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漱石漢詩注訳拾遺

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熊本大学学術リポジトリ

漱石漢詩注訳拾遺

著者 金原, 理

雑誌名 東光原 : 熊本大学附属図書館報 = Kumamoto

University Library bulletin

巻 23

ページ 3‑3

発行年 1999‑06

URL http://hdl.handle.net/2298/10179

(2)

第23号 1999.6

漱石漢詩注訳拾遺

金原 理

ないし、筑後川と肥山との間には筑後平野が開けてい て、肥後の山々が尽きてすぐ筑後川が目に飛び込んで 来るというようなロケーションではないことなど、地 形の矛盾は三句目四句目(頷聯)に集中してい患。

前に掲げた諸注釈書はいずれもこの部分にてこずっ ているようで、たとえば中村宏は肥山を肥前、つまり 佐賀の山とも考えているが、佐賀の山と筑後川との間 にはやはり筑後平野が広がっていて、両者の距離は筑 後川と肥山との間より遥かである。

漱石はこの時より半年ほど前に久留米の高良山に登っ ているが、その時の様子を明治三十年四月十八日付で 子規にあてて、

それ

今春期休に久留米に至り高良山に登1,,夫よりLu

いたしぎふ白】ふ

趣を致し莞̀L、と申す処̀)桜を見物致候。帰途久留

Lらうむんたん

米の古道具屋│こて士朗と淡々の軸を手に入侯につ

むみん ばっさり

き、御慰の為繊進呈致候。勿論双方とも真偽半I黙 せず。

としたため、「菜の花の遙かに黄なり筑後川山高し動 ともすれば春曇る、拝殿に花吹き込むや鈴の音」など の句稿とともに送っている。

高良山は山腹に神社があるが、そこへ至るには急な 坂と勾配のきつい石段を登らなければならない。たし かに近くを通る高速道路から眺める高良山は麓から急 に鐸え立つようで、漱石はこの急坂を登り神社に参詣 して山越えをしたのである。そして山頂から足下をゆっ たりと流れ愚筑後川を目にしたのであった。

こめ山頂からの筑後川の眺望は漱石にとってかなり 印象的なものであったらしく、この時から九年後に成っ た「草枕」の冒頭の素材ともなっている(古川久「漱 石の書簡」)。

ここで件の漢詩の、いま話題としている頷聯の二句、

「蕊として肥山尽き、涛洋として筑水新なり」(高く

ひざ人あらを

けわしい肥後の山なみが尽き、眼前に広々とした筑後!Ⅱ が開けた)に立戻ってみよう。あらためてこの二句を 眺めてみると、漱石の高良山登山の印象がここにも語 られていると思うのだが、いかがなものであろう。こ う見れば、地形の矛盾も解決することになる。

漱石の熊本を詠んだ詩の注釈のこうした問題点を指 摘することは、地元に居る者の務めでもあろう::

(きんばらただし文学部教授比較文学)

明治三十年(一八九七)十二月十二日に漱石は熊本 県飽託郡大江村四○一番地から、下谷区根岸111J八十二 番地に住む子規にあてた手紙で、病気を見舞ったつい

みくら(や催JJnいによ【〕てnいのごとく皆ざど』・らふ とん

でIこ、「小生織々矢張因例如例に御座侯。俳句頓とも

だうでい ふってLD IナL、じつ

のにならず、嚢底と共に払底'二御座侯。頃日五言律一

あび卍 i2iblひあlr

首を得候間、御笑覧Iこ供し候・御大政願上侯」とした ためて、次の詩を書き送っている。

延題

か1ヂらふていし}銀]咀

揮頭辞帝關頭を:棹りて帝閲を辞し

つる首よせいいんい

椅衡U出城閏剣に筒りて城閏を出づ

そつnつ ひきんつ

幸葎肥山尽率樺として肥u」尽き

はうやう めらた

iラビデ洋筑水新涛洋として筑水新なり

しうふうpKじつふ

秋風吹落日秋風落日;茜吹き

だいやかみとんた

大野絶行人大野行人1if絶つ

尊く【ぎくIWLこんくる

索莫乾坤蕊索翼として乾坤難く

百うめし、 Lさり

蒼冥哀雁頻蒼冥哀雁》壇なり

足‑'

この詩は、松岡譲の「漱石の漢詩」(朝日新聞昭和 四一年九月)をはじめとして、吉川幸次郎の「漱石詩 注」(岩波新書昭和四二年五月)や、新しいところで は飯田利行の「漱石詩集課」(国書刊行会昭和五一年 六月)、中村宏の「漱石漢詩の世界」(第一書房昭和 五八年十月)など、漱石の漢詩について触れたものに はたいてい取り上げられている。

詩をこれらの注にしたがってたどると、

人,>ひきとめるのをふり切って東京を発って熊本へ やって来ると、高くけわしい肥後の山なみが尽きて、

眼前に広々とした筑後川が開けた。日暮れ時に秋風が 吹いてMii野には人っ子一人いない。あたりは気が滅 入るように淋しく暗く、深い藍色をした大空に群をは なれた雁が、しきりに悲しげに鳴いている。

となろうか。

ところで詩には、地形の上でいくつかの矛盾がある ことに気が付く。まず、漱石の熊本への下向が東京か らであるにしる松山からにしろ、西下することになる ので、肥山(肥後の山々)と筑後川の位置が逆である ことがあげられる。それから現実の肥後の山々はなだ らかな丸みを帯びた連山であって、高くもけわしくも

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