ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景
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ハンナ・ヘーヒ、一九二〇年代の絵画
香
川
檀
はじめに ド イ ツ の 美 術 家 ハ ン ナ・ ヘ ー ヒ( Hannah Höch, 1889-1978 ) は、 美 術 史 の 上 で は 前 衛 芸 術 運 動 ベ ル リ ン・ ダ ダ ( 1918-1922 )の一員として、とくにそのフォトモンタージュ作品によって知られている。しかし、他方で彼女は、戦 前から戦後を通じ一貫して油彩画や水彩画を制作しており、ドイツ国内では画家としても一定の評価を得ている。な かでも戦間期の一九二〇年代には、コラージュ/モンタージュ原理による実験的な作画法を絵画に応用する試みを重 ね、きわめて革新性に富んだ作品を生み出していた。ダダが終息した一九二二年以降には、とくに伝統的な絵画ジャ ンルに意欲的に取り組み、絵画における豊穣な季節を迎えることとなった。この時期、ヘーヒはドイツ国外の前衛美 術家たちと交流を深めて、イタリアの形而上絵画やフランスのシュルレアリスムの影響を受けつつ、同時代のドイツ国内を席巻した新即物主義とは異なる独自の画風を展開したのである。ヘーヒをベルリン・ダダの文脈でのみ捉えよ うとする英語圏や日本の美術研究においてほぼ等閑視されてきた彼女の絵画を、周辺ヨーロッパ諸国との関係も視野 に入れながら吟味することで、戦間期のドイツ美術界における具象絵画の新たな側面に光をあててみた い ( 1 ) 1.油彩画《階段》の幻想性 ヘーヒは一九二六年、ベルリン ・ フリーデナウのアトリエで一枚の油彩画を完成させた。 《階段 Die Treppe 》と題 さ れ た そ の 絵 に は、 漆 黒 の 闇 を 背 景 に、 手 前 か ら 奥 に 向 か っ て 緩 や か に 上 る 階 段 が 描 か れ て い る( 図 1) 。 前 景 に は 舞台の迫り出し、あるいは台座のようなものがふたつ置かれ、そのうち手前の台には黒々とした人間が横たわってい る。虚ろな仮面と化した極彩色の異様に大きな頭部が、いまにも奈落に転げ落ちそうに見える。もうひとつの左隣の 迫り出しには、巨大な植物の花が、すぐ隣の小さな電波塔と、ガラスの器に収まったプロペラ飛行機を威嚇するかの ように、雄蕊と雌蕊をわらわらと伸ばしている。階段の中ほどには、透明なグラスに詰めこまれた高層ビル群と、台 座に据えられて大西洋をこちらに見せた地球儀──どちらも、西洋文明を象徴するものであろうか。そのさらに上段 には、赤ん坊がひとり、ぽつんと座っている。手前の斃れた人間のからだとは対照的に、天上からの微かな光に包ま れて輝いている。とはいえ、 全体の暗い色調といい、 前景を大きく占める不吉な人間像といい、 画面にはメランコリッ クな雰囲気が漂っている。 これを描いた当時、つまり一九二〇年代半ばのヘーヒは、フォトモンタージュだけでなく絵画においても精力的に 実験を重ね、展覧会でその成果を世に問う、きわめて充実した時期にあった。なかでもとくにこの《階段》や、それ
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 に 先 立 っ て 描 か れ た《 キ ュ ー ブ Kubus 》( 1926 ) の 二 作 は、 戦 間 期 に お け る ヘ ー ヒ の 画 業 の 到 達 点 と し て 第 二 次 大 戦 後 の 展 覧 会 で 幾 度 も 展 示 さ れ る 代 表 作 と な る の で あ る。 油 彩 画 と い う 伝 統 的 ジ ャ ン ル に 拠 り な が ら も、 描 法 の 革 新 性 は 一 目 瞭 然 で あ る。 個 々 の モ チ ー フ を な す 植 物 や 人 体、 地 球 儀 や 赤 ん 坊 は、 具 象 的 で は あ る が か な り 幾 何 学 的 に 抽 象 化 さ れ て お り、 花 の 花 弁 や 人 間 の 頭 部 は あ た か も 機 械 部 品 の よ う で あ る。 こ と に 大 き さ が ち ぐ は ぐ な 人 体 と そ の 頭 部 の グ ロ テ ス ク な 形 姿 は、 ダ ダ の フ ォ ト モ ン タ ー ジ ュ の 名 残 を は っ き り と 留 め て い る。 た だ し、 そ れ は も は や 戯 画 の グ ロ テ ス ク で は な い。 遊 戯 的 な 諷 刺 は 影 を ひ そ め、 陰 鬱 な ペ シ ミ ズ ム が 濃 厚 に た ち こ め て い る の だ。 も う ひ と つ ダ ダ の 名 残 と い え る の は、 摩 天 楼 の 都 市 風 景 や プ ロ ペ ラ 飛 行 機 な ど が ミ ニ チ ュ ア 化 さ れ て い る こ と で、 こ れ も ヘ ー ヒ が フ ォ ト モ ン タ ー ジ ュ の な か で 事 物 や 人 間 の ス ケ ー ル を 自 在 に 異 化 し、 視 覚 的 な シ ョ ッ ク 効 果 を 狙 っ た 手 法 を 彷 彿 と さ せ る。 だ が、 こ の 絵 の な か の ミ ニ チ ュ ア 都 市 は、 完 全 に 世 界 か ら 孤 立 し て 人 ひ と け 気 す ら な く、 リ ア リ テ ィ の な い 模 型 と 化 し て い る。 モ チ ー フ は 互 い に 親 密 な 結 び つ き を も た ず、 そ れ ぞ れ 別 個 の 台 座 に 載 せ ら れ る か ガ ラ ス ケ ー ス に 収 め ら れ、 画 面 全 体 を 占 め る 大 階 段 と い う 幻 想 的 な 象 徴 空 図 1.ハンナ・ヘーヒ《階段》1926 年、油彩、77×106cm、ベルリン・ナショ ナルギャラリー
間にばらばらに配されている。 あくまで具象画でありながら抽象的に様式化されたモチーフの構成的な組み合わせ。黒と色彩との鮮やかなコント ラストのなかに、自然物や機械がメタリックな輝きを見せる近代的で装飾的な様式。そして、非現実的な仮想の空間 のなかに舞台の大道具か映画のセットのような構築物が設えられ、自然や人工のモチーフが、あたかもディスプレイ されるかのように配された構図。そこには、どこかキリコやダリやマグリットにも通じる憂鬱で魔術的な世界が繰り 広げられているが、キリコよりも色鮮やか、ダリよりも無機的、そしてマグリットよりも非日常的である。このよう な絵が一九二〇年代のドイツで描かれていたことは、通常の美術史によるマクロな視点の記述にはほとんど語られて おらず、いささか意外な印象を抱く。戦間期ドイツの絵画を特徴づけるものといえば、表現主義の退潮と、新即物主 義の短命な開花であり、当時、同時代の具象絵画の傾向を総括した、マンハイム市立美術館のグスタフ・F・ハルト ラウプによる展覧会「新即物主義(ノイエ・ザッハリッヒカイト)──表現主義以降のドイツ絵 画 ( 2 ) 」にも、批評家フ ランツ・ローによる著作『表現主義以後──魔術的レアリス ム ( 3 ) 』にも、ヘーヒのこの特徴的ジャンルは見当たらない からである。いずれも一九二五年に開催/公刊された両者は、第一次世界大戦の末期からヨーロッパの美術界で顕著 な傾向として観察された具象性への回帰や、主情的な表現主義のあとに登場した客観的な事物の描写とそこからなお も た ち の ぼ る 不 条 理 な 魔 術 性 を 捉 え た も の で あ る。 と こ ろ が、 「 新 即 物 主 義 」 や「 魔 術 的 レ ア リ ス ム 」 と し て 枚 挙 さ れている作品例をみても、ヘーヒの絵画にあてはまる様式カテゴリーは見当たらないのである。さらにまた、戦後の 一九六〇年代になって新即物主義の再評価を試みたヴィーラント・シュミートの大著『ドイツにおける新即物主義と 魔術的レアリスム:一九一八─一九三三年』では、ヘーヒに関する記述が見られ、二〇年代の二点の静物画をもって 彼女を新即物主義のごく周縁に位置づけてい る ( 4 ) 。しかし、より幻想的な大作である《階段》や《キューブ》には言及
