チ
ベ ット撰 述
の
ア
ビ
ダ
ル
マ文献
井
上
智
之
チベ ット仏 教に おいて“
chos mfion paコ
コ
(ア ビ ダルマ) とい う ものが 因 明・
般 若・
中観・
律と ともに僧 院に おけ る学習の主要 課 題 に なっ て い る ことは,
今さ ら言うまで も ないこ と である が,
そ れ に対 する研 究は因 明・
般 若・
中 観と較べ る と ま だ未 開 拓の分 野 であると言 えよう。
チ ベ ッ ト仏 教に おい て アビ ダルマ 文 献とい う場 合,
r
阿 毘 達磨倶舎論』 (以下 『倶舎謝 )と 『大 乗 阿 毘 達 磨 集 論 』 (以下 『集 論 亅)の二つ に 限定さ れ るとい っ て も過 言で は ない とい え る が1),
その内 『集論亅につ い て は袴谷 憲昭, 小 谷 信 千 代, 松 田和 信の諸 氏に よっ て チベ ッ ト人 の理 解 内容が紹介さ れ て お り,
唯 識 思 想とい う観 点か ら今 後 も 研 究の発 展が期 待さ れ る。 ま た,
宗義 書の 内の一
項 目 と して の ア ビダルマ につ いて も幾つ か のものが翻 訳さ れ研 究さ れつ つ ある。一
方,
『倶 舎 論 』に対 す る 研 究は小 谷 信 千 代 氏の 『チ ムズ ゥー
』の部 分訳 と研 究,
池田練 太 郎 氏の幾つ かの論 文 が あ る ぐ らいで,
さ らに チベ ッ ト人同士の異 説や論 争 につ い て触れて い るもの となる と殆ど見 当た ら ない。
そ れ自体が チベ ッ ト仏教 を理解 する上で取 り分 け必要ない とい うこ と が,
こうし た研 究 を遅らせて いる最 大の理 由 で あろ うが今一
つ の 理 由と し て チ ム・
ナ ム カ タ クmChims nam mkha ’ grags (
1210−1289
?)の 書い た『チム ズゥ
ー
』を 中 心 とする チム流 (mChimslugs
)のア ビダルマ 理 解が非 常に詳 細かつ 明解である為, 他の論
者 た ちに よ る異 説
,
論争があまり見ら れなかっ た か らではない かとい うこ とが 考 え られ る。
筆者は幸い に し て カ
゜
ワンチュー
タク Nagdba
血 chosgrags (1572
−
1641)の書い たPod
chen drttg gi gtam とい う資 料を手 掛かりに して チベ ッ ト人 に お け る ア ビ ダル マ の理 解にい くつ かの異 説 が 存 在し てい た こ とを知 り得 たので
,
本論で はその内 容につ い て触れて みたい と思う。
本 論に 入 る前にガワ ンチュー
タ ク とPod chen dmg gignm
につい て少し紹介して お くことにする。
彼は後 期 サキャ派のパ ン ディ タで チェ ンガ・
コ ンチョ ク ギ ャムツ ォ sPyan sha
dKon
mchog rgya mtshQ の もと で出家した後, ル トゥブ ギャ ム ツ ォ
Klu
sgrub rgya mtsho のも とで道 果 説に関 するyig cha 等を多く学 習し た といわ
れてい る2)
。
ま たワ ンチ ュ クペ ルサンdBah
phyugdpal
gsah と ジャ ム ヤ ン
・
シェ ラプギャ ム ッ ォ’
Jarn
dbyahSes rab rgya mtsho から 『倶 舎論』の師資相承を受 けて
い る4 )
。
彼は 『倶 舎 論』の注釈と し て 〃の加4
傾 5ρヅ40
η ガ臧 84 鋤bya
’
i
gsqtbyed
を書い てい る3 )。 この テ キス トに は現在,
我々 が入 手 することの出 来 ない ル トゥ ブ ギャ ム ッォや ロ ン トゥ ン・
マ ウェー
セ ンゲ Roh ston smraba
’i sefi ge等の書い た 『倶舎論亅 釈の説も引用さ れ て お り非常に 興味 深い もの である。
彼の書いた
Pod
chen drug gi9tam
は仏 教の教 義を 般若
・
因 明・
律・
ア ビ ダ ルマ・
中観・
三律 儀の六つ に分 け て説 明し た もの で 各章の構 成は,
いずれ も1.
