多摩地域水道の都営一元化における広域化の意味 †
中庭 光彦∗1 多摩大学総合研究所∗1
本稿の目的は東京都水道局による多摩地域水道一元化を事例に,人口減少時代における多摩地域 の統合的水資源戦略を考察するための歴史的視角を与えることにある.多摩地域水道の都営一元化 開始当初は,安定給水と格差是正が目的の水道広域化であった.後には,水道経営の効率化を目的 とした広域化に移行していく.水道政策の広域化過程と首都圏水資源政策の開発過程の両面を見る ことが多摩地域の理解につながる.垂直的で硬直的な水資源開発制度において,公共経営主体の水 平的な広域化は効率化と共に水資源開発者に対する交渉力を獲得することになる.この課題解決の 枠組と統合的水資源戦略の適合が今後の課題となる.
In this article, I would like to propose historical perspectives to investigate the strategy of integrated water resources management in the smart shrink, based on the merger of municipal enterprises of waterworks in the Tama region and the Tokyo waterworks bureau. In the first stage, the merger executed to take stability of water supply and to get rid of differentials Tama and Tokyo. In the second stage, the merger executed to make efficiency of waterworks administration. To understand the policy of water use in the Tama region, it is necessary to investigate from the point of view both policy of water supply systems for wide-area operations and policy of water resource in metropolitan area. In the vertical and rigid institution of water development, horizontal merger of municipal enterprises make efficiency and take bargaining power. It needs further consideration that we research integrated water resource management of the Tama region from the historical perspective.
キーワード:都営水道一元化,首都圏水資源開発政策,水道広域化政策,統合的水資源管理 Key Words: the Merger of Municipal Enterprises of Waterworks in the Tama Region and the Tokyo Waterworks, Policy of Metropolitan Water Resource Development, Policy of Water Supply Systems for Wide-area Operations, Integrated Water Resources Management
2011年2月10日受理
†Mitsuhiko Nakaniwa∗1 : A Study on Policy of Water Supply Systems for Wide-area Oper- ations Based on the Merger of Municipal Enterprises of Waterworks in the Tama Region and the Tokyo Waterworks
Tama University Research Institution∗1 , Tama University, 4-1-1 Hijirigaoka, Tama-shi, Tokyo, 206-0022 Japan
1. はじめに
地域活性化や地域づくりなど様々な名称で呼ばれる地域開発において,公共サービスの効率供 給は重要なテーマである.効率化手段の一つに事業の連携や合併を含む広域化があるが,その内 容は事業テーマにより多様である.一般的に,市場メカニズムが健全に機能している場合,合併や 連携はスケールメリットと補完効果により経営効率を上げると双方の当事者に期待される.しか し,水道事業のような公共的な事業においては経営資源の財産権が規制されていたり,公共的な目 的を実現するための政策,双方の文化の違い等が存在するため,合併や連携を含む広域化が所期の 期待通りに進まないことが往々にしてある.このため,将来の合併や連携といった広域化政策の 意思決定を行う際には,既存制度の歴史的な分析を行い,自らが拠って立つ現時点での視角を明確 にすることが不可欠となる.
本稿ではこのような認識に立ち,東京都による多摩地域水道の一元化過程において,どのような 選択がなされてきたのか「広域化」の意味の推移に注目し検討を行い,多摩地域における今後の統 合的水資源戦略を考える際の歴史的視角を提供することを目的とする.
2. 問題の所在
昭和30年代以降,多摩地域の各市町水道局は流入人口の大幅な増加のために,取水源を地元地 下水から利根川・荒川水系の表流水に転換した.そして,各水道局は東京都水道局へ一元化され統 合された.この結果,多摩地域各市町の水道は現在にいたるまで,基礎自治体,東京都,国の三層 のアクターによる水資源政策と水道政策の交錯する地域であり続けている.
本稿が対象とする多摩地域水道の都営水道への一元化(以後「都営一元化」)とは,1971年(昭 和46年)に東京都によって策定された「多摩地区水道事業の都営一元化基本計画」に始まり,そ れまで1957年(昭和32)に制定された水道法に則り,各基礎自治体で営業していた多摩地域各 市町水道局が東京都水道局に統合され,東京都水道局が広域水道に移行した過程である.2012年
(平成24)3月の三鷹市,稲城市をもって,昭島市,羽村市,武蔵野市を除く26市町の都営水道 一元化が完了の予定である(1).実に41年かかり都営一元化という東京都水道の広域水道化が実現 されることになる.
都営一元化の過程は平坦ではなかったが,前史も含めれば4つの時期に分けることが可能であ る.「(1)各自治体による独自水道経営時期(1928年・昭和3—1963年・昭和38)」,「(2)東京都 から各市への分水時期(1964年・昭和39—1969年・昭和44)」,「(3)逆委託方式による一元化時 期(1970年・昭和45—2002年・平成14)」,「(4)逆委託解消期(2003年・平成15—2012年・平 成24)」である.
多摩地域各市町村の多くは戦後独自に水道事業を開始した(2).そのほとんどは取水源を地下水
に求めていたが,増大する人口に地下水取水は過剰揚水に陥り,地下水位は下降を始めた(3).こ のため,多摩地域各市町村は東京都に支援を要請し,その結果東京都水道局からの分水が実現し た.しかし,分水料金が特別区に比べ割高であるという,所謂「三多摩格差」が問題化した.多摩 地域市町は分水料金格差是正を求め,東京都も求めに応じる形で都営一元化を決断した.しかし,
都営一元化により各市町の水道局職員給与が都職員に移ることにより下がることから,職員の身 分保障を求めるという名目で自治労が介入し,都営一元化は難航した.解決のための妥協策とし て,一元化を実施するが現場業務を自治体に委託し直すという「逆委託方式」を自治労と都が合意 し,都営一元化が始まった.その後,逆委託方式の非効率性が問題となり,東京都主導で逆委託の 解消を行い完全一元化するのが,2012年(平成24)に完了予定の都営一元化なのである.
都営一元化についてはいくつかの既存研究がある.今村 (1985)は,都営一元化を三多摩格差是 正の事例として捉え,「こうした統合化が可能となったのは,特別区の存する区域に関してその全 体を一つの市と仮象し,それぞれの事業を都の『大都市事業』として処理する方式をとっていれば こそであった.その意味において,直接的ではないにせよ,いずれもやはり,特別区制度の存在 に『助けられて』現実化しえたものであり,多摩地域の市町村が都制度の特殊性に強く規定されて いることを示す恰好の事例である.特別区の存在という都制度の特殊性は,ここから察せられる ように,多摩地域市町村を含めて考察する場合には,『特別区と市町村との併存体制』の問題とし てとらえ返さなければならないのである.特別区と市町村との併存体制から生ずる最大の問題が,
いわゆる『三多摩格差』に他ならない」(今村, 1985, pp. 234–235)とした.特別区と多摩地域と いう二元論に立った上で,特別区に助けられた大都市事業論として都営一元化を捉えた.
一方,多摩広域行政史編纂委員会 (2002)は,「多摩地域には他の市町村では見られない,独特 の『広域化』への対処の方式があります.市町村の固有事務とされている消防・水道事業を東京都 に委託するという『広域自治体への委託』というやり方です」(多摩広域行政史編纂委員会, 2002,
pp. 4)と記し,逆委託方式を多摩地域から都に委託した広域自治体への委託と捉え,そこに多摩地
域の特徴を見ている.今村 (1985),多摩広域行政史編纂委員会 (2002)共に,都営一元化を事業 の特性には踏み込まず,特別区と多摩地域の行政二元論として認識している点では共通している.
