倉 田 稔
目 次
は じ め に 1総 選 挙
2三 ・一 五 の 準 備
3小 樽 の 三 ・一 五 事 件 で 逮 捕 さ れ た 人 々
は じ め に
本 稿 は,小 林 多 喜 二伝(26)で あ る。
1総 選 挙
1928年(昭 和3年)1月21日,田 中 義 一(政 友 会)1)内 閣 は,民 政 党 が 提 出 し た不 信 任 案 を契 機iに,突 然 国会 を解 散 した。2月20日 に は 総 選 挙(第16回 総 選 挙)に な っ た 。 こ こ で 日本 で 最 初 の 普 通 選 挙 が 行 わ れ た 。 た だ し女 性 に は投 票 権 は 与 え られ て い な い 。 男 子 は25才 以 上 で あ った 。 そ れ に 戸 主 の み で,季 節 労 働 者 は 除外 され た。 だ が 有 権 者 は 前 回 の 三 百 万 人 か ら千 二 百 万 人 へ と増 え た 。 この 総 選 挙 に は,無 産 政 党 が うっ て 出 た。 社 会 民 衆 党(1926年12月 創 立,労 働 農 民 党 創 立 後,右 派 に よ っ て作 られ る〉,日 本 労 農 党(1926年10月 結 成),労 働 農 民 党(1926年3月 創 立),九 州 憲 民 党 で あ る。 こ れ ら無 産 政 党 は,政 友 会,
1)田 中 義 一, 1864‑1929。 軍 人 。1927年 に 首 相 。 陸 軍 大 臣 だ っ た 。
〔1〕
2 商 学 討 究 第49巻 第1号
民 政 党 の 二 大 既 成 政 党 を向 こ う に ま わ した 。 共 産 党 は非 公 然 で あ っ た 。 そ して 労 農 党(委 員 長,大 山 郁 夫)の 中 に か くれ,選 挙 戦 を 戦 っ た 。 共 産 党 は,「 二 七 年 テ ー ゼ」 をす で に 持 っ て い た し,選 挙 闘 争 方 針 を 出 し,各 種 の轍 文,指 示 文 書 を発 行 した 。 共 産 党 は,非 公 然 で あ る か ら,労 農 党 内 で も,名 乗 りを あ げ る こ と は で き なか っ た 。 労 農 党 か らの40名 の 立 候 補 者 の うち,共 産 党 員 は,徳 田 球 一2),山 本 懸 三(後 出),南 喜 一3)ら11名 が 含 ま れ て い た 。
日本 共 産 党 の 北 海 道 オ ル グの 責 任 者 は,三 田村 四 郎4)で あ っ た 。 彼 は,評 議 会5)本 部 の 幹 部 と して,北 海 道 の 労 働 組 合 運 動 の た め に,し ば しば 来 道 して お り,道 内 の左 翼 陣 営 の 中 に も知 られ て い た。 昭和3年1月 中旬 に,内 妻 ・久 津 見 房 子6)を 伴 っ て 来 道 し,札 幌 に変 名 で 住 ん だ 。 三 田村 は,労 働 農 民 党,評 議 会,無 産 青 年 同盟 や 日本 農 民 組 合 に属 す る左 翼 分 子 や 青 年 闘士 を 中心 に,党 員 獲 得 を 行 い,80余 名 を得 た 。 これ らの 入 党 者 を結 集 して 各 地 に 地 区 委 員 会 の 組 織 を確 立 して い っ た 。7)
つ い で,小 樽 で重 要 な 人 物 は,武 内清 で あ る。 函 館 出 身 の彼 は,1924年 に 上 京 し,渡 辺 政 之 輔8)の 指 導 を う け,そ の 後,北 海 道 へ も どっ て きて か ら,小 樽 合 同労 組,北 海 道 地 方 評 議 会 の 中 心 的幹 部 に な っ た 。 彼 は1927年10月,共 産 党 に入 っ た9)。 彼 は函 館 で 共 産 党 の オ ル グ を し,小 樽 へ も どっ て 合 同 労 組 を 中 心
2)徳 田 球 一,1894‑1953.苦 学 して 弁 護 士 に な り,共 産 党 中 央 委 員 に な る。
3)南 喜 一,1904‑70.関 東 大 震 災 で 弟 が 社 会 主 義 者 と して 亀 戸 署 で 虐 殺 さ れ,そ れ に 憤 っ て社 会 主 義 運 動 に 入 る。 共 産 党 中 央 委 員 に な る 。 三 ・一 五 事 件 で 検 挙,転 向 。 戦 後,国 策 パ ル プ 会 長 。
4)三 田 村 四 郎,1906‑64。 本 名,四 朗 。 こ の 時,33才 。 小 学 校 を終 え,大 阪 で 給 仕 を しな が ら,夜 間 商 業 に 通 っ た 。17才 で 上 京 し,新 聞 配 達,保 険 外 交,製 帽 職 工 な ど をす る 。1916年,巡 査 教 習 所 を 出,大 阪 で 巡 査 に な る。 警 察 署 勤 務 中,社 会 主 義 者 と の 関 係 で1919年 こ ろ 社 会 運 動 に 入 り,高 津 正 道 ら の 暁 民 会 に 入 る 。 巡 査 を免 職 に な る 。 大 正9年,印 刷 工 。1926年,日 本 楽 器 争 議 で 有 名 に な る。
5)こ れ に つ い て は,谷 口 善 太 郎 『日本 労 働 組 合 評 議 会 史 』 が あ る。
6)ト ル ス トイ主 義 者 の 高 田 集 蔵 の 妻 だ っ た が,別 れ,暁 民 会 員 の 原 沢 武 之 助 と 同 棲 し た 。 そ の 後,妻 を捨 て た 三 田村 と,大 阪 へ 行 っ た 。
7)渡 辺 『北 海 道 社 会 運 動 史 』,263ペ ー ジ。
8)渡 辺 政 之 輔,1899‑1928.共 産 党 指 導 者 。 9)『 武 内 清 の 思 い 出』62ペ ー ジ。
に オ ル グ を した 。 ま た 三 田村 と と も に全 道 的 な オ ル グ を した 。 そ こで1928年1 月,第1回 日本 共 産 党 北 海 道 各 地 代 表 者 会 議 が ひ らか れ,北 海 道 地 方 委 員 会 が 作 ら れ た10)。 武 内 は,三 田村 と,渡 辺 利 右 衛 門 と と も に,小 樽 地 方 委 員 会 の 組 織 化 を続 け て い た。2月,正 木 清 が 入 党 した 。 彼 は 道 評 議 会 の 政 治 部 長 で あ っ た 。 こ の こ ろ 党 費 は,30銭 な い し1円 で あ っ た。 鮒 田 勝 治 は,渡 辺 の 勧 誘 で 入 党 し,佐 藤 富 治,阿 部 茂 太 郎 を 入 党 させ た と さ れ る が11),鮒 田 本 人 は,党 員 で な か っ た と言 っ た こ と も あ る 。
山本 懸 蔵 は,北 海 道 一 区 か ら労 農 党 の公 認 候 補 と して 立 候 補 した 。 北 海 道 二 区 は 荒 岡 庄 太 郎,三 区 は加 藤 貫 一,四 区 は木 田 茂 晴12)で あ る。 藤 森 成 吉13)は 長 野 県 か ら立 候 補 し,落 選 し た。 労 農 党 か ら 当 選 した の は,山 本 宣 治14),水 谷 長 三 郎15)(と も に労 農 党)で あ っ た。 無 産 政 党 全 体 で は8名 が 当 選 し た。
政 友 会 は218,民 政 党 は216名 で あ っ た 。 無 産 政 党 の 当 選 者 は,東 京2区 の 安 部 磯 雄16)(社 会 民 衆 党),京 都1・2区 の 水 谷 長 三 郎 と山 本 宣 治,大 阪3・4区 の 西 尾 末 広17)と 鈴 木 文 治18)(社 会 民 衆 党),兵 庫1区 の 河 上 丈 太 郎19)(日 労), 福 岡2区 の 浅 原 健 三20)(九 州 民 権 党)と 亀 井 貫 一 郎21)(社 会 民 衆 党)で あ っ た 。
