頼廃 の河 と再生へ の道
一『恋す る女たち』 における性の力学一
* 英米文学教室 日 J ロ レンス(D.H.Lawrence)の
『恋 す る女 たち』(〃初陀%物
Lθυι,1920)に おいて,バ
ー キ ン(Rupert Birkin)と アー シ ユラ(Ursula Brangwen)の ペ ア はいわ ゆ る星 の均衡(star―equilibrium)と い う男女 関係 の至 高 の状 態 を達成 す る。 これ は男女 が互 い に独立 しなが らも
,回
転 す る星 の ように影響 を及 ぼ し合 つて互 い を高 め合 う関係 で あ る。セ イガー(Keith Sagar)は バ ー キ ン とアー シュラが理想的恋愛 の状態 に至 る階梯 を,ロ
レンスの書簡 集 に言及 しなが ら,次
の三段 階 に ま とめてい る(96)。Sttt3ヱ .The isolate self in proud singleness of being.
S♭bぽ2 2 The polarity,the equipoise of an achieved sexual harmony,
S訪2♂ι∂. A conscious purpose in life,a coordinated effort towards a society which、 vill
embody lfe‐values――'A number of people united .… to fulfil comectively the
highest truth kno、vn to them'(Cと 1:462)
この手紙 はイ タ リア北西部 の港湾都 市 ラ・ スペ ツ ィア(La Spezia)の イギ リス人領事 で あ る
,友
人 ダ ンロ ップ(T,D,Dunlop)に 1916年7月12日 付 で宛 てた もので あ る。ところで セ イガー はバ ー キ ン とアー シュラ は第一段 階 と第二段 階 は達成 してい るが
,第
二段 階 は 成就 して はい ない と言 う(96)。 さ らに彼 は星 の均衡 の概 念 自体 について,こ
の よ うに不信感 を訴 えてい る。
Birkin's crucialimage is star‐ equilibriunl,but Lawrence fails to work this into the story in any other form than in Birkin's oMπ n set‐speeches. Consequently it fails to become an
organic part of the novel.(97)
セイガー と同 じように,バーンズ(Aidan Burns)も『恋する女たち』を論 じる際に"The central question of the relation betlveen the social and the individual self is never solved."(99)と 言ヤゝ, イ乍古者に, で理想郷や 自由の獲得 とい う問題 は一切解決 されていない と主張す る。星 の均衡理論が正 しく達成 されていれば
,社
会での個人 と他者の関係 は既 に解決 されているはずである。 よってバーンズの懐 疑感 もとどのつ ま り,こ
の段階でのロレンスの恋愛の哲学の根幹へ と向けられているのである。同 様 にダレスキー(H.M.Daleski)はバーキンの獲得 した純粋性 をただの経験 の産物であると疑い,ア
ーシュラが彼 に見出す神 の子 としての性質 はただ彼 の男 としての独立性 の獲得 に過 ぎない と言 う。 グレスキーの彼 らの関係 についての"their'accession into being'is directly due to the experience itseIP'(153)とい う言葉 は
,ロ
レンスの思想 の奥行 きをあまりにも無視 してはいないだろうか。半 "「Γhe River of Degeneration and the Path to Rebirth:IΓ he Dynanュ ics of Sexua■ ty in レレリ物珍″ ケタLοク♂,"The Department of Englsh and American Literature,Tottori University,A/1amOru Kadota
守
222 門田 守 :頼廃の河 と再生への道 確かにバーキンが数回にわたってアーシュラに説 く
,男
女が互 いの個我 を守 りつつ相手 と融合す る論理 は多分 にオカル ト的で曖昧な部分 を残 している。 ロレンス はそれ をあまりに も安易 に人間一 般 に拡大 し,人
間 は完全 に個 として独立 し,か
つ他者 と諧和 した状態で社会 にい られ ると説いてい る。 これ をただのユー トピス トとしての発言 と見 るのは簡単だが,そ
の姿勢 はそれで済 ますには惜 しいほ ど現代 の男女の繁が りを含 めた人間関係への正面切 った取 り組 みである。 星 の均衡理論 はロレンスの性 の力学 のや はり中心思想 を成す ものであると思 う。そ こには初期 の 『息子 と恋人 たち』(働 %s αη″Lθυι待1913)における母性 の支配か らの男性 の独立や,さ らには『虹』 ばル 買α妨うθ劣1915)にお ける太母的女性像か ら自立 した女性への視点の推移 という問題が流れ込ん でいる。 またその理論 は『恋す る女 たち』の後 に続 く『翼 ある蛇』ばル Я"%″
膨ゆι%ち 1926)に お ける神 の如 き男性指導者 たちへの女性 の依存 の問題や,『アロンの杖』μ α知%`Rθ
班1922)にお ける今度 は男性 と男性 の血 の契 りのテーマに結ぶつ く下地 を用意 してい るように思われ る。星 の均 衡理論 は直接的には,『恋す る女 たち』におけるブラングウェン家 の姉妹 をめ ぐる二組 の恋人 たちの 運命 を説明するのみである。しか しそ こにはロレンスの性 の理論 の中核がある と言わねばな らない。 本稿で は本能的性愛 に落込むグ ドルー ン(Gudrun Brangwenlと現代的な意味での物質主義 に憑か れたジェラル ド(Gerald Crich)の互 いに他者への支配欲 に満 ちた性愛 と,アーシュラ とバーキンの達 成す る独我 の存在 と他者への愛 を融合 した性愛 の相互関係 の特徴 を考察 してみたい。前者 はせいぜ いアフロディーテ(Aphrodite)的太母 の支配す る性愛 に至 るだけの,いわゆる頼廃 の河 を下 るのみの 男女関係である。 それ に対 して後者 は具体的男女 の深奥 にある,太
古か らの血 の流れである男性性 と女′l■lLへ の崇拝に基礎 をもつ,ロレンス的な新 しい人間存在 の再生への道 を提供す るものである。 最初 にアーシュラ とグ ドルー ンの結婚観や男性観 の対立 を分析 し,そ
れぞれの恋人 との関わ りを探 ってい きたい。 そして星 の均衡理論がロレンスのユー トピズムにも関わるものであ り,そ
の理論が か りに現実 に実行不能 の ものであるとして も,理
念 として彼 の思想 の根幹 を成 していることを示 し たい。 I ク リッチ家 の結婚式 に行 く前のアー シュラとグ ドルー ンの描写か ら,彼
らの性格,結
婚観,性
意 識 な どはどのように分析 され るであろうか。 アーシュラは26歳,グ
ドルー ンは25歳になっている。 彼 らは対照的な人格 を現 している。その性格上 の亀裂 は彼 らの結婚意識 において最 も鮮明 に現れて いる。ダイバテ ィスタ(A/faria DiBattista)は 「姉妹たち」("SiSters'')の章 を指 して"'Sisters'centerson the radical isolation of the modern woman, ahenated from marriage and its central
affirmationぎ '(72)と言 う。女性 の身 の振 り方 とい う伝統的テーマ は,こ の姉妹の性的在 り方か ら現 代 にお ける人間復活 のテーマ まで掘 り下 げ られてい く。アーシュラ とグ ドルー ンはベル ドーヴァー (BeldOver)にあるブラングウェン家 の出窓のある部屋で会話 をしている。最初 にグ ドルーンが姉 に彼 女が結婚 をどう考 えているのか切 り出す。妹 の頭 には姉 は結婚 して現在 よ りもいい立場 に至 るか も
しれない とい う思いが よぎる。妹 のグ ドルー ンは結婚 を単 なる経験 の一つ ぐらいにしか考 えていな いのである。そんな妹 の態度 をアー シュラは"'Do you think it need be an experienceP'''(T'Ъ 53)
と非難 している。アーシュラは結婚 にもっ と重要な ものを見出 しているようだ。 それ はむ しろ経験 とい うものの最後 になるか もしれないのである。アーシュラは自分 自身の独立 した結婚観 をもって いるようである。彼女 は女 として独立 した意識 をもっている。アー シュラはじっ くりと物事 を考 え,
鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 44巻 第
2号
(1993) 223
結婚 に対 して単なる経験や男性への依存以外 の ものを求 めているのである。
アーシュラは"if l were tempted,I'd marry hke a shot"(54)と は言 うが
,自
分か ら結婚相手 を 決 して求 めてはいない。む しろ結婚 した くてたまらないのは姉 の過去の恋愛経験 について詮索す る グ ドルー ンの方である。こうした関係 は姉妹の間での能動性 と受動性の問題 に還元 されるであろう。 "trhey bOth laughed,10oking at each other.In their hearts they、 vere frightened."(54)と ヤゝうように
,ブ
ラングウェン姉妹 はお互いに結婚問題 については笑 い合いつつ も,両
者 の間での根本的な 緊張関係 は否 めない。お互 いがお互いに不安感 を抱いているのである。 なるほ どプラングウェン姉 妹 には共通点があるだろう。 それ は男 に対 して平々凡々 に従 うので はな く,確
固 として自我 を主張 してい く点である。彼女たちは酌婦性や娼婦性ではな く,性
関係 に確固 とした己 を貫 くアルテ ミス 的な清冽 な処女性 をもっている。 これが両者 の共通点である。 ブラングウェン姉妹 の最 も大 きな違いは姉 アーシュラの受動性 と妹グ ドルーンの能動性である。 それ らはアーシュラが精神性 の女性であるのに対 し,グ
ドルー ンが肉体性 の女性 であることに繋が る。 アーシュラには男女 の性関係で も何か大 きな成果が成熟することを期待する態度が見 られる。 彼女には"sensitive expectancy"(54)があったのである。これに対 しグドルーンには"perfect sang‐frOid and exclusive bareness of manner''(54)と い う物怖 じしない大胆 さしかない。そして彼女 は単 な る"a smart wOman"(54)と
して しか評価 されないのである。 それ はアー シュラの植物的な受動性とは比較 にな らないほど浅 はかな台ヒ動性でしかないのである。グ ドルーンは'''Don't you find,that things fail tO materialize?F的 励物
g%α
″%α励奮r Everything wihers in the bud.'"(55)と 言って,男女関係が樹木が実 るように成熟 してい くことを待つ ことがで きない。彼女 は花や実が成熟 してい くことを待 たず
,そ
れ を雷の うちに枯 らして しまうのである。 これはグ ドルー ンの決定的な性急 さ を表わ しているのであろう。 この内面 の深 さへの無感覚 さの故 にグ ドルー ンはいずれ出会 う恋人 の ジェラル ドと悲劇的な結末 に至 るのである。 アーシュラは将来 に対 して開かれた,成
熟 したセクシュア リティをもっている。彼女 は積極的 に 子供 を欲 しが る,生
み育てる性 に目覚 めている。 しか しグ ドルー ンは子供 は要 らない と言 う。アー シュラカW'Only superficially"(55)に人間 とは子供 を欲 しが らないのだ と言 う時,彼
女 は心の奥底 で は人間 とは創造的なセクシュア リティに開かれていることを積極的に訴 えているのである。 この場 面で は"superficially"と い う言葉 はか えって,グ ドルー ンのセクシュア リティの表層性 を暗示 してい るようにも受 け取 られ得 る。アーシュラは自分 の内側 に''that strange brightness of an essential flame"(55)と い う
,き
らき らと輝 く炎 をもっている。 この炎 とは何 のメタファーであろうか。それ は網 を掛 けられ,抑
制 され ている彼女の強い女性 としての自己実現への願いなのである。彼女 は殻 を破 って芽 を出したい植物 のように,己
の女性性(femininity)を完成 させたいのである。彼女 には強い自我が あ り,そ
れが相手 の男 を求 めて己の自我 を実現 させ るように自分 を駆 り立てるのである。グ ドルーンはそうではな くて,明らかに肉の女 として形容 されている。アーシュラが妹 を"so ι励物″箔,
so infinitely char■ ling,in her softness and her fine,exquisite richness Of texture and delicacy of linざ'(56)と みなすか らである。体つ きの柔軟 さで も
,彼
女 には肉体的な女 らしさが強調 されて いる。グ ドルー ンの愛称で もその性格 は窺い知 ることがで きよう。彼女の愛称 は"Prune"(56)であ る。これ はスモモの滴 るような,瑞
々 しさやたおやかさで,グ
ドルー ンの肉体的な女性性l14undal■e femininity)を 表 しているのであろう。それ に対 して,アーシュラはいわぼ霊 としての女性性(spiritual femininitylを もっていると言えるであろう。アーシュラは硬い自我 をもっているが,グ
ドルーンに門田 守:7/1廃の河 と再生への道 はそれがないのである。彼女 は精神的 に案外 に脆 く
,主
体性がな く,つ
いつい他人 の説 に左右 され やす く,また他人 に頼 りがちである。これ は彼女が ジェラル ドとい う実業家 とレルケ(Loerke)と い う 芸術家 の間での恋愛 に迷 うことに典型的に現れ ることになる。 ク リッチ家の長女の結婚式 に出か ける際の,ま
たその式場でのブラングウェン姉妹 の態度 はどう であろうか。 ここで はグ ドルー ンの弱 さが露骨 に現れ,彼
ら姉妹 の内面 の差が鮮やかに示 されてい る。姉妹 はイギ リス中部 の汚れた炭坑町 を通 って教会 に赴 く。 しか しもともとグ ドルー ンはチェル シー(Chelsea)や サセ ックス(Sussex)で芸術 を学んでいたのであって,彼
女 はこの田舎 のベル ドーヴ ァーの炭坑町 を最初か ら拒絶 していたのである。だか ら「姉妹 たち」とい う章 に現れているように, グ ドルー ンはこの炭坑町が嫌で嫌でたまらないのである。 しか しこの炭坑町のす ぐ近 くには未だ文 明によって汚 されていないウィリー・グ リー ン(Willey Green)とい う森があつた。ロレンスはその美 をこう揮iいている。Yellow celandines sho、ved out from the hedge‐ bottoms, and in the cottage gardens of Willey Green,currant― bushes were breaking into leaf,and little flowers were coming white on the grey alyssuni that hung over the stone wans.(59)
グ ドルー ンは美醜 も含 めた,こ うした外側 の世界か ら我が身 を引 き離 し
,抽
象的な美の世界 という,弱々 しいが安住で きる世界 に閉 じ込 もるのである。彼女 はいわば産 む性 としての大地か ら
,自
らを 疎外 した女性 なのである。グ ドルー ンが思い描 く炭坑町 は次のようである。
It is like a country in an underworld,'said Gudrun.rrhe c。 1liers bring it[sooty cabbage stumps]above_ground with them,shovel it up.Ursula,itも marvellous,iぱ s really marvel‐ lous――it's really、vonderful, another world. The people are an ghouls, and everything is ghostly.Everythillg is a ghounsh rephca of the real、 vorld, a repHca, a ghoul, all sordid everythilag sordid.It's like being rnad,1」 rsula.(58)
このイメージは地下世界であ り
,そ
この人々 は魔物であった り,狂
人であった りす る。 ここには土 地 と和解で きないグ ドルー ンの姿が認 め られるであろう。グ ドルー ンは"as if she were treading in the air"(58)と い うように,夢
遊病者 のように通 りを進 んで行 く。 また彼女 は"as if at any minute she might be precipitated to tte ground"(58)と 感 じ,ま
っ逆 さまに地面 に叩 きのめされ るような 印象 を抱 く。グ ドルー ンの心 は泣 きわめ き,外
見 はともか くも彼女 は精神的にはなん ら退 しい とこ ろがない幼児 のようである。彼女 は心の中で帰 りたい とい う願 いを繰 り返す。 グ ドルーンの自我 は 虚弱で,彼
