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ことは空間や装飾から理解できるが 打出の小槌というシンボルマークを建築装飾に取り入れることは遠藤新の独創性によるものであると考えることが可能である 甲子園会館 ( 旧甲子園ホテル ) の建築装飾にははっきりとわかる打出の小槌やそれらしきものまでいたるところに打出の小槌が存在している これを見た時に

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【参考文献】 石川清子編 1994『きもの冠婚葬祭』世界文化社 大江迪子 2001「日本における婚礼衣装 -江戸・明治・大正時代-」『大谷女子短期大学 紀要第 45 号』資料 1-15 小池三枝 1997『服飾の表情』勁草書房(1991 初版) 小泉和子 2014『昭和の結婚』河出書房新社 国民礼法研究会 1941『昭和の国民礼法:文部省制定』帝国書籍協会 小山直子 2016『フロックコートと羽織袴 礼装軌範の形成と近代日本』勁草書房 髙島めぐみ 1998「近代初期における婚礼衣装の一考察 -文化資料館特別展『婚』の資料 を中心に(その 2)-」 『和洋女子大学文化資料館・博物館学課程報告 8 号』41-49 大丸弘,高橋晴子 2016『日本人の姿と暮らし 明治・大正・昭和前期の身装』三元社 馬場一郎編著 1975『別冊太陽 SPRING’75 婚礼』平凡社 南博編 1986『近代庶民生活誌 第 5 巻 服飾・美容・儀礼』三一書房 三宅正弘 2009『甲子園ホテル物語 西の帝国ホテルとフランク・ロイド・ライト』東方出版 読売新聞 1930.10.11「ちかごろの婚礼」朝刊 5 頁 婦女新聞 1932.1.1「男子禮装問答(上)」6 頁 婦女新聞 1932.1.10「男子禮装問答(中)」4 頁 婦女新聞 1932.1.17「男子禮装問答(下)」5 頁 朝日新聞 1933.9.9「めざめた結婚式」東京 朝刊 5 頁 読売新聞 1933.11.23「飛ぶやうに出る婚礼の貸衣裳」朝刊 12 頁 朝日新聞 1937.3.3「現代結婚風景 婚礼衣装の巻 上 華美と節約のふたつの流れ」東京 夕刊 4 頁 婦女新聞 1938.7.3「婚礼・葬儀は簡素に」10 頁 朝日新聞 1940.9.24「簡易婚礼服」東京 朝刊 4 頁 武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル) http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kkcampus/index.html(2017.03.10) 【参考写真資料】 写真展 2016「甲子園ホテルと共に -人生の華と慶び-」武庫川女子大学生活美学研究所・ 甲子プロジェクト共催 11 月 14 日~11 月 21 日出展写真 29 点 所蔵:武庫川女子大学甲子園会館庶務課

建築に隠れたシンボルマーク

―甲子園会館(打出の小槌)と東京ディズニーランド(隠れミッキー)の比較― 生活美学研究所

草 野 桃 子

1.はじめに 私の所属する武庫川女子大学生活美学研究所は大学が所有している学舎である甲子園会 館(旧甲子園ホテル)内にあり、近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト(1867-1956)の作 風を残す建築(いわゆるライト式建築)として国の重要文化財に登録されている。現在本大 学の建築学科の学生やオープンカレッジの学生が学ぶ場所として、社交ダンス、シンポジ ウム、ライトアップや七夕等のイベント、見学など地域に開かれているが、当時の雰囲気 を味わうにとどまっている。 今年度より生活美学研究所では「甲子プロジェクト」という、甲子園会館(旧甲子園ホテ ル)のシンボルマークになっている打出の小槌をもとに、水の広がりからなる地域の繁栄、 大黒天による繁栄といった打出の小槌というデザインにこめられた想いを追究していく 5 カ年計画の新事業を立ち上げた。 ライト式建築は有機的建築として知られ、自然やその土地の環境といった外部の自然と の共生していくような建築であることがわかる。