10)『 武 内 清 の 思 い 出 』64ペ ー ジ 。 11)『 正 木 清 伝 』93‑94ペ ー ジ。
12)弁 護 士,労 農 党 北 海 道 連 書 記 長 。
13)藤 森,1892‑1977.小 説 家 ・劇 作 家 。 「礫 茂 左 衛 門 」,「何 が 彼 女 を さ う させ た か 」 で,有 名 。後 者 は,昭 和5年,帝 国 シ ネ マ で 映 画 化 さ れ,高 津 慶 子 主 演 。劇 で は, 山 本 安 英 が 主 演 。
14)山 本,1889‑1929.生 物 学 者,政 治 家 。 15)水 谷,1897‑1960,京 都 大 卒 業 の 労 働 運 動 家 。
16)安 部 磯 雄,1865‑1949.キ リ ス ト教 社 会 主 義 者 。 同 志 社 を 卒 業 し,キ リス ト教 の 伝 道 を す る 。 留 学 し,同 志 社 の 教 授,早 稲 田 の 教 授 。 社 会 民 衆 党 の 委 員 長 に な る 。 17)西 尾 末 広,1891‑1981,高 小 卒,職 工 に な る 。1916年,職 工 組 合 期 成 同 志 会 を 結 成,
友 愛 会 に 入 る 。 社 会 民 衆 党 創 立 に 参 加 し,中 央 委 員 。
18)鈴 木 文 治,1885‑1946.1912年,友 愛 会 を結 成 。 社 会 民 衆 党 創 立 に 参 加 し,中 央 委 員 に な る 。
19)河 上 丈 太 郎,1889‑1965.キ リ ス ト教 徒,日 本 労 働 党 に 入 る。
20)浅 原 健 三,1897‑1967.1926年,九 州 民 権 党 を創 立 。 日 本 大 衆 党 に 参 加 。 21)亀 井 貫 一 郎,1892‑1987.東 大,コ ロ ン ビ ア 大 で 学 ぶ 。 外 務 省 を 退 官 。 社 会 民 衆
党 創 立 に 参 加 し,同 党 国 際 部 長 。
4 商 学 討 究 第49巻 第1号
無 産 政 党 の 得 票 数 は49万,そ の う ち労 農 党 は19万3千 で あ っ た 。
選 挙 戦 を前 に して,北 海 道奨 産 党 は,選 挙 闘争 方針 と8つ の ス ロ ー ガ ン を決 定 した。 さ らに 「北 海 道 通 信 」 第1号 を発 刊 した。 三 田 村 四郎 は,こ の 選 挙 戦 を利 用 して,職 場 や 農村 に潜 行 し,演 説 会 な ど の大 衆 的 集 会 で,「 北 海 道 通 信 」
(共産 党 北 海 道)な どの 機 関紙 を 配 布 して,党 活 動 とそ の 宣 伝 を 公 然 化 して い っ た 。 三 田村 は,共 産 党 本 部 の 幹 部 だ っ た(党 中央 委 員 候 補)か ら,上 京 す る こ とが 多 く,す べ て の 連 絡 は久 津 見 房 子 が お こ な っ た 。 彼 女 は 隠 れ 家 か ら一 歩 も外 出せ ず に,次 女 充 子(15才)を レポ ー ター と して使 った 。 久 津 見 の影 響 は 三 田 村 よ り深 く党 員 の 中 に浸 透 して い っ た22)。
山 本 懸 蔵,愛 称 ・山懸 は,1895(明 治28)年 生 ま れ,小 学 校 を卒 業 後,上 京 し,職 工 に な っ た 。 友 愛 会 に入 り,米 騒 動 で検 挙 さ れ た 。 大 正 初 期 か ら東 京 の 下 町 で 労 働 組 合 運 動 に参 加 し て い た 。1922年 に,創 立 ま もな い 日本 共 産 党 に 入 党 した 。 そ して 大 変 有 名 な 活 動 家 と して 知 られ た 。 彼 は,関 東 地 方 評 議 会 の執 行 委 員 と な り,オ ル グ と して,1925年9月,北 海 道 小 樽 に 派 遣 さ れ た 。 彼 は, 函 館 木 工 組 合 を 闘 争 団体 に し,函 館 合 同 労 働 組 合 と共 に評 議 会 に加 え て,ま た 室 蘭 労 働 組 合 を創 立 した。 これ ら組 合 を一 丸 と し,北 海 道 地 方 評 議 会 が11月 に 創 立 さ れ た 。 山 本 は,こ の 間小 樽 で,松 岡 駒 吉23)と 立 会 い 演 説 会 をや っ た。
当 時 北 海 道 の 労 働 組 合 は,総 同 盟 か 評 議 会 か の選 択 に迷 っ て い た 。 そ の 方 向 を 決 め る た め,双 方 の 立 会 演 説 会 を 開 い た の で あ る 。 演 説 会 の 後,北 海 道 は評 議 会 の力 が 強 ま っ て い っ た。 山 本 は労 農 党 本 部 員 に な る。
多 喜 二 年 譜 に よれ ば,こ うで あ る 。1928年2月,第1回 普 選 実 施 。 労 働 農 民 等 か ら立 候 補 した 日本 共 産 党 員 の 山本 懸 蔵 を応 援 し,東 倶 知 安 方 面 の演 説 隊 に 加 わ る,と 。
第1区 は,札 幌,小 樽,倶 知 安 が 選 挙 区 で あ っ た 。 小 樽 の 労 働 団 体 は,選 挙 戦 に そ な え た。 小 樽 の 芸 術 団体 も 山本 候 補 の 応 援 に 加 わ っ た 。 前 芸 を代 表 して 小 林 多 喜 二,プ ロ 芸 か ら伊 藤 信 二,風 間 六 三 らが参 加 した。 しか し山本 は輸 入
22)渡 辺,263ペ ー ジ 。
23)松 岡,1888‑1958.職 工 出 身 。 日 本 労 働 総 同 盟 の 右 派 。
候 補 で あ っ た 。
さて,1928年2月1日(1月31日 説 もあ る)午 後8時41分,山 本 懸 蔵 は汽 車 で小 樽 につ い た 。 労 農 党 幹 部 と組 合 幹 部 代 表 数 十 名 が,プ ラ ッ トフ ォー ム に 山 本 らを 迎 え た。 まず 鈴 木 源 重(あ だ 名 「ヒゲ の 源 重 さ ん 」),境 一 雄 ・労 農 党小 樽 市 議24),ら で あ る。 ホ ー ム 外 に,労 農 党 支 部 旗 と無 産 者 団 体 の 旗 を先 頭 に,
「わ れ らの 山懸 来 る」の 横 旗,大 小 数 十 本 の 漫 画 入 りポ ス タ ー が林 立 して い た 。 1千 余25)の 労 働 者 が 「山 懸 万 歳 」 を と な え て,し ば ら くや ま な い 。 取 締 りの 警 官 も手 をつ け よ う な く,た だ そ の ま ま だ っ た 。 組 合 の 鈴 木 が,歓 迎 の 辞 を 述 べ,「 わ れ ら北 海 道 の 労 働 者 は,山 懸 をむ か え て 死 を も っ て 戦 うの で あ る 。」 と 結 ん だ 。 再 び万 歳 の 声 が あ が る。 吹 雪 い て い る 中,駅 前 の 広 場 は ア ー ク燈 の 下 に チ カチ カ と凍 え,冴 え か え っ て い た。
山本 は,「 労 働 者,農 民,一 般 無 産 階級 の た め,病 をお し,死 を もっ て 戦 う」
と演 説 す る。 この 選 挙 を 手 伝 っ て い た小 林 多 喜 二 に よれ ば,山 本 の 演 説 は こ う だ。 「俺 は 五 日前 まで 瀕 死 の 病 人 だ っ た。 医 者 は 動 け ば 死 ぬ と云 っ た 。 だが 俺 は 畳 の上 で 死 ん で よ い か 。 俺 の死 に 場 所 は,労 働 者 と農 民 の 中 以 外 に 断
じて な い の だ1」 山懸 は,1月20日 ま で病 気 で 寝 て い た 。 肺 結 核 だ っ た。 あ る い は こ う言 っ た と も され る。 「自分 は5カ 月(ヤ マ)前 まで 病 床 に つ い て い た,
