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刑法における因果関係

Die Kausalität im Strafrecht

常葉大学法学部 

細 川 壯 平

はじめに

 刑法において因果関係は重要な論点である。構成要件該当性の判断とし ても、行為と結果の間の因果関係として、その行為が結果を惹起したと言 い得るかを吟味するために必要とされる。従来、一般的にいって、条件関 係の有無の判断とその条件関係をもって刑法上の因果関係とする条件説、 そしてその条件説では因果関係が認められる範囲が広すぎるとして、条件 関係の認められるなか相当と言い得る範囲にのみ刑法上の因果関係を認め るとする相当因果関係説とが主張されてきた。そして、判例は条件説であ るとされていたが、近時それには異論が加えられ、所謂客観的帰属論であ るとか、また学説において従来展開されてきた相当因果関係説そのもので はないが、行為の危険性が結果へと現実化したかという危険性の現実化が 基準とされて因果関係の判断が行われているということができる(1) とい う分析がある。  もっとも因果関係論においては、条件説を基にしての個別化説、最終条 件説・最有効条件説などもあり、また因果関係の中断論もあった。しかし、 これらには難があるとして相当因果関係説が主張され通説とされたが、そ (1) 山口厚『刑法総論第2版』有斐閣 60 頁参照。

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の相当因果関係説もいかなる事情を基礎として判断するかにつき、主観説・ 客観説・折衷説とがあり、主として客観説と折衷説が支持された。  しかし、これもその考察方法、帰結につき疑問はぬぐい切れず、客観的 帰属というものが主張される。しかし、この客観的帰属論の正体が、私に は不明である。条件関係の存在を前提とするのか、しないのか、主観的帰 属ではなくなぜ客観的でなければならないのか。おそらく、故意・過失は、 従来事実の問題とされた因果関係論に置き換わることは叶わず、しかし、 それら責任の有無ではなく、条件説でのものより因果関係の認定される範 囲を限定したいという趣旨で、客観的帰属というのであろう。  そして、相当因果関係説においても、実行行為に構成要件結果を惹起す る十分な危険性が認められるか、その危険性が構成要件的結果へと実現さ れているかを問題とした見解であるとされる。しかし、行為の危険性をい かなる基準で判断するか、因果経過の異常な場合でも結果へと実現した場 合があるのではないかが相当因果関係説では疑問である。こうしたなか、 判例は、行為の危険性は行為時に存在した事情を基礎に客観的に判断され、 因果経過の経験的通常性自体には独自の意味はなく、これが欠ける場合に も、行為の危険性の結果への現実化が肯定されることがあることを認める。 この判例の立場は正当として受け入れられるとする。そして、異常な因果 の流れ、介在事情の異常性、偶然的な結果惹起を構成要件外に位置づける という相当因果関係説の理解は妥当・正当なものとして受け入れ、規範的 考察に基づき結果の行為への帰属を問う客観的帰属論は、これと差はない と分析する向きもある(2) 。こうして判例の立場も危険の現実化の有無を 問うものであるとされる。  しかし、判例は条件説より離れて、客観的帰属論に移ったのか。また、 危険性の現実化を問うという方式は、新しいものなのかを、簡略ではある が、ここに考察したい。 (2) 前掲山口 59 頁以下参照。