甲子園会館(旧甲子園会館)もまわりの緑 と共生し水の流れを思わせる設計や滴のデザインまた打出の小槌がちりばめられている。 竣工当時(1930 年頃)この地域は農村で水は重要なものであり、人々の生活を支えるもので あった。その水と打出の小槌という縁起物をデザインに盛り込むことで宿泊に来た人たち だけでなく、地域の人にも福が来るようにと願いを込めた建築物であったのではないかと 推測できる。 シンボルマークとして打出の小槌のような日本文化を表すマークは当時の高級ホテルに はあまりない。立地・建築形態を用いる建築として富士山ホテルの富士山はそのひとつで あると考えるが、当時としてはあまり類のないシンボルマークではないだろうか。打出の 小槌をモチーフとした建築装飾のバリエーションとして、ひとつのモチーフに打出の小槌 を具象し抽出することは他に類似した事例は少ない。師であるフランク・ロイド・ライト による帝国ホテルは高い装飾性で知られるが、このような装飾のバリエーションは見られ ない。ここには設計者でありフランク・ロイド・ライトの愛弟子である遠藤新(1889-1951) の独創性によるものであると考えられる。帝国ホテルはフランク・ロイド・ライトの代表 作でもあり、当時の日本の迎賓館として存在していた。現在は愛知県にある明治村の中に ライト館として一部が移築保存されている。甲子園会館(旧甲子園ホテル)と建築装飾の雰 囲気は似ているが、打出の小槌のようなシンボルマークになる要素が強いものは見受けら れない。師であるライトの建築観や考えを甲子園会館(旧甲子園ホテル)に反映させている

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ことは空間や装飾から理解できるが、打出の小槌というシンボルマークを建築装飾に取り 入れることは遠藤新の独創性によるものであると考えることが可能である。 甲子園会館(旧甲子園ホテル)の建築装飾にははっきりとわかる打出の小槌やそれらしき ものまでいたるところに打出の小槌が存在している。これを見た時に、東京ディズニーリ ゾート(以下 TDR)内に存在している隠れミッキーマウス(以下隠れミッキー、Hidden Mickeys)のようなものであると感じた。隠れミッキー(Hidden Mickeys)とは東京ディズニ ーランド(以下 TDL)と東京ディズニーシー(以下 TDS)のテーマパーク内の建造物やアトラク ションなどにデザインされている丸が 3 つ配置されたミッキーマウス(以下ミッキー)の顔 のシルエットのことであり、屋根の部分や壁面、アトラクションの装飾、地面にまで見て すぐミッキーとわかるものからそれらしきものまで両テーマパーク内にちりばめられてい る。 ホテルの第一人者であった林愛作の理念と設計者でフランク・ロイド・ライトの愛弟子 であった遠藤新が宿泊という目的以外に、この当時から人を喜ばせるために打出の小槌を 建築に盛り込んでいたとすると、今現在私たちが TDR に行き、アトラクションやパレード を楽しむという以外に隠れミッキーを見て喜び、楽しみながら探すということの共通項が 見えてくる。人を楽しませる場所、老若男女を問わない、地域や文化を伝えるものとして ホテルとテーマパークは類似している部分がある。どちらも来客者にとっての「楽しさ」 があり、そこには世代を超えた普遍的な楽しさが存在している。また甲子園会館(旧甲子園 ホテル)は宿泊客となる日本人家族の子どもや女性のことを配慮し、洋室と和室を連続させ たスイートルームをつくる。これは当時の日本のホテルでは初めてのことであった。女性 や子どもにも配慮していたとしたら、隠れミッキーに近いような遊び心で打出の小槌を建 築装飾のバリエーションとして考えられていたのではないかという可能性が出てくる。 「甲子プロジェクト」のひとつとして、私は甲子園会館(旧甲子園ホテル)の打出の小槌 と TDL のミッキーマウスとの比較・調査から、シンボルマークに込められた意味や地域に 与える影響を考察したい。今回は本論を進めていくにあたり素地となる“ディズニーラン ド”と“ミッキーマウス”について述べてきたい。 2.ディズニーランドとディズニー・テーマパークについて 2-1 世界に点在するディズニーランド、ディズニー・リゾート ディズニーランドとはウォルト・ディズニー(1902-1966)が創り上げた映画やアニメーシ ョン、キャラクターの世界観をパレードやアトラクション等で体感できる遊園地である。 ディズニーの世界観が楽しめるパークはアメリカ・カリフォルニア州アナハイムにディ ズニーランド・リゾート(ディズニーランド・パーク、ディズニー・カリフォルニア・アド ベンチャー・パーク)、フロリダ州オーランドにウォルト・ディズニー・ワールド・リゾー ト(マジックキングダム・パーク、エプコット、ディズニー・ハリウッド・スタジオ、ディ

