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宇宙航空研究開発機構特別資料JAXA Special Publication

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宇宙航空研究開発機構特別資料

JAXA Special Publication

第30回宇宙技術および科学の国際シンポジウム(ISTS)兵庫・神戸大会 サイドイベント 人文社会科学系公開シンポジウム

はやぶさ2 探検を支えるスゴ技の秘密

「宇宙開発と技術の伝承」

~技の伝承でチャンスをつかむ~

開催録

2016年3月

宇宙航空研究開発機構

Japan Aerospace Exploration Agency

宇宙航空研究開発機構特別資料JAXA-SP-15-016

(2)

第 30 回宇宙技術および科学の国際シンポジウム(ISTS)兵庫・神戸大会 サイドイベント 人文社会科学系公開シンポジウム

はやぶさ2 探検を支えるスゴ技の秘密

「宇宙開発と技術の伝承」

~技の伝承でチャンスをつかむ~

開催録

平成 27 年7月5日(日)13:00~

於・神戸コンベンションセンター 神戸国際会議場メインホール

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登壇者紹介 ... 1 主催者開会挨拶 ... 3

宇宙航空研究開発機構理事(宇宙科学研究所所長) 常田 佐久

基調講演1「はやぶさ、はやぶさ2、そしてその先へ」 ... 5

宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所教授 國中

基調講演 2「宇宙を支えるバネの技 バネづくりは、人づくり」 ... 17

東海バネ工業株式会社代表取締役 渡辺 良機

対談「探査機を作り上げる技術とその伝承」 ... 31 獨協大学経済学部特任教授ノンフィクション作家 山根 一眞

日本電気株式会社(NEC宇宙システム事業部プロジェクトディレクター 萩野 慎二

パネルディスカッション「ものづくり、技術伝承を通じて見える日本の社会の今」 ... 45 文化人類学者 吹田市立博物館館長 国立民族学博物館・名誉教授 中牧 弘允

文化人類学者 神戸大学大学院 国際文化学研究科教授 岡田 浩樹

閉会挨拶 ... 59 神戸大学大学院国際文化学研究科研究科長 教授 大月 一弘

シンポジウム後記: 宇宙開発と人文・社会科学との接点 ... 61 宇宙航空研究開発機構 人文・社会科学コーディネータ 石崎 恵子

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宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系教授 國中 前はやぶさ2プロジェクトマネージャ

1960年愛知県生。1988年文部省宇宙科学研究所着任、2005 教授。小惑星探査機「はやぶさ」奇跡の 帰還の決め手となるイオンエンジンを開発。幾多のトラブルを切り抜けた運 用は語り草に。「はやぶさ」の後継プロジェクトが立ち上がらない中、技術 の発展継承と人材育成に腐心。はやぶさ2プロジェクトマネージャとしてチ ームを率い、通常の衛星のおよそ半分の驚異的な短期間での開発を実現し打 上げ成功に導く。2015年からJAXA宇宙探査イノベーションハブ長。

東海バネ工業株式会社 代表取締役 渡辺 良機

1945年大阪府生。1973年東海バネ工業株式会社入社、1983年社長就任。

ロケットエンジンのバルブや東京スカイツリーのアンテナなどの極限環 境で使われるバネの数々をどこにも真似できないモノづくりの力で実現。

バネ業界の常識を覆すフルオーダーメイドで1個から製作OKの多品種微 量生産での黒字経営を続けるが、そこにはいくつもの秘策が。職人技を プログラムしたITシステムを導入する傍ら、熟練職人が若手に技術を伝 承する仕組みを整えるなど柔軟で先進的、何より人を大切にする企業家として注目される。

日本電気株式会社(NEC)宇宙システム事業部 プロジェクトディレクター 萩野 慎二

1959年三重県生れ。1985年NEC入社。数々の科学衛星のシステム設計を担 当。1997年に「はやぶさ」のNECプロジェクトマネージャーとして前例の ないミッションを課された探査機の実現に挑む。打上げ後も運用チームを率 いカプセル帰還までのミッションをなしとげた。「はやぶさ2」ではプロジ ェクトマネージャーを後身にゆだね、「はやぶさ」の技術、経験の伝承と若 い世代の活躍の場づくりでプロジェクトを支えた。現在は、複数の科学衛星 や社会で使われる衛星のとりまとめに携わる。

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獨協大学経済学部特任教授 ノンフィクション作家 山根 一眞

1947年東京都生。日本のモノづくりにいち早く注目し、1991年から2007 年まで連載された「メタルカラーの時代」で、そこに携わる人々と仕事 をいきいきと描き、その奥深さを世間に知らしめる。宇宙分野にも造詣 が深く、映画化もされたベストセラー「小惑星探査機はやぶさの大冒険」

や、「小惑星探査機はやぶさ2の大挑戦」は、科学者や技術者の現場をリ アルに描き出している。先端科学技術の他、情報の仕事術、地球環境問 題、生物多様性、災害・防災の分野での取材・執筆とともに、万博などのプロデューサーを務めるな ど多彩な活動で注目される。

文化人類学者 神戸大学大学院 国際文化学研究科教授 岡田 浩樹

1962年岐阜県生。専門は文化人類学。多様な社会と文化を考察し人間の深 い理解をめざす 人類学の知見を活かし、日本、中国、韓国、ベトナムなど でフィールドワークを行う。近年は東日本大震災の復興、日本の多文化化の 問題など、社会の具体的課題に取り組む「公共人類学」のアプローチを進め ている。2012年に日本文化人類学会が設置した課題研究懇談会「宇宙人類 学研究会」の中心メンバー。2014年出版の「宇宙人類学の挑戦」で、グロ ーバル化という現代的状況の延長の上に宇宙開発をとらえ、関連する社会や文化の今日的課題を検討し つつ「現代世界」を乗り越える可能性を探った。

文化人類学者 吹田市立博物館 館長 国立民族学博物館・名誉教授 中牧 弘允

1947年長野県生。1977年国立民族学博物館着任、2012年から吹田市立博物 館長。宗教人類学を専門とする他、経営人類学を分野として確立。会社の記 念行事や宗教儀礼など経営に宗教的要素が動員される様相を明らかにした。

