金融規制と企業会計の調和化が保険業に 与える影響
上 野 雄 史
■アブストラクト
本論文では,国際的な枠組みの中で金融規制と企業会計の両面で進む保険 負債に対する経済価値ベースによる測定が,保険業に与える影響とその課題 を明らかにする。本論文は,保険業全体において経済価値ベースによる測定 が,機能しうるかどうかという点に着目している。国際的な潮流は金融規制 の柱の一つに市場規律を掲げ,それを機能させるために企業会計の情報が利 用されることが想定されている。しかし,経済価値ベースによる保険負債の 測定要素の多くは,諸仮定や社内のみで利用されるデータが利用される。情 報利用者がフィードバック可能な情報でなければ市場規律が機能せず,結果 として企業の利益操作が生じることが懸念される。
■キーワード
金融規制,企業会計,経済価値ベース
1.経済価値ベースによる測定と国際的な調和化
国際的な枠組みの中で,金融規制と企業会計の調和化が進んでいる。その 中で保険負債に対する経済価値ベースによる測定が,金融規制と企業会計の 両面で導入されようとしている。本論文の目的は,こうした調和化が保険業 にどういった影響を与えるのか,そして何が課題なのかを明らかにすること
*平成26年10月19日の日本保険学会(香川大学)報告による。
/平成27年1月26日原稿受領。
にある。
本論文では,個々の保険会社が受ける影響を検討するのではなく,保険業 全体において経済価値ベースによる測定が,機能しうるのかどうかという点 に着目する。本論文では,金融規制と企業会計の調和化の実態について述べ た後,金融規制において市場規律の機能が求められ,企業会計の情報を利用 しようとしていることを明らかにする。さらに保険負債の測定方法として経 済価値ベースが求められていることを明らかにし,市場規律を機能させるた めに克服すべき課題を提示する。
2.金融規制と企業会計の調和化
上野(2013)で明らかにされているように国際的な金融規制の枠組みの中 で,金融規制と企業会計の調和化が求められている。G20が金融危機後に主 導して設立した金融安定化会議(Financial Stability Board;以下,FSB という)は,各国間,各業態間を包括した金融規制の設定する場として2009 年に設けられた。FSBには,主要国の中央銀行や規制監督当局だけでなく,
国際会計基準審議会(International Accounting Standards Board:以下,
IASBという) と保険監督者国際機構 (International Association of Insur- ance Supervisors:以下,IAISという)などの国際機関も主要メンバーと して参加している 。
FSBが目指す金融規制のフレームワークは,その前身である金融安定化 フォーラム(Financial Stability Forum;以下,FSFという)とは異なり,
金融システムの安定化のために,国際機関や各国の当局間での協調した活動
1)
FSB
には,IASB,IAISの他にバーゼル銀行監督委員会(BCBS),証券監 督者国際機構(IOSCO)などの銀行,証券の国際機関も参加しており,その 他の主要メンバーとして国際通貨基金(IMF),世界銀行(The World Bank),国際決済銀行(
BIS),経済協力開発機構(OECD)などの主要な国際機関,25
か国の中央銀行,金融監督当局,財務省の代表が参加している。参加機関,国 などの詳細についてはFSB
の以下のWEB
サイトを参照されたい。http:
//www.financialstabilityboard.org/
を求めている点に特徴がある。FSFにおいても,各国,各分野において横 断的,かつ包括的な金融規制の必要性については認識され,議論されてきた ものの,そのための具体的な目標や取組みを各国,各機関に求めることはさ れてこなかった。
企業会計は,証券市場における規制の一部に組み込まれているものの,企 業の行動を統制(control)するのではなく,情報開示を通じて証券市場の 透明性を高めることに貢献する意味合いが強い。もちろん,企業会計の情報 は,投資家の意思決定に使われるため,結果として企業の行動を統制するこ とはありうる。しかしながら,その効果はあくまでも副次的なもので,直接 的に企業行動を統制するものではない。