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ことは空間や装飾から理解できるが、打出の小槌というシンボルマークを建築装飾に取り 入れることは遠藤新の独創性によるものであると考えることが可能である。 甲子園会館(旧甲子園ホテル)の建築装飾にははっきりとわかる打出の小槌やそれらしき ものまでいたるところに打出の小槌が存在している。これを見た時に、東京ディズニーリ ゾート(以下 TDR)内に存在している隠れミッキーマウス(以下隠れミッキー、Hidden Mickeys)のようなものであると感じた。隠れミッキー(Hidden Mickeys)とは東京ディズニ ーランド(以下 TDL)と東京ディズニーシー(以下 TDS)のテーマパーク内の建造物やアトラク ションなどにデザインされている丸が 3 つ配置されたミッキーマウス(以下ミッキー)の顔 のシルエットのことであり、屋根の部分や壁面、アトラクションの装飾、地面にまで見て すぐミッキーとわかるものからそれらしきものまで両テーマパーク内にちりばめられてい る。 ホテルの第一人者であった林愛作の理念と設計者でフランク・ロイド・ライトの愛弟子 であった遠藤新が宿泊という目的以外に、この当時から人を喜ばせるために打出の小槌を 建築に盛り込んでいたとすると、今現在私たちが TDR に行き、アトラクションやパレード を楽しむという以外に隠れミッキーを見て喜び、楽しみながら探すということの共通項が 見えてくる。人を楽しませる場所、老若男女を問わない、地域や文化を伝えるものとして ホテルとテーマパークは類似している部分がある。どちらも来客者にとっての「楽しさ」 があり、そこには世代を超えた普遍的な楽しさが存在している。また甲子園会館(旧甲子園 ホテル)は宿泊客となる日本人家族の子どもや女性のことを配慮し、洋室と和室を連続させ たスイートルームをつくる。これは当時の日本のホテルでは初めてのことであった。女性 や子どもにも配慮していたとしたら、隠れミッキーに近いような遊び心で打出の小槌を建 築装飾のバリエーションとして考えられていたのではないかという可能性が出てくる。 「甲子プロジェクト」のひとつとして、私は甲子園会館(旧甲子園ホテル)の打出の小槌 と TDL のミッキーマウスとの比較・調査から、シンボルマークに込められた意味や地域に 与える影響を考察したい。今回は本論を進めていくにあたり素地となる“ディズニーラン ド”と“ミッキーマウス”について述べてきたい。 2.ディズニーランドとディズニー・テーマパークについて 2-1 世界に点在するディズニーランド、ディズニー・リゾート ディズニーランドとはウォルト・ディズニー(1902-1966)が創り上げた映画やアニメーシ ョン、キャラクターの世界観をパレードやアトラクション等で体感できる遊園地である。 ディズニーの世界観が楽しめるパークはアメリカ・カリフォルニア州アナハイムにディ ズニーランド・リゾート(ディズニーランド・パーク、ディズニー・カリフォルニア・アド ベンチャー・パーク)、フロリダ州オーランドにウォルト・ディズニー・ワールド・リゾー ト(マジックキングダム・パーク、エプコット、ディズニー・ハリウッド・スタジオ、ディ ズニー・アニマルキングダム)、日本・千葉県浦安市に東京ディズニーリゾート(東京ディ ズニーランド、東京ディズニーシー)、フランス・マルヌ・ラ・ヴァレにディズニーランド・ リゾート・パリ(ディズニーランド・パーク、ウォルト・ディズニー・スタジオ・パーク)、 中国・香港に香港ディズニーランド・リゾート(香港ディズニーランド・パーク)、上海に 上海ディズニーリゾート(上海ディズニーランド)の 6 か所のディズニーランドと 12 か所の ディズニー・テーマパークが世界に存在している。