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公共政策の現代的意義

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(1)

一※

は じ め に一― 問題の所在――

I

公共性 とは何 か十

公共」概念 をめ ぐって Ⅱ 公共政策 とは何か Ⅲ 規制緩和政策の政治的経済的背景 Ⅳ 経済的効率性優先主義 と公共政策の欠如が もた らす社会的帰結

V

現代 の公共政策が依拠すべ き価値基準 Ⅵ 規制緩和 と「自己責任」 Ⅶ 現代 の金融 システム改革 と「 自己責任」 Ⅷ 「自己責任」社会の問題点 お わ り に は じ め に一一 問題の所在―一 現在, 日本の公共政策は歴史的転換期 にある。その意味は

, 2重

である。 第 1は

,伝

統的に、わが国では明治以降

,官

治的 。中央集権的行政システムにもとづいて

,政

策 づ くりは国家によって独 占され

,官

僚 の秘術 とみなされて きた。いわゆる,「政策の国家秘術幽 m) を特徴 として きたのである。戦後において も

,そ

の基本的性格は最近 まで変ることはなかった。経 済復興そ して高度経済成長 と

,こ

の手法は継承 されて きたのである。 しか し

,よ

うや く日本 も1990年代 に入 り

,バ

ブルの崩壊 を契機 とする深刻な経済不況のなかで, 国家の財政破綻が露呈す るとともに

,外

務省や大蔵省

,厚

生省などそうそうたる省庁の腐敗・汚職 事件が発覚 したことは

,従

来わが国の中央集権的な政治・行政 システムの転換 を追 る もの となった。 このことは同時に

,政

策の国家秘術性が急速に色あせて きたことを意味 した。 その結果

,国

家の統治能力が限 られた ものであ り

,政

策分野 における国家以外 の多 くの重要な行 為者 にも注 目しなければな らない とい うことが認識 されるようになった。以降

,政

策の国家独 占は 破 られ

,地

方 自治体や市民組織

,NGO・ NPO,そ

の他のボランテイア団体 など

,政

策の担い手 が多様化 して くるにしたがつて

,公

共政策の開発や政策研究の重要性・緊急性が理解 されて きた。 第 2は,1980年代以降

,規

侑U緩和・民営化 を内容 とする新 自由主義的潮流が

,公

共政策 を量・質 ともに変化 させ ようとしている。国防や外交など従来の国家権力 を背景 とした公共政策が強化 され る反面

,国

民生活 に密着 した福祉や環境

,教

育や文化 などの諸分野における公共政策が後退 し

,代

わって

,こ

れ らの分野は大幅に規制緩和の対象 とな り

,自

由化 ・民営化 による市場原理の導入がす すめ られた。

(2)

その結果

,現

在行われている労働改革

,年

金制度や医療制度など社会保障制度の改革や

,消

費者 保護の分野などに

,経

済的効率性優先 を指導原理 とするや り方が もち込 まれて

,後

に本文で指摘す るような深刻な問題 を引 き起 こしている。 本稿の課題は

,こ

うした国民生活 に直接関連する分野において規制緩和 。自由化政策 によつて公 共政策が後退 してい く現状 を批判的に検討 し

,公

共政策が必要 とされる現代的意義 について考察す ることにある。 順序 として

,ま

ず第11こ

,公

共性や公共政策 とは何 かを検討す る。第21こ

,現

代 わが国 における公 共政策の特徴 とその問題点 を明 らかにする。第3に

,現

在の公共政策が依拠すべ き価値基準 と「自 己責任」社会の問題点について考察する。以上 を通 じて

,現

代社会 における公共政策のあ り方 と, その意義 について論 じることにしよう。

I

公共性 とは何 か――「公共」概念 をめ ぐって ところで

,こ

こで言 う公共政策 とは何か。 いま仮 に

,公

共政策 を公共的利益 のために行 われる政策決定であると定義すると、たちまち公共 的利益 の意味 を問わなければならな くなる。 政治学 においては

,こ

の公共的利益の概念ほど曖味であ り定義の困難なものはない と言われてい る。たとえば

,政

治学者 ダウンズ (Anthony Downs)は 次のように述べている。 「公共的利益 という言葉は

,政

治家

,ロ

ビイス ト、政治学者および投票者によって絶えず用い られ ているが

,そ

の正確 な意味 を詳 しく問い詰めると

,決

ま り文句や

,一

般論や哲学的理論 に必ず巻 き 込 まれて しまう。そ してす ぐに

,そ

の言葉にはた してどんな意味があるのか

,あ

るいは意味がある とすれば

,そ

れはどんな意味か

,そ

のような行為が公共的利益 にかなってお り,また どの ような行 為がそれにかなっていないのか

,そ

してそれをどの ようにして識別で きるか, ということについて 一般的な合意は全 くない ということが明 らかになる。」(2) しか し

,困

難であるとはいって も

,現

代的公共性の内容 を明 らかにする前 に

,ま

ず公共性や公共 的利益 に関 して

,そ

の重要なポイン トを指摘 しておかなければならない。これまで

,わ

が国では公 共性 について

,以

下の ような枠組みで論 じられて きた(3)。 現代 日本国憲法は

,そ

の前文において、「そ もそ も国政は

,国

民の厳粛 な信託 による ものであっ てその権威 は国民に由来 し

,そ

の権力は国民の代表者がこれを行使 し

,そ

の福利 は国民が これを享 受する。 これは人類普遍の原理であ り

,こ

の憲法は

,か

かる原理にもとづ くものである。われわれ は

,こ

れに反す る一切の憲法

,法

令及 び詔勅 を排除する。」 とうたっている。 これは

,国

民の「福利」す なわち国民の権利・利益の実現 に奉仕することに国政の存在理由

=公

共性があることを示 している。 このような原則 を前提 として

,何

よりも

,公

共性の実質的意義は, 市民の生存権 を保障す ることにあると考 えられる。 ところが

,資

本主義国家 における現代行政の実態 は

,市

民の利益ではな く国家の利益 (国益

)を

担 うもの として現われる。そこでは

,形

式的に「公共」 とい う衣 をまといなが ら

,実

質的内容は大 企業の担い手やそれ と結びついた特権的階層 など一部の人たちを守るもの となっている。現在, 日 本の政治で最 も問われている政・官・財の癒着 といわれるものは

,官

が政 と財 との橋渡 しを し, 「公共」の名において

,一

部の私的利益の追求 を助 けるメカニズムである。 この ような公共性 自体 が歪曲されている現実の行政は,「国家的・特権 的公共性」 と呼ばれる。

(3)

こうして現実には,「市民的・生存権的公共性」 と「国家的・特権 的公共性」 とい う2つの公共性 が対立 してせめぎあっている。 以上のように

,ひ

とまず公共性の本来的意義 と

,現

実的場面 において対抗関係 にある公共性の意 味 について把握 してお こう。 それでは次 に

,こ

れまで公共政策が どの ような意味で用い られて きたかを考察 してよう。 Ⅱ 公共政策 とは何か 従来

,「

公共政策」 とい う概念 は

,お

よそ次のような意味で用い られてきたことがわかる。代表 的な定義 を紹介 してお こう。 「公共政策 とは

,市

場の機能不全 をめ ぐる諸問題 に対 して

,国

家権力 を背景 に

,政

府一一 国のみ な らず地方公共団体 を含めて一― が積極的に解決 を図つていこうとする政策の総称である。」(4) この公共政策の定義 を前半部分 と中 。後半部分 とに分けて検討 してみる。すると

