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一、序

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(1)

管理意思決定の理論としての 経営経済政策論

−ザンディッヒの所論を中心として−

菅家正瑞

一、序

二、経営経済政策論の課題 三、管理の責任論 四、企業の目標論

五、ザンディッヒの所論の特質と問題点 六、結

一、序

西ドイツの経営経済学においては,経営管理(Betriebsfiihrung)の問題 が体系的に取りあげられ論じられてきたとは必ずしもいえないであろう。そ こでは例えば,計画,組織,統制あるいは計算制度といった経営管理の部分的 問題が個別的に取り上げられていたのである。ところが企業において管理過 程が複雑化し,社会における管理機能の重要性が増大するにつれ,経営経済 学において経営管理を分析の対象にする試みがなされることになる。「経営 経済学は,ドイツ語圏においてこの10年間,管理問題がその中心的学問−

1)

研究対象にされるという方法で強力に構築されている。」

ところで経営経済学では管理問題が,「企業政策」(Unternehmenspolitik),

「経営政策」(Betriebspolitik)あるいは「経営経済政策」(Betriebswirtscha‑

ftspolitik)という表現で取り扱われている。経営管理を政策という概念 で把挺することは既にルードヴィッチによって行われ,政策論を一般経営

2)

経済学の独立の科学部門とする構想は既にザイフェルトにあるが,政策論

(2)

84 

経?:?と経済 の本格的な構築はザンデイツヒによって試みられた。

f1953

年に出版された

3) 

ザンデイツヒの著書『経営の管理,経営経済政策』は,経営経済政策とい

4) 

う主要な問題複合の基礎づけの最初のドイツの試みである。

J f1966

年に

『経営経済政策』というタイトノレで改稿されて第

2

版として現われる,

1953 

年に提出された著書『経営の管理一一経営経済政策

J

でもって,企業政策と いう経営経済的学問の発展に対して決定的街撃をクノレト・ザンディッヒが与 えた。」

そこで本稿では,ザンディッヒの経営経済政策に関する所論を取り上げ,

その具体的内容を検討し,若干の問題点を指摘することによって,経営経済 学における経営政策論の一端を明らかにしたい。

1) Pack

, 

L.

, 

Unternehmungsfuhrung

, 

in  Handw0rterbuch der  Betrie bswirtsclzaft

, 

4. Auf

1 . ,  

hrsg.  E. Grochla  und  W. Wittmann

, 

1‑3

, 

Stuttgart  1976

, 

S.  4079. Vg

l . ,  

Beyer

,  H.‑T. , 

Die Lehr derUnterneh‑

mungsfuhrung

, 

Berlin 1970

, 

S.  11 f. 

2) 

Beyer

, 

a.  a. 

0., 

S.  133. 

3) Sandig

, 

Curt

, 

Die Fuhrung des  Betri

ebes

Betriebswirtschaftspolitik

, 

1.  Au

日 . ,

Stuttgart  1953

, 

Betriebswirtschαftspolitik

, 

2.  u

von "Die  Fuhrung des Betriebes

, 

Betriebswirtschaftspolitik

Stuttgart 1966.  4) Beyer

, 

a.  a. 0.

, 

S.  134. 

5) Dlugos

, 

G.

, 

Unternehmungspolitik

, 

in: Handwarterbuch der Betriebs wirtschaft

, 

4. Auf

l . ,  

SS. 4093'"'""4094. 

6) 

本稿ではザンデイツヒの最終的な見解を検討するために,その著書の第

2

版を 取り上げる。

二 、 経 営 経 済 政 策 論 の 課 題

政策

(Politik)

という既念には二重の意味がある

O

それはまず特定の諸方

(Masnahmen)を意味し,他方ではこれらの諸方策の学 (Lehre)を意味

する

D

経営経済政策という概念もまたそこに二つの意味をもっ。そのひと

つは行為

(Tat)

としての経営経済政策であり,それは経営経済における実

(3)

践的・政策的行動,実際の行為,政策的現象を意味する

D

もうひとつは科学

(Wissenschaft)

としての経営経済政策であり,それは経営経済における政

2) 

策的現象を記述し理論的叙述を行うという科学的観察の対象を意味する

O

ザンディッヒの関心はもちろん後者であり,彼の研究課題は「経営の管理の 目標設定と意思決定に関する基本的叙述,経営経済政策の研究」にある

D

換言すれば,彼にとって主要なのは

I

経営におけるまた市場に対する経営 の活動における現象の政策的……内容を特に取り出し,経営経済の理論・政 策・技術を区別し,……実際のそして可能なたくさんの目標設定と意思決定

