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カウンセラーの一致についての考察―カール・ロジャーズのとらえ方の変化をもとにして―-香川大学学術情報リポジトリ

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カウンセラーの一致についての考察

―カール・ロジャーズのとらえ方の変化をもとにして―

山 田 俊 介

Ⅰ.問題と目的  カウンセラーにおいては知識や方法・技術だ けでなく、在り方や態度がたいへん重要であ る。特にカール・ロジャーズ(Rogers, C. R.)が 建設的なパーソナリティ変化の必要十分な条件 として上げた(Rogers,1957)3つの態度条件 は有名である。この3つの態度条件のうち、共 感的理解(山田,2016)及び、受容、無条件の 肯定的配慮(山田,2018)について、筆者はロ ジャーズの著作をもとにして、その意味、性質 を整理し、明確化を行った。カウンセリングを 学習する段階においては、共感的理解や受容 は重視されることが多く、目を向けられやす いが、それに比べ、一致(congruence)は意識さ れ、注意が向けられることが少ないように感じ られる。しかし、ロジャーズが一致を態度条件 の1番目に上げているように、クライエントと 関わる上で、たいへん重要な在り方、態度であ る。  本研究では、ロジャーズの著作を分析するこ とにより、カウンセラーの一致の意味、性質、 意義を整理し明確化することを目的としてい る。ロジャーズはカウンセラーの一致をどのよ うにとらえ、また、そのとらえ方はどのように 変化していったのであろうか。これについて、 年代を追って著作を分析、整理することは、一 致の明確化につながると考えられる。なお、本 研究では、client をクライエントと表記してい るが、日本語訳の文献によってはクライアント と訳しているものもあり、引用の箇所では、引 用文献の表記のまま記述している。 Ⅱ.カウンセラーの一致が提唱されるまで  ロジャーズはカウンセリングに関する新しい 考え方を述べ始めた1940年代から、感情の認知 と明確化及び受容を非常に重視しているのに対 して、カウンセラーの一致は取り上げていな い。  ロジャーズは1951年に『クライエント中心 療法』(Rogers,1951)を出版する。この中で、 「『方法』を利用しようとするカウンセラーは、 それが自分自身の態度に完全に同調していない かぎり、失敗する運命に定められている」、「こ こで一番重要な点は、個人の価値と意義に対し てカウンセラーがどのような態度をもってい るかということだ」と述べ、カウンセラーのも つ態度、特に個人の価値と意義に対する態度 と、用いる方法とが一貫している必要があるこ とを指摘している。そして、「人間の意義と価 値を強調するオリエンテーションを身につけよ うとすでに努力している人のほうが、この考え 方を実現するクライエント中心の技術をむしろ 香川大学大学院教育学研究科

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たやすく学べるのである」と述べている。クラ イエント中心の方法を身につけるには、人間の 意義と価値に対する尊敬を感じている人が適合 しているとしている。この本では、「人格と行 動についての理論」についても論じている。そ の中で、自己概念と知覚的・直感的体験との一 致・不一致について取り上げ、「心理的適応と は、自己概念が、ある水準以上の象徴化におい て、生命体の知覚的・直感的な体験の全体を自 己概念と一致した関係の中に取り入れている か、あるいは取り入れることができるときに存 在する」としている。このように、一致が心理 的適応に大きく関わっていることが指摘されて いる。  ロジャーズは1952年の論文(Rogers,1952) でも、カウンセラーの態度と用いる方法につい て触れ、「“ああいうぐあいにやらなければな4ら4・ な4・い4・ん4・だ4・” と思って、自分たちにとってほんと うに純粋なものでないやり方で、つまり自分自 身の感情や考え方とほんとうに一致していない やり方でカウンセリングしようとする。これは たしかに、いかなるタイプのカウンセリングに とっても有害なものであります」と指摘してい る。また、この論文では、「わたくしとの関係 のなかで、わたくしは彼に、恐れたり、憎んだ り、愛したり、失望したりする完全な自由を彼 にもってもらいたいのです。わたくしは彼に、 彼が望むどんなことでも考え、どんなようにで もあり、どんなことでもすることができる自由 をもってほしいのです。わたくしがわたくし自 身に同じ種類の感情の自由を許すことができる だけ、わたくしはそれをほんとうに彼にも与え ることができる、ということがわかりました」 と述べている。ロジャーズはカウンセラーの内 面の状態の重要性に目を向け、クライエントの 自由を尊重できるためには、カウンセラーが自 身の感情の自由を認めることができる必要があ るとしている。  以上のように、この時期までは、自己概念と 知覚的・直感的体験との一致が適応にとって重 要であることは指摘されているが、カウンセ ラーの一致は取り上げられていない。ただし、 カウンセラーの態度と用いる方法との一貫性、 カウンセラーが自身の感情の自由を認めること の必要性などの考え方は、後のカウンセラーの 一致という内容との連続性や共通性が認められ る。 Ⅲ.建設的なパーソナリティ変化の必要十分な 条件としての一致  ロジャーズは1956年の論文(Rogers,1956a) で、建設的なセラピィの過程が始動されるため に重要となる要素として、セラピストが1.純 粋であること、2.受容と好感を感ずること、 3.共感的に理解しようとしていることを上げ ている。そして、純粋であることについて、次 のように詳しく説明している。「その関係のな かでセラピストが純粋であること、あるいは全 体的であること、または一致していることが肝 要であると思われる。この意味は、セラピスト が、クライエントとの接触のなかでそのありの ままであることが重要だということである。彼 が内面では、あるいは無意識の水準では別の感 情を経験しているのに、外面にはある態度また は感情の見かけを示している程度だけ、成功的 なセラピィが起こる可能性は減少する。彼が セラピィを最もよく促進することができるの は、彼が、この関係のなかで統一された人間 であり、その経験されている感情、その感情の 意識、およびその感情の表現、これらがすべて 一致しているか、または類似しているときなの である。他の人間が、彼自身のなかに実在(the reality)を求めて、それに成功することができ るのは、セラピストが、彼のなかにある純粋な 実在を提供するときだけなのである。セラピス トが彼自身のなかにある実在について防衛的で ないとき、そのことは、クライエントが防衛的 でなくなることを援助するのである」。また、 受容及び共感的理解との関係について触れ、 「このような態度を保持することよりも、純粋 であることの方がもっと大事なことであると思 われる。したがって、もしセラピストが面接の なかでたえずうんざりしていたり、あるいはク ライエントの述べていることがずっと信じられ

