損害保険料率規制の転換
⎜⎜ 保険市場の情報問題からの一考察 ⎜⎜
諏 澤 吉 彦
■アブストラクト
損害保険料率規制は,自由化を経て事実上の統一料率市場から,使用可能 なリスク指標などに一定の制限を設けた事前認可制へ移行した。公的規制に は,市場の不完全性を緩和する役割が期待されるが,保険市場に関しては,
情報問題の縮小がとくに重要となる。すなわち,保険規制には,保険カバー の価格・質,保険会社の支払能力,そして被保険エクスポージャのリスク水 準などに関する情報の不完全性を緩和することが求められる。損害保険料率 規制の変化を,このような情報問題との関連で見れば,その目的が,競争抑 制による保険会社の支払能力の確保から,一部の高リスク者に対する価格抑 制による保険の購入可能性の維持に主眼を置いたものへと転換したと見るこ とができる。いっぽう保険商品の多様化により,保険カバーの質に関する情 報不均衡は,一層拡大し市場効率性を損なっているおそれがあり,保険会社 間の協調など何らかの体制整備が求められる。
■キーワード
損害保険料率規制,情報の不完全性,市場効率性
1.はじめに
1996年以降段階的に進められてきた保険自由化のなかで,損害保険市場に
/平成22年8月31日原稿受領。
最も大きな変化をもたらしたのは,1998年の損害保険料率算出団体(以下,
料率算出団体という)制度の改革とそれに伴う保険会社に使用義務のない参 考純率制度の導入であろう。その後,いわゆるリスク細分型自動車保険をは じめ,保険会社の提供する保険商品の価格および補償内容が多様化した。こ のような規制緩和を方向付けたのは,言うまでもなく1992年の保険審議会答 申であり,それが目指したものは,競争の促進と経営資源の有効活用をとお した効率性と収益性の向上,そしてその成果の利用者への還元などであっ た 。このような答申の基本的な考え方は,山下(2009)が指摘していると おり,今日まで継続していると考えられる 。すなわち,損害保険市場の規 制緩和は,上記答申に基づいて,保険会社間の競争を促進し,その結果消費 者利益の増大に貢献することを目指して行われてきたといえる。言い換えれ ば,保険会社が互いに競争することをとおして効率化を進め,その結果とし て保険料水準が低下し,また,様々な保険商品が開発されることによって消 費者の選択の幅が広がることが期待されていたと考えられる。規制緩和から 10年余りが経過したが,当初の予想されたとおり消費者に利益はもたらされ たのであろうか。保険契約取引のもう一方の当事者である保険会社に対して は,どのような影響が及んだのであろうか。また,損害保険料率規制は,そ の目的をどのように変化させたのか。それにより,損害保険市場の効率性は,
高まったのであろうか。本稿では,これらの事項に関して保険市場の情報問 題に焦点をあてて考察を試み,損害保険料率に関する規制と協調のあり方を 探る。
1) 1992年保険審議会答申 新しい保険事業の在り方 は,規制緩和に関して,
経営資源の有効活用により,効率性,収益性を向上させると共に,その成果 を的確に利用者に還元する こと, 規制緩和,自由化を通じて競争の促進を 図り,事業の効率化を進める こと,さらに 国際的に調和のとれた制度を構 築する ことが求められると述べている。
2) 山下(2009),p.3。
2.保険自由化による損害保険料率規制の変遷
⑴ 戦後の損害保険料率規制の変化
わが国の損害保険市場は,第二次世界大戦後約半世紀にわたり競争制限的 であった。堀田(2009)が分析しているとおり,いわゆる 護送船団方式 という言葉に象徴される戦後の保険行政の中心は,損害保険事業においては 旧算定会料率制度であったといえる 。この体制の下,多くの損害保険商品 の保険料率は全社一律に定められ,補償内容も統一されていた。このような 旧算定会料率制度は,料率算出団体が中立的立場から保険料率を算出し,そ れを使用する義務を同団体の会員保険会社に課すことにより,価格競争を回 避し保険会社の財務健全性を確保することで市場を安定させ,保険の入手可 能性を確実なものにしてきた点で,評価されるべきである。同時に,保険会 社が産業界や公的機関に長期資金を安定的に供給してきたことも,堀田
(2007)が指摘しているとおりである。このように,競争を排除した旧算定 会料率制度は,戦後から経済成長期にかけて損害保険市場だけでなく,わが 国経済の発展に果たしてきた役割は大きかったといえる。
この体制は,規制緩和によって大きく転換することになる。損害保険分野 における規制緩和は,1996年4月の付加保険料率のアドバイザリーレート化,