,前

半は市場の 機能が不完全であるために生 じた問題 に対応する政策が

,公

共政策であると理解で きる。 しか し, この定義は誤 つている。なぜ なら前述 したように

,市

場の機能が十全であればあるほど

,環

境や福 祉 など社会的に必要であるにもかかわ らず

,こ

れ らの分野に資源が適切 に配分 されない という状況 が起 きる

,こ

の「市場の失敗」 を是正するのが公共政策であるといえるか らである。 さらに問題なのは

,そ

の次の文 にある。果た して引用文にあるように

,公

共政策の主体 を国家権 力 を背景 とした国・地方政府 とだけ定義することは正 しいであろうか。結論 を先 どりすると,もは や現在の公共政策 を論 じるためには

,こ

の ような定義では、はなはだ不十分であると言えよう。 まず第1に

,公

共政策の伝統 的な権力規定 に従 って

,国

家の安全 を保障する政策や

,現

,批

判 の対象 となっている公共事業 などを

,無

条件 に公共政策 と呼ぶ ことは妥当ではない。 なぜ な ら, 「国家の安全 を守る」ための戦争が

,実

は軍人や政治家

,財

界 などの利益 をもっぱ ら擁護す るため に行 われたものであるという歴史的事実に注 目する必要がある。また

,戦

後 日本 における公共政策 の中心的存在であ りつづけた公共事業の推進が

,社

会的に必要な生産基盤お よび生活基盤整備 を超 えて

,政

・官・財癒着の政治経済的基盤 となっていた事実 を見のが してはならないであろう。 同時に

,現

在わが国における膨大 な国家財政の赤字の主な原因が

,こ

の公共事業 に関係 した財政 支出にあったことは明 らかである。 さらに

,今

日の地方財政危機 の根本的原因 も

,バ

ブル崩壊以降, 国が景気対策のための大規模公共事業 に自治体財政 を動員 して きたことにある。国の補助金支出を 削減 しなが ら, しか も政府の経済対策に地方動員 してい く手段 として

,地

方単独事業の拡大一‐ そ のための地方債の大量発行一― 地方債の元利償還 と一般財源補填のための地方交付税の利用, とい う巧妙 な手法が とられた。つ ま り

,補

助金のつかない地方の単独事業 について も起債 をみ とめ

,そ

の元利償遠金が一部 を地方交付税に算入で きる。事実上の「地方債の補助金化」 と「地方交付税の 補助金化」 という事態が押 し進め られたのである。政府 による

,こ

の地方債許可 と地方交付税措置 とをセ ットにした地方単独事業拡大に

,地

方 自治体の多 くが相乗 りし

,結

,地

方財政の借入金 を 急増 させる結果 になったのである。 国家が行 うか らと言 って

,ま

た公共事業であるか らと言つて

,公

共性 を有 しているわけではな く, 時に社会全体 に対 して著 しい不利益 をもたらす場合 もあるとい う典型的な事例―― それが公共事業 であった。このことは

,公

共性 を無視 したモラルなき事業活動が

,単

に民間企業に限 られるわけで はな く

,国

家や地方 自治体 などの政府機関によって も

,容

易 に引 き起 こされるものであるとい うこ

(4)

とを証 明 してい る(5)。 さらに第21こ

,公

共政策 の伝 統 的 な権力規定 の問題 点 は

,そ

の 中央集権 的なや り方 にある。従来 わが国の国家権力 を背景 に した中央集権的 な政治・行政 システムは

,福

祉 や環境

,文

化 や教育 な ど 社会全般 にわたって

,深

刻 な構造的ゆがみをもた らして きた。それが現在

,「

中央集権制の制度疲 労」 として

,広

く社会的に認知 されるようになって きている。 これに代 わる新 たな社会 システム と して

,地

方分権化が提起 され

,現

,中

央集権か ら地方分権へ とシステム転換が求め られている。 もともと地方 自治体 は

,住

民 にとって身近な行政主体 として

,住

民の生活状況が理解 しやす く, 住民のニーズをつかみやすい。 まさに

,基

礎的 自治体である。 したがって

,住

民のニーズに応 える 政策の計画から実行 に至るまで

,中

央政府 よ りもむ しろ地方 自治体 こそが

,そ

の担い手 として適格 であるといえる。ここに

,今

後 の公共政策の主体 として地方 自治体が重視 される理由がある。 さらに

,国

や地方 自治体のみが公共政策の主体であるとは限 らない。住民のニーズを適格に把握 しその実現に向けて計画・活動するという意味での住民組織

,NGO・ NPOや

ボランテ イアなど の組織 も公共政策の主体 として位置づけることは十分可能である。それ どころか

,今

後の公共政策 のあ り方 を展望する場合

,こ

れ らの住民組織が公共政策の主体 となって国や地方 自治体がその活動 をサポー トするとい う関係 さえも多 く見 られることであろう。 以上で「公共性」お よび「公共政策」の概念の検討 を終え

,つ

ぎにそれを踏 まえて

,現

代わが国 における公共政策の特徴 とその問題′点の考察 に移ろう。 Ⅲ 規制緩和政策の政治的経済的背景 現代 日本の公共政策は

,先

に検討 した公共性の本来的意義である国民の生存権 を保障するとい う 「市民的・生存権的公共性」 を担 う公共政策が著 しく後退 しているところに

,そ

の特徴がある。 こ の点を現在政府が推進 している規制緩和政策 との関連で述べておこう。 政治的には,1980年代初頭か らイギ リスのサ ッチャー政権

,ア

メ リカの レーガン政権, 日本の中 曽根政権 に代表 される権力 をバ ックに

,他

,経

済学的には

,ケ

インズ主義的福祉国家を批判する 新古典派経済学

,マ

ネタリズムや合理的期待形成学派などのサプライサイ ド経済学 を理論的基礎 に, 資源の効率的配分 を

,市

場 における自由競争の もとで実現 しようとす る考 え方が急速 に台頭 して き た。それを新 自由主義 と呼び,A・ ギャンブルは新 自由主義の特徴 を

,「

自由経済の伝統的 自由主 義擁護 と国家権威の伝統的擁護の結合である」(6)と述べている。 規制 を敵視 し

,市

場 メカニズムの働 きを過度 に評価す る

,こ

の新 自由主義の原理にもとづいて, わが国の政府は1980年代か ら社会のあ らゆる分野 にわたって強力 に規制緩和・ 自由化政策 を推 し進 めていった。 もっとも

,規

制緩和政策 をいち早 く強力 に推進 したのは

,ア

メリカとイギ リスであつた。両国は 1970∼80年代 に自国企業の多国籍化 に対応 して

,大

企業の内外 における自由な活動 を保証する目的 で始めたのである。 アメリカでは,1978年の航空産業の規制緩和 を皮切 りに

,80年

代 には電信電話や金融分野など, つ ぎつ ぎに規制緩和が進め られていった。一方 イギリスでは

,公

企業の民営化や金融分野における いわゆるビッグバ ンがその典型であつた。 わが国では,1979年 に経済協力開発機構

(OECD)が

日本政府 に対 して規制緩和の推進 を勧告 したのが発端 となって

,ア

メ リカからの市場開放の要求の圧力は強 まった。国内的には赤字財政の

(5)