4) 

に一定の秩序をもたらすこと」である。すなわちまず第 l に,科学として の経営経済政策(=経営経済政策論

dieLehre der Betriebswirtschaftspoli tik)の研究対象をなす政策的現象を把握し,第2

に,経営経済政策論を理 論

(Theorie)や技術 (Technik)か ら 明 確 に 区 別 さ れ る ー 科 学 と し て 確 立

し,第

3に,目標設定と意思決定を体系化することに彼の課題がある。

経営経済における政策的現象とはいかなるものであるのか口ザンディッヒ はそれを経営管理における創造的要素

(dassch

ferischeElement)に見い

出す。経営管理の職分はこれを二つの内容に分けることができる

D

そのひと つは,理念創造,目標設定,基本的意思決定,意思決定に対する責任の負担 であり,もうひとつは,理念の行為への転換,遂行のための計画作成,組織化,

怠思決定の遂行である

o

前者を問題にするのが管理政策であり,後者を問 題にするのが管理技術である。両者は不可欠の経営管理の職分をなす。管理 技術なくしては理念の実現や目標の達成は不可能であり,管理政策なくして は理念や目標の欠けた遂行体制のみが残る

o

しかし経営経済政策論の研究 対象をなすのは「経営管理の最も本質的な職分」をなし「経営管理の中核」

をなす岱:理政策であり,管理技術は排除される。管理技術が問題となるの

は,その利用に関する;立思決定が生ずる場合である

D

このように経営経済政

策論が関心をもつのは何よりも目標設定と意思決定である

o

それ故,ザンデ

イツヒはこれを

I

経営経済の(経営の,企業の)管理によってその内部関

述の中で行われるところの,また経営経済の市場・に対して行われるところ

の,実際のそして可能な目標設定と怠思決定の学」と定義する

O

その場合,

(4)

86 

経 営 と 経 済

目標設定と志思決定は,共働者,投資家,市場パートナー,競争者という人 聞に対してなされるものであることが注なされなければならない。

さて,目標設定とは経営と市場における活動の基本方針に対する意志の声 明・確定である。な思決定とはさまざまな可能性の聞の選択行為であり,そ れは目標間であるいは目標達成のための方法問で行われる

D

ところでザンデ イツヒは目標設定を三つのク勺レープに分類している

D

その第 l のものは以も 一般的な種類の目傑設定であり,これは経営の故高目椋として経営活動

ω

原 理

(Prinzipien)

あるいは指導原理をなすものと解される口第

2

のものは一 般的種類の目標設定ではあるが特定の目根方向をもつものであり,第 l

ω

も のとは異なり必ずしもあらゆる経営に一般的に妥当するものではないと解さ れる

D

3

のものは上位の一般的目肢に下属せしめられる特殊な目阪であ

7) 

O

第 2 と第

3

の目標設定の内容はさまざまであり,これらの目標聞には 複雑な目的一子段関連が生ずるであろう。それ故この場合に生ずる志思決 定を厳密に目標と手段の志思決定に区分することは困難である口そこでザン ディッヒはこれらの怠思決定に関して位理志思決定

(Fuhrungsentscheidun‑

gen)

という概念を用いる

D

彼は

f

zi

理な思決定を二つのグ

j

レープに分ける

D

そのひとつは,経営の構築に関連するもので,構造的意思決定

(konstitutive  En tscheid ungen)

と称される口もうひとつは,継続的な営みに関連する状況 制約的意思決定

(situationsbedingteod.  situationsgebundene Entscheidun‑

8) 

gen)

である。部分領域の政策における管理意思決定も乙の二つに区分す ることができる。またそれらの政策における目標設定と志思決定には最高目 標に対して目的一手段関連が成立する

D

彼 の 課 題 の ひ と つ を な す 目 標 設 定と意思決定の体系化は,このような関連において行・われる

O

政策的現象は目標設定と志思決定に尽きるわけではない。 管理志思決定に

は競合や対立が生じうるのであり,それらを調整し統一性を計る必要性が生

ずる

D

それもまた重要な政策的現象をなすのである。それでは管理主主思決

定の統一性は何によってもたらされるのであろうか。ひとは「計画

J(Plan

, 

Plannung)

という概念を思い浮かべるかもしれない。なぜならば計画は一

定の目標と手段とが体系的に組み込まれたものであるから,それにしたがえ

(5)