女 は絶 えず誰かに取 り槌 らないで はい られないのだ。 この態度 は畢党,彼
女のセクシュ ア リテ ィにも反映 して くる。すなわち彼女 は男性 に絶 えず恐怖感 を抱 き,そ
の反動 として男性 を絶 えず支配 しな くて はい られな くなるのである。マ クラウ ド(Sheila MacLeod)が 言 うように,グ
ドル ー ンの女性性 の未熟 さは彼女が結婚へ憧れつつ も,心
理 の深層 においてそれへの恐れ も抱いている ことにも看取 され よう(106)。 教会 に行 く前後 の描写で は,グ
ドルー ンは常 に回 りの環境 に疎外感 をもって恐が っている。彼女 は回 りの人間 を恐が り,姉
に頼 りがちである。 この態度 は将来の彼女 のジェラル ドヘの依存 を予見 させ る。グ ドルー ンは帰郷 した こと自体 を深 く後悔 している。 ここでの彼女 の意識 の特徴 は,ま
る で絵画 を描 くような意識で隣人 たちを見ていることである。彼女 は対象の中に参加 で きないのであ る。結婚式 に参列 してい る人々 は彼 ら自身で完結 してい る。彼 らは既 に絵画 の中における"a finished creation"(61)に なった状態 にあるのである。これ はグ ドルー ンが結婚関係が人間関係 をフィエッシ鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第44巻 第
2号
(1993) ュさせ るもの と考 えていることを明 らかにしている。逆 にアーシュラは醜悪な炭坑町を通 る際に妹 を守 ろうとしている。 これ は最終的 にグ ドルー ンの芯 の弱 さを暗示 してい るのであろう。そしてグ ドルー ンは トーテム として狼 をもつ と思われるジェラル ドには,
とて も危険な相手であることがわ か るであろう。 トーテムは種族 の守護神 の ことである。 ジェラル ドの精神性 には極北のイメージ も 重ね られている。 ジェラル ドの死 に方や彼 とグ ドルーンとの関係 の破綻 はアルプスの雪の世界で起 こるか らである。 これ は彼 らの関係の破綻の予表的なイメージの提示 となっているのである。 ハーマイオニ(HermiOne Roddice)と バーキンの関係であるが,特
に前者ハーマイオニの人物造型 は興味深い。 グ ドルー ンが ジェラル ドに夢中になっているように,ハ
ーマイオニ はバーキンを愛 し ている。既 に彼 らはしばら くは愛人関係 にあったようである。ハーマイオニ は金持 ちで,絹
の ドレ スを纏 い,薔
薇色 のシクラメンを携 えている。ハーマイオニ はどうい う特徴 をもった人物 であろう か。彼女 においては,い
ろいろな知性が とぐろを巻いて頭脳 に詰 まっていると言われてい る。彼女 は大変 に知性的な女性であることがわか る。蛇 のイメージは男 を捕 らえて離 さない,魔
女的雰囲気 をもつ。ハーマイオニ はダー ビーシャー(Derbyhshire)の男爵の娘であ り,社会改革 に夢中になってい る。彼女 を捉 えてい る社会 は男性 の社会であ り,彼
女 は男が女性化 したような女 なのである。 ク リッチ家 の結婚式の場面 にハーマイオニ は現れる。彼女 は「文化の担い手」C駒
物 物 γ"[63]) と呼ばれているが,文
化や体制 を信奉 し,そ
れを伝達す る者 としての役割 を負わされている。彼女 のモデル はオ ックスフォー ドシャー(OxfOrdshire)にあるガーシン トン。マナー(Garsington Manor) で当時の文学者 たちに対 して,知
的ホステス役 を果た していたレイディ。オ トリー ン・モ レル(LadyOttoline Morrell)であった らしい(Trease■1)。 このハーマイオニ は一生かかって 自分 を無敵な者,
攻撃 に対 して磐石 な者 とす るのである。その実
,彼
女 は実際 にはいつ も攻撃 を受 けやすい,か
弱 い 者 と感 じて もいる。彼女 は自分 の鎧 にはいつ も秘密の裂 け目がある と感 じているのである。彼女 の 内面 には恐 ろしい空虚が あ り,常
に満たされない思いに沈んでいる。 ハーマイオニ はバーキンを愛 しているが,彼
を真心か ら愛 しているわ けで はない。 また彼女 はバ ーキンとい う男性性 その ものを愛 しているわ けで もない。ただ彼女 は彼がいる時 にのみ,自
分が完 全であって,満
たされていると感 じられ るのである。彼女 は心理的には彼 に完全 に依存 している。 すなわち彼女 は女性性 を開花 させているので はな く,未
成熟 な自己 を彼 に守 って もらいたいのであ る。 そんなハーマイオニにバーキンは既 に愛想 をつか し,彼
女か ら別れたがっている。彼女 は見か けを着飾 った表層だけの女であ り,見
せか けだけでで きている。 そして見せかけ とは文化 とい うも の と繋がって くると思われ る。彼女 の着飾 った様子やたっぶ りと詰 まった知性 は,彼
女の文化の伝 達者 としての役割 を強調 しているのであろう。 そして また文化 の伝達者 と言 えば,西
洋での男女 の 関係 はキ リス ト教 のモラルが中核 になってい ることが思い起 こされ る。 キ リス ト教では男が愛 を与 える方で,女
がそれを受 け取 る方 になっているのであるが,ロ
レンスは実態で は女 は男の愛 をむ さ ばってい ると考 えるのである。文化 の担 い手 のハーマイオニ はバーキンの愛 を要求 して,そ
れを糧 としている。 ジタルーク(George J.Zytaruk)は キ リス ト教的愛 を批判 し,こ
う言 う。To become one、vith God is a violation of the individual self,since the very existence of all life is made possible by the myriad identities that constitute life. We must, therefore, struggle not to achieve oneness with the rest of creation but to bring to flower the individual,spontaneous self。 (241)
門田 守 :顔廃の河 と再生への道
るアーシュラとは対照的な立場である。ロレンスは「『恋する女たち』への前文」ぐ
'Foreword to肋
%ιη 励Lθυ〆)において,『恋す る女たち』 と『虹』 との関係 について"This book is a potential sequelto御
ケι胞 励うοω"(63)と 言 っている。アーシュラの独立 した性格 は元々―対だった前作か らの影響 物 なのである。恋人 に依存す るハーマイオニ は彼 を失 う くらいな ら殺 して しまった方が よい と思っ て,実
際彼 を衝動的 に殺害 しようとす るのある。キ リス ト教 についてロレンス は『アポカ リプス』(4´θ翻物sら 1931)の中でその断罪 を行 っている。
The individual cannot love:let that be an axiom.And the modern man Or woman εα%%οチ conceive of hiinself,herself,save as an individual,And the individualin man or wOman is
bθ%%′ to kill,at last,the lover in hilnself or herself.It is nOt that each man kills the thing
he loves,but that each man,by insisting on his Own individuality,kills the 10ver in hilnself, as the woman kills the lover in herself. The Christian da%ι ηθナ′ουゼf fOr 10ve kills that 、vhich is Christian,democratic,and modern,the individual。 (z4123)
博愛主義 について も同様である。
Then、vhat about that other iove,'caritas',loving your neighbour as yourselfP
It、vorks Out the same.You love your neighbour.IHlFnediately you run the risk Of being
absorbed by hini: yOu must draw back, you must hold your own.「 Γhe 10ve becomes
resistance.In the end,it is all resistance and no love:which is the history of democracy.