イン ドにお け る文 献 と論 者 につ いての紹介2 .
チベ ッ ト撰 述 文 献 と作 者の紹 介 3.
チベ ッ ト内に おける教義理解に 関する論 争 とい う形 を取っ ており,
サ キャ派を中心 と し て チベ ッ ト 仏 教内に おいて どの様 な注釈書が作ら れてい たのか,
ま た どの様な 理解が な されていたのか を 知 る上で非 常に便 利 なテキス トで ある。 以 下,
」%4
読砌dntg
gi
gtam に 紹介されて い る アビ ダルマ 文 献の作 者名 を リス トア ッ プ し て お く。
作 者 名 R〕6『c ん8η4プπ99 ゴ9’α 觸 紹 介 さ れた テキス ト名 に’
P肋 95 ρα BJo gro5 切D204
細ガ 功ツゴ40
η 5’
ω 6ツ4 yo♂激 吻 η 9∫α仍 ツげ ノ (1235− 1290
)一
4
勲 海 ’o 癩 うα BZo1 (π π 6’π5 如 rηζ乙ηz 6∫α6∫5’
邵 のα 8螂 う磁 ηρα 95α」のθ4 (1276−
1342) 彫C
ゐ吻 5 うプ顔oπ 磁,
ハ厂α9,
うツ42η55κ 9箔α95戸α,
ガター
々 (∫ゴ‘)励 9θ 規 c乃枷 5π47π 々加’C
ゐ052 加oη 鋭4204 々メ ∫5 毎9 9觚 95 」6物r ゐツ邵 餌 ,∫,97r扉 ραの (1210−
1289?)一 13 一
拠
c
ゐ枷 ∫ う♂o 魔碗c
ゐ05 焜 宛oη ρα 93α♂ うツ64 ’ 5 群昌85μ (1299−
1375) ρα7 う匐4ρゴ ゴ yα 解 なゐoη R64 叨 ぬ’
うα〆
幽 0η η8D 驚04 点ツぎ77繊 η3 う5{z4 π π うのgro5 β0 40π 勿 解 ‘ゐ砌 η 診D之04 距ツぎ 7π αη265 α4詑ε のα’
ど ρ如093 伽 η軍α ηz 觸 ぬ 04 yα」F5
踊ツα 吻 9嫐 π η 写N
ση ρα 々π π う躍5 ’α う5’
α4
(1428− 1507
> 診5ゐπ’ 徼 α η 凄’5 ゐo, ゴ 7 如 ∂5 々yガ 伽 幼 δα甜 η 診D驚04 伽 5カツビ 40π c ぬ8η η 多o6
ン6 δ妝 9 ゐ∫α4
η琵豌or g名α83 1の ραGo
r砌 躍 加 う504 ∫「宛z己勉 たんα7η ∫ 3々y8 7ηcゐ84 乏ツゴ π 召 η }∫ ∫8η8ε (1429−
1489)鶸
餮
鑑
鴛
轟
静
2
の ’∫祕’
5θ5 rGy 郎 δα 襯 粥 πめ η3Dzo4 如 yo然 ∫麗 rガτ095 ♪α’
のα 〃 置ψα’
&5 励’
04854 ’ ηLDzo4 走ツどψツf40
π 5P αr δ‘σ4ρα κ 伽 5即 め 瑕 ソα 加D堵04 々ツガ∫カツゴ40π fh8π η 直0 η3‘5 ぬo 9乏μカ9’4々α’
6〆 f8π α5 rηoη2∫ ’α 409 々ツfρん「εhうα う々04 ρα 」α 御 4のα然 ‘ゐ05 η3Dzo4 々ツゴ 5戸ツど 40η yoπ55 麗’
o躍之 θ厂 厂ぬ095 ρ8 ぬ η ‘ん砌厂.
