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Vol.68 , No.1(2019)073李 学竹「Abhidharmadipaの新出梵文写本――18-32偈について――」

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Academic year: 2021

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全文

(1)

Abhidharmadīpa

の新出梵文写本

18–32

偈について―

李   学 竹

1

.はじめに

Abhidharmadīpavṛtti Vibhāṣāprabhā (ADV)

は,漢訳もチベット語訳も存在せず,

梵本だけが知られていた.

1930

年代にチベットのシャル寺の奥の院リプクを訪

れたラーフラ・サーンクリトヤーヤナに発見され,彼が撮影した写真に基づき,

ジャイニ

(P. S. Jaini)

が梵文テキストを校訂出版した

(1959年)

.しかしこの貝葉

63

枚は未完本であり,残る半分以上の貝葉は失われたと考えられてきた.

しかし

1980

年代になると,中国社会科学院の羅

(Luo Zhao)

氏がポタラ宮所

蔵の梵文写本を調査し,同書の貝葉について報告した.筆者はその影印版を調査

する機会に恵まれ,このポタラ宮本

64

葉分は,上記貝葉の欠損している箇所の

一部に相当することをつきとめ,その概要を報告した

(李2013)

新たに確認できた部分の章の奥書において,本書の本偈の著者が

Īśvara

と呼ば

れる人物であることを明らかにした.これは玄奘が『大唐西域記』の中で「昔こ

こで伊濕伐邏

(Īśvara)

論師が阿毘達磨明灯論を著した」

(大正2087, 51巻881b)

と述

べていることを裏付ける.ただし同書の

vṛtti

の著者名は依然として不明のまま

である.

前稿では,失われていた

2–17

偈を新出の貝葉から回収してその梵本と試訳を

提示した.本稿は,その続きである

18–32

偈の梵本と試訳を提示する.

2

.写本について

本写本はプロトシャーラダー書体で貝葉に記された見事な写本である.既知の

シャル寺リプク旧蔵本

63

葉分と新出のポタラ宮蔵本

64

葉分

(第2–301), 46, 67–82, 84–89, 118–125, 138, 147, 151葉

)とを合わせると,都合

127

枚となる.しかし残り

25

枚分は未発見のままである

2)

.今回提示する

18–32

偈は,

3v9–7v9

に相当する.

(2)

3

.概要

前回提示した

1–17

偈のうち,第

1

偈は帰敬偈,第

2–4

偈はアビダルマの定義を

説明し,第

5–7

偈は戒定慧三学の関係を述べ,第

8–9

偈は大乗について述べ,第

10–17

偈は造論の意趣を示していた.

今回提示する

18–32

偈の概要は次のとおり.

18–20

偈は,本書の骨格である

「八句義」を列挙する.八句義とは,すべてのダルマを網羅する体系であり,五

蘊や三無為からなる.既知のごとく,塞建陀羅造『入阿毘達磨論』にもみられる

法体系である

3)

21

偈以降は,これら八句義を論証するための認識根拠を論じ

る.

21

偈はその序に相当し,八句義の認識根拠が直接知覚,推理,聖言量であ

ることを述べる.そして

22

偈,

23

ab

23

cd–32

偈で,それぞれを略説する.

その注釈は次のごとである

(21偈前文)

kathaṃ punar etad vijñāyate aṣṭāv eva padārthā dravyasadātmanā vidyanta iti | brūmaḥ̶ pramāṇapratipatteḥ (fol. 4r2–3). ではどのようにして「まさに八つの句義が,実在として存在する」と知られるのか.〔それ について〕我々は言う.認識根拠によって〔八句義を〕理解することによってである4)

直接知覚は,感官知,真実を対象とする直観知

(ヨーギンの直接知覚に相当)

,そ

して意知覚からなる.推理は直接知覚に由来し,欺きなく,複数の対象を所縁と

するという.

そして聖言量は,

23

cd–32

偈に詳しく論じられる.

23

偈は,直接知覚と推理

を如実に知る人の言葉が聖言

(アーガマ)

であるという.

24

偈は,聖言が他二者

の認識根拠と区別される理由を

3

点あげる.

25

偈は,聖言量が前二者の認識根拠

の後に配置される理由を説く.

26

偈は,ブッダにすら,過去世の因果から生じた聖言の智が存することを説

く.

27

偈は,世俗的な認識根拠から,仏教の

3

つの認識根拠を区別する.

28

偈は

文法学とヴェーダに対する聖言量批判を述べ,

29

偈はヴァイシェーシカ学派へ

の言語理論批判,

30

偈は文法学派への言語理論批判を展開する.

31–32

偈は,三

蔵が聖言であり,注によるならばそれは四依に関与するという.注釈は三蔵につ

いて「経は四無畏から起こり,律は大悲から起こり,論は十力から起こる」と解

説し,

32

偈の四依について次のようにいう.

