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1
津島岡大遺跡
岡山大学構内遺跡発掘調査報告 第5冊 l l l
3 1
]
3次調査 i
(学生部男子学生寮予定地AW・・区) 1 』
ξl i l {
1992年 1
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター l
l
l
|
先般,送付致しました「津島岡大遺跡3」岡山大学構内遺跡発掘調査報告第5冊の一部に 表記ミスがありましたので,以下のように訂正いたします。
頁 例言 図目次2頁
15 18 22 37 41 75−76 82 82
82
97の表 96〜98
99 110 111 111 127 127 127 137 150図版40
行
27左15
136
図8
4
1510 11
〜12
17 33 表
図75 図89 図90 図91
図
108 8
10 図115 19
誤 神谷租議
図67遡量出土石器
強亙。
突畳土器
旦m 疑縄文
図2815c層(図10−7)出土遺物9
(縮尺1∠旦)
樋出土の石器群について 石器,土器が大量に包含されてい た鉦道斜面の対面より出土した。
出土層準は上一に位置
づけられるが,土 ノ る ゜の 班から
河道斜面より
57 図67−14 ][』1河道鎧面
13河道斜面
E:霊s土
表7 器形と類型分表 樋出土大形石器
正 神谷正義
図67=置出土石器
強まヱL。
窒萱文土器
jLm
擬縄文
図2815c層(図10−7)出土遺物9
(縮尺ユ∠2)
=劃翼出土の石器群について
一石器,土器が大量に 包含されていた河道北斜面の対面
識墨鵠鑑鵠壁畿壇
状氾から 週道歯註面より
57 図67畦4ユ←
13 河道北魁面
B断面の基準レベルは典
無番号土器の遺物番号は」工 A断面の空白層は⊥層 無番号土器の遺物番号は⊥
B断面空白層は⊥層
C断面空白層は上から五層,五層
違霊s』止
表7 器形と二表
一出土大形石器
※ 網掛け部分は「縄文時代の石器」に関するもので,特に注意が必要である。
序
本報告書は,1986年度・1987年度に行った岡山大学男子学生寮建設予定地におけ る発掘調査の成果をまとめたものである。調査面積はおよそ1500㎡で,津島地区 キャンパスでは最初のまとまった発掘調査となった。
調査された遺構のなかでは,弥生時代から古代にわたる水田遺構が注目される。
弥生前期の水田の一筆面積は小さく,畦畔の方位は縄文時代後期以来の川の流れに 沿い,また旧地表面の起伏に応じて複雑な区画を見せている。古代の水田になると,
正方位の溝と畦畔によって画される方格の地割りが認められた。岡山平野における 埋積作用の進展と水田造成の歴史の変遷を考えるにあたり,それぞれ重要な手がか りを提供する資料となるはずである。また,縄文時代旧河道内には後期から晩期に かけての土器が含まれ,晩期の貯蔵穴7基も検出された。調査地北側に集落地域が ひろがっていることを推測させるものである。今回の発掘調査で検出されたさまざ まな遺構・遺物は,縄文時代から古代・中世にいたる当地の歴史を明らかにする上 で,津島キャンパス内遺跡のもつ意義がきわめて大きいことを示したといえよう。
ところで,この発掘は現センターの前身である埋蔵文化財調査室によって実施さ れた。調査期間の最終段階に至って旧河道内から縄文関係資料が相次いで出土し,
調査期間の延長を重ねて各方面にご迷惑をおかけすることとなった。遺跡の予想外 の状況があったとはいえ,学内機関としてははなはだ不安定な位置にある調査室の 体制では,こうした事態に即応することが困難であったことも事実であった。
調査室ではすでに1987年1.月から,調査室の通年運営経費の予算化,出土遺物の 整理と報告書刊行作業の推進,出土遺物の安全な保管施設の確保,学内遺跡の全体 的な分布調査の実施等を実現するために,体制の抜本的改善の具体策を検討し,施 設設定委員会埋蔵文化財保護対策検討専門委員会や大学事務局に善処を要望した。
専門委員会等において新体制の検討は鋭意進められたが,新年度当初からの改善に
は至らず,その後,上述の男子学生寮予定地調査の期間延長問題への対応などの曲
折を経て,1987年11月26日にようやく現センターの誕生となったものである。当時 の専門委員会委員長定兼範明教養部長,事務局落合稔企画課長の尽力がとりわけ大 きく,また,就任直後であったにもかかわらず積極的に問題解決に当たられた高橋 克明学長をはじめ,全学の理解と協力のたまものであった。報告書の刊行にあたり,
この度の発掘調査が,現在のキャンパス内遺跡調査研究体制の整備の過程とも無縁 でなかったことを想起しておきたい。
発掘調査の実施と報告書作成にあたっては,大学内外の諸機関,個人の方々から 多くのご指導とご援助をたまわった。各位に厚くお礼申し上げるとともに,今回の 調査地周辺には関連遺構がさらに広がっており,今後ともその現状保存に一層のご 理解をいただくようお願い申し上げる次第である。
1992年2.月8日
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター長
稲 田 孝 司
1
2
3
4
5
6 7
8
例
繭本書は岡山大学埋蔵文化財調査室(現埋蔵文化財調査研究センター)が1986年度・1987年 度に津島地区で実施した津島岡大遺跡3次調査(学生部男子学生寮の建設に伴う発掘調査 の報告書である。調査は1986年ll月27日〜1987年6月19日,そして同年8月24日〜9月5 日に各々実施した。調査面積は1550㎡を測り,構内座標AWOO区に位置する。
発掘調査は岡山大学施設設定委員会埋蔵文化財保護対策検討専門委員会の指導のもとに行 われた。委員会・幹事の方々に感謝申し上げる。
