神経筋電気診断 Case of the Issue No. 9
手根管症候群
正 門 由 久 栃 倉 未 知 児 玉 三 彦
要旨 手根管症候群(carpal tunnel syndrome: CTS)における臨床神経生理学的検査の重 要性について述べる。CTS のみならず,絞扼性末梢神経障害は早期に的確な診断がなさ れ治療に結びつくことでより速やかで良好な機能予後が期待できる。病状が徐々にではあ るが進行することで機能は低下してしまう。CTS の早期診断のためルーティン神経伝導 検査に加えて,正中神経と隣接する非障害神経との手根管部での神経伝導の比較などの比 較法によって,軽度の CTS の診断ができる。また臨床診断および臨床神経生理学的検査 の結果によって治療法をどのようにすべきかの定まった結論は得られておらず,今後多施 設共同研究を行う必要がある。
【はじめに】
臨床神経生理学的検査には,神経伝導検査(nerve
conduction study; NCS),針筋電図検査(needle
electro-myography; nEMG)などが含まれ,神経疾患や筋疾
患を含め,鑑別診断する有用な手段となることから,
重要な役割を担っている。
本稿は NCS の対象疾患の中でも経験する頻度の最
も高い絞扼性ニューロパチーである手根管症候群
(carpal tunnel syndrome: CTS)
1)について,症例を提
示し,検査の概要と評価について述べる。
【CTS とは】
手根管は 4 つの手根骨と屈筋支帯に囲まれた閉鎖空
間であり,その内部を正中神経と他に手指と手関節の
屈筋腱が通過する。CTS は手根管内での正中神経の
圧迫や反復される刺激によって引き起こされ,手関節
部より遠位の正中神経支配領域における疼痛や感覚障
害,および支配筋の筋力低下や萎縮を呈する症候群で
ある。45 歳から 65 歳の年齢層に多くみられ,男女比
は 1:3 とされている
2)。
CTS の臨床診断は典型例であれば,その特徴であ
る上記症状から容易であるが,症状によっては臨床的
には必ずしもその診断は容易ではない。そのために臨
床神経生理学的検査は非常に役に立つ検査となる。
【CTS における臨床神経生理学検査】
1999 年に American Association of Electro diagnostic
medicine(AAEM)が,American Academy of
Neurol-ogy お よ び American Academy of Physical Medicine
and Rehabilitation とともに,CTS の NCS による診断
指針を提唱した
3, 4)(表 1)
5)。また本邦でも,2007 年に
日本神経治療学会により CTS の診療指針が示され
た
6)。それらの指針によれば,CTS の診断は臨床診断
や所見に基づいた臨床診断が前提となることである。
日本神経治療学会の指針では,(1)CTS であることの
客観的診断:他疾患との鑑別を含む,(2)治療方針へ
の貢献:手術適応の判断や手術予後の予測を含む,以
上の 2 点が CTS における臨床神経生理学的検査の役
割であると明記されている
6)。CTS の診断にあたって
ルーティンとして施行される NCS として,正中神経の
運動,感覚神経伝導検査(motor nerve conduction study,
sensory nerve conduction study:それぞれ MCS,SCS)
,
F 波が挙げられる。さらに障害が正中神経に限定した
東海大学医学部専門診療学系リハビリテーション科学ものであることを診断するためには尺骨神経の MCS,
SCS も施行しなければならない。しかしながら,こ
れらのルーティン検査のみでは CTS による異常を検
出しうる感度が 70%未満と必ずしも高くはないこと
から,その向上を目的に数多くの検査法が考案されて
きた
7)。それらには前述したルーティンの NCS に加
えて,正中神経と隣接する非障害神経との神経伝導の
比較,すなわち尺骨神経や橈骨神経との潜時差による
検討や正中神経の手根管を通過する部位とその近位あ
るいは遠位の神経伝導を比較する検査法などが含まれ
ている(以下比較法と略す)
(図 1)。
NCS では末梢神経障害の病態が節性脱髄と軸索変
性どちらの要素を持ち,その所見は①伝導遅延②伝導
ブロック③神経興奮性の減少ないし欠如のいずれにあ
たるのかを評価することができる
14)。CTS における伝
導ブロックの評価として,手掌刺激法を用いた,手関
節刺激/手掌刺激複合筋活動電位(compound muscle
action potential: CMAP)振幅比<0.7
15)もしくは,手
掌/手関節 CMAP 振幅比>1.2 が用いられている
16)。
しかしながら手掌での電気刺激が尺骨神経に波及し,
その支配筋の活動電位が重複して導出され,結果とし
て CMAP 振幅が大きく記録されてしまうことがある。
これは,あたかも伝導ブロックの所見として誤認され
やすいので注意を要する。電気刺激によって生じる短
母指外転筋(abductor policis brevis muscle: APB)収
縮による母指の運動(掌側外転)の注意深い観察や刺
