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Wanda Gag作品を現代の読みの現場で生かすために : 「ある」から「ない」へ。「ない」から「ある」へ。

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Wanda Gag作品を現代の読みの現場で生かすために

: 「ある」から「ない」へ。「ない」から「ある」

へ。

著者

村中 李衣

雑誌名

ノートルダム清心女子大学紀要. 人間生活学・児童

学・食品栄養学編

45

1

ページ

56-71

発行年

2021

URL

http://id.nii.ac.jp/1560/00000475/

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研究の背景  アメリカにおける絵本の開花期を牽引し た作家として Wanda Gág(1893-1946)は、 世界的に評価が高い。特に 1928 年、最初 に出版された MILLIONS OF CATS(日 本語翻訳版『100まんびきのねこ』)は、 「異時間同図」の絵や見開きページを埋め 尽くす無数のネコとその構図、さらにモノ クロでの緻密な仕上げなど、斬新な技法で 当時のアメリカ出版界を驚かせ、翌年の ニューベリー賞を受賞している。日本でも アメリカで児童図書サービスを学んで帰国 した石井桃子の翻訳紹介により、早くから Gág の作品は子どもたちに親しまれてきた し、正当な評価がなされてきた。吉田(2016) は、MILLIONS OF CATS を、アメリカ

Wanda Gág 作品を現代の読みの現場で生かすために

―「ある」から「ない」へ。「ない」から「ある」へ。―

村中 李衣

Bringing Wanda Gág’s Work to the Contemporary Storytelling Field:

From “Something” to “Nothing” and from “Nothing” to “Something”

Rie M

uranaka

       

キーワード:ワンダ・ガァグ,100まんびきのねこ,なんにもないない ※ 本学人間生活学部児童学科

 Wanda Gág’s picture books have been well received in Japan, and before 1990 they were a staple in storytelling. In recent years, however, they have receded from the field of storytelling. Therefore, we actually conducted a series of read-alouds to children and used the results to identify how to offer Gág’s works to contemporary Japanese children almost 100 years later. It is necessary to be flexible and perceive the dialogue that is occurring between the children and the story, rather than being overly concerned with the superficial reactions of the children listening to the book. This would free the readers themselves from the preconceived notion that children who are too accustomed to stimulating media might get bored if the picture book is too long.

 This paper also considers how the “nothing” and “something” continued to be reversed in Gág’s creative process, and where she ended up. Although “nothing” and “something” are repeatedly questioned in our growth, there is always a moment when we finally become “somebody”. At that moment, we will know what we have lived through.

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が独自の絵本芸術の花を咲かせるきっかけ となった作品と位置づけているし、鳥越 (1993)は、同作品を「アメリカで出版さ れて六〇年、翻訳されて三〇年になります が、その間色褪せることなく子どもたちに 読みつがれています」と述べている。また、 三 宅(2018) は、MILLIONS OF CATS が 1950 年代後半に日本で翻訳紹介された ことの意義を明確にしたのち、この作品は アメリカの出版人が自国の絵本の中で自分 たちが見てもおもしろい、ユニークな作品 であることを認めた最初の作品であろうと 述べている。有働・後藤(2018)は、石井 桃子が 1958 年に東京都杉並区荻窪の自宅 に自身が選書収集した児童書や絵本を,地 域の会員の子ども達に公開するため設立し た<かつら文庫>の 20 年間にわたる活動 記録を振り返り、実際に読み聞かせをして 人気のあった本のリストをまとめている。 この結果によると石井自身が、文庫での読 み聞かせの始まりに、日本語で訳しなが ら読んだという『100まんびきのねこ』 は、子供に人気のあった本上位 10 冊の中 に入っている。かつら文庫の、ひとりずつ の子どもに見合った本を薦めて本の世界に 誘い、その過程で読み聞かせという言語行 為を用いるという試みは、その後全国の読 み聞かせ活動へと広がりを見せた。こうし た流れの中で Wanda Gág の作品は、長い 間日本の読み聞かせのための欠かせない絵 本群として、『世界の絵本 100 選』1)に選 ばれるなど、いろいろなガイドブックや絵 本リストに紹介され続けてきた。  ところが、1990 年代以降日本では、表 現と読者の多様化が顕著になるにつれ、実 際の読み聞かせ現場において、子どもたち の前で Wanda Gág の作品が紹介される機 会はほとんどなくなっていった。香曽我部・ 鈴木(2012)は、この時期日本では「子ども」 という観点が薄れ、大人やヤングアダルト 層に向けた癒しの絵本が注目を集めるよう になったと指摘する。これまで読み継がれ てきたいわゆる古典とされる絵本から離れ ていく傾向が強まった時期でもある。さら に香曽我部・鈴木(2012)は、この流れを 経て新世紀には逆に今目の前にいる子ども たちを理想の読者とし、彼らが喜ぶ本を最 優先する傾向が生まれてきたとも述べてい る。筆者が講師を務めるあかし保育絵本士 養成講座の 2018 年度および 2019 年度受講 生(全員現役保育士)への選書に関わる質 問紙2)においても、日頃の読み聞かせに 活用している絵本の中に『100まんびき のねこ』をはじめ Wanda Gág の作品名が 挙がることはなかった。また、2000 年以降 に出版された読み聞かせのガイドブックの 中にも Wanda Gág の作品が掲載される回 数は以前に比べて極端に減ってきている3) この理由としては、子どもたちのわかりや すい興味を引き付けるために、選書基準が 文章が短くインパクトの強い絵や仕掛けを 伴うものに偏りがちで、Gág の作品のよう に比較的文章が長く子どもたち自身が自分 のイメージを喚起させながら楽しむような 物語絵本では、絵と文章のバランスを読み 聞かせをする読み手が十分に保つことがで きなくなってきているというということが 考えられる。しかし、本当に今の子どもた ちに、こうした作品群は不向きなのであろ うか。Wanda Gág の作品に限定していえ ば、彼女が創作活動を通じて生涯問い続け た「存在する」ことの意味を手渡す側の大 人がきちんと理解し、表面的な子どもの反 応を気にせず自信をもって作品世界を子ど もに見せていけば、幼い子ども読者であっ てもその世界は深く共有できるものなので はないか。さらに、こうした姿勢のもとで 豊かな読み聞かせの場をつくりあげること ができれば、短く刺激の強い子ども読者の 直接的な笑いを引き出す作品へと選書の幅

