ーJ、ブナ)−−l
日 本の大都市圏*
1985年におけるSMEAの設定と都市化の動向
徳 同 一 幸 はじめに I標準大都市雇用圏(SMEA)の定義 II1985年におけるSMEAの設定 IIISMEAの変化 ⅠV SMEAの人口と雇用 おわりには じ め に
都市化の空間的な進展により,都市における経済活動の大部分は行政上の境 界を越えて営まれている。したがって,都市を捉えようとするとき,行政上の 市域のみを対象としたのでは,その都市の実態を十分に理解することができな い。都市化が進めば進むほど,経済活動の実際に及ぶ範囲に対応した実質的な 地域として都市を捉える必要がでてくる。このような実質的な地域の・一つとし て大都市圏がある。 大都市圏は,日常的な経済活動の空間的な広がりに着目して設定される地域 であり,都市の空間的範囲や規模に関する実態をもっともよく反映した地域概 念といえる。都市化や都市成長のようなダイナミックな現象に関する分析はも ちろん,都市計画等の政策的な課題を検討するに際しても,大都市圏という単 *本稿は,京都大学経済学部の山田浩之教授の指導のもとに共同研究として行ってきたわが 国における都市化に関する研究の一部をなすものである。香川大学繹済学部 研究年報 30
、//†)− J990
位で都市を捉えることが不可欠である。
われわれは,以前に,以上のような大都市圏という地域概念が有する意義と,
都市化に関する国際比較が可能となる標準的な大都市圏を設定することの必要
性を踏まえて,「標準大都市雇用圏」(Standard Metropolitan Employment
Area(SMEA))と呼ぷ大都市圏の概念を提案したと)そして,その定義に従って,
1965年と75年の2時点におけるSMEAの設定を行っているが,今回さらに
1985年におけるSMEAの設定を行った喜)本稿の目的は,1985年時点におけるSMEAの設定結果を示すことにある。さ
らに,設定結果を1965,75,85年の3時点間で比較することにより,この期問
におけるわが国の都市化の動向に関する基礎的な分析を併せて行う。
Ⅰわれわれが設定する標準大都市雇用圏(SMEA)は,大都市圏の一腰的な概念
に従い,核(Core)となる中心都市とその周辺地域(郊外,Ring)とによって形
成される社会的,経済的に・仙体とみなされる地域として定義される。ただし,
設定は行政上の市,町,村を単位として行っており,各SMEAは,設定基準を
満たす市町村の集合として定義されることになる。SMEAの定義は,以下の三
つの設定基準からなっている喜) (1)中心都市(Core)の設定基準 1)大都市圏の設定に関するより詳細な議論については,山田浩之・徳岡一・幸「都市分析と 大都市圏の概念 【 戦後の日本における大都市圏の分析(1トー」紆経済論敢』第131巻,第 4・5弓,1983年,195−216ページ,および,同「わが国における標準大都市雇用圏:定義 と適用一戦後の日本における大都市圏の分析−−−−−−」2)」『経済論草』第132巻,第3・4号, 1983年,145山173ページ,を参照されたい。 2)1985年におけるSMEAの設定作業は,住信基礎研究所の委託研究『近畿都市圏の成長ポ テンシャルの評凧』の一・環として行ったものである。SME:Aの設定を含めた研究の中間報 告は,㈱エ・−・エー・ピ、− 『近畿都市圏の成長ポテンシャルの評価』1990年5月としてま とめられている。 3)以下の設定基準の意味については,前掲の山田・徳岡の二つの論文を参照されたい。i]本の大都市圏 −−J47肝 次の四つの条件をすべて満たす席が中心都市となる。 a常住人口(夜間人口)が5万人以上であること b鉱業を除く非1次産業就業者数(常住べ、−ス)の全常住就業者数に占め る割合(非1次就業者比率)75%以上であること C昼夜間人口比が1.0以上であること d 他の特定の中心都市への通勤者数の全常住就業者数に占める割合(流出 就業者比率)が15%未満で,かつ,すべての流出先を合わせた総流出就 業者比率が30%未満であること (2)郊外(Ring)の設定基準 次の二つの条件を同時に市町村が当該中心都市の郊外となる。 a鉱業を除く非1次産業就業者数(常住ベース)の全常住就業者数に占め る害叶合(非1次就業者比率)75%以上であること b当該中心都市への流出就業者比率が10%以上であること ただし,流出就業者比率が10%以上となる中心都市が二つ以上存在す る場合には,その市町村は,流出就業者比率の最も高い中心都市の郊外 とみなす。 (3)SMEA全体としての集横の基準 中心都市と郊外を合わせた総人口が10万人以上であること 具体的なSMEAの設定作業は,まず,(1)の基準に従って中心都市の候補とな る市を選定し,次に,(2)の基準に従って各中心都市候補の郊外に属する市町村 を選定した。そして,圏域全体の総人口が(3)の基準を満たす場合には,それを SMEAとして認め,満たさない場合には対象外とした。さらに,対象外になっ
た中心都市候補および郊外に属する市町村については,周辺の他のSMEAの
郊外に含めることの可能性をチェックして,最終的なSMEAの圏域を確定し
た。香川大学経済学部 研究年報 30 ーJイニ、一 J99(フ ⅠⅠ
前述の設定基準のもとで,1985年の国勢調査結果4)に基づきSMEAの設定
を行った。1985年時点における中心都市候補となる都市の数についてみると, 人口が5万人以上の市は420市存在した。そのなかで,昼夜問人口比に関する 条件((1)−C)と総流出就業者比率の条件((1)−d)の両方を満たす都市は171 市であった(第1表を参照)。これら171市はすべて,非1次産業就業者比率の 条件((1)一b)を満たした。また,特定の中心都■市への流出就業者比率が15% 以上になる市も,これらのなかには存在しなかった。 したがって,中心都市となるための条件をすべて満たした171市が中心都市 の候補となり,これらについて郊外の設定基準に従って郊外に属すべき市町村 の選定を行ったわけである。その結果,118市についてSMEA全体としての集積の基準が満たされ,これらを中心都市とするSMEAが第1図のように設定
された。118のSMEAに含まれる市町村の内訳は付表1のとおりである。これ
らのSMEAに属する市町村は中心都市が118市,郊外となる市町村が865で,
合計983市町村にな・る。 ただし,中心都市候補の市のなかには,(2)の基準を満たす市町村がまったく 存在せず,したがって,郊外を定義できないものがある。これらは大都市圏本 来の構造からすれば大都市圏とはみなしにくいものであるが,その市の人口が 10万人以上である場合には,雇用中心としての意義を認め,中心都市のみで形 成される独立型のSMEAとして対象に含めている。SMEAの分布をみると,第1図からわかるように,SMEAの中心都市は奈良
県を除くすべての都道府県に少なくとも一つ存在する。ただし,県庁所在都市 がすべて中心都市となっているわけではない。浦和,千葉,横浜,大津,奈良, 4)SMEAの設定にあたって用いた資料は,『昭和60年国勢調査報告 第1巷 人口総数』, 叩召和60年国勢調査報告 第6巻 従業地・通学地集計その1』,『昭和60年国勢調査摘 要データシリーズ恥1 通勤・通学人口及び昼間人口』である。なお,本稿において表等 で示される総面毛‡,人口,雇用(従業他における就業者数)は,すべて国勢調査報告をも とにして求められたものである。香川大学経済学部 研究年報 30 J99(フ −ノ・ノイ ー 山口の6市は,条件を満たさず,SMEAの中心都市にならなかった。このなか
で,浦和,千葉,横浜の3市は東京SMEAの郊外に,大津市は京都SMEAの
郊外に,奈良市は大阪SMEAの郊外として位置づけられた。しかし,山口市の みはいずれのSMEAにも含まれていない。個々のSMEAの圏域の広がりをみると,その圏域が都道府県の境界を越え
て設定されたSMEAが11ある。小山,東京,富士,名古屋,京都,舞鶴,大
阪,福山,福岡,大牟軌 久留米の各市を中心都市とするSMEAである。 とくに,東京,大阪,名古屋の三つのSMEAの場合は,郊外が,中心都市の 存在する都府県の他に,二つ以上の隣接府県にまで広がっている。これを東京SMEAについてみれば,郊外は114市町からなるが,その範囲は東京都以外に
茨城,栃木,埼玉,千葉,神奈川の5県にまで及ぶ。大阪SMEAについても,
三重,京都,兵庫,奈良,和歌山の5府県に広がっており,大阪府下の市町村と合わせると79市町村が郊外に含まれ,名古屋SMEAの場合には,郊外は愛
