理工学部無機化学Ⅱ
15 自然界や医療と
金属錯体
元素の体内分布
酸素運搬とヘモグロビン
図 ヘモグロビン分子(4量体)1
(PDB データベースより)
ヘモグロビン分子
(右、右下)
ミオグロビン分子
(下)
ヘム ヘモシアニン
C H2 C H N N N N C H3 C H2 CH3 C H3 H H H Fe C H3 C H2 COO C H2 CH2 C H2 COO理工学部無機化学Ⅱ
クロロフィル a
カルボキシペプチダーゼ
ニトロゲナーゼ(
S.M.Mayer,C.A.Gormal,B.E.Smith,D.M.Lawson, J.Biol.Chem.,2002)femoco
抗ガン性白金錯体
[PtCl
2(NH
3)
2]+DNA (F.Coste,
J.M.Malinge, L.Serre, W.Shepard, M.Roth, M.Leng, C.Zelwer, Nucleic Acids Res., 1999)
金製剤
auranofin
診断薬
Gd MRI 造影剤
99Tc 腎機能等診断
N N N N O O H H HH H H H H H H H H H H H H HH HH H H H H H H H H Mg H H H HH HH HH H HH HH HH H HH HH HH H H H H H H H H H H H H H O O O H H H HS
Fe
S
Fe
Fe
S
S
Fe
Fe
S
Fe
S
S
Fe
S
Mo
S
Cl
Pt
NH
3NH
3Cl
O O Gd N N N O OH2 O O O O O O O Magnevist N O O O O N O Tc N O O O O N O G G G G G C T A A A T C C T G G G T A A T C C C C C Pt理工学部無機化学Ⅱ 補足説明 生物はほとんどのパーツが有機物からできている。有機物すなわち C, H, N, O あたりの原子でできているの が我々の体のほとんどであり、無機元素(特に金属元素)は多くはない。しかし、金属元素でしかできない役割もはたして いる。骨はカルシウムリン酸塩やアパタイト(Ca10(PO4)6(OH)2)であり、カルシウムは我々の骨格の形成に多量に使われ
ているが、微量ではあるが重要な働きをしている元素も多い。ここでは遷移金属を中心にいくつかの例を見ていこう。 タンパク質中における金属元素の役割 タンパク質はいうまでもなくアミノ酸(H2N-CHR-COOH)がペプチド結合によって結合し、高分子となったものである。生体 に使われるアミノ酸は 20 種類あるので、これらを組み合わせると膨大な種類のタンパク質を作ることができる。タンパク質 中での金属の役割は二種類ある。 [1] 反応等の機能に直接関わる場合 ヘモグロビン中の鉄やカルボキシペプチダーゼ中の亜鉛のように、直接ターゲット分子と作用することで反応などの機 能につかさどるもの [2] タンパク質の構造維持に関わる場合 タンパク質はアミノ酸の並ぶ順番だけではなくて、立体的に特定の構造になることで初めてその機能を発揮する場合 が多い。特定の構造を維持するために亜鉛やカルシウムなどの金属がタンパク質に結合しているケースも多い。 1) ヘモグロビンとヘム 我々の血液中にはヘモグロビンがある。ヘモグロビンは分子量 64000 の巨大なタンパク質分子であり、酸素を血液中で 体の隅々まで運搬する働きがある。4 つのサブユニットと呼ばれる部品からできている。これに対し筋肉中に存在し、酸 素を一次貯蔵する働きがあるミオグロビンは分子量が約 1 万 8000 のタンパク質である。ミオグロビンには1つ、ヘモグロビ ンには 4 つヘムという鉄錯体を含む。ヘムはポルフィリンと呼ば れる環状の有機物の中に鉄が入った錯体であり、酸素分子が 結合する。興味深いのはミオグロビンとヘモグロビンの酸素の 結合性である。ミオグロビンは酸を分圧が増えるに従って右図 のように酸素が結合していく。つまり酸素分圧の上昇と共に急 激に酸素がミオグロビンに結合していく。しかし、ヘモグロビン は、酸素分圧が低い内はあまり酸素が結合せず、ある程度酸 素分圧が高くなると急激に酸素が結合するようになるという性質 がある。肺のなかと筋肉中の酸素分圧を考えると、ヘモグロビン が多量の酸素を運搬するのに有利であることが分かるであろう。 これはヘモグロビンの内の一つのユニットのヘムに酸素が結合 すると他のユニットのヘムはより酸素が結合しやすいように構造 が微妙に変化することによっている。 なお、イカなどの軟体動物中ではヘモシアニンと呼ばれる銅 錯体が酸素運搬を司っている。 2) クロロフィルと光合成 光合成はご存じの通り、二酸化炭素と水から炭水化物と酸素を作る反応である。