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ヘ ー ゲ ル ー精神の旅-

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■弘前大学哲学会 ( 公開講演)

ヘ ー ゲ ル ー精神の旅‑

岡 崎 英 輔

この度の私の話は、‑‑ゲルを読んだひ とな ら誰でも知っているだろ うことを私な りに アレンジしただけのものになるかも知れません。気を楽 にお聴きくだ さい。

最近、‑‑ゲルの新 しい翻訳や‑ーゲルについての解説書な どが数多 く出版 され、へ‑

ゲルに親 しむ環境がいっそ う整 って来つつあるようです。 これ に‑‑ゲル‑の共感が加わ れば、一見近づ きにくい‑‑ゲル も私たちに親 しい装いで現れ、深い哲理を語って くれる かも知れませんO ここでは精神の発展 を、学術語な らぬ人生用語で 「 旅」 と表 した‑ーゲ ルの意図 とその思想をたずねてみた く思います。

(1)

‑‑ゲルは

1770

年、シュ トッ トガル トに中級官吏の子 として生まれ、宗教的雰圃気のな かで育ち、 幼少時か ら勉学を積みました。 成績はたい‑ん優秀だったようです。のち、チュー ビンゲン大学附属神学校 に進学 しますが、神職 につ く気ははじめか らなかったようで、む しろ給費生 となって勉学 し学問の世界 に生 きることを目指 していた節があ ります。 これ ら の勉学の期間を通 じて、‑‑ゲルは古典や近代の文学のエ ッセ ンスを読破 しています。そ れ も、丁寧な抜き書きを作 りなが らなのです。 この読書法は、書物の著者つま りは相手の 立場 に立って考えるとい う習性 を‑‑ゲルにもた らし、のち、それが弁証法的思考 と呼ば れるものに発展 した と考 えることもできそ うです。それはともか く、 このように勉学を続 けなが ら‑‑ゲルは当時何を目指 していたので しょうか。

‑ーゲルの青少年期の根本資料や伝記的資料は、私たちに彼のギムナジウム期、それに、

神学校‑入学 してか ら卒業 し、家庭教師を経て大学 にその職を得 るまでの彼の思想の展開 を示 して くれていますが、そ こには彼が当代の宗教 と政治 とに深い関心を懐 き、それぞれ に執粉 ともいえる考察 を加 えているのを見て とることができます。それ ら考察の うちの一 群は、あるべ き宗教 をめざし、そのためのイエス像を模索 している一連のキ リス ト教論で あ り、も う一群は、現実の政治の改革を目指そ うとす る一連の政論です。 もちろん、それ らは別々の問題 として扱われているわ けではな く、密接 に結び合っているはずですが、で は、結び合って何を、 どうしよ うとしているので しょうか。

それを明言 している資料は見あた りませんが、推測することはできそ うです。例えば、

‑‑ゲルはこの時期、さまざまなイエス像を辿 りつつ検証 し、最後 に愛の宣教者 としての イエスに到達 しますが、このイエスに彼はもっとも深い共感を懐 き、 このイエスをみずか らと同ずることができた、ですか ら、へ‑ゲルが このイエスにひ とつの使命を託するとき、

‑ 53‑

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その使命 は、 とりもなお さず、ヘーゲルみずか らの使命 にはかな りますまいoその使命 と は、分裂状態 にある 「 人間をその全体性 において恢復す る」 ( 『キ リス ト教の精神 とその運 命』 )とい うことで した。現在、人間は宗教 においても政治において も分裂状態 にある、こ の状態か ら人間を取 り戻 したい、そのために理想の共同体 を、 「 見え ざる教会」を打 ちた てたい、 これが若 きヘーゲルの意図 した ことだった と思われますOそれ も、本性上理性人 であるヘーゲルの場合、行動 によってではな く、理性 によって実現 されることなので した。

ともか くヘーゲルは、 この理想の共同体‑の道 を歩 んだ と言っていい と思います。 これ をキ リス ト教論のなかで もっとも完成度の高い 上引の 『キ リス ト教の精神 とその運命』で 見てみま しょう。 ここでは、まず、イエスを呼び出す役割を担わ されたユダヤ教の精神 と その悲惨 な運命が語 られ、 さらにこの運命を転ず るべ く登場 したイエスの愛の宗教 とそれ が辿 った歴史的運命が精査 され るのですが、その結果明 らか になったのは、道徳によって も、 さらにはイエスの愛の宗教 によって も人間性 を全的に恢復す るとい う意図は実現 され ず、 したがって理想の共同体の樹立も不可能であること、む しろ、分裂 し疎外 されてある 事態 こそが人間や共同体の運命なのだ とい うことで した。分裂 こそが出発点であ り到達点 なのです。論考の末尾は この ことの確認で終わっています。