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ないならば、自分のもっていないもっと積極的 な態度を見せかけるよりも、むしろその純粋な 感情を言葉にあらわした方がよいのである。彼 がその感情を、クライエントに対する非難とし てではなく、何か自分自身にかかわるものとし て表現することができるならば、このことはと くに当てはまると思われる」と指摘している。 そして、これらの内容は、「われわれのごく最 近の実践や思考の方向を示すものとして仮のか たちで書かれている」と述べている。このよう に、カウンセラーの純粋性や一致という概念を 明確に用いるようになり、それが最近の新しい 観点であるとしている。   ロ ジ ャ ー ズ は1956年 の 別 の 論 文(Rogers, 1956b)でも、先の論文と同じカウンセラーの 3つの態度を論じている。純粋性については、 「純粋であるということは、また自分自身にな ることを喜ぶことであり、喜んで自分の言葉、 行動で、内在するいろいろな感情、態度を表現 することである。このような方法によってはじ めてその関係は真実味(reality)をおびてくる」 としている。また、「私の側の一種の透明さ- その関係においては、私の真の感情が表わされ ている」と、透明さという表現も用いている。 そして、カウンセラーの3つの態度について、 「私が今述べたような態度をもちつづけ、また そのクライエントがある程度、このような態度 を経験することができる場合には、必ず、変化 し、建設的な人格的発達が起こってくる。-私 はこの “必ず”、という言葉を、長い間いろいろ 考えた末にはじめて使用するのである」と述べ ている。  こうした考察を発展させて、ロジャーズは 1957年に著名な論文『セラピーによるパーソナ リティ変化の必要にして十分な条件』(Rogers, 1957)を発表する。ここでは、建設的なパーソ ナリティ変化を始動するために必要十分な6つ の条件を提示している。そのうち3つの条件が セラピストの態度条件であり、第3の条件が一 致、第4の条件が無条件の肯定的配慮、第5の 条件が共感的理解である。このうち第3の条件 は、「第2の人(セラピストと呼ぶことにする) は、その関係のなかで一致しており、統合して いること」と述べられている。一致については さらに次のように説明されている。「その意味 は、その関係のなかで彼は、自由にかつ深く自 己自身であり、現実に経験していることが、自 己自身の気づきとして正確に表現されていなけ ればならないということである。それは、意識 的であれ無意識的であれ、仮面をかぶることの 正反対である」、「このことは、サイコセラピー にとって理想的だとみなされないようなかたち ででも自己自身である、ということを含んでい るのである」。ただし、「セラピストが、その生 活の全局面において同じ程度の統合性や全体性 を示すような模範である必要はない(それは不 可能なことである)」としている。また、「セラ ピストが自分自身のこうした現実を、どの程度 はっきりとクライエントに伝えるのか」という 問題についても論じ、次のように述べている。 「この条件の目的は、セラピストが自分自身の 感情を表現するとか、全部話すということなの ではなくて、大事なことは、自分自身に関して クライエントを欺いてはならないことなのであ る。しかしときには、その感情が次に述べる二 つの条件を妨げる場合には(クライエントに、 あるいは同僚やスーパーヴァイザーに)、自分 自身の感情をある程度打ち明ける必要があるで あろう」。  ロジャーズは1959年には、『セラピィ・パー スナリティ・対人関係の理論』(Rogers,1959a) において、クライエント中心療法に関する概念 について、「できる限り厳密に、これらの構成 概念や用語を定義しようと努力」している。そ こでは、一致は「自己経験が正確に象徴化され、 この正確に象徴化された形で自己概念のなかに 包含される場合が、自己と経験との一致の状態 である」と説明されている。さらに、「統合され た、全体的な、純粋な、などという言葉が一般 に用いられているが、これらは経験と自己との 一致をあらわす同義語である」としている。ま た、セラピィの過程が起こるための条件につ いて論じ、「この部分の理論の“発展しつつある 最先端”」が、一致についてであると指摘してい

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る。そして、「セラピストがセラピィの関係の なかで脅威を感じたり、不快感を経験しながら も、クライエントを受容し理解していることに しか気づいていないならば、そのなかでは経験 と自己概念が一致していないのであり、セラ ピィは阻害されるであろう。その瞬間の自己が どんな状態にあったとしても、セラピストはそ の関係のなかで、本当に “自己自身になりきる” ことが重要であると思われる」と述べている。 その中で、「セラピストは自分の経験の正確な 象徴化をクライエントに示したり伝えたりすべ きであろうか?」という問題についても論じ、 次のような仮説を示している。「この点につい ての確答は得られていない。現在のところ、わ れわれは次のようにいえるのではないかと思っ ている。すなわち、セラピストがクライエント の感情より、むしろ自分の感情にたえず注意 し、もしそこで感情移入的に理解しにくくなっ たり、まったく理解できなくなった時や、セラ ピストが無条件の肯定的な配慮以外の感情をた えず経験しているように感じた時は、そのよう な感情をクライエントに伝えるべきだ、といい たい」。   ロ ジ ャ ー ズ は1959年 の 別 の 論 文(Rogers, 1959b)では、人びととの接触の経験において 自身が学習したことについて述べている。意味 深い学習の1つ目に、「人びととの関係のなか で、私が自分でない何ものかであるかのように 行動することは、けっきょくはなんの役にもた たない、ということが私にわかった」ことを上 げている。そして、「私が個人的な関係のなか で犯すまちがいの大部分、私が他の人の援助に なることに失敗した場合の大部分は、私の感情 が現実にはまったく反対の方向に動いているの に、なんらかの防衛的な理由で、表面的な水準 では別のかたちで行動しているという事実に よって説明することができると思われます」と 述べている。2つ目には、次の内容を上げてい る。「人びととの接触において、私自身を受容 していることは効果的なことである、と。私は 長い年月の間、私4・自4・身4・にもっと正しく耳を傾け るようになることを学んできたと思っていま す。その結果私は、以前よりはいくらか正し く、一定の瞬間において私が感じているものを 知るようになりました。-私は怒ってい4・る4・;私 はこの人間を拒否したいと感じてい4・る4・;私はこ の人間に対して暖かさと愛情を十分に感じてい る…(中略)…、というようなことが、実感と してわかることができるということです。この ような多様な態度のすべてが、私が私自身のな かに聴くことができると思う感情なのです。別 のいい方をするならば、私は私自身をもっと正 しく自分のあ4・る4・がままであ4・る4・ようにさせるよう になったと思う、ということです。私には、決 定的に不完全な人間としての自分自身を受容す ることがもっと容易になったのです。その私 は、いつでも、自分が機能したいと思っている ようには、決して機能していないのです」。つ まり、自分自身に耳を傾け、その瞬間において 自分が感じているものを実感としてわかること ができ、自分のあるがままにあり、自分自身を 受容していることが重要であるということであ る。そして、自分を受容することの意義とし て、次の2つを上げている。「私のあるがまま を受容するときに私は変化するので、私にとっ ては価値があると思われるのです。私はこのこ とを-われわれが自分のあるがままを完全に受4・ 容4・す4・る4・までは、われわれは変化することができ ず、われわれのあるがままのところから離れる ことができないということを-自分自身の経験 のなかからばかりでなく、私のクライエントか ら学んだのだと信じております」、「自己受容か ら生まれてくるもうひとつの結果は、そのとき 関係がリアルなものになる、ということです。 リアルな関係は、生き生きとした意味深いもの であるという、きわめて興味深い形をもつもの であります」。これらを踏まえて、ロジャーズ は次のようにまとめている。「私の態度におい て、私自身を自分のあるがままにしておくこと は効果的なことだとわかったのです。-私が自 分の忍耐や寛容の限界に達したことを知り、そ してそれを事実として受容すること、私が人び とを鋳型にはめこみ、操作したいと思っている ことを知り、そしてそれを私自身のなかにある