知,岐阜,三重の51市町村によって形成されている。このように,大規模な大 都市圏においては,日常的な経済活動が市域のみならず都府県の境界をも越え た広い範囲に及んでいるわけで,ここに既成の行政上の地域という形式的な地 域概念ではなく,実質的な地域概念である大都市圏を設定することの意義があ る。 ところで,人口5万人以上の420市について,日常的な人口流動の特徴を整 理すると第1表のようになる。われわれの大都市圏の概念からみれば,昼夜間 人口ヒヒが10以上,純流入就業者数がプラス,そして,総流出就業者比率が30% 未満であることが中心都市として満たすべき条件である。118の中心都市のな かで114市がその条件をすべて満たすが,残りの4市は純流入就業者数がマイ ナスとなってしまう。 昼夜間人口比が1.0以上であるにもかかわらず純流入就業者数がマイナスに なる中心都市は足利,栃木,館林,小田原の4市である。郊外に含まれる都市のなかでは武蔵野市,三島市,大東市の3摘が,さらに,SMEA以外の都市で
は本庄,銚子,平塚,富士吉田,天理の5市が昼夜間人口比1一0以上で純流入日本の大都市圏 −J45− 第1表 人口流動特性別の都市数 (人口5万人以上の市) 昼 夜 間 人 口 比 総流出 10以上 10未満 就業者 合 計 比率 純流入就業者数 純流入就業者数 プラス マイナス プラス マイナス 中心都市 114 4 118 郊 2 14 19 30%未満 外 田 3 168 184 SMEA 30%未満 48 2 24 74 以外の都市 30%以上 8 3 14 25 合 計 185 12 3 220 420 就業者数がマイナスになった。郊外の3市と本庄,平塚,天理は総流出就業者 比率が30%以上となる。反対に,昼夜間人口比が1‖0未満であるにもかかわら ず,純流入就業者数がプラスになる都摘は,郊外の塩釜,海南,下松の3市の みである。ただし,塩釜は総流出就業者比率が30%以上になる。SMEA以外の 都市については,このような条件の都市はまったく存在しなかった。 SMEAの中心都市の設定基準のなかで,昼夜間人口比が1.0以上であるとい う基準は,大都市圏の中心都市としてふさわしい中心性を備えているかどうか を表す最も重要な基準である。そして,この基準と純流入就業者数がプラスで あることはほとんど同義であるといえ,前者を後者で置き換えても新たな中心 都市が生まれる可能性はほとんどない。したがって,昼夜間人口比1.0以上と いう基準の方が,通学流動を含めた流入中心として中心都市を位置づけること ができるために,より適切な基準であるといえる。ただし,雇用中心というこ とを重視する立場からみれば,純流入就業者数がプラスであることも併せて考 慮することが望ましいであろう。 −・方,郊外に含まれる203市のなかで,168市は昼夜間人口比が1.0未満,純 流入就業者数がマイナス,総流出就業者比率が30%以上になる。日常的な人口
香川大学経済学部 研究年報 30 一J46− J99(フ 流動という点からみれば,これらの条件によって郊外は特徴づけられるのであ る。
SMEAの郊外に属する人口5万人以上の都市には,昼夜間人口比が1.0以
上,純流入就業者数がプラスになる都市が15市含まれる。このなかで,須賀川, 鯖江,坂出の3市は総流出就業者比率も30%未満で,中心都市としての資格を 有するが,大都市圏全体としての人口が10万人に達しなかったために,近隣の SMEAの郊外に含まれたものである。残りの12市は,戸田,立川,磐田,小牧,東海,守口,門真,摂津,東大阪,
高砂,麿方,浦添で,総流出就業者比率が30%以上になるために中心都市候補 にはなっていない。いずれも大規模なSMEAの郊外に含まれ,就業者の流出, 流入が激しいという特徴をもつ。さらに,これらの都市の多くは雇用の産業別 構成において第2次産業の割合が高いという共通点を有している。後述の第9 表にあるように,1985年の雇用に占める第2次産業の割合は全国平均で33‖1% であった。それに対して,立川,直方,浦添以外の9市までがこの割合が40% 以上になる。これらの都市は特定の機能に特化しており,機能の面においても 中心都市としてふさわしいとはいえない。したがって,大規模なSMEAの郊外 における2次的な雇用中心,すなわち,衛星都市と位置づけられる。中心都市 の設定基準において,総流出就業者比率の基準((1)−d)は,このような衛星 都市的な性格を有する都市を中心都市から排除する意味をもっているのであ る。第1図は設定されたSMEAの圏域を示しており,これによってSMEAと
SMEA以外の地域に区分される。ただし,SMEAに含まれない地域がすべて非
都市化地域であることを意味するものではない。とくに,東京や京阪神のSMEAに隣接する地域の場合,それぞれの大都市圏を個別に分析するときに
は,大都市圏に含める方がむしろ望ましいといえる地域が存在する。 第1表において,SMEA以外の都市のなかで,郊外としての特徴をすべて備 えているといえる都市がある。行田,飯能,加須,羽生,青梅,横須賀,三浦, 秦野,伊勢原,綾瀬,羽島,近江■八幡,守山,具志川の14市であるが,大部分日本の大都市圏 一J47−
は東京などの大規模なSMEAに隣接している。いずれも流出就業者比率が
10%になる中心都市が存在しなかったためにSMEA以外の地域に区分された
が,隣接するSMEAの外周(アウターリング)を形成する都市として位置づけ ることができるものである。 このように,SMEAの設定に関していくつかの問題点はあるものの,われわ れの基準はわが国における大都市圏の実態をほぼ捉えているといえるであろ う。以下では,設定されたSMEAに基づき,わが国における都市化の動向を分 析する。 ⅠⅠⅠ われわれは以前に,沖縄県を除く全国の地域について,1965年時点では87,75年時点には104のSMEAを設定した。沖縄県については,今回の設定のなか
で初めて設定対象に含めたものである。これらのSMEAに属する市町村数の 推移をみると,第2表のようになる三)郊外に属する市町村数の増加がとくに顧 著であることがわかる。 SMEAの設定はフローティング・プリンシプル(Floating principle)に従っ ており,対象年次における市町村間の相互関係に基づいて,それぞれの時点ご 第2表 SMEAに属する市町村数 1965 1975 1985 中心都市 87 104 118 郊 外 238 542 865 合 計 325 646 983 5)なお,合併の影響を考慮して,1965年と75年におけるSMEAの中心都市の市域を1985 年時点の市域に合わせるために,SMEAの圏域の修正を行った。すなわち,1965年や75年 の中心都市が以後に合併を行った場合には,これらの時点における中心都市の総面積や人 口,雇用には合併された市町村の総面積,人口,雇用が含められている。したがって,郊 外に属する市町村が合併された場合には,その人口等は郊外ではなく,中心都市に含めら れることになる。ただし,第2表の市町村数のなかには,中心都市の市域を1985年時点に 合わせるために中心都市に含めた,中心都市に合併された市町村は含まれていない。一ヱ4β一 香川大学経済学部 研究年報 30 J990 とに圏域が決められるという特徴がある。したがって,郊外に属する市町村数
の変化にみられるような同一・のSMEAにおける圏域の変化はもちろん,
SMEAの誕生や消滅についても記録されるため,都市化のダイナミックな進展
を把握することが可能になる。 第3表 SMEAの地域別分布とその変化 SMEAの分布 SMEAの変化 3時点と ’65のみ ’65・’75 ’75のみ ’75・’85 ’85のみ 1965 1975 1985 もに存在 存 在 に存在 存 在 に存在 存 在 北海道 6 7 8 6 0 0 東 北 10 14 17 0 0 3 4 関 東 14 22 27 12 0 2 8 7 北 陸 5 5 5 0 0 0 0 東 海 13 16 14 12 0 2 近 畿 6 5 8 5 0 0 3 中 国 13 12 14 12 0 2 四 国 6 6 7 0 0 0 0 九 州 14 17 16 14 0 0 2 0 沖 縄 全 国 87 104 118 82 2 3 4 15 20 注)沖縄については,1965年と75年は設定対象になっていないので,SMEAの変化 の欄からは除かれている。このようなSMEAの数の地域別の変化は,第3表のように整理される。な