委 員 竹内和夫,近藤義郎,稲田孝司,沼野忠之(1986年度),高橋達郎(1987年度)
藤井俊雄,土生芳人,富永久雄,田邊剛三(1986年度),中山 沃(1987年度)
小田嶋梧郎,田坂賢二,河野伊一郎,本田和男(1987年度),岩佐順吉 渡邊 基(1986年度),外村直彦(1987年度),定兼範明,小倉義郎
幹 事 谷口 裕,勝俣美治,栗栖俊明(1986年度),上村保人(1987年度),星野啓二 報告書の作成に当たって,木材樹種同定:農林水産省森林総合研究所 能城修一,炭化物 分析1東京大学総合研究資料館 松谷暁子,種子同定:大阪千代田短期大学教授 粉川昭 平,各氏に依頼し,有益な教示と助言を得た。記して深謝の意を表する次第である。
遺構の実測は青木進治郎・伊藤 真・栄 一郎・竹内浩一・八谷隆生・福田真久・松岡か おり(現大橋)・宮原博幸・保田義治・山本悦世が行い,岩見和泰・絹川一徳・古市秀治
(当時岡山大学文学部史学研究科大学院生)の協力を得た。
遺物の実測・浄写は土器他を石坂・大橋かおり・安井宣也・山本が,石器を絹川・富樫孝 志が,木器を土井基司が,それぞれ行った。遺物撮影は,大橋・山本が担当した。遺構の 浄写は阿部芳郎・土井・富樫・松木武彦・山本が行った。遺物整理その他に内田 恵・恩 藤富子・片山純子・佐々木育子・萩野早苗の協力を得た。また,縄文晩期土器の実測につ いては岩見の協力を得た。
文章は第1章1を土井,第2章中の石製品の部分を絹川・富樫,他は山本が執筆した。
編集は近藤義郎・高重 進(元センター長),稲田孝司(現センター長),新納 泉(現セ ンター室長)の指導のもとに山本が行った。
調査・報告書作成においては下記の方々にご援助・教示を頂いた。記して感謝申し上げる。
伊藤晃・岩見和泰・扇崎由・大橋雅也・大谷晃二・神谷和義・河瀬正利・絹川一徳・高橋 護・高畑知功・田中良之・千葉喬三・千葉豊・出宮徳尚・根木修・乗岡実・橋口達也・林 謙作・春成秀爾・平井泰男・平井勝・藤尾慎一郎・古市秀治・宮本一夫・家根祥多
目
次
第1章
12 3
4調査の経過と遺跡の概要………・…・………・・………・・………・…・・………
遺跡の位置と周辺遺跡の概要………・・…………・……・………・…・……・・…・…
調査に至る経過・………・………・………・…………・………・・……
調査組織…………・……・・………・・…・…・………・・………・・………・・…………
調査の方法と経過・・………・・…・………・………・・………・・
(1)調査の経過と概略………・……・…………◆・……・・…………・……・……・……
a自経過………・・………・………・……・…・……・……・……硲………・・
b.概略………・………・・………・……・…・…・…………・…・………・……・…………
(2)調査の方法と凡例ほか・…・………・……・・………・……・…
a.構内座標の設定と区割り………・………・・……・…………・・…・………9
b.文章・図・表の表記方法ほか……・………・…・・………・…・………・・ 1 1 4 4
5 5 5 7
8 8 8第2章
12 3
3次調査の概要…・・………・…………・………・…・……・㊥…………・・…11調査区の位置と区割り…・…………・・…・…・…………・………・…・……・………・11
層序と地形………・…・………・……・・………・…・…・・………・………・・12
a.層序…・………・……・……・…・………・…………・…………・………・……・・12
b。地形………・…・………・・…・………・…・…・20
縄文時代の遺構・遺物……・………・……・・………・・………・22
(1)遺構………・………・・………・・……・…………・22
a.縄文時代後期………・・………・…・・……・……・……・………22
b.縄文時代晩期…・………θ………・・………・∵・……・………・・24
(2)遺物…・・………・…・…・…………・…・………・……・………・…・・…・………31
a。後期土器…・・………・…………・・……・………・………・・…・…………・…… 31
b。晩期土器…・……・………・…………・・……・……・…………・・…………・……・… 50
c.石製品……・………・…・…・…・…………◆e………・…・…………・・……・…・・80
4 弥生時代の遺構・遺物・…………・……・……・…・………・………・99
a.12層検出の遺構・遺物…・…・…………・…・………・……・…・・gg b。11層検出の遺溝・遺物…・………・…・・………・………・……・…・……102
c。10層検出の遺構・遺物・……・…………・………・……・…・………一・103
d。9層検出の遺構・遺物一…………一・…一………一・・………・………・…・・104
e。8層検出の遺構・遺物…一…・………・…・…一………・…………一…・・…107 5 古代の遺構・遺物……・一………e………・……・…・・………一・…一………−elO8 a。7層検出の遺構・遺物・………・・……・………一・……・………・…・…108
b.6層検出の遺構・遺物・…・………・・………・・……・・…………・…ll6 6 中世の遺構・遺物・………・…・……・……・……・・………・………・…・………・・119
a.5層検出の遺構・遺物……・・…………・・……・…………・……・……・……・…II9 7 近世の遺構・遺物……・…………9……・………・………・…・…・…………・・124
a。4層検出の遺構・遺物・………・………・…・………・・…124
b.3層検出の遺構・遺物…………・……・・…・………・……・・…・………・…127
8 近代の遺溝・遺物………◆・一………・……・・…・………・……・……・……・・131
a.2層検出の遺構・遺物………・………・・……・…………・・…131
