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人身傷害補償保険の保険給付と請求権 代位

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人身傷害補償保険の保険給付と請求権 代位

山 下 友 信

■アブストラクト

近時広く普及している自動車保険の人身傷害補償保険に基づき保険者が保 険給付をした場合において保険者が請求権代位により取得する加害者に対す る損害賠償請求権の範囲について裁判上争われる事例が見られるようになっ ており,地方裁判所レベルでは異なる判断を示すものが現れている。本稿は,

これまでに提唱されている諸見解について,それぞれの問題点を分析した上 で,約款の規定と代位に関する法原則をどのように調和させるべきかについ ての私見を提示しようとするものである。

■キーワード

人身傷害補償保険,請求権代位

1 はじめに

最近広く普及している自動車保険の人身傷害補償条項(以下では,同条項 による保険を 人傷保険 と略称する。)に係る請求権代位について裁判上 争われている事例が見られるが,地方裁判所レベルでの解決は一様でない。

この問題について,私は,2007年9月に財団法人日弁連交通事故相談センタ ー設立40周年記念講演において私見を開陳する機会を与えられたが ,講演

/平成19年12月25日原稿受領。

1) 山下友信 自動車事故に関する損害賠償と保険の課題 財団法人日弁連交通 事故相談センター 交通事故損害額算定基準 (21訂版)2008年,p.307。

(2)

ということもあり理論的に重要な問題点についての十分な議論ができていな いところもある。本稿では,この問題を考える際に重要と思われる理論的問 題を若干ピックアップして詳論してみることとする。

以下の議論の前提として,まず人傷保険の約款の規定を確認しておくと,

支払保険金の額の計算については,次の2つの方式が規定されているのが通 例で,以下の議論もこのような約款規定を前提としている(以下の議論に差 し支えない限りで簡略化している)。

計算規定①

人傷基準損害額−(自賠責保険による支払額+任意保険による支払額

+支払済損害賠償額+労災保険等による支払額等)

計算規定②

人傷基準損害額のうち被害者有責部分(過失相殺による減額部分)

−労災保険等による支払額等

ここで人傷基準損害額とは,人傷保険の約款で規定されている同保険にお ける被保険者の損害額算定基準にしたがい算出される損害額を意味し,概ね 任意保険の損害額算定基準に準ずるものといわれている。①②いずれの場合 も,①②による支払額が人傷保険の保険金額(以下, 人傷保険金額 とい う。)を超えるときは,人傷保険金額を限度とする。②による支払は,保険 者の同意のもとに行われるものとされる。

代位については,保険者は,被保険者が第三者に対して損害賠償請求権を 有するときは,支払った保険金の額の限度内で,かつ,被保険者の権利を害 しない範囲内で,第三者に対する損害賠償請求権を代位により取得するもの と規定されている。②による支払をするときには,保険者は加害者に対する 損害賠償請求権を代位取得しない旨が規定されている。

以下の議論における用語について一言しておくと,人傷基準差額説とは,

上記人傷基準損害額を基礎に,代位に関する差額説 を適用する見解であり,

2) 代位により保険者が取得する権利の範囲に関する差額説とは,被保険者は支 払保険金と損害賠償金を合わせて損害額までのてん補を受けることができ,保

(3)

裁判基準差額説とは,民事訴訟等の司法手続により算出された被保険者の損 害額を基礎に差額説を適用する見解である 。

2 比例説および類似説

物保険において,一部保険で,かつ損害額>損害賠償額である場合に,保 険金を支払った保険者が請求権代位により加害者に対する損害賠償請求権を 取得する範囲については,比例説という有力な学説の立場があり,これは商 法662条1項の解釈として判例も採用している立場である 。人身傷害補償 保険における代位についても,この比例説によることが考えられる。

<事例>

裁判基準損害額 1億円

損害賠償額 7000万円(←過失相殺30%)

人傷基準損害額 8000万円 人傷保険金額 2000万円

この事例で,仮に裁判基準損害額と人傷保険金額との割合により比例説を 適用するものとすると,保険者が人傷保険金2000万円を支払った場合に,損 害賠償請求権7000万円のうち2000万円╱1億円の割合,すなわち1400万円を 保険者が代位により取得することになる。これにより,被保険者は人傷保険 金2000万円+損害賠償金5600万円(7000万円−1400万円)=7600万円の損害