入社式から新入社員研修、社内結婚、そして社葬までをサラリーマンの「通 過儀礼」とした宗教学的視点からの会社文化の人類学的研究も行う。2001 年から新聞のコラムで共同執筆した「会社じんるい学」は、人類学者と経営 学者が現代の会社とサラリーマンの 生態にアプローチしたユニークな内容が好評を博し、書籍化もされ ている。

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主催者開会挨拶

宇宙航空研究開発機構 理事(宇宙科学研究所 所長) 常田 佐久

皆さん、こんにちは。本日は人文社会科学系シンポジウム「宇宙開発と技術の伝承」にご来場いただ きまして、まことにありがとうございます。主催者を代表いたしまして、一言ご挨拶を申し上げます。

宇宙機関がなぜ人文社会科学なのかと不思議に思われる方もいるかもしれません。私どもJAXAで は、宇宙開発を技術や理科系に閉じたものにしない、人文社会科学の学術分野にも開かれたものにする という、世界の宇宙機関を見渡しても余り例のない試みを行っております。この取り組みの重要なパー トナーが、本シンポジウムの開催にもご協力いただいております神戸大学であります。JAXAの宇宙 科学研究所と神戸大学の国際文化学研究科とは2011年から人文社会科学分野に関する協定を結びまして、

宇宙と人文社会科学を結びつけるさまざまな取り組みを行ってまいりました。その神戸大学の地元で、

このようなシンポジウムを本日開催できることになりまして、大変うれしく思っております。

さて、本日のシンポジウムのテーマは「宇宙開発と技術の伝承」であります。今、ちまたではモノづ くりがブームだと言っても過言ではありません。本シンポジウムでも、モノづくりや、それにまつわる 技術、すなわち「技」が大変重要なキーワードとなっております。最近、テレビでも、「モノづくり」と か「スゴ技」とかいったタイトルが目につく番組があまたありまして、大変な注目を浴びているのは、

ここにいる皆さんご存じのことかと思います。

このようなテレビ番組で取り上げられた技術のすごさを強調するときの決まり文句として、こういう のがあります。「あの宇宙開発でも使われているのだ」と。宇宙開発を担う側の我々としては、こうメン ションしていただくのは大変光栄なことであります。しかし、これは逆に言いますと、宇宙開発側がい かに日本のモノづくりに支えられているかということのあかしでもあるというふうに思います。

現在、我が国経済は回復基調にあるとはいえ、日本のモノづくり産業は大きな試練に直面していると 思われます。これは単に経済分野の話ではなく、私たちの社会と文化が向き合っている1つの困難な状 況だと思っております。本日のシンポジウムは、宇宙開発でのモノづくりと、そのキーとなる技術の伝 承という切り口から、現代社会と文化について、人文社会科学の観点から考えてみようというものであ ります。

本日は、登壇者に多彩な方々をゲストとしてお招きいたしております。兵庫県豊岡市の工場で、世界 が驚く高性能バネをつくり出しておられ、私どもの科学衛星、探査機、H2Aロケットでも大変お世話 になっております東海バネ工業株式会社の代表取締役、渡辺良機社長にお越しいただきました。また、

ノンフィクション作家の山根一眞先生には対談をお願いいたします。対談のお相手として、私どもの研

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究開発のパートナーである宇宙メーカー、何社もあるのですが、今回はNECの萩野慎二様にお越しい ただきました。山根先生と萩野様には、はやぶさ、はやぶさ2にまつわる興味深いお話をお聞かせいた だきます。そして、パネルディスカッションには、文化人類学者の中牧弘允先生、岡田浩樹先生にもご 登壇いただきます。文化人類学と宇宙科学、普通に考えると、学問的には到底結びつかない両極にござ いまして、接点がなさそうな関係でありますが、宇宙開発が一般社会から離れた「村」と思えば、文化 人類学のフィールドワークの対象となってしまうのではないかなと思っております。どのようなパネル ディスカッションになるのか、ちょっと心配でありますが、不安を持ちつつ期待したいところでありま す。

技術伝承やモノづくりにかかわる課題は、複雑かつ困難であります。本日のシンポジウムだけで、私 たちの社会が直面する困難な状況を乗り越える明快な答えを必ずしも手にできるとは思いません。しか しながら、何がしかのヒントをこのシンポジウムでつかむことができませば、望外の喜びといたすとこ ろであります。

最後になりますが、このシンポジウムの開催に当たり、多大なご協力をいただきましたISTS組織 委員会、神戸大学、ご後援をいただきました株式会社神戸新聞社の皆様方に、この場をかりてお礼を申 し上げます。

以上をもちまして、開会の挨拶とさせていただきます。ありがとうございます。

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基調講演1「はやぶさ、はやぶさ2、そしてその先へ」

宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所 教授 國中 均

今、ご紹介いただきましたJAXAの國中と申します。本日は「宇宙開発と技術の伝承」というなか なか難しいお題をい

ただいております。

これに絡みますか、

少し心配ですが、こ こまでこの領域で活 動してまいりました 経験に基づいて、私 の思うところを少し 皆様にお伝えできれ ばなと思っておりま す。

私ども、特に私は推進機関の研究を長らくやってきております。JAXAで運用しておりますH2A

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とかH2Bとか、種子島の宇宙センターから打ち上げていくロケットは、皆様、映像資料でごらんいた だいているように、ジェット噴射を排気しながら上昇していく乗り物です。

今、申し上げたようなH2Aロケットというようなタイプのものは「化学ロケット」という言い方を します。この化学ロケットは、燃料を燃焼して、高温高圧ガスをつくって、それをノズルで噴射すると いう方式です。この噴射速度が大体秒速5㎞とか秒速3㎞というようなジェット噴射をつくり出すこと ができます。