3章考察………・…・………一・・…・………・……・・…・………・・………134
1 水田遺構の変遷……・………・……・……・……・……・……・………・…・……134
2 貯蔵穴…………・……・………・……・…・・…一…………・・………・・e………143
3 縄文晩期の土器群について…・………・…・………・・…・・………・・………148
附編
1 2自然科学的分析…・………・…・………・・…・…・…………・……・…・………・・…165
津島岡大遺跡3次調査地点出土縄文土器内面付着物のSEM観察…松谷 暁子 165
岡山大学津島地区から出土した木材化石の樹種………・……・・能城 修一 169図 目 次
図1
図2 図3 図4 図5
図6 図7
縄図8 図9
図10図11 図12 図13 図14 図15 図16 図17 図18
縄文後期土器
図19 16層上面(図10−8層)出土遺物………32 図20 15c層(図10−7層)出土遺物1……・…33 図21 〃 〃 〃 2………34 図22 〃 〃 〃 3………35 図23 ク 〃 〃 4………36 図24 〃 ク 〃 5………37 図25 〃 〃 〃 6………38 周辺遺跡分布図・………・・……2 縄文時代遺構調査範囲図………6 津島地区構内座標と各調査地点……8 調査地点…………・…・…・………11 調査地点区割り
および土層断面位置図………12 調査区東西土層断面図………13 調査区南北土層断面図………14 文
微高地部土層断面図・………・・22 縄文時代後期遺構全体図………22 大木出土状況
および縄文後期土層断面図………23 縄文時代晩期遺構全体図・地形図…24 縄文時代晩期関連土層断面図………24 貯蔵穴SPOI,出土遺物………・……・25 貯蔵穴SPO2−…一……・・…………・26 貯蔵穴SPO3〜06・………−27 貯蔵穴SPO3出土遺物・…・…一一…28
貯蔵穴SPO4出土遺物……一………28
貯蔵穴SPO7,出土遺物…………・−30図26 図27 図28 図29 図30 図31 図32 図33 図34 図35 図36 図37
15c層(図104層)出土遺物7・…・・…39
〃
ク
〃
ク
〃
〃
〃
〃 ク 8 ・・・・・・… 40
〃 〃 9 ・・。・… ㊥・41
(図10−6層)出土遺物1………41
〃 ク 2 ・・・・・・… 42
〃 ク 3 ・・・・・・… 43
〃 〃 4・㊥・・・・…44
ク ク 5 ・・・・・・… 45
15b層(図10−3〜5層)出土遺物1…・・46
ク ク
14b層出土遺物・・…
14a層出土遺物…・・
縄文曉期土器
図38 13層出土遺物 1・
図39 図40 図41 図42 図43 図44 図45 図46 図47 図48 図49 図50 図51 図52 図53
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
〃
ク
ク
ク
ク
〃
〃
〃
〃
〃
〃
ク
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〃
〃
ク
〃
ク
ク
〃
ク 2・… 。・47
・・・…@。・… 。・・・・・・・・… 48
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…
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・・・・…@。・。・・・・・… 。・。・・51
2 ・・・・・・・・… 。・・・… 。・・… 52
3。。。。。・・。。。・・・・・・・・…。・・53
4・・・・…◆・・・・・・・・・・・・・…54
5 ・。。・。・・・・… 。・・・・… 。。・・55
6・。・・。。・。・・。・・。・・。・・㊥。・。・56
7・。・・・・・・・…◆e・・・・・・・…57
8・・・…。・…θ…一…。…58
9・・・…。・。・㊥・・・…。・・・…59
10………・…・・60 11………・…・・61 12………・…・・62
13 ・・・・・・… 。・・・… 。・・。… 。63
14 ・・・・・・… 。・・・・・… 。・… 。64
15 。。・。・・・・・・・・・・・・… 。・。・。65
16 。・・・・… 。・・・・… 。。・・㊥… 66
図54 図55 図56 図57 図58 図59 図60 図61 図62 図63 図64 図65 石 図66 図67 図68 図69 図70 図71 図72 図73 図74 弥 図75 図76 図77 図78
図79
図80 図81
13層出土遺物17………e…・・67
〃
〃
〃
ク
〃
〃
〃
〃
製 晶
〃
〃
〃
〃
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〃
〃
〃
〃
18 ・・。。・。・・。・。・・㊥・・。・e・。・魯968
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21 ・・。・㊥・… 。… Φ・e・・・・・… 72
22 ・・。・・・… 。・・・・… 。・・。… 73
23 … 。・・・・… ㊥・・・・・・・・・… 74
24 ・・… 。・・… 。・・・・・・・… 。。75
25 ・・・・・・・・・… 。… 。・・・・… 76
26 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 77
27 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 78
28 ・。・㊥… 。・・・・・・… 。・・・… 79
15c層出土石器……・・…………・・……81 13層出土石器1………・・……・83