険者の代位は,被保険者の損害額全部が回収された場合にはじめて生ずるとす る考え方である。

3) 自動車事故による損害賠償が裁判上請求される場合には,自賠責保険や任意 保険の損害額算定基準によるよりも高い損害額が認定されるのが一般的である が,裁判所が自賠責保険の算定基準のように明文化された基準を作っているわ けではない。したがって,本文の裁判基準損害額というのも民事訴訟等の司法 手続により算出された損害額という程度の緩やかな意味である。

4) 最判昭和62年5月29日民集41巻4号723頁。

(4)

を回収することになる。

もっとも,この比例説の適用には問題がある。というのは,仮に,損害賠 償金7000万円の支払が先行する場合には,被保険者にはなお損害額3000万円 が残り,人傷保険金が2000万円支払われるので,被保険者は合計9000万円の 損害を回収できるが,この結果は人傷保険金の支払が先行した場合とは異な る。

比例説を適用するに当たり,裁判基準損害額ではなく人傷基準損害額と人 傷保険金額との割合によるとしてもやはり問題は残る。すなわち,人傷保険 金額2000万円が先行して支払われた場合に,保険者は1750万円を代位により 取得し(7000万円×2000万円╱8000万円),被保険者は合計7250万円(2000 万円+5250万円(7000万円−1750万円))の損害を回収するが,損害賠償金 7000万円の支払が先行する場合には,被保険者は7000万円と残損害額1000万 円に対する1000万円の人傷保険金を取得し合計8000万円の損害を回収するこ とになり,やはり支払の順序で結果が異なることになる。

このような問題が生ずるのは,比例説は,その長所として支払の順序の如 何にかかわらず被保険者の回収する金額が同じになるということがあげられ るが,これは物保険のように保険価額があって比例てん補がされる場合にの み成り立つことであり,実損てん補の保険の場合には成り立たないというこ とがあるためである 。人傷保険も,損害額より人傷保険金額が小さい場合 でも保険金額を限度とする実損てん補の保険であるから,やはり物保険と同 様に比例説を適用することはできない。

これに対して,人傷保険について比例説に類似の考え方により代位の問題 を解決しようとする立場がある。これにも一様でない考え方があるようであ るが ,その一つとして次のような考え方がありうる。

5) 田辺康平 請求権代位における権利の取得と行使 同 保険契約の基本構 造 1979年,p.282は,夙にこのことを指摘していた。同じく比例説のこの難 点を指摘するものとして,野村修也 損害保険契約に特有な規律 商事法 務 第1808号,2007年,p.44。

6) 桃崎剛 人身傷害補償保険をめぐる諸問題−東京地判平成19年2月22日(判

(5)

すなわち,上記事例に即していえば,人傷基準損害額8000万円について,

過失相殺の割合である7:3により,加害者有責部分を5600万円,被害者有 責部分(過失相殺により減額される部分)を2400万円として分けた上で,人 傷保険金2000万円もやはり7:3の割合で,1400万円は加害者有責部分の損 害に,600万円は被害者有責部分の損害に充当されるものと考えて,被害者 有責部分については損害賠償請求権がないからこれについては代位はなく,

他方,加害者有責部分に対する保険金1400万円は加害者有責部分の損害額 5600万円の損害を一部てん補するものとして,保険者は何らかの基準に基づ いて損害賠償請求権を代位により取得するものと考えるわけである。この場 合の基準として,上記のように問題はあるが,比例説の考え方により代位が あるとする考え方もあるようである 。

しかし,そもそも人傷保険金が加害者有責部分の損害に充当される部分と 被害者有責部分の損害に充当される部分とに分解されるという考え方そのも のが問題である 。人傷保険においては,被保険者の損害は一体としててん 補の対象とし,計算規定①により支払保険金の額を算出することとしている からである。

もっとも,人傷保険でも計算規定②により保険金が支払われる場合という のは,まさに被保険者の損害を加害者有責部分と被害者有責部分とに分解し た上で,人傷保険金を後者の損害をてん補するものとしてのみ支払うという 方式である。このような人傷保険金の支払に関する約定が有効であることは 否定されないであろう。実務上は,この計算規定②による支払は,少なから タ1232号128頁)を契機として− 判 例 タ イ ム ズ 第1236号,2007年,p.72

et. seq

.参照。なお,桃崎剛 人身傷害補償保険をめぐる諸問題 民事交通事 故訴訟損害賠償額算定基準・2007・下巻(講演 録 編) (赤 い 本),2007年,

p.131も参照。

7) 肥塚肇雄 人身傷害補償保険契約と過失割合 財団法人日弁連交通事故セン ター編 財団法人日弁連交通事故相談センター設立40周年記念論文集・交通賠 償論の新次元 ,2007年,p.326は,このような考え方のようである。

