著者 弓野 憲一, 興津 浩明
雑誌名 静岡大学教育学部研究報告. 教科教育学篇
巻 35
ページ 259‑281
発行年 2004‑03
出版者 静岡大学教育学部
URL http://doi.org/10.14945/00008352
静岡大学教育学部研究報告 (教 科教育学篇 )第 35号 (2004.3)259〜
281259
総合的学習時代の教育に関する一考察
A Consideration into Education of Integrated Study Era弓 野 憲 一 ・ 興 津 浩 明
*1 Kenlchi YuMINO md Hiroaki OKITSU(平
成15年 10月 1日
受理)勁
総合的学習が導入 された日本の学校 において、教師は、従来 にはなか った新たな教育 目的を認識 し、
その目的を達成するための資質、役割、 スキルの獲得が求められる。 この小論では、総合的学習時代 の教育の目的か ら始めて、なぜ日本の教育に総合的学習が必要であるかについて論究 し、 どのように 総合的学習を展開すればいいかについ提言 し、最後 にこの時代を生 きる教師の仕事 について考察 した。
第
1章
総合的学習時代の教育の目的
ノ ト。 中学校に総合的学習が導入されてより2年経過 した。
2、3年前には読み切れないほどにインター ネット上を飛び交 っていた質問・疑問等のメールも急激に少なくなった。おそらく、各学校で、その 学校に合った着実な実践が行われ始めたのであろう。
総合的学習の導入は日本の教育にとっては画期的なことである。なぜなら従来の学校は、学習指導 要領に照 らして作 られた教科書や指導書に沿って授業を展開すればよかった。教師は、教材の選定や カ リキュラムの設計には、それほど心を砕 く必要がなかった。ところが総合的学習には教科書がない。
ここでは、教師は、児童生徒の興味関心に基づいて課題を設定 し、その課題解決を援助する役割が期 待されている。日本の教師が初めて、一人ひとりの子供の内面を見つめ、発達水準にマッチした教育 を求められ始めたのである。
1.さ まざまな教育の目的
教育の目的は、地域により、場所により、さらには時代やその国を取 り巻 く社会的な状況により、さ まざまに設定 されてきた。それは①社会の要求を主 とするか、それとも子 どもの要求を主 とするか。
②国家的一般 目的を主 とするか、それとも地域的具体的目標を主 とするか。③教育の内容的記述に重 点を置 くか、それとも児童・生徒の行動目標に重点を置 くかなどによって大きく異なって くる。 これ までの日本の公教育は、 どちらかというと、社会的一国家的―内容的目標に重きを置いてきた。 これ
*1
静岡大学教育学部非常勤講師、静岡市立安倍回小学校教諭に対 して、 アメ リカやカナダでは、概 して、児童 0生徒的 一地域的 ―行動的目標に重 きを置 く傾向が 強 い。例えば、筆者がカナダのアルバータ大学 に滞在中に手 に入れた、 カナダのエ ドモ ン トン市の公 立中学校の案内書 には、 「① まずあなたの興味・関心を知 り、あなたの教育 目標を設定 しよ う。② どの よ うな教科や コースがあるか確かめよう。言語表現、社会、数学、科学、健康教育、体育はコアで必 須であるが、美術、演劇、 ウクライナ語、 フランス語、体験学習、 コンピュータ、産業教育、野外教 育等 はオプションで選択で きます」 と書かれてお り、地域のさまざまな教育 プログラムヘの参加を通 して、 「健全な市民」の育成を目指 している。 エ ドモ ントン市の教育の特徴は、学区を廃上 して、自由 に市内の中学校へ入学できるようにな っていることである。勢 い、各々の中学校は数学、理科、芸術 等のカ リキュラムを重点的に充実 させ個性を競 っている。 また各々の中学校の教育 目標は観念的では な く、具体的な行動 目標 として、市民に開示 されている。
藤田 (1997)は 、個人 と全体のどちらを重要視するか、現在 と将来の どちらを重要視するかによっ て、教育の目的は、
4つの立場に分類することができるいう。 ここでは、彼の主張に新たな観点を加え なが ら、4つ の立場を説明する。
第 1は 、急速に進展する科学・技術や情報化 0国 際化社会、さらには、
最近 とみに問題視 されている環境問題 とか少子高齢化問題等に対処するために、それ らに対応 した知 識・ 能力・ 技能を重要視するべきであるする立場である。例えば、総合的学習 として多 くの学校で実 施 されている情報教育、環境教育、国際理解教育、福祉教育などは、この立場を代表す るものである。
第2は 、子 どもの個性や自由の尊重 こそ教育の至高の目的 とみなす立場である。すなわち、学習者 と しての子 どもの側 に立 って教育を考えようとする立場である。子 どもの学力・ 能力、適性あるいは興 味 0関 心を重要視 して、それに合 った教育を志向する立場である。 ここか ら、 日本の教室で特徴的な
「統一性・均一性」が重要なのではな く、子 どもの「多様性・個性化」 こそが重要であるという議論が でて くる。総合的学習は、個人の興味・ 関心を重要視 して、探求課題を設定することが求め られてい るので、 この第 2の 立場に も合致 した教育 といえる。
第 3は 、国民全体の学力や資質の水準を高め維持するという目的を重要視する立場である。 この場 合、学力や資質 には意欲や関心や態度、 さらには創造性や問題解決能力 も含 まれ る。第 1と 2の 立場 が、個人の学習を中心 に考えるのに対 して、第3の 立場 は、一人 ひとりの子 どもの学力や各種資質の発 達や子 どもの自由を重要視するよ りも、 それ らに関 して、全体の水準の維持や向上を重要視す る立場 である。知識の習得を優先 した、戦後の高度経済成長の中での教育は、この第3の 立場を重要視 した教 育 といえる。
第4は 、子 どもの現在の健全な生活 と成長を重要視する立場である。 この立場は、第 3の 立場 と反対 に、特定の個人や集団よりも、子 どもの全体的な生活環境・学習環境の改善を重要視する点 に特徴が ある。
第
1と3の 立場が、 「将来」、子 どもたちが社会に出たときにいかに国や社会の発展 に寄与で きるか と い う、より現実的な観点 に立 った教育を志向するのに対 して、第 2と 4の 立場は、「現在」の子 どもの ` 欲求や生活を重要視 している。
現実 に行われている教育は、いずれの立場 により比重を置 くかの違 いこそあれ、この
4つのすべてを 含んでいる。 そ してそれ ら比重の置 き方 は、子 ども
'の発達の レベルに応 じて変わることもあれば、未 来の職業を志向するするか どうかで大 きく変わることもある。例えば、第 1の 目的は、どちらか という
