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現代日本語文の<判断のモダリティ>の体系と構造について

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最近のモダリティ研究において、 しばしば指摘される事実の一 つ に、 いわゆる推位の「\ダロウ 」が、 判断の碓哭性を欠くとい った点で、 「1カモシレナイ」や「\ヨウダ」などと似た性格を 持らながら、 陳述性や作用 性、 あるいは、 モダリティとしての真 正・疑似といった点で、 はっきりとした意味・統語的な特異性を 持っているということがある。 この

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実が、 モダリティの体系・ 構造を考えるうえで、 きわめて重要であることは言をまたないが、 これは、 これまで一般に個々の形式の問題として扱われており、 モダリティの体系・構造において、 それぞれの形式がどう対 立し、 . あ るいは、 どう共通するのかといった視点はあまりなかったので はないかと思われる。 本稿は、 「Sカモシレナイ」や「Sヨウダ」などの形式と「S ダロウ」を、 現代日本語文の〈判断のモダリティ〉の体系・構造 のなかに位四付けてみようとするものである。 はじめに モダリティの体系と構造 さて、 論旨を明快にするために、 現段階での筆者のモダリティ の体系と構造についての考え万について、 Cく間単に説明してお こうと思う。 文は、 その意味的側面において、 話し手の描き取った事柄的な 内容を表現した部分である言表事店を、 それに対する話し手の把 握の仕方や判断、 伝逹•発話的限度のあり方を表現した部分であ る言衰態度が包み込むといった屈的構造を有してい ると考えられ る(仁田一九八九)。 モダリテノ・とは、 言表瞑度の、 話梨・文法 的手段による言語表現である。 まず、 文(判断文)は、 認識レペルにおいて、 〈事懸把攘〉 の カテゴリーを有する。 ^平隈把担〉の構成メンパーは. 基本的に は〈確定〉と〈推位〉であり、 言表串院の把握の仕方が現実的か、 想像的かという対立的なあり方をしている。 次に、 文(判断文) は、 判断レペルにおいて、 〈判断成立〉のカテゴリーを有する。

現代日本語文の八判断のモダリティ>

体系と構造に

いて

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.^判断成立〉の構成メンパーは、〈断定〉と〈疑い〉であり、言 表事態に対すろ判断の成立の確か・不確かを表す。すなわち、話 し手が判断の成立を確信している場合が〈 断定〉、確信できず疑 いを持っている場合が〈疑い〉である。なお、〈事隅把握〉 と命F 断成立〉とは、いずれも、次に述ぺる〈伝達のモダリティ〉のう ら、〈述ぺ立て〉〈問い掛け〉の みに分化し 、主に判断文の成立 に関与することから、〈判 断のモダリティ〉として一括すること ができる。さらに、文 は、伝達レペルにおいて、〈伝 達のモダリ ティ〉のカテゴリーを有する。〈伝述のモダリティ の下位的ク イプは、へ働き掛け〉〈表出〉 〈述ぺ立て〉 A 問い掛 〉などで あり(1)、これらは文の 担う伝達的隅度のあり方、つまり、伝達 的機能の類型であろ。最後に、文は、発話レペルにおいて、^発 話のモダリティ〉のカテゴリーを有する。〈発話のモダリテ ィ〉 とは、文が発話として実現する段階で付け加わる、聞き手めあて の心的態度や二次的な伝逹のニュアンス、そして、文の情報的な 意味・機能などを担い表すカテゴリーである。なお、〈伝達のモ ダリティ〉と〈発話のモダリティ〉と は、ともに、言話活動の場 において、文 を言語的コミュニケーションの基本的単位 として機 能させるカテゴリーであろことから、〈伝違•発話のモダリティ〉 として一括することができる。 また、各カテゴリーは、 印隈把握↓判断成立↓伝達のモダリティ_らR話のモダリティ

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のような順序で迎結するが、これは、モダリティが、次 のような 図的構造をしていることのーつの反映であると考えられる。 〈事懇把握〉のカテゴリーとの関係 「\ダロウ」、お よび、真正モダリティとしての「Sヵ モシレナイ」「1ョウダ」について、まずは、会甲態把掘〉のカ テゴリーとの関係を考えてみる。「\ダロウ」は、基本的には、 事態を 想像として思 描いているといった把握態度のあり方を 現する形式 である。 想像的把握に対するものは現実的把握であり、 「S邑(ゼロ形式) が、 「\ ダロウ」と対立し、串態 の現実 な把迎態度を表硯する形式として存在し ている。 両者の述いは、 次のような文脈の なかで明らかになろう。 ①僕は想像で言っているんだが、昨8、彼は映面を?観 ったよ 観にいっただろうよ。 僕はは っきり見たんだが、昨日、彼は映画を観にいったよ ` *観にい っただろうよ。 では、 さて 「1カモシレナイ」 「1ョウダ」は、現実的把握.想像 判断成立 腐のモ一発話のモ ダリ ティダリティ

