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田 春 夫

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(1)

西 ドイツにおけ る宗教教育 の現状 と モ ラル に及ぼすその影響 について

田 春 夫

序 論

現代の欧米諸国における宗教 ( キ リス ト教)のもつ社会的影響力は,かつてのように強力 では射 、 ようであるが,それで も今 日のわが国における既成宗教の有するそれ とは,比較の 限 りではない. とくに,欧米人の幼少期にあっては,それが一層広汎かつ徹底的であ ると, 識者は語 っている ( 1 ) . 「この世界は,われ らの父であ る唯一の神に よって無か ら創 られたので あ り,人間はすべて神の前に平等であ って,神はわれ らすべてを惜 しみな く愛 し給 うとい う 古 くして新 しき信仰が,家庭教育や教会を通 じて,幼児の純な心に刻みこまれている.神の 似像 としての人間の自覚 と,神の前における万人平等の思想な くしては,近代 ヒューマニズ ムの発展は考え られないのであ る.かれ らの記憶の根底に,純粋な信仰がおかれた とい う事 実は,その精神構造に消 しがたい影響を及ぼしてい るのである. 」 と.これ は また, 2 度に おた って西 ドイツの中流家庭の生活を見聞 しえた筆者に とっても,事実 として同感で きるこ となのである.

キ リス ト教が,現代西 ドイツ人に とって ( 恐 らくある年令以上の東 ドイ ツ人に とって も) * , 精神の高揚の源泉 とな り,生きるための支えとな ってい るのは,否定 しょうもない現実であ

る.7 0 年代の政権を担当す る社会民主党は,その行動綱静 こ , 「 人間の尊厳, 自由,正義お よび寛容の理念・ ・ ・ ・ ・ ・ 」を謳 って,個人の尊厳を強調 しているが,その基底には, 「 神に似せ て創 られた人格の侵すべか らざる尊厳」なる信念があるとみてよい* * .民主主義の精神的基 礎は人格の尊厳にあ り,それの もとはキ リス ト教の信仰につなが っていることは,た とえば カ ン トの人格主義 とプpテスタソテ ィズムとのつなが りを一考す るならば,明暗に して判明 に了解 しうるのである.

宗教 ( 欧米にあ ってはき リス ト教) とはなにかとい う問に対 して,既に多 くの思想家が, その人な りきの概念規定に よって答えている.宗教哲学的には,あ るいは 「 絶対帰依の敬虚 感情」 ( シュライエルマ‑ル) として,あ るいは 「義務を神の命令に基づ くもの と考 え る こ とに よって引起 されたる感情 」 ( カ ソ ト) として,あ るい は 「 人間が自己の本質に対 して取 る態度であ り,祈積,犠牲及び信仰によって表現 された欲求 で あ る」 ( フォイ‑ルバ‑) と して,あるいは 「 人が孤独の状態にあ って , いかなるものであろ うと神的な存在 と考え られ るものと自分が関係 していることを悟 る場合だけに生 じる感情,行為,経験」 ( W. ジェイム

*東 ドイツ ( DDR) においてほ,子女に対する宗教教育は禁じられており,その代りに,いわ ゆ るマ ルクス・t /‑ ニ ソ主義に基づく教育が国家によって要求されているので,将来はその精神構造が変化 してゆくものと予想される.

* * 昨年の総選挙以後 ,SPD ( 社会民主党)左派が拍頭し,ラディカルな構想を掲げているけれ ども,

SPD の基本の立場は少しも変ってはいない.

(2)

1 8 8 長野工業高等専門学校紀要 ・第 5 号

ズ) として,あるいはまた , 「 理性の働 きと絶対的存在 との合一を心内で体験す ること」 ( 波 多野精一) 但 )としてなどが著明である.宗教学的にい うと , 「 人間生活の究極的な意義を明ら かに し,人生の問題の究極的な解決に関わ りをもつ と,人 々に よって信 じられている営みを 中心 とした文化現象 」 ( 3 ) が宗教 として定義されている.哲学的把捉 と宗教学的理解 との ち が いほともか くとして,宗教 とは,いずれに しても , 「 有限なものの無限なものへ の高揚」 と して把え うるであろ う.キ リス ト教につ い て は,一般的には ; 「イエスを神の子キ リス トと 信ず る宗教」 と定義 され るのであ るが ( 4 ) ,その実践面を重 くみて , 「 隣人愛の実行を通 じて神

の愛に応答す る愛の宗教」 と定義 しようと思 う.

