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文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語』翻刻・影印(二) (調査報告92)

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また参考資料として今回より﹁抄出状況一覧﹂を置くことにした。該書は、絵入版本であること以外に抄出本であ ることもその大きな特色のひとつであるが、これは通行本と比較した時の抄出状況をまとめたものである。現在入手 しやすい校訂本文であるところの小学館の﹃新編日本古典文学全集栄花物語﹄︵底本は梅沢本︶を用い、段落の区 切およびその見出し語も同本によった。﹁抄出﹂欄では三種の記号を用いて各段落の抄出状況を示した。すなわち○ 印が該耆でも確認できる部分、△印が部分的に確認できる部分、×印が全く確認できない部分である。 本稿は横井孝・上野英子﹁文芸資料研究所蔵絵入版本﹃栄花物語﹂︵二略解題・翻刻・影印﹂︵平成二十一年三月 文芸資料研究所刊﹁別冊年報﹂XⅡ所収︶の続稿である。今回は全九冊中第川冊Ⅱ︵日蔭のかつら・っほみ花・玉の 菊村・ゆふして。あさみとりの五巻を収載︶を紹介する。翻刻要領はほぼ前回に準じるが、念のため凡例を掲げてお ︲0

調査報告九十二

文芸資料研究所蔵絵入版本

﹁栄花物語﹂翻刻・影印︵一こ

上野英子

(2)

-91-段落 ︹抄出状況一覧一

巻十日蔭のかづら

6 原 J qJ d司 色 1 4 14 13112 11 10 Q 辺 7 8 研子の立后 冷泉院崩御 冷泉院の病悩 大嘗会御樮 彰子の様子 賊子の立后 道長の奏上により、賊子の立后が決定する 鰔子とその周辺 大嘗会・悠紀と主紀の風俗和歌 三条帝と賊子の贈答歌 人々、一条院を追想 三条帝と賊子の鯏答歌 長和元年年頭 三条帝即位の儀 見出し 抄出 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ × × × 挿絵 巻名歌掲載段 発語﹁さて﹂を省いて抄出する 備考

(3)

九十二文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語」翻刻・影印(二) − 「

巻十一つぼみ花

6|行幸の用意、五十日の祝い 7|三条帝、土御門第に行幸 4 1 3 2 ] ワ ワ ワ 1 台 合 △ 」 貝 ロ 2019118 16115 1 局 l/ 源頼定と元子の密通、尊子の再婚 枅子、斉信邸より土御門第に移る 禎子内親王の誕生 禎子内親王誕生の祝賀会 研子の様子 道長息教通、公任女と結婚 賊子の内裏参入 道長、顕信と対面 研子、東三条院に退出 研子の懐妊 乳母の決定 道長息顕信の出家 長和2年年頭

r、 理 ノ 、ノ 〆﹂ ○ ○ ○ /戸、 L_ノ /一、、 Lノ ﹄ △ × | × × | × × 1枚︵過ウ︶

道長、出家した顕信と対面の図 巻名訶﹁つほみはな﹂まで収録 j』 も −93−

(4)

’2|公卿たちの動静

−3教通室、女児を出産

巻十二 16 1反 L J 14 1 r 、 10 11 10 18 1 ヴ 上 イ 1リ上 白 9 ィ可 乙 1 19 5 帝と禎子内親王の対面 内裏炎上 教通室の懐妊 研子、内裏に入る 期 → 東宮敦成親王の害始め 穆子、禎子内親王と対面 禎子内親王、内裏を退出 帝と好子の贈答歌 二条帝 長和三年年頭 人々の加階 帝と侍酬子の語らい たまのむらぎノ、 内裏参入の準備。乳母と女房の出仕 枅子のもとに渡御 × × ×

×|×|×|×|×

× × × × ×

巻名下に、省略部分の説明が入る

(5)

九十二文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語』翻刻・影印(二) 20 13 1 . 、 上乙 19 18 1 ワ l/ 16 1 El J 14 1l 1O 7 5|倫子、宇治に遊ぶ 4 9 8 6 内裏、再び炎上。枇杷殿に遷御 新造内裏に遷御、皇后賊子の参入 永頼四女、頼通男を出産するが母子ともに死去 三条帝の病悩つづ 頼通平癒 具平親王の霊が出現、降嫁の中止を求める 貴船明神の出現 頼通の急病 頼通室隆姫の様子 三条帝の女二宮、頼通への降嫁の話 隆家、太宰府に着任 三条帝の病悩、譲位への思い 禎子内親王の袴着 隆円僧都逝去 禎子内親王袴着の用意 隆家、眼病により太宰府赴任を望む × × × × × × × × × × × × × × × × 一 Q R − 辺 り

(6)

28 ワ ワ ム イ 24 鍋一敦明親王の様子 配一三条帝の讓位、敦明親王の立坊 「)1 ムーL 30129 26 25 35 34 q q J J 32131 敦康親王、具平親王女と結婚 後一条天皇即位の儀 大嘗会の準備 堀川院の様子 三条帝の歌 大嘗会御涙 三条院と好子、新造 三条院御所と枇杷殿の焼亡 穆子の葬式 土御門第 穆子の逝去 一条尼上穆子の病悩 五月五日、彰子と枅子の贈答歌 三条院の造営 道長女寛子、東宮参内の噂 法與院の炎上 条院に遷御 × × × × × × × × × × × × × × ×

(7)

九 十 二 文 芸 資 料 研 究 所 蔵 絵 入 版 本 「 栄 花 物 語 』 翻 刻 影印(二)

巻十三ゆふして

9 弓 2 1 / 5 1 QJ 42 41 39 鵠一後一条天皇大嘗会、悠紀主紀の和歌 8 イホ) 士 0 40 6 前斎院当子内親王の出家 中 管了 仁. " │ : 子 大皇太后宮そん子崩御 三条院の病悩 道長、摂政を頼通に譲る 道長、左大臣を辞し、頼通内大服に就任 藤原道雅、前斎宮と密通 三条院の四十九日 三条院の遺産処分 三条院の法事 三条院の葬送 三条院崩御 三条院重体、出家 帥明親王、出家をおもう 一条殿に遷御 × ○ △ △ × × × × × × r × 巻名歌掲載段 巻名下に省略部分の説明あり 年号のみ抄出し、道長辞任他は省略。 発語﹁かかるほとに﹂を省き、収録 巻名歌掲載段 _ Q ワ ー ゾ I

(8)

1/、 I D 12 10 1 ヴ 1 J 1貝L J 14 13 1l 6 、 F ‘ 0 型小一条院と寛子の結婚 ワ q 白 』 りりと 臼 21 20 19 18 皇后賊子よろづの思い 彰子、新東宮に敦康親王を推す 東宮、道長と面会、退位が決定 東宮敦明親王、退位をおもう 研子の御所、禎子内親王のありさま 賀茂行幸、研子方の見物 好子の和歌 倫子の石清水詣で 敦康親王の思い 敦良親王立坊、前東宮は小一条院となる 露顕の儀 寛子方、婿取りの用意を始める 研子と彰子の州答歌 一江倍即 源雅通の死去 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 〆 、 Lノ 、ノ 行﹂ ○ ○ ○ △ × 2枚続1図 ︵おウ調オ︶ 後一条帝、賀茂へ行幸の図

(9)

九十二文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語」翻刻・影印(二)

巻十四あさみとり

2|威子⑦容姿 3|入内当夜の様子 1 r1r一 d o Q QLJ4ノ 泌一堀川院の悲しみ ”小一条院、堀川 34 32 31 30 29 28 頼通家の大饗、屏風歌 威子の容姿 威子の入内 源経房、研子に三条院遺愛の笛をおくる 延子の歌、顕光の様子 後一条帝の元服 寛仁二年年頭 寛子、枅子方の年末 延子、顕光の歎き 延子の歌 小一条院、堀川院を訪う ︵︶ ○ ○ ○ ○ 〆 、 Lノ r、 ヱ ノ ○ ○ × × × 2枚続2図 ︵兜ウ調オ︶ ︵釦ウ記オ︶ 大臣家大響の図2種

−99−

(10)

1 4 1 1乙 7U 匡 Lノ 1 1 q 入Lノ 11 10 9 8 20 19 18 1 庁 lイ 16 15 14 6 道長男長家、行成女と結婚 枅子方の故三条院追憶の歌 道兼女、威子のもとに出仕 後一条帝と威子の仲 好子除服、五月五日の贈答歌 行成大姫君のこと 長家と行成女の仲 敦康親王莞去 道長の法華八講 寛子、小一条院の男宮を出産するも早世 教道女生子、真子の袴着 威子の立后 初雪の贈答歌 秋、延子のうた 土御門第の再建、源頼光の奉仕 長家、賀茂祭の使いに立つ 一条宮の桜の歌 ○ ×’○ r, 里 ノ × × × × × × × × × × × × 巻名歌掲載段