(124) 現代 の愛情関係 についての予言的書 において
,ロ
レンスはハーマイオニ的な知性的かつキ リス ト教 的な博愛 。改良主義 を否定 しているのである。カーモ ド(Frank Kermode)も バーキンのイギ リスの 完全 な死 と再生の必要性 を説 く点 を指摘 しつつ,『恋す る女たち』におけるアポカ リプスの傾 向を論 じている(67-71)。 実際 ロレンス はこの頃第二 のノアの洪水が起 こり,世
界 の破滅 を期待 していた ら しいのである(Trease■4)。 さて,男
の愛 を強要す るタイプの女 はロレンスで は別 の作品『息子 と恋人たち』 に詳 しく現れて いる。ここで は主人公 ポール(PauI Morel)の母親ガー トルー ド(Gertrude)はピユー リタンの家庭の出 身で,知的で禁欲的な女であ り,ハーマイオニの先駆 をなしている。優秀な長男のウィリアム(William) はロン ドンで事務仕事 をす るようになるが,運
悪 く丹毒症で死 んで しまう。首 につけていたカラー でで きた傷が もとであった。 とす ると,母
親 の期待 は次男のポールに一身 に集 まることになる。彼 は医療器具製造会社 に勤 めることになる。 これ は作者 ロレンスの経歴 と一致 している。ウィリアム が死 んだ頃ポール も肺炎 に罹 って,死
にかか る。ガー トルー ドはやっ との思いでポールを回復 させ, ます ます 自分 の生 き甲斐 を次男の将来 にかけるようになる。ポール も男なので徐々 に母親か ら離脱 したが り,女
性 に関心 をもち始 める。 しか し彼が最初 に好 きになった ミリアム(Miriam Leivers)と い う文学少女 は清教徒の出であ り,感
傷的で観念的な恋愛 に憧れ る傾 向があった。 ポール はミリア ムに憧れ るが,今
一歩彼女 を愛す るというところまで は至 らない。ポールは今度 はミリアム とは全 然性格 の違 うクララ(Clara Dawes)と い う人妻 と出会 う。その不倫 は彼女の夫のバ クスター(Baxter) に知 られて決裂す るが,ポ
ール はか えって彼 に殴 られ ることでかつての懐か しい父親の記憶 を取 り 戻す ことになる。 これ は既 にポールが クララの魅力 を越 えて,も
っ と高い自我 の主張 をしていこう とい う立場 にあった ことを明 らかにしていると思われる。 ところが,ポ
ール はクララ との関係で も 自分が縛 られているとい う感情 を禁 じ得な くなる。彼 はミリアム との場合 は精神的に縛 られていた のであるが,ク
ララ とは今度 は肉体 的に女性 に縛 られていると感 じ始めるのである。ポールは自分 σ ゝ 才 ´ ヤ 闘 ヽ X IE リ ¢ ま 〕 く 趣 刀 磐 と │0
│ 悩イ
を
〕
‖
劇
│わ
封
嫁
│ │ こ│に
│鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 44巻 第
2号
(1993) の自我が圧倒 されるのを嫌 うようになる。いわば,彼
は自らの自我 の独立性 を主張 したいのであろ う。 ポール は自分が ミリアムやクララ とうま くやっていけないのは,自
分が無意識 のうちに母親 に憧 れて,彼
女の もとか ら立 ち去 りた くはない と思っているか らで はないか と気づ く。偶然 にガー トル ー ドは癌 にかかって危篤状態に陥る。ポールは意識的に母親のためで もあ り,ま
た自分 の母親か ら 離れな くて はいけない とい う気持 ちを満足 させ るために,わ
ざ とモル ヒネを秘かに規定量以上飲 ま せて母親 を死 なせてや る。これ はフロイ ド(Sigmund Freud)の エディプス・コンプレックス と関係 し ている。エディプス・コンプレックスについて は愛人で後 に妻 になるフリーダ(Frieda)を介 して,フ
ロイ ドの弟子のオ ッ トー・グロス(Otto Gross)の思想 を知 っていたか ら,ロ
レンス はそれ をここで反 映 させた らしいのである。 『恋す る女たち』でハーマイオニか ら別れたが るバーキンの内面 は,故
意 に子供 のそれ として表 現 されている。And thitt this coniunction with her,which was his highest ful■
lment also,wih the
perverseness of a wilful child he wanted to denyo With the wilfuiness of an obstinate child, he wanted to break the holy connexlon that was between them.(64)
これ はバーキンの女性 による知的圧制への反発の意志の底流に
,ポ
ールのガー トルー ドか らの離脱 の願 いが流れていることを表 している と言 えよう。` ポール は母親 の死後
,誰
にも頼れな くなって,
ミリアムに会 いに行 く。 しか しミリアム はもとの ままの狭い精神 しかない女性である。ポール は頼れるのは自分 しかいないことに気づ き,自
分の 自 我意識 を高め,一
人で退 し く生 きてい こうと決心す る。 ロレンス と言 えば,性
的な ものを非常に高 く,重
視 している作家 で はないか と思 えるのであるが,案
外結論 として はセクシュア リティ自体 を 越 えて,主
人公 の自我 の崇高 さに至 るとい う結末が多いように思われ る。『虹』では,ア
ー シュラは アン トン(AntOn Skrebenskylと の関係 を越 えて,一人で退 しく生 きてい こうとする。『恋する女たち』 で もアーシュラ とバーキンの力 の均衡状態 は,性
的な力 もさることなが ら,互
いの自我 を高め合 う とい う関係であった。 ロレンス は案外 に個人の自我の独立性 に重 きを置 く作家であった と思われ る のである。 さてガー トルー ドは文化や社会 の体制,あ
るい はキ リス ト教的な愛のモラルを代表す るような女 性である。 ロレンス はこうい う女性 は本来 の女性性 を実現 していない と考 えるのであろう。彼女 と は違 って,ア
ー シュラは本来 の芯 の強い女性性 をもつ,ロ
レンスが この『恋する女たち』 を書いた 段階での理想的な男女関係 を実現す るのである。 またその先 のク リッチ家 の結婚式での花婿 と花嫁の行動 にも,ロ
レンス的な現代 の性愛への批半J が現れてい る。つ ま り花婿 は最初やって来ず,花
嫁 はや きもきしている。花婿がやって来 ると,花
嫁が誘惑す るように呼ぶ。'TibsI′ribsI'she cried in her sudden,Inocking excitement,standing high on the path in the sunlght and waving her bOuquet.(66)
この後で花嫁 は突然 に向 きを変 え
,花
婿か ら逃 げ出す。花婿 は彼女 を追いか けるが,あ
たか も彼女 に導かれ るかのように教会 に入 って しまう。'Ah‐h―h!'came her strange,intaken cry,as,on the reflex,she started,turned and fled,
scudding with an unthinkable swift beating of her white feet and fraying of her white garments,towards the church.Like a hound the young rnan was after her,leaping the steps
門田 守 :頼廃の河 と再生への道
and swinging past her father,his supple haunches working like those of a hound that bears down to the quarry.(66-67)
確か に男性が女性 を捕 まえる構図 として
,こ
の一連 の動作 は見 える。 しか しなが ら奇妙 な ことに逆 に女性が男性 を意識的 に操 り,彼
女 の望む行動 をさせているとも考 えられ るのである。何故 な らそ の後 に,こ
うした勝 ち誇 つたような彼女の態度が見 えるのだか ら。She,her flowers shaken from her like froth,Was steadying herself to turn the angle of the church. She glanced behind, and with a wild cry of laughter and chaHenge, veered, poised,and was gone beyond the grey stone buttress.In anOther instant the bridegroon■ , bent forward as he ran,had caught the angle of the silent stone with his hand, and had
s、vung hilnself out of sight,his supple,strong loins vanishing in pursuit。 (67)
教会 に連れ込 まれて行 く花婿 の様子 を見 る と
,こ
れ は全体 としてキ リス ト教的性愛 を迫 る女性的 な性愛 の具現化で もあるし,今
後 のハーマイオニ とバーキンの関係 を暗示 してい るようにも思われ る。 また男性が女性 の肉体的誘惑 に応 じる点で,こ
の場面 は後 にバーキンがアーシュラに語 るアフ ロディーテ的性愛 とも通 じている。 さらにはこの花嫁が クリッチ家 の人工池で水死す ることを考 え 併せ ると,彼らのコミカルな追跡劇 は象徴的な現代 の男女 の性愛関係 を表 している とも考 えられ る。 池 の底 か ら水死体 になって発見 された花嫁ダイアナ(Diana)は月の女神の名称 を帯 びさせ られている。 その点だけで も,彼