一方,金融規制では,金融機関が過度なリスクを取ることを未然に防止す るために,企業行動を直接的に統制する。これは保険業においても同様であ る。各保険会社に適正な資本余力の確保を促す目的で,ソルベンシー規制が 行われている。金融規制と企業会計は,このような点で根本的に異なる。異 なる性質を持つにも関わらず,金融規制と企業会計とが調和化を図らなけれ ばならない理由はどこにあるのであろうか。その理由は,上野(2013)で明 らかにされているように,企業会計を通じて開示される情報が,証券市場全 体の透明性の向上に寄与しているためである。サブプライム・ローンに端を 発した公正価値会計批判は記憶に新しい。本論文は,その批判の是非を論じ るものではないが,金融危機時に企業会計の開示や会計処理の在り方が批判 され,危機を引き起こした責任の一端があると指摘された。この指摘は裏を 返せば企業会計の社会において果たす役割がそれだけ大きいことを示唆する ものと言えよう 。
3.経済価値ベースによる測定
金融規制は保険契約者の保護を目的とし,企業会計は情報利用者に対する 意思決定有用性を目的としている。金融規制と企業会計とでは測定に関する
2) この点について後述する
Kothari and Lester
(2012)も参照されたい。考え方にも相違が生じ,完全に一致することはないものの,経済価値ベース の測定方法については,ある程度整合性を保った形で基準設定が行われると 考えられる。
先述したように経済価値ベースによる測定は,国際的な枠組みの中で,金 融規制と企業会計の両面で進められている。EUにおけるソルベンシーⅡで は,保険負債を経済価値ベースで測定することが決まっている(ソルベンシ ーⅡは2016年1月1日から適用予定)。さらにIAISは2011年に保険基本原 則を改訂(以下,改訂ICPという)し,ICP14(評価)の中で,資産・負債 を経済価値により測定することを定めている。これらの国際的な動向を踏ま えて,我が国の金融庁は経済価値ベースのソルベンシー規制導入に向けた影 響調査(フィールド・テスト)を2010年に行い,2014年においても行ってい る 。
一方で企業会計側ではIASBが2010年の公開草案と2013年の再公開草案 において,履行キャッシュ・フローの現在価値に基づいて保険契約の測定を 行うことを提案している。履行キャッシュ・フローは,保険契約の履行を前 提とした経済価値ベースによる測定である。米国の財務会計基準審議会
(Financial Accounting Standards Board:以 下,FASBと い う)も2013年 の公開草案では,IASBの提案した方法との差異はあるものの,測定方法で 経済価値ベースを用いる点では一致している。改訂ICPは具体的な経済価 値ベースの測定モデルを提示している訳ではない。そのため,金融規制と企 業会計の考え方の違いが,実際の測定値にどのように反映されるかは不明確 である。そこで,ソルベンシーⅡとIFRSとの比較を通じて,金融規制と企 業会計で想定される相違点と共通点を具体的に示しておく。
3) フィールドテストの結果等については,以下の金融庁の
WEB
ページ等を参 照されたい。http:
//www.fsa.go.jp/ news
/25/hoken
/20140630‑2.html
図表1はソルベンシーⅡとIFRSにおける貸借対照表(財政状態計算書)
の比較である 。ソルベンシーⅡとIFRSの最大の違いは,3つある。のれ んの計上の有無,リスク・マージンの内訳明示の有無,最低資本要件の有無 である。
のれんは,M&A取引を通じて発生する 買収企業の取得価額−買収企業 の株式価値(時価) の差額である。この差額がプラスになった時に,その 値を企業会計上では超過収益力として資産計上する 。一方で,金融規制
(ソルベンシーⅡ)上では,保守的に見積もる観点から,存在の不確かな資 産は計上されない。つまり,ソルベンシーⅡでは,企業会計と比べて保守的 な見積りが行われ,のれんが計上されない分だけ総資産の額は,IFRSと比 べて小さくなる。
(出所)Ernst&Young(2010) を本報告に合わせて一部改訂
図表1 ソルベンシーⅡと IFRS のバランス・シートの比較
4)
IFRS
においては,従来の貸借対照表(Balance Sheet)を,2009年から財 政状態計算書(Statement of Financial position)に呼び方を変更している。5) マイナスの値になった場合には,発生したその年度に収益として一括計上す る。
ソルベンシーⅡ
IFRS