ディズニーランドが最初に出来たのは 1955 年であり、アメリカ・カリフォルニア州アナハイムにあるディズニーランド・パーク である。その後 1971 年マジックキングダム・パーク(フロリダ州オーランド)、1982 年エプ コット(フロリダ州オーランド)、1983 年東京ディズニーランド(千葉県浦安市)、1989 年に ディズニー・ハリウッド・スタジオ(フロリダ州オーランド)、1992 年ディズニーランド・ パーク(マルヌ・ラ・ヴァレ)、1998 年ディズニー・アニマルキングダム(フロリダ州オーラ ンド)、2001 年ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー・パーク(カリフォルニア州 アナハイム)、東京ディズニーシー(千葉県浦安市)、2002 年ウォルト・ディズニー・スタジ オパーク(マルヌ・ラ・ヴァレ)、2005 年香港ディズニーランド・パーク(香港ランタオ島)、 2016 年上海ディズニーランド(上海)が誕生している。 アメリカ以外の国でディズニーランドが出来たのは日本が初めてである。また最初に出 来たアナハイムに位置するディズニーランド・パークが他のディズニーランドの基本とな っていると考え、ディズニーランド・リゾートの“魔法の王国”ディズニーランド・パー ク(以下 DLP)と日本で初めて出来た東京ディズニー・リゾートの“夢と魔法の王国”TDL に 焦点を当てて調査をしていく。 2-2 ディズニーランド内の世界観 本研究の研究対象となるディズニーランドはそれぞれにテーマがあり、それに沿って構 成されている。 DLP には 8 つのテーマランドがあり、メインストリート USA、トゥモローランド、ファン タジーランド、ミッキーのトゥーンタウン、フロンティアランド、クリッターカントリー、 ニューオーリンズ・スクエア、アドベンチャーランドが存在している。TDL には 7 つのテー マランドがあり、ワールドバザール、トゥモローランド、ファンタジーランド、トゥーン タウン、クリッターカントリー、ウエスタンランド、アドベンチャーランドが存在してい る。この 2 つのディズニーランドは配置やそれぞれのテーマランドの雰囲気も類似してい る。これは DLP をほとんどそのまま TDL に反映させたためだと考えられる。 TDL の公式マップに掲載されている各テーマランドのキャッチコピーと照合しながら各 テーマランドについて簡潔に述べたい。メインストリート USA(DLP)とワールドバザール (TDL)は“ヴィクトリア朝様式の建物が軒を連ねる古き良きアメリカの街並”1900 年代ウォ ルトが幼少期を過ごしたマーセリンの街並みを再現したテーマランド、トゥモローランド (DLP、TDL)は“未知と冒険が待っている宇宙と未来の世界”スペースマウンテンやスター

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ツアーズといったアトラクションがあり近未来を思わせるテーマランド、ファンタジーラ ンド(DLP、TDL)は“ディズニー映画の主人公に出会える夢と童話の世界”「不思議の国のア リス」や「ピーターパン」「ピノキオ」「白雪姫」などの世界観にあふれ、現実的でありな がら幻想の世界観を感じさせるテーマランド、ミッキーのトゥーンタウン(DLP)とトゥーン タウン(TDL)は“ギャグとユーモアがあふれるミッキーと仲間たちの住む街”ミッキーやミ ニー、ドナルドなどミッキーとその仲間たちが暮らしている街を創り上げたテーマランド、 クリッターカントリーは(DLP、TDL)“アメリカ河のほとりに広がる小動物たちの郷くに”アト ラクションであるスプラッシュマウンテンがそびえ、森に生活している動物たちをメイン としたテーマランド、フロンティアランド(DLP)とウエスタンランド(TDL)は“フロンティ アスピリットが息づく西部開拓時代のアメリカ”アトラクションであるビックサンダーマ ウンテンがそびえ、蒸気船マークトウェイン号やテーマパーク、アドベンチャーランド(DLP、 TDL)は“熱帯植物が生い茂る冒険とロマンの世界”熱帯やサバンナを思わせるテーマラン ド、DLP にあるニューオーリンズ・スクエア(DLP)は大航海時代の雰囲気とウォルト・ディ ズニーが経験したニューオーリンズの街並みが再現されたテーマランドであり、TDL ではア ドベンチャーランドに含まれているものと考えられる。 