ここに少し式が書いてあるのですけれども、もともとは「ロケット方程式」という公式がありまして、

それを少し簡単に書き下したものです。きょうはこれを説明することは省きますけれども、このロケッ ト方程式の言わんとすることはどういうことかといいますと、この高速ジェット、ジェットのスピード が速ければ速いほど燃料が少なくて済みますよということを、この式は言っております。したがって、

化学ロケットがつくり出す秒速3㎞とか秒速5㎞、これも大変速いスピードではあるのですけれども、

どうやってこれを速くしていこうかということに、我々宇宙技術者は血道を上げてきたと言っても言い 過ぎではありません。

ただ、化学ロケットの方式を使う範囲では、秒速5㎞というような速さが上限になります。これより も速いジェットをつくり出すためには「電気ロケット」という方式を使わないと、達成することは原理 的にできません。もしもこの電気ロケットというものがあったならば、秒速30㎞というような速さのジ ェットを容易につくり出すことができます。例えば、秒速3㎞と秒速30㎞を比べますと、ジェットが10 倍速くなっていますから、同じ仕事をするのでよいのであれば、燃料は10分1で済むということをこの 式は述べています。

したがって、先ほど申し上げたH2ロケットは非常に細長い円筒状の格好をしていますけれども、あ れはほとんど全部燃料タンクです。そのロケットのほんの先っぽに小さな人工衛星が載っている。です から、燃料搭載率は多分99%とか、そのぐらいの規模の乗り物です。我々の身の回りで燃料搭載率90%

なんていう乗り物は、実に不健全な乗り物です。例えば、ジェット飛行機でも、多分、燃料は20~30%

しか積んでいないはずです。燃料を運ぶための乗り物ではなくて、貨物・人を運ぶのが乗り物の本当の 役目なわけですから、燃料が多いということは誇れることでは実はないわけです。

私どもは、推進装置、特に「イオンエンジン」というものに注目しまして、これまで研究開発を行っ てまいりました。私どもがイオンエンジンの研究を始めましたのは、80年代後半のことになります。そ れでも今から30年も前のことなんですけれども。といいましても、宇宙技術ということで申し上げます と、やはり日本よりもアメリカが大変進んでいるわけです。アメリカは、我々がイオンエンジンの研究 を始めるよりもさらに30年も前から、1950年代から研究をしております。

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これは彼らの研究している方式のイオンエンジンの断面図です。まず、プラズマをつくる必要がある のですけれども、プラズマをつくるために「直流放電」という技術を使います。陰極と陽極という2つ の対の電極の間に電圧をかけて、ここで放電をさせることによってプラズマをつくります。実は、この 原理原則は我々の家庭の中にたくさんあります。例えば、蛍光灯ですね。直線状のサーク管とか、円弧 になった蛍光灯がありますけれども、あの中で起きている現象とほとんど同じ現象でプラズマというも のをつくっております。

皆さん、蛍光灯を長らく使っていると、両端のところがだんだん黒ずんできて、とうとうつかなくな っちゃうということはご経験があろうかと思いますけれども、これは劣化を中で起こしております。プ ラズマをつくるために1対の電極が必要なんですけれども、一旦プラズマができますと、プラズマとい うのは大変高温の物質なので、その高温の物質がプラズマをつくるために必要な電極にぶつかっていっ て、電極を溶かしていくという「スパッタリング」現象が起きます。その溶けた粉末がガラス管の周り につくものですから、だんだんと黒ずんできて、ついにはつかなくなっちゃうというわけです。これが このタイプのイオンエンジンの寿命を決める1つの要因になってございました。

宇宙では、故障しても、なかなか直しに行けないわけです。我々、地上の製品であれば、壊れたら交 換すればいいという簡単な修理方法があるわけですが、宇宙は残念なことに、一旦打ち上げてしまいま すと、誰かが行って、壊れた部品を交換する、修理するということができません。ですから、いかに長 い寿命を持った機械をつくるかということが重要な事柄になります。

そこで、私ども、おくれて研究を始めたのですけれども、この色を塗った放電電極を使わないでプラ ズマをつくることはできなかろうか。それで使いましたのが「マイクロ波放電式イオンエンジン」とい うものです。この絵の中には、色を塗った部品が全く入ってございませんから、先ほど申し上げたよう な電極の劣化という現象がない。結果として、非常に長寿命で高信頼の機械ができるじゃないかという わけです。そういう意味で言うと、おくれて研究を開始したというのは、ある意味、劣勢なわけですけ れども、別の言い方をすると、そのときに使える最新の技術を投入できる絶好のチャンスであるという ふうに捉えることもできるのではないかと思います。このマイクロ波放電式イオンエンジンを長らく研 究してまいりました。

もう1つは、私のところには大学院プログラムがあります。私のところに来ております学生たちと、

マイクロ波放電式イオンエンジンが持っている技術的な課題を1つずつ取り上げまして、彼らの修士論 文、博士論文として研究を積み重ねていきました。ここに掲げております写真のメンバーが、当時、私 のところの学生であって、彼らとともにイオンエンジンの開発研究を長らくやっておりました。そうし て、ようやくマイクロ波放電式イオンエンジンができたという経緯でございます。

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それをはやぶさの初号機に載せて打ち上げを行いました。これは、はやぶさの初号機です。側面に4 つのイオンエンジンが搭載されておりまして、太陽電池が畳んだ状態です。一番上面には通信用のパラ ボラアンテナを搭載しています。この太陽電池を広げた状態で発生します電気をイオンエンジンに供給 し、2003年に打ち上げて、2年半かけて目的の小惑星イトカワにたどり着いて、表面からサンプルを採 取して、そして再び地球に帰ってきました。この間、いろんな問題がありまして、当初は2007年に地球 帰還の計画でしたけれども、3年ほど延長して、2010年にようやく地球に帰ってこれたというミッショ ンです。

これは現場に行って見てきた小惑星イトカワの精密な画像を組み合わせたムービーになってございま す。そして、2010年にようやく地球に帰ってくることができました。

これは、2010年6月13日に、オーストラリアのウーメラ砂漠に探査機とカプセルが落ちてきたときの 映像でございます。当初の考えでは、地球に接近しますと、カプセルだけを分離して、探査機本体は軌 道を変えて、地球に落ちない軌道に乗りかえる計画だったのですが、トラブルがあったために、そうい ったマヌーバはできませんで、探査機丸ごと大気に落としました。今、非常に明るく光っているのは、

