﹁アメサカに於ける文蓼ほ三宮飴年の歴史を持つが、・アメリカ文革が開花したのはつい昨日のことである﹂と
或る批評家が言ったが、囁鷺アメリカ文興が世界文痙ゐ中に確乎たる地方を占める校になつたのは、今世親に入
ってからで・ある。即をアメリカ文革は、最初に英図の植民地文撃として出牽したのであるが、義時の文革は全く
イギリス文畢の模倣であり、未だ固有の文撃を持つには至ら寧ぢ宅J叉撃史家把よれば、櫓属地時代の約宵五十年間は歴史鰐乃至日記魔の記録文革針有したに過ぎなかった。
斯くの如くアメリカ文準峠、他の国々の文畢に比較すると賛成新しい羞い文単であり、神話もなけれぼ民間の
億承文革もない。申せ紀的封避的政倉の影響也なく、全く近代的軋禽の中に蟄生し生長した文拳でーある。、アメリ
カ文革の考察に於て、我々は特にこの鮎に注目しなければならない。
アメリカ文革の苗床は三、−・イングランドである。アメリカ史によれぼーアメリカへの最始の移民は﹂六二 〇年有名なビルダリム1・ファーザーズ二打わプリマス上陸によつて開始された。尤もこれより先完〇七年に、嬢部グーヂ言州のジェイムスタウンに移民が上陸してゐるが、我々の常滑の主題に′大きな影轡怒もつものはプ
リマス上陸の北部移民である。これ等の移民の開拓し定住しき三−・イングランドは、アメリカ文化権群の地
やあり、挙ストンは常時の文化の中心地であり叉変革活動の中将でもあつた。
丞境闘お精神とアメリカ文塾 ブランチア●スピリット遊境開拓精神とアメリカ文革
村 尾 穂 積
ニ〓第二十山容 廃二鱒
/三二
常時の三こイングランドむ絶食は、所謂神政貴族祀禽で一あつた。その祀禽の大部分はピューリタンであゎ、
彼等は紳の固を地壮に蜜現せんとする熱情と塵想とをいだいてー新大犠に渡航してきたのであつた。彼等のいだ
げる所謂ピ芯−リクエズムの粘紳は、後説する、フランチア・スビバリツトと共に、アメリカ精紳形成め二大要素 せ率り、従ってアメリカ文墜に輿へた影攣抹殆んどはが−り知ることが断水なれ経である。アメサカに於ける消教 結締︵ピ.子▲リク芸ム︶は、前述せし如く、プリマス野上塵せるビリグリム・ファザーズの精仲に基くもので ぁるが、元死ビューワク︶妄ムは、彼の有名なウイクリフヰテンダル等の︷一布教革新道劫の精柵を訳けて、英園に於て後屈してきたものである。その、王張する厨は人間の愚と、夷の撃冨の問に如何なる人間的行動の介在をも
辞さす、人は撃瞥を研究すること・によつて、直接洒志紀接することが出発ると、蚕張した。従つて王や法まや伶偶
にほ何等匂構成を認す、聖者こそ唯二芙の棟戚で・めり、各人は翌蕃新研究する椎刹を有し、琴寧を通じてのみ
人々は紳ノに近づくこ上が出来ると考へた′。
ピテ▲リク芸ムは所謂新教の二状であるが、英国に於てはへンリ−八世の時代に、常時横暴を極め、たローマ 改革の捏つてゐ空不敬上甲支配を脱して国立教昏▼掌紋宜し、図式自ら宗教上の軍配鱒を起るに空つた。かくLて 観王ほ敦愈の草書なり、▲致命は轡接に園家に結びつ重囲家n統制をうける克ととなり、団居はひとしく圃敬・数 倍する︳を現誉れ篭英団歯数は、ピチーサタニズムと共に新教正ぞくするもので雪が、その本質は非常ヵトリック的な研が多い。讐に階級制寧虻有し、叉その儀式はピ子
ヵトリック的な聾発狂成さを持つてゐる。即ち英樹国教は、外見上はローマ倍数より昭光しぬ如くに見えるが、
をの教義の本署に於ては甚だカトリック的色彩が強く、ヘンリー八世及び土リザべス女王の宗教改革は虞の宗教
的構熱よ・り行はれた改革でなく、低俗的国威的動機より行はれた改革に過ぎなかった。従らてピ子十甘ダニズムの