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が狭まってきた現在において、原点に立ち 戻った読み聞かせの可能性に改めて気づく ことができるのではないか。  そこで、本研究では、Wanda Gág にとっ て「ない」ということと「ある」というこ との意味はどう反転され続けたのか、最終 的にどこへ行きついたのか、そしてそのこ とを子ども読者に対して絵本と言う表現の 中でどう伝えようとしていたのかを彼女の 最初の絵本 MILLIONS OF CATS(日本 語翻訳版『100まんびきのねこ』)と晩 年の作品 NOTHING AT ALL(日本語翻 訳版『なんにもないない』)の2作品を通 して明らかにする。さらに、実際の読み聞 かせを実施することにより、そうした Gág の哲学的な問いかけは現代の子どもたちの 心にどう届いたのかを検証する。そして、 最終的に約 100 年を経た現代の日本の子ど もたちに Gág 作品を手渡すためには、ど ういったことに配慮しなければならないの かを論じていくこととした。 作品の特徴  MILLIONS OF CATS は、1928 年 に 出版された絵本創作の出発点となる作品 で、亜鉛板に描き印刷するリトグラフの手 法を用い、「ガアグの黒」(my black and white)と称される何千本もペンの線で描 き上げた白と黒の世界は、その後の作家た ちに大きな影響を与えた。印刷上の妥協を 許さず、印刷所のレタリングには仕上がり に満足できず、文中の文字は最終的にガア グの弟 Howard の手書きによるものとなっ た。作品の構成や語り口は、Gág オリジナ ルのものであるが、幼いころから慣れ親し んだ昔話の口調に影響を受けていると自身 が語っている。  これに対し創作絵本としては最後の作品 と さ れ る NOTHING AT ALL は、1941 年の出版で、MILLIONS OF CATS とは 異なる手法を用いている。3色のカラーセ パレーションをつくり蛍光灯の光をガラス 板の下から照らして9H の鉛筆で描くとい う新しい手法を試みている。Hoyle(2009) は Wanda Gág の手法について 1940 年代 に彼女が色を使って試していた実験は、早 すぎる死によって、中断されてしまったと 述べていて、Gág 自身も完成された手法と は考えていなかったようである。  次に2作品のストーリー構成を比較して みる。  MILLIONS OF CATS は、起承転結の 流れの中で以下のように「ない」と「ある」 が繰り返される。昔話に見られるのと同様、 エネルギーの欠損と補充の繰り返しが行わ れているのである。 起: こじんまりした家に穏やかに住む老 夫婦だが、ネコがいない・・・欠損 承: おじいさんがネコを探しに出かけ、 いっぱいの猫をみつけ拾って帰る・・・ 補充 転: ネコたちに誰が一番かわいいネコか を決めさせたため、一匹残らずいな くなる・・・欠損 結: たった一匹だけ争いに加わらなかっ たネコを見つけ、その猫と暮らし始 める・・・補充  また、この一匹のネコ自身に焦点を当 ててストーリー攻勢を眺め直してみても、 ちっぽけでみっともないと思っている(欠 損)→老夫婦に世話をしてもらい丸々と 太ったかわいいネコになる(補充)と、直 線的でわかりやすいエネルギーの推移が見 て取れる。ところがこのわかりやすい単 純なストーリーに対して、Wanda Gág の 繊細な黒一色のペン画で表現された絵の方 は、見開き画面ごとにパノラマ状に時間と 空間を一体化させた独特のうねりをもって いる。この、ストーリーと絵のコントラス

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トが読者をひきつける一つの大きな要素で もある。  一方『なんにもないない』は、下記の通 り、姿が見えないという欠損の自覚がない 状態から、欠損への気づき、補充への努力、 補充の完成と他者からの容認という流れを 持つ。自分だけがわかっている「ある」と いうことを他者にとって「ある」ことへど う繋げていくかという哲学的問いが、より 切実でストレートに語られているともいえ る。 起: 「ないない」は確かにいるがその存在 は他者には見えない。「ないない」は、 見えなくても平気・・・欠損への気 づきなし 承: 「ないない」は見えないことで置き去 りにされてしまう・・・欠損の自覚 転: 「ないない」は、見えるようになるま じないを物知りガラスから教わり、 実行する・・・補充への努力 結: 「ないない」は、努力の甲斐あって見 える犬になる。見えるようになった ことで発見してもらえ、みんなで一 緒に暮らす・・・補充による承認  Wanda Gág は、NOTHING AT ALL 出 版の5年後、1946 年に肺がんによって亡 くなっている。そのため、NOTHING AT ALL は、Gág 晩年の作品とされ、本稿の 中でも発表歴としてはそのように扱ってい る が、Hoyle(2009) は、NOTHING AT ALL の構想が作品発表の 15 年前(1926 年) 頃から既に Gág の頭の中にあったことを、 彼女が知人 Mr.Morly にあてた 1941 年の 手紙をもって指摘している。また、構想の 段階から存在に関する哲学的な問いの伴走 者を登場させることを考えていたが、当時 は<物知りガラス>ではなく、<手品師の リス>を想定していたこと、そしてそれが、 Lewis Gannett のアドバイスに従ってキャ ラクターを変更するに至ったことも明かし ている。いずれにせよ「ないない」に自分 を同化させて読み進めていく子ども読者に とって「欠損の補充に向かう努力」を支え る重要な役目を担う孤独の伴走者の登場が 早くから考えられていたことは、間違いな い。  このようにまとめてみると、Gág の中に あった「ある」ことと「ない」ことをめぐ る様々な問いのかたちは、MILLIONS OF CATS か ら“NOTHING AT ALL へ と、 時代を経て変化していったというよりも常 にいろんな形で表現の中に組み込まれ試さ れていたと考えるのが妥当であろう。また、 この問いは、大家族の長女として生まれ、 芸術的な才能を持ちながら早世した父に代 わり世に出て認められたい、認められなけ ればならないという思いと、家族を養うた めにやりたいこととは異なるさまざまな下 積みの仕事を続ける日々の中での葛藤を表 している。つまり、彼女自身がどう生き進 むべきかを問う姿勢そのものでもあったと 考えられる。 子どもたちとの実践  2019 年の夏、山口県内の保育園と幼稚 園において、3歳〜6歳の子どもたちを対 象に、日本語翻訳版である『100まんび きのねこ』と『なんにもないない』の両作 品に対し、集団での読みあいと、個別の読 みあいを繰り返した。  研究の背景で述べた通り、最近の子ども たちは、本以外の刺激の強いメディアに慣 れすぎて、じっくりと深い物語を味わう機 会が減っているので、一場面に与えられた 文章量が多い『100まんびきのねこ』や 『なんにもないない』は、本当に読み聞か せに向いていないのだろうか。読み聞かせ のガイドブック等から外されているよう

