佛 滅 年 代 に 關 す る 問 題 黙 ( 塚 本 ) 一 九 〇
佛
滅
年
代
に
關
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問
題
貼
塚
本
啓
祥
佛 滅 年 代 は 常 に 二 つ の 要 素 に よ つ て 規 定 せ ら れ る。 の 佛 滅 年 代 算 定 の 基 準 と な る 事 件、 目 そ の 事 件 と 佛 滅 と の 間 の 年 藪、 が そ れ で あ る。 目 の 要 素 は、 チ ャ ン ド ラ グ プ タ 又 は ア シ ョ ー カ の 部 位 年 代 で、 こ れ に は 碑 文 や ギ リ シ ャ 史 と の 關 係 か ら、 か な り 正 確 な 数 字 が 與 え ら れ る。 目 の 要 素 は、 二 一 八 年 説 を と る 南 方 傳 承、 一 〇 〇 年 ま た は 一 一 六 年 読 ( 一 六 〇 を し ば ら く 一 一 六 の 誤 り と み て ) を と る 北 方 傳 承 な ど、 傳 承 形 態 は 多 (1) 岐 に 渉 つ て い る。 し か も 何 れ に も そ れ を 確 謹 す べ き 資 料 を 鉄 き、 そ の 批 到 は 系 統 を 異 に す る 傳 承 の 比 較 検 討 に 縁 る の で あ つ て、 佛 滅 年 代 の 問 題 鮎 も、 專 ら こ の U の 要 素 に 集 中 さ れ る と 云 つ て よ い。 ( 一 ) マ ガ ダ 王 統 と 在 位 年 数 佛 陀 時 代 か ら ア シ ョ ー カ の 印 位 に 至 る、 マ ガ ダ 王 統 を 傳 え (2)(3) るUipavansa, Mahavamsa, askavadaua, parisistaparvap
(4) p u r a n a s の 傳 承 を 比 較 す れ ば、 ( A ) 凡 て の 傳 承 に 共 通 な 王 統、 ( B ) 共 通 で な い 王 統、 の 二 つ の 類 型 に 分 類 で き る。 Aの
中で、zaudas, caudragqupta, biudusara, asoka の王統は、
職ジシャ史との關係から確定的であり、bimbisara, ajatasa-tru, ddayiu の 王 統 も 殆 ん ど 疑 わ れ な い。 從 目つ て 凡 て の 傳 承 に 共 通 で な い B王 統 が 問 題 の 中 心 と な る。 さ て B王 統 に は、 ニ カ ー ヤ の 中 に 現 わ れ る 名 前 も あ り、 そ の 實 在 は 必 ず し も 全 て を 否 定 で き な い。 こ の 論 貼 に 關 し て 二 つ の 見 方 が な さ れ て い る。 の B王 統 の 眞 實 性 を 支 持 す る 論 接 と し て、 回 傳 承 相 互 の 王 名 を 凡 そ 比 定 で き る ( ジ ャ イ ナ の 傳 承 (5) で は 腕 落 し た と み る )。 働 南 傳 二 一 八 年 読 は プ ラ ー ナ ( M a h a -padma を zaudhivardhaua と Mghauaudiu の 重 複 と み る ) ・ ジ ャ イ ナ の 傳 承 に よ つ て 傍 謹 さ れ る。 回 北 傳 に B王 統 を 傳 え て い る の は、 一 〇 〇 年、 一 一 六 年 読 と 矛 盾 す る。 こ れ に 封 し て 日 目 B王 統 の 眞 實 性 を 疑 う 論 族 と し て、 回 B王 統 の 或 者 を A王 統 の 或 者 に 比 定 し て、 一 王 よ り 二 王 を 創 出 し た と み る こ と の 可 (6) 能 性、 個 目所 囑 王 統 が 傳 承 に よ つ て 不 定 で あ り、 マ ガ ダ 以 外 の 地 方 の 王 統 に 属 す る と 考 え ら れ る も の が あ る。 以 上 の よ う に