議場、この改革忙はあき食らず英国教魯円のカ1r再リツク的確棒む清算甘んことを求め、ローマ替歌に反抗する と共に、∴悟仰の自由牢ま張L宝典歯数愈に入谷ことむ拓香し、国王の宗教的軍制に反抗L駕 英囲に於けるセ;リクンはかくして藤代の図王の追啓をうげ、メアリ女王の時に速にその大多数は難を避け
て海外昨晩発し覇商に適地←た。そこでかの有名なカルビンの診窃をうけ、彼等の信奉せるピ︻㌻ツタ芸ムは
この拍車的内界¢於て、甚しくカルービ芸ムに接近した。アメリカに渡航し雷ルグリム。ファーザーズの信仰
せるピ‡リクー妄ムは∵このカルビ妄ムの洗椙をうけたものであ・ク、我這カルビニノズムの根本原讐棍本
特質を明らかぬすること誓つて、アメ呈・ピ︰リク芸ムの本質を理解することが出頭るのである。叉こ
れによウて常時の三−・イングランド赦■曾の人々の宗教観。倫理観或は叉政治鶴む知ることが出来るのである。ヵルヴイ芸ムの最も著しき特質鳩其の濠定説で参る。そしてその中には原罪流下定罰誼・層鐸盆が含まれて
ゐる。即カルビンに依ると、凡ゆる人間の遮命は凡る行動と共佐一宇宿創躊の紳から預め定められて\ゐる。さうして人間は始組アダム、イヴが東新抄潜悪の果を食って以巧生れながらにして原罪望もの新藤つて必ず罰せ
られるの芸る。唯紳が慧芸申窟干義持Lて救覧真ので警て、造持されない者濾如何に努力サる
も、如何に功菜む疎む上も未黎永劫救榛れる途はないと説く。
即彼に吾ては、人間鱒意志の自由雷雲−人間盗めて邪惑驚ので雷、人間が救はれる?鱒その善行 によらず全く紳の恩寵によるとし、人間は紳の菓光のためにのみこの慨砿生活Lてゐるのであると考へる。それ 故人庚は日常生活に於ては常に自己Q魂を合帰し、野れたる罪む見出しては醸悔によつ七それむ囁けんとする染 慾的な生宿怨寧教守るぺととなる。か∼る態度は文勢の立場より考へる時、決してその成長を助けるものではなかつた。カルビンに於ては沖株式の沖椿能の紳であり、愛よりも率が想いのであるから信者は紳の彗心をこの世
速墳銅拓粁紳とアメリカ文現
︼≡ニ
第二十山容 第〓批
三四
に行ふこキ即奉仕に依って敦ひの紳陸封する義務を果さなくてはならぬ。それ故忙家琴怒はげみ、敢倉を摘め
+ 商家を向上せLめなてではならぬ。さうして袖によつて敵はれ電着のあかしを立てぬばならぬ。それ故彼等は労働を貴び労働を紳要絶し、文革とか蒸術の如きものを拶成する傾向があつた。常時のピューリタンの書物に対す
る態度、、ひいては史単に封す孟崖は、代表的な清教徒とも云ふべきコトン・マザ!の﹁すべて寝取む讃む忙際しては時折通常に謹む手を休めて、それぞれの車件に発光の仰の御辛がいか忙働小七ゐるかを考へよ﹂と云ふ含
豪忙よつてもうかがひ知ることが出来る。彼等にとつては、文革とか塾術の如き審美的な方面は全然問題ではな
く、ひたすら紳の発光の窄めノに労働にはげみ、漢慾生活によつて身を潔白に保ち樽髄の蕗のいかりに.ふれざる機につとめた。
従つて常時のアメリカには、哉乍の考へる様な文革は固より望むべくもなく一躍かに宗敦的文革・歴兜明記
線・日記及び若†の詩が見られるぼノかりである。前記のコトン・マザーの﹁三−・イングラ/ド救命空及び ﹁見えゼ為せ界の不思議﹂等は普代の代表的著作であり、叉ウイルズワ−スのJ﹁審判の且と題する予八百行の 長詩は、常時の所謂ベストセラーであり、これむ見ても常代のアメリカ文挙が如何把資弱で1ぁっ準か︵む知ることが招承る。