人間精神の純化 と高揚のためには,宗教だけがその責務を負 うわけではなかろ うが,現代 ドイツ人の個人的修養な らびに社会的活動を うか が い 知れ ば知るほ ど,キ リス ト教のその 面における役割に注 目せ ざるをえないのである.学校において,宗教教育がギムナジウム段 階 までの子女に施 されているのも,宗教的情操を常に育成 してゆ くことが社会的に求め られ ていることの現れであると思われ る.ひるがえってわが国の現状を省みた場合,宗教の時間 が国 ( 州)によって指定 され る西 ドイツと対照的に,憲法第2 0 条によって公立校における宗教 教育が禁止されているのは周知の とお りである.国家主義 と癒着 した過去のいきさつに鑑み て,当然の規定 といえるが, この規定は果 して,一切の宗教的心情の醸成を禁 じたことにな るのであろ うか.特定の宗派的宗教の立場か らなされ る教育を禁ず ることが,情感としての 宗教の芽を育てない ようにとの命令であるな どと解 されなければ幸いであるが.問題 とすべ

きは,わが国の家庭教育が,宗教心育成の場 とな っていない現状なのではあるまいか.

日本人には宗教心が希薄であるのか否かは,軽 々に断 じうる問題ではないであろう. 日本 の社会が凶悪犯罪の少ない住み よい環境であることや,そ こに住む人 々の礼儀正 しさや風流 ( 例えば茶道の和敬清寂など)については,欧米人に よく称揚 され るところであ り,後者は と くに,宗教的情操のもた らす ものとして説明されてもいる. さらにい うな らば,儀式的宗 教には月常殆ん ど無縁であるが故に,宗教 と全 く無縁だ と自らは思 っているわれわれ も , 「 そ の心の深い奥底には,人 としてほんとうに しあわせであ りたい とい う,切なる駁いを秘めて いる.心の奥底に揺がない安 らぎを得て,真に充実 した生を送 りたいとい う願いを,ただひ とときの夢や 自分だけの思い入れではな く可能に し,現実にす るものが,実際にあるのかな いのか,あるとすれば一体 どこにあ り, どうい うふ うに私たち各 自に関わ っているのか‑

まさに この点に,宗教 とよばれ るものの根本的な問題がある. 」 ( 5 ) とす るな らば,日本人 と宗 敬 ( 心)なるテーマは極めて難か しい問題を蔵 してはいる. しか しなが ら,神をもつ欧米人 と比べて,また共産国における宗教の代替品たるコ ミューニズム信仰の力強 さと比 して,わ が国にあ っては,なにか背骨 とも称すべ き 「 精神」が欠けているような気がす るのである.

わが国では,神は死んだのでな くして,未だ神が到来 していないのでほあるまいか.以上の ような疑問提出はさておき,筆者は 1 9 4 7 年秋,文部省短期在外研究員 として, ドイツ連邦共 和国 ( 西 ドイ ツ)に派遣 され,上記テーマについて調査研究す る横会を与えられたので,以 下調査結果の報告 と,それについての考察 とを記す次第である.

1 . 西 ドイツの学校体系概朝 ̲

初めに,宗教教育の行なわれ る場である学校の組織 を概観 しておこう.その将来計画につ

(3)

西 ドイツにおける宗教教育の現状とモラルに及ぼすその形苛について 1 89

いて もふれ てお くことにす る.

a .現在 の状況について

( ∋ 一般的には, 団A の( i ) に よ 〕て表わ され る* .Gr unds c l l ul e 〔 韮礎学校 ,4 年 制〕は , 6 才にな ったすべ てのy l丑 に義務的であ る.その後つ ま り第 5 年 口か ら , Haupt s chul e ,R eal ‑ s c hul e ,Gymna s i um の 3 コースへ と分化す る. Haupt s chul e **〔 上級学級 , 5 年 制〕は,比 較的 早期に就職す る生徒を収容す るものであ るが,上級進学 の道 も開かれ てお り, また就職 後 も 3 年間は,過 に 1‑ 2 回I kr uf s s chul e 〔 職菜学校 〕‑通 うことにな )てい る ( 雇用者 のぷ 務に おいて). 「 1 8 才 までの教育を誰にで も」が合 ことば とな ってい るのが,西 ドイ ツの実状 であ る.

