奈良教育大学学術リポジトリNEAR
江戸時代の書道書にみる手習稽古論 ―本学所蔵本 をもとにして―
著者 梅村 佳代
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 37
ページ 9‑17
発行年 2001‑03
その他のタイトル An Opinion of Writing‑Practice about Many Calligraphy Books in the EDo Era, in Nara University of Education.
URL http://hdl.handle.net/10105/7114
江戸時代の書道書にみる手習稽古論
一本学所蔵本をもとにして一
梅村 佳代
(教育学教室)
要旨1本学が新規に所蔵した江戸時代の国書のうち・書道に関する書であ る橘行精『入木抄釈義』(嘉永7年刊)を取り上げ、手習稽古論の要所を とらえて整理しれ橘行精『入木抄釈義』は尊円親王が著した『入木抄』
の解釈書であるが手習始めにあたる「秘説」をまとめたものである。それ らの要点は江戸時代の民間の手習稽古においても広く伝えられた。
キーワード:入木抄、入木抄釈義、手習稽古
はじめに
筆者は1998年に赤井達郎前学長により新規購入された江戸時代の書物61点88冊を整理して拙稿
「本学所蔵の往来物・文筆手本類等の研究」( )及び「本学所蔵の江戸時代和書の検討一往来物、
地誌、随筆、書道などに関する和書を中心に一」( 〕において全体の概要とその内容の特徴を整 理した。
続いて、本学所蔵本から江戸時代において子ともや書道の初心者を対象として書かれた手習い 稽古論に関する書物について検討を加えれまず新規購入本のうち江戸時代の初期に発刊された 手習い及び書道の書物のうち、笹山梅庵著『手習社用集』(元禄6年刊一1693)と著者不明「訓 蒙揮毫書」(寛文7年刊一1667)を取り上げて検討を加え、拙稿「江戸時代初期の和書にみる手 習い稽古論一本学所蔵本を対象として一」(ヨ)としてまとめれ
本稿は前掲「江戸時代初期の和書にみる手習い稽古論一本学所蔵本を対象として一」に連続 する問題意識のもとに橘行精著『入木抄釈義』を検討したものである。つまり、江戸時代の手習 いや書道の入門者あるいは初心者や子どもを対象にして書かれた手習い、筆道の基本に関する内 容を通して、稽古始めにおいてどのような内容が初心者に提示され、文字稽古に導いたのか、ま たその稽古の過程で手習いや筆道の本質として強調されたことはいかなる内容であったかを整理 することにある。手習いや文字稽古にあたって強調された内容は文字稽古にあたって上達するた めの基本を述べたものであるが、学習者の心構え全般にわたっても述べられている。これらは子 どもが学習を通して大人への成長を遂げ、成人社会へと参入していく準備期間に何を伝え、大人 への形成の基本を考えたかにっいても一定程度の洞察は可能である。近世社会の子どもの学習に 対する考え方のある程度の考察も可能である。また近世の寺子屋などの庶民教育内容が手習いを 基本として読書、算盤は従にあったとされるように、手習いが習得の基本となって進展してきた ことの意義の究明はさらなる課題でもある。筆者は文字学習が近世社会において必要とされたの
‡An Opinion of Writing−Practice about Many Ca11igraphy Books in the EDo Era,in Nara University of Education.