しか し今 は この 通 り元 気 で す 。 自分 ヤ マ ケ ンの 生 命 は 己 れ の もの で は な い 。 ヤ マ ケ ン の 生 命 は 北 海 道,そ し て 日本 の 労 働 者 農 民 に捧 げ る もの で す 。」 集 会 は こ の 間30分 だ っ た 。 寒 か っ た。 だ が 人 達 は,足 ぶ み を す る こ と を忘 れ て い た 。 眼 ば た き をす る と,両 方 の ま つ げ が,ね ば っ た 。 出迎 え は デ モ に 変 わ っ た 。 山 懸 を先 頭 に,赤 旗 の歌 を歌 い,小 樽 の銀 座 を静 か に行 き,稲 穂 町 に入 り,行 列 は や ん だ 。 境 が 立 っ て 「北 海 道 労 働 者 の 覚 悟 は よ い か 」 と結 び,山 懸 が激 励 し た。 十 時 過 ぎに な っ た 。 山懸 は宿 舎 に入 り,労 働 者 の 列 は組 合 本 部 に 向 っ た 。
稲 穂 町4丁 目 に選 挙 事 務 所 が で き,小 樽 合 同 労 組 の坂 本 佐 一 郎 が 事 務 長 に 選 ば れ た 。多 喜 二 は 毎 日,銀 行 が お わ る と,色 内 町 の 三 浦 強 太 の 下 宿 で 少 し休 み, 24)と い っ て も,境 は,そ の 後 の 選 挙 で 小 樽 市 議 に な っ た の で あ る 。
25)多 喜 二 に よ れ ば,五 〇 〇 人 。 千 人 は,山 懸 の ホ ラ で あ ろ う 。
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着 物 に着 か えた り して,選 挙 事 務 所 へ まわ っ て,ビ ラや ポ ス ター や 会 計 の 事 務 を手 伝 っ て い た 。26)
2月4日 か ら 山懸 は 言 論 の火 蓋 を切 っ た 。 夜,小 樽 で4ケ 所 だ っ た 。5日, 札 幌 で 夜 と昼3ケ 所 だ っ た 。 どの 演 説 会 も満 員 だ っ た 。5日 夜 は,札 幌 中 央 寺
で あ っ た。 場 内 りっす い の 余 地 が ない 。 山 懸 が,健 康 保 険 の 問 題 に論 を す す め る と,官 憲 は 中 止,検 束,を 命 じた 。 聴 衆 は総 立 ち と な り,「 労 働 者 と思 っ て バ カ にす る な 。 貴 様 らが そ の 考 え な ら[xx]ぞ と叫 ん だ。 入 口 を聴 衆 が ピ タ リ と 閉 ざ し,「 山 懸 を は な て1山 懸 を は な て1」 と い う。 官 憲 は つ い に 山 懸 を放 っ た。
6日 は小 樽 と郡 。7日 は 軽 川 と銭 函 方 面 で あ る。
8日 は余 市 だ っ た 。 小 学 校 と劇 場 とで あ っ て,満 員 だ っ た。 この 日は大 吹 雪 だ っ た 。 一 寸 先 も見 え な い 。 山懸 の 言 葉 が ヒ シ ヒ シ と,漁 師,農 民,労 働 者 の 聴 衆 の 中 に シ ミ込 ん で ゆ くの を,本 当 に見 た 。 そ して札 幌 で4箇 所 で あ っ た。
9日 は 札 幌 と郡 部 で,3ケ 所 で あ った 。
10日 昼 は,篠 路 。 農 村 で の 演 説 会 だ っ た。 この 地 方 初 め て の演 説 会 だ っ た 。 小 作 人 で い っ ぱ い だ 。 中 に は,3,4里 さ きか ら弁 当持 ち で や っ て き た者 もあ
っ た。
11日,岩 内,小 沢 。
12日,国 富 で あ る。 小 鉱 山 町 で あ る 。 無 産 者 団 体 が な い が,聴 衆 は熱 中 して き て,申 途 で 「労 農 党 万 歳 」 を叫 び 出 し た。 そ して 狩 太 。26a)
13日,小 樽,3ケ 所 。 14日,黒 松 内,寿 都 。
15日 倶 知 安 。 聴 衆 は1500名 だ っ た 。 午 後6時 開 会 だ っ た が,4時 で 締 切 と な っ た。 官 憲 は,恐 れ て,下 駄 箱 の 人 数 しか 入 れ ぬ と言 っ た が,聴 衆 は 「何 を い っ て る ん だ い」 と,ネ ジ 込 ん で 来 た 。 倶 知 安 始 ま っ て の 大 集 会 だ った 。 弁 当 持 ち で 遠 くか ら農 民 が 押 し寄 せ た 。5里 先 か ら馬 そ り2台 に 分 乗 し て きた30人 26)手 塚 英 孝 『小 林 多 喜 二 』 上,新 日本 新 書108ペ ー ジ。
26a)現 、 ニ セ コ。
の 一 団 は,時 間 が 遅 れ て と う と う入 れ な か っ た。 あ る農 民 と,市 内 有 志 か ら卵 を200ず つ も ら っ た。 卵 で 命 をつ な い で,た た か え,と 言 うの だ っ た 。
19日 札 幌 方 面,小 樽 方 面 で,演 説 会 と町 民 大 会 が あ っ た 。 労 働 者 大 会 を合 わ せ る と,20数 回 で あ る。 札 幌 で は 「帝 国 館 」 で演 説 会 が 開 か れ た 。19日 が 最 後 で あ っ た 。27)
山懸 は,演 壇 か ら下 りる と,水 茶 を飲 ん だ。演 壇 に登 る 前 に,粉 茶 を の ん だ 。 多 喜 二 は,山 懸 が 道 端 に小 便 を した の を見 た こ とが あ る。 雪 が 血 よ り も真 赤 に 染 ま っ た 。
倶 知 安 や 寿 都 を まわ る と き に は,雨 の 平 原 を馬 そ りに乗 っ て,む しろ な ど を か ぶ っ た ま ま何 里 も行 か ね ば な らな か っ た 。 山懸 は,「 俺 は そ ん な 時 半 分 死 ん で い る ん だ 」 と,よ くそ う云 っ た。
多 喜 二 は,北 海 道1区 か ら出 た 山 懸 を,小 樽 で応 援 した の だ っ た。 多 喜 二 は 銀 行 へ 出 て い た。 帰 る と,早 速 出か け て 行 っ て,ビ ラや ポ ス ター や 会 計 の 事 務 を手 伝 っ た 。そ の選 挙 事 務 所 か ら家 まで は一 里 以 上 もあ っ た の で,帰 る と毎 日, 二 時,三 時 だ っ た 。 多 喜 二 は,市 内 で は 演 説 が 出 来 なか っ た の で,病 気 だ とか 親 類 の 忌 中 だ と か 言 って,地 方 へ 行 っ て,山 懸 と一 緒 に演 説 した 。 応 援 演 説 隊 に 加 わ り,倶 知 安 の 応 援 で,友 人 ・嶋 田 に 語 っ た 。 「演 説 を や っ て,政 治 は台 所 と直 結 して い る とい うふ う に話 して 行 っ たが,し ま い に 堂 々め ぐ りに な っ て 話 が す す ま ない の で 野 次 られ て しま っ た 」。
多 喜 二 は,蝦 夷 富 士 の 裾 野 を,雪 に埋 っ た鉄 道 を伝 っ て 四 里 も歩 い て 行 っ た 時 の 印 象 は,恐 ら く一 生 の 問 忘 れ る こ と は 出 来 な い だ ろ う,28)と 書 く。 多 喜 二 は,こ の 経 験 を,小 説 「東 倶 知 安 行 」 に し,9月5日 に 完 成 した 。 そ の 小 説 で,「 こ の 一 篇 を 『北 海 道 血 戦 記 』 の 筆 者 に捧 げ る」 と書 い た 。 つ ま り山 懸 に で あ る。
27)「 北 海 道 血 戦 記 」(『山 本 懸 蔵 集 』 新 日本 出 版 血 戦 記 」 は,『 改 造 』1928年4月 号 に 出 た 。 28)『 小 林 多 喜 二 全 集 』 第5巻,162‑3ペ ー ジ 。 29)『 伊 藤i整全 集 』 第23巻,265ペ ー ジ 。