1997年9月のリスク細分型自動車保険の認可を経て,1998年7月の参考純率 制度の導入と,段階的に行われた。1997年以後は,主に外資系保険会社を中 心に,旧大蔵省ガイドラインの下でリスク細分型自動車保険が販売され,さ らに1998年からは,国内保険会社も独自の保険商品の認可を得て販売を開始 した。同ガイドラインは,自動車保険に関して保険料率の算定に使用可能な リスク指標の種類を,年齢,性別,運転歴,自動車の使用目的,自動車の使 用類型(年間走行距離等),地域(最大で北海道,東北,関東・甲信越,北 陸・東海,近畿・中国,四国,九州・沖縄の7区分),車種,安全装置,複数
3) 堀田(2009),pp.6‑7。
所有の9種類に限定したものであり,保険業法施行規則第12条として現在も 存続している。
⑵ 事実上の統一料率市場から事前認可制へ
かつてのわが国の損害保険市場は,旧算定会料率制度のもと事実上の統一 料率市場(tariff market) に近似した状態となっていたといってよい。規 制緩和によって旧算定会料率制度は大きく改革され,実際にも保険会社間の 競争が促進されたことは明らかであるが,保険料率が完全に自由化されたわ けではない。いうまでもなく,事前認可制度とリスク細分化に関する制限と いうかたちで,一定の規制は現在も残されているのである。
損害保険の主要分野では事前認可制が採用されており,また,自動車,火 災,傷害および介護の各保険種目については,料率算出団体により参考純率 が算出され,同団体の会員会社はその料率を自らの保険料率算出において利 用することができる。さらに,自動車保険のように,使用可能なリスク指標 と保険料率較差に制限が設けられている状況をみれば,いわゆるフレック ス・レート(flexi-rates)を伴った厳格な事前認可制度が採られているとい える 。このような規制の形態は,わが国においても一部の分野で採られて いる届出制 ,さらには
EU
諸国において試みられている届出不要制のよう な事後(ex-post)の価格規制ではなく,あくまでも事前(ex-ante)の対処 が行われているという点においては,規制緩和前と変わりない。以上のよう4)
Skipper and Kwon
(2007),p.633.ここでは,統一料率市場が,最も厳格 な保険料率規制であり,開発途上地域において多く見られると述べられている。5)
Skipper and Kwon
(2007),p.633にしたがえば,フレックス・レートは,許容される保険料率に上限を設けるものであるが,規制監督者が,競争が不十 分であるため価格水準が高騰することを避ける必要があると同時に,一定の価 格の柔軟性を確保すべきであると主張する場合に採用されると述べている。
6) わ が 国 の 届 出 制 は,Skipper and Kwon(2007),p.633,Vaughan and
Vaughan
(2008),p.113の整理における届出後使用(file-and-use)制に分類 できる。
な現状認識に立って,損害保険市場の保険料率規制と競争のあり方を検討す る前提として,次節では保険市場の特徴を情報の不完全性に焦点を当てて分 析を行う。
3.損害保険市場の特徴と保険料率規制⎜情報問題を中心に⎜
⑴ 保険市場の不完全性と規制の意義
規制の意義に関する伝統的議論は,しばしば市場の不完全性に関して行わ れてきた。これは,完全な市場においては,競争を通じてもっとも効率的な 行動と成果が得られ,規制の介入する余地はないというものである。このよ うな完全市場の要件に関して,ハリントン・ニーハウス著=米山・箸方監訳
(2005)は,次のように述べている 。すなわち,⑴多くの商品・サービスの 販売者が比較的小さい市場シェアを分け合い,かつ新規参入のコストが低い こと,⑵販売者にとっては生産に関する情報コストが,購入者にとっては価 格および質に関する情報コストが低いこと,そして⑶スピルオーバーがない こと の3点について,その市場が完全市場に近いものであるかどうかを判 断するというものである。 規制の公共利益説 (
public interest theory of regulation
)として知られるこのような議論は,これらの3つの特徴を有する状態から大きく乖離した市場,すなわち不完全性を伴う市場において,規 制の介入によりそれを緩和すべきであるというものである。
ハリントン・ニーハウス著=米山・箸方監訳(2005)において挙げられて いる諸要件のうち,損害保険料率規制の意義について検討するに際してとく に重要となるのは,生産または価格・質に関する情報コストであろう。情報 コストは,その市場における取引当事者にとって情報が不完全であるとき,
