義
雲
編
と
さ
れ
る
『永
平
頂
王
三
昧
記
」に
つい
て
石
刀
力
山
一は じ め に 中 世 寂 円 派 の 動 向 ・ 実 態 に つ い て は 、 不 明 な 点 が 極 め て 多 い 。 む し ろ そ の
実
態
に つ い て は 、 殆 ん ど 不 明 で あ る と い っ て過
言 で は な い 。 そ れ は 、 や は り 第 一 に 、 寂 円派
に 関 す る 資料
が 絶 対 的 に少
い と い う こ と が 、 そ の 研究
の進
展 に 大 き な支
障
と な っ て い る と い う こ と が 言 え よ う 。 ち な み に 、寂
円 派 の研
究
の た め の 、 直 接 的 な 資 料 と し て今
日 知 ら れ て い る 主 な も の を 列 記 す れ ぽ 、 『 義 雲 和 尚 語 録 』 『 宝 慶 由 緒 記 』 『 建 揚 記 』 永 平 寺 蔵 『 仏 祖 正 伝 菩 薩 戒 作 法 』 永 平 寺 蔵 寂 円 派 諸 師 頂 相 な ど 、数
点 を あ げ る こ と が で き る に と ど ま る 。 ま た 、 間 接 的資
料 と い っ て も 、 殆 ん ど 見 出 し得
な い の が 現 状 で あ る 。 義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) し か し 、 三 代 柑 論 な ど を 経 過 し て 初 期 永 平寺
僧
団 が 解体
し 、 正 和 三年
(;
= 四 ) 、 宝慶
寺 寂 円 の 法 嗣 義 雲 ( → 二 五 三 〜 二 二 三 三 ) が 疲 弊 し た永
平寺
に 入 院 し て こ れ を 中 興す
る や、永
平寺
教 団 は 寂 円 派 が そ の 主 流 を占
め る こ と に な り 、紆
余
曲 折 はあ
るも
の の 、 永 平寺
を 中 心 と し て み た 中 世 曹 洞 宗 教 団 は 、 代 々寂
円派
系 統 の 諸 師 に よ っ て そ の 法灯
は 受 け 継 が れ た と い う 歴史
的
事
実
が あ り 、寂
円 派 の存
在 を 無 視 し て 中 世 曹 洞宗
史 を 語 る こ と は で き な い 。 し か も 、 寂 円 派 の存
在
は、 単 に 教 団 史 的 意 味 に お い て の み 重 要 な の で は な い 。す
な わ ち、 永 平寺
十 四 世建
嬲
は 、『 永 平 広 録 』
『 正 法 眼 蔵 』 そ の
他
種 々 の資
料 を も と に し て 、 宗 祖 道 元 ( 】 二 〇 〇 〜 } 二 五 三 ) の伝
記 、 い わ ゆ る 『建
撫
記 』 と 通 称 さ れ る も の を編
集 し た が 、 こ の 『 建撕
記 』 の 中 で 求 め ら れ た 道 元 像 と い う も の は 、 や は り 寂 円 派 が そ の 教 団 の 歴史
の 中 で 徐 々 に醸
成 し て き た 主 張 、 い わ ば 寂 円 派 の 要 請 と し て の 道 元 一 四 七義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に っ い て ( 石 川 ) 像 が そ こ に 大 き く 反 影 し て い る と 見 る こ と が で き 、 こ れ が 今 日 の
道
元 研究
に も 大き
な 影響
を 与 え て い る こ と を 鑑 み て も、寂
円 派 の 歴史
的 意 味 で の 性 格 、 乃 至 そ の 位 置 付 は 充 分 に検
討 さ れ な け れ ぽ な ら な い 。 さ ら に 、 近 年 で は 、道
元 の 弟 子 孤 雲 懐弉
(=
九 八 〜 = 一 八 〇 ) が 、嘉
禎 年 中 ( 一 二 一 二 五 〜 = . 三 八 ) に 道 元 が 門 下 の 者 た ち の た め に 説 き 示 し た 教 え ・ 言 行 を 聞 き 書 き し た も の と 一 般 に 伝 え ら れ て い る 『 正 法 眼 蔵 随 聞 記 』 に つ い て も 、 こ れ は 鎌 倉 時 代 の末
期 か ら 南 北朝
中
期 の 問 に 、『 正 法 眼 蔵 』 や
道
元 の 言 行 ・伝
承 を も と に 、 宝 慶 寺 ま た は 永 平寺
に よ っ て い た 寂 円 ・ 義 演 一 派 の 法 孫 が 、 道 元 の 思 想 を あ ら た に 解 り 易 く 説 き 示 そ う と し て薯
わ し た も の で は な か ろ う か 、 と い う 推 定 も な ( 1 ) さ れ て い る 。『 随 聞 記 』 の 諸 種 の テ キ ス ト の 中 で 、
今
日 知 ら れ る 限 り で の 最 占 の 写 本 で あ る、愛
知 県 長 円 寺 所蔵
本 の 奥 書 に は 、 康 暦 二 年 五 月 初 三 日 、 於 宝 慶 寺 浴 主 寮 書 焉 。 ゴ. 州 旛 頭 郡 中 島 山 長 円 二 世 暉 堂 写 也 。漿
二±
鷲
八 月 吉嘗
と あ り 、 長 円寺
二 世暉
堂 宋 慧 が 寛 永 二 十 一 年 ( 一 六 四 四 ) に 書 写 し た も の の 原 本 は、 康 暦 二年
( 「 三 八 〇 ) 五 月 に 、 越前
宝慶
寺
で書
写 さ れ た も の で あ る こ と が 知 ら れ、 確 か に そ の 伝 承 に つ い て は、 寂 円 派 が関
わ っ て い た と い う 推 測 も 可 能 で あ る 。 ま た こ れ に 関連
し て 、 道 元 が在
宋
中 の 宝 慶 元 年 ( =三
五 ) 一 四 八 か ら 同 三 年 ( = 一 二 七 ) に 至 る 間 に、 師 の 天 童如
浄
(=
六 三 〜 「 二 二 八 ) の 方丈
で 親 し く 教 え を受
け た と こ ろ を書
き 留 め たも
の で 、 道 元寂
後
、 懐 弉 が そ の遺
書 の 中 か ら 発 見 し て 書 写 し伝
え た も の と さ れ る 『 宝 慶 記 』 に つ い て も、 懐弉
自 筆 木 と さ れ る も の が 三 河 全 久 院 に存
在
す る が 、 そ の 巻 末 に 、 正 安 元 年 妃 +万
廿 三 ・縫
、 於 越 州 大 野 宝擘
初 拝 見 . 開 山 存 日 雖 許 之 、 丁 今 延 遅 。 今 正 是 時 也 、 而 今 得 聖 王 髻 巾 之 明 珠、 大 幸 之 中 大 幸 也 。 懽 喜 千 万 、 感 涙 湿 襟 而 已 。 義 雲 と い う 識 語 が 存 し 、 内 容 そ の も の に ま で 及 ぶ か否
か は 別 と し て 、少
く と も そ の 伝 承 経 路 に 寂 円 派 が 関 与 し て い た こ と は明
ら か で あ る 。 『 宝 慶 記 』 の 成 立 ・ 伝 承 と寂
円 派 の関
係 に つ い て は、 こ れ は 後 述 す る が、 本 論 で 扱 っ た 義 雲 の編
集
と さ れ る 『 永 平 頂 王 三昧
記 』 の テ キ ス ト の 一 木 で あ る 駒 沢 大 学 図 書館
忽 滑 文 庫 本 に 、 本 文 に 後 続 し て 、 や は り 同筆
で 、『 宝 慶 記 』 の 古 写 本 が
付
し て あ る こ と か ら 察 し て も、 か な り 密 接 な も の で あ っ た こ と が 予 想 さ れ る 。 さ て 、 本 論 で 扱 っ た 『 永 平 頂 王 三昧
記 』 、 → 名 『 永 平寺
秘
密
頂 王 三 昧 記 』 な る 書 は 、 禅 門 の 古 則 公 案 五 十 三 則 を 集 め 、 こ れ を 拈 提 し た も の で 、 近年