お,ここでの地域は都道府県を単位に以下のように区分されており,SMEAの 地域別区分は中心都市の属する都道府県に基づいている。 北海道∴北海道東 北::青森,岩手,宮城,秋田,山形,福島,新潟
関 東::茨城,栃木,群馬,埼玉,千葉,東京,神奈川,山梨,長野
日本の大都摘圏 −J49− 北 陸:富山,石川,福井 東 海:岐阜,静岡, 近 畿::滋賀,京都, 中 国:∴鳥取,島根, 四 国:徳島,香川, 九 州::福岡,佐賀, 沖 縄二:沖縄 愛知,三重
大阪,兵庫,奈良,和歌山
岡山,広島,山口 愛媛,高知長崎,熊本,大分,宮崎,鹿児島
3時点間のSMEAを比較すると,すべての時点で存在するSMEAは82で
あった。これらのSMEAについては,大都市圏の単位で20年間の都市化の進
展に関する分析が可能になる。1965年に設定されたSMEAのなかで,大津SMEAと尾道SMEAは,75年
になると,中心都市であった大津市と尾道市の昼夜問人口比が1‖0未満となり, 中心都市としての基準を満たさなくなってしまう。そのため,1975年以降これ らのSMEAは設定されなかった。すなわち,消滅したのである。その結果,大津市はそれ以後京都SMEAの郊外に属することになるが,尾道市はいずれの
SMEAにも属さない地域としてとどまっている。1965年における大津SMEA
は,85年市域でみれば独立型のSMEAであったので,このような変化は,隣接の大規模なSMEAの拡大によって吸収されて消滅した典型的な事例といえ
る。 ∼・方,1975年には19のSMEAが新たに設定された。すなわち,誕生したのである。しかし,このなかで,4SMEAは1985年には消滅してしまう。いわ
き,刈谷,桑名,直方の各SMEAである。いわきSMEAと桑名SMEAは,中
心都市であったいわき市と桑名市の昼夜間人口比が1.0未満になったために, また,刈谷と直方の各SMEAの場合は,刈谷市と直方市の昼夜間人口比は1‖0 以上になるものの,それらの総流出就業者比率が30%以上になったために,い ずれも中心都市にならなかったものである。そして,桑名SMEAを形成していた市町村はすべて名古屋SMEAの郊外
香川大学経済学部 研究年報 30 J990 一J50− に,直方市とその郊外の一部は北九州SMEAの郊外に含まれることになる。こ
れらのSMEAの場合も,隣接の大規模なSMEAに吸収され,消滅したわけで
ある。いわき市と刈谷市については,いずれのSMEAにも属さないことになっ た。 1985年には,その他に,65年から存在していた熊谷,平塚,清水の三つのSMEAが消滅している。清水SMEAの場合は,中心都市であった清水市の昼
夜間人口比が10未満になったために,熊谷と平塚は,中心都市であった熊谷 市と平塚市が総流出就業者比率の条件を満たさなくなったために設定されな かったものである。そして,清水市は静岡SMEAの郊外になるが,他の2市はいずれのSMEAにも属さなかった。しかし,東京SMEAの拡大の影響が,熊
谷と平塚の二つのSMEAを消滅させたといえるであろう。1985年に新たに誕生したSMEAは20に達する。1975年と比較すると,より
広範な地域で新しいSMEAが設定されている。1975年の場合は,新たな
SMEAの誕生が関東以北の地域に偏っていたが,85年になると,これらの地域 で依然多くのSMEAの誕生がみられる−L方で,近畿,中国を中心に西日本の各 地域でも新しいSMEAが生まれている。全体的なSMEAの分布を比較すると,1965年の時点では西日本の地域に相
対的に多く分布していたが,75年以降に北日本において多くのSMEAが誕生
したことにより,全国的に分布が均等化してきたとみることができる。このよ うなSMEAの地域分布の変化は,都市化が全国的に進展したことを示すもの である。1985年における独立型のSMEAは,旭川,北見,苫小牧,青森,弘前,八戸,
勝田,足利の8SMEAであった。このなかで,苫小牧SMEAと足利SMEAは,
中心都市への流出就業者比率が10%以上になる周辺市町村がまったく存在しなかった。勝田SMEAの場合は,郊外の条件を満たす市町村は存在したもの
の,近隣の他のSMEAの中心都市への流出就業者比率が中心都市である勝田
市へのそれを上回ったため,勝田楕の郊外にならなかったものである。その他の5SMEAについては,それらの中心都市への流出就業者比率が10%以上に
日本の大都市圏 −ヱ5ユー なる市町村は存在したものの,いずれも非1次産業就業者比率が75%未満で あったために,郊外とはみなされなかった。このように,准立型のSMEAにお いても,通勤圏自体は中心都市の周辺に広がっている。
独立型のSMEAの数の変化をすべての時点で存在する82のSMEAについ
てみると,第4表のようになる。1965年には50%以上の43SMEAが独立型で
あった。しかし,1985年にはわずか4SMEAにまでに減少する。1975年に誕
生し,85年にも存在する15のSMEAについても同様の傾向がみられ,独立型
のSMEAは7から1に減少している。独立型のSMEAの大幅な減少は,これ
らの大都市圏における郊外化の急激な進展を端的に物語っている。 第4表 独立型のSMEA 1965 1975 1985 北海道 4 3 東 北 8 6 2 関 東 7 2 北 陸 0 0 0 東 海 5 0 近 畿 0 0 中 国 6 0 0 四 国 5 0 九 州 8 2 0 全 国 43 14 4 注)3時点ともに存在する82のSMEAのなかで,独 立型の数の推移をみたもの。ただし,独立型のSMEAの変化を地域間で比較すると,SMEAの誕生の
ケースとは反対に,関東より西の地域においてより早く減少したことがわかる。 すなわち,第4表に示されているように,東海以西の地域においては1975年には独立型のSMEAはわずか3にまで減少し,85年にはまったく存在しなく
なってしまう。ところが,関東以北では,同時点で半数近いSMEAが依然独立香川大学経済学部 研究年報 30 J990 −ノ見2【
型のSMEAであり,85年においてようやく20%未満にまで減少するのであ
る。前述のSMEAの数の変化と併せてみれば,都市化の地域的な広がりの程
度,個々の大都市圏レベルでみた場合の郊外化の程度のいずれについても,西 日本において相対的に先行していたが,この20年の間に北日本の地域が急激な 都市化を経験して,その両面に関して西日本と同じような・レベルに達したとい うことが示唆される。SMEAの数の変化をみると,分析の対象となっている20年間において都市
化地域が全国的に拡大したことがわかる。さらに,既存の大都市圏においても,郊外に属する市町村数の大幅な増加や独立型のSMEAの減少に現れているよ
うに,郊外化が進展し都市化地域の拡大がみられる。これらの現象は,いずれ もこの期間のわが国の都市化が分散的な都市化の段階にあったことを示してい る。次節では,このような都市化の動向を,3時点間のSMEAの人口と雇用の 変化をとおしてより詳細に検討する。 ⅠⅤわれわれが1965年,75年,85年の3時点において設定したすべてのSMEA
の人口(夜間人口)と雇用(従業地における就業者数)は付表2のとおりであ る。人口規模別に整理すると,第5表のようになる。1985年において人口規模が100万人上のSMEAは10あるが,これらは東京都区部および札幌,仙台,
名古屋,京都,大阪,神戸,広島,北九州,福岡の各政令指定都市を中心都市とするSMEAである。このなかで,東京,大阪,名古屋,京都,神戸の五つの
SMEAは,3時点をとおして人口規模で上位5位までを占め,その順位も変
わっていない。規模が最大となる東京SMEAの人口をみると,1965年の時点ですでに1,
700万人であったが,75年には2,300万人になる。そして,1985年には人口は 2,591万7千人に達する。これに次ぐSMEAは大阪SMEAで,1985年の人口は1,150万7千人にな
る。そして,名古屋SMEAが第3位の規模を有し,1985年の人口は426万人で
ーJこ;、?一一 日本の大都市圏 第5表 SMEAの人口規模 (1)1965−75年の規模分布 1975年の人口 25 25 50 100 200 国 1000 2000 消滅 合計 万人 岬50 −100 −200 −500 −1000 −2000 万人 未満 万人 万人 万人 万人 万人 万人 以上 25万人未満 30 21 ロ 2 54 25−50万人 23 9 3 4 田 2 3 5 年 の 人 ロ 2000万人以上 誕 生 17 2 19 計
48 35 12 5 2
2 (2)1975−85年の規模分布 1985年の人口25 25 50 100 200 500 1000 2000