リスク・マージンの内訳についてIFRSのアプローチでは,その内訳を性 質別に明らかにすることを志向しているが,ソルベンシーⅡではそうしたこ とは特に求められていない。IFRSのアプローチでは,当該保険契約から得 られる将来の収益部分と想定以上のキャッシュ・アウト・フローが発生した 場合(例えば,保険事故が想定以上に発生した場合)に備えたマージンを区 分することを求めている。リスク調整とは,想定外のキャッシュ・アウトを 吸収するためのマージンであり,契約サービス・マージンとは,将来の収益 部分である。企業会計上では,保険業の利益を明らかにさせる観点から,こ うした区分を求めている。一方で,ソルベンシーⅡにおいては,利益ではな く,支払余力を重視するため,こうした区分は必ずしも重視されない。
こうした相違点の一方で,多くの共通点もある。まず,ソルベンシーⅡに おいても資産の数値の多くは企業会計上のものを用いる(流用する)ことが 想定されており,現時点における最良な手法により推定された負債(best estimate liabilities)も,用いられる諸仮定や数値の違いにより多少の数値
の違いはあるものの,ほぼ共通した値になると考えられる。
4.市場規律とディスクロージャー
⑴ 金融規制と企業会計
金融規制の立場から考えれば,規制監督上の数値については必ずしも公開 する必要はないと考えられる。しかしながら,現在の金融規制の潮流は,規 制監督上に用いられる情報は,出来る限り一般に公開することが求められて いる。
我が国の金融庁においても金融検査の基本原則の一つとして, 自己責任 原則と市場規律の確保 が掲げられている。外部からの監視・けん制の下で 保険会社を含む金融機関の自己規律が機能することが期待されている 。こ
6) 金融庁が2005年に公表している金融監督の原則と監督部局職員の心得(行動 規範)には,その基本原則として, 自己責任原則と市場規律の確保 の他に,
金融行政の目的 , 効率性 , 実効性 , 透明性 などを挙げている。詳細
うした観点から,財務情報のディスクロージャーならびに提供する金融サー ビスに関する十分な情報提供・説明責任が求められている。
改訂ICPにおいては,実効的な保険監督システムとしての前提条件とし て,金融市場における効果的な市場規律を挙げており,具体的には次のよう に言及している(ICP.23) 。
効果的な市場規律は,市場参加者への情報の適切な流れ,経営管理の行 き届いた組織に報いる適切な金銭的インセンティブ,投資家が自身の決 定の結果に関して自己責任を負うことを確保する取決めなどに依存して いる。対処すべき問題の中には,適切なコーポレートガバナンス枠組み の存在および,借り手が投資家および債権者に対し正確かつ有意義な,
透明性の高い情報を確実に提供することなどが含まれる。
ここで期待されている市場規律とは,保険会社の事業活動に関して,保険 契約者の選択行動による規律付け(保険市場の市場規律)ではなく,投資家 の評価を通じた規律付け(金融市場の市場規律)のことであろう。前提条件 の一つに挙げられている効率的な金融市場を通じて,投資家が保険会社を適 正に評価し,それを通じて規律付けが高められることが期待されている。
上場していない相互会社の形態の場合,少なくとも改訂ICPで提示され ている前提条件を満たしえないことになる 。しかし,一つの前提条件が満 たされなかったとしても,他の前提条件をどのように機能させるかは重要に なろう。この点については本稿では深く言及しないものの,相互会社におけ る市場規律に関する重要な課題の一つであることは間違いない。
については金融庁監督局(2005)と上野(2012
b
)を参照されたい。7) その他の条件として,改訂
ICPでは健全で持続可能なマクロ経済および金
融セクター政策,十分に発達した公共インフラストラクチャー,適切なレベル の保護(又は公的セーフティネット)を提供するメカニズム,効率的な金融市 場を掲げている(ICP.19)。8) 相互会社の問題については上野(2013)において論じられている。
改訂ICPで言及されているような市場規律を機能させるためには,適正 な情報開示が行われなければならない。市場における情報開示において重要 な役割を担っているのは,金融規制ではなく企業会計である。企業会計は金 融規制とは異なる枠組みの中で,市場に投資意思決定に有用な財務情報を提 供することを主目的としている 。金融市場において意思決定に使われる情 報は,結果として企業を規律付けることが期待される。金融規制の側からは,
企業会計の財務情報を通じた金融機関の規律付けに期待するところが大きく,
また金融規制の側は,金融規制と企業会計とで提供される情報に矛盾がない ことを望んでいる。
