接的な調査は行えなかった. しかし, 今回はむしろ, 福祉避難所だけ見ていては気が付かない災害全体を見渡すことの大事さを痛感し た. いくつかの所見を, 今回の課題として列挙する. 今後の研究会での検討課題として提起するも のとしたい. 〈情報を流すだけ=伝えるだけでは, 人々の避難行動には結びつかない〉 避難情報をどう判断してもらえるかが大切である. 「家族に災害時要援護者がいる=災害時に

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避難するときに大変な人がいる!」 の危機意識があると, 一緒に早くしなくてはという心理が促 進される. 避難に関わる情報は, 一般情報であって, 自分には関係ない= 「自分は大丈夫」 と思 い込む正常化の心理を補正するのは, 一緒にいる人 (そばにいる人→近所にいる人→地域の人) と情報を交換し合う機会が, 災害時に必要になるのではないか. 〈被災後の混乱の中で, どのようなリーダーシップが必要なのか〉 公務員の立場としてのジレンマを抱える中で, 被災中・被災後の混乱する状況下で, 人に動い てもらわなくてならないとき, 「被災地での経験や対応スキルをもった人々 (地方からの応援の 公務員, NPO も含む) の経験した現場のリーダーシップを研修するプログラムが大切ではない か. 一般住民にも 「任せる」 という判断が大切な場合があるだろう. 〈非常事態下のマネジメント力〉 マネジメント力は大切である. 非常時には経験がある人が中心になって動いてもらうことが重 要である. 一方, 自治体職員はその場で公務員という職務・職位・組織としての命令系統に縛ら れながらの非常時対応に大きなジレンマを抱えている. 自治体としての災害時マネジメントの在 り方を検討しておく必要がある. 非常事態の現場である福祉避難所では, そこを臨機応変に対応しなくてはならないのは理解し ているのであるが. 現場と命令の間の狭間にいる. 現在の制度では, 一次避難所に避難した人の 中から, 職員が判断し, 個別に福祉避難所に移動してもらうことになっているが, 災害下の現場 で, 混乱する避難所で, それらの職務が円滑に進むには極めて大きな困難があると思われる. で は, どのような対応が考えられるだろうか. 〈災害時の状況把握, 住民間の情報共有の重要性〉 状況がわからない, ということがいかに不安で心もとないか, というのと同時に, そのような ときでも非常時に対応するには, 一人の判断ではなく, 様々な人がそれぞれの知識や経験, そし て情報を持ち寄って係わり合い, 確認しあうことが重要である. それなりに物事の全体像が見え たり, 状況をリアルに捉えられる. また, 映像が流れているだけでは, 何もならないかというと, 実はただ映像を流すといった情報が流れているだけでも, リアルな状況は伝わるし, 住民は同じ 情報を共有し合えるだけでも, それが安心感につながる. 頭の中で想像するだけでは, 避難状況 のリアルさは理解できない. 災害への対応で, 他の人々がどう動いているかを, 情報を見ながら, 一緒に共有して感じることで, それでは自分が何をすべきかということを考え始めることもある. 一方的な情報の流れだけでなく, それに応答する 「わたしたち」 の形成が, 極めて大事になるの ではないだろうか.