消滅 合計 万人 −50 −100 −200 −500 −1000−2000 万人 未満 万人 万人 万人 万人 万人 万人 以上 25万人未満 5 25−50万人 24 9 2 9 12 7 5 4 5 年 2 2 の 人 [] 2000フラ人以上 誕 生 20 21 計54 33 5 3
7 注)1985年の誕生には,那覇SMEAが含まれている。香川大学経済学部 研究年報 30 ヱ990 −エ多㌢−
ある。さらに,京都,神戸の二つのSMEAが続くが,いずれも1985年の人口
は200万人以上になっている。−・方,1985年においては,全体の46%にあたる54のSMEAが人口25万人
未満である。人口規模が最小となるSMEAは,人口10万人の山形県の鶴岡市
を中心都市とする鶴岡SMEAである。さらに,福井県の武生市を中心都市とする武生SMEAが人口10万2千人となる。ただし,鶴岡SMEAは郊外をもたな
い独立型のSMEAである。 地域別にみると,北海道,関東,中国の各地域で,人口25万人未満の小規模なSMEAが相対的に多い。なかでも,北海道と関東では3分の2近いSMEA
が小規模なSMEAである。とくに,関東では東京周辺の大都市のほとんどが東京SMEAに属しているため,人口50ブヨ■人以上のSMEAが他の地域と比べて
極めて少なく,規模で圧倒的優位を占める東京SMEAの周辺に多くの小規模
SMEAが分布するという状況になっている。人口規模の分布を3時点間で比較すると,1965年から75年にかけて比較的
規模の小さいSMEAの成長が著しく,小規模なSMEAの誕生が多くみられた
にもかかわらず,1975年には人口25万人未満のSMEAは減少している。さら
に,1975年に,新たに三つのSMEAで人口が100フラ人以上になった。この期間 は,個々のSMEAの規模の拡大が趨勢として強くみられるのである。それに対して,1975年から85年までの変化では,前の10年間に比べると
SMEAの成長が鈍化したことが窺われる。人口50万人未満のSMEAのなか
で,規模のランクを上昇させたSMEAの数の割合が大幅に低下している。とくに,1975年に25万人未満であった小規模なSMEAについて,その傾向が顕著
である。∼・方,規模別のSMEAの数の変化でみれば,50万人以上100万人未満の規模のSMEAの数の増加率がもっとも大きくなっている。このような変化
は,SMEAの規模の間で成長に格差が生じていることを示唆している。 このように,個々のSMEAの単位でみれば,規模によって都市化の動向に格 差が現れている傾向がみられるようであるがヲ)ここでは,個々のSMEAの人口 6)個々のSMEAを単位とした都市化の分析は,1965年と75年の間の変化については,山日本の大都市圏 ・一丁うこ;−
や雇用の変化をみるのではなく,各時点において存在したすべてのSMEAに
ついて集計された人口や雇用の総数の変化をみることによって,全体的な都市 化の動向を捉えることにする。したがって,ここで明らかにされるものは,わ が国の平均的な都市化の動向ということになる。 なお,分析にあたっては,全国を次の三つの地域に区分する。すなわち,中 心地域,中間地域,周辺地域である。これらの地域は,第2節で定義した地域 をさらに統合したものとして定義されるが,東北,関東,中国,九州について は,それぞれをさらに二つの地域に分割したうえで統合している三)3地域の定 義は以下のとおりである。 中心地域::関東臨海,東海,近畿 中間地域:南東北,関東内陸,北陸,山陽,北九州 周辺地域::北海道,北東北,山陰,四国,南九州,沖縄これら3地域および全国のSMEAの総面積,人口,雇用を集計すると,第6
表のようになる。表のなかで,SMEA計は当該地域に存在するすべてのSMEA
に含まれる市町村の合計を,非SMEAはSMEAに含まれない市町村の合計
を,そして,地域合計はその地域の全市町村の合計を指している。 全国合計でみると,SMEAの総面積は1965年には国土の9。0%であったが, 田浩之・徳岡−・幸「戦後の日本における都市化の分析 【「標準大都市雇用圏」によるアプ ローチー」『地域学研究』第14巻,1984年,199−217ページ, として,また,1985年を含めた20年間の変化については,HYamada,and KTokuoka“The Urbanization Process ofJapan”(Conference Paper for the1990Hong Kong Con士erence of the PacificRimCouncilonUrbanDevelopment)October,1990,として発表している。 7)東北は北束北と南東北に,関東は関東内陸と関東臨海に,中国は山陰と山陽に,九州は 北九州と南九州に分割した。ここで,北東北は青森,岩手,秋田の3県を,南東北は宮城, 山形,福島,新潟の4県をさす。関束内陸は栃木,群馬,山梨,長野の4県,関東臨海は 茨城,埼玉,千葉,東京,神奈川の1都4県としている。また,山陰は鳥取と島根の2県, 山陽は岡山,広島,山口の3県である。そして,北九州は福岡,佐賀,長崎,大分の4県 を,南九州は熊本,宮崎,鹿児島の3県をさす。その他の地域は第2節で定義したとおり である。
香川大学経済学部 研究年報 30 ←J56− J99(フ 第6表 地域別の総面積・人口・雇用 (単位::km2,千人,%) 1965年 1975年 1985年 総面積 人 口 雇 用 総面積 人 口 雇 用 総面積 人 口 雇 用 中心地域地域合計
1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000
SMEA計181 717 733 312 812 817 366 836 842
中心都市418 506 355 485 102 322 457
郊外299 228 216 457 332 264 513 385
非SMEA819 283 267 688 188 183 634 164 158
中間地域地域合計1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000
SMEA計379 390 182 549 552 264 655 655
中心都市344 363 110 426 455 109 441 479
郊外 123 155 214 176 非SMEA906 621 610 818 451 448 736 345 345
周辺地域地域合計1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000
SMEA計277 284 395 399 105 510 506
中心都市272 280 352 365 392 408
郊外 5小0 118 非SMEA954 723 716 936 605 601 895 490 494
日 本の大都市圏 −7う「一 1965年 1975年 1985年 総面積 人 口 雇 用 総面積 人 口 雇 用 総面積 人 口 雇 用 全国地域合計
1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000
SMEA計 530 548 154 667 669 211 729 733 中心都市367 421 374 456 367 454
郊外163 126 292 213 128 362 278
非SMEA 911 470 452 846 33.3 33ノノ1 789 271 267 注)下段は,それぞれの地域におけるシェア。 1965年と75年の周辺地域および全国には,沖縄は含まれていない。 85年には21.1%を占めることになる。人口については,1965年にすでに全国の 人口の53..0%を占めていたが,75年には66小7%に,そして,85年には72.9% にまで達した。 雇用についても,人口とほぼ同じ変化を示している。すなわち,SMEAの雇 用が全体に占めるシェアは,1965年には54日8%であったが,75年には66.9% に,85年には73.3%に上昇した。SMEAのシェアは,都市化の進展の程度を表 す指標とみることができる。したがって,このような人口と雇用のSMEAの シェアの拡大は,この20年間において,都市化が着実に進展したことを意味す る。 都市化度を地域間で比較すると,最も都市化の進んでいる地域は中心地域であり,SMEAのシェアは1965年にはすでに人口で71..7%に,雇用で73.3%に