99 π 〃3D904 拝々 ツ0 加 r49095 占 yαρα ガ ワ ンチュー
タ ク は,
こ れ らのチベ ッ ト撰 述 文 献を 紹 介 する箇 所に おい て 「シャー
キャチ ョ ク デ ン Sakyamchog
ldan
(1428−1507
)の mDxodla
spyidon
chen m 。 bye brag bkad mtsh ・r gragsPa
が作ら れ て か ら後,
チベ ッ トにおい て アビ ダルマ 理解につ い て の論 争が な さ れる様になっ た」 と伝 えて い る12)。 ま た
,
教 義 理 解に 関 し て の論 争 内 容を紹介す る 箇所の 冒 頭 に おい て シャー
キャ チョ クデンと ポ トンパ ンチェ ン・
チョ クレー
ナム ギェ ル の 二 人の名 を挙 げて,
こ の 二人の賢 者 達は賢 明 なる こと虚 空の如 く広 大である か どうか
,
gZuhteg
k
”n tu gntb mtha’
の概要 を
一
方で認めなが らも (それとは)反対の誇大解 釈 を してい る13) 。 シャー
キャチョ ク デンがサキャ派 を代 表 するパ ンディ タ で あ り な が ら,
後 半 唯 識 学 や 如 来 蔵 思 想 に 傾 倒 し 「他 空 説 」 を説い た た め にコ ラ ム パ・
ソ ナム セ ンゲGo
rams pa bsod nams seh ge (1429
−
1489)を 中 心とするサ キャ派の正 統 派 か ら異 端 児 扱い を されてい た こ と につ
い て は周 知の如 くである が
,
こ のガ ワ ンチュー
タ クのPod
chendntg
gi gtam に おい ても批判の 中心と なるのは シャ
ー
キャチ ョク デ ンな の である。1 .Pod
chendrug
gi gtam に批 判され る シャー
キャチョクデン の 説
本論は先にも述べ た様に
Pod
chendrug
gi gtam を手掛かりとしてチベ ッ ト人に おけるア ビ ダ ルマ 理 解に異 説 が存 在 して いたことを紹 介 する のが 目的で ある。 そこ で 先 ず
PQd
chendtZt9
gi gtam におい て批 判 対 象 と される シャー
キャチ ョク デ ンの説を紹 介する。
ガ ワ ンチュー
タク は シャー
キャチ ョ ク デ ン の意 見と して次の様 に述べ てい る14)。 さ ら にパ ン チェ ン (シャー
キャ チョ ク デ ン)に よっ て 『仏 陀 そのもの は大 乗の無 学の道諦の み であっ て (
AK .
1−1
の) 「お よそ 総ての (gafi 2igkun
la)」とい う部 分 か ら 「まこ とのかの師に帰 依 して
(
don
b2in
ston pade
la
phyag’
tshal nas )」云々 とい う文 章の内の帰依の対 象とし ての仏陀とい え ど も
,
捨と覚 を完 成 した法 身である と理 解 すべ きで ある。 色 身 は 先の記 述 し た ところの 「敬 礼の対 象 と して の 仏 陀」で は ない。
(何 故な ら ば)そ れ は仮説 さ れ た 仏 陀であるか ら。 こ の見 解は 『倶 舎 論 』 1−
1のαhti kun 毳z mun pa gtan bcom ith〃
’
khor ba’
i
’
dam
las’
groba
dra
血s mdzad pa〃don btin ston a de 如 ha
’
tshat nas 〃 chosmfion mdzod
kyi
bstan
bcos
rabbSad
bya
〃お そ よ総て の闇 を滅 して
,
輪 廻の泥 か ら衆 生 を 救い 出した ま こ とのかの師に帰 依し て,
『阿 毘達磨倶 舎論』 とい う論 書 を説こう。
とい う頌15)を 『倶舎 謝 の 自註にある 仏に帰 依 する と こ ろの者は,
仏 を成ずる諸々 の無 学の法に帰 依 するので あ る。 とい う記 述にした がっ て,
「敬 礼の対 象として の仏 陀は 法 身の み で あ る」と理解 し た もの である と思 わ れ る。
この理解は飽 くま でPod
chendrtt9
gi9tam
が紹 介し たシャ
ー
キャチョ ク デン の説である が,
シャー
キャチ ョ ク デン の 『倶 舎 論』釈の 中に類 似 した文 章が見 出せ る。 彼 は 『倶舎論』1 − 1
を注 釈 し て こ こ でい う 「師」とは正等 覚の仏 陀であっ て,
そ の 内 (仏 陀 ) その ものである法 身とそ れに随 従 する色 身の 二つ (が あ り
)
, その内の一
番 目 (仏 陀 その一
14一
もの)は大 乗の無 学の道 諦であっ て
..