女 のアフロデイーテ的性愛 との親近性が感 じられ る。引 き上 げ られた彼女の死 体 の様子 は不気味である。花嫁 の死体 は自分が誘惑 しようとした若 い医者 の死体 と一緒 になって発 見 された。彼女 の両手 は青年の首 を締 め上 げ,ち
ょうど彼が羽死す る前 に,彼
を水 中で締 め殺 した ような恰好である。 これ はあのジェラル ドとグ ドルー ンのアルプス山中での悲劇 を暗示 させ る光景 である。何故な らば水 中で はな く雪の中で,ジ
ェラル ドは自分か ら離れてい くグ ドルーンを締 め殺 して まで も所有 しようとしたのだか ら。 この二組 のカップル ともが肉 と肉の関係 において,頼
廃 の 河 を下 るように,互
いを所有 し合 つたのである。 II それで は小説の中で最 も注 目され るバーキンとアーシュラの愛 の関係 はどのように発展 してい く のであろうか。バーキンは一見 して悲観論者 のような話 をした後で,雛
菊 の花の咲 き方に とて も拘 ってい く部分がある。バーキ ンはその雛菊 の咲 き方が最 も発展 した民主主義的な人間の在 り方であ ると言 う。民主主義 と言 って も,ロ
レンスは具体的な政治的信条 としての概念 をイメージしている わ けで はない。書 き起 しも脱稿 も第一次大戦最中であつた『恋す る女たち』 は当然 に工業主義や帝 国主義 に反発 を示す。しか しシェックナー(Peter Scheckner)の 指摘す るように,こ
のだヽ説 は社会 の 上部構造 と下部構造や,資
本家 と労働者 の対立 に焦点 は当ててはいない(57)。 む しろこの雛菊の議 論 は個 としての人間の在 り方 に関わつて くるのである。 最初 にバーキ ンとハーマイオニ との関係 を明確 にしてお きたい。ハーマイオニ はバーキ ンにどう い う接近の仕方 をす るのであろうか。 ロレンスは一般的に性 の文学 に傾倒 していつた作家 として, 全ての主張が性的なアナロジーで語 られ るように思われ る。 しか しロレンスがい ろい ろな男女関係 のモデルを使 つて提示 していることは,た
だ肉体的な意味での性で はな くて,突
き詰 めていけばい くほど,わ
れわれが普通 に考 える男女 の性関係で は捉 えきれない観念的な意味 を帯びているようで ある。ハーマイオニがバーキンに行 うことはただの肉欲 の行使 で はない。 ミ 已 女 冨 と 』 σれ フ え ,o ,o 鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第44巻 第
2号
(1993) 229
ハ ーマイオニ はバ ー キ ンの肉体 も精神 も暴力 に訴 えてで も所有 しようとす る。 それ は彼女 の もつ 母性 とい う ものの本質的性格 を明か してい る と思われ る。最初 にその部分 を見 てお きたい。バ ーキ ンはハ ーマイオニ の空虚 な肉体性,観
念 の塊 の よ うな人 間性 を批判 してい る。 そ して彼 女 の小 さな 頭 に詰 まってい る もの は屑 の よ うな観念 の断片で あ り,彼
女 の望 み は自分 の意志 の下 に男性 を押 さ えつ けてい くことなので あ る。バ ーキ ンはそ うい う彼女 の本質 を見抜 いてい る。彼 によれ ばハ ー マ イオ ニ は世 の中 の事 象 を鏡 に映 して しか見 る こ とがで きず,ひ
たす ら塔 の上 の幽閉所 で機 を織 る こ としか許 され ない シャー ロ ッ ト姫 (Lady of Sharlott)に なぞ らえ られ る。ハ ーマイオニの仕事 は彼 に よれ ば"that Lady of Sharlott business"(91)に 過 ぎない ので あ る。 これ は彼女 の社会 的功績 が世 の中の現 実 を踏 まえていない,頭
の中か ら織 り出 されただ けの美辞麗旬 で しか ない ことの謂 で あ ろ う。彼 女 の支配欲 について,バ
ー キ ンは こうま くしたて る。'13ut your passion is a lieデ he、vent on violently.'It isn't passion at an,it is yOur ιυゲ′′. It's yOur bullying will.You want to clutch things and have them in your power.You want to have things in yOur power.And whyP Because you haven't got any real body,and any dark sensual bOdy of life.You have no sensuality.You have only your win and your conceit of consciOusness,and your lust for po、ver,to ttηθ″.'(92)
はた して
,そ
の本質 は誠 にその ようで あった こ とが明 らか にな るので あ る。ハ ーマイオニ はアー シュラ,グ
ドル ー ン,ジ
ェラル ドとい った一行 を自分 の屋敷 のブ レッグル ビー(Breadalbylに 招 いて い る こ とにな ってい る。 そ してハ ーマイオニが 自分 の好 きなバ ー キ ンに も一緒 に散歩 に出 ようと誘 うので あ るが,彼
は本 を読 むの に夢 中 になっていて頑 として彼女 の言 うこ とを きか ない。 自分 の言 うこ とを きか ないバ ー キ ンを,彼
女 は殺意 を もって殴 り倒 そ う としてい る。She was not swift,she could onlyィnOve slowly.A strOng spiritin hiln woke hiFn and rnade hirn lift his face and twist to 100k at her.Her arntt was raised,the hand clasping the ball of lapis lazun.It鞘 〆as her left hand;he realsed again with horror that she was left― handed.
Hurriedly, with a burrowing motiOn, he covered his head under the thick v01ume Of
Thucydides,and the blo、 v came down,allnost breaking his neck,and shattering his heart.
(163)
己 の恋人 の殺害 は相手 をモ ノ化 して まで
,自
己 の意志 に服 せ しめん とす る所有欲 の現れで あ ろう。 面 白い こ とにバ ー キ ンは前 にハ ーマ イオニ に対 して,お
前 は何 のセ クシュア リテ ィ もない女 だ と 言 った こ とが あ る。 ところが ここで は,ハ
ーマ イオニ はバ ーキ ンをめちゃ くちゃに して殺 して しまうこ とに官能 的 な喜 び
,エ
クス タ シー を感 じ取 つてい るので あ る。A terrible voluptuous thrill ran dO覇 〆n her arms―she、vas going to know her voluptuous
consummation.Her arms quivered and were strong,immeasurably strOngo What dehght,
what delight in strength,what dehrium Of pleasurel(163)
これ はハ ーマイオニ に はセ クシュア リテ ィが ないわ けで はな くて
,そ
れが歪 ん だ,好
ま し くない も ので ある ことを示 してい る と思われ る。ハ ーマイオニ の性 は男 を支配 す る こ とにセ クシュア リテ ィ の充足 を求 め るので あ る。 ただ し,そ
の欲望 の出発 点 は観念 や地位 の充足 とい った多分 に頭脳 的 な 部分 か ら発 して い る。先 を端折 って言 えばグ ドルー ン も同 じよ うな支配欲 を示すが,彼
女 の場合 の 出発点 は肉体 の欲 望 の充足 とな ってい る こ とに注意 せね ばな らない。 ロ レンス において支配 す る母性 や,支
配 す る女性性 とい うもの はか な り広範 囲 に現 れ てい る。 こ れ に はお そ ら くロ ンンスの母親 リデ ィア(Lydia)の 影響 もあるので あ ろう。また ロレンス 自身 もお そ門田 守 :顔廃の河 と再生への道 らく母親 に単なる母親 の枠 を越 えた愛情 を感 じていて
,彼
女 に接近 していた ことも影響 しているの であろう。 しか し彼 はその母親 に接近 しつつ も,母
親 に反発 して違 う女性 に走 った り,独
立 した生 活 を求 めた り,愛
人 の夫 に男性同士の友情関係 を求 めた りしているのである。 こうい う母性へ と接 近 したいけれ ども,同
時 にそれか ら離れ ようとす るアンビバ レンスが,ロ
ンンスの作品で はいろん な母性恐怖症 として顕在化 していると思われ る。 『息子 と恋人 たち』でのガー トルー ドな どはオイディプス・ コンプレックスの三角形,つ
まり父 ウォルター(Walter),母 ガー トルー ド,息
子 ポールの三角形 の関係 内で起 っている,支配す る母性 と しての役割 を帯 びている。ガー トルー ドは現実の汗み どろの大 に飽 き足 らず,彼
の代わ りに息子 を 理想的人物 に仕立て上 げようとす るのである。 それ は一つの所有す る母性 の現れであろう。 これ と 同 じ くハーマイオニ は偉大 なる母性 の典型 として,知