探査機本体です。これは基本、アルミでできておりますので、高速で大気にぶつかることによって、こ のように全部破壊して、全部蒸発してしまったものと思われます。一方、前方に大変安定な飛行を続け る物体がありますが、これが耐熱設計されているカプセルです。これは、発光することによって、減速 をして、パラシュートを開いて、砂漠に着陸しました。それはすぐさま発見することができまして、地

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球に帰ってきた、回収ができたというものです。

もう1つ、別の映像もございます。

(映像上映)

まあこういうことですね。

はやぶさ初号機でできた事柄で、技術的にはどういうことが言えるのかということです。

いろんなお考えはあろうかと思いますが、私の考えるところ、この観測分解能の向上ということが最高 のアチーブメントではないかと思います。

小惑星というのは大変小さな天体です。望遠鏡でのぞきましても、この黒い点でしか見ることができ ません。赤い丸で囲みましたこの黒い点が、目指しておりました小惑星イトカワです。しょせん点でし かないわけですけれども、探査機を送り込むことによって、この点が実はこんな格好をしていたんだと いうことがわかるわけです。さらに、着陸して接近したときには、この表面は岩がごろごろと転がって いる瓦れきの塊であることもわかったわけです。このときの観測分解能は多分1mmというようなリゾリ ューション(映像の分解能)があったのではないかと思います。

実際にサンプルリターンができました。そして、カプセルの中にはたくさんの小惑星起源の砂粒が入 っておりました。これはピンセットでその砂粒を取り上げたときの顕微鏡写真です。赤い丸の中に黒い 点がありますが、これがイトカワからとってきた砂粒というわけです。この2つの写真を比べていただ くと、両者は全く変わらない黒い点にしかすぎないわけですが、片や望遠鏡、片や顕微鏡で撮った写真

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ということになります。

さらに、我々はリアルな物質を手に入れているわけですから、これを地球表面にある非常に精密な機 械にかけて分析することができます。例えば、この関西地区にありますSPring-8であるとか、原子顕微 鏡放射光分析など、非常に精密な分析ができるわけです。分析のアプローチは、とうとう原子や分子の レベルまで、Å(オングストローム)の単位まで到達できたと考えております。通常のやり方では、探 査機に分析するための装置を、わざわざ小さくて消費電力の小さいものをつくり込んで、それを現地に 送り込んで分析するという方法もあるわけですけれども、そうではなくて、実際にマテリアルを現地か らとってきて、地球の上の精密な分析機械にかけるという方法がある。我々は新たにそういった次元に 到達できたということです。

もう1つ申し上げたいことは、きょう地上にある分析装置よりも、あしたできるであろう機械のほう が、もっと精密に違いないわけです。我々は今、リアルな宇宙の物質を手元に置いて、それを保管して、

未来にできるであろうもっと精密な分析器械にそれを供することもできるわけです。つまり、これは未 来の人間に対する贈り物にもなるんだということを申し上げたいと思います。

観測技術の分析分解能ということで言うと、望遠鏡でのぞく範囲は1天文単位、例えば、1011mの分解 能しかなかったものが、今や10-10m、Åまで分析分解能が向上した。つまり、1011から10-10まで、技術が 21桁向上したと言っても言い過ぎではないのではないかと思います。技術革新によって、行けなかった ところに到達できる、それまで見えなかったものが見えるようになるということ、これが技術革新の1 つの事例ではないかというふうに主張したいと思っております。

ただ、イオンエンジンの技術開発ということで言いますと、80年代後半から始めました研究には約7 年間、探査機に搭載するための開発にも約7年間、それから、宇宙往復航海にも約7年間、全部合わせ ますと20年強の時間を要しております。やはり技術研究開発ですので、すぐさま、一朝一夕にはでき上 がりません。10年という規模の時間が必要になるということも同時に申し上げたいと思います。

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ここであえて「PDCA」という言い方をしました。PDCAは「デミングサイクル」というような 言い方をしますけれども、考えて、計画して、つくって、実行して、それをチェックするというサイク ルです。そういったサイクルを何回も繰り返さないと、やはりいい技術には成長していかないと思いま す。

(15)

初回のPDCAサイクルを回していただいたのは、私の上司であります栗木先生だと私は思っており ます。私の研究所は、こういう二重の組織になっておりまして、「研究開発部門」という組織構成と「プ ロジェクト」という組織構成が絡み合った組織です。

私の研究開発という分野におきましては、栗木先生が指導をなされました。一方、はやぶさのプロジ ェクトということで言いますと、上杉先生とか川口先生がご指導されて、このプロジェクトが完成に至 ったわけです。

これは栗木先生からいただいたおはがきです。日にちが2010年6月14日と書いてあります。2010 6月13日は、先ほど映像でごらんにいれたカプセルが地球に帰ってきた日です。その翌日にいただいた お手紙で、ここには、國中君、清水君、山田君、舟木君、西山君、飯田君、堀内君、「はやぶさ」成功お めでとう、大変よかったというふうに、大変喜んでいただいているお手紙をいただきました。

ここに書いてある名前の面々は、栗木先生の卒業生、門下生でありまして、それぞれが各持ち場で、

はやぶさの開発に貢献をしてくれました。この山田君というのは山田哲哉というやつで、カプセルをつ くった人です。西山君というのはイオンエンジンの担当です。それから、堀内君というのは、NECに 勤めて、僕のカウンターパートとしてイオンエンジンの開発をしてくれたスタッフということになりま す。そういう意味では、栗木先生が各機関に人を配して、このプロジェクトがうまくいくように大変腐 心していただいた結果、何とか物事ができ上がったのではないかというふうに私は信じております。

(16)

栗木先生の先生は、谷一郎先生という方です。栗木先生は谷先生を大変信頼されております。この先 生は流体力学の大変な権威でいらっしゃいます。これは大変古い、もう絶版になっている1965年の本で、