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 しておらず、表現の試行錯誤のなかで通過した、即物主義やリアリズムから離れた傾向の作品として、視野の外に置 いているらしく見える。そして最後にようやく、一九七七年ベルリンで開催された大規模な美術展「二〇年代の諸傾 向 ( 5 ) 」で、第四部「新しい現実性:シュルレアリスムと新即物主義」の部門にヘーヒのこの《階段》と《キューブ》が 取り上げられるが、その特異な絵画言語についての分析はヴィーラント・シュミートによるカタログのテクストに皆 目、見当たらない。 で は い っ た い、 こ の 暗 い 夢 幻 の 風 景 と い う 画 想 や、 架 空 の 建 築 空 間 に モ チ ー フ を ば ら ば ら に 配 置 す る 独 特 の 画 面 構成のスタイルは、 どこに由来するのであろうか。ヘーヒの絵画作品についてエレン ・ マウラーが著した 『ハンナ ・ ヘー ヒ─確たる境界の彼方』では、図像学的に作品のモチーフを分類した章があり、そのなかで「組み合わされた 構 コンポジション 成 におけるヴァニタス(虚栄)の隠喩」と題された節のなかに、ほんのひとことではあるが《階段》への言及がみられ る ( 6 ) 。 マ ウ ラ ー は、 ヘ ー ヒ の 絵 画 の な か に、 美 術 史 の 過 去 の 遺 産 で あ る「 ヴ ァ ニ タ ス( 虚 栄 )」 の 寓 意 を 借 り て 現 代 の 文 明 ペ シ ミ ズ ム を 表 現 し た 作 品 群 が あ る と 指 摘 し、 《 階 段 》 も そ の ひ と つ と し て 挙 げ て い る の で あ る。 本 稿 は、 こ の 記述を手掛かりに、ヘーヒの二〇年代の絵画を当時の「新即物主義」や「魔術的レアリスム」そして「シュルレアリ スム」といった諸傾向のなかに位置づけ直すものである。それによって、戦間期ドイツにおける幻想絵画の一局面を あきらかにしてみたい。 2. 「十一月グループ」と大ベルリン美術展 ヘーヒの絵画表現を読解するうえできわめて重要な意味をもつ二〇年代の幻想絵画は、 彼女がオランダのデン ・ ハー
グに転居した一九二六年秋まで、もっぱらベルリンのアトリエで制作されていた。制作に向かうときの彼女が、どこ に向けて描いていたのか、誰に向かって表現しようとしていたのか、という発表の場の問題は、ここで一考しておく べきであろう。一九二〇年代のドイツ美術界においては、いまだコラージュやフォトモンタージュといった新技法の 作 品 は 発 表 の 場 を ほ と ん ど も た ず、 主 要 な 美 術 展 は あ く ま で 絵 画 と 彫 刻 と い う 伝 統 的 な ジ ャ ン ル に 限 定 さ れ て い た。 前衛芸術の洗礼を受けたヘーヒではあるが、ダダ宣言のようにタブロー絵画を否定してしまったわけではなく、むし ろ 絵 画 芸 術 を 拡 張 す る よ う な み ず か ら の 表 現 を 革 命 後 の 新 し い 世 に 問 お う と し て い た。 そ の 主 た る 場 と な っ た の が、 芸術家団体「十一月グループ」であり、さらにこの団体が参加していた大ベルリン美術展である。 「十一月グループ」 は、第一次世界大戦の停戦直後、一九一八年十二月に、その前月に勃発したドイツ国内の革命に賛同して革新的芸術 をめざす建築家や美術家、音楽家などが結成したもので、旗揚げ後まもないベルリン・ダダのメンバーも、ヘーヒの 他にラウール・ハウスマンやオットー・ディックスらが会員として名を連ねていた。また、建築部門で指導的な役割 をはたしたミース・ファン・デル・ローエは、ダダの運動のシンパ的な立場をとり、一九二〇年にはヘーヒを国際的 ネットワーク形成と展覧会への出品招致のためにイタリアに派遣したり、ハウスマンに一九二一年の展覧会ガイドの テクストを依頼したりしている。その結果、ヘーヒはダダの終息後も「十一月グループ」と緊密な関係を保っていた のである。 一方、大ベルリン美術展は、十九世紀末の帝政時代から続く毎年恒例の美術展であり、もともとは王立芸術アカデ ミ ー と ベ ル リ ン 美 術 家 協 会 が 合 同 で 開 催 し て い た。 第 一 次 大 戦 後 に な る と ワ イ マ ー ル 共 和 国 政 府 が こ れ を 引 き 継 ぎ、 その名も「ベルリン美術展」と改め、 ベルリン美術家協会、 ベルリン分離派、 自由分離派、 そして「十一月グループ」 が傘下団体としてそれぞれ独自の審査会と展示室を設けて展覧した。しかし、一九二一年にはまたもとの「大ベルリ
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 ン美術展」に名称が戻され、 さらに伝統主義の他団体に配慮して急進的な作品を出品拒否した「十一月グループ」に、 ジョージ・グロスやハウスマンらダダイストが「十一月グループへの公開質問状」を突きつける一幕もあり、このと きはヘーヒも署名者に名を連ねている。そうした軋轢はあったものの、基本的にこの団体の芸術的指針にヘーヒは共 鳴していた。来場者用に作られた「十一月グループ・ガイド」の出品リストを見ると、たしかにこの部門には表現主 義 や プ リ ミ テ ィ ヴ 絵 画 や 構 成 主 義 な ど 二 十 世 紀 に 入 っ て か ら の 新 し い 様 式 の 作 品 が 目 立 つ。 イ タ リ ア か ら エ ン リ コ・ プランポリーニ、オランダからテオ・ファン・ドゥースブルク、バウハウス教師のヴァシリー・カンディンスキーや パウル ・ クレーなどの名も見え、国際的なモダニズム美術の動向を紹介しようとする場でもあったことが確認できる。 こうした事情から、ヘーヒは一九二〇年から一九三一年にかけて、オランダ滞在の中断をはさんで、ほぼ毎年、出品 していたのであ る ( 7 ) 。 では、 このような発表の場を前提として、 ヘーヒがどのような絵画を制作していたのかを、 具体的に見ていきたい。 二〇年代前半に彼女がドイツ内外のさまざまな前衛美術の動向を吸収し、一九二〇年のイタリア旅行や一九二四年と 翌年のパリ滞在などを重ねて交流のネットワークを作っていたことは前にも書いた。とりわけパリでは、ピエト・モ ンドリアンら構成主義者と交流し、二五年にはシュルレアリスム絵画展(ピエール画廊)と「現代装飾美術・産業美 術 国 際 展 」( い わ ゆ る「 ア ー ル・ デ コ 」 展 ) を 訪 れ て い る。 こ れ ら の 体 験 か ら 得 た 新 し い 芸 術 思 想 や 形 態 処 理 の 新 感 覚は、 アトリエでの絵画実験のプロセスに多様なかたちで反映、 展開されている。ヘーヒの戦間期の絵画については、 画面構成やモチーフの処理といった形態上の分析がこれまでほとんどなされていないが、ここで大ベルリン美術展に 出品された作例に沿ってその展開を概観しておくことは必要な手続きであろう。 まず注目すべきは、一九二二年、それまで恋愛関係にあったラウール・ハウスマンとの別離から時を経ずして描か
図 2.ハンナ・ヘーヒ《女とサトゥルヌ》1922 年、油彩、87×67cm、個 人蔵
図 3.ハンナ・ヘーヒ《ふたつの頭部(想像の橋)》1923/26 年、油彩、 65.5×72.5cm、個人蔵