なっていた。1975年にはこれらのシェアは80%台になり,85年には人口は83 6%,雇用は84.2%に達している。香川大学経済学部 研究年報 30 lノこ了∫−− J990 それに対して,中間地域では1965年のシェアは人口で37‖9%,雇用では39 0%であったが,75年になると人口,雇用ともに50%を超え,85年にはいずれ も65.5%にまで上昇する。都市化の進展が最も遅れている地域は周辺地域であ
り,1965年にはSMEAの人口と雇用は,それぞれ277%と28.4%を占めるの
に過ぎなかった。しかし,1985年になると人口,雇用ともに50%を超え,75年 時点での中間地域における都市化の程度にまで達した。 東京,大阪,名古屋の3大都市圏を含む中心地域は当初から高度に都市化さ れた地域であったが,20年間の変化のなかで,中心地域のレベルにまでは至ら ないものの,隣接の中間地域,さらには,それから10年程度の時間的遅れを伴 いながら,最も遠隔の周辺地域においても都市化が進み,都市化地域が拡大し ていったことがわかる。このような中心地域から周辺地域へという時間的,空 間的な広がり方を特徴とする都市化の全国的な進展は,分散的な都市化過程と いえるであろう。 ところで,SMEAの中心都市と郊外の規模を比較してみると,中心地域では 人口に関して1975年になると郊外の規模が中心都市を上回ることになる。しか し,雇用に関しては1985年においても依然中心都市が郊外を上回っている。中 間地域と周辺地域では,人口,雇用のいずれに関しても,郊外が急激に成長し ているものの,規模では−・買して中心都市が大きくなっている。 中心都市と郊外の規模を比較すると,第7表のようになる。ここでは,郊外 の中心都市に対する比を人口と雇用について求めているが,これは大都市圏に 第7表 SMEAの分散度 人 口 雇 用 1965 1975 1985 1965 1975 1985 中 心 地 域 0.717 1.286 1.591 0450 0684 0.842 中 間 地 域 0.102 0け288 0小485 0小075 0213 0.369 周 辺 地 域 0.018 0.120 0302 0014 0り092 0,238 全 国 0‖444 0.781 0.988 0小300 0468 0612 注)1965年と75年の周辺地域と全国には,沖縄は含まれていない。日本の大都市圏 −J59… おける分散度を表す指標とみなすことができる。この比の値が大きいほど分散 化,すなわち,郊外化が進んでいることを意味する。 いずれの地域においても,人口,雇用ともに分散度は上昇し,郊外化が進み つつあることがわかる。ただし,地域的には,都市化の度合に対応して中心地 域において郊外化が最も著しい。中間地域については,20年間でかなり郊外化 が進んだとみることができるが,周辺地域では,1975年以降の10年間でようや く郊外化の段階に達したとみるべきであろう。さらに,人口と雇用の分散度を 比較すると,すべての地域,すべての時点において人口の分散度が雇用のそれ を上回っていることがわかる。中心地域においても,人口の分散度は1985年に は1..591になるのにもかかわらず,同時期の雇用の分散度は0‖842にとどまる。 第8表 人口と雇用の変化 (単位ニニ千人,%) 人 口 雇 用 1965−75 1975−85
1965−75
1975−85 絶対的相対的 絶対的 相対的 絶対的 相対的 絶対的 相対的 変 化 変 化 変 化 変 化 変 化 変 化 変 化 変 化 中心地域 SMEA計 13,804 38り7 6,388 12.9 5,284 293 3,893 167 中心都市 864 4.2 −87 −0“4 1,404 11小3 928 67 郊 外 12,940 868 6,475 233 3,880 69。3 2,965 313 中間地域 SMEA計 5,753 521 4,569 27.2 2,783 508 2,131 258 中心都市 3,016 30.1 1,351 10.4 1,716 33.6 782 115 郊 外 2,737 2678 3,217 856 1,068 277.8 1,349 92.9 周辺地域 SMEA計 2,271 424 3,358 44.0 1,142 44.9 1,445 392 中心都市 1,551 29..5 1,623 23.8 865 344 771 22.8 郊 外 720 754,8 1,735 2127 277 7974 674 2159 全 国 SEMA計 21,828 41‖9 14,315 194 9,209 35.3 7,469 212 中心都市 5,431 15.1 2,888 7小0 3,984 19.9 2,480 10.3 郊 外 16,397 102小3 11,427 35。2 5,225 86.8 4,989 444 注)周辺地域および全国には,沖縄は含まれていない。香川大学経済学部 研究年報 30 J99(フ ・一J(−バ− このように,大都市圏内における郊外化は,人口が雇用に先行する形で進んで きたのである。 大都市圏内における都市化の動向を,人口と雇用の3時点間の変化をみるこ
とでより詳細に検討してみよう。第8表は,3時点間のSMEAの人口と雇用の
変化を比較したもので,増加数でみた絶対的変化と,増加率でみた相対的変化 の両方で変化が示されている。SMEA全体としては,絶対的変化でみれば中心 地域の増加数が最も大きい。しかし,増加率の大幅な低下にみられるように, 前半の10年蘭に比べて後半の10年間の増加数は,中心都市,郊外いずれにつ いても人口,雇用ともに減少し,都市化の勢いは明らかに鈍化したことがわか る。 それに対して,中間地域と周辺地域では,増加率自体は大幅に低下したもの の,絶対的変化でみれば,中間地域では都市化の趨勢がやや緩慢になった程度 であり,周辺地域では,中心都市,郊外ともに1975年から85年の人口増加数 のほうが65年から75年の増加数を上回っており,むしろ趨勢が強まったとい える。そして,SMEA全体としての相対的変化において,人口,雇用のいずれ に関しても,始めの10年間は中間地域の増加率が最も高く,後半の10年間は 周辺地域の増加率が最も高くなる。都市化が時間の経過に従って中心地域から 周辺の地域へと広がっていったことを指摘したが,都市化の勢いに関しても, 中心地域から中間地域へ,さらに,周辺地域へとその中心が移りつつあること がわかる。 また,中間地域と周辺地域においては,郊外の増力ロ率の高いことが注目され る。1975年から85年の変化では増加率自体は大きく低下したものの,依然高い 債を示している。そして,郊外の絶対的な変化でみれば,中間地域,周辺地域 ともに,人口に関しては後半の10年の増加数がより大きくなっており,これら の地域が急激な郊外化を経験しつつあることがわかる。ここで,各地域のSMEA全体としての中心都市と郊外の絶対的変化に基づ
いて,都市の発展段階仮説8)に従った都市化段階の類型区分を行うと,次のよう日本の大都市圏 −J6ヱー になる。全体としては,郊外化の段階にあることは明らかであるが,そのタイ プについては,期間や地域によって異なり,さらには,人口と雇用の間でも違 いがみられる。 中心地域においては,人口,雇用いずれについても郊外化の段階とみなされ るが,そのタイプは,人口の場合,1965年から75年まで変化が相対的分散の段 階にあったのに対し,75年から85年の変化は中心都市の人口が減少しており, 絶対的分散の段階と位置づけられる。この中心都市の人口減少は,東京と大阪
の2SMEAの中心都市の人口減少と,大規模なSMEAの郊外の空間的拡大に