アメリカに於けるピa−リクエズムは、上施せし如く望嘗を唯−の信仰の憤準とし、蛍雪の敬硬は囁性にょつ て設明せらるべしと考へ人間の埋智む重んじた。従って∵三−●イングランドのピューリタン達は、哩智む磨くこ主を非常に重大成し、この馬に教育に封しては特に熱心であり、タメリカ厳科の人撃ハブヴアード大挙は、
奴等の上陸後僅か十六年たして建設された。昔ギリシャのス。ハルクの母は或が予に向つて↓勝って相む持つて腐
れ、廃らざれぼ托して媚に釆つて垢れ﹂㌧きとしたが、ビアサタゾの泣は我が子に﹁紳が汝を立派なキリスト
政信者と卑状琴攣琴としたまふ・ならば、粒はその他に汝に要めることはない﹂と訓ぺ論じたさうである。これを
見ても彼等が如河佐理智墨責したかが分る。かくの如きどて甘㌢ズムの、建智尊慮の傾向は、彗教育を複
層普及せしめ∵今日のアメリカ故育の瞳盛をもたらし又その文化の産地の進歩を招来したのである。
、 ピ7ガク芸ムの嘩本好適空つで\ある上記裸足魂の中に倉皇れてゐる臨人的・虚位的。滑越的傾向は、他 日時代の推移と共に楽天的姦廠的ヱ現世的廠向に凌属し、ヤ妄−ズムと共苧メリカ琴芸壷の磯達佐貫虚 したのであるが、これ妹ピ笹−リクー妄ムそのものの中に内包されてゐた理智尊重の精榊の雷魚の結果であつ た。ピ竿リク芸ム・悉く丁ざ′ての内包せる異分子によつて∵内部的に変化を飴議なくさ一れ、又外的忙はこ仙−小 から述べんとする所謂フラ妄ア、・スゼリツトに依って雷大なる影響む受打ること1なる等ある。聾者はこの 小論芸蹄賢於てアメ芸纏綿形成の二大撃警してピチーリクよズム及びフランチア・スピ=リツ妄あげた 尊 が、て1にアメリカ史に於けるフラ妄ア及びその緬沖について言Lたいと思ふ。抑、ブランチ丁と冨ふ英語は、掛図に警は周と図との境界線と云ふ意味で賢が、アメリカに於ては令書
詠も人品つ空とのない人跡未躇の志、未開拓の蓮境を指し芸ふので慧。塵昇れば、開拓地と未開拓
地との接脇線、即文明配合と野蟹慧⋮の接胸塊茎ふのであ牒。このフランチアは固定的改ものではなく、開
拓の進むにつれて票す移動し褒劫する盈で・芝。ナメリカ一の旛兜は蓮墳の歴史であると云はれる程で雪
が、遵機地の有する歴史的賽或は歴史家ターナによつて最初躍指摘芦れた夙であるロ筆者はこ1警ラ妄ア及びそこに警養成克た精神、即フランチア・スビリてのアメ差違品へ允る影切直ついて考察して見
たい。
欧州より移扁してき窟蓮は其の風怨もー凡俗も、習慣も、凡てヨローツパ風で至芸、彼等疫テメリ
遽境観拓楷柑とアメリカ文撃
ニ壷
環、 ⊥二“六 第二十叫笹 第二既 の大自然を開拓して西進するにつれて、彼等が故初に征服した自戯が反封に彼等を征服したので一める。彼等はそ の生活に於てそQ慮恕に於て、重くヨーロッパ的なも切より脱出し、そこに展にアメリカ的なものが生れたので′ ある。ターナーは其の孝青の申に於て次の如く育つてゐるっ 東野は相良者を支配する。梧雷蕗の彼は、衣服も年産紫も機械語具も雄行法も思想もみんな欧州風であつ た。然るに荒野は彼を汽串から下ろして樺裂の瞳舟に乗らしめる。それから彼に文明の衣を炊がしめ、猛衣を意 アメリカ、土人の革靴をはかしめるうチェロキーやイロコイスのやうなアメリカ土人等の丸太小屋に住まはせ、防 染用に身蓮にアメリカ土人の作る祓な柵む過らLめる。やがて彼ば玉萄黍を植え、究の尖つた棒で耕作する様に なるっ ー要するに境適地に於ては環境が最初には人に埠過ぎるが、彼は其の環境が櫨併する健件む甘受しなく 壱はならない。さも頂けれぼ亡びなく も歩力のである。さうして少L宛徐々忙鷲野を閲指して行く。