ば志思決定の統一性が得られると解.されるからである

o

しかしザンデイツヒ によれば計画は政策そのものを意味するものではない。彼は

I

経営計画 は,一般に,空間と時間,物量と価値によって区分された範囲での経営経済 政策の翻訳である。 j と把握する

O

そ れ 故 , 計 画 は 政 策 の 遂 行 手 段 と 理 解 され,重要なのは計画の背後に立ちそれをもたらすものである

O

これこそが まさに政策的現象そのものであり,ザンデイツヒはこれを「構想

J(Konze‑

ption)

という概念で把握する。「構怨とは,市場と経営における経過の推 定的過程の思考的予測であり,期待される経過に基づいて必要な経営管理の 方策の思考的先取りである。」それ故,構想という概念の前面に立つのは 意図されたも

o(das Gewollte)の 観 念 で あ り , 計 画 や 処 理 (Disposition)

という概念はこの観念されたものを実現するための方策である。構忽こそが 政策であり,方策の背後に構想、がなければもはやそれは経営経済政策とはい えないのである。構想とは,換言すれば「経済のあらゆる行為の背後にある 企業者的理念

J (die unternehmerische Idee)

に 外 な ら な い 。 と こ ろ で 企 業者的理念は存在するものと意図されたものとの独創的結合の中に存在する のであって,そこには科学的には解明しがたい非合理的要素がある。既にシ ュ ン ベ ー タ ー は こ の よ う な 企 業 者 の 特 殊 な 能 力 を 指 摘 し て い る 口 ま た グ ーテンベノレクはその処理的要素(=経営管理)の非合理的部分について言及

14) 

じ て い る 。 し か し な が ら 管 理 芯 思 決 定 の 統 一 性 を 得 る た め に は , そ れ が合理的に形成されようと非合理的な源泉から生じようと,基本方針

(die grose Linie)

を必要とするのであり

I

この基本方針は……構想として経 営経済政策における最‑も重要で最も有志義なものである

D

そのような経営経 済政策の展開が,経営の責任ある竹理の職分なのである。」

さて,ザンディッヒの課題のもうひとつは,経営経済の理論・政策・技術 を区別し,経営経済政策論を展開することである

D

乙の点に関しては,ザン デイツヒも述べるように,経営経済学では理論・政策・技術の関述が必ずし も十分に説明されているとはいえないのである

O

それでは彼はいかにして理 論と技術から区別される政策論を展開しようとするのか。

経営経済政策論はまず経営経済技術から区別されなければならない。一般

(6)

88 

経 営 と 経 済

に技術という概念が志味するものは,ゴットノレが述べるように「目的への適 切 な 方 法 の 術 策

J(die  Kunst des  rechten  Weges zum Zweck)である。

すなわち技術とは,理想を実現するための方法であり,設定された目標への 道を形成するととである。ザンデイツヒもこの立場に立ち,

I

経営経済的 領域では意図されたものの実行はすべて技術に帰さるべきである。」とし て,既述の如く管理政策を管理技術から意識的に区分しようとする。管理 技術とは,行われた白

2

理意思決定を「行為に転換すること

J

( I

n‑dieTat

18) 

Umsetzen)で あ り , そ れ は 遂 行 を 計 画 し , 組 織 し , あ ら ゆ る 種 類 の 適 切

な労働給付や手段の用意によって遂行の前捉‑を創造することであり,簡単に いえば意思決定の遂行である

D

したがって計画・組織・統制はグーテンベ ノレクが述べるように企業政策の用具・手段であって,政策そのものではな い。ザンデイツヒはまたくり返しうる経過も技術の餌域に属すると考える

o

その時に最も合目的々な方法を発見するという技術的効果があるからであ る 。

I

くり返しうることは組織しうることであり,したがって既に科学的意 味での政策の外にある。」として, これもまた政策論から排除されるので ある

O

要するに技術の果すべき課題は設定された目標を「いかに

J (Wie) 

達成すべきかであり,目標設定そのものには関与しない。目標設定は政策の 中心問題をなすのである。かくしてザンデイツヒは両者を区別して

I

経営 経済政策において経営活動の目標を設定し基本的怠思決定を行うことが問題 であるならば,経営経済技術で問題なのは,こちら側から多数の問題を投げ かけその限りで科学的貫徹を要求する実行である。」とのべるのである