〃 2・。・。・・… 。・… 。・・・・・・・・・… 85
〃 3。・・。・。。・・・・・・… 。・・… 。・。。・87
〃 4・・・・・・・… 。・・・・・・・・・・・… 。・88
〃 5… 。・・・・・・・・・・… 。・。・・… 。・90
〃 6・・。・・… 。・・・・・・・… 。・・・・… 91
12層出土石器………・……・…93 その他の石器………・㊥………94 生
弥生時代関連土層断面図…e………99 12層検出全体図・地形図……一…100 12層出土遺物1………・・…・・101
〃 〃 2
〈縄文晩期深鉢〉………102
12層出土遺物3
〈縄文晩期浅鉢〉………・103 10層出土遺物一…………・…・…−103 10層検出遺構全体図・地形図・……104
図82 溝SDO1断面図…一・…………・……104
図83 9層検出遺構全体図…………一…105
図84 9層出土遺物一………・……・…−106 図85 溝SDO2断面図…………・…・…㊥……106 図86 流路Ol断面図・………・…・…………・107図87 8層検出遺構全体図一………108
古 代図88 7層検出遺構全体図…・………109 図89 7層出土遺物・………・………・…・…llO 図90 溝SDO3断面図……・…一……・……lll 図91 溝SDO3出土遺物一・………・…ll1 図92 溝SDO4・05断面図SDO4杭出土状況 …・………・・………・………112 図93 溝SDO3・04および畦畔断面図・……113
図94 溝SDO4出土遺物1〈木製品〉…ll3
図95 溝SDO4出土遺物2−………・……・!l4 図96 溝SDO4出土遺物3・…………一…・115 図97 溝SDO5断面図・…一…………・……116図98 6層検出遺構全体図…………一…ll7
図99 6層出土遺物………・一・一…118 申 謹図1005層検出遺構全体図………・………120 図1015層出土遺物・………・…・……・121
図102溝SDO7断面図一一…………・……122 図103土墳SKO1………・一……一…124
近 糧図1044層出土遺物一………・……・・……124 図1054層検出遺構全体図………・125 図106溝SDI2・畦畔断面図………126 図107溝SDI2出土遺物…………一…・・…126 図108溝SDI3断面図…・…………・…・……127 図1093層検出遺構全体図……・…………128
図llO溝SDI4断面図・一…・・………・・……129
返 ・代
図1112層検出遺構全体図…・一……・…131 〈考察〉水躍遺購の変遷
図11212層検出水田………一・……・134 図ll39層 〃 一………・……・135 図1148層 〃 …………一…・…・…136 図ll57層 〃 ………・・一…137 図116各層検出水田面積分布………139
縄文購代の欝蔵穴について
図ll7 津島岡大遺跡内貯蔵穴立地状況 146 縄文時代曉期の土器群について
図ll8各類型別土器点数比較図・・…・…152
図119類型内に占める器形比率………152
図120 器形内に占める類型比率………152図121器形と刻み目・文様の出現率…153
図122 器種組成…一……一…・………159 図123 津島岡大遺跡と沢田遺跡の類型比較……161
表 目 次
〈考察〉水躍遺構の変遷
表1 12層検出水田一覧表……・・…一…140 表2 9層検出水田一覧表・……・………・141
表3 8層検出水田一覧表………141 表4 7層検出水田一覧表………142
縄文蒔代曉期土器群について表5 深鉢分類表………・……・⑧・………・148
表6 口縁部と突帯の相関関係表………150
表7 表8 表9
表10表!l
表12 表13
器形と類型細分表……… 150 器形と類型の相関関係………152 壷分類表………・……・…・…154 鉢分類表………・e…………155 皿分類表…e………・…・………158 深鉢形土器文様類型比較表・……・160 沢田遺跡における
突帯と刻み目の相関…………161
図版1
図版2
図版3
図版4 図版5
図版6
図版7
図版8
図版9
図 版
層序
1 調査区西壁断面南半(東から)
2 調査区西壁断面北半(東から)
層序
1 調査区南北(12ライン)土層断面 (東から)
層序
1 河道北斜面(21ライン)土層断面 (西から)
2 縄文後期河道内(20ライン)
土層断面(東から)
大木出土状況 貯蔵穴
1 貯蔵穴SPOI完掘状況(南から)
2 貯蔵穴SPOI土層断面(西から)
貯蔵穴
1 ドングリ出土状況 2 貯蔵穴SPO2(北から)
貯蔵穴
1 貯蔵穴SPO3・04完掘状況 (南から)
2 貯蔵穴SPO5土層断面(南から)
貯蔵穴
1 貯蔵穴SPO7完掘状況
(東・北から)
2 貯蔵穴SPO7と
縄文河道土層断面(東から)
水田遺構
l l2層検出水田遺構(上から)
目 次
2 同上 (西から)
図版10 水田遺構
l l2層検出水田遺構く詳細>
2 12層検出水田,遺物出土状況 (南から)
図版11水田遺構
1 9層検出水田遺構(西から)
2 同上 (東から)
図版12 水田遺構
1 8層検出水田遺構(西から)
2 7層検出水田遺構(西から)
図版13溝
1 溝SDO3 A断面(東から)
2 溝SDO3 B断面(西から)
3 溝SDO7・03土層断面(北から)
図版14溝
1 溝SDO4・05土層断面南半 (東から)
2 溝SDO4・05土層断面北半 (東から)
図版15土壌
1 土墳SKO1完掘状況(南から)
2 土壌SDO1土層断面(南から)
図版16縄文後期土器
l l6層上面出土遺物 2 15c(図10−7層)層出土遺物
図版17縄文後期土器
15c層出土遺物
図版18縄文後期土器
図版19
図版20
図版21
図版22
図版23
図版24
図版25
図版26
図版27