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事実として受容すること、は効果的なことなの です。私はこのような感情を、暖かさ、関心、 許容、親切、理解などの感情とまったく同じよ うに受容していたいと思うのです。私がこのよ うな態度をすべて事実として、私の一部として 受容するときには、私の他の人間との関係はそ のあるがままのものとなり、それからきわめて 容易に成長し、変化することができるのです」。 さらに、他者を理解し受容することとのつなが りにも触れ、「私が他の人を理解し、他の人を 受容することができるのは、私が私自身である ときだけであり、私が私自身を受容することが できるときだけなのです」と述べている。  ロジャーズは1960年の論文(Rogers,1960) においては、体験過程という新しい概念に注目 している。そして、一致についても、体験過程 という概念を用いて、次のようにとらえ、説明 している。「その関係のなかで純粋で統合され ており、彼の体験過程がその体験過程の意識と 照応している」、「ジェンドリンの指摘するとこ ろによれば、一致性というのは、むかでが突然 その全部の足を意識することであるかのように 聞こえるが、そのようにその人の経験のすべて を意識することではない。それはむしろ、彼 の体験過程、すなわち感じられている主観的な 照合体-彼の全経験の統合を含んでいる-の意 識なのである。この主観的な体験過程はその人 のすべての経験を潜在的に含んでいるので、ひ とつの指標として信頼することができるのであ る。この主観的照合体を意識していること、そ してそれに開かれていることが、一致性なので ある」。  ロジャーズは1961年に、著書『ロジャーズが 語る自己実現の道』(Rogers,1961)を出版する。 この本では、一致や純粋性について様々な観点 から詳しく考察している。純粋性は、「私の本 当の感情がはっきりと表されるような、私の側 におけるある種の透明性」、「透明な態度」とも 表現されている。また、一致について次のよう に説明している。「『一致』とは、私が体験して いる感情や態度がどのようなものであっても、 その態度に自分が気づくことによって、それと 矛盾しないでいられるという意味である。これ が実現できたとき、その瞬間、私は一つのまと まりのある統合された人間であることができる し、どんなに深いところでも自分自身であ4・る4・こ とができるのである」。そして、「私が援助的関 係を達成することに失敗したほとんどの場合」 について取り上げ、「私が相手に対して不快な 気持ちを体験しながら、しかも自分ではそれに 気づいていないときには、私のコミュニケー ションには矛盾に満ちたメッセージが含まれて しまう。私の言葉はある意味を伝えるが、同時 に私は微妙な形で自分が感じている不快感も伝 えてしまうので、相手は当惑を感じたり、不信 感を抱いたりするのである。しかも相手は何が 原因なのか気づくことができないだろう」と述 べている。そのことから、「紛れもなく真実で あることこそ安全であるということが、それが どんな種類のものであれ、援助的関係を構築す ることを望む人にとって、最も基本的な教訓で あると私は思うようになった」としている。さ らに、純粋性、一致の難しさにも触れ、「ある がままの自分を受容できること、そしてそのこ とを他者の目にさらすことができるようにな ることは、私の知る中で最も難しいことであ り、私自身いまだかつてそれを十分は達成でき ていない。しかし、これこそ私の課題であ4・る4・と 気づいたことは、今までに得た最大の収穫で あった。というのも、このことが、もつれてし まった人間関係についてどこが悪かったのかを 見つけ出し、再び前進的な軌道に乗せるのに役 立ったからである。それは、私との関係におい て他者の成長を促進しようとするならば、私が 成長しなければならないということを意味して いる。このことが苦痛をもたらすこともよくあ るが、同時に私を豊かにしてくれるものでもあ る」と述べている。  この本でロジャーズは一致しているかどうか の他者からの認知について取り上げ、次のよう に指摘している。「私は、誰もが直観的かつ常 識的に他者の中に一致の有無を見出すことがで きると考えている。他者といっしょにいる時、 私たちは、その人が話している内容を語ってい

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ると受け取るだけでなく、その人が表現してい ることが彼の奥底にある本等の感情と合致した ものであるかどうかも認識しているはずであ る」。そして、一致している人に対しては、「心 地よさや安心を感じやすいようである」、「その 表現がその人の最も深い感情と合致しているこ とが実感できる。私たちは、『あの人がどんな 気持ちでいるか、正確にわかる』と感じるので ある」としている。一方、一致していない人に 対しては、「その人が話していることはほとん ど表面的なことであり、見せかけのものである ことが確実にわかる。私たちは、その人が何を 本4・当4・に4・感じているのか疑ってしまう。感じてい ることを本4・人4・が知っているのかどうかさえ疑わ ざるをえなくなる。私たちはこのような人に対 して、用心深く慎重になりがちである」、「こう した関係においては、防衛が取り去られること もないし、意味ある学習や変化は生じない」と している。  この本の中で、ロジャーズは人間関係の一般 的法則に関する試案を提示しており、そこでは 一致を中心に検討している。ここでは、「一致 とは、体験していることと意識していることが 正確に合致していることを示すために用いられ る用語である。さらにそれを、体験と意識およ びコミュニケーションが合致しているという 意味に広げてもいいかもしれない」と述べてい る。そして、「人それぞれ、一致の度合いは異 なる。また、同じ人であっても、そのときどき で一致の程度は異なるのである。と言うのは、 その人が何を体験しているかによって、またそ の人が意識の中でその体験を受け入れることが できるかどうかによって、さらにその体験に対 してその人が自分を防衛しなければならないか によって、一致の度合いは異なってくるからで ある」としている。続いて、一致している場合 のコミュニケーションの特徴について触れ、次 のように述べている。「その人のコミュニケー ションには、外的な事実についての表現は含ま れないことになる」、「体4・験4・についての正確な意 識は、常に内的な枠組みから見た感情や知覚や 意味などとして表現されるであろう」、「一致の 状態にある人は必然的に、自分が知覚している ことや感じていることをありのままに伝えるこ とになるし、それらが他者や自分以外の世界に 関しての事4・実4・であるかのように伝えることはし ないはずである。しかし、その逆も真だとは必 ずしも言えない」。さらに、ロジャーズは一致 している場合と不一致の場合とでの人間関係に ついて論じている。まず、「次のような前提が あるとしよう。すなわち、(a)二人の人間のい ずれかが、わずかであっても接触することを望 んでおり、(b)二人のうちのいずれかが、相手 からのコミュニケーションを受け取る能力を持 ち、わずかであっても受け取ることを望んで おり、(c)二人の接触はある一定の期間継続さ れると考えられているとしよう」と前提条件を 上げている。その上で、次の仮説を提示して いる。「一方の人の体験と意識とコミュニケー ションとが一致していればいるほど、その結果 生じる関係は次のような特徴を持つようになる だろう。すなわち、一致の状態がより質的に増 大し、相互的なコミュニケーションが進展し、 コミュニケーションがお互いにより正確に理解 されるようになるだろう。また、両者の心理的 な適応や機能が改善され、関係の中で相互的な 満足が感じられるようになるだろう」、「反対 に、体験と意識について不4・一4・致4・が伝えられるほ ど、その結果生じる関係は次のような特徴を持 つようになるだろう。すなわち、それまでと同 じ性質のコミュニケーションが続けられ、正確 な理解が崩壊し、両者の心理的な適応や機能が 低下し、関係の中でお互いに不満足を感じるよ うになるだろう」。このように、一致している 場合と不一致の場合とでは、人間関係に大きな 違いをもたらすと考えられている。  そして、ロジャーズは一致に向かうか不一致 に向かうかに関して、次のように述べている。 「実際の関係においてはクライアントとセラピ ストの両者は、実存的な選択にしばしば直面す る。たとえば、『私が感じている一致した感情 を全部伝えてもよいものだろうか?私の体験や その体験についての意識を、コミュニケーショ ンと合致させてもいいだろうか?ありのままに