解消 と行政の効率化 を目的 として,1981年に第

2次

臨時行政調査会がつ くられ

,中

曽根 内閣によっ て国鉄

,電

,専

売の3公社の民営化が進め られたのが規制緩和政策の始 まりといえる。 しか し

,規

制緩和が本格化するのはバ ブル経済崩壊後の1990年代不況 に突入 してか らである。 1993年に細川内閣の「緊急経済対策」の柱 として規制緩和が打 ち出された。すなわち,1993年

,細

川首相の私的諮問機関 として設けられた経済改革研究会か ら

,い

わゆる「平岩 リポー ト」が発表 さ れた。そこでは

,公

的規制 を「経済的規制」 と「社会的規制」 とに分 け、経済的規制 に関 しては 「原則 自由 。例外規制」

,社

会的規制 について も「必要最小限に縮小」するとい う考 えが打 ち出さ れた。 その後,1994年の「行政大綱」の決定

,「

行革委員会」の設置 など規制緩和の動 きは本格化 して い く。そ して,1995年4月 か らの「規制緩和推進計画」は

,当

初の5年間か ら3年間に前倒 しされ1998 年3月 に期限を迎 えた。1998年4月 には

,さ

らに2000年 度 までの3年間を対象 とする新 たな「規制緩 和推進計画」が決定 され推進 されて きたのである。 この時期 に,日本の企業 はこうした政府の規制緩和が 自由化政策 に押 されて

,従

来 とは違 う一段 と強い収益至上主義的な経営戦略をとることになる。その経緯は以下のようなものであった。 わが国は1986年の「円高不況」 を短期間のうちにクリアー し

,早

くも1987年には景気の回復基調 に入 った。にもかかわ らず

,そ

れ以降1990年の上期 まで

,政

府 は公定歩合 を2.50/Oに据 え置 く超低 金利政策 をとりつづけた。企業はこの超低金利時代 に「転換社債」や「ワラン ト債」 などエ クイテ イ・ ファイナ ンス (equity finance,新 株発行 による資金調達

)の

ための巧妙 な手段 を使い

,低

コ ス トで過剰 な資金調達 を行い設備投資や土地投資 を拡大するとともに

,株

式投資な どの金融資産投 資

,い

わゆる「財テク」 を活発 におこなった。都市銀行 を中心 とする大銀行は

,自

らこうしたマネ ー・ゲームを積極的に展開 し

,土

地や株 を転売することによって投機的利得 を獲得すると同時に, これ ら企業や不動産会社 に対 して

,土

地や株式 などの担保価値 を慎重に審査せず

,異

常 な貸出 し競 争 に しの ぎを削 り

,地

価や株価の暴騰 に象徴 されるバブル経済 を創 り出 したのである。 このようにして

,政

府の規制緩和 ・自由化政策 に支 えられ金融機関は収益至上主義的な経営戦略 を追求することになる。この帰結が先に述べた数々の金融機関による犯罪の発生であった。 ともあれ

,こ

うした収益至上主義的な経営戦略の追求は

,ひ

とり銀行や証券会社 だけにとどまる ものではなかった。経済的効率性 という名で

,こ

の時期

,急

速 にその他の企業 にも普及 してい く。 その結果

,現

在の 日本の社会は経済的効率性 を優先 した「企業社会」 と特徴づけ られ

,そ

の病理が 社会問題化 してい くこととなる。 Ⅳ 経済的効率性優先主義 と公共政策の欠如が もた らす社会的帰結 政府 も1991年には

,こ

の「企業社会」の弊害 を訴えるレポー トを発表 した。『個人優先社会をめ ざして』 と名づけたこの レポー トは

,現

代 日本の社会 を経済効率第一主義のシステムに もとづ くも のであるとの認識の もとで

,そ

の ようなシステムを「企業中心社会」 という概念で捉 え

,こ

の「企 業中心社会」 を「個人生活中心社会」の方向へ と転換すべ きであると主張する内容 になっている。 ここで言 う「企業中心社会」 とは

,さ

しあた り

,「

企業 をは じめとする組織の存在が拡大 しす ぎ, その 目的や行動原理が

,個

人の社会のそれに優先 し

,個

人生活の自由度が制約 された社会」(7)で ると定義 し

,「

個人生活中心社会」 とは

,「

人間 として多面的な側面を持つ個人が

,各

々の価値観 に応 じて自己実現 を試み

,多

様 なライフサイクルを志向する社会」(S)であると定義 してお こう。

(6)