激強度を高めていく際に急激に生じる波形増大や変化
を見逃さないようにすることが大切である。また山口
らは尺骨神経支配筋からも同時に CMAP を観察し,
current spread を厳密に除外する方法について報告し
ている
17)。
針筋電図は CTS 診断においては補足的検査と位置
付けられているが
6),他疾患の鑑別には必要な検査で
ある。例えば前腕に広がる感覚障害や頸部痛,あるい
は手内筋全体に筋萎縮を有する症例では,手根部より
近位での正中神経障害や頸椎神経根症等が疑われる。
手根管を出た後に分枝する筋枝支配筋(例えば APB)
と手根管より中枢より分岐する正中神経の分枝に支配
される筋群(例えば円回内筋),あるいは短母指外転
筋と同じく C8,Th1 髄節支配で,尺骨神経により支
配 さ れ る 筋(ex. 第 一 背 側 骨 間 筋 first dorsal
inter-osseous: FDI)等との所見の比較や C6,7 神経根障害
などの鑑別が重要である。
【症例 1】
41 歳女性。2 ヵ月前から続く右母指から環指橈側の
異常知覚あり。疼痛,夜間痛はなく,同部位に感覚鈍
麻を認めない。筋萎縮や筋力低下はなし。Tinel およ
び Phalen 徴候はいずれも陰性。深部腱反射は正常。
NCS の結果を表 2 に示す。正中神経 MCS と SCS
の各パラメーターは正常範囲内であったが,2 種の比
較法ではそれぞれ有意な潜時差を認めた。本症例は,
CTS としての臨床所見は手掌指神経支配領域の異常
知覚のみであり,初期の CTS であることがうかがえ,
表 1 AAEM2002 による CTS の推奨診断法 臨床症状から CTS が疑われる患者に以下の検査を行う。 (1)最も確実な診断法(standard)として推奨されるのは以下の方法である。 a) 手首と手指の間(13∼14 cm)で通常の正中神経感覚伝導検査(順行でも逆行でもよい)を行い,もし異常ならば同じ手の 尺骨神経または橈骨神経感覚検査の通常の検査法による結果と比較する。 b) もし上記の正中神経感覚伝導検査で異常がなかったときには,以下のいずれかの検査を行い異常の有無を判定する。 ①手首∼手掌の間の正中神経と尺骨神経の感覚神経(混合神経)の伝導を比較する。 ②環指∼手首の間での正中神経と尺骨神経の感覚神経伝導を比較する(環指試験)。 または母指∼手首での正中神経と橈骨神経の感覚神経伝導を比較する。 ③ 正中神経の手指∼手掌間と手掌∼手首間の感覚神経(混合神経)伝導の分節比較,または手掌∼手首間と手首∼肘間の 感覚神経(混合神経)伝導の分節比較。 (2) やや精度が劣るが推奨される方法(guideline) 通常の母指球からの記録による正中神経運動伝導検査における潜時と,同じ手の尺骨神経の伝導検査の潜時の計測。 (3) 補足的なもの(option) 正中神経刺激の第 2 虫様筋と尺骨神経の第 2 骨間筋末端潜時比較,インチング法,その他。 文献 5),27)よりNCS においてルーティンの検査結果の結果は全て正
常であった。AAEM の指針では正中神経 SCS の結果
が境界域かあるいは正常の場合,“standard” として推
奨される比較法の実施が提唱されている。最も軽症の
CTS の評価には比較法が有用であることを示してい
る。本症例で施行した環指比較法では,正中-尺骨神
経間の潜時差が有意に増大していた。環指に分布する
正中神経の感覚枝は,横手根 帯の下を通る正中神経
の外側に位置しており,より圧迫による影響を受けや
すいとされる
18)。よって,環指法は重症例では早期か
ら導出が困難になるものの
8),軽症例の検出には最も
鋭敏な検査の一つとされる
12, 19)。
本症例で実施した第 2 虫様筋-骨間筋法の波形を図
2 に示す。本法は正中および尺骨神経の MCS におい
図 1 各比較法の測定法(文献 8), 27)より) (−):記録電極,(+):基準電極,S1:刺激部位,S2:刺激部位,med:正中神経,ulnar:尺骨神経,rad:橈骨神 経,CMAP(compound muscle action potential):複合筋活動電位,SNAP(sensory nerve action potential):感覚神経 活動電位,MNAP(mixed nerve action potential):混合神経活動電位。*)正中神経刺激は手関節中央と示指・中指間 を結ぶ線上の手掌部で,また尺骨神経刺激は尺側手根屈筋腱の外側と環指・小指間を結ぶ線上で実施。**)環指の 中手指節関節に記録電極を,遠位指節間関節に基準電極を設置。***)環指の中手指節関節に記録電極を,遠位指 節間関節に基準電極を設置。****)正常上限は,S1 記録と S2 記録の潜時の差。(文献 27)より)て CMAP 潜時を比較するもので,AAEM の指針にお
いては “option” と推奨度は高くない。この指針が策定
された時点で,高い推奨レベルの報告が少なかったこ
とが一因と考えられるが,その後の報告においては高
い感度を有する報告も多く
8),簡便でしかも有用な比
較法といえる。さて,虫様筋から導出した CMAP の
前に先行した小さな活動電位が観察される。これは
premotor potential として知られているが,正中神経の
