19世紀ドイツにおける共同体と宗教(3)
著者名(日) 渡部 壮一
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 43
ページ 77‑89
発行年 1999‑09‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000827/
論
一九世紀ドイツにおける共同体と宗教⑥ 説
シュライエルマッヘルの共同体論
渡 部 壮 一
一 序
一一
三
四 五
目 次 理論的諸前提 ⁝⁝自然・共同・超越⁝⁝
歴史的諸前提 ︵以上・第38号︶
文化と宗教
シュライエルマッヘルの宗教論 ︵以上・第40号︶
超越的決断の共同体の解体と政治的決断の共同体の誕生
一77一
世紀ドイツにおける共同体と宗教
77論
一九世紀ドイツにおける共同体と宗教川 説
││シュライエルマッヘルの共同体論│││
目
次 五 四 三 二 一 序
: : 自 然 ・ 共 同 ・ 超 越
( 以
上 ・
第 お
号 )
理論的諸前提
歴史的諸前提
文化と宗教
シュライエルマッヘルの宗教論(以上・第 ω
号 )
超越的決断の共同体の解体と政治的決断の共同体の誕生
渡 部 壮
ー 77‑
法学論集 43〔山梨学院大学〕 78
五 超越的決断の共同体の解体と政治的決断の共同体の誕生
シュライエルマッヘルの思想は︑前述したように︑文化が政治革命の熱狂をも包摂する一九世紀ドイツの文化を
背景として登場した︒さらに︑近代的人間観から結果として導引される世界創造という壮大なドラマを哲学的に背
後から支えたドイツ観念論の超越論的見解が︑彼の神学を人口に膳灸するのに大きく貢献したと言ってよい︒それ
は︑社会の基礎であり原型としての教会を︑新たな国民国家に相応しい実在として鋳直す彼の意図が時代に受け入
れられたことをも意味した︒しかし︑教会と言う実在は︑新たな国民国家建設の構想からはあまりにも古びたもの
であった︒新たな国民国家の構想は︑領邦教会から固有の決断領域を確定することにより形成されてきた︒この構
想は︑政治的な決断の領域を領邦教会の宗教的決断領域から明確に切り離そうとする努力がなされることにより︑
統治権力の絶対的主権性と政治社会の形成との一致を目指すものであった︒にもかかわらず︑この古い実在を新た
な構想へ組み入れる作業をシュライエルマッヘルは︑どのように行ったのであるか︒あるいは︑なぜ新たな構想に
古い実在が必要であったのか︒新たな国民国家建設の際に実行された宗教的決断からの政治的決断の固有な領域獲
得の問題は︑いかなる結末を導引したのであろうか︒
この点を検討するのに避けることが出来ないのは︑彼の思想形成がロマン主義から影響を受けたと言う事実であ
パこ
る︒なぜなら︑時問と空問の無意識な拘束を脱して自由に人問の創造の領域を認識することにより︑全く新たな共
同体の最小構成単位としての個人における文化創造の可能性をを示したのはカントであるが︑それを批判し続けた
一78一
78
五
超越的決断の共同体の解体と政治的決断の共同体の誕生
43
(山梨学院大学〕
シュライエルマッヘルの思想は︑前述したように︑文化が政治革命の熱狂をも包摂する一九世紀ドイツの文化を
背景として登場した︒さらに︑近代的人間観から結果として導引される世界創造という壮大なドラマを哲学的に背
後から支えたドイツ観念論の超越論的見解が︑彼の神学を人口に膳笑するのに大きく首ハ献したと言ってよい︒それ
法学論集
は︑社会の基礎であり原型としての教会を︑新たな国民国家に相応しい実在として鋳直す彼の意図が時代に受け入
れられたことをも意味した︒しかし︑教会と言う実在は︑新たな国民国家建設の構想からはあまりにも古びたもの
‑78 ‑
であった︒新たな国民国家の構想は︑領邦教会から固有の決断領域を確定することにより形成されてきた︒この構
想は︑政治的な決断の領域を領邦教会の宗教的決断領域から明確に切り離そうとする努力がなされることにより︑
統治権力の絶対的主権性と政治社会の形成との一致を目指すものであった︒にもかかわらず︑この古い実在を新た
な構想ヘ組み入れる作業をシュライエルマッヘルは︑︑どのように行ったのであるか︒あるいは︑なぜ新たな構想に
古い実在が必要であったのか︒新たな国民国家建設の際に実行された宗教的決断からの政治的決断の固有な領域獲
得の問題は いかなる結末を導引したのであろうか︒
この点を検討するのに避けることが出来ないのは︑彼の思想形成がロマン主義から影響を受けたと言う事実であ
石︒なぜなら︑時間と空間の無意識な拘束を脱して自由に人間の創造の領域を認識することにより︑全く新たな共
同体の最小構成単位としての個人における文化創造の可能性をを示したのはカントであるが︑それを批判し続けた
7919世紀ドイツにおける共同体と宗教(3)
哲学こそドイツ・ロマン主藻であったからである︒ロマン主義は︑主権と政治社会との一致の理想を過去の国家像
に求めた︒そして︑確かに思想史上︑シュライエルマッヘルの思想が︑ロマン主義の影響を受けて成立したことは
相違ないことだからである︒実際︑彼はフリードリヒ シュレーゲル︵問膏鼠3<9誓露畠o=刈認〜一〇 ︒8︶と親交
があつく︑カント哲学を基礎とするフィヒテ哲学への批判的と言うよりも攻撃的とも言える姿勢においてドイツ・ パぽ ロマン主義と共同の論戦をはったのである︒しかし︑シュライエルマッヘルの思想的立場は︑彼らの立場とは異な
る彼固有の世界を表現した︒それは︑どの点に関して異なるのであろうか︒
初期ロマン主義の思想圏におけるこれらの思想家に共通した点は︑﹃知識学あるいはいわゆる哲学の概念につい
て﹄︵一七九四︶に代表される初期のフィヒテ知識学への接近と︑それからの離反とである︒シュライエルマッヘ
ルは︑ロマン主義者達が知識学に接近した時期に彼らから影響を受けて共感し︑彼らが知識学に対する批判の姿勢
を強めると︑彼らから距離をとりつつ彼固有の思想世界を形成した︒従って︑フィヒテの初期知識学への接近に関
しては︑彼はロマン主義者たちと歩調を同じくしたが︑その離反に関しては同じではない︒むしろ︑後者の時期に
シュライエルマッヘルは︑彼固有の思想を形成したのである︒彼は︑ロマン主義が初期知識学を挺子にカント主義
