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無住の教導観と救済意識

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Academic year: 2021

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無住の教導観と救済意識

教科・領域教育専攻 社会系コース

新 見 克 彦

はじめに

鎌倉時代中・後期の僧である無住 (1226'"'‑' 1312) の名は、『沙石集~ W聖財集~ W妻鏡~

: W

雑 談剰といった著作の著者として、また、こう した著述活動や説経を通じて仏法啓蒙を行った 人物として知られている。いわゆる鎌倉新仏教 の登場と旧仏教の中世的対応は、全階層を包括 して、仏教を日本人に思想的に浸透させる大き な契機となったといわれている。また、その事 は、中世仏教において、様々な立場、思程、から、

民衆を対象とした救済の模索がなされたことに 密接な関わりを持つ。無住が生きたH割

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は、こ うした

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剖勺に属しており、無住もそうした課題 の担い手の一人で、あったo鎌倉仏教の研究史上 では、黒田俊雄氏が、顕密体制論が提唱され、

禅律僧は、顕密主義の改革派として位置付けら れる。無住の根本的な立場は真言で、あったとさ れるが、西大寺流との関係や禅密兼修を鞘教と する東福寺円爾との関係を考慮するなら、律(曽、

禅僧としての側面を有し、顕密主義の改革派と して位置付けることができる。こうした事から も、無住の思想、を検書けることは、中世におけ る禅律僧のあり方を見ることにもつながり、鎌 倉期の仏教を考える上で重要な思想家と言える だろう。しかし、従来、中世作家としては注目 されても、宗教者としての無住は充分に評価さ れてきたとは言い難い。また、説話や宗歴を通 して、様々なアプローチの下に、その立場や思

指導教員 大 石 雅 章

想、の究明がなされてきたにも関わらず、無住自 身の宗教実践に関しては、充分に論じられてこ なかったし、実際どのように民衆と関わったの かについても、あまり言及されてこなかった。

材高は、こうした問題意識を基に、中世宗教 者の教導した仏法が、人々に如何なる救済を提 示しようとしたのかとしづ視角を念孟真におきつ つ、無住の教導観における救済意識を、宗教実 践射彦道観を通して見ていくことで、その思想 の意味を検討しようとしたものである。

一、無住における僧侶の存在意義と破戒の位置 無住の意識においては、民衆に対して、僧侶 が仏法を啓蒙する前生たるために、末代の現実 における石廊戎僧・愚僧の存在意義をどのように して見出すかは重要な問題であり、無住におけ るこうした特質は、仏法を担う僧侶のあり方を 問い直す事につながっていた。しかし、その主 眼は、愚僧や偏執の輩に対する是正におかれて いたのではなく、むしろ、末代における凡僧の 荷主価値を如何にして見出すかとし、う作業にあ った。石廊戎の僧侶で、あっても、民衆を教導する 宗教者たりうるという事を論証しようとする意 識には、病縁によって持戒が困難で、あるという 無住の個人的な事情が垣間見え、こうした論証 は、無住自身が宗教者としての自身の存在意義 を確立するための論証で、もあったo 無住におけ る石蔚或は、内から発した課題で、あったが、進悪 無碍を始めとした石廊夜行為としづ現実を自の当

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たりにした事は、時代に対応した仏法のあり方 の模索にもつながったo

無住の石廊戎イ曽・愚僧の宗教実践に積極的な意 義を確立しようとした意味は、無住自身の破戒 等の克服であるとともに、石廊戎僧・愚僧で、あっ ても民衆と積極的に関わることで、宗教者とし ての責任と仏法による民衆への救済の具備ヲ提 示を果そうとするもので、あったD

二、無住の宗教実践と救済意識

本章では、無住の宗教実践として、陀羅尼に よる加持祈祷、菩薩戒の授戒活動を取り上げ、

宗教者としての無住の実像に迫るとともに、そ の救済意識を検討した。

まず、陀羅尼の加持祈祷において無住は、民 衆の要求する現世利益に対して、病癒を中心

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、こ 陀羅尼の加持祈祷と医療技祢決咲口識を持って、

それに応えていた事が推察され、病体とはいえ、

出来うる限りにおいては民衆の要求に応えよ うとしていた無住の姿が見出された。

また、無住の菩薩戒の授戒活動においては、

その特質として、持戒が困難であるとしづ個人 的事情の克服と、密教と切り結ぼれた形での宗 教実践を行おうとする無住の意識が挙げられ、

さらに、石廊皮イ曽・愚僧の宗教実践に積極的に意 味を見出した上で、菩薩戒の授戒活動を陀羅尼 の加持と並列して行うとしづ無住の救済姿勢が 見られた。そして、これらの宗教実践は病癒を 中心においた活動であり、そのことは、無住の 救済意識を色濃く反映したもので、あった。

三、無住の修道観と救済意識

本章は、救済意識の底流である、無住の修道 観に関しては、坐禅と『法華経』をとりあげた。

まず、坐禅観については、無住は、自身は坐 禅を断念しつつも、坐禅を否定することなく、

なお、そのあり方を模索し続けていることは注

目される。しかし、必ずしも坐禅にこだわらな い姿勢からも、無住においての坐禅は、あくま で修行のー形態としての重要視にとどまったと 見るべきであろうと思われるD また、その坐禅 観は、坐禅が困難な者キコ貧窮の人々にも救済の 可能性を提示したもので、あったo

そして、『法華経』については、無住における

『法華経』への傾倒は、真言ヰ禅の立場を前提 としたものであり、『法華経』を通して求めたも のは、石廊戎の滅罪で、あった。そして、この事は、

自身の破戒・慨怠の意識の反映で、あったといえ るD しかし、そうした事だけでなく、教学の上 においても『法華経』を評価しており、その事 は無住の民衆教導においても『法華経』が重要 視された事にもつながっていると考えられる。

また、『法華

i

主』における滅罪品、う意識は、宗 教実践における病癒等の意識と、弱者への視点

という面でつながるもので、あった。

おわりに

無住の石廊戎僧・愚僧の宗教実践に積極的な意 義を確立しようとした意味は、無住自身の破戒 等の克服であるとともに、石廊戎僧・愚僧で、あっ ても民衆と積極的に関わることで、宗教者とし ての責任と仏法による民衆への救済の具体的提 示を果そうとするもので、あったo 無住は律僧と

しては戒律を守れず、禅僧としては坐禅を断念 した、いわば愚僧で、あったが、それでも、宗教 実践や宗務子為の意味を積極的に見出そうとし た点に、無住の思想、の意味があるといえる。

このような僧侶が、陀羅尼による加持祈祷、

菩薩戒の授戒活動とし、った形で、民衆のために宗 教実践を行い、また庶民の視点を含有した稀に 見る説話集を残したことは 当時における仏法 と民衆のあり方を考える上で大きな問題を投げ かけているといえよう。

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