と職業教育や高等教育で重要視 されてきた。第2の 目的は、すでに小学校低学年に導入 されている「生
活科」や「総合的学習」において重要視 される。第 3の 立場は、国や学校、いわゆる上部の機関が一定
水準の知識を子 どもに教授す ることを重要視 した場合にあてはまる。第 4は 、子 どもが健康 に育つ こ
総合的学習時代の教育に関する一考察
とや安全な生活環境や学習環境を重要視 した、現状肯定型の目的 ともいえるであ ろう。
2.教 育心理学か ら見た教育の目的
人間の「知・ 情・ 意を育てる」 という教育の日標は、地域、場所、時代を超えて受 け継がれて来た ものの一つである。大 ざっばに言 うと、知は自然や宇宙や人間なども含んだ森羅万象 についての知識 や知恵 を指 し、情は芸術や道徳 まで も含んだ人間の感性にかかわるパーソナ リティーを指 し、意は体 力、気力、勇気、意志等を指すであろ う。最近 になってく人が複雑多岐にわたる高度な社会 に適応 じ てい くために必要なさまざまな技能や態度、例えばコンピューターや各種機械の操作、人間関の調整 能力の養成 といった教育の目標 も出現 しつつある。
教育心理学 は、永 い年月をかけて、人間の発達、学習、動機付 け、人格、適応、集団過程、および 授業、評価等 々の領域 において、各々の領域 に対応 した資質や能力を記述するさまざまな心理的概念 を開発 し、その大小、高低 さらには善 し悪 し等を客観的に評価する手法を研究 してきた。それ らは、発 達、知能、創造性、内発的・ 外発的動機付 け、パーソナ リティの類型論・ 特性論、欲求不満耐性、機 械的学習、有意味学習、認知構造、 スキーマ、個性、条件づけ、 自己学習能力、 リーダーシップとフ ォローワー シップ、表現力、 自己と個性、学習に対する責任感、共感力 と支援力、自己効力、 自主的 態度、競争的態度 と協同的態度、集中力、形成的評価、等々である。
`
教育心理学か ら見た教育の目的は、知識や能力や態度を上のようなさまざまな概念を用いて理解 し それを望 ま しい方向に伸ばす ことにあるということができる。
│3.各 教科 および特別活動の目標
学校 において上記の教育の目的を達するためには、より下位の教育の目的 (目 標 )が 必要 になる。 こ のよ うな目標はどのように して、つ くられるのであろうか。 これまでの日本の教育においては、その よ うな目標は、学習指導要領の形で教師に示 されてきた (表
1参照
)。したが って これまでの 日本の教 師は、独 自の授業を構想する場合以外は、教育 目標の設定にあまり悩む必要はなか った。各教科や、特 別活動、生活科 において も学習指導要領 において、その取 り扱 うべき内容 とそれにかけるべ き時間が 決め られてお り、さらにその教材を通 して、いかなる知識や能力や態度やスキルを育てればいいか も、
細部 にわた って事細か く定 られているのである。
表 l Jヽ 学校
1年の算数の目標
①
具体的な操作などの活動を通 して、数の概念や表 し方について理解 し、簡単な場合につ いて、加法および減法を用いることができるようにする。
②
具体的な操作などの活動を通 して、量の概念や測定についての理解の基礎となる経験を 豊かにする。
③
具体的な操作などの活動を通 して、図形や空間についての理解の基礎となる経験を豊か にする。
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4.総 合的学習時代の教育の目的 (1)な ぜ現在総合的学習が必要か
1)教
科の枠 を超える
教科書を中心 とした従来の教科主義は、入学試験 との絡みで、 ともすると 教科書 に記載 されている知識の習得が優先 されがちであり、現実世界の問題解決能力を十分 に育てて いないことがあげ られる。 このことは、数学や理科の国際 コンクールにおいて、 日本の子 どもは、常 に世界の上位の学力を示 している (国 立教育研究所,1997)に もかかわ らず、実技 テス トや実験を計画 するような実際的な問題 に対 しては正答率が低 く、テス トの成績は参加 6カ 国中、小学生が 4位 、中学生 では最下位であ り、また実験を計画する問題に対 しては、他の 5カ 国の正答率が
68%以上であ ったのに 対 して、わが国は 28%と 振 るわなか った ことに現れている (理 科関連学会 ,1995)。 現実世界の問題解 決 には、教科毎 に分断 されてまとめ られている知識の理解・記憶のみでは不充分で、仮説をたて、 そ れを検証するための知識や技能や表現等 も教科を超えて必要になる。
2)次 の学習 (創 造 )を 自主的に準備する
教科書 に盛 られた体系的な知識を現実世界 と無関連 に 学ぶ方法は、表層的な知識理解・ 記憶 にはす ぐれた面 もあるが、学 びが学校の中で しか通用 しない も のにな り、子 どもの経験 との結び付 きがないことか ら、 もう一段高 い学 び (創 造 )へ はつなが りに く
いという理由 もあげられる。子 どもの学 びは先へ先へ と伸びてい くものであ り、一つの学 びの中か ら、
次の学習課題 とか学習 目標が自主的に見いだされることが、総合的学習では特 に望 まれ る。先の数学 と理科の国際比較 において 日本の子 どもは、数学や理科 に対する態度 (楽 しさ、易 しさ、 日常生活 に 役立つか、数学や理科に関連 した職業に就 きたいか )に おいて、参加国中ほぼ最低の位置に付 けてい る (国 立教育研究所 ,1997)。 このような、数学や理科に対するマイナスの態度 は、次の学習を自主的 に準備するという側面か ら見 ると、非常 に劣 っていることになる。学ぶ ことその ものが楽 しくないの であるか ら、入学試験等が終わった段階で学 びを止めて しまい、 自主的に学ぶ ということが少な くな ると懸念 され る。事実、 日本の大学生 にこの現象が見 られる。
3)新 たな分野 を総合的に学習する
情報化、国際化、少子化・高齢化、環境汚染等々が急激 に進 展する日本の社会では、従来 と同 じような知識習得を中心 とした学習のみては不十分である。変動す る新たな社会 に対応出来 るさまざまな資質能力 と態度の養成が望 まれる。総合的学習では、子 どもが このような社会に対応で きる力を育て ることを目標 とする。 1997年 の 9月 に出された、教育職員養成審 議会の第 1次 答申では、今 日求め られる教師の資質能力 として、地球的視野に立 って行動するための能 力を挙 げ、 「人間尊重 0人 権尊重」 「地球環境」 「異文化理解」 「民族対立地域紛争 とを難民」 「人口と食 糧」 「社会への男女の共同参加」 といった人類共通のテーマや「少子化、高齢化 と福祉」 「家庭の在 り 方」 といった現代 日本の抱えている問題を、教師を目指す学生 に学ばせ ることを求めている。 これ ら の学生が将来教職 につ くことを考慮すると、上記の資質能力の育成は、間違 いな く、小中学校 におけ る総合的学習の 1つ の目標 となるであろう。