1986年)97‑101ペ ー ジ 。 「北 海 道
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伊 藤 整 も 「一 度 そ の 演 説 を 聞 い た が,山 本 懸 蔵 は演 説 が 下 手 で あ っ た 。」29) と い う。 多 喜 二 は他 方,「 山 懸 の 演 説 を き く と,労 働 者 は キ ッ ト山 懸 と一 緒 に 死 ぬ こ とな ら何 で もな い と考 え て しま う。 山 懸 は そ うい う不 思 議 な魅 力 を も っ て い る。」30)と,正 反 対 の こ と を述 べ て い る。
山懸 は,「 候 補 者 」 とい う特 権 を 利 用 して,各 演 説 会 毎 に 「も の凄 い 」 こ と ば か り し ゃべ っ て い た 。 そ れ で と う と う札 幌 で 中止 を食 らっ て し ま っ た 。 山懸 は 臨 監 に カ ッ と 開 き直 り,「 候 補 者 だ ぞ1貴 様 は 選 挙 妨 害 に な っ て も い い の か?」 と出 た 。 ダ ジ タ ジ と な り,そ れ で も起 き直 っ た 臨 監 は,「 検 束 」 だ と叫 ん だ 。警 官 が 山懸 を と り巻 い て しま っ た 。山懸 はハ タ と に らみ つ け る と,
「サ,こ の俺 に指 一 本 つ け れ る もの はつ け て み ろ1」 とや っ た 。 そ して歩 き 出 した 。 グ イ と皆 が 抑 え られ て し ま っ た。 そ の 中 を,山 懸 は悠 々 と引 き上 げ て し ま った 。
普 選 演 説 会 は,小 樽 で は,稲 穂 小,手 宮 小,入 船 妙 国 寺 で や っ た 。
多 喜 二 は書 く。 開票 当 日 の選 挙 事 務 所 は 一 種 凄 惨 な気 分 が しめ て い た 。 刻 々 と伝 令 さ れ る 不 利 な情 報 は,連 日闘 争 して きた 同志 の 顔 を悲 痛 に ゆ が め た 。 誰 も一 言 も云 わ な い 。 多 喜 二 もい た 。 だ が 居 た ま らな か った 。
突 然,山 懸 が 立 ち 上 が っ た。 「デ モ だ!労 働 者 に 一 杯 飲 ま せ ろ1 デ モ だ 。 小 樽 の 街 に も赤 い 風 の 一 度 位 は 吹 か せ ろ!」31)
北 海 道1区 で,有 権 者 は106740人,無 産 有 権 者 は,そ の84%,無 産 政 党 の 党 員 数 は,労 働 農 民 党824人,社 会 民 衆 党 員477人,日 本 農 民 党 員25人,計1326人
で あ っ た。大 衆 団 体 員 は,評 議 会2742人,日 農2922人,社 会 民 衆 党 支 持 団体1349 人,全 日農234人,計7410人 。党 員,団 体 員,合 計 で,全 有 権 者 の1.9%で あ る 。32)
1928年2月20日 の 衆 議 院 選 挙 結 果(第1回 普 通 選 挙)を,『 小 樽 新 聞』1928・
2・20‑25よ り(琴 坂 氏 作 成)示 す 。
30)『 小 林 多 喜 二 全 集 』 第5巻,163ペ ー ジ 。 31)同,164‑5ペ ー ジ 。
32)下 里 正 樹 『日 本 の 暗 黒 第1部 』 新 日 本 出 版1990年,217ペ ー ジ 。
北 海 道1区(小 樽 市 ・札 幌 市 ・石 狩 ・後 志 〉 有 効 投 票 総 数
1当 中西 六 三 郎 2当 山本 厚 三
3当 森 正 則
4当 岡 田伊 太 郎 5次 沢 田 利 吉 6一 柳 仲 次 郎
7丸 山 浪 弥
8高 島 晴 雄
9山 本 懸 蔵
10納 谷 新 蔵 11久 保 久 治
82920 1750121.2%
1239514.9%
1239314.9%
989811.9%
978211.8%
i繕
1;ii鰯丁 襯幕
1186994石 狩 ・後 志707
小 樽 市 内 投 票 所 ・投 票 区
第1区 潮 見 台 小 有 権 者
若 竹 ・真 栄 ・新 地 ・開 運 ・勝 納 ・4538 新 富 ・高 砂 ・奥 沢 ・潮 見 台 ・信 香 ・若 松 第2区 量 徳 小
量 徳 ・住 之 江 ・住 初 ・山 ノ 上 ・有 幌 ・45783753 永 井 ・港 ・相 生 ・山 田 ・東 雲 ・堺 ・入 船 ・ 松 ケ 枝 ・仲 ノ 町 ・羽 衣 ・京 ・弁 天 ・柳 第3区 小 樽 市 役 所 小54604554
富 岡 ・花 園 ・小 樽 公 園 ・緑 ・最 上 第4区 色 内 小53704520
色 内 ・稲 穂 ・北 浜 ・南 浜 ・砂 留 第5区 手 宮 西 小51864231
有 効投 票 数 山 本 得 票 率 37922025.3%
982.6%
121
216
551
2.7%
4.8%
13.0%
ヱ0 商 学 討 究 第49巻 第1号 厩 ・錦 ・清 水 ・坂 本 ・手 宮 ・手 宮 公 園
梅 ケ枝 ・豊 川 ・長 橋 ・幸 ・末 広 ・源 ・ 石 山 ・松 山
計251322107111865.6%
要 す る に,小 樽 で は惨 敗 で あ っ た。 山 本 の 選 挙 演 説 会 場 は い つ も一 杯 で あ っ た の で,こ の票 数 は 不 思 議 で あ るが,琴 坂 氏 に よ れ ば,同 じ人 々 が 何 度 も聞 き に参 加 した 。 ま た 無 産 政 党 に 対 して は選 挙 妨 害 が 非 常 に ひ どか っ た 。 無 産 候 補 を支 持 した 人 々 に は 若 い 人 が 多 か っ たが,25才 以 下 の 者 に は選 挙 権 が 与 え られ て い な か っ た の は,前 述 の通 りで あ る。 藤 森 成 吉 は,若 い 人 が 選 挙 権 を持 っ て い た ら,自 分 は 当選 した の で は な い か,と 語 っ て い る ほ どで あ る。1928年2月 の 第1回 普 選 で,労 働 者 側 の 当 選 者 は,労 農 党 で 山本 宣 治,水 谷 長 三 郎,社 会 党 で 安 部,鈴 木,西 尾,亀 井,日 労 党 で 河 上(丈),九 州 民 憲 党 で 浅 原,で あ っ た 。 無 産 政 党 か ら8名 が 当 選 した こ と に,政 府 は び っ く りした 。
北 海 道1区,山 本 は,2887,四 区,木 田 は,4319,荒 岡 が2052,加 藤 が2482, 日農 党 の 堀 井 が1614,管 が3986,で あ っ た。
そ して 一 方 で,小 樽 市 会 議 員 選 挙 は,成 功 した 。 立 候 補36人 中,境 一 雄 が ト ップ 当 選 を した の で あ る 。
普選 第1回 市会 議員選挙
有 権 者 有 効 投 票 数 境 得 票 率 21099171996814.0%
選 挙 の 結 果,全 国 で は,無 産 政 党 か ら8名 の代 議 士 が 国会 へ 送 られ,得 票 は 49万2221票(全 投 票 数 の5%)で あ っ た。 日本 全 体 の 党 派 別 得 票 は,無 産 政 党 で は,労 農 党19万3028,社 会 民 衆 党12万8756,日 本 労 農 党8万6975,日 本 農 民 党4万6180,地 方 の無 産 党3万7282,で あ っ た。北 海 道 で 労 農 党 の 得 票 は,11742 票 だ っ た 。
選 挙 の 結 果,労 農 党 の 支 部 は2百 余,党 員 も2万 人 とな っ た 。 共 産 党 も150・
160人 程 度 で あ っ た が,1月 に400人,2月 に500人 程 度 に増 大 し た と,警 保 局