を批判している時期に共感を示し︑後にロマン主義がその思想の具体的な構想実現の素材として過去の国家を取り
上げてきた時期にその思想潮流から訣を分けたのである︒なぜなら︑彼の素材は︑過去のものではなく︑現に存在
する教会であったからである︒
ドイツ・ロマン主義は︑何故過去の国家像を理想としたのであろうか︒それは︑ロマン主義に特徴的な精神態度
であるアイロニーの思考形式によると思われる︒F・シュレーゲルは︑作品における著者の意図が未達成であるこ
一79一
哲学こそドイツ・ロマン主義であったからである︒ ロマン主義は︑主権と政治社会との一致の理想を過去の国家像
に求めた︒そして︑確かに思想史上︑ シュライエルマッヘルの思想が︑ ロマン主義の影響を受けて成立したことは
相違ないことだからである︒実際︑彼はフリードリヒ
( 司 号
E n F g D W
目 F
指 巴 口 吋 N i g N C )
と親交 シュレ l ゲ ル
カント哲学を基礎とするフィヒテ哲学への批判的と言うよりも攻撃的とも言える姿勢においてドイツ・
ロマン主義と共同の論戦をはったのでああ︒しかし︑シユライエルマッヘルの思想的立場は︑彼らの立場とは異な が
あ っ
く ︑
る彼固有の世界を表現した︒それは︑どの点に関して異なるのであろうか︒
初期ロマン主義の思想圏におけるこれらの思想家に共通した点は︑﹃知識学あるいはいわゆる哲学の概念につい
て ﹄
(一七九四)に代表される初期のフィヒテ知識学への接近と︑それからの離反とである︒
‑79 ‑
シュライエルマッヘ
世紀ドイツにおける共同体と宗教(
し ま
︑ J l
ロマン主義者達が知識学に接近した時期に彼らから影響を受けて共感し︑彼らが知識学に対する批判の姿勢
を強めると︑彼らから距離をとりつつ彼固有の思想世界を形成した︒従って︑ ブィヒテの初期知識学への接近に関
しては︑彼はロマン主義者たちと歩調を同じくしたが︑その離反に関しては同じではない︒むしろ︑後者の時期に
シュライエルマッヘルは︑彼固有の思想を形成したのである︒彼は︑ ロマン主義が初期知識学を挺子にカント主義
を批判している時期に共感を示し︑後にロマン主義がその思想の具体的な構想実現の素材として過去の国家を取り
上げてきた時期にその思想潮流から挟を分けたのである︒なぜなら︑彼の素材は︑過去のものではなく︑現に存在
する教会であったからである︒
ドイツ・ロマン主義は︑何故過去の国家像を理想としたのであろうか︒それは︑ ロマン主義に特徴的な精神態度
79
であるアイロニーの思考形式によると思われる︒ F
・ シ
ュ レ
l ゲルは︑作品における著者の意図が未達成であるこ
法学論集 43〔山梨学院大学〕 80
パゑ とをロマン的アイロニーと呼んだ︒それは︑ロマン主義固有の美的態度である︒ついに︑その意図が未達成に終わ
ると言うことは︑永遠の憧れを獲得することでもある︒ロマン的憧れは︑カント哲学における永遠の目的の王邸と
いう単なる理念︑もしくは夢を指示しない︒永遠に到達できない苦悩を自らに課すこと︑その限りでの現実感覚か パぜ ら逃走しないことこそがロマン主義の精神態度であると言えよう︒
しかし︑ロマン主義者が決して同時に存在することの無い過去の国家を︑自らの美的思考形式を獲得するために︑
現実に対峙させ自由を要請すればするほど︑彼等の国家観は︑一定の形式に固定されざるを得なかった︒彼等の国
家への理想は︑様々な変容があるとしても︑現実の神聖ローマ帝国やその後のナポレオンによる鉄の政治に対する パヱ ドイツ固有の共和政治の実現にあったと思われる︒しかし︑この理想と彼等がそのモデルを求めた過去の国家像と
は︑およそかけ離れたものであった︒
過去の政治形態に彼等が見出したのは︑せいぜい中世における封建制を前提とする君主制や彼等の同時代にはそ
ぐわない古代ギリシャの貴族制であった︒ドイツ・ロマン主義における自由観は︑その論理の内在において自己分
裂を抱えざるを得なかったのである︒
人間の本質としての自由の理論化における自己分裂は︑彼等においては直ちに自由観の分裂とはならない︒新た
な共和制への理想と過去の遺物との政治制度における一致ではなく︑その同一へ向けての憧れを無限な運動として
内在化するのである︒こうしたロマン的超越と言える精神態度は︑結局精神の本質である自由と彼等を拘束する自
然の秩序の本質である必然との同一を目指すシェリング︵問幕ま9≦旨oぎ冒器℃げω魯①臣鑛嵩謡〜一〇 ︒漣︶におけ
る同一哲郭を準備する土壌となった︒確かに︑シェリングは精神と自然との同一の実在を目指したが︑そのために
一80一
80
とをロマン的アイロニーと呼ん問︒それは︑ ロマン主義国有の美的態度である︒
ると言うことは︑永遠の憧れを獲得することでもある︒ ついに︑その意図が未達成に終わ
ロマン的憧れは︑カント哲学における永遠の目的の王箆と
43 (山梨学院大学〕
いう単なる理念︑もしくは夢を指示しない︒永遠に到達できない苦悩を自らに課すこと︑その限りでの現実感覚か
ら逃走しないことこそがロマン主義の精神態度であると言えよ%︒
しかし︑ロマン主義者が決して同時に存在することの無い過去の国家を︑自らの美的思考形式を獲得するために︑
現実に対峠させ自由を要請すればするほど︑彼等の国家観は︑ 一定の形式に固定されざるを得なかった︒彼等の国
法学論集
家への理想は︑様々な変容があるとしても︑現実の神聖ロ l マ帝国やその後のナポレオンによる鉄の政治に対する
ドイツ固有の共和政治の実現にあったと思われお︒しかし︑この理想と彼等がそのモデルを求めた過去の国家像と
‑ 80ー
は︑およそかけ離れたものであった︒
過去の政治形態に彼等が見出したのは︑せいぜい中世における封建制を前提とする君主制や彼等の同時代にはそ
ぐわない古代ギリシャの貴族制であった︒ドイツ・ロマン主義における自由観は︑その論理の内在において自己分
裂を抱えざるを得なかったのである︒
人間の本質としての自由の理論化における自己分裂は︑彼等においては直ちに自由観の分裂とはならない︒新た
な共和制への理想と過去の遺物との政治制度における一致ではなく︑その同一ヘ向けての憧れを無限な運動として
内在化するのである︒こうしたロマン的超越と言える精神態度は︑結局精神の本質である自由と彼等を拘束する自
( 司 ユ 怠 ユ 各 者 向
‑ F