.
と述べ てい るの である16)。 ま た, 彼 は 『倶 舎 論 亅4−
32
の 三 宝 に 帰 依する ところの者 は,
仏 と 僧 と を 成ずる 無 学 と両 方の法 と,
及 び涅 槃 と,
以 上 そ れ だ け に帰 依 する。
とい う文章17 )を説 明 する際に毘婆沙 師の説と し て,
毘婆沙 師は 「こ こ に説か れ てい る 三つ を成 ずる法 が三帰 依 その もの で あるけ れども所 依 (色 身)と し て の人 間で はない。
色 身は果 報 者である か ら。
と述べ てい る18)。 つ まり,
『我々 が 「仏・
法・
僧の三宝 に帰 依 する」とい う場 合の仏と は,
仏 陀の肉 体,
即 ち色 身で は な く仏 陀 を仏 陀 た ら しめてい る法 (一
法 身)であ る。
何故な ら ば色 身は 仏 陀 が 悟 る 以前の前 世 に な し た 業 の結果と して生じ てい る ものである か ら,
も し色身に帰 依する とい うな らば仏 陀が悟る以前の 身体 (釈 尊 な らば シ ッ ダー
ル タ太 子)につ い て も帰 依 しなけれ ばな ら ない ことに な る』とい う理屈である。 シャー
キャチョ ク デンは 次 に 経 量 部の説 を挙 げて 経 量 部の場 合は 『倶 舎 論 』の 自註の 中で 「仏 陀 を 成 ず る法 が 仏 陀 」 と説いているこ の説 明 は無 学 道の みを成ずるとい うことにつ いて決定し てい ない 。 つ まり,
所 依 (色身)と能 依 (法身)の両 方ともが仏 陀と して説か れるべ きであっ て.
.
.
とのべ て いる19)。
経 量 部は色 身 と法 身の両 方 を 帰 依 処 とし て認 めてい る,
とい うのである。
さ ら に シャー
キ ャチ ョ ク デンは,
毘婆 沙 師と経量部の 説 を比 較 して毘 婆 沙 師の方 が 仏 陀の色 身 を仏 陀 その もの でない と考 える点で大 乗と見解が共通 して いる か ら 経 量 部よ りも優れ てい る,
と説 明し てい る20)。 シャー
キャ チ ョ ク デ ンは少な くと も 『倶舎論亅の 理解 と し て は,
「仏 陀の色 身は帰 依の対 象で はない 」と考えて いた様で あ る。
Pod
chendrug
gi gtam が 伝 える シャー
キャチ ョク デンの意 見として今
一
つ 「ア ビ ダルマ の意 味 」に関 する理解が掲 げら れ てい る。 P・d chen dnig gi gtam を見る と
,
ま たパ ンチ ェ ン によっ て 「アビダルマその もの に は説か れた 内容と
,
説く とこ ろ の名称との 二つ の ア ビ ダルマ がある が,一
番目 は増上慧学と (そ れ に) 伴 うもの で あり,
二番目 は そ れ を説く聖典で ある。 チベ ッ トの先 人 た ちに よっ て 「二番 目の通 例のア ビ ダルマ は アビダルマ その もので は ない」と説か れ て いるの は間違い であっ て亅と.
.
.
と述べ ら れ てい る21)。 こ の文 章に該 当 する シ ャー
キャチ ョ クデン の記 述とし て は,
や はり彼の 『倶舎論』釈の 中に,
ア ビダルマ その ものは二つ である。 つ ま り内容 と し ての (ア ビ ダルマ)と,
説か れた ところの名称 と し ての (アビ ダルマ)と で あ る。一
番目 は 増 上慧学 と (そ れ に)伴 う もの であ り,
二番 目はそ れ を説い た清ら か な 聖典である (中略)イン ド・
チベ ッ トの 或る先人 たちは 「二番目の仮 りの アビダルマ は アビ ダルマ その もので は ない のである」とい う (けれ ど も)これは間違い であっ て,
.