性的側面か らバーキンを操 ろうとす る。 しか しその根源 は性的な歪 みか ら発生 しているのである。 バーキンはこんなハーマイオニにうんざ りしていて,一
人である独立性が女性 との共存 よりも遜 かに良い ものだ と思 ってい る。There was this perfect cool lonelness,so 10Vely and fresh and unexplored.Reany,、 vhat a nlistake he had rnade,thinkilag he wanted people,thinking he wanted a woman.He did not 、vant a woman――not in the least.The leaves and the prilnroses and the tree,they were
really lovely and cool and desirable,they really came into the blood and were added on to
him.He was enriched now immeasurably,and so glad.(165-66)
バーキンはこうい う精神状態でアー シュラに対時す るのである。
さて
,こ
こか ら「島」("Island")とい う興味深 い章が始 まる。バーキンは普段 はけつこう愛想の良 い人間であるが,一
人 になるとどこか変わつた ところがある。最初か らそうい うバーキンの中の非 人間的で癒 されない部分が,ア
ー シュラを日常的 自我か ら外 の世界へ と連れ出すのである。バーキ ンが小説中の他 の人間たち と違 うところは非常 に率直で,自
己の心の中身 をそのままさらけ出 し,真剣 に自分 の人生 と向 き合 った暮 らしをしてい ることである。"I don't make much of a success of
my days"(185)とバーキンは自分 の人生が失敗であった ことや
,自
分 の風条の上が らない外見 の ことを語 る。アー シュラはそれほ どバーキンを醜い とは思って はいない らしい。バーキンは何 もか も うま くいかな くて
,い
つ もい らい らしている。アー シュラはそんな彼 に"Why should you alwaysbe力
胤ぎ "(186)と,どうしてそんなにいつも行為(doing)の世界 にばか り拘 つていて,なぜ"a walking flower"(186)の ようになって暮 らさないのか と問 う。アーシュラは行為(doing)ではな く存在(being)の価値 に目覚めることをバーキンに薦めているように思われる。また彼が"if one has burstinto blossom" (186)と言 うとき,それ は世間的かつ経済的成功で はな くして,自分が本来 もつ自己 を開花 させ る と いう意味で判断されるべきであろう。バーキンはずっとフラス トレーションの状態にある。彼 ば
'Humanity
itself is dry‐rotten,really."(186)と 人間 とい う観念 は死 んで しまい
,人
間たちはその内奥 の神秘 を失い
,空
っぽになって しまった と嘆 く。バーキンとアー シュラは微妙 に対立す るが,少
な くとも共 通のテーマについて考 えてい るように思われ る。そして ここで はずっ とバーキンはニ ヒリス トとも 言われかねないようなペ シ ミズムに陥っているようにも見 える。 だがバーキンにはあまりにも能動的に人生 を否定 していつて,否
定 しきつた先 にその否定す るこ との底 を破 り得 る可能性が残 されているようである。バーキンによれば人間たちは愛 とい うものの 実相 を取 り違 えてい るらしい。彼 はこう言 う。ー
鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 44巻 第
2号
(1993) 231
charity is the greatest――and see what they are doing all the time.(187)
人間 は愛 と偽 って憎 しみばか り相手 にぶつけ合 っているのである。バーキンは作家 ロレンスのマウ ス ピース的人物である。あまりにも観念的に思考 し過 ぎるきらいがあるバーキンが考 えているのは 負の原理(principles of negat ism)と も呼 ばれ得 よう。彼 の疑似進化論的歴史観で は
,人
間 とは創 造 の失敗作であ り,いずれ滅 んでい くものであるらしい。ここでアーシュラはバーキンと対立す る。 バーキンが負の原理によっているとすれイ∴ アーシュラは一生懸命にそれにあらがVゝ,正の原理(principlesof pOsiti ty)に従 っている。彼女 は何 とか人類が破滅す るとい う考 えを否定 したいのである。アー
シュラはバーキンがい う人間 は反 。創造 された ものであるとい う思想 の底 には
,そ
れで も"in spite of hilnself,he would have to be trying to save the world"(189)と ヤゝう人間 を救ヤゝたヤゝとヤゝう願 望があることを見抜 く。 ここで両者の意見 は決裂す ることがな く続いていることがわか る。しか しアーシュラが我慢ならないことは,バーキンがあまりにも抽象的過 ぎて"The Salvator A/1undi" (189)になろうとしていることである。これ は抽象的な人類や世界 の救世主 になろうとす る意志であ る。 アーシュラはそれ と正反対 に個々の人間たちの愛 を擁護 している。 とする とバーキンは観念 の 世界 に向か うのに対 し
,ア
ー シュラは具体的な肉体 の世界 に向かっていることがわか る。両者 の思 考法 は一致す ることがないが,互
いに絡 み合 って進行 していることがわか る。 これ は雛菊 に関す る 議論 の発展 に重要 な要素 を提供す ることになる。両者 ともに違 った進み方 をす るけれ ども,日
標 は 同 じ く愛 による充足 とい うことになると思われ る。 このようにである。'●中 Love isn't a desideratum―it is an emotion you feel or you don't feel, according to
circumstances.'
'Then why do you care about people at allP she asked,'if you don't beheve in ioveP Why do you bother about humanityP'
'Why do IP Because l can't get a、vay froln it.'
'Because you love itr She persisted.
It irritated hiFn.
'If l do love itデ he Said,'it is my disease,' (189-90)
どう見て も
,バ
ーキンの側が不利 な議論 のようである。バーキンの思考法 は完全 には論理的に人類 の破滅 を求 めてい るので はな くて,彼
は人類 を愛 そうとしているとアーシュラに看取 され るか らで ある。アーシュラの側 の思想 の問題点 はずっ と先 のアフロディーテに関す るセクシュア リティの部 分で明 らかになる。 こうい う違 う原理が絡 み合 う形で彼 らの関係が深 まることが注 目されるべ きであろう。そして雛 菊 に関す る話 に発展す る。水門に近づ く岸辺で細 かい雛菊 の花が流 されて行 く。 これ らはバーキン が流 した ものである。 これ らの雛菊 はここで は,そ
れぞれが個人 としての人間 としてイメージされ ている。アーシュラは花 の意志 はただあるのみであって,そ
の花 のように人間 はその場 その場 の状 況 に充足 しているべ きであると考 える。 これ は突 き詰 めるとアーシュラの どんな人間観 を表わ して いるのであろうか。 ロレンスは特定の啓示的な場面 に重 きをお く作家であるが,こ
こで は小説全体 の目標点が示 されている と思われる。 アーシュラは花が流れ るように個人 はその基本的な性向に応 じて生 きているのが よい と考 えているのであろう。 それ は彼女の受動的肉体性 を表わ している。す なわち彼女 は妹 グ ドルー ンのように男 の愛 を強要 した りはしな くて,肉
体 に基礎 をもつ男女の親和 的な関係 に憧れているのである。ただ彼女 には人間の肉体性 に対 してはただの肉欲 でない荘厳 さを, 肉体JLの向 こう側 には理想的な男女関係 を見出 していることは言 えるであろう。 これ もグ ドルー ン232 門田 守 :頼廃の河 と再生への道 とは違 う点であるが
,今
後 のバーキンとの関係 の深 まりで明 らかになって くると思われる。 反対 にバーキンは小 さい花 の集団 は理想的な民主主義的共同体であると言 う。彼 の言 う理想的な 人間たちの状態 は個々の人間がそれぞれ独立 していて,決
して他 と交わ ることな く自己 を実現 して いることである。雛菊の美 は個々の人間の才能の開花 とでも言 うべきであろう。バーキンの言う"freedom together"(193)と はそ うい う文脈で解釈す るべ きであつて,これ は人間 とはお互 いの中に埋没 して しまうべ きで はな くて,自
分 とい うものを主張 し合 うべ きであるとい う意味であろう。人間 とは互 いにぶつか り合 つて自らを発展 させてい くべ きものなのである。 これ をアー シュラ との関係で言 え ば,男
女 とは互いに完全 に混 じり合い,溶
け合 つてい く関係で はだめ とい うことなのである。 この 関係 をユデイシユター(Yud shtar)は"She[Ursula]believes in an absolute surrender to love."(172)と表現 してい る。それ と対照的に男女 はいつ も互いに主張 し合い