巳 B
﹄ ︒ ω o u r m 各
‑ 巴 z m H
吋吋印
i H
∞ 忠
) に
お け
然の秩序の本質である必然との同一を目指すシェリング
る同一哲告を準備する土壌となった︒確かに︑シェリングは精神と自然との同一の実在を目指したが︑そのために
81 19世紀ドイツにおける共同体と宗教(3)
精神と自然との明確な区別を失った︒それに対して︑ロマン的精神態度は︑一切の同一を目指す点においてシェリ
ングと同じ立場をとったが同一の実体ではなく︑同一を求める無限の運動を求めたと言えよう︒シュライエルマッ
ヘルは︑この無限の精神による観念的な運動に過去のものではない現実の実体を与えようとした︒シェリングが観
念における実体を求めたのに対して︑シュライエルマッヘルは現実の実体である教会に求めたと言える︒しかも︑
彼は内在的な自己充足から表現することにより激しく現実と対決しようとするロマン的超越ではなく︑神的超越に
よる外在への無限の運動を主張した︒以下では︑ドイツ・ロマン主義の精神態度から決別したシュライエルマッヘ
ルの精神態度について論じる︒
ベンヤミン︵≦聾震望三曽ヨぎ一〇 ︒8〜一逡O︶の﹃ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念U①﹃望讐匡q震
囚琶の爵葺騨置α震号葺ω9窪寄ヨき臨置 一九一九に依拠すると︑ロマン主義者達が初期知識学に共感した点
カゆニのおけのコ
は︑反省という概念においてであるという︒その共感は︑カントの提示した次の思惟形式︑即ち意識的な認識の
世界に人間の実践と美的判断の可能性を限定したことへのほぽ非難に近い批判から出た︒それは︑カントが﹁知的
直感と言うものの思惟可能性と同時に︑経験の領土における知的直感の不可能性を主張ぱしたことから始まったと
言える︒そして︑﹁この知的直感の概念を哲学にたいして︑その最高の諸要求の保証としてもういちど取りもどそ
うとするさまざまな︑ほとんど熱狂的な努力があらわれ㍍ぽのである︒このような思想潮流こそフィヒテとその哲
学に共感したドイツ・ロマン主義であった︒
しかし︑両者の間には︑決定的な相違が存在した︒フィヒテの一七九四年の﹁知識学﹂に拠れば︑知識学は︑あ
るものに関する学問である︒この学問が成立するためには︑存在する全資料を自由な知性の必然的行為によって内
一81一
精神と自然との明確な区別を失った︒それに対して︑ ロマン的精神態度は︑ 一切の同一を目指す点においてシェリ
ングと同じ立場をとったが同一の実体ではなく︑同一を求める無限の運動を求めたと言えよう︒シュライエルマッ
ヘルは︑この無限の精神による観念的な運動に過去のものではない現実の実体を与えようとした︒ シェリングが観
念における実体を求めたのに対して︑ シュライエルマッヘルは現実の実体である教会に求めたと言える︒しかも︑
彼は内在的な自己充足から表現することにより激しく現実と対決しようとするロマン的超越ではなく︑神的超越に
よる外在への無限の運動を主張した︒以下では︑ドイツ・ロマン主義の精神態度から決別したシユライエルマッへ
ルの精神態度について論じる︒
ベンヤミン
( 巧 包 件
︒ ﹃ ∞
σ 旦
m w B
宮 同
∞ 匂
N 1 5 さ )
‑ 81‑
﹃ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念
u q
回高ユ時弘
2
の
19
世紀ドイツにおける共同体と宗教(
3)開 ハ ロ ロ
ω
片付江
巳}
内山
口︻
目︒
ぺ島
内山
口宮
わ﹃
角川
口問
︒
B
m g
z w
﹄
問 ︒
20MM
︒ ロ
は︑反省という概念においてであるという︒その共感は︑ カントの提示した次の思惟形式︑即ち意識的な認識の 一九一九に依拠すると︑ ロマン主義者達が初期知識学に共感した点
世界に人間の実践と美的判断の可能性を限定したことへのほぼ非難に近い批判から出た︒それは︑カントが﹁知的
直感と言うものの思惟可能性と同時に︑経験の領土における知的直感の不可能性を主害したことから始まったと
言える︒そして︑﹁この知的直感の概念を哲学にたいして︑その最高の諸要求の保証としてもういちど取りもどそ
うとするさまざまな︑ほとんど熱狂的な努力があらわれ b のである︒このような思想潮流こそブィヒテとその哲
学に共感したドイツ・ロマン主義であった︒
しかし︑両者の聞には︑決定的な相違が存在した︒ ブィヒテの一七九四年の ﹁知識学﹂に拠れば︑知識学は︑あ
81
るものに関する学問である︒この学問が成立するためには︑存在する全資料を自由な知性の必然的行為によって内
法学論集 43〔山梨学院大学〕 82
容としての意識的形式としなくてはならない︒フィヒテは︑この行為を反省と呼ぶ︒それゆえに︑フィヒテに拠れ
ば︑反省は﹁原始定立︑根源存在の中へ移され㍍ぱのである︒一切の知と実践とが﹁自我3巴3﹂において反省
により基礎付けられる︒
ロマン主義的反省とは︑恣意的ではなく必然的な思惟の無限な形式である︒ベンヤミンの前提書に拠れば︑ロマ のヱげのの ン主義は︑フィヒテ哲学のように反省を存在論的な絶対的定立の内にではなく︑現象としての自己思惟に位置付け
るのである︒この自己思惟は︑一切の存在論的定立から自由であるために無限に形式を生み出す︒反省とは︑無限
に﹁形式を産出する思惟﹂である︒原理的には︑このような思惟形式からは︑シュライエルマッヘルの求めた神概
念は導引されない︒カントがあえて語るのを止めて︑フィヒテがその思想の根拠に据えた領域としての神的世界を
ロマン主義は︑その思考の全体から放逐したのである︒その意味に限定してその思想潮流を反省すると︑ロマン主
義の思惟形式は︑無意識の領域も考慮に入れた人間の観念と活動の領域に限定して思考する現代思想の一源泉であ
ると言える︒
しかし︑このロマン主義の思考形式は︑観念と活動との混沌とした同一を導かざるを得なかった︒フィヒテの思
想では︑観念と活動との根拠としての神的世界秩序が︑両者を明確に区別し関連させるのである︒フィヒテの超越
とは︑両者の根拠に︑もしくは根拠から世界の秩序を思考し活動することである︒しかし︑ロマン主義の超越とは︑
世界の根拠を問うことではなく︑観念と活動とを一度に統合する直感にある︒その結果︑ロマン主義的思惟形式は︑