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 れた油彩画《女とサトゥルヌ Frau und Saturn 》( 1922 年、図2)である。画面分割をベースにした立体未来派的な 技法で描かれ、ロベール・ドローネーのレイヨニスムを思わせる鮮やかな色彩とともに、アール・デコの挿画やマネ キン人形を先取りしたかのような抽象化された断髪の女性が描かれている。彼女は腕に赤ん坊を抱いている。背後に は、 「 サ ト ゥ ル ヌ 」 と さ れ る 男 性 の 顔 が 黒 々 と 描 か れ、 画 面 左 上 に は 土 星 を 暗 示 す る 星 が 輝 い て い る。 古 代 ロ ー マ 神 話のサトゥルヌ神は、時間を司る神であると同時に、時の経過が人間の生命を削り取るという意味から、赤子を貪り 喰らう恐ろしい神としても表わされてきた。ここでは、ヘーヒが二度の中絶によって失った幼い命を愛おしむ自己像 と、 そうした状況を引き起こした「子殺し」の元凶ハウスマンとの、 ダブルポートレートとして見なすことができる。 (実際、背後のサトゥル神の顔にハウスマンの面影を指摘する研究者もいる。 )ヘーヒはこの自己語り的な作品を、同 年夏の大ベルリン芸術展に出品している。また、翌一九二三年には、同様に断髪のモダンな女性像を男性像と組み合 わせた《ふたつの頭部 Zwei Köpfe 》(一九二三/二六年、 図3)を描いており、 男女の関係性をテーマにしているこ と は 一 目 瞭 然 で あ り、 や は り 多 分 に 自 伝 的 な 作 品 と い え る。 当 初 は《 想 像 の 橋 Imaginierte Brücke 》 と 題 さ れ、 一九二六年の大ベルリン美術展に出品されている。 こうした自伝的な物語性と象徴表現による絵画と並んで、ヘーヒは、当時ロシアからもたらされた構成主義を採り いれて、 自然のモチーフを幾何学的に抽象化した風景画を試みてもいる。しかし、 もっとも大胆な実験は、 ダダのフォ トモンタージュ技法を、あたかも個々の写真断片を模写したかのように油絵のなかに再現する試みである。社会批評 的 な《 ロ ー マ Roma 》( 図 4) と《 ジ ャ ー ナ リ ス ト Journalisten 》( い ず れ も 一 九 二 五 年 制 作 ) は、 同 年 の 大 ベ ル リ ン 芸術展に出品したところ、その革新的な表現を高く評価したミース・ファン・デル・ローエが、芸術アカデミーに購 入 を 斡 旋 し た ほ ど で あ っ た。 《 ロ ー マ 》 は、 彼 女 が イ タ リ ア 旅 行 を し た と き の 思 い 出 と、 台 頭 す る フ ァ シ ス ト の ム ッ
ソリーニの報道写真などを、 油絵で再現しつつ、 フォトモンター ジ ュ の 原 理 で 再 構 成 し た も の で あ る。 画 面 に イ メ ー ジ 断 片 を 貼 り つ け た か の よ う な「 だ ま し 絵 」 的 な 方 法 を 試 み て い る の で あ る。 だ が、 こ の 実 験 は、 他 の 二 作 品 を 含 め て 四 点 限 り で 止 め て しまった。のちにヘーヒは未発表の覚書のなかで、 「この、 フォ ト モ ン タ ー ジ ュ に 固 有 の 様 式 の 模 造 は、 あ ま り 気 持 ち の よ い も の で は な い 」 と 記 し て お り、 「 許 さ れ な い も の だ 」 と さ え 述 べ て い る ( 8 ) 。 絵 画 へ の フ ォ ト モ ン タ ー ジ ュ の 応 用、 な い し は 絵 画 に よ る フ ォ ト モ ン タ ー ジ ュ の 模 倣 は、 こ の 技 法 を 生 涯 に わ た り 追 求 す る こ と に な る ヘ ー ヒ に と っ て、 容 認 で き な い「 邪 道 」 な の で あ っ た。 こ の 実 験 の 放 棄 は、 革 新 へ の 尻 込 み と い っ た も の で は な く、 む し ろ フ ォ ト モ ン タ ー ジ ュ が も つ 写 真 的 特 質 に 対 す る 彼 女 の「 芸 術 上 の 倫 理 観 」 が そ う さ せ た の だ と 見 な す べ き だ ろ う。 こ う し た 試 行 錯 誤 の な か で、 フ ォ ト モ ン タ ー ジ ュ の 絵 画 へ の 応 用 を 完 全 に 放 棄 せ ず、 仮 想 空 間 の な か に 部 分 的 に フ ォ ト モ ン タ ー ジ ュ の 効 果 を 導 入 し た の が、 一 九 二 六 年 初 頭 に 制 作 し た 《キューブ》 (図5) である。画面中央の大きな立方体 (キューブ) 図 4.ハンナ・ヘーヒ《ローマ》1925 年、油彩、90×106cm、ベルリニッ シェガレリー
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 の 三 つ の 面 に、 そ れ ぞ れ 目 と 鼻 と、 そ し て 特 徴 的 な 口 と が 描 か れ て い る。 画 面 左 に は 歯 車 や プ ロ ペ ラ や 排 気 パ イ プ の よ う な 機 械 が 配 さ れ、 遠 景 に は 煙 を た な び か せ る 工 場 の 煙 突 が 見 え る。 対 す る 画 面 右 手 に は 幾 何 学 的 に 抽 象 化 さ れ た 植 物 が 花 を つ け、 機 械 と 植 物 に 挟 ま れ た 画 面 手 前 に は、 一 匹 の 猫 が ─ ─ 人 間 に 飼 い 馴 ら さ れ た 生 き 物 で あ る 印 に、 首 輪 を つ け て ─ ─ 描 か れ て い る。 前 年 に 彼 女 が パ リ で 見 た、 シ ュ ル レ ア リ ス ム 展 と ア ー ル・ デ コ 展 の 影 響 を 伺 わ せ る 絵 画 的、 装 飾 的 な 画 面 で あ る。 こ れ ら 文 明 と 自 然 の 諸 現 象 に 囲 ま れ た 中 央 に、 モ ノ ク ロ の 骰 子 の よ う な 立 方 体 が 描 か れ て い る わ け で あ る が、 こ の 目 や 鼻 や 口 は、 ヘ ー ヒ が 雑 誌 な ど に 掲 載 さ れ た 人 物 写 真 か ら 写 し と っ た も の で、 例 え ば 両 目 は、 数 年 前 に ノ ー ベ ル 賞 を と っ た 科 学 者 ア イ ン シ ュ タ イ ン の 顔 写 真 か ら 模 写 し て い る と い う ( 9 ) 。 宗 教 画 に お い て 世 界 を ま な ざ す 神 の 両 眼 だ け が 描 か れ る の に 似 て、 こ の 目 は 画 面 を 支 配 し て い る か に み え る。 こ の よ う に キ ュ ー ブ が 色 彩 を も た な い の は、 こ の 部 分 が モ ノ ク ロ 写 真 の 再 構 成 の よ う に 見 え る 効 果 を 狙 っ て い た か ら で は な い か。 人 間 が 特 定 の 顔 を も た な い 匿 名 の 存 在 と な っ て 合 理 的 図 5.ハンナ・ヘーヒ《キューブ》1926 年、油彩、65×72cm、ベルリニッ シェガレリー
なキューブのなかに収まっている。そして、すべてを繋ぐものとして天空には虹がかかっている。このように、仮構 し た 統 一 空 間 の な か に 断 片 的 モ チ ー フ を 配 す る 様 式 を と っ た 幻 想 的 な 寓 意 画 は、 引 き 続 き 同 年 に 制 作 さ れ た《 階 段 》 へ展開されていくのである。 これら幻想性のひとつの源として、人間の深層心理に新たなイメージ源をもとめて夢や無意識に光をあてたフロイ ト理論と、とくにその影響をつよく受けたシュルレアリスムが考えられるが、これらにヘーヒがどの程度まで直接に 触発されたのかは不明である。しかし、少なくとも二〇年代前半すでに一般に広く知られるようになったフロイト理 論によって、表現主義的な主観の表出ではなく、閾域下にある心的現実を「対象に忠実に」描こうとする態度が即物 主義と呼ばれる新傾向のなかに萌してい た )(1 ( 。しかし彼女は、シュルレアリスムのように無意識を呼び寄せる受動的な 偶然のちからには依拠せず、あくまで計算された構成による作画をつらぬいている。夢というよりは、象徴的な世界 の図、といったほうが相応しいであろう。この作品は現在《キューブ》と呼ばれているが、このタイトルはのちに改 題されたもので、 当初ヘーヒはこれを《人間から…
Von Menschen aus
》と題して、 一九二六年の大ベルリン展に《想 像の橋(ふたつの頭部) 》とともに出品している。 この展覧会のあと、ヘーヒはオランダに転居することになるのだが、その後の一九二八年に、美術史家ハンス・ヒ ルデブラントが、当代の女性の芸術活動について『美術家としての女性』という興味深い本を著している。このなか に、数行ではあるがヘーヒについての記述が見られる。そこでの彼女は「寓意めいた魔術的ないし超現実的な夢幻世 界」 の画家として記され、 参考図版として後述する 《夢幻のイメージ》 が掲載されてい る )(( ( 。つまり主流の美術界にとっ てのヘーヒは、 今日知られるダダの攪乱や構成主義的抽象の作家としてではなく、 もっぱら「魔術的」で「超現実的」 な心象風景の画家として知られていたのである。