(11)

九十二文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語』翻刻・影印(二) ー 凡 四 三 二 、、、 五 、 n 「 ー 乙 0 ワr)白 白 26 24 23 創一人々の悲嘆と、道長出家の志し 例︸ 改行、改丁は底本通りとしたが、各行間の余白についてはその限りではない。 改丁箇所には記号を補って丁付けを記し、︵一オ︶﹂等と表記した。 字体は原則として通行の字体を用いた。 欠損・虫損・印字不鮮明箇所などは、 ︵栄花物︶ わ“︶

□□口語か、やく藤□

のように、口印で詠めない字数分を示し、他の資料で参照したものをパーレン付きでルビに表記した。 参考として脚注欄を設け、明暦二年版の本文と比校しておもな校異を挙げた。すなわち異同があった場合に は、翻刻と同じ行の脚注に﹁絵入版本l明暦版本﹂の形式でそれぞれの本文を挙げておいた。 ただし、本格的な校本を目指したものではなく、あくまでも目安として設けたものに過ぎない。おおまかな目 安として参照して頂ければありがたいと申し添えておく。明暦二年版本は国文学研究資料館所蔵本に依拠した。 敦康親王室のありさま 堀川院領有をめぐる元子・延子姉妹の不仲 敦康親王の法事 延子のなげき 師明親王の出家 × × × × × 誼

(12)

-101-−ト『一△

菰叩

日蔭のかつら つほみ花 ︵玉の︶ □口村菊 ︵ゆふして︶ □□□□ あさみとり

(13)

九十二文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語』翻刻・影印(二) 「日蔭のかつら」 日蔭のかつら 世中にはけふあす后た鳶せ給へしとのみいふはかん 研子御堂女鰔子済時女 の殿にや又宣耀殿にやとも申めりか融るほとに宣耀 三条院 殿に内より 新千載恋四 春かすみ野へにたつらんとおもへともおほつかなさを へたてつるかなと間えさせ給へれは御返し かすむめる空のけしきはそれなからわか身ひと つのあらすもあるかなと間えさせ給へれはあはれと 上東門院 おほしめさる中宮には年さへへた、りぬるをっきせ すあはれにおほしめされてたゞ御をこなひにて過

栄花物語四

長和兀年 させ給正月十五日一条院の御念仏に殿はらみなま いらせ給へり月のいみしう澄のほりてめてたきに事 御堂 はて、出させ給とて殿の御前 新千載哀傷 君まさぬ宿には月そひとりすむふるき宮人 行成 たちもとまらてとの給はすれは侍従中納言 去年のけふこよひの月を見しおりにか樹らん物と L一一 二 オ ー 世中にはlさて世中には ルテもI共ごJも めてたきにlめてたき

(14)

-103-おもひかけきやはかなくてつかさめしのほとにも 成ぬれは世にはつかさめしとの§しるにも中宮世中を おほしいつる御けしきなれは藤式部 雲のうへを雲のよそにて思ひやる月はかはらす あめのしたにてあはれにつきせぬ御事ともなりや 上東門院 宮の御前かへすI、おほしなけかせ給ておほとのこもり たる暁かたの夢に院のほのかに見えさせ給ひけれは 新古今哀傷 あふ事をいまはなきねの夢ならていつかは君を 三条院 又はみるへきとていと、御涙せきあへさせ給はす内には

研子御堂

かむの殿の后にゐさせ給へき御事を殿にたひ/∼ 間えさせ給へれと年比にもならせ給ぬ宮達あまた 鍼子 おはします宣耀殿こそまつさやうにはおはしま さめ内侍のかみの御事はをのつから心のとかになと奏 せさせ給へはいとけうなき御心なり此世をふさはしからす 怨 おもひ給へるなりなとゑしの給はすれはさはよき日し てこそは宣旨もくたさせ給へかなれとそうして出させ給 てにはかに此御事ともの御よういありなに事もそれ ﹂ニウ︶ 藤式部l藤しきぶきや﹁

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語』翻刻・影印(二)「日蔭のかつら」 二月十四日后にゐさせ給て中宮と聞えさすいそき た、せ給ぬその日になりぬれはつれのことなからも いみしくやん事なくめてたし年比の女房たち上 中下のほとなとのわきかたうおもひI∼なりつる ほとねたかりつる人々なとけふのきさみにはつかしけ なる事ともおほかりなに事も心くるしけにうちr\ なつましけなりつる人もことかきり有けれはをり もの、からきぬをき年ころしたりかほなりつる人も にはかにひらきぬなとにていと心やましけにおもひ たるもおかしきにさはいへとおほ宰相の君なといふ 人をはおと賢なといひつけ給ひをよひをさしいひつれ といとけさやかにえもいはぬえひそめのをり物の にさはり日なとのへさせ給へき御世の有さまならねは からきぬなとをきてさふらふになにくれの人も心にく、 おもはれわれはとおもひたりつるもさしもあらすなと しな’、わき給へるほとなとけにおほやけとならせ L一一 二 オ … L−− = ウ ー

(16)

-105-くしあけさせ給へるほとはいとこそめてたうおはし ましけれもとより御をもやうのふくらかにおかしけに おはします物からよにめてたくおはしましけるなをさるへ 霞うおはしますなりけりとこそは見たてまつりけれ御 年十九はかりにそおはしましけるまいらせ給て三四年は かりにそならせ給ぬらんかしとそをしはかりまうす人々有 上東門院 大宮は十二にてまいらせ給て十三にてこそ后にゐさせ 研子 給けれされと此御前はすこしおとなひさせ給にけり御 ゆ、しき事ともをいひおもへとつれなくもてなし おものまいらするまかなひとりつきなとしてうたて むすめなとの恥なきほとなりつるを蔵人なとにて のみむせわたるほともくるしけなり又さへき五位の からすいひおもへとともかくもえけいせて心のうちに たまひぬるはことなるわさなりけり心にはたれもやす 研子 たるもいとおしけなり宮の御前白き御よそひにて 大床子に御くしあけておはしまし御帳のそはの し、こまいぬのかほつきもおそるしけなり御前の御 L−− 二 三二 オ ー 〆 おはしましけれIおはしましける

(17)

文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語」翻刻・影印(二)「日蔭のかつら」 九 十 二 直納 よるつのあに君の大納言なり給大かた宮つかさなとみな えりなさせ給かくていとめてたうふた所さしつ、き ておはしますをよのためしにめっらかなる事に間え させ内にはいまは宣耀殿の女御の御事をいかてとおほし めせとすかやかに殿にはまうさせ給はぬほとに宣耀 殿にはなにともおほしめしたらぬに大かたの女房のえ むノーにつきて里人のおもひのま公に物をいひおもふは いかに/∼御前におほしおはしますらんあさましき世中 に侍りやこれはさへき事かはなといとさかしかほにとふらひ まいらする人々なとあるを此文をも又かうなむそれかれは 拡子 申つるなとかたり申す人を女御殿はなとかかうむつかし ういふらんたとひいふ人ありともかたらてもあれかしこ、 大饗いととうせさせ給へし大夫には大殿の御はらからの おさともなさせ給ひさま/︲∼ことノ︲∼しけに見えたりやかて いひ思ひたるかほけしきよりことおとりてさふらひの 前に火たきやすへ陣やつくり吉上のことI、しけに L一一 含 ウ … ﹂︵四オ︶ たらぬにlたらぬほどに 御事’こと/いかてとlいかでかと 聞えさせIきこえさす おさとも’ちゃうども かほI︵ナシ︶

(18)

-107-にはよるつおもひたえていまはた、後の世の有さまのみ こそわりなけれなと物まめやかにおほせらるれはさこそあ れ御心のひかませ給へれは物のあはれ有さまをもしらせ 給はぬとさかしうそ間えさせけるか、るほとに大殿の御心 なに事もあさましきまて人の心の中をくませ給に よりしはI、参らせ給てこゞらの宮たちのおはします に宣耀殿のかくておはしますいとふひんなる事に 侍りはやう此御事をこそせさせ給はめと奏せさせ給 一条院 へはうへこ︲にもさはおもふを此殿上のをのことものむかし 物かたりなとをの︲r∼いふを間はうとねりなとのむす めもむかしは后にゐけりいまも中比も納言のむすめ の后にゐたるなんなきといふをはいか斑はすへからんとこそ きけとの給はすれはそれはひか事にさふらふなりいかて 済時 かさらは故大将をこそは贈大臣の宣旨をくたさせ給はめ と奏せさせ給へはさるへきやうにをこなひ給へしとの給は すれはうけたまはらせ給て宮におほせこと給はす さへき神事あらん日をはなちてよるしき日して小一条 ﹂︵四ウ︶ 神事lかみこと さるへき’さへき それはI︵ナ、ン︶ 甲をlうちを