,
と述べ ら れ てい る22)。
シャー
キャチ ョ ク デ ンは,
い わ ゆ る 「論」と呼ばれ る二番目の アビ ダルマ をアビダルマ その ものである, と認め る理 由として, 自註において 「そ れ を得るた めの とい う語 に よっ て二番目の もの も アビダルマ で あ る とい うこと が成 立する」とい うのと矛盾する か ら である。 とr
倶舎論亅自註の文章を引 用して い る23 )。つ ま り
,
シャー
キャチ ョ ク デンは自註の文章を教 証として 「増上 慧学と (そ れ に)伴 うものを説き示し た 聖典も また,
ア ビダル マ その もので あ る」と 述べ てい るので あ る。
次に この二点に対 する ガ ワ ンチュー
タクの批 判 内 容 を見て みよ う。
2 .
ガ ワ ンチュー
タ クの批 判 内 容 (1) (a) ガワ ン チュー
タ ク の批判内容先 ず, 「仏 陀の色 身は帰 依の対 象で はない」とい う見 解 に 対 す る 批 判 につ いて考 察 す る。 が ワンチュ
ー
タク は シャー
キャチ ョク デンの この見 解に対 し てAK7 −34
を 引 用し て,
一
切の仏は資糧と法 身と利 他が共 通してい るけれ ども, 寿 命と大 き さと種 族, 姓 氏 が 共 通でない。 と述べ た 後にZ4) も し法 身のみ が 仏 陀 である な らば,
法身に おい て 寿 命と種 族の大 きさ等の区 別が認め ら れない か ら で あ る。
と述 べ てい る25)。 つ ま り, シャー
キャ チ ョ ク デ ンがAK .
4−3
を論 拠 とし てい る の に対し てガワンチュー
タ ク はAK.
7−
34を論 拠と し て 批判 して い る訳である が,
こ れ は 『倶 舎 論 亅の 二つ の頌 に矛 盾 が あ る とい うので はな くカ゜
ワ ン チュー
タ クの批 判 が 間 違っ てい るの で ある。 こ こで 問 題 に し てい るのは飽 くま で,
仏 陀の色 身が仏 陀 その ものである か否か とい うこ と であっ てAK .
4−3
或い は シャー
キャチ ョ ク デン の見 解は仏 陀の色 身 その もの を 否定して い る の で はないか らで ある。 (b
}他の論師達の意 見 この ガ ワ ンチュー
タ クの 「色身と法 身の両 方 に 帰 依一 15 一
すべ きである」とい う見解は誰か に影響さ れた もの なの
だろう か。 ガ ワンチュ
ー
タクの説 と同じく 「色 身と法身の両 方に帰 依 すべ きであ る」とい う見 解は チベ ッ ト撰
述の ア ビ ダルマ文 献の 中 でも最 重 要 視さ れて いる チム
・
ロサン タ クパ (1299−1375
)のChos
mhonpa
gsatbOred
legt
par
bSadPa
’
i rgPta〃mtsho の中に見出 せ る。彼は シ ャ
ー
キャチョ ク デンが 「色 身と法 身の両 方に帰 依 する」とい う意見を経量 部の説ぞ
あると したの に対 し て, その場 合,
カ シュ ミー
ル の毘 婆 沙 師に よつ ても 「究 極の帰 依 処 と してす ぐれてい る こ と からその様 に言っ たけれ ど も所依の色身も仮の帰依処で あると 認め ら れ るべ きである。」と説か れた。 と述べ て い る の である26)。 こ の見解は チム・
ナム カ タク の書い た
Chos
mhon mdxodkyi
tshig18’
urboras
Pa
’
i尠4 ρ4 に は見 出せ な かっ た が 興 味 深い 見 解 とい え る。 何 故な ら, コ ンチ ョ ク ジ クメ ワ ンポ
,
ジェ ツ ン リンポ チェ,
チャンキャ等の宗 義 書に おいて は 「有 部は法身の み に 帰 依 し 経 量部は色 身, 法 身の両 方に帰 依 する」とい うシャー
キャチ ョ ク デン と同じ見 解 を とっ て い る の であ る。
こ の 二 つ の見解の相 違はAKBh の世 親の説に対 する 理解の相 違に基づいてい ると思 わ れる。 つ ま り, チム・
ロサ ンタクパの論拠と考え られ るのは,
先に シャー
キャ チョ ク デン の説 を紹
介 する箇 所で挙 げた AKBh.