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Ⅰ 判例の転機とされるもの

 従来、判例は条件説であり、それが相当因果関係説に変わったとされる ものがある。所謂米兵ひき逃げ事件(最決昭和 42・10・24 刑集 21 巻 8 号 1116 頁)である。この事件の概要は、被告人である米兵が自動車を運転 していたところ、自転車に乗っていた被害者と衝突し、被害者を自己の運 転する自動車の屋根にはね上げた。このことに気付かず運転を継続してい たところ、助手席に同乗していた米兵がこれに気付き、被害者の身体をさ かさまに引きずり降ろし、舗装道路上に転落させ、被害者は頭部等に傷害 を負い、右頭部の打撲に基づく脳くも膜下出血等によって死亡したという ものである。これに対して最高裁は、「右のように同乗者が進行中の自動 車の屋根の上から被害者をさかさまに引きずり降ろし、アスフアルト舖装 道路上に転落させるというがごときことは、経験上、普通、予想しえられ るところではなく、ことに、本件においては、被害者の死因となつた頭部 の傷害が最初の被告人の自動車との衝突の際に生じたものか、同乗者が被 害者を自動車の屋根から引きずり降ろし路上に転落させた際に生じたもの か確定しがたいというのであつて、このような場合に被告人の前記過失行 為から被害者の前記死の結果の発生することが、われわれの経験則上当然 予想しえられるところであるとは到底いえない。したがつて、原判決が右 のような判断のもとに被告人の業務上過失致死の罪責を肯定したのは、刑 法上の因果関係の判断をあやまつた結果、法令の適用をあやまつたものと いうべきである。(3) 」とした。  たしかに、条件関係は認められると言わねばならないなか、同乗者の行 為の介入につき、経験上、普通、予想しえるところではなく、また、被害 者の死因が被告人の自動車に衝突した際のものか、路上に転落させられた ときのものか、確定しがたいとして、因果関係を否定している。 (3) 刑集 21 巻 8 号 1118-1119 頁

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 しかし、これを穿ってみると、因果関係の中断論ともとれる。古い最高 裁の判例に「ある行為と結果との間に、他人の行為が介在しても、通常、 その行為によりその結果の発生し得べきことが、実験則上予測される場合 においては、因果関係の中断は認められない。(4) 」とするものがある。もっ とも、この最裁判昭和 23 年 3 月 30 日判決を相当因果関係説に立つものと 紹介する向きもある(5) 。  これは被告人が燃料用アルコールを水に希釈して、飲用すれば身体に害 があることを認識しながらこれを販売し、これを買った者も、その害のあ ることを認識しさがらまた別の者にその一部を転売し、これを買い受けた ものがこれを飲用して死亡したという事件につき、弁護士は、第三者の行 為の介入により、因果関係が中断されたと主張したことに対して、「特定 の行為に起因して特定の結果が発生した場合にこれを一般的に観察してそ の行為によつて、その結果が発生する虞れのあることが実験則上当然予想 し得られるにおいては、たとえ、その間他人の行為が介入してその結果の 発生を助長したとしても、これによつて因果関係は中断せられず、先きの 行為を為した者はその結果につき責任を負うべきものと解するのが相当で ある。」としたのである。  よって、これを相当因果関係説の判例ともとれるが、また、弁護士の主 張表現にこたえる形でのものとしても、「因果関係の中断論」での判断で も因果関係は否定できないとしたものとも見ることができる。ならば、米 兵ひき逃げ事件は、「中断」という表現を用いてはいないが、介在事情の 予測されない時、因果関係を認めていないもので、この流れの中の判例と もとれる。さらに、「被害者の死因となつた頭部の傷害が最初の被告人の 自動車との衝突の際に生じたものか、同乗者が被害者を自動車の屋根から 引きずり降ろし路上に転落させた際に生じたものか確定しがたいというの (4) 刑集 第 2 巻第 3 号 273 頁 (5) 中山研一「因果関係」『刑法講座 2』有斐閣 80 頁、判例タイムズ第 214 号 198 頁参照。

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であつて」という下りにおいても、因果関係の中断論の存在を窺わせる。 とすると、判例の転機ではなく、従来の判例の中、因果関係の中断論的思 考を、昭和 23 年判例につられてしてしまったものともとれるのである。 これは曲解であろうか。

Ⅱ 危険性の現実化という表現の判例

 因果関係が問題となる事例を類型化し、それぞれを分析することが行わ れる。例えば、①被害者の特殊事情、②被害者の行為の介入、③第三者の 行為の介入。④行為者の行為の介入とかである(6) 。この中、②の事例で あろうか、危険性の現実化という表現を用いた判例が出現する。  先ず、最判平成 22 年 10 月 26 日最高裁判所刑事判例集 第 64 巻第 7 号 1019 頁の判例である。長くなるが、ここに要約して引用する。  飛行中の航空機甲と乙が著しく接近し、本来乙機に降下する指示を出す べきであところ誤って甲機に降下指示を出した実施訓練中の航空管制官A と、その誤りに気付かず直ちに是正をしなかった指導監督をする航空管制 官Bにつき、両機の衝突を避けるために急降下した甲機の乗客らが負傷し た事故について、それぞれ業務上過失傷害罪が成立するとした事件におい て、因果関係が問題となった。  管制卓レーダー画面上に両機間の管制間隔が欠如するに至ることを警告 する異常接近警報が作動し、両機がそのまま飛行を継続すれば、両機間の 管制間隔が欠如してほぼ同高度で交差して接触、衝突するなどのおそれが 生じた。  この場合、上昇中であった甲機便よりも、早く降下に移ることができる 巡航中の乙機に対して降下指示を直ちに行うことが最も適切な管制指示で あったところ、被告人Aは、便名を乙機と言い間違えて、ほぼ同高度を上 (6) 前掲山口 61 頁以下参照。