世界の根拠として理解された﹁神を殺し蛉ぽのである︒
しかし︑シュライエルマッヘルにおいては︑われわれが必要とし求め尋ねる神概念に神を限定することは︑神を
一82一
8 2
容としての意識的形式としなくてはならない︒フィヒテは︑この行為を反省と呼ぶ︒それゆえに︑
ば︑反省は﹁原始定立︑根源存在の中ヘ移され会のである︒ フィヒテに拠れ
一切の知と実践とが﹁自我品
g r E
において反省
43 [山梨学院大学〕
により基礎付けられる︒
ロマン主義的反省とは︑恋意的ではなく必然的な思惟の無限な形式である︒べンヤミンの前提書に拠れば︑ロマ
フィヒテ哲学のように反省を存在論的な絶対的定立の内にではなく︑現象としての自己思惟に位置付け
ン 主
義 は
︑
るのである︒この自己思惟は︑ 一切の存在論的定立から自由であるために無限に形式を生み出す︒反省とは︑無限
法学論集
に﹁形式を産出する思惟﹂である︒原理的には︑このような思惟形式からは︑シュライエルマッヘルの求めた神概
念は導引されない︒カントがあえて語るのを止めて︑ フィヒテがその思想の根拠に据えた領域としての神的世界を
‑ 82
ーロマン主義は︑その思考の全体から放逐したのである︒その意味に限定してその思想潮流を反省すると︑
ロ マ
ン
L
王
義の思惟形式は︑無意識の領域も考慮に入れた人間の観念と活動の領域に限定して思考する現代思想の一源泉であ
る と
言 え
る ︒
しかし︑このロマン主義の思考形式は︑観念と活動との混沌とした同一を導かざるを得なかった︒フィヒテの思
想では︑観念と活動との根拠としての神的世界秩序が︑両者を明確に区別し関連させるのである︒ フィヒテの超越
とは︑両者の根拠に︑もしくは根拠から世界の秩序を思考し活動することである︒しかし︑ロマン主義の超越とは︑
世界の根拠を問うことではなく︑観念と活動とを一度に統合する直感にある︒その結果︑ロマン主義的思惟形式は︑
世界の根拠として理解された﹁神を殺し台のである︒
しかし︑シュライエルマッヘルにおいては︑われわれが必要とし求め尋ねる神概念に神を限定することは︑神を
偶像とするに等しいものと思われた︒それらは︑﹁空虚な神話﹂にすぎない︒この世界の一切の出来事を﹁神の行
為﹂として直感することが宗教と呼ばれる現象に他ならない︒
彼の思想とロマン主義との関係は︑彼の思想を構成する枠組みをネオ・プラトニズムに影響を受けた一八世紀後
半から一九世紀初頭の思想潮流であったドイツ観念論への批判において理解されねばならない︒なぜなら︑シュラ
イエルマッヘルに拠れば︑彼の主張する宗教とは︑﹁すべての個物を全体の一部として︑すべての制限されたもの
を無限なるものの表現として受け取鮪げことであり︑すべてを本質から﹁放出し産出するものと﹂する神話的な形
式から一線を画するものだからである︒そして︑諸物と諸現象とをそれらの普遍的な本質から説明しようとする思
想形式は︑ドイツ観念論の基本的な形式であるからである︒
世界の一切を神の表象として全体へ位置付けようとするシュライエルマッヘルの思考様式は︑彼の思想の内容を
決定する唯一の要因である︒即ち︑彼の思想は︑認知不可能な超越した存在の根拠を問うのではなく︑またそれを
証明しようとするのでもなく︑まさに超越した存在の根拠の表象として共同体の内に表現された文化としての宗教
を論ずることに終始したのである︒その限りで︑シュライエルマッヘルは︑ロマン主義のように近代主義を批判す
ることに彼の思想の本意をおいたのではない︒彼は︑その思想を近代社会の中に位置付けようとしたのである︒
さらに︑彼の思想形成において重要な条件は︑政治権力との関係であった︒なぜなら︑共同において超越を思考
する場合︑第一に問題として浮上してくるのは︑我々が如何にして超越的な存在の根拠をダイナミックな文化形式
として読み込んだのかと言うことだからである︒それは︑ただちに国家の神話を生むであろう︒国家の神話とは︑
国家の側から信仰を解釈したものに他ならないからである︒従って︑宗教は国家の権勢の内に位置付けられる︒そ
一83一
偶像とするに等しいものと思われた︒それらは︑﹁空虚な神話﹂にすぎない︒この世界の一切の出来事を﹁神の行
為﹂として直感することが宗教と呼ばれる現象に他ならない︒
彼の思想とロマン主義との関係は︑彼の思想を構成する枠組みをネオ・プラトニズムに影響を受けた一八世紀後
半から一九世紀初頭の思想潮流であったドイツ観念論への批判において理解されねばならない︒なぜなら︑シュラ
イエルマッヘルに拠れば︑彼の主張する宗教とは︑﹁すべての個物を全体の一部として︑すべての制限されたもの
を無限なるものの表現として受け取会ことであり︑すべてを本質から﹁放出し産出するものと﹂する神話的な形
式から一線を画するものだからである︒そして︑諸物と諸現象とをそれらの普遍的な本質から説明しようとする思
想形式は︑ドイツ観念論の基本的な形式であるからである︒
‑ 83ー
世界の一切を神の表象として全体ヘ位置付けようとするシュライエルマッヘルの思考様式は︑彼の思想の内容を
決定する唯一の要因である︒即ち︑彼の思想は︑認知不可能な超越した存在の根拠を問うのではなく︑またそれを
証明しようとするのでもなく︑まさに超越した存在の根拠の表象として共同体の内に表現された文化としての宗教
を論ずることに終始したのである︒その限りで︑シュライエルマッヘルは︑ ロマン主義のように近代主義を批判す
ることに彼の思想の本意をおいたのではない︒彼は︑その思想を近代社会の中に位置付けようとしたのである︒
さらに︑彼の思想形成において重要な条件は︑政治権力との関係であった︒なぜなら︑共同において超越を思考
する場合︑第一に問題として浮上してくるのは︑我々が如何にして超越的な存在の根拠をダイナミックな文化形式
として読み込んだのかと言うことだからである︒それは︑ただちに国家の神話を生むであろう︒国家の神話とは︑
国家の側から信仰を解釈したものに他ならないからである︒従って︑宗教は国家の権勢の内に位置付けられる︒そ
法学論集 43〔山梨学院大学〕 84
れを拒否することは︑この超越的な存在根拠としての神における信仰の事実を共同の内に解釈することの不可能を
決断することであり︑あくまで信仰と明確に区別された表象としての宗教を共同の内に位置付けることである︒彼