『飛行の原理』という本があります。これを何とか手に入れまして、読んでおりましたところ、ページ でいうと171ページですから、ほとんど最後のほうです。

ここに、「非化学推進」「それはともかく、ロケット推進の燃焼を化学反応に依存する限り、比推力の 四〇〇秒という値はもはや限界に近く、これをさらに著しく増加させることは、あまり期待できないよ うに思われる。そうすると、比推力を大幅に増す可能性は、化学反応を利用しないロケット推進、いわ ゆる非化学ロケット推進に求めるほかはないようである」。それから、さらに後ろのほうに、「このよう な原理に基づく非化学推進は、現在では試験または研究の段階にあるものばかりである。化学推進剤を 用いる場合に比べて、はるかに大きな比推力が得られるけれども」云々とありまして、1965年当時はこ ういったレベルの技術であったわけですけれども、ここから40年たって、ようやく実用に供するものが できたんだなという感慨を持ちました。

実は、この谷一郎先生というのは、流体力学の権威であるとともに、航研機という長距離飛行を実証 した日本の飛行機、それから、皆さんご存じかと思いますけれども、この神戸を発祥とします川西航空 機、現在の新明和でつくられた戦闘機である紫電改、ここには層流翼、LB翼(Laminar Boundary翼)

という技術が使われて、大変性能がいい戦闘機として完成したと聞いておりますが、この層流翼の理論 をつくり上げましたのが、谷一郎先生でございます。

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谷一派、栗木先生たちは、谷先生のご指導で、粘性流とか乱流という分野の研究をなさっておりまし た。この粘性流や乱流をあらわす式は電磁流体にも応用できる方程式になってございまして、そこから 派生して、プラズマ電磁加速、そして、宇宙推進というふうに分野が発展してきて、今、私が所属して いる部門まで成長した、そういう経緯で電気ロケットの研究が進んできたということでございます。

実は、東大の科学史の先生、橋本毅彦先生の論文を見つけることができました。「谷一郎(1907-1990) の流体力学研究と層流翼の発明」という論文です。ここにこんな文章がありました。

工学者谷一郎と物理学者友近晋との研究者としての方針と研究上の目的の差異を見てとることができ る。

物理学者は境界層とそこにおける層流と乱流の振る舞いという謎に満ちた自然現象を理論的にも実験 的にも解明していくことに非常にこだわっている。それに対して、工学者谷一郎は自然現象の完全な解 明にはこだわらず、ある程度十分な物理的解明がされたならば、その知見をもとに一気に技術的な開発 へと歩を進めていく。

こういった分析がなされております。私は、これは大変真理を得た分析ではないかと思っております。

また、別の私の受けてきた教育としましては、同じく東大の航空学科の先生で、東昭先生がよくおっ しゃっていたのは、「エンジニアリングセンス」という言葉でした。ここには非常に含蓄のある意味が含 まれているのではないかなと思います。それから、既に亡くなられましたけれども、長友信人先生の最 終講義のときに、こんなことをおっしゃっていました。「再び、エンジニアリングとは人間がモノをつく る行為である。最後に、学問とは真理をめぐる人間関係である」という大変謎に満ちたお言葉を残され ておりまして、全てを私が理解できたとは思っておりませんが、橋本先生の分析、東先生のご発言、そ れから、長友先生のこの文章は、多分ある1つの共通の事柄を言っているのではないかなと私は思って おります。

私は、こういった教育を受けてきた結果ですけれども、どういうことを考えていたかというと、イオ ンエンジンのための理論、技術、証明、それから研究環境を整えること。宇宙実証したら、きっと勝手 に世界は回ってくるだろう、こんなおもしろい技術ができたんだから、もっと使おうじゃないかという 話が出てくると思ったのですが、実は、なかなかそういうことが起きませんでした。PDCAサイクル を1回だけ回しただけではいい技術には到底ならない。ぜひとももう一度つくりたいと思いました。

何をしたかというと、日本の中に閉じこもっていただけでは、圧倒的に船が少ないんですね。ですか ら、海外に進出していって、私たちのイオンエンジンを使いたいと思って、国内の会社、それから海外 の会社に渡りをつけて交渉に行ったことがありますが、ことごとく失敗しました。また、JAXAにか け合って、何とかもう一度つくらせてくれということで、産業化プログラムというようなことで、何と

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か支援をしてもらうことができました。

また、新しくつくるためには、新しい組織が必要です。人々が必要なわけです。そこでまた別の基金 を手に入れて、その費用で招聘研究員を雇用して、新たな技術開発を始めました。それから、栗木先生 がいろんな組織に人を配したように、私も自分の卒業生を何とか日本の宇宙企業に就職させて、私たち のカウンターパートナーになってもらうことに努力して、就職してもらうことができましたし、また、

新たに助手を採用するということができました。

こういった陣容でもって、次のプロジェクト、つまり、はやぶさ2のイオンエンジン開発に挑戦をし てきました。このはやぶさ2に関しましては、私はイオンエンジンの現場ではなくて、プロジェクトマ ネジャーとしてこれに参加することになりまして、ようやく去年12月に打ち上げまでこぎつけることが できました。

今、大変順調に運用されておりまして、ことしの12月に地球のそばをすり抜けて、スイングバイを行 います。日にちはもう決まっておりまして、12月3日です。そして、スイングバイによって遷移軌道に 投入されて、太陽の周りを2周して、小惑星に2018年6月に到着するという計画でございます。着いた 暁には、近傍の観測を行い、サンプリングを、はやぶさ1と同様に行う計画でおります。ターゲットマ ーカーを落としまして、小惑星への着陸、サンプリング、それから、すぐさま上昇する。こういった方 法で、はやぶさ2の近接運用を行いたいと考えております。それで、このかすかなきらめきが、我々が 目指しておりますターゲット、1999JU3という次の小惑星です。