⑵ 経済価値ベースの基本的な考え方
金融規制上での経済価値ベースの測定は,保険会社の資産,負債の両方を 将来キャッシュ・フローの現在価値で測定を行い,現時点における支払余力
(ソルベンシー・マージン)をより正確に把握することで,保険会社に適正な 量のマージンを確保させることを目的としている。改訂ICP(14.5)では,
経済価値ベースの測定について次のように述べている。
資産と負債の経済価値ベースの評価は,キャッシュ・フローのリスク調 整後の現在価値を反映する。
経済価値ベースの測定においては,外部の利害関係者が理解できるように 市場と整合的な数値・手法で行われることが望ましく,かつ保険会社が保有 するリスクについても適正に反映されていなければならない。
企業会計上においては,将来キャッシュ・フロー情報が投資家の意思決定 の際に求められているという前提下で基準作成が行われている。例えば,
IASBが米国のFASBと合同で提示した概念フレームワークのなかでは,
以下のように記述されている(IASB/FASB 2010, QB3)。
9) このほかにも利害調整機能や受託責任の明確化といった機能もある。
現在及び潜在的な投資者,融資者及びその他の債権者は,企業への将来 の正味キャッシュ・インフローの見通しを評価するのに役立つ情報を必 要としている。
企業会計上では,公正価値(fair value)・時価(market value),金融規 制上では,経済価値(economic basisもしくはeconomic valuation)と呼 び方は異なるものの,どちらも, 将来キャッシュ・フロー という考え方 は共通している。
将来キャッシュ・フローは,企業が将来得る(もしくは失うであろう)金 銭的な価値を表している。現実的には,将来のことを予測することは不可能 であり,真の将来キャッシュ・フローを知ることは出来ない。そのため,何 らかの形で,それを近似する変数を用いるか,何らかのモデルに基づいて推 定値を求めることになる。
将来キャッシュ・フローの代理変数としてまず挙げられるのは,時価であ る。仮に金融市場が適正に将来の資産・負債の価値も織り込んだ上で測定し ているとすれば,その売却価額を用いるのが,外部の客観性や検証可能性の 意味でも最も望ましい。売却価額を求めるためには,活発で,効率的に機能 している二次的な市場が必要となる。二次的な市場が存在しなければ,類似 の資産・負債の市場価格を参考にしながら,諸仮定やモデルに基づいて推定 値を求める必要がある。
問題は, 参考とする市場 すら存在しないというケースである。この場 合は,割引率などについては市場に整合的な数値を用いながらも,社内のデ ータなど一般に入手不可能な情報に基づき推定値を求めなければならない。
将来キャッシュ・フローの算定において,どの程度,客観性や検証可能性 を犠牲にするかは,考え方によって変わってくる。社内の内部モデルに基づ いた方がより正確な将来キャッシュ・フローが算定されるならば,必ずしも 市場の変数を使う必要は無いであろう。ただし,金融規制においてはしばし
ば犠牲にされがちな,客観性や検証可能性といった要素を企業会計では重視 する立場を取っている。その基本的な考え方が最も表れているのが 公正価 値のヒエラルキー である 。図表2は公正価値のヒエラルキーを示してい る。財務諸表作成者が用いる公正価値のヒエラルキーの優先度として,客観 性や検証可能性を担保するためにレベル1の方式を用いるのが望ましいとさ れ,なければ次にレベル2の方式によることが求められ,それでもなければ レベル3の方式を用いることになる。レベル3であっても用いる手法やイン プットは極力市場の変数と整合的なものが求められるため,全てが社内の情 報に基づく訳ではない。
保険会社に対する経済価値ベース,すなわち将来キャッシュ・フローを測 定する場合,測定上で課題となるのは客観性,検証可能性の確保である。保 険契約(保険商品)の二次的な市場は乏しく,かつ,保険契約の将来キャッ シュ・フローを見積もるためのファクターは,他の経済事象と比べて多い。
そのため,高度な評価技術が必要であり,モデルに用いられるインプットの 多くは社内で用いられる情報に基づかなければならないことが想定される。
つまり,測定値について市場と整合的な数値やモデルを用いるのが望ましい
10) この基本的な考え方は,IASBが発行する
IFRS
7 公正価値測定 および 米国の財務会計基準書(SFAS)第157号 公正価値測定 で示されているも のである。レベルが上が るほど客観性 や検証可能性 は低くなる レベル1
