外債で復興中の國々の收支の均衡︵
一︶
一)
酒 井 彦 四 郎
一︑緒 言
現今は大規模の資本輸入で資金を供給された投資と関係のある色カの問題を再考するに適切な時であるように思われ
る︒発車その一例をあげれば︑この戦争が吸壊や過少継拝や取革まの不足や歳時産業に極換という形でとの持合わせを
減じた多病のしかも不平等な料金のために︑この戦争の終りには︑世界の資本財の持合わせの分布には重大な不均衡が
ある事が予期される︒投もひどい被害地方を指しての資本移動は︑他の状態にあるよりも迅速に経済的なーその故を以
て政治的なー均衡状態に一層近い事態に取り戻す傾向がある︒それ故に戦後には大規模の国際的資本移動がある事が考
えられもするし︑そうある事が勿論望ましい事でもある︒ここで重要な事は︑この外国の貸出期に第一次世界大戦後に されたような間違いの繰返しがあってはならないという事である︒この為に︑今世紀の二十年台の政治家や財政専門家
が一般的に明らかにした資本輸入や︑国内発展や︑商品輸入の相互関係よりも︑是非ともそれよりも一層充分な理解が な け れ ば な ら な い ︒
り 本文 はQ ua rt er ly J ou rn al o f Ec on om ic s持 五七 巻( 1九 四≡ 年二 月) の二
〇八
‑二 四〇 頁に 出て いる Wa sh in gt on D. C. の国 際通 貨基 金I nt er na ti on al Mo ne ta ry Fu nd のポ ラッ クJ .J .P oL AK 氏の 論文 BA LA NC EO FP AY ME NT SP RO BL EM S OF CO UN TR IE SR EC ON ST RU CT IN GW IT HT HE HE LP OF FO RE IG NL OA NS につ いて のさ ゝや かな 研究 であ る︒
第二の理由は一九二九年に始まった不況が一九三九年に起った賊争の中での最も重要な一致した原因であったという 強い気分から生じている︒故にその不況を誘発している原因をなすあらゆる方面には大いに注意する位打がある︒この
外債で復興中の国々の収支の均衡
一経 営 主 経 済
方面の一つは︑一九二四年から一九二八年までの五年間は外国の貸出が未曾有の水準に進行したという耳︑それは明白
らしい︒と
3
の貸付金であてがわれた外国為替に交資国での使史
i若干は投資に︑その他は消突に使交
lの高い水準が基
宇いていた︒外債の流れが衰退を来すとすぐこれらの国々では経済的歪の役候が目立つようになって来た︒との徴候は
債権者たちには一つの警告と思われ︑従って長期貸付許諾について一一回ためろうか︑短期貸付を一再開始するよう左結果
になった︒そしてとの事が順次に借方国の困難を増じた︒このいたちごっとは一九コ二年の金融的山閥︑演に終った︒
・との過程を生じた発端の原動力はどんなものであったか︒それは依格者たちが既に貸付けた基金の利川についての基
礎的健全性に関して正当な理由のある疑念が彼等の心に生じたということだったか︒中部ヨーロッパや市米!との時期
の主要な借り受けているこ地方を挙げる為!がみ力ある投資計画がもはや有効でない程に﹁貸付け尽され﹂
A g
品 石 ご
てしまったか︑そしてこの為に投資は減退したか︒或は小さくなった資本の流れの発端の原凶は交資国の範囲外であった
ユ ユ 1ヨlク
か︑そして借方の国々は
Zo当 ペ
OHW
に長ける狂的な株式取引所熱の罪のない犠牲者であったか︒これらの問題に確答
を与えるととや前述の原動力の各々に正確な重さを日仰せしめる事は困難な仕事であろう︒しかしながらこの仕事は困難
であるばかりではなく︑との特別な歴史上の例を正確に模写する事は将来企画に殆んど価値がないであろう︒一つやっ
確かな原因を掴むことや︑事実観察された様な連続した事件を生じそうかどうかを各原凶に向って理論的に分析するこ
とや︑将来にとの原動力が少くとも同様な事情の下で妨害する影響を及ぼさないようにするような政策を提唱する事は
一層賢明な方法であろう︒本文では分析で選ばれた確かな原因は資本の国際的な流れである︒
一 一
︑ 問
題
先宇第一に戟後資本の流れを受け容れる容れ物となる国の事態を描写して見ょう︒それはその国の戦前のそれと比較
して資本がひどく不足したがら復興の路上に跳び出す︒その結川市︑何処に行つでも労働者をして協定実質賃銀率(戦前
よりは既にや
Jっと低いだろう)に近く完全雇傭の方法がたい︒賃銀はある一定の収準以下には下らないし︑そのため大
失業があると見友される︒所得が低いので︑貯蓄は殆んどたくとの多くは失業手当の支払に資金を調達するのにその国
が吸い上げてしまう︒事態は悪化して改善の見込はまゃない︒新資本が無ければ︑生産力を高めるととは出来ぬし︑よ
り多額の所得をとものうより高い輸入口聞を償うに役立つ告の摘出額をも高めるととも出来ぬ︒より多額の所得が無けれ
ば国全体の生産の充分な部分は
l人口に対して非常な困苦に追いつめられていることを除いて!資本の膨脹に備えてと
って泣くととが出来ない︒北九処に行詰
pが あ
る ︒
との行詰りを破って出るには︑外国のクレジグトが必要欠くべからざるものである︒とのクレジ
γトは国々の﹁国際的
余 地
﹂ 駒
山 口
ZS O
丘 一
HZ‑B RE P.