(19)

九十二文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語」翻刻・影'三│](二) 「日蔭のかつら」 永平 恩ひ間えさせ給けれと女御にてやみ給にきおとこ宮ひとり うみ給へりしかともその宮かしこき御中より出給へるとも 見え給はすいみしきしれ物にてやませ給にけりその小 師批公 一条のおと、の御むまこにて此宮のかうおはします事世 にめてたき事に申おもへりさて四月廿八日后にゐ給ぬ 皇后宮と聞えさす大夫なとにはのそむ人もことになきに 道隆公 やさやうのけしきやきこしめしけむ故関白殿の出雲の 脈家 中納言成給ぬ宮司なときほひのそむ人なく物はなや かになとこそなけれよるつた営おなしことなりこれに つけてもあなめてたや女の御さいはひのためしには此宮を さへき所々の祭りはて、よき日してかの大将の御はかに 宣命よむへしとの給はすれは弁うけ給ひぬ四月に の大将それかしの朝臣贈太政大臣になしてかのはかに 済時息通任 勅使くたりてやかて修理大夫そひて物すへくあれはかの 君もいてたち参り給よき御子もたまひて故大将の かくさかゆき給をそ世の人めてたきことに申けるかの 捨子 伽いもうとの宣耀殿の女御村上の先帝のいみしき物に ︵五オ︶ 給にけりl給にける 給けれとl給ければ さへきI︵ナシ︶ の給はすれはlの給はす

(20)

-109-御さいはひの本には此宮をなむし奉るへきおやなとにも をくれ給てわか御身ひとつにて年比になり給ぬるに又 けしからすひんなき事しいてたまはすまつはこ、ら おほくおはする宮達の御中にしれもの猫ましらぬ にてきはめつかしいみしき村上の先帝と申しかと かの大将のいもうとの宣耀殿の女御のうみ給へりし ・水平 八宮こそは世のしれもの、いみしきためしよそれに此宮 達五六人おはするにすへてしれかたくなしきかなき也 なとこそは申させ給にまいてよの人は聞にくきま てそ申けるいまは小一条いかてつくりたてむとおほし 三条院 めすみかともいまそ御ほいとけたる御心ちせさせ給らんかし 岐子 かくよろつにめてたき御有さまなれとも皇后宮には たゞおほつかなさをのみこそはつきせぬ事に恩しめ 三条院 すらめおなし御心にやおほしめしけん内より は大殿もまことにいみしかりける人の御有さまなり女の こそしたてまつらめなとき、にくきまて世には申まつ |、一、一〆 ﹂一ユノ44︶ ﹂︵テユ古/︶ △口こ’ムロ サ卒小11〃千小 女御のI︵ナシ︶ なり給ぬるにlなり。御ぬるに いまそlいまは

(21)

九十二文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語」翻刻・影印(二)「日蔭のかつら」 うちはへておほつかなさをよと謎もにおほめく身 ともなりぬへきかなとある御かへしに 露はかりあはれをしらん人もかなおほつかなをさて もいかにとよるつの中にも姫君の御ゆかしさをそ し東川院一条 おほしめしける大宮には院の御服なともはてにたれは 後一条院 つきせすのみおほしなけかせ給東宮のうつくしう をよすけさせ給を明くれ見奉らせ給はいもあはれに口おし 後朱雀院 うおほさる、に三の宮のいみしううつくしうまきれあり 災和元年 かせ給にそすこしおほしなくさめけるはかなく秋は過て 研子 冬にも成ぬれは内わたりは中宮の御かたの衣かへなとの有 さまも物けさやかに月日のゆきかふほともしられてめて たかりける立ん月の大嘗会御腰なといみしう世にいそ きたちにたり内にも御服たちぬる月にぬかせ給て 冷泉院の御はてもせさせ給ていまは此事をいみしき 仰埖戚子 ことにの、しらせ給女御代には大殿の内侍のかんの殿出させ 研子 給女御代の御車二十りやうそあるをまつ大宮より三つ中 宮より三つ車よりはしめていといみしうの公しらせ給ふ へ 『_ ノ 、 ウ 姫君lひめみや 御浪l御はらい 冷泉院lれいぜんゐん

(22)

-111-人の袖より初てそれにやかてあはせたり袖にはをき 口にて蒔絵をしたり山をた※み海をた、へすちをやり すへて大かたひきわたしいくほとめもか、やきてえもみ わかすなりにしか車ひとつかきぬのかすすへて十五そ きたるあるはからにしきなとをそきせさせ給へる此世界 の事とも見えすてりみちてわたるほとの有さまをし はかるへし殿はら公達の馬車弓やなくひまての有 さまこそ世にめっらかにまた見聞えぬ事ともなりけれ 過にしかたはいはしいまゆくすゑもいかてか、る事はと見え たり冬の日もはかなくくれて大嘗会のいそきせさせ ユ些ヤ 給されとその日はた塾うるはしうそある悠紀の方は スキ 大中臣能宣か子の祭主輔親つかうまつる主基の方は ひはたをふきあるはもろこしの舩のかたを作りてのり その車の有さまいへはをろかなりあるはやかたを作りて の御車のしさまよりはしめあさましきまてせさせ給へり つしかと人まちおもへるにいまはその日になりて女御代 こたひの物見には此宮々の御車なんあへきとの、しれはい L一一 七 オ 袖よりlはへなりより/それにやかてlそれにやぞ ひはたをふきlひはだぶき ひきわたしlひきわたして こたひのlこたみの

(23)

九 十 二 文 芸 資 料 研 究 所 蔵 絵 入 版 本 『 栄 花 物 語 」 翻 刻 影 印 ( 二 ) 「 日 蔭 の か つ ら 」 前加賀守源兼澄なり此人々すけちかはよしのふか子なれ はとおほしめしたりかねすみは公忠の弁のすちなりなと おほしめして歌のかたにさもあるへき人ともをあてさせ給 へるなるへし悠紀の方いなつき歌さかたのこほり輔親 山のことさかたのいねをぬきつみて君か千とせの はつほにそつく御神楽の歌おなし人 おほやしま国しるしめす初めより八百万代の 神そまもれる参入音声たかみくら山 万代はたかみくら山うこきなきときはかきはに あふぐへきかな楽の破の歌しき地 大宮のしき地そいと、さかへぬる八重のくみかき つくりかさねて楽の急の歌かな山 かな山にかたくねさせるときは木のかすに生ます 国のとみくさまかて音声やす川 すへらきのみよをまち出て水すめるやすの川波 のとけかるらし又次の日の参入音声なからの山 |へしし奇ノー ︲L〆一建一F一子︲﹄ ﹂︵八オ︶ 参入音声lまいり音声 急のlいそきの 方lかたの/いなつき歌lいねつきうた 生ますlおいます

(24)

-113-天地のともに久しき名によりてなからの山の なかき御世かな楽の破の歌よしみつ よしみつのよきことおほくつめるかなおほくら山 のほとはるかにて楽の急の歌 ゆふしての日かけのかつらよりかけてとよのあかり のおもしろきかなまかて音声やすらの里 もろ人のねかふ、心のあふみなるやすらの里のや すらけくして 主基の方いなつき歌おほくら山かねすみ 二葉よりおほくら山にはこふいね年はつむとも つくるよもあらし御神楽の歌なかむら山 続後拾遺賀 君か御代なかむら山のさかき葉を八十氏人の かさしにはせむ辰の日の楽の破の歌たままつ山 天つ空あしたにはる典はしめにはたままつ山 のかけさへそそふおなし日の楽の急の歌いなふさ山 としつくりたのしかるへき御代なれはいなふさ山の ゆたかなりけりおなし日参入音声さ魁れ石山 ﹂︵八ウ︶ なりけりlなりける 御神楽の歌l御かくらうた

(25)