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昇中の甲機に対し降下するよう指示した。なお、甲機の副操縦士が、英語 で「甲機3万5000フィートに降下します。関連機を視認しています。」 という意味の応答をして、被告人Aの指示を復唱したものの、被告人Aは、 便名の言い間違いに気付かなかった。被告人Bも、これらのやり取りを聞 いていたが、被告人Aが乙機に対し降下指示をしたものと軽信し、機名の 言い間違いに気付かなかった。  甲機の機長であったC(以下「C機長」という。)は、上記復唱のころに、 甲機を降下させるための操作を開始したところ、甲機に装備されていた航 空機衝突防止装置TCASが、上方向への回避措置の指示(以下「上昇R A」という。)を発した。  このC機長は、上昇RAが発せられていることを認識したが、①乙機を 視認しており、目視による回避操作が可能と考えたこと、②甲機は既に降 下の体勢に入っていたこと、③乙機の上を十分高い高度で回避することが 必要であるところ、上昇のためには、エンジンを加速し、その加速を待っ て機首を上げる操作をしなければならないが、降下の操作によりエンジン をアイドルに絞っていたため、エンジンの加速に時間が掛かると思ったこ と、④空気が薄い高々度において、不十分な推力のまま不用意に機首上げ 操作を行うと、速度がどんどん減ってしまい、場合によっては失速に至っ てしまうという事態が考えられたこと、⑤被告人Aによる降下指示があり、 管制官は甲機を下に行かせて間隔設定をしようとしていると考えたこと、 ⑥乙機がTCASを搭載しているか否か、それが作動しているか否か分か らず、乙機が必ずしも降下するとは考えなかったことを根拠に降下の操作 を継続した。  なお、C機長が、上記の上昇RAに従った操作をしても、客観的には甲 機の航空性能からすると失速のおそれはなかったが、本件当時、航空性能 に関する技術情報は、機長ら乗組員に対して十分に周知する措置が採られ ていなかったため、C機長は失速のおそれがないとの考えには至らなかっ た。

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 他方乙機は、装備されていたTCASが下方向への回避措置の指示(以 下「降下RA」という。)を発し、同便の機長は、同指示に従って降下の 操作を行った。  本件航空機管制官の降下指示に従った甲機と降下RAに従った乙機は共 に降下をしながら水平間隔を縮めて著しく接近し、C機長は、両機の衝突 を避けるために、急降下の操作を余儀なくされ、そのため、甲機に搭乗中 の乗客らが跳ね上げられて落下し、57名が負傷した(以下、乗客らの負 傷の事実も含めて「本件ニアミス」という。)。  こうした事実に関して、被告人らは、言い間違いによる本件降下指示は 危険なものではなく過失行為に当たらず、本件ニアミスは、上昇RAに反 した甲機の降下という本件降下指示後に生じた異常な事態によって引き起 こされたものであるから、本件降下指示と本件ニアミスとの間には因果関 係がない上に、被告人両名において、甲機と乙機が共に降下して接近する 事態が生じることを予見できなかったのであるから、被告人両名に対して 業務上過失傷害罪が成立しない旨主張した。  そこでこれを検討すると、被告人には、このような場面においては、巡 航中の乙機に対して降下指示を直ちに行うことが最も適切な管制指示で あったことを考え合わせると、本来意図した乙機に対する降下指示を的確 に出すことが特に要請されていたというべきであり、機名を言い間違えた 降下指示を出したことが航空管制官としての職務上の義務に違反する不適 切な行為であったことは明らかである。そして、この時点において、TC ASの機能、両機の航行方向及び位置関係に照らせば、乙機に対し降下R Aが発出される可能性が高い状況にあったということができる。このよう な状況の下で、被告人Aが言い間違いによって甲機に降下指示を出したこ とは、ほぼ同じ高度から、甲機が同指示に従って降下すると同時に、乙機 も降下RAに従って降下し、その結果両機が接触、衝突するなどの事態を 引き起こす高度の危険性を有していたというべきであって、業務上過失傷 害罪の観点からも結果発生の危険性を有する行為として過失行為に当たる