、曹
洞 宗 全 書 刊 行 会 の 手 に よ っ て 発 見 さ れ た熊
本 県 聖護
寺
所 蔵 の 写 本 が、『 続
曹
洞 宗 全書
』 ( 注 解 二 ) に 収録
さ れ 、 は じ め て活
字 化 さ れ て 一 般 に 容 易 に 見 る こ と が で き る よ う に な っ た 。 こ れ に は義
雲 自 身 の 序 な る もの も
附
さ れ て お り 、も
し こ れ が 事 実 義 雲 の 編 集 で あ り、 ま た 本文
中
に 「 先 老 拈 日 」 と あ る 部 分 が 、義
雲 の師
で あ る 寂 円 の ( 2 ) 語 であ
る と 推 定 す る こ と が 可 能 で あ る な ら、寂
円 派 の 思 想 を 知 る た め の 、 極 め て貴
重 な 好箇
の 資 料 と な る で あ ろ う こ と は 疑 い な い 。 し か し 、 こ れ が 義 雲 自 身 の 編 集 と 見 な せ る か 否 か に つ い て は 、 い ま だ疑
問 と せ ざ を を得
な い 。 ま た そ の 伝 承 に つ い て も、 果 し て 寂 円 派 が 関 与 し て い た か ど う か も 明 ら か で な い 。 た だ し 、 中 世末
頃 に は 現 在 の 形 を と っ て い た こ と は 確 か であ
り、 そ の 資 料的
価 値 を 決 定 す る た め にも
、 い か な る 伝 承 経路
を も ち 、 い か な る 思 想 円 容 を 包 含 す る か を は じ め に 明 ら か に し て お か な け れ ば な ら な い 。 よ し ん ば 、 こ れ が 義 雲 の名
に仮
託 し た後
人 の編
集
で あ る に し て も 、 そ の思
想 史 的位
置付
は 必 ず や な さ れ て い な け れ ば な ら な い と 思 わ れ る 。 な ぜ な ら 、中
世 曹 洞 宗 に お け る 宗 旨 宣 揚 の実
態
は、道
元 の 『 正 法 眼蔵
』 の 主 旨 に よ る禅
思
想
の 宣 揚 と い う 面 は 極 め て 稀薄
で 、 む し ろ 五 位 の 参 究 や 公案
禅
の 援 用 に よ る も の が そ の 大 半 を占
め て い た と 思 わ れ る か ら で あ る 。 『永
平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て は 、 幸 い に 、 聖護
寺 所 蔵 本 の テ キ ス ト の 外 に 、 既 に述
べ た よ う に 駒 沢 大 学 図書
館
に も 江 戸中
期
の 写 本 が 一 本 存 す る の で 、 以 下 、 こ の 二 本 の テ キ ス ト を も と に 、 そ の 成 立 ・伝
承 の 推 定、 及 び若
干 の 思 想 史 的 意味
に お け る 位 置 付 を 試 み て み た い 。 義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) 二 二 種 の テ キ ス ト に つ い て 『 永 平 頂 王 三昧
記 』 の テ キ ス ト は 、 既 に 述 べ た よ う に、現
在 二 種 類 の存
在 が 知 ら れ て い る 。 そ の 一 は 、 『続
曹
洞宗
全 書 』 ( 注 解 二 ) に 収 録 さ れ た 、 熊 本 県 聖 護 寺 所 蔵 の 享 和 三 年 ( 一 八 〇 三 )書
写 本 の 再 写 本 で あ り ( 以 下 聖 護 寺 本 と 略 称 ) 、 そ の 二 は 、 現 在 駒 沢 大 学 図 書 館 忽 滑 谷 文 庫 架 蔵 本 中 に 存 す る 、 聖護
寺
本
の 原 本 と な っ た 享 和 三 年 本 よ り 九 十 七 年 前 の 宝 永 三年
( 一 七 〇 六 ) の書
写 本 で あ る ( 以 下 駒 大 本 と 略 称 ) 。 ま ず 、 聖護
寺 本 に つ い て そ の 概 略 を 述 べ る と 、 表 題 は 「永
平 頂 王 三 昧 記 」 、 内 題 「 永 平 秘密
頂 王 三 昧 記 」 と な っ て お り 、第
一 紙 に 、「 永 平 頂 王 三 昧 記、 五 十 三 則 之 目 録 」 と し て 、 各 則 四 字 乃 至 八 字 句 に よ る 五 十 三 則 の 目 録 を
掲
げ 、 次 い で第
二 紙 に 、 越 州 吉 祥 山 永 平 寺 秘 密 頂 王 三 昧 記 太 白 峯 記 在 之 門 人 永 平 老 衲 義 雲 述 と し て 、 二 百 三 十 字 か ら な る 永 平 寺義
雲
の 序 な る も の を 載 せ て い る 。 本 文 は 、 ま ず 直 接 各 本 則 を 掲 げ 、 「 先 老 拈 云 」 と し て 、次
い で 改 行 し 、 ま ず 注 釈 す べ き 語 句 を 掲 げ て こ れ に 細 字 を も っ て 達 意 的 評 釈 を 加 え 、 さ ら に改
行 し 「 乃 云 」 と し て 、 本 則 全体
に わ た る拈
提 を な し、 「参
」 を も っ て 終 る と い う の が 全体
「 四 九義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) を 通 し て の 体 裁 で あ る 。 た だ し 、 ま れ に 語 句 の 評 釈 の 最
後
を 「 参 」 と し て 結 ん で い る 筒 所 も あ る 。 ま た 、 五 十 三 則 の 末 尾 に は、 這 箇 五 十 三 則 之 機 縁 、 吾 既 及 三 十 有 余 、=
見 得 了 。 第 一 従 拈 花 微 笑 、 至 于 超 仏 越 祖 談、 是 一 位 大 意、 是 一 句 之 大 因、 是 一 仏 之 大 縁 也 。 皆 以 雖 師 学 対 談 問 答 分 明 、 玄 中 之 気 照 、 不 存 他 影 像 。 妙 明 混 融、 通 我 合 渠 。 是 諸 仏 位 中 位 、 是 諸 祖 心 中 心 、 是 先 聖 発 明 之 楞 様 、 是 古 徳 伝 授 之 法 印 也 。 人 人 能 行 能 到 、 明 心 悟 道 、 勇 猛 精 進 、 放 行 任 運、 皆 以 分 判 了 也 。 既 是 仏 仏 垂 妙 手、 祖 祖 発 機 用 処 也 。 参 禅 学 道 児 孫、 欲 会 得 此 公 案、 向 従 来 倶 住 底 旧 人 之 主 分 行 履 処 、 直 須 自 照 自 悟 始 得 。 実 哉 斯 妙 言 奇 語 。 井 洞 山 祖 師 太 白 峯 記 、 深 秘 玄 奥 、 浪 不 可 許 外 見 者、 云 云 矣 。 ( 『 続 曹 全 』 全 注 解 二 、 勺 」 鋒 ) と い う 、 参 禅 学道
者 が古
徳 の 行 履 に参
じ 公案
を 会得
す べ き 要 を 説 い た 文 を掲
げ
て い る が 、特
に 注 目 す べ き は 、 「 深秘
玄 奥 、浪
り に外
見 す る を 許 す べ か ら ず 」 と し て、本
書
を 秘 書 的 扱 い に し て い る こ と で あ る 。 最 後 に 、 尾 題 は 「 永 平 頂 王 三昧
記
五 十 三 則之
終 」 と あ り 、 さ ら に 、 こ の 書 が も と 通 幻 寂 霊 ( 「 三 二 二 〜 二 二 九 → ) 開創
の 丹 波 永 沢寺
の 沈 金 の 筥 巾 に あ っ たも
の を 、 元 和 五 年 ( 一 六 一 九 ) に 、 永 沢寺
輪 住 直 伝英
撮 ( 察 ) ( 一 五 五 七 〜 一 六 四 六 ) が 感 涙 銘 肝 し て 書 写 し、 さ ら に 享 和 三 年 に 至 っ て 、伊