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は実業で役立っためになされるのみならず、文字学習は文字の獲得そのものに形成の意味がある こと、つまり自己を把握し、他者を認識して自己形成がなされ、他者との共存において文字が不 可欠な要因であることが認識されていたからであると推測するからである。
(1)橘行精r入木抄訳靱の書誌について
形態はたて・よこの長さは27.0×18.Oセンチで26丁の一冊本である。表紙の題簸は「入木抄繹 義 全」とあり、美濃紙による袋綴じの装丁で、綴じの崩れが多少ある。作者は橘行精で「嘉永 甲寅乃とし秋九月」に「自序」が記されており、成立は嘉永7年(1854)9月である。出版元や 板元、出版を扱った書騨などは不明。内容は慎独主人すなわち高辻正三位以長によるr入木抄釈 義序」、橘行精によるr自序」、「入木抄篇目」として二〇条目の篇目が書かれており、本文は目 次に従って橘行橋によるr御手習之間可被得御意條々」とされるr釈義」が述べられたものであ る。「入木抄釈義序」では能筆の道をつぶさに伝えるのは「入木抄」であり、今より後の人に伝 えるために記すとある。また「自序」では「入木抄」は行成卿が書の道に堪能で市より「入木の 号」を賜ったとあり、巻末には「本朝書傳立立入木道相承之図」として祭邑を始祖とする書傳並び
に入木道相承の系統図が示されている。系統図に特に丸印が付されているのは空海一行成一持明 院基規一青蓮院宮尊円法親王一清水谷一流祖集材の五人であり、とりわけ行成はr入木道相承大 祖」の肩書が注記されている。
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図(1) 橘行精r入木抄訳議』の表紙
『入木抄釈義』について『国書総目録』U)によれば書道書に分類される国書で、著者は橘行橋、
成立は嘉永7年である。版本については嘉永七年版は大阪府立図書館、愛知県豊川市の穂久通文 庫に所蔵。安政三年版は東京大学所蔵、発刊年不明本は香川県大川郡の多和文庫所蔵とある。
「入木抄釈義」とは本来「入木抄」の解釈本という意味であるが、『国書総目録』によれば
「入木抄」の名称をもつ国書は六冊あるなかで、本学所蔵本は著者が青蓮院宮尊円親王、成立は 文和元年(1352)の書「入木抄」の「釈義」本である。この尊円親王が著した書は別称本として
「手習稽古次第」「手習要心集」「筆法例口伝」「入木道抄」「入木秘書」などあり多様な流布が何
える。また写本も数多く存在している。『国書総目録』によれば国立国会図書館、国立国会図書 館支部静嘉堂文庫、宮内庁書陵部、早稲田大学、東京大学、東北大学、東北大学狩野文庫、愛知 県西尾市立図書館岩瀬文庫、島原市立島原公民館松平文庫、名古屋市逢左文庫、香川県大川郡猪 熊恩頼堂文庫、東京都目黒区尊経閣文庫、京都市左京区の曼珠院、茨城県水戸市の彰考館文庫な どに所蔵され、伊藤緑苔、高橋貞一など個人により所蔵されているものもある。活字本としては 岩波文庫『入木道三部集』『群書類従 雑』『大日本史料 六編』『日本古典全集』(第四期体源抄)
など発刊されている。また伊藤緑苔による『入木抄の研究」(1960年)もある。複製本として尊 経閣の発刊による叢書もある。書が成立した文和元年(1352)から現在まで大切に尊重されてき ていることが明瞭であ乱また「入木抄」に関連する書物も多数発刊された。『国書総目録』(ヨ〕
によれば『入木開元」『入木管見抄』『入木口伝抄」r入木伝書』『入木道』『入木道口授』など83 種類の書物の存在が明らかにされている。
(2)橘行糟r入木抄訳業』の内容
『入木抄』は南北朝時代の文和元年(1352)11月15日・尊円入道親王が当時15歳となっていた 後光厳天皇のために二〇条目にわたる「書道の秘説」をまとめたもので「天皇の読書始めにっづ