これだ けを見ます と、‑ーゲルの意図は挫折 したかに見えます。で もそ うではあ りませ んで したO分裂が運命的事態であることを確認 した とき、ヘーゲル にとってその分裂はす で に和解 されている、少な くとも、和解 され うるはずのものだか らです。運命 は和解 され る、 この ことを、‑‑ゲルは幼い ころか ら親 しんできたギ リシア悲劇か ら学んでいま した。

ですか ら、 この論考の冒頭で‑‑ゲルがユダヤ民族の陥った悲惨な状態を運命 ととらえた とき、すでにそれはイエ スの愛の精神 によって和解 され るはずのものであ り、 さらに、 こ の愛の精神 と世俗 との間に生み出 され る分裂状態 をへ ‑ゲルがキ リス ト教の運命 と呼ぶ と き、 この運命 も実はすでに愛の精神 によって和解 され るはずのものであ り、ヘーゲルにお いては原理 上 、和解 されていたのです。ただ、それは、原理上の和解 にとどまっていて、

まだ現実のもの となっていない。それが挫折の よ うに見えた理由で した。

では この和解 は、例えばキ リス ト教論や運命 とい うギ リシア悲劇風の用語 に依ることな しに、 どの ようにすれば現実のもの となるので しょうか。

(2)

さて、へ‑ゲル もすでに壮年 とな りイエナ に移 り、 自らの居所 を哲学 と思い定めていま したか ら、上の和解の試みはそれ ら分裂をひたす ら冷徹 に見据え、原理的 に把握 し、理解 す ることによって克服す る原理的哲学的な試み とな らざるをえませんで した。 この ことを ヘ ーゲルは、分裂が和解の試み としての哲学を呼びよせ るのだ と考 えます。つま り、分裂 か ら体系 ( 哲学)がでて くるのであ り、分裂 こそ哲学の要求の源泉であるとされます ( 『 差 異論文 』 「 哲学の欲求」) 0

こ うして、先 に運命 と呼ばれたあ らゆる分裂的事態、それはつ ま り現実の ことですが、

それ を和解す る新たな企てがいまや理性の場である哲学 において行われ ます。それはヘー

‑ 54‑

(3)

ゲルが以前、時代の深刻な政治情勢のただなかでひたす ら 「 ある ところの ものの了解 」( 『ド イツ憲法論』序論) をもとめたの と同 じ意図であ り、要す るに、現実全体の知的把握 には かな りませんで した。 当然それは現実 とはなにか、それが どこか ら、 どの よ うにして現在

‑成 り来たったか とい う現実 とその由来 を問いかける壮大にして困難な問いを問 うことで もあ りま した。 しか も、 このよ うな問いを問 う‑‑ゲルは、それに答 えることができる と 自負 していま した。 とい うのも、‑‑ゲルは、人間の知的能力が これ までに産み出 してき たあ らゆる作品について驚 くべ き知識 と理解 を持っていたか らです。それ を彼は、 当時触 れることのできたギ リシア ・ロ‑マの古典や、 ヨー ロッパ近代の文学や哲学の傑作な ど、

その殆 どすべてを読み、 また同時代の 自然科学す ら研究す ることによって、獲得 したので した。 こうして得 られた 自負の一端は、古代や近 代世界のあ らゆる素晴 らしいもの、その すべてを自分はかな りよく知 っている、 とい う 『美学講義』の言葉 にも示 されています。

いずれ にしろ、‑ーゲルは人間の知のすべてに通 じている とい う自負をもって分裂 しつ つ和解 を求めている現実‑向かい、人間の知が現在の知 にまで成 りきたった次第 を尋ねま す。それ らが解 き明 され る場が 『精神現象学』なのです。

(3)

この 『 精神現象学』 (

1807

年) について、 ここで詳 しい紹介や説明はできませ ん。

‑‑ゲル 自身、『 精神現象学』 につ いての 「自著紹介」のなかで、精神現象学は生成す る知を叙述す るものであること、そ して、それは さまざまな精神の形態 を旅 の宿駅 として 辿 り、 これ ら宿駅 を経歴す ることで精神は純粋知あるいは絶対精神 となることを述べてい ます ( ‑‑ゲルの 「自著紹介」1

807.

l l

.25

[ 週間一般文芸新聞] )Cそ して 『 精神現象学』

の 「 緒論」で も現象学で展開 され る意識や精神の歩みは さなが らそれ らが経歴す る旅だ と 述べています。 このよ うに、意識や精神の歩みは旅のイ メージで捉え られているのです。