当事者らがより精度のよい情報を得るために生じる。そして,生産または価 格・質に関する情報が,保険会社および保険契約者をはじめとする保険市場
7) ハリントン・ニーハウス著=箸方・米山監訳(2005),pp.171‑183。
8) スピルオーバーがないことを言い換えれば,全てのコストが外部性に影響さ れることなく,販売者および購入者に内部化している状態である。
における取引当事者 にとってどのようなものなのかを整理すると,それは,
以下に述べるように保険カバーの価格と質に関する情報,保険会社の支払能 力に関する情報,そして被保険エクスポージャのリスク水準に関する情報で あるといえる。
⑵ 保険カバーの価格に関する情報
保険商品が他の商品・サービスと異なる特徴の一つとして,生産コストが 保険期間経過後に確定することがしばしば挙げられる 。保険における価格 の転倒性としても知られるこのような特徴は,保険契約者および保険会社の 双方に対して情報の不完全性をもたらすものである。
とくに保険契約者にとって,精度の高い価格情報を入手し利用することは 困難である。保険契約者が保険カバーの購入にあたって最善の選択を行おう とすれば,自らのリスク特性を熟知したうえで,複数の保険会社の提示する 様々な保険商品の価格を比較しなければならない。仮に保険料率に関してい かなる規制も存在しない場合,潜在的な保険契約者は,各保険会社の使用す るリスク指標と保険料率水準に関する情報を入手し,自らのリスク特性に基 づいて保険料を試算し,比較しなければならず,多大な時間と労力を要す る 。
いっぽう保険会社は,保険カバーの価格付けを自ら行う立場にあるため,
保険契約者に対して情報優位にある。しかしながら,十分な量のデータを用 いて,科学的に根拠のある手法で保険料率算出を行ったとしても,それが事 後的に常に正確だったと証明できるとは限らない。むしろ,多くの財物保険
9) 近見・吉澤・高尾・甘利・久保(2006),pp.121‑158では,保険市場に登場 する主要な主体として,保険契約者(被保険者)および保険者(株式会社,相 互会社,個人を法形態として採る)を挙げており,本稿でもこれに従って情報 問題を分析することとする。
10)
Vaughan and Vaughan
(2008),p.102.11) 保険契約者は各種の保険料比較サービスを利用することもできるが,これも 無コストで運営可能なものではない。
カバーが対象とする自然災害リスクを含むカタストロフィ・リスクはパラメ ータ不確実性を伴い,かつ損失発生の相関が高いため,自ら設定した価格に よって保険金支払いの全てを確実に償い得るわけではない 。
⑶ 保険カバーの質に関する情報
保険カバーの価格と並んで,その質も保険契約者は事後的にしか知り得な い。そして,十分な情報を事前に入手することもまた,無コストで行い得る ものではない。しかも,時間と労力をかけてそれを行ったとしても得られる 情報は保険カバーの質を必ずしも正確に表しているわけではなく,不完全情 報 に 過 ぎ な い。Skipper and Kwon(2008)も 約 款(policy terms and
conditions
)に関して,保険会社がその優位性を利用して不公正な取引を行うおそれがあるとしたうえで,そうした事態を回避することが約款規制の目 的であると述べている 。
保険カバーの質に関する情報の不完全性は,保険契約者に対して圧倒的に 情報優位にある保険会社に対しても,コスト負担を強いるものである。保険 会社は消費者にとって理解が困難な無形の保険カバーについて,その価格と 併せて保険契約者に説明しなければならない。これには言うまでもなくコス トがかかり,その一部は,最終的に付加保険料に反映され,もう一方の取引 当事者である保険契約者の負担を重くするかもしれない。
⑷ 保険会社の支払能力に関する情報
ハリントン・ニーハウス著=米山・箸方監訳(2005)が述べているとおり,
保険会社の支払不能は,不適切な価格付け,資本と比較して過度な契約引受
12) 保険会社が,精緻なアンダーライティングや再保険取引などをとおして,パ ラメータ不確実性や損失発生の相関の高いエクスポージャの保険可能性を高め る努力を行っていることは言うまでもない。しなしながら,これらの措置を行 ってもなお,保険会社は残余の不確実性に常にさらされているといえる。
13)
Skipper and Kwon
(2007),pp.633‑634.けの伸び,過度な投資リスク,異常危険リスクおよび資産価値の下落,不適 正な経営など,多くの要因により起こり得る 。これらの諸要因について,
保険会社自身は不完全情報であっても知り得る立場にあるのに対して,保険 契約者は正確で十分な情報を低コストで入手できる立場にない。このため,