く手習始めに進覧した時のもの」と考えられている。㈹この二〇条目にわたる書論については、
伏見天皇の第六皇子で青蓮院門主で書に優れた才能をもった尊円親王が執筆法、書体・稽古・手 本、筆墨硯などの用具、能書、日本の書道史の時期区分などについて独自にその書論を展開した ものとされている。この青蓮院流の書体が近世社会において幕府により公式の書体として取り入 れられて以後、広く民間に流布し手習い稽古の手本とされ、庶民の間では凍原の火のようにまた たく間に広がって習得されたとされる。その理由は「くずし方が平易で、おだやかな書風」と
「習いやすさ」にあったからである。ここでは「入木抄篇目」の二○条目に沿って1順次検討する。
(a)「取竈真」「御本一暇々御稽古書」「字勢分書」「竈仕為肝要書」「古賀竈仕裏」について まず第一条に「筆を取事」ではr中指の両節の中央に筆を置で頭指のそばと大指の腹にておさ へて取候也、無名指と小指と二をはにぎらずしてひしとよけて中指の力となし候也、手の内をは うっろになして不幸候也、大指の節をは立てたるもそらしたるも見悪ありよき程に候べし」とあ り、稽古始めの筆の取り方は大事で後に癖を取り直すことは難しいとしている。{τ〕
第二条に「御手本一暇々御習あるべき事」では、お手本は一度に首尾習い終えるのではなく
「先詩一二首などをとり近々数日脚稽古ありて御本の面影」が心に浮かび上がる様になった後に、
次第に奥を習う様にすればよいと述べている。ω
第三条の「字乃熱分事」では「初心之時は本よりもことの外に大に被害候事、只手本の文字程 に習候也、又いかにも本よりは大にて筆ぼそに成候事にて是あしく候也」として字の勢いも太さ
も手本と遣わぬようにすべきとしている。(日〕
第四条に「筆づかひ肝要たる事」では「紙上に成字事は能書も非能書も同事にて候へども筆仕 によりて善悪相分候也」と筆づかいの肝要さを述べる。それは「手本を習候に付で字形と筆仕と を能習候人は一致にして無相違候、若あしく習候人は文字乃姿を似せ候はんとし候へは英姿似候 へども筆勢を不写得候へは精霊如無候也、是は徒物にて候、假金字形者人乃容貌筆勢者人の心操 行跡にて候、所詮諸道は心の上の所作にて候之間尺能古賢の心に本づき候へは自ら其道を可得候 也」と字形と筆づかいの一致が大切であること、字形が似ても筆勢に筆者の「精霊」がなければ
図(2) 橘行枯r入木抄訳議』本文一竈づかひ一
具の道を会得できないとする。従って稽古始めには筆を静かに熱して行い、ある程度に達すれば 筆に任せればよいと述べる。( ω
第五条に「古賢筆住之事」では古賢能筆の筆仕の心をのべた条文であり、とりわけこの一条は 肝要とするとある。すなわち「古賢能筆筆仕の様はいずくにも聖霊ありてよはきところなし、筆 をたてはじめ引きはっる盧に点ごとに心をいれてあだるるところなく可喜色、折慮にもただ木乃 折たる様には不可有也、心を留で折也。能書は打だつ虚引終点折所はぬる所如此所とに心を留で 精入也」と述べ、すべての筆づかいにおいては「精霊」あること、引いたり点、折るごとに心を 留めることが肝要という。一点でも心を留めない徒なる所があれば一字皆悪くみえるものであり
「一字と心をとどめずば皆徒物色」という。これらのことを「浮雲瀧泉の勢、龍蛇乃宛転たる姿、
老松乃屈曲せる形ち此等しかしながら手本なり古筆の筆社是にて候」とあるごとく「能書の手跡 は生きたる物にて候精霊魂迫の入りたる様に見え候也」と繰り返し述べられる。(u)
lb)「離邪僻可専正餐■」「不可好臭様書」「真行草字■」「御稽古分限露顕書」「稽古間善悪相承裏」