けれども其の結果は古い欧州ではないー1こ1忙 はアメリ頂猫特・の新しい物が生ずるので・鱒る。ノ・・−此1Lの祓にして、蓮囁地の蟄居はー欧州の影響を確賛に給する こと1な㌻、アメリカ猪時の猫立が確貸檻蟄展すること藍息嫁する。そこでこ.の磯展や此等の事情の下に磯屈し た人々やそれから坐する政治的・経済的・鉦倉的結果を研究することは∵やがて我々の歴死の琵にアメリガ的な 部分を研究すること1なるのである﹂ かくの如く、蓮境地ヱそほアメリカむしてヨーdツ。ハ文化より脱皮せしめて、アメリカ固有の女化を生み出さ しめ﹂且つそれむ生長魔窟せしめた温床となつた。ピルグリム・ファーザーズ﹁行が始めて新大塵にヒ怪した将 には、アメリカ全土がウランチアであつた。破等は大乱然の猛威や、兇悪な土人と我ひながら、開拓の歩を壌め て行つた。それは誠に筆偏につくしがた督常雄の隼瀞であつた震ゝる墟境の開拓のうち忙還しい壇境魂が養は.机
巧い ヨーロッパ諸固よりわアメリカ大陸へめ移民は、ビルダリム・ファーザーズゐ渡船以来、年と共に増加の山路
を追ってれつ流。これ等の移民漁夫々宗教的及び経済的自由を求めて新大睦に移催したのであつた.。アメリカの 廣大恩る土地はヨー;パの農民にとつては大きな魅力であつた。フ苗メソチアの開拓には多くの労働力を必要とするのでこれ等の移民ほ歓迎され、ロントンには移監最まで設立されて大規模の移民が行はれた。アメザカ匿
於ける蓮琴地は、彼等によつて着火と開拓ざれ十七世紀の経りには大鰐アサゲニー山脈に至るまで開拓繰は移動
レた¢欝の買貨日は田畑と廻す、塞村揉町と化トた。・自警富掘嫁次やと饅克蔓れ盛業について商嘉が
興隆するに至り、奴等の潜斯以上の物質的経済的成巧は破等をして欒犬的人せ観をいだかしめる故になつた。而
してこれまで支配的な勢力む持つてゐ写三−・イングランドのピチー少ク∴妄ムは、遼堵が西進するにつれてその権威を失ふに至つた。
控境に於ては凡ての人が平等であり、・目由である。人は過去の侍銃や特権を拾てゝ全くの原始時代に躍る。而
も連境の閲拓に株只管個人の力、個人の努力に頼ら苧ては雪空ので、英磨に旨ら佃人の尊長、偶人の覇
寵、偶人宮山著する等雪。アラ妄ナ・ス、ピリツトはか1る夙に生れるので雪。それ淀断・露・ 猥立・適應性.由人、烹儀及び楽界主義等むその特質とL七持つのである。 琵の賢哲ランチア・スピリット・姦穿とLて西へ西へと慧で行くので掌が、英国望′は移民の酉漸若姦呈ろこぼす、妄ハ毒には望晋晶してアリゲー→山原酉遠出すること姦止した。これ 怯西部避境地カを未由拓の要義し、芙意富農つて莫大な利益む得んとし、叉楷属地が学田警拭
大すること巌つて、堅の威令の及ばざらん曹恐れた1めで雪駕併しほうはぃ尭る酉漸電動の気運は、透境開拓糖押とアメリカ文攣
≡七
たのセある。第二÷﹂弁一麗二睨 ・1 lニ入 山片の法令?よく阻止する研では寧かった。彼等移民はアリゲニー山脈の西方︰根方佐擢はる無限の沃野を目指し て奔流の如く押寄せたのであつた。 彼等がプリグーγ山脈を越へ七所謂西部地方に進出した寄は、アメリカに於ては辰野削重大性を持つqであ る。即ちγメリカ大陸はアリゲ声−山脈を境界として、穐然と二つの地方に分たれたので奪篭大西洋岸よりア 牒ゲラ1しに至る﹁東部﹂と、アワゲ七−よりロッキー山脈担至る﹁酉部﹂とほ蕾世界に射する新世界のそれの如 く、、互に封黒的な存在であつた。東部耐合はご首乾して云ふと、英国勘な敢愈であつた。政治上宗教上の制度、 風俗、暫恨、言語凡て共闘風であつた。軋愈の支配階級は大地主、豪商及び教倉の長老等にしで、放して今白謂 ふ朗Ⅶ軍王的なものでなく、嚢鮫肌非民主的敢昏甘串つた。