O

さ て 次 l こ,経営経済政策論は経営経済理論から区別されなければなら ない。一般に,政策は「当為

J(Seinsollen)の学であり,理論は「存在」

(Sein)の学であるといわれる。この区分は国民経済政策と国民経済理論

の区分に由来するものである。その場合,国民経済政策は経済的関述への国

家の影響のための手段と方策の総体として把握される。このような理解が経

営経済領域に導入されるならば,経営経済政策は特定の目標を実現するため

の方策の総体であると把握される

O

しかしザンディッヒはこのような理解は

支持しない。なぜならばこの場合では,所与の目棋を達成するための技術的

(7)

可能性が探求され,目標それ自体は論じられず,したがって,政策的観点で はなく用具的観点が前面に立つからである

o

また,経営管理に対して特定の 状況の利用のために方式規則や処方築あるいは管理の原則を提供することを 課題とする応用経営経済学や技術論

(Kunstlehre)

もまた,ザンディッヒに よれば経営経済政策論ではない。なぜならばそれらの方式類はくり返されう る問題に関するものであり,命令ー執行技術に属するものであるからであ

22) 

る 口 「あらゆる政策は,組織しうるもの,くり返しうるもの,技術的な

23) 

ものが始まる所で止む。

J

と い う の が 彼 の 基 本 的 立 場 で あ る 。 そ れ で は 経 営経済の理論と政策はザンデイツヒにおいてはどのように区別されるのか。

これについての彼の説明は必ずしも明確ではない。彼によれば経営経済理論 とは,

r

経営における存在

(Sein)

と経営の存続にとって本質的な市場におけ

24) 

る存在の学であり,静的動的状態の学であり,行為から生ずる事実の学」

である。一方,経営経済政策論がかかわり合うのは経営管理の義務である目 標設定と意思決定である。その課題は,

r

管理の問題において何が与えられ 何 が あ り う る か を 示 す こ と

J

である。それは結局,管理意思決定に関する

Sein

の分析を意味することに外ならないであろう。すなわち経営経済政策 論は「管理意思決定の理論

J(eine  Theoriel der Fuhrungsentscheidungen) 

をなすのであって,したがってそれは理論の一分野を形成することになるの である。 ザンディッヒはこの点に関して次のようにのべている。「経営経済 政策は,……責任ある人間の行動の学として,……経営における管理と責任 の学として,……管理志思決定の学として,それ(経営経済理論一一ー引用者〉

27) 

に組み入れられる。

Jr

… … 問 題 な の は , 経 営 管 理 の 手 に す る 問 題 の 理 論 的な取り扱いを論ずることである。それ故,それ(経営経済政策論一一引用 者)は,その基礎において理論的活動のー断片を形成する。」

以上のように,ザンディッヒの経営経済政策論は,経営経済における政策

的現象,目標設定と意思決定に関する

Sein

の 認 識 に あ る の で あ っ て , し

たがってそれは「管理志思決定の理論」として経営経済理論に包括されるの

である。ところで

r

理論が営まれるのは,現実の思考的姿を創造するため

であり,関連性を認識するためであり,法則性を発見するためであり,論理

(8)

90 

経 日 ' と 経 済 的 関 連 性 を 明 ら か に す る た め で あ り , 機 能 的 依 存 性 を 発 見 す る た め で あ る。」しかしザンディッヒによれば,経営経済政策論は認識のための認識 という認識それ自体を自己目的としてはならない。なぜならば

r

理論は,

あらゆるく行為としての)政策が戦い立ち向かわねばならない不確実性を克

30) 

服するための補助手段である。

J

か ら で あ り , 理 論 は 再 び 政 策 の 実 践 に 投 入されなければならないのである。しかし実践に役立ちうるために,経営と 市場における

Sein

の認識を越えて実践に助言提案や処方連を与えることは 拒否される

D

なぜならば

r

企業への勧告よりも,経営経済政策の領域での 思考的貫徹や体系的叙述の方が,科学のみならず実践にも役立つ」というの がザンディッヒの科学と実践に関する考え方をなすからである。

1) Lffelholz

,J

.

, 

Betriebswirtschaftspolitik

, 

in:  ZfB

, 

25Jg. 1955

, 

S.  116. 

2)3)4)  Sandig

, 

Betriebswritschaftspolitik

, 

2.  Auf

l . ,  

1966

, 

S.  27

, 

S. 

  , 1

S.  2. 

5) 6)  Sandig

, 

a. a. 0.

, 

SS. 1920

, 

S.  6 und vg

  , l

Sandig

, 

Unternehm‑

ungspolitik

, 

in: Handworterbuch der Betn.ebswirtschaft

, 

3.  Au

日 . ,

hrsg. 

von

百.