もう1つ申し上げたいことは、最後ですけれども、日本が初めて人工衛星を上げましたのは、「おおす み」、これは1970年のことです。たった24kgの人工衛星を打ち上げたのです。ところが、実はその半年 前、1969年7月に、アメリカはアポロ11というのをやっております。これは、ご存じのように、初めて 人間が月の表面におり立った大事業です。この2つを比べてください。日本は当時、たった24kgの人工 衛星を上げるのが精いっぱいだったのですけれども、その半年前に、アメリカは人を月に送り込んでい るわけです。説明するのも嫌になっちゃうぐらい大きな技術差があったと言わざるを得ません。

そして、2010年、我々は世界で初めて小惑星サンプルリターンという技術を獲得しました。今現在、

はやぶさ2を運用しています。そういう意味では、この小惑星サンプルリターン領域においては、我々 はナンバーワンである、日本は世界の先頭を切っていると言っても差し支えないわけですが、決して他 の国々がそのまま手をこまねいているわけではありません。

いよいよ来年、アメリカはOSIRIS-RExという小惑星探査ミッションを打ち上げます。私たちは追われ る立場になりました。しかし、ちょっと比べていただきたいことがあります。はやぶさは、500 kgで、

総工費200億円でした。はやぶさ2は600kgで総工費300億円でした。次に上がるOSIRIS-RExは2000kg

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で総工費1000億円です。すべからく3倍なんですね。アメリカの規模ですと、こういうふうにやってく るわけです。しかし、別の言い方をすると、アメリカの3分の1で、我々はこういった事業ができるん だということは誇っていいのではないかと思います。

どうしてこんな違いがあるのかというと、やはりロケットの大きさがもともと違うということです。

当時使っておりましたM5ロケット、今使っていますH2Aロケットですけれども、アメリカはデルタ 4とかSLSとか、もう嫌になっちゃうぐらいロケットの大きさは全然違うんです。ですから、アメリ カはアメリカのやり方、日本は小さいロケットでやる方法を考えているわけです。

それから、予算規模もちょっと知っといてください。NASAの年間予算は1兆7000億円、日本のJ AXAの予算は1700億円。10分の1なんです。10分の1でやる方法を私たちはいつも考えているわけ です。それは、小型のロケットと電気ロケットを組み合わせることによって、時間はかかるけれど難し いミッションがやり切れる技術を私たちは持っているということです。

そういう意味でいうと、新しい技術のイノベーションで、現在の不利や劣勢を跳ね返す。これを私は

Game Changing」と言いたいのですけれども、イノベーションでGame Changingをするということ、こ れを私たちは目指していかなければいけないと思っております。

最後になりますが、JAXAは新しい施策を始めました。宇宙探査イノベーションハブというメカニ ズムをつくっております。現在、このハブの責任者を私は務めております。民間企業と協働で、JAX Aの設備や知見を利用していただいて、新しいイノベーションを起こそうじゃないかというプログラム です。ぜひともここの理念をご理解いただいて、皆様と協働したいと思っております。

こういった説明会を今週から始めました。第1回目は今週の木曜日、隣の建物の商工会議所で行いま す。また、関東地区、九州地区でも行いますので、ご興味のある方、これは企業様への説明になります けれど、「宇宙探査オープンイノベーション」という単語で検索していただきますと登録画面が出てまい りますので、ぜひとも奮ってご参加いただきたいと思っております。

最後になりますが、人、技術、学術、教育、組織、事業、行政、全てを総動員して、工夫して、腐心 しなければ、きっと成功しないと思います。目指すべきは、Game Changing」。既成の仕組みの成り立ち を全く変えてしまうような、画期的な、常識を覆す発明・発見・活動、こういう事柄を「Game Changing」

といいます。こういったことを皆様とぜひとも進めていきたいと考えております。

用意させていただいた資料は以上になります。ちょっと長くなりましたが、ご清聴どうもありがとう ございました。

(20)

基調講演 2「宇宙を支えるバネの技 バネづくりは、人づくり」

東海バネ工業株式会社 代表取締役 渡辺 良機

ただいま國 中先生の科学 技術をもとに した宇宙開発、

具体的に、はや ぶさのお話を ついこちらで 聞かせていた だいておりま した。「ああ、

夢と希望のあ るお話やな」と いうふうに聞

かせていただきましたし、はやぶさ及びはやぶさ2にお手伝いできた私どもは、「ああ、いい仕事をさせ ていただいたな」と、改めて思い入ったところでございます。

一転、100名足らずの町工場のおやじが先生と同じ場所に立ちまして、どうも居心地が悪いなと思った りしながらお話を進めておるところでございます。ただ、バネ業界という儲けかす業界の、しかも手づ くりのバネ屋という絶滅危惧業態、こんな町工場でございますけれども、宇宙開発と唯一接点があるの は、夢と希望のあるバネづくりやなというところでございます。

まず、冒頭、私ども、兵庫県の豊岡に工場を持っておりますけれども、東海バネの夢と希望のあるモ ノづくりのありさまを映像で5~6分見ていただきまして、お話を進めていきたいと思います。

(映像の音声)

東海バネ工業は大阪市内で産声を上げ、1944 年、株式会社としてスタートしました。そして今、

東海バネのバネづくりは、国の天然記念物コウノトリと共生する自然環境豊かな地、兵庫県豊岡市 の豊岡神美台工場で行っております。

そこで行われているバネづくりは、巨大なバネづくりが得意な熱間コイルバネ、小さくて特殊な

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バネづくりが得意な冷間コイルバネ、精密で大きな力を発揮する皿バネ、さまざまな姿かたちでバ ネの役目を果たす板バネ、東海バネはどんなバネでもつくります。「できません」とは言いません。

大量生産やりません。私たちのバネづくりは職人の手づくりを主体としたスタイルです。だから、

1個2個は当たり前、生産ロットの平均は、わずか5個。それをお約束どおり、納期厳守率99.5%

以上でお客様にお届けしています。手づくりは東海バネのDNA、バネで困っている方々のお悩み を解決することが私たちの使命です。これは創業当初からの基本理念で、今も脈々と東海バネのD NAとして流れ続けています。そのために、職人による手づくりの姿勢を貫いているのです。