之貯反して西部の社食は白山と中等との支甜彦屈 単的な離合であつた。アメサ\カの琴にアメリカ的な地方は、正に西部地方であつたので聖書我々はこ1に於て エマスンの有名な言覿む想記するのである。即ち﹁欺洲はアリゲニ山脈陀藍で拭がってゐる。アメリカは其の山 脈の狐方にある﹂と。 抑・竣﹁酉勧﹂怒る富好漁、時代と共にその澄妹を婁℃た。植民地時代の初斯に於ては西部はア踪卜丁山脈の 発狂に滑ふ疫境地皇居味した。然るに後にはアリグー丁以酉の地堂塔粧すること1なつた。即ち西部紘蓮境の阻 打と共にたへす繭転移勤す告つの地方であり㍉二つの酢愈で敬つた。故に洩境の附菰の行はれる問捺常に哲郎 埋方打在村したの、であるくとの甲執地語於ては屈衆化の強く行げれる地方で一め.り、アメリカのデモクラシーは 帝都に生れ、彼ってアメリカ狗帯の文化を生み糾し挺地方で参る。連環は西部を生み西部は東部に反放して、遂 に7メッカ金融愈をして擾境の艮、訂町感化力の下虹☆允しめたと云ふ罫暫は、アメリカ兜止別冒すべき轟柄であ る。
アメリカの固有隼ざ化が西部匿生れた如く、7メ針力狐軸の新しい文畢も亦西部に生れた。蹄鉄地肺代のアメ
リカ姦はイギリス蛋の蒜で管、模倣で雪琴厳密芸ふ新字〆少量警敬語、警戦寧︵﹂七
七墓レに去てイギリスの支配姦した賢警る等ある。併し政治的警は必L息想的警姦嫁する
ものノではな㌔警後鼠てもアメリカ喧思想的にはイギリスの相思的存馨雪た。彼等は依然としてイギ
具詰を慧し、儲苧る監警⋮ブル⋮ンフレックス還入つてゐた。十九倣紀に入り闊家が安定し房
乳は塾達し、貿易は軽質るにつれてブメ其の臨返は随感を見るに重言、文撃に於てもブライアント、クl .ハー、了ゲイングの如き警誉作挙義損し、彼等についで音マースシ、⋮ダフエ;、ホーソンの如き桑人、詩人を生八宗、飯琴の作物は依然楷民地文警域を撃ることは机釆なかつた。彼等写ち最ダメリ
ヵ軋と云は覧7−ヴイングやクーパア服しても・肖薗の人事風物宜拓中豊く取入れ、賃であつて、その精神是て誓ギ三文法影響多分琶け、彼等とイギリス作警の問に猛然誉蓋︵盗められないのであ
るむ
ニースンは十九世紀の大恩恕毅の町人である小紋は警笛令のアリメカ主義を説き、その著﹁アメリカの学
徒﹂はアメサカの知的私立宣言書と科せられるのであるが、彼の趣弊政向及びその寒軍用語軋、アメ少カのオー
ライ考と呼ばれる梓イ雷ス警あ・つた。かく宗くナメリカ拭猫立哉寧誓つて警困家とは至たもの1政望の分蝕造ち覧化の分散をもたらす担ほ至ら奈つた。アメリカの妥撃者にとつて政高の柴啓は、イギ
サスに於て翫藤茅偽することで雪た。丁度占シドンが⋮−ヨークの財祭文配し誓うに、イギリスの批評 壇払アメ芸蔓壇を指導し、アメリカの文単著はイギリス、に於て認められなけ身1竺流の女学者には成り得ないと云ふ欝怖であつた。
遼境鍋拓楷紺とアメリカ文鎮 三九第二十仙懸 軍一枚 四〇 かゝるイギリス琴化の受配に反祝し、新しい礪白のアメリカ文革を創治せんとする在勤は、新聞雑誌によつて 礪混載事後た∼ず唱へられ篭二宣八六年にドワイト師は﹁イギリス丈準に描かれた生活は、アメリカの現寮生 清とは甚だしく異るが故に、今日の7メリか文嬰者は須ちく限を総じてインスビレーションを自闘に求むべ督で ぁる﹂と呼んだ。か1る気運の申に﹁西部﹂に於て近しいフランチア。スピリットの洗薦をうけ空群の文革者 −−ヽ が硯はれた。即マーク・トウ言ン、ホイツトマーツを中心とする所謂西部文勢者のグループである。