4
章の 「仏に帰 依 するとい うのは 仏 を成 ず る無 学 法に帰 依 する∫ とい う説に続いて世 親 自身が,
しか し (本)論は 「無学法だ けが仏である」とは いっ て い ない。
そ れで は どの様に か とい うと 「無学 法は 仏を成ずるもの である」とい っ て い るだけであ る。 そ れ故,
所依が仏であるこ とを否 定 していない ので.
,
.
と 説いてい るこ とであ る27 >が,一
方この 世 親の説 は 『順 正理論亅におい てKumaralata の説として 掲 げら れ ている 尊 者 矩 摩 邏多作 如 是 説。 仏有漏無 漏法皆 法 体。
とい う 内 容 と類 似 して いる様に考 えら れ る28>。KumEr −
al’
ataは3
世 末か ら4
世紀初 頭の 人 物で経 量 部 との 関わ りが深い とい わ れ てい る。
こ の世 親の見 解を有 部の立場と して 理 解 す る か,
或い は経 量 部の立 場として理 解 する か に よっ て チム・
ロ サン タ クパ とシャー
キャチ ョ ク デン の見 解の相 違が見ら れ る の で あろ う。 い ずれ に せ よ,
カ゜
ワンチュー
タ クが シャー
キャチョ クデンを批 判 した の は こ の チムの見 解に 影響さ れ たの で は な く, 恐らくサパ ン作と伝え ら れ るgZuh teg
kun
tu grub mthd を踏まえてい る の で はないか と 思わ れる
。
ガ ワンチュ
ー
タ ク は先に触 れ た 様に シャー
キャチョク デ ン の見解に対し て 「gZuh teg ktin tu gntb mtha ’に
反 対 してい る」 と批 判 してい るのである が
,
その gZuhleg
kun
蹴 騨6
競 ゐα’
の内 容 を見る と帰 依の対 象と して の 仏 陀 につ い て,
「王 よ,
要約すると,
諸 仏の色身は福 徳の資 糧に 由来 して い る し,
法 身は知恵の資糧に由来してい る。
こ の様に して, こ の 二つ の資 糧は仏 陀の位を得る 因である。」と説かれてい る。 以 上の様に仏 陀が成 立するの であっ て そ れ に よっ て 説 か れ たところの法 とそ れ を な すと こ ろの僧 もま た存在する こ と が成 り 立つ。
と竜 樹が書いたRatnavaE
の頌を引用 して色 身と法 身の 両 方に帰 依 すべ きである こと を説いてい る29 >。
恐 ら くカ
゜
ワンチュー
タ クが gZuh 彰g kun tu grub mtha’
の こ の見解に 同意 し ていたこ とは間 違い ない が, 批 判の際に AK
.
7−3
を 引 用 するとい っ た批 判 方 法の典 拠 となるもの は残 念な が ら見つ けだすこ と が出 来な かっ た。
3 .
ガ ワ ンチュー
タ クの批判 内容 (a) ガワ ン チュー
タ クの批 判 内 容 次に シャー
キャチョ ク デンの 「通 例の ア ビダルマ もア ビダルマ その もの と して認め ら れ る」とい う説に対 する 批判につ いて見てみ よ う。 ガ ワ ンチュー
タ ク は シャー
キャチ ョ ク デンの説に対 して,
(この)学 説は非常に誇大解釈をし てい るよ うに 思 える。一
般の学者は 「そ れ を得る た め のものも論 書 も」 とい うことによっ て,
教えの道を明ら か にす る の は見 道の前に生 じる有 漏の慧に従 う もの と論 (つ まり)七論等が説か れた言 葉 としてのア ビ ダル マ を意 味 するので あっ て,
そ れ ら は 仮の ア ビ ダルマ である。 そこ で 「通 例の ア ビ ダルマ である か ら」と 説か れ ている ように 思える。
と批 判 してい る30)。 こ こ で 問 題 となる 「ア ビダ ルマ そ の もの」 (chosmfion
pa
mtshan nid pa, Skt.