は 見 た 。
さ て,候 補 者 山 本 懸 蔵 は,ど う な っ た か 。 次 に 述 べ る1928年 の 三 ・一 五 事 件 で,彼 は 首 尾 よ く弾 圧 を か わ し て,同 年,ソ 連 へ 脱 出 し た 。 そ の 後,日 本 に 帰 国 し な か っ た 。 彼 は プ ロ フ ィ ン テ ル ン で 仕 事 を し た 。 し か し1937年11月2日 に ソ 連 で 逮 捕 さ れ,1939年3月10日 に 銃 殺 さ れ た33)。 も ち ろ ん 無 実 で あ る 。 野 坂 参 三34)の 密 告 に よ る も の と さ れ る 。
2三 ・一 五 の 準 備
総 選 挙 で 左 翼 勢 力 が 進 出 した。 田 中 政 府 は,共 産 党 を 中 心 とす る左 翼 勢 力 へ 大 弾 圧 を加 え る こ と に な っ た 。 田 中 内 閣 は,中 国 侵 略 の拡 大 の た め に 共 産 党 を 弾 圧 しな けれ ば な ら な か っ た 。 日本 共 産 党 は,1922年 に結 党 され たが,翌 年 第 1次 検 挙 が あ り,か な り壊 滅 し た。 そ の後1924年2月 に は 解 党 した 。 そ こで, 解 党 した と ば か り思 っ て い た 日本 共 産 党 が1926年12月 に 山 形 県 五 色 温 泉 で の 第
3回 党 大 会 で 再 建 さ れ た こ と を知 っ た 警 察 は,び っ く り し た。 警 視 庁 特 高 課 特 別 高 等 警 察 。 大 逆 事 件 の 翌 年,明 治44年(1911年)に,初 め て …警視 庁 に特 高 が で き た が,そ れ を知 っ た の は,半 年 以 上 後,翌1927年 の8月 中 旬 だ っ た 。 ス パ イ加 藤 希 一 か らの 通 報 で 知 っ て,捜 査 が 始 まっ た 。 当 時特 高 課 長 は纐 纈 弥 三(1893生 ま れ)で あ り,労 働 係 長 は 浦 川 で あ っ た 。 通 報 は,特 高 課 労 働 係 次 席 ・毛 利 基 警 部35)へ の 電 話 だ っ た 。
毛 利 は,急 ぎ山形 県 五 色 温 泉 に行 き,調 査 を始 め た 。 共 産 党 幹 部 の 特 定 の た め で あ り,宿 屋 の 女 中 らに 尋 問 を した36)。 再 建 大 会 参 加 者 の 何 人 か は 分 か っ た が,幹 部 の 所 在 が 知 れ ず,警 視 庁 は 焦燥 した。 総 選 挙 に で た徳 田 球 一 を 選 挙
33)小 林 ・加 藤 『闇 の 男 』 文 芸 春 秋 。
34)野 坂,1892年 生 ま れ 。 友 愛 会 に 入 る 。 イ ギ リス 共 産 党 に入 る。 三 ・一 五 事 件 で 検 挙 ・投 獄 。1931年,共 産 党 中 央 委 員 。 コ ミ ンテ ル ン 日本 代 表 と し て ソ連 へ 。 自伝
『風 雪 の あ ゆ み 』 全8巻 。 し か し前 出 『闇 の 男 』 で,彼 の 裏 面 が 描 か れ た 。 35)も う り ・も と い,1932年 に 特 高 課 長 。
36)下 里 正 樹 『日本 の 暗 黒 第1部 』 新 日本 出 版1990年,第2章 。
12 商 学 討 究 第49巻 第1号
直 後,逮 捕 した が,最 高 幹 部 の所 在 は分 か らず,そ の ま ま三 ・一 五 の 一 斉 検 挙 が 断 行 さ れ た 。
1927年 末 か ら28年2月 にか け て,特 高 警 察 は,地 下 の 共 産 党 に注 目 して い た 。 共 産 党 は,関 東 大 震 災 後,解 党 した が,五 色 温 泉 で の 第3回 党 大 会 で,再 建 さ れ た 。 選 挙 闘 争 で,地 下 の 共 産 党 は,署 名 入 りの ビ ラ な ど を ま い て,大 衆 に 公 然 と 「天 皇 制 打 倒 」 の 革 命 的 闘争 を呼 びか け た 。 こ の大 胆 な 活 動 は,戦 闘 的労 働 者,農 民,知 識 人 を奮 起 させ た が,支 配 階級 は,じ っ と攻 撃 の機 会 を ね らっ て い た37)。 共 産 党 は 選 挙 を 政 治 宣 伝 の場 と し,当 選=議 会 進 出 を 狙 っ て い た の で は なか っ た 。
北 海 道 共 産 党 は,総 選 挙 直 後,第2回 各 地 代 表 者 会 議 を 開 い て,「活 動 テ ー ゼ 」 を採 択 し,機 関 紙 の 名 を 「北 海 労 働 者 」 と改 め た 。 選 挙 戦 の な か で 各 地 で 細 胞 が 出 来 始 め た。
1928年3月 初 め,内 務 省 警 保 局,司 法 省 検 事 局,警 視 庁 特 高 課 の 三 者 協 議 で, 共 産 党 の 全 国一 斉 検 挙 で 行 こ う と い う こ と に な っ た 。2月20日 に終 了 した 選 挙 違 反 の取 締 り とい う装 い で,大 検 挙 を 準 備 した。 内 務 省 警 保 局 を 中心 に,全 国 道 府 県 特 高 部 に,ひ そ か に,日 本 共 産 党 員 の そ の 支 持 者 の,逮 捕 リス ト作 成 が 指 示 さ れ た 。 捜 査 当 局 が 握 っ て い て い た 情 報 は,漠 然 と した 報 告 や 聞 込 み にす ぎ な く,見 込 み 捜 査,捜 査 の た め の 捜 査 の 面 が 強 か っ た と38)言 わ れ る。 しか しそ れ だ けで は な か っ た。 選 挙 闘 争 に う っ て 出 た 共 産 党 は,ビ ラ戦 術 で,そ の 姿 を公 然 とあ らわ した の で,文 書 を た ん ね ん に集 め た 警 保 局 は,同 党 各 地 組 織 の 所 在 を分析 した 。 警 察 は 当 時 は ま だ ス パ イ を多 く利 用 して い な か っ た 。 ス パ イ とい う言 葉 も,主 に警 察 官 の こ とで あ った 。 運 動 家 た ち の 側 で は,か れ らを 尾 行 した り内 偵 す る 制 服 ・私 服 の 担 当 官 を指 した。 そ の 後,ス パ イ の意 味 は俄 然 変 わ っ て くる。
警 視 庁 は一 斉 検 挙 を秘 密 裡 に運 ん だ 。一 斉 検 挙 は 念 入 りで,秘 密 に練 られ た 。 3月15日 が 選 ば れ た の も,選 挙 違 反 取 締 りに便 乗 で きる か らで あ っ た 。 一 斉 弾 37)塩 田 庄 兵 衛 『日本 労 働 運 動 の 歴 史』 労 働 旬 報 社1965年,99ペ ー ジ 。
38)荻 野 富 士 夫 『特 高 警 察 体 制 史s増 補 版,213ペ ー ジ。
圧 に あ た っ て,班 を作 り,班 長 だ け に は 共 産 党 弾 圧 を 知 らせ て も よい が,班 員 に は知 らせ な い,と い う も の で あ っ た。 第1次 共 産 党 事 件 の失 敗 に こ りた し, 新 聞 記 者 に か ぎつ け られ て は い け な い の だ った 。
3月15日 午 前5時 を期 して,警 察 は,全 国1道3府27県 の,労 働 農 民 党,全 日本 無 産 青 年 同 盟,日 本 労 働 組 合 評 議 会,日 本 農 民 組 合 な ど,本 部,支 部 な ど 百 数 十 カ所 の 家 宅 捜査 をお こ な い,日 本 共 産 党 員 とそ の 支 持 者1600余 人 を検 挙 した 。 こ こ に 党 員 が い るだ ろ う とい う,大 ざ っ ぱ な,や りか た で あ っ た 。 そ れ まで特 高 課 で 調 べ た 党 員 名 は70人 余 だ っ た 。