勢
潮 江 山 金 蔵 寺 の 僧淳
芟 が こ れ を 再 写 し た こ と を 記 す 識語
が 存 す る 。 ま た 、駒
大 木 に つ い て は 、表
題 は 、 一 五 〇 永 平 頂 王 三 昧 記 ・ 宝 慶 記 と あ り 、 「 宝 慶 記 」 の 語 が 附 さ れ て い る が 、 こ れ は、 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に 続 い て 『 宝 慶 記 』 の写
本 が 存 す る た め で あ る 。 以 下 、 目 録 ・序
文 ・ 本文
に つ い て は 、 聖 護 寺 本 と著
る し い 異 同 は 見 ら れ な い 。 た だ し 、 駒 大 本 は 、 聖 護 寺 本 の よ う に、 語 句 の 評 釈 や 「 乃 云 」 の 部 分 を 改 行 し た り 細字
に し た り す る こ と な く 、 本 則 が か わ る ご と に改
行 す る だ け で、 本 則 ・評
釈 ・拈
提 と 、 続 け て 書 写 さ れ て い る 。 ま た 、 聖 護 寺 本 に は 、 全 体 に わ た っ て 返 り 点 ・ 送 り が な な ど が 存 す る が 、 駒 大 本 に は こ れ ら は 一切
な く、 た だ 、 同 筆 と 見 ら れ る 朱 書 で 、 則数
や 誤 字 ・ 脱字
を 補 写 し 、 評 釈 す べ き 語 句 の 部 分 に 合 点 を附
し て い る 。 末 尾 に は 、 越 後 沙門
宋 白 な る も の が 、 宝 永 三 年 に 、 信 州 中 伊 奈 郡 田 原之
郷 普 門庵
で 本 書 を 書写
し た 旨 を 記 す 識 語 が 存 す る 。 さ て 、 こ の 聖 護 寺本
・駒
大
本 の 両種
の テ キ ス ト を 比 較 し て み る と 、 全体
の 体 裁 と し て は 殆 ん ど 同 じ で 、 異 本 と い う こ と が で き る ほ ど の 違 い は 見 ら れ な い が 、 し か し 詳 し く 両 本 を 比 較 し て み る と 、転
写 の 際 の 誤 記 と 思 わ れ る も の も含
め て 、 か な り の 文 字 の 相 違 が 見 ら れ る 。 まず
、巻
首
に 附 さ れ た 両 本 の 目 録 を 比 較 し て み る と 、 次 の よ う に な る 。聖 護 寺 本 ω 世 尊 拈 花 微 笑 面 壁 得 髄
謔
武 帝 達 磨 不 識 ω 青 原 不 階 級 薬 山 腰 間 刀迦 葉 刹 竿 倒 ω 徳 山 托 鉢 下 堂 投 子 青 向 上 一 路 白 馬 六 外 句
趙
州 知 有 底 ω 寵 居 士 不 侶 底 投 子 済 月 之 話03
香 厳 撃 竹 悟 岡 香 厳 樹 上 話05
夾 山 道 不鑞
コ ハマ こ 法 眼 恵 超 門 仏 大 梅 即 心 即 仏 六 祖 風 幡 心 動 趙 州 栢 樹 子 雲 巌 大 悲 手 眼 南 岳 不 汚 染 洞 山 向 上 事 幽 趙 州 三 喫 茶 徳 山 及 尽 去 駒 大 本 世 尊 拈 花 微 笑 面 壁 得 髄纛
武 帝 達 暦 青 原 不 皆 級 薬 山 腰 問 刀 迦 葉 刹 竿 徳 山 托 鉢 下 堂 投 子 向 上 一 路 白 馬 六 外 一 句 趙 州 知 有 底 龍 公 不 侶 底 投 子 済 月 話 香 厳 撃 竹 香 厳 樹 上 話 道 不 掛 片 雲 恵 超 問 仏 即 心 即 仏 六 祖 風 幡 趙 州 栢 樹 子 雲 岩 大 悲 手 眼 南 岳 不 汚 染 洞 山 向 上 事 趙 州 三 喫 茶 徳 山 吸 尽 去 也 義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に っ い て ( 石 川 ) 匈 臨 済 吹 毛 剣 雲 門 日 裏 山 巴 稜 祖 教 意 囲 法 眼 二 僧 捲 簾 凶 黄 檗 控 杖 頭 岩 頭 古 帆 未 掛 趙 州 笋 子 話 劬 洞 山 独 木 橋 幽 法 雲 百 尺 竿 頭 帥 」 祖 摩 拏 羅 偈 無 心 心 山 頭 白 猿 子 鱒 雪 峰 一 片 田 地 砌 百 丈 再 参 馬 祖 幽 玄 沙 白 紙 上 雪 峰 大 隋 劫 火 洞 然 洞 山 麻 三 斤 南 泉 斬 猫 児 洞 山 渡 水 錯 絢 玄 沙 三 種 病 人 幼 志 閑 参 臨 済 火 頭 擲 火 抄 倶 胝 一 指 頭 禅 瑯 椰 清 浄 本 然 幽 恵 可 心 墻 壁 大 善 仏 法 大 意 林 才 吹 毛 劔 雲 門 冂 裏 山 巴 稜 祖 教 意 法 眼 二 僧 捲 簾 黄 檗 挫 杖 頭 岩 頭 古 帆 未 掛 趙 州 笋 子 話 洞 山 独 木 橋 法 雲 百 尺 竿 頭 二 十 二 祖 摩 拏 羅 無 心 心 山 頭 白 猿 子 雪 峰 一 片 心 田 百 丈 再 参 馬 祖 白 紙 上 雪 峰 大 隋 劫 火 洞 然 洞 山 麻 三 斤 南 泉 斬 猫 子 洞 山 渡 水 錯 玄 沙 三 種 病 人 志 閑 参 林 才 火 頭 擲 下 火 抄 倶 胝 一 指 頭 禅 瑯 瑯 清 浄 本 然 な ご 恵 忠 心 墻 壁 大 善 仏 法 大 意 一 五 一義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) 洞 山 無 寸 草
60
帰 宗 常 斬 蛇 劬 長 沙 宗 教 挙 揚 雲 門 超 仏 談 飼 餅 洞 山 無 寸 草 帰 宗 斬 蛇 長 沙 宗 教 挙 揚 雲 門 超 仏 談 こ れ ら 各 則 の 名 称 を 通 観 し て ま ず 感 じ ら れ る こ と は 、第
一 に、 聖護
寺 本 に は 、爽
山 ・ 法 眼 ・砌
大 梅 ・玄 沙 ・
常 な ど、 駒 大 本 に は 省 略 さ れ て い る 禅
僧
名 が 明 記 さ れ て い る こ と で あ り 、第
二 に 、 や は り 聖 護 寺 本 に は 、不 識 ・
03
悟 ・ 心 動 ・鬻
・鍮
な ・ 、 駒 大 本 に は 無 い 語 句 が 附 ・ れ て い ・ こ と で、 全 体 的 に 聖護
寺
本 の 則 名 は 説 明 的 要 素 が濃
厚 で あ る 。 こ れ に 比 し て 駒 大 本 は 、 よ り 整 理 さ れ た 則 名 と な っ て お り、 こ の 点 か ら い え ぽ 、 聖 護 寺 本 の方
が 成 立 史 的 に は素
朴
な 形 の 則 名 を 伝 え て い る と い え る か も し れ な い 。 ま た 、 駒 大 本 で 注 目 さ れ る こ と は 、 十 箇 所 余 り に わ た っ て 異 本 校 合 が な さ れ て い る こ と で あ る 。 こ の 異 本 校 合 の 該 当 箇 所 は 、 聖護
寺 本 と も 共通
し な い の で 、 恐 ら く 他 に も 伝 本 が 存 し た も の と 考 え ら れ る が 、今
日 、 聖 護 寺 本 ・ 駒 大 本 の ほ か に 伝 本 は 見当
ら な い 。 次 に 、 こ の 二 種 の テ キ ス ト の 伝 承 経 路 に つ い て 考 察 し て み た い 。 ま ず 、 聖 護 寺 本 に つ い て は 、 巻 末 に 、 右 斯 書、 青 原 山 永 沢 禅 寺 沈 金 之 筥 書 納 之 。 竜 寮 六 十 二 歳 之 八 朔 、 相 当 輪 番 住 内 、 拝 見 斯 書 、 感 涙 銘 肝 之 間 、 到 六 十 三 歳 正 月 五 日 書 一 五 二 写 始 、 而 同 月 廿 八 日 、 如 本 写 了 。 元 和 五 年 紀 孟奪
合