さらに、過疎化や少子化・ 高齢化 といった地方および都市周辺部の地域に特有の問題 もある。地域 社会 に住む子 どもたちが、 その地域 に住む ことに愛着 と誇 りを持 ち、地域の抱えるさまざまな問題 に 積極的に取 り組む ことのできる能力 も育成する必要がある。地域社会に密着 した自然、歴史、産業、経 済、地理、伝統工芸、昔話等の教科書 には載 っていない事柄 について体験を中心に学習 して、表現す
る力の育成 も日標 となるであろう。
4)現 在の学校の諸問題 を解決する
現在の学校は、いじめや不登校、学習意欲減退や学力不振、最
近 に到 っては「学級崩壊」 「学校崩壊」が頻繁 に生起するようになった。なぜそのよ うな現象が生起す
るのであろうか。 その原因はさまざまであって、社会のモラルの低下、父性の欠如、家庭の しつけの
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欠如、児童 0生 徒のパーソナ リティの問題、テ レビや コンピュータやマ ンガの悪影響、 クラスメイ ト 間の問題、児童・生徒―教師間の問題等々、あげればきりがないほどである。特に、最近問題 となって いる小学校低学年に頻発 している「学級崩壊」では、幼稚園 。保育園時代の集団行動の経験の不足、保 護者の しつけの不充分 さ、一人ひとりの子 どもを伸ばす教師の力量の不足、等がその原因 としてあげ られている。 いずれに して も、た くさんの要因が複合 して現在の諸問題を生み出 していることは確か であろ う。
この様な学校 に総合的学習を導入 した場合に何が起 きるであろうか。 さらに混乱が増すばか りであ ろうか。それ とも学級は平静 さを取 り戻 して学 びの場 として復活するであろうか。それは一重に、教 師や学校が、 この総合的学習にどのように取 り組むかにかか っている。 もし十分な準備を して、一人 ひとりの子 どもの個性や創造性、興味や関心、等に十分応えることができれば、学級や学校は良 い方 向に改善 され ると思われる。
5)子 どものニーズに応える
物があふれ物質的 に豊かになった日本社会においては、衣・食・住、本、
雑誌、音楽、ビデオ、遊 び、娯楽等々、いずれをとって も子 どもは自分の関心や感性等に基づいて、必 要な ものを自己決定 して手 に入れている。 しか し、教科書の内容の伝達を重要視 した従来型の教育で は、 自己決定の機会 と範囲は僅かである。 この ことが、子 どもの学習への意欲の減退を生み出 してい る可能性を否定できない。総合的学習では、子 どもの興味・ 関心 に基づいた学習テーマの設定が大切 である。
(2)総 合的学習の目標
総合的学習の目標 について考えようとするとき、総合的学習 (ま たは総合学習 )の 実体 について明 確 にす る必要がある。
1)総
合的学習の諸 タイプ
総合的学習が何を意味す るかについては教師や研究者間で、大 き く 異なっている。市川 (1996)の 分類 によると、同一の総合的学習 という語を用いつつ も、以下の、8つ の異な った総合学習のタイプがあるいう。
①
教科課程のコアとしての総合学習
②
評価 と並立 した総合学習
③
一定の期間・問題を限定 した総合学習
④ クロス・ カリキュラム
⑤
既成の教科の枠では収まりがたい学習内容の編成 (小 学校の英語など
)⑥
朝の会の発表等に含まれる総合的な活動
⑦
学校行事・特別活動等に含まれる総合的な活動
③
総合活動の組み合わせ (お 茶の水女子大学付属小学校の「 自主・課題・共同学習
)以上のように、同一の総合的学習という言葉は使いつつも、その実態が異なっている現状は、平成 14年 度より導入される 「総合的学習」の全体的な構想をつくる時に、大きな混乱をもたらすことになる であろう。
2)何 を目指 して総合的学習を構想するか
各々の学校や学級において、総合的学習を構想するとき
上に述べたどのタイプの総合的学習を目指すかによって、日標は大きく異なってくる。さらに、 (指 導
要領の範例に示された )環 境、福祉、国際理解、情報、ならびに地域学習のいずれに重点を置 くかに
よってもはそれは異なって くる。 総合的学習を構想する教師の悩みは尽きないことになる。 このよう
な場合には、原点に返 って、なぜ総合的学習が新設されたかを考える必要がある。学習指導要領にも
明記 されているよ うに、総合的学習は「生 きる力」を子 どもにつけるために新設 されたのである。
し
たが って、 この生 きる力を育てることを最優先 に して総合的学習を構想する必要がある。
総合的学習は、学校の教育方針、学校の規模、教師の専門分野、 PTAや 地域の人々の学校への助力 度、地域の図書館や博物館の充実度、情報機器の充実度、あるいはその地域の産業や経済的状況、 そ の地域の文化、地域人の学校への要望等々によって、展開できる内容 と範囲は自ずか ら限定 されて く る。 このような中で、子 どもの生 きる力を育てるために、その学校でできる最高の総合的学習を構想 す ることが望 まれ る。
3)地 域学習から始める
第 1節 での教育の目的の箇所で述べたように、カナダやアメ リカにおいて は「健全なる市民の育成」が教育の大 きな目標になっている。 これに対 して日本は、 「国民」の観点か ら教育が出発 している。 「市民」や「地域民」を超えて、国民か らすべてが出発するのである。明治以 来、政治・ 経済・ 学術・ 文化、等の分野 において、先進諸国の水準に追 いつ くことを究極の目標 とし て きた 日本の教育 にあっては、中央集権的なこの教育制度 は確かに有効 に機能 してきた。 しか しなが
ら、情報化・ 国際化が急激 に進展 し、 さらに物理的 0心理的環境が急激 に悪化 しつつある今 日の日本 においては、国家が編集 した教科書に沿 った標準的な学習のみでは、地域のさまざまな問題を解決す ることは難 しくな ってきている。 その地域に住む人が、 自分たちの責任で産業 0経済は もとよ り、環 境、福祉、国際理解、情報 といった分野や、その地域の文化や教育 に対 して責任を持つ必要が起 きて きているのである。その地域の未来を担 う子 どもたちに対 して、地域学習か ら始め、それを核 として、