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自分を伝えていいものだろうか、それとも少し 控えめに伝えたり、表現を変えたりしたほうが いいだろうか?』といったように。こうしたこ とが懸案事項になるのは、クライアントがセラ ピストの表現を脅威と感じたり、拒否してしま うといったことが予見される場面においてであ る。その時に体験について気づいたことすべて を伝えるというのは、関係の中にリスクをもた らす。このリスクをとるか、それとも回避する かによって、その関係が相互に治療的なものに なっていくか、それとも崩壊の方向に進むかが 大きく左右される」、「私は、自分の意識と自分 の体験との一致について自分で選択することは できない。これは、防衛の必要性の有無によっ て答えられる問題であって、自分で気づくこと のできるものではない。しかし、私のコミュニ ケーションを、自分が体験していることについ て実4・際4・に4・持4・っ4・て4・い4・る4・意識と一致させるかどうか は、常に実存的な選択の問題である。こうし た、関係の中における瞬間瞬間の選択によっ て、本章で提示した仮説的法則の二つの方向の どちらに向かっていくのかが決まるのである」。  以上のように、この時期からロジャーズは最 近の新しい観点であるカウンセラーの一致を明 確に取り上げ、たいへん重視するようになる。 また、建設的なパーソナリティ変化の必要十分 な条件を提示し、その中でも、カウンセラー側 の3つの態度条件を重視している。そのうちの 1番目に上げられているのが、一致であり、そ の意味・内容を詳しく説明している。カウンセ ラーの一致によって、クライエントとの関係は 真実なものになり、また、カウンセラーが防衛 的でなく真実であるからこそ、クライエントは 防衛的でなくなり、自分の中の真実を探求する ことができるようになるとしている。無条件の 肯定的配慮及び共感的理解との関係では、純粋 であり、真実であることの方がより重要であ り、より基本となるとされている。このように カウンセラーの一致はたいへん重要なものであ るが、同時に非常に難しいことであり、実存的 な選択を伴うものであるとしている。 Ⅳ.人間と人間との出会い  ロジャーズは1962年のカウンセラーの態度に 関する論文(Rogers,1962)で、一致について 次のように述べている。「カウンセラーが経験 しつつある感情は、そのカウンセラーにとって 役だつものであり、彼の意識に気づかれるもの であり、その感情をもって生活することがで き、その感情をクライエントとの関係の中にも ち込むことができ、適当な時には、それを伝え ることができるということを意味しているので ある。これは、カウンセラーが、クライエント との直接の個人的出合い、人間対人間という基 盤にもとづいた出合い、に入ることを意味す る。また、彼が自分自身になりつつあり、自分 を否定しない、ということも意味している。こ の条件を完全に達成する者はいない。しかし、 セラピストが、自分の中で起こっているものに 対して、受容的に耳を傾けることができ、ま た、複雑な感情のままでいることを恐れないほ ど、一致の状態は高い段階にあるということが できる」。ここでは、一致しているということ は、人間対人間の出会いに入ることを意味して いると指摘されている。次に、統合失調症の入 院患者を対象とした研究について触れ、「最も 成果をあげたと考えられる個々のセラピスト は、まず第1に真実であり、人間として純粋で 人間味のある応答をし、その関係の中で純粋さ を示した人たちであった」という結果を紹介し ている。また、「純粋であることが常に援助的 なのであろうか?否定的感情についてはどうす るのか?」という問いを検討し、次のように述 べている。「私の仮定的な答では、次つぎにわ いてくる感情がすべてそのような否定的なもの であっても、感じてもいないみせかけの興味、 関心、好意、を示すよりは、カウンセラーとし てむしろ真実なものを示した方がよい、という ことである」、「そのような真実性を達成するこ とは、簡単なことではない。私は、純粋である という気軽な考えから、心に浮かんでくる感情 や非難などのすべてを、みさかいもなく口にだ すことが援助的である、といっているのではな い。真実であるということは、個人の内部を動

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いていく経験過程の流れ、複雑でたえず変化す るという特徴をもつ流れ、を十分知るというむ ずかしい課題を含んでいるのである」。そして、 このことについて、クライエントとの関わりに 退屈の気持ちが続いている場合を例に、次のよ うに説明している。退屈の気持ちが続いている ことに、「気づいたならば、そのことを、彼に 対しても、またこの感情をともに分かち合うべ きわれわれ2人の関係にも、帰さなければなら ないと思う。しかし、この場合にも、私の内部 を動きつつあるものに常に触れていたいと願っ ている。私ならば、退屈しているというわたく しの感情を述べているのであって、彼を退屈な 人間だと考えているのではないということを認 めるであろう。もしも、私が、それは私自身の 感じかたなのだというように表現するならば、 もっと深い関係に進んで行く可能性があること になる。しかし、この感情は複雑でたえず変化 する流れの中に存在している。そのことも伝え られる必要がある。私は、退屈だと感じる時の 苦しさや、そういう私の一面を表現する時の不 快な気持も、彼とともに分かち合いたい。私が これらの態度をともに分かち合う時、この退屈 な感じは、私が彼から遠く離れていると感じる ことから出ていることに気づき、そこでもっと 彼とふれ合いたいと願うようになるであろう。 それらの感情を述べようとしたとしても、それ は変化してしまうのである」。このように、退 屈を感じていることを伝える過程においても、 その瞬間瞬間に感情の動き・変化が生じ、それ に十分に気づき、それについても伝えられるこ とが必要であると指摘している。そして、こう して伝えていくことは、「私が彼とともにあっ て、真実であろうとした」、「私は、彼との関係 の中で、自分をひとりの人間-真実で、不完全 な-としたのである」と表現している。  この論文で、ロジャーズはさらに一致の性質 について次のように述べている。「私は、カウ ンセラーの真実さというものは、深い真実なも のであって、表面的なものではない、というこ とをはっきりさせたいのである。私は、ときど き、透明という言葉が個人の一致というこの要 素を述べるのに役にたつと考えてきた。もし も、私の内部で動いている、その関係に関連す るあらゆることを、クライエントが見ること ができるならば、また、彼が “わたくしをはっ きりと見とおす”ことができるならば、そして、 私が喜んでこの真実さをたえず関係の中で示す ならば、これこそ、2人が学び発展させる意味 深い出合いである、ということにほぼ確信をも つことができる」。そして、共感的理解及び無 条件の肯定的配慮という他の特質との関連につ いても触れ、「もし、関係の中のある時点で、 カウンセラーの経験の一部分でも純粋でなかっ たならば、次に述べるような他の特質をもつよ うに振舞うよりは、あるがままに純粋でいた方 がより援助的であると、私は確信していること を強調しておきたい」としている。  ロジャーズは1964年の発表(Rogers,1964) では、クライエント中心療法の最近の動向につ いて取り上げている。その中で、「クライエン ト中心療法の始まったころにはそれほど強く存 在していなかったものであるけれども、きわめ て特異な特質となってきたものである。それは 深い人間的な関係が今日の人間の最も渇望して いる要求のひとつであるという認識である」と 述べている。このことによって、「クライエン ト中心療法は、現代生活における多くの他の要 因とともに、この種の要求を認識し、それに応 ずることに援助を与えてきているのである」、 「ブーバー(Buber, M.)がわれ・なんじの関係と 名づけているものの意義がこのように認識され ているがゆえに、クライエント中心療法におい ては、セラピストの自己、セラピストの感情が より多く用いられるようになり、純粋性が前よ りも強調されるようになり、しかもそのために セラピストの見解、価値、あるいは解釈などを クライエントに押しつけることはない、という ようになってきたのである」としている。深い 人間的な関係が強く求められているという認識 が純粋性の強調につながってきたことがわか る。  ロジャーズは1966年の論文(Rogers,1966)で セラピストの態度について取り上げ、一致に関