この企業中心社会のあ り方を

,か

つて朝 日新聞は

,そ

の社説「会社が幅をきかす時代 とは」 にお いて

,つ

ぎのように鋭 く批判 したことがある。 「それに して も, 日本 ほど会社が幅 をきかせている国はあるまい。経済大国を築 き

,支

えている のが会社で働 く人 とい う意味あいだけではない。 『効率

Jや

Ftti間

Jと

いう会社の行動原理が

,国

や地域社会にも大手 をふってまか り通 り

,多

様 な価値観 はすみっこに押 しや られている。」(。) このように

,効

率性 を優先する企業の行動原理が

,社

会の多様 な価値観 を排除す ることの危険性 を指摘 したうえで

,上

記の社説は

,企

業 を改革す る3つの視点 を提示 した。 第11こ

,時

代 に合わな くなった企業の経営理念 を再構築 し

,広

く社会に発信すること。第2に

,地

域社会 と環境への責任 を果たすこと。そのために

,企

業 も社会の一員 としての 自覚 を持 ち

,良

き企 業市民 (コーポ レー トシチズ ン

)と

して振 る舞 うこと。第3に

,働

くものに対 して

,個

人の 自由な 生 き方 を認めるような柔軟 な組織 を確立すること。 こうして

,経

済的効率性 を最優先する企業社会のあ り方 を

,生

活者の視点か ら見直そ うとする動 きが始 まった。 しか し

,こ

うした動 きもつかの間,1980年代後半か ら続いて きたバブル経済が崩壊 し

,深

刻 な不況 を呈するようになるにつれて

,「

企業社会 を変草 して生活大国へ」のス ローガンは いつの間にか立ち消えて しまう。それに代わって

,景

気回復のスローガンの もと

,経

済的効率性が 以前にも増 して声高に叫ばれていったのである。 しか も注 目すべ きは

,こ

の経済的効率性が経済分野だけの指導理念 となっただけではな く

,そ

の 他の分野の改革にも広 く

,か

つ強力に適応 されていったことである。その象徴的な出来事が

,1996

年11月 に打 ち出された橋本首相による5大改革の提唱であつた。 そこでは

,現

在の高度情報化や急速 な少子高齢化 に従来の社会 システムが適応で きな くなった と い う認識の もと

,経

済的効率性 にもとづいて

,経

済構造改革

,金

融 システム改革

,財

政構造改革, 行政改革

,社

会保障構造改革 を実施す ることが述べ られ

,さ

らに

,翌

年1月 には教育改革 を追加 し て

,計

6つの分野での改革 を一体的に実施することが宣言 されたのである。 したがって

,以

上の6大改革 を提唱 した橋本首相 の所信表明演説 (1996年11月29日

)や

施政方針 演説 (1997年1月20日

)の

中に

,効

率性 ない し効率的 とい う言葉が

,い

かに多 く散 りばめ られてい るか

,読

んだものを驚嘆 させる。まさに

,効

率性のオンパ レー ドである。

2,3紹

介 しよう。 まず

,経

済構造改革 を提唱するに際 して

,つ

ぎの ように述べている。 「景気の回復 に万全 を期することは当然であ りますが

,富

を拡大する経済力

,技

術力がなければ, 豊かな国民生活はもちろん

,健

全 な財政や質の高い福祉 は実現で きません。国境 を越 える企業活動 が飛躍的に増大 し

,国

のシステム自体が産業の国際競争力 を左右する時代 において

,経

済全体の効 率性 と柔軟性 を高めることは

,国

家的課題であ ります。産業の空洞化や本格的な高齢社会の到来へ の対応が手遅れにならないよう

,経

済構造改革のための総合的な対策 を早急 に講 じなければな りま せん。

J(10)(傍

点は引用者) また

,行

政改革の提唱では

,つ

ぎのように述べ られている。 「わが国の行政システムは

,戦

,貧

困や社会の不平等 を解消 しなが ら

,効

率的 に経済 を発展 さ せるとい う明確 な政策 目標の下では有効 に機能 してまい りましたが

,近

,複

雑多岐 にわたる行政 課題 に直面 し

,そ

の限界 を露呈 してお ります。時代の変化に的確 に対応でき

,国

民 のニーズに合 っ たサー ビ

^を

効率的に提供で きる行政に生 まれ変わ らせ るために

,行

政サービスの内容 と提供の し かたを抜本的に見直 さなければな りません。」

(ln(傍

点は引用者) さらに

,社

会保障構造改革で も

,つ

ぎの ように効率性が強調 されている。

(7)

「急速な少子高齢化が進展する中で

,給

付 と負担の均衡が とれた社会保障 をいかに実現するかは, 国民の公的負担水準 とかかわる重大問題であ りますが

,社

会保障の費用は

,本

人の負担か事業者の 負担か

,税

金 を使 った国や地方の負担かにかかわらず

,だ

れかが負担 しなければならない ものです。 個人の尊厳 と自立 。自助努力 を縦軸 として確立 した上で

,社

会の連帯の精神 を横軸 に据 え

,民

間の 参入 を促 しなが ら

,利

用者の選択 に応 じ

,質

の高いサービスを効率的に提供で きる社会保障制度 を 整備 してまい ります。」(12)(傍点は引用者) 「大幅な赤字体質 となっている医療保険制度をこのまま放置することは許 されません。国民皆保 険の仕組みを維持 しなが ら

,適

切かつ効率的な医療サービスを安心 して受 けられるよう

,今

国会に 提 出す る法案 を出発点 と して

,医

療 の提供体制 と保険制度全般 にわたる総合的 な改革 を行 い ま す。」n3)(傍点は引用者) もう

,こ

の辺でいいであろう。こうした執拗なまでの経済的効率性の強調が

,上

記の橋本首相 に よる演説の特徴であった と言 つてよい。ここでは

,社

会構造全般 にわたる改革の指導理念が経済的 効率性であ り

,こ

の理念が社会発展の価値基準 と認識 されている姿が

,こ

の演説の中に浮 き彫 りに なっているということを確認すれば十分であろう。 こうして,1990年代 に入 つて

,わ

ずか5年足 らずの間に

,個

人の多様 な価値観 に もとづ くライ フ・スタイルの尊重 とそれに基礎づけられた「生活大国」の提唱は,ものの見事 に背後にしりぞい ていった。この行政の変わ り身の早 さといい

,経

済的変動 に著 しく左右 される脆弱な社会の姿 とい い

,成

熟社会への 日本の道の りの遠 さと険 しさを痛感 させ られるのは

,決

して私一人ではあるまい。 ともあれ

,現

在わが国の社会的危機 を深刻 にし

,社

会不安 を高めている原因に

,こ

の経済的効率 性 の追求が国民生活のあ らゆる分野に大 きな影響 を与 えていることに注 目しておかなければならな い。その結果

,現

在すすめ られている労働改革

,年

金制度や医療制度など社会保障制度の改革や, 消費者保護の分野 などに

,経

済的効率性優先 を指導原理 とするや り方が もち込 まれて

,深

刻 な問題 を引 き起 こしている。 まず

,労

働の分野では

,雇

用の不安定化や労働者の権利の縮小が進んでいる。企業の リス トラに よつて

,過

去最悪の大量の失業者が生み出されているとともに

,サ

ービス残業 を合法化する裁量労 働制・変形労働時間制の拡大

,職

労紹介事業や労働者派遣事業の原則 自由化・民営化がすすめ られ, 不安定雇用や無権利労働者の拡大がすすんでいる。 さらに

,失

業者 に対する失業手当の給付 日数の 削減や

,雇

用保険料の労働者負担の増大 を柱 とする雇用保険法の改正が行われた。 また

,社

会保障の分野で も

,医

療録険の息者 自己負担が増加 され,1997年9月 か ら従来の100/0負 担か ら200/0負担へ と倍増 された。加 えて

,老

人医療では1998年4月 か ら高齢者の入院医療費が1日 11 00円にア ップされ

,保

険か ら外 されて 自己負担 となった入院食費1日650円 と合わせて1カ 月自己負 担額は55,800円とな り

,国

民年金の平均支給額46,000円 を上 回つた。 さらに

,厚

生年金の支給開始 年齢 を段階的に65才まで遅 らせることや

,現

役サラリーマ ンの手取 り資金の伸 びにあわせて年金額 を改正する「賃金スライ ド」制を廃止することによって

,年

金の額の伸 びを抑 えようとする年金制 度の改正が進め られた。 消費者保護の分野では

,わ

が国の

WTOへ

の加入に伴 って

,輸

入食料の安全基準の緩和・低下が 進 んでいる。特に

,わ

が国の食糧 自給率の低下に歯止めがかか らず

,食

糧確保の問題が懸念 されて いるだけでな く

,輸

入食糧の安全基準が規制緩和 によつてグローバル・スタンダー ドにあわせ る方 向で下方4笏正 されていることは

,国

民の食糧 に関する不安 を今後 も高めることになるだろう。 これ は

,国

民の健康 に直結するだけに

,決

して見過ごすことので きない重大な問題である。

(8)

それにもかかわ らず

,総

理大 臣の諮問機関である経済戦略会議 は,1999年2月 に出 した最終報告 において,さ らに日本の社会 を平等社会か ら競争社会に創 り変えることをスローガンに

,つ

ぎの よ うに述べた。 「規制 。保護や横並 びに体質・護送船団方式 に象徴 される過度 に平等 ・公平 を重ん じる日本型社 会 システムが

,公

的部門の肥大化 ,非 効率化や資源配分の歪みをもた らしている。 このため

,公

的 部門を抜本的に改革す るとともに

,市

場原理 を最大限働かせ ることを通 じて

,民

間の資本・労働 ・ 土地等あらゆる生産要素の有効利用 と最適配分 を実現 させる新 しいシステムを構築することが必要 である。」 匈1)(傍点は引用者) こうした市場万能主義にもとづ く社会システムの改革は