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〈地域で情報を共有すること〉 地域住民の生活を守れる防災・減災の活動をするには, 人と人との日ごろからの交流やつなが りが大切であり, それは, 近年はだいぶはばかられている相手の生活に 「立ち入り」, 「入っていっ て関わることで理解する (知る)」 こともどうしても求めざる得ないといえる. 時代に応じたカ タチでの, 守るための地域住民同士のかかわり方の模索が必要ではないだろうか. 「2 度目の爆発が起こるかもしれない!」 という非常に大きなインパクトある情報によって, 地区の人全員がこぞって避難できた, という総社市下原・砂古地区の事実は, まさに, 情報を 「どう受け止めるか」 によって, 「避難スイッチ」 が入るかどうか, のその対応の仕方に絶大な影 響があるということであろう. 人の心, というか 「避難スイッチ」 を入れることができる情報と は, 強烈さ以外に何があるか? 「避難スイッチ」 が入り, なおかつ, 「ではどうするか?」 を提 示できるとき, 人々の具体的な行動が始まる. 〈災害は人災か?〉 高級住宅地は急斜面でもほとんど被害がなかった. 数百メートルしか離れていないのに, 傾斜 そのものはそんなに差がないのに, 被害の差が大きすぎる. そうでない場所で家々が密集した急 傾斜地は, 電柱も家も倒れて, 土砂崩れのままの状態であったり, 甚大な被害の跡があった. 貧 しい人々に土地を売るとき, 説明会はあったはずだが, 事前にこの土地の土砂災害に弱い土壌と いうリスクを知らされていないとしたら, 人災である. 通学路の土砂の処理の話は, なんらかの事情があるのかもしれないが, 子供たちが徒歩で毎日 通る場所への安全配慮は, 対応の優先順位が高くあるべきであり, その理由については, 地域住 民にもきちんと説明されるべきであろう. また, 「まだ (土砂災害警戒区) の指定が済んでいない地域」 で土砂災害の犠牲者 (死亡者) を出したということは, 住民は指定されることがわかっていた=危険ということは知っていたが, 避難し遅れてしまったのであろうか?それともその時点では, 危険だという指定がされる見込み であることを住民は知らず, 市の避難勧告?の出し方に問題があったのだろうか?もしも行政が その事実を知っていたのなら, 現時点で 「指定されているかどうか」 という条例上の処理より, 本当に危険かどうかの判断で避難情報をいち早くその地区に出すべきだったと考えられる. 災害 のきっかけは自然の猛威であるが, 人の命を犠牲から救うのは, 私たち人間の社会力である. 〈謝辞〉 この現地調査は, 日本福祉大学学内助成金 (共同研究会育成支援) の支援により実施されたも のであり, 共同研究会を代表して大学に感謝する. また, 本稿の原稿作成にあたっては, 聞き取 り調査に協力して下さった真備市職員の方, 下原・砂古自主防災組織の本部長川田一馬氏, それ ぞれの専門分野からの助言をはじめ, 情報収集・情報提供・論点整理に至るまで多大なる支援を いただいた日本福祉大学防災研究会メンバーである磯部作氏, 生江明氏, 大場和久氏に心から感

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謝の意を表したい. 最後に, Appendix 1. 災害地被災者からの聞き取りの環境の大切さ 健康科学部教授 大場和久 被災者からの聞き取りでは, 言葉の端々から 「もっとひどく被災した人がいるのだから, 自分 たちは被災者だと大きな声で言うわけにはいかない」 という気持ちが読み取れた. 総社市下原地 区は, 事前の避難により死者は出なかったものの, アルミ工場の爆発や洪水によって自宅や家財 に大きな被害が出ている. それにより, 家族が争う原因になった住民, 今も心に大きな傷を持っ たままの住民が大勢いる. 真備町のことを考えると自分たちはましなほうとしながらも, 「一番 しんどいのは思い出まで破壊されたこと. 心の復興が大切」 と涙ながらに話されていた. 被害が より深刻な地域のことを配慮するあまりに, 自分たちの被害については客観的事実のみ淡々と語 るようにされていた. 広島県では土砂災害で自宅が被災し, 隣組で親しくしていた人が亡くなった住民から話を聞く ことができた. 総社市の場合と同じく, 「被災したとはいえ, 熊野はもっとひどかった」 とより 深刻な被害のあった人を気遣うとともに, 自分たちの被害のことをなかなか言い出せずにいる姿 が印象的であった. こうした, 被災はしたものの周りに自分たちよりも深刻な被害にあった人がいる被災者の 「心 の復興」 を進めるためには, 被災者が心情や自分たちの大変さをより深刻な被災者に遠慮するこ となく話せる環境が必要だと感じた. 2. 災害地現地調査から 福祉経営学部非常勤講師 生江明 今回の現地調査, 特に広島の調査の間, 私の頭の中には, 「これはバベルの塔だ…」 というつ ぶやきが途切れることがなかった. それは, がれきの沢筋を上へ上へと上がっている住宅地を見 ていて浮かんだ言葉だったが, 行政と住民の間で言葉が伝わらない, 住民の間でも言葉が伝わら ない (情報が相互に見えない) というコミュニケ―ションが成立していないことが見えてくるに つれ, その思いが強くなった. 旧約聖書に出てくるバベルの塔を描いたピーター・ブリューゲル の絵のように, 天を目指すように最新の技術を駆使して上を目指して階を次々と高める人間たち は, 神によって互いの言葉が通じなくなる罰を下されるというあの説話である. いつもは便利な 携帯電話もインターネットも, それが壊れたり, 回線や電源のトラブルで使用不能になったりす れば, 我々は見て話して伝え合うことが出来なくなる. こうして災害時の社会ネットワークが破 たんしていくことは, 分業化社会の連携が切れることを意味する. それはバベルの塔の説話が語 るように, 災害下でもはや社会が形成されえなくなることを意味する. 近代日本社会を捉える視 座が, 災害を通して垣間見えてくるように思う.