J
ぜ民くし︑次のように拡張論者に経済政策を可能にする︒投資財は国外で買受けるか国
内で増庄かのどれでもで獲得する事が出来る︒その力で︑国内の需要に対しても論出に対しても生産は拡張する事が出
来てかくて雇傭は児に増加する一与が出来る︒例えば︑ある政局が実現した結川刻︑との有益な外国の基金の流れが俄かに
役に立って来るとする︒その国の投資の水準は公共団体や産業会社や銀行が国外で借り受けるすすが出来︑同時に国内資
本市場が楽になるにつれて忽ち高くたる︒
外国の貸与に附添うている厳しい問題は交資国の国際収支に関する弁済能力である︒我々は始めから終りまでこの問
題に関して訟を進めよう︒従って我々は中心問題を次のように定式化することが出来る︒即ち︑外国の貸の流目立を所与
とする︒但しそれは時に関して不援であっても変化していてもよいとする︒それから・旬︑貸付金にたさ孔る労務支払を
所与とする︒その時は資本財の建設期の叩も長いその後の資本財の﹁操作﹂
E C
句
o
g t
o D
3
期の問もその国の牧支が危殆
に陥るととがないために︑国の投資がどの程度までそしてどんな方面に拡張する事が出来るか︒
三
︑ 仮 定 と 方 法
我々はある一定の単純化した仮定の下にとの問題に近づくであろう︒初めの一組の仮定は国外での世界に関係のある
ものである︒国外では経法状態は実質的には安定していると見倣されるト例えば︑同誌﹂一丸山波動政策が望み通 b に向けられ
ている事実のため︒国外での保護の度合が増大したいものとする︒以上の仮定に合まれている窓味は依務国にとっては
次のような事である︒
外 債
で 復
興 中
の 国
々 の
収 支
の 均
衡
経 営 と 経 済
ご 四
( a )
債権国では法外の俄景気のために︑資本は中々急には回収されないか資本の流入は止まらない︒
( b
) よ b 多くの輸出向きの生産物が頗る廉価に活用になるから︑市場がその生産物のために得られる︒
( C )
貸方国では不況のために輸出は中会忠には減退しない︒
以上の仮定は写実的でないかも知れぬ︒しかし︑それは責任を分けるのに役に立つ︒もしも以上の要件が充たされれ
ば︑債務国は国民経済政策が負偵の労務を涜ける一帯が出来るようにしてやるものを採択する支任を負わされるべきであ
る︒もしもそうでなければ
l今世紀の二十年台のように︑もしも巾の民い透勤や次第に皮を増す保護が貸方国に発生す れば
l以上の要件が投資や消費政策にどんなに賢こく従つでも︑計 β 国は義務を川市たす一品は宍実上不可能であろう︒向
以上の仮定は決して一切の面倒を去って仮定していないという事を予め書き留めてもよい︒
第二組の仮定は借方国での要件に言及している︒即ち︑
( i
﹀あらゆる追加的所得額の中である一定の小笠(限界消費性向)が消先に究やされる︒
( H U )
消費か投資に︑費やされるあらゆる額の中で︑ある一定の小笠(限界輸入性向)が国外で究やされる︒簡単の
為に︑消費財と投資財には同一の小笠を充
τるものとしよう
9とれらの輸入をすると国外で拡張し︑それ故計画中の国
のより高い輸出をするととになるというように反対されるかも知れぬ︒が︑これらの授返しのその国の政支に及ぼす純
効果は元来輸入に究やされる額と比べると至って小なることがわかる︒勾そして合迎的推断のもとに一
Oパーセントよ
りも小である︒これらの挨返しに注意して︑直接観察から得られる筈の性向より少し詐り小なる﹁修正限界輸入性向﹂
o
口去 の
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g 品目白色
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胃
88曲目q
g吉 田
MO H
円こを用いる事が出来る︒
り附録参照︒
一定で事実上比較的に小なる限界輸入性向(例えば︑
小)の仮定は次の意味を合んでいる︒
‑ 1
(⁝⁝ごその国は技術上か経済上の理由で輸出する事の出来ぬ商品や労務の生産に充分な余剰能力をもっ︒もしも余剰
能力が少しもないとしたら︑限界輸入性向は必然的に一に等しくなるであろう︒もしもこの能力が同様に結果が﹁輸出 ︒と
0・u との問の何処かであって何れにしてもでよりやっと
向きの﹂ミ
04 0
同Z
E0 3
生産物となる事が出来るとしたら︑前認の仮定︑特に前記
( b )
が与えられる時︑何故これら
の生産物が︑事実上︑中々輸出されないのだろうか︑即ち︑何故その能力が余剰
O M
8 2
能力であるのだろうかという
事は中々はっきり分らない︒斯くて︑との仮定は次の事項にまで垂れ下って来る︒
(円安)庇設工業︑例えば建築︑公共事業︑労務産業に余剰能力がある︒
(‑一一﹃)自国人が買うが︑輸出向きでない質のもの︑意図︑等であるような商品の生産工業に余剰能力がある︒とれ
は全くの自国用衣親︑等を生産する比較的文化の低い国々での多数の工業にあてはまるであろう︒
(訟の)幾分かの保護を享交している工業に余剰能力がある︒
(日広島
) ( a )
と (
b )
と
( C )
に挙げられた工業の方に向けられた総経費の部分は極めて多額である︒
仮 定
( ⁝
m )
は粉々骨の折れる説明が要るが︑事実上写実的であるようである︒
(
‑ W ) H
以後に︑資源の供給は充分に弾性的であって価格援化は無視してもよいと見倣される︒だから︑もし投資が輸
出向きの商品を生産するに為されれば︑との投資は賃銀や価格を押し上げ実際にその国の競争状態を破壊する程には大
で註いと見註される︒
手許の問題の解決に応用した方法は乗数の方法である︒著者は概してとの方法に対して唱えるととの出来る有力た呉
存を十分に知っている︒限界消費性向は一定値引削剖川口三し︑限界輸入性向も一定値ではない︒両者の大いさは多く
の特殊事情によって定まる︒勤学的乗数分析で作られた年月全体を通じての地球何級数は人為的であって恐らくはどちら
かといえば非写実的であろう︒しかし︑此の事はすべて許されるとしても︑一来数分析は考究中の題目に極めて適してい
るようである︒投資額が増し︑貨幣所得は膨脹し︑消費と輸入は度を加える︒乗数は勿論頗る近似的ではあるが︑との