第六条の「邪僻を離で正き姿を専にすべき事」では、この道を知らず、口伝を受けずして道に ふける輩多く「真心正路に不叶、心邪僻を起なり」という。邪僻とは「正き所をはうっし得ぬま まにふと目に立つところを似ずる事」であって、「異体に目をかけず一筋に正路にしたがひて正 しきところを習字し候へは真筆に達しぬ」状況となり、以後は種々の体も心に任せて書ける自在 無窮の域に至る。書とは曲折風流を本とするので、「その体ばかりをあさく見なして相似たると 見候へども道を知りたる眼前にはあらぬ」ものとする。美しく書かんとして筆をつくろい、かわ ゆげにかいても美しくはみえず、また強く書こうと筆を紙にっよくあて粗く筆を遣っても、それ らは「狼藷」にあたる物と強く戒めている。これらは皆「外道の邪見とは申の道の魔障にて候也」
とする。前述の「古賢筆住之事」と本条は殊に「詮要にて候能々町有御意得候」と補足されてい
る。oヨ〕
第七条に「異様を不可好事」では「初心の時、器量ある人立字、倒字、うつぼ字等筆に任て春
事、世に斉興の浦山敷覚也、随て出之真骨あれは人も此事もてなし、わが身も乗興の程に一向是 か正宗になりて本体の稽古は次に成候事返々可動酌候、かかる事を好人の手跡さやうのことを書 だるはさるやうに見ゆれども極信なる清出はいかにも僻事書たるには劣候也、大に無本意事也、
是を灯用やすき事也、只いくたびもうるはしく善事也」と述べて、左手、倒字、うつぼ字などの 異様は興味に任せて書くことも多く、人ももてなすけれど、本体の稽古がおろそかになり手跡も 劣る。おこなうべきはいく度もうるわしく書くことであると述べる。何事も「大道は遠して難随、
邪径は近くして易路」ことであるから、このような「みちのそぞろごと」には意をいれる人は多 いけれども器量ある人はありぬべき事、よくよく謹慎すべきことなりとしている。そして「初心 之人、末代に及て如此あとを心に不可懸大文字などは時々司書也」と大文字など書けば筆の勢力
もできることなので壁字には肝要のことであるとする。(13〕
第八条は「真行草字事」である。「先行字を町有御留学、行は中庸之故也、点を下略して筆体 を行に書だるは行の真なり、点を略して草の字の作りを書交て行体に筆を仕たるは行の草色、佑 通用す、稽古の為に宜也、柳行の字を習写て後に草をも真をも可学也、真は行草に不通、草又真 行に不通也、真は一々の点を引はなちて善なり、草は点も字も連続して書だる体なり」と述べら れ、手習稽古には先ず、行書からはじめるがよいとしている。点を略さず行に書いたのは行の真、
点を略して草の字の作りを交えて、行書体に書いたのは行の草であり、稽古によろしい。行書を してから草書、真書を学ぶがよい。真書は行草に通ぜず。草書は真書、行書に通じない。真は点 をひとつひとつ引き離して書き、草は点も字も連続して書くからである。中庸の行書がよい。( 〕 第九条は「御稽古の分限露顕事」で「五日十日などに一度御本の字を暗に能々執して披遊候て
月日を被書付て可置候、後に被御覧合候は、勝劣可為分明候、且は未熟の所々をも能々披御覧定 候て被置候得は次第々に如御意可成也」と述べ、稽古では五日か十日に一度、手本を請じて書き、
月日を置いてみると勝劣が明白となり、とりわけ未熟の所をよく見て置くと次第に意に沿うこと になるとしている…5〕
第一○条は「稽古間、常に善悪相示事」では「初心の時は手習を仕候へは俄に筆もつまり、字 形も不似候て不思議の事必出来候、此持物ぐさく成て退屈の所存も発候也、それに目を懸ずして 只同様に稽古し候へは四五日乃至十日こそ候へ又よく成候、今度は以前によく被害候様に覚っる よりも猶勝候也」と初心の時には筆のっまりや字形も手本に似ないという時期に退屈さも起こる が、それに煩わされる事なく稽古を続ければ、又よくなって、さらに絶えず稽古すれば一段いち だん「かたのあがり候体」型ができるようになる。(1助
(C)「手本用捨裏」「手本多大切夢」「以消息不可為手本裏」「御竈裏」「御最裏」