が︑その超越的思考の暫定的条件として権力の問題を考えたのには︑現代にまで至る理論的前提がある︒以下︑少
しくその前提について論じる︒
元来︑人間の思考内容は多様であるが︑無秩序ではない︒我々の思考は︑世界の認識と否定︑そして再生産を繰
り返す︒この世界は︑価値の総体である︒価値は︑関係性の総体でもある︒その関係は︑﹁自我﹂と共同Ooヨo一器︑
﹁自我﹂と自然Z彗ξ︑﹁自我﹂と超越↓轟霧器巳①目&角甲きの器且窪貫巨とが我々の認識の問題に抵触する関係の
全体として挙げる事が出来るであろう︒この三位一体は︑世界認識の方法匡o跨o号ではなく︑認識全体の環境︵ミ パき リュー︶である︒
近代的思考形式は︑元来認識主体としての﹁自我﹂と認識対象としての共同︑自然︑超越とを区別した上で︑
﹁自我﹂の本質である自由と区別された必然をこの三領域の本質的な性質として扱おうとしてきた︒その結果︑こ
の三領域は︑機能主義的な実証科学の対象となる︒科学的対象は︑その前提として理解と認識との領域において把
握可能な事象に限定する︒それのみではなく︑理解と認識との対象とならない事象に対しても︑可能な限りその領
域を柔軟に拡大および改変させながら︑その領域において対象化させようと試みる︒その意味で科学は︑理解可能
と言う前提条件をその本質的性格として持つのである︒従って︑理解不可能性を本質とする超越領域は︑科学にと ハぎ って対抗原理となる︒フロイトは︑自らの科学的方法論における第一の課題を宗教的世界観との対決においた︒フ
ロイトにおいて︑﹁自我﹂の共同の問題における︑政治権力のリアリティこそ人間の共同にとって最大の他の領域
一84一
84
れを拒否することは︑この超越的な存在根拠としての神における信仰の事実を共同の内に解釈することの不可能を
決断することであり︑あくまで信仰と明確に区別された表象としての宗教を共同の内に位置付けることである︒彼
43
(山梨学院大学〕
が︑その超越的思考の暫定的条件として権力の問題を考えたのには︑現代にまで至る理論的前提がある︒以下︑少
しくその前提について論じる︒
元来︑人間の思考内容は多様であるが︑無秩序ではない︒我々の思考は︑世界の認識と否定︑そして再生産を繰
り返す︒この世界は︑価値の総体である︒価値は︑関係性の総体でもある︒その関係は︑﹁自我﹂と共同のめ自色号︑
法学論集
﹁ 自 我 ﹂ と 自 然 Z 巳号︑﹁自我﹂と超越寸 E ロ
ω N g
色
g N
︒門
戸︒
﹃同
S ロ
︐ω N g
仏
g
g E
とが我々の認識の問題に抵触する関係の
全体として挙げる事が出来るであろう︒この三位一体は︑世界認識の方法冨
Z E
号ではなく︑認識全体の環境(ミ
リ ユ
L
叩 )
で あ
る ︒
‑84‑
近代的思考形式は︑元来認識主体としての﹁自我﹂と認識対象としての共同︑自然︑超越とを区別した上で︑
﹁自我﹂の本質である自由と区別された必然をこの三領域の本質的な性質として扱おうとしてきた︒その結果︑こ
の三領域は︑機能主義的な実証科学の対象となる︒科学的対象は︑その前提として理解と認識との領域において把
握可能な事象に限定する︒それのみではなく︑理解と認識との対象とならない事象に対しても︑可能な限りその領
域を柔軟に拡大および改変させながら︑その領域において対象化させようと試みる︒その意味で科学は︑理解可能
と言う前提条件をその本質的性格として持つのである︒従って︑理解不可能性を本質とする超越領域は︑科学にと
って対抗原理となる︒フロイトは︑自らの科学的方法論における第一の課題を宗教的世界観との対決においが)︒ブ
ロイトにおいて︑﹁自我﹂の共同の問題における︑政治権力のリアリティこそ人間の共同にとって最大の他の領域
85 19世紀ドイツにおける共同体と宗教(3)
を統合する認識の基盤である︒フロイト以降︑自然と超越とを共同のリアリティとしての政治権力の内部に位置付
ける作業がなされた︒第一に共同のうちに位置付けられた自然は︑エコロジー論を生じさる基礎作業を促進させた︒
第二に共同のうちに位置付けられた超越は︑二〇世紀に特徴的な国家の神話を生んだ︒
自然を共同のうちに権力を背後に規定しなおす作業は︑近代の自然観の本質的な転換を意味するのではなく︑再
解釈である︒すなわち︑近代的自然観は︑自然を必然的な観察の対象とすることにより︑自由が本質である観察者
の主体による人問の文化の世界を誕生させたと言える︒この思考形式は︑近代におけるヒューマニズムの原型を形
成させたのである︒フィヒテに拠れば︑人間の自由な文化活動が自然と言う素材を使用して我々の環境を創造する
のである︒エコロジi論は︑この近代における思考形式を逆転させて︑人間の側から自然への働きかけを考慮に入 パを れながら︑原則的には環境としての自然が我々を創造していることを強調するのである︒
この立場の特徴は︑第一には自然が環境として我々の存在の条件を形成するとしても︑人間の側からの積極的な
自然への働きかけなしにその条件が生じないとする以上︑人問社会を自然発生的に捉えない点で伝統的共同体論と
挟を分けていることである︒その意味で近代的思考形式を踏襲していると言える︒第二には︑我々の存在を条件付
けている自然を︑人間の積極的な働きかけの結果環境と規定すると言うことから︑自然を環境と読み込む思考にお
ける前提を我々が我々の共同の条件により創造せねばならないと言う点である︒
自然は︑共同体の制度的な条件や法規の論理の条件に基づいて鋳直されなくては︑政治的・法的決断の具体的
︵現実的であるか否かは判断が困難であるが︶な卓上に上らないのである︒こうした自然の共同体内部の規範への
読み替えは︑それがいかに稚拙な論理により弁証されようと︑いかに巧妙で精緻な合意の論理に基づこうと︑我々
一85一
を統合する認識の基盤である︒ブロイト以降︑自然と超越とを共同のリアリティとしての政治権力の内部に位置付
ける作業がなされた︒第一に共同のうちに位置付けられた自然は︑エコロジー論を生じさる基礎作業を促進させた︒
第二に共同のうちに位置付けられた超越は︑二 O 世紀に特徴的な国家の神話を生んだ︒
自然を共同のうちに権力を背後に規定しなおす作業は︑近代の自然観の本質的な転換を意味するのではなく︑再