そ こに環境、福祉、国際理解、情報 といった分野を有機的に組み込み、地域学習の成果を学校内は も とより、学校外へ も発表会やイ ンターネ ッ ト等を使 って発信する学習が望 まれるのである。
3)深 い理解 のための学びを目標 にする
総合的学習の領域 として、環境教育、福祉教育、国際部 理解教育、情報教育、地域学習の領域が例示 され、 「体験」や「表現」が重要視 されると、イベ ン ト中 心の学習が進行する恐れがある。事実、先進校で行われている総合的学習の中には過度 に表現 に偏 っ ているものが少なか らずある。そこには、物事の深 い理解の観点が欠けている。
小田 (2000)が 紹介 しているように、 アメ リカのポー トフォリオ学習の中での理系の学習ではいつ も、 「関数 とは何か」がテーマにな っている。 「樹木の成長 と時間」、 「熱 いコー ヒーが冷めるまでの温 度変化 と時間」 「ノ
Jヽ学校児童の虫歯の数 と給食の残量」、など、身の周 りにある事象対象を関数の考 え で理解するのである。 このような学 びは、現在の教科の枠組みの外側に立 って算数 (数 学 )や 理科や 社会 との融合を試みるものであ り、日本の総合的学習の一つの在 り方 として大切であると小田はいう。
教科書の中で一次関数、二次関数、三角関数などが数式 とグラフのみで形式的に教え られるだけでは、
「深 い理解」には到達 しないというのである。教科を総合 し、さらに現実世界 と対応づけた このような 学習は、総合的学習の主要な目標であるのは間違 いない。
4)個 性化・個別化学習を目標 にする
加藤 (1982,1994)は 、日本の教室で特徴的な「一斉画一授 業」を批判 し、 「個別化 0個 性化教育」を提唱 している。 「一斉性」 とは授業のほぼすべての指示が教 師の発言 によって開始 され、展開 されるよ うな授業を指 している。 「 8ペ ー ジを開いて下 さい」「第
1節か ら2節 にかけて主人公の気持 ちはどのように変化 したで しょう」 「黒板を見て この問題を解 いて く だ さい」等がその例である。「画一性」とは、クラス全員が「同一の学習課題」に取 り組む ことである。
単元の学習にあたってまず「課題作 り」を行い、話 し合いを通 して共通課題 に練 り上 げ」てい くとい う学習形態を とるのが通常である。
一斉画一授業の問題点は、授業の中心が常に教師にあ り、学ぶ側の子 どもはどうして も受 け身にな
らざるを得ないという点 にある。
この ことか ら「生 きる力」の中に示 されている「 自ら課題をみつけ、
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自ら学習する¨」というこれか らの教育 目標の中心が抜 け落 ちることにな り、 「学習に対す る責任」や
「 自己学習能力」等を十分に育成できないという致命的な欠陥がある。総合的学習は、子 どもの興味・
関心等 に基づ いて、個別化・ 個性化 した学習を展開で きる可能性を大 いに秘めている。
5)総 合的学習で伸ばす心理的諸能力 と態度
教育心理学的観点か らは、弓野 (1999)が 提唱する創 造力、 リーダー シップ、勇気、表現力、自己と個性、学習に対する責任感、自己学習能力
,自己効力等 の種々の心理的能力や態度の育成 も、総合的学習で伸ばす ことが期待 される。 このような目標 に対 し て、学習者 とともに、教師 も自己を変革 して総合的学習に取 り組むことがなければ、 この学習は、時 間や労力や費用をかける割 に、実 りある成果を達成で きないで終わることになる。 この学習は、内容 が決まっていないので、 どのような分野や領域 に子 どもたちが興味・ 関心を持つかによつて、展開の 仕方は大 きく異なることが予想 される。 したが らて、学習者 とともに教師の自主性や企画力や創造力 や実行力が試 されるのである。地域の中で、 この学習を実践する場所の確保や援助を仰 ぐ人の確保 と いった、これまでの日本の学校ではほとんど考慮 されて こなかった学習環境の整備、例えば図書館、地 域民の学校教育への参画等、 も教師の仕事の一部 とな り、その仕事の適切性 によって、子 どもの学習 成果は大 きく異なって くることが予想 される。教師は、 これまでの教室での一斉画一授業 とは異な っ た、新 たな資質を磨 くことが求め られる時代に突入 したのである。
.5.総 合的学習の目的 と大学・ 大学院教育の目的
2,002年 度 よ り小中学校、 2,003年 度 よ り高等学校 に総合的学習が導入 された。その時間数 は週 に 2‑
3時 間 にわた っている。 どのよ うな内容を総合的学習で取 り上 げるかについては国の基準があるわ け ではないが、現在、環境、福祉、国際理解、情報 といった分野や、地域学習などがその候補 として挙 げ られている。現在行われているすべての教科内容をほぼ 3割 削減する中で新 たに導入 され る総合的 学習 においては、 どのような知識、能力、 さらには態度を育てればいいのであろうか。中央教育審議 会の答申や新学習指導要領では、それは「生 きる力の育成」であるという。 この力の実現 に向けて、既 に、新 たな教育実践が始 まっている。
このような生 きる力は大学・ 大学院の教育の目標 とどのようにかかわっているのであろうか。 い く つかの答申を見てみよう。
(1)大 学審議会答申
(1998)「我が国の発展 と高等教育」と題する大学審議会の答申 (1998:Pp.8)の 中に、 「大学等の高等教育機 関がその求 め られる役割を十分に果 してこそ、人々の知的活動 0創 造力が最大の資源である我が国が、
21世 紀の国際社会において、知的 リーダー シップを発揮できる国、 自ら独創的な知的資産を創造 し新 領域を開拓 していくことができる国、真 に豊かな社会が実現できる国 として、国際貢献を果 しつつ発 展 していくことが可能 になる」とするくだ りがある。加えて、 「人々の知的活動・創造力が最大の資源 である我が国 にとっては、国民の知的・ 文化的基盤の一層の充実・ 向上を図ることが、今後、わが国 が活力のある国家 として国際社会の中で発展 していくための鍵 となる。特に、学術研究の推進 と科学 技術の発展は重要であ り、従来の追 い付 き型の手法か ら脱却 し、人文・ 社会科学 と自然科学 の調和 の ある発展を図 る科学技術創造立国を目指 して、 自ら独創的な知的資産を創造す るとともに、新 しい領 域を開拓 し、ひいては人類社会の発展に貢献 してい くことが求 め られている (Pp.9)」 とするくだ りも