各 地 の 警 察 は,共 産 党 と は何 か,治 安 維 持 法 を どの よ う に使 うの か も,よ く 分 か ら な か っ た 。 逮 捕 者 を拷 問 に か け て,党 員 と組 織 を 自 白 させ た 。 これ は 法 的 に 野 蛮 な こ とだ っ た 。 治 安 維 持 法 にふ れ た 人 物 を特 定 せ ず,捜 査 令 状 もな し に,捕 ま え た の で あ る 。 そ れ に 証 拠 もな か っ た 。 ま た9割 ま で が検 挙 す る必 要 の な い 人 た ち で あ っ た 。 治 安 維 持 法,こ れ は 「国体 の 変 革 と私 有 財 産 制 度 の 否 認 を 目的 とす る 結 社 」 の 運 動 を,犯 罪 行 為 と し て取 り締 ま る た め に,大 正14年 4月 に制 定 され た もの で あ っ た 。
3小 樽 の 三 ・一 五 事件 で 逮捕 され た人 々
小 樽 の 三 ・一 五 事 件 で 捕 ま っ た 人,そ し て 起 訴 さ れ た18名 の 人 々 は,こ れ ら で あ る 。39)次 の 順 に 記 す 。1,氏 名,2,本 籍 ・身 分,3,住 所 ・そ の 時 の 職 業, 4,生 年 月 日,5,所 属 団 体 ・地 位,6,学 歴,7,引 致 月 日,8,送 致 月 日,9, 拘 留 月 日,10,起 訴 月 日,11,釈 放 月 日,12,死 亡 年,13,そ の 後,そ の 他, 14当 時 警 察 で の 規 定 。
渡 辺 利 右 衛 門,
本 籍 ・小 樽 市 石 山 町6番 地,渡 辺 重 四 郎 の 長 男 。 住 所 ・豊 川 町15,無 職,1903 年(明 治36年)2・19小 樽 生 ま れ,小 樽 合 同 労 組 組 織 部 長,中 央 大 学 法 科2
39)堅 田 精 司 『北 海 道 社 会 運 動 家 名 簿 仮 目録 』1973年5月 発 行,お よ び,昭 和3年4 月30日 調 べ の 『北 海 道 に 於 け る 日 本 共 産 党 事 件 顛 末 』北 海 道 庁 特 別 高 等 課,に よ る 。
14 商 学 討 究 第49巻 第1号
年 修 業 。 引 致,3・16,送 致,4・5,勾 留,4・5,起 訴4・14。 北 海 道 地 方 評 議 会 組 織 部 長 。労 農 党 小 樽 支 部 員 。東 京 で 亡 く な っ た 。特 要 甲 号 共 産 主 義 。
本 田 要 吉
本 籍 ・小 樽 市 奥 沢 町2の13,戸 主 ・本 田 モ ツ の 次 男 。 住 所 奥 沢 町2の13, 無 職 。 明 治39年(1906年)生 ま れ,全 日 本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 組 織 部 長,高
小 卒,引 致3・24,送 致3・24,勾 留3・24,起 訴3・24,小 樽 ・特
要 甲 号 共 産 主 義 。 秋 山 安 治
本 籍 ・山 形 県(飽 海 郡 〉酒 田 町 下 内 匠 町3,戸 主 ・兼 吉 の 三 男,住 所 ・小 樽 ・ 石 山 町66,村 上 フ キ 方,職 工 。 明 治43年(1910年)生 ま れ,全 日 本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 常 任 委 員,尋 小 卒,新 聞 発 表 名 は 春 川 泰 三 か 。 引 致3・17,送 致
3・17,勾 留3・17,起 訴3・17。1930年 死 。 特 要 甲 号 共 産 主 義 。 高 橋 英 力
本 籍 ・小 樽 ・富 岡 町1の51,戸 主 。住 所,本 籍 に 同 じ。 日雇 い 。明 治23年(1894 年)生 ま れ,小 樽 合 同 労 組 会 計 係 。 尋 小 卒 。 引 致3・15,送i致3・15,勾 留
3・15,起 訴3・15,特 要 甲 号 共 産 主 義 。 菊 池 米 吉
本 籍 ・秋 田 県 南 秋 田 郡 馬 川 村 字xx173,戸 主 。 住 所,小 樽 市 稲 穂 町 東2丁 目18番 地 。 日 雇 い 。 明 治25年 生 ま れ,小 樽 合 同 労 組 執 行 委 員,尋 小 卒 。 引 致
3・17,送 致3・17,勾 留3・17,起 訴3・17。 秋 田 で 死 。 特 要 甲 号 共 産 主 義,1927年6月 に 労 農 党 小 樽 支 部 委 員 。
鮒 田 勝 治
本 籍 ・高 島 郡 高 島 町12,戸 主 宅 二 郎 二 男 。 住 所 小 樽 市 稲 穂 町 西4の6。
小 樽 合 同 労 働 組 合,無 職,明 治37年(1904年)生 ま れ,労 農 党 小 樽 支 部 書 記,
小 樽 商 業 卒,引 致3・20,送i致4・9,勾 留4・9,起 訴4・9,特 要
甲 号 共 産 主 義 。 佐 藤 富 雄
本 籍 ・秋 田 県 由 利 郡 今 浦 町,小 樽 合 同 労 組,無 職,明 治41年(1908年)5・
25生 まれ,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 執 行 委 員 長,中 学2年 修,引 致3・
15,送 致4・9,勾 留4・9,起 訴4・14,特 要 甲号 共 産 主 義 。 の ち 樺 太 で造 材 場 勤 務 。
近 藤 隆 策
本 籍 ・新 潟 県 佐 渡 郡 相 川 町 字 六 間 町59,戸 主 ・斎 藤 三 男,住 所 小 樽 市 新 富 町33小 川 万 助 方,職 工,明 治38年(1905年)7・20生 ま れ,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 執 行 委 員,高 小 卒,引 致3・15,送 致3・15,勾 留3・15, 起 訴3・15,特 要 甲号 共 産 主 義 。
近 藤 栄 作
本 籍 ・小 樽 市 稲 穂 町 西3の26,戸 主 ・林 作 養 子,住 所,本 籍 に 同 じ。無 職, 明 治36年(1903年)2月10日 生 まれ,小 樽 合 同労 組 常 任 委 員,高 小 卒,起 訴3・
21,特 要 甲号 共 産 主 義 。 の ち樺 太 で 労 働 運 動 を指 導 。 釧 路 で も活 動 。 成 田 泰 三
1910年 生 ま れ,小 樽,特 要 乙 号 共 産 主 義,職 工,全 日本 無 産 者 青 年 同盟 。3・
15に 連 座 。 河 内 富 雄
1912年 生 ま れ,岩 内,特 要 乙号 共 産 主 義,全 日本 無 産 青 年 同盟 員,3・15に 連 座,(新 聞 発 表 名 山外 栄 吉 か)
本 間 喜 一 郎
1909生 ま れ,新 潟,特 要 乙号 共 産 主 義,全 日本 無 産 者 青 年 同盟 員,電 報 配 達 手,3・15に 連 座 。
阿 部 茂 太 郎
1906生 ま れ,岩 手,日 雇 い,全 日本 無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 常 任 委 員,3・15 事 件 に 連 座 。
音 羽 正 雄
1908年 う ま れ,富 山,特 要 乙号 共 産 主 義,職 工,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 。3・15に 連 座 。
境 一 雄
16商 学 討 究 第49巻 第1号
1900年 う まれ,小 樽,特 要 甲 号 共 産 主 義,労 農 党 北 海 道 支 部 連 合 会 会 員,3・