,ぶ
つか り合 つて,互
いに成 長す るべ きであることをバーキンは説 いているのである。つ まり男 は男 らし くなればなるほ ど必然 的に女 と対立 し合わなければな らない し,反
対 に女 はより女 らし くなればなるほど必然的に男 と対 立 し合 わなければな らないのである。両者が一致 して睦み合 う関係 はだめだ とい うことなのである。 そしてアーシュラが この段階で言 うバーキンとの愛 とは,ま
さにバーキンが否定す る,睦
み合 う男 女 の関係 なのである。 これ は実 はもっ と先の「月の ごとき」C'MOOny")と い う章で より詳 しく発展 さ せ られてい くことになる。 ロレンス はエ ッセイ「民主主義」("Democracy,"1936)に おいて,ホ
イ ッ トマ ンlWhitmanlの挙 げ た民主主義 の二大原理である(1)The law Of the Averageと (2)The Principle of lndividualism, or Personalism,or identityに ついて批判 を加 えている(SE 73)。 ロレンスは徹底 して平均化 した市 民や抽象的な国家の概念 に反発 している。"Men are not equal,and never ttere,and never will be, save by the arbitrary determination of some ridiculous human ldear'(75)な のである。 また抽 象的な市民社会 について,彼
は"The State is a dead ideal.脆 肋%is a dead ideal."(76)と 指弾 し ている。最良の社会 とは個人が個人 として自覚的かつ自発的に成 り立 っている状態である。 ロレン スの言葉 を用いれば''The highest Collectivity has for its true goal the purer individualism,pure individual spolltaneity."(77)な のである。人間が 自己 自身 になるためには二つの手段があるらしい。さらとこロレンスイよ"The only thing man has to trust to in co■ling to hilnself is his desire and his
impulse."(91)と 言 う。欲望 も衝動 も日常化 されて,そ れぞれ に人間の自動化 された反応体系である 身体 の機能的充足 と精神 の抽象的理想追求 に堕す る危険性が あるらしい。 それで もロレンスは人間 は自己 に忠実であることによって
,新
しい民主主義 に至 ることがで きると考 えてい る。矛盾す るよ うで はあるが,個
人 は自己 を犠牲 にして他者 との共存 を図 るので はな く,か
えつて自己の内に留 ま ることによって民主主義 を確立す るべ きである と説かれ る。 こうした場合 に自己 は比較対照 として 個々の他者 の自我 をもたず,大
文字 の他者 としか対峙す るしかない らしいのである。 この事情 をロ レンスはこう説明 してい る。Where cach thing is unique in itself,there can be no comparison rnade.One rnan is neither equal nor unequal to another rnan.When l stand in the presence of another lnan,and l am
myo、vn pure self,aln l aware of the presence of an equal,or of an inferior,or of a superior? Iam not.When l stand with another man,who is hilnself,and when l arn truly myself,then l am only aware of a Presence,and of the strange reahty of Otherness.There is lne,and there is α%οサカιγ bιttζ、 That is the first part of the reality.「 Fhere is no comparing or estilnating.There is only this strange recognition of夕rttιηチθチカι夕ηιass,(92)
鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 44巻 第
2号
(1993)甲乙あるい は優劣 の│ヒ較対照がな くな り
,自
己以外 の人間が大文字 の他者 として認識 されれば,確
かに純粋 な個 としての人間か ら出発 した人間集団が成 り立つであろう。だか らこそロレンスは民主 主義の第一 の目的 として"each man shall be spontaneously himself―
each man himself,each
woman herself,withOut any question of equahty or inequanty entering in at an"(93)と , 個 と しての人間の再生 に期待するのである。 さて雛菊 の比喩 を使 ったバーキンの民主主義 の考 えの奥底 にも
,こ
うしたロレンスの思想が流れ 込 んでいるはずである。 この場合 ロレンス は人間が個 としての立場 に目覚 める手段 として,男
女 の 性愛 を考 えているように思われ る。最 も最小で基礎的な人間の結びつ きとしての男女の理想的状態 を考 えることで,彼
は理想的民主主義 を射程 に置いていたのである。 さてアーシュラ とバーキンに劣 らず,グ
ドルー ンの性格 もまた平行 して鮮明 に描かれてい く。ア ーシュラ とグ ドルー ンはク リッチ家 の人工池での水上パーティー に参加す る前に裸で水浴ぴをした り,前
者 は歌い,後
者 は踊 りをした りす る。 ここで は特 に,非
常 に印象的なグ ドルーンの踊 りの様 子や,彼
女が ジェラル ドの牛たちに挑 みかか る様子か ら彼女の性格 について考 えてい こう。グ ドル ーンの性格 はアーシュラのそれ と対比 されるように明示 されている。アーシュラは怪我 をしたジェ ラル ドに"I hate people who hurt themselves,I can″房it."(228)と 言い,他
者 の痛みを感 じざる 得 ない自己の性質 を告 げる。 これ は彼女 に肉体的感受性で も,相
手の立場 になれ る受容的態度が あ ることを示す。グ ドルーンにはそうした他者 を認める鷹用さはない。ただ彼女 は"There was somethingchildhke abOut her,trustful and deferential,like a child"(229)と ヤゝう!首写 とこj已らヤιるようとこ, ヤゝ
かにも子供子供 して本目手 を完全 に信頼す るか
,あ
るいは''strong and unquestioned at the centre of her own universe"(231)と い う状態で宇宙 の中心 に居座 ったように落 ち着 いているアーシュラヘの 羨望 を感 じるかの どち らかであった。そしてロレンスは大変 に微妙 な仕方で書いているのであるが,グ ドルーンには子供のように全面的に相手 を受 け容れる態度 と同時に"she must always demand the other to be aware of her to be in connexion with her"(231)と ヤヽうようとこ, と,りjや りとこ¬0も本目:F に自分 を認 めさせ る執拗 さがあった。 これ はともにグ ドルー ンの自我 の弱 さや他人への依存意識が あった ことを表 しているのである。ただ
,彼
女 には人一倍強いセ クシュア リティがあった。 これが 彼女の踊 るグル クローズ・ ダンス(Dalcroze dance)で 明 らかになって くる。グ ドルー ンのダンスは"as if it were some strange incantation"(231)と あるように
,不
思議な呪 文 にかかったような調子であ り,無
意識 のうちに体 を震わせ る官能的な リズムに乗 っている。ロレ ンス は"as"や"as ir'と いった直喩で彼女 のダンスを表現す る。それ は"as if she were confident of some secret po、 ver in herself,and had to put it to the test''(233)と ヤゝうラ捷現 とこ垢とらオιるようとこ,グ ドルー ンが 自分 自身 の中にある秘密の力 を信頼 し
,そ
の力 を発揮す る場 としてそのダ ンスを捉 え ていることを示 している。 それ以降の表現 を見れば,グ
ドルー ンを突 き動か している言動力が性的 なパ ッションであることは一 目瞭然で理解 され るはずである。"It was evident she had a strange passion tO dance before he sturdy,handsome cattle."(233)と あるように,畜
牛 との交感関係 は 彼女の性的な ドライプの現れであろう。 また,彼
女の踊 り方の描写 は文体 と踊 りの リズムが一致 し ている。分詞構文 の重ね合わせ はグ ドルー ンの動 きを追 うように進 んでいる。引潮の隠喩で語 られ るパ ッションの流れ は,
もちろん性的感情 の流れである。 また流れや液体 は女性性 のメタファーで あるとも言われてい る(Siegel 164 84)。 牛 たちはスコッ トラン ド産 の雄牛 なのであるが,グ ドルー ン との接触 を恐がっている。 とすれば,グ