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いるにすぎない。 そのように考えるなら、 モダリテ は、 的把握のいずれに関係するのだろうか。 は想像で言っているんだが、 昨日、 彼は映画を設 にい たかも.しれないよ/?・観にいったようだよ。 ははっきり見たんだが、 昨日、 彼は映面 餃にいった かもしれない よ/*観にいったようだよ。 ③、④から、 「\カモ、ソレナイ」は想像 的把握に関係し、 「\ヨ ウダ」は現哭的把握.想像的把捏のいずれにもOO係しないことが 分かる。 つまり、 〈甲瞑把捏〉のカテゴリーにおい て、 「\カモ シレナイ」は一.\ダロウ」と共通する性格を持ら、 「\ョウダ」 はこのカテゴリーで、 すでに「\ダロウ」とは異なった性格を持 つことが分かろ。 では、 「Sヨウダ」は〈事涸把握〉のカテゴリーの分化しない 形式なのだろうか。 そうではないだろう。 串瞑そのものの事実性 については未渡認であるものの、徴侯の存在を根拠にして事態の 成立が推定されるといった意味は、 やはり車態の把握態度の一種 として位殴付けることが可能であると考えられる。「\ヨウダ」 取態そのものの串実性については未確認であろ点で \ダ 0ウ」と共通するのであり、 ただ事態の存在の認紐のされ方が、 訂観に基づくか あるいは証拠に基づくか といった点で異な ^事隈把挫〉のカテゴリIICoo係する 「ーグロウ」のように直観 的(ihtuitive)な ものと、 「1ョウダ」のように証拠的(evidential)なものと に分かれることになろ。 あるモダリティ がいずれに属するかは、 次のようなテストによって判定される(2)。 「思ウニ」が共起す るのは直観 的把握であり、 証拠的把握とは共起しない。 うに、 地球の温暖化はますます進むだろう。 うに、 地球の温暖化はますます進むかもしれない。 思うに、 地球の温暖化はますます進むようだ。 「\カモシレナイ」が「\ダロウ」と同じく、 直餓的把遅と認め られるのは、 先の考察から予想さ れる通りである。 なお、 ここで 注意すぺきは、

賽い方につ いてで あろ。 うに、 地球の温暖化はますます進むよ/*雨が降ってい る。 つまり、 判断文では直観的、 現象描写文では証拠的に なる。 以上の考察は、 車態把握〉のカテゴリーにおいて、 「\ダロウ」と真正モダリティとしての「\カモシレナ ィ」は、 ともに直観的把握(intuitive)として位四付 けられる。 真正モダリティとして の「\ヨ ウダ」は、 (evident i a I) として位岡付けられる。 のようにまとめられる。 証拠 的把握

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^判断成立〉のカテゴリーとの関係 では、 次に、 〈判断成立〉のカテゴリーとの関係から、 ロウ」「\カモ シレナイ」「\ヨウ グ」につ いて検討してみよう。 このカ テゴリーにおいてまず問題となるの は、 疑問汲現の形成に どう