15に 連 座 。 そ の 後,労 農 党 系 北 海 民 衆 新 聞 の社 長 。 宮 下 要 吉
1909年 う まれ,小 樽 特 要 甲号 共 産 主 義,全 日本 無 産 者 青 年 同 盟 小 樽 支 部 常 任 委 員,3・15に 連 座 。
正 木 清
1900‑1961,福 島,特 要 甲 号 共 産 主 義,小 樽 合 同 労 組 政 治 部 長,3・15に 連 座 。 労 農 党 員,そ の 後,札 幌 市 議 ・道 議 ・衆 議 院 議 員 。
油 谷 外 茂 吉
1899生 まれ,小 樽 特 要 乙 号 共 産 主 義,日 雇,小 樽 合 同労 組 員,3・15に 連 座 。
以 上 起 訴 。
小 樽 の 検 束 者 は,起 訴 さ れ た 者 以 外,88名 だ っ た,以 下 不 起 訴 。(生 まれ, 出 身,職 業,所 属 な どの 順 で 記 す)
石 岡 沢 太 郎1903‑,青 森 。 日 雇 。 小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 遠 田 栄 一 郎1899‑一,小 樽,職 工,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 佐 藤 勘 之 助1898‑,秋 田,特 要 乙 号 共 産 主 義,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・
15に 連 座 。
佐 藤 重 五 郎1897‑,秋 田,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 佐 藤 勝1911‑,宮 城,職 工,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 。3・15に
連 座
渋 谷 常 起1911‑,磯 谷,全 日 本 無 産 青 年 同 盟 員 。3・15に 連 座 。
武 内 清(1902‑47,函 館 出 身,特 要 甲 号 共 産 主 義,労 農 党 小 樽 支 部 執 行 委 員,3・15に 連 座,非 転 向 で 獄 中 生 活 。 戦 後,北 海 道 の 組 織 再 建 。)は,
40)『 武 内 清 の 思 い 出 』
3月15日 に は捕 ま らな か っ た 。函 館 に行 って い た か らで あ る。そ の 時,三 ・ 一 五 が起 き
,す ぐ さ ま抗 議 行 動 を組 織 し,札 幌 で 活 動 した 。だ が4月7日, 札 幌 で捕 ま っ た 。40)
榊 谷 静 一1909‑,石 川,船 人 夫,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 。3・15 に連 座 。
笹 谷 源 次 郎1904‑,秋 田,職 工,全 日本 無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 員 。3・15に 連 座 。
島 田 初 吉1907‑,石 川,職 工,全 日本 無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 員 。3・15に 連 座 。
藤 田 盛1896年 生 まれ,職 工,寿 都,小 樽 合 同労 組 員,3・15に 連 座 。 渡 辺 克 三1903‑,小 樽,特 要 甲号 共 産 主 義,職 工,全 日本 無 産 者 青 年 同盟
小 樽 支 部 員,3・15に 連 座 。 小 川 万 助
兵 藤 徹 二1908‑,小 樽,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 。 鈴 木 源 重1891年 生 まれ,1971年 死 。 山形 生 まれ 。 夕 張 鉱 山 で労 働 運 動 。 小
樽 合 同労 組 執 行 委 員 長 。3・15事 件 に連 座 。 戦 後,道 議 会 で 活 躍 。 若 林 善 松1899‑,小 樽,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 。 佐 藤 胤 勝
石 川 信 一1910‑,旭 川 生 まれ,職 工,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員,3・
15事 件 に 連 座 。
射 号 津 留 吉1908‑,忍 路 生 ま れ,日 雇 い,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員, 3・15に 連 座,特 要 甲 号 共 産 主 義 。
遠 藤 秀 三1882‑,小 樽 生 ま れ,日 雇 い,小 樽 合 同労 組 員,3・15事 件 に連 座(遠 藤 秀 一 か)。
池 田勘 次 郎1897‑,小 樽 生 ま れ,機i関 運 転 手,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 特 要 甲号 共 産 主 義 。
星 野 熊 蔵1904‑,小 樽 特 要 乙 号 共 産 主 義 日雇 小 樽 合 同 労 組 員3・15に 連 座 。 田沢 正 二1894‑,小 樽,特 要 甲 号 共 産 主 義,日 雇,小 樽 合 同労 組 員 。3・
ヱ8・ 商 学 討 究 第49巻 第1号
15に 連 座 。
中 村 保 治1903‑,小 樽 出 身,特 要 乙 号 共 産 主 義,職 工,小 樽 合 同 労 組 員, 3・15に 連 座 。
菊 池 六 郎1897‑,寿 都,特 要 乙 号 共 産 主 義,は し け 夫,小 樽 合 同 労 組 員 。 3・15に 連 座 。
粕 谷 仙 一 郎 ま た は 粕 ケ 谷 仙 一 郎1903‑,秋 田,特 要 乙 号 共 産 主 義,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。
伊 藤 信 二1907‑1932,小 樽 生 ま れ,全 日 本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 長,特 要 乙 号 共 産 主 義3・15事 件 に 連 座,作 家,全 協 活 動 に 従 事 。
石 岡 友 吉1889‑,岩 内 生 ま れ,小 樽 合 同 労 組 員,3・15事 件 に 連 座,は し け 夫,
菅 原 亀 太 郎1895‑,小 樽,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 安 藤 義 衛1909‑,留 萌 生 ま れ,船 員,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員,3・
15に 連 座 。
石 谷 市 造1884‑,小 樽 生 ま れ,日 雇 い,小 樽 合 同 労 組 員,3・15事 件 に 連 座 。
工 藤 勝 次 郎1891‑,小 樽,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 西 尾 慶 三1898‑,函 館,特 要 乙 号 共 産 主 義,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・
15に 連 座 。
細 川 兼 松1900‑,秋 田,貞 次 郎 の 弟,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座,1935年,全 協 活 動 を 理 由 に 検 挙 。
不 河 道,ま た は 下 河 道 久 治1906‑,小 樽,特 要 甲 号 共 産 主 義,全 日 本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 。 情 報 担 当,3・15に 連 座 。