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と解される。被告人Aの実地訓練の指導監督者という立場にあった被告人 Bが言い間違いによる本件降下指示に気付かず是正しなかったことも、同 様に結果発生の危険性を有する過失行為に当たるというべきである。  また、因果関係の点についてみると、甲機のC機長が上昇RAに従うこ となく降下操作を継続したという事情が介在したことは認められるもの の、管制指示とRAが相反した場合に関する規定内容(RAと管制指示が 相反した場合の優先順位について規定していなかった)や、降下操作継続 の理由にかんがみると、同機長が上昇RAに従わなかったことが異常な操 作などとはいえず、むしろ同機長が降下操作を継続したのは、被告人Aか ら本件降下指示を受けたことに大きく影響されたものであったといえるか ら、同機長が上昇RAに従うことなく甲機の降下を継続したことが本件降 下指示と本件ニアミスとの間の因果関係を否定する事情になるとは解され ない。そうすると、本件ニアミスは、言い間違いによる本件降下指示の危 険性が現実化したものであり、同指示と本件ニアミスとの間には因果関係 があるというべきである。  この判例において危険性の現実化という表現は、このように表現しなけ ればならない特別の意味合いがあるのであろうか。被告人側の危険性はな いとの主張を否定するものとしての表現ではなかろうか。  次に最決平成 24 年 2 月 8 日刑集 第 66 巻第 4 号 200 頁の判例がある。 これもここより要約して引用する。  被告人はトラックの製造会社で品質保証業務を担当していた者と製造会 社で品質保証業務を担当していた者であるが、トラックのハブが走行中に 輪切り破損したために前輪タイヤ等が脱落し、歩行者らに衝突して死傷さ せた事故について、同種ハブを装備した車両につきハブの強度不足のおそ れ等からリコール等の改善措置の実施のために必要な措置を採るべき業務 上の注意義務があり、同義務を尽くすことによって同事故の回避可能性を

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肯定し得る場合において、同事故がハブの強度不足に起因するとは認めら れないのであれば、同事故と上記義務違反との間の因果関係を認めること はできないが、同事故がハブの強度不足に起因して生じたものと認められ る判示の事情の下においては、上記義務違反に基づく危険が現実化したも のとして、同事故と上記義務違反との間に因果関係があるとした判例であ る。  この被告人たちは、ハブの強度不足を疑うことは不可能であり、予見可 能性は認められない、②被告人両名の実際の権限等に照らすと、被告人両 名には、本件ハブをリコールすべきであるという業務上過失致死傷罪上の 義務が課されていたとはいえない、本件ハブをリコールして別のハブを装 備したところで本件事故を回避できたとはいえないし、三菱自工製のハブ に強度不足があることまでの立証がされておらず、異常摩耗が発生してい たこともあり、破損原因も解明されていない以上、被告人両名の不作為と 本件事故結果との間の因果関係も存在しない旨主張する。  これに対して最高裁は、事故報告などにより、同社製ハブの強度不足の おそれが客観的に認められる状況にあったことは明らかであり、リコール 等の改善措置を講じることなく強度不足のおそれがある本件ハブを装備し た車両の運行を放置すれば、その後に本件ハブの輪切り破損により人身事 故を発生させることがあることは十分予測し得たと認められ、所論の程度 の異常摩耗が認められたからといって、当時、ハブに強度不足のおそれが 客観的に認められず、あるいは、被告人両名がこれを認識し得なかったと の結論になるものではないという。  しかし、被告人両名に課される注意義務は、前記のとおり、あくまで強 度不足に起因するハブの輪切り破損事故が更に発生することを防止すべき 業務上の注意義務である。ハブに強度不足があったとはいえず、本件事故 がハブの強度不足に起因するとは認められないというのであれば、本件事 故は、被告人両名の上記義務違反に基づく危険が現実化したものとはいえ ないから、被告人両名の上記義務違反と本件事故との間の因果関係を認め