,経

済的効率性 にな じまない分野に

,い

つそう深刻 な問題 を生 じさせ ることになるであろう。経済学的には

,こ

れ らの分野は「市場の失 敗」のために

,行

政のサポー トが不可欠な分野である。それなのに

,市

場万能主義の考 え方 にもと づいて効率性を追求すれば

,再

びこれ らの分野に「市場の失敗」 をひきおこすのは明 らかである。 なぜ なら

,「

市場の失敗

Jが

起 こるのは

,市

場原理が不十分 に しか機能 しないか らではな く

,市

場 原理が徹底すればするほど起 きる現象が,ま さに「市場の失敗」だか らである。

V

現代 の公共政策が依拠すべ き価値基準 以上で

,現

代の支配的な価値基準である経済的効率性の問題点が

,ほ

ぼ明 らかになったであろう。 では,これに代わって現代の公共政策が依拠すべ き価値基準 として何が必要なのか。つ ぎに

,そ

の 問題 を考えてみよう。 市井三郎氏は

,そ

の著 『歴史の進歩 とはなにか』において

,「

進歩」 を科学 ・技術の効率性 を基 準 に判断 してきたこれまでの進歩史観 を否定 しなが ら

,つ

ぎのように進歩の価値基準 を提起する。 まず

,市

井氏 は

,社

会集団 を形成する人間が

,こ

れまでのあ らゆる時代 において

,人

為的・自然 的諸原因によって自ら責任 を問われる必要のない事柄か ら

,お

びただ しい苦痛 をこうむってきた と い う歴史的事実を確認する。つ ぎに

,人

間が この責任 を問われる必要のない事柄か ら受ける苦痛 を 「不条理な苦痛」 という言葉で表現 した後

,こ

の不条理な苦痛が科学・技術 によつて軽減 されたこ とは評価 しなが らも

,科

学・技術 の成果 を利用 して自己集団のエ ゴイズムを他の人間集団にお しつ けることによって, とりかえ しのつかない新 たな不条理 をつ くりだ して きた歴史的事実 も

,同

時 に 確認 しておかなければならない と主張する。 ここに氏は

,科

学・技術 の「進歩」が歴史 にもた らし た深刻なパ ラ ドックス (逆説

)の

存在 をみるのである。 このパ ラ ドックスか ら逃れるためには

,従

来の進歩史観すなわち科学 ・技術 の発展 を歴史の進歩 とみなす見方を根本的に転換 しなければならない。こうした考え方にたって市井氏は

,歴

史の進歩 とは何かに答 えて

,「

個人が 自ら責任 を負 えないことが らに起因する不条理 な苦痛 を社会的に除去 するかあるいは軽減すること」 と定義するのである。氏 自らの言葉では

,つ

ぎの ように表現 されて いる。 「科学的発見がそれ自体でもつ価値 (知的好奇心の充足 という価値

)は

十分に理解するとしても, そのような科学的探求が社会的にもつ価値はいったい何なのか,という問題提起は当然に生 じねば ならない。……一言でいうならば

,科

学的探求が社会的 (ま たは歴史的

)に

もちうる価値 とは

,そ

の探求がわたしのいう意味での 《不条理な苦痛》を人間たちから除去 (あるいは減少

)す

ることが できる,という価値なのである。」 口5)

(9)

この引用文にある不条理な苦痛 とは

,「

おのおのの人間 (ホモ・サ ピエ ンス

)は

,自

らの責任 を 問われる必要のないことか ら (負わされている

)さ

まざまな苦痛J(16)〔 後の

( )は

引用者〕 を 意味 している。 市井三郎氏が提起 した

,こ

の歴史的進歩の価値基準 に照 らして

,現

代社会の進歩や発展 を検証す ると

,現

代社会は, どのように特徴づけることがで きるか。 先 に私 は

,現

代 日本の社会 を

,経

済的効率性が優先的に追求 される社会である とい う観点か ら見 て きた。この経済的効率性 を優先 させる社会は

,他

の言葉で表現すると

,そ

こで生活する人間自ら は責任が負 えないことが らに起因する不条理 を増大 させてい く社会であ り

,そ

れに もかかわ らず, その責任 を社会的に負お うとするのではな く, もっぱ ら個人が責任 を自ら負 うことを強要 される社 会である。その理由を

,現

在のわが国で声高 に叫ばれている「 自己責任」 と「規制緩和」 をキーワ ー ドに見ておこう。 ご く最近 まで

,現

在の社会 を読み解 くキーワー ドとして

,国

際化

,高

齢化

,高

度情報化 などがあ げ られていた。 しか し

,今

日では

,こ

れに加えて「自己責任」 という言葉が強調 されつつある。あ たか も

,来

たる21世紀 は,まちがいな く自己責任の時代 だ と言わんばか りに

,自

己責任 とい う用語 が私たちの回 りに氾濫 してきている。例 えば

,つ

ぎの ように。 「それか ら

,自

分の家計設計 を見直す ことです。保険

,預

,ロ

ー ン

,年

金 と

,バ

ランスを考 え て組み直す。これか らは

,銀

行員や生保 レデイを当てにせず

,自

分で調べ な くてはダメ。彼等のい いな りになると,と んで もないことにな りますか らね。 これか らは

,す

べて自己責任の時代 なんで す。」(17)(傍点は引用者) さらに

,い

ま私の手元に

,「

心の安 らぎを求めて」 とい うサブタイ トルをつけた『自己責任時代 のライフプラン指南』 という本がある。そこには

,つ

ぎの ように書かれている。 「多 くの 日本人の傾向 とと/て

,こ

れまでは他人 もしくは集団に依存 しなが ら自己の存在 を認識 し て きた きらいがあ ります。その代わ りに帰属意識 をもって所属する集団の期待 に応 えて きたのです。 しか し

,い

まやそ うした人間関係だけでな く

,自

己責任が問われは じめて きてい ます。すなわち, 所属する集団 と個々の関係 を維持発展 してい くために

,自

己の責任 を明確 に して 自律 的に果た して い くことが21世紀の生 き方 といえます。」 ω8)(傍点は引用者) みるように

,「

自己責任 は21世紀の生 き方」 とまで強調 されている。そ して上記 の著書 には

,こ

の 自己責任の原則にもとづいて

,い

かに家庭生活 を送つてい くか

,い

かに生 きがいや働 きがいをも つか

,は

たまた

,人

生最後の大往生 をいかに準備するかに至るまで

,懇

切ていねい に説かれている。 以上の ように

,別

に目新 しい言葉ではないこの「自己責任」が

,な

ぜ今

,声

高 に叫ばれて きてい るのか。それは

,現

在の社会お よび今後の社会 にとって, どのような意味 をもつのか。つ ぎにこの 点 を

,規

制緩和 との関連で明らかにしておこう。 Ⅵ 規制緩和 と「 自己責任」 規制 を敵視 し

,市

場 メカニズムの働 きを過度 に評価す る新 自由主義の原理 にもとづいて

,当

然の ことのように近年

,社

会のあらゆる分野 にわたつて強力 に規制緩和がすすめ られている。本稿のテ ーマ にある「自己責任」 との関連で言えば

,こ

の規制緩和論 には

,失

敗 の リスクを自ら負 う「 自己 責任」社会 を確立す ることによつて

,は

じめて市場競争が促進 され経済的効率性が高 まるという考 えがつ きまとっている。それゆえに

,必

ず この種の考え方には「自己責任」が強調 されることにな

(10)