日蔭のかつら」 九 十 二 文 芸 資 料 研 究 所 蔵 絵 入 版 本 『 栄 花 物 語 」 翻 刻 影 印 ( 二 る声のする哉巳の日の楽の破とみつき山 君か代はとみつき山のつきノーにさかへそまさむ 万代まてにおなし日の楽の急の歌なかむら山 万代をなかむら山のなからへてつきすはこはん みつきものかなおなし日のまいり音声とみのを川 あめのしたとみのを川の末なれはいつれの秋か うるはさるへきおなし日のまかて音声ち、川 ︵る︶ にこりなく見えわたるかなち圃川のはしめてすめ□ とよのあかりに此おなし折の御屏風の歌なとあれ とおなしすちの事なれはか秘す去年よりしていみし 三条院 くの:しりつる事とも、はてゞ内には心のとかにおほし 蓑家公女綏子定子妹 めさる、にも麗景殿淑景舎なとのおはせましかはと かすしらすさ、れ石山ことしよりいはほとならん ほとは幾世そおなし日のまかて音声千とせ山 うこきなく千とせの山にいと、しくよるつ代そふ 研子 おほし出させ給かくて中宮いかなるにか例ならすなやまし L−−− 一 、 、 九 オ ー ー 〆 ﹂︵九ウ︶ |かすしらすlかずしらぬ うこきなくlうこきなき/代l肚

(26)

-115-御仏名にも例の仏名経なと謡する声もおかしきに ふるしら雪とともにきえなむなともあはれなりはかなく くれぬれはついたちには元日の朝拝よりはしめさまI∼

後収

にめてたし殿上のかたにはしんとりといひていとまさ なうこちたきけはひとも聞えたりついたちより初め 事ともいみしうしけ、れはさま’、いはひ事とも ︵せ︶ うおほされけり殿の御前おほしなけかせ給に例せさ ︵し﹂︶ 口給事たちぬる月此月さもあらて過ぬいかなるにか□ ︵人々︶ □□おほつかなくのみ間えさするに物なとつゆきこし めさぬはたゞならぬ御心ちにやとおほしめすに御乳母 の内侍のすけあやしうたちぬる月おほつかなくて やませ給にし事なとのおはしますにやと申給まこと にた、ならぬ御けしきにおはします殿の御前にも内 にもいとうれしきことにおほしめして殿の御前なにか ものきこしめさすともおはしましぬへき御心ちなりと てよき日してさまJ1の御祈りとも初めさせ給ふしはす にも成ぬ世中心あはた、しう内よりはしめ宮々の |、一白〆 ﹂今十オ︶

(27)

lll薩のかつら」 文芸賃料州究所蔵絵人版本I栄花物語'l翻刻・影│:│」(二 九 十 二 三条院に出させ給ぬれは内にも御心さしいとあやにく なるまておほつかなくそ思ひ間えさせ給宮には殿おはし ましてよき日して大般若観音経薬師経寿命経 なとの御読経をの/∼不断に初めさせ給ふ法華経は はしめよりせさせ給へはなりけり年比山にこもりて 里へも出ぬ僧たつねめし出て此御読経にさふらはせ給ふ おほやけよりは長日の御修法はしめさせ給さまI、の 御堂商明公女 御祈りともいみしか、るほとに殿の高松殿の次郎君 右馬頭にておはしつる十七八はかりにやとそいかにおはし けるにか夜中はかりに横川の聖のもとにおはして われ法師になし給へ年比のほいなりとの給ひけれは ぬれはきしき有さまなとおもひやるへしつれの行 日女房のなりなとあさやかにせさせ給さてその夜に成 にてくれぬへし正月にそ宮の御前出させ給へきその ︵つ︶ 啓せさせ給めてたしと有つれとかうやは見えさせ給□ る御こしのかたひらより初てよるついみしうさやかに ︵た︶ ︵東︶ めて□し京極殿は方ふたかれはえおはしまさて□ ﹂︵十ウ︶ 八Ⅲl△口こ み中小〃那11 初めさせ’せさけ 次郎君l二郎君 おはしIおほし さふらはせlさふはせ

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-117-聖大殿のいととうときものにせさせ給にかならす ﹂︵十一オ︶ ︵か︶ □んたう侍りなむと申てきかさりけれはいと心きた なき聖の心なりけり殿ひんなしとの給はせんにも かはかりの身にてはくるしうやおほえんわるくも有ける かなこゞになさすともかはかり思ひたちてとまるへきならす との給はせけれはことはりなりとうちなきてなし奉りに けりひしりの衣とりきさせ給てなをしさしぬきさ るへき御そなと皆聖にぬき給はせてわたの御そひとつ はかり奉りて山に無勤寺といふ所に夜のうちに おはしにけり横川の聖あやしき法師ひとりをそ そへ奉りにけるそれを御供にてのほり給ぬ此大徳な とやいひちらしけん日の出るほとに此殿うせ給へり とて大殿よりおほくの人をわかちてもとめ奉らせ給 ﹂︵十一ウ︶ によ川の聖のもとにて出家し給へるといふ事を間し めして横川のひしりをめしにつかはしたるにかしこま りてとみにもまいらすいとあるましき事なりま 州しめしてlきこしめしてあはれにかなしういみ じとおほしめして わかちてlあかちて 出るlいづる

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虻芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語j翻刻・影印(二)「日蔭の 九 十 二 ら」 きほひのほり給ふいつしかおはしましつきて見奉らせ 給へは例の僧達はひたいのほとけちめ見えてこそあれ これはさもなくてあはれにうつくしうたうとけにて おはす猶見奉らせ給に御涙と、めさせ給はすそこらの 殿はらいみしう哀れに見奉らせ給殿の御前さてもいかに おもひたちし事そなに事のうかりしそわれをつらし とおもふ事や有し司かうふりの心もとなくおほえしか 又いかてかとおもひかけし女の事や有しこと/∼はしら すへて物もおほえ給はす殿おはしませはいくその人々か 有けるかなとて山へいそきのほらせ給高松殿のうへは たちけるあはれなりけることなりやわか心にも増りて いとわかき心ちにこ、らの中をすて、人しれす思ひ なさすともさはかり思ひたちてはとまるへき事ならす こまり申侍ると申せはなとてかともかくも恩はむ聖 カうノ︲、いとふひんなることをつかうまつりてかしコ ありさまとはせ給へは聖申せしやうの給はせしさま いれノ︲、とたひ,r∼めされて参りたれは殿の御前なくJ1 L−− 〆 、 十 二 オ ー ー ノ ヘ﹃/〆 おはすI牙4と おもひたちしlおもひたりし

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-119-く侍しおりよりいかてと思ひ侍しにさやうにも思しかけぬ 事をかうまてしなさせ給にしかは我にもあらてありき侍し うちなき給てさらになに事かおもふ給へんた、おさな けてなかせ給へはいと心あはたゞしけにおほしてわれも に心うぐかく母をも我をも思はてか、る事との給ひつ塗 す世にあらんかきりはなに事をか見捨てはあらんと思 なり誰にも/∼中j∼かくこそつかうまつる心さしも侍ら めと申給さてやかてそこにおはしますへき御心をきて有へ き事ともの給はす宮々の御使なとすへていと物さはかし殿 の御前なくj∼おりさせ給ぬ御さうそくいそきして奉らせ さま︲i∼の物とも奉らせ給高松殿のうへなく/︲∼御その事 いそかせ給殿はら宮々の奉らせ給つるはきよらなりとてみな 天台の僧ともにくはらせ給高松殿より奉らせ給へる御そを そ御れうにはせさせ給けるいてやいまは布をこそとまて そおほしめしける殿よりも宮よりもみな御具をきて奉らせ 給あはれにいみしうありかたき御出家になん ﹂︵十二ウ︶ 事を’ことをかくとまうさんもいとはづかしうは べりしほとに/我にもlあれにも かくこそlかくてこそ 給’たまひ なに事かlなにごとをか

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語』翻刻・影印(二)‐つほみはな」 ﹂︵十三オ︶

︵挿絵︶﹂︵十三ウ︶

つほみはな 一条院うせさせ給て後女御更衣の御有さまともさまI∼ 元子 為平 垂疋︶ に間ゆるに承香殿の女御に故式部卿の源宰相頼□の君 顕光公 ︵。﹂︶ しのひつ、かよひ聞え給ほとに右のおと、聞給てま□ とそらことあらはし聞えんとおほしけるほとに御めに まことなりけりと見給てけれはいみしうむつからせ 給てさはかりうつくしき御くしを手つから尼になし 奉り給にうき事かすしらす見えたりあさましう あやしき事に世の人も殿のうちにもいひさはくほ とにその後もなを忍ひつ秘かよひ給けれはそのたひは いつちもノーおはしねとあれは女御の御めのと、あるは実 誓僧都といふ人の車やとりなりその家にわたり ﹂︵十四オ︶ 給ぬ宰相もさるへきにこそと思ひつ、をろかならすかよひ給 ほとにをのつから御くしなともめやすくなりもていく あやしうひかjr1しき事に世の人もおもひ聞えたりおなし 故式部川のlこしきぶきやうみやの/源宰相l源 宰相のきみ 世の人も’よ人も