彼等の出現 把よ、つてアメリカ文学は玄に新しいスタートを切つたので一める。 ホイツトマンは詩に於て、マーク∴トウ土イシは散文に於七曜のアメリカ闘周文革を創造したのである。ホイ ットマンは西部のフランチア・スピリットむ晋ひ表はした最初の討人である。 彼はく咄八五五年に草の棄︵Ⅰわ彗計∽▲乾G蒜SS︶と云ふ詩集を始めて附したが、その中の﹁発駐者オウ先駆警 ︵PiO︸莞詔①Pi。n籍且なる詩に於て彼は避境精神を次の如く歌?てゐるム 先駆者−・オウ 先鎚著 \ さあ、わが日に焼けた頚α子供等よ 僻々について辣い、.武器を用意して、 ビスト′ルを持つてゐるか、 鋭い双の斧む持つ七ゐるか︺ 先駆者−・オウ 先駆者! 吾カは此鹿にぐづノ1してはゐられない、 昏々は進まなくてはならない、吾が象兇共よー \
この詣はホイツトマンが、遼境精仲里つの詩形に表現したのでーあるが、彼の用ひたこの詩形絃所謂白雨話形と
た呼ばれるものであつて、既にミルトンやドライヂンの嘩代に使用されてゐたのであるが、この形式のもつ特長的
な効典を週憾なく作品の中に草加したのはホイツトマンを以てこう矢とする。この詩形は薇釆の作詩法監祓し
連環開拓楷抑とアメリカ文革 吾々、若い屈甥な着共、 常々は危険の衝に由らなくてはからない。 他の者はみんな吾々佐藤るのだ、 先駆者! オウ 栗貼者! 倣界中の胱といふ脱が落ち合つて、 吾々の雷に鼓動する。 西の方へと動きながら、 貫猫でか或は合勤してか着々と前に進む、 みんな吾々のために 究駆寄−・オウ 先駐者! 鴫呼、西部の娘達よ! 喝呼、妹娘又は姉娘よ、母よ、婁よ! 離れ′川\とならないで 吾々もー緒に進敦なくて欄ならない。 先駆者! オウ 先駆者! 四二 ∵瑠璃瀾触感の昌由詣で透って、鋭はこの詩形を.馳優して、或ほ自我をう東ひ、或は晃臥の叫教皇商唱L、或は白山中等 を誤失したもので、内容軋にも形式的にも凡ゆる束縛からぬけ机した新Lい境地をqらき、詩敬の単年軌な布衣 となつた。だ・から彼の討には倭経典監の美と云ふ転なものはないけれども、営利とL兜生命力に
な菊打みち眞憲の太陽のやうな挿入たる感弘をあたへるものである。
ホイツ⊥Yンがことさらに謝しい話形畝凡ひたの軒別に新奇なものを迫ひ求準慧た在来の韻律訟をむやみに 破る外軋な欲求にもとづくものではなくて、彼あ心Q申に挽き起る討柑触を出凍るだけ自然望:にー揖釆るだ抄 動兼軋軋薮蚊Lようとサー′打狛な欲求によるものであ・る。即扱の張烈な佃性から生する桁数洋、在米の覇をふん ガ缶鮨では表現しきれなくなゎ、痴々芳心の結界赦翫自のリズムと行と虻もつ允討形−即∵訴想の流動につれ層て情緒の高低成魚に臆じて律動と節奏とが攣宜して石く﹂皆由話形即・㌧内在符を用ひたのである。
併し彼の許ね軋代の人誌には理解されなかつた。彼の最初の詩集﹁苺の敷﹂が出版された晦、駄許はすこぶ亭
悪く・、鰍筋され叉罵倒された。彼の討は尭だ短小散文の行をかへて羅列したもので、詣でもなんでもなぃと許し
叉兎挙敏は教養も品性もない泥くさい蟄人で、蒜酌套宗苦けす、儲観ち律格を無観Lた奇妙孜諾恕作って世人の意表にいで、筏薄な斬らしがり屋の喝采を将トたものであると誹話したむところが嘉では級の露を熱愛し
ーシ′
太陽の如く欽仰訟失する人言なかなか多い。併し・この枚な畜香が尉官はホイツ→マンの如きつよい相性と濁自
な傾向と色彩をもつた詩人に笹菊膠なところである。
次にマhク・トR−ン︵Ma昇宕a阜︶について二宮するに、後芝生はフランチア・スピγツトが十九世紀後年に・なつて、如何鱒変化するに至つ潅か左京す好小雀例である。マーク・ト漁−ンと云ふの碇賢は筆名であつ