第一一条は「手本用捨事」である。「三賢等御筆なれども初心の入先達にも不談して此本面白 し、彼字斉興とて習字し候へは必手跡損じ候也、先賢随時筆を下し候へば筆跡不同出来候、何と して書出候へは殊勝の物にて候也、為手本可学風体も候文初心の人不可学体も候也」とあり、初 心のものが先達に相談しなくては必ず手跡を損ずるであろう。手本として学ぶ風体もあり、初心 者の学ぶべきでない件もあるからである。( 7〕
第一二条は「手本多大切事」では「多才遍寛大切事候、御稽古は御本を被定候て数本を御覧候 へは御才覚に可成也」とある。稽古の際には手本は多く見ることが大切としている。
第一三条は「以消息不可為手本事」である。「当世多消息を手本とす、不可然事候」、当世は消 息などを手本とするが、そうあるべきではない。何故ならば「能書に成て手本をも書、色紙形、
菰諦、願文をも清書せん事大不定化、只さしあたりて消息一通なだらかに書だらんに可鳥足、只 さしあたりて消息を可習合存歎北条道を不知之故也」とあるように能書になってから手本、色紙、
菰諦、願文など清書できるようになって、さしあたり消息を習うのはよいのである。一切の事、
稽古の道は際限なきことであり、それは「仏法を学するも大師先徳の古語をさぐり佛知僻見をさ とり極めんど学候へは更に其きはめなき事にて候、世間の技芸も同しかるべく候」のように仏法 の学と同様、世間の技芸も際限のないことである。しかるに消息と申す物は「あながちに筆を刷 候はずたずたするすると書下候の問、三賢の筆も手本に用候ぬべきは希有の物にて候」と三賢の 筆も手本にせずするすると書き下したものである。先すは「いかにも道に志を深くして清書の本 を習はん程に数奇もすたれ器量をも不及候てとまり候ともさすがに一しきりも習で候はん功不可 空候へは能筆までは不成とも消息一通は見苦しからぬ様に可喜候」と、道の志し深く清書を習え ば・たとえ能筆まで至らずとも消息の一通りは見苦しくないようには書けるであろう。㈹
第一四条は「御筆事」である。「御手習にもよき筆宜候也」とある。筆が手本の筆と相違すれ ば字形も似合わず、手本と相応した筆がよいとする。そもそも筆は料紙によるのである。打紙に は卯毛、ただの紙には鹿毛、檀紙には冬毛、冬毛杉原には夏毛、綾には夏毛、布には木筆なり。
木筆は接木である。上古には多く夏毛が一切通用した。昔の夏毛は殊勝であったが当世は夏毛は 悪くなっている。杉原の外は兎毛を通用するがよいという。( 日〕
第一五条は「御墨事」である。稽古には「藤代墨不可有相違候」と藤代墨が全くよいとする。
から墨は当世に希有である。墨は悪しく置くと上品墨もやがて損じて徒物となる。塗物に入れて
常に払うこととある。(別〕
争共
図(3) 橘行滑『入木抄訳議』の本文一量について
(d〕「御料紙高」「御稽古の時分亭」「入木一芸本朝臭朝に越たる夢」「本朝一体なれども時代に付 て筆跡分明裏」「能■を被用裏」
第一六条は「御料紙事」である。手習いは檀紙が相違ないとある。真物は打紙がよい。常に何 の紙であれ用いるのがよい。初心の時は常に調練のために何組にも書くのがよいとある。(… 〕
第一七条は「御稽古の時分事」は「毎日一時二時など暫町有御沙汰候、凡高機の御計台又他事 御稽古非可被閣候、以之付加被為本之之条勿論候、只可時宜候、但諸道稽古法急に暫働力て功を 入候、手は難候也、一二年も責ては二三百日も先耶火急に御沙汰可燃候、さて其後漸々御沙汰不 可有相違候也」とあり、稽古は毎日一〜二時間など暫くは続けて、一〜二年あるいはせめて二〜
三百日もまず稽古することが必要という。{盟〕
第一八条は「入木一芸本朝異朝に越たる事」である。ここでは「諸道は異朝の風を移すといへ ども手跡事は唐本の説強に不用之行成卿已来累家乃庭訓相続す」とあるように、日本の書が唐の 風を取り入れるてはいるものの入木道では行成以後、書法を継承してきているとする。これは