Seischab und K. Schwantag

, 

Bd. IV

, 

Stuttgart 1962

, 

S. 5555.  7)  Sandig

, 

Betriebswirtschaftspolitik

, 

SS. 7 ‑8.ザンデイツヒによれば,第

l の目標に属するのは,経営の経済力の維持と増大,手 1 1 1 由極大化,資本収益性,実 体維持であり,第 21と属するのは,市場地位の確立,経営の成長,独立性の確保,

新市場への参入等であり,第 31と局するのは,特定の顧客や消費者層の獲得,宣 伝の強化,既存能力の有効利用,財務状況の改善,信用準備金の創設等である。

9)  Sandig

, 

a. a. 0.

, 

S.  134 f

. ,  

S. 151.なおザンデイツヒが部分政策とし

て掲げるものは,人事政策,調達政策,販売政策,価格政策,財務諸表政策,名 声政策である。

10) 11) 12)  Sandig

, 

a.  a. 0.

, 

S.  1

  1 ,

S.  10

, 

S.  10. 

13)  Schumpeter

, 

J.

, 

Theorie  der  wirtschaftlichen  Entwicklung

, 

2.  Au

日., 

Berlin 1926

, 

S.  125.

中山伊知郎・束畑精一訳,

r

経済発展の理論J

I,岩波書

庄,昭和26 年 ,

209

頁 。

14)  Gutenberg

, 

E.

, 

Grundlαgen  der  Betriebswirtschaftslehre

, 

Bd.  1

, 

Die 

(9)

Produktion

, 

8/9

, 

Au

f 1 . ,  

Belin‑Gttingen‑Heidelberg1963

, 

S.  8.

清口一 雄・高田馨訳,

r

経営経済学原理J,第

l

巻生産論,干倉書房,昭和

32;

年 ,

8

頁 。

15)  Sandig

, 

a.a.O.

, 

S.  14. 

16)  von Gottl‑0t

t 1

ilienf eld

, 

F.

, 

Wirtschaft  und  Technik " 2.  neu bea r b.  Auf

1 . ,  

Tubingen 1923

, 

S.  8. 

17) 18)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

S.  22

, 

S. 21. 

19)  Gutenberg

, 

Einfuhrung in  die Betriebsτ

. v

irtschaftslehre

, 

Wiesbaden 1958

, 

S.  43.

池内信行監訳,

r

経営経済学入門

J

,干倉書房,昭和

34

年 ,

55

頁 。

20) 21)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

S.  24

, 

SS.21.........22. 

22) 23) 24)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

SS. 24.........26

, 

S.  29

, 

S.  28. 

25) 26)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

S.  28.  Vg

1 . ,  

Sandig

, 

Unternehmungspolitik

, 

S.  5555. 

27) 28)  Sandig

, 

Betriebswirtschaftspolitik

, 

SS. 28.........29

, 

S.  29.  29)30) 31)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

S.  28

, 

S.  30

, 

S.  4. 

一 、 管 理 の 責 任 論

ザンデイツヒによれば,管理政策とは志思決定の責任を負うことでもあ る。したがって,

r

管理意思決定の理論」としての経営経済政策論は,その 中に「官

1

理の責任論」をもたなければならない。

彼によれば,管理意思決定には「責任

J(Verantwor

t 1 i

chkeit

, 

Verantwor‑

tung)

が 常 に 伴 な い , 両 者 は 不 可 分 の 統 一 体 を な す も の で あ る

o

む理と は共同体の発展や運動において方向を決定し,共同体の先頭に立つことであ る。それは管理権力・意思決定権力の執行を意味する。他方,管理とは管理 権力・志思決定権力の執行の結果や予測に対して常に責任を負うことであ る

D

すなわち

r

管理とは常に,怠思決定権力と,志思決定権力の利用の責 任をな味する。」のである。

また,ザンデイツヒによれば,管理とは自由で責任をもって芯思決定を行

い行動することでもある。それは外部からの強制や命令ではなく自らの

判断と責任において,その志味で自由に意思決定を行うからであると解され

(10)

92 

経 主 ? と 経 済

D

さて,管理が自由で責任ある;意思決定と行動であるならば,ぞ¥:理の中核を なす経営経済政策もまたそうである

D

政策的行動をするものは,たとえその 行動領域が限定されていようとも,その範囲内では自由に芯思決定を行い それに対して責任を負わなければならない。まず政策的行動は自由でなけれ ばならない。自由に行動しうる時にのみ政策があるのであって,命令や強制 による行動は政策ではなく執行にすぎないからである