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しても詳しく論じている。一致の説明の中で、 「それは、彼がそのクライエントとの直接的な 人間的出会いに入りこみ、人間と人間という基 盤の上でクライエントに会う、という意味なの である」と述べ、人間と人間としての出会いで あると指摘している。また、一致は、「セラピ ストがそのクライエントに、彼の感情のすべて を明白に表現することによって重荷を負わせる ということではない。それは、セラピストが彼 の全体的自己をそのクライエントに打ち明ける ということでもない。しかしそれは、彼が体験 しつつある感情を自己自身に否定しないという ことであり、また彼が透明に、その関係のなか に存在しているいかなる持4・続4・的4・な感情でも、す すんでそれになるということであり、そしてそ の感情をクライエントに知らせるということな のである。それは、表面をよそおうとか、専門 家らしさの仮面のかげにかくれるとか、告白 的・専門的な関係をとるとか、そういう誘惑を しりぞけるということなのである」としている。 そして、セラピストの否定的感情が続いている 場合について取り上げ、「一致性という概念の なかには、クライエントに対する否定的感情が 含まれているときでさえも、純粋であることは 役だつことだという意味があることが明らかに なったであろう。このような感情がセラピスト のなかに存在しないならば、それは最もよいこ とであろう。しかしわれわれの理論では、その ような否定的感情がかくされるということは、 もっと有害になるのである。破壊的になる可能 性のあるこのような否定的感情-すべてのセラ ピストが時折もつことのある感情であるが-に ついてさえも、セラピストが、興味、関心、好 感という偽りのポーズ-クライエントが純粋で ないと感じとりやすい-をとるよりは、リアル であった方が好ましい」と述べている。さらに、 セラピストの一致、純粋性の意義にも触れ、 「彼の最も深くおおいかくしている感情を他の 人に打ち明けるということは、クライエントに とって、そしていかなる人間にとっても、なま やさしいことではない。悩んでいる人間が、そ の最も深くにある、最も悩んでいる感情をセラ ピストに伝えるということは、さらにむずかし いものである。セラピストの純粋性は、その関 係のなかの諸要素のうちで、伝達するという冒 険を、より容易なものにし、より危険をともな わないものにする要素のひとつなのである」と している。  また、セラピストの3つの態度条件について も触れ、次のように述べている。「これらいず れの条件も、それがリアルでなければ、その関 係のなかで意味をもつことができないのであ る。したがって、セラピストが、これらの点に おいても他の点においても、そのセラピィ的な 出合いのなかで統合されており純粋でなけれ ば、他の諸条件も満足な程度に存在することは できないのである。それゆえ私には、この純粋 性または一致性という要素は、三つの条件のう ち最も基本的なものであると思われる」。  この論文でロジャーズは、クライエント中心 のセラピストの機能のし方における発展につい ても論じ、「セラピストはその関係のなかで彼 の全人間を用いるというもっと広い関心に発 展」してきていることを指摘している。そして、 統合失調症の入院患者との関わりから見いだし たこととして、次のように述べている。「この ように引込み思案の、言葉少ない患者たちは、 多くの場合、コミュニケーションをつけるため のいかなる主導性もとることができないし、ま たとろうともしないのである。それゆえ、もし そこに関係というものが必要であるならば、セ ラピストは彼自4・身4・の4・感情をそこに呼びだすこと が必要になってくるのである。患者が何も言語 化しないときには、セラピストは少なくとも、 彼自身のそこに流れている感情の流れ-患者に 対する彼自身の関心、関係ができてほしいとい う彼の希望、その瞬間に患者のなかに起こって いることについて彼の想像しているもの-を、 暫定的なかたちでしかも強制することなく、伝 えることができるであろう」。こうした経験か ら、ロジャーズはセラピストの新しい在り方を 次のように示している。「クライエントまたは 患者とともにあるためのこの新しいあり方は、 セラピストに対して、彼自身のなかに感じられ