-598-何 れ の 見 方 も 決 定 的 な 論 檬 を 與 え る に は 未 だ 不 十 分 で あ り、 王 統 に 含 ま れ る 諸 王 の 時 代 的 ・ 地 方 的 關 連 と そ の 在 位 年 数 と が 異 つ た 論 貼 よ り 確 謹 さ れ る 必 要 が あ る。 ま た B王 統 の 系 譜 と 在 位 年 敷 の 相 違 が 傳 承 傳 播 の 如 何 な る 事 情 に 由 來 す る か が 解 明 さ れ ね ば な ら な い。 ( 二 ) 師 資 相 承 の 系 譜 師 資 相 承 の 系 譜 を 傳 え る も の は 次 の 類 型 に 遜 分 で き る。 (7) ( i ) セ イ 官 ソ 陣 承 ( 分 別 説 部 ) (8) (i i ) 大 衆 部 律。 優 波 離-陀 娑 婆 羅-樹 提 陀 娑-書 移 根 護 ⋮⋮ (9) (iii) マ ト ゥ ラ ー ・ カ シ ュ ミ ー ラ 傳 承 ( 有 部 ・ 根 本 有 部 ・ 大 衆 部 ) こ れ ら の 類 型 は 二 つ の 視 黙 よ り 關 連 づ け る こ と が で き る。 の ﹃ 第 二 結 集 ﹄ 上 座 系 の 律 が 傳 え る 所 に よ れ ば、 s o n a k a (s a mbhuta Sanavas が S a n a v a s a ) は マ ト ゥ ラ ー の ア ホ ー ガ ン ガ の 長 老 で あ り、 第 二 結 集 で 律 の 請 宣 を な す 重 要 な 役 割 を 演 じ て い る。 こ れ に 封 し て 大 衆 部 律 が s a n a v a sa の 師 た る マ ト ゥ ラ ー の 陀 娑 婆 羅 (Uasabala, Uasaka) に 律 の 諦 宣 を 露 し て い る の は、sanavasa 等 の 西 方 敢 團 ( 上 座 系 ) が 東 方 教 團 ( 大 衆 系 ) を 非 難 す る 立 場 に あ つ た か ら で あ ろ う。 目 ﹃ ア シ ョ ー カ 時 代 ﹄ 南 傳 に よ れ ば、Mogqgqaiputta tissa は ア シ ョ ー カ の 王 師 と し て マ ト ゥ ラ ー の ア ホ ー ガ ン ガ か ら 迎 え ら れ、 第 三 結 集 と 傳 道 師 の 派 遣 に 關 係 す る。asokavadaua で は マ ト ゥ ラ ー の d p a gq u p ta が ア シ ョ ー カ の 王 師 と し て、 佛 蹟 巡 拝 を 共 に す る。 し か も 何 れ の 事 蹟 も、 ア シ ョ ー カ 碑 文 の 實 謹 す る と こ ろ で あ る。 有 部 の 傳 承 が 傳 え る 麗 賓 國 の 傳 道 師 末 田 地 (Mpdh-y autka) は、 南 傳 に 記 さ れ る Oaudhara-kasmira の 傳 道 師 Majjhautika (Mogqgaliputtatissa に よ つ て 派 遣 ) に 比 定 で き
り。また南傳が Mahiuda をMcgqgqaiputta tissa,
Majjha-u t ika, Mahadrva の 指 導 に 結 び つ け る こ と、 分 別 功 徳 論 ( 四 世 紀 頃 課 ) が 摩 弾 提 ( M a d h y a u tik a ) と 摩 坤 提 (M a h ju d a ) を 阿 難 の 弟 子 と し て 並 べ て い る こ と、 大 毘 婆 沙 論 ( 七 世 紀 課 ) が 鶏 園 僧 伽 藍 に お け る 大 天 の 五 事 に 關 連 し て、 反 封 派 が 蜀 賓 國 に 到 つ て 上 座 部 と な り、 大 天 の 徒 が 止 つ て 大 衆 部 と な つ た と 記 ( 10) す こ と か ら、 彼 等 は ア シ ョ ー カ と 同 時 代 と み な け れ ば な ら な い。 ま た 北 傳 の 末 田 地 が 阿 難 の 次 に お か れ る の は、 フ ラ ウ ワ ル ネ ル が 指 摘 し た よ う に、 カ シ ュ ミ ー ル 有 部 が 繁 榮 し て マ ト ( 11) ウ ラ ー よ り 優 位 に 立 つ た 西 紀 二 世 紀 頃 の 事 情 を 反 映 し て い る 佛 滅 年 代 に 關 す る 問 題 黙 ( 塚 本 ) 一 九 三