8) 桃崎,前掲論文,p.71は,人傷保険は,被保険者の過失割合をてん補する ことを内容とするものとは考えがたいとするが,本文の私見も同旨である。

(6)

ず利用されているようであるが,とりわけ実用価値があるのは,被保険者が 人傷基準損害額よりも高額の損害賠償金の支払を先行して受け,計算規定① によれば人傷保険金の支払はできないことになる場合に,損害賠償金は被害 者有責部分の損害のてん補に充当されたものではないとして,その部分につ いては人傷保険金の支払をするという場合である。

たとえば,裁判基準損害額1億円,損害賠償金額7000万円(過失相殺30

%),人傷基準損害額6000万円,人傷保険金額5000万円の事例において,損 害賠償金7000万円の支払が先行する場合に,被害者有責部分の損害は6000万 円×30%=1800万円として,人傷基準損害額6000万円を上回る損害賠償金 7000万円の支払を受けた後でもさらに人傷保険金を1800万円支払うという考 え方である。

しかし,このような支払をしたとしても,被保険者は,損害賠償金7000万 円+人傷保険金1800万円=8800万円の損害を回収するにとどまるから,この 額は人傷基準損害額6000万円は上回るものの,裁判基準損害額1億円には達 しないにもかかわらず保険者の代位が生ずることとしているという問題は否 定しがたいと思われる。ましてや,このような事例において,計算規定①に よれば支払えないにもかかわらず人傷保険金を支払うための方法であるとす ればまだしも,計算規定①により支払うにもかかわらず上記のように保険者 の代位による権利の取得を認めるために,損害や人傷保険金を分解して考え ることは約款の予定しない考え方であるといわざるを得ないであろう。

3 人傷基準差額説

人傷基準差額説は,人傷基準損害額を基礎に代位に関する差額説を適用し ようとするものであり,大阪地判平成18年6月21日判タ1228号292頁(以下,

大阪地判という。)はこの説によるものであるとみられる。上記事例(123 頁)でこれを適用すると,以下のようになる。

人傷保険金支払先行の場合 人傷保険金2000万の支払が先にあると,被 保険者は6000万円の損害賠償請求権を保持すれば合計8000万円の損害全部

(7)

を回収できることになる。したがって,保険者は1000万円権利を代位取得 することになる。

損害賠償金支払先行の場合 損害賠償金7000万円の支払が先にある場合 には,計算規定①によれば,8000万円−7000万円=1000万円の人傷保険金 が支払われ,被保険者はやはり合計で8000万円の損害を回収できることに なる。

このように,人傷基準差額説では,被保険者は,支払の順序にかかわらず 人傷基準損害額を回収できることになり,その点では合理的な解釈である。

約款の計算規定①の文言にも反しないというのもこの説の利点ということが できる。ただ,この解釈をいかなる根拠から導くかが問題である。裁判基準 による損害額が1億円というように存在するのであれば,なぜそこまでの被 保険者の回収を認めるのでなく,人傷基準損害額だけの回収で甘んじるべき であるということになるのであろうか。

この点について,大阪地判では,保険契約者の合理的期待ということを理 由とする。植田智彦判事の論文は,これを敷衍して,人傷保険は,損害額を,

約款で定めた基準で積算することとしていることからすると, 保険契約者 が,この保険契約をしたことによって期待できるのは,自分の過失の有無・

割合を問わず,人傷基準積算額まで損害の塡補を受けられる利益なのではな いか という。そして,約款にいう 被保険者の権利を害さない範囲内で との文言は,保険契約者の合理的期待を害さない範囲内でと解釈することが できるのではないかとする。そして, 合理的期待は,・・・自分の過失の 有無・割合を問わず,人傷基準積算額まで損害の塡補を受けられるというこ とと考えるべきであり,そうであるとすると,支払われた保険金が塡補する のは,人傷基準積算額を限度に,被害者側過失部分からということになろ う。 とする 。

しかし,植田論文にいう保険契約者の合理的期待ということが正鵠を射た

9) 植田智彦 人身傷害補償保険による損害塡補及び代位の範囲についての考 判例タイムズ 第1243号,2007年,p.21

et

.

seq

.