過程を全的に解説してくれる︒
手許の問題は次の三つの部分に分けて取扱う事が出来る︒即ち︑投資︑操作︑投資と抹作と資本の流れの巾の年月全
体を通じての時鋭化の年月全体を通じての結合効果の三部分である︒種々の結論を一歩一歩誘導する事は附録の数学註に
出してある︒宍は︑高程度の数学は少しも封じ込まれてはいないが︑ニクを混ぜ合わせたものよりも宰ろ二つの別々の
外債で復興中の国々の牧支の均衡
ご 五
経 営 と 経 済
一 一 六
併 説
i
一 つ
は 一
一 一
口 葉
で 他
の 一
つ は
式 で
i
をするのが好都合であるう︒
四︑投
資
第一呑目の剖問題はこうである︒即ち︑外山川は単位期間につきある一定額の外国為替を契約する︒直接に叉乗数を経
てできた輸入を償うには乙の与えられた額の外国為符が単位期間につきどれ位の投資水準に対じて必要とされるだろう
か ︒
め
り 本
文 は
始 め
か ら
終 ・
り ま
で 投
資 や
消 費
や 輸
出 や
的 九
等 は
資 本
的 イ
へ の
開 始
前 に
広 く
行 わ
れ る
水 準
え の
迫 加
と し
て 思
考 さ
れ る
︒
限界消費性向が一ほどに高くないと︑例えば︑単仇期間につか二め外資の流れは宍行上一以上の投資の流れに外国為
替を契約する︒初めは投資財を作り出す生産凶子えの支払として流通するあらゆる追加貨幣の円以後の休憩所としては国
内貯蓄にあるかめ輸入品を買う目的で外国為替の収得のために中央銀行の管下にあるめかである︒もし限界消費位向が
一に等しければ︑流通しているあらゆる貨幣は結局は︑そしてその組めて大なる部分は市宍上松皮に迅速に︑輸入の支
払として流出されるであろう︒その境界の場合は︑史資率は外国の貸出しの平を超える一引は出来ない︒しかしてより小
なる限界性向をもっ正規の場合には︑.輸入は投資上りも少くなるであろう︒前
h d
の二つの性向に関して住怠ではある
が︑多分無理ではない似を取れば︑資本流入の水準の約一倍半乃五二倍の投資水準宇一保持すろの取が出来る︒我々は投
資率の初期の資本流入率に関する宍際の比率を﹁膨脹比率﹂
E R
宮 ロ
ー ︒
ロ
g
門
戸 ︒
コ と
呼 ぼ
う ︒
︒失業手当のための貯蓄はこの中に含まれている︒投資からこの羽目た除いている同苦しいケインズ学派のような梢々不自然な
方 法
に は
従 わ
な い
こ と
に す
る ︒
め 設 資 期 間 で は 負 債 に つ い て の 労 務 支 払 た 明 く 宕 過 す る
︒ . り 約 3 一
4の 限
界 消
費 性
向 と
約
1
一
4の 限
界 輸
出 性
向 か
基 礎
と し
た 時
︒
とのような膨脹比率の存在は今世紀の二十年台には︑例えばオlストリヤやハンガリーのい川き︑幾つかの欧洲諸国の
復興計図が外国の貸出しがその国の予期の予算の不足額に等しいであろうというその様なやり方で作成された時には明
確には実感されなかったらしい︒か L る不足額はその直接説果は投資と比較し得ぺきものであるから︑との均等は一の
膨脹比率に相当している︒との判然とした謬見の結果として︑出された貸付金はあまりに大きくありがちであり︑労務
の負担は不当に主くありがちであった︒
一保持比古に悶し℃は︑その望ましい主として生産される資本片︑は出来るだけ殆んど愉入を必要としないような質のも
のである事はよく日訂さ
μ τ
いろ︒それ故に︑前述の仮定
( H U )
︑即ち︑消交支出と投資支出が輸入に対して相等しい比
例支山むおすという仮定(いれ)を行時した場合を
4分析する一事が役に立つ凶限界消究性向が一に近宇くに従って一不された計
回が忽ち主要性を犬うととは容易に知られるであろう︒それがとの極限に達する時は︑輸入のための代りに国内で費や
されるどんな貨幣でも結局やっぱり崎入を償うために﹁彼方え漏れ出る﹂
A g
r s
吋コであろう︒しかし︑二つの性向
gに関して前に仮定したい以迎のない大いさで︑消波財に対する崎入の比率よりも・
5高い(低い)投資財に対する輸入の 比率は以大限朕比半在約一
Oパーセントだけ減らす(増六させる)であろう︒例えば︑それぞれ
Nからア∞または
N・
Nえ
︑ こ れ は 可 た り 市 一 一 川 穴 な 廷 化 で あ る
︒ 一
物価経済にないて︑取得した外因究民よりも大なる額で投資を膨脹する方法は一部は銀行の貸出政策によって行う︒
外国伏を手に入れる向社えは国家は背過には外国為誌の収入高を国立銀行制度へ売るであろう︒そしてそれらは投資の
資金を供給するために以上のように獲得された頭金を国内市場に向けるであろう︒これらの投資で︑直接的に又は間接
的に輸入に導か札る所まで︑処行制度はその羽金の船山?と引換えにそれへ売られる貸付質金の一小部分を手離さねばな
らぬであろう︒しかし崎入栄者への外国為詳の売却が一部分だけ外国為替の前の購入を補償する時には︑準備金や涙金
は同一の治対似だけの純噌加を一不すので︑銀行の準備金の立場には純進歩があるであろう︒とれはその銀行が一層ゆる
い品売円以の条件を巾込むことが出米るようにしてやるだろう︒資本の大なる欠乏を出発点としたから︑クレジットの充
分な減価によって追加の将投資を誘致する事が出来そうである︒
その準的金の立坊や一法従として︑銀行が託金を調達することをいとわぬ追加投資額は有数な外国為替準備金が輸入を
償う与の出来る似に等しいであろうという保証が出来ない事は注意に価する︒
外 債
で ん
伎 町
バ 中
の 一
凶 々
の 収
支 の
均 衡
ご 七
経 営 と 経 済
ご 八
比率
Q Z
U
・RHQ
パ 肉
付 ゆ
川 町
出 回
ω
戸
川 い
完 成
+ 知
用 品
4RHO パ出ゆ中盤協
ω有 印
海 賊
) +
( 半
日 )
が最大膨脹比率を飽えるであろうという可能性があり︑それが一つの危険である︒銀行が資金を調達する事をいとわぬ
投資額は次の二つの事柄如何によって定まる︒即ち︑銀行が外国為替を売らねばなら・なかった輸入額とその積立金比率
とである︒さて少くとも導かれる輸入の一部分は或る一定の遅滞をもって遂行されそうである︑それ故︑少くとも数ヶ