伴う周辺のSMEAの消滅によるもので,分散化,すなわち,郊外化の1一層の進 展がみられたのである。−一方,雇用に関しては,両期間とも相対的分散の段階 に位置づけられ,人口が雇用に先行するかたちで郊外化が進んでいることを示 している。 中間地域については,人口,雇用いずれに関しても,前半の10年の変化は相 対的集中として,後半の10年は相対的分散とみなされる。すなわち,郊外の拡 大により,この20年間で都市化の過程は集中化から分散化へと転じることに なったのである。 周辺地域については,人口に関しては,中間地域と同様に相対的集中から相 対的分散へと転じたものの,雇用に関しては,いずれの期間も相対的集中の段 階に位置づけられる。ここでも,人口が雇用よりも早く分散する傾向がみられ る。ただし,1975年から85年の間の人口増加数の中心都市と郊外の差はわずか であり,20年間の都市化過程は集中化が支配的で,分散化の段階はようやくそ の端緒についたところであるとみることができる。 以上のように,1965年以降のわが国の都市化の動向は,大都市圏内部におけ る分散化,すなわち,郊外化を伴いつつ,中心地域から徐々に周辺の地域へと 空間的に広がるというパターンを描いてきた。そのなかで,地域的には,都市 StudyoiGrowthandDecline,PergamonPress,0Ⅹford,1982,山田浩之「大都市の衰 退と再生一欧州の経験から何を学ぶか−」『エコノミスト』3月29日号,1983年, 10−18ページ,などを参照されたい。なお,前掲のHYamadaandKTokuoka(1990) においては,個々のSMEAについて発展段階仮説に従った類型区分を行っている。J990 香川大学経済学部 研究年報 30 ・一汗ご一 化の程度の違いに応じて,都市化の趨勢は1975年以降中心地域では鈍化の傾向 を示すのに対し,周辺地域の都市化はさらに強まることになる。さらに,大都 市圏内部における変化についても,中心地域では分散傾向がますます顕著に なったのに対して,中間地域では集中化から分散化への転換がこの期間でみら れ,周辺地域では分散化の端緒についたところであるという違いがみられるの である。 最後に,これまでに概観したような都市化の進展を大都市圏の産業構成の変 化のうえからみておこう。第9表は,山・般的な産業の3分類によってSMEAの 雇用の産業別割合をみたものである芝)第1次産業の構成比をみると,地域全体 としては周辺地域において最も高くなるのにもかかわらず,SMEAとしては, 中間地域のSMEAにおいて最も高くなっている。中心都市と郊外に分けてみ た場合にも,75年まではいずれも中間地域の力が高い。 これは,中間地域における急激な都市化の影響が産業構成に現れたものとみ られる。郊外化の過程で大都市圏の圏域を・一挙に拡大したが,このとき農業的 な土地利用,すなわち,非都市的土地利用が支配的な地域を多く含んだままで 圏域が形成されることにな・った。そのために,第1次産業のウェイトが相対的 に大きくなっているのである。周辺地域において1985年に郊外の第1次産業の 構成比が上昇したことも,同じように説明できるであろう。産業構成の変化の うえにも,これらの地域における急激な都市化の進展が反映されているわけで ある。 SMEAの産業構成を地域間で比較すると,第2次産業の構成比は中心地域に おいて最も高いのに対して,第3次産業の構成比は周辺地域において最も高く なっている。とくに,周辺地域の中心都市は第3次産業への特化が顕著であり, 1965年にはすでに構成比は61.3%に,85年には72.4%にまで上昇している。
中心地域と中間地域の場合は,中心都市の第3次産業の構成比は1975年に
9)産業分類は標準産業分類の大分類に従っており,第1次産業は農業,林業,漁業から, 第2次産業は鉱業,建設業,製造業からなる。また,第3次産業は電気・ガス・熱供給 水道業,運輸・通信業,卸売・小売業,飲食店,金融・保険業,不動産業,サービス業, 公務である。ただし,分類不能の就業者数は第3次産業の就業者数に含めている。日本の大都市圏 ーヱ63− 第9表 地域の産業構成 1965年 1975年 1985年 雇用総数 1次産業 2次産業 3次産業 雇用総数 1次産業 紙産業 3次産業 雇用総数 1次産業2次産業 3次産業 削メ峨地域合計 1000 四 四 四 1000 田 四 四 1000 四 四 四 SMEA討 1000 四 四 四 四 四 四 四 四 四 四 四 中心都而 四 四 皿 四 1000 四 四 四 1000 四 四 四 郊 外 1000 四 四 四 1000 田 四 四 10日 四 ′392 四 非SMEA 1000 四 四 四 1000 四 団 四 四 四 四 団 桐峨地域合計 四 団 四 四 10川 四 四 四 1000 皿 四 四 SMEA討 1000 四 四 四 1000 四 四 四 1000 皿 四 四 中心都市 1000 四 四 四 1000 川 四 四 四 四 四 四 郊 外 四 四 四 四 四 四 四 四 1000 四 四 四 非SMEA 1000 四 四 四 1000 四 四 四 四 四 四 団 周辺峨地域合計 1000 四 四 四 1000 四 四 四 四 四 四 四 SMEA吾† 1000 1日 四 四 1000 川 四 四 1000 田 四 四 中心都市 1000 皿 四 四 1000 四 四 四 四 四 四 四
郊 外 四 四 四 1008 四 四
非SMEA 1000 四 四 四 1000 3−73 四 四 1000 四 四 四 全 国地域合計 1000 四 四 四 1000 138 四 四 四 四 四 四 SMEA討 1000 田 四 四 四 四 四 四 1000 四 四 四 中心都市 四 田 3∼」f 四 1000 田 四 四 1000 四 297 四 郊 外 1000 1日 四 四 1000 四 四 非SⅦA 四 457 四 四 1000 四 四 四 1000 四 四 四 注)1965年とJ7絆の周辺地域および全国には,沖矧ま含まれていない。香川大学経済学部 研究年報 30 ーJ64− J990 60%以上となる。周辺地域のSMEAは,その構成比は郊外においても中間地域 の郊外より高く,第3次産業を基盤にした産業構造を形成しているといえる。 このことは,反対に,第2次産業,とくに,工業の集積が最も希薄な地域であ ることを意味している。 それに対し,中心地域のSMEAは中心都市,郊外ともに第2次産業のウェイ トが他の地域に比較して相対的に最も高い産業構造となる。この地域はわが国 の4大工業地帯のうちの三つまでを香しており,既存の工業集積の大きさが
SMEAの産業構造にも反映されているわけである。中間地域のSMEAの産業
構造上の特徴は中心地域と周辺地域の中間にあるといえる。このような産業構 造における地域間の違いは,SMEAの経済基盤,そして,これまでの成長要因 が地域によって異なることを示唆しており,都市化の進展にみられた時間的な ずれをもたらした−・因と考えられるであろう。 ただし,いずれの地域のSMEAにおいても,第2次産業のウェイトは低下し てきており,第3次産業を中心とする産業構造という特徴が強まりつつある。SMEAにおける第3次産業への特化の傾向は,第3次産業の大都市圏への集中
を意味する。反対に,第2次産業は分散化の傾向が顕著である。 第2次産業の構成比を中心都市と郊外の間で比較すると,いずれの地域にお いても郊外における構成比の方が高く,大都市圏内において分散が進んでいる ことを示している。構成比を地域間で比較すると,1975年までは中心地域の郊 外で最も高かったものが,85年には中間地域の郊外において最も高くなる。さらに注目されるのは,SMEAにおける構成比の低下とは対照的に,SMEA以外
の地域においては,第2次産業の構成比が−・賞して上昇していることである。 筆者は,かつてわが国の工業立地動向を分析し,高速交通体系の整備に伴っ て,労働力と土地の入手可儲性が立地要因としての重要性を高めた半面,都市 的集積への近接性の重要性は低下したことを明らかにし,分散的な立地展開が 基本的なパターンであることを示した三0)このような立地展開が,上述のような 10)徳同一幸「わが国におけるエ業の立地動向」『香川大学経済論叢』第58巻,第4号,1986 年,171−192ページ,を参照されたい。日本の大都市圏 ーヱ65− 第2次産業の地域的な分布の変化となって現れたわけである。そして,第2次 産業のSMEA以外の地域への展開は,今後∵・層の都市化地域の拡大をもたら すことにはなるものの,第2次産業が大都市圏の経済基盤としてもつ意義はさ らに小さくなっていくものと予想されるのである。
お わ り に
SMEAというわれわれが定義した大都市圏を前提として,わが国における都 市化の動向に関して基礎的な分析を行った。そして,1965年以降の都市化の動 向は,大都市圏内部における分散化を伴いつつ,中心地域から徐々に周辺の地 域へと空間的に広がるというパターンを描いてきたことを明らかにした。さら に,大都市圏内部における変化についても,中心地域では分散化がさらに顕著 になったのに対して,中間地域や周辺地域では集中化から分散化への転換がみ られた。今後,このような都市化の動向について個々のSMEAのレベルでのよ り詳細な分析を行い,最終的には大都市圏の成長と衰退のメカニズムを明らか にすることがわれわれの目的である。 それとともに,SMEAという大都市圏の概念の再検討を行う必要がある。SMEAの定義の基礎となっているものは,アメリカ合衆国で設定されてきた