Gy m na s i um は,英国の gr amma r s cho ol に相当 し, 大学進学 をめ ざ すエ リー ト教育 駿閑 とい うべ く,その 節 4 年次か ら,古典語 クラス,近代語 クラス,数理 クラス,社 会科学 タラ

■ ト ■ ト

図 A( i ) Di eGl i e d e r ungde sBi l dungs we s e nsi nderBund e s r e pubhk 〔 西 ドイツの学校机織系統〕

* 園 A は ,71 年度の政肘年次報告からとったものである.

* 書Gr unds c hul c と T I aupt s chul e が縦続 してい る場合 が一般で,それを Vol ks s c hu l e 〔 同氏学校〕と

よぶ .

(4)

1 90 艮N・ 工澄茄等矧 H ] 学鮫紀要 ・第 5

J

, :

スへ と分れ る. この 9 年制学 校では,卒業 までに Abi t ur 〔 卒業 資格試験〕を受 け,合格即大 学人草 狩格獲得 とな る.試験 はかな り難か しく,不 弁格 の まま就職す る例 も多 い ・Re al s chul e

〔 実 科学校 と訳 され るが適訳ではない〕は 6 年制で , Haupt s chul e にやや近 い性格を もつ学 校 であ るが,む しろわが国の普通高校 と大差 ない カ リキ ュラムに従 ってい ると思われ る・ と くに,国語 と数学 の 2 教科に動 急がおかれ てい る.卒業 後は上級学校へ の進学 も十分可能 で あ る.

以上 の 3 コ‑スの うち ,Haupt s chu le へ進 む場 合が過半数 を 占めてい る. Re al s chul e な い し Gymnas i um ‑進むか密かは, 主 として Gr unds chu‑ 1 e 側 の所見に委ね られてい る・西 ド

A b s c h l u s s e a . . Ab l t U r l b= Ab l l u rl l

図A( i i ) Mo del lei ne shor i z ol l t alge gl i e der t enBi l dungs we s ens

水平型に系統だてた学校組織のモデル〕

(5)

西 ドイツにおける宗教教育の現状とモラルに及ぼすその影轡について 1 9L イ ツには,入学試験 な るものは存在 しない.Gr unds c hul e以後の 3 分化型は,生徒の将 来を も決定づけ るものであ ったが, この分化を止揚 して綜合‑ ともた らそ うとす る の が ,G

esa一

mt s chul e( 後述)の狙いなのであ る.図A( i i ) は,Ge s amt s c hul eを中核 と した これか ら の学 校組織 の綜 合 プランを示す .なお,それぞれの学校 には,必 修ない し選択必修 と して,Re l i ‑ g

ions unt e r r i c ht〔 宗教の授業〕 が課せ られ てい るが,州の方針に よ フて多少差 があ るも よう であ る.

② 次に,He s s en州の場 合を,文化省の発表 にな る図 Bに よって示 そ う.図 B( i ) は, 別 行の学校組織 をやや 単純 化 して表示 してい る.F6r de r s t uf e〔発展段 階〕と して,例 の 3コー スが設 け られてい る.Ber uf l i c heGy m na s i en〔 職業 コースギムナジ ウム〕ほ,Fa c hob e r s chul e

〔専門高校⊃とともに,Re a l s c hul e 及び Haupt s c hul eの終了者に対 して,一定の成折 を条件 に,上級学校へ の門戸を開放 してい る.一方 ,NRW ( ノル トライ ソ ・ヴェス ト7 7‑ レソ)

U u H r n o d i c v h e T s r e s c c i h t h 主 u n I t f . e F ■ c h h o c h 8 h u l e

F a c h g e b u l l d e n e H o e h B C h u l r e i l B

し ̲ ̲ ー 【 ー

図B( i ) Sc hul eh eut e 現代の学校〕

5

4

3

2

1

(6)

1 92 長野工芸高等専門学校紀要 ・ 節 5i 3

州においては, Au L b aug ymna s i um が設け られてお り,やは り上記 2コースの終了者‑の進 学が配慮 され てい る.Auf b au とは , 「 上 に構築す る」 とい う意味 で あ る が,む しろ 「 定時 制」 と訳 して よろ しい.