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 3. ヘーヒのヴァニタス画 ふたたび、冒頭の《階段》に戻ろう。この作品に横溢する都市と機械文明に対するペシミスティックな主題と、階 段という幻想的な空間構成はどこから着想したものか、という問いにたち戻って考えてみたい。 ヘーヒは、ダダの運動圏内に身をおいてフォトモンタージュを盛んに制作していた一九一九年頃から、すでに油彩 画や水彩画において、機械と人間と自然との関係を作品の主題として扱っている。ハウスマンをつうじてダダの運動 に関与してはいたものの、ヘーヒの創作意図は絵画という表現手段をけっして手放すことはなく、またダダのグルー プにおいて多かれ少なかれ共有された直接的な社会批判や政治諷刺のトーン一色に染められたわけでもなかった。そ うしたものとは異なるアプローチとして、ヘーヒはむしろ、ダダのシニシズムと文明批判の警句をこめたアレゴリー 画 の 方 法 を 採 用 し た の で あ る。 水 彩 画《 彼 と そ の 環 境 Er und sein Millieu 》( 一 九 一 九 年、 図 6) は、 ガ ス 管 に 吊 り 下 げ ら れ た 操 り 人 形( =「 彼 」) の 背 後 に、 ガ ラ ス ケ ー ス に 封 じ 込 め た 鉄 塔 や 高 層 ビ ル や ピ ラ ミ ッ ド な ど 文 明 を 象 徴 する建造物のミニアチュアが描かれ、その隣には円筒の上に、これもガラスに覆われた植物が小さな温室のように置 かれ、天空には地球とも月ともつかない天球が浮かんでいる。前述の《階段》に見られたミニチュア模型としての都 市表象は、すでにこの時期、ヘーヒの絵画言語のなかに存在していたのである。画面右の中景に配されたピラミッド の頂上には、ガラスの球体が見える。ガラス球は、バロック期のオランダ静物画において、世界を映し出して先を見 透す「叡智」の象徴でありながらシャボン玉にも似た「儚さ」も同時に象徴するものとして、両義性をもったヴァニ タス・シンボルであっ た )(1 ( 。そして操り人形とは、いうまでもなく、宿命的な糸によって操られ、自身の意志では動く
こ と も ま ま な ら な い 不 自 由 な 存 在 の メ タ フ ァ ー で あ り、 ダ ダ イ ス ト た ち が 諷 刺 的 に 好 ん で 使 っ た 自 動 人 形 に も 通 じ る 人 間 の物象化の記号であった。 さ ら に 三 年 後 に 制 作 さ れ た《 合 一 Vereinigung 》( 1922 年、 図 7) と い う 水 彩 画 も、 遠 回 し な が ら、 「 文 明 」 対「 自 然 」 の 主 題 に 連 な る 作 品 と 考 え ら れ る。 機 械 と 性 愛 と い う い か に も ダ ダ の 関 心 事 で あ る テ ー マ を 扱 っ た こ の 絵 画 で は、 機 械 部 品でつくられた雄と雌の花が、 昆虫による受粉のように交尾 ・ 合 体 し て い る。 大 地 に 頽 たお れ た 大 き な 花 は ひ だ 状 の 金 属 の 花 弁 を も ち、 先 の《 階 段 》 に 描 か れ た 花 と よ く 似 た 相 貌 を も つ。 遠 景 で は、 「 BERLIN 」 の 標 識 を つ け た 玩 具 の 街 が 台 車 に 載 っ て 引 か れ て い き、 ふ た つ の 家 に 分 か れ て 住 む 男 と 女 が、 窓 か ら 手 を 差 し 伸 べ あ っ て い る。 機 械 植 物 の 壮 大 な 性 の 営 み に 比 し て、 人 間 の そ れ は な ん と も 卑 小 で 滑 稽 で す ら あ る よ う に 見 える。 同 じ 年 に 描 か れ た《 蚊 は 死 ん だ Der Mucke ist tot 》( 1922 年、 図 8) は、 水 彩 と 油 彩 の 二 点 が 残 さ れ て お り、 い ず れ も 構 成 主 義 の 影 響 を 受 け た 幾 何 学 的 で 脱 透 視 図 法 的 な 画 面 構 成 図 6.ハンナ・ヘーヒ《彼とその環境》1919 年、水彩、ca.60×50cm、個 人蔵
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀
図 7.ハンナ・ヘーヒ《合一》1922 年、水彩、68×55cm、個人蔵
図 8.ハンナ・ヘーヒ《蚊は死んだ》1922 年、油彩、78×68cm、ベ ルリン・ナショナルギャラリー
が際立ち、そこに砂時計や蚊や樹木、そしてメガホンを手にしたような人間のモチーフ(人型のコンパスであるとい う)が大胆に抽象化され配置されている。砂時計や死んだ昆虫は、先のガラス球と同様、十七世紀初めにオランダで 成立したヴァニタス静物画において儚さの寓意をなすものであり、美術史における図像学的な伝統のモチーフがここ では近代的な抽象空間のなかに現実の大きさを無視して並置されているのである。注目すべきことに、中央の人型コ ンパスの部分には、はっきりと台座が描かれている。台座という装置は、モチーフをそれが置かれていた通常の文脈 から引き離し、孤立させ、事物としての外貌を展示品のように即物的に晒すと同時に、ある種の記号として、それが 文化的に担っている図像学的な意味を読み取るよう観者に促すのである。ここで姿を表わした台座のモチーフは、続 いて描かれた《夢幻のイメージ Traumbild 》( 1923 年頃、図9)において、さらに強調されることになる。この絵で は、漆黒の闇の空間に方形のテーブルがひとつ、円筒形の台座がふたつ置かれている。テーブルの上には、尖頭をも つ教会をはじめ建物群を市壁が囲んだミニチュアの都市が、あたかも中世のキリスト教絵画において聖母マリアや聖 人の持物として小模型のように描かれる都市のように置かれ、円筒の上では植物が花を咲かせている。テーブルの端 には、都市から逃れて植物世界のほうへ歩み寄ろうとする人間がふたりいる。よく見ると、突端の板から奈落にいま まさに足を踏み出そうとしているのは男で、すでに落下しているほうは女であることが分かる(楽園から追放された ア ダ ム と イ ヴ で あ ろ う か )。 都 市 と 自 然 と が 乖 離 し て し ま っ た そ の 深 淵 に、 真 っ 逆 さ ま に 転 落 す る 人 間 を、 ア ン リ・ ルソーを想わせる 素 ナイーフ 朴 な筆致で描いた作品であ る )(1 ( 。 こ の よ う に、 ダ ダ 期 か ら ポ ス ト・ ダ ダ 期 に か け て の ヘ ー ヒ が も っ ぱ ら 絵 画 に お い て 追 究 し た テ ー マ は、 「 都 市 と 機 械文明」に対する「自然と人間」という問題であった。この壮大な主題を寓意的に表現するために彼女が試みた寓意 画の絵画言語を、もう少し詳しく見ていきたい。そこでは、画面の空間構成と、そこに配置される複数のそれぞれ別
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 個 の モ チ ー フ の 選 択、 と い う 二 点 に つ い て、 ド イ ツ の 隣 国 に お ける絵画動向との関連が指摘できる。 ま ず 空 間 の 構 図 に つ い て で あ る が、 ヘ ー ヒ は も と も と ダ ダ の 時 代 か ら、 フ ォ ト モ ン タ ー ジ ュ な ど の 実 験 的 作 品 に お い て も 画 面 構 成 の 点 で ほ ぼ 一 貫 し た 自 己 の ス タ イ ル を も っ て い る。 そ れ は、 個 々 の モ チ ー フ を 散 乱 し た 断 片 と し て ラ ン ダ ム に 浮 遊 さ せ る の で は な く、 ひ と つ の ま と ま り を も つ 複 合 的 構 成 体 と し て 提 示 す る こ と で あ る。 一 見、 ば ら ば ら な 継 ぎ 接 ぎ 細 工 の よ う に 見 える形象も、 よく見ると 「足場」 や 「台座」 のようなものをもっ て お り、 絵 画 に お い て は 透 視 図 法 が 無 視 さ れ 撹 乱 さ れ て い な が ら も、 近 景 と 遠 景、 さ ら に は 地 平 線 を も つ「 奥 行 き 空 間 」 が 仮 構 さ れ て い る こ と も 多 い。 す な わ ち、 画 中 に 舞 台 や 風 景 の よ う な 虚 構 空 間 が た ち あ げ ら れ て い る の で あ る。 そ れ は け っ し て 現 実 の 空 間 の 再 現 描 写 で は な く、 夢 の イ メ ー ジ、 心 象 風 景 と い っ た も の に 近 い。 お そ ら く そ こ に ま ず 影 響 を あ た え た の は、 キ リ コ や カ ッ ラ な ど イ タ リ ア 形 而 上 絵 画 で あ る と 考 え ら れ る。 キ リ コ が ベ ル リ ン の 美 術 界 に 本 格 的 に 紹 介 さ れ る の は、 大 戦 が 終 結 し て の ち の 一 九 二 〇 年 後 半 の こ と で、 こ れ を 契 機 に ベ ル リ ン・ 図 9.ハンナ・ヘーヒ《夢幻のイメージ》1923 年頃、水彩、ca.50×60cm、 個人蔵