現 住 永 沢 直 伝 ( 花 押 ) 自 元 和 五 年 己 未 至 享 保 三 年 癸 亥 一 百 八 十 五 年 也 。 享 和 三 年 癸 亥 三 月 古 辰 團 潮 江 山 僧 獅 子 吼 菴 主 淳 蔓 識 團 ( 花 押 ) と あ る よ う に 、 峨 山 派 通 幻 寂 霊 開 創 の 丹 波 ( 兵 庫 県 ) 永 沢 寺 の沈
金 の 筥 に 大 切 に 伝 え ら れ て い た も の を、直
伝
が 六 十 二 歳 で 永 沢 寺 に 輪 住 し た 折 に 拝 見 し て、感
涙 肝 に 銘 じ 、 翌 年 の 元 和 五年
( = 登 九 ) 六 十 三 歳 の 時 に書
写 し た も の が そ の 原 本 で あ る と さ れ る 。 直 伝 に つ い て は 、 永 沢 寺 の 輪 住記
録 で あ る 『青
( 3 ) 原 山 永 沢 禅寺
住 山 記 』 に よ れ ぽ、 直 伝 察 ( 英 撮 ) と い う 人 で 、 永 沢 寺 輪 住 二 百 十 三 世 で、 元 和 四年
( 一 六 一 八 ) 戌乍
に 永 沢寺
に 住 し、 ま た 洛 陽 高 台 寿 聖禅
寺
の 五 世 で あ っ た こ と が 知 ら れ 、 こ の 記 載 は 聖 護 寺 本 の 巻 末 の 識 語 の 内 容 と 一 致 す る 。 さ ら に 、 百 八 十 五 年後
の 享 和 三 年 ( 一 八 〇 四 ) 三 月 に、 潮 江 山 僧 獅 子菴
主 淳 蔓 な る も の に よ っ て こ れ が 再写
さ れ 伝 え ら れ た も の が 、 今 日 聖 護 寺 に 所 蔵 さ れ て い る も の の 原 本 と な っ た も の と 考 え ら れ る 。 聖 護 元 本 が 享和
三 年 淳 奏書
写 の テ キ ス ト そ の も の で な い こ と は、 淳 受 が 書 写 し た 際 に押
し た と 見 ら れ る 印 判 二箇
が模
写
さ れ て い る こ と に よ っ て 明 ら か で あ る 。 い ず れ に し て も 、 聖護
寺 本 の 原 本 が 、 通 幻 派 の根
本 道 場 で あ る 丹 波 永 沢寺
の 沈 金 中 に 秘 蔵 さ れ て い た も の で 、 こ れ が 通幻
派
の 中 の 月 江 下 一 州 派 の 直 伝 英 撮 に よ っ て 三 重 県潮
江
山 金蔵
寺
に 伝 え ら れ た も の で あ る こ と が 確 認 さ れ た 。 次 に、 駒 大 本 に つ い て は 、 『 永 平 頂 王 三昧
記 』 の 末 尾 に 、 于 時 宝 永 丙 戌 歳 孟 冬 十 八 日 、 在 于 信 州 中 伊 奈 郡 田 原 之 郷 普 門 庵 書 写 畢 後 越 沙 門 宗 白 拝 と い う 識 語 が あ り 、 ま た 、 こ れ に 続 い て 写 書 さ れ て い る 『 宝慶
記 』 の 巻 末 に も 、 宝 永 丁 亥 歳 孟 春 二 十 六 日、 在 于 信 州 中 伊 奈 郡 田 原 郷 普 門 庵 書 写 畢 後 越 沙 門 宗 白 拝 と い う 識 語 が あ り 『 永 平 頂 王 三昧
記 』 は 宝 永 丙 戌 三年
( 一 七 〇 六 ) 、 『 宝 慶 記 』 は 翌 宝 永 丁 亥 四 年 ( 】 七 〇 七 ) に 、 い ず れ も 信 州 中 伊 奈 郡 田 原 郷 ( 現 在 、 長 野 県 伊 那 市 東 春 近 ) 普 門庵
に お い て 、後
越 ( 新 潟 県 ) の 僧 宗 白 な る も の が 書 写 し た も の で あ る こ と が 知 ら れ る 。 さ ら に 、 駒 大本
の 裏 表 紙 の裏
に、 杲 峯 ( 印 ) 宗 白 老 人 ヨ リ 遺 物 自 筆 と い う 墨 書 が あ り 、 こ の 『 永平
頂 王 三 昧 記 』『 宝
慶
記 』 を 書 写 し た 宗 白 の 弟 子 と 見 ら れ る 呆 峯 な る も の が 、 そ の 師 宗 白 自筆
の 書 籍 を 遺 贈 物 と し て 伝 え ら れ た も の と考
え ら れ る 。 こ の よ う に、 駒 大 本 の 原本
は 、 信 州 普門
庵
に 伝 承 さ れ た も の で あ っ た と み ら れ る が 、 こ れ を 誰 が 普 門庵
に伝
え た か は 不 明 で あ る 。 既 に 述 べ た よ う に 、駒
大 本 に は 、同
筆
と 見 ら れ る 義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に っ い て ( 石 川 )筆
跡 で 異 本校
合 が な さ れ て い る の で、 普 門 庵 に は さ ら に も う 一 本 の テ キ ス ト が あ っ た も の と 推測
さ れ る 。 い っ た い、 普 門庵
は 、 元禄
十 三年
( 一 七 〇 〇 ) 大 洞 良 碩 ( 〜 一 七 一 四 ) な る 者 が 開 基 と な り、長
水 正 永 座 元 と い う 尼僧
に よ っ て 開 か れ た 尼庵
で あ る が 、 惟慧
道 定 ( 一 六 三 二 〜 → 七 一 三 ) を勧
請 し て 開 山 と し て い る こ と が注
目 さ れ る 。 惟慧
道
定 は 、 先 に 見 た 直 伝 英撮
と 同 じ 通 幻 派 の中
の 、 月 江 下華
叟 正蕚
の 法 〔 4 ) 孫 で あ り 、 美 濃善
徳寺
・ 尾張
万松
寺
の 開 山 と な っ た 人 で あ る 。 普 門庵
も 恐 ら く 惟慧
道 定 会 下 に縁
の あ る 人 に よ っ て 開 か れ た も の と 思 わ れ る が 、駒
大 本 が 普 門 庵 で 書 写 さ れ た の は 、 元 禄 十 三年
の 開 創 か ら わ ず か 六 年 目 の 宝 永 三 年 ( 一 七 〇 六 ) で あ り 、 普 門庵
開 創 頭 初 か ら 同 庵 に 所 蔵 さ れ て い た と見
ら れ る か ら 、 普 門庵
に 伝 承 さ れ た 『 永 平 頂 王 三味
記 』 も、 そ の 経 緯 に つ い て は 不 明 で あ る が 、 や は り 通 幻 派 に 伝 承 さ れ た も の と 見 て さ し つ か え な い で あ ろ う 。 こ の よ う に 見 て く る と、 聖 護 寺 本 ・ 駒 大 本 の い ず れ も が 同 じ 通 幻 派 に 伝 承 さ れ た こ と が 共 通 す る 点 と し て注
目 さ れ よ う 。 今 日 『 永 平 頂 王 三昧
記 』 の テ キ ス ト ーま 、 聖護
寺
本 ・ 駒 大 本 の 二種
類 が 知 ら れ る の み で あ る 。駒
大 本 に は異
本校
合 の あ と が み ら れ、 他 に も 異 本 が あ っ た こ と が 知 ら れ る が 、伝
本 は か な り 少 な か っ た と み て よ い 。 し か し 、 現 存 す る テ キ ス ト ニ 種 類 の 伝 承 経 路 に い ず れ も 通 幻 派 が か か わ っ て い る と い う こ と 一 五 三義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) は い か な る こ と を 示
唆
す る も の で あ ろ う か 。 こ の 点 に つ い て の 問 題解
明 の た め に 、 さ ら に 他 の角
度 か ら 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 の 内 容 に 検 討 を 加 え て み る 。 三 義雲
の 序 に つ い て 『 永 平 須 王 三 昧 記 』 に は 、 聖 護 寺 本 ・ 駒 大 本 の い ず れ の テ キ ス ト に も、 義 雲 の 撰 し た序