解釈である︒すなわち︑近代的自然観は︑自然を必然的な観察の対象とすることにより︑自由が本質である観察者
の主体による人間の文化の世界を誕生させたと言える︒この思考形式は︑近代におけるヒューマニズムの原型を形
成させたのである︒ フィヒテに拠れば︑人聞の自由な文化活動が自然と言う素材を使用して我々の環境を創造する
19
世紀ドイツにおける共同体と宗教(
3)のである︒エコロジー論は︑この近代における思考形式を逆転させて︑人間の側から自然への働きかけを考慮に入
れながら︑原則的には環境としての自然が我々を創造していることを強調するのであお︒
‑ 85ー
この立場の特徴は︑第一には自然が環境として我々の存在の条件を形成するとしても︑人間の側からの積極的な
自然への働きかけなしにその条件が生じないとする以上︑人間社会を自然発生的に捉えない点で伝統的共同体論と
挟を分けていることである︒その意味で近代的思考形式を踏襲していると言える︒第二には︑我々の存在を条件付
けている自然を︑人間の積極的な働きかけの結果環境と規定すると言うことから︑自然を環境と読み込む思考にお
ける前提を我々が我々の共同の条件により創造せねばならないと言う点である︒
自然は︑共同体の制度的な条件や法規の論理の条件に基づいて鋳直されなくては︑政治的・法的決断の具体的
(現実的であるか否かは判断が困難であるが)な卓上に上らないのである︒こうした自然の共同体内部の規範への
85
読み替えは︑それがいかに稚拙な論理により弁証されようと︑ いかに巧妙で精織な合意の論理に基づこうと︑我々
法学論集 43〔山梨学院大学〕 86
の共同における政治の世界のリアリティーの観念に基づいて至上の条件となる︒このような思考形式は︑人間にと
っての有用性の論理を準備するものであり︑世界の説明に神と言った︑人間理性からして単に内面的で曖昧と断じ
た領域は適当ではなく︑人問それ自身の活動原理によることこそ適当であるとするものである︒これは︑広義の意
味におけるヒューマニズムと言えよう︒注目すべき点は︑このようなヒューマニズムにおけるリアリティーの立場
が︑自然の観念を一般的権力概念の内に読み込んだと言うことである︒
超越を共同のうちに解釈する作業は︑例えば伝統的な王権親授説のそれとは本質的に異なると言える︒なぜなら︑
王権神授は︑それが例え共同の条件の領域から要請され捏造されたものであるにせよ︑超越的な神の権威を借りた
権力の絶対化であるのに対して︑国家の神話は︑共同体内の象徴作用から権力行使の背後にある世界観闘争におけ
る価値の独占を言うのである︒確かに︑国家の神話をもって直ちに二〇世紀における超越的契機の共同体内におけ
る再解釈と言う傾向を代表させるというのには無理があると思われるかもしれない︒しかし︑この傾向を指摘した
E・カッシーラーは︑人間精神の象徴作用により共同性の担保条件である文化諸領域の機能的統一を論じるのであ
るが︑その統一のリアリティーの根拠を超越者としての神にも人間の能力としての超越性にも置かず︑権力概念と
するのである︒その意味において︑共同の内に︑特に共同を可能とする権力概念において超越を再解釈するという
姿勢は︑二〇世紀に特徴的な思考形式であり︑その限りで現代的志向形式の代表と言える︒
こうして︑共同・自然・超越と言う三領域を統合していた無条件の信仰に基づく超越的理性を前提とする近代的
主体を︑分析可能な条件的非理性的存在へと再解釈するという方法論上の視線の転換は︑人間の世界へこの三領域
を封鎖すると同時にこれらの領域を権力にその統合の原則を置く共同の領域への再解釈を余儀なくさせた︒このこ
一86一
86
の共同における政治の世界のリアリティーの観念に基づいて至上の条件となる︒このような思考形式は︑人間にと
43
(山梨学院大学〕
つての有用性の論理を準備するものであり︑世界の説明に神と言った︑人間理性からして単に内面的で暖昧と断じ
た領域は適当ではなく︑人間それ自身の活動原理によることこそ適当であるとするものである︒これは︑広義の意
昧におけるヒューマニズムと言えよう︒注目すべき点は︑このようなヒューマニズムにおけるリアリティーの立場
が︑自然の観念を一般的権力概念の内に読み込んだと言うことである︒
超越を共同のうちに解釈する作業は︑例えば伝統的な王権親授説のそれとは本質的に異なると言える︒なぜなら︑
法学論集
王権神授は︑それが例え共同の条件の領域から要請され提造されたものであるにせよ︑超越的な神の権威を借りた
権力の絶対化であるのに対して︑国家の神話は︑共同体内の象徴作用から権力行使の背後にある世界観闘争におけ
‑ 86ー
る価値の独占を言うのである︒確かに︑国家の神話をもって直ちに二 O 世紀における超越的契機の共同体内におけ
る再解釈と一一白う傾向を代表させるというのには無理があると思われるかもしれない︒しかし︑この傾向を指摘した
E
・ カ
ッ シ
l ラ l は︑人間精神の象徴作用により共同性の担保条件である文化諸領域の機能的統一を論じるのであ
るが︑その統一のリアリティーの根拠を超越者としての神にも人間の能力としての超越性にも置かず︑権力概念と
するのである︒その意味において︑共同の内に︑特に共同を可能とする権力概念において超越を再解釈するという
姿勢は︑二 O 世紀に特徴的な思考形式であり︑その限りで現代的志向形式の代表と言える︒
こうして︑共同・自然・超越と言う三領域を統合していた無条件の信仰に基づく超越的理性を前提とする近代的
主体を︑分析可能な条件的非理性的存在へと再解釈するという方法論上の視線の転換は︑人間の世界へこの三領域
を封鎖すると同時にこれらの領域を権力にその統合の原則を置く共同の領域への再解釈を余儀なくさせた︒このこ
87 19世紀ドイツにおける共同体と宗教(3)
とは︑フーコーの権力論やラスウェルのエリート論等を待つまでもなく︑権力の伝統的概念を必然的に再解釈する
ことを迫るものである︒なぜなら︑自然と超越を人間の共同の制度において再解釈する作業は︑共同の究極的で実
質的な性格である権力において︑自然と超越を説明することを迫るものであり︑権力概念を単に統治のための手段
とするのみではなく︑共同のあらゆる文化的支配のシステムを権力で説明することを要請するものであるからであ