月の期間は︑それは銀行には全外伏の非常な大部分が資産並びに質金への永久的な追加物であるような気がするかも知
れぬ︒もし銀行が︑例えば︑加パーセントの浪金対外国資産の波立比率を充分であると考えたとしたら︑銀一句は喜んで
貸付金や質金を外債マイナスすでに追加輸入の資金調達に用いられたその売上金の
Eんな部分でもの四倍だけ膨脹する
で あ
ろ う
︒
明らかに︑多分最大膨脹比率よりも逢かに超過しているとの上うた膨脹では直ぐ悲惨な結果を惹起すであろう︒やが
て︑銀行が引受けている外国資産の貯えより超過して導かれた輸入を償う外国為替に対して需要は何時でも出来るよう
になっている︒もし銀行が外国からの追加借入金を取得する事が出来ないとすれば︑銀行は急に容赦なくクレジヅトを
削減しなければならぬであろう︒つまり銀行は一時に超過崎入の資金を調達するために国外に取得した!それは望まれ
る事かも知れぬ
l悩みの借入金勘定を決済する為めに︑銀行は︑実際︑取引先に投資をしない時期を強いねばならぬか︑
少くとも非常に切りつめられた投資を強いねばならぬであろう︒かように銀行制度の積立金比率だけの制限がある投資
の膨脹があると︑却しい振動によって資本輸入の水準まで投資の水準の調設が為されるととになろう︒予期の輸入の入
要の見積(即ち︑限界消民性向と限界輸入性向の見積)を某礎としてのみ継持する事の出来る膨脹比率を測定する事が
出来るであろう︒
五︑操
作 一 円
J
の投資計画を実施すれば資本財を生む︒とれらの資本財は還特のために置かれるものである︒そとでとの操作法
がその国の外国為柱地位にどんな夙に彩替を及ぼすかをよく考えて見友ければならぬだろう︒との目的の為に︑操作法
に関して三つの呉った型を考察するすすが必要と忠われる︒そして︑との型を便宜上︑生産についての三つの型と結合し
よう︒扶作に起凶する純陥出余剰は箇々のグループに対して得られるであろう︒
( 1
)
刑制附川劃料引矧に刊引可制刈州叫刷出似対副凶一到引料一引州阿岡市捌割到削判別問財
o η
とれらの財のうちでそ
の官に加えられいる全価似はその国の愉出余剰の増加を怠味するが︑との増加は純増加ではない︒加えられる輸出価依
i又は引去られる陥入価似は等大切の所得の増加を立味し︑それは普通の乗数の方法で一組の輸入の連続した波を生やる
であろう︒これらの輸入は限界消費位向が一に等しくない限り輸出又は輸入の代用財の全価値よりも小さいであろう︒
しかし︑これらの輸入は群
( 1
) の純輸出余剰はその場合︑その国的に加えられる価値の半分の等級のものであるから容 易にとの価似の凡そ包パーセントを吸収する事が出来る︒
eh
り﹁財﹂は労務た包含する︒
めついでながら外同に支払われる所得ゃありそうな資本の消費はどれでも無視した︒
η一一六瓦の詮に仮定された性向た基礎として︒
( 2 )
明 日 割 引 副 司 利 引 同 割 矧 剖 凶 剖 刻 創 刊 現 割 引 別 対 副 刻 酎 判 明 割 引 利 引 剛 罰 則 計 割 引 州 刻刻州問叫到凶利引制︒投資はとれの為に
l又はこの結果で
i戦後なるほどきっと起るだろう︑そし共時には多くの
生産方面 f 資本財が荒廃した状態で︑技術的な知識の状態は平時生産方面では著しくとの知識の応用より逢かに進んで
いる︒既に民く生産された商品の生産に対し︑又はとれに演する商品に対して存続による旦つ新企業による急霞のよう
な投資が発反するととはありそうである︒との為に投資は生産上の経費節約のために多少より低価絡に終るか︑もし生
庄物が改良された品質のものであるならば︑多少より高価格に終るであろう︒生産高の大いさは古い資本組織で以前に
生注された犬いさよりも大か小かであろう︒しかしぼ裂は他の応栄でのより高所得のために増加した限度まで以外は増
加を朋仰すぺき何の川山もない︒との市川市討の向まりは政々が投資の膨脹えの︑又は型のの操作えの反動での増加された
る消費の連続した放を分析した時に既に考山抗された︒そして左の仰の項目下で再びそれに言及するであろう︒しかし資
外債で復興︑中の国々の収支の均衡
ご 九
経 営 と 経 済
O
本の者投えの事実は本代に沿いてとの生
ι比一口同町の大いさの膨脹を生じない︒更に進んで古い抜作に替えられる新らしい 操作は一単位当りの生京高についてより多くの
Jへはより少い労働を必要とするかも知れぬ︑しかしことでは︑その上︑
一般に一一一日われる事は非常に少い︒そこで︑この必要物についての意見が一般的な安当性に関して如何なる陳述に速する
ために詳説せねばならぬ抽朱の水準上では︑第二の型の投資の操作は純抜作を椛成しないのみならや
J︑との操作の純輸
出余剰は 0 に等しいといって上い︒
m︐
古 い
能 力
は あ
ま り
に 小
さ く
て 恰
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註 文
た 管
空 ‑
す る
こ と
が 出
来 な
か っ
た ︒
そ れ
故 に
輸 出
は 需
要 ら
満 足
せ し
め る
に 十
分 な
分 量
で
生 医
す る
こ と
が 出
来 な
か っ
た か
︑
m m ら ず ん ば 君 子 の 需 要 は 輸 入 か ら 迎 え ら れ ね ば な ら な か っ た 程 度 ま で 投 資 は 勿 論 第 一 の 部 門
に 前
九 さ
れ る
で あ
ろ う
︒
戸
3) 予め売られる財の外に︑及び所得の増加のために需要の増加より超過して国内市場で売られる財︒例えば︑投
資は消焚者斌払クレジットのエクステンションで売られる持ちのよい消費者財を生産するのに為されるかも知れぬ︒又
は自治都市が公益に又は貧民窟一掃討画に投資するかも知れぬ︒そしてそれが徴税によってとの恨犬を償うことなく図
って抜作ずる︒との様な﹁節約を犠牲とした操作﹂は勿論︑共同生活体が節約の為に躍起になることが減退する︒即ち︑
平均消
AW一位向が増大する時は︑特別な投資や商品と何の直接関係もなくはるかにより一般な方法で生宇るかも知れぬ︒