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-121-為平高明公 きわか公達といへともこれは村上の四の宮源帥殿の御むす 顕光公 めのはらなれはいと物きよく物し給をあやにくに此殿の 給ふをそかへす〃r、あやしき事に人きこゆめる又くらへや 道兼公女尊子 師輔公女繁子 城子 の女御と聞えしには母の藤三位いまの宣耀殿の御はらから 通任 研子 の修理のかみをそあはせ聞えためるかくて中宮もた、におはし まされは出させ給に斉信大納言の大炊御門の家におはし まいて月比にならせ給ぬれはそこにて御子生れ給へき にやなとおもふほとに此比土御門殿にわたらせ給へけれは 斉信 家あるし殿なにわさをとおほしいそかせ給それも東 ﹂︵十四 三条院 三条院に出させ給へりしをそこの焼にしかは内もわたら 研子 せ給へるなりけりさて土御門殿にはわたらせ給に宮の御 をくり物になにわさをしてまいらせんとおほしけるに なに事もめっらしけなき世の御ありさまとなりに ためれは中塗なりとて村上の御時の日記をおほき なるさうしょつに絵にかゞせ給てことはは佐理の兵部 懐平室 卿のむすめの君と延幹の君とにか、せ給てうるはし き箱一よるひに入させ給てさへき御手本なとくして ワ ことははI︵ナシ︶ 延幹の君l近幹きみ 給へるl給つる 内もlこちに なと’し

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語」翻刻・影印(二)「つほみはな」 川子 奉り給けれは宮はよるつの物に増りてうれしくおほし めされけり女房の中にはおほいなるひわりこをしてしろ いものたき物なとをそ入て出し給へりけるかくてわた 上束門院 らせ給てそこにて御祈りともを大宮のおりの事とも ﹂︵十五オ︶ みなせさせ給いとわりなきほとのありさまにていとおそ ろしくいかに〆∼とおほしさはかせ給まことやかの大納言 斉信 の御もとにさるへき家司なり殿位なとまさらせ給けり いとめいほくある御さまなりかくていかにノーと御心をつくし ねんし間えさせ給ほとに長和二年七月六日の夕かたより 御けしきあるさまにおはしませは御いのりの僧とも声 をあはせての、しる加持まいりうちまきしさはく内 にも間しめして御使しきりにまいる御はらへのほとい みしくなりあひたり月比いみしかりつる御祈りのしるし 陽明門院 にやいぬの時はかりにいとたいらかに御子生れ給ぬいま一 しきりのとよみのほとあさましきまておとろI、しき に僧なといとくるしからぬほとにならせ給ぬよにめて ﹂︵十五ウ︶ 家司lいゑつかさ ほとlほとに

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-123-をめしたりそれは御めのとたちあまたさふらふ中に 倫子 もこれは殿のうへの御めのとこのあまたの中のそのひとり なり大宮の内侍なりけりさて日比さふらふへきに宮 の御ゆとののきしき有さまおもひやり閉ゆへし五位 六位御つるうちに廿人めしたり五位は蔵人五位をえら 御使の緑よめにもけさやかに見ゆるつるの毛衣のほと にめてたけれはこれをはしめたるためしに成ぬへし はさま’、の例をひかせ給へきにあられはことのほか ますには御はかしはなきをなに事もいまの世の有さま めしつ御はかしいつしかもてまいれり例は女におはし たり内にはけさやかに奏せさせ給はねとをのつからきこし おほしめされてこよひのうちに御ゆとの有へく.の、しり あらめ又もをのつからとおほしめすにこれもわるからす おほしめせとさはれこれをはしめたる御事ならはこそ にておはしますにやと見えたり殿の御前いと口おしく たき事なるにた、御子なにといふ事聞え給はぬは女 後一条院 も心ことなり御乳つけには東宮の御めのとのあふみの内侍 ﹂︵十六オ︶ なりlなる ことのほかにめてたけれはI︵ナシ︶ の§しりたりlの、しりたつ なにとlなにかと/女にてlをんなに 凹、ノ〆1 いつしかIしご−﹂力と

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九 十 二 文 芸 資 料 研 究 所 蔵 絵 入 版 本 「 栄 花 物 語 」 翻 刻 影印(二)「玉のむら功 玉のむら菊 長和五年正月廿九口三條院御譲位二月七日後一条院御 即位敦明親王東宮に立給事此巻の初め有略之

三条院皇女当子賊子

前斎宮のほらせ給て皇后宮におはします宮せはし とて又しらせ給所にそおはしまさせ給ひける年比に おとなひさせ給へる御有さまもいみしうをろかならす見 奉らせ給へれと外にしはしとておはしまさせ給ほとに 伊周公 帥殿の松君の三位の中将道雅の君いか、しけん参り かよふといふ事世に聞えてさ、めきさはけは宮いみし 三条 う思しなけかせ給ふほとに院にもきこしめしてけり 栄花の初花と聞えたるに此御ことをはつほみ花とそき されと東宮の生れ給へりしを殿の御前の御初むまこにて をきて間えさせ給た、おなしくはとたれもおほさるへし はせ給へり女におはしませは内にもいますこし心ことに ︵た︶ こえさすへかめるそれはた魁いまこそ心もとなけれ時い□りて ひらけさせ給はんほとめてたし ﹂︵十六ウ︶ おとなひさせ’おとなひはてさせ 外にIほかに 帥殿l帥どの、/三位の’三位 − 1 ワ 只 一 入 竺 U

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ことI∼ならす斎宮の御めのとやかてかの宮の内侍に なさせ給へりし中将のめのとのしわさなるへしとて ﹂︵十七オ︶ 院いみしうむつからせ給てやかてなかくまかてさせ給つ 当子 宮は皇后宮むかへ奉らせ給て院にはいと、しき御心ちに 是を間しめし:よりいと、増らせ給やうにおほされて宮達 ひまなく御使にて皇后宮院に御文しきりなり斎宮我 ︵お︶ にもあらすいみしうおほしめさる中将の内侍はやかて□ はせけるまゞにかの道雅の君むかへとりてわか御もとにいみし ういたはりてをきたりと間しめす皇后宮にはめさまし うおほしめされて人しれすいみしうおほしなけかせ給 けりまことそらことしりかたき御事なれと世にかく もり聞えたるに院の御けしきのいといみしきなりか の在五中将の心のやみにまとひにき夢現とは世入さた めよなとよみたりしもかやうの事そかしそれはまた ﹂︵十七ウ︶ ︵是は︶ まことの斎宮にておはせし折の事なりされと□□ 前斎宮と聞えさすれはあなかちにおそるしかるへき事 前斎宮l前の斎宮 なとIと 御事l御ありさま 御もとにlもとに □はせけるlおはせ給ける 一お﹀ しきりなりlしきれり/我1︵ナシ︶ 増らせ給やうにlまさるやうに 御心ちにl御こ樹ち やかてI︵ナシ︶ なさせ給へりし’て候 かの宮のlみやの

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語」翻刻・影印(二) 「ゆふして」 ならねと院のいときはたけくおほしの給はするかいと かたはらいたきをなん皇后宮いといみしうみたれたるに 小一条院 宮々の御けしきもいといみしきに東宮もわりなう心や ましけにおほしみたるへしする事なき年たにはかな く明くる斑にまいていみしき大事ともの有つれは年も かへりぬことしをは寛仁元年ひのとの酉の年といふめり いせのちひろのそこのうつせ貝のみ恋しくおほされて しほたれわたらせ給わりなき御ぬれきいも心くるしき 道雅 に三位中将は跡たえてわりなくのみ思ひみたれて風につ けたりけるにやかくてまいらせたり 後价泄恋三 榊葉のゆふしてかけしそのかみにをしかへしても にたるころかな人しれぬ事ともおほかめれと世に聞え ねはまねひかたし又高欄にむすひつけ給へりける ゆふして此巻三條院川伽略之 当子 かくて前斎宮いとわかき御心ちに此事聞にく、おほ さるれはいかにせんと人しれすおほしなけかれて御覧せし ﹂︵十八オ︶ 御けしきもいといみじきにl御けしきどもいみじ おほかめれとlおほかりけれど 給へりける’たりける _ 1 ワ ワ ー 土 台 イ