ダ ダ の な か で も「 木 偶 」( マ ニ キ ー ノ ) を 模 し た 人 形 の モ チ ー フ や 人 気 の な い 街 路 な ど の 背 景 が 作 品 に さ か ん に 援 用 されるようになる。しかし、 その前年から、 キリコらの雑誌『ヴァローリ ・ プラスティカ(造形的価値) 』をつうじて、 部分的ながら作風と芸術理念を知ってはいたと思われる。ヘーヒの絵画にも、操り人形が地面に落とす影、交合する 機械植物の遠景にみえる都市や汽車、そして台座の上でポーズをとるコンパス人間としての木偶人形などに、イタリ ア形而上絵画の影響を見てとることができる。 現実の日常空間がありえない仕方でよそよそしい異様な姿に変貌する、 そんな禍々しい出来事が生起する場としての統一空間を絵画面に仮構する方法を、ヘーヒは自身の表現世界につうじ あうものとして参照したと思われる。 しかし、寓意表現としては、それだけでは十分でなかった。オランダ絵画のヴァニタス・シンボルは、寓意を生成 させるための絵画言語における、いわば単語であった。ガラス球、死んだ昆虫、砂時計といったモチーフは、美術史 の伝統的な図像学を画面に導きいれることによって、個々に意味を担うものとなる。ダダは言語において合理的意味 を否定してそれを解体したが、ヘーヒの絵画実験は、単語に伝統的意味を担わせ続けつつ空間構成によってそれらの 合理的連関を断つという方向に向かったのである。それは、たんなる伝統的イコノグラフィへの回帰ということでは なく、むしろそれを用いて二十世紀における新たな象徴表現を生み出す企てであったと見るべきである。 ロ シ ア か ら 発 し て 国 際 的 に 広 ま っ て い た 構 成 主 義 の 考 え 方 が そ こ に 重 な り、 「 構 成 」 が 空 間 造 形 と モ チ ー フ 選 択 と を 規 定 す る 重 要 な 概 念 と な る。 そ し て、 こ の と き 参 照 先 と し て 浮 上 し て く る の が、 ド イ ツ の 西 の 隣 国 オ ラ ン ダ で あ る。 そこでは、前衛美術運動「デ・スティル」の主唱者テオ・ファン・ドゥースブルフをはじめとして、モンドリアンな ど抽象芸術を主導する画家たちが輩出している一方で、十七から十八世紀バロック絵画の寓意表現が再発見されてい たのである。
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 4.第一次大戦後のオランダ静物画︱︱グロスベルクとヒンクス 《 階 段 》 が 描 か れ た 翌 年 の 一 九 二 七 年、 つ ま り ヘ ー ヒ が オ ラ ン ダ に 移 住 し た 直 後 の こ と、 西 部 ド イ ツ の ラ イ ン ラ ン ト 地 方 に 住 む 画 家 カ ー ル・ グ ロ ス ベ ル ク( Carl Grossbe r )(1 ( g ) の 描 い た 一 枚 の 油 彩 画 が、 ヘ ー ヒ の《 階 段 》 と 注 目 す べ き 類 似 性 を 見 せ て い る。 《 夢 幻 の イ メ ー ジ、 風 ロ ー タ ー 筒 ( …… の よ う な ノ ア の 方 舟 ) Traumbild Rotor ( Arche Noah als ……) 》( 図 10) と 題 し た そ の 絵 に は、 世 界 の ど こ に も な い 虚 構 の 都 市 空 間 が 描 か れ て い る。 画 面 中 央 に 当 時 就 航 したばかりの大型客船を思わせる階段状の構築物が配され──これは、船体上に立つ大きな二本の「 風 ローター 筒 」が、回転 して起こした風力で航行する、ドイツで発明されたローター船(風行船)である──左手には近代的な産業施設とお ぼしき建物が立っている。それだけであれば幾何学的な近代都市の風景画といってしまってもよいのだが、奇妙なこ とに画面右手には崩れ落ちる柱が、その上には「R」や「C」などの活字が舞い、さらに画面上部を占める黒々とし た闇夜には白く輝く輪をもった土星が描かれているのである。そして画面のいたるところには、鳥や猿など自然界の 生き物が、まるで崩壊する都市の断末魔を見届けようとでもするかのように、黙示録的な場面に立ち会っている。抽 象的な虚構の空間、階段状の幾何学的な構造物、都市文明やテクノロジーの世界と自然界との対比、そして闇を背景 にした赤・黄・青など極彩色の事物と、画面を覆うメランコリックな気分。ヘーヒの《階段》とのあいだに見られる こ れ ら 一 連 の 類 似 に は、 徴 候 的 な も の が あ る。 グ ロ ス ベ ル ク は 一 九 二 〇 年 代 半 ば か ら 産 業 イ ラ ス ト レ ー タ ー と し て、 当時最新鋭の工場機械を、冷たく美しい輝きを放つ精密な絵画として描いていたが、まもなくテクノロジーの世界に 懐疑的となり、機械装置のなかに動物や彫像などを闖入させた超現実的な絵画を制作するようになる。機械賛美のよ
う に 見 え て い た 彼 の 絵 画 が に わ か に 反 転 す る の で あ り、 や が て こ の《 夢 幻 の イ メ ー ジ 》 の よ う な 都 市 像 に 行 き 着 く の で あ る。 ( 奇 し く も こ の タ イ ト ル は、 前 節 で 挙 げ た ヘ ー ヒ の 一 九 二 三 年 の 寓 意 画〈 図 9〉 と 同 名 で あ る。 ) ダ ダ の 時 期 に 機 械 イ メ ー ジ を、 イ ロ ニ ー を 込 め て 作 品 に 多 用 し て い た ヘ ー ヒ と、 通 じ 合 う も の が あ る。 ヘ ー ヒ と グ ロ ス ベ ル ク い ず れ の 作 家 に 関 す る 資 料 に も、 両 者 の 接 触 を う か が わ せ る 事 実 は 見 当 た ら な い が、 ふ た り が 共 通 の 文 化 的 背 景 を も っ て い る こ と は 疑 い な い。 グ ロ ス ベ ル ク は、 ラ イ ン ラ ン ト 地 方 の ヴ ュ ル ツ ブ ル ク に 拠 点 を 置 き な が ら ベ ル リ ン の 美 術 界 と 繋 が り を も ち つ づ け、 さ ら に 西 部 ド イ ツ と い う 地 の 利 を 活 か し て 一 九 二 〇 年 代 半 ば に は オ ラ ン ダ に も 足 を 運 ん で い た。 ヘ ー ヒ が シ ュ ヴ ィ ッ タ ー ス を つ う じ て 一 九 二 六 年 か ら オ ラ ン ダ の 美 術 界 と 交 流 を 深 め て い た こ と と い わ ば 同 時 進 行 で、 彼 も オ ラ ン ダ の 画 家 た ち と 相 互 に 刺 激 を 与 え あっていたのである。 第 一 次 大 戦 後 の オ ラ ン ダ は、 ド イ ツ の 美 術 家 た ち に と っ て 特 別 な 意 味 を も っ て い た。 大 戦 の 敵 国 で あ っ た フ ラ ン ス 図 10.カール・グロスベルク《夢幻のイメージ、風筒(…のようなノアの方舟)》 1927 年、油彩、90.5×70.5cm、個人蔵