SMSA(StandardMetropolitanStatisticalArea)であるが,これも,当初の
設定以降,定義の見直しがたびたび行われてきた。そして,1983年からは大都市圏の再編が行われ,名称もMSA(MetropolitanStatisticalArea)と改めら
れた三1)SMEAについても,時代の状況に合わせて大都市圏の実態をより正確 に捉えられるよう,定義の再検討を行わなければならない。 とくに,われわれの定義のなかでは,複数の互いに隣接しあうSMEAの扱い についての基準が設けられていないという問題点がある。MSAの場合には,CMSA(ConsolidatedMetr・OpOlitanStatisticalArea)という連合大都市圏が
定義されている。11)U SBureauoftheCensus,StatisticalAbstractofthe United States1990(110th
−J66− 香川大学経済学部 研究年報 30 J990
第1図からわかるように,多くのSMEAが境界を接している状況が各地域
でみられる。なかでも,関束内陸部では11のSMEAが連なりあっている。こ
のような場合,それぞれのSMEAを個別に取り.上げるよりも,複数のSMEA
をまとめて連合大都市圏として把握する方が,実態に近づくことができるかも しれないのである。また,近畿のように,大阪,京都,神戸の3大都市がそれ ぞれに大都市圏を形成していることは事実としても,さらに,これらの大都市 圏を合わせて京阪神大都市圏のような概念で捉えることが,その地域の実態に 迫るうえで不可欠な場合も存在する。したがって,SMEAについてもCMSAのような連合大都市圏の概念を取り
入れ,そのための新たな基準を設ける必要がある。どのような基準で連合大都 市圏を定義するべきかはこれから検討しなければならない課題であるが,それ を含めたSMEAの統合に関する議論は,稿を改めて論じる予定である。日本の大都市圏 −J67刑 付表1SMEAの中心都市と郊外(1985年) (単位:こ人,%) コード番号 市町村名 人 口 常住就業者 中心都市へ の流出比率 非1次産業 就業比率 従業就業者 (雇用) 1木L幌SMEA 中心都市 1100 札幌市 1,542,979 694,891 989 725,858 郊外 1203 小樽市 172,486 74,296 12ノ0 974 69,037 1217 江別市 90,328 37,622 394 934 25,523 1231 恵庭市 48,305 22,607 102 919 19,377 1301 広島町 40,853 16,409 451 936 12,771 1302 56 1 929 郊外計 137,254 SMEA計 1,936,593 863,112 2函館SMEA 中心都市 1202 965 郊外 1335 上磯町 30,770 13,032 387 868 9,671 1337 31 9 783 郊外討 17,521 SMEA計 372,571 158,398 3旭川SMEA 中心都市 1204 945 郊外 郊外計 SMEA計 363,631 167,135 4室蘭SMEA 中心都市 1205 989 郊外 1230 登別市 58,370 23,523 400 981 15,841 1233 12 6 830 郊外計 28,762 SMEA計 229,402 92,572 5釧路SMEA 中心都市 1206 931 郊外 1661 釧路町 15,942 7,915 402 819 6,4−71 1668 159 788 郊外計 12,440 SMモニA計 244,588 109,455 6帯広SMEA 中心都市 1207 939
香川大学経済学部 研究年報 30 ヱ990 ▼一九;∫− ヨード番号 市町村名 人 口 常住就業者 ヰ心都市へ の流出比率 非1次産業 就業比率 従業就業者 (雇用) 郊外 1631 31 8 761 郊外討 12,183 SMEA討 196,902 95,953 7北見SMEA 中心都市 1208 917 郊外 郊外計 SMEA訂 107,281 51,056 8苫小牧SMEA 中心都市 1213 988 郊外 郊外計 SMEA計 158,061 70,797 9月森SMEA 中心都市 2201 946 郊外 郊外計 SMEA計 294,045 136,692 10弘前SMEA 中心都市 2202 7−76 郊外 郊外計 SMEA計 176,082 87,862 11八戸SMEA 中心都市 2203 917 郊外 郊外計 SMEニA計 241,430 118,082 12盛岡SMEA 中心都市 3201 960 郊外 3305 滝沢村 31,−733 15,522 401 84−7 11,486 3323 31 7 839 郊外討 28,936 SMEA計 304,509 151,974 13イ山台SMEA 中心都市 4201 9−79 郊 外 4203 塩釜市 61,825 29,633 256 965 30,149 420」7 名取市 50,897 24,291 351 856 20,1∼8 4209 多賀城市 54,436 25/70? 381 972 20,182
日 本の大都市圏 −ヱ69− コード番号 市町村名 人 口 常住就業葛 中心都市へ の流出比 非1次産業 就比 従業就業者 (雇用) 率 業率 4210 泉市 124,216 52,800 608 968 24β13 4211 岩沼市 36,519 17,067 250 885 16,240 4321 大河原町 20,305 9,895 140 926 9,355 4323 柴田町 35,416 16,681 178 927 14,452 4361 亘理町 29,263 14,456 208 759 10,792 4362 山元町 18,236 8,886 183 758 6,562 4382 秋保町 5,171 2,771 254 846 2,452 4401 松島町 17,568 8,673 222 877 6,274 4404 七ヶ浜町 18,1・06 8,601 270 870 3,907 4405 宮城町 27,694 13,083 466 920 8,191 4406 利府町 12,031 5,808 332 877 4,906 4421 大和町 18,−768 9,436 142 781 9,243 4423 富谷町 18,053 7,930 438 930 3,800 4503 10 7 808 郊外討 200,060 SMEA討 1,269,706 606,281 14石巻SMEA 中心都市 4202 872 郊外 4562 矢本町 27,328 12,574 239 775 9,458 4567 15 1 762 郊外計 11,209 SMEA計 155,358 72,785 15秋田SMEA 中心都市 5201 951 郊外 5361 五城目町 15,04L7 7,485 122 797 6,2−71 5362 昭和町 9,769 4,996 278 796 3,822 5363 八郎潟町 8,239 4,159 180 819 3,347 5364 飯田川町 5,343 2,663 24 4 82、7 2,327 5365 天王町 18,370 8,579 333 838 5,958 5405 282 823 郊外計 23,8−70 SM胞A討 359,456 172,419 16山形SMEIA 中心都市 6201 90
香川大学経済学部 研究年報 30 J99(フ 叶J7り− コード番号 市町村名 人 口 常住就業者 中心都市へ の流出比率 非1次産業 就業比率 従業就業者 (雇用) 郊外 6206 寒河江市 41,828 22,375 110 794 22,362 6207 上山確 38,822 20,510 207 807 17,691 6210 天童市 55,123 29,147 172 808 28,392 6301 山辺町 14,369 7,729 290 809 6,141 6302 3,921 郊外討 78,507 SMEA計 407,173 213,685 17鶴岡SMEA 中心都市 6203 53,616 郊外 郊外計 SMEA討 100,200 53,616 18酒田SMEA 中心都市 6204 57,828 郊外 6463 763 郊外計 2,603 SMEA計 107,543 60,431 19福島SMEA 中心都市 7201 890 郊外 7301 桑折町 14,918 7,891 802 6,453 7302 伊達町 10,275 5,175 327 844 4,793 7305 保原町 24,348 12,508 180 了95 12,202 7308 川俣町 20,864 11,103 107 790 10,486 7309 22 3 806 郊外計 37,236 SMEA計 348,634 178,282 20会津若松SM藍A 中心都市 7202 926 郊外 7424 河乗町 9,625 5,179 386 756 3,4‘73 7442 29L7 767 郊外計 5,843 SmI王ニA計 134,047 74,281 21郡山SM正二A 中心都市 7203 8‘74 郊 外 720∼ 須賀川市 58,786 30,051 107 ∼83 30,668