図版28
図版29
図版30
図版31
図版32
15c層出土遺物 縄文後期土器 15c層出土遺物
縄文後期土器 1 15c層出土遺物
2 15c層(図10−6層)出土遺物 縄文後期土器
15c層(図10−6層)
・15b層出土遺物 縄文後期土器
1 15c層(図10−6層)出土遺物 2 15b層出土遺物
縄文後期土器 1 14層出土遺物
2 15c層出土遺物(蛇形頭部)
縄文晩期土器 13層出土遺物 縄文晩期土器 13層出土遺物 縄文晩期土器 13層出土遺物 縄文晩期土器 13層出土遺物 縄文晩期土器
13層出土遺物(深鉢・壼)
縄文晩期土器
13層出土遺物(壼・鉢)
縄文晩期土器
13層出土遺物(鉢)
縄文晩期土器
13層出土遺物(鉢)
縄文晩期土器
図版33
図版34
図版35
図版36
図版37
図版38
図版39
図版40
図版41
図版42
13層出土遺物(鉢)
縄文晩期土器 13層出土遺物(皿)
縄文晩期土器
13層出土遺物(底部)
・貯蔵穴出土遺物 弥生前期・縄文晩期土器 12層出土遺物 古代以降の遺物
溝・包含層出土遺物 石 器
13・12層出土大形石器 石 器
13・12層出土小形石器 石 器
13層出土小形石器 石 器
13層出土大形石器 石 器
15c層出土石器 石 器
1 その他の石器 2 石製指輪・出土状況
遺跡の位置と周辺遺跡の概要
第1章 調査の経過と遺跡の概要
署 遣跡の位置と周辺遺跡の概要
の
津島岡大遺跡は,岡山市津島中,岡山大学津島地区内に位置している。その広がりは正確に はつかめていないが,西端付近の一部をのぞいてほぼ全域に広がると推定される。
当地区の所在する岡山市津島一帯は,岡山平野を南流する旭川西岸の沖積平野の北半にあた り,すぐ北側にダイミ山,半田山,鳥山などの標高150m前後の小山塊がひかえている。この 平野は,旭川の旧河道や流路とみられる多数の小河道と,それらの問や端部に形成された自然 堤防状の小微高地とが入り組み,複雑な地形をなしていた。本地区の歴史は,まさにこのよう な沖積平野に対する開発を中心に展開されていく。以下,本遺跡周辺の遺跡を概観する。
最終氷期が終わり気候が温暖になるにつれて縄文海進が進行して,当時の海岸線沿いに貝塚 などの遺跡が形成される一方,海進以後河川の沖積作用が進行し,既述のような沖積平野の地 形が形成されていく。こうした沖積平野に人々の明瞭な活動痕跡が認められるのは,縄文時代 中期以降のことである。旭川東岸では,後・晩期の遺構や中期〜晩期の土器が確認されている
く く ヨ
百問川遺跡群,晩期土器を出土した雄町遺跡が知られている。西岸では,本遺跡の東北に隣接
め く ら
する朝寝鼻貝塚で中・後期の土器などが採集され,本遺跡においても各地点で後・晩期の土器 く
や貯蔵穴などの遺構が検出されている。また,南側に広がる津島遺跡では晩期の土器が出土し く の
ており,さらに南に数km離れた鹿田遺跡でも,僅かながら後期土器が検出されている。後期か ら晩期にかけては,沖積平野のほぼ全域に活動が広がっていたようである。
縄文時代末になると,朝鮮半島からの影響のもとで北部九州で稲作農耕が始まる。近畿・瀬 戸内地方においても稲作農耕が始まっていたと思われるが,断片的な資料が多く,この時期ま く で遡る決定的な証拠はまだほとんどない。その中にあって,本遺跡に隣i接する津島江道遺跡で は,きわめて限られた範囲だが,突帯文期に遡る可能性が指摘される水田跡が見つかっている。
時期的な位置づけに異論も多く,正式報告後の活発な議論が期待される。
現在までのところ,確実な水田跡は弥生時代前期以降にならないと現れない。沖積平野の利 用が本格的に始まる時期である。本地域における初期の農耕集落の形態や水田構造に対する研 究は,津島遺跡において,前期の水田耕作にかかわる各種の遺構が検出されたのが端緒である。
その後,本遺跡2次・3次・7次調査,津島江道遺跡でも前期の水田の畦畔が検出され,津島 一帯に水田が広がっていたことが確認された。小河道と小微高地による複雑な地形は,基本的
にこの時期でも変化なく,前期の水田はこの微高地の縁辺付近に帯状に広がっていたようであ る。対岸の百間川遺跡群においても同様の状況が認められる。中期以降,河道部分は次第に埋
1
調査の経過と遺跡の概要
警
白㌦さ,
鰹墓
霧薪
.,.培・㌧篭8
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1・議,携1雛 〉
灘灘織
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諺
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感霞 ρ
》試辱゜
1.津島岡大遺跡(縄文中期末以降) 2.宿古墳群 3.妙見山城跡(戦国) 4.不動堂古墳 5.一本松古墳群 6.
ダイミ山古墳 7.佐良池谷尻古墳群 8.佐良池古墳群 9.半田山城跡(戦国) 10。都月坂墳墓・古墳群 11.烏
山城(戦国) 12.七つ疏古墳群 13.お塚様古墳群 14.朝寝鼻貝塚(縄文中・後期) 15.津島江道遺跡(縄文晩期以 降) 16.神宮寺山古墳 17.広瀬遺跡 18.南方遺跡 19.津島遺跡 20.上伊福遺跡(縄文晩期以降) 21.上伊福西 遺跡(弥生) 22.津倉古墳 23.妙林寺遺跡(弥生) 24.岡山城(戦国〜江戸) 25.天瀬遺跡(弥生) 26.鹿田遺跡(弥 生中期末以降)27.湯迫古墳群 28.賞田廃寺窯趾(奈良) 29。賞田廃寺(白鳳〜奈良) 30.唐人塚古墳 31.備前国 庁跡(古墳後期〜中世) 32.備前国庁推定地 33.雄町遺跡(縄文晩期〜平安) 34.乙多見遺跡(弥生) 35.赤田西遺 跡(弥生〜古墳) 36.幡多廃寺(奈良〜中世) 37.百間川原尾島遺跡(縄文中期末以降)図1 周辺遺跡分布図(縮尺1/50000)