文 な る も の が 巻 首 に 附 さ れ て い る が、 こ の 序 文 が 永 平寺
義 雲 の も の と さ れ る こ と に つ い て は問
題
が な い で あ ろ う か 。 こ の点
を 考察
す る た め に 、 次 に繁
を ( 5 ) 厭 わ ず 全 文 を掲
げ て お く 。 夫 、 仏 仏 相 授、 祖 祖 相 伝、 精 窮 義 味、 露 各 自 家 之 風 規 。 人 人 具 足 、 箇 箇 円 成 、 発 心 仏 心 法 光 機 、 明 至 妙 至 玄 大 旨 。 故 法 離 文 字 、 謂 之 玄 談 。 道 脱 知 識、 謂 之 妙 辨 。 然 者 、 霊 山 授 記 、 少 林 皮 髄 、 今 古 不 相 隔、 名 言 豈 留 滞 。 殊 洞 上 宗 要、 円 融 一 句、 分 付 五 位、 妙 密 絶 学 、 寂 黙 自 照 、 依 主 之 主 分 、 威 標 位 次、 明 心 之 心 印 、 奇 妙 知 帰 。 通 性 海 者、 側 彼 津 涯、 臻 祖 室 者、 悟 此 密 意 。 先 聖 皆 以 詳 之 、 曾 孫 子 細 存 之 。 庶 憑 仏 智 之 本 光 、 照 破 異 路 之 障 塵 。 当 時 世 尊、 於 離一、 嵩 説 法、 建 立 法 王 法 。 曩 祖 洞 山 、 揀 偏 正 五 位、 為 法 界 医 王 。 爰 吾 永 平 元 祖 、 入 宋 徹 洞 家 玄 奥、 帰 朝 正 為 宗 門 化 主 。 委 料 諸 宗、 具 垂 匠 手 。 続 申 管 見 、 因 披 旨 要 。 敢 有 序 題 矣 。 ( 『 続 曹 全 』 注 解 二 、 ℃ 」 一 ゜。 ) ( 夫 れ、 仏 々 の 相 授 、 祖 々 相 伝 、 精 し く 義 昧 を 窮 め 、 各 々 自 家 の 風 規 を 露 わ す 。 人 々 具 足 し、 箇 々 円 成 し て 、 心 仏 心 法 の 光 機 を 発 し、 至 妙 至 玄 の 大 旨 を 明 ら む 。 故 に 法 は 文 字 を 離 る 、 こ れ 一 五 四 を 玄 談 と 謂 ひ 、 道 は 知 識 を 脱 す、 こ れ を 妙 辨 と 謂 ふ 。 然 れ ば 、 霊 山 の 授 記 、 少 林 の 皮 髄 、 今 古 相 隔 て ず 、 名 言 あ に 留 滞 せ ん や 。 殊 に 洞 上 の 宗 要 は 、 一 句 を 円 融 し 、 五 位 を 分 付 す 。 妙 密 絶 学 、 寂 黙 と し て 自 ら 照 ら し て 、 主 の 主 分 に 依 っ て 威 く 位 次 を 標 し、 心 の 心 印 を 明 か し て 、 奇 妙 帰 を 知 る 。 性 海 に 通 る 者 は、 彼 の 津 涯 を 側 ( 測 力 ) り 、 祖 室 に 臻 る 者 は 、 此 の 密 意 を 悟 る 。 先 聖 皆 以 て こ れ を 詳 ら か に す 。 曾 孫 子 細 に こ れ を 存 せ よ 。 庶 く は 仏 智 の 本 光 に 憑 っ て、 異 路 の 障 塵 を 照 破 せ ん こ と を 。 当 時 世 尊、 離 言 の 法 に お い て 法 王 法 を 建 立 す 。 曩 祖 洞 山 は、 偏 正 五 位 を 揀 し て 法 界 の 医 王 た り 。 爰 に 、 吾 が 永 平 元 祖 、 入 宋 し て 洞 家 の 玄 奥 に 徹 し 、 帰 朝 し て 正 に 宗 門 の 化 主 た り 。 委 し く 諸 宗 を 料 り、 具 さ に 匠 手 を 垂 る 。 続 い て 管 見 を 申 べ て 、 因 っ て 旨 要 を 披 く 。 敢 て 序 題 有 り 。 ) こ の 序 文 を 通 読 し て 第 一番
に 感 じ ら れ る こ と は 、 こ れ が 果 し て あ の 『 義 雲 録 』 に 見 ら れ る よ う な 格 調 の 高 い 上 堂語
を 挙 し 、 ま た賛
や 鐘 銘 ・ 頌 な ど を 作 っ て後
昆 に 残 し た義
雲 と 同 一 人 の 作 で あ ろ う か と 疑 わ れ る ほ ど 、 文 章 と し て は熟
し て い な い と い う こ と で あ る 。文
体 に つ い て い え ぽ 、 一 応 形 と し て は 、 四 字 句 を 中 心 に 、 五 字 句 ・ 六 字 句 ・ 七 字 句 等 で構
成 さ れ て お り 、 対 句 な ど も 多 く 用 い て 四 六 駢儷
体
の 体 裁 を と と の え て い る が 、 平 仄 の 問 題 に 関 し て は 、 た と え ば 「 道 脱 知 識 、 謂 之 妙 弁 。 然 者、 霊 山 授 記、少
林 皮 髄 、今
古
不 相隔
、 名 言 豈留
滞 。 殊 洞 上 宗 要 、 円 融 一 句 、 分 付 五 位 、 妙 密 絶 学、寂
黙
自照
」 と い う よ う に 、 仄韻
で終
る 句 を 十 → 句 も 連 続 さ せ て 用 い た り、む む む ま た 「 先 聖 皆 以 詳 之 、
曾
孫 子 細存
之 。 庶 、 憑 仏智
之 本 光 、 照 む破
異 路 之 障塵
」 と い う よ う に 、 平 韻 で終
る 句 を 四 句 も 連続
さ せ て 用 い て い る な ど、 平 仄 的 に は 殆 ん ど 四 六 文 の 体 裁 を な し て い な い と い っ て よ い 。 い ま 義 雲 の 文 章 に つ い て み て み る な ら 、 寂 円 の将
来 品 と 伝 え ら れ る 雲 居 道 膺 の 頂 相 が現
在 宝 慶寺
に 存 し 、 こ れ に 義 雲 の賛
が 附 さ れ て お り、 こ の賛
は 『 拾 遺 義 雲 和 尚 語 録 』 に も 収 録 さ れ て い る が 、 そ れ は 、 む 郁 芳 鷲 嶺 拈 華 瑞 、 端 的 新 豊 珍 曲 吟 。 渡 河 会 水 波 曾 不 湿 、 焼 菴 肚 一 む コ 法 措 留 襟 。 独 坐 経 年 、 而 天 供 更 無 欠 日 、 得 旨 以 後 、 而 通 眼 窺 不 容 む ロ む ロ 針 。 性 潔、 蔑 如 碧 潭 秋 月 、 脚 尖 、 蹈 断 尽 地 黄 金 。 知 見 倶 忘 滅、 命 脈 む 連 于 今 。 ( 日 ゜ ◎。 b∋ ° 冒 」 胡 O ) と い う も の で あ り 、 平 仄 的 に も 、 ま た 対 句 的 に も い さ さ か の 破 綻 も な い 、 完 全 な 四 六 文 で あ る 。 而 し て 、『 永 平 頂 王 三 昧
記
』 に 附 さ れ た 序 文 は 、 こ の 雲 居 道 膺 の 賛 を 作 る よ う な 人 と 同 一 人 の 作 と は と う て い 思 わ れ な い ほ ど、 文 章 的 に 稚拙
で あ る 。 序 文 中 の 「 露 各 自 家 之 風 規 」 と い う 句 も、「 各 露
自
家 之 風 規 」 と 表記
す る の が 正 し い 語 順 で あ る 。 こ の よ う に 、 文 体 ・ 文章
そ の も の に つ い て も、『 永 平 頂 王 三
昧
記 』 の序
文 を 義 雲 の 撰 述 と す る に は 大 い に 疑 問 が 残 る が、 序 文 の 内 容 に 関 し て も 大 い に検
討 の 余 地 が あ る 。 す な わ ち 、 序 文 に は 「 殊 洞 上 宗 要、 円融
一 句 、 分 付 五 位 、 妙 密 絶学
、寂
義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 )黙
自 照 」 と い い 、 あ る い は 「曩
祖 洞 山 、 揀偏
正 五 位 、 為 法 界 医 王 」 と い っ て 、 五 位 説 を も っ て 曹 洞 宗 の 最 も 肝 要 な宗