(8)

ものであるかどうかは議論の余地があると考える 。人傷保険は,自己の過 失の有無・割合を問わず人傷基準損害額まで保険金の支払を受けられるとい う保険であることは間違いない。しかし,裁判基準損害額が人傷基準損害額 よりも高い金額で存在する場合に,前者までの損害の回収をする以前に人傷 基準損害額の回収があれば保険者の代位があるということを納得する保険契 約者はあまりいないのではないかと思われるからである。

もっとも,人傷基準差額説に親近的な解釈が従来からないわけではない。

それは,物保険において,一部保険で,かつ損害賠償額<損害額の場合の代 位の範囲の問題が,保険が評価済保険である場合にどのようになるかに関す る田辺康平博士の議論である。それによれば,評価済保険においては,保険 者と被保険者との間では,損害額を協定保険価額を基準にすることを合意し ているのであるから,保険者の代位による権利の取得の問題について,協定 保険価額<損害額である場合には,協定保険価額を基準に代位の範囲を確定 してよいとされる(ただし,代位取得金額が支払保険金額を超える場合には 支払保険金額を限度とする) 。人傷保険を人傷基準による損害算定を保険 者と被保険者との間で協定したものであるとすると,これは評価済保険に類 推されるものという考え方も十分成り立ちうる。その場合には,傷害による 損害額は,人傷基準により協定されたものであるから,代位の範囲について

10) 山野嘉朗 人身傷害補償保険と過失相殺部分の塡補機能について 愛知学 院大学論叢法学研究 第48巻第3号,2007年,p.83は,大阪地判が,人傷基 準損害額まで損害のてん補を受けられるであろうという被保険者の合理的期待 を害することは代位規定における被保険者の権利を害することにつながるとい う理由づけにより人傷保険金が過失相殺による減額部分に充当されるという解 釈をとることについて,代位規定における被保険者の権利を害さないというこ とと被保険者の合理的期待を結びつけることは無理であるという趣旨の批判を している。しかし,大阪地判が人傷保険金が過失相殺減額部分に充当されると いう表現をしているのは,後掲注13に述べるように適切なものではないと考え るが,代位について差額説をとる限りで大阪地判の解決が不合理であるという べきではない。

11) 田辺,前掲論文,p.290。

(9)

も,人傷基準による損害額を基準に考えることになる。

しかし,この見解の最大の問題は,損害賠償金の支払が先行した場合の人 傷保険金支払額について,計算規定①では,人傷基準損害額−支払損害賠償 金額としているが,この支払損害賠償金額は裁判基準による金額があればそ れをいうというのであるから,ここでは人傷基準と裁判基準というまったく 2つの異なる損害額算定基準を混在させているということにある。損害は評 価済保険と同様に人傷基準により合意したという前提に立つとすれば,支払 保険金額の計算は,人傷基準損害額−人傷基準による損害に基づく支払損害 賠償金額としなければ平仄がとれないであろう。そうすると,上記事例では,

人傷基準による損害賠償請求権は,人傷基準損害額に過失相殺割合を反映し た8000万円×0.7=5600万円とでもするしかなかろう 。

そうすると,まず人傷保険金2000万円が支払われた場合には,損害額はな お6000万円あるので,5600万円の損害賠償請求権は被保険者が保持できるこ とになり,合計7600万円の損害を回収できる。保険者が代位により取得する 権利は0円である。他方で,損害賠償請求権の額が5600万円でそれが先行し た場合には,8000万円−5600万円=2400万円の人傷保険金の支払が可能であ るが,保険金額が2000万円なので,同額が支払額となるとすると,被保険者 は5600万円+2000万円=7600万円の損害を回収することになる。ここでは結 果は合致して合理的な結論のように見える。しかし,損害賠償請求権は現に 7000万円存在するのであり,5600万円との差額の1400万円はどこに行くのか

12) 人傷基準損害額と裁判基準損害額を都合よく組み合わせると,本文の事例で 人傷保険金額が2000万円ではなく8000万円であるという事例において,人傷保 険金8000万円を支払った保険者が代位により取得する権利が7000万円であると いう考え方が生ずる。しかし,この考え方は,被保険者に対して,人傷保険で は損害は人傷基準にしたがい行うといっておきながら,損害賠償義務者との関 係では裁判基準損害額に基づく権利を取得行使しようとするものであり,甚だ 問題がある。このことを指摘するものとして,植田,前掲論文,p.10。

(10)