る。 た しか に

,商

品交換社会 の中で 自己責任 とい う概念 は

,商

品やサー ビス を提供す る側 の 自己責任 と

,そ

の商品やサ ー ビス を提供 される側 の 自己責任 との2通りの意味 を もっている。 しか し

,い

ま 声高 に叫 ばれてい る「 自己責任」 は

,明

らか に後者 の商 品やサ ー ビス を提供 され る者

,す

なわち消 費者の 自己責任 に重点がおかれてい るこ とは言 うまで もない。 この消費者の 自己責任 を規制緩和政策 との関連 で論 じれば

,つ

ぎの ような鈴木淑夫氏 の主張 とな る。 「規制緩和で消費者が豊かになれるということですが

,そ

れはその とお りで

,規

制緩和 して競争 を促進すれば

,安

い もので質のいい ものが出て くるわけです。」(19)と

,規

制緩和 を無条件で肯定 しておいて

,す

ぐさま次の ように述べている。 「消費者に言いたいのは

,そ

の ようにさまざまな品質

,さ

まざまな値段の ものが出て きて

,選

択 の幅が広がるということは

,消

費者の選択が難 しくなることで もあるわけです。その場合

,規

制緩 和 して市場 メカニズムを貫徹 させ るとい うことですか ら

,こ

れは消費者 も自己責任で よく調べて, 自分の好みに合 った質で安いものを買わなければいけないわけです。 ところが

,日

本 の消費者 とい うのは

,そ

れで変なものをつかむと

,す

ぐに監督不行 き届期 だ といって監督当局 を非難する。する と

,そ

れを得意になって代議士が国会で しゃべ る。すると

,び

っ くりして

,行

政は規制 を強化す る とい うことの繰 り返 しを してい ますが

,絶

対 にこれか らそ うい うことを してはいけない。」(20) (傍点は引用者) こうした消費者の 自己責任が強調 されるようになったきっかけは,1993年9月 に発足 した首相の 私的諮問機関「経済改革研究会」 (座長 。平岩外 四経団連会長

)が

まとめた中間報告「規制緩和 に ついて」 (1993.11.8)に ある。 この中間報告は

,新

自由主義の競争原理による経済的効率性の向上

,市

場経済重視 とい う基本原 理に立 って

,そ

の妨げとなっている公的規制 を大幅に緩和・撤廃することをね らい とした。中間報 告では

,こ

の公的規制 を経済的規制 と社会的規制の

2種

類 に分 け

,「

需給調整の観点か ら行 われて いる参入規制

,設

備規制

,輸

入規制及び価格規制」 などの経済的規制は原則 として廃上 し

,「

安 全・健康の確保

,環

境保全

,災

害の防除などの社会的見地か ら行 われる」社会的規制 は

,必

要最小 限にとどめるとした。 この うち後者の社会的規制の緩和は

,消

費者の安全性や生活環境の悪化 をもた らす危険性 をもつ だけに

,極

めて深刻 な問題であつた。 とりわけ

,中

間報告では

,消

費者 に対する保護 の見直 しを強 調するために

,「

自己責任」 を持 ち出 して

,つ

ぎの ように述べた。 「消費者保護のために行われる規制は

,自

己責任原則 を重視 し

,技

術の進歩

,消

費者知識の普及 などを踏 まえ

,必

要最小限の範囲

,内

容 にとどめる。」(2D 今 まで

,こ

れほどまで明確に

,消

費者の自己責任 を強調 した公文書はなかった といって よい。そ れだけに

,こ

の中間報告はセンセーショナルであった。 Ⅶ 現代 の金融システム改革 と「自己責任」 その次 に衝撃的であったのが,1996年■月に打 ち出された金融 システム改革

,い

わゆる 日本版金 融 ビッグバ ン構想であった。そこでは

,Free(市

場原理が働 く自由な市場

)Fair(透

明で信頼 で き る市場

)Global(国

際的で時代 を先取 りする市場

)の

3原則 を金融 システム改革のス ローガンに し,

(11)

2001年までに東京 をニューヨークやロン ドンに並ぶ金融市場 として再生する日標 を掲げた。 こうして

,い

よい よ日本 において も1998年か ら

,大

胆で急激 な金融 システムの大改革=日 本版金 融 ビッグバ ンが始 まった。 この ビッグバ ンは

,単

に銀行

,証

,保

険会社 など金融機関の規制緩和 を進めるだけではない。外国為替や会計制度か ら税制

,商

,雇

用慣行 まで

,お

よそ金融システム 全般 を

,国

際基準 (グローバル・スタンダー ド

)に

合わせて徹底的に改革することを目的 としてい る。 予定 どお り

,こ

うした金融 システム改革が実施 されていけば

,株

式売買手数料や金融商品の設計 は自由になるばか りか

,銀

,証

,保

険会社の相互参入は促進 され

,銀

,証

,保

険 とい う業 態の枠 を越えた再編が急速 に進 んでい く。 さらに

,持

株会社の解禁や外資系企業の参入が

,こ

の再 編 を加速 させ

,体

力のない金融機関に洵汰 を迫 るのは確実であろ う。 事実

,ビ

ッグバ ンの波 は

,早

くも私たちの眼前で金融機関の相つ ぐ破綻 とい う形で現れている。 1997年11月 の三洋証券の会社更生法適用申請に始 まった金融破綻の波は

,北

海道拓殖銀行の北洋銀 行への営業譲渡

,山

一証券の自主廃業

,徳

陽シテ イ銀行の仙台銀行 などへの営業譲渡や 日本長期信 用銀行の経営破綻へ と広が ってい き

,ま

さに止 まるところを知 らない感がある。 それにつれて

,自

己責任 をとる主体が金融機関側か ら

,そ

の利用者である消費者にす りかえられ, 消費者の自己責任が強調 されはじめるのである。そ してこの頃か ら, きまって金融 ビッグバ ンに関 す る手ごろな解説書 には