さて、精神 とは、 さしあた り人間の知が歴史的に発展 して現在‑ と到ったもの として、

文化を支配 し時代を動か している当のもの と考 えられ ますが、人間の知のすべてに通 じて いると自負す る哲学者‑‑ゲルか らすれば、 この精神は、現在、完成 し絶対的 といってい い高い境地 に達 しているはずなのです。 ところが、現実の精神は 自分 をその よ うなもの と して知っていない。つ ま り、 自覚 していない。 しか し精神 とは、 自分の何たるかを知 ろ う として、 どこまで も掘 り返 してゆ くものであ り、 こ うして精神は 自分で 自分を知 ろ うとす る。それは、精神がすでにそ うなっている現在の境地 を目指 して意識が歩みをすすめるこ と、みずか らの もっとも幼い過去か ら現在の成熟 した段階に到るまでの成長の跡を辿 るこ とにはかな りません。成長にはい くつかの節 目があ りますが、その節 目にも似て、魂 にも その本性 にしたがって予め標置 された宿駅がある。そのひ とつひ とつ を魂は遍歴す るのだ と言います。その際、それ ら宿駅 のすべてがみずか らの本性 に関わる以上、宿駅を辿 ると は、実は、みずか らの過去の→節々々 と関わ ること、 さらに言 えば、みずか らの過去を改 めて想い起す、つ ま りは内面化 し記憶することにはかな らない。そ して この営み、すなわ ち、内面化 し記憶す る ことによっては じめて魂 は精神 となる。 「 魂 は、 自己みずか らの余

‑ 55‑

(4)

す ところのない経験 を経て、 自己が本来何であるかについての知 に達 し、 こうして浄化 さ れて精神 となる

」(

『 精神現象学

「 緒論

」)

0

当初無 自覚だった精神は、いまや 自覚的、共同的、 普遍的な精神 として絶対的な精神 と な りました。いま、 この精神 にあっては、 当初のあ らゆる分裂や対立も現実を構成する契 機 としてその役割をにない、そのよ うなもの として承認 され知の体系のなか に配置 されま す。そのよ うな知が絶対知 と呼ばれ、その体系が学 ( 哲学)なのだ とされ ますoそ して こ こに到れば人間性 を恢復するとい う‑‑ゲルの初発の意図 も達成 され るはずですoそ して それが実際達成 され るのが 『 論理到 ]においてであることは言 うまで もあ りませ ん。『 精 神現象学』は、精神がそれ‑ 向かってみずか ら高ま りつつ高みへ と辿 る次第 をひたす ら叙 述す るのです。

(4)

みずか らの うちに人間の知が息づ き、それ らが現在 において完成 した と感ずる‑ーゲル は、その知が名実 ともに最高の普遍的な知であることを示すため、意識つま りは精神 に旅 をさせ ま した。その旅 をしたのは精神その ものですが、その精神 とは、 とりもなお さず、

‑ーゲルの精神で もあるわ けですか ら、‑‑ゲルはここでみずか らの精神 を普遍的精神‑、

言いかえれば 自我 を普遍‑ と拡大 していると言 うことができます。

このよ うに、精神現象学が‑ーゲルそのひ との精神的 自我の展開の叙述で もある とい う ことが、 現象学 とい う旅の道筋 を私たちが辿 るのを難 しくしているよ うです。つ ま り、 ‑‑

ゲル‑の共感薄いまま旅の道を歩 も うとす ると、私たちはいたるところでつ まず きます。

どこに道があるのか と途方 にくれ ることす らある。へ‑ゲルは、道筋 と最後の目標は哲学 者である自分 には見えていると言いますが、旅する者の中には、ヘーゲルの言 う 「 疑いの 道」、 さらには 「 絶望の道」 とはこの ことか と言いた くなるか も知れ ませ ん。 ( もちろん、

ヘーゲルは別の意味で言 っているのですが) 。 しか し、それ らは多 くの場合、『 精神現象学』

の欠点 とい うよ りも、む しろ逆 に現象学 を魅力的な ものにしているよ うです。そ うでない 場合 も多いですが。

一般 に、旅 とは、わが家を離れて一時他郷 に行 くこと ( 『 新潮国語辞典』) とされますが、

わが家をいまいる故郷 と読み替えることができるとすれば、旅 とは故郷 を離れて一時他郷 に行 くことにな ります。 とすれば、いま現在の生き方 にふ と疑問を感 じ、その生き方 を見 直そ うとす ることは、比喰的 に言 えば、旅 に立つ ことにはかな りますまい。その際、旅の 行程 を導 くのは、良 きにつ け悪 しきにつ け故郷の思いで しょう。 してみれば、旅 とは、そ の実際が どうであれ、故郷か ら出て さまざまな経験を経て故郷‑ と還 る円環なのです。 へ‑

ゲル もみずか らの現実か ら出発 してみずか らの、 しか も名実 ともに高め られた現実‑還 っ てきました。 これは、現実 とい う故郷か ら故郷‑の環帰 にほかな りませ ん。そ して、 この よ うな旅は現象学だけの ことではない。私たちが、いま、 ここにある、われの事実か ら発 してそれを思い考 え、それ‑ と還 る、 これが哲学の営みな ら、それ も旅 と異な らない。 L

‑ 56‑

P IT I ,・ヽこq

(5)

てみれ ば、『精神現象学』 も哲学 も旅のイ メー ジか ら遠い ものではないのですC そんな思いで‑‑ゲル を見てみ ま した。 ご静聴 あ りが と うございま した。

( 弘前大学人文学部名誉教授)

ー 57‑

参照

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