レベル2
観察可能な市場価格
類似の資産・負債の市場価格を用いる。
観察不能なデータ(社内データなどの一般に 入手不可能な情報)に基づき見積もる。
レベル3
(出所)IFRS7・SFAS157に基づき筆者作成。
図表2 公正価値のヒエラルキー
ものの,現実的にはそれには限界があり,いわゆるレベル3の方式に拠るこ とになろう。
5.市場規律は機能するか
仮に経済価値ベースの測定が,金融規制と企業会計の両面において我が国 で実施されれば,どのような影響があるであろうか。
現状のソルベンシー・マージン比率の算定は,ロックイン方式で負債を測 定し(一度評価したら評価替えは行わない),所定のリスクを考慮して求め られる。一方で,経済価値ベースのソルベンシー・マージンは,毎期評価替 えが行われるため,現行よりもボラティリティ(変動性)が大きくなる可能 性がある。この影響を企業の株主資本(純資産)も受けることになる。
つまり,ボラティリティが大きくなることは企業経営者にとって非常にリ スキーな状況であり,そのボラティリティを最小限に抑えるような行動を企 業経営者が取る可能性がある。具体的には,運用面や商品設計において影響 を及ぼす可能性がある。またリスク管理の高度化が求められるため,保険会 社はそれに対応したシステムの構築を行う必要がある 。
一方で,懸念される影響は,それが正しく機能するかどうか,という点で ある。これまで述べてきたように,金融規制における経済価値ベースの測定 には,その情報開示を通じて外部の利害関係者(保険契約者や投資家)に適 切な意思決定を促し,事業体を規律付けることが期待されている。企業会計 における経済価値ベースにおける測定(時価評価)に期待されるのは,投資 家に意思決定に有用な情報を提供することである。市場規律の機能が明示さ れている訳ではないものの,投資家の適切な意思決定は,結果的に事業体に 対する市場規律を促すことになる。
改訂ICPにおいて市場規律が金融監督の前提条件として挙げられている ように,国際的な金融規制において市場規律を強化することは必要条件であ る。金融の自由化・国際化が進展するとともに,金融技術が急速に高度化す
11) こうした影響の分析については,Milliman(2009)の報告書が詳しい。
る環境において,監督当局がすべてに目を行き届かせるのは困難である。市 場規律が有効に機能すれば情報の開示を通じた情報利用者の評価により事業 体の行動が規律付けられ,不健全な事業体は自主的に退出させられると期待 される。情報開示を通じた市場規律の強化は,改訂ICPだけでなく,バー ゼル規制とソルベンシーⅡの第三の柱に掲げられている。
経済価値ベースに基づく市場規律を機能させるためには,外部の情報利用 者(具体的には投資家)がそれを適正に評価をしなければならない。保険契 約の経済価値ベースの測定においては,企業内部のインプットや評価技術に 依拠するところが大きく,比較可能性や客観性に乏しくなる可能性がある。
それだけではなく,こうした複雑な情報は,外部の情報利用者の理解が難し くなる可能性が高い。
比較可能性や客観性の問題については,金融危機時の企業会計上のレベル 3の金融商品の測定において表面化した。2007年9月のリーマン・ショック をきっかけに生じた金融危機では,各社の公表している金融派生商品の含み 損や採用しているモデルにばらつきがあったため,その情報の信頼性に疑問 符が付くことになり,適正な情報が開示されていなかったとして, 時価会 計批判 が展開されることとなった。この結果についてKothari and Lester
(2012)は,金融危機前の開示事例等を分析し,公正価値が金融危機に直接 的な影響をおよぼした証拠はないとしつつも,会計処理に必ずしも一貫性が なく,情報開示に問題があったことを指摘している。また大日方(2012,
p.120)は,昨今の公正価値測定の拡大に対する批判を,先行研究のサーベ イに基づき行い, レベル2やレベル3の資産や負債は,企業価値との関連 性は低い と述べている。
Magnan et al.(2014)は,アメリカの財務情報において公正価値測定の レベル1,レベル2,レベル3が将来の収益性を正しく予測しているかどう かを,1996年から2009年までのデータを用い,分析対象を銀行に絞って検証 を行った。その結果,市場の関連した数値を使っているレベル1,レベル2 については,予測能力は認められたものの,レベル3については確認するこ