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わるかといったことである。 よく知られた事実に、 「1グ 0 ウ」は疑問化が可能であり、 「ーカモシレナイ」「1ョウダ」 は不可能であるといったことがある。 雨は午後には むだろうか?. ⑪*この雨は午後にはやむかもしれないか? * この雨は午後にはやむようか? 典型的な質問文や疑いの文では、 〈判断成立〉の意味として〈疑 い〉(話し 手が判断の成立を確信して いない態度)が存在すると 仮定される。 したがって、 この点における「\ダロウ」と7�力 シレナイ」「\ヨウダ」の違いは、 前者が〈疑い〉と共起し、 後者が^疑い〉と共起しな いということであろうと思われる。 因は、 なぜ、 「\ダ 0 ウ」に疑問化が起こり、 他方、 「1ヵ モシレナイ」「\ヨウダ」に疑問化が起こらない のか という、 の理由である。 この問題について、 森山一九八九bでは、 話し手 の確定的な情報でないという疑問文のなか に、 話し手固有の意味 .把掘をする婆素が出現できないという「内容判断の一貝性の原則」 の存在が主張されている。 この原則からすれば、 疑問化されない1ダ のは、 話し手固有の意味把握をする「ーカモシレナイ」「Sョウ ダ」、 つまり、 真正モダリティとしての「1カモシレナイ」「1 ョウダ」でなければならない。 森山は、 例外的現象として、 の力(「なるほど、 そうか、 彼が行くかもしれないか」)、 返し(「彼がどこへ行ったかもしれない?」)、 先取り疑問(祠i は学校へ行ったかもしれないのか?」)の場合に「\カモ ィ」の疑問化が可能であることを指摘しているが、 これらはいず れも話し手の発話時における判断を表して はおらず、 疑似モダリ ティ的な用法であると見 ることができろ (も っとも、⑪あような 質閲文にならないことから、 疑似モダリティ的な用法であれば、 疑問化可能というわけでもない。 もらろん、 それについても考え なければならない)。 したがって、 あくまでも真正モダリティと しての「1カモシレナイ」「Sョウダ」が疑問化されないという ことを問題にする必要があると思われる。 さて、 真正モダリティとしての「ーカモシレナイ」「\ョウダ― が^判断成立〉 のカテゴリーとどう関わるかについて考えてみろ。 結論を先に言えば、 哀正モグリティとしての「\カモシレナイ」 「Sヨウダ」は、 話し手が判断の成立を確信しているといった前 提の存する文で なければ共起し ないとい うことの基因として、〈判 断成立〉の意味として〈断定〉を含んでいるということになる。 これらが疑問化できないのも、 そのことを 理由としている。 り、 疑問文は基本的に^疑い〉の存在を前提として存立するが、

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真正モダリティとしての「ーカモシレナイ」「Sヨウ ダ」 は、人疑 い〉の 対立 項である〈断定〉 を含むがゆえに、 疑問化されないの だど説明される。 では、 まず、 「1カモシレナイ」について考えてみよう。 「S カモシレナイ」と「\ダロウ」の文法的な振る舞 い方の違いとし て、 次のような事実を指摘したい。 .⑬”玉きっと/”社ぶん/もしかすると、 明日は雨になるかも しれない。 ⑭きっと/たぶん/もしかすると、 明日は雨になるだろう。 「\カモシレナイ」 には、 言表態度修飾成分「キット」 「タ ブン」 ーモシカスルト」との共起制限が存在すろのに対して、 「\ダロ ウ」には、 それが存在しない。 「

」の 場 合も同様である-3)0 ⑮ き っと/たぶん/もしかすると、'明日は雨になるよ。 この事実は何を意味するのだろう か。 従来、 このような事実は 蓋然性(probability)の問題として扱われていたようであろ。 しかし、 蓋然性といっ た 意 味は、 モダリティ の意味とい うよりは 事態成立の様相的あり方であろうし 、 何 より、蓋然性に違いのあ る 「

」と「タブン」「モシカスルト」が共起することが説明 されない。 したが「て、 このような共起制限の存在は、 話し手の、 判断の成立 に対する確 信の度合に基づいていると見るのが妥当で ある。 つまり、 「キット」「 タブン」「モシカスルト」の順に確 信度が低くなるということになる[4)。 「ーカモシレ そのことを踏まえて、 再び⑬‘⑭)、⑮を見ると、 ナイ」には、 判断成立の確信度が低い言表態度修飾成分(すなわ ち、 「モ シカスルト」)でなければ 共起できないのに対して、「

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ダ 0 ウ」や「

」では、 営表態度修飾成分の確信度は共起の可 否に関係がないことが分かる。 9 そして、 判断成立の確信度と〈判 断成立〉の カテゴリーとの関係は、 確信度が零%の場合が全丸い〉 であって、 いくらかでも確信していろ場合が〈断定〉であるとい うことになろ。 判断の成立が確かであってこそ、 その確かさの度 合(確信度)を問題にすることが できるからで あろ。 つまり、「\ カモシレナイ」は、 弱いながらも判断成立を確信しているといっ たあり方で、 〈判断成立>のカテゴリーに関係していろと言うこ とができる。 言い換え れば、 「ーカモシレナイ」は、 程度性の弱 い〈断定〉を意味として 含んでいるということになる。 また、 こ の解釈によれば、 「ーカモシレナイ」 が疑問化されないことも、 合理的に説明することができる。 すなわち、⑪ほ、 疑問文である ことによって、 確信度が零%であろこと(〈疑い〉)が示され、 同時に、 「\カモシレナ イ」によっ て、 確信度がゼロでないこと (〈断定〉)が示されるの で、 矛盾が生じ、 不適格になると説明 されろ。 では、 「ーダロウ」は、 どのように〈判断成立〉のカテゴリー に関係しているのだろうか。 ⑩のように、 疑問化が可能であると いうことは、 〈断定〉だけでなく、 〈疑い 〉とも共起するという