る︒その場合権力は︑単に統治のための物理的強制力としての手段であるばかりではなく︑一方では共同の目的の
為に自然を手段化するという意味で目的ともなる︒他方︑権力は︑支配と服従の関係を超越する文化現象として身
体から精神までも包摂する運動となる︒こうして︑諸領域の共同体内における再解釈は︑伝統的な統治権力にのみ
権力現象を限定するのではなく︑権力観念の拡延化を推し進めたと言える︒このような傾向の発露は︑宗教の領域
から生じた︒その最初の思想家は︑シュライエルマッヘルその人であった︒なぜなら︑彼こそ宗教を文化の問題と
して主張した思想家に他ならなかったからである︒以下終章では︑シュライエルマッヘルの思想が︑宗教の市民社
会における目的供与を主張したことが︑実は宗教の領域からの共同体内への限定に他ならなかったことが述べられ
るであろう︒文化に限定された宗教は︑もはやその重要な特性である永遠性を自ら放棄したのである︒超越の文化
的規定が︑超越が文化であることに固執することが︑実は超越の中に権力を呼び込む結果をもたらすに過ぎないこ
とが指摘されねばならない︒
︿註V
︵1︶ 譲一浮o巨9浮昌=冨び窪ωo匡o一〇§8冨﹃ω=N名①一一Rじ08げO①O歪旨①﹃●切o岳P一〇刈ρコNo︒一一87一
と は
︑
ブ
i コ!の権力論やラスウェルのエリート論等を待つまでもなく︑権力の伝統的概念を必然的に再解釈する
ことを迫るものである︒なぜなら︑自然と超越を人間の共同の制度において再解釈する作業は︑共同の究極的で実
質的な性格である権力において︑自然と超越を説明することを迫るものであり︑権力概念を単に統治のための手段
とするのみではなく︑共同のあらゆる文化的支配のシステムを権力で説明することを要請するものであるからであ
る︒その場合権力は︑単に統治のための物理的強制力としての手段である︑ばかりではなく︑ 一方では共同の目的の
為に自然を手段化するという意味で目的ともなる︒他方︑権力は︑支配と服従の関係を超越する文化現象として身
体から精神までも包摂する運動となる︒こうして︑諸領域の共同体内における再解釈は︑伝統的な統治権力にのみ
権力現象を限定するのではなく︑権力観念の拡延化を推し進めたと言える︒このような傾向の発露は︑宗教の領域
‑87‑
19
世紀ドイツにおける共同体と宗教( 3 )
から生じた︒その最初の思想家は︑シュライエルマッヘルその人であった︒なぜなら︑彼こそ宗教を文化の問題と
して主張した思想家に他ならなかったからである︒以下終章では︑シュライエルマッヘルの思想が︑宗教の市民社
会における目的供与を主張したことが︑実は宗教の領域からの共同体内への限定に他ならなかったことが述べられ
るであろう︒文化に限定された宗教は︑もはやその重要な特性である永遠性を自ら放棄したのである︒超越の文化
的規定が︑超越が文化であることに固執することが︑実は超越の中に権力を呼び込む結果をもたらすに過ぎないこ
とが指摘されねばならない︒
87
八註﹀ (
1 ) d 5 5 0
5
口Z
容1 H h σ g
印︒
E o
‑ o S R Z B
= N 3 R q M W C n F U O
の 2
3 0
﹃・
回
qE
・
5
吋︒
・司
・
N
∞
同
88 法学論集 43〔山梨学院大学〕
5432
) ) ) )
︵6︶
︵7V
12 11 10 9 8
差浮①ぎい葺磯虫=9⑦男︒一軽gα︒ωα①旨ω3①巳α①呂馨5琶巳ぼ国且①=08鑛Oぎ霧く亀品のぴ8喜翠色琶鵬出ま霧匿ヨ一8刈置8
蓋一ぎ冒匡島昌=冨げ窪ω︒匡昏§8富苑N壽箒&8巨U︒O釜旨R●望島巳雪ρ型80
0貰一ω9ヨ算=℃o一憲ωo﹃①菊o目き戯瞠=Uq昌閃o﹃卸閏qヨ醒9\閃①急昌●一〇〇〇〇贋男一ま
O●国●<雲讐餌言︾一騨U㌧﹃ωε島①の一昌昏①田の8Qo宅oま琶寄凶一〇呂ξぴ90お島R勾o嘗ωω8仁;寄のω①一一印寄のの①FZ睾Ko蒔一80●
勺●O㎝
ロマン主義の精神態度には︑近代理性への批判が込められているといわれている︒しかし︑この批判は︑本質的に近代主義の内
側から行ったものであると言えよう︒近代的理性を完成させること︵啓蒙主義︶は︑理性の働きから超越論的傾向を排除すること
にあった︒そして︑その背後には︑極めて巧妙な読み替えが︑すなわち超越を絶対へと読み替える作業が潜んでいる︒啓蒙は︑伝
える側の理性による権威無くして成功するものではない︒権威は︑絶対的な対象として表現︵現象としての条件付け︶されねば存
在理由を喪失する︒従って︑啓蒙主義は︑条件付けられた権威において自らを完成させるのであり︑その結果無条件な超越性を排
除する傾向をもつのである︒シュライエルマッヘルの思想の矛盾は︑超越的な共同体への再構成のプランを︑本来的に超越を排除
する傾向を有する啓蒙において完成させようと試みたことにあった︒
冨8畦ユ霞濃R︑臣①O①§き固$o鵠お&o自田ω什︒q︒討℃︒ま8弓轟α置︒昌=目おご旨①邑ぐ︒8露︒お︒牢⑦舞9一8αq︒き山
一b昌創O昌一〇刈N.勺︒一刈斜
O霞一ω3ヨ葺=℃o一凶鉱ωoぽo勾oヨ磐ユ閃=U仁昌閃窪俸=仁ヨび一〇一\閃R一一p一800贋型一9
≦接①二W①且費怠昌=U震閃Φ鵬島4R因琶ω時議匹昌留a①暮の魯窪勾oヨき爵=
一び箆型Oρ
一露α型O伊
二〇世紀の思想世界は︑この思想行為から超越的契機を放逐した︒その結果︑決断とは合理的自己決定の意味で理解されるよう
になる︒しかし︑本来決断と言う思考形式には︑合理的自己決定を超える契機が含まれている︒なぜなら︑合理的に理解される世
界の外への行為の意思こそが︑決断の唯一の概念規定要因だからである︒︵参考ジャック・デリダ﹁盲者の記憶﹂︶この概念規定
要因を合理的に認めることは︑合理的思考の外のこととなるのである︒しかし︑そのことを否定せずに自己決定を実行するのだと
すれば︑次の一一つの他はない︒第一には︑世界のそとの未知な領域への推論と実験︵睦試行錯誤︶が必要となる︒ここでは︑繰り
一88一
88
( 2 )
当
5 0 E F 包 括
︒ H
・ t g o 同 色 向 日
︒ ロ 向 日 2 仏
2 Z
岳 g E g r B 5 5 2 F
﹃ 開 足 ︒
= の
︒ ︒ 品 2 5 5
︿ 包 括 ω σ R E F m E
‑ g m ‑ E E g F
包
B
S 笥 司 ・
5 ︒