という難題に遭遇せざるを得ないのである

4 裁判基準差額説

裁判基準差額説は,裁判基準による損害額に基づいて代位に関する差額説 を適用するものである。東京地判平成19年2月22日判タ1232号128頁(以下,

東京地判という。)は,この説によるものである。損害賠償請求訴訟が提起 され判決が確定する場合を考えれば,判決の認める損害額という客観的な金 額が存在するのであるから,被保険者がその損害額まで損害を回収すること ができてしかるべきであるという考え方は,代位に関する差額説の趣旨にき わめてよく合致するものと考えられる。

これに対して,この説についての問題点も指摘される。

第1に,人傷保険の約款規定の文言との関係で生ずる問題である。すなわ ち,人傷保険金の支払が先行した場合の被保険者の回収額と,損害賠償金の 支払が先行した場合における回収額が異なることになるという問題が指摘さ れる。上記事例(123頁)では以下のようなことである。

人傷保険金支払先行の場合 まず人傷保険金2000万円が支払われたとし

13) 大阪地判は,若干簡略化すれば,裁判基準損害額3億5250万円,損害賠償額 2億1150万円(過失相殺40%),人傷基準損害額2億7300万円,人傷保険支払 保険金額6000万円という事例である。同判決では,人傷基準差額説をとってい るが,保険者が代位する範囲に関しては,人傷基準損害額中過失相殺減額部分 は6150万円であり(これは,2億7300万円−2億1150万円の計算結果であろ う),人傷保険の支払金額6000万円は6150万円を下回るので代位は生じないと している。人傷基準差額説によれば,被保険者は2億7300万円までの損害回収 ができてしかるべきであるから,6000万円の人傷保険金の支払を受けた後の残 損害額は2億1300万円で,損害賠償金額が2億1150万円全部支払われてもなお 150万円の損害があるので,代位は0円ということで説明すべきものである。

判決の上記のような説明は,人傷保険金がどの損害部分に充当されるかという 適当でない説明の仕方をするものではないかと思われる。

14) 本文の1400万円を保険者が取得する理由はないので,被保険者が保持してよ いといわざるを得ないが,これは人傷基準差額説の破綻であるといわざるをえ ないであろう。

(11)

て,被保険者は裁判基準による1億円までの損害を回収してよいのである から,1億円から2000万円を差し引いた8000万円の損害が残り,損害賠償 金7000万円は全額被保険者が保持し,被保険者は合計9000万円の損害を回 収し,保険者が代位取得する権利は0円である。

損害賠償金支払先行の場合 これに対して,損害賠償金7000万の支払が 先行する場合には,残損害額は3000万円であり,その範囲内である2000万 円の人傷保険金の支払を受けてしかるべきように見えるが,ここでは,人 傷保険金の計算規定①が障害となる。すなわち,計算規定①によれば,人 傷基準損害額8000万円−支払損害賠償金額7000万円=1000万円が人傷保険 金支払額となり,被保険者は結果的に合計8000万円の損害を回収すること になるが,これは明らかに人傷保険金の支払が先行した場合と結果が異な るという問題が明らかになる。

この問題について,東京地判を敷衍する桃崎剛判事の論文では,以下のよ うに論じている 。すなわち,まず,人傷保険は,損害賠償によらずに被保 険者が迅速な損害のてん補を受けられることが特徴なのであるから,その支 払保険金の額の計算において裁判基準による損害額を基礎にすることは適切 でないということから,損害賠償金の支払が先行する場合には,人傷基準差 額説によるべきであるとする。人傷保険金の支払が先行する場合には裁判基 準差額説によるとすると,被保険者の回収できる損害額に差が生じるという 問題については,従来の議論においては,保険金の支払が先行する場合と損 害賠償金の支払が先行する場合とで被保険者が回収できる損害額は同額であ るということが前提とされてきたが,人傷保険の支払保険金額の計算規定に おいては,被保険者が保険者,加害者および第三者からどのような順序で給 付を受けたかにより受領しうる額が常に同一になるとは限らないのであるか ら,保険金の支払が先行する場合と損害賠償金の支払が先行する場合とで被 保険者の受領する額が同一となると必要はないとする。また,このように解

15) 桃崎,前掲論文,p.72

et

.

seq.

