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21世紀教養プロジェクト・書評

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Academic year: 2021

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21世紀教養プロジェクト・書評

その他のタイトル Book Review

著者 森 仁志

雑誌名 人間健康学研究 : Journal for the study of health and well‑being

巻 4

ページ 99‑100

発行年 2012‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00023278

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21世紀教養プロジェクト・書評

J

後藤吉彦 ( 2 0 0 7 ) 『身体の社会学のブ レ ー ク ス ル ー ― 差 異 の 政 治 か ら 普 遍 性の政治へ』生活書院

本書は、筆者が介助者としてかかわっていた障害 者からのある一言が出発点になっているという。「確 かに、障害者は違うと言えるなあ……でも……でも、

本当は同じ人間って言いたいんだけどな」。身体によ って人間が区別される「事実」、とりわけ障害者/健 常者の非対称な関係性に揺さぶりをかけ、人と人の つながりを生み出す起点として身体を新たに捉え直 すこと、これが副題に「差異の政治から普遍性の政 治へ」と銘打たれた本書が目指すプレークスルーで ある。プロローグで宣言されているように、筆者は、

差異や排除という「現実の課題を打ち開く」ことを 念頭に、「実証的」で「現実的」な分析にとどまるの ではなく、「実験的」かつ「未来に向いた」記述を志 向しており、 6章立ての議論を読み進むにつれ、身 体をめぐる新たな社会理論の可能性が示唆される構 成となっている。

まず1章では、身体の社会学をめぐる学説史を概 観することにより、筆者の理論的立場が表明される。

これまで身体に関する議論は、相反する二つの立場 の間で論争が行われてきた。一つは、 M・フーコー やフェミニズムの理論に代表されるような社会構築 主義の立場、すなわち身体(的差異)が社会文化的 な規範や制度によって規定される「身体の社会的被 制約性」を重視する議論、もう一つは、現象学や身 体技法といった観点にみられる反一社会決定論的な 立場、すなわち「身体の能動性」を強調し「社会の 歯車とならないような人間の能動性を身体にみいだ すそうと試みる」議論である。筆者はこの理論対立 をプレークスルーするために、「社会が身体に影響を 与え、その身体に社会は左右される」という立場か ら、身体と社会の関係を対立する図式としてではな く、循環的な関係にあるものとして捉え直すことを 主張する。以降の章では、社会構築主義のアプロー チをあくまで堅持しながらも、同時に社会決定論に 陥ることを周到に回避しつつ、身体がいかに現在の 社会(関係のあり方)を変革できるのかが論じられ

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2章と 3章では、身体をめぐる諸実践を通じて、人 と人が分断され、とりわけ障害者にとって「生き難 い」状況が生じていることが指摘される。日本の障 害者を取り巻く現状は、一見すると障害者専用のエ レベーターや専用出入り口の設置、介助サービスの システム化などにより、改善してきたかのようにみ える。しかし、先進的な諸施設では、障害者用の設 備は健常者のものとは別の離れたところに置かれ、

また介助サービスでは、「素人」介助者を承認しない という方針のもと、障害者が接する健常者はますま す限られた人たちだけになりつつある。この意味で、

障害者を「できさせる」環境、あるいは、より大き な観点では、私たちが求める安全性や円滑さ、快適 さを志向する社会そのものが、巧妙に人と人の接触 を避ける、つまり「身体を閉ざす」方向性をもつも のだといえる。異なる身体との出会いが制限される ことにより、障害者の(強さと弱さをかねそろえた)

「生き生きとした」姿に直接触れることのできない健 常者は、障害者の身体を「『傷つきやすさ・弱さ』を 一身に背負い込んだ『他者』としてイメージ・表象 することができてしまう」。むろん、このような彼我 を切り離す発想、言い換えれば、自らの弱さや将来 的に(老いや病気などによって)直面するかもしれ ない障害の可能性に蓋をし、障害を自己の問題とし て「考えない/考えることができない」社会では、

人間として誰もが潜在的に有する「傷つきやすさ」

を意識した普遍的な思想や社会制度の実現は不可能 となる。またより大きなテーマとして、人間のすみ わけは、フーコーが指摘する「服従=主体ー化」の 問題もはらんでいるという。なぜなら、秩序立てら れ住み分けられた空間は、区別する/されるのを「事 実」として受け入れることを前提としており、各々 の規範に応じて「分別をわきまえた生活」を送るこ とで、個人の能動的な欲望は管理・調整され、究極 的には、「自分が何者であるか」という自己のアイデ ンテイティまでも見繕われることになるからである。