ある。
さらに、 「大学院の教育研究の高度化・多様化の項 (Pp.59)」 に述べ られている「 21世 紀初頭の社会 状況の展望等を踏 まえると、 これか らの社会が とくに必要 としているのは、細分化 された個々の領域 における研究 とそれ らを統合・ 再編成 した総合的な学問 とのバ ランスの とれた発展であ り、学術研究 の著 しい進展や社会経済の変化に対応できる幅の広 い視野 と総合的な判断力を備えた人材の養成であ る」 とするくだ りもある。以上に述べ られた大学や大学院教育の目標は、総合的学習で指向する目標 と大 き く重な りあ うものである。
(2)学 術審議会答申
(2000)「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進 について
―知的存在感のある国を目 指 して一」 と題す る学術審議会の答申 (2000)の 中に、学術研究の意義 として、
「学術研究は、人文 0社会科学か ら自然科学にまで及ぶ知的創造活動であ り、人類共通の知的資産を 形成す るとともに、産業、経済、教育、社会などの諸活動 0制度の基盤 となるものである。 また、人 間の精神生活の重要な構成要素を形成 し、広い意味での文化の発展や文明の構築 に大 きく貢献す るこ
とが期待 され るものであ り、国が中心になってその振興 に努めるべきである。」とあ り、その中身 とし てまず 20世 紀の、学術・ 科学技術研究の問題を、
「 20世 紀の文明を支えた学術・ 科学技術学術研究は、科学技術の中核に して基盤 となるものである。
科学技術は今世紀の文明を支えてきたが、他方、温暖化現象、酸性雨等の地球環境問題やエネルギー・
資源問題な ど、 20世 紀型科学技術か らもた らされた負の面 も日立つようになっている。」 と指摘 し、 21 世紀の、新 しい文明構築のための在 り方を、次のように提言 している。
①
新たな発展のためのラロンティアを切り開く先導的・独創的な学術・科学技術の役割が一層重 要である。
②
自然等との調和を内包する持続的発展に適した、言わば「 21世 紀型科学技術」及びその中核・基 盤となる学術研究を推進する必要がある。
③
精神的充足感に重点を置く価値体系として「新 しい豊かさ」を目指すことが必要である。
④
先導的・独創的な学術研究推進による「知的存在感のある国」の構築が必要である。
⑤
我が国は、今こそ先導的・独創的学術研究の推進により、新たな文明の構築に貢献 し、言わば
「知的存在感のある国」を目指すべきである。
⑥
また、我が国が「知的存在感のある国」となるためには、研究成果等の情報を積極的に海外へ 発信することが重要である。
以上の目標 も、総合的学習の目標と大きく重なるものである。
第
2章
総合的学習時代の教師の仕事
1.教 育実践家の考える教師の仕事
教師の仕事 とは何であろ うか。 それは「教える」 ことである。 ここでの教 えるとは何であろうか。
人によってその中身はまちまちである。 ある人 は、教科書の内容を分か りやす く子 どもに理解 させ る
ことを教えることの中心 に置 くか もしれない。他の人は計算問題や応用問題がす らす らと解 けるよ う
に子 どもの能力を高 めてや ることを、その中心 に置 くか もしれない。また他の人は、 きれいな音楽や
すば らしい芸術作品の鑑賞や演奏・ 表現技術の習得を教えることがより重要であるとするか もしれな
総合的学習時代の教育に関する一考察
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い。 さらに他の人はサ ッカーがで きるよ うにな った り、跳 び箱が跳べる体力や技術のような身体的能 力の育成 が大切 であると考え るか もしれない。 そのよ うなわけで、教師の仕事 には無限のバ ラエテ
ィーがある。
島小の名校長 として、数多 くの実践記録・本を残 した斎藤喜博 (1990)は 、教師は、①一人 ひとりの 子 どもの成長を助 け、② その時々の事実を基 に事実を創造 し、また③先人に直接手を取 って教わ り、④ 自分の実践か ら学 び、⑤他人の経験か らも学 び、⑥難物の子 どもか ら学 び、⑦絶えず学 び続 ける姿勢 を もつ ことが大切であると説 く。戦後す ぐに始 まったかな り古 い教育実践であるにもかかわ らず、一 人ひとりの子 どもの個性の育成を重要視する斎藤校長の実践は、現代の総合的学習時代 にもフィッ ト
した実践であると思われるのでく以下 に彼の講演の一部をまとめる。
(1)一 人ひとりの子 どもの成長を助 ける
教えるとい う仕事 は、一人ひとりの子 どもの成長を助ける仕事であって、子 どもの持 つている無限 の可能性を引 き出 し、それを形に してい く仕事である。教えるということは、決め られた ものを一方 的に教えるものではな くて、子 どもの事実に従 って、子 どもの持 っているものを引き出 してい くので ある。
(2)そ の時々の事実を基 に事実を創造する
教師の仕事 には、一般的な方法 というものはない。 いつで も日の前にいる子 どもの事実を もとに し て、それがよ りよ くなるように考 え工夫 して仕事をする。だか ら一定の方法 とか、 どこにで も通用す るような方法 というものは、教師の仕事 にはない。教育 (教 える
)という仕事 は、その時々の事実 を 基に して創造 してい くという本質を持 っている。具体的に生 きて存在 している子 どもとい う対象 と、
そこに生 きて存在 している
1人の人間 としての教師 とが、相互 にかかわ り合 っていく仕事である。
(3)先 人 に手 をとって教わる
先人 に直接手をとって教えて もらった り、先人の仕事 に直接触れることに、 よってそこか ら教える ことについてのノウハ ウを盗んで くる。そ ういう作業を しないと研究 も実践 も本当に質の高 いものに はな らない。ただ形のみを真似するだけではだめで、先人の実践か ら原則的な ものをつかみ、 自分の 実践 に取 り入れる努力が必要である。
(4)自 分の実践から学ぶ
曲が りな りに も自分で考えた 1つ の実践を して、再 び教育理論な り、実践記録な りに当たってみ る と、 また受 け取 り方が違 ってきます。捉え方が違 って くるのです。同 じものか ら宝を くみ取 る能力が 出来て くる訳です。 そ うす るとまた自分のを実践の レベルが上が ります。
(5)他
人の経験か らも学ぶ