,金

融機関を利用する者の 自己責任が

,つ

ぎのように強調 されるようにな る。 「ビッグバ ン実施後は金融機関の自由競争が促進 され

,優

勝劣敗 による金融機関の淘汰が進み, 敗者 となった金融機関の経営破綻が数多 く発生することが懸念 される。 また, ビッグバ ンによる抜 本的な規制緩和 は

,金

融行政が金融機関の参入規制

,商

品規制 など事前予防的規制が後退 し

,事

後 的監視強化の方向への転換 を迫 ることになる。そ うした中で

,預

金者

,個

人投資家

,保

険契約者等 の消費者は取引先の金融機関や金融商品・サービスの選択 とその結果に関 して

,厳

しく自己責任 を 求め られるようになってい く。」(22)(傍点は引用者) 「 ビッグバ ンで

,金

融資産の運用方法は多様化 し

,様

々なチャンスが増加 したことは事実です。 しか しそれは

,『

自己責任』の原則 と裏腹の自由です。 これか らは とにか く

,自

分 自身で よ く勉強 して決める時代です。セールスマ ンのせいにしないこと。他人の言 うことをそのまま信 じるのは危 険なのです。」(23) 現在わが国では

,個

人金融資産の55,70/0が銀行や郵貯 などへ預貯金 として向け られ

,株

式や投資 信託

,債

券への投資 は11.90/0と なっている(24)。 一方

,ア

メ リカでは預貯金は16.1%で

,株

式や投 資信託

,債

券への投資 は43.1%である(25)。 したがって,1200兆円 といわれる 日本の個人金融資産

,ア

メリカのようにもっと投資に向かわせ

,証

券市場 を活性化 させ ることが

,金

融 ビッグバ ンの ね らいの 1つ となっている。 今後

,こ

の莫大な個人金融資産の獲得 をめざして

,外

資系 を含めた激 しい金融機関 どうしの競争 が

,規

制緩和 。自由化のなかで展開されるため

,元

本保証のない リスクの高い金融商品が

,続

々 と 売 り出されてい く。金子勝氏 は

,こ

うした事態での国民の投資行動 を

,す

べての人にギヤンブラー になれ と言 うに等 しい と述べて

,つ

ぎの ように述べている。 「規制緩和の名の下にセーフテイーネッ トを外 してゆ くと

,市

場が不安定化するために自己決定 の領域は著 しく狭 まって しまう。たとえば主流経済学者は

,ビ

ッグバ ン後は自らが失敗の リスクを 負 う F自己責任』原則で貯蓄 。投資 をしなければならない と主張する。 しか し

,毎

日の ように乱高

(12)

下する株価や通貨 を眼前 に して

,人

々がな しうる自己決定 とはギ ャンブラーのそれに他 ならない。 つ まり市場の不安定性 を問題 にすることな く

,市

場競争の下では失敗すれば自らリスクをとるべ き だ とする主流派経済学の主張は

,す

べ ての人にギヤンブラーになれ と言 うに等 しい。」(26) このギャンブラー的行動 によって国民の側 に被害が出るが

,そ

の ことで

,金

融機関の 自由で効率 的な経済活動が妨げられるようなことになっては困る。被害の責任は国民にかぶつてもらって

,国

民 自身が金融商品を選ぶ眼が足 りなかった とあ きらめて もらいたい。―― この ような金融機関側の イデオロギー的役割 を担 って

,消

費者の自己責任が

,つ

ぎの ように強調 されるのである。 「将来の財産形成のために投資 を勧められ

,結

果 として財産 を失 った場合

,こ

れ までの発想です と,まず勧めた相手 もしくは会社 を責めるで しょう。 しか し

,こ

れは自己責任の考えか らい くと間 違いです。最終的に決断 したのは自分ですか ら相手 を責めるのはお門違い とい うものです。」(27) このように金融 ビッグバ ンは

,従

来の護送船団方式か ら自己責任への大転換であると宣伝 され, 金融機関の自己責任か ら

,そ

れを利用する消費者の自己責任へ と

,そ

の強調点が移 しかえられてい く契機 となった。 Ⅷ「自己責任」社会の問題点 そ もそ も自己責任 とは

,商

品交換社会 における契約の自由 とい う観念か ら生 まれたもので

,契

約 の当事者 どうしは対等でなければならないということが

,そ

の前提 となっている。 しか し

,金

融の 専門家集団である金融機関 と素人である消費者イ固人 とが

,対

等の契約者である と想定すること自体 が問題である。 この問題性が

,最

も鋭いかたちで表面化 したのが

,つ

ぎの ような

,バ

ブル経済 とその破綻 にとも なっておこった各種の金融 トラブルであった。 銀行が顧客に十分 な説明 もしないで土地や株

,ゴ

ルフの会員権 などをすすめ

,そ

の資金を融資 し たが

,そ

の後の地価や株価の暴落

,ゴ

ルフ場の倒産によって

,顧

容が銀行へ資金の返却がで きな く なったケースが続出 した。なかで も

,裁

判 に持 ち込 まれたケースで最 も多かったのが

,変

額保険 を め ぐる トラブルであ り

,全

国で600件にもお よぶ裁判がおこされている。 この変額保険 とは,も っぱ ら株式 によって運用 される保険商品で

,従

来の定額保険 とは違い

,死

亡時の最低保障こそあるものの

,生

命保険会社の運用が うま くいかず損失が出れば

,そ

れは全額加 入者の損失 とされる。いわば

,変

額保険は保険 とは名ばか りで

,む

しろ証券投資信託商品と類似性 をもち

,極

めて リスクの高い商品である。 このような性格 をもった変額保険を

,バ

ブル経済期 に銀行員がその リスクの説明 も不十分なまま, 顧客 に「相続税対策になるか ら」 と勧めて加入 させたのである。その際

,顧

客 は保険料 を一括 して 保険会社 に払い込 むために

,多

額の金 を銀行か ら借 りるのだが

,そ

の際にも銀行貝は

,「

い ま保険 の運用成績がよいので

,そ

の解約返戻金で銀行か らの借入金 を返済すればよい」 ともちかける。そ の言葉 を信 じて加入 した ものの

,そ

の後の株価の値下が りによって保険の運用成績は落ち込み

,期

待 した解約返戻金は少 な く銀行への返済がで きな くなって しまったのである。 しか し裁判において

,銀

行 は一貫 して借 り手の 自己責任 を主張 し

,貸

し手である銀行側の責任 を 決 して認め ようとは しない。 ここに

,先

進国では判例 として確立 しつつある貸 し手責任 (レ ング ー・ライアビリテイ

)を

認める流れに逆行する,日本の銀行の無責任 さがある。 真 に自己責任 を感 じなければならないのは

,金

融機関自身ではないのだろうか。なぜ なら

,金

(13)

機関およびそこで働 いている人々は

,金

融のエキスパー ト(専門家

)で

ある。 この金融専門家がそ の専門性 を悪用 して

,バ

ブル期 にさまざまな金融犯罪や反社会的行為 を行 なった事実 を

,私

たちは 忘れてはいない。 したがって,まず問われなければならないのは

,金

融機関の 自己責任であるはず だ。 それにもかかわ らず

,現

在流行 している「 自己責任」 とい う言葉 は

,こ

うした金融機関の反社会 的行為 を免罪 し,も っぱらその責任 は金融機関を利用する国民の側 にあると思わせ

,金

融機関の被 害 にあって も

,「

自分の責任 だか ら」 と国民 にあ きらめ させ る役割 を果たそ うとしている。 国民が「自己責任」 を感 じれば感 じるほ ど

,金

融機関は自己責任か ら免罪 される とい う

,金

融機 関には都合のよい状態 をつ くり出 しているのである。 しか も

,現

在の政府のや り方 は

,以

前 にも増 して巨大金融機関への莫大な公的資金の投入によって金融機関を保護することにある。 これでは, いつ までたっても金融機関に自己責任意識の育 ちようがない。金融機関にモラルハザー ド(道徳性 の欠如