旨 と な し て い る こ と で あ る 。 『 永 平 頂 王 三昧
記 』 の本
文 中 に も 、 五 位 説 に 関 す る 語 を も っ て 評 釈 す る 部 分 が多
く あ り 、 達 磨 と 二 祖 恵 可 の面
壁得
髄
の 話 な ど は 、 全 く 偏 正 五 位 説 を も っ て 解 釈 し て い る 。 と こ ろ で 、 従 来 、 義 雲 の宗
教 思 想 に つ い て は 、 道 元 が 『 正 法 眼 蔵 』 ( 春 秋 ) な ど で 、 洞 山 に偏
正 五 位 説 が あ る と す る の は胡
説 乱 説 で あ る と ま で 言 い 切 っ て 排 斥 し た 五 位 説 に つ い て も 、 義 雲 は こ れ を援
用 し て 上 堂 示衆
を な し て い る 箇 所 が いく
つ か 見 ら れ 、 し か も 、内
容 的 に も 、 峨 山 韶 碩 や 南英
謙
宗 な ど に よ っ て 盛 ん に 唱 道 さ れ た 五 位 説 と も 異 る こ と が 注 目 さ れ て き た 。 こ の 点 に お い て 従 来 の 説 に 従 う か ぎ り 、『 永 平 頂 王 三
昧
記 』 の 序 文 中 で 五位
説 を 高 く 評 価 す る 説 と 軌 を 一 にす
る 。 し か し 、義
雲
に と っ て 五 位 説 と は 、 従 来 主 張 さ れ る ほ ど宗
旨 の 根 本 に か か わ る も の で は な く、 む し ろ 『 宏 智 録 』 か ら の 引 用 に関
係
( 6 ) し て 出 て く る 問題
で あ っ て 、 こ の 点 か ら 言 え ば 、 序 文 中 で 五 位説
を 洞 上 の 宗旨
と し て 殊 更 に 強 調 す る の は 、 必 ず し も義
雲 の意
志
に 添 っ た も の と は 言 い切
れ な い 側 面 を 持 っ て い る 。 こ の よ う に 考 え て く る と 、『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 の 序 文 な る も の は 、 文 体 的 に は と う て い
義
雲 の 撰 述 に 擬 す る こ と は で き な い も の で あ り 、 ま た 内 容 的 に も 、 義 雲 撰 と す る積
極 的 な 状 一 五 五義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) 況 に 乏 し く 、 義 雲 が 撰 述 し な け れ ぽ な ら な い 必 然 的 な 意 図 も
見
当
ら な い 。 さ ら に序
文 撰 述 の 年 記 が 無 い こ と も 、 こ の序
文 の 信 憑 性 を疑
わ し め る 要 因 と な っ て い る 。従
っ て 、 結 論 的 に い う な ら、『
永
平 頂 土 三 昧 記 』 に 附 さ れ た 義 雲 述 と さ れ る序
文 は 、 な ん ら か の 目 的 で 義 雲 に 託 し て撰
述 さ れ た も の で あ る と い う こ と に な る で あ ろ う 。 で は い っ た い 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 と い う書
は 、 い か な る 性格
の書
な の で あ ろ う か 。 四門
参資
料 と し て の 『永
平 頂 王 三 昧記
』 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 と い う書
は 、 こ れ に 附 さ れ た序
文 が 「門
人 永 平 老 衲 義 雲述
」 と さ れ る こ と が 、 こ の書
の 編 者 を 永 平 寺 五 世 義 雲 と す る 大 な る 根拠
と な っ て い る 。 し か し 既 に見
た よ う に 、 こ の序
文 な る も の は と う て い義
雲 の 述作
に 擬 す る こ と が で き る も の で は な く、 従 っ て こ の書
全 体 の 編 者 も 、義
雲
と い う 同 名 異 人 の 可 能性
は 残 る と し て も、 寂 円 派 の 義 雲 と す る根
拠 は 全 く な い こ と に な る 。 た だ し 、 聖護
寺 本 の 原 本 が 中 世 末葉
の 元 和 五年
( 一 六 一 九 ) に は現
在 の 形 を と っ て い た こ と は 既 に 見 た 通 り で あ り 、 こ の 書 の 性格
を 決 定 す る た め に は 、 よ り 広 い 中 世禅
宗 思想
史
の 立 場 か ら の位
置 付 け が要
請 さ れ よ う 。 所 で 、 道 元 以 後 の 日 本 曹 洞 宗 は 、思
想 史 的 に み て 、 本 証 妙修
・ 只管
打 坐 を 標 傍 す る 道 元 が 目指
し た 宗 旨 が 、 必 ず し も 忠 一 五 六 実 に 受 け 継 が れ た と は思
わ れ な い 一面
を 持 っ て い る 。 た と え ば 、中
国 曹 洞宗
の 祖 洞 山 良价
( 八 〇 七 〜 八 六 九 ) ・曹
山 本寂
( 八 四 〇 〜 九 〇 一 ) に よ っ て 創 唱 唱 道 さ れ た 五 位 説 に つ い て 、 道 元 は 『 眼 蔵 』 で 、 あ る ひ は 野 猫 児、 あ る ひ は 田 庫 奴、 い ま だ 洞 山 の 堂 奥 を 参 究 せ ず 。 か つ て 仏 法 の 道 闘 を 行 李 せ ざ る と も が ら 、 あ や ま り て 洞 山 に 偏 正 等 の 五 位 あ り て 、 入 を 接 す と い ふ 。 こ れ 胡 説 乱 説 な り 、 見 聞 す べ か ら ず 。 た だ ま さ に 上 祖 の 正 法 眼 蔵 あ る こ と を 参 究 す べ し 。 ( 岩 波 文 庫 木、 中、 ℃° ω ゜ 。 bρ ) と ま で 言 っ て 排 斥 す る が 、 五 位 説 は 道 元 下 三 世 の瑩
山 紹 瑾 ( = 一 六 八 〜 一 三 二 五 ) を は じ め 、特
に 峨 山韶
碩
( = 一 七 五 〜 一 三 六 五 ) 以 後 重要
親
さ れ 、 ま た 実 峰 良秀
・通
幻寂
霊 ・ 普済
善
救 ・ 無 極 慧 徹 等 い ず れ も 五 位 説 を 唱 道 し て お り、 傑堂
能勝
( 二 二 五 五 〜 一 四 二 七 ) ・ 南 英 謙 宗 ( 一 三 八 七 〜 一 四 六 〇 ) 師 資 は こ の 五位
説研
究 に 優 れ た 業 績 を 残 し て い る 。 ま た 、中
国 宋 代 以 後 に 発 展 し 、 大 慧 宗 呆 に よ っ て そ の 組織
が 大 成 さ れ た、 公 案 ・話
頭 を 抽 提 す る 、 い わ ゆ る 看話
禅
・ 公案
禅 に つ い て も 、 道 元 は、 現 成 し て い る 一 切 諸 法 を 動 か す こ と の で き な い真
理 の 顕 現 と す る 意 味 で の 公案
は 認 あ る が 、 見 性 待 悟 の 手 段 と し て の看
話
工 夫 ・ 公 案拈
提 は 完 全 に否
定
さ れ 、従
っ て こ の 立 場 か ら は 見 性 と い う こ と も 否定
さ れ 、 こ の 「 見 性 」 と い う語
が あ る こ と に よ っ て 『 六 祖 壇経
』 が 偽書
と ま で ( 7 )断
言 さ れ た こ と は よ く 知 ら れ て い る 。し か し 、 こ の 看 話 工 夫 の 公
案
禅
も 、 道 元 派 下 の 法 孫 に よ っ て は 大 い に 行 わ れ た の で あ る 。 す な わ ち 、 瑩 山 紹 瑾 に は 『 秘 ( 8 )密