(12)

すると,保険者の最終負担額が人傷保険金の支払を先行させた場合の方が高 額となるので,保険者が人傷保険金の支払を躊躇するという事態を誘発しな いかという懸念があるが,そのような保険者の運用は人傷保険の特長に反す るものであり,厳に戒められるべきであるという。

しかし,第三者からの給付を受けるかどうかの順序により受領額が変わる という点は,ここで問題とされている第三者からの給付は損害てん補の性質 を持つものに限られるのであるから,第三者からの給付を度外視して保険金 の支払がされた場合には,その後はそのことを考慮して第三者の給付額が決 定されるべきであり,受領しうる総額が変化するとは考えがたい 。

また,桃崎論文の解決は人傷保険金の先行支払を躊躇させる誘因となりう るという問題について,そのような運用が控えられるべきであるというだけ で十分かということは,植田論文により批判されているとおりであり ,や はり,人傷保険金の支払が先行する場合と損害賠償金の支払が先行する場合 とでは結果が同じになるようにするというのは解決の前提とされるべきであ ろう。

そうすると,人傷保険では,損害賠償金の支払が先行する場合には人傷基 準損害額以上の損害の回収をできないようになっているのであるから,その 約款の文言にしたがうという限りにおいては,人傷保険金の支払が先行する 場合と同じ結果を得ることは不可能となり,そもそも裁判基準差額説は成り 立ち得ないということになる。

5 解決の試み

以上のように,人傷基準差額説と裁判基準差額説のいずれをとっても難点 に遭遇する。このような難点に遭遇するのは,人傷保険の計算規定①におい 16) 各種社会保険のように損害てん補や代位に関する原則が私保険と異なる場合 に,請求の順序により最終的にいくらの損害てん補を受けられるかが異なって くる可能性がないとはいえない。しかし,そうであるからといって,請求の順 序で結論が違ってよいということを最初からいうべきではないであろう。

17) 植田,前掲論文,p.18。

(13)

て,人傷基準損害額を出発点としながら,そこから控除すべき支払済損害賠 償額等は,訴訟で確定されたものがある場合には,それをそのまま使用する ということにしていることの結果として,人傷保険金と損害賠償金の支払の 順序により結果が異なってくることに原因がある。人傷基準差額説は,人傷 基準による処理を徹底しようとするものであり,理論的な一貫性は確保され るが,裁判基準による損害賠償請求権が存在する限りでは,人傷基準による 損害賠償請求権との差額についての処理という問題が残る。他方,裁判基準 差額説は,代位が利得禁止を目的とする制度であるという考え方には適合的 であるが,計算規定①の文言による限りこの説を採用することには無理があ る。そこで,私見としては,裁判基準による損害額が確定されている限りに おいては,計算規定①の 人傷基準による損害額 を 裁判基準による損害 額 と読み替えるという約款の修正解釈をしてはどうかと考える。この解釈 によれば,人傷保険金の支払が先行する場合の差額説による計算結果と,損 害賠償金の支払が先行する場合の計算規定①の計算結果が等しくなる。この ように裁判基準損害額が確定される場合には,結果において被保険者が回収 できる金額が増加するということにすると,被害者である被保険者が人傷保 険により迅速に保険金の支払を受けて交通事故による損害のてん補を図るこ ととするという人傷保険のメリットが失われるという批判がありうるかもし れない。しかし,人傷基準損害額と裁判基準損害額との間に少なからぬ差が 生じうることや,人傷保険の保険金額は,大阪地判や東京地判のように,死 亡や重度の後遺障害による損害をてん補するには大きく不足する水準にとど まる場合には(実際上少なくないようである),いずれにせよ民事訴訟等の 裁判基準による損害賠償請求がされるのは不可避であることからは,やはり 裁判基準による損害額を抜きにして代位に関する差額説を適用するというこ とは合理的で納得感のある解決とはならないと思われる 。

18) 本文の私見のように考える場合には,人傷基準でまずは人傷保険金の支払を した後に被保険者が民事訴訟等で損害賠償請求をして裁判基準による損害額が 確定された場合には,いったん決まった代位による権利の取得額が事後的に変

(14)

いずれにせよ,裁判例も分かれるような難解な問題が生ずる原因は,人傷 保険が独自の人傷基準により損害額を算出しそれにより迅速な被保険者の損 害てん補をするということを目的とする保険であるが,実際上は民事訴訟等 により人傷基準を超える損害額が算出されることが少なくなく,そのことに よる矛盾が様々な形で現れてくるのであろうから,やはり人傷保険の内容に ついて総点検することが望ましいというべきであろう。

(筆者は東京大学教授)

更されるという問題が生じうる。このような事態が生じないように,人傷保険 金の支払請求を受けた場合には,保険者は被保険者が裁判上の請求等をするか どうかの意思確認をしておくことが必要になるであろう。

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