)を

助長 しているとさえ言 える。 そ うだ とすれば

,こ

れは大変危険なことにちがいない。本来

,責

任 をとるべ き者が責任 をまぬが れ

,被

害者である国民がその責任 をとらされる社会は

,無

責任社会その ものである と言 えよう。 お わ り に 以上

,現

在 日本の社会は

,金

融 システムや労働

,社

会保障

,消

費者保護 などの広範 な分野 にわた って

,個

人 自らが責任 を負えないことが らに起因する不条理な苦痛が増大 してい く社会である。 し か し

,そ

れにもかかわ らず

,こ

れ らの リスクを社会が負担するのではな く

,い

っそ う個人の責任が 強要 される自己責任社会 となってい きつつある。 この ような社会がつづけば

,そ

こで生活する人間は自ら責任の負えないことに起因する不条理な 苦痛 を背負い込み

,経

済的効率性 にもとづ く競争社会の中で,ます ます連帯感 を失 くした孤独 な存 在 と化 してい く危険性がある。 とてつ もな く不安定 な社会 を背景に

,ど

うしようもない リス クを自 ら背負い

,そ

れに対処 しなければならない個人を襲 う無力感は

,そ

の袋小路か ら逃れようともが き 苦 しむ。求める先 は

,個

人を超 えて擬似的に安 らぎを与 えて くれる全体主義的な国家体制である。 三度 と繰 り返 してはならないファシズムの足音 を

,こ

の ような日本の社会状況か ら感 じとるのを, いちがいに早計であるとばか りは言えないであろう。 誰 も

,こ

うした未来社会を望 んではいない。 しか し

,こ

れまで歴史は

,戦

争や飢餓

,そ

して国家 の滅亡 という事態を数限 りな く経験 してきた。現在のわが国が

,歴

史の どの時点 に立 っているかは 定かではない。だが

,宿

命論 に立たず

,現

実の政策が社会 に与える影響の重要性 を認めるか ぎり, 公共政策のあ り方に無関心ではい られない。わが国の公共政策が

,安

易 なや りかたで国民 に「自己 責任」 を強要するのでな く

,国

や地方 自治体 は公共性の本来的意義にもとづいて適切 な公共政策 を 行 って もらいたい。そ うした思いを込めて

,本

稿 を執筆 した。 現代の 日本社会が資本主義社会である以上

,市

場原理が社会の基調であることは言 うまで もない。 しか し

,社

会 を市場の競争原理 に委ねれば

,経

済的強者が弱者 を圧倒 し

,両

者の経済的格差 は一層 拡大することになるであろう。 事実

,市

場原理主義 に立脚 した現在の規制緩和政策は

,信

用収縮 とデフレの悪循環 を引 き起 こし 不況の長期化 と深刻化 を招いている。効率性 を高めるため規制緩和政策 によって競争 を促進 させ, その結果の責任は「自己責任」 となれば

,企

業や人々は必死で市場競争 をするので経済が活性化す

(14)

ることになるという政府のシナリオは

,事

実 によって完全 に裏切 られた。 中小零細企業は大企業 との競争 によって倒産 し

,大

企業内の リス トラに加えて多 くの失業者が社 会的に輩出される。経済不況はいつまで も克服 されず

,社

会の不安定 さはます ます増大する。 自殺 者の急増 という不可逆的・絶対的損失の増大 を招 くだけでな く

,犯

罪の多発化 と凶悪化 を招 き

,そ

れに対応するための社会的費用は

,ま

す ます高 まってい くばか りである。現在の経済的強者の立場 に立 った規制緩和・自由化政策では、こうした事態 を防げないどころか,ます ます悪化 させてい く ことになろう。 競争

,効

率性

,自

己責任―― この三位一体的政策 によって組み立て られた規制緩和政策 は

,現

実 の前に破綻 した。ルールなき過度な競争は闘争へ と転化する。経済的効率性の追求はリス トラによ る大量失業者を発生 させ

,働

く能力 と意欲 をもつ人 を排除 したまま活用 しない とい う最悪の社会的 不効率 を生み出す。誤 つた「 自己責任」の押 し付 けは無責任社会 を作 り出す。見 る ように

,競

争, 効率性

,自

己責任のそれぞれが ことごとく

,そ

の反対物 に転化 してい くのである。 もっとも

,政

府 によって推進 されているこの規制緩和 。自由化政策 も

,一

種 の公共政策であると 主張 されるかもしれない。 しか し

,市

場の欠陥 を是正す るのが公共政策であって

,公

共政策 とは本 質的に弱者の立場か ら市場原理 を規制することを内在的に含 んでいるのを忘れてはなるまい。 注 (1)松下圭二 『政治・行政の考 え方

J岩

波書店,1998年 ,175ページ。

(2)Anthony Downs, An Economic Theory of Democracy,Harper&Row,1957,ppl-2.

(3)詳 しくは

,渡

辺洋三・甲斐道太郎・広渡清吾 。小森田秋夫編 F日本社会 と法』(岩波書店,1994 年)を参照。 (4)小島 昭『現代の公共政策』勁草書房,1990年 ,239ページ。 (5)この問題 を論 じたものとしては以下の論文 を参照。 藤 田安―「公共政策 と経済倫理」 F′鳥取大学教育地域科学部紀要

J(地

域研究)第4巻 第3号, 2003塗F3月。 藤田安―「公共政策 と地方 自治体」 『′鳥取大学教育地域科学部紀要」(地域研究)第5巻 第1号, 20034F5'日。 (6)A・ ギ ャンブル著

,小

笠原欣幸訳 『自由経 済 と強 い国家

Jみ

すず書房,1990年

,49ペ

ージ。 (7)経済企画庁 国民生活局編 F個人生活優先社会 をめ ざ して』1991年■月

,1ペ

ー ジ。 (8)同上,19ページ。 (9)F朝 日新聞』1991年1月4日。 (10)『朝 日新聞

J(夕

刊)1996年11月29日。 (11)同上。 (12)F朝日新 聞』(夕刊)1997年1月20日。 (13)同上。 (14)経済戦略会議 「 日本経済再生へ の戦略」(答申)1999年2月26日。 (15)市井三郎 『歴史の進歩 とはなにか

J岩

波書店,1971年 ,197ページ。

(15)

(16)市 井三郎『歴史の進歩 とはなにか』岩波書店,1971年 ,196ページ。 (17)「株価15000円台で戦後最大の不況が来る!」 F週刊文春』1997年11月 13日号。 (18)日 本人生設計士協会編 F自己責任時代のライフプラン指南――心の安らぎを求めて一一』 きんざい,1998年

,4ペ

ージ。 (19)中 谷 巌

,大

田弘子『経済改革のビジョンーー「平岩 レポー ト」を超えて一―』東洋経済新 報社,1994年 ,175ページ。 (20)同上 。 (21)日 刊工業新聞特別取材班編『平岩 リポー トーー世界に示す 日本の進路――』 日刊工業新聞社, 1994年,191ページ。 (22)日興 リサーチセンター編『全詳解 金融大改革のすべて一― ビッグバンで現れる世界一―』 東洋経済新報社,1997年 ,120ページ。 (23)長 島恒雄『手にとるようにビッグバ ンがわかる本』かんき出版,1997年,184ページ。 (24)Fフ ァイナンス』1997年7月号。 (25)同上。 (26)金子 勝 『反経済学―― 至上主義的 リベ ラ リズ ムの限界一― 』新書館,1999年 ,305ページ。 (27)前掲 『 自己責任 時代 の ライフプラ ン指南―一 心 の安 らぎを求めて一』5ペー ジ。 (2003年3月 18日受理)

(16)

参照

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