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に、途中で飽きてしまうのだろうか。  以下、2冊の集団読みの実際の様子を 記すことにする。それにより、「読み手が Gág の作品世界の本質を感じ取る」とはど ういうことなのかを明らかにする。 読み聞かせ実践・集団読み1   実施場所: こぐま保育園(山陽小野田 市有帆)   対象: 3歳児〜6歳児 12 名(男子 7名 女子5名)   実施日:2019 年8月1日 <『100まんびきのねこ』の読みあい記録>  表 紙:絵が全員によく見えるように本を ゆっくり回して見せる。子どもたちは みな、あごをあげ、表紙の絵に見入る。  見 開き①;昔話風な話の入り方に真剣に 耳を傾ける子と、モノトーンの絵から 目をそらす子がいる。  見 開き②:画面いっぱいに広がる丘の絵 に「わぁ」と声を上げる男子。それに つられて見入る子どもたち。  見 開き③:リズミカルに繰り返される「ね こ」の言葉に「うわ、ねこだらけ」と つぶやく子ども。  見 開き④〜⑥:おじいさんが、一匹ずつ の猫を吟味して拾い上げていく過程が 順に描かれ、絵の変化及び大きなストー リーの進展や場所の移動がないため か、よそ見をする子どもが何人か現れ る。  見 開き⑦:「さて」という語り出しの言 葉と共に猫たちを引き連れたおじいさ んの大移動が始まるため、立ち上がっ て猫たちの様子を確かめようとする男 子が現れ、女子にたしなめられる。前 ページでよそ見をしていた子どもも注 目している。  見 開き⑧〜⑩:ストーリーの流れに引き 込まれるように全員黙って絵に見入っ ている。  見 開き⑪:猫同士の激しい争いの場面で その戦いの様子に女子のひとりが口に 手を当てて見入る。前列の子が首を伸 ばして絵に見入ろうとしたため、「見 えん!」と端の方に座っていた男の子 から声が上がる。その声につられて、 あちこちから「見えん」の声が上がっ たため「しっかり見てね」と十分すぎ るほど時間を取ってこの場面を一人ず つの顔の前にもっていくようにして見 せた。すると、どの子も腰を落ち着け て、じっくり絵に見入る。  見 開き⑫:猫たちの戦いの結末を知りた くて、耳を澄まして語りに聴き入って いる様子。  見 開き⑬:語りに聴き入る子と、争いの 結末がわかって、よそ見を始める子に 分かれた。  見 開き⑭:仔猫の変化をよく見ようと、 再び全員が絵の方へ視線を向ける。  見 開き⑮:語りに聴き入る子と、よそ見 を始める子に分かれた。しかし、最終 ページの猫の絵を見ると、おだやかな 表情で「よかったね」「めでたしめで たし」と口々につぶやく。 <『なんにもないない』の読みあい記録>  表 紙:「なんにもないない」ということ ばに、くすっと笑う子がいる。  見 開き①:「三びき」と語られるのに犬 の絵が二匹しか描かれていないので、 不思議そうな表情が見える。  見 開き②:文章が長いが「のっぽではな い ちびではない なんてことない  なんにもない だから名前も “なん にもないない”」の言葉の韻とリズム に反応して、あちこちからクスクス笑 い声が漏れる。

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 見 開き③〜⑤:ストーリーの成り行きを じっと見守っている様子で、特に目 立った言動なし。絵をのぞきこむ子は いない。  見 開き⑥:ないないが、兄さん犬たちの 後を追ってあちこち探しまわる様子を 表現した    「あっちへいったり こっちへきたり  よじのぼったり もぐったり。でんぐ りがえって じぐざぐじぐざぐ、けれ ども だあれも どこにもいませんで した。」のフレーズのリズムに誘われ て、子どもたちが背伸びをして、初め て絵をのぞきこもうとする姿が見え る。  見 開き⑦⑧:絵のデザインがほぼ同じで あるためか、絵をじっと見つめながら 語りに耳を傾けている様子。語りが長 く続くので、よそ見をする子もいる。  見 開き⑨:「てんてこまいまい ぐるぐ るまい」というまじない言葉に引き付 けられて笑う子や体をくねらせる子ど もが現れる。ないないの犬の形が絵で あらわされたところに気づいて、「あ」 と指さす子どもがいる。  見 開き⑩⑪⑫:繰り返される「てんてこ まいまい ぐるぐるまい」というまじ ない言葉にひとりで笑い声を上げる子 もいれば、顔を見合わせて笑いあう子 もいる。全員がないないの変化を見 守っている様子。集中してみている。 ないないの変化を指さして確認しよう とする子がいる。  見 開き⑬:ないないが、9日間のまじな いをやり終えて走り回る様子を語りを 聴きながらじっと見守っている様子。 よそ見する子はいない。  見 開き⑭:はじめて左右両面続きの絵が 現れ、全員が見入っている。  見 開き⑮:静かに語りに聴き入っている 様子。 読み聞かせ実践・集団読み2   実施場所: めぐみ幼稚園(山陽小野田 市中川)   対象: 3歳児〜6歳児 15 名(男子 7名 女子8名)   実施日:2019 年8月 20 日 <『100まんびきのねこ』の読みあい記録>  表 紙:絵が全員によく見えるように本を ゆっくり回して見せる。子どもたちは 「100まんびきい」と大げさに驚い たような表情をしながら、表紙の絵に 見入る。赤い花の絵を「目玉?」と聞 いてくる子どもあり。  見 開き①;じいっと語りに耳を澄ます  見 開き②:画面いっぱいに広がる丘の絵 に「ながぁ〜」と声があがる。絵のう ねりに見入る様子  見 開き③:リズミカルに繰り返される「ね こ」の言葉にくすくす笑い声があがる。 「うわうわうわ」と声を上げる子ども あり  見 開き④〜⑥:おじいさんが、一匹ずつ の猫を吟味して拾い上げていく過程を 静かに見守っている。後ろの方で絵の 細かい部分が見えにくいのか、よそ見 をする子どもが何人かいる。⑤のおじ いさんの足元の絵を見て「ハートの形」 と指摘する子あり。    「ほんとじゃ」と注目が⑤の絵に集ま る。  見 開き⑦:両面が繋がれたようなダイナ ミックな絵に「わぁ」と声が漏れる。 大行列を見ようと少しずつみんなが前 の方に詰め寄ってくる。  見 開き⑧〜⑩:ストーリーの流れに引き 込まれるように全員黙って絵に見入っ ている。