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 との関係にはいまだ多くの感情的しこりが残っているなかで、オランダは近世以降のネーデルランド絵画の伝統をも ち、ドイツからはイタリア、フランスと並ぶ「絵画の国」としてある種の畏敬の念をもたれていた。そればかりでな く、オランダはモンドリアンやドゥースブルクの活動に見られるように、いまだナショナルな伝統を墨守しようとす る敗戦国ドイツ以上に、 革新的な芸術を寛容にうけいれる土壌があった(少なくとも、 ドイツの美術家たちの目には、 そのように映った) 。こうした事情から、一九二〇年代のオランダでは、アムステルダム、ロッテルダム、デン ・ ハー グ、ゲントなどの諸都市にドイツ人アーティストが頻繁に訪れ、とりわけスケベニンゲン近郊のケイクドインという 避暑地にはドイツ人の芸術家コロニーが形成されるほどであっ た )(1 ( 。一方、二〇年代に開催されたドイツでの主要な美 術展にはオランダ人画家の出品がめざましく、例えば一九二六年の大ベルリン美術展では、約八十名ほどの出品作家 のうち一割をオランダの画家が占めている。他の外国人が三名ほどであったことを考慮すると、いかにドイツの美術 界に占めていたオランダ勢の影響力や比重が大きかったかが窺え る )(1 ( 。ヘーヒとグロスベルクのオランダ訪問も、そう した盛んな交流関係が生んだ趨勢の一端であった。 このような人的交流という実際面の事情に加え、オランダには、やがてドイツが共有することになる絵画思想上の ある重要な契機があったことも見逃すことができない。ドイツの文化哲学者オズヴァルト・シュペングラーが著した 『西洋の没落』 (一九一九 年 )(1 ( )は、近代以降、国力が衰退の一途を辿ったオランダの芸術界にとりわけ大きな衝撃を与 え、ドイツ以上にこの地で、第一次大戦後の厭世的な気分を助長し た )(1 ( 。西洋文明の進歩と近代化の恩恵を素朴に寿ぐ 世界観は、敗戦国ドイツ以上に、オランダでは否定的に見られていたのである。こうした精神的態度に芸術面で共振 したのが、 十七世紀バロック期のオランダ絵画における静物画と、 その「ヴァニタス」表現である。かつての北部ネー デルランドでは、周知のように宗教改革の結果としてキリスト教美術に見るような歴史物語や聖人像を主題とする絵
画が衰退し、風俗画や静物画のジャンルが発展した。とりわけ静物画は、眼前の事物を冷静なまなざしで客観的に観 察 し 描 写 す る 透 徹 し た リ ア リ ズ ム に 貫 か れ、 し か も 卓 上 に 配 す る モ チ ー フ の 選 択 と 構 成 に よ っ て「 モ ノ に 語 ら せ る 」 独特の意味付与の語法をあみだした。このとき、世俗的絵画のなかに教訓的な寓意をこめ、あわせて 艶 あで やかな奢侈品 の取り合わせによる眼の愉しみを鑑賞者に供すべく、この世の富や栄耀栄華のむなしさを意味する「ヴァニタス(虚 栄 )」 の 画 題 が 前 景 化 し て く る。 死 を 想 起 さ せ る た め の 髑 髏、 砂 時 計、 蝋 燭、 花、 楽 器、 シ ャ ボ ン 玉 や ガ ラ ス 器 の よ うな儚く壊れやすい物などが、寓意をになう記号として画中に描きこまれた。オランダ絵画のこのアレゴリーの伝統 が、二十世紀になって徐々にペシミズムの文明観が蔓延するなかで、再発見されたのである。 美術史家アンドレアス・フォーヴィンケルが一九二〇年代から三〇年代にかけてのオランダにおける具象絵画の動 向をさぐった論考「オランダ絵画におけるレアリスムとシュルレアリスム」は、この点で非常に示唆的である。そこ では、 現実の批判的分析のための絵画言語として、 画家が意識的に静物画を選んだ事例が挙げられているからである。 例えば、ベルギーのブリュッセルに生まれ、ドイツ軍のベルギー侵攻をうけてオランダに逃げてきたラウール・ヒン ク ス( Raoul Hynck e )(1 ( s ) と い う 画 家 の 場 合、 風 景 画 か ら 静 物 画 へ と 作 風 を 劇 的 に 転 換 し、 そ こ に 現 代 文 明 へ の 批 判 をこめていく。 ラウール・ヒンクスは深刻なアイデンティティの危機に陥った結果、一九二四年にそれまで制作した作品(印 象派的な風景画)を破り捨ててしまい、 その後は絵画のただひとつのジャンルへのラディカルな回帰へと向かい、 それを自らの思考と、現実の批判的分析のための唯一の言語手段となしたのだった。すなわち、静物画であ る )11 ( 。
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 卓 上 の 事 物 を 描 く こ と が、 い か に し て 現 実 の 批 判 的 分 析 へ と 繋 が り う る の か。 フ ォ ー ヴ ィ ン ケ ル に よ れ ば、 ヒ ン ク ス は ま ず 立 体 派 に ち か い 抽 象 的 な 静 物 の 配 置 の 乱 れ や 不 調 和 か ら 孤 立 や ば ら ば ら 感 を 表 現 す る。 だ が、 一 九 三 〇 年 代 に 入 る と、 精 密 描 写 に よ る だ ま し 絵 的 な イ リ ュ ー ジ ョ ニ ズ ム の リ ア リ テ ィ を 追 求 す る と と も に、 髑 髏 や 鎖 と い っ た 人 間 を 寄 せ 付 け な い 凄 惨 で 冷 徹 な モ チ ー フ を、 「 ヴ ァ ニ タ ス・ シ ン ボ ル 」 と し て 用 い、 過 去 の 象 徴 言 語 に よ っ て 現 代 の 暴 力 と人間の驕りを想起させる絵画に転じてゆくのである。 (図 11) 彼 の 静 物 画 の 中 心 に は 髑 髏 が あ る。 明 確 な イ メ ー ジ 類 型、 死 の ア レ ゴ リ ー、 ヴ ァ ニ タ ス・ シ ン ボ ル の 参 照 は、 ラ ウ ー ル・ ヒ ン ク ス の 場 合、 ひ と つ の 新 し い 意 味 を も っ て い る。 彼 は、 時 代 の 終 末、 メ メ ン ト・ モ リ( 死 を 想 え ) の 文 化 史 的 な 象 徴 性 を、 付 随 す る モ チ ー フ に よ っ て、 同 時 代 の、 現 代 に 関 連 し た 意 味 に おいて解釈するのであ る )1( ( 。 こ の よ う に し て 同 時 代 的 な 意 味 を 獲 得 し た オ ラ ン ダ 静 物 画 の 寓 意 性 は、 声 高 に 主 情 の 迸 り や 政 治 メ ッ セ ー ジ を 訴 え る こ と を や め た 戦 図 11.ラウール・ヒンクス《鎖》1934 年、油彩、サイズ・所蔵元 不明
間期の絵画芸術のなかで、静かな批判や警告をふくんだ表現に結びついていく。それは、もっとも政治性から疎遠と さ れ て き た は ず の 静 物 の 描 写 を ア レ ゴ リ ー へ と 変 換 す る こ と で、 同 時 代 の 政 治 的 な 暴 力 や 抑 圧 へ の 告 発 を こ め た バ ロック期の寓意表現とパラレルな性格をもつことでもあった。 5.即物的(ザッハリッヒ)と超現実的(シュルレアル)のはざま ドイツのグロスベルクが一九二〇年代に、そしてベルギーのヒンクスが一九三〇年代初頭に見出したオランダ静物 画の現代性は、これまで知られているよりはるかに大きな影響力をもって戦間期ドイツの具象絵画に影響をあたえて いた。ドイツでは、第一次大戦前夜に絶頂にたっした表現主義の昂揚した陶酔的気分が、開戦後の戦闘の過酷な現実 を目の当たりにして一挙に醒めてしまったあと、大戦終結から数年のうちに、醒めたリアリズムの即物的な具象絵画 が際立った傾向として観測されるようになった。眼前の事物を描写する静物画や室内画の方法で、モノに即して、激 動の世における己の存在を確かめるような客観的、かつ不安をたたえた画面が登場する。これが、戦間期ドイツで美 術の一大傾向として喧伝されることになる「新即物主義」 (「魔術的レアリスム」の呼称のほうは定着しなかった)で あり、そこに寓意としての「ヴァニタス」が新たな相貌をおびて登場してくるのである。前述したオランダとの人的 交流がそれを加速した。オランダは唯一、ドイツのこの新傾向をともに担う国であり、一九二五年にドイツのマンハ イム市立美術館で開催された「新即物主義」展に数名のオランダ人画家が参加しているほか、一九二九年にはオラン ダのアムステルダム市立美術館でも前衛芸術団体「独立」が催した年次展覧会が「新即物主義」をテーマに掲げてい る。前述のカール・グロスベルクもこれに出品していたことは、特筆しておいてよいだろう。世界大戦のあとの醒め