一2一
遺跡の位置と周辺遺跡の概要
積して,水田域が拡大していくと思われるが,それとともに,潅概・排水用水路が整備されて 生産力が飛躍的に増大し,沖積平野の集落が急増する。西岸では,津島遺跡をはじめ,本遺跡,
く ユユ く
南方遺跡,上伊福遺跡,天瀬遺跡,鹿田遺跡などが挙げられる。
一方,弥生時代末以降古墳時代中期に至るまで,半田山山塊・山麓には都月坂墳墓・古墳群,
く り
く ヨ
七つ執古墳群,お塚(様)古墳群等の墳丘墓,前方後円(方)墳等が連続して築造され,各時期の 水田関連の遺構とあわせ,津島付近一帯には造墓にかかわる集団の安定した存在が推定できる。
ら 古墳時代後期になると,近辺に墳墓は見られなくなるものの,本遺跡6・7次調査や中溝遺跡 では,該期の水田跡が確認されている。直線的溝や方形区画の水田など,整備された形態を示
し,条里の前段階を探る資料として注目される。
岡山平野は,条里がよく残っていることで知られるが,発掘調査例は以外と少ない。旭川西 く ユリ
岸で古代に遡る調査は,本遺跡1次・3次・6次調査,中溝遺跡,南方釜田遺跡などでおこな われているが,範囲が限られ断片的な資料しか得られていない。今後の調査例の増加と整理の 進展に期待したい。
条里関連以外の古代の遺跡としては,東岸に備前国府が比定され,その南方には,国府津と
く ユの
も推定される百間川米田(当麻)遺跡が存在する。さらに西岸の津島江道遺跡では,古代の倉庫 群や建物群が検出されており,御野郡衙に関連する施設と推測されている。「蔵之木」などの 地名が岡山大学構内に残っていることと合わせ,本遺跡内に官衙遺構が広がっている可能性も 高い。一方,平野の南半には,条里地割と異なる地割りが見られるが,古代〜中世にかけてい くつかの荘園が存在したことが文献資料によって知られており,古代以降この地域への開墾が く
進んだことを想定させる。鹿田遺跡では,大形建物群をはじめ,多くの古代に属する遺構が検 出され,周辺は,摂関家の殿下渡領である「鹿田庄」の有力比定地となっている。
中世に至ると,平野北半では,それまで僅かに名残をとどめていた微地形がほぼ完全に解消 され,一面に平坦な水田が広がる景観へ変化する。該期の集落遺跡としては,東岸の百間川遺
く り く
跡群,西岸の鹿田遺跡,二日市遺跡などが知られ,富山城,半田山城,岡山城などが築かれる。
また,平安時代の末に平家方の妹尾兼康と木曾義仲が合戦を演じた伝承で有名な,「福林寺縄
(註24) (註25)
手」と呼ばれる古代末〜中世にかけての古道が,大学構内を横切っていたと推定されており,
今後の調査で発見される可能性もある。
近世になって児島湾の干拓が進むと,御野郡(西岸地域)は岡山藩随一の穀倉地帯となり,岡 山城下以外は一面の水田地帯であったが,1907〜08年に当時の御津郡御野村,伊島村に旧陸軍 屯営用地(現岡山大学津島地区構内など)が造成され,また,近年の急激な市街化により,往時 く
の景観はほとんど失われることとなった。 (土井)
3
調 査 組 織
慧 調査に難る経過
津島南キャンパスの南東部に建つ学生部男子学生寮を,津島北キャンパスの北東部の空き地 に移転改築することが予定された。
岡山大学津島地区は,かつては,岡山県総合グランド内の史跡,津島遺跡の立地する微高地 の後背湿地に当たり,遺跡は存在しないとされてきていた。しかし,1982年の排水基幹工事に く の
伴う発掘調査では弥生時代・平安時代の遣構・遺物が検出されたのに続き,1983年度には農学 部における合併処理槽・排管埋設工事に伴う発掘調査で,縄文時代晩期〜弥生時代中期の遺
く
構・遺物が検出され,広範囲にわたる遺跡の広がりが津島地区にも存在することが確実となっ た。また,予定地の近辺では,東南約50mの地点に縄文時代中期末〜後期の遺物を出土した朝 寝鼻貝塚が周知の遺跡として知られていた。
こうした状況から,縄文時代を含めた遺構・遺物の存在が予想され,確認のための試掘調査 を,本センターの前身である埋蔵文化財調査室が1986年6月に実施した。
試掘調査は範囲を予定地周辺に広げ,広範囲に行った結果,ほぼ全域で縄文時代後期〜弥生 時代の遺物あるいは一部で古代〜中世の溝が確認され,縄文時代〜中世の遺跡が広がっている く
ことが想定された。その結果を受け,建物の建設は,当初の予定地域が縄文時代の集落の中心 に近い可能性があることから,予定を変更して,その中で最も遺構密度の低いと判断された南 半の部分に決定した。そして,発掘調査は,同年11月27日から実施することとなった。
3 調 査 組 織
埋蔵文牝財保護鶴策穣講委員会[1986・1987年度]
委員長 定兼 範明(教養部教授)
委 員 竹内 和夫(文学部教授)
近藤 義郎(文学部教授)
稲田 孝司(文学部助教授)
沼野 忠之(教育学部教授)巨986年度]
高橋 達郎(教育学部教授)口987年度]
藤井 俊雄(法学部教授)
土生 芳入(経済学部教授)
富永 久雄(理学部教授)
田邊 剛三(医学部教授) [1986年度]
幹事谷ロ 裕(庶務部長)
中山沃(医学部教授)[1987年度]
小田嶋梧郎(歯学部教授)
田坂 賢二(薬学部教授)
河野伊一郎(工学部教授)
本田 和男(工学部教授)[1987年度]
岩佐 順吉(農学部教授)
渡邊 基 (教養部教授)[1986年度]
外村 直彦(教養部教授)[1987年度]
小倉 義郎(医学部附属病院長)
勝俣 美治(経理部長)
4
遺跡の位置と周辺遺跡の概要
調査主体 調査総括
調査員
調査補助員
栗栖 俊明(施設部長)
上村 保人(施設部長)
岡山大学学長 埋蔵文化財調査室長 埋蔵文化財調査室 助 手
〃 〃
〃 〃
〃 技術補佐員
〃 〃
岡山大学経済学部学生
〃
〃
〃