嶋田 (2003)は,都営一元化の過程を詳述した上で,二元論ではなく,東京都と多摩地域各市の
間における行政ガバナンスの変容過程として都営一元化を解釈した.
一方,松田 (2007)は,水道経営の側面から都営一元化を紹介し,事業の効率化を目指した水道 事業の再構築例という点で肯定的に評価しているが,東京都水道局の記述にとどまっている.
これまで論及されていないのが,首都圏における水資源開発政策と水道政策の関係における都 営一元化の意義である.水道は取水〜浄水〜給配水過程を経て衛生的な水を安定的に利用者に供 給する事業であるが,取水を規制する首都圏における水資源開発政策と,水供給過程を規制する水 道政策が都営一元化には交錯しており,両者の関係において都営一元化という名前で広域水道が
実現した.都営一元化の「広域化」を検討するには,水資源政策と水道政策の両面から,基礎自治 体と都,国という三層のアクターの選択を,「広域化」という用語に注目し整理する必要がある.
3. 多摩地域水道都営一元化の過程
3.1 各市町村による水道経営時代
多摩地域の基礎自治体が水道経営を開始したのは1928年(昭和3)青梅市,1929年(昭和4) の八王子市を除けば,すべて戦後のことである.自治体水道の取水源の殆どは地下水であった(4). 表流水ではなく地下水を取水せざるをえなかった原因は,多摩川の羽村取水堰の取水権が旧東京 市に帰属しており,羽村堰取水のすべては特別区に充てられていたことにある(5).多摩地域を貫 く多摩川の水を多摩地域各市町は利用できなかったのである(6).
この取水権制度を前提として開始された多摩地域各市町水道局は,鑿井された取水源と給配水 施設・対象が同一市町内にあるコンパクトな形態で営業されていた.1955年(昭和30)の多摩地 域人口は約102万人で,各市町の人口も八王子市の148,131人を筆頭に武蔵野市の94,948人,立
川市の76,313人と続くが,多くの市は数万人で多摩30市町村の平均自治体人口は約34,000人と
いう規模であった(7).各市町は独自の地下水源をもち,それぞれがコンパクトな水道を自律的に 経営していた(8).
この経営環境を圧迫したのが,多摩地域への急激な人口流入である.多摩地域の人口は1975年
(昭和50)には約299万人に達し,1955年(昭和30)からの20年間で2.9倍に増加した.同時 期の特別区人口が697万人から865万人で1.24倍の増加であることを思えば,この増加率が非常 に高いことがわかる.これに伴い,生活用水の水需要も急増した.
マクロな社会経済動向から見れば,東京への人口集中は,所得倍増計画による産業構造の転換に より第二次・第三次産業労働者が集中したことが原因であるが,多摩地域に限定すると人口の社会 的増加を受け止めるべく,東京都や日本住宅公団が大型集合住宅を多摩地域に多数建設したこと も要因の一つに挙げることはできるであろう(9).
問題は戦災時に被害を受けていたとはいえ,ほぼ基本的な社会基盤ができあがっていた特別区 に比べ,多摩地域は2.9倍もの人口を受け入れるだけの社会基盤整備が追いついていなかったこ とであった.虫食いのように土地が買収され多数の住宅が建築されても,それを支える上下水道,
道路,学校,病院等の都市基盤整備は基礎自治体が行わねばならない.ここに多摩地域は急激な人 口増加に社会基盤を早急に整備する必要に迫られ,それは財政を圧迫した.中でも逼迫したのが 水道である.早くも1961年(昭和36)の渇水では多摩地域の深井戸水位が下がり,水源問題が 人々に知られるようになった.
この逼迫を解消するために,多摩地域各市町は新たな水源を求めざるをえなくなった.そこで 現実的な案として浮上してきたのが玉川上水からの分水案だった.1962年(昭和37)3月「北多
図1 多摩地域各市の国勢調査人口対前回増加率
出典:国勢調査より.2010以降は東京都による予測値(『東京都区市町村別人口の予測』(東京都,2007) より)
摩水資源対策促進協議会」が設立され,会長は武蔵野市長の荒井源吉がつとめた.加入したのは 武蔵野市,三鷹市,小金井市,立川市,府中市,小平町,砂川町,昭島市,久留米町,調布市,国 立町,狛江町,国分寺町,村山町,大和町,東村山町,清瀬町,保谷町,田無町で,玉川上水な らびに玉川上水から分かれている用水の流域市町であった.あくまでも北多摩水源問題解消を目 指した協力団体であったと言える.協議会の目的は「(1)水源の取得,開発に関すること.(2)政 府,都,その他への,陳情,請願に関すること.(3)前各号の外,本会の目的達成に必要なこと」
であったが,具体的な1962(昭和37)年度の事業計画としては「(1)玉川上水および分水路調査,
(2)首都整備委員会ならびに東京都に対して水道事業の水資源(利根川水系開発計画又はその他の 計画の利用)確保のための要望を行う」が挙げられた(府中市, 1978, pp. 291–292).基礎自治体 による協議会として東京都と同じレベルで利根川水系開発計画に言及しているだけではなく,玉 川上水分水の可能性を具体的に検討し始めたことは,東京都の水源確保を目的に利根川系拡張事 業計画を遂行しようとしていた東京都にとって,三多摩水源の問題を見過ごすことはできないと
いうメッセージを与えたものと想像される(10).
とはいえ,この時期,特別区の水道を管轄していた東京都水道局も同じく水量に逼迫していた.
小河内ダムは1957年(昭和32)に完成し,2年後には満水となっていたものの急増する水需要に 追いつかず,東京都は新たな水源を利根川に求める「第一次利根川系拡張計画」を進めていた(11). 矢木沢ダムに水利権を確保し,利根川の水を武蔵水路を通じ荒川に導水し,朝霞で取水しようとい うものである.折しも国レベルでは1961年(昭和36)水資源開発促進法,水資源開発公団法の所 謂水資源開発2法が制定され,1962年(昭和37)8月には「利根川水系における水資源開発基本 計画」(第一次フルプラン)が決定された.ここに,国レベルでの広域水系整備計画が策定された のである.
戦前から利根川への水源を模索していた東京都は,国レベルで策定されたこの利根川水系にお ける水資源開発基本計画に参加し「第一次利根川拡張計画」を実現し,水を確保しようとしたので ある.しかし,第一次フルプランの当初には,東京都水道局は多摩地域への取水権を手当てしてい なかった.