abhidharma−1fikSapika
)と い う語のmtshannid
pa とい う語は実 相, 法 相 等と訳 され
,
称 友の 『倶舎 論』釈に は 「相 を最 勝 と なす もの」と説 明 されてい る。 つ ま り
,
法の分析こそが ア ビ ダルマなの であるか ら
,
こ の場 合 「通 例の ア ビ ダルマ 」をchosmfion pa mtshan fiid
pa
で ある とは認め ない カ゜ワ ンチュ
ー
タ クの説の方が妥当であるとい えよう。
が ワンチュ
ー
タ ク の意見は 『倶 舎論』を 的確に理 解した もの であると言 える が他の論師 達は どうであっ たろ う か
。
(b
) 他の諭 師 達の意 見 シャー
キャチ ョク デンの批 判 した 内容はイン ド撰 述の 文 献か ら は見出すこ と が 出来な かっ た。 チベ ッ ト撰 述の もの と し て は シャー
キャチ ョ クデンと同 じサキャ派の コ ラ ムパ・
ソ ナム センゲGo rams pabsod
nams sefi ge(1429
−
1489) のPhuh
khams
skye mched kyi rnam92ags ston
Pa
ji
shed Sesbya’
i sgo’
b
ツad に おいてア ビ ダルマ と しては真 実の アビ ダルマ と仮の アビ ダルマ の 二つが 説 か れる。 得 ら れるべ きア ビ ダ ルマ その もの と
,
得 られた仮の アビ ダル マ として決定し てい る か ら。 と述べ て お り31 ),
明 ら かに シャー
キャチョ ク デ ン の批 判 内 容と一
致 して いる。
先に も述べ ら れ た が,
シャー
キャチョ ク デンはコ ラ ム パ と同じサ キャ派にありな が ら互い に相手を批 判 して い た こ と は論理学 関 係の研 究 を 中心に明 らかに されてい る。
ア ビダルマ に おい ても論 争 が あっ たであろうことは,
こ の こ とか ら も想 起さ れ る が残 念な が ら今回は具 体 的にそ の箇所を指摘 する こ と は出 来 なかっ た。以上
,
Pod chen drug gi gtam を 手 掛 か りに シャー
キャチ ョ ク デ ン の伝 えるア ビ ダルマ の理解と
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チム流 や コ ラム パ を中 心 とする サ キャ派の 理解との間にい くつか の異説が存在して い たこ とを紹介した。 シ ャー
キャチョ ク デンが何 故, こ の様 な異 説 を残 して いるのか につ いて 言 明 する には至 れ なかっ た が,
考えら れ る一
つ の 理由と し て は ポ トンパ ンチェ ンとの関 わ りが考え ら れ る。 先に 述べ た様にガ ワ ンチュー
タクは,
ポ トンパ ンチェ ン も 他と異 な る見 解 を示 していること を伝 えてい るが,
事 実 ポ トンパ ンチェ ン の伝えるア ビ ダルマ理解は他と異 なる 説 が多く含 まれ ている。 『テ プ テ ル ゴンポ亅に よ れ ば,
彼の住してい た ポ トン エー
とい う地 域には,
アビダルマ や律 等の多くの典 籍 が 存 在 してお りア ビダルマ (と くに 集 論)相 承 を考 え る上で重 要 な 地 域である ことが 説か れ ている。
シャー
キャチ ョク デンの 『集 論』の系 譜の中 に ポ トン パ ンチェ ンの名 前が見 出せ るし,
ポ トンエー
で ア ビ ダルマ を学んだことも伝 えら れ て い るか ら ポ トンパ ン チェ ンと彼の 問に関係 が あることは確か である。 残念な が ら今 回の内 容に相 当するポトン パ ン チェ ンの説は見出 すこ と が 出来な かっ た が今 後の研 究が待た れ る。 注 1) 池田練 太 郎, 「チベ ッ トに お け る ア ビ ダルマ 仏教の 特 色 」, 『東 洋 学 術 研鋼 第21
巻 第2
号,1982
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: Abhidharvnakogabhtisy4 ed. P.Pradhan,