ウォルト・ディズニーが生み出したアニメーションや映画、キャラクターの世界観だけ でなく、ウォルト・ディズニーが人生の中で経験してきた街並みや情景、原風景をも盛り 込んだテーマランドがつくられ、ディズニーランドは構成されている。 3.ディズニーランドのシンボルマーク 3-1 ミッキーマウス ミッキーマウス(以下ミッキー)はディズニーランドの創始者であるウォルト・ディズニ ーが創り上げたネズミのキャラクターである。ただのネズミではなく、二足歩行であり服 も着る、食事をする、演奏をする、歌を歌うなど人間のような動きをするネズミである。 ガールフレンドのネズミのミニーマウス(以下ミニー)や仲間であるアヒルのドナルドダッ ク(以下ドナルド)、犬のグーフィー、ミッキーの飼い犬であるプルート、ライバルのピー トなど多くのキャラクターも存在している。 ミッキーの誕生には諸説ある。ボブ・トマス(2010)はその説の大部分はウォルト・ディ ズニー自身が作りあげたとしている。ミッキーより先に生み出した「しあわせうさぎのオ ズワルド」のキャラクターであるウサギのオズワルド(の版権)を失うという痛い打撃を受 け、その帰途の汽車の中で思いついたという説、カンザスシティにいた時に自分の画板の 周りを走っていたペットのネズミがモデルとなったという説などがある。どれも事実に基 づいているが本当はどのようにして誕生したのかは不明としているが、ミッキーの性格と 声を提供したウォルト・ディズニーとミッキーに形と動きを与えたアブ・アイワークス (1901-1971)の共同作業の結果であるとしている。また、柳生すみまろ(2011)はミッキーが

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ツアーズといったアトラクションがあり近未来を思わせるテーマランド、ファンタジーラ ンド(DLP、TDL)は“ディズニー映画の主人公に出会える夢と童話の世界”「不思議の国のア リス」や「ピーターパン」「ピノキオ」「白雪姫」などの世界観にあふれ、現実的でありな がら幻想の世界観を感じさせるテーマランド、ミッキーのトゥーンタウン(DLP)とトゥーン タウン(TDL)は“ギャグとユーモアがあふれるミッキーと仲間たちの住む街”ミッキーやミ ニー、ドナルドなどミッキーとその仲間たちが暮らしている街を創り上げたテーマランド、 クリッターカントリーは(DLP、TDL)“アメリカ河のほとりに広がる小動物たちの郷くに”アト ラクションであるスプラッシュマウンテンがそびえ、森に生活している動物たちをメイン としたテーマランド、フロンティアランド(DLP)とウエスタンランド(TDL)は“フロンティ アスピリットが息づく西部開拓時代のアメリカ”アトラクションであるビックサンダーマ ウンテンがそびえ、蒸気船マークトウェイン号やテーマパーク、アドベンチャーランド(DLP、 TDL)は“熱帯植物が生い茂る冒険とロマンの世界”熱帯やサバンナを思わせるテーマラン ド、DLP にあるニューオーリンズ・スクエア(DLP)は大航海時代の雰囲気とウォルト・ディ ズニーが経験したニューオーリンズの街並みが再現されたテーマランドであり、TDL ではア ドベンチャーランドに含まれているものと考えられる。 ウォルト・ディズニーが生み出したアニメーションや映画、キャラクターの世界観だけ でなく、ウォルト・ディズニーが人生の中で経験してきた街並みや情景、原風景をも盛り 込んだテーマランドがつくられ、ディズニーランドは構成されている。 3.ディズニーランドのシンボルマーク 3-1 ミッキーマウス ミッキーマウス(以下ミッキー)はディズニーランドの創始者であるウォルト・ディズニ ーが創り上げたネズミのキャラクターである。ただのネズミではなく、二足歩行であり服 も着る、食事をする、演奏をする、歌を歌うなど人間のような動きをするネズミである。 ガールフレンドのネズミのミニーマウス(以下ミニー)や仲間であるアヒルのドナルドダッ ク(以下ドナルド)、犬のグーフィー、ミッキーの飼い犬であるプルート、ライバルのピー トなど多くのキャラクターも存在している。 