3.2 都営水道から各市への分水時代
北多摩水資源対策促進協議会が設立された翌年の1963年(昭和38)9月には,北多摩に限ら ず,多摩地域全体を対象にした給水対策を検討するための組織として「三多摩地区給水対策連絡協 議会」が設立され,会長には当時副知事だった鈴木俊一が就任した.第一回協議会には東京都から は知事,水道局各部署,首都整備局,建設局,また多摩地域からは各市町長が出席した.まさに,
東京都の主導の下に発足した協議会だった(12).東京都は1965年(昭和40)から始まる利根川系 第二次拡張計画を変更し,多摩地区への分水も含めるように計画し直した.それは1964年(昭和 39)2月28日に第一次フルプランの変更として閣議決定された.三多摩地区給水対策連絡協議会 は,この第一次フルプランの変更を織り込んだ上で,利根川を水源とした場合の計画給水量を協議 する場であった.しかも第二回幹事会では「拡張事業は都において施行する.浄水で分水方式を とる.上水工水を一体にして給水する.料金は各市町村均一としたい.料金はできるだけ低廉に 考えるも,利根川水系のため割高になる」と,その後実現する都から多摩地域各市町への分水事業 が説明されている.北多摩水資源対策促進協議会の問題提起から,国レベルの利根川水系におけ る水資源基本計画(フルプラン)の変更と東京都の利根川第二次拡張計画の変更が,タイミングが 合ったとはいえ,1年半という短期間で行われたことになる.
一般に新規水源の獲得とは,新規水利権の獲得を意味し,その手法も基本的にはダム開発,流域 変更,流況調整,水利転換しかない.第一次フルプランの変更とは,草木ダムと利根川河口堰の区 部水道需要の水利権に,多摩地域分水分の水利権を新規に上乗せすることだった.「東京都区部と 三多摩地区の需要量に対して不足する水量合計は一日最大1,540,000m3(17.4m3/秒)」(東京都水 道局, 1993, pp. 485–500)を吸収できる余裕があったことになる(13).これだけの量の取水権は費
用のアロケーション(配分)による相応の負担金を伴い,ダム建設費の負担金あるいは建設後の施 設管理の負担金を東京都は受水者であり続ける限り支払うことになる.フルプランを推進する建 設省・水資源開発公団にとっても受水者が増えるという点で計画変更を早急に実現する強力な誘 因をもっていたものと推測される.
東京都の利根川第二次拡張事業は1965年(昭和40)6月に着手され,1971年(昭和46)3月 に竣工した.この計画の実現を1964年(昭和39)に軌道に乗せた上で,実施したのが都からの分 水事業だったのである.付言すれば,この後,都営一元化の出発点となる都営一元化への試案発表 が第二次拡張事業竣工の10ヶ月後という点も東京都水道局の計画意図を想像させる.
三多摩地区給水対策連絡協議会での協議を受け,1965年(昭和40)12月にまず東村山市が都 から緊急分水を受けた.分水量は一日68万m3.以後1973年(昭和48)まで多摩地域27事業体 が分水を受けることになり,短期的な水不足は回避されることとなった.
さらに,この時期,国レベルでも厚生省を中心とした水道広域化政策が進められ始めた.1966 年(昭和41)厚生省公害審議会水道部会「水道の広域化方策と水道の経営特に経営方式に関する 答申」が提出され,これが現在まで続く水道広域化政策の端緒となった.1968年(昭和43)には 水道広域化に対する補助制度が開始され,それに先立つ1967年(昭和42)2月1日には東京都 庁において水道広域化方策について厚生省水道課長が多摩地域各市町村,東京都水道局長,衛生 局長が出席し,説明会が開かれている.そこでは厚生省事務官より昭和四○年の水道普及率が六 九・七%になり,人口都市集中に伴う配送水管の急激な布設を必要としたこと,そして,「(三)こ れに伴い従来河川の表流水からの取水がダムに切り替へ多量に取水する必要が生じた為,これに 伴う建設費が増嵩し,ために原水単価が従来の数倍にはね上ったこと.(四)水道の広域化に伴い 水源確保が遠方になり,ために建設費,導水費が高くなったこと.(五)ダム建設費に伴うアロー ケーションが水道に率が悪く,建設負担金が高くなること.」と予算要求を行った旨説明されてい る(府中市, 1978,「水道広域化方策に関する会議記録」pp. 335–339).国レベルでの水道政策にお ける取水源確保のための広域化促進が,東京都水道の都営一元化前夜には始まっていたのである.
3.3 都営一元化時代
東京都水道局から多摩地域の各水道局へ利根川の水が分水,すなわち卸売りされ,短期的な水不 足問題は解消した.ところが,新たな問題として浮上したのが,分水料金の格差問題である.東京 都水道局から各市町への分水料金,いわば水の卸売り料金が1m3あたり19円とされたが,特別区 では1m3あたり14円であった.多摩地域の水道局は従来,水利権負担の伴わない地下水取水で 営業していたが,19円の水を都から購入し給水しなければならないため,販売価格である水道料 金の値上げは避けられない.現に,立川市では分水の始まった翌年の1971年(昭和46)7月に平 均32%の料金値上げを実施している.分水実施者の東京都水道局側は「都の一般家庭の最低料金 をもちだして,卸売分水料金の一九円と比較されても,全くの見当違いいわざるを得ない」と,正
論と言ってもよい姿勢を崩さなかった.一方,分水を受ける市町村側は,都が給水中止をできな いことを見越した上で三多摩格差論を展開し(14),この分水料金問題を「水資源の安定確保という 目的で始められた分水事業が,皮肉なことに料金面における 三多摩格差 をさらに広げる結果と なった」と称した市もあった(立川市水道部, 1985, pp. 115).この分水料金格差問題は,当時多摩 地域住民を中心に展開された三多摩格差問題として争点化されていった.
折しも1967年(昭和42)4月,都知事は美濃部亮吉に交代した.革新都政となり,第二次利根 川系拡張事業を軌道に乗せた鈴木俊一は一端都政から離れることになる.美濃部は三多摩格差の 是正を公約に掲げていたこともあり,美濃部就任に合わせるように,北多摩水資源対策促進協議会 は1967年(昭和42)8月,1968年(昭和43)年3月,1969年(昭和44)3月に三度にわたり都 知事に格差是正の要望書を提出した.
美濃部の側は,水道事業巨額赤字問題とそれに伴う水道料金値上げ問題への対応に苦慮したが,
東京都水道事業再建調査専門委員会(議長:高橋正雄)は1968年(昭和43)7月に「東京都水道 事業再建調査専門委員会第一次助言」で三多摩格差が問題であることを指摘し,「これらの問題の 解決の途はただひとつ,三多摩地区の水道を統合して広域化し都水道として都営で経営すること である.広域化は政府も推奨しているし,環境衛生審議会の厚生大臣あて答申(昭和41年8月)
『水道の広域化方策と水道の経営とくに経営方式に関する答申』もその主旨のことを述べている.
広域化の利益は列挙すれば次のとおりである.a水資源の確保を一体的に行いうる.b経営が合理 化される.(施設や人員の節約など)c配水が技術的に容易になる.d水量を彼此融通しえて合理 的になる.e料金格差が将来解消する.f各市町村の連帯感が強くなる.広域化には各市町村が協 力して,その経営権を都に委譲する必要があり,都と同時に各市町村の英断を望みたい.」と,2年 後に提言されるその後の都営一元化と同様の内容を,三多摩格差解消という文脈で提案したこと は注目に値する(東京都水道事業再建調査専門委員会, 1968, pp. 22–23).さらに,厚生省が1967 年(昭和42)に設けた広域水道についての補助金を意識していることも,国レベルの水資源開発 と広域水道促進政策の補完を東京都が活用しようとしている点で興味深い(15).