お客様の窓口では、「長年愛用していたライターのバネが折れてしまった」「家の古い郵便受けの バネが壊れてしもうた。気に入ってたのに」「図面もない古い機械の性能アップのために、今より もええバネに入れかえたい」「研究室で新製品開発の試作用に1個だけつくってもらえへんやろか」

こうしたバネの何でも相談を技術サービスが対応しております。また、「10 年前につくってもら ったバネを1個だけ欲しい」といったご要望にも、すぐにお応えできるシステムがあります。もっ と早く、もっと的確に、バネでお困りの方々にお応えするため、お客様のお役に立つためのさまざ まな仕組みを取り入れています。

豊岡神美台工場では、次の時代を担う若者たちと熟練の職人、そして技術者たちが、どんな難し いバネでもつくり上げるために、よりよい解決方法に挑んでいます。

豊岡神美台工場には、若者たちに手づくりの哲学と技能を伝承していくれんがづくりの「啓匠館」

があります。この啓匠館は、東海バネがこれから先も永遠に手づくりを続けていく決意の象徴なの です。ここでは、日常の手技(てわざ)と日本一難しいと自負する社内技能検定の指導が行われて おり、優れた技能を持つ職人を生み出しています。そんな啓匠館は、バネ職人たちの憧れの場所で もあるのです。

工場の技術者たちは、日常の生活環境で使用するバネや、700度近い高温、マイナス200度近い 低温環境でも、しっかりと活躍できるバネの研究、断トツの高品質実現に立ち向かっています。こ うしたたくさんの課題を解決していく中で、真のエキスパートになっていくのです。

一番大切なのは、人。バネづくりに誇りを持ち、バネづくりを楽しむ中で、自分自身の幸せを見 出していきます。これがバネでお困りの方々をお助けする大きな力につながると私たちは考えてい ます。そのために、私たちは、働く人の成長を考えて、常に人を見つめ、励まし、ともに喜びを共 有できる環境づくりを一番大切にしています。

東海バネは、個人の方を初めとして、電力やエネルギー、産業機械や地震対策、人工衛星やロケ ットに代表される航空・宇宙分野など、いろんな方々からご活用いただいております。そんな方々

(22)

のために、これからも「こんなバネ屋さんがあったらええのにな」を追求してまいります。

ありがとうございました。

「東海バネ」と名乗っておるものですから、「名古屋のバネ屋さんか」と、けさほどもいろんな先生方 から聞かれたんですけど、「いや、昭和9年に先代が大阪市内で事業を立ち上げまして、以来、大阪を本 店にしてやっております」と申し上げますと、「じゃ、何で東海バネやねん」とおっしゃいます。創業者 が岐阜県の羽島市の出身だったもんですから、自分で事業を立ち上げるときに、生まれ育った故郷の東 海地方の「東海」を社名に用いた。それ以来、小じゃれた名前にもよう改名せず、「東海バネ」を名乗っ ておるところでございます。

私は2代目です。2代目と申し上げても、先代の息子でも娘婿でもないんですけど、たまたまご縁が ありまして、昭和48年に東海バネにお世話になりまして、今日に至っております。

48年に入社いたしまして、まず驚きましたのは、多品種微量の受注生産の手づくりのバネ屋のビジネ スモデルを進めていく大変さでございました。

ご立派なお客さんに使っていただいているのは確かなんですけれども、いわゆる重厚長大産業、48 当時、既にほとんど成熟産業といったお客様からのご注文で成り立っておりましたので、「成熟産業のお 客様にぶら下がっておったんでは、ちょっとしんどいよね」というふうに思ったものでございます。

もう1つは、「多品種微量手づくり」と申し上げていますように、人件費、固定比率が高くて、循環型 の好況のときはいいけれども、同じく循環型の不況のときには、注文が少なくなると、固定費の重さに 耐えかねてということになる。ちなみに、73期目を終えまして、今、74期目に入っていますけど、昨年 12月末に終えました73期も黒字でございました。73期連続黒字決算、一度も赤字決算ありません。そ んなことを自慢げにお話をさせていただいておりますけれども、私がお世話になりました昭和48年当時 は、赤字になっていないだけ、いわば、損はせぬけれど儲からぬバネ屋、そんなありさまでございまし た。

昭和48年、私、28歳のときに東海バネにお世話になったんですけど、その当時は、今の画像でも見て いただきましたように、手づくりのバネ屋、それこそ、いわゆるこてこての大先輩の職人、そういう方 ばかりでございますので、こんな人を束ねてこのビジネスモデルを進めていくのは、私のような若造で は大変やなと思ったようなことでございまして、これは大変なビジネスモデルの中に飛び込んだなと思 いました。

(23)

バネ業界のバックグラウンド、儲けかす業界みたいな言い方をしましたけど、日本に今、3000社バネ 屋さんがあると言われております。その3000社のバネ屋さんが寄ってたかって、バネという部品を国内 でいかほどつくっているかというのを金額で棒グラフにしております。

ちょっと画面が小さくてなんですけれども、皆さんから向かって左側、1990年、91年はバブル景気の 最後というか、まだバブル景気の時代でございまして、国内生産高4500億円をちょっと超えるぐらいの レベルでございました。ところが、バブルがはじけましたものですから、右肩へずっと10年ほど下がり に下がりまして、2001年あたりがボトムでございました。2500億円をちょっと超えるぐらいというぐら いまで国内生産高が低下いたしました。その後はいざなぎを超えると言われましたけれども、少しずつ 日本の経済が回復をたどりましたものですから、右肩に少しずつ上がっておりますけれども、いよいよ 2008年の後半、秋口にリーマンショックとやらの舶来の不況で、翌年の2009年あたりはガクンとまた減 っておりまして、国内生産高のワースト記録を2009年に記録してしまいました。その後は少しずつ回復 しておりますし、冒頭のご挨拶でもお話しされておりましたように、アベノミクス効果で円安に振れて、