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のようになる。 次に、 ように 、

10 ⑰ * この 雨は午後にはやむようか? こ の 事実に対して、 .ことである。 つまり 「Sカモシレナイ」の場合に準じた解釈を行 「1ダロウ」は、 〈判断成 立〉の カテゴリ ーに関する意味を含ん では いないと考えられ る。 また、⑭で 見た ように、 確信度に関して中立的であることも 、 〈 判断成立〉のカ テゴリーに関係していな いといったことから説明され る。 以上の ことは、 もちろん「\¢」についても言え ることである。 ここで 、 〈判断成立〉の カテゴリーとの関係について、 「1ダ ロウ」と「

1

カモシレナイ」の違いをまとめておくと、 ⑯ 〈 判断成立〉のカテゴリーにおいて、 「1ダロウ」は、 〈判断成立〉のカテゴリーの意味を含 まず、 そのことを受けて、 疑問化された り、 判断成立の確 信度が中立的であったりする(その表示は、 言表隈度修飾 成分によって行われる)。 冥正モダリティとしての「ーカモシレナイ」は、 程度性 の弱い〈断定〉を意味として含み、 その ことを受けて、 疑 問化されなか った り、 言表態度修飾成分との共起制限が存 したりする。 「1ョウダ」について考えてみよう。すでに、⑫で見た 「\カモシレナイ」同様、 「1ョウダ」も疑問化されな 〈判断成立〉のカテゴリーにおいて、 真正モダリティとしての「1ョウダ」は、 〈断定〉を意 味として含み、 その ことを受けて、 疑問化されない。 ということになる。 さて、 この解釈の妥当性を検証するに あたって、 次のような事 実が問題となる。 ⑲ * きっと/*たぶん/*もしかすると、 明日は雨になるよ ⑱に見るとおり、 「1ョ ウダ」は、 判断成立の碓信度を表す、 かなる言表態度修飾成分とも共起しない。 仮に、 〈断定〉を意味 として含 むか、 少なくとも、 〈断定〉 と共起可能であれば、 程度性(確信の度合)を問題にすることができる はずであるが、 それができないということか ら、 「1ヨウダ」は〈断定〉といっ た意味と関係しない とも考えられる。 しかし、 そ もそも「キット」「タプン」「モシカスルト」など の確信度を表す言表態度修飾成分が、 〈事態把握〉のカテゴリー との間に共起制限を有し て い る ならば、⑲は、 「1ョウダ」が 〈断定〉を意味として含むこと を否定する事実と はなりえない。 つまり、 これ らの言表態度修飾成分が、 〈事隠把握〉の開で、 限的把握(「Sダロウ」「S¢」)と呼応するといったことであ るな ら 、 ⑲ の不適格性は、 〈判断成立〉ではなく、 〈事限把握〉 ‘ro

.?

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うなら ⑱

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の暦での問題となるわけである。 さて、 判断成立の確 僭度の分 化 と〈事態把握〉のカテゴリーの 関係一般について検討してみよう。 「1ニチガイナイ」「Sハズ ダ」「\ラシイ」「1ミタイダ」は、・次のように振る舞う。 ⑳思うに、 このままいくと、 巨人が優勝するにちがいない/ はずだ。 ・⑪ *思うに、 このままいくと、 巨人が優勝するらしい/みた 、、ro

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⑫ き っと/

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たぶん/* もし かすろと、 このままいくと、 巨 人が優勝するにちがいない/はずだ。 ⑳ * きっと/*たぶん/ * もしかすると、 このままいくと. 巨人が優勝するらしい/みたいだ。 また、 次のように、 疑問文と共起しない。 ® * このままいくと、 巨人が優勝するにらがいないか/はず 力 ? ⑮ * このままいくと、 巨人が優勝するらしいか/みたいか?・ まず、⑳、⑫、⑪よ り、 「