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 見 開き⑪:「そして、ねこたちは、けん かをはじめました」と語ると「見せて」 「見せて」と子どもたちが競い合うよ うに絵をのぞきこもうとする。こぐま 保育園での集団読み実践同様「しっ かり見てね」と十分すぎるほど時間を 取ってこの場面を一人ずつの顔の前に もっていくようにして見せた。すると、 やはりどの子も腰を落ち着けて、じっ くり絵に見入る。  見 開き⑫:語りから、草の間に一匹だけ 小さな猫が隠れていたということを 知って「どこ?」「見えん」と探し始 める。  見 開き⑬:どの子も腰を落ち着けて聴き 入っている。  見 開き⑭:前列にいた女子のひとりが猫 の変化の様子を指で追って「かわいい」 という。  見 開き⑮:語り手の顔を見上げてにっこ りする子どもあり。よそ見をする子な し。     最終ページをめくると何人かの子ど もが満足げに「おしまい」とつぶやく。 <『なんにもないない』の読みあい記録>  表 紙:「なんにもないない」ということ ばに、「ないない」と復唱する子あり。  見 開き①:「三びき」と語られるのに犬 の絵が二匹しか描かれていないので、 不思議そうな表情の子が何人かいる。  見 開き②:文章が長いが「のっぽではな い ちびではない なんてことない  なんにもない だから名まえも “な んにもないない”」の言葉の韻とリズ ムに反応して、クスクス笑い声が漏れ る。  見 開き③〜⑥:ストーリーの成り行きを じっと見守っている様子で、特に目 立った言動なし。こぐま保育園で絵を のぞきこむような反応が強く見られた 「あっちへいったり こっちへきたり  よじのぼったり もぐったり。でんぐ りがえって じぐざぐじぐざぐ、けれ ども だあれも どこにもいませんで した。」のフレーズも、楽しそうでは あるが、静かに聞いている。特に競い 合って絵をじっくり見ようとする動き はない。  見 開き⑦〜⑧:こぐま保育園同様、絵の デザインがほぼ同じであるためか、絵 をじっと見つめながら語りに耳を傾け ている様子。語りが長く続くので、途 中でよそ見をする子が現れた。  見 開き⑨:「てんてこまいまい ぐるぐ るまい」というまじない言葉に合わせ てその場でぐるぐるまいをして見せる 子どもが現れる。それにつられて同じ ようにぐるぐるまいをし始める子が数 人現れる。ないないの犬の形が絵であ らわされたところに気づいた女子が 「かわいい」とつぶやく。  見 開き⑩〜⑫:繰り返される「てんてこ まいまい ぐるぐるまい」というまじ ない言葉にじっと絵を見つめる子もい れば、ぐるぐるまいをし続ける子ども もいる。その姿はまちまちであるが、 どの子も集中してみているのがわか る。よそ見している子どもはいない。 ないないの変化を「あ、しっぽ」とか 「あ、め」「あ、はな」とひとつずつ絵 を指さして説明しようとする子もい る。  見 開き⑬:ないないが、9日間のまじな いをやり終え走り回る様子を伝える語 りを聴きながらじっと見守っている。 よそ見する子はいない。  見 開き⑭:はじめて左右両面つづきの絵 が現れ、全員が見入っている。  見 開き⑮:静かに語りに聴き入っている

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様子。最後の「さいこうだね!」の言 葉にほおっとため息をつく子がいる。 <2園での集団読み実践記録から見えてき たもの>  異年齢集団の中に持ち込まれた2冊の絵 本であるが、実際に読み聞かせをしてみる と、想像以上に子どもたちは作品世界に 引き込まれていった。ただし、その引き 込まれ方は、『100まんびきのねこ』と 『なんにもないない』では、異なっていた。 『100まんびきのねこ』の方は文章が昔 話的骨格を持っており、選ばれたシンプル な言葉は小気味よい韻を含み、全体に流れ るその言葉のリズムと呼応するように描か れたダイナミックな絵に子どもたちはみな 引き付けられていた。そのため、細かい絵 の描写がよく見えるように工夫し、ひとり ずつが、その絵があらわす世界をたっぷり 味わえるように配慮して読めば、ほとんど の子どもが集中力と好奇心をもって最後ま で引き寄せられるように楽しんでいた。と ころが『なんにもないない』の方は、絵で ストーリーの流れが途切れずに語られてい るわけではなく、どちらかと言えばそれぞ れの場面の状況を挿絵的に描いて見せる場 面がほとんどであったため、絵の力強い導 きによって子どもたちが作品に引き寄せら れていくという読みではなかった。『なん にもないない』の方は、誰にも自分の姿が 見えない、わかってもらえない、というちっ ぽけな犬の哀しみに共感して、彼の行く末 を見守るように絵本を見ていく真剣な姿が 何人かの子に見られた。そのため争って絵 を見ようとしたり「見えん」と文句を言う 子はいなかった半面、そういう主人公への 共感をもって話についていくことができな かった子どもは、文章が長い分、途中で集 中できなくなってしまっていた。つまり、 『なんにもないない』の読み聞かせの場合 は、『100まんびきのねこ』のように「絵 がよく見えるように」という配慮だけでな く、読み聞かせる大人が Gág が描こうと した世界の本質を感じ取り、それを子ども と共感しあいながら味わうように読んでい く必要がより強く感じられた。では、Gág が描こうとした世界の本質に共感するとは どういうことなのであろうか。それを明ら かにするために個別読みを行った2名の事 例を紹介する。 読み聞かせ実践・個別読み1  4歳児Aの場合 (語り手は「ナ」 聴き 手の子どもは「A」と記す) <『100まんびきのねこ』の読みあい記録>  表 紙:A「わあああ、100まんびき」 と言いながら表紙の猫を一匹ずつ指さ す  見 開き①;うんうんとうなずく  見 開き②:左ページ下のおじいさんとお ばあさんの絵を見つけて、そこから右 ページへ向けて描かれた丘の稜線を指 でなぞる  見 開き③:リズミカルに繰り返される「ね こ」の言葉を聴きながら、楽しそうに 猫の絵を指す  見 開き④〜⑤:「しろいねこ」「しろくろ のねこ」「ふわふわしたはいいろのね こ」という猫を描写する言葉に合わせ て 画面上の猫の絵を順番に指す。  見 開き⑥:口を大きく開けて猫がいっぱ いの絵をのぞきこむ。その後で語り手 の顔を見上げてにっこり。  見 開き⑦:左ページ上部から右ページ下 部まで繋がっている絵のように続けて 指で一度なぞるが、右ページと左ペー ジがつながっていないことに気づきA 「あれ?」と笑いながら首をかしげて、 もう一度左右別々に行列の道筋をたど