保険契約者が適切な保険会社選択を常に行えるとは限らない。そして,この ことを知る保険会社は,十分な支払能力を維持するインセンティブを弱めて しまうかもしれない。
保険会社の支払能力に関する情報不均衡を縮小する役割を担うものとして,
財務格付け機関が挙げられる。しかしながら,これらの機関の運営も無コス トで行い得るわけではなく,その一部を償うであろう保険会社からの手数料 は,最終的には保険契約者を含む取引当事者間で負担し合うことになる。ま た,格付け機関が提供する情報は,少なくとも企業分野の保険契約者にとっ ては利用されているかもしれないが,個人契約者が有効に利用可能なもので あるかどうかは疑問である。
いっぽう保険会社は,自らの支払能力に関して情報優位にあるとはいえ,
保険料率算出に常にパラメータ不確実性が伴う限りは,完全情報を持ってい るわけではない。さらに,健全な財務体質を持つ保険会社が,既存の,ある いは潜在的な保険契約者に対して容易に理解されるような自社の財務状況を 無コストで提供することは不可能であろう。また,貧弱な財務体質であるに も関わらず,それを正確に表さない情報を提供したならば,情報劣位にある 消費者は,誤った選択へと誘導されると考えられる。このような問題に対し ては,必ずしも全面的に公的な規制に頼る必要はなく,保険会社間の協調に より対処することも可能である。現実にわが国をはじめ多くの諸外国・地域 において業界団体が設立され,適切な基準を満たした保険会社をそのメンバ ーとすることで,支払能力に関する不適切な情報提供を一部防止している。
しかしながら,このような措置にも業界団体設立・運営のコスト,メンバー
14) ハリントン・ニーハウス著=箸方・米山監訳(2005),p.171。
会社のモニタリングのためのコストがかかることは言うまでもない。
⑸ 被保険エクスポージャのリスク水準に関する情報
保険カバーの価格と質,そして保険会社の支払能力に関する情報につては,
保険契約者が保険会社に対して情報劣位にあったのに対して,被保険エクス ポージャのリスク水準に関する情報については,保険会社が不利な立場とな る。すなわち,保険契約者は自らのリスク水準に関して比較的容易に知り得 るいっぽうで,保険会社がこれに関する情報を得るにはコストがかかる。保 険カバーの価格がリスク水準にかかわらず同一であれば,高リスク者が低リ スク者より保険を購入するインセンティブを持つことになり,その結果とし て逆選択が引き起こされることになる。
同様に,保険契約者の行動も事後的に期待損失を左右するが,これについ ても,行動の主体である保険契約者は知り得るいっぽうで,保険会社はモニ タリングなどを行わない限りは,十分な情報を得ることはできない 。自ら が被った損失の少なくとも一部が保険金として支払われることを認識する保 険契約者(被保険者)は,意識的あるいは無意識的に損失が増加する方向に 行動を変化させ,モラルハザードの問題を顕在化させてしまうかもしれない。
逆選択とモラルハザードの顕在化を防止するために,保険会社はリスク細 分化 や保険契約者に対するモニタリング を行っていると見ることがで きるが,これらの措置にはコストがかかる場合が多い。このコストは,保険
15)
Harrington and Niehaus
(2004),pp.343‑345,Skipper and Kwon
(2007),p.212.16) 下和田(2010),pp.90‑91では,リスク細分化以外の逆選択への対処方法の 一つとして強制保険化を挙げ,わが国の自賠責保険がその一つの例であるとし ている。強制付保を確実なものとするためには,無保険者のスクリーニングな どのコストがかかるが,自賠責保険の場合は,自動車検査登録制度を利用する ことにより,効率的に強制保険を実効あるものとしていると見ることができる。
17) 近見・吉澤・高尾・甘利・久保(2006),p.142において指摘されているとお り,多数の契約を引き受けている保険会社が,個々の保険契約者の行動を逐一 監視することは,技術的にも倫理的にも不可能である。
契約にかかる取引コストとして,最終的に取引当事者間で負担し合わなけれ ばならない。さらに,競争圧力により,保険会社がコストを無視したリスク 細分化やモニタリングの強化に走るおそれもあることは,Crocker and
Snow
(1986) 以降,繰り返し分析されてきたとおりである。保険会社が被保険エクスポージャのリスク情報の精度を向上させようとするあまり過大 な情報コストをかければ,そのコストにより低リスク契約者への保険料引下 げ幅も縮小され,次節において検討するように市場の効率性が損なわれるこ とにもなりかねない。