ミッキーの誕生には諸説ある。ボブ・トマス(2010)はその説の大部分はウォルト・ディ ズニー自身が作りあげたとしている。ミッキーより先に生み出した「しあわせうさぎのオ ズワルド」のキャラクターであるウサギのオズワルド(の版権)を失うという痛い打撃を受 け、その帰途の汽車の中で思いついたという説、カンザスシティにいた時に自分の画板の 周りを走っていたペットのネズミがモデルとなったという説などがある。どれも事実に基 づいているが本当はどのようにして誕生したのかは不明としているが、ミッキーの性格と 声を提供したウォルト・ディズニーとミッキーに形と動きを与えたアブ・アイワークス (1901-1971)の共同作業の結果であるとしている。また、柳生すみまろ(2011)はミッキーが 誕生したのは 1928 年であり、ウォルト・ディズニーがオズワルドの版権を奪われ、ニュー ヨークに帰るために乗ったサンタ・フェ鉄道の中で思いついたと伝えられているとしてい る。ミッキーの誕生はいずれもウォルト・ディズニーがこれまでにネズミと関わりがあっ たことで誕生したと考えられる。 初めてミッキーが登場したのは 1928 年 11 月 18 日コロニー劇場で上映された「蒸気船ウ ィリー」であり、それ以降 140 本以上の作品に登場している。この「蒸気船ウィリー」の 上映日である 11 月 18 日がミッキーの誕生日となっている。 ディズニーランド内においてミッキーは絶対的な存在であり、必要不可欠な存在である。 入場して最初に目に入る花壇もミッキーの顔になるように花が植えられている。建物や看 板などにもミッキー、ショーやパレードにもミッキーが登場する。ミッキーなしでは成立 しない世界観がパーク内にはある。ミッキーはただのディズニーキャラクターとしてでは なく、ディズニーランドに来たゲストを迎えるホストであり、親善大使のような象徴的存 在としてのディズニーランドには欠かせないキャラクターであると考える。 3-2 隠れミッキー(Hidden Mickeys) 隠れミッキー(Hidden Mickeys)とはディズニーのテーマパーク内の建築装飾としてデザ インされている丸が 3 つ配置されたミッキーの顔のシルエットのことであり、すぐにわか るものから、よく見るとわかるものまで存在している。他にもミッキーの全身や横顔のシ ルエットなども存在するが、丸が 3 つ配置されている顔のシルエットのデザインのものが 多い。隠れミッキー(Hidden Mickeys)は山口有次(2015)によると、オープン当時は非常に 斬新であり、遊び心が感じられると述べている。隠れミッキー(Hidden Mickeys)は途中か ら考えられたデザインではなく、当初から考えられていたデザインであることがわかる。 山口有次(2015)はディズニーランド“夢と魔法の王国”の空間計画「10 の視点」として、 ①内と外(夢と魔法の王国のイメージ保持) ②スケール感(本物より本物らしく見せる遠 近法) ③ストーリー(物語性と楽しい時間の連続性) ④ハブとサークル(円形につなげる 回遊性) ⑤ディテール(細部にこだわったデザイン) ⑥リニューアル(永遠に未完成) ⑦表と裏(裏方は見せない) ⑧キャパシティ(適度な収容能力) ⑨ストレスフリー(あら ゆるストレスの除去) ⑩サプライズとプレミア(驚きと感動の付加)を挙げている。これを 基に隠れミッキー(Hidden Mickeys)を考えると、隠れミッキー(Hidden Mickeys)は⑤ディ テールと⑩サプライズとプレミアに属す空間計画のひとつとして存在すると考えることが できる。また、TDR ではパーク内だけでなく直営ホテル(東京ディズニーランドホテル、デ ィズニーアンバサダーホテル、東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ、東京ディズニー セレブレーションホテル)、オフィシャルホテル(サンルートプラザ東京、シェラトン・グ ランデ・トーキョーベイ・ホテル、東京ベイ舞浜ホテル、東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾ ート、ヒルトン東京ベイ、ホテルオークラ東京ベイ)とパークを循環する「ディズニー・リ ゾート・クルーザー」、TDL と TDS をつなぐモノレール「ディズニー・リゾートライン」に