「口伝之外地説を不用事」とあるように累家が口伝以外に他説を用いなかったからで、近来、宋 の書体の筆体「神妙」ではなく、日本でも公宴、懐紙、繍旨、院宣などすこぶる異体になってい る。また聖教や菩薩の字も「妙物」となっている。他方「本朝は毎時跡を遂で国風を不失血」と する。何事も中国は先代の旧風を改めて、当時の風俗を流布せしめ、筆体、硯の作りようなど古 今異なる様であ乱日本は薬師寺の額を書くのが能書の始まりであ乱その筆体も当世に変わら ず概ね一体であ孔それは筆体がしだいに廃れたる様になり、それ以後道風が相続し、佐理・行 成が道風が筆体を写し取り、「野跡(遺風)、佐跡(佐理)、権跡(行成)兆三賢を末代乃今に至
るまで北道乃規摸として好事面々彼遺風を摸也」したことにより日本の書風が替わらずにきたの
であるという。(珊〕
第一九条は「本朝一体なれども時代に付で筆跡分明事」である。弘法大師前後の手跡はほぼ一 様である。道風以後は野跡の風である。行成卿は道風の跡を写すといへども我様を書き出してい
る。その後は白河、鳥羽時代まで皆、行成の風である。その間はおよそ一四〇〜一五○年ほどで ある。その後、法性寺入道出現し、後嵯峨院までの一○O年間ほどこの法性寺関白の書体である。
弘誓院入道も現れるが法性寺関白の余風であ私法性寺関白の書法は権跡を模したものであ乱 伏見の書跡は近年もてあそばれているが、仮名は法性寺以来の称念院関白の筆体である。真名は 佐理を模したものであ乱行成以後は「皆権跡を写来り柳も筆体不敗候・世時代に随て次第に替 たる様に外像は見れども其実は全く行成卿同物色、更異風を不文化、行成卿以来今の行ヂまで能々 写得たりと見り也」と入木道門流が権跡を写して書体を替えることなく今に伝えて来たことが述
べられている。(別〕
最後の第二○条は「能書を被用事」である。能書について「上古には物を書候へはとて無左右、
清書等に不染筆、其道乃先達にも許され朝家にも被用て書役をも被仰付候様に成て能書とは被言 也」とある。能書の定義を述べたもの。(班〕
以上のように一〜二○条目において「初心御稽古詮要大略」が述べられた。そして「ケ様の事 は道の大事にて候へども口伝をうけ候ぬれば凡人木の道を得候ぬる上には中々やすき事に候、只 近々正路に打向て稽古を沙汰し置候事難き事にて候也」と入木道の口伝を受けたとはいうものの、
あくまでも正面から打ち向かって稽古することが大切と締めくくられている。そして「入木抄」
の書かれた文和元年一一月一五日の日付が付されている。
巻末に「本朝書傳立立入木道相承之図」が添付されている。とくに入木道の系統として行成(入 木道相承大祖)一行経一伊房一定實一定信一伊行一伊経一行能一経朝一経チー行房一行チー行忠一 行季と継承され、当時では基規が持明院流、青蓮院宮尊円法親王、實材が清水谷一流祖に分流し ている。そのなかの青蓮院宮尊円法親王が御家流の祖となったものである。
おわりに
本稿では本学所蔵の国書、橘行精『入木抄釈義』(嘉永7年刊)をとりあげて手習稽古の初心 者にむけて論じられた基本の要点を整理した。この『入木抄釈義』とは書道の国書『入木抄』を もとに解説されたものである。『入木抄」とは文和元年(1352)に青蓮院宮尊円法親王が後光厳 天皇に対して手習稽古初めにあたり、書道の基本を述べて上呈したものである。手習稽古初めに あたり筆の取り方から筆勢、筆の遣い方、硯、墨の選択の仕方、さらに手本は古来からの能筆の 書体を習うこと、その能筆とされる日本と中国との差異、日本は能筆を口伝として替らず相伝し てきた特質、書の稽古は休まず継続して行うことで上達することなど、人木道相伝の内容を簡潔 に要点をまとめて述べている。橘行精『入木抄釈義」の春への姿勢も高潔であったことも例える。
また筆者は別稿において江戸初期に発刊された笹山梅庵『手習社用集』(元禄6年刊一1693)