一方,各市町もこの格差是正問題を早急に解決する必要に迫られていた.各市町は料金値上げ を行わねばならず,その上人口増加は続いており,新たな取水権を確保しなければならないことは 容易に想像された.そこで,この課題を協議する機関として東京都市長会会長であった鈴木平三 郎三鷹市長が主導し,北多摩水資源対策促進協議会の拡大版として「三多摩市町村水道問題協議 会」が市長会において1969年(昭和44)1月設置された.多摩全域の市町村を会員に,会長には 八王子市の植竹圓次八王子市長,副会長には後藤喜八郎武蔵野市長と富澤政鑒多摩町長が就任し た.9月には,分水料金を23区並の14円にしてもらいたいという要望を旨とした「三多摩市町 村水道事業の格差是正等に関する陳情書」および同請願書を提出した.また東京都も1969年(昭 和44)2月3日,美濃部都知事が東京都水道事業調査専門委員会(議長:高橋正雄)に対し「三多
摩地区と二三特別区の水道事業における格差の是正のためにどんな措置をとるべきか」について 諮問した.
既に1968年(昭和43)に都営一元化の方針を固めていた高橋委員会は,1970年(昭和45)1 月に「東京都三多摩地区と23特別区部との水道事業における格差是正措置に関する助言」を提出 した.この助言は「東京都は三多摩地区市町村営水道事業を吸収合併し,区部水道事業とともに一 元的に経営することによつて,水道事業における格差を解消する方途を講ずるべきである.なお,
実施にあたつては,市町村の事情を個別に勘案して,段階的,漸進的に行うことを考慮すべきであ る.」というものであった(16).重要なのは,事前に調査ならびにヒヤリングを行った結果,多摩 地域各市町のほとんどが公営水道の都営一元化を望んでいたという点である.さらに,この方針 が既に厚生省により示された水道広域化政策を意識されたものであったことは前述の通りである.
この助言を受けて,東京都では1970年(昭和45)7月,水道局内に「多摩水道対策本部」を設置 し,1971年(昭和46)12月には「多摩地区水道事業都営一元化計画」を発表した.各市町の水道 資産は都に移管され,職員は都の職員として引き継がれるというものだった.ここに都営一元化 は開始されると見えたが,計画発表されると同時に労働組合から各市町職員の身分問題が提起さ れた.各市町の水道局職員が東京都水道局に合併されると給与が下がるとして,この問題を労働 問題として争点化したのが全日本自治団体労働組合,所謂自治労である.都営一元化が成立する と,28市町の約1千人におよぶ自治労組合員が,東京都水道労働組合に吸収されてしまうという 組合内部の問題でもあったと推測される.自治労幹部,東京都の折衝により,自治労側から出され た提案が一元化後に業務を各市町に委託するという「逆委託」であった.この案で1973年(昭和 48)9月,東京都と自治労の間で合意が成立し,逆委託による都営一元化計画が成立した.各市の 水道関連資産は都に引き継ぐ一方,「都は統合市町地域にかかる営業,給水装置,浄配水施設の管 理および小規模施設の建設などの業務を当該市町に委託する」とし,各市長の水道職員は都に身分 を移動しないことになる.逆委託方式は,各市から都への水道事業委託という自治体間の連携で はなく,実態は労働組合問題解決の手段としてつくられた制度であったことを確認しておきたい.
以後,1973年(昭和48)小平市,狛江市,東大和市,武蔵村山市の第一次統合から,2002年
(平成14)三鷹市の第九次統合にいたるまで29年にわたり逆委託化方式による統合が進んでいく こととなる.
3.4 逆委託解消時代
1996年(平成8)青島都知事時代に策定された「東京都行政改革大綱」は景気低迷による都財 政の深刻化を背景に行政改革を目的とした大綱だった.この中で,組織効率化の推進事項として
「多摩地区水道経営のあり方と執行体制の検討」に言及され,「統合一元化の状況や市町への業務 委託の状況を踏まえ,多摩地区水道経営のあり方について,その執行体制も含めて検討する(平成 10年度検討)」とされた(東京都企画審議室行財政システム改革担当, 1996, pp. 59).この頃から
逆委託化の見直しが俎上に上り始める.
翌年の1997年(平成9)には概ね四半世紀を意識した水道政策の基本指針として「東京水道新 世紀構想」(東京都水道局経営計画部計画課 (1997))が策定された.その中で,多摩地域水道には 触れられていないものの,水需要の鈍化減少を背景にしながらも,安定水源の確保,施設能力のゆ とりの確保,渇水時でも公平で効率的な送配水システムの構築,安全でおいしい水の供給があげら れている.既得取水源は確保しつつ施設・管路更新は余裕をもたせ,経営の効率化を行うことを旨 とした方針である.
国レベルでも2001年(平成13)には水道法が改正され,第三者委託への道が開かれ,2003年
(平成15)には地方自治法が改正され指定管理者制度が導入された.
こうして水道経営の効率化手段が制度として整ってきた2003年(平成15)6月に,逆委託方式 の解消を目指した「多摩地区水道経営改善基本計画」が策定された.ここで事務委託方式(逆委託 方式)による運営の限界として,25市町個別に管理運営されているため,(1)公営企業としての効 率的企業経営が困難,(2)広域水道としてのメリットの発揮に限界があるとされた.そして事務委 託を解消した効果として,(1)お客さまサービスの向上,(2)給水安定性の向上,(3)効率的な事業 運営の3点が謳われた.給水安定性は維持しつつ,広域水道の効率化を進めていくために逆委託 を解消していくというものであった.また,逆委託解消が水道効率化という文脈で生まれており,
その実現手段として業務の外部委託は大きな役割を果たしていたため,逆委託状態は東京都とし ても解消する必要に迫られていたと推測される.この計画を実施するためには,各市町水道局の 職員を減員し東京都に移行させることが必要であったが,各市町の財政状況の悪化もあり,大き な抵抗も無く協議は終了した.以後,徴収系業務,給水装置系業務,施設管理系業務の三業務に分 け,漸次事務委託廃止が行われ,2012年(平成24)3月をもって25市町の一元化が完了する予 定である.
1993年(平成5)11月に開催された「歴代多摩水道対策本部長による座談会」に出席した菊田 精は「一番問題と思われるのは,現行の逆委託方式では受託市町側が基本的に収益と費用が対応し ていないことです.従ってコスト意識が持ちにくいということから,どうしても市町側には,経営 意識が少ない感じは否めない」と述べているが,外部委託も含めた効率化を導入せざるをえなかっ たことからこの逆委託問題は解消に向かったのであった(東京都水道局多摩水道対策本部, 1994, pp. 19).
4. 制度変化の分析
4.1 都営一元化過程の時期区分
多摩地域水道の都営一元化過程を東京都−多摩地域間関係で大きく4期に分けて詳述した.こ の4期の区分は,取水源を確保するための国レベルの「水資源開発」,ならびに国レベルの「水道
広域化」との関係から見ても,この4期に分けられることが明確となった.すなわち,多摩地域の 水道は都営一元化という形で一貫して広域水道化していったが,その広域化は国レベルでの水資 源開発政策と広域水道促進政策の中で東京都水道局が協力しつつ進んできたといっても間違って いるとは言えないだろう(17).この4時期毎に広域化の目的,水道事業の内容,取水と給水間の関 係,アクター,課題,課題解決のために設置された制度・計画という6点の特徴を整理した(表 1).