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もミッキーを思わせるデザインが随所にちりばめられている。山口有次(2015)はこのよう なデザインをパーク外からストーリーを意識させる仕掛けとし、非日常性のパークの雰囲 気を高める装置としてパーク内外において徐々にパークのイメージを喚起するような仕掛 けは、ストーリーに入り込むきっかけづくりとして有効であるとしている。ディズニーと いう大きなストーリーの中に入っていくための小さいが大きな仕掛けとしても隠れミッキ ー(Hidden Mickeys)は存在していると考えられる。 隠れミッキー(Hidden Mickeys)は建築装飾として常に存在するものだけではない。パー クを清潔に管理する清掃担当のキャスト“カストーディアル(custodial)”によるモップを 使って水で描きあげるモップアートや落ち葉を集めて表現する落ち葉アートもその瞬間だ けの隠れミッキー(Hidden Mickeys)と考えることができる。ミッキー以外のキャラクター を表現することもあるため隠れミッキー(Hidden Mickeys)と呼ぶことは困難ではあるが、 丸 3 つで再現できるミッキーは特に落ち葉アートでは多いのではないかと考えられる。 隠れミッキー(Hidden Mickeys)はパークをより楽しむための仕掛け・デザインのひとつ としてパーク内外に存在していると考える。 3.今後の調査について 本論は本研究を進めていくための導入部分として、ディズニーランドの概要、シンボル となっているミッキー、文献に書かれている隠れミッキー(Hidden Mickeys)について述べ た。文献中に掲載されている隠れミッキー(Hidden Mickeys)はわかりやすいものが多かっ たが文献中に掲載されている隠れミッキー(Hidden Mickeys)の数がすべてではない。これ は見る人によっては隠れミッキーに見えるものも存在すること、ディズニーランドが「永 遠に未完成」のものとして、改修や増築等のメンテナンスや開発と共に増えている可能性 も考えられるためである。甲子園会館の打出の小槌は当時のまま変わらずに保存されてい るため増えることはないが、1930 年代にシンボルマークを来客者の楽しみのため、周辺地 域の人への幸福を願う気持ちが込められ建築装飾として散りばめられていたのだとするな らば、TDL の隠れミッキー(Hidden Mickeys)の存在もゲストを楽しませ、幸せを願う象徴と して考えることができる。打出の小槌である理由、ミッキーである理由にも何かしらの共 通項が見えてくる可能性もある。 今後の研究調査では、甲子園会館の打出の小槌、TDL の隠れミッキー(Hidden Mickeys) についてフィールドワークを行い、どこにどのような形として存在しているのかを調査、 建築装飾として甲子園会館(打出の小槌)と TDR(ミッキー)の隠れている場所の類似性等を 比較し、その装飾に込めた意味や紐解いていきたい。

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もミッキーを思わせるデザインが随所にちりばめられている。山口有次(2015)はこのよう なデザインをパーク外からストーリーを意識させる仕掛けとし、非日常性のパークの雰囲 気を高める装置としてパーク内外において徐々にパークのイメージを喚起するような仕掛 けは、ストーリーに入り込むきっかけづくりとして有効であるとしている。ディズニーと いう大きなストーリーの中に入っていくための小さいが大きな仕掛けとしても隠れミッキ ー(Hidden Mickeys)は存在していると考えられる。 隠れミッキー(Hidden Mickeys)は建築装飾として常に存在するものだけではない。パー クを清潔に管理する清掃担当のキャスト“カストーディアル(custodial)”によるモップを 使って水で描きあげるモップアートや落ち葉を集めて表現する落ち葉アートもその瞬間だ けの隠れミッキー(Hidden Mickeys)と考えることができる。