しかし.との一品は多分節約する引の減ぜられる傾向が例々の消資者たちの方では又は国比として及び貯蓄従軍者として
の機能の中での政府の方では復見計画の好結果の策の給処である時を除いては︑我々が従っている因果関係の方面の及
ばぬ処にあるであろう︒
明らかに︑型仰の扶作は型仰の操作と同じ程に愉入を要するが︑それは兆の代りに少しも外国為替を生じない︒輸出
余剰は大いさについては多分型仰の財の生産自の似の五十パーセントの負の数字である︒
それはそれが結論出余剰に終つ℃も純愉入余剰に終っても採作が群仰と仰とで受けることになっ
τいる相対的な割合 の如何による引は前誌の羽から容 u 切にわかる︒一層初めに述べられた近似数似を川いてーその生産高の値の
︒ u c
ハ
1
セ ン
トの結論出余剰を生やる操作山︑と同一の相対的な大いさの純輸入余剰を生やる操作例!もしのの分前がめの分前より
大ならば︑全体の捺作に基宇く純輸出余剰︑及び逆の場合は純輸入余剰があるであろう︒
i同一の数航仮定を用いれば
ーもし型向の操作の分前が全体の操作の似の包パーセントそ超え且型仰の操作の分前が零であるならば︑且つ一般的に
めの分前がど﹄︹
50
パーセント
l m
w の分前︺より大であるときはいつでも勢いいつでも純輸出余剰はあろう筈がないと
いう事になる︒仰の分前は︑一般に︑充分大きらしく見えるであろうから︑とれは幾分か逼迫した制限をゆの故大分前
に泣き︑その下に全体から見て操作は外国為替不足切に終ろうとはしないだろう︒
川この限界は︑勿論︑限界消費性向と限界輸入性向が増加するにつれて一居狭くなる
o前 者
J
と 後
者
A
た 用
い れ
ば ︑
合 一
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分 前
は 門
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O O
l C
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の 分
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ン ト
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小 で
な け
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な ら
ぬ ︒
さて生産高の値を前述の投資の他に結合する必要がある︒その故を以て生産高は特殊の期間中山られねばなら広
lし
かしそれはこの点に至るまではそうでなかった
iそれを我々は一年にとり且つ資本回持率︑即ち︑との生産高を産出す
るに使われた資本の飢で一年の生産高の値を割ったという概念が導入されねばならぬ︒群
の資本投資の大いさが与え
m wられるならば︑外国為替の見地からは生産高︑放に回特率を極大にするととが望ましい︑且又群川山中のある財の実行可
能な生産高が与えられるならば︑負仙の労務の安川を押えつけて泣くために必要とされる投資を桜小化することが望ま
しい︒他方︑群
m w の投資が与えられるならば︑川一の凡地から︑生産高を極小化するとと︑即ち︑回持率を桜小化する
ことが望ましいが︑併しもし未来の生産高が与えられるならば︑群仰に対してそれが与えられると同一の理由を以て︑
必要とされる投資を極小化すること︑即ち︑均回持率吾極大化するととが望ましい︒且つ又群
の挟作に対しては︑も m w
し生産高が与えられるならば︑回斡率は極大化されねばならぬ︒
同 校 資 財 の 建 設 期 に 関 し て は 型 ︿ 一 ﹀ の 投 資 と 型 合 一 ﹀ の 設 資 と の 聞 に は 類 似 し た 差 述 が あ る ︒ 型 ( 一 ) の 操 作 は 出 来 る だ け 速 か
に 初
め る
べ き
で あ
り ︑
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の 狭
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平 に
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て い
る こ
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注 芯
さ る
べ き
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で あ
る ︒
それ故に︑どちらかといえば︑一般的な妥当で企てられた投資計画の回持率は︑出来るなら︑大きくあるぺきだと
いわれでもよい︒この結論は生白過程が資本がより長信である時よりもより乏しい時に廻り路が少い告であるという一
外 債
で 復
興 中
の 国
々 の
収 支
の 均
衡
Z二
経 営 と 怒 済
~
般的な経済法則のたった一つの特殊の場合である︒とれは復興問を要する国々で.の運輸や公益にむける投資に対する精
々有力な主振を包含するように忠われるだろう
o運輸は輸出を可能ならしめるのに欠けている唯一つの要素であるであ
ろ う
i
︑ 例えば︑その国の内部から輸出向きの穀物を動かすのに容易になし得る便宜が少しもない時は︒かかる場合は︑
輸送を可能ならしめる鉄道が︑適度の率だけ負担させかくて四時率の低率を示すかも知れぬけれども︑実際にないて︑
穀物の位の勝賞はその経消的産額で計算さるべきである︒
的資本の回転率は︑一九三七年に合衆国では︑大抵の製造工業では︑約一︑貿易ではド α 且つ輸送と会議事業ではたった
Jで あ
っ た
︒
六︑労
務 費
用
利息︑年賦償還及び他の士用(国外貸金取扱所の継持︑等)から成る外依 φ 労務のために国際牧支の均衡にたいて借方 細目が現われるであろう
O刑'前一の投資の操作に起因している純輸出余剰は通常との借方細目を償うに足るであろうが︑
それぞれ零及び負の操作輪山内余剰を示している型
ω及び仰の投資は労務究用を償うための財源を供給しないだろうとい