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りなおす。  見 開き⑧:ナ「いけのみずは、すっかり なくなってしまいました」の言葉に合 わせて、Aは右ページの池の絵の中に 人差し指を入れ、周りの猫たちに向け てその指で水を掬い上げる真似を繰り 返す。  見 開き⑨:ナ「くさが、一ぽんも なく なってしまいました」の言葉に合わせ て、Aは、野原の草の絵を指先でなで ながら、左ページの絵と右ページの絵 を較べている。そして黙って首をかし げる。(草が食べ尽くされた後の絵と 認識しづらかったのか)  見 開き⑩:一度ページを前へめくり戻し、 見開き⑨から続けて指で旅の跡をたど り、その指を今度は右ページ端から左 ページへ向かって滑らせる。指の動き はおじいさんの足元で止まる。A「ね こだらけ」とつぶやく。  見 開き⑪:ナ「わたしたちは、びんぼう になって、うちも なにも なくなっ てしまいますよ」と語ると、A「びん ぼう」とつぶやいて、悲しそうな顔に なる。猫たちの言い争いのセリフを聴 きながら、絵の中の一匹ずつの様子に 見入る。  見 開き⑫:じっと語りに耳を傾けていた が、最後の「ほねと かわばかりに  やせこけたねこでした」という言葉を 聴くとA「ここ」と、茂みの中の猫を 指して、語り手を見上げる。ナ「うん、 いたね」  見 開き⑬:「ねこの けは やわらかく  ふわふわに なりました」の語りを聴 くと、Aは、おばあさんの膝の上の猫 を指でなでる。ナ「ふわふわ?」A「う ん」とうなずく。  見 開き⑭:語りを聴き終わった後A「こ んなでこんなでこんなになって、こん なになって・・・」と小さい声でつぶ やきながら、猫の姿が変化していくプ ロセスを指でたどっていく。  見 開き⑮:Aは、猫の前足のところから 指で毛糸玉の糸の線をおばあさんの手 のところまでたどっていく。A「おし まい」と言いながら、にっこり笑って うなずく。 <『なんにもないない』の読みあい記録>  表 紙:ナ「なんにもないない」とタイト ルを読むとA「ん?」と首をかしげて ほほ笑む。  見 開き①:語りを聴いた後で、A「三び き?」ナ「うん、三びき」  見 開き②〜④:両腕で自分の体を抱きし めるようにしてじっと聴いている。  見 開き⑤:兄さん犬2匹が子どもたちに 抱っこされている絵を見て、A「だっ こ」とつぶやく。その後、兄さん犬た ちを抱っこしたまま去っていく子ども たちの後ついていくないないの白い〇 の絵を指でなぞる。  見 開き⑥:右ページのないないの動きを 表す点線を指でたどる。  見 開き⑦〜⑩:再び両腕で自分の体を抱 きしめるようにしてじっと聴いてい る。  見 開き⑪:「ないないの目が あらわれ ました」の言葉を聴いて、自分の両眼 を指さす。続けて「はなと口が あら われました」の言葉を聴いて、自分の 鼻と口を指さす。    ナ「あらら、ないないといっしょ」。 A「ふふっ」。  見 開き⑫:「ないないの舌のかたちが  あらわれました」を聴いて舌を突き出 して見せる。「耳と足が あらわれま した」を聴いて、両耳をつまみながら、 足をバタバタさせる。

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 見 開き⑬:両腕で自分の体を抱きしめ直 し、じっと聴いている。  見 開き⑭:点線の始まりを画面の上で探 し、木の下のぐるぐるまいのところを みつけて、そこからないないの足取り を点線にそってたどる。  見 開き⑮:最後のナ「さいこうだね!」 の言葉に、にっこり笑い、自分で最後 のページをめくって、A「おしまい」 と言う。 読み聞かせ実践・個別読み2  5歳児Bの場合 (語り手は「ナ」 聴き 手の子どもは「B」と記す) <『100まんびきのねこ』の読みあい記録>  表 紙:絵を端から端まで見やりながら 黙って聴いている。  見 開き①;家の周りの花の絵を指でなぞ る。ナ「かわいいね」。B、うなずく。  見 開き②:語りを聴きながら、無言で丘 の稜線をまずたどり、次に雲の絵を左 から右へたどっていく。  見 開き③:リズミカルに繰り返される「ね こ」の言葉に目を見開く  見 開き④〜⑤:語りが終わった後で、B 「すてねこかなぁ。のらねこかなぁ」 ナ「どっちだろうねぇ」  見 開き⑥:語りが終わると、B「これぜ んぶ?」と言って絵を指さしながら 「1,2,3,4,5・・・」と、知って いる限りの数を数え続け、ふうっとた め息をつく。B「かぞえられない」  見 開き⑦:見開き②と同じように、語り を聴きながら、無言で丘の稜線をまず 指先でたどり、次に雲の絵を左から右 へ指先でたどっていく。丘の稜線をた どるときは、左ページの絵と右ページ の絵を空中で上手につなぐようにして たどる。  見 開き⑧:左右のページを見較べ、池の 周りの花の絵を指さし、B「絵がちが う」。ナ「ほんとだ」。B「あ、このね こたちが、たべちゃったのかも」。ナ「そ うかもね」。  見 開き⑨:流れるような雲の絵を指でた どる。そのあとで、雲の絵と猫を抱え たおじいさんたちの行列の絵と野原の 絵が全部ひとつに繋がっていることに 気づき、もう一度指でたどりなおす。  見 開き⑩:おばあさんの台詞を聴いて、 B「わああ、たいへんだ」。顔を絵に 近づけて一匹ずつの猫を、じっくり見 る。  見 開き⑪:語りを聴きながら、顔を絵に 近づけて一匹ずつの猫を、じっくり見 る。  見 開き⑫:じっと語りを聴いていたが、 左ページの机の上の塊を指さし、B「こ れ、なに?」ナ「さぁ、なにかなぁ」 B「お金のふくろ?」  見 開き⑬:仔猫の絵を見ながら語りを聴 いている。  見 開き⑭:猫の変化の様子を順番に目で 追い、B「すごい」。  見 開き⑮:語りを聴き終わると、額縁の 女性の絵とおばあさん、額縁の男性の 絵とおじいさんを指でつないでみせ る。 <『なんにもないない』の読みあい記録>  表 紙:黙って絵を見ている  見 開き①:黙って絵を見ている  見 開き②:「とんがりやね」「くるりんや ね」「まあるいやね」の言葉に合わせ て順番に絵を指さす。  見 開き③:黙って絵を見ている  見 開き④:語りが終わると突然、B「あ のね、うち、犬は飼ってないよ。だっ てね、一番上のおにいちゃんのこう