ミッキー以外のキャラクター を表現することもあるため隠れミッキー(Hidden Mickeys)と呼ぶことは困難ではあるが、 丸 3 つで再現できるミッキーは特に落ち葉アートでは多いのではないかと考えられる。 隠れミッキー(Hidden Mickeys)はパークをより楽しむための仕掛け・デザインのひとつ としてパーク内外に存在していると考える。 3.今後の調査について 本論は本研究を進めていくための導入部分として、ディズニーランドの概要、シンボル となっているミッキー、文献に書かれている隠れミッキー(Hidden Mickeys)について述べ た。文献中に掲載されている隠れミッキー(Hidden Mickeys)はわかりやすいものが多かっ たが文献中に掲載されている隠れミッキー(Hidden Mickeys)の数がすべてではない。これ は見る人によっては隠れミッキーに見えるものも存在すること、ディズニーランドが「永 遠に未完成」のものとして、改修や増築等のメンテナンスや開発と共に増えている可能性 も考えられるためである。甲子園会館の打出の小槌は当時のまま変わらずに保存されてい るため増えることはないが、1930 年代にシンボルマークを来客者の楽しみのため、周辺地 域の人への幸福を願う気持ちが込められ建築装飾として散りばめられていたのだとするな らば、TDL の隠れミッキー(Hidden Mickeys)の存在もゲストを楽しませ、幸せを願う象徴と して考えることができる。打出の小槌である理由、ミッキーである理由にも何かしらの共 通項が見えてくる可能性もある。 今後の研究調査では、甲子園会館の打出の小槌、TDL の隠れミッキー(Hidden Mickeys) についてフィールドワークを行い、どこにどのような形として存在しているのかを調査、 建築装飾として甲子園会館(打出の小槌)と TDR(ミッキー)の隠れている場所の類似性等を 比較し、その装飾に込めた意味や紐解いていきたい。 【参考文献】 1) 山口有次 2015『新ディズニーランドの空間科学―夢と魔法の王国のつくり方』学文社 2) ボブ・トマス 2010『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯 完全復刻版』講談社 3) 柳生すみまろ 2011『柳生すみまろのディズニーランド誕生秘話』講談社 4) レナード・マルティン 2010『マウス・アンド・マジック アメリカアニメーション 前史 上』楽工社 5) ディズニーランド・パーク(公式 HP) 2017 http://disneyparks.disney.go.com/jp/disneyland/destinations/disneyland/ 6) ディズニーランド・パーク(公式 HP)パンフレット 2017 http://wdpromedia.disney.go.com/media/disneyparksjapan-prod/disneyparksjapan_ v0001/1/media/dlr/help/brochure/DLR_all.pdf 7) ディズニーランド・パーク(公式 HP)アトラクション 2017 https://disneyland.disney.go.com/attractions/disneyland/ 8) ディズニーランド・パーク(公式 HP)マップ 2017 https://disneyland.disney.go.com/attractions/disneyland/map/ 9) 東京ディズニーランド(公式 HP) マップ 2017 https://www.tokyodisneyresort.jp/pdf/tdl_wholemap.pdf 10) 東京ディズニーリゾート(公式 HP) 直営ホテル http://www.tokyodisneyresort.jp/hotel/lists/ 11) 東京ディズニーリゾート(公式 HP) オフィシャルホテル http://www.tokyodisneyresort.jp/hotel/list-oh.html 12) ミッキーマウス(公式プロフィール) 2017 http://www.disney.co.jp/fc/mickey-friends/mickey.html

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