う事は前の分析から明らかであろう︒ついで乍ら全投資は労務が支払われねばならぬ外依の額よりは頗る大であり得る
事に注意をするのは大切なととである︒かくて︑もし膨脹比率がこに等しくて労務設加が外的の一
Oパーセントの度の
ものであれば︑それらは全れ資の五パーセント位の皮のものであるであろう︒操作の純輸出余剰はこれらの労務費用を
支払うに十分であるかどうかは比較的小さい程度でのみ貸金の労務条件に︑立つ逢かに大なる程度で群仰︑
及び向の
m w上の全投資の分配に依存すろ事が容易にわかるであろう︒もしすべての投資が群
ωの性質のものであるならば︑全投資
の u o
パーセントの度の純輸出余剰が年勾に有数山切であるであろう︑そしてそれから借金労務は容易に支払うととが出来
た︒もし︑他方に沿いて︑すぺて投資は群仰の性質のものであれば︑全投資の 5 パーセントの皮の純輸入余剰があり︑
それと比較すると全投資の︐五パーセントの迫加の借方細目は環色なしである︒
的再び二つの性向の代りに一居平く仮定された数値たとり︑且つ資本の回転手が一に等しいというそれ以上の仮定
4 2 3
る時 o
一 一 三
︑J
瓦︑詮回参照︒
以上は外出が子に入れられる労務愛化の高さに就いて無関心を生むべきではない
oその国の外国為替の位置を決定す
る唯一つの凶子でもなく︑多分最も重要な凶子ではないが︑これらの礎化は勘定に入れられねばならお︒しかし︑外仙
の上に泣かれた投資政策に附添う唯一つの又は突に担力た危険は後者の借金労務であって︑しかも労務が適当に安価な
らば︑投資は無事に宇んん¥進むことが出来るという如何なる信頑をも分析が破壊すべきである︒全くその正反対が正
しい︒よし借金が零であるにしても︑もしあまりに大なる部分が型的に差向けられれば︑操作は国際肋定の上に流通の
不足額を生むかも知れぬが︑もし投資が不同に分配されるならば︑操作は外国為替的に︑いかなる守りと有らゆる負的
労務は容易に弁済する本が出来るというそのように有利であるかも知れない︒
七︑資本の流れの変化
前訟の諸節で我々は外位で投資がさ迷う事の出来る二つの道を示した︒即ち︑それは投資率が資本流入率の長大膨脹
比率倍を超えるか又はよしあるにしても操作の純輸出余剰が負仙の労務費用を償うに不十分であるように投資が向けら
れるかどれかである︒我々は今乙れら二つの部分的認定が如何に資本流入率の縫化によっ
τ影響されるかを分析しよう︒
時間中一つの確定した理論的模型を資本流入率に割当てるととは困難であるであろう︒資本輸入は比較的に高利率で
引きつけられる︒復興が進行するにつれ︑産業はもはやこれらの高率を支払うことは出来ぬであろう︒との傾向は貸方
の機密に参与した変化によって相殺されるかも知れぬかされないかも知れぬ︒そして貸方は借りつつある国の経済的復
位によって楽しみを感守るかも知れぬが︑多分︑嵩みつつある負位によって益三結くかも知れぬ︒多分為されるかも知
れぬ唯一つの一般的仮定は少くともある期間後に沿いて衰え︑遂に消え
τなくなるか︑又は資本の輸出の中に進化せし
めることまでも期待されるような復民のために借りることは復児そ札自身のように一時的の提案であるととである︒
もし資本流入率が一出品であるならば︑群川
W乃 五
m w
一聞に一定の分配を b つ投資の一定卒ととの投交の一定の扶作は︑
もしそれらの各々が前誌の諸節中に略述された限界内にあるならば︑無限に継持する一引が出来る︒もし資本流入率が増加
外 債
で 復
興 中
の 国
々 の
政 支
の 均
衡
経 営 と 経 済
四
しつつあるならば︑最初の投資率とその操作は一一周到く継持され得る︒もし率が下を向きつつあるならば︑もし両者が
正確に最大限度にあるならば︑勿論︑との二つは継持されない︒しかしながら︑もし投資か操作かのそのどれかが為替
のある余剰を残すならば︑資本輸入の比率になける衰退に応じて外国為替不足高を避けるためにその経済生活の趨・認に
一愛化を生ぜしめるととが七の国にとっては必然でないかも知れぬ
oとの可能性が九効であるであろうかどうかは︑勿 論︑資本流入率の衰退と比較すればもっと
J初期に述べた和々様々た閃子の相対的な大いさの如何による︒一般の公式が 附録に工夫されているとの入組んだ関係は多分段も便利に図式方法で約一一目される
o第 I 図は外債で復興計画を遂行している一つの仮定国の外国為柊準備金を示している︒国かれた場合の二つでは
i線
ー と
2 で描写された
l投資は大いさ 1 のものであると仮定されている︒総ーと 2 の松槌をなしている仮定は︑海外に毎 年 借 用 し た 額 は 前 者 の 場 合 に は 十 年 の 中 に 後 者 の 古
‑ 一 件 以
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JO
し場 合 均 に は 五 年 の 中 に 漸 次 零 に 衰 退 す る と 仮 定 さ 一 投 は
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︑ と の 点 で だ け 呉 な る
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町 こ れ 以 上 の 数 値 仮 定 は 次 稿 に あ る 表 の 中 で 見 っ 寸 ル ロ け ら れ る
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二つの線は年 0 で零から始める事はわかるであ ろう︒しかし紘 1 は漸次増大して絶えや水平軸の 上方に残る︑然るに線 2 はその軸の下に落ち︑長
初の六年間は兆処に残り︑それから漸次正の領域
に上り︑そして第十四年の後︑遂に紋 1 均を超え
る︒とれらの二つの紋の比較から︑すぺて他の事
柄が等しいにもかかわら宇︑もし十年間外債を保
託されたならば我々の国の復興計画は実際的に行
第 I 図
種々の特殊な数値仮定の
f‑での時た通じての外
国為替における変化。
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い得べきであろうし︑その明聞は貸付金の年額は漸次下に向うであろうが︑五年間に零に衰退する外国資産の一つの流