他人の実践記録があった場合、 とにか くそれをなぞ って忠実に繰 り返 してみる。初 めは うま くいか ない。 しか しその実践記録の中にある考え方 とか、原則的な もの とか、方法や技術の必然性 とかを見 つけてい く。 そ してそれを応用 していく。すなわち他人の経験か ら学びなが ら、自分のより高い実践 を作 り出 して行 くのです。
(6)難 物の子 どもか ら学ぶ
難物 といわれ る子 どもを諦めて しまわないで、む しろ難物 といわれる子 どもか ら学ぶ ことが大切で す。難物だ と言われ る子 どもがで きるようになった時、教師は、教育の原則 とか法則 とか、教育の技 術 とか方法 とかが
1番はっきりとわかるのです。周 りにいる他の子供たちも、最 もできないと思 ってい た子 どもがで きるよ うになったのを見て、その中にある原則 とか法則 とかを深 く学び取 り、 自分はよ
り高 いところへ進 もうと自覚 して努力す る。
(7)絶
えず学び続 ける姿勢が大切
教師が毎 日同 じことを固定的にや っていると、子 どもは集中 しな くな ります。 そ うか と言 って、あ っと驚 くよ うな授業を毎回やれるかとなると、現在の教師の置かれた状況、授業時間数 とか、雑務 と か、教師の力量 によって、そんな ことは出来ないので、島小のときは、 「
1番自分の得意 の教科で、 1日
1時間だけ、決定的な仕事をすればよい」とする実践を した。その方が能率が上が り、子 どもの力 もつ いた。
2.社 会的資質育成の観点からみた教師の仕事
その字が示すように、先生 (教 師 )は 、子 どもよりも先 に生 まれた人である。 したが って、子 ども 一人 ひとりが この複雑で価値観の多様化 した社会を生 き生 きと生 きることがで きるよ うに、教師は、
人生の師 として行動 し、子 どもの人生のモデルとなることも期待 されている。 しか しなが ら、 この多 様化 した今 日の社会は、何が真 0善・ 美であり、何が偽・ 悪・醜であるかを、明確に判断す ることは むずか しい。教師の間にあ って も、大 きな価値観の違 いが存在 している。
一時期、運動会の 100m競 争がマスコ ミをにぎわせた。ある若手の教師たちは、子 どもに
1、2位 の 差をつけるのは教育上好 ま しくないので、ランナー全員が手をつないでゴールするのがいいと主張 し、
事実 そのような無競争が行われた。 もちろん、このような
100m競争に反対 した教師 もた くさんいた。
受験競争が激化 して、テス トの成績のみな らず日常の各種の態度 まで も内申点 として評価 され、それ に したが って進路を決定 しなければな らない現在の学校においては、確かに過度に競争 させ ることは 慎 まなければな らないか も知れない。 このような視点か らみると、若手教師の主張に も一理 ある。 し か しなが ら、同 じ論理がすべての教育場面を支配 したときには、教育は崩壊す る。すなわち、一人 ひ
とりの子 どもの個人差が無視 されるのである。すべての子 どもを同一水準 で行動 させ ることによ っ て、個性が伸 びないばか りでな く、低 い水準の教育に陥 って しまう可能性を否定することができない か らである。子 どもたちの生 きる未来の社会がまった く競争のない社会であるな らばいざ知 らず、現 実 は過去のいずれの時代よ りも競争を必要 とする高度情報化社会 に突入 しているのである。実世界 に 出たときに、子 どもが生 き生 きとした人生を送れるよ うに、一人 ひとりの個性を磨 く教育は、今後 ま すます重要視 されなければな らないであろう。
最近 になって、学級崩壊、 さらには学校崩壊 という事件が連 日マスコ ミをにぎわ している。小学校 の高学年は言 うにおよばず、低学年において も、それが見 られるのである。何が原因でこのような事 件が発生するのか。 これについては今後の研究 に待つ必要がある。現在 ささやかれている主要な原因 として、①幼稚園や保育園 における集団訓練や しつけの不足、②若い父母の家庭におけるしつけの不 十分 さ、③ 子 ども一人ひとりの要求・ 欲求に応え られない画一的な授業 システム・教育内容・教育方 法等 とともに、④教師の授業技術の未熟 さおよび子 どもの善 さを認知する力量不足 もあげ られている。
このよ うに、古 き善 き時代の学校 とは大 きく隔たって しまった現在の学校において、子 どもの社会 的資質を育成す るために教師は、 どのよ うな価値基準 に立脚 して 日々の実践 をすればのであろ うか。
この基準 については誰 もが思い悩むであろう。 ロバー ト ・ フルグラム (1990)は 随筆の中で、人生 にお けるこの社会的資質 について「私の信条」 としてまとめている。彼によると、人生に必要なすべての 知恵は、大学院 という山のてっぺんにあるのではな くて、 日曜学校の砂場にすべて埋 もれているとい
うのである。彼がそこで学んだ ものは、
①
何で もみんなで分 け合 うこと。
②
ずるを しないこと。
総合的学習時代の教育に関する一考察
269
③
人をぶたないこと。
④
使 ったものは必ず元の所に戻すこと。
/⑤
散 らか したら自分で後片付けをすること。
⑥
人のものには手を出さないこと。
⑦
誰かを傷つけたら、 ごめんなさい、ということ。
③
食事の前には手を洗 うこと。
⑨
トイ レヘ行ったらちゃんと水を流すこと。
⑩
焼き立てのクッキーと冷たいミルクは身体にいい。
①
釣 り合いのとれた生活をすること
一
毎 日、少 し勉強 し、少 し考え、少 し絵を描 き、歌い、
踊 り、遊び、そして少 し働 くこと。
⑫
毎日必ず昼寝をすること。
⑬
おもてに出るときは車に気をつけて、手をつないで、離ればなれにならないようにすること。
⑭
不思議だな、 と思 う気持ちを大切にすること。
⑮
すべての生 き物はいつかは死ぬ。人間も死から逃れることはできない。
フルグラムによれば、人間として知 っていなければならないことはすべて、この15の 中に何 らかの 形で含まれているというのである。簡潔にまとめられた信条であるが、確かに、この中に人生に必要 な社会的資質がまとめられている。小学校低学年担当の教師の仕事としては、 フルグラムの信条は大 いに参考になるであろう。
3.専 門職 としての教師の仕事
学校において、教師が、教育に中心的な役割を果たしていることは昔 も今 も変わらない。学校がさ まざまな問題を抱えて くればくるほど、それを解決 して、生徒の力量を伸ばすことのできる「専門職 としての教師」の存在が不可欠になって くる。総合的学習が導入され、地域との連携が必要 とされる 今後の学校においては、教師は単に学校・学級内の仕事をこなす力量をもっているのみでは不十分で、