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﹂一口 みちのくのをたえの橋や是ならんふみゞふま すみ、心まとはす宮はふるのやしろのなともおほされて あはれなる夕くれに御手つから尼にならせ給ぬ又哀に むかし物語に似たる御事ともなり 三条院后研子御堂殿女 ○中宮は一条殿にて明蟇の御をこなひにて過させ給月 陽明門院 日の過るにつけても姫君のあはてありかせ給にあや うすものなとも奉らてた、のきぬを御あこめうす色 なとにてありかせ給御くしなかくてちいさきわらはへ なとのやうにておはしますもあはれにいみしき物 におもひ間えさせ給へりし物をと御めのとたちかけ 奉らぬおりなう恋なき奉るひめ宮み、すかきにせ 三条院 させ給へるこれいかてあての御もとに奉らんとの給はする につけても時烏にやつけましとあはれに御覧せら れけりあてはまるをは恋しとはおほさぬかなとかいと 久しくわたらせ給はぬなとかきつ謎けさせ給も涙 と、めかたう御前にもおほしめしさふらふ人々も恩へり 小一条院 宮達おほつかなからすわたり見奉らせ給ひけり東宮 ﹂︵十八ウ︶ 御前l御まへ 給ひけりlけり なとのやうにてlのやうに 御 過 あ る こ | め す ’ ぐ あ る こ / め 姫 に 君 て | ひ め み や / 給 に 給 尼にI︵ナシ︶/又1︵ナシ︶ 御覧せられけりl御らんぜらる

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語」翻亥l1・影IE│ (二)「ゆふして」 せさせ給その殿はらもつねにまいらせ給へう申させ給 院のおはしまさぬはかりこそ有しにかはらせ給へれと 大かたの御ありさまは殿のおはしませはおなしことになん そのおりの殿上人心よせの殿はらなとはつねに参り給 か、るほとに東宮なにの御心のもよほしにかおはしま すらんかくてかきりなき御身をなにともおほされすむ かしの御忍ひありきのみ恋しくおほされて時々に つけての花紅葉も御心にまかせて御覧せしのみ恋し 11J、 くいかてさやうにても有にしかなとのみ思しめさる、間、L 小一条院后賊子小一条院□

よるひるきうにおほさる、もわりなく皇后宮に一生

はいくはくも侍らぬに猶かくて侍こそいといふせぐ侍れ さるへきにや侍らんいにしへの有さまに心やすくてこそ 一条殿の御つれj、におはしますらんとて我も御とのゐ よりもはかなう御あそひ物なとまつ奉らせ給殿の御前 ︵十九オ︶ ︵十九ウ︶ 御心のもよほしにかI御こ、ろにか 侍らんlはべるらん/心やすくてlこ、ろやすぐ おほさる魁もわりなくlわりなくて のみI︵ナシ︶/凪しめさる、lおぼさる、 のみなを つけてのlつけて/御覧⋮恋しくl御らむぜんと はかり:給へれとlかたこそいみじけれども そのI︵ナシ︶ に/我もIわれもつねに 一条殿の’一でうみや/御つれ/、にlつれ/、 はかなうlはかなき − 1 ワ Q − エ 今 己

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さは故院の御つきはなくてやませ給へきかはいみしかりし 元方ノ霊 世の御物のけなれはそれかさ思はせ奉るならんとの給はせ て問いれさせ給はぬをいかて対面せんとたひ︲rl間えさせ 給へは殿まいらせ給へりおほつかなきよの御物かたりなと 間えさせ給てつきになを身のすぐせのわるきにや侍らん かくうるはしき有さまこそいとむつかしけれいかており 三条 いと心うき御心なり御物のけのおもはせ奉るならん故 院のあへきさまにすへ奉らせ給ひし御事をいかにおほし てやかて御あとをもつかす世のためしにもならんと おほしめすそいと心うき事なりなとつねにはいさ め申させ給て御物のけのかくは思はせ奉るそとて所々 賊子 に御祈りをせさせ給ふおほしあまりてわかやかなる殿 上人の申あくからすならんとてめしおほせなとせさせ 給されと殿の御前にさるへき人してかうやうになんと まねひ申させ給殿の御前いとあるましき御事なり 賊子 あらまほしく侍れなとおりノ︲∼に間えさせ給へは宮は L_一 一 一 、 -' 一 オ ー ー ノ かはlか 世のI︵ナシ︶ 間いれlさ蚤いれ なんと’なと あまりてlあまりては かくはlかうは/奉るそlたてまつるなり いとI︵ナシ︶/なとつねにはlとつねに 御あとをもI御あとを/ならんとlならんとは すへlしすへ 給へれば あらまほしく侍れ’はくらまほしけれ/給へはl つきになを身のlなをこの/侍らんlはべるらん かくlかけ

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語』翻刻・影印(二) 「ゆふしてロ れはことI、ならじ御物のけのおほさするなめりと申させ 給へはなてう物のけにかあらんたゞもとよりあそひの 心のみありならひにけれはかくてあるかいとむつかしう おほえて心にまかせてあらんとおもひ侍るなりそれになを えあるましくおほされはもとのほいもありさるへきさ まにてあらんとなんおもふと申させ給へはいとふひんなる事 なり出家とまておほしめされはいとことのほかに侍りさらは ﹂︵二十ウ︶ おもひ給ふれは心のとかに世をもおほしたもたせ給ておはし まさんこそたのもしううれしうさふらふへけれた蚤こ 陵一条院 内にも当代いとおさなくおはしませはよるついとま 陽明門院 なくさふらひてなんなかについて此一品宮の御ためを かはみなさおもふ給へなからえさらぬ事のおほく侍れは つに御うしろみつかうまつるへきよしおほせられし いとあるましき御心をきてにおはします故院のよる 侍りて一院といはれて侍らんと聞えさせ給へはさらに かくてlかく/むつかしうlむつかしく あらんとlならんと あるましくlあるましう 給へはl給 おほさするlおぼさるゞ くうれしく こそlのみこそ/たのもしううれしうlたのもし ついてlつきて いとまなくlいとまなう /侍れはlはへる おもふ給へなから’おもひ給ながら/事のlこし いとあるましきlあさましき/故院のl故院 侍らんlはべるらん

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-131-さるへきさまにつかふまつるへきにこそはさふらふなれ一 院にておはしまさんも御身はいとめてたき事におはし ますよにめてたき物は太上天皇にこそおはします ﹂︵二十一オ︶ めれなとよく御心のとかに間えさせ給てまかて給ぬその 上東門院 ま蚤にやかて大宮にまいらせ給てかう/∼のことをなん東 宮たひノ︲、の給はすれとさらにうけひき申さぬにめし 頼通公 ておほせられつるやうなとこまやかに申させ給摂政殿 ︵も︶ □おはします人のこれをとかく思ひ間えさする事なら はこそあらめわかたはやすくならせ給へる御心なれは一院 とて心にまかせてあらんとおほしめしたるもいとあらまほし 後朱雀院 き事なりさても東宮には三の宮こそはゐさせ給はめ

︵と︶敦康

口申させ給へは大宮けにそれはさることに侍れと式部卿の 宮さておはしまさんこそよく侍らめそれこそ帝にも 一条 すへ奉らまほしかりしかと故院のせさせ給し事なれ はさてやみにき此たひはかの宮のゐさせ給はんは故院の ﹂︵二十一ウ︶ 御心の中におほしけんほいもあり宮の御ためにも 中 に う ち に たはやすくならせIたやすくならはせ 心にl御こ、ろに/いとI︵ナシ︶ 三の宮l三宮 式部卿の宮lしきぶきやうみやの おほせられつるlの袷ひつる まいらせlいらせ 御心lこ、ろ/まかてlまかてさせ 太上天皇l太上皇 こそはさふらふなれlこそはへるなれ

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語」翻刻 影印(二)「ゆふして よくなん有へきわか宮は御すくせにまかせてもあらはや となむ思ひ侍ると間えさせ給へは大殿けにいと有かたく あはれにおほせらる、事に侍れと故院もことj∼なら すた、御うしろみなきによりかしこうおはすれとか 隆家 やうの御有さまはた、御うしろみからなり帥中納言た に京になきこそなと猶あるましき事におほし 後朱布院 さためつかくて八月九H東宮た、せ給ぬはしめの 東宮をは小一條院と聞えさす院いとおほしめすさまに やさしくおほしめされて廿人の御随身えりと、のへ 三条 させ給のるへき馬鞍まてきよらをせさせ給故院の ︵に︶ 御随身ともの世中をいとあえなくおもひたりつる□ ﹂︵二十二オ︶ さるへうひ、しきなとはみな参りあつまりぬ殿上人の さるへくつかひつけさせ給へる人々なといみしう興ありと 城子 おもへり皇后宮いとあかぬことにくちおしうおほせと 又一院とて年官年爵えさせ給蔵人判官代何くれ ︵し︶ のさためあるにつけてもあしくはおは□まさすいまめ かしう御心をやりあらまほしけなるかたは月比の御あり 御心をやりl御こ、ろやり 何くれのlなにくれ おもへりlおもへる/いとI︵ナシ︶ なとI︵ナシ︶ まてきよらをlのそろへを 廿人’十二人 猶I︵ナシ︶ 御うしろみからlうしろみから 御I︵ナシ︶ 大殿lとの/有かたくlありがた、﹁ まかせてもlまかせて 1 「 ) 勺 − ‐ L O O −