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ちゃんがね、あのね、埃アレルギーだ から」。ナ「あらら、それじゃ飼えな いねえ」。Bうなずく。「だから大きく なったら飼える」。ナ「じゃぁ、ない ないだったらどう? ないないだった らほこりないのかな?」Bしばらく考 えて「ないないならだいじょうぶ」。    次のページをめくろうとすると、B「で もこうちゃんには(ないないが)見え ない。    ナ「ふうん。Bちゃんは?」Bきっぱ りと「見える」「だって、わたしまほ うのめがねもってるから」といって、 両手でメガネの形を作って目にあてて みせる。  見 開き⑤:「こっそりひっそりついてい こう」と語ると、指で白いないないの 動きをたどり、B「コロコロって」。 ナ「そうそう、コロコロってついていっ たんだね」。ナ「ないないは げんき よく みんなのあとに ついていきま した」と語り終わると、ないないに気 づかない作品中の男の子と女の子に対 して「Bなら、ぱっとふりむくのに」 と言う。  見 開き⑥:語り手が文章を読むより先に、 右ページの絵を見て、B「まってまっ て〜」と言いながら、ないないの走っ た道筋を指でたどる。その指先の動き が止まるのを待ってナ「ないないのあ しはぐったり めはちかちかしてきま した」を声に出して読み始めると、B は、両眼に手をあてて、瞼を閉じたり 開いたりするしぐさを繰り返す。    続けて読んでいる間、再び右ページの 絵を眺めてB「この線、犬のかたち」 とつぶやく。  見 開き⑦:ぺージをめくるとすぐに、な いないの白いかたちに指をあて、B「こ こ」と言いながら木のうろの中へ入れ てやろうとする。その後、語りを聴き ながら口をあけ、その口の中に指を 突っ込み、くねくね動かし続ける。ま るで、木のうろに入ったないないのよ う。  見 開き⑧:まだ指を口の中に突っ込んだ まま、じっと語りを聴いている。  見 開き⑨:口から指を出し、現れたない ないの犬の形をその指でたどる。  見 開き⑩〜⑬:両掌を頬にあて、ひとこ ともしゃべらずに、じいっと絵に見入 り、語りを聴いている。  見 開き⑭:迷わず木の下のぐるぐるまい の絵のところから点線をなぞってい く。そして荷車に載せてあった丸い屋 根の犬小屋までその指をもっていく。  見 開き⑮:静かに語りに聴き入る。語り が終わると、絵の中のないないに駆け 寄る二匹の兄さん犬を指でなでて、B 「これがいちばんうえのおにいちゃん、 これがにばんめのおにいちゃん」と言 う。  * 読み終わった後、表紙の絵に戻り空洞 のようになっている中央の犬小屋を指 さし、B「ここも(ないないがいるこ と)Bには見えてるよ」と言う。ナ「そ うか、だってBちゃんにはまほうのめ がねがあるんだもんね」と言うと、手 で作った魔法の眼鏡を自分の顔から外 し語り手に掛けてくれようとする。し かしすぐに、外して自分の顔に掛け直 す。B「あのね、わたしだったら、す ぐりゅうちゃん(生まれたばかりの弟) をまほうのめがねでみつけてあげて、 ぎゅってだっこする」。 <ふたりの個別読み・実践記録から見えて きたもの>  A、Bふたりの個別読みには、どちらの 作品に対しても、より親密で作品世界と響

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きあう瞬間が見られた。その理由のひとつ としてもちろん「自分のペースで絵をじっ くりとよく見ることができる」ということ があげられる。特に『100まんびきのね こ』に関しては、個別読みをするとAもB も、絵本の絵におおいかぶさるようにして、 複数の視点から見える光景を一つに再構成 したGág特有の不思議な画面を指でなぞっ たりふんふん歌いながら堪能する姿が見受 けられた。一方、『なんにもないない』の 方は『100まんびきのねこ』のように見 開き両面全部を用いた広がりのある絵は一 場面しかないため、絵の構図の面白さとい うよりも「ないけれどある」ことを描いた 一枚ずつの絵を見つめながら、子ども自身 が、自分の心の内側にあるものと対話して いるようだった。「自分がいるというだけ ではだめで、だれかにちゃんとその存在を 認めてもらいたい」という欲求がストー リーの中で叶えられていく過程を見届けよ うとしていた。4歳児Aは、カラスに教わっ たまじないによって、少しずつないないの 姿が現れてくる場面を、自分の目や鼻や舌 をさわったり動かしながら味わっていた。 それはまるで、ないないと一緒に自分の存 在もまた、外側から確認しようとしている かのようであった。『なんにもないない』は、 個別読みをすることで、細かい部分をみる ことができるだけでなく、自分と物語の間 で哲学的問いを交わす<間>が急かされる ことなく自由に確保されるのである。  5歳児Bは姿の見えない「ないない」の 犬小屋の中の空白の絵を見つめながら「あ のね、うち、犬は飼ってないよ。だって ね、一番上のおにいちゃんのこうちゃんが ね、あのね、埃アレルギーだから」と自分 の家族のことを語り始めた。そして、「か たちがない」=毛もないと考えたのか「な いないなら、だいじょうぶ」と言ってのけ る。また、「こうちゃんには(ないないが) 見えないが、自分には魔法のめがねがある から見える」とも、言い切る。お兄ちゃん にはないないが見えない=お兄ちゃんに とっては、ないないは「ない」存在=見え なければお兄ちゃんのアレルギーを引き起 こさない、と考えたのかもしれない。その 一方で自分には魔法のめがねがある=ない ないが見える=ないないといっしょにいら れると考えている。読み終わった後も表紙 に描かれた、空洞のようなないないの犬小 屋を指して「ここも(自分には)見えてる よ」とつぶやく。語り手にも「ないない」 が見えるように魔法のめがねをかけてくれ るが、思い直してすぐに撤収し、もう一度 自分にかけなおす。さらに、生まれたばか りの弟を「ないない」に見立て、自分が魔 法のめがねで見つけてあげて「ぎゅっ」と 抱っこしてあげるとも述べている。Bは、 自分には常に「かたちなきもの」がみえる し、気づいてやれる、愛してやることもで きるということを繰り返し言葉にしている のだ。そして自分にそれができるのは「魔 法のめがね」があるからだとする。  実際には、アレルギーによって親の心配 と愛情が兄の方へ注がれ、生まれたばかり の弟の存在もあって、B自身は寂しい思い をしているはずであると、彼女の担当保育 士は語ってくれた。また、実際にその存在 を強く認められたいのはB自身であり、み つけてもらって「ぎゅ」っと抱きしめても らいたいのも彼女自身の方なのではないか とも、語った。Bは「ある」のに「ない」 不確かな自分=主人公の「ないない」その ものを、自分の力(魔法のめがねを手にす ること)によって発見しようとしているか のようだ。Bにとっての「魔法の眼鏡」は、 存在に向けた哲学的な問いの伴走者、つま り作品の中の物知りガラスと同様の存在 だったのかもしれない。