て、彼の本名ほSamue−LC−爵en00と云ふのである。彼の筆名は、彼が青年時代にミシシッピー河で旅先案 ﹂鮫幣描いけ 軍〓十一握一節二吸 .を′.を. 四〓 い嘩=鮮麗㍊
内をしてゐた時叱水夫が火の探さを盗る際に孟1t訂巨a謎TwaiロJ︶ ︵概によると二尋︶と云つたの.を恩出し てつけだのである。 徽の事についてのべる前にその時代軒叫べつして見たい。∵彼の生れたのは仙八王五年であつて、我固に於ては 稲澤論嘉あ隼れた年である。そして彼の死んだの竺丸山○年である。彼の粁代はアメリカ史上に品斯を劃す ゑ杓色のある醇代であつ舟。史家ぼ此の時代を﹁金ピカ時代﹂ ′1訂Giぎd フランチアほ眈に太平洋の扱‖狼の抑寄せるカルフォルー;州まで延びてゐて、特に仙八囲八年に金鉱が瞥見され て以外、。ツキー山脈を越え七、雪崩の較に如薮の人々が抑琴七篭常時のアメリカメ払宛かも物につ要れた如 く、仙かく千金の夢をいだレて西部の造境へ金鉱を求めてさまよひ出で允のでぁった。黄金が凡ての倍伍の軽率 であり﹁昏致﹂、主芸事はアメリカ人に取っては葦なる物騒的朗有以上の或物を意味し、思影蓄臥することが人 間の締盟なる鼓努とさへ考へられた。財産を有すること鱒即ち勤勉と先月の明ある許掠であhソ、これを有せざる 笥紘怠惰不歓の致す断であり、猥衡的な此の叶に於て撃と不敏とが同㌫酬を受けるなど云ふ軒は挙り得べから ざることであると考へたしアメリカほ此の瞳代に於て、敵軍取扱の■町什より産琴化の時代を経て梯桓時代に進ん だのである。アメリカ人ほ上は大統餞より下は山介の田夫野人に至るまで、凡てがビジネスマンたるを以て種々 とし、園を鼻げて他人の稚利増進と天然資源の降密に専心Lたのであつた。 この粁代粕赫薮代表する±人の人を我々はこ1に思.ひ出すのであるる。仙人はグラント将軍であり他の十人ほ ジュー.クックである。グラント脾軍は今云ふまでも篭く南北戦争に於ける北軍の司令官である。この戦寧は奴裁 靡止が中心となり、それにからまる経済問題から鱒つた内乱であるが、この敬に於て北恥が勝利を占めグラント 将軍は非常な尊敬とすぼらLい人竪薪こ身匿警ノめた。彼は璽蒜く粒力紆輪転して戦略にたけ、よく北軍をL 逆境開拓楷紳とアメリカ文鎮望ニ
第二十山雀 竃二牧 田四 て勝利匠導いたのであるが、彼は元来正二介の野人であり、軍人とLてはすぐれてゐ潅が、政治家としては重く 繁人であつた。グラントはリンカンの死後四年にして大統領に選ぼれ、その任期を一回続けた後三度目の倹祁笹 なつたが、これは失敗は経つたヰ彼の大統領たイし八年間披、ウメリカ兜ムに於て最も雷大な推挽斯に梵m心て ゐた。アメリカ拭奔鴇の如く資本皇或的察蔑への道をまつしぐらに焚き進んだ。特に北西部の跨進は、南私のそ れとほ重く封楷的なものであつた。劇八六二年の﹁家産法﹂︵HOmeS富d∧Act︶に依つて、無倍で土地が酎課さ れること1なり、太平洋横断鋳造の建設と柵供って.彪木なる斡外移民む招くこと∼なつた。厳に次々に梨見さ れる鉱山の魅力が之に拇㌧㌣吐かけた。人口甲西漸は、囲内閲故に伴ふ工場目標をも西漸させるごとになる。そこ にあらはれる著しい特徴ほ鋳遵など大規模企柴の猫占化の倫向と眉由労働者わ激増であつた。国民の富の大部分 緑少数新興産柴琴本家の手に振られ、物質至上宝義的な考へ方が生れた。政治道徳ほ腐敗し、生野蝕式のすべて にわたつて自習の富を誇示する凰曲が著しく、密葬、給喜、し彫刻などもただせらぴやかなものが好まれて、露骨 な艶味の低俗さが見られた。