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椎大夫には法住寺の大臣殿の兵衛督公信の君成給ぬ ﹂︵二十二ウ︶ 公季公 傳には閑院の右のおほい殿成給ぬ宮司帯刀なとは我も/∼と のそみ申せと大殿えらひなさせ給つよるつあなめて たと見えさせ給帯刀ともいと物きょき人の子ともを なさせ給つなを大宮の御さいはひはめてたくおはします 独眼 式部卿宮此かたにはむけに思したえにしかと此たひの ひまにはかならすたちいてさせ給ぬへかりっるを御すくせ をはしらせ給はすとも猶あやしうとはいかてかおほしめさ さらん世と、もにはれ,r∼しからぬ御けしきも心くるしう 小一条院 なん前の東宮の帯刀とも手にすへたる鷹をそらしたる なといふやうに思へしいまの東宮のをのそみ申すたくひ さまに増らせ給へりさは故院の御つきはかくてやませ 後朱衡院 給ひぬるにやと思しめすほとそいとかなしかりける東宮 の御めのとたちつゐの御事なからたちまちの事とは 思ひかけさりつるにあさましくうれしきにせむかた 御堂 頼宗公 なし東宮大夫には大殿の高松殿の腹の中納言成給ぬ ほとそlかたぞ 御事lこと 患ひかけさりつるにlおもはざりつるに 高松殿の’たかまつの/中納言1大などん/成給 lなり給ぬ 督lかう/成給ぬlなり給 ﹂ⅡU、IノとⅡⅡ守 一月グー二月 をはlは/ともI︵ナシ︶ ひまlひよ/させ給ぬl給ぬ 給っl給/めてたく1世にいみじく 子ともを’こともさにも のそみ’せとlきをひ給へど 傳l東宮傳/帯刀lたてわき

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文芸資料研究所蔵絵入版本『栄花物語」翻刻 九 十 二 影印(二)「ゆふして」 ともあへかめれとことの外の事にて間しめしいれすそれもこと はりにいまノーしくおほされぬへき事なり前東宮は御年廿四に ﹂︵二十三オ︶

︵ら︶後来惟院

な□せ給にけり今の東宮は九にそおはしましける帝も東宮も 御行末はるかにおはします御有さまにつけてもいとめてたし 小一条院女御 かくて高松殿の姫君の御事あるへしとそ世にはいふめるさて 倫子 塀子 その比殿のうへ八幡にまうてさせ給へりけれは中宮より聞えさせ給 色々のもみちに心うつるとも都の外になかゐす ︵ママ︶ な君御かへし有けんしこれはおちたるなるへしかくて十月 斗に雅通の中将日比わつらひてうせ給ぬとの猶しる殿の 牝偏公北″ うへ哀に間しめす故うへのいみしうおほしたりし物をと 兼絆 思しめすなりけりいまは小少将をこそは取わき思ふへかめれとそ 械子 の給はせける世中のはかなきさまもあはれにのみなん皇后宮 当子 には前斎宮いとおかしけなる尼にてをこなはせ給へは御持仏 道雅 なとさま〆、にて奉らせ給中将の乳母は東の三位中将の ﹂︵二十三ウ︶ 御もとにと間しめし蚤かといまはそこにもなかなれは哀れに いかてI∼と斎宮は人しれすおほされけり皇后宮には我 斗にlばかりにきこしめせば/雅通l雅道 御I︵ナシ︶ おほされけりlおぼしめされけり 東のlかの 取わきlとりかさね しlかし/これはlこれに ︵ママ− 外にIほかに 御有さまI︵ナシ︶ − 1 q 医 一 八 J 』

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こそかやうに有へきに此宮の世中をいと心ほそけに思し たるか心くるしさにえ思した、ぬ事とわりなくおほさる二

賊子香ご

三宮もいまたやもめにて宮にさしあつまらせ給へりさるへ□ わたりにの給するはつれなく又いてやなと思しめすにをの つから月日過るなるへし御そともの色も冬に成ま畠にいと とさしかさなり色こきさまにさまI、おはします此御さまを絵 枅子 にか、はやとこそ哀に見えさせ給けれ−条の宮には心のとか に思しめさる、ま、に御行ひかちにてすぐさせ給後夜の 鐘の音もおとろI、しく間しめされけれは御かうしをゞし あけ給て御覧して ﹂︵二十四オ︶ 続古今 みな人のあかすのみ見るもみち葉をさそひに さそふこからしの風とその給はせけるかくて世中に五節 やなにやとの、しるなれと此御わたりには有しむかしを思し 出てよるつをおほしやるにさるへき殿上人まいりたる次て にわかき人々出あひて物かたりするもおかしきに又殿の公達 なとそ今すこし物こまやかなる事ともはかたらせ給めるかもの 行幸またなかりけれは廿余日斗に有へしとの、しれは此一条 御わたりl御かた 咋川て13戸LつE II︾lW−︾ 又I︵ナシ︶ 今lいかて 有へしとの,しれはlあるくけれは あけ給てlあけて 一条の宮’一でうみや おはしますlおはしますを 思しめすにlおぼしめすはす、みきこえざるほど 事とIほども/二三宮も’二三のみやも 宮のlひめみやの に

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九 十 二 文 芸 資 料 研 究 所 蔵 絵 入 版 本 『 栄 花 物 語 」 翻刻・影印(二)「ゆふして」 胡子 殿の北のみかとの前よりそわたらせ給へかなれは宮の御前にさふら ふ人々もゆかしかりおもへと物はなやかならんも人めつ&ましう おほしめされてた、みかとのもとよりはいくらはかりかは御覧せら れんなとあるもいと心もとなかるへきを日比人々いと間にく、 申おもへるほとに殿参らせ給ていかにそ行幸は御覧せんとすや ﹂︵二十四ウ︶ 此北の御門よりこそはわたらせ給へかめれなと中させ給へはいさやさ やうに人々はいふめれといかてかはとの給はすれはあやしのことや さしきを作り色めかせ給は、こそは人のそしりもあらめ御前より わたらせ給はんを御めをふたかせ給へき事かはなと申させ給て た、さりけなく北のついちを崩させ給て御覧すへきよしを申 をかせ給て出させ給ぬれはわかき人々悦ひ聞えさす扱御覧するに 上束門院 いみしうめてたし大宮御輿に奉りて女房車えならすして わたらせ給ほとなとえもいはすめてたく御覧せらるよるつは て、後に大殿わたらせ給こそあないみしやと見えさせ給ふ

︵以下二行分白紙︶﹂︵二十五オ︶

︵挿絵︶﹂︵二十五ウ︶

︵挿絵︶﹂︵二十六オ︶

|色めかせ’はなやかせ 給はんを御めをl給はんことを御かほ/なとlと 給ほとなとl給ほど 給ふl給へ 御輿にl御こし いかてかはとlいかでかし とすや’とや 御前にl御まへにも − 1 Q ワ ー ユ J 』

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又の日此宮より大宮に聞えさせ給ふ 後拾遺雑五 みゆきせしかもの川波かへるさにたちやとまると侍 あかしつる大宮の御かへし 続後撰神祇 立かへりかもの川波よそにても見しやみゆきの 小一条 しるしなるらんとそさて院の御事けふあす有へしと 顕光公女延子 の、しるはまことにやあらん堀川の女御此事によりて御胸 ふたかりておほしなけくへしさてしはすにそむことり奉 御鴬殿女 らせ給へき此比その御ようい心ことなり此御前をは月比 御くしけとのとそ聞えさせける御かたち有さまあへいかきり おはします御心さまなとめてたしとそ人は申めるさるへ き人々えりと、のへさせ給宮々なとに参りこみてやと 思しめしつれと恥なき人々おほく参りつとひたりまつ ﹂︵二十六ウ︶ 三条 遊顧 は故院にさふらひ給し橘三位の腹に山井大納言のむすめ といはれ給し大納言の君とてさふらひ給めり何くれの宮 かの殿はらの御むすめなと名のり給ふ人々おほかめりすへ てえりと、のへたるかきり廿人重しもつかへ四人つ、なり 橘三位の腹に’三位のはらから 大納言の君1大などんきみ 御むすめlにようご/名のり⋮おほかめりlさる べき人々おほかり やとlみやと なと・・・申めるlなど人はめでたしとそ申める 此比1︵ナシ︶ 此事によりてlこのことをき、て とそI︵ナシ︶ 大宮のl大宮