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ている体験過程の推移しつつある流れを高度に 意識していることを要求する」、「患者が沈黙し ているときには、セラピストは、彼自4・身4・の4・体験 過程に直接的に照合し、そこに見いだされる意 味を伝えることができる。そしてここでもま た、いやしくも彼が敏感であるならば、これら の意味のなかには、必然的に患者もその関係も 含まれているであろう。このように、彼自身の 感じている体験過程のなかに潜在している意味 を表現することによって、クライエント中心の セラピストは、意味深い関係にいたる橋をかけ ることができるのである。セラピストは、意味 を表現するための拠りどころとなる照合点とし て彼の体験過程を用いるのである」。このよう に、クライエント中心療法では、クライエント の照合枠に入る・添っていくことが重視されて きたが、主導性をとることができず沈黙を続け るクライエントに対しては、セラピスト自身の 体験過程に照合することが必要となることが指 摘されている。  ロジャーズとトラックス(Rogers & Truax, 1967)は、統合失調症の心理療法の研究に関す る著書の中で、一致について論じている。そこ では、一致の度合の表われ方について取り上げ ている。一致の度合が低い場合には、「そのセ ラピストは、彼のことばの内容と、彼の声の 質、もしくは彼が表わす非言語的な手がかり、 との間の矛盾によって立証されるように、その 相互作用において明らかに防衛的であるかもし れない。またはそのセラピストは、適当ではあ るが、非常に職業的なひとつのやり方で応ずる ので、彼の諸応答は、彼がほんとうに感じ、か つ意味することであるよりもむしろ、聞こえが よいように形づくられている、という印象を与 えるのである」としている。逆に一致の度合が 高い場合には、「彼の開放性は、普通、彼の声 の質、および彼の表明のしかたから、いちばん 明白なのである」としている。また、セラピス トの3つの態度条件に対するクライエントの知 覚についても触れ、「正常な、もしくはやや混 乱している人びととの普通の関係において、も しもそれらの諸条件が実際に提供されるなら ば、このような知覚が存在する、ということ は、もちろんのことと思われうるのである。ほ とんどの人びとは、これらの諸条件が存在する ときに、それらを最小限度に覚知するべく、彼 らの環境についての十分に現実的な知覚をもっ ているのである。深く混乱している精神病の人 びとを扱う場合には、この仮定は、もちろんの こととすることができない」と述べている。  以上のように、この時期にロジャーズは、今 日の人間は深い人間的な関係を強く求めている という認識を持つようになる。この認識によっ て、我-汝の関係の意義が注目されるととも に、カウンセラーの一致、純粋性がより強調さ れるようになっている。そして、カウンセラー が一致しており、純粋であるということは、ク ライエントとの人間と人間との出会いに入るこ とを意味するとしている。また、カウンセラー の持続する否定的感情をクライエントに伝える ことについて、伝え方を含め詳しく検討されて おり、その重要性が指摘されている。さらに、 クライエント中心のカウンセラーの機能のし方 の発展として、カウンセラーの自己や感情がよ り多く用いられるようになってきていることが 取り上げられ、主導性をとることができず沈黙 を続けるクライエントに対しては、セラピスト 自身の体験過程に照合することが必要となると している。この時期、ロジャーズは統合失調症 の心理療法とその研究に熱心に取り組んでい る。その経験から、セラピストの3つの態度条 件が存在しても、重度の精神障害の人ではそれ を知覚することが困難な場合があることを指摘 している。 Ⅴ.グループへの適用  ロジャーズは1970年に著書『エンカウンター・ グループ』(Rogers,1970)を出版する。その中 で、人々をエンカウンター・グループに向かわ せるものは、「親密で真実な関係への飢餓であ る」、「エンカウンター・グループ経験によって 満たそうとしている切実な飢えはこれである と思う」と指摘している。また、グループの中 での自分の在り方の1つとして、「私の感情に

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従って動く」ことを上げ、次のように述べてい る。「私は、自分の感情が起こった時点でそれ を利用するということにだんだん自由になるこ とを学んできた-グループ全体としての関係で も、ある個人とでも、私自身に対しても」、「私 は、意味のある関係または継続的な関係の中 で、ある個人やグループに対してなんらかの持4・ 続4・的4・感情を経験した時には、それを口に出すよ うに努めている」、「私は、自分の〈所有してい る〉感情が、肯定的なものであれ否定的なもの であれ、参加者のもつ感情と直接の相互交渉を もつ時、グループの中で最上の機能をしている と思う。これは、深いレベルの個人的意味を相 互に伝えあうということを意味している。これ は私が到達できる〈我-汝〉の関係に一番近い ものである」。さらに、在り方の1つに、「自分 の問題の表明」を上げ、次のように述べている。 「もし私がその時自分の日頃の生活で何かに悩 んでいるとしたならば、そのことをグループの 中で表明することをいとわない」、「もし、私が 自分の問題を自由に表明できないと感ずるなら ば、二つの不幸な結果をもたらすであろう。第 一は、私が他の人のいうことを十分に聞けない ことである。第二は、そういう場合グループは 私が混乱していることを感じとり、自分たちが 何か気づかない仕方で誤りをおかしていると感 じがちなことである」。このように、ロジャー ズはエンカウンター・グループの中でも一致、 純粋性を大切にしていることがわかる。  ロジャーズは1977年に著書『人間の潜在力』 (Rogers,1977)を出版する。この中で、一致に ついて、次のように説明している。「治療者自 身がクライエントに対して透明となること、ク ライエントはその関係の中での治療者のあ4・り4・の4・ ま4・ま4・を見通すことができること、クライエント は治療者側が何かを隠しているということを 感じないことである。治療者側について言え ば、自分が経験しつつあることが意識にもたら され、その関係の中で生き生きしており、もし 適当ならばそれを伝えうることである。このよ うに、お腹の底で経験されつつあることと、意 識の上に気づかれていることと、クライエント に向かって表現されていることの間に、密接な 対応、すなわち一致があることである」、「治療 者は、自分の内面に生起するものを経験し、所 有し、気づき、それを表現する程度に応じてク ライエントの中での成長を促進することが可能 であろう」。そして、援助専門職について政治 という視点からは、「この関係の第一要素であ る『一致』は、クライエントにとっても治療者 にとっても、出来る限りあ4・る4・が4・ま4・ま4・に4・な4・る4・とい う機会を提供するものである。治療者は要する に『ここにいる私は、あるがままなんですよ』 と言い続けている。そこには、クライエントの 反応を自分の存在の仕方に従わそうとする何の 圧力も存在しない。反対に、治療者が自らのあ るがままをそのまま出していることを見るなら ば、クライエントも同じ自由を発見していく傾 向があるであろう」としている。また、パーソ ン・センタード・アプローチの3つの態度条件 について説明する中で、「このアプローチが、 個人またはグループに適用される時は、なされ る選択、追及される方向、とられる行為は、個 人的には建設的な方向が増大し、社会的には他 者とより現実的な調和を保つ方向に向かうとい うことが、時代を越えて見出される」と述べて いる。  ロジャーズは1980年に著書『人間尊重の心理 学』(Rogers,1980)を出版する。その中で「コ ミュニケーションについて私が学びとってきた こと」を論じ、真実であることについて、次の ように述べている。「私は、自分が真実であり うる時、また自分の内面で起こりつつある事柄 がどんなものであろうとそれに触れることがで きる時、満足を感じることを見出します。自分 自身に耳を傾けることが出来たその自分が好き です。ある瞬間に於て、その時自分が経験しつ つある事を知るのは容易ではありません。けれ ども、もう何年もその努力を重ねてきて、何か 力づけられてきたのを感じるのです。しかしな がら、それは生涯の課題であり、人が自己の内 的経験に楽に触れうることは不可能であること は認めます」、「真実、本物、一致、それは最高 のコミュニケーションの基本であります」。ま