多少回復しつつあるというような状況ではございます。企業間格差は別にして、大体ピーク時の7割か 8割かな、こんなことでございます。

3000社が寄ってたかってつくりますバネという部品はどういう業界がお使いかというのを円グラフに

あらわしております。ブルーで囲っておりますけれども、これは、自動車・家電・弱電・情報通信業界 でございます。日本でつくりますバネの85%はこの4業界でおおむねお使いでございます。ですから、

(24)

我々バネメーカーは、この4業界には足を向けて寝られない、こういうありさまでございます。しかも、

量だけではなくて、バネメーカーに対して大変ありがたい買い方をしていただいております。つまり、

見込みで発注して、まとめて買っていただけます。我々部品メーカーとしては無条件降伏でございます。

3000社のバネメーカーは、この4業界にどうつながるか、こういう業界とどうお取引を願えるか、もし くは、この4業界に準じた形の発注形態のお客様を向いて進んでいらっしゃるというのが日本のバネ業 界の大体の状況でございます。

他方、じゃ、東海バネはどこで食べてんねんということでございますが、黄色い部分の15%、その中 でも、ごくごくさらに絞り込みまして、多品種微量のオーダーメード分野で東海バネは食べていってお ります。私どもの平均受注ロットは5個、1件当たりの平均受注金額は5~6万、年間2万5000件から 3万件、北海道から沖縄まで、「1個でええねん」「3個頼むわ」、そういうお客様ニーズを引っ張り込み まして、お届けしております。

儲けかす業界と申し上げましたゆえんは、例えば、85%をお買い上げの自動車・家電・弱電・情報通 信業界、確かにこの4業界は日本の経済を世界第2位まで引っ張ってくれた成長産業の範疇でございま す。けれども、今も、あるいはこれからも、いつまでも日本の経済を引っ張っていってくださる主役で あり続けられるかというと、さて、どうしたもんかな、どうなるんかなと、皆さん方も頭の中にクエス チョンマークを浮かべられるのではないでしょうか。

つまり、この4業界が主役であった当時は、毎年、需要は広がっていきます。パイは大きくなってい きます。「おお、安うせい言うてはるか。しゃあない、ほな数でいこうや」、こういう単純な戦略と申し 上げましょうか、価格で何とかご要望に応じさえすれば量は確保できる、そんなバネ業界でございまし たけれども、果たして、現状、これから先の世界、グローバルなマーケットを考えましたときに、かつ ての成功戦略が通用するかどうか、パイは毎年ふえていくのかと考えますと、甚だクエスチョンマーク が2つも3つも並んでいく。つまり、かつてはよかったけれども、儲けかす業界かなと思わざるを得な いというような状況でございます。

とはいうものの、バネメーカーからすると、まだありがたい買い方をしていただける業界ですので、

日本のバネメーカーは、何とかここにしがみついて、そのうち回復するであろう経済の恩恵で、また再 び浮かび上がろう、そういうふうな機運でございます。

ところが、昭和48年に私がお世話になりました東海バネという会社は、こういうありがたい買い方を していただけるお客様とは対角にあるようなお客様でございます。成熟産業のお客様が多く、しかも、

見込みで発注してまとめて買っていただけるのとは真逆の、要るとき発注、要るだけ買いでございます。

ですから、私、お客様リストを見せてもらったり、あるいは、お客様をご訪問したりしてお客様の実態

(25)

がわかるにつれて、「これはわがまま放題のお客様や」、こんなふうに思ったものでございます。

そんなことで、「損はせんけど儲からんというバネ屋やな。えらいところへお世話になることになった な」と思ったんですけど、お受けした以上はしようがないということで、以来、40年間、先代が残した 東海バネを、昭和58年の12月に亡くなったんですけど、それを引き継いで以来、何とかこの難しい手 づくりの町工場を消えてなくならさないように、どうしていったもんかということばっかりを考えて今 日まで来たようなことでございます。

では、なぜ、私が社長を引き継いでから30年間、絶滅してしまわなかったか、消えてなくならなかっ たか、この点を少しお話し申し上げたいと思います。

創業者というのはお幸せな人種でございまして、もちろん私から見ましても、創業者である先代社長 は、それこそ命がけで、事業を私が引き継ぐまで引っ張ってこられました。けれども、先代である創業 者からすると、バネが好きであり、あるいは上手であり、したがって、命であったわけです。この手づ くり受注生産でやっていくことに関して、彼自身は根拠のない確信は持っておったと思いますけれども、

科学的にというか、あるいは経営学的な裏づけをベースにして、「これならいけるで」という確信は全く 持ち合わせてなかったと思います。ただ、好きで、上手で、命であった。

大体、事業というのは、ある意味そんなもんかなと思ったりするんです。起業家が根拠のない確信に 基づいて、「これやるで」と、しかもそのことを非常に旺盛に、あるいはエネルギッシュにお持ちになっ て、走りながらやり続けられれば、だんだんだんだんそれが自信になって根づいていくものかなと思い ます。私の目から見て、大変なビジネスモデルを命がけで引っ張ってこられて、随分つらい、しんどい ことだったんだろうなと思いますけれども、ご本人はそれが楽しくてしようがない、そんな日常ではな かったかと思います。

一転、私は、乞われて、極端に言いましたら、落下傘でおりてきたわけです。先代のように、バネが 好きでも、上手でも、命でも当然ありませんから、このビジネスモデルをどうして消えてなくならない ように続けていくのか、こればっかり。一言で結論を申し上げますと、彼らが、生きがい、やりがいを 持って生き生きと仕事をしてくれたら、それでいいんだと。こんなふうなところに行き着いたわけでご ざいます。

ちなみに、昨年1年間で、私どもの神美台の工場に505名きっちり工場見学にいらっしゃいました。

いらっしゃる方は、大企業の方もいらっしゃいますし、大学の先生方もいらっしゃいます。けれども、

大多数は中小零細企業のおやじさんでございます。

どういう心境でいらっしゃるかというと、先ほどの先代を引き合いに出して申し上げましたけれども、

根拠のない不安感を持っていらっしゃいます。「今まではうまいこといったんやけどな。果たしてこれか

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