これは非常に複雑な反応であり、光を 必要とする明反応と必要としない暗反応を含んでいる。ここでは詳細は述べないが、クロロフィル分子の構造だけ取り上 げておく。ヘムと似た構造のコリン骨格を有する錯体であり、マグネシウム(これはもちろん遷移金属ではないが)を含む。 3) カルボキシペプチダーゼと亜鉛 亜鉛は多くの酵素の働きに関与している。最も初期にその機構が解明されたのは牛のカルボキシペプチダーゼ(アミノ 酸のペプチド結合を加水分解する酵素)であった。この酵素は 307 個のアミノ酸が結合したタンパク質であり、1個の亜鉛 を含む。 4) ニトロゲナーゼ 植物の根にはある種の細菌が存在し、それが窒素固定(窒素分子をアンモニアなどの有用な分子に変えること)を行って いる。窒素分子の窒素原子間はご存じの通り三重結合で強固に結びついているので、窒素分子は非常に安定であり、 アンモニア等の分子に変えるためには、(例えばハーバー法に見られるとおり)触媒を用いたとしても数百度、数百気圧 のような過酷な条件を必要とする。上記の細菌はニトロゲナーゼという酵素を持っており、窒素固定を室温、一気圧という ↑ ↑ 筋肉中 肺中 酸素濃度→ ヘ モ グ ロ ビ ン 又 は ミ オ グ ロ ビ ン で 酸 素 の 結 合 し て い る 割 合
理工学部無機化学Ⅱ 穏和な条件で行っている。このニトロゲナーゼは femoco という鉄、硫黄、モリブデンが組み合わさった構造の部分を有し ており、これが窒素固定に深く関わっていることが近年見いだされた。将来的には、このような構造をモデルにした新し い触媒が開発されるかもしれない。 医療における金属錯体
治療薬
抗ガン性白金錯体 1964 年に Rosenberg という人が、白金電極を用いて大腸菌に電流を流す実験を行っていたところ、 細胞分裂が起きなくなることを発見した。その後の調査で電気のせいではなく、その場に生成した白金錯体がその作用 を担っていることがわかった。これを抗がん剤として応用したのが cis-DDP すなわち cis-[PtCl2(NH3)2]である。シスプラチ ンの商品名で抗がん剤として、睾丸、卵巣、子宮など多数のがんの治療に用いられている。この錯体は水にあまり溶解し ないため、腎臓への負担が大きく、投与法が工夫されている。カルボプラチンなど改良した医薬品も多数研究されている。 がん細胞の DNA の中の 1 つの鎖の 2 つのグアニン塩基に白金が結合することによって、DNAが複製できなくなるた めがん細胞が増殖できなくなるとされている。 抗ガン性を示す錯体には白金以外にもルテニウム錯体や、鉄錯体ブレオマイシンなども研究されている。 金製剤 昔からリューマチには金が効くといわれてきたらしい。ここに示すのは auranophin という商品名のリューマチ薬 である。 ビスマスを含む錯体が最近話題のピロリ菌による胃潰瘍をはじめとする各種の潰瘍に効果を示すことは以前から知られ てきた。特にクエン酸の化合物などが効果を示す。クエン酸(配位子としてはシトラト配位子)錯体は実際には二核構造で、 [Bi2(citrate)2]となっている。 診断薬 Gd MRI 造影剤 ガドリニウムは希土類元素の 1 つで、ランタニド元素(周期表の番外ランタン以降 15 個の元素)の真ん 中に位置する。この3価のイオンは不対電子を7つも持っており、常磁性が強い。NMRの原理を用いる体の断層撮影 (MRI)において写真のコントラストを高めるために注射される。 99Tc 腎機能診断 放射性元素は治療のほか各種の診断にも用いられる。たとえば 99mTc(99Tc の中でも不安定な準安 定状態と呼ばれる核種)はガンマ線を放射するが、前述の化合物や下の図に示した化合物は速やかに排泄されるため 腎臓の診断に用いられる。参考 1 人ヘモグロビン結晶構造 M. Paoli, R. Liddington, J. Tame, A. Wilkinson, G. Dodson、J. Mol. Biol, V. 256, 775(1996).
参考 2 ミオグロビン結晶構造 Arcovito, A., Benfatto, M., Cianci, M., Hasnain, S.S., Nienhaus, K., Nienhaus, G.U., Savino, C., Strange, R.W., Vallone, B., Longa, S.D. Proc.Natl.Acad.Sci.USA v104 pp.6211 , 2007
参考 3 ヘモシアニン結晶構造 Hazes, B., Magnus, K.A., Bonaventura, C., Bonaventura, J., Dauter, Z., Kalk, K.H., Hol, W.G.. Protein Sci. v2 pp.597-619 , 1993
参考 4 カルボキシペプチダーゼ+