手掌感覚枝の SNAP とその活動電位が指に伝導する
に際し,容積伝導の変化により生じた遠隔電場電位が
重なり合ったものを手掌上で記録したものであると考
えられている
20∼23)。実際の検査場面でしばしば問題
となるのは,これが虫様筋 CMAP の陰性波の立ち上
がりに重なるような場合である。以上より premotor
potential のあと,虫様筋の CMAP が陰性に立ち上が
る点で計測すべきである。
【症例 2】
70 歳女性。3 年前から母指から中指の異常知覚と触
覚鈍麻が出現。母指球は萎縮し掌側外転が困難であっ
た。握力は健側が 17.5 kg であるのに対し患側は 8 kg
と低下。Tinel,Phalen 徴候とも陰性。
NCS の結果を表 3 に示す。運動,感覚神経伝導検
査ともに活動電位は導出されず。比較法では第 2 虫様
筋-骨間筋法でのみ虫様筋からの CMAP を導出でき,
有意な潜時差を認めた。nEMG では APB において安
静時自発電位が観察され,随意収縮時所見では運動単
位電位は認められず。一方,FDI では異常所見を認め
なかった。本症例では握力の低下が認められ,正中神
経の支配筋である短母指外転筋,母指対立筋や短母指
屈筋浅頭の筋力低下や,総手掌指神経ⅠⅡの運動枝筋
である第 1,2 虫様筋の筋力低下が示唆される。軸索
障害が高度になるとルーティンの NCS においては
CMAP,SNAP の導出が困難となる。CTS 症例におい
ては,第 2 虫様筋は解剖学的および生理学的特性から
障害されにくく
24),APB の CMAP が消失するような
進行した例の CTS においても CMAP 導出が可能な例
が多い
25)。我々が CTS 症例 105 手で行った検討におい
ても,APB から CMAP が導出できなかった 7 手を含
めて,虫様筋 CMAP は全例で導出が可能であった
26)。
このことは重症 CTS において手関節部が障害部位であ
るという病変の局在診断に有用であることを示してい
表 2 症例 1 NCS,nEMG 結果 神経(右) 刺激部位 記録部位 振幅 潜時(ms) 伝導速度(m/s) F 波潜時(ms) 正中:運動 手関節 短母指外転筋 14.5 3.8 22.8 肘関節 〃 14.1 7.3 63 手掌部 〃 13.8 1.8 尺骨:運動 手関節 小指外転筋 14.4 2.5 肘関節 〃 13.2 7.1 66 正中:感覚 手関節 示指 36.4 2.7 51 尺骨:感覚 手関節 小指外転筋 29.5 2.4 59 正中:LICS 手関節 第 2 虫様筋 3.6 尺骨:LICS 〃 第 1 掌側骨間筋 2.8 正中:D4CS 手関節 環指中手指節関節 2.7 尺骨:D4CS 〃 〃 2.2 図 2 虫様筋-骨間筋法 黒矢印が premotor potential(正中神経刺激時の記録:上の波 形,なお下の波形は尺骨神経刺激時の記録)(文献 27)より)た。本症例では,虫様筋-骨間筋法の結果より,正中
神経障害の手関節部での障害を診断できた例である。
ここに挙げた症例を比較し考えると,CTS を疑わ
れたら,すぐに臨床神経生理学的検査によって,その
重症度を評価することが重要であるということであ
る。軸索変性までに至らぬ前に診断し,重症度によっ
ては手術をするべき時期などを逸しないことが重要で
あると考えられる。またこれらの症例からも虫様筋-骨間筋法は,軽症例から重症例まで診断・評価に使う
ことができる方法で,しかも感度も環指正中尺骨神経
感覚神経伝導比較法(4th fi nger method)と同じであ
り
26),とても役立つ方法であるといえる。
【おわりに】
CTS における神経生理学的検査の概要について述
べた。CTS のみならず,絞扼性末梢神経障害は早期
に的確な診断がなされ治療に結びつくことでより速や
かで良好な機能予後が期待できる,適切な診断・治療
が行われず,病状が進行することで機能予後は確実に
低下するといっても過言ではない。
CTS の早期診断は,臨床診断だけではままならな
い例がある。臨床神経生理学的検査によって重症度が
わかること,それによって治療法をどのように選択す
べきかを判断することなどが確立されなければならな
い。これらによって治療法,特に手術をいつの時点で
すべきか?などがわかるであろう。これを解決すべ
く,多施設共同研究を始める必要がある。
以上により CTS の早期診断と治療において,臨床
神経生理学的検査の適切な施行がより適切な診療へと
つながればと思われる
27)。
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Carpal tunnel syndrome
YOSHIHISA MASAKADO, MICHI TOCHIKURA, MITSUHIKO KODAMA
Department of Rehabilitation Medicine, Tokai University School of Medicine
Key Words:carpal tunnel syndrome, nerve conduction study, lumb-Interossei method, 4th fi nger method, sensitivity