れを基礎として着手されるならば同一計画は玲んど直ちに外国為替不足額を生むであろうととは明らかである︒後者の
場合にはその国は六年間依然として消えぬそしては以一初の年めの同に借りた外国為替口互の約三分の一の最大値に達する外
国為替不足額に直面するであろう︒
均 し か し な が ら ︑ こ の 超 過 に は 何 等 冠 要 性 が な い で あ ら う ︒ 何 政 な ら ︑ 第 一 の 窃 合 に 一 万 さ れ た 正 の 差 傾 で 得 ら れ た で あ ら う 所 得
と ︑
第 ご
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七 年
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投 資
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3倍 で あ る ︒ 膨 脹 比 率 は 約 一 ︑ 五 で あ る か ら ︑ 最 小 値 は 最 初 の 年 に 国 外 に 借 む た 呈
の 三
分 の
一 在
超 え
る ︒
17)
その国はこの期間中一つの非前クレジットを千に入れる本が出来たであろう甘んずは考え得べきことである︒かかるクレ
ジットは︑我々の分析が示すように︑支払能力あるクレジットであったであろう︒何故ならばそれは第七年のうちに全
く払い一民す事が出来たであろうからである︒紘 1 及び 2 で表わされる場合は︑結局との支払能力ある位置は︑他の係数に
対して仮定された組を用いれば︑資本は採作の純輸出余剰から負債の労務を支払うに十二分でるるような分配をすると
いう事実に基十く︒かくて或る年に投資される資本はすぺてのとの先きの年に対して外国為替の純差額を生ぜしめる︒
我々の仮定ではこの純輸出余剰は年々に投資される全資本のロパーセントであるか︑又はア切の膨脹比率を用いれば︑
設初の年に輸入される資本の
NNHFである︒との資本の
5パーセントの労務を引去れば︑
‑N
H¥
U
︒ ハ
1 セントの純差額が
残る︒その結某として︑与えられた一年間の比率での投資の八年後︑そういう事で符られる資本の蓄積は毎年同一の投
資率を継続するに足りる外国為替を生やる︒そして︑場合 2 で発生するように︑もし外債で手に入れられる額が無制限
な投資の継続に必要なすべての外国為替を支払うに不十分であれば︑との不日比額は後年投資の挟作で生ぜしめられた純
差額から常に補う一与が出来る︒
かくの如くすべての他の事が同等なら︑総ーと 2 は茨木輸入率の衰退卒はその国が重大な外国為替困難に直面するで
あろうかどうかを決定する部在示している︒線 3 は幾分兵った場合を描いている︒ととでは資本輸入率は一定である︒
外 債
で 復
興 中
の 国
々 の
政 支
の 均
衡
五
経 営 と 経 済
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即ち︑毎年同一一額の借入金が海外に千に入札られる︒俗︑膨脹比率は 1 と 2 の場合に沿けるよりも小さく選ば札︑アヨ
の 代
b にーを用いている︒しかしこのような資本輸入の都合のよい境辺の下でのこの適度の投資計画は一役目を見る︑そ
Lてとれは一つの理由だけで︒投資の分配になける群川︑
m w 及び仰の相対的割合は少し臭っていると見倣される︑即ち
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との愛化は十パーセントの労務に比し
τ︑全投資五パーセント及び年々の資本輸入の五パーセント(膨脹比率 H
一 )
に操作の純輸出余剰を下げるに十分である︒かくの如くにして︑長初の十年間は外国為柊の差額があって︑その差額は
若干の年月の同年々の資本輸入平の水準を超えるが︑結果として何時かは来るべき発展は下向きであって︑第十三年目
から後は常に増加する外国為替不足額は 1 と 2 の場合に積立てら札た正の差額に比べて者
Lく相遣を示している︒
との図には此も問者に示す一つの一引がある︑即ち︑それは往々様々な経済政策の某礎的確実性はその国の外国為替状
態の安易又は緊阪からは判断するす引が出来ないという一主である︒それは恥初の五年間出来事の成行きを観察した国際
金融の専門家によって与えら札る熟ほの上での説ぞ考慮に入れる一引が役に立っかも知れぬ︒彼は国ーが長い危期の後に
幾分かより澄川左地位に傾いていたととを認定するのも処理はなかった︒国 2 はそれを一直線に破産状態に捻込んでい
た経済発展の滅茶苦茶の間道を泣求していた︑との一羽はその国の海外に借りる資格がその国がまだ復興を始めた時から
やっと絶問なく下り坂になっモしまって今や︑五年後には︑零に縮小されたという事実を充分に説明した︒しかし国 3
の建設的な経済︑金融及び社会政策を見よ!突に︑との繁栄の島え年々同一額を貸すととに時路する事をしなかった
山川権者たちは本当に健全な経済的判断を示したのであった︒そうしてそれだけですぺてである︒(開
g a
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伸 一 ) 小 川 同
2
の統計学者は﹁しかし︑日 3 は 我 々 が 持 っ て い る よ り も 型 3
の 生
産 物
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︒ 八︑輸入えの遅ら遣れた支払 その国の外国為斜地位に影響を及ぼす一つの主要な囚子が向良保されるととを必要とする︒第
I 図に引かれている
線を算出するに際し︑所得は彼等が節約されルない程度まで直ちに突され︑しかも結呆として生︑下る輸入は直ちに外国為
殺で払われねばならないと仮定されていた︒しかしながら︑これは一つの単純化であった︒乗数によっ
τ子短かに述ぺ
られる方法は時間がか L る︒﹁第二次的﹂所得支払の如何なるこつの連涜した賦払金の問にもある所得明が経過する︒助