Fa c hob e r s chul eと Fa c hho chs chul e 〔 噂門大学〕 とで,わが国の高車に相当す るもの とみ ら れ る.Fa c hob e r s chu le にあ , ては,一般教養 と専門教育を有機的に統 合す ることが意図 され てい る.そ こを終 えると,中門大学 入学幣格試験を経て,Fa c hl l ∝hs c hul e‑進学 しうる,

図B ( i i ) は,8 0 年代 の学校 と越 して,G飴amt S C hul eを中心 とした展望 としての組織 を示 し てい る.Se kund ar s t u f eI r わが国の中学校に相当コの必修課 円として,宗教が設けて あ る.

Ⅱにな ると,必睦は語学 ,社会 ・ n然科学,数学に絞 られ, 宗教は選択必修 とな る. G esa‑

mt s c hul eについては項を改めて述べ ることとしたい.

③ a. に朗適す る問J r a・ 烹を一つ指摘 しておこ う. ドイツ国内で前か ら論議の的 とな っ て き

Ge S a r r l t h o c h s c h u l e

S t l l d l e T t b e 王 0 9 t. n ●A ' b 8 C h l u 8 9 e E ! 4 r U t ユ b e z r o 卯 n O A b s c h l u l 5 ●

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21

(7)

西 ドイツにおける宗教教育の現状とモラルに及ぼすその影響について 1 9 3 た 「 早期にす ぎる分化」がそれである. 1 0 才とい う幼い段階で既にその進路を‑従 って将来 を決定され ることへの批判であ る.その得失についてはいろんな意見 もあるようだ し,その 弊是正策 ( 例えば Fa c ho be r s c hul e の開放な ど) もとられてほいるが,未だ この批判に十分 応えてはいない と考え られ る.機会均等ないし能力開発 とい う民主主義時代の社会的要請に 応ずペ く ,Ge 阻mt S C hul e ‑の進展が期待されているゆえんである.

b.G缶a mt S C hu le について

西 ドイツ文部省 〔 直訳す ると教育 と科学 の省〕の 広 報 に よ る と , 「 未来学校」 と して の G

e

s amt s c hul e 〔 綜合教育の学校〕は ,70 年代を試行期間 と して ,8 0 年代に は正規の学 校 と して実現の運びになる予定であ る.以下に記す ような特色を備えた Ge s a mt s c hul e ( 仮称)が, 既に ,He s s e n 州な どにおいて実験的に試み られているが,それにつ い て の論議 も活はつな

ようである . 71 年度の OECD 年次報告において , 「 西 ドイ ツに お け る教育計画報告」 とし て, この Ge s a mt s c hul e が注 目されているほどである.

綜合教育学校は,学校の新 しい タイプであ り,一つ屋根の下で,種 々な課程 と核 となる授 業 とを学ばせ るものである* .後者には全生徒が参加す る.一つの課程か ら隣接する それ へ 移ることも可能であ り,留年制 も姿を消 してゆ く.「 全ての子供に」 と , 「 統合的な」 とが枕 ことば となる.従来の一般教養中心の学校 と,職業教育中心の学校 との有機的統一をめざす のが G飴a mt S C hul e の面 目であ る. そ れ は Gr und s c hu le の段階か ら Gymna s i um に至 る普 でを包括 し,学校 とい うよりも 「 学 園」 と称す る方がふさわ しい とされ る.進学課程 と就職 課程 とに区分けする時期をできるだけ遅 くするように配慮 し,子供たちに個人的 ・社会的発 達の機会を均等に与え ようとす るもの で あ る.「 その社会的地位,宗派所属,性別に関係な く,全ての子供に‑ ‑ 」 , 「同 じ屋根 の下における学習の過程を通 じて,教師 と両親 と本人 と の話 し合いに よって,生徒の進路をできるだけ遅 く決める」 とい った ぐあいである.広 く一 般教養科 目が学ばれ るとともに,そ こへ職業教育 と実習訓疎が組み こまれ ることにな り,学 校 と働 く社会 ( 実社会) との結合が達成されることになるといわれ る.