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た、真実であることと出会いについても触れ、 「私が自己を一致させ真実でありうる時、他者 を援助することが多く、他者が本当に真実で一 致している時、私を力づけることが多いので す。それらの瞬間に於てひとりの人の中にある 深い真実が他者の中にある真実に出会い、ブー バーが言うところの記念すべき『我-汝の関係』 が生じるのです。そういった深い人間的出会い はしばしば生じるものではありません。しか し、それが時折生じることなくしては、私達は 人間として生きていけないのです」と指摘して いる。  ロジャーズは1983年には日本を訪れ、ワーク ショップを行っている。その際に共感的理解に ついて話をしているが、その中で次のように 語っている。「このように相手に向けられる感 受性は、彼への関心とケアしようという気持が あるところから生まれるのです。そのような共 感的な感受性がもてるということは、私が『自 分自身である』からなのです。私が一致してい るということ、相手に対して関心をもっている ということ、共感的に理解するということは、 別々のことではなく、一つのことになるので す。このような形でクライエントに向かい、彼 と共にいることができるならば、そこでは治療 が展開することになるのです」(増田,1986)。 このように、一致、無条件の肯定的配慮、共感 的理解が別々に働くのではなく、一つに統合さ れる場合があることを指摘している。  ロジャーズは1986年にD.ラッセルとのインタ ビューに応じている(Rogers & Russell, 2002)。 自身の経験を振り返る中で、最初の段階では、 「一人の人間としての自分を、できるだけ抑え ようとしました、クライエントに影響を与えた くなかったのです」と述べている。そこから、 「私はセラピストである個人は、セラピー関係 のなかで存在している必要があることに気づい ていきました。それがセラピー関係を改善しま した。セラピストが抱いているものが否定的感 情の場合は、特にそれが言えます」としている。 セラピストの否定的感情についてはさらに、 「セラピストが一人の人間として本当に対峙し ているのかは、セラピストがクライエントに否 定的感情を体験しているときに、試されること になります。私は、クライエントに対する否定 的感情が続いているときは、持ち続けるより表 現したほうがいいことに気づきました。変化を 生み出すし、居心地のいいセラピストという壁 を越えて、その関係のなかで、一人の人間とし て実存する広がりを生み出します。ともかく、 第一の機能はクライエントを促進することなの です」と述べている。また、グループでの経験 についても触れ、次のように語っている。「グ ループに取り組むことは私にとって、非常に強 力な成長体験でした。少し柔軟になり、自分の 気持を自由に表現するのを助けてくれました。 個人セラピーでも、自分の気持ちを喜んで表現 しようと考えていたのですが、相手を保障する という問題があるので、とても慎重になってい ました。グループでは、私が他の人を傷つける ようなことをすると、グループメンバーの誰か が守る動きをしてくれますし、ひどく攻撃され たり厳しい言葉を受けたメンバーを援助してく れるので、そんなに慎重にしていなくてもよい ことを学びました。もう一つ学んだのは、これ は仮定ですが、私が初めから個人としているほ うがグループが進みます。そのことが役立つの です。グループ・ファシリテーターとしての体 験は、私に大きなものを与えてくれました」。  この時期、ロジャーズは、エンカウンター・ グループや異文化間の緊張の解決などに取り組 んでいる。ロジャーズはエンカウンター・グ ループにおいても一致、純粋性を大切にしてい る。そして、自分の経験を振り返る中で、グ ループでの経験が自身の柔軟さや気持ちの自由 な表現を促進してくれたとしている。また、カ ウンセラーの3つの態度条件は、個人に対して だけでなく、様々なグループにも適用され、建 設的な変化を促進することが指摘されている。 さらに、ロジャーズはコミュニケーションにつ いて自身が学びとってきたものとして、自分が 真実でありうる時の満足感や、ひとりの人の中 にある真実と他者の中にある真実とが出会う、 深い人間的出会いの貴重さ・意義深さを上げて

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いる。 Ⅵ.まとめ  ここまで、ロジャーズがカウンセラーの一致 をどのようにとらえ、そのとらえ方がどのよう に変化してきたかについて整理してきた。それ をもとに、カウンセラーの一致について、その 意味するもの、経験し意識していることの表 現、もたらすもの、無条件の肯定的配慮や共感 的理解との関連の4つの点から整理し、考察を 行う。 1.カウンセラーの一致とは  これまで見てきたように、ロジャーズはカウ ンセラーの一致について繰り返し論述してい る。そして、一致というものを様々な視点から とらえようとしており、その時々の考察で焦点 が当てられ、重きが置かれている点(一致の側 面)が変化しているように感じられる。そこで、 ここではカウンセラーの一致とはどのようなこ とを意味しているかを整理し、明確化を行う。 なお、ロジャーズは「統合された、全体的な、 純粋な、などという言葉が一般に用いられてい るが、これらは経験と自己との一致をあらわす 同義語である」(Rogers,1959a)としている。  ①経験と意識との一致  ロジャーズは「自己経験が正確に象徴化され、 この正確に象徴化された形で自己概念のなかに 包含される場合が、自己と経験との一致の状態 である」(Rogers,1959a)、「私は、体験と意識 とが正確に合致しているという意味で、『一致』 という用語を使っている」(Rogers,1961)と述 べている。このように、元々は、経験している ことが正確に象徴化され、意識されている自分 (自己概念)と一致していることを意味してい る。  ②経験と意識と表現との一致  ロジャーズはしだいに、「一致とは、体験し ていることと意識していることが正確に合致し ていることを示すために用いられる用語であ る。さらにそれを、体験と意識およびコミュニ ケーションが合致しているという意味に広げて もいいかもしれない」(Rogers,1961)と考える ようになり、「お腹の底で経験されつつあるこ とと、意識の上に気づかれていることと、クラ イエントに向かって表現されていることの間 に、密接な対応、すなわち一致があることであ る」(Rogers,1977)ととらえるようになる。な お、ここで表現が一致することは、心に浮かん でくる感情をすべて表現することを意味するの ではない。適当ならば伝えうるということであ り、伝えられる内容が経験や意識と一致してお り、偽りではないことを意味している。  ③全体性、統合性  その瞬間瞬間の経験を意識に否定することな く、正確に象徴化していくことができれば、意 識される自分は、経験全体が包含され、統合さ れたものになる。それは、何らかの経験(経験 している感情や態度)が意識に否定されたり、 歪曲されたりしていないことを示している。  ④純粋性、真実性  経験と意識と表現とが一致していることは、 自分が偽りなく、真実であり、ありのままであ る(存在する)といえる。それは、仮面をかぶっ たり、外見をつくろったり、見せかけようとす ることとは正反対である。  ⑤透明さ  純粋であり、真実であるということは、クラ イエントの視点に立てば、カウンセラーのあり のままを見通すことができることであり、何か を隠しているということを感じないことであ る。  ⑥内部を流れている感情や態度に開かれてい る  経験と意識とが一致するためには、その瞬間 に自分の内部を流れている感情や態度に開かれ ていること、すなわち、体験過程の流れに開か れ気づかれている必要がある。また、そのため には、自分の中で起こっていることに受容的に 耳を傾けることができることが重要になる。  ⑦感情や態度を受容する  自分の内部を流れている感情や態度に正確に 気づくことができたとしても、それを受容する ことができなければ、ありのままであることは 困難である。従って、内部の感情や態度を事実