ダラト辟革もこの桝謂﹁金びか時代﹂讐代表的人物となつ七しまつた。彼は山 と頓まれた利楷む包んで政界人、金棒階級との愈食て、重く自己む見失つてしまつた。 この金械階級の代案的人物がジエー・クックである。彼揉アメリカ最初の大銀和紀螢者である。彼は南北戦寧 の経済を賄つた人で、六ご年即南北戦争勃戟の年にフィーフデルフィア軋銀行を経営する椋になつたが、改革 公債募集と太平洋桜餅鋳造敷設の専業と些関連して、莫大億産をなも又シンヂケーナをつくり、ヨ仁;パに藍 で進出してたちまち灯して財鼎の王者と漁り、その豪香華琵な生活は王傾をしめぐものがあつた。併しそわ後 普併載寧が起った時、彼ほ捷計見る㌃とを誤!靭にして瓦解してしまつたが、今日備㌔sricFaslayC象﹀︸ と云ふ冨蘇はアメリカ人の耳甚残ること1なつた。彼特利樺を接待し、私利を追求するためには手段を選ばず、
グラント将軍には五万イルの庵宅む提供Lセのみならす、要路の政治家、海人に贈賄を待つて何等恥ずる研がな
かつた。而も彼個人としては、品行方正の好紳士であつた。
倍マーク・トラ1ンはか主時代に立身した。彼瞥、、ツスリー州のナロリグに生れた﹁蓮境人﹂の予である。彼の父は法律琴で雪漉が、海蛍に手を印し死ぬ時には約十方エイカ﹁の土地む持つ七ゐ牢と云はれる。父・逼
時の人が凡てモうであつた如く、いつかは直方の富を縛るであらうと夢想しながら死ん平行つ允。
マーク.トエーンは最初土地の印刷工場の職工となり、後故郷敏明て三﹂ヨーク・、フィラデルフィア、シノンシナ仁ティ窒璧とし、二十二歳蒜ミシツピー河の歪語と彗た。こゐ樽南濃箪が勃渡した。し改沈虫
初義盛兵とLて南軍に加ったがしぼらくして北軍に居た兄のすゝめ償従って、兄の隼讐あ庵カリフオル言▲油 津のニヴア7ダに行つた。常時は所謂﹁貸金選︵G。−d首eユ闇、アメリカ園民藍己、無数の人々が四部遊境 地に金誠を求めて殺到した。てーク‘トウェイ/も亦金鍼襲兇の歩をいだいてカリフオル言州の琴ガに行き、連日軸床・む漁つて山又山を彷槙した。
そのうちサンフランスシスコの新聞敢に呼鱒れてジャーナリストになつた。・一八六五年彼ほ﹁キヤエフデフス郡の
有名な跳び蛙﹂′︵jheC計b邑乱l音Pin釣竿OgO岩ala責aSCO邑y﹀Jと云ふユー言スな短篇物む書いた。これは扱が班天から聞いた詣であるが、それは高跳びを教込んであつ空也の蛙が、相手の蛙の鴇主に鐸砲▲幸宏
、 飲史されたために大事な婿で、更に損せさせると云ふ筋で・誓。この請は督励ざ㌻●ヨーグ市民を狂喜せLめたと云ほ・れ、新聞彗還こぞつて之む緒威し、欝外望貰で朝露され、彼の名前は蛙以上に﹁踵して有名にな
った。彼はこれに自信を待て次々と作品を琴改したが、そのうち特に有名なのは﹁膝乗毛外遊記﹂へThe▼訂まCl entAb⊇ad︶ ﹁トム。ノーヤーの胃讐︵Th魚Ad喜t毒⋮コOm霊awy旦﹁ハックルべり・フィンの胃・痛﹂漠墳開拓精紳とアメリヵ文撃
四五
\第二十叫巻 笥二籠
四六
︵T訂Ad喜言語。竹芦㌢訂berryFinn︶ ﹁金びか時代﹂︵TheGi−dedAge︶ ﹁皇子と乞食二丁訂Princ魚
andThe Paupeユ↓ヂヤングーク﹂︵PersOnal R莞○−1ectiOn象lOaゴOfArc︶ ﹁パドンヘッド。ウイルソン﹂
︵Puddゴ・訂ad尋i訂三等である。 プヌリカを知らんと欲せばマーク・トウェイ/を読め﹂と云ふ事はよく臥空茶ふ事であるが、彼の作品には 近代㌻メリカ年畔骨相が多く捕ヤ聖∵二極の祀昏倒面兜としても興味が深いので.める。併し彼の作品には作家と