〃
ク 〃 〃
法学部学生
[1986年度] 星野
[1987年度]
大藤 眞
稲田 孝司 栄 一郎 石坂 俊郎 山本 悦世松岡かおり(現大橋)
保田 義治 青木進治郎
伊藤 真
八谷 隆生 宮原 博幸 福田 真久 竹内 浩一啓二(学生部次長)
86年ll月27日〜 87年3月31日 12月15日〜 87年9月5日 87年3月27日〜 87年9月5日 87年1月16日〜 87年9月5日 86年12月16日〜 87年3月31日
尋 調査の方法と経過
(1) 調査の経過と概略綾.経過
発掘調査はll月27日から開始した。厚さ約lm前後の造成土(1907年の陸軍屯営地の造成土 を中心とした1層)を機械で除去後,2層以下を手掘りで調査を実施した。2層上面では,近 代の畑跡に混ざって旧陸軍の建物跡などが認められた。3層以下では,基本的には弥生時代前 期層まで水田層が続き,各時期の水田畦畔及び溝等が検出された。各層の掘り下げは水田畦畔 の検出のために,水田面と判断される面から数センチ上部で止め,以下を精査することによっ て畦畔の検出に努め,検出後は水田上面まで掘り下げる方法で調査を進めた。弥生時代前期層 まではこのような方法で調査区内の全面的調査を実施した。
縄文時代対応層については,その残存が部分的であることが予想されたため,地域を限定し て集中的調査を行うこととした(図2)。調査区を限定するに当たっては,縄文期の河道が調査 区北半部を北東から南西方向に走り,それ以外の地区(調査区の南半〜東半部)は微高地部を形 成していたという地形復元を行った上で,微高地部には南半部に2ヶ所(12×6m・15×3m),
東半部に1ヶ所(11×8m)の調査範囲を設定し,河道部分についてはほぼ全域を対象地区とし
5
調査の方法と経過
た。微高地部では,数点の縄文後期土器片を検出するのみで,遺構は確認されなかったため,
調査範囲をそれ以上に拡大することは必要ないと判断し,調査を終了した。最終調査面は地表 下2m前後(標高約2.8m)である。
一方,河道部は,北側の斜面部から遺物が多量に出土したことから,全域を調査対象とした。
しかし,南側の斜面部については約4×10mの範囲で縄文時代の層まで先行調査を行った結果,
遺物はほとんど出土せず,遺構も検出されなかったことから,それ以上の調査は不必要と判断 し,北側斜面〜河道内を集中的に調査することとした。この北側斜面では多量の縄文時代晩期 土器が広範囲に出土し,その包含層直下では貯蔵穴群が斜面に沿って検出された。その上,貯 蔵穴の調査中に,晩期層のさらに下層に良好な後期の包含層が存在することが新たに判明した。
すでに,調査面は河道中央の最深部では地表下3m近く(標高1。3〜L5m)におよんでおり,調 査開始当初の予想をはるかに越えた深さである上,より深い後期層に到達するのにかなりの土 量があることなどから,無理な調査の継続は避け,体制を立て直して改めて調査に臨むことと
し,1987年6月119日に一応の調査終了とした。
調査は同年8月24日に再開した。多量の崩落土を機械で除去後,無遺物層と判断された層に ついても機械で慎重に掘り下げた。前回の調査で一部残っていた晩期の貯蔵穴の調査と後期の
23 1
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∈ヨ5〜6.月調査範囲 ㎜皿8〜9.月調査範囲
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図2 縄文時代遺構調査範囲図(縮尺1/600)
6
遺跡の位置と周辺遺跡の概要
河道内の調査まで行ったが,その時点で激しい湧水のため調査は不可能となった。深さは地表 下約3.5m(標高0.7m前後)に達しており,調査を続行するにはあまりに危険性が高く,最下層 に無遺物の砂礫層の存在を確認したことから,9月5日に全ての調査を終了した。
調査面積は1550㎡で,調査終了面は標高0.5〜0.7mである。調査期間は1986年11月27日〜
1987年6月19日,8月24日〜9月5日,調査員は前半に4名,後半に2〜3名が担当した。
瞼.概略
本調査の成果としては,弥生前期以降の水田関連遺構(条里関係の溝を含む)と縄文晩期の貯 蔵穴群,そして後・晩期の遺物の検出にまとめられる。以下に,それらを概略したい。
2層では明治期の畑の畝・溝・野壷等が検出され,坪境に当たる溝を中心にそれらが有機的 に配される状況が認められたが,3層以下では近世から弥生時代前期に遡る各時期の水田関連 遺構(畦畔及び溝等)がそれぞれ検出されている。
畦畔は近世(3・4層)・中世(5層)ではほとんどが南北方向で,長地型的な規模の大きなも のであるが,古代(6・7層)では東西方向の優位性は認められず,東西南北に同様に小形の方 形水田として検出された。また,その位置から坪境・里境に対応すると考えられる溝が検出さ れている。まず,坪境の溝に合致する可能性が高いものは,古代(平安時代)以降,調査区北端 を東西に走る溝として出現する。特に古代では幅7m以上で,杭などの利用によって分流する ような水利施設を伴う大規模な部分も見つかっている。その両側には幅広くしっかりした道状 の畦畔を伴う例が多く,上部溝1によって消失する部分も認められるが,基本的にはこうした状 況が近代まで続くと考えられる。一方,里境に当たると考えられる南北方向の溝は,調査区東 端部において,中世(室町時代)以降に出現する。坪境・里境の溝,東西南北に合致した水田な
ど,条里制の影響が強く窺われる。