O

次に自由な行動には 同時に責任が伴なわなければならない。無責任な行革

h

者はあらゆる共同体か ら排除されざるをえないからである。かくてザンディッヒにおいては,

i

経 営経済政策は市場と経営における自由で責任ある形成

(dasGestalten)であ

る。」と把握される

o

それではそこにはいかなる責任が存在するのか。

市場と経営における形成とは,市場と経営における人間の行動に影響を及 ぼしその変更を目ざす乙とである。したがって責任はその行動に影響を受け る市場と経営における人間に関連するであろう

o

また責任は政策的行動を行 う人間の個人的なあるいは社会的・一般的な価値感にも関連するであろう

O

4) 

なぜならば政策的意思決定は「経済的物的論理だけに従うわけではない」

のであり,そ乙には,

i

それが法的に規定されるのであれ慣習的に基礎づけ

4) 

られるのであれ,有効な価値秩序への拘束が成立する。」からである

D

さて,ザンディッヒが,管理の,したがってまた経営経済政策の責任とし て掲げるものは以下のものである。すなわち,法律,出資者,信用供与者,

共働者,顧客と供給者,家族,そして良心に対する責任がそれらである。

法律は管理の自由な行動の限界を形成し,その限界を守ること,あるい は限界を越えることに対して責任をとるという法律に対する責任が生ず る

O

出資者は管理に参加しなくても何らかの統制権をもっ。すなわち出資者は 管理者に管理を委託し一定期間後に結果の説明を要求しうるから,管理には

出資者に対して管理権の行使について弁明するという責任が生ずる。

信用供与者は特別な統制権はもたず,企業が財務的危機に陥った時にはじ

めて法律に基づき債権者に弁明するという管理の責任が生ずる

o

しかし信用

(11)

供与は企業の名声の一部をなす信用力に基づくから,信用供与者に対する責 任は法律を越えた広い責任意識に基礎づけられる。

共働者

(Mitarbeiter)

に対する責任は,労働法等の法律を越えた

I

経営 的必要性」から生ずる,自由意志によってとられる共働者への義務志識であ る

O

この義務意識は人聞の労働給付が購買された商品とみなされた限りは問 題とならなかった。しかし労働力と労働給付は分離しえず,労働給付の量と 質は労働力の肉体的精神的状態に依存し,給付をもたらす人聞に配広しなけ れば経営は不利を招くという認識が増大するにつれて,人間労働への質的水 準への要求,教育・訓練された労働力の必要性が現われ,労働力へのそのよ うな配慮の責任が生ずる。共働者に対する責任はまた,企業の運命への労働 力の依存性からも生じ,依存性は労働力調達の継続性への強制を生む。しか し結局この責任は公共

(Offen

t 1 i

chkeit)

に対する管理の責任の問題であり,

それは良心に対する責任をなすのである。

調達一販売市場のパートナーである供給者と顧客に対する責任は,あら ゆる契約や協定の遵守として生じ,その限りでは法律に対する責任に相応す るが,法律以上の広い義務を自由意志で引き受けるのが常である口結局乙の 責任の多くは,共働者に対する責任と同様に,意思決定者の良心に対する責 任の表現形態であると解されている

D

企業者的志思決定は,家族に対する責任が意識された場合にはそうでない 場合とは異なったものになるであろう

o

なぜならば,家族のための企業の生 存確保という観点が現われるからである。同族会社では,家族のために企業 を維持し継承するという責任が生ずるであろう

o

経営経済政策の責任として,ザンデイツヒは最後に良心

(dasGewissen) 

に対する責任を強調している

D

彼においては,良心は人聞の意思決定の最高

抑制中枢

(dieoberste Instanz)

であり,怠思決定の科学的に達しうる最終

的な基礎をなすとみなされる

D

そこには

I

芯思決定は人間ではその怠識に

おいてそして結局は良心において生ずる。」という理解がみられる。良心に

関するザンデイツヒの所論の出発点は,いかなる政策であろうと「……行

動者はその行動に対する責任を最終的に科学的になお確認しうる事態として

(12)

94 

経 営 と 経 済 自己の良心の前で負う

1

という確認である

D

彼 は 良 心 の 存 在 は 経 験 し う るとして,その存在,それに対する責任の存在を次のようにのべて確認す る 。

r

良心が実践における経営者のあらゆる個々の志思決定の背後に立って いる

D

何らかの指導的・勧告的・監査的・監督的活動にある人や一度あった 人は,いかに意思決定のためにその良心に呼びかけねばならないか又はなら

13) 