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MILLIONS OF CATS(『100まんびきの ねこ』)と NOTHING AT ALL(『なんにも ないない』)の根底にあるもの  ここまでの実践によって見えてきた Gág 作品と子どもとの深い結びあいのさまを 念頭に置きながら改めて MILLIONS OF CATS と NOTHING AT ALL の 2 作 品 の本質に迫っていくことにする。  先述のとおり、2作品の構想はほとんど 同時期に彼女の中に存在していたという事 実から、今回の比較は、従来の研究のよう な初期と晩年という時を隔てた Gág の作 品づくりの変化という見方でなく、両作品 を通し彼女の内部から立ち上がってくる本 質的な<なにか>に迫っていきたい。  MILLIONS OF CAT で は、 ち っ ぽ け でどうってことのない一匹の猫が、たっ た一匹のかけがえのない(他のどの猫で もない)猫になる過程が描かれた。一方、 NOTHING AT ALL も、たしかにそこに 存在するのに<かたちをもたないため>外 の世界の人にはその姿が見えない=「ない」 存在から、他者に認められる=「ある」存 在へと自分の力で変わっていく物語であっ た。欠損から補充へというエネルギーの推 移が両作品の中に共通して流れている。こ れは彼女が生まれ育ったニューウルムの街 が移民の多い街でメルヘンなどヨーロッパ 文化の影響も受けていたこととも関係があ るだろう。しかし、「ある」ということは どういうことかを問うこと、そして「ひと にはわからないけれど、確かにある」こと と他者にとって「ある」ことを繋げていこ うとする葛藤は、子ども特有の根源的で哲 学的な問いにも繋がる。  Marcia Brown は 1994 年5月、日本に 来日した折、その講演4)の中で「ワンダ は自然に潜む力が前進したり動いたりする のを感じ取る少数の人にしかわからない感 覚を持っていた」と述べている。この「少 数の人しかわからない感覚」とは、作品の 中で描かれた自己の内側に潜む内的エネル ギーの出入り(「ある」と「ない」とのせ めぎ合い)の事を指しているのではないか。 そして、理屈抜きで差し出された物語を素 直に受け入れることのできる子ども読者こ そ、存在そのものの行方を問う Gág の世 界を一番素直に共有できるのではないか。   ブ ラ ウ ン ( 2 0 1 3 ) は 、 G á g 3 6 歳 、 MILLIONS OF CATS を執筆し、同時に NOTHING AT ALL の構想を進めていた 当時の日記を、次のように紹介している。  「宇宙に空っぽな部分などというものは ない。―中略― もし、満たすものがなに もなければ、少なくともそれ自体の小さな リズムで、それを取り囲むフォルムがつく り出すリズムで満たしたい。―中略― 物 体のエネルギーを球状の層をなして包み込 んだもの―中略―  私はそれを確かに感 じている―中略―内発的で深く感じ取れる ものはなんだって表現する価値があるよう に思うのだ。」(P.46)(1929 年 10 月 29 日)  こうした Gág の内的世界は、創作の世 界に入る以前の日記からも読み取れ、そこ には実際に作品のモチーフや絵に繋がって いったと思われる表現も見出だせる。  例えば、1914 年4月 17 日の日記にはこ う記されている。  ―「私自身」は内側にいる。「私」は外 でおさまっていようとするのだが、かく ばっていてうまくいかず、「私自身」に触 れてそこにあるのをたしかめることしかで きない。「私自身」は、「私自身」を説明し ようとする努力を時にはからかい、ときに は甘やかし励ますように笑う。笑われても 気にならない。いつのひにか「私自身」と 一体になりたいと思っているからだ。― (ガアグ 1997, PP.245-246)  ここに書かれていることは、まさしく『な

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んにもないない』に登場する「ないない」 の努力の先にあるものと一致する。  また、翌年 1915 年4月 18 日の日記には、 ―私は絵の中に自分自身を描く・私自身の 一部で、知らないうちに絵の中に入ってし まったものが多いのだと思う―(ガアグ 1997, P.433)とあり、彼女にとってそのま ま絵という表現が自己表出そのものであっ たことを明らかにしている。  また、自分の思考回路と自己表現の関係 について、以下のようにも述べている。 ―輪のようだが、ただこの輪はどんどん外 側に広がって、渦巻きのようになる。止ま るのか、どのくらい続くのかはわからない。 ―(同上)  このスケッチは、「ないない」が自らを「か たちあるもの」にしようとして、てんてこ まいまいぐるぐるまいをする形状と一致し ている。  続けて、1915 年6月 13 日の日記には以 下のように記されている。 ―私に穴がぼこぼこあいているといいの に。そうすれば世界の中のでっぱりにうま くはまるだろう。―(ガアグ 1997, P451)  これは、ないないの「ないかたち」が、 木のうろの中にすっぽりはまっている姿を 思わせる。「私の穴」とは、世間の重圧に 押しつぶされそうな気持の事を言っている と推察され、他者との関係の中でしか存在 しない自分との葛藤が垣間見える。  また、ブラウン(2013)の中では、Gág が友人 Hugh Darby にあてた手紙の中で、 「私の内面に蓄積されたものを外に出す時 間がほとんどない。私が本当にやりたい のは、自分をまわりにあるリズムと形に 感応する状態におくこと。」(1933 年6月 9日)と書いていることが明かされてい る。自分をまわりにあるリズムと形に感応 させること。これがうまくできたときが、 NOTHING AT ALL と い う 作 品 の 中 で は、nothing at all(なんでもないもの、或 いはなにものとも認められないもの) が、 最 終 的 に something after all( な に も の か)になる瞬間であり、そのことによっ て forgotten farm(最初いた場所)から、 new and happy home(最終的に行き着く 場所)への移動が叶うという訳である。   読 み 聞 か せ 実 践 で、 子 ど も た ち が NOTHING AT ALL(『何にもないない』) の読み聞かせ中、「いる」のに「いない」、 「ある」のに「ない」扱いを受けている「な いない」に寄せる共感は、MILLIONS OF 図1 日記に書かれた絵 図2 “NOTHING AT ALL”の挿絵 図3 日記に書かれた絵 図4 “NOTHING AT ALL”裏表紙の絵