社会的なネットヮークを形成できる専門職としての力量が問われることになる。
吉田 (1988)が「 ILOと ユネスコの教師の地位に関する勧告」として紹介 したように、教育という仕 事は、 「専門職」とみなされるべきである。 この職業は、厳 しい継続的な研究を経て獲得され維持され る専門的な知識及び特別な技術を要求する。さらに、責任を持たされた生徒の教育および福祉に対 し て、個人的及び共同の責任を要求する。そのような訳で、一人前の教師になるためには、長い時間を かけて教科指導、学級指導、学級運営、特別活動の実践力を磨 く必要があるばかりでなく、今後にお いては、総合的学習を支えるために、以前にも増 して長い年月に亘る経験と日々の研修が求められる。
アメリカの リーバーマン (Mo Lieberman,1956)は 、専門職の条件として、下の
8つの条件を挙げてい る。
①
独特で、明確で不可欠な社会的な仕事であること。
②
その仕事の遂行にあたっては知的技巧に重点があること。
③
長期間の特別な訓練が必要であること。
④
個人 としても、また職業集団全体 としても、広範囲な自立性を持 っていること。
⑤
職業的自立性の範囲内における判断や行為について各人が広範囲に責任を持つこと。
⑥
収入を得るというよりは、なすべき仕事そのものに重点が置かれること。
⑦
総合的な自治的な同業者の組織を持 っていること。
③
倫理綱領があること。
・
教師という職業を上記の要件に照 らせば、確かに、教職は専門職 ということができる。 これに反 し て、教科書に盛 られた内容を子どもに教えることのみが教師の仕事であると考えている人は、教師は 大学を出た程度の教養がありさえすれば、誰にで も直ちにできる易 しい仕事 と考えるか もしれない。
確かに、非常に専門的で高次な知識・技術を必要 とする医師や弁護士 といった、誰 もが認める典型的 な専門職に比べると、教職の専門性は低いであろう。 ところが、一人ひとりの子 どもの個性や能力や 才能を見つけ出 し、それらの特性に合った教育 プログラムを作 り、一人ひとりの能力を豊かに開花 さ せるまでの力量を、教師が持 っていたとするなら、その教師はまぎれもなく一人の優れた専門家であ
るということができる。
4.教
育心理学から見た教師の仕事
教師の仕事は多岐にわたるので多 くの教育心理学的概念が必要になる。それらの中でここでは、 「動 機づけ」 、 「個性の発見」、 「発間の種類」 、 「表現」について整理 しよう。
(1)子 どもの善さをみつけほめる
1)一
人ひとりの子どもの善さを見つける
学習活動のさまざまな局面において教師は、子 どもを ほめることを行 うであろう。それは学習計画、学習過程、学習結果、学習への意欲・態度・関心等々、
広範囲に及ぶであろう。いずれにしても、教師が子 どもをほめようとする時には何 らかの善 さを見つ け出 し、それをほめることになる。教育心理学的に見たとき、 どの様な領域や能力やパーソナ リテ ィーに善さを見つけ出すことが可能であろうか。
1ガー ドナー (1999)は 、人間は7つ の「多角的知性」を持つという。それらは、
①
言語的知性
(詩人、作家、名演説家がす ぐれている
)②
論理的数理的知性 (科 学者や数学者がす ぐれている
)③
音楽的知性 (作 曲家や演奏家が優れている
)④
空間的知性
(彫刻家や建築家がす ぐれている
)⑤
身体運動的知性 (運 動家やダンサーがす ぐれている
)⑥
対人関係知性 (セ ールスマンや教師がすぐれている
)⑦
自己認知知性 (自 分自身についての認知がす ぐれている
)である。一人ひとりの子 どもを見るときに、この7つ の知性を考慮すると、どの子 どもにも必ずどこ かに優れた知性を見いだすことができるであろう。
ガー ドナーとは少 し違 った視点から、スクロム (2000)は 人間の能力を7つ に分けている。
①
学問的能力 (各 教科の成績 と関連 した能力である
)②
創造性 (新 たなアイデアや新たな産出を行える能力である
)③
巧緻性 (手 足や身体が器用であるかどうか
)④
共感力 (人 の心の機微に共感できる力である
)⑤
判断力 (多 くの情報を総合 して的確な結論を出せる力である
)⑥
動機の強さ (や る気の強さを指 している
)⑦
人格性 (明 るさ、親切、快活、繊細、社交的、冷静、感受性が強い等のその人のパーソナ リテ ィーを指 している
)スクロムの能力観には、共感力や動機の強さや人格性といったものも含まれている。彼はそれらの
能力が、他の能力 とともに学校や社会での成功 と結びつ くものとしている。 このような観点か ら子 ど
総合的学習時代の教育に関する一考察
もの特性を見てい くと、一人ひとりの子 どもの善 さが見えて くる。子 どもの個性を伸ば していくため には、 さまざまな個性に対する教師の認知がまず最初 に必要である。 スクロムの能力観はその基礎 を 与えて くれ る。
2)ほ める行為の教育的機能 教育が どのように変化 しようとも、子 どもにやる気を出 させ るために は、 「 ほめる」という行為は欠かせない。それは教師の重要な教育活動の一つになっている。総合的学 習の時間において子 どもの興味や関心 に基づ く学習が導入 されようとしている今、 「 ほめる」という行 為は以前 に も増 してますます重要 になって くる。なぜな ら、総合的学習 には筋書 きがないので、子 ど もは褒 め られ ることによって、 自分の行 っている学習活動が教師の求める方向にあることを知 るか ら である。結果の表現の仕方の素晴 らしさをほめると子 どもは表現 に力を入れるであろ うし、高齢者 と の交わ りの素晴 らしさをほめるとそこに関心を示すだろうし、環境問題の論点 の適切性をほめるとま すます張 りきって環境問題 に取 り組むであろう。教科書がな く、学習テーマが決め られていない総合 的学習 においては、教師の力量が子 どもの学習の質を決めることが起 きて くる。保護者や地域 に住 む ボランティアの援助の必要性が説かれる所以である。
教師の仕事 には、必ず「評価」が伴 う 6現 在の学習評価は、観点別になっている。 それ らは①「 関 心・ 意欲・ 態度」、②「思考・ 判断」、③「技能・表現」、④「知識 0理解」の4つ である。 これ らの 4 つの観点は教育心理学の概念 と、密接に関係 している。それ ら観点の教育心理学的な意味をまとめな が らなが ら、教育心理学か ら見た教師の仕事について考察 しよう。
(2)関 心、意欲、態度 を育てる
関心、意欲、態度 に密接 に関連 した教育心理学的な概念は「知的好奇心」 と「動機づけ」である。
1)知