岡 田 仙 二 郎1884‑,小 樽,特 要 乙 号 共 産 主 義,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15 に 連 座 。
渡 辺 倉 治1895‑,小 樽,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 。 牧 野 源 治1902‑,富 山,は し け 夫,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 。 佐 藤
寺 西 博,「 仮 目 録 」 で は,寺 岡 博(寺 西 博 か)1890‑,小 樽,特 要 乙
号 共 産 主 義,日 雇,小 樽,合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 鹿 ノ 目藤 衛1893‑,小 樽,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 松 本 和 三1906‑,静 岡,全 日本 無 産 者 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員,3・15に 連 座,
4・16に 連 座 。
松 本 金 作1906‑,小 樽,特 要 乙 号 共 産 主 義,日 雇,全 日本 無 産 者 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員,3・15に 連 座 。
寺 田 行 雄1906年 小 樽 う ま れ,小 樽 高 商 出,新 聞 記 者,3・15事 件 に 連 座 。 全 協 活 動 。1944死 去,思 想 要 注 意 共 産 主 義 。
橋 本 文 二1897‑,小 樽,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員3・15に 連 座 。 橋 本 隆 三 郎1908‑,秋 田,小 樽 高 商 に 在 学 。3・15に 連 座 。
古 川 友 一1889年 青 森 生 ま れ,小 樽 で 社 会 科 学 研 究 会 を 主 宰,3・15事 件 に 連 座,1928年 当 時 労 農 党 小 樽 支 部 執 行 委 員 。 人 民 戦 線 、派 に な る 。1944年5 月,小 樽 で 獄 死 。
大 西 喜 一1895‑,小 樽,特 要 乙 号 共 産 主 義,労 農 党 北 海 道 支 部 連 合 会 書 記, 3・15に 連 座 。 全 協 組 織 化 に つ と め る 。 新 聞 外 交 で 生 計 。
坂 本 佐 市 郎41),ま た は 坂 本 佐 一 郎 小 樽 労 組 委 員 長,1894‑,小 樽,日 雇, 労 農 党 小 樽 支 部 長,3・15に 連 座,小 樽 総 労 働 組 合 の 中 心 。
本 田 庄 一1910‑,小 樽,3・15に 連 座,要 吉 の 弟 。
内 田 伝 蔵1905‑,福 井 生 ま れ,小 樽 合 同 労 組 員,3・15事 件 に 連 座,特 要 乙 号 共 産 主 義,船 夫 。1928年11月 当 時,特 別 視 察 人 で あ っ た 。
小 川 佐 藤
丸 山 銀 三1896‑,高 島,特 要 乙 号 共 産 主 義,職 工,小 樽 合 同 労 組 員,3・
15に 連 座 。
合 田 正 巳{巳 は 己 か,そ の 中 間 か}1905‑,小 樽,小 樽 高 商 卒,3・15に 連 座 。 遠 藤 金 次 郎1892‑,小 樽 生 ま れ,職 工,小 樽 合 同 労 組 員,全 日 本 無 産 青 年 盟
小 樽 支 部 員 。3・15に 連 座 。
41)彼 は,だ ら しが な い の で 廻 りの 人 た ち は 弱 っ た 。 酒 飲 む た め に 本 を 売 っ て,そ の 中 に ビ ラ そ の 他 が 入 っ て お り,警 察 に 分 か っ て し ま うか らだ っ た 。
20 商 学 討 究 第49巻 第1号
金 垣 英 之 助1896‑,新 潟,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 中 村 宇 三1880?一,小 樽,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 。 笹 谷
石 岡 沢 太 郎1903‑,青 森 生 ま れ,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・15事 件 に 連 座 。 浜 谷
久 保 田 英 吉1902‑,青 森,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。
遠 田 栄 一 郎1899‑,小 樽 生 ま れ,職 工,小 樽 合 同 労 組 員,3・15事 件 に 連 座 。 高 橋 積 軒1900‑,宮 城,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。
中 島 頼 母1892‑,群 馬,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 。 河 村 作 雄1911‑,山 口,郵 便 局 員,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 。3・15
に 連 座 。
鮒 田 利 市1899‑,高 島,呉 服 商,3・15に 連 座 。 畑 三 蔵1910‑,塩 谷,鉄 道 員,3・15に 連 座 。
古 川 奥 治1893‑,青 森,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 。 鎌 谷 一 男1904‑,小 樽,職 工,全 日 本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 。3・15に
連 座 。
大 橋 万 太 郎1908‑,古 平,特 要 乙 号 共 産 主 義,日 雇,全 日本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 。3・15に 連 座 。
立 野 甚 作1900‑,小 樽,特 要 乙 号 共 産 主 義,職 工,全 日 本 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 。3・15に 連 座 。
神 田 倉 八1898‑,新 潟,は し け 夫,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 松 野 芳 夫1911‑,小 樽,職 工,3・15に 連 座 。
安 藤 修 一1904‑,留 萌 生 ま れ,は し け 夫,小 樽 合 同 労 組 員,3・15に 連 座 。 有 田 紋(門)四 郎1892‑,高 島 生 ま れ,日 雇 い,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に
連 座 。 特 要 乙 号 共 産 主 義 。
相 馬 友 次 郎1892‑,山 形,日 雇,小 樽 合 同 労 組 員 。3・15に 連 座 。 こ こ に 載 っ て い る だ け で は な い,つ ま り朝 鮮 人 が 抜 け て い る か ら で あ る 。 こ れ だ け で は88名 に は た り な い 。 こ こ で 「特 要 」 と は,特 別 要 視 察 人 の 略 で,大 逆 事 件 後,社 会 主 義 者 を こ う扱 っ た 。