なかったかを知っている。

Jr

しかし,目標設定,意思決定は,多かれ少 なかれ有効な方法で管理権力が与えられた人の良心という試験場を通過し,

乙の責任によって意思決定が少なくとも共に形成され,時には決定的に形成

14) 

されるという事実は成立する

oJ

彼によれば, この良心に対する確認は 決して規範的意味ではなく,純粋に説明的意味で行われるものである。良心 の存在は事実として,人間の内面的経験として経験しうるとされているから である

O

乙のようにザンデイツヒにおいては良心の存在が経験的事実であるとされ るから,ひとがそれを論議から排除することやその存在を隠すととは科学的 ではないとされる

O

良心は事実として,人間生活の営みの上に立つ科学の必 要な構成部分を形成しなければならないのである。そこで経営経済政策論で も

r

あらゆる行為や中止は究極には良心の前で責任を取らされるにちがい ないという事実

J

が取り扱われることとなるのである

D

政策的意思決定は 確かに効用考量や計算という単純なものではなく,そこには倫理的要案もま た含まれているであろう口また企業の部分領域では効用考量のみも可能であ るが,経営経済政策の全体の科学的観察にとっては良心の影響は事実であろ う

r

それ故に,部分領域に制限しようとしない経営経済学者は,乙の芯識 過程を取り扱い,意識過程の最も内面的中心まで,ニックリッシュがまさに 達したように,良心までっき進む。」のである。しかし良心の存在が経験で き,それが意思決定に影響力を有するとしても, その良心の内容や強さ,

影響力の大きさは個々の場合によって異なるであろう。だが良心がたとえ弱 いものであっても,それでもなおザンディッヒは良心を無視することを拒否 する。

r

管理意思決定を把握しようとする学科は存在の事実を無視してはな

らない。そうでなければ不完全な姿が生ずる。」とのべるのである。

(13)

それでは良心に対する責任とは一体いかなるものであるのか。ザンデイツ ヒによれば,それはさまざまな職業において特徴的に認める乙とができると ころの公衆に対する義務やその職業に対する義務を満たすことに相応するも のである

Q

そしてその責任は,行われるべき意思決定や行われた意思決定 に対する自己批判やその正当性への疑問という形で現われるというのであ る

O

良 心 に 対 す る 責 任 が こ の よ う な 形 で 現 わ れ る と し て も , 経 営 経 済 政 策論はそのような事実の序在を認めるだけであって,その事実から意思決 定に対する何らかの「要請

J(Postulat)に ま で 高 め よ う と す る の で は な

い 。 経 営 経 済 政 策 論 は 「 管 理 意 思 決 定 の 理 論 」 で あ っ て , 実 践 の 政 策 に 対して何らかの規範を設定する「規範論

J(eine normative Wissenschaft) 

ではないからである。それは,管理権力を有するものが特定の意思決定を行 うべきであり,別の意思決定は行うべきではないとはいえないし,彼は何 を 行 い 何 を 行 う べ き で は な い と も い え な い の で あ る 。 経 営 経 済 政 策 論 は

11

里論」として,良心に対する責任の存在を指摘するに止まるのである口

1) 2) Sandig

, 

Betriebswirtschaftspolitik

, 

S. 54

, 

S. 56. 

3) Sandig

, 

a. a. 0.

, 

SS. 5556. g

1 . ,  

Sandig

, 

nternehmungspolitik

, 

S. 5557. 

4)  Sandig

, 

Betebswirtschaftspolitik

S. 54.  5) Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

SS. 5960. 

6) Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

SS. 606

1 .  

7)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

SS. 6162.  8) Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

SS. 6265.  9) Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

SS. 6566.  10)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

SS. 6667. 

11) 12)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

S. 13

  , 1

SS. 6869.  13) 14)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

S.  7

  , 1

S.  72. 

15) 

ザンデイツヒはその際,ヴァィサーとニツクリッシュの主張に依拠している。

Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

S.  69.  g

1 . ,  

Weisser

, 

G.

, 

Wirtschaftspolitik als  Wissenschaft

, 

Erkenntniskritische Grundfragen der praktischen Natio‑

(14)

96 

経 営 と 経 済

nalkonomie

,S

tuttgart  1934

, 

S.  38.  Nicklisch

, 

H.

, 

Die Betriebsωirt schaft

, 

7. Aufl.  Stuttgart 1932

, 

S.  26. 

なおザンディツヒにおいては,

r

良心とは,それによって人間が自分自身を他 の人間とともに共同体における分肢として認識し同時に世代の鎖における分肢 として認識する直接的自己意識である。」というニツクリッシュの良心論に立っ ている。

Sandig

a.  a.  0.