図 A( i i ) と B( i i ) に示 され るように , 4 年間の Pr ima r s t uf e 〔 初等段階〕に続 く中等段階 (8

‑l o 午問)においてほ,伝統的 3 分化方式を斥けて ,i nt e g r a l 〔 綜合的,統合的〕な形態‑ も ってゆこうとしている.中等段階 Ⅰか らⅡへは,前者の終了試験で継続 し,全 ての生徒に同 一の教育を施す と同時に,その能力 と将来への準備 とに対応 して,選択科 目を有効に配分す る. さらに,た とえば数学 の得意な生徒な ら 「 数理 コース」へ集めて,その能力を伸ばせ る ように配慮されている. コース別に分けること即非民主的な どとは考えないのであ る.授業 はデ ィスカッションを中心に展開され,視聴覚の機器 もフルに活用 され る.

G

e

s a mt s c hul e が実現す ると ,1 9 2 0 年に ?r und s c hu le が 4 年制綜合学校 として発足 して以 来,統合への大 きな第 2 歩がふみ出され ることになる.全ての子供が 1 0 年以上学ぶ ことにな るが,その場合 ,Cha nc e g le i c hhe i t 〔 横会均等〕がそのかなめ となるのであ って, これ は政 府のいかんに関わ らず,将来も進展 してゆ くものと予測され る.先にふれた He s s e n 州にお いて,綜合教育学校なるものはマソモス学校のマスプロ教育であるとか,何で も自由に学べ るとい うのは個人主義者の養成に終 るとか,現政府の傾向を反映 して理論に走 りす ぎるとか

*以下の叙述は大体 「 文部省広報」による.

(8)

1 9 4 長野工業高等専門学校紀要 ・第 5 号

い った批判 もあるようだ. しか し,従来の学校制度における学習体系の構成は,社会の階層 分化の反映にはかな らず,親の社会的地位に対応 して子女の学習 コースが決め られる傾 きの あ った ことを反省す るな らば ,G e s a mt s c hu le 構想が,批判を克服 して展開 してゆ くで あ ろ

うと考えるのは当然であろ う.

G

e

s a mt s c hu le がG

e

s a mt ho c hs c hu le 〔 綜合教育の単科大学〕へ とつながる点 も見落せない.

Ab i t u r合格者の 9 0 % とい う多数の学生を収容す る必要に迫 られてい る な ど,種 々の問題状 況下にある H∝bs c hu l e にあ っては, これ まで各種の タイプが並立 してきたのであるが,研 究 ・教育 ・学習における諸問題の統一的探究を通 じて ,H∝hs c hu l e を統合的に再編成 しよ うとす る動きが出てきたのである .Ge s a mt s c hu le の実現に継続す るもの と して,未だ全 く の 「 展望」 として存在す るだけであるけれ ども ,g e s a mt ない し i nt e g r a l とい った形容詞を 大学段階にまで冠す るような計画があるのは注 目に値い しよう.

2 . 宗教の授業について a. Re l i g io n sunt e r r ic ht 〔 宗教の授業〕の実 例*

① NRW 州の大都市 ケルソにある州立 Re a ls c hu le の場合である.実業 ( 料) 学校 とい った 概念か らは遠い学校で,最高学年 まで一般教養 学 科 が 中心 で, ドイツ語 ・数学 ・歴史 ・地 理 ・生物 ・英語 ・宗教な どを学んでいる. Ho c h s c hu l e へ進学する者 も多いようで あ る.筆 者 が訪れた 日の 「 宗教」の時間は,第1 0 学年に対するもので , ミュ ソヒェソにおけるアラブ

ゲ リラの凶行をテーマに,話 し合いの授業が行なわれていた.