弥生時代(8〜12層)では調査区内に北東から南西に走る谷地形が存在する。水田はこの地形 に沿って区画され,その軸方向は古代以降とは大きな差をみせる。大幌模に地形を改変させる には至っていないことが判る。いずれも小区画で不整形な水田の形状を呈す。その分布は弥生 時代前期段階(12層)では微高地部分に限定されているが,少なくとも後期段階(9層)では低位 部にまで水田が検出されており,水田域の面的拡大が認められる。また,9層では微高地の肩 部に北東から南西に向かう溝が1条検出された。用水路的な性格が考えられる。
縄文時代の遺構としては調査区北東から南西に走る河道の斜面周辺に作られた晩期に属する 貯蔵穴が計7基確認された。堅果類(ドングリ)を多量に入れた状態のものも認められた。その ほかには河道から多量の縄文晩期土器・後期土器(蛇の頭部形の突起部を含む),石器類,石製 指輪等が出土している。
7
調査の方法と経過
(2)調査の方法と凡例ほか
綾.構内座標の設定と区劉り
津島地区構内には,国土地理院第5座標系の南北軸座標値(X=−144,500m)と東西軸座標 値(Y=−37,000m)を原点とした構内座標を設定している。その軸方向は,本地区の全体的な 敷地の方向が,市中央部において認められる正方位の条里地割りと一致し,ほぼ東西南北に合 致していることから,真北に合わせている。そして,原点から一辺50mの間隔で方形に区切り,
南北軸は北からAA〜BG線,東西軸は東から00〜48線として,50m四方の一区画は,その東北 角で交わる二方向の線名を組み合わせて,AAOO区のごとく呼称する(図3)。原点は半田山山 塊の一部が大学の敷地
26 24 22 20 18 16 14 ユ2 10 08 06 04 02 00
に含まれるため,キャ
ンパスから約900m北に コAW 位置している。
AY しかし,本調査時点
BA においては,座標点が
.BC 構内に落とされていな
BE かったため,便宜的に,舞
人BG 建物の軸に沿った形で,
調査区の東北隅を原点
1 小橋法目黒遺跡 6 工学部生物応用工学科棟 にして,一辺3mの正 2農学部構内(BHI3地区) 7工学部1青報工学科棟
3 男子学生寮 8 教育学部身体障害者用エレベーター
方形の区画を設定し
4 屋内運動場 9 学生合宿所
(図5),調査にあたっ 5大学院自然科学研究科棟 ※数字は調査次を示す た。 図3 津島地区構内座標と各調査地点(縮尺1/15000)
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齢.文章・図・衰の衰灘方法縁か
1 調査の概要は『岡山大学構内調査研究年報』4・5 1987・1988年 において,既に,
一部を報告しているが,本報告と相違がある場合は本報告をもって訂正したものとする。
2 遺物番号は,遺構別・層位別に番号をつけている。土器以外の遺物については次の略号 を付けて通し番号とした。石器:S,木器:W,土製品:Pである。
3 遺物観察表は,原則的には本文中に入れ,実測図とセットとし,また,水田の一覧表は 「第3章考察1 水田遺構の変遷」にまとめて掲載している。
4 遺物観察表で胎土の表記は,微砂:径0.5囎以下,細砂:径0、5醐〜1磁,粗砂:径1〜
一8
遺跡の位置と周辺遺跡の概要
5
6
7
8
9
2聯,細礫:径2m鵬以上の基準で示している。また,表内で(ロ)は口「縁部,(ロ断)は口 縁部断面形,(突)は突帯,(突断)は突帯断面形をそれぞれ示す。その他に「〉」は出現
率を表わし,例えば「D>V形」はD形・V形両者が存在する中で,D形が多い状態を
示す。法量の欄では,残存部分が1/2以下のものには()を付けている。遺構・遺物番号は本文中の番号と一致する。
図・図版の縮尺は原則として下記のようになっている。
〈図〉 遺構:遺構全体図 1/400 土墳・溝断面 1/30
遺物:土・器 1/4・1/3(縄文土器),石製品 1/1〜2/3
〈図版〉遺物:土器 約1/3・約1/2(縄文後期),石器約1/2,木器約1/3 例外のものは,各々についてその縮尺値を明記している。
本報告書で用いる高度値は標高であり,方位は真北を示す。
遺構名は文章・図・図版中で貯蔵穴:SP,土墳:SK,溝lSDと略号化して使用してい
る。
本調査区内の全体的な基準土層番号は,遺構等の説明中においては,遺構内埋土の土層 番号と不明瞭な場合に,〈〉を付けて区別している。
本報告書に掲載した地形図でS=1/50000のものは建設省国土地理院発行の岡山北部と 南部の図を合成したものである。
註
1 岡山大学津島地区では構内での遺跡の状況が不明瞭であったため,便宜的に調査ごとに字名を遺跡名とした り,岡山大学津島地区遣跡群の地区名で仮称していたが,調査資料の蓄積から遺跡の広がりが津島地区全域
に広がることが明らかになってきたため,岡山大学津島地区構内の遺跡を津島岡大遺跡と総称し,調査順に番 号をつけて地点を表すこととする。既報告のノ]嬌法目黒遺跡は津島岡大遺跡1次調査地点,農学部構内BH13区他 は同遺跡2次調査地点となる。
2 『百間川沢田遺跡2 百間川長谷遺跡2』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告59 岡山県教育委員会 1985 3 『雄町遺跡』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 岡山県教育委員会 1972
4 鎌木義昌「第1編 原始時代」『岡山市史古代編』 1962 33頁
鎌木義昌・亀田修一「朝寝鼻貝塚」『岡山県史第十八巻考古資料』 198641頁
5 中期に遡る可能性のある土器も含んでいる。各発掘調査については,以下の文献参照。
a l次調査:『岡山大学津島北地区小橋法目黒遺跡(AW14区)の発掘調査』岡山大学構内遺跡発掘調査報告 第1集 1985
b 2次調査:『岡山大学津島地区遺跡群の調査則岡山大学構内遺跡発掘調査報告第2冊 岡山大学埋蔵 文化財調査室 1986
c 3次調査:本報告