取水給水関係,アクター,制度・計画を軸に4時期を見ると,広域化の目的が安定給水から格差 是正を経て,安定化と効率化に移行していくことがわかる.この過程から浮かび上がるのは,都営 一元化が多摩地域各市水道局と東京都水道局の間でなされた水平的な合併というよりは,首都の 水不足解消を目的に「国・東京都・多摩地域各市の三層の首都圏における水資源利用秩序」が,広 域化という名の下に「国・東京都の二層の水資源利用秩序」に組み込まれ再編される過程であると いった方がより正確である.なぜなら,水の逼迫という早急に対処せざるをえない課題に直面し たとはいえ,多摩地域各市町,東京都とも足並みを揃えて国土開発レベルで首都圏水資源開発に参 加し,水道の広域化という厚生省の用意した広域水道化補助メニューを利用し,短期的な渇水の不 安が消滅した後も首都圏水資源開発と水道広域化促進は互いに補完しあっていると評価できるか らである.
表1 都営一元化過程の時期区分
広域化の意味する内容も,第一期〜第二期は,水の逼迫を解消するための安定給水を実現するた めの手段であって,水資源開発政策と水道広域化誘導政策に誘導されたキーワードだった.これ が第三期〜第四期になると,三多摩格差解消論を途中含みながらも,安定給水を第一に目指した 上での効率化を意味するようになる.逆委託解消は効率化がより強く意識された結果東京都水道 局により遂行されたものだったが,その前提には給水量減少にもかかわらず既存取水権の確保に あった.
このような国レベルでの首都圏における水資源開発政策と,水道広域化促進政策の結果として
首都圏という広域で機能している水道水の取水から給配水にいたる秩序は「首都圏生活水利秩序」
と呼ぶことが可能だろう.
首都圏における水資源開発事業は現在も続いているが,首都圏生活水利秩序においては,水需要 に応じた開発水量の変更は硬直的であり,水利権負担に関する情報もけっして透明度が高いとは いえない.このような上位の水資源政策に大きく拘束された環境で,東京都水道局の水平的統合 による広域化によって給水人口12,643,479人(2010年)の巨大水道が誕生したことになる.巨大 な受益者が誕生したことが硬直的かつ垂直的な首都圏生活水利秩序全体の効率化を促す交渉力を もち,水利の多様化への適応を促すかどうかは,東京都水道局の今後の課題といえる.
4.2 多摩地域給水のアクターの変化
多摩地域水道の都営一元化過程における四つの時期区分において,多摩地域への取水から給配 水のプロセスにおける経営主体は以下のように推移した(図2).
図2 4時期における取水−給配水過程のアクター
市町村水道時代は取水源も給配水対象も同一市内にあり,すべての過程を水道局が管理するこ とができた.都から各市町への分水時期になると東京都水道局が浄水した水を各市町水道局が分 水したが,その取水源は利根川であり東京都が取水権を負担した(18).
第3期〜第4期は,三多摩格差是正という名目の下で採用された逆委託方式により始まった都営 一元化が,一元化を終了後,逆委託方式を解消した過程であった.この間,都の水道需要は1992 年(平成4)にピークを迎えるが,以降は減少を続けている.2009年(平成21)時点で水源確保
量と一日最大配水量は108万m3/日 のギャップがあることになる(図3).水源確保量,即ち水利 権負担は従量制ではないため,給水量の減少は経営の悪化に直結する.このような背景の中,公営 事業への第三者事業者の参入が水道法改正で認められたが,逆委託の状態では第三者委託は不可 能であった.硬直的な水資源開発政策の中で,広域水道の効率化は不可欠であったと考えられる.
図3 東京都の水道需要,水源及び施設能力 出典:東京都資料より
4.3 多摩地域における広域化の意味
水道政策にとって,高度成長期に端を発する広域化は現在にいたるまで効率化をもたらす政策 用語として生き続けている.多摩地域各市町が第2期にあって,都営一元化を東京都と共に進め,
異議を唱えなかったのは,広域化が安定給水を保証すると考えたからだった.即ち,首都圏生活水 利秩序の中で強力な水利団体をつくるためだったと言っても間違いとは言えないだろう.
そして,現在まで安定給水を第一目標に,多摩地域水道は首都圏生活水利秩序に組み込まれ,各 市も人口が減少し税収が落ち込む中,都営一元化の逆委託解消にほとんど異議を唱えなかった.
利根川・荒川水系水資源計画は現在も第五次計画が2015年(平成27)を目途に続いている.東
京都は取水者として配分されたダム等の建設資金,管理費用,ならびに水源地域対策特別措置法事 業,水源地域対策基金事業,利根川荒川水源地域対策基金に費用を負担し続けている.多摩地域 は都営一元化を通して首都圏生活水利秩序に組み込まれ,かつ約403万人という給水人口(2009 年)を抱えた大規模プレイヤーになったのである.
多摩地域水道は,膨大な地下水を蔵しながらも,東京都との水平的な広域化のみならず,首都圏 生活水利秩序という垂直的かつ硬直的な関係における広域化の二つの広域化のデザイン主体にな らざるをえないのである.これが多摩地域水道の特性であり,多摩地域水道をデザインする上で の歴史的な視角である.
5. 今後の課題
以上の首都圏生活水利秩序と,多摩地域に求められる二つの広域化は,人口増加局面において 生活用水の急激な増大に特化して求められ,自治体,都,国の三層で構築された制度であるといえ る.しかし,人口減少局面ではこれら制度が維持できるか極めて不確実である.
現在,世界の水資源管理思想においては,統合的水資源管理(IWRM:Integrated Water Resources Management)が主流となっている.世界水パートナーシップ(GWP)による「水や 土地,その他関連資源の調整を図りながら開発・管理していくプロセス.その目的は欠かすことの できない生態系の持続発展性を損なうことなく,結果として生じる経済的・社会的福利を公平な方 法で最大限にまで増大させること」という定義が一般に用いられている.海外では人口増加にお ける淡水逼迫が課題であるのに対し,日本の場合は余剰水がある中で温暖化と人口減少,産業転 換に適応しなくてはならない.日本もIWRMを「総合的水資源管理」と修正し,2008年(平成 20)に中間とりまとめを公開する等,これまでの水資源開発政策の政策転換を模索し始めている
(園田 (2009)による).
IWRMは水循環の維持とそれぞれの循環場面における多様な利用を適合させていこうという管 理思想と解釈してよい.日本において統合の対象とは水資源政策,上下水道政策,農業用水・工業 用水政策,環境政策,まで含まれる.対象となる水資源も単に河川や湖沼のみならず地下水も対象 となり,土地計画や地下水涵養量も計画の対象となりうる.かつて100万の人口を養った豊富な 地下水資源を抱える多摩地域も無縁ではない.
今後,水道について言えば,多摩地域水道の管路の更新コストは増加する一方,給水人口の減少 や有収水率の低下などが課題になるだろう.水循環の維持と水利の適合という観点では,例えば,
食料生産を近郊で行おうという産業政策が現実味を帯びてくると,土地の用途転換や安価な農業 用水の供給が求められる可能性も否定できない.これまでは農業用水の生活用水への水利転用が 行われてきたが,今後は生活用水の水利転用や,東京都と近隣県との間の渇水期以外の柔軟な水の 融通も必要となってくるかもしれない.さらに大量の地下水の有効利用も多摩ならではの課題で
あろう.このような様々の課題に,効率化を進める東京都水道局あるいは首都圏生活水利秩序の 構成者は応えられるだろうか(19).