をとりあげ、庶民の手習稽古初めにあたる基本となる要点をまとめた内容を検討したが、その内 容は本書『入木抄釈義』の内容と重なる部分が少なくない。初心者むけの基本を述べるという重 なりもあるが、『入木抄』を基本とした入木道が江戸時代に御家流として公式書体に採用された ことによる庶民の手習稽古手本として需要が高まり求められたのではなかろうか。
さらに江戸中期には文字を読める多数の庶民にむけて著わされたとされる貝原益軒著『和俗童 子訓」(宝永7年一1710)(舶)には巻之四「手習法」に著された内容も重なる部分が多い。近世の 儒学者が庶民にむけて啓蒙的に著した教育論も手習稽古に関しては『入木抄』をもとに詳説して
いるとも推測でき乱詳細な検討は今後の課題としたい。
注
(1)拙稿「本学所蔵の往来物・文筆手本類等の研究」『奈良教育大学教育研究所紀要』36号 2000年 43−53頁
(2)拙稿「本学所蔵の江戸時代和書の検討一往来物、地誌、随筆、書道などに関する和書を 中心に一」『奈良教育大学紀要』49巻第1号 2000年 191−201頁
(3)拙稿「江戸時代初期の和書にみる手習い稽古論一本学所蔵本を対象として一」奈良教育 大学/学校教育講座/教育学・教育史/梅村研究室編『奈良教育史研究』第6号 2000年 1−16頁
(4)『国書総目録 第四巻 し』324頁 1966年8月30日発刊 岩波書店
(5)『国書総目録 第四巻 し』323−324頁
(6)『国史大辞典 7』398−399頁 1986年11月20日発刊 吉川弘文館
(7)橘行橋『人木抄釈義』7丁、此の取り様については「もろこしにて単鈎といふ、古く伝は るなるへし、世に富よりかく取りはじめ給ふといへるは非なり」の注記あり。
(8) 同上 8丁
(9) 同上 8丁
(10) 同上 8〜9丁、先哲の行跡についてr古賢先哲も皆古の能書をいふ、また 心に本づくも行跡に随ぶも同じ義なり、但此ところもっとも肝要なるが故に文をかへてか さねてしるし給へるなり」と自由に先哲の行跡に随うことを、ことばをかえて強調してい る。
(11) 同上 9〜11丁、古賢は浮雲、龍蛇などの生き物を打ち立っ所、引き終わる
点などに心を止めて書くなりとの注記あり。
(12) 同上 11〜13丁
(13) 同上 13〜14丁
(14) 同上 14丁、「行書は後漢の劉徳升が作れり所なり、簡易にしたがひ真と相 まじへて流行する故に行書とふといへり」との注記がされている。また草書についても 「草といふことは孔子の禅椹草創すとの給ひし草字の義のこととあり、草創は合いふ草案 なり、草は漢の和よりあれど、これを作れる入さだかならず」との注記もある。
(15)前掲書『入木抄釈義」14〜15丁
(16) 同上 15丁
(17) 同上 15〜16丁・「三賢」とは道風、佐理・行成のことの注記あ㌦
(18) 同上 16〜18丁、「往来」とは「藤原明衡か明衡往来に始るなるへし、よをこ たふるの文をたくみに作りて消息の法とせしもの也」との注記がある。
(19) 同上 18丁
(20) 同上 18〜19丁、藤代墨について「墨のはじめは藤代なりといへり、著聞集に 後白河院三熊詣に藤代宿につりをし給ぶとき花山院左府松姻をみてその様除目の執筆の定 なりと感じ給へるよし党へたり」と注記あり。また、から墨は「三韓墨にて唐墨に非ず」
とも記されている。
(21)前掲書19丁
(22)同上19〜20丁、この項目は篇目ではr手本用捨事」の条文の前にありとの注記あり。
(23)同上20〜21丁、妙物学とは略字、又は省字ともいふ、又僑字あり、正字、俗字あり、これ らも知りわけて書くべし、強いて正字にかかわるも至らぬもののわざなり、義之は筆にも 増を智と書けり、智は俗字なり、古賢に此の類多しとの注記あり。
「魚養」とは能書伝ともいうとある。
(24)前掲書23〜24丁
(25)前掲書24丁
(26)貝原益軒著・石川謙校訂『養生訓・和俗童子訓』254−263頁 1961年1月5日刊 岩波文 庫