とが出来なかったとしている。
これらの先行研究に基づけば,レベル3に相当すると考えられる保険契約 の経済価値ベースに基づく推定値は,将来キャッシュ・フローを予測するだ けの情報を保有しておらず,市場規律が機能しない可能性が示唆されてい る 。仮に市場規律が機能しなければ,経済価値ベースの測定においては各 保険会社のリスク管理能力の向上といった意味はあるものの,その情報を利 用して適正に各社を評価するといった意味はなくなる。また関連して,複雑 性の問題も看過することは出来ない。
欧州財務報告諮問グループ(European Financial Reporting Advisory Group:以下,EFRAGという)が懸念を示しているように,昨今の企業会
計の基準は複雑化の傾向にあり,中でも保険契約については特にその傾向が ある 。EFRAG(2014)は財務諸表の複雑性に懸念を示した報告書である。
EFRAG(2014)は,複雑性が企業と利害関係者の間の財務報告を通じた効 果的なコミュニケーションを阻害するとともに,市場の非効率性を創出し,
資本の有効な配分の妨げになるものと指摘している。
EFRAG(2014)の整理によると複雑性は次の二つに区分して議論するこ とができる。
① 回避不能な複雑性…事業活動がより高度化され,理解が困難になった ことによるもの。
② 回避可能な複雑性…基準設定や規制,教育,情報の送信が効果的でな かったために生じるもの。
自明なように②については改善することが出来るものの,①については対 応が極めて難しい。保険契約は①に分類されることになろう。測定属性が複 雑であることから,それに対応した経済価値ベースの測定も複雑なものにな
12)
Riedl and Serafeim
(2011) やSong et al.
(2010) でも類似の結果がみら れる。13)
EFRAG
はプライベート・セクターであるものの,会計の技術的側面から個々の
IFRS
適用に関するEU
への承認助言を行っている。らざるを得ない。こうした複雑性を有する情報が果たして一般の外部の利害 関係者が理解可能なのか(そもそも情報として活用できるのか)といった問 題が生じることになろう。
6.客観性・理解可能性を高めるために
経済価値ベースの測定により市場規律を高めるためには課題がある。国際 的な金融規制と企業会計の経済価値ベースの測定方式が概ね一致しているな らば,情報提供機能を高めるためにどのような情報開示を行うべきかを検討 していかなければならない。経済価値ベースの測定においては,関連する方 法や諸仮定を開示する必要がある。問題となるのは保険負債(責任準備金)
の測定である。二次的な市場が存在しない保険負債の測定は,諸仮定とモデ ルに依拠する他なく,インプット情報の多くは会社内部のものを用いざるを 得ない。つまり,複雑で理解不能な情報が外部の利害関係者に開示されるこ とが懸念される。そのため,情報開示に当たっては,国際的な金融規制と企 業会計に関連する機関(IAISとIASBなど)が連携して,意思決定に有用 と考えられる情報を,複雑性を取り除き,かつ理解可能な形で提供する必要 がある 。ただし,それは保険負債の測定という属性を考えた場合,困難で あるかもしれない。
現行の経済価値ベースは,忠実に,かつ正確に保険会社の実像を映し出す ことを試みている。それは真の将来キャッシュ・フロー情報の近似値を求め ようとする,ある意味で野心的な試みとも捉えられる。可能限り複雑性を取 り除き(回避できないかもしれないが),客観性や理解可能性を追求したも のでなければならない。フィードバック可能な情報を提供しなければ,結果 として,期待された市場規律が機能せず,経済価値ベースの操作を通じた企 業の利益操作といったことも懸念されよう。
(筆者は静岡県立大学講師) 14) この点については上野(2012
a
)においても言及している。(当論文は,平成24年度(公財)かんぽ財団調査研究助成に基づくものである。) 参考 献
1. 上野雄史(2012
a
) 将来キャッシュ・フローの見積りと経営者裁量―保険負 債の測定を中心として― 保険学雑誌 第609号,41‑60頁。2. 上野雄史(2012
b
) 規制緩和後の保険業における企業会計と情報開示 保険 学雑誌 第611号,41‑60頁。3. 上野雄史(2013) 生命保険業における規制監督と企業会計の国際的な調和 化 生命保険論集 第182号,87‑122頁。
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