正 法 眼 蔵 』 と い う書
が あ り 、 そ れ は 世尊
拈
華
微笑
・迦
葉
倒
却
刹 竿 ・ 達磨
廓 然 無 聖等
の 古 徳 の 機 縁 十 則 を 掲 げ て 拈提
し た も の で あ る が 、 こ の書
の巻
首 に 附 さ れ た 瑩 山 の も の と さ れ る序
文
に は 、 雖 然 若 不 参 古 人 古 徳 之 公 案 、 争 得 功 言 後 代 児 孫 。 而 今 挙 古 徳 之 模 範 、 聊 以 明 禅 林 繁 茂 而 已 。 向 後 称 吾 児 孫 曹 者 、 詳 当 辨 明 、 可 酬 仏 祖 慈 蔭 之 恩 者 也 。 其 旨 見 後 章 矣 。 伏 希 興 隆 仏 法、 児 孫 繁 昌 者 也 。 ( 『 曹 全 』 宗 源 下、 p 幽 ω 一 ) と あ り 、 ま た 巻 尾 に も 、 学 人 須 欲 成 大 喜 知 識、 先 参 此 十 則 大 事 。 若 参 不 得 未 許 称 吾 児 孫 。 実 哉 斯 言、 可 秘 可 秘 矣 。 能 州 洞 谷 山 永 光 禅 寺 於 文 室、 伝 灯 五 十 四 世 、 開 山 比 丘 紹 瑾 等 書 之 畢 。 ( 同 戸 お 心 ) と あ っ て 、 こ の 十 則 の 公案
に 参 ず べ き こ と を 主 張 し て お り 、 こ の外
に も 瑩 山 に は 『 禅 林 類 聚 』 や 『 従容
録
』 等 か ら 採 録 し た古
則機
縁 百 六 十 則 に つ い て 提 唱 拈 弄 し た 『報
恩 録 』 と い う ( 9 )書
が あ る 。『
報
恩
録 』 に つ い て は 、 明 ら か に 瑩 山 以後
の 人 々 の 提 唱 と見
ら れ る も の も 含 ま れ て お り 、 す べ て を 瑩 山 の 述作
と す る こ と は で き な く 、『 秘 密 正 法 眼 蔵 』 を 瑩 山 の 撰
述
と す る こ と に も 問題
が な い わ け で は な い が 、 こ れ ら の書
の 存 在 が道
元
の 児 孫達
に よ っ て 公案
の参
究 、 看話
工夫
の禅
が 行 わ れ て い た 実 能 を如
実 に 物 語 っ て い る と い う こ と は 明 言 で き よ う 。 義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) さ ら に こ の 傾 向 は 、 瑩 山 下 の峨
山 韶 碩 や 通 幻寂
霊 、特
に 通 幻 派 下 の 大 綱 明宗
・ 無 極 慧 徹 ・ 月 江 正 文 ・ 一 州 正伊
等 に お い て顕
著 に な っ て い っ た 。 い っ た い 、 室 町 初期
よ り、 臨 済 宗 の 中 で特
に 地方
に 分播
し た 大応
派
・ 幻 住 派 の い わ ゆ る 林 下 と呼
ば れ る 派下
に お い て 、古
則
公
案
に つ い て の 下 語 ・ 著 語 の方
法 を 秘 密裏
に伝
え る 傾 向 が 生 じ 、 こ れ を 筆 録 し た も の が 多数
出 現 し た が、 こ れ は 一 種 の参
禅
の 口訣
・ 手 控 え 書 で、 密 参 録 ・ 密 参覚
帳
と 呼 ぽ れ た 。 そ し て林
下
の 各 派 は 、 こ の 公 案解
答 の 口 訣 を 田 楽 法 師 ・座
頭 ・連
歌師
・富
民 商 人 ・ 医 者 ・ 武 士等
の 当 時 よ う や く 知 的 生 活 を求
め る よ う に な っ た 新 興 階 層 の参
禅 者 に売
却
し て 外 護 者 ( −o ) を 獲得
し て い っ た と さ れ る 。 こ の よ う な 公案
禅
の 流 行 は 曹 洞 下 の特
に 瑩 山 派 に お い て も 同 様 で 、臨
済宗
の 白 崖 宝 生 ・ 抜 隊得
勝
・ 一 華碩
由
が 、曹
洞
下 の 通 幻 寂 霊 ・ 峨 山 韶 碩 ・ 大 徹 宗 令 な ど に 就 い て 公 案 に 参 じ て い た こ と が知
ら れ 、 そ し て こ の 公案
参 得 の 証 明 と し て 、 各門
派
の 独自
の 下語
・ 著 語 を 筆録
し た も の が秘
密
裏 に 伝 授 さ れ て い っ た の で あ る 。 林 下 に お い て 密参
録 と称
さ れ た こ の 種 の書
は 、 曹洞
宗
で は 各 門 派 毎 の 独自
の 参 と い う 意 味 で 、門
参
あ る い は 本 参 ・ 秘参
・ 伝参
と 呼 ば れ る 。 そ し て こ の 種 の 門 参 類 は 、 門 派 相 互 間 で 互 い に優
劣
・高
下 が論
じ ら れ る よ う に な り 、 師 資 相 承 さ れ て 近 世 初 頭 に 至 る ま で室
内
で 伝 授 さ れ る こ と に な っ 一 五 七義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) た 。
中
世 に お け る 公案
禅
の 流 行 と 、 密 参 録 や門
参
の 成 立 及 び そ の 性格
に つ い て は 、 鈴 木 大拙
博
士 ・ 玉 村竹
二 氏 ・ 金 田 弘 氏 ( 11 ) の 詳 細 な 論 考 や 指摘
が あ る 。 こ れ ら の 密参
録 や 門 参 類 に 共通
す る 特 微 と し て 、第
一 に 秘密
裏 に 伝授
す る室
中 の 秘 書 と し て の 性 格 が強
い こ と が あ げ ら れ る 。 瑩 山 の 撰 と さ れ る 『 秘密
正法
眼 蔵 』 が こ の よ う な 性格
の 書 で あ る こ と は 既 に 見 た が 『報
恩 録 』 も 、 そ の 巻 末 に 、 洞 谷 山 永 光 禅 寺 五 十 四 世 、 瑩 山 比 丘 紹 瑾 老 衲 註 却 之 、 末 代 為 児 孫 者 也 。 深 可 秘 可 秘 。 雖 然 如 是 、 到 末 学一 銷 予 望 処 也 。 謹 頂 戴 九 拝 此 二 巻 録 。 相 添 伝 衣 可 作 深 秘 録 。 若 属 流 付 者 吾 宗 滅 却 者 云 之 。 ( 『 曹 全 』 宗 源 下、 や 謡 卜。 ) と あ る よ う に 、 や は り 室 中 の秘
書
と し て の 扱 い を 受 け て き た こ と は ま ぎ れ も な い 。 曹 洞 下 で は 、 嗣 法 の室
内 に お い て 嗣書
・ 血 脈 ・ 大 事 の い わ ゆ る 三物
の 相 承 が 極 め て 重 ん ぜ ら れ る が 、 こ れ と 殆 ん ど 同 等 の 価値
を有
す る 印 可 の証
明 と し て門
参類
が 伝授
さ れ た の で あ る 。 こ れ ら 密 参 録 や門
参
は 、 た と え ば 『秘
密
正法
眼蔵
』 に み ら れ る よ う に 、 は じ め は漢
文体
で 綴 ら れ た も の で あ っ た が 、 後 に な る と カ ナ 書 き で し か も 口 語 体 で記
さ れ る こ と が多
く 、 そ の た め抄
物
の 一 種 と み な さ れ て 、 こ れ が今
日 国 語 学 の 好 箇 の 資 料 と な っ て い る こ と は 周 知 の ご と く で あ る 。 こ の よ う な当
時
の 禅界
の 風潮
を 想 起 し 、密
参
録 や門
参
の 性 格 を あ わ せ 考慮
す る な ら 、 『永
平
頂 王 三 昧記
』 が ま さ に こ の 一 五 八 公案
解答
の カ ギ と な る著
語
・ 下 語 の 秘 訣 を記
し た 口 訣 ・手
控
え 書 であ
る こ と は も は や 疑 い な い 。 既 に見
た よ う に巻
末
に あ る 「 深秘