東京都水道局のような大規模事業者が,水循環を維持し,IWRMのアクターになりうるかどう かは未知数といえる.水循環の各プロセスにおいて各アクターが連携するネットワーク型ガバナ ンスの視点が必要となるが,現在の水道広域化を,水循環における多様なアクターの連携に移行さ せる制度の検討,ならびに多摩地域において求められる利水団体の検討については今後の課題と したい.
注釈
(1) 一元化に含まれないのは昭島市,羽村市,武蔵野市,檜原村である.昭島市は100%地下水取 水しており都から分水は受けていない.武蔵野市,羽村市は一元化されていないが,都からの 分水を受けている.檜原村は都営一元化の対象地域には当初よりなっていない.
(2) 多摩地域で一番最初に水道給水を開始したのは青梅市で1928年(昭和3),次いで1929年
(昭和4)八王子市である.後は,1952年(昭和27)の立川市水道以降1966年(昭和41)稲 城町水道にいたるまで各市町村が水道営業を開始した.
(3) 日の出町,檜原村,奥多摩町を除くすべての市町が地下水取水だった.
(4) 1964年(昭和39)に操業開始した日の出町,1956年(昭和31)に開始した檜原村,1962年
(昭和37)に開始した奥多摩町は表流水を取水源とした.
(5) ここで取水権は水利権と同じ意味で用いている.水利権とは水利権実務研究会 (2005)による と「河川の流水を含む公水一般を,継続的,排他的に使用する権利と定義することができる.
この場合には,河川法のあるなしにかかわらず,農業用水,飲料水などの利用に供するため,
河川,溜池,渓流等の公共の用に供されている流水を継続的,排他的に使用している場合に は,水利権が発生しているといえる.水利権とはこのように社会実態的に広く使われること があるが,ここでは河川法の規定によって河川から取水することを認められた権利として水 利権をとらえる」とある.一般に河川法23条によって許可された水利権を許可水利権と呼 ぶ.一方,旧河川法(明治29)では,施行以前から主として慣行的に流水を占用していた権 利を認めており,これを慣行水利権と呼ぶ.
(6) 羽村堰は小河内ダムの放流量とダムから羽村堰までの残流域流量を合わせて取水する.水利 権水量は22.267m3/sで,かんがい期である5月20日〜9月20日については2m3/sを下流 責任放流量とすることが取り決められている(日本河川開発調査会, 1984, pp. 91).後に述べ るが,この2m3の責任放流量は小河内ダム建設時に東京都と川崎市の間で起きた二ヶ領用水 の水利紛争(1933年・昭和8〜1936年・昭和11)の調停結果によるものである.この二ヶ領 用水紛争の東京側担当者の一人で後に都水道局長となる佐藤志郎は,二ヶ領用水に対する羽
村堰水利権の正統性を次のように記述している.「遠い昔にさかのぼつて,徳川時代に開鑿し た玉川上水の古来の慣行の引入量(水利権)は毎秒四五○立法尺(毎秒一二・五立方メート ル)であることが古文献によつて明らかである.つぎに東京市第一水道拡張設計(当時は単に 東京市水道拡張設計という.)は大正元年に,又その設計変更は大正五年に,それぞれ市区改 正条例により内閣の認可を受けており,東京市区改正設計にもとづく工事施行については河 川法の手続きを要せぬということを内務大臣において,はつきり明示している」(佐藤, 1960,
pp. 259).ここに示されたような既存水利権者の強さは現在でも生きており,弾力的な水資源
利用を妨げる一つの要因となっていることをうかがわせる.
(7) 人口については国勢調査データを用いている.断りのない限り以下も同様.また,データの 連続性を保つために合併前のデータについては現在の30市町村に集約している.
(8) 昭和30年当時で100万人規模までは優にカバーできる多摩地域の地下水量は驚異的な量とい える.例えば2011年(平成23)現在,県庁所在地で唯一100%取水源を地下水に依存して いる熊本市の給水人口は約75万人である.
(9) 例えば,2010年現在約67,000人の人口を擁する武蔵村山市であるが,その推移を見ると1965 年(昭和40)の14,029人から1970年(昭和45)41,275人へと2.9倍の増加率を示してい る.1966年(昭和41)に入居開始した村山アパート(2,919戸)が大きなインパクトを与え たと言えるだろう.
(10) 多摩水道対策本部の初代本部長となる国分正也は後に「戦後,大方の市町が地下水を頼りに水 道事業を開始したが,人口の増加に伴い,水使用は増大し地下水のみではいつまでもやってい けない.切羽詰まって放ってはおけないという状況にありました.一方,近くを流れる多摩 川の水を地元に返してもらったらどうか,という感情論的な話がでてきました.都自身,当時 は水源不足,施設不足で四苦八苦していた時代で,水道局にとっては由々しい大問題であり,
とにかく手の付けようがなかった.しかし,その後市町村側からは,正式に都や水道局へ陳情 という形で現れてきました.」と述べている(東京都水道局多摩水道対策本部, 1994, pp. 5). (11) 多摩地域の水源逼迫が争点化した時期には副知事として,後の都営一元化の時期には知事と
して重要な役割を果たしたのが昭島市出身の鈴木俊一だ.鈴木は1964年(昭和39)の渇水に ついて次のように述べている.「都は早急な対策を迫られ,私は,群馬県には奥利根のダム開 発により利根川から,また埼玉県には荒川から水をもらえるように,群馬県と埼玉県の知事に 直接お願いに行った.この計画を実現するために,国は水資源公団をつくってくれた.まず 公団は,利根川の水を荒川に持ってきて,荒川から都が水をもらうという第一次利根川水利用 基本計画をつくった.その計画では,東京都は一日一二○tの水を利根川から分水してもらお うということになった.しかし,この計画はオリンピックまでに間に合わないので,利根川か ら荒川に『武蔵水路』をつくり水を持ってくる計画に変更する.水資源公団は一生懸命やって
くれた.しかし,それでもどうしても間に合わない.そこで,埼玉県秋ヶ背の荒川岸に堰をつ くり,そこから荒川の水をもらい,都が土地を買ってつくる朝霞浄水場からの浄水を東京へ送 るというのが次の基本計画だった.しかし,朝霞浄水場の建設がオリンピックまでに間に合 わないことが判明し,浄水前の荒川の水を東村山の浄水場へ運び,そこで浄水して都内に配水 することにした.この措置で暫定給水日量六○万tを配水することができた.」(鈴木, 1997,
pp. 190).首都圏水資源制度の整備を東京都として積極的に進めたことがうかがわれる.
(12) 都営一元化に大きな役割を果たす鈴木が,都と多摩地域の関係について次のように述べてい る.「なんといっても三多摩は東京市ではないんですから.東京都は府市を合併してつくった んだけれど,やはり市部が行政の中心で,市部においては新しい行政が次から次と行われる が,多摩の方は,東京市と匹敵する市町村があって,その市町村がいろいろな仕事をやるのが 第一次責務なんです.東京の区部の方は,東京市というのがなくなって,市の仕事が全部区 に行ったのではなく,都が一部引き受けてやっている.したがって,区部の行政は区が第一 次責務というより,区は東京都の内部団体ということで,都が区に対して市的な立場でいろ いろな事業をやってきた.上下水道等はもちろんそうですし,交通機関,地下鉄,都営バス等 もみなそうですね.ところが三多摩の方は,そういう仕事は第一次的には市町村の仕事です.