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 た 客 観 主 義、 即 物 主 義 と、 オ ラ ン ダ の リ ア リ ズ ム の 静 物 寓 意 画 の 伝 統 と が、 こ こ で 出 会 っ た の で あ る。 た だ し、 ド イ ツ に お け る 即 物 主 義 の 絵 画 は、 ヒ ン ク ス の よ う な 対 象 を 写 真 の よ う に 精 緻 に 描 く 細 密 描 写 で は な く、 さ り と て か つ て の 表 現 主 義 の よ う に 荒 々 し い 筆 跡 を 残 す 描 法 で も な い。 明 瞭 な 輪 郭 線 と 構 図 を も ち つ つ、 抽 象 化 さ れ た 簡 潔 な フ ォ ル ム を も つ 金 属 容 器 や ガ ラ ス コ ッ プ や 鉢 植 え の サ ボ テ ン な ど が、 静 か に、 ま る で 真 空 の 空 間 に 閉 じ 込 められたように孤立して描かれている (図 12)。眼前の事 物 と の 息 詰 ま る よ う な 対 峙 か ら 生 み 出 さ れ た、 モ ノ に 即 しての主体の確認をはかる即物主義である。 と こ ろ で、 こ こ で 問 題 と な っ て い る の が、 卓 上 に 事 物 を 並 べ た い わ ゆ る 伝 統 的 な 静 物 画 で あ る ば か り で な く、 む し ろ 選 び 出 し た モ チ ー フ を 空 間 に 配 置 し、 そ れ ら に 何 か を 語 ら せ る と い う 構 想 で あ る と す る な ら ば、 そ の 空 間 は 必 ず し も テ ー ブ ル の 上 に 限 ら れ た も の で は な い こ と に な る。 自 由 に と り あ つ め た 自 然 や 人 工 物 の モ チ ー フ を 配 置 す る 室 内 風 景( 例 え ば マ グ リ ッ ト な ど シ ュ ル レ ア リ ス 図 12.ゲオルク・ショルツ《サボテンと腕木信号》1923 年、硬質繊維板に油彩、 69×52.3cm、ウェストファーレン州立美術・文化史美術館(ミュン スター)
ム絵画)や、はるか遠景に地平線や水平線をのぞむ屋外空間や都市風景(例えばキリコの形而上絵画)は、すべてタ ブ ロ ー と い う 画 面 の 上 に 個 物 が コ ラ ー ジ ュ / モ ン タ ー ジ ュ さ れ た 心 象 風 景 と い う 意 味 で、 「 静 物 画 的 な 風 景 画 」 だ と いえ る )11 ( 。それは、個々のモチーフにヴァニタス(虚栄)の図像学的意味を担わせる伝統的ヴァニタス画とは別の、異 なるもの同士の併置や衝突から生み出される、より近代的な意味生成に基づいた現代のヴァニタスである。それはま さにヘーヒの《階段》やグロスベルクの《夢幻のイメージ》のような幻想的な都市像となるのである。そして、こう した意味生成の原理は、やがて一九三〇年代になって知られるようになるシュルレアリスムの絵画、とくにその「デ ペイズマン」の技法による驚異のイメージ、 無意識に棹差すイメージとも繋がってくるのである。その意味で、 ヴィー ラント ・ シュミートが、 一九二〇年代ドイツの魔術的レアリスムや新即物主義の絵画がもつ 「 オ プ テ ィ ー ク 視覚」 には、 のちのシュ ルレアリスム絵画のイメージ論理を先取りしたところがある、 と指摘しているのは、 正鵠を射ているといえよ う )11 ( 。シュ ル レ ア リ ス ム と 即 物 主 義 は( ア ド ル ノ や ベ ン ヤ ミ ン が そ の シ ュ ル レ ア リ ス ム 論 で 対 置 さ せ た こ と と は 裏 腹 に )、 少 な くとも印象派や表現主義などとよりははるかに共通性をもっているのであ る )11 ( 。もっとも、ヘーヒやグロスベルクの空 間は、マグリットやキリコの描く日常的な室内や見慣れた街路とは異なり、SFアニメ映画に登場しそうな未来都市 の大舞台さながらの、黙示録的な光景を繰り広げている。それは、ふたりの画家がいずれも機械主義の時代の洗礼を 受けていたことと関係があるように思われる。 ヘーヒの《階段》にたち戻るならば、この絵画に見られる独特の幻想性は、つまるところオランダの即物的な静物 画の流れを汲みつつ、空間にモチーフを孤立させて配置するダダ以来のモンタージュ原理を絵画に応用したことに依 拠 し て い る。 彼 女 は こ の 作 品 を 制 作 す る 前 年、 フ ラ ン ス の パ リ に 滞 在 し て シ ュ ル レ ア リ ス ム 絵 画 展 を 観 て い る た め、 その影響を受けたのではないかと考えることも可能だが、 この時点でのシュルレアリスム絵画にはまだルネ ・ マグリッ
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 トもイヴ・タンギーもダリも出品しておらず、シュルレアリスム絵画に一貫した絵画思想や典型的技法というものが 明示されていたわけではない。ヘーヒの場合、 その関心事は「無意識」のイメージを受動的に招喚することではなく、 むしろ「夢」というキーワードを口実にして現実を超えた幻想的イメージを作為的に構成し、オランダ静物画のヴァ ニタスを現代の文明批判の寓意画としたのであるといえる。ヘーヒのオランダ移住後、この作品は一九二八年にアム ステルダムで開かれた「独立」展に出品されているが、オランダの批評家の目にどう映ったのか、詳しい資料は残念 ながら残っていない。 〔 本 稿 は、 科 研 費 基 盤 研 究( C)「 戦 後 ド イ ツ に お け る〈 歴 史 的 ア ヴ ァ ン ギ ャ ル ド 〉 の 受 容 」( 課 題 番 号: 16K02335 、 研究代表者 香川檀)の成果の一部である。 〕 ( 1) 本 稿 の 一 部 は、 拙 論「 写 真 ス ク ラ ッ プ の イ メ ー ジ 思 考 ─ ─ ハ ン ナ・ ヘ ー ヒ《 ア ル バ ム 》 を め ぐ っ て 」( 『 武 蔵 大 学 人 文 学 会 雑 誌 』 第 45巻 第 3・ 4号、 2014 年 ) の 抜 粋 と 合 わ せ、 批 評 雑 誌『 ユ リ イ カ 』( 特 集: ダ ダ・ シ ュ ル レ ア リ ス ム の 21世 紀 ) に「 即 物 的 ア ル バ ムと魔術的ヴァニタス ││ ハンナ ・ ヘーヒ、 〈ポスト ・ ダダ〉のイメージ思考」として発表した。 (『ユリイカ』臨時増刊号、青土社、 2016 年 8 月、 280-293 頁) ( 2) Gustav Friedrich Hartlaub による展覧会、 「 Neue Sachlichkeit : Deutsche Malerei seit dem Expressionismus 」, St ädtische Kunst- halle Mannheim, 1925. 6. 14 〜 9. 13 . ( 3)
Franz Roh, Nach-Expressionismus : Magischer Realismus –Probleme
der neuesten europäischen Malerei, Leipzig, 1925.
( 4) Wieland Schmied, Neue Sachlichkeit und Magischer Realismus in Deutschland 1918-1933, Hannover:Fackelträger-Verlag,1969. 本 書 で 取 り 上 げ ら れ た ヘ ー ヒ の 絵 画 は、 《 ラ ベ ル た ち が 小 競 り 合 い す る 》( 1922 ) と、 《 カ ッ プ の あ る 静 物 》( 1927 ) の 二 点 で、 顕 著 に 新即物主義的傾向を示す作品として選ばれた。
( 5) Ausst.-Kat., Tendenzen der Zwanziger Jahre, 15.Euro äische Kunstausstellung Berlin : Dietrich Reimer Verlag,1977. 4. Die neue
Wirklichkeit—Surrealismus und Neue Sachlichkeit.