的好奇心
幼児の日常は好奇心 にあふれている。 ア リの行列がいればそれについて行 って、
入 り口にたどり着 いたところでそれを掘 り返 してみた り、穴が空 いていればそれに粘土を塗 り込んだ り、音の出るものがあれば中身を確かめようとしてそれを壊 した り、大人の日か ら見れば、 「 いたず ら」
に しか見えないような行動を しば しばする。 この好奇心は言葉が発達すると、親や教師 に対する質問 となって現れる。 「 これなあに」、 「 どうしてそうなるの」、 「 だれがそれをやるの」、 「 いつや って もらえ るの」 ・・ とその質問はとどまるところを知 らない。 このような好奇心は人間 に限 らない。ハー ローは、
サルがチエの輪パ ズルを繰 り返 し繰 り返 し解 くさまを観察 している。チエの輪パズルを解 いたか らと いって何 も報酬 は与え られないのにである。
ところが 日本の学校では学年が上がるにつれて、一部の子 どもを除いて、 このような好奇心は急速 に影をひそめて くるのが常である。なぜだろう。おそ らく、知識注入型の日本 の教育 とは無関係では あるまい。新 しく導入 され る総合的学習の時間を大いに活用 して、子 どもの知的好奇心を伸ばす教育 を目指す必要がある。
2)内
発的動機づけとは何 か
内発的動機づ けの中心 にあるのは知的好奇心である。上で述べたよ
うに、人間は、環境の中の未知なるものに興味を もつ。そ してそれについてさらによ く知 りたい、 自
分な りに首尾一貫 した知識の体系をつ くり上 げたいという要求 も持つ。 また、今の自分をよ り改善 し
たい、今よりよい方向に伸ば したい、 もっと向上 したいという欲求 も持 っている。加 えて、人は環境
と相互作用す る中で、 自分の有能 さを追求する傾向 ももっている。金づちを手 に した子 どもが しきり
に周囲の事物 をたた く背景 には、事物 についていろいろ知 りたいと思 う知的要求 とともに、 それ らの
271事物を壊す ことのできる自分の「 有能 さ」を確かめたいとする欲求 もあるといわれている。 自分の内 面か ら湧 き出て人間をより望 ましい方向に向かわせ るこのような動機づけを、内発的動機づけという。
現在の教育の中で求め られている「 自己学習能力」は、内発的動機づけに裏付 けられた学習能力であ る。
3)評 価 は内発的動機づけを高めるか
常識の範囲では、専門家が作品等を評価す るとい う環境で は、人 はますますやる気を出 しより素晴 らしい創造をするのではないかと予想 される。 ところが、 こ れに反するデータがた くさんある。加
abileら(1990)は アメ リカの大学生にオ リジナルな内容の「 アメ リカ俳句」を作 ることを求めた。学生たちは [専 門家 による評価の有 一無 ]と [4人 の共同作業 ‑1人
作業 ]を 組み合わせた4群 に分 けられた。専門家による評価有 り群では、実験者は俳句の内容に対応 じ た手書 き表現 に関心があり、それ らの対応の適切 さが専 Fl家 によって評価 され ると伝え らた。評価無
し群では、実験者は手書 き表現 にのみ関心があり、俳句の中身について評価するのではないと伝え ら れた。学生たちの作 った俳句は
10人の専門家によって創造性が評定 された。 その結果が図 1に 示 され ている。共同作業す るかそれ とも1人 で作業をするかにかかわ らず、評価無 し群の方が高 い創造性得 点をとっている。すなわち、専門家による評価があると伝え られた評価有 り群は評価を気にするあま
り、創造 に対する内発的動機づけを減 らして しまった と解釈 されている。
図
1 俳旬の創造性の平均値
30 圭 単
::
製
15扇 1:
0
日評価有り群
■評価無し群
共同作業 1人 作業
作業形態
4)外 発的動機づけ
外発的動機づけとは、人間の社会においていたるところで使われている動機 づ けである。「 お使 いを してきた」、「宿題ができた」、「良 い成績をとった」時に「 ほめた り褒美を与 え」、それが達成 されなか ったときには反対に「 しかる」、「小言をいう」、最悪の場合には「罰を与え る」 というよ うな「 アメとムチ」による動機づけである。容易に使 うことができるし、かつ即効性が あるので日常 しば しば用 いられる。
しか lな が ら使 う人がその使用法を誤 ると取 り返 しのつかないことが起 きる。「 90点 とれた ら何々
を買 ってあげる」 というよ うに、賞によって望 ましい行動を起 こそうとすると、子 どもは賞が欲 しく
て行動を起 こすようになる。 さらにその賞は、子 どもの成長 とともにますます高価な ものになる傾向
があ り、親等がそれに応え られないときには、非行に走 って しまうこともよく聞 くところである。 さ
らに、 この動機づけはそれを与える人 と密接に関連 している。教師に気に入 られたいがために、学習
に対 して積極的な態度を示す子 どもが出現するに違 いない。それゆえ、この条件づけは必要最小限に
総合的学習時代の教育に関する一考察 273
とどめ、学習内容や教科内容に対する内発的動機づけを高めるような学習指導が必要 となる。
自己学習能力が強調 され、 自ら学ぶ学習が奨励 され る総合的学習時代の教師にとっては、子 どもの 内発的動機づけをいかに して高めるかは重要な仕事 となる。
5)関 心 0意 欲・ 態度 を伸ばすためにどこをどのようにほめるか
教師は学習活動のさまざまな局 面 において子 どもほめることを行 っている。 「 ああよ くできま したね」、 「 きれいに描 けま したね」は、
「結果」をほめていることになる。関心・意欲・態度を伸ばすためには結果のみを褒めるだけでは十分 ではない。子 どもが未来に向かって自ら学習を計画 し準備するような行動に対 しても十分にほめるこ とが必要である。 「今日は勉強の準備がよくできていますね」 、 「今日の勉強に関係 した資料をよく集め ましたね」、 「 A子 ちゃんはそんなところに興味を持 っていたの、皆に話 してちょうだい」、 「長いい時間 をかけてよくこんな複雑な作品を作 ったね」、等々である。
(3)思 考力・ 判断力をつける
思考力・判断力はそのまま教育心理学的な概念である。評価の観点か らは、子 どもの思考力や判断 力がどの程度あるかを認定することが中心になるが、思考力・判断力の育成の観点か らは、教師が授 業をどのように展開 し、発問 し、いかに疑間に応えていくかが焦点 となる。加えてそれ らの能力を伸 ばすための教育技法をた くさん知 っていて、場面や教材に応 じてそれらを使い分ける力量 もポイント になる。
1)発