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として、また自分の一部として受け入れること ができ、クライエントとの関係においてその感 情でいることができる必要がある。これはクラ イエントに対する否定的感情が含まれている時 にも当てはまり、偽りのポーズを取るよりは、 純粋で、真実であることが望ましい。  ⑧実存的な選択  ロジャーズは「私のコミュニケーションを、 自分が体験していることについて実4・際4・に4・持4・っ4・て4・ い4・る4・意識と一致させるかどうかは、常に実存 的な選択の問題である」(Rogers,1961)と指摘 している。このように、意識と表現との一致に は、経験し意識していることを伝えるかどうか という実存的な選択を伴う。その中でも、「セ ラピストが一人の人間として本当に対峙してい るのかは、セラピストがクライエントに否定的 感情を体験している時に、試されることになり ます」(Rogers & Russell,2002)としている。  ⑨ひとりの人間とする  一致しているということは、専門家らしさと いう仮面の陰に隠れたり、告白者-専門家とい う関係を取らないということである。これを、 ロジャーズは「私は、彼との関係の中で、自分 をひとりの人間-真実で、不完全な-としたの である」(Rogers,1962)と表現している。  ⑩人や時による違い  ロジャーズは「人それぞれ、一致の度合いは 異なる。また、同じ人であっても、そのときど きで一致の程度は異なるのである。と言うの は、その人が何を体験しているかによって、ま たその人が意識の中でその体験を受け入れるこ とができるかどうかによって、さらにその体験 に対してその人が自分を防衛しなければならな いかによって、一致の度合いは異なってくるか らである」(Rogers,1961)と述べており、一致 の度合は人によって、またその時々によって異 なる。  ⑪一致の難しさ  ロジャーズは一致について、「この条件を完 全に達成する者はいない」(Rogers,1962)とし ている。また、自身の経験として、「あるがま まの自分を受容できること、そしてそのことを 他者の目にさらすことができるようになること は、私の知る中で最も難しいことであり、私自 身いまだかつてそれを十分は達成できていな い」(Rogers,1961)、「ある瞬間に於て、その 時自分が経験しつつある事を知るのは容易では ありません。けれども、もう何年もその努力を 重ねてきて、何か力づけられてきたのを感じる のです。しかしながら、それは生涯の課題であ り、人が自己の内的経験に楽に触れうることは 不可能であることは認めます」(Rogers,1980) と述べている。このように、一致するというこ とは容易なことではなく大きな課題であり、自 分自身に耳を傾けるなどの努力を重ねる必要が ある。また、日常生活においていつも一致して いることは不可能であり、カウンセラーはクラ イエントとの関係において一致していれば十分 である。 2.経験し意識していることの表現  カウンセラーの一致における経験し意識し ていることの表現について、ロジャーズは「喜 んで自分の言葉、行動で、内在するいろいろ な感情、態度を表現することである」(Rogers, 1956b)、「自分の内面に生起するものを経験 し、所有し、気づき、それを表現する程度に 応じてクライエントの中での成長を促進する ことが可能であろう」(Rogers,1977)として いる。その一方で、「私は、純粋であるという 気軽な考えから、心に浮かんでくる感情や非 難などのすべてを、みさかいもなく口にだす ことが援助的である、といっているのではな い」(Rogers,1962)、「セラピストがそのクラ イエントに、彼の感情のすべてを明白に表現す ることによって重荷を負わせるということで はない。それは、セラピストが彼の全体的自 己をそのクライエントに打ち明けるというこ とでもない」(Rogers,1966)と述べている。ま た、「必要であればその感情を伝えることもで きる」(Rogers,1961)、「適当な時には、それ を伝えることができる」(Rogers,1962)とも述 べている。しかし、どのような時が必要な適当 な時であるのかは明確には述べていない。ただ し、ロジャーズは「その関係のなかに存在して

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いるいかなる持4・続4・的4・な感情でも、すすんでそ れになるということであり、そしてその感情 をクライエントに知らせるということなので ある」(Rogers,1966)、「私は、意味のある関 係または継続的な関係の中で、ある個人やグ ループに対してなんらかの持4・続4・的4・感情を経験し た時には、それを口に出すように努めている」 (Rogers,1970)と述べており、カウンセラーの 持続的な感情を伝えることの重要性、必要性を 指摘している。これは否定的感情にも当てはま り、次のように述べている。「否定的感情がか くされるということは、もっと有害になるので ある」(Rogers,1966)、「偽りの姿勢をとるよ りも、それらの諸態度を表明し、そのようにし てありのままであることのほうが、そのセラ ピストにとって好ましいのである」(Rogers & Truax,1967)、「私は、クライエントに対する 否定的感情が続いているときは、持ち続けるよ り表現したほうがいいことに気づきました。変 化を生み出すし、居心地のいいセラピストとい う壁を越えて、その関係のなかで、一人の人間 として実存する広がりを生み出します」(Rogers & Russell,2002)。  このような感情や態度、特に否定的感情を伝 える際には、「自己自身の内部にすすんでいる 体験過程の流れ-それはとくに複雑さとたえざ る変化という特色をもつ流れであるが-によく 気づいているという困難な仕事を含んでいる」 (Rogers,1966)。そして、クライエントについ ての事実として認識しているのではなく、「そ れは私自身の感じかたなのだというように表現 するならば、もっと深い関係に進んで行く可能 性があることになる」(Rogers,1962)。また、 「この感情は複雑でたえず変化する流れの中に 存在している。そのことも伝えられる必要があ る」(Rogers,1962)。たとえば、その感情を感 じている時の苦しさ、その感情を表現する時の 不快な気持ち、クライエントともっと触れ合い たいと願う気持ちなどである。「そしてこのよ うな感情を表現しようと努めているときでさえ も、その感情は変化をつづけているのである」 (Rogers,1966)。このようにカウンセラーの中 で生じたある一つの感情だけを伝えるというの ではなく、それに付随する他の感情や、伝えよ うとする過程で起こってくる、また変化してい く感情にも十分に気づき、伝えていくことが重 要となる。  ロジャーズは一致している場合における表現 の特徴についても取り上げ、Rogers(1961)で 次のように述べている。一致している場合に は、「体4・験4・についての正確な意識は、常に内的 な枠組みから見た感情や知覚や意味などとして 表現されるであろう」、「一致の状態にある人は 必然的に、自分が知覚していることや感じてい ることをありのままに伝えることになるし、そ れらが他者や自分以外の世界に関しての事4・実4・で あるかのように伝えることはしないはずであ る」。また、他者が一致、不一致にどのように 気づくか・識別するかという点についても触 れ、Rogers & Truax(1967)で次のように述べ ている。一致している場合は、「彼の開放性は、 普通、彼の声の質、および彼の表明のしかたか ら、いちばん明白なのである」としている。不 一致の場合は、「彼のことばの内容と、彼の声 の質、もしくは彼が表わす非言語的な手がか り、との間の矛盾によって立証される」、「彼の 諸応答は、彼がほんとうに感じ、かつ意味する ことであるよりもむしろ、聞こえがよいように 形づくられている、という印象を与える」とし ている。  ロジャーズはカウンセラーの新しい在り方と して、沈黙が続くクライエントとの関わりにつ いて取り上げ、Rogers(1966)で次のように述 べている。「もしそこに関係というものが必要 であるならば、セラピストは彼自4・身4・の4・感情をそ こに呼びだすことが必要になってくるのであ る」、「彼自身の感じている体験過程のなかに潜 在している意味を表現することによって、クラ イエント中心のセラピストは、意味深い関係に いたる橋をかけることができる」。このように、 自身の体験過程をより積極的に活用し、表現す ることが重要となることを指摘している。 3.カウンセラーの一致がもたらすもの  ロジャーズは次のような内容を上げている。

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