デ ィスカッションの過程か ら,次の ようなテーゼが まとめ られた.すなわち,民族間に よ り良い理解をもた らす ことが大切であること,競技が政治的な 目的に乱用されないこと,人 間が憎悪 と復讐の感情をな くせ るように,政治問題がテ ロに よらず 自由な方法で解決 され る べ きこと,民族間に Ve r s 6hnung 〔 和解〕をもたすべ きこと,な どであ った.事件直後の大 統領の発言に も ,Ve 指6hnung とい うことばがあ ったが, この和解 ( 宥和)なる語が男子生 徒に よって言表 され,教官 ( 女性)もこれを活用 していた. Ve n6 hnun g こそ宗教的立場をそ の基底 とするに も拘 らず,著名な宗教をもつ両民族が宥和の反対概念に支配 されている現状 は悲劇である.

② 宗教担当教官の談話に よると, この学校では,宗教の時間は義務的 ( 全員必修)でな く,自由意志に よる出席にな っているとの ことであった.生徒の両親が宗教教育を欲 しない 場合は,理由書を提出 して,受講義務を免除 され る.授業時数は週 1 時間で,他に礼拝の時 間 もある.生徒の受講率は半数 ぐらい.指導内容は,州政府の定める一定の枠内で,教官の 自由裁量に委ね られている.テキス トは聖書 ( 口語訳)以外は特に用いず,時 々の問題を取 り上げての話 し合い中心の授業が展開 されてゆ く.時には 「ロック形式のキ リス ト受難劇」

の レコー ドを聴かせ るな ど,視聴覚の手段 も活用する.評価については,授業中の活動ぶ り と, リポー トに よって行な う.小人数を対象 とす る授業が 「 宗教」か ら予想され るような固 苦 しさもな く,生徒を主体 とす る自由なふんい気で行なわれていたのが印象的であった.

*ある程度時間をかけて見学することを得た一例をとりあげて報告する.授業及び礼拝の参観がカトリ

ックに偏したのは,ケルンという土地がらのためである.

(9)

西 ドイツにおける宗教教育の現状とモラルに及ぼすその影響について 1 9 5 ( 卦 Go t t e s d i e n s t について

ヶ ノ J ソ市の Ha u pt s c hu l e における礼拝 ( 授業 としての)と ,Gr und s c hu l e におけ るそ れ と を参観 した.前者の場合は,隔週 1 回 ( 土曜 日) , 8 時か ら9 時迄行なわれ,宗教担当教師 も 出席す る.型 どうりの ミサであ ったが,相当数の生徒が自由意志か ら抵抗感 もな く参加 して いた.後者の場合は,学校長引率に. よる 2 年生全員の Go t t e s di e n st 〔 礼拝〕で, 当 日の説教 のテーマとして 「 友情」が取 り上げ られ,牧師 と生徒 との間に質問応答がなされた. こうい った礼拝や授業を通 じて,幼い子女の心の底に , 「なにか知 らぬが,大きな美 しい世界が存 在す るのだ」 とい う感情を植えつけることができれば よい の で あ ろ う・宗教感 の育成であ る. Gy mna s i um については,テキス トを数種見せてもらっただけであ るが ,Re a l s c hu l e の お デ ィスカッシ ョソ中心の授業 ,Gy m n a s i um の学問的 ・研究的な傾向 ,Gr und s c hul e の 自ら とけ こませ る授業 とい う具合に,それぞれ特色ある宗教教育 と思えた.

b. テキス トの考察

数多 く出版 されている宗教教育用テキス トの中か ら ,15 才‑1 7 才用 と銘 うった ものを取 り 上げてみ よう. この書物をテーマ研究の補助手段に選んだ理由は,指導教授の助言に よるの

と,動揺期にある生徒たちに人生の諸問題考究への ヒソ トを与えるもの と して ,R e a l s c hu l e 並びに Gymna s i um の上級学年に適当とみ られ るためである.