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CATS(『100まんびきのねこ』)の楽 しみ方とはまた様子が異なり、とても強 いものであった。MILLIONS OF CATS (『100まんびきのねこ』)のラストシー ンで子どもたちの間でつぶやかれた「よ かったね」とか「めでたしめでたし」と異 なり、『なんにもないない』を読み終わっ た子どもたちは、まるで自分自身が見い出 されたかのような、安どのため息をつい ていた。この子どもたちの読みはまさに、 Gág 自身の哲学的な読みに寄り添い続けた 結果を示しているのではないだろうか。 これからも読み継がれていくために  ここまで、長く世界で読み継がれてきた Wanda Gág の2作品が、次第に日本の子 どもに手渡されなくなってきている現実を 踏まえ、本当に現代の子どもの心には届か ない作品になってしまったのかを検討して きた。その結果、すでに述べてきたように 集団読みでも個別読みでも、子どもたちは 2作品それぞれに対してそれぞれの作品に 見合った楽しみ方をしていた。文章量が多 いことによって集中力を欠くとは一概に言 い切れず、MILLIONS OF CATS(『100 まんびきのねこ』)の場合は、細かく繊細 にそしてある時はダイナミックに描かれた 絵をじっくり味わえるよう見せ方を工夫す ることで、また NOTHING AT ALL(『な んにもないない』)は、ひとつひとつの絵 を見つめながら自分自身の内側に潜む(自 分はなにものかという)存在そのものへの 子どもなりの問いかけを語り手が感じ取 り、丁寧に見守ってあげることで、じゅう ぶん子どもたちに届けることができた。問 題は子どもの側にではなく手渡す大人の側 に目の前にいる子どもたちの心の動きを感 じ取れる心の余裕があるかどうかなのでは ないか。佐々木(2015)は、絵本の読みあ いを通して子どもの個性を読み手が発見し 受け入れる過程に注目し、「聴き手(子ども) が読み手(大人)に変容を促すほどの力を 持つ」と述べる。絵本を読み聞かせている 間の子どもの表面的な反応に一喜一憂する のでなく、今子どもの内側で物語とのどん な対話が生まれているのかを柔軟に感じ取 ることで、「長すぎる絵本だと、刺激の強 いメディアに慣れすぎている子どもたちは ついてこないのではないか」という先入観 から読み手自身が解き放たれるのではない か。  脇(2005)は、「本の世界の初心者であ る子どもたちは、表紙の絵が好きかきらい か、文字の量が多いか少ないか、題が面白 そうかどうかで選ぶしかなく、その結果、 「アニメやマンガで見慣れたような絵のも の」「文字が少ないもの」「『ひみつ』『なぞ』 『ぼうけん』などといった題のもの」ばか りが選ばれることになる」と指摘し、そう いった傾向を映像メディアやゲームの世界 が後押ししていることに警鐘を鳴らしてい る。実はこの傾向が絵本を選ぶ若い保育者 や親たちの間にも生まれてきているのでは ないかと筆者は考える。  開かれた画面の中の絵と言葉にゆっくり と身を浸し自身の想像力によってその世界 を自由に生きる経験と覚悟は、子ども読者 だけでなく子どもに読んで聞かせる大人の 方にも必要になってくる。若い保育者や親 たち自身が子ども時代にそうした経験を経 ることなく大きくなってきているというこ とを考えれば尚更のこと、一方的に読み聞 かせるのでなく子どもと共に感じあうのだ という意識でもって読みあい5)を進めて いかねばならない。  『なんにもないない』は、筆者自身が翻 訳を手掛けた。その際に原書の文章量の多 さに戸惑ったことも事実である。しかし、 今回、子どもたちとの読みの実践を通し、 子どもの読みは、作者自身の存在に関わる

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葛藤や真摯な問いの姿にきちんと対応して いることがわかったことで、2021 年に刊 行予定の改訂版に向け、大いなる示唆を得 ることができた。子どもの読みの力を手渡 し手として、信じていかなければならない。 1)日本児童文学別冊『世界の絵本100 選』日本児童文学者協会 1981, 11, PP.162– 163 2)明石市政策局政策室主催「あかし保育 絵本士」養成講座 2018 年度及び 2019 年 度の基礎コース内事前アンケート 3)正置友子『保育のなかの絵本』かもが わ出版 2015/ 瀧薫『保育と絵本』エイ デル研究所 2010/ 福岡貞子・磯沢淳子 編著『乳児の絵本・保育課題絵本ガイド』 ミネルヴァ書房 2009 など、2000 年以降 に出版された読み聞かせについてのほと んどのガイドブックには Gág の絵本が 紹介されていない。わずかに『100 まんびきのねこ』についての紹介が見つ かったのは東京子ども図書館『よみきか せのきほん 保育園・幼稚園・学校での 実践ガイド』2018/ 東京子ども図書館『今 この本を子どもの手に』2015/ 岡崎一実・ 野口武悟『子どもの心を動かす読み聞か せの本とは』日外アソシエーツ 2019 の 3冊で、『なんにもないない』について はいずれの本にもみつからなかった。 4)1994 年5月 17 日、山口県下関市梅光 学院大学にて講演 5)読み聞かせと読みあいの姿勢の違いに ついては、村中李衣『絵本の読みあいか らみえてくるもの』ぶどう社 2005 /村 中李衣『保育をゆたかに絵本でコミュニ ケーション』かもがわ出版 2018 などに 詳しい。 文献

Gág.W (1928) Millions of cats, Coward McCann, New York.

Gág. W (1940) Growing pains : diaries and drawings for the years 1908-1917. Coward McCann, New York.

Gág.W (1941) Nothing at all. Coward McCann, New York.

Hoyle. K (2009) Wanda Gág A life Art and Stories MS : University of Minnesota Press. PP.86-87, P.90 有働玲子・後藤利恵子(2018)「図書館・ 文庫の読み聞かせについての一考察 ― 1950 〜 1970 年代のかつら文庫と児童 サービスを用いて ―」 聖徳大学生涯学 習研究所紀要 第 16 号 P.9 香曽我部秀幸・鈴木穂波(2012)『絵本を 読むこと』翰林書房 PP.66-67 佐々木宏子(2015)「子どもの個性と読み 手の個性の相互作用が生み出す絵本の 『読み』の構造」(石井光恵編『絵本の受 容』所収)朝倉書店 PP.45-46 鳥越信(1993)『絵本の歴史をつくった 20 人』創元社 P.48 マーシャ・ブラウン(2013)『庭園の中の 三人 左と右』 東京子ども図書館 P.46, P.67 三宅興子(2018) 「アメリカと日本の子ど もの本―その関係をさぐる」大阪国際児 童文学振興財団 P.18 脇明子(2005)『読む力は生きる力』岩波 書店 PP.83-84 ワンダ・ガアグ(1997)『ワンダ・ガアグ 若き日の痛みと輝き―「100まんびき のねこ」の作者が残した日記』阿部公子 訳 こぐま社 PP.245-246, P.433, P.451 ワンダ・ガアグ(1994)『なんにもないない』 むらなかりえ訳 ブックグローブ社 ワンダ・ガアグ(1961)『100まんびき のねこ』 いしいももこ訳 福音館書店

参照

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