-599-佛 滅 年 代 に 關 す る 問 題 黙 ( 塚 本 ) 一 九 二 の で あ ろ う。 古 來 U p a gq u p ta の 同 世 の 五 師 に 封 し て、 異 世 の 五 師 を 立 て る こ と が 流 行 し た 模 様 で あ り、 こ れ に 倣 つ て 師 資 相 承 の 系 譜 は 作 爲 的 に 整 え ら れ た と 考 え ら れ る。 從 つ て 南 傳 が 傳 え る 五 師 の 年 代 は、 佛 滅 年 代 算 定 の 基 準 と な し が た い。 ( 12) ( 三 ) ア シ ョ ー カ 碑 文 ア シ ョ ー カ が 法 の 巡 行 の た め に ボ ー ド ガ ヤ ー を は じ め と し て、 多 く の 佛 蹟 を 巡 拝 し た こ と は、 摩 崖 法 勅 八 ( 灌 頂 一 〇 年 ) に よ つ て 知 ら れ る。 小 摩 崖 法 勅 一 に よ れ ば、 王 が 二 五 六 夜 を 巡 拝 の た め に 過 し た こ と を 述 べ る。 こ の 二 五 六 の 敷 は、 か つ て ビ ュ ー ラ ー と フ リ ー ト に よ つ て、 佛 滅 後 こ の 法 勅 の 襲 布 ま ( 13) で に 経 過 し た 年 数 で あ ろ う と 主 張 さ れ た。 し か し、 法 勅 の v iv u t h r u a と v iv a s a が ﹁ 三 衣 を 離 し て 住 す る ﹂ の 意 味 で あ ( 14) る こ と が、 F・W・ト マ ス に よ つ て 主 張 さ れ て か ら、 こ の 敷 は 巡 行 の た め に 過 し た 日 数 で あ る と 結 論 さ れ た。 と は い え ガ イ ガ ー が 愼 重 な 態 度 で 附 言 し て い る よ う に、 浬 藥 後 す ぎ た と 信 じ ら れ た 年 数 を、 一 年 を 一 日 と し て、 王 が 敬 慶 な 巡 禮 の 族 ( 15) に 出 た こ と は 想 像 さ れ う る。 し か し、 こ れ を 佛 滅 年 代 決 定 の 基 準 と す る こ と は 現 状 で は 危 瞼 で あ る。 ま た ニ ガ ー リ ー サ ー ガ ル 石 柱 法 勅 ( 灌 頂 一 四 年 ) に よ れ ば、 過 去 佛 コ ー ナ ー カ マ ナ の 塔 を 二 倍 に (dutiyan) 増 築 し て 供 養 し た こ と を 記 す が、 こ の dutiyam が 何 を 意 味 す る か は 未 だ 答 え ら れ て な い。 サ ー ル ナ ー ト、 コ ー サ ン ビ ー、 サ ー ン チ ー の 法 勅 ( 灌 頂 二 七 年 以 後 ) は 破 僧 伽 を 誠 め て い る が、 南 傳 が 傳 え る 第 二 結 集 後 の 根 本 分 裂、 賊 住 比 丘 の 抗 孚 に 係 る 第 三 結 集、 お よ び 北 傳 の 大 天 の 五 事 に 結 び つ く 識 論、 の 何 れ に 比 定 で き る か を 決 定 し う る 確 實 な 謹 糠 は 見 當 ち な い。 ( 四 ) 第 二 結 集 と 根 本 分 裂 佛 滅 一 〇 〇 ( ま た は 一 一 〇 ) 年 に 結 び つ く 第 二 結 集 の 傳 承 は 細 目 を し ば ら く 論 外 と す れ ば、 骨 子 に お い て、 異 つ た 七 部 派 に 共 通 に 傳 え て い る の で あ る か ら、 第 二 結 集 の 傳 承 が 成 立 し ( 16) た の は、 第 二 結 集 と 根 本 分 裂 の 間 で あ ろ う。 し か し、 律 藏 の 構 成 は 大 衆 部 の み が 相 違 の 鮎 が 甚 し く、 律 藏 の 編 纂 が 分 裂 後 に 行 な わ れ た こ と を 想 像 で き る。 第 二 結 集 の 時 に は、 す で に
又団に三つの中心地 (vrsali, kcsambi, Mathura) があつたの