内容 としては ,Go

tt

e s d i e n s t の形式化への反省,世代間の対立 と依属の問題, 賀川豊彦の スラム街の歌,ギムナジウムにおけ る宗教教育反対の動 き , 「 復活」に対す る生徒の素朴 な疑 問 とそれへの教師の対応等 々,テーマ別問題研究の体裁を とってい る.特に Ve r a nt wo r t ung

〔 責任〕が重要な社会的徳 目として扱かわれてお り,弱い立場にある人 々への隣人愛につい て考えさせているが,社会奉仕の精神を重視す る ドイツの現実に対応 している.唯物論ない し無神論的主張 も提示 され,或いは超人は弱者を踏み潰 して生存 しうるのかの問題,或いは キ リス トとヒ トラーを並べ てメシア ( 救世主)と讃 える新聞記事の引用 ( 1 934 年のもの)な ど

も目につ く.

広義の宗教的諸問題を生徒に投げかけ ることに よって , 「 人生の意味の探求」に機会を与 えるところに本書の存在意義があろ う. ヒューマニズムと神信仰の問題について考えさせ る のであるが, ここでい うヒューマニズムは,人間を陛界の最高存在 とみなす意味の ヒューマ ニズムでな く,人本主義を超えた ヒューマニズムの立場 とも称すべ きものであ る.隣人愛の 実践を媒介 としての神の愛への応答がそ こにある.欧米のモラルの根底には宗教があ り,宗 教教育に基づいてこそ道徳教育が真に成立つ ことを, この教科書は よく示 していると思われ る.神学的考究や ドグマへの深入 りを避けつつ,社会生活において個人の尊厳をいかに生か してゆ くかを考える素材を与えている. 日本流にい うと,む しろ倫理の教科書 とよぶ方が恰 好か もしれぬ.なお,ギムナジウムで用いているテキス トも一覧 したが,先に もふれた よう に,聖書解釈の問題 とか聖書成立史とい った学理的なテーマが中心で,大学進学者への予備 知識用 とい う印象であ った.

3 . 宗教教育 とモラルとの関連について

西 ドイツにおいても, 戦後はいわゆる Ha l b s t a r ke ⊂チソビラ)が 目立つようにな った.未

だ年少者 とみ られ る子女が街頭で契煙 している情景 も珍 らしくない し,それ どころか,阿片

(10)

1 96 長野工業高等専門学校紀要 ・第 5 号

や大麻類の吸飲 さえ,時には耳に したほ どである.セ ックス関係の記事や広告も横行 してい るようだ.母親を閉 じこめて餓死寸前に追いつめた恐 るべ き少年 ,2 0 代の銀行ギ ャングに よ る人質殺害事件等 々,衝撃的な事件にもこと欠かない しまつである.

高度工業化社会におけるモラルの低下現象が,若い世代において端的に現われ るのは,洋 の東西を問わない. 自己中心的,物質的,功利的,感覚 と行動を第一義 とす る,礼儀を重ん じない,単純思考型人間 ( 社会体制さえ変えればすべて良 くなるな どと主張す る な ど),政 治 ・社会問題への関心の強 さ,経済中心主義の考え方,とい った諸傾向がその温床をな して いるとみてよい.それ らに加えて,家庭教育の不在 ( 厳格す ぎるか,或いは放任か)と,宗教 心O' 希薄ない し欠除 とに着 日すべ きではあるまいか. この二つは,む しろわが国に特色的 と いえる現象か もしれないが, ドイツに関 してい うな らば, ドイツ社会に固有のOr dn ung s s i nn

〔 秩序の感覚〕が崩壊 し去 った ことも併せて考えるべ きであろ う.

家庭教育については,わが国の場合に比 して,子供たちが学校にいる時間が短かい関係上, それだけ大きな意味を占めて くる.学校 と家庭 と教会 とい う三位一体はいかにも ドイツ流 で あるが,子供の朕は,基本的には,家庭 ( 両親)の責務 とい うことに帰す るのであろ う. ド イ ツの普通の家庭における 「しつけ」はなかなか と思われ るし,放慈な生活態度を示す子供 がいれば,その家庭教育に対 して厳 しく批判が及び, と同時に,その家庭の宗教的ふんい気 つ ま りェ トスが問題 とされ るようである.なぜな らば,人間教育の場 としての各家庭には, 精神の支柱 としての宗教 ( キ リス ト教)的ふんい気が,深 く疹透 しているのが事実だか らで ある.宗教教育 とい っても,学校で課業 として行なわれ る 「 宗教の時間」だけを意味 してい

るわけではない.