ドルー ンは男性的力への支配力 を揮 っていることになるの で はあるまいか。雄牛 たちの怯む様子 はこのようである。門田 守 :額廃の河 と再生への道
….they ceased pa、ving the ground,and gave way,snortilag with terror,lifting their heads from the ground and fhnging themselves away,ganoping off into the evening,becoming tiny in the distance,and still not stopping.(235)
雄牛 たちは完全 にグ ドルー ンに手懐 けられている。"he long―horned bullockぎ '(235)な どは
,わ
ざ とロレンスはファロス との暗示′性を引っか けて描 いているのは明瞭である。 これ もグ ドルーンの一 番強い性格が男性 を支配す る,肉
体的・ 性的力であることを示 していると思われ るのである。グ ドルー ンとジェラル ドとの愛情関係 には
,ど
んな特徴があるのであろうか。特 に放牧 された牛 たちをめ ぐる彼 らの関係 は何 を表わ してい るのであろうか。 とりわ けグ ドルー ンの側か らの彼への 働 きかけにはどんな意味があるのであろうか。グドルーンが牛に関して言 う"'Turn where?Turn awayP'"(236)や "'Turn against vι P"'(236)といった言葉 は
,彼
女の男性 に対す る支配力への自信 のほどを 暗示 している。 この場合 は牛への自信 はジェラル ドを支配す る自信へ と繋が るはずである。 そしてあまつさえグ ドルー ンはジェラル ドに牛 を一頭 くれ と言 う。 この申 し出にジェラル ドは一 頭,後
で送 り届 けさせ ようとしか答 えない。 この牛 の要求 は単 に牛 だけを くれ とい う申 し出で はな いであろう。 それ はグ ドルー ンか らのジェラル ドの男性的セ クシュア リテ ィヘの挑戦状であろう。 彼女 はジェラル ドのセ クシュア リテ ィをよこせ と言ってい るのである。グ ドルー ンはジェラル ドの 返答 の真意 を推 し量 りなが ら,不
思議 そうな目付 きで彼 を見ている。 また,グ
ドルーンは畜牛 な ど は恐 くない と堂々 と言 う。 そして彼女 は手 の甲で軽 く,し
か し真剣 な目付 きでジェラル ドをいきな り殴 る。 そして彼女 は自分 の内面 に抑 えきれない,ジ
ェラル ドに暴力 を揮 って彼 をめちゃ くちゃに してや りたい とい う欲望が沸 き上がって くるのを感 じる。直 に思い当たるのは,こ
のグ ドルーンの パ ッシ ョンとハーマイオニがバーキンに抱 いた殺意 は似 ているので はないか とい うことである。た だハーマイオニが 自分 の貴族性やエゴイステ ィックな性格か らバーキンを思わず殺 そうとしたのに 対 して,グ
ドルー ンは性的な ドライブに駆 られてジェラル ドに攻撃 を加 えて しまったのであろう。 その攻撃が性的アナロジー をもつ ことは,ジ
ェラル ドの反応で確かめ られ ると思 う。 ジェラル ドは 肺 に力が浜 り,抑
え難 い情緒が 自分 を押 し流 しているのを感 じる。 もちろん これ はグ ドルー ンヘの 復讐の願望であり,それが性的支配力に対する闘争本能であることは明かであろう。セイガーは"Gudrun
and Gerald strain for knowledge of each other,and,hence,power over each other." (93)と 言 い,知
識 としてのお互いの探 り合いに注 目しているが,
この場で は性的支配 の闘争 に絞 って考 える べ きであろう。 グ ドルー ンは"It's you who make me behave hkethis,you know"(237)と 言 って,彼か ら愛情 をむ しり取 ろうとす る。ハーマイオニ もグ ドルーンもどち らも男性へ と攻撃 を加 えて, 支配 しようとす る母性 の働 きを示 してい ると思われ るのである。彼 らは支配す る母性 に捕 らわれた 女性たちなのである。 ただ し
,運
悪 くジェラル ドも実 は支配す る男性 なのである。彼 は性的なパ ッシ ョンとい うよりも 権力欲 に憑かれた男性 なのである。彼 は自分が父親か ら受 け継いだ炭坑 の労働者か ら自分 の飼 う家 畜や小動物 に至 るまで,す
べての近隣の ものを支配 しておかない と満足で きない人間である。ジェ ラル ドは近代が生 んだ資本家 の支配欲 をもった男性 なのである。バ ーンズがジェラル ドを評 して"He
would become God hilnself,creating his o、 vn nature and the natures of the men、 vho work forhim"(99)と
い うのは蓋 し至言である。まとめると
,ア
ー シュラ とバーキンの関係 はまず はそれぞれが個人 として自立す ることを前提 と する。 そ して彼 らは決 してお互 いに通俗的 に一身同体化 した夫婦 としてで はな く,常
に距離 を保 つ てお互いを高 め合 う関係 にある。 それに対 してグ ドルー ンとジェラル ドは心理的な原因 は違 うにし鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第44巻 第
2号
(1993) て も,互
いに支配 しようと格闘 し,彼
らの関係 に相応 しい悲惨 な最後 を遂 げるのである。 III 「水上パーテ ィ」("Water_party")で のグ ドルー ンとジェラル ドとの愛の関係 の特徴 はどうであ ろ うか。 ここで はグ ドルー ンがボー トを漕いで,ジ
エラル ドがそのボー トに乗 つていることになって いる。 これ は象徴的に どんな意味 を表 しているのであろうか。特 にグ ドルー ンのジェラル ドヘの愛 の態度 はどうであろうか。 また彼女が 自我 を喪失 してジェラル ドに夢中になるの は,姉
のアーシュ ラ とバーキンの関係 の発展 と比較 して どうい う視座 を提供 しているのであろうか。 ここで はずつ と ジェラル ドが グ ドルー ンに夢中になっている状態である。彼 の自は夢中になって彼女 を見つめてい る。ジェラル ドは"'I'm not angry with you.I'm in love with you.'"(237)と,グ
ドルー ンに愛 を告 白す る。 ジェラル ドは自分 の自我 を放棄 して しまうことや,失
うことに感づいている。グ ドルー ン はそれが面 白 くて,嘲
るように,そ
してわざ と彼 を傷つけるように笑 う。 グ ドルー ンはどんどん と 関係 を迫 って くるジェラル ドを制 している。 ここでのグ ドルー ン とジェラル ドの愛の力関係 は,明
らか にグ ドルー ンが上である。 グ ドルー ンもジェラル ドも両方が相手 を支配 してしまお うと力 を及ば し合 うのであるが,そ
れ は パ ラ ドキシカルな関係 を発生 させている。つ まり相手 を手 に入れ ようとす ることは,実
は自分 を支 配的な地位 に置 く,す
なわち自分の自我 の純粋性や至高性 を高めることにはな らないのである。 グ ドルー ンもジェラル ドも互 いに相手 を取 ろうとして,そ
の度 に自分 の自我 を喪失 し,無
意識的状態 に陥つてい くと言わざるを得ない。 ち ょうどそのように,ジ
ェラル ドは精神 を失 った赤ん坊のようになって,盲
目的にグ ドルー ンに 付 き従 っている。彼 はただの"a striding,mindless body"(238)に 過 ぎないのである。 この後 に彼 が 自分が事故で殺 した弟 の ことを思い出す ことは,彼
が罪 を犯 した トラウマに付 きまとわれてい る ことを表わ している。聖書 の「創世記」("Genesis")に おけるアベルlAbel)殺しのカイン(Cain)の逸話 が下敷 になっているの は明瞭である。 この点 は『恋す る女たち』のアポカ リプテ ィックな要素 に注 目している批評家 によって既 に指摘 されてい る(Kermode 70&Oates 227)。 しか しここで は,こ
れ は何 よ りも幼児性への復帰 として解釈 され るべ きであろう。矛盾す るようであるが,ジ
ェラル ドは グ ドルー ンを捕 まえようとしてか えつて自己 を失 ってい るのである。 バーキンがアフロディーテ的性愛 を否定す る部分 を経 て,彼
のペ シ ミスティックな破滅 のサイ ク ル論が続 く。 ジェラル ドとグ ドルー ンはカヌーに乗 り,バ
ーキンとアーシュラは大 きなボー トに乗 船す る。 ランタンの彩色 された灯 にグ ドルー ンは夢中になって はしゃ ぐ。暗い闇夜 の中で彼 ら登場 人物 たちの本 当の人間性が照 らし出されてい く。 どうや らグ ドルー ンの幼児性 も隠せない事実 のよ うに思われ る。 このグ ドルー ンが ジェラル ドを乗せてカヌーを漕いで進 んで行 くことは,彼
女が この恋愛のイエ シアティヴを取 っていることを表わ しているのであろう。 ここで密か にグ ドルー ンが力でジェラル ドを負か してい ることに満足感 を覚 えていることに注 目すべ きであろう。 この辺 りの表現 は微妙 に 彼 らの力関係 を表 してい る。By her tone he could tell she、 vanted to have hirn in the boat to herself,and that she was subtly gratified that she should have power over theri both.He gave hilnself,in a strange,