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〈避難行動は個人行動でなく, 社会行動である〉 避難は自己責任だろうか?そうではなく社会的行動として認識した時, 何故人々が避難を開始 損ねたかが見えてくる. この視点は今後の 「災害時避難」 のあるべき姿を示唆することになるだ ろう. 避難は業務指示に依るものではない, 避難が社会行動であるなら, 上から下への, 全体か ら部分への情報の流れでは, 地域に行動は起きない. 情報が地域の中で交わされ, 検討される時 初めて, 人々の具体的な行動指針が生まれる. 災害はその個々の地域に特有のリスクと関係して いる. その意味で極めて具体的な判断を要する. その場所の現状を知らない, 遠くの誰かの指示 ではなく, その場所にいる人々自身の判断が極めて重要であり, その判断は個人的なものでなく, 社会的な点検を不可欠とすることで, 避難の適格性を担保する. それがないと, 右往左往する, あるいは指示を待ち続ける“烏合の衆”となるしかない. 「水平方向の連携」 が, 災害時に極め て重要な役割を果たすことを忘れてはならない. 〈避難所の役割と福祉避難所の課題〉 熊本学園大学の教職員学生が熊本地震の際に, 4 月 14 日から 5 月 28 日まで臨時避難所をみず から開設し (熊本市の指定避難所ではなかった, つまり自発的自主的な避難所), 運営した経験 の展示が行われた (東京都人権プラザ 2019 年 4 月 16 日∼6 月 29 日 東京で考える“災害と人 権”熊本震災と障碍者を受け入れた避難所−熊本学園大学・激動の 45 日 ). 社会福祉学部花田 正信教授, 同東俊裕教授, 同水俣学センター井上ゆかりさんの講演もあった. 避難してくる人た ちは, 地域社会の縮図であり, 災害が起きる前に作るマニュアルではなく, 目の前に避難してき た人たち個々に合わせて運営を変えていった. 被災者と一括りすることの愚を避けるべく, 社会 福祉の現場と向き合う人たちが, 自らを変えながらの 45 日間の報告であった. それは, 「管理は せず, 配慮する」 原則と名付けられた. そして, 避難所の役割を, 1) いのちをつなぐ場所:雨 露をしのぎ安全を確保し, 水食糧確保の緊急避難, さらに注目すべきは2) 次のステップへの準 備となる場所というもう一つの役割である. このことが, 個々の避難者の心配や希望の聞き取り, そしてそれを具体化する支援 (つまり, コミュニティ・ソーシャルワーク) の実践の場を避難所 に持たせたことである. そして, ここは福祉避難所ではないにもかかわらず, 障害者や高齢者に 配慮した避難所運営を進めた. その裏には, 東日本大震災の時に, 障害者の姿が見えなかったこ とが, 経験として理論化されていたことが挙げられる. 熊本震災においても状況は同じだった. それに対応する動きがこの避難所から生まれていく.“災害と人権”とは, まさに被災者を 「ひ とくくり」 にするのではなく, 個々に配慮するという意味での 「人権」 (人間の基本権) の問題 として, 災害を捉える強い提起である. また, 災害関連死が地震の直接死の 4 倍に上った熊本の経験から, 避難所の役割と福祉避難所 の在り方に投げかけられた熊本学園大学の提起は, 岡山・広島現地調査から戻ってきた身には, 極めて強い提起性のあるものであった. 是非本学で同じ企画シンポジウムを開きたい. 〈災害時の公助=行政の役割〉 根拠法と上司からの業務指示を受け行動する行政の在り方が, 災害の際に大きなネックになっ