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語」翻刻・影印(二) 「ゆふして」 と忍ひてうちのかたにそおはしますへき殿の御前の御 ともはそはのかたに忍ひやかにうちむれてあるに院の 御供の人々忍ひさせ給へといとおほくそさふらふ御随 身とものけしきえもいはすやさしう思へり入せ給へれ はおほとなふらあるかなきかにほのめきたれと匂ひ ありさま夜めにもしるし東宮にておはしまし、なり まいらせ給はましかは例のさほうにそあらましこれは いまめかしうけちかき物から又いとやん事なし女君 十八九はかりにやおはしますらんとそおほえたる御けはひ 御しつらひより初めあたらしうみかきたてさせ給へれは 小一条 か、やきてそ見ゆるその夜になりて院わたらせ給御前 にさへう心よせある殿上人をえらせ給へり又なかりつる御 なからひ有さまのほと世にあらまほしき事のためしに 成ぬへし殿上人のけしきいへはをろかにさかりならん 棚経 桜なとの心ちしたり御車のしりに大蔵卿つかうまつ 緬宗公 り給へりさておはしましたれは此御はらからの左衛門督 能信 二位中将なとしそくさし入奉り給殿はおはしますなれ ︵二十七オ︶ 御前の御ともはl御せんどもは/そはのかたに忍 ひやかにI︵ナシ︶ 7皆lかう 世にI︵ナシ︶ 御前l御せんに おはしまし猫なりlおはしまし茜に

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-139-ありさまいとかひありておほさるへしそれにつけても堀 川の女御思ひ出られ給も心くるし 小一条 ○日ころ有て院堀川におはしまして御覧すれはわさと ﹂︵二十七ウ︶ みちも見えぬまてあれたりあはれと御覧していらせ給へ れは女御殿は御帳の前に御硯の箱を枕にてふさせ給 へる御前に女房二三人はかりさふらひつれとおはしまし つれはみな入にけりめやすき人々さふらひしかともこの比 みな出はて、えさらぬ人々そさふらひける見奉らせ給へ は白き御そともいつゞむつはかり奉りて御こしのほとに 御ふすまを引かけておほとのこもりたる御くしはいと 見あけ給へるに院のおはしませはあさましくて御かほ 御らんしてや、とおとろかし奉らせ給へはなに心もなく に見えさせ給ふなをふりかたき御かたちなりかしと はかりにおはしますらんかしされといみしうわかうきよけ 給へるほとなり御かたちきよけにてたゞいまは三十 うるはしくてすそほそくてたけに一尺はかりあまらせ ﹂︵二十八才︶’ 御I︵ナシ︶ おほとのこもりたるlおはします しかともlしかど 堀川の女御lほりかはにやうご

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九十二文芸資料研究所蔵絵入版本「栄花物語』翻刻・影印 (二)「ゆふして」 ひきいれ給へは御かたはらにそひふさせ給てよるつに なきみわらひみなくさめ間えさせ給へとそれにつけて もむねふたかりて御泪のみなかれ出れは院はよるつに 敦貞 間えさせ給へとかひなしいつら一の宮はと聞え給へはおはし ましてうち恥らひておはしませは此宮もみなはちける 物をとて御涙ををしのこはせ給もいみしう哀なり 女御の御その袖のかたにた、うかみのやうなるもの、有 をとりて御覧すれは思しける事ともをそ耆給へる 紬古今恋丘 過にける年月なにを思ひけんいましも物のなけかしきかな 打とけて誰もまたねぬ夢のよに人のつらさをみるそ悲しき 千とせへん程をはしらすこぬ人を侍は猶こそ久しかりけれ ﹂︵二十八ウ︶ 恋しさもつらさもともにしらせつる人をはうしといか、思はい とくとたに見えすも有かな冬のよのかたしく袖にむすふ氷の なとか、せ給へるいみしうあはれなりかく物を思はせ奉る事 なとか時々はこ、にもとまらさらんされと人のいみしうもて なしおほいたることのわつらはしけれはた壁いまはいかてかは いましはしもありてこそはなとおほすもいとあはれなり かなlかな。また 御その袖のかたにl御そばのかたに 紺て’て いか蕊I︵ナ、ン︶

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-141-むすふ氷のと書給へるかたはらにか、せ給 あふ事のと、こほりつ、ほとふれはとくれと解る けしきたになしよろっにた、わか御命しらぬ事 をのみえもいはす間えさせ給て出させ給に宮たちの たちさはき見をくり奉らせ給に又御涙のこほるれは ついゐさせ給てよるつになくさめさせ給て御めのと ﹂︵二十九オ︶ ともめしていたかせ奉らせ給て殿の御かたにおはしまさ せ給てそすこし心やすくて出させ給みちの空もなく いみしうおほさるへし御供の人々もとまらせ給は、いかに 日なか、らんと思ひけるに出させ給へはいとうれしくおもひ たるもいと心うし高松殿におはしましたれはたとしへ なき事ともおほかりこたひのたえまいとこよなし女御 いまはた、このなけきはわか身のなからんのみそたゆへきと 御心ひとつをとなしかうなしいつまてくさのとのみおほし 道兼公遠重女 顕光公 みたる粟田殿の北方は年比此殿の北方にておはすれは 此比はうへなとの聞え給事も殿は間入させ給はすいみし とのみ物をおほしたるかいとあはれになんつこもり 御 な こ , し 、 け た ’ き ひ 心 は の | ’ な こ げ た き み に の は / の み そ に の み ぞ 給てそl給て ょろっにI︵ナシ︶/させ給てlたてまつらせ給 、勺’■ 、一/〆 し︲と’一十ノ﹃ン︸

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九 十 二 文 芸 資 料 研 究 所 蔵 絵 入 版 本 『 栄 花 物 語 』 翻 刻 ・ 影 叩 ( 二 ) 「 ゆ ふ し て 」 たちにさへき事ともせさせ給装束ひきくたりをり 物のうちきともそへ又た、のきぬなとそへさせ給へるに 又院の御そともおろしそへさせ給へるにまたある物も有 へし一条宮には御荷前のことするにつけても夢とのみ おほしめさる夜のほとにかはりぬる空のけしきもいと はれI、しく心のとかにてうらj∼とおかしけなりよる つ物のはへなき年なれは例まいり給上達部臨時客おなし 事なりされと女房なとの出入もなくひきいりたる御あり さまも口おしうと高松殿には女房の事もあらため心ち よけなれと院の御その色ことなれは物のはへなき事とも 後一条院 なりよるつよりも御門の御年十一にならせ給へは正月 五日御元服の事有そのほとの有さまおもひやるへし ﹂︵三十オ︶ 頬通公 此廿余日のほとは摂政殿の大饗有へけれはその御屏風ともせさ せ給へるにさるへき人々にみな歌くはり給するに大殿我も読ん に成ぬれは高松殿にはやかてそれにそ院の御めのと ﹂︵二十九ウ︶ 出入lいてゐ 口おしうlくちおしうぞ/心ちよけなれとlこ、 ちよなれと うら,r∼とおかしけなりlうら、ゆかしげなり おろしそへさせ給へるにlそへさせ給ふに うちきともそへlきい その御屏風ともI御屏風 給へるにl給 御荷前のことl御のさきのこと

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-143-たにつくしか、す大和守すけたゞのあそん卯杖を ときは山生つらなれる王椿君かさかゆく杖にとそ きる大饗したる所殿の御前 後拾逝春上 君かりとやりつる使きにけらし野への推子はとりや しつらん春日の使たつ所和泉 ますすへて和歌八十首そ出きたりつれと入たるかきりを か魁る方をさへ忘れさせ給はい御心のほとも聞えさせん方なくおはし の御さいはひ御心さまもつれの事なからかはかりいそかしき御心に すれは端ちかく打詠てうめかせ給ほとさま/∼にめてたく人 とおほせられて世のいそきに御いとまもおはしまされととも 春日野に年もへぬへし神のますみかさの山にき たりとおもへは水ある家にまらうとのきたる祭主輔親 此宿に我をとめなん池水のふかき心にすみわたる へく五月節すけた、 くらふへき駒もあやめの草もみなみつのみまき にひけるなりけり九月九日殿の御前 ﹂︵三十ウ︶ 端ちかくlはしちかに/打詠てlうちながめて 水ある家にIやまざとにみづあるいゑに/祭主’ さいす 院の御前I︵ナシ︶ 生つらなれるlおいつくなれと かぎりに 和歌lうた/八十首そ’八十ぞ/かきりをたにl 方を’ことを/忘れさせIわすれすてさせ

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