4.損害保険市場における保険料率規制と競争
⑴ 米国の例から見た保険料率規制の変化
以上のような情報問題に焦点をあてて保険市場の特徴を概観したうえで,
わが国における保険自由化による損害保険料率規制の変化を見ると,どのよ うなことがいえるのであろうか。損害保険料率規制が,事実上の統一料率市 場から事前認可制へとその形態を大きく変化させたことは,第2節において 述べたとおりである。このような規制形態の転換は,その目的がどのように 変化したことに伴って生じたものであろうか。このことに関連してハリント ン・ニーハウス著=箸方・米山監訳(2005)は,米国における状況を分析す るなかで次のように述べている。米国の保険事業に対する監督規制は各州に より大きく異なるものの,総じて見れば,1960年代までの保険料率規制の目 的は,保険会社が不適切に低い水準の保険料率を設定することを原因とする 支払不能の発生を防止することにあった 。言い換えれば,かつての保険料 率規制は,保険料率水準が過度に低く設定されることを回避することに主眼 を置いていた。このことは,当時同国において保険会社間での価格競争が激
18)
Crocker and Snow
(1986),pp.335‑338. ここでは,Miyazaki型Wilson
均衡モデルに基づいて,有コストでリスク区分が行われることにより,効率性 向上が損なわれることが分析されている。19) ハリントン・ニーハウス著=箸方・米山監訳(2005),p.178。
化し,しばしば支払不能を引き起こしていた状況を見ても理解できるもので ある。Vaughan and Vaughan(2008)も,保険規制の伝統的な目的は,保 険会社間の 破壊的な競争 (
destructive competition
)を回避し,強固な 財務健全性を伴う保険会社が公正な価格で保険契約を販売することをとおし て,公益に資することであったと述べている 。すべての保険会社が,十分 な先見性を有し,常に経済合理的に行動するなら,仮に保険料率規制が不在 の場合でも,価格競争によるベネフィットとコストを比較し,利益をもたら さない過度の価格引下げを思いとどまるだろう。しかし,現実の市場におい ては,競争圧力の存在を無視することができない。保険会社は,他社が保険 料率引下げによりシェアを拡大することなどを恐れるあまり,採算を十分考 慮することなく価格競争に臨むことが予想できる。厳格な事前認可制のもと,保険会社が料率算出団体によって算出されたも のより低い価格で保険カバーを提供することが困難であった1960年代までの 米国の損害保険市場の状況は,Stigler(1971)以降繰り返し議論されてい るとおり,いわゆる 規制の虜理論 (
capture theory
)によっても説明さ れる 。すなわち,当時の保険料率規制は,消費者の利益を犠牲にしても,政治的支持をより効果的に得られる立場にある保険業界が恩恵を得られるよ う設計されていたというものである。また,Skipper and Kwon(2007)
も,このことについて,前述の 規制の公共利益説 と対比させながら 規 制の私的利益説 (
private interest theory of regulation
)を取り上げ,規 制が保険業界をはじめとする関係者集団の私的利益を促進するために設計さ れる可能性を指摘している 。このような規制監督者のインセンティブを考20)
Vaughan and Vaughan
(2008),pp.101‑102.21)
Stigler
(1971),pp.3‑21. 規制の虜理論 の論拠として,規制監督者の資 格要件がしばしば議論される。すなわち,米国の多くの州の保険監督官が,保 険業界での実務経験を有しており,その任期終了後に再び保険業界において雇 用されている事実からも,保険業界に有利なシステムを設計するインセンティ ブを持ち得るというものである。22)
Skipper and Kwon
(2007),pp.179‑180. ここでは,規制監督者が,常に慮せずとも,当時の保険料率規制が保険会社の支払能力の確保に主眼を置い ており,その結果として保険産業保護につながったと見ることもできる。
以上のような過度の価格競争を防止するという米国におけるかつての保険 料率規制の目的が,現在の保険料率規制に適合するものであろうか。米国の 多くの州において現在採用されている保険料率水準に対する規制,使用可能 なリスク指標の制限などは,競争制限的である点に関してはかつてと変わら ないものの,過度な価格低下を防止することを意図しておらず,むしろ一部 の高リスク者に対する価格を抑制することにより,保険カバーの入手可能性 と購入可能性を確保することを目的としていることは明らかである 。これ らの保険料率規制が,しばしば残余市場の巨大化を招くとともに,不当に差 別的であると批判される大規模な内部補助を生み出していることなど,様々 な問題を抱えていることは事実であるが,Vaughan and Vaughan(2008)