そこで水道も,東京都の水道は三多摩の方に水源的に協力をするということを考えてやって おりますね.もともと三多摩が明治二十六年に,神奈川県から東京へ入ってきたんですが,何 故入ってきたかというと,東京市の水源は三多摩の方にある.その水源地が東京ではなく,神 奈川県だというのはいけない.むしろ,東京市と同じ東京の区域にあるべきだと.そういう ようなことから,当時の東京府知事は多摩の気持ちを理解して,三多摩を神奈川県から東京に 入れる措置をとってくれたように記憶しております.」(鈴木, 1999, pp. 257).鈴木自身は多 摩地域各市を特別区と同等の基礎自治体と捉えた上で水源地として連携する対象と見ていた ことがわかる.
(13) ちなみに,東京都利根川系拡張事業は第一次から第四次まで及ぶ.
(14) 多摩対策本部の初代本部長となった自らの著書で国分 (1979)は,当時緊急分水を行った東村 山市が分水料金を支払おうとしなかった件に触れ,次のように記している.「暫定分水とはい え給水開始に当って水道局は市と暫定分水契約書を文書により取りかわし,種々条件を付し ており,その中に料金の支払いに応じない場合は,分水を停止することも可能になっていた.
この辺がお役所式だったかとあとで反省するのだが,支払いに応じてくれないからといって,
現実には,なかなか分水を中断停止するわけにゆかない.言うべくして行い得ない弱みにつ けいって,市側は一立方メートル一九円の分水料金は,都の家庭用料金の基本一立方メートル 当り一四円と比べて高すぎる,と全く見当違いの論をもちかけ,聞く市民,住民の感情を昂ぶ らせ,まどわせたのであった.そもそも当時都の平均一立方メートル当たりの原価は三九円
余であった.この原価を回収する手段として,料金を条例で定めているのであるが,家庭用は 一ヶ月一○立方メートルまで一四○円であり,一立方メートル当りでは一四円となる.然し その反面,多量使用者の超過料金等には一立方メートル当り四五円のものもあれば五○円の ものもあって,平均して三九円余の原価が回収される仕組みになっているのである」.都も原 価を大幅に下回る価格で分水していたことになる.
(15)『厚生省五十年史記述編』では次のように述べられている.「昭和四十二年度から,著しく先 行投資的なダム,著しく高額となるダム及び行政区域を越える広域水道については補助金が 交付されることとなった.この補助制度によりダム等の水道水源開発施設(水資源開発公団 分を含む)の整備に要する費用に三分の一の補助が,水道の広域化のための施設整備に要 する費用に四分の一の補助が行われるようになった.」(厚生省五十年史編纂委員会, 1988, pp. 1132–1133)
(16) その理由としては,第一に三多摩市町村が一元化を希望している点,第二には「一元化のため の積極的な根拠」として次のように記している.三多摩地区と特別区部とは,歴史的には,い わゆる郡部と市部としてそれぞれかなりの程度において別個のものであり,両者の間には必 ずしも密接な関係はなかつた.しかし今日では輸送,交通,営業,就業,学校の面,さらにそ の他の生活面も含めて,両者はきわめて密接な関係にある.ここで次のような想定をしてみ よう.(イ)三多摩地区と特別区部は現在のように密接な関係にある.ただし(ロ)水道事業 はまつたく存在しない.そこで(ハ)水道事業をはじめることが決定された.(ニ)そのため に使つていい技術,施設,材料および人員は,両地区において現在使われているものの総体で ある.そして,(ホ)コンピューターその他の情報処理の技術を自由に使つていい.このよう な条件のもとで,いわば白紙の上に都全体の水道事業を植えつけることになつた場合,その 経営方式として多元主義によるか一元主義によるかという選択の問題が提起されるだろうか.
そういう問題提起はなされずに一元主義が採用されるであろう.(中略)それは,都民生活の 一体化にもとずく都民の連帯精神という点から,また水道事業のための人的および物的資源 の合理的な使用と適正な配分という点からまつたく自明のことだからである.さらに東京都 全体の水資源対策を含めて水道事業の将来の問題と取り組むという点からも一元化には積極 的な根拠があるといつていいであろう.」(東京都水道事業調査専門委員会, 1970, pp. 7–8) (17) 参考ながら,下水道についても上水道と同様の広域化が進んでいる.多摩地区の場合,各市
町が運営する公共下水道と,都が運営する流域下水道(広域下水道)の棲み分けがなされ,8 の処理区が運営されそのうち7処理区は多摩川水系に排水している.この流域下水道整備の 端緒は1963年(昭和38)10月の「三多摩地区環境整備対策連絡協議会」の設立で,会長は 副知事,下水道幹事会は首都整備局が主宰した.上水道の三多摩給水対策連絡協議会設置の 1ヶ月後で,上下水道の広域化への軌道がこのタイミングで出発し,それを補助する水道行政
が実施を補助していった.
(18) 水利権負担は消費水量に応じて利用料を支払う従量制ではない.あくまでも認められた水利 権金額を管理費などの名目で固定費として支払っている.工業用水においては利用者がこの ような固定金額を支払うしくみを責任水量制と呼んでいる.現在,東京都は利根川水系につ いては矢木沢ダム,下久保ダム,草木ダム,奈良俣ダム,渡良瀬遊水池,埼玉合口二期,利根 川河口堰,霞ヶ浦開発,霞ヶ浦導水,北千葉導水路,浦山ダム,荒川調節池,に安定水利量 42.022m3/秒,暫定水利量15.544m3/秒 を確保している.(日本水道協会 (2010))
(19) 富岡 (2005)によると,利根川では統合的な低水管理が可能だという.しかし,それは水利用
への適応ではなく,あくまでも水量調整を意味しているにすぎない.
参考文献
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厚生省五十年史編纂委員会(1988)厚生省五十年史記述編.
国分正也(1979)私の水道小史.
佐藤志郎(1960)東京の水道.都政通信社
嶋田暁文(2003)多摩地域における水道事業—都営一元化をめぐる軌跡と現状—.中央大学社会科
学研究所研究報告22,pp. 119–143
水利権実務研究会(2005)水利権実務一問一答.大成出版社
鈴木俊一(1997)回想・地方自治五十年.ぎょうせい
鈴木俊一(1999)官を生きる−鈴木俊一回顧録.都市出版
園田敏宏(2009)河川流域における統合的水資源管理ガイドライン.河川750,pp. 68–72 立川市水道部(1985)立川市水道史.立川市
多摩広域行政史編纂委員会(2002)多摩広域行政史—連携と合併の系譜—.財団法人東京市町村自 治調査会
調布市水道部(1990)調布市水道三十年史.
東京都企画審議室行財政システム改革担当(1996)東京都行政改革大綱.
東京都水道局(1993)東京都水道第一次,第二次,第三次利根川系拡張事業誌.
東京都水道局(1999)東京近代水道百年史 部門史.
東京都水道局(1999)東京近代水道百年史 資料・年表.
東京都水道局(2010)事業概要 平成22年版.