(3)

sa tu pratisṛtiḥ proktā munīndrena caturvidhā || uktaṃ hi bhagavatā | catvāri patisaraṇāni | katamāni catvāri | dharmaḥ pratisaraṇaṃ na pudgalaḥ | arthaḥ pratisaraṇaṃ na vyañjanaḥ | nītārthasūtraṃ pratisaraṇaṃ na neyārthaṃ | jñānaṃ pratisaraṇaṃ na vijñānaṃ | (7v4–5)

一方,それ(聖言)は,牟尼王によって,四種の拠り所であると教えられた (32偈ab).じ つに世尊によって[次のように]説かれた.「依り処は四種ある.四種とは何か.法が依 り処であり,人ではない.意味が依り処であり,文字ではない.了義経が依り処であり, 未了義経ではない.智が依り処であり,識ではない.」 33

偈以降は,他学派がプラマーナと認めたものを否定しており,それについ

ては次稿で扱う予定である.

以下,梵本から抽出した本偈のテスクトとその試訳を挙げる.写本の綴り方に

は特有の癖があるが標準化した.丸括弧内の語句は写本には欠損するが,韻律や

文脈上の必要から校訂者が補った.和訳の理解や補語は注釈に従う.理解の根拠

を示すため,必要に応じて対応する注釈文を注記した.

[梵文テクスト]

padārthāḥ pañca rūpādyās trayaś ca viyadādayaḥ | rūpādyās saṃskṛtās tatra khādayo saṃskṛtā matāḥ || 18

ye sahādhvasu jātyādyaiḥ saṃgatās te hi saṃskṛtāḥ | nityāvikṛtasattākāḥ khanirodhās tv asaṃskṛtāḥ || 19

draṣṭavyāḥ saṃskṛtāḥ dharmā jyotiścakram ivādhvasu | asaṃskṛtās tu vijñeyāḥ sumerur iva niścalāḥ || 20

pratyakṣam anumānākhyam āptīyaṃ vacanaṃ tathā | trīṇy uktāni pramāṇāni prameyāṣṭakasiddhaye || 21

rūpyakṣārthasvacihne kṣivijñānaṃ yat svagocare | tattvārtham āharaty antyaṃ tat pra(tya)kṣam ihocyate || 22

tajjottham avisaṃvādi naikārthālambi laiṅgikam | yathārthādyadvayasyokti(s) tatsākṣyuktivad āgamaḥ || 23

arthenānabhisambandhān nāmni tadvṛttyupakṣayāt | dvayāviṣayavṛtteś ca nāgamāntargatir dvayoḥ || 24

(4)

pramātrādiṣu saṃdehād dvābhyām antyam satāṃ gatiḥ || 25

buddhasyāpy āgamajñānaṃ pūrvahetuphalodbhavam | tad ṛte (4v9) lokavat so pi nimajjed bhrāntisāgare || 26

buddhoktaṃ trayam apy etat pramāṇaṃ tattvavṛttitaḥ | prāyaḥ saṃvṛtivṛttitvād āptamānaṃ tu laukikam || 27

śabdo vyākaraṇaprokto laukiko vaidiko pi ca | asatpadārthavṛttitvād ḍimbhoktivad anāgamaḥ || 28

viṣāṇakakudādibhyo gaur nānyo nyatra nāmataḥ | tadabhāvāt padārthānāṃ trayaṃ nāsti tadāśritam || 29

nehānyā yujyate kartur nānanyā karmaṇas tathā | kṛttiṅvācyo pi dhātvartho yuktiko nāsti sarvathā || 30

āgamas trividho py eṣa śubhabījārjanādikṛt | tribhir āviṣkṛtaḥ śāstrā vaiśāradyakṛpābalaiḥ || 31

punas trividho py āgamo munīndrena caturvidhā |

śāsanasyāsya vijñāya bahudhābhedam āgatam (Ms. anāgataṃ) || 32

[梵文和訳] 【八句義】 [18] 色等の五つと虚空等の三つが〔八〕句義である.その中,色等は有為であり,虚空等 は無為であると認められる. [19] 〔三〕世において,生〔相〕などを伴い集まったもの,じつにそれらが有為である5) 恒常・不変・実在なる,虚空および〔他の二つの〕滅が,無為である. [20] 有為法は,〔三〕世において,軌道の上を巡る星々6)のような〔留まらない〕ものと見 られるべきである.一方,無為は須弥山のように不動であると知られるべし. 【八句義を論証するための認識根拠】 [21] 直接知覚,推理とよばれるもの,そして信頼できる者のことば(聖言量)という三者 は,八種の所量(つまり八句義)を立証するための,正しい認識根拠(プラマーナ)であ ると説かれる.