以上の問題意識を踏まえたうえで、 4章では、「服 従=主体ー化」に抗うために、これもフーコー自身 が提示した「生存の技法」の有効性が述べられる。

具体的には、障害者の自立生活に注目し、彼・ 彼女 らが福祉的配慮の行き届いた環境のなかで「障害者

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人間健康学研究第4号 '㈹

示すものとして刺激的である。筆者が指摘するよう に、文化研究に携わる研究者は、程度の差こそあれ ほとんどが構築主義を前提としている。このため書 店のいわゆる研究書コーナーでは、たとえば「日本 人」、 「女性」、 「障害者」、 「病気」といった概念それ 自体の社会政治的な構築性を指摘する著書が所狭と 並んでいる。だが一方で、同じ書店の別コーナーで は、 「○○とは何者か」を語る本質主義的な「〜論」

があいかわらず人気を博しており、研究書をはるか にしのぐ勢いで消費されている。そして、互いの議 論はかみ合わず、片方のジャンルの読者(書き手)

はもう一方のジャンルの読者(書き手)にならない という双方で「閉じられた」状況が続いている。

このような現状を踏まえて、本書が提示する「そ の先」とは、身体をめぐる「事実」の構築プロセス を批判的に解き明かすことはもちろん、そこからさ らに一歩踏み込み、支配的言説(とそれによる「生 き難い」現実)を錯乱させるために、身体に関する 新たな対抗言説を積極的に紡ぎだそうとする実践で ある。このような筆者の試みは、身体をめぐる「〜

論」の市場に確信犯的に割って入ろうとするもので あり、その意味でも、 「住み分けられ」分断された人 と人をつないでいく実践だといえる。

誤解がないように再度強調しておくと、筆者は、

構築主義アプローチを破棄しようとしているのでは ない。むしろ$ 「事実」の構築プロセスを解き明かす ことで鍛えられた知見や議論を利用し、 「生き難い」

現状を打破し変革していくために、身体が人と人を つなぐ、という新たな「事実」の構築プロセスに積極 的に加担しようとしているのである。本書を読みす すめるにつれて、書名のブレークスルーに込められ たいくつもの意味が浮かびあがり、筆者の議論の周 到さと明蜥さが際立つ内容となっている。評者も含 めて、現状批判のみに終始する構築主義に物足りな さや限界を感じていたものにとっては、その新たな 方向性を指し示すものとして、必読書である。

森仁志(関西大学人間健康学部准教授)

らしく」生きることを拒否し、自己への配慮や自己 変革の実践を通じて自立生活を実現させていく姿に、

受動的に「生きさせられる」のではない、能動的に 自らの生を「生きる」、 「生存の技法」の実践を見出 そうとする。

残りの5章と6章では、人を身体で区別すること から生じる問題を乗り越え、オルタナテイブな社会 をつくりだすために、身体に関する新たな解釈が提 示される。身体の「開かれた」側面を論じる以降の 章は、相対主義の名のもとに個々 (人や社会集団)

の差異をむやみに称賛する現代社会へのアンチテー ゼを目論む本書の意図を、より明確に表現したもの となっている。これは、支配的な言説(とそれがも たらす現実の「生き難さ」)を打破するために、対抗 的な言説を積極的に紡ぎだそうとする野心的な試み ともいえる。

まず5章では、 「グロテスクな身体」 (M・バフチ ン) 「エロティックな身体」 (G・バタイユ) 「サイボ ーグの身体」 (D・ハラウェイ)などの議論を拠り所 に、身体が個体としての境界を乗り越え、他者や外 部世界(動物、機械) との融合や連続体を形成する 現象について論じられる。筆者によれば、このよう な「境界侵犯する身体」は、自己/他者をはじめ、

文化/自然、男性/女性、白人/有色人、文明/原 始といった二項対立で成り立つ秩序(および不均衡 な権力関係)を乱す一方で、それまで不可能であっ た関係を紡ぎ、新たな社会(関係)を築く媒体とな

りうるという。

最後の6章では、身体の「傷つきやすさ」や苦痛 への共感を起点とした普遍性の構築が議論される。

現代社会では、誰しもが共通して(顕在的潜在的に)

抱えているはずの「傷つきやすさ」を、一部の障害 者の問題であるかのように処理する状況が存在し、

また他方では、苦痛への共感が社会・文化の壁を超 えて共有されず、相対主義的な制約を超越した社会 制度の実現が困難となっている。そこで筆者は、「人 間としての共感」をすでに存在する所与のものとし てではなく、これらからつくりあげていくべきもの

と捉え、区別する/される実践から離れたかたちで の、身体の「傷つきやすさ」を起点とした普遍性(思 想や制度)の構築を主張する。

本書は、構築主義アプローチの「その先」を指し

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