(
6)
Ellen Maurer, Hannah Höch : Jenseits fester Grenzen—Das Maleris
che Werk bis 1945, Berlin: Gebr.Mann Verlag, S.133.
( 7) Helga Kliemann, Die Novembergruppe, Berlin: Deutsche Gesellschaft für Bildende Kunst, 1969. S.51. ただし、オランダ転居の直前 も し く は 直 後 に 完 成 し た と 思 わ れ る《 階 段 》 は、 大 ベ ル リ ン 芸 術 展 に は 出 品 さ れ ず、 転 居 の 翌 々 年、 ア ム ス テ ル ダ ム の 前 衛 美 術 団 体展「独立」に初出品されている。ドイツ国内での公開は戦後になってからであった。 ( 8)
Karoline Hille, Hannah Höch : Die Zwanziger Jahre—Kunst, Liebe,
Freundschaft, Berlin: Edition Braus, 2015, S.68.
( 9) Ralf Burmeister ( Hg. ) , Hannah H
öch : Aller Anfang ist DADA!
, Berlinische Galerie, Hatje Cantz, 2007, S.112.
( Janina Nentwig に よる作品解説) ( 10)
Wieland Schmied, ‘Die neue Wirklichkeit ---Surrealismus und S
achlichkeit’, in: Tendenzen der Zwanziger Jahre,
(注 5) S.4 / 21 ( 11) Hans Hildebrandt, Die Frau als Künstlerin, Berlin,1928 ,S.127 . ベルリニッシェ・ガレリーによるヘーヒの遺品目録には、このヒルデ ブラントの本も記載されており、彼女が本書を所蔵していたことが確認できる。
Künstlerarchiv der Berlinische Galerie
(
Hg.
),
Hannah Höch : Eine Lebenscollage, Bd.2
( 1921-1945 ), 1995, 2.Abteilung ( Dokumente ), S.346, (資料番号、 28.69 ) ( 12) 種 村 季 弘『 魔 術 的 レ ア リ ス ム │ メ ラ ン コ リ ー の 芸 術 』、 PARCO 出 版、 1988 年、 95頁。 ま た 別 の 説 で は、 こ の 時 代 に ネ ー デ ル ラ ン ド に 伝 え ら れ た イ エ ズ ス 会 の 宗 教 的 寓 意 に お い て、 ガ ラ ス 球 が 世 界 を 映 し 出 す 球 体 で あ る こ と か ら 信 仰 心 と 同 一 の も の、 人 間 の 心 の 無限性を表すものとされたともいわれる。 ( 13) ル ソ ー の《 夢 》( 1910 ) に み る 素 朴 な 画 風 は、 パ リ に お い て ア ン ド レ・ ブ ル ト ン や ト リ ス タ ン・ ツ ァ ラ に よ っ て 称 賛 さ れ、 ド イ ツ で もダダや新即物主義の絵画に大きな影響をあたえた。 前述のフランツ ・ ローによる絵画論 『表現主義以後 ││ 魔術的レアリスム』 でも、 この作品が口絵として掲げられている。 ( 14) Carl Grossberg, 1894-1940 。 ド イ ツ 西 部 ラ イ ン ラ ン ト 地 方 の ヴ ッ パ タ ー ル 出 身。 一 九 一 九 年 か ら 二 一 年 に か け て、 ヴ ァ イ マ ー ル の 美 術 ア カ デ ミ ー と バ ウ ハ ウ ス の ラ イ オ ネ ル・ フ ァ イ ニ ン ガ ー の も と で 絵 画 を 学 ん だ。 そ の ほ か イ ン テ リ ア の 設 計 者 と し て も 活 動 し、 建築家メンデルゾーンの依頼でベルリンのウニヴェルズム映画館の内装を手がけている。 本稿では主に以下の展覧会カタログに拠っ た。
Von der Heydt Museum
(
Hg.
)
, Carl Grossberg : Retrspektiv zum 100. Geburtstag, 1994.
また、 種村季弘『魔術的レアリスム』 (前掲書)にも、第7章「カール・グロスベルク — 黒いメランコリー」として彼の表現世界が紹介されている。 ( 123-134 頁) ( 15) Heinz Ohff, „Holland “ , in: Künstlerarchiv der Berlinische Galerie ( Hg. ) , Hannah Höch: Eine Lebenscollage, Bd.2 ( 1921-1945 ) , 1.Abteilung, S.257-282.
ヴァニタス、あるいは夢幻の風景 香川 檀 ( 16)一九二六年「大ベルリン美術展」カタログでは出品作家リストに国籍が明示されており、これをもとに筆者が統計をとった。 ( 17) Oswald Spengler, Der Untergang des Abendlandes, Umrisse einer Morphologie der Weltgeschichte, Band 1: Wien 1918, Band 2: M ün -chen 1922. ( 18)種村、前掲書、 184 頁。 ( 19)ヒンクスについては、種村季弘『魔術的レアリスム』 (前掲書)にも簡単な紹介がある。 189-192 頁。 ( 20) Andreas Vowinckel, “Realismus und Surrealismus in der holländischen Malerei“. Günther Wirth ( Hg. ) In: Van Gogh bis Cobra ;
holländishce Malerei 1880-1950, Stuttgart, 1980, S.187-211,
( hier S.193 ) ( 21) Vowinckel, ebd S.194. ( 22) エ レ ン・ マ ウ ラ ー は、 静 物 画 が 本 来 モ チ ー フ の 構 成 に よ っ て 成 り 立 つ も の で あ る こ と か ら、 画 面 の 構 造 の な か に モ ン タ ー ジ ュ 原 理 が 潜 ん で い る と 指 摘 し て い る。 モ ン タ ー ジ ュ に よ る 読 解 可 能 性 の 措 定 が 作 動 す る こ と に よ っ て、 静 物 画 は 読 解 さ れ る と い う。 ( Maurer, ebd. S.133-134 ) ( 23) Schmied, ebd., S.4/2. ( 24) ebd. 4/29. 図版出典 図 1.ハンナ・ヘーヒ《 階 段 》、 Ralf Burmeister ( Hg. ), Hannah Höch : Aller Angfang ist DADA!, Berlinische Galerie, Hatje Cantz, 2007, S. 110. 図 2.ハンナ・ヘーヒ《女とサトゥルヌ》 Götz Adriani ( Hg.
), Hannah Höch : Fotomontagen-Gemälde-Aquarelle, DuMont, 1980, S
.83. 図 3.ハンナ・ヘーヒ《ふたつの頭部》 Götz Adriani ( Hg. ), Hannah Höch, S.63. 図 4.ハンナ・ヘーヒ《 ロ ー マ
》 Heinz Ohff, Hannah Höch, Deutsche Gesellschaft für Bildende Kun
st e.V., Gebr. Mann Verlag, 1968, Nr.16.
図
5.ハンナ・ヘーヒ《キューブ》
Ralf Burmeister
(
Hg.
), Hannah Höch : Aller Angfang ist DADA!, S.113.
図
6.ハンナ・ヘーヒ《彼とその環境》
Heinz Ohff, Hannah Höch, Nr.14.
図
7.ハンナ・ヘーヒ《合一》
Heinz Ohff, Hannah Höch, Nr.7.
図
8.ハンナ・ヘーヒ《蚊は死んだ》
Ralf Burmeister
(
Hg.
), Hannah Höch : Aller Angfang ist DADA!, S.109.
図
9.ハンナ・ヘーヒ《夢幻のイメージ》
Heinz Ohff, Hannah Höch, Nr.18.
図 10. カ ー ル・ グ ロ ス ベ ル ク《 夢 幻 の イ メ ー ジ、 風 筒 》 Von der Heydt Museum ( Hg. ), Carl Grossberg : Retrspektiv zum 100.
Geburtstag, 1994.
図
11.ラウール・ヒンクス《鎖》
Von Gogh bis Cobra ; holländishce Malerei 1880-1950, Stuttgar
t, 1980, S.194. 図 12. ゲ オ ル ク・ シ ョ ル ツ《 サ ボ テ ン と 腕 木 信 号 》 Segiusz Michalski, Neue Sachlichkeit : Malerei, Graphik und Photographie in Deutschland 1919-1933, Taschen, 1994, S.162.