宗教教育ない し宗教のもつ社会的使命 として,かの三位一体教育の根底 となって働 き,幼 少期か らの人間形成に貢献す ると同時に,精神の埋没やモラルの低下現象に抗 して,高 く理 想主義の旗を掲げ ることが強 く意図され ている.西 ドイツの諸学校における宗教教育は,上 記の社会的現実を直視 しつつ,あ くまで自由なふんい気のもとに,民主主義的に, しか して 粘 り強 く実施 されているとみ られ る. ドグマの押 しつけ とか,上か らの信仰強制でな く,自 由な研究や討議を通 じて, 自然 と宗教的感情の醸成を期す るとい う態度である.現代 ドイツ 人は,mt i s s e n〔 せねばな らぬ〕とい う語を嫌 うようである.それは上か らの強制ない し抑圧 とい う語感を与えるらしい.かれ らは自由と平和をこよな く愛 してお り ,mt i s s e n でや られ るのは,かつてのナチスを想起 させ るらしい. さらに,共産主義体制 も,かれ らの多 くに と っては,上か らの抑圧 ととられ るのが普通である.東 ドイツを見 る目は少 くともそ うである.

西 ドイ ツにおける宗教教育の実施は,一つには,伝統的勢力をもつ教会側か らの要請 によ るものであろ う.教会はこの 1 0 年間に,学校 と教員養成 とに対 して保持 していたある種の管 理権を断念 してきたのであるが,精神的指導者 として の そ の役割は決 して弱 まってい な い し,弱 まらないであろ う. * 「神信仰 とい う大前提に基づいて,人生問題や若人のモラルにつ いて考えさせ論 じさせ る時間」 とい うのが西 ドイツの宗教教育の授業であ′ り,わが国でい う 倫理 ( 道徳)の時間に接近 している.

*西 ドイツでは,国家と宗教は分離されているが,一方において,教会は 「 教会税」と称して,所得税 の1 0 %ほどを収受する権利を認められている.さらに,教会を中核としての Ge me i n de〔 教区民〕

による各種の社会活動もさかんである.

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西 ドイツにおける宗教教育の現状とモラルに及ぼすその影響について 1 9 7 物質万能で,自由を最上 とす る現代において,価値の多様化 している現代において,宗教 教育の有する社会的作用力を適確に認識す るためには,長期にわたる観察 ・研究を要す るで もあろ う. しか しなが ら,愛 と平和 と民主主義のなんたるかについて,子女の心に美わ しい 種をまいていることは疑いを容れない. 「 暴力に よってでな く和解の心に よって」 とい う‑

生徒の発言に対 して,強い相手が起 った例に よってみても,宗教の時間が宗教感の養成に役 立 っていることが実証 され る.問題は , 「 宗教の時間」だけのもの として終わ らない ことで あ り,そ こに,家庭教育のもつ意義が関連 して くる. I ▲

筆者の見聞 した ところでは,生徒たちは教会 と聖書のもつふんい気に 自らふれて成長 し, 宗教教育 も抵抗感な く受けている.ケル ン市 ( 教会の数3 00 といわれ る)の幾つかの家庭を訪 れ る概会を得たが,ゲマイソデの一員 としての両親の社会的活動に影響 され,また宗教の時 間における討議中心の教育に よって支柱を与え られ て , 「 責任」 と 「 社会奉仕」 とい う観念 を身につけて くるようである.家庭 と学校 と教会の協力に より, より高き存在への恒隈 と生 命への畏敬 とを教え られ,社会活動 ( 責任の分担)の精神 とモラルの感覚を感得 してゆ くの が多 くの子女の姿であ り,宗教教育は,部分的であるとはいえ,それに与 って力ある社会的 営みであると結論づけ られ よう.

( 1 ) 前田陽一 『 生活意識におけるヒューマニズム』( 岩波講座 現代思想 Ⅱ) ( 2 ) 波多野精一 『 宗教哲学の本質及共根本問題』

( 3 ) 岸本英夫 『 宗教学』

( 4 ) 岸本英夫編 『 世界の宗教』

( 5 ) 滝沢克己 『 現代の事としての宗教』( 岩波講座 哲学 ⅩⅤ)

参照

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