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ていることが, 今回の調査で判った. 集権型と分権型のシステム転換が災害時には必要と思われ るが, 災害時だけでなく, 通常においても分権型の行政マネジメントの可能性を検討したい. 〈避難 5 段階指針は適切か〉 2019 年 3 月 29 日, 気象庁, 内閣府は今回の西日本豪雨災害において, 避難準備情報, 避難勧 告, 避難指示を自治体が発令しても住民の避難率が上がらなかったことを受け, これらの 3 段階 の前に, 災害発生の可能性への注意 (「災害への心構え」) を喚起する 「レベル1」, さらに発生 した時にどのルートを避難するかなど自分の 「避難行動」 の確認を行う 「レベル2」 を足して計 5 段階方式としたものである. 内閣府広報のページには, 自分の命は自分で守るという標語がつ いている. だが, 上記の避難 「避難は行動」 であるとするなら, 「自分の命は自分で守る」 ではなく, 「自 分たちの命は自分たちで守る」 へ変える必要があるのではないだろうか. 「災害死は自己責任で ある」 という誤解が広がらないよう, 今後, 研究会で大いに検討したい点である. 因みに, 私は 「ペースメーカー」 を埋め込み, 週 3 回の人工透析無しには, 「自分の命を自分で守る」 ことが出 来ない障碍者である. 3. 西日本豪雨災害関連の論考および発言一覧 元子ども発達学部教授 (現在放送大学客員教授) 磯部 作 西日本豪雨災害が 2018 年 7 月に発生してから, 岡山県内で, 私は多くの調査行を実施してき た. 今回の調査はそうした作業の一環であり, 防災研究会の他メンバーにもこの災害現地を見て ほしいということがきっかけだった. 以下に上げるのは, この間に書いた論文と学会シンポジウ ムへの参加である. 論文: ・磯部作 「災害時の命を守る対策を」 人権 21・調査と研究 No.255 おかやま人権研究セン ター 2018 年 8 月 ・磯部作 「岡山県における西日本豪雨災害の状況と課題」 住民と自治 667 号 自治体問題 研究所 2018 年 11 月 ・磯部作・唐澤克樹・花田雅行 「高梁川流域調査」 住民と自治 岡山版 267 号 岡山県自 治体問題研究所 2018 年 11 月 ・磯部作・松田梢 「西日本豪雨災害の状況と台風来襲時の施設の様子・対応」 地理教育研究 会会報 地理教育研究会 529 号 2018 年 12 月 ・磯部作・岡崎加奈子 「新春対談 西日本豪雨の災害をどう教訓にするか」 おかやまの仲間 第 364 号 自治労連岡山県本部 2019 年 1 月 ・磯部作 「防げたはずの豪雨災害」 豪雨災害と自治体 大阪自治体問題研究所・自治体問題

参照

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