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_ーチガイナイ」「\ハズダ」 は、 程 度性の強い〈断定〉を意味として含む直観的モダリティであり、 確信度が分化し、 疑問化されないことが分 かる。 また、⑪、@、 ⑮より、 「ーラシイ」「

1

ミタイダ」は、 証拠的モダリティであ り、 確信度が分化せず、 疑問化されないといった` 「\ヨウダ」 と同様の振る舞い方を することが分かる。 以上の観察から、 判断 〈判断成立〉の分化しない形式について 成立の 確信度の分化が直餓的モダリティに存し、 証拠的モダリテ ィに 存しないといった制約の存在が考えられよう。 つまり、⑲ほ、 其正モダリティとしての「\ヨウダ」が〈断定〉を意味として含 むという、 先の解釈に対する反証とはならないことになる。 「1 ョウダ」「ーラシイ」「1`tタイダ」が同様の振る舜い方をする のは、 これ らが〈推定〉といった意味的類似性を有するからであ る。 ^推定〉とは、 徴候に甚づく判断といった串瞑把握的な意味 と、 判断成立の確信といった意味とから成り立つ文法的意味であ ると考えられる。 そこで、 先の解釈⑱呑妥当なものと認め、 また、 次の条件を追 記しておこう。 〈判断成立〉のカテゴリーにおいて、 確信度が分化するのは、 〈

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態把握〉の囮に直観的モダ リティが存在する場合に限られる。 これまで考察してきた方法を用いて、 「Sソウダ」(伝問)の 位皿付けを行ってみる。 まず 、 これが証拠的モダリティであるこ とは、 ⑰ * 思うに、 巨人が優勝したそうだ。 から確認され る。 また、 ⑳ * 巨人が優勝したそうか?

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.のように、疑問化されないことは、〈判断成立〉の意味として、 〈断定〉を含んでいるというのでは なく、森山一九八九aが指摘 しているように、話し手の判断とは別に、情報の把握の仕方だけ を表すことから(5)、〈判断成立〉のカテゴリーの分化がないと解 釈すぺきであると思われる。つまり、形式として、「

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ダロウ」 同様、〈判断成立〉のカテゴリーに関する意味を含んでいない。 ⑳き /たぶん/ 明日 確償 の分 碩信度 他者 ニナル のも ウダ 自身に雑 、明 以上 写文

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(9)

参考文献 Aok� Haruo 1986

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4

3

2

ここで Evidentia!s in Japanese ' , in • 以 上、 体系・構造的な餞点に立って、

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与する諸形式について考察した。 〈伝達のモダリティ〉の下位的クイプとして、 こ れら四団を取り上げろのは、 仁田一九八九に従っていろ。 森山一九八九aも、 この テストによって、 狭義判断・状況 把握と情報把握の区別を行っていろ。 ただ、 森山の認謀的ム ード形式の類型化においては、 「

」が対象となっていな い。 また、 箪者の語感では、 状況把握(「\ヨウダ」「Sミ タイダ」)は「思ウニ」と自然に共起しない。 判断文に おける言表態度修飾成分とモダリティの呼応につ いての全般的な記述・分析に ついては、 宮崎一九九0を参照。 ただし、 モダリティの疑似化によって、 確信の度合といっ た陳述性、 作用性が、 蓋然性といった客体性、 対象性に転ず るといったことは考えてよいだろう。 詳しくは、 仁田一九八 一を参照。 根拠として、 「1ソウダガ、 ソレハ違ウト思ウ」のような 該話的キャンセルの可能なことが指摘さ れている。 ^判断のモダリティ〉に 寺村秀夫 Chafe , W . and Nichols , J . (eds .) 一九九0「判断文におけろ言表態度修飾成分とモダ リティの呼応」「新居浜工菜高等専門学校紀要(人 文科学編)」

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巻 一九八八r日本語動詞述語文の研究」明治杏院 一九八九a「認誨的ムードの形式をめぐって」「日 本話のモダリティ」くろしお出版 一九ハ九b「内容判断の一貫性の原則」同 一九八一「可能性・蓋然性を表わす擬似ムード」「国 語と国文学」58巻

5

号 l 九八九「現代日本語文の モダリティの体系と構造」一 r日本語のモダリティ」<ろ しお出版 詑!mer ,F .R .1986 "Mood and Modality " , Cambridge Univ . 仁田袈雄 森山卓郎 宮崎和人 一九七九「ムー ド の形式と否定」 くろしお出版 一九八四「日本語のシンタクスと意味Il」くろしお 出版 Press (新居浜高専講師) 「英話と日本語 と 」

参照

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