恐らく︑史に︑崎入の増した市要と崎入の事実上の増加との問にはある時のむくれがあり︑その相建は蓄積の愛化によ
って間に合わせ的に吸収されるだろう︒結局︑陥入は短期信用によって買われるであろう︑その場合に外国為替が入用
とされるであろう時機は益々延びるかも知れぬ︒均所得の一つの﹁第一次的﹂支払の後で自然程々様々な時の間隔で輸
入に対する多くの外国為替支払が来るであろうととになる︒我々はここではこれらの遅滞の加重された平均だけを考え
よう︑そしてそれは著しくかなりの明間!例えば六ヶ月 2 ーであるかも知れぬ︒
的 マ ハ ル l
プハ冨
pn
毛)教授はこの所得矧が如何なる方法で測られるであろうから詳細に分析した︒彼の﹁期間分析と乗数理
E論 ﹂
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日 目
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門 伊
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守 口
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九 月 ︑ 一 九 一 = 九 年 参 照 ︒
め輸出は︑勿治︑信用で売られるかも知れぬが︑この可能性は考慮に入れられなかった︒
と の
遅 滞
円 一
旦 が
外 国
為 柊
関 係
んな瓜に影響を及ぼすかは容易に推論され得る︒例えば︑一年に
hhMの一定の流れの に
E輸入を導く六ヶ月の遅滞在もつ一年に一定の流れの投資ーがあれば︑時の刻・
‑ R H
¥ M L
の輸入価値があるであろう︑そ
してそれは一部分需要されないし一部分者砧から間に合わせ的に売られ又もし輸入されたなら一部分まだ償われていた
かも知れぬ︒
外 債 で 復 興 中 の 間 々 の 政 支 の 均 衡
七
経 営 と 経 済
入
かったものである︒もし投資の流れが一定でなく増加しているならば︑命掠出される外国為替の支払準備金は同一割合
で 増
加 す
る ︒
我々の場合は我々は新投資所得の一定の流れプラス操作所得の次第に皮を増す流れが支払われるものと仮定した︒そ
れ故に算出されたように外国為替の主額に加えて輸入に対する支払準備金があるであろう︑そ
Lてそれは夫以り時間を 通して増加するであろうし︑又他の事情がすべて同じとし
τ︑それは諭入に対する支払が﹁第一次的﹂所得の支払より後 れる期間の長さに犬約比例するであろう︒図ーの総 2 で示されるように︑外国為往不足額を現めるに役立たせることの
出来るとの増大しつつある支払準備金は背過に全く決定的なものであるであろう︒例えば︑総 2 で表わされた場合は︑
実際に予期されるかも知れないものの憶かにはるか下にある一ヶ月だけの遅滞によって生じた支払準備金は示された会
外国為替不足額をまや消却干るであろう︒
九︑質
自 句
結
圭壬庄、 口問
前述の分析は次の二つの目的に対し
τ役に立つであろう︒即ち
仰質的
A g ‑ E
t 4 0
意味で︑復児期︑又は概して外依に基ボノいた資本の膨脹期に仰いている種々⁝様々な素凶の一般的
た理解をつけるために︑叉との経済的処置が外国為替の背もたく発展するであろう事を保証するために採用されるべき
大体の政策を指摘するために︒
Fm量的
A C S
岳山止ま意味で︑合まれている係数のある一定の大いさ又は見積りを基礎として︑過去に粒々の国々で
の復興の失政又は成功についての判断に達するために︑それから将来の復興計画を好結果たらしめるための助けとなる
であろうとれらの係数の特有の量的愛化を指し示すために︒
我々の審議の結果の此処に当てはまる前半は前訟の事からぢかに帰結され次のようにかいつまんで述べることが出来
る ︒ 1
一国の投資計画が三円
Jの次の主左る理由のどれか又はこれらの理由均の結合に起凶する外国為替の不足を惹超す
21) 、
ここでは限界消費及び輸入性向︑労務支払の比率︑所得より後れた輸入に対する支払の時の後れ及び資本回転率た所与のもの
にする︒これらの大いさの変化は左に論議することにする︒
ω投資率は初期の資本流入率の点から見てあまりに高率である︒
向投資が問迷って分配され︑あまりに小さい部分が輸出向きの財の生産に向けられる︒
ω資本流入率があまりに急速に下向する︒
2 ︑それ故以先にやろうとする政府政策の日当は初期の資本流入率
ib
しこの率そのものが所与ならば
i及び国民経
済の制度上の特性︑即ち限界消究性向と限界輸入性向による制限内に全投資をとどめる事であらねばならぬ︒銀行営業
制度を厳格な支払準備金の比率に同守させることは︑資本流入率が所与ならば︑投資をしてあまりに大なる膨脹に容易
に引込むかも知れない︒故適利子率︑即ち外国為替の本質的に用い在い均衡を少しもなくさせるに充分大きな比率であ
るが︑とれらの均衡より超返し亡外国為替の需要を生ぜしめる程大きくはない比率は言及した性向の大いさに関する許
価を基礎としてのみ決定され得る︑そしてその理由で銀行営業制度によるよりも率ろその政府によって決定されるぺき
事柄であるであろう︒
3 ︑原閃仰による失敗を防ぐには︑且つ同時に原凶 ω と付との操作に起凶するいかなる為替不足額をも相殺するに
は︑その政府は投資のかたり沢山の部分が型仰の注業に向うという事を心持けていなければならぬであろうし︑又投資
にも貯蓄にも向けるととに依ってそれは全投資の非常に小なる部分だけが結果に於て型仰にが︑けるように‑即ち︑民く
一般に行われている貯蓄を犠牲にして国内で売られる財の生産に対して操作されるであろうととを心掛けていなければ
ならぬであろう︒
4 ︑対外借交の抑制は例か向かの芝れかによって復興計画の失敗を防ぐための有数な方策でもなければ充分な方策で
もない︒もし海外情交の総額が取る事が出来る故大似以下に押えられるならば︑実行可能な投資計画は勿論切りつめら
れるが︑そのより小規模の計画が旨く行くととについては︑より大規模の計画が旨く行くととよりも如何なる方法に沿
いても元もらしいと忠われそうにない
om