が述べているとおり新たな保険料率規制の目的は,保険カバーの入手可能性 と購入可能性の確保に移行しているといえる 。
⑵ わが国の保険料率規制の目的の転換−競争抑制から価格抑制へ−
以上のような議論を踏まえたうえでわが国の状況を見れば,規制緩和が保 険料率の低下を期待して行われたことは,堀田(2009)が指摘しているとお りである 。このことからも規制緩和によって,損害保険料率規制は,保険
保険業界に有利な制度設計をするわけではなく,政治的支持を得るために(消 費者団体など他の)特定の関係者集団の利益のために行動し得ることも述べて いる。
23) このような価格抑制に主眼を置いた保険料率規制が広く行われている実態は,
規制監督者が保険会社の利益の影響を受けているという 規制の虜理論 によ っては,十分な説明が得られるものではない。
24)
Vaughan and Vaughan
(2008),p.102.25) 堀田(2009),pp.10‑11。 ここでは,保険料率の低下について,保険会社 にとっては,旧算定会料率制度の下で得られていたレント的な利潤を失うこと についても指摘されている。また,保険料率規制緩和を含む保険自由化に期待 されたこの他の効果として,事業領域の拡大と保険市場の活性化,新しい保険
会社間の過度な価格競争による保険料率水準の低下を抑止するというそれま での目的を大きく転換し,保険料率水準の抑制をその主眼に据えることとな ったと見ることができる。そして,規制緩和が保険会社間の競争を促進し,
事業の効率化を進めることを期待されたのと同時に,前述の使用可能なリス ク指標の限定と保険料率較差の制限が現在も行われていることは,一定の内 部補助を許容してでも一部の高リスク契約者に対する保険料率水準が高額と なり,保険カバーの購入可能性が損なわれることを回避しようとしていると もいえる。このことは,旧算定会料率制度見直しに当たって,特に自動車保 険市場における無保険者の増加が懸念されたことからも理解できるものであ る。
このように目的を変化させた損害保険料率規制緩和を,前節で述べた情報 問題との関連で見れば,保険料率規制が保険カバーの価格および質,保険会 社の支払能力,そして被保険エクスポージャのリスク水準に関する情報の不 完全性を補うために設計されていることには変わりはないものの,その力点 は変化しているのではないだろうか。規制緩和前の競争制限的な事実上の統 一料率市場は,保険カバーの価格を一定の水準に保つことにより保険会社の 財務健全性を確保することをとおして,保険会社が支払不能に陥ったり,供 給を制限したりするような事態を回避してきた。このことから,かつての保 険料率規制が,保険カバーの価格・質を統一することにより,これらに関す る情報問題を一部解消してきたことは明らかであるが,それに加えて,保険 会社の支払能力に関して消費者が情報劣位にあることを重く捉え,効率的な 事業経営を一部犠牲にしてでも,それらの情報問題の緩和を優先してきたと 見ることができる。
それに対して,一部の高リスク者集団に対する価格抑制による購入可能性 の確保に焦点を当てた規制緩和後の保険料率規制の形態は,保険会社の支払 能力に関する情報不均衡を縮小するものであることはもちろんであるが,保
商品開発の促進,消費者意識の高揚が挙げられている。
険カバーの価格と質に関して消費者が情報劣位にあることをより重視してい るように見える。そして,保険会社の支払能力に関する情報問題は,保険料 率規制より,むしろ厳格なソルベンシー規制や,契約者保護機構といった支 払保証基金制度の整備により対処する方法を選択しているのではないだろう か 。これにより,消費者は積極的に保険会社の財務状況に関心を持ち,情 報を収集・分析し,保険会社を選択すると期待される。その結果,保険会社 は,消費者に選ばれるために進んで財務健全性を維持・促進する努力をする と考えられる。この点において,保険料率規制において保険会社の支払能力 確保への比重が相対的に軽減されたことは,保険市場の効率性の向上につな がり得るものであるといえる。
⑶ リスク細分化の制限と保険市場の効率性