東京都水道局経営計画部計画課(1997)東京水道新世紀構想—STEP21—. 東京都水道局多摩水道対策本部(1994)多摩地区都営水道20年のあゆみ.
東京都水道事業再建調査専門委員会(1968)東京都水道事業再建調査専門委員会第一次助言.
東京都水道事業調査専門委員会(1970)東京都三多摩地区と23特別区部との水道事業における格 差是正措置に関する助言.
富岡秀顕(2005)利根川における効果的な広域低水管理.河川711,pp. 49–55 日本河川開発調査会(1984)多摩川の水利開発史と水利開発に関する研究.
日本水道協会(2010)水道統計 平成20年度.
府中市(1978)武蔵府中叢書第7巻—府中市水道史—.
松田奉康(2007)東京都多摩地区水道の一元化.「宮脇淳,眞柄泰基編著(2007)水道サービスが止
まらないために—水道事業の再構築と官民連携,時事通信社」中に掲載(pp. 191–202).
( 資料 ) 多摩水道開発年表
年 首都圏 東京都水道・東京都 多摩地域の市町村 水道
社会の動き 中央省庁
1952年 (昭和27)
12.立川市水道給水 開始
1953年 (昭和28) 1954年 (昭和29)
この年武蔵野市,昭 島市,町田市,福生 市給水開始 1955年
(昭和30)
2.経済企画
庁 あ っ せ ん の 下 ,東 京 都・群馬県・
東 京 電 力 の 間で「矢木沢 ダ ム 建 設 共 同 調 査 委 員 会」設立
2.東京都・神奈川県・
川崎市の間で相模川分 水協定改定調印 4.27都知事選安井誠一 郎三選
4.都営・市町村営住宅 の大量建設に着手
この年小金井町水 道給水開始
10.13 社 会 党 統一
11.15 自 由 民 主党結成
4.住宅建設十箇年計 画策定
7.日本住宅公団発足 12.経済自立五ヵ年計 画策定
1956年 (昭和31)
11.首都圏整備計画に よる住宅建設十箇年計 画決定
この年桧原村簡易 水道給水開始
12.23 石 橋 湛 山内閣成立
4.16日本道路公団設 立
4.20都市公園法公布 4.26首都圏整備法公 布
7.首都圏整備計画策 定
1957年 (昭和32)
5.10利根川 特 定 地 域 総 合 開 発 計 画 閣議決定
4.相模川系水道拡張事 業認可
11.小河内ダム竣工
2.25岸信介内 閣成立
1.18閣議において水 道行政の所管決定 3.31特定多目的ダム 法公布
4.住宅建設五箇年計 画策定
6.15水道法公布 9.6厚生省「水道整備 10箇年計画」策定 12.新長期計画策定
1958年 (昭和33)
4.1東京都給水条例全 部改正公布
この年府中市,国分 寺町水道給水開始
5.16テレビ受 信者数100万 突破
6.12第二次岸 信介内閣成立 8.多摩平・晴 海高層アパー ト 入 居 開 始 . ステンレス流 し台採用
4.24新下水道法公布 4.25工業用水道事業 法公布
4.28首都圏の近郊整 備地帯及び都市開発 区域の整備に関する 法律公布
7.首都圏整備委員会 が第一次首都圏基本 計画策定(グリーン ベルト設定)
1959年 (昭和34)
4.矢木沢・下久 保 ダ ム 建 設 全 体計画発表,多 目 的 ダ ム と し て 建 設 省 直 轄 で工事着手
4.23東京都知事選挙で 東龍太郎当選
この年国立町,三 鷹市,清瀬町,東村 山町,調布市,小平 町,五日市町水道給 水開始
10.大 和 ハ ウ ス が プ レ ハ ブ住宅第一号
「 ミ ゼ ッ ト ハ ウス」発売
3.17首都圏の既成市 街地における工業等 の制限に関する法律 公布
3.20工場立地の調査 等に関する法律公布 1960年
(昭和35)
7.東京都住宅局設置 8.23東京都住宅公社設 立(旧東京都住宅協会)
8.東村山浄水場(第二 水道拡張事業),一部通 水(15万立米/日)
この年日野町水道,
給水開始
7.1 自 治 省 発 足
7.19池田勇人 内閣成立 12.8第二次池 田勇人内閣成 立
9.厚生省「水道整備 10箇年計画」作成 9.29初の工業立地白 書「わが国工業立地 の現状」発表 10.下水道整備十箇年 計画策定
12.27国民所得倍増計 画を閣議決定 1961年
(昭和36)
8.東村山浄水場(第二 水道拡張事業),二次通 水(13万立米/日)
この年羽村町水道,
給水開始
11.武蔵野,三鷹な ど北多摩六市町と 都の水道関係者に よる「多摩の水資源 対策座談会」開催
※この年,数十年 ぶりの猛暑で多摩 地区各市の深井戸 の水位低下.水源 問題が表面化する
3.新住宅建設五箇年 計画策定
6.26通産省が工業適 正配置構想発表.工 業の地方分散化,所 得の地域格差の解消 を目標
8.建設大臣が住宅対 策審議会に対し,住 宅開発の積極的推進 を図るための措置を 諮問
11.13水資源開発促進 法,水資源開発公団法 の水資源二法制定
1962年 (昭和37)
4.利根川水
系 を 水 資 源 開 発 促 進 法 に 基 づ く 水 資 源 開 発 水 系に指定 8.17「利根川 水 系 に お け る 水 資 源 開 発基本計画」
(第一次フル プラン)決定 10.矢木沢・
下 久 保 ダ ム 建 設 事 業 が 建 設 省 か ら 水 資 源 開 発 公団に移管
2.1東京都宅地開発公 社設置(旧東京都住宅 普及協会).東京都の 常住人口1千万人突破
この年瑞穂町,多摩 町,久留米町水道,
給水開始
1.武蔵野,三鷹,小 金井,立川4市長 連名で北多摩各市 長に「水資源対策 打ち合わせ会」の 開催を呼びかける 1.武蔵野市役所で
「水資源対策打ち合 わせ会」開催.北多 摩水資源対策促進 協議会の設置を決 議
3.北多摩水資源対 策促進協議会設立.
会長に荒井源吉武 蔵野市長就任 6.北多摩水資源対 策促進協議会,都 議会都知事に水資 源対策について請 願
4.宅地制度審議会設 置
5.1水資源開発公団設 立
5.1工業用水法公布 5.10新産業都市建設 促進法公布
5.住宅対策審議会答 申
6.建設大臣が宅地制 度審議会に対し収用 権について諮問 9.厚生省「水道整備緊 急5箇年計画」策定 10.5全国総合開発計 画閣議決定
1963年 (昭和38)
4.利根川水道建設事務 所新設
4.23都知事選東龍太郎 再選
7.朝霞浄水場(第一次 利
9.三多摩給水対策 連 絡 協 議 会 設 置 . 会長に鈴木俊一副 知事就任
12.9第三次池 田勇人内閣成 立
7.12新産業都市13ヶ 所,工業整備特別地域
6ヶ所決定
7.11新住宅市街地開 発法公布
1963年 (昭和38)
根川拡張事業)着工 8.12東京都水洗便所助 成規定制定
10.東京都工業用水道 条例公布
11.第一次利根川系水 道拡張事業計画認可
12.10多摩地区開発計
画案まとまる