(5)

【直接知覚】 [22] 自らの認識領域,すなわち有色なる感官の対象の自相に関する感官知と7),真実を対 象とする〔知〕8)と,〔そのいずれかによって得られた認識内容が〕最後に帰着するもの (意識)9),それがここにおいて直接知覚といわれる. 【推理】 [23ab] その〔直接知覚の〕生起に由来し10),欺くことなく11),〔主題とその属性という〕複 数の対象を所縁とするものが,推理(徴表を有するもの)である. 【聖言量】 [23 cd] 如実なる初めの二つ(直接知覚と推理)をもつ者の言葉が,聖言量である.その (真実)を直証する者(仏)の言明のようなものである. [24] 名称(=言葉=聖言量)は〔直接知覚と推理の〕対象と結びつかず,それ(直接知覚 と推理の対象)において生起することがなく,二者(直接知覚と推理)の対象でないもの において生起するから,二者(直接知覚と推理)に,聖言量は含まれない. [25]〔世人は,直接知覚と推理だけでは〕二諦を正しく理解しないから,〔また,下記の四 者を〕如実に確定しないないから,〔そして〕認識主体など12)について疑うから,二者 (直接知覚と推理)よりも最後に位置する〔最終的な認識根拠が〕,賢者たちの理解(つま り聖言量)である. [26] ブッダにも,過去の因果から生じた聖言量の智がある.それがなければ,彼もまた, 世人と同様に,迷乱の海に沈み込むであろう. [27] ブッダによって説かれたその三つ(直接知覚・推理・聖言)は,真実(勝義)として 生起するので,認識根拠である. (世間的なプラマーナ批判) 一方,〔ブッダ以外の〕信頼のおける人の認識根拠(āptamāna)は,世俗として生起するの で,大抵は世間的なものである(真実の認識根拠ではない). (文法学とヴェーダへの聖言量批判) [28]文法学において説かれる言葉は,世間的なものと,ヴェーダのものとがある.存在し ない対象に対して生起するから,学無き人の発言と同様に,聖言量ではない. (ヴァイシェーシカへの言語理論批判) [29] 角やコブなど(部分)とは別に牛(全体)は存在しない.名称とは別に(anyatra nāmataḥ),それ(角などの部分)がないゆえに,諸々の句義にとって,それに依拠した三

(6)

種はない13) (文法学への言語理論批判) [30] ここにおいて,〔作用が14)〕行為主体と別であるということも,別でないということも ありえない.そして,行為対象についても同様である.名詞接尾辞と人称語尾の表示対象 も,語根の対象も,道理にかなったものとしては全く存在しない. [31] 善の種子などを獲得させる,この聖言量は三種(経・律・論)であり,無畏や悲や力 などの三つによって,教主は明らかにされた. [32] さらに,この教えは多種多様に分かれることになると認識して,牟尼王は,三種の聖 言量は四種(つまり四依)である〔と説かれた〕15) 謝辞: 本稿の執筆に際しては加納和雄氏に多くのご教示を頂き,また桂紹隆先生には草稿 について多くのご指摘を賜った.記して謝意を表したい. 1)第17葉は2枚あり. 2)第40, 48, 52–66, 83, 90, 127, 129, 131–133, 140, 145, 152葉に相当.152葉目が最終葉である と予想される. 3)たとえば吉元1994など,多くの先行研究がある. 4)末尾に来るべきitiが省略されている可能性あり.

5)Cf. ADV 4r1: darśyante hetupratyayaiḥ sametya saṃbhūya vā kṛtāḥ saṃskṛtā iti.

6)字義どおりには「星々の円軌道」.

7)Cf. ADV, 4r4: rūpiṇā akṣeṇa arthasya yat svacihnam īkṣate tad rūpyakṣārthasvacihnekṣicakṣurvi-jñānādi paṃcakaṃ ... .

8)yogipratyakṣaを指すと理解した.

9)Cf. ADV 4r5: āharaty antyam iti manovijñānam ity arthaḥ. 意知覚を指すと理解した. 10)Cf. ADV 4r6: pratyakṣajabalenaivotpadyate.

11)ダルマキールティの定義に則っている可能性がある.

12)つまりpramātṛ, prameya, pramāṇa, pramāの四者を指す.

13)29偈bのnāmataḥは,写本ではnāgataḥとも読め,その場合は次のように理解できる.

「角やコブ(という部分)などとは別に牛(という全体)は存在しない.〔しかし〕それ 以外のところで〔牛が〕理解されないことはない.それ(牛という認識対象か)がなけ れば,諸々の句義にとって,それに依拠した三種〔のプラマーナ〕はない」.ただし解釈 には再考の余地があり最終的な判断は注釈の読解も含め,今後の課題としたい. 14)Cf. ADV 5v9: tatra tāvat kathaṃ kartur nānyā kriyā yujyate.

15)32偈後半句について注釈によるならば次のような理解も可能かもしれない.「〔しかし,

色々な立場の人々によって〕この教えは識別(構想)された後で,多種多様に分けられ たのである.」Cf. ADV 8r1: … vikalpya bahudhā bhetsyate.

〈参考文献〉

(7)

吉元信行 1994「アビダルマ仏教における処・界の建立と八句義」『大谷学報』281: 1–13. 〈キーワード〉 アビダルマディーパ,新出梵本,八句義,プラマーナ (中国蔵学研究中心研究員,文学博士)

新刊紹介

宮崎展昌 著

大蔵経の歴史

成り立ちと伝承

A5版・308頁・本体価格3,200円

方丈堂出版・

2019年12月

参照

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②立正大学所蔵本のうち、現状で未比定のパーリ語(?)文献については先述の『請来資料目録』に 掲載されているが

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