, 

S.  70. Vg

l . ,  

Nicklisch

, 

a.  a.  0.

, 

S.  16

, 

derselbe

, 

Der Weg aufwart

z !  

Organisation

, 

2.  neu bearb.  Auf

l . ,  

Stu‑

ttgart 1922

, 

S.  18 f.

鈴木辰治訳, Ii組織,向上への道 I J ,未来社,昭和

50

年 。

16) 17) 18)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

S.  69

, 

SS.  71..........72

, 

S.  72. 

19) 20) 21)  Sandig

, 

a.  a.  0.

, 

SS.  72..........73

, 

S.  69

, 

S.  72. 

四 、 企 業 の 目 標 論

経営経済政策論は経営管理の目標設定と意思決定の学として把握されるか ら,それは何よりもまず目標設定の研究,企業の目標論をもたなければなら ない。しかし目標論にかかわる場合,そ乙に価値判断という困難な問題が現 われる。なぜならば

I

科学的意味での政策に従事するものは, (行為とし ての)政策によって設定された目標を認めるか拒否するかという問題に直面 する

oJ

からである。研究者が政策論を展開するためには目標に対する評 価をせざるをえず,その評価によって科学性が失なわれないかという問題が 生ずるのである

o

ザンディッヒはこの問題をどのように克服しようとする のか。彼はここにピュツツのいう「客観的に拘束的な目標

J(das objektiv  verbindliche Zie

l)という概念を導入し,

J

あらゆる経営に一般的に妥当す る目標設定」を取り扱うことによって,判断の客観性を確保しようとする のである。したがってザンデイツヒの目標研究で問題となるのは,

I

あらゆ る経営経済政策の客観的目標設定を取り出すこと

J

であり,それはもちろん 価値判断を含むものではあるが,

I

価値判断から何らかの要請を導出する のではなくて,価値の領域でも何であるかを確認する志図をもつにすぎな い。」とのべるのである

o

そこでザンディッヒにおいてはこのような態度に基づき,あらゆる経営に

(15)

拘束的な最高目標設定が問題とされ, あらゆる従属的な目標設定がそれと 密接に結び、つくならば,それを経営経済政策の目標として承認しようとす

4) 

る。彼が一般的に妥当する目標設定として掲げるのは「経済力の維持と増 大

J(Erhaltung und Mehrung der Wirtschaftskraft)

である。

あらゆる経営にとって自己の経済的基礎の確保すなわち存立の確保は,基 本的で一般的に妥当する目標とみなされ,それは経済力の維持と増大という 概念で表現される

o

経済力の維持とは,経済性の原理によって行動し,経済 活動に投入されるものの損失を可能な限り回避し,それらを維持することで ある。しかし維持とは達成された状態を保持することであり,発展し変化す る全体経済の中で経営の存立を確保するためにはその状態に立ち止まること はできない。経営や市場での絶えざる新形成への強制が,発展する全体経済 内での絶えざる増大への強制が,すなわち経済力の増大への強制が存在す る 。

r

経 済 力 の 維 持 と 増 大 は … … 進 歩 す る 環 境 に お け る 理 性 の 命 令 で あ る 。 」

経済力の増大は「利潤

J(Gewinn)

によって測定される。利潤とは達成点

7) 

と出発点の差,成果と投入の差,つまり「増加

J(das Mehren)

である。

増加への努力は発展する生命体の特徴であるから,経営もまた不可避的に手I J 潤への努力をもっ。後退の危険が前進への思考を強制し利潤への思考を強 制する

O

ところでザンデイツヒの利潤概念は極めて広くそれは一般的に志味 される「貨幣利潤

J(Geldgewinn)

以 上 の も の を 含 ん で い る

O

彼の場合,

経済力の概念が決して資本のみならずそれ以外のさまざまな物的非物的要因 に関連するものとして把握されているからである

O

したがって,経済力の増 大の確認は,貨幣利潤のみでは不十分であり,その他の物的非物的価値の増 加(利潤)においても行われなければならないのである

D

75

,顧客,市 場,供給者,信用供与者,競争者,共働者等に関する価値増加もまた利潤と

して把握されるからである。

さて,経営経済学において企業の最高目標として,資本維持,資本収益性

あるいは利潤極大化が掲げられてきているが,ザンディッヒは何故にこれら

を否定するのであろうか。その理由は結局,企業における価値の一部にのみ

参照

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