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ることはできない。そうすると、この点に関する原判決の説示(強度不足 が原因ではないとしても、その時点でハブの強度不足の疑いによりリコー ルをしておけば、ハブの輪切り破損による本件瀬谷事故は確実に発生して いなかったのであって、本件事故の原因が摩耗による輪切り破損であると 仮定しても事故発生を防止できたとして結果回避可能性を認め、被告人両 名にその注意義務を課することは何ら過度の要求ではないとして結果回避 義務を認めること)は相当でないという。  他方、車両の整備、使用等の状況につき、締付けトルクの管理の欠如や 過積載など適切とはいえない問題があったことは否定し難いが、車両の製 造者がその設計、製造をするに当たり通常想定すべき市場の実態として考 えられる程度を超えた異常、悪質な整備、使用等の状況があったとまでは いえないとする第1審判決の認定は、記録によっても是認できるものであ る。  これらの事情を総合すれば、ハブには、設計又は製作の過程で強度不足 の欠陥があったと認定でき、本件瀬谷事故も、本件事故車両の使用者側の 問題のみによって発生したものではなく、ハブの強度不足に起因して生じ たものと認めることができる。そうすると、本件事故は、ハブを装備した 車両についてリコール等の改善措置の実施のために必要な措置を採らな かった被告人両名の上記義務違反に基づく危険が現実化したものといえる から、両者の間に因果関係を認めることができるとするものである。  これは、事故の原因をハブの強度不足であるとし、ここに事故の発生の 危険性があり、過失不作為によりこの危険性を放置したことが、結果発生 の因果関係があることをしめしているのである。  この判例にいう危険の現実化は、何を意味するのか。「同決定は過失不 作為の因果関係について、作為犯の条件関係に相当する、いわゆる結果回 避可能性が必要であることに加え、行政法上課せられる義務を履行するこ とによって、結果が、いわば偶々回避される場合では足りないということ

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を明らかにしたものであると考えている。(7) 」との分析もある。  たしかに、救急医療を要請しなかった不作為と被害者の死の結果との間 に因果関係が認められた事例として、最決平成元年 12 月 15 日刑集 43 巻 13 号 879 頁の事例は、作為義務をつくしていれば救助できる可能性を「十 中八九」という表現を用いて合理的な疑いを超える程度に確実であったと いうことを求めている。本件も、これに反する判断をするものではないも ので、これは当然ではあるが、作為義務の発生根拠と不作為犯としての条 件関係を認めたことを超えての意味があるとは思えないのである。  

Ⅲ 条件説と最近の判例

 因果関係論は、刑法においてもまず事実的関係の前提として、法的評価 の前のものであるものと考える。そのあとに法的評価が結びつくべきであ る。これが条件関係であると理解する。この条件関係を判断する方法にお いては、コンディティオ公式で判断される。つまり「もし当該の条件がな かったとすれば、結果は(その具体的形態において)生じなかったであろ うと考えられる場合には、その条件は結果の原因である」と。このときそ の判断は、個別具体的に、各条件は結果に対して等価値であり、仮言的事 情は付け加えてはならない、とされてきた(8) 。故に条件関係で把握され る因果関係は、他の学問領域に共通な因果関係論である。これを論理的な つながりのみと理解するか、結果を惹起する力の関係と理解するかも議論 があろう。しかし、心理的なつながりも認めるものであるが、単に、後に ではなく、故に、が因果関係の本質であると理解する。故にと後にを取り 違えてはならない。よって、条件関係論のなかにおいても、所謂「因果関 係の中断」という概念は用いることは出来ないが、「因果関係の断絶」と (7) 島田総一郎「相当因果関係・客観的帰属をめぐる判例と学説」法学教室 2012 年 12 月号 13 頁 (8) 前掲中山 69 頁参照。