使用可能なリスク指標と保険料率較差に一定の制限があるものの規制緩和 によってリスク細分化が可能となった状況については,保険市場における情 報の不完全性との関連で,どのように見ることができるであろうか。規制緩 和以前において,事実上全ての保険会社によって使用されていた料率算出団 体が算出した保険料率にも,現在のように多様ではなかったものの,いくつ かのリスク区分が導入されていた。たとえば自動車保険における運転者年齢 区分も規制緩和以前から存在したものであったが,リスク細分化が進んだ現 在よりも比較的大きな内部補助が許容されていたといえる。言い換えれば,
かつての損害保険料率規制は,保険カバーの価格・質および保険会社の支払 能力に関する情報不均衡を解消することを主眼として設計されたものであり,
被保険エクスポージャのリスク水準に関する情報不均衡の問題については,
保険会社の自由なリスク細分化を制限することにより,算定会料率の範囲内
26) いっぽうで,過度に手厚い支払保証基金制度が,消費者の保険会社選択への インセンティブを低め,ひいては保険会社の財務健全性維持のための努力水準 を低下させ得ることは,ハリントン・ニーハウス著=箸方・米山監訳(2005),
pp.206‑209において述べられているとおりである。
で統一的に対処していたと見ることができる。
規制緩和によって保険会社が独自のリスク細分化を行うことが一部可能と なったことにより,被保険エクスポージャのリスク水準に関する情報問題が 緩和され,逆選択による市場の非効率性の問題が縮小されたと見ることがで きる。リスク細分化と市場効率性の向上につては,諏澤(2008)が,Har-
rington and Doepinghaus
(1993) の 議 論 を も と に 仮 説 的 補 償 テ ス ト(hypothetical compensation test)を用いて検討しているとおりである 。 これは,保険料率に新たなリスク区分を導入することにより,完全な内部補 助が行われていた状況から,高リスク契約者の保険料率が引き上げられると 同時に低リスク契約者の保険料率が引き下げられた場合の,各契約者集団の 効用獲得分と喪失分を比較するというものである。これによると,リスク区 分が無コストまたは十分に低コストで行えるのであれば,使用するリスク指 標が被保険エクスポージャのリスク水準を完全に代理するものでなくとも,
それと正の相関がある限りは,リスク細分化を行うことは市場効率性を高め ることができる。
しかし,リスク細分化が常に十分に低コストで行い得るとは限らない。現 実に,保険会社が被保険エクスポージャのリスクに関する情報を入手し,そ れに基づいてリスク細分化を行うためには,コストを負担しなければならな いことは前節で述べたとおりである。リスク判定に用いる指標が,外形的に 容易に確認可能なものであれば情報コストは低いかもしれないが,たとえば 自動車保険において許容されている自動車の使用目的などの情報の精度を高 めようとすると大きなコストが必要であろう。このように,情報の精度とそ のためのコストは,トレードオフの関係にあり,保険会社が情報の精度を向 上させようとするあまり過大なコストをかければ,市場全体の厚生は損なわ
27)
Harrington and Doepinghaus
(1993),pp.62‑72.28) 諏澤(2008),pp.31‑49。ここでは,リスク細分化が最も進行した保険商品 であるいわゆる
PAYD
自動車保険を取り上げ,リスク細分化が保険契約の取 引当事者にどのようなコスト負担を強いるのかを検討している。れ効率性が下がることになる。とくに,競争圧力下にある保険会社は,低リ スク者を囲い込むために,その選別が可能な指標を他社に先駆けて導入しよ うとするかもしれない。その結果,情報コストを十分考慮することなくリス ク細分化が進行するかもしれない。このようにして生じた追加的なコストは,
最終的に保険契約の当事者間で負担することなり,市場全体の効率性は損な われると考えられる。
現在のわが国の保険料率規制を見ると,使用可能なリスク指標を限定し,
保険料率体系の過度な複雑化を防止することをとおして,保険カバーの価格 に関して情報劣位にある消費者の利益を確保していることは言うまでもない が,それと同時にリスク細分化が制限なく進行することにより市場効率性が 著しく低下する状況を回避していると見ることができる 。
⑷ 保険カバーの多様化と保険市場の効率性
前述のとおり,規制緩和によりそれまでの画一的な保険商品にかわって,
保険会社は独自性のある商品開発が認められることとなった。このことは,
自動車保険における人身傷害補償保険や,傷害疾病保険における多様な特約 の登場からも理解でき,堀田(2009)が指摘しているとおり,商品開発戦略 は,保険会社にとって価格戦略とともに重要な経営戦略の一部となっている ことがわかる 。このような保険カバーの多様化が許容されたことにより,