玄奥
、浪
不 可許
外
見
者 云 云 矣 」 と い う 語 は 、 こ の書
の 室 内伝
授相
承 の 秘 書 的 性格
を よ く 現 わ し て い る が 、 さ ら に 聖 護 本 の 末 尾 の 永 沢 寺直
伝
英
撮 の 識 語 に よ れ ぽ 、 こ の書
は青
原
山 永 沢 寺 の沈
金 の 筥 の 中 に 納 め ら れ て い た と さ れ て お り 、 こ の こ と は 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 が 、 こ の派
に 伝 授 さ れ た門
参資
料
で あ る こ と を 一 層 明確
に物
語 っ て い る 。 す な わ ち 、沈
金 と は、 鎌倉
末 か ら室
町 時代
に か け て 中 国 か ら輸
入 さ れ た漆
塗 の技
法 の 一 つ で 、 一 種 の 蒔絵
細 工 で あ る が 、特
に 重 要 な 品物
な ど を 収 め て お く の に 用 い ら れ た 貴 重 品 で 、 『 建 揖 記 』 な ど に も、 沈 金 ノ 箱 ト 申 ス 物 ア リ、 是 ハ 住 持 一 代 一 二 度 此 ヲ 開 テ 拝 見 ス 、 伝 法 之 明 鏡 也 、 ( 河 村 孝 道 対 校 本 や HOH ) と あ り 、曹
洞
下 で は 古 く か ら 伝 授 相 承 の 品物
を 入 れ て お く た め に 用 い ら れ た こ と が知
ら れ る 。 さ ら に こ の 沈 金 の箱
が 、永
沢 寺 の室
中 に お い て 特 に 市 要 な 意 味 を も っ て い た こ と は 、 明 徳 元 年 ( 二 二 九 〇 ) 二 月十
五 日 の 「 通 幻和
尚
遺 誠 記 文 」 と い う 通 幻 寂 霊 の遺
誠
の 写 し が 市 川 市 総寧
寺 に 所 蔵 さ れ て い る が 、 そ の 冒 頭 に 、 丹 州 青 原 山 永 沢 寺 堂 中 沈 金 有 之 。 ( 曹 洞 宗 古 文 書 、 下 、 o° ω 巽 ) と あ る こ と に よ っ て も 理解
さ れ よ う 。曹
洞
下 に お け る こ の種
の 公
案
解
答
の 資 料 が室
中 の沈
( 珍 ) 金 の 箱 の 中 に収
め ら れ て い た こ と は 、 明峰
派
下 大 智 ( = 一 九 〇 〜 二 二 六 六 ) の も の と さ ( 12 ) れ る 『 古今
全 抄 』 に そ の 例 を見
出 す こ と が で き る 。 こ の よ う に 考 え て く る と 、 『永
平
頂 王 三 昧 記 』 な る 書 は 、通
幻
派 に 伝 わ っ た 漢 文体
に よ る門
参
資
料 と し て 位 置 付 け る こ と が で き よ う 。 そ も そ も 通 幻 派 に は 、 他 派 に 比 較 し て門
参
・ 本 参 と 呼 ば れ ( 13 ) る資
料
が 極 め て 多 い こ と が 特徴
的 な 事 象 と し て 注 目 さ れ る 。 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 も こ う し た 通 幻 派 の 門参
の 一 で あ っ た と 考 え ら れ る が 、 そ の述
作 を 通 幻 派 の祖
通
幻寂
霊 や そ の 門 徒 に で は な く 、 む し ろ 他 派 で あ る 寂 円 派 の義
雲 に 求 め た 理 由 が こ こ で 問 題 と な ろ う 。 こ の よ う な室
中伝
授
の 門 参 や 公案
集 に 歴 史 的 意 義 を附
加 し て 、 そ の 述 作編
集 を 派祖
に 仮 託 す る 例 は 、 『 秘 密 正法
眼 蔵 』 や 『 報 恩 録 』 な ど に 見 ら れ る 所 で あ り 、 さ ら に 道 元 や 天 童 如浄
に ま で そ の発
生 を 遡 源 し て 、 そ れ ら の 秘 書 の 史 的価
値
を 高 め よ う と す る も の も存
す こ と が 指摘
さ れ て ( 14 ) い る が 、 『永
平 頂 王 三 昧 記 』 の 場 合 は こ れ を い か に 理 解 し た ら よ い で あ ろ う か 。 序 文 が 永 平寺
義
雲 の 述 作 と す る こ と が で き な い と す れ ば 、 何 故 に序
文 の 作 者 及 び 本 文 の 編 集者
を も 義雲
に 仮 託 し な け れ ぽ な ら な か っ た の か と い う 理 由 が改
め て 問 わ れ な け れ ば な ら な い 。 そ し て 、 こ の 疑 問 を 解 く カ ギ は 、 聖護
寺
本 ・ 駒 大 本 の い ず れ に存
す る 「 越 州吉
祥 山 永 平寺
秘
密
頂 義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) 王 三 昧 記序
」 の 語 の 下 に細
字
で 記 さ れ た 、「 太 白
峯
記 在 之 」 と い う 割 注 に潜
ん で い る よ う な 気 が す る 。 こ こ に い う 「 太 白 峯 記 」 と は 具体
的 に 何 を指
す の で あ ろ う か 。 巻 末 に も 、 這 箇 五 十 三 則 之 機 縁、 吾 既 及 三 十 有 余 一 一 見 得 了 。 第 一 従 拈 花 微 笑 、 至 于 超 仏 越 祖 談 、 是 一 位 大 意 、 是 一 句 之 大 因 、 是 一 仏 之 大 縁 也 。 ( 中 略 ) 実 哉 斯 妙 言 奇 語 。 井 洞 山 祖 師 太 白 峯 記、 深 秘 玄 奥 、 浪 不 可 許 外 見 者 云 云 矣 。 ( 『 曹 全 』 宗 源 下、 や H 課 ) と あ る が 、『
永
平 頂 王 三昧
記 』 と こ の 「太
白 峯記
」 な る も の が 、 室 中 の 秘 書 と し て 同格
に扱
わ れ て い る こ と に 注 目 し た い 。結
論
か ら い う な ら 、 こ の 「 太 白 峯 記 」 と は 、 宋 国 太 白 山 ( 一 名 天 童 山 ) 天 童 景徳
寺
に お け る参
禅
の 記 録 、 す な わ ち道
元 が 天童
山 掛 錫中
に 如 浄 と の 間 で な さ れ た 問 答 応酬
の記
録 で あ る 『 宝 慶 記 』 の こ と を指
し て い る と 見 て よ い で あ ろ う 。「 洞 山 祖
師
」 と は 、洞
山 良 价 の 法 流 を 汲 む 道 元 の 意 に解
さ れ る 。 従 っ て 、 永 沢寺
の室
中 に 伝授
相
承 さ れ た 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 は 、 元来
は 『 宝慶
記
』 と 不 離 一体
の も の で あ っ た と み ら れ る 。 聖護
寺
本 に は 『 宝 慶 記 』 が附
さ れ て い た 形 跡 は な い 。 し か し 、 駒 大 本 に は 書写
年 代 は 一年
遅
れ て い る が、 明 ら か に 不 離 一 体 の 関 係 で 『 宝慶
記 』 が 合 冊 さ れ て お り 、 し か も そ の 『 宝 慶 記 』 の テ キ ス ト は 、今
日 一 般 に 流布
し て い る 明和
八 年 ( 一 七 七 一 ) 面 山 刊 行 の テ キ ス ト と は 異 な る 系 統 の も の で あ り、 こ の よ う な 『 宝慶
記 』 を 伴 っ た も の が 『永
平 頂 王 三昧
記 』 の 原 一 五 九義 雲 編 と さ れ る 『 永 平 頂 王 三 昧 記 』 に つ い て ( 石 川 ) 初