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いう概念は条件関係の認定の上で必要な概念である。先行する条件即ち結 果を惹起するのに十分な力をもったものが存在しても、その条件が結果に 作用する以前に、別の条件により結果が発生した場合、先行する条件は結 果に対して条件関係は存在しないと判断されるのである。例えば、毒殺を 企図して致死させるのに十分な毒入りカプセルを服用させたところ、その 毒薬がなんらの薬効を発揮する以前に、被害者は事故死した場合などであ る。この因果関係の断絶という概念は従来より認められてきたものである。  このように、条件説での因果関係の認定にもいても、事実として因果関 係の断絶のないことを確認しつつ、事実的判断をすることを要求している。 ならば、前述の米兵ひき逃げ事件の後の、一連の最高裁判例も、詳細な事 実分析をしていることは、それは因果関係の断絶のないことを証明論証し ているものとも理解できる。とすると、危険性の現実化という概念は、本 当に条件説を超えるものであるのか。危険性の実現性がないとして、因果 関係が否定される例が示される必要があろう。  さて、結果的加重犯における明らかに広すぎる因果関係の場合は、そう した起訴を回避することも考えられる。しかし、教室事例で取り上げられ るものと同じ事件が発生しても、起訴をためらうのではないかというのは、 やはり条件関係は単なる論理的関連ではなく、事実の力的関連であり、こ の意味で、危険性の現実化を意識しているともいいえるのではないか。  従来も、実行行為と結果との間の因果関係であるとして、構成要件の求 める実行行為という法的概念で、考察すべき条件関係の先端とも言うべき 点を把握する。このように、その事実としての条件関係を限定するのが法 的観点である。そして構成要件の要素としての結果を見極め、行為と結果 の因果関係を問題とする。このとき、行為の結果が本来想定されるものよ り広がり、因果関係の範囲が広がりすぎるということが結果的加重犯の事 例で問題となる。こうした、事実としての因果関係の広がりを修正するの も法的判断ということになる。故に結果的加重犯の問題も、結果的加重犯 を維持するのであれば、法的観点で解決されるべきである。

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 この解決を相当因果関係としての画一的解決を図ろうとすることには、 やはり限界があった。判断基底の問題もその学説ごとの一つの方向でのア プローチで、全ての事例を満足のゆく帰結をもたらすものではなく、また、 先の米兵ひき逃げ事件の後の最高裁判決の因果関係を認めた帰結とも反す ることになる。  では、認められた条件関係のなか、どのように判断すべきか。それは条 件関係の捉え方にあると思う。それは、条件関係は単なる論理の関連では なく、事実の関連であり、外界を変化させる関連であるべきである。なら ば、条件説においても、偶然的関係を超えた力学的関連が必要とかんがえ るのである。さらに、この事実的関係に対して、法的評価、規範的評価が 加わる。そこに関連するものとしては、違法論の場面であろう。そして、 結果的加重犯の事例において、例えば交通事故により被害者を病院に入院 させ、その病院が火災に遭い被害者が焼死した場合、その焼死につき交通 事故での加害者の行為に加重結果を帰属させることができるか。できない。 しかし、危険性の現実化はないとも言いえない。身体に障害を負っていな ければ避難できたとするとどうか。危険性は現実化しているのではないか。 しかし、それは相当ではない。この相当性は因果関係の相当ではなく、違 法評価の社会的相当性での評価である。治療のためには病院に行き、必要 があれば入院となる。これは法的評価として、違法ではないのである。

おわりに

 因果関係論や共犯論など、判断の限界をあつかうとき、類型化をしてま た危険増加の原理とか遡及禁止の原理とか、アプローチの方向を示して議 論するものがあるが、それで一般的に満足できるものとなったという例を 見ない。それは一つの見方において一つのアプローチが解決にとり有益で はないかとの提言にとどまる。一般的に妥当するものとはなっていない。 ならば、構成要件に該当するとしても、規範的判断で違法という評価に馴

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染まないと判断できるときは、一般に認められてきた思考方法で犯罪性を 否定すべきではないか。この意味で、社会的相当性の理論や許された危険 の理論を応用して、事例の解決に当たるべきではなかろうか。  さて、この帰結への批判はあろうが、一連の最高裁判例帰結も、結局は 因果関係の断絶のないことを論証し、因果関係を認めているものと、評価 できるのではなかろうか。 以上

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