消費者が自らのニーズに合った保険商品を選択できる可能性が高まったこと は認められるべきであるが,同時に前節で述べた保険カバーの質に関する情 報問題に影響を及ぼすことになったことも忘れてはならない。
規制緩和以前には,保険料率と並んで保険約款の文言も保険会社間で統一
29) ただし,自動車保険において使用が許されている使用可能なリスク指標に含 まれる自動車の使用目的や使用類型などは,その範囲が曖昧であり整備の余地 があるかもしれない。
30) 堀田(2009),pp.16‑17。 ここでは,保険会社が料率体系と商品開発を組 み合わせた高度かつ複雑な経営戦略を進めていることが指摘されている。
されていた。規制監督者が公正と認めた内容に保険約款を統一することによ り,保険契約者の自由な選択を制限してでも,保険カバーの質に関して情報 劣位にある保険契約者が不利益を被ることを回避していたといえる。しかし ながら,様々な保険商品の登場により保険会社一社の提供する保険カバーが 複雑化するとともに,保険会社間での違いも大きくなっている。このような 状況において,前述のとおり,料率体系・水準と併せて保険カバーの内容,
さらには自らのリスク特性を全て勘案して最適な選択を行うことは,保険契 約者にとって非常に困難なことであろう。堀田(2009)は,このことに関連 して,規制緩和後に保険商品が多様化している状況のもと,保険契約者が適 正に選択することを通じて利益を享受できる可能性が高まると同時に,保険 カバーの内容に関する情報氾濫の中で,実際には比較困難な状況に置かれて おり,体制整備が急務となっていると指摘している 。さらに保険会社にと っても,自らが用意する様々な保険商品について潜在的な契約者に対して説 明するとともに,他社との相違点を周知するためにコストを費やす必要があ る。このような規制緩和後の状況は,保険契約者の選択肢の拡大と保険会社 による商品開発の促進に貢献してきたことは確かであるが,保険カバーの質 に関する情報問題をかえって深刻化させ,保険契約当事者のコスト負担を重 くしているかもしれない。
5.むすびにかえて
保険自由化は,それが当初から明示的に意図していたとおり,保険会社間 の競争促進と事業効率化に一定の貢献をしたことは否定できない。その一方 で,損害保険料率に関する規制緩和について保険市場の情報問題に焦点を当 てて見れば,保険料率規制は,かつての保険会社の財務健全性と支払能力の 確保から,現在の高リスク者集団に対する価格抑制による保険の購入可能性 の維持へと,その目的を変化させてきたという一面もあるのではないだろう
31) 堀田(2007),pp.18‑19。
か。保険料率規制の形態が,旧算定会料率制度下における非競争的な事実上 の統一料率市場から,リスク指標と料率較差の制限と事前認可制度へと移行 したのは,このような規制の目的の転換に基づくものであると見ることもで きる。保険規制に求められる役割の一つは,保険市場における様々な情報問 題を縮小することであるが,規制緩和以前においては,保険カバーの価格と 質に関する情報不均衡に加え,とくに保険会社の支払能力に関して保険契約 者が情報劣位にあることを重視して設計されたものであった。いっぽう,価 格抑制に焦点を当てた規制緩和後の保険料率規制は,保険カバーの価格と質 に関する情報の不完全性の問題を縮小することに力点を置いているのではな いだろうか。
Honahan and Stiglitz
(2001)が議論しているように,市場の不完全性 を補完するために最善を期して設計された規制の仕組みであっても,保険市 場に情報問題がある限りは,十分に機能しないことがあり得る 。現実にも,保険会社の支払能力の確保という保険料率規制の目的が相対的に縮小したこ とによって,ソルベンシー規制の厳格化や契約者保護機構の整備といった措 置が別途必要となったことは言うまでもない。また,保険会社間で保険カバ ーが多様化している現状は,保険契約の取引当事者である保険契約者および 保険会社双方に新たなコスト負担を強いているかもしれない。とくに後者の 問題は,保険カバーの質に関する情報不均衡を一層深刻化させているおそれ がある。規制強化への安易な回帰を避けるべきであることは言うまでもない が,保険契約者のニーズを十分考慮した標準的な約款の活用など,公的規制 によらない保険会社間の協調により,この問題に対処することも検討すべき であろう。
(筆者は京都産業大学経営学部准教授)
32)
Honahan and Stiglitz
(2001),pp.31‑62.参考 献
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