で あ る か ら、 分 派 は 可 能 な 状 態 に あ つ た と 考 え ら れ る。 た だ 滅 後 一 〇 〇 年 は 佛 教 僧 伽 は 一 味 和 合 し た と 傳 え る の で ( 律 藏 第 二 結 集 に は 分 派 を 記 さ ず )、 北 傳 は 大 天 の 五 事 を 根 本 分 裂 に 結 び つ け、 南 傳 は 第 二 結 集 に 根 本 分 裂 を 關 説 し て、 第 三 結 集 と 枝 末 分 派 の 傳 承 を 附 加 し た と 考 え ら れ る。 も し ア シ ョ ー カ 王 の 一 一 六 年 説 を と れ ば、 根 本 分 裂 は ア シ ョ ー カ の 直 前 あ る い は 彼 の 時 代 と な り、 ア シ ョ ー カ 碑 文 と の 關 係 も 考 え う る。 二 一 八 年 説 を と れ ば、 根 本 分 裂 以 後 ア シ ョ ー カ の 帥 位 ま で に ( 17) か な り の 年 数 が あ つ て、 い く つ か の 部 派 の 存 在 も 可 能 で あ り、 第 三 結 集 に 結 び つ く 僧 伽 の 抗 孚 は、 根 本 分 裂 と 億 異 つ た 原 因
-600-に 由 來 す る こ と が 明 ら か と な る。 グ プ タ 王 朝 の 初 期 西 紀 四 世 紀 前 牛 は グ プ タ 王 朝 興 起 の 時 代 で あ り、 マ ウ ル ヤ 王 朝 の 衰 退 後 数 世 紀 に し て、 マ ガ ダ の 王 統 を 縦 承 す る も め で あ つ た 。 こ の 時 期 に マ ト ゥ ラ ー か ら マ ガ ダ に 及 ぶ イ ン ド 中 原 に お い て 編 纂 さ れ
た Matsya, vayu, brahmanda
の プ ラ ー ナ は、 シ シ ュ ナ ー ガ 王 朝 を よ り 古 く 記 し て、 そ の 後 縫 者 グ プ ( 18) タ 王 朝 を 偉 大 な ら し め た で あ ろ う。 こ れ ら の 時 期 に、 バ ラ モ ン 文 化 に 封 立 し な が ら 編 纂 さ れ る 佛 敢 ・ ジ ャ イ ナ 教 の 傳 承 が ど の よ う な 關 係 に あ つ た か は 注 意 し な け れ ば な ら な い。 上 述 の 四 つ の 問 題 鮎 か ら 明 ら か な よ う に、 佛 滅 後 の 年 数 に 關 す る 傳 承 と、 そ の 背 景 的 事 例 に 關 す る 傳 承 と は、 異 つ た 傳 承 の 核 を も つ よ う に 思 わ れ る。 こ れ ら の 異 質 的 要 素 が 異 つ た 視 鮎 よ り 解 明 さ れ る 時、 佛 滅 年 代 の 傳 承 の 眞 實 性 は 確 讃 さ れ る こ と に な ろ う。 馳 1 拙 稿 ﹁ 佛 滅 年 代 の 資 料 ﹂ ( 宗 教 研 究 一 六 四 號 ) 5 宇 井 伯 壽 博 士 ﹁佛 滅 年 代 論 ﹂ 印 哲 研 二 ・ 四 七 頁。 6
jacobi: the kalpasutra of bhadrabahu (abhaudl. fur dir
k
uudr drs Morgqrul. vii, 1)。Inyroduction, p. 2など。
7 Uip. iv. 46; 8摩 詞 僧 砥 律 ( 大 正 二 二 ・ 四 九 二 c)。 9 分 別 功 徳 論 ( 大 正 二 五 ・ 三 七b二三-二四)・舎 利 弗 問 経 ( 大 正 二 四。 九 〇 〇 a) ・Ujvyavadaua ( p p. 3 5 8 -3 5 4)。 阿 育 王 傳 ( 大 正 五 〇 ・ 一 一 四 a-二 二 六 b)・阿 育 王 纏 ( 大 正 五 〇 ・ 一 五 二 c-一 五 三 a) ・ 根 本 有 部 雑 事 ( 大 正 二 四 ・ 四 〇 八 b-四 一 一 c)。 付 法 藏 因 縁 傳 ( 大 正 五 〇 ・ 二 九 七-三 一 三 )。 10 大 正 二 七 ・ 五 一 〇 c-五 一 二 a。 17 水 野 弘 元 博 士 ﹁ 阿 育 王 時 代 任 部 派 は 存 在 し て い た か ﹂ 印 佛 研 六 ノ 二 ・ 八 八 頁。 1 8 p
argqitrr:op. cit., pp. Xii-Xvii; sylvaiu levi: l'Iudr
civi-l
i
s
atrice, aprrcu historique, paris 1938, pp. 162ff.
佛 滅 年 代 に 關 す る 問 題 黙 ( 塚 本 ) 一 九 三