日本の大都市圏 一J7ヱ叫 コード番号 市町村名 人 口 常住就業者 中心都市へ の流出比率 非1次産業 比率 従業就業者 (用) 就業 雇 7323 16 8 1 郊外計 41,767 SMEA計 380,336 19ア,617 22水戸SMEA 中心都市 8201 942 郊外 8209 那珂湊市 33,011 16,116 131 91ユ 11,726 8216 笠闇市 31,540 16,508 104 811 13,875 8309 大洗町 21,047 10,673 167 883 10,049 8321 友部町 28,513 13,402 16ノ0 845 11,419 8343 18 6 784 郊外計 49,813 SMEA計 350,248 182,297 23日立SMEA 中心都市 8202 973 郊外 8212 常陸太田市 36,628 19,238 173 805 14,868 8214 高萩市 33,968 16,210 217 900 14,395 8215 北茨城帯 51,035 24,403 146 881 20,537 8341 東海村 31,065 14,734 168 899 16,067 8381 46 O 867 郊外討 69,636 SMEA計 370,807 179,235 24土浦SMEA 中心都市 8203 932 郊外 8443 阿見町 37,670 17,900 185 845 15,738 8464 千代田村 22,908 11,227 336 817 8,12る 8485 111 768 郊外計 33,817 SMEA計 203,613 104,405 25勝田SM正二A 中心都市 8213 937 郊外 郊外計 SMEA計 102/763 56,012 26宇都宮SMEこA 中心都市 9201 941
香川大学経済学部 研究年報 30 J990 −−ノニノー コード番号 市町村名 人 口 常住就業者 中心都市へ の流出比率 非1次産業 就業比率 従業就業者 (雇用) 郊外 9205 鹿沼■市 88,078 45,494 101 858 44,525 9301 上三川町 25,229 12,873 105 757 17,744 9304 河内町 26,266 12,380 444 865 8,160 9361 壬生町 37,573 19,009 128 807 17,285 9362 石橋町 19,123 9,884 126 840 8,988 9385− 17 1 810 郊外討 107,437 SMEA討 626,008 326,901 27足利SMEA 中心都市 9202 956 郊外 郊外計 SMEA計 167,656 82,512 28栃木SME.A 中心都市 9203 919 郊外 9365 大平町 26,829 12,531 108 882 13,437 9368 23 O 799 郊外計 18,712 SMEA討 126,954− 60,350 29佐野SMEA 中心都市 9204 933 郊外 9367 岩舟町 18,599 9,249 132 846 6,724 9421 田沼町 30,176 14,642 187 906 10,816 9422 12 O 898 郊外計 24,423 SMEA計 144,886 66/777 30小山SMEA 中心都市 9208 874 郊外 8207 結城市 52,283 25,66L7 149 813 22,704 9363 16 7 810 郊外計 28,093 SMEA計 200,565 98,300 31前橋SMEA 中心都市 10201 925 郊 外 10208 渋川市 47,814 22,566 110 927 24,428
日本の大都市圏 −J∴;一 コ・−ド番号 市町村名 人 口 常住就業者 中心都市へ の流出比率 非1次産業 就業比率 従業就業者 (用 雇) 10304 大胡町 12,917 6,578 300 781 4,510 10344 榛東村 10,753 5,575 160 774 4,897 10345 22 O 807 郊外討 37,753 SMEA討 361,291 188,953 32高崎SMEA 中心都市 10202 958 郊外 10209 藤岡市 57,082 28,289 111 856 26,266 10211 安中市 44,601 22,172 151 827 20,829 10321 榛名町 21,333 10,432 221 763 8,498 10323 箕郷町 15,214 7,324 243 819 4,859 10324 郡馬町 28,558 13,482 236 878 9,325 10361 新町 13,583 6,773 130 978 5,534 10363 吉井町 22,111 11,596 163 779 8,881 10401 松井田町 18,805 9,438 117 786 7,115 10464 14 7 862 郊外計 100,100 SMEA計 473,547 227,729 33′桐生SMEA 中心都市 10203 986 郊外 10309 東村 4,173 2,156 125 821 1,716 10483 薮塚本町 14,813 7,821 102 761 7,821 10484 笠懸村 19,073 9,484 209 843 9,213 10501 20 1 94、7 郊外計 29,060 SMEA計 192,823 96,263 34伊勢崎SMEA 中心都市 10204 938 郊外 iO462 東村 14,細7 7,622 ユ92 7−76 6,372 10463 境町 169 832 郊外計 19,004 SMEA計 156,81L∼ 79,532 35太田SMEA 中心都市 10205 太田市 927
香川大学経済学部 研究年報 30 ,・,・・−7∴卜 J990 コ−ド番号 市町村名 人 口 常住就業者 中心都市へ の流出比 非1次産業 比 従業就業者 率 就業率 (雇用) 郊外 10481 尾島町 14,586 7,851 166 755 7,018 10482 17 3 776 郊外計 19,217 SMEA討 175,118 90,293 36館林SMEA 中心都市 1020−7 895 郊外 10522 明和村 10,156 5,223 160 787 4,524 10525 11 O 861 郊外討 14,954 SMEA計 109,514 52,072 37秩父SMEA 中心都市 11207 932 郊外 11361 横瀬町 9,989 4,685 300 908 3,711 11362 皆野町 12,707 6,377 150 867 6,154 11364 吉田町 6,536 3,323 102 782 2,−703 11365 小鹿野町 12,837 6,317 118 847 6,054 11368 34 7 885 郊外計 20,640 SMEA討 109,440 50,095 38茂原SMEA 中心都市 12210 899 郊外 12421 ー宮町 10,997 5,602 141 788 4,683 12422 睦沢町 7,804 3,891 242 82 7 2,397 12427 長南町 11,640 5,912 283 817 3,706 12445 岬町 12 5 763 郊外計 15,315 SMEA計 121,031 55,482 39成田SMEA 中心都市 12211 成田市 90−7 郊 外 12324 富里町 33,291 16,297 205 768 11,621 12341 下総町 7,001 3,558 198 764 2,3−75 12342 115 ∼96 2,555 郊外計 16,551 SMEA計 123,112 72,646