(3)42‑ZEE 岳
o w A h t o ロ ∞ n E 0 5 4 5 岳 3
= N 5 ‑
雪 国
c n
F ・
巴 め
の E
1 2
・ ∞
q E
・ 5
吋 ︒
・ 3 g
( 4 )
門 主
∞ 各 自 宮
= 3 5 ω の F O 問
︒ E g a w = u g w q h w 出 口 B E
♀ ¥ 回 耳 目 白
・
58
・ 司 ・
5 ︒
( 5 ) わ ・ 開 ・
︿ き m F 8 ・ 冨
‑k
r
・
ロ p
u ・
4 宮
島 g E p m w 同 町 宮 司
︒ 片 岡 ︼
︒ ‑ 庄 の 弘 司 区 ︒ 岳 } q g 皆 諸 島 常 問 ︒ g ω g g
= 同 5 8 ] ケ 附 河 口 話
︒ =
‑ z o d
﹃
J
円 ︒ ﹃
W 5
・ 8
同 ︼ ・ ︒ 印 ( 6 )
ロマン主義の精神態度には︑近代理性への批判が込められているといわれている︒しかし︑この批判は︑本質的に近代主義の内
側から行ったものであると言えよう︒近代的理性を完成させること(啓蒙主義)は︑理性の働きから超越論的傾向を排除すること
にあった︒そして︑その背後には︑極めて巧妙な読み替えが︑すなわち超越を絶対へと読み替える作業が潜んでいる︒啓蒙は︑伝
える側の理性による権威無くして成功するものではない︒権威は︑絶対的な対象として表現(現象としての条件付け)されねば存
在理由を喪失する︒従って︑啓蒙主義は︑条件付けられた権威において自らを完成させるのであり︑その結果無条件な超越性を排
除する傾向をもつのである︒シユライエルマッヘルの思想の矛盾は︑超越的な共同体への再構成のプランを︑本来的に超越を排除
する傾向を有する啓蒙において完成させようと試みたことにあった︒
( 7 ) U S R 仏 関 号 向
︒ 1 d M ゅ の
B め
g ロ
E g え 旬 ︒ 色 ︒ E ‑ E a ︒ 弓 ︒ Z F E E ‑ 叶
E 島
昨 日
︒ ロ
= d
H o
d ロ
σ 守
2 5
ぇ
n E
g m
︒ 司
円 ︒
ω ω
‑ n
v w
m m
︒ 言
内 田
同 b D 向 日 ︒ 口 一
{ ゆ 吋
N
・ 司 ・
] { 吋 仏 ( 8 ) 打 ︒ ユ ∞ 各 自 宮 = 3 5 ω の F O 問 ︒ E S E 内
= U Z D w q h w 出 口 B E
♀ ¥ 回 q
‑ E
・
58
・ 司 ・
5 ︒
( 9 ) 巧 島 q F A a 回 目 白 6 2 回 高 江 崎 号
﹃ 同 E ω 停 岡 山 野 宮 島 q p E R F g p B S E a r
=
( 叩
)
F E
‑ ‑
M V
・
g
・( 日 )
H E
F H
・ ・ M S
( ロ ) 二
O 世紀の思想世界は︑この思想行為から超越的契機を放逐した︒その結果︑決断とは合理的自己決定の意味で理解されるよう
になる︒しかし︑本来決断と言う思考形式には︑合理的自己決定を超える契機が含まれている︒なぜなら︑合理的に理解される世
界の外への行為の意思こそが︑決断の唯一の概念規定要因だからである︒(参考⁝ジャック・デリダ﹁盲者の記憶﹂)この概念規定
要因を合理的に認めることは︑合理的思考の外のこととなるのである︒しかし︑そのことを否定せずに自己決定を実行するのだと
すれば︑次の二つの他はない︒第一には︑世界のそとの未知な領域への推論と実験
( H
試行錯誤)が必要となる︒こ乙では︑繰り
‑ 88‑
43
(山梨学院大学〕
法学論集
89 19世紀ドイツにおける共同体と宗教(3)
1413
) )171615
返しという作業が可能であることが確認されているか︑推論可能であることを想像出来なくてはならない︒第二には︑自己を自己
の内に限定して︑認識されている︑あるいは認識されるであろう自己の世界が︑自己うちにおいて絶対なのではなくどこまでも相
対として自己によって限定されていることを示すことである︒
男u●国の亀Φ一①§8ぎ﹃=9①&一①釜轄︒芦幻巴雪壁最o①げまΦ善§件包年窪<①§幕ミ一刈串
シモーヌ・ヴェーユの概念である︒対立するものを︑単純な二元論で考慮するのではなく︑多様な現実を内に包摂する概念であ
る︒この概念は︑多様な現実の共存と言う政治的課題に貢献するものと思われる︒例えば︑ガンジーの無抵抗主義は︑このような
思考形式に根ざすものである︒さらに︑この思考は︑女性的なものの本質として捉えることも出来る︒女性的なものの本質として
の多様性の現実的な包摂の議論は︑改めて別の論文で語らねばならない︒
勺〇一震O亀=写o鼠田昌o宙o嬢巷ξ旨﹃q霧RoN魯=固ω畠窪一〇〇
︒O始㎝8国9Q犀ωざロヨo壽匠=葭≦轟9一一〇ω8ξ国8﹂嘗一一〇ω8ξ器碧﹃80騰一幕=℃窪胆ぎげoo犀9ぎ&op一8P
シュライエルマッヘルの教会論と近代政治哲学との関係について︒特に︑両者の領域における決断の問題の重要性について説明
すること︒教会を超越の表象とし︑原則的な意味においてエクレシアとすれば︑教会を表現する方法は︑本来次の一一つの他はない︒
第一は︑形而上学的に内在化された超越としての教会である︒この場合内在は︑﹁私とは何か﹂という哲学的問いにより要請され
た直接的自我の外在︑すなわち他者の反映として作られたものである︒従って︑内在化された超越は︑仮構されたものであること
となる︒古典的な表現を使えば︑それは教会を偶像とする見解であるということとなろう︒第二には︑内在や外在という本来神学
的な用語では無縁な表現から自由な教会がそれである︒ここに特徴的なことは︑教会を信仰における決断︵穿富魯o一費凝︶の共同
体として捉える点である︒そして︑その徴表はプラトン的超越とは異なる伝統の上に成り立つ︒第一の内在化された超越としての
教会は︑古典的形而上学との神学的融合の結果生じたものといえよう︒
他者とはなにかと言う問︒思考し理論化することを行動と理解するのなら︑知識人︵理論家︶は被抑圧集団を代弁−代表するこ
とはない︒︵スピヴァック︶行動し闘争する人々は︑発言することはない︒理論家と闘争する人とを区別するのなら︑自己の立場
は︑以下の二つが考えられよう︒第一には︑闘争する人は発言しないとすれば︑理論家による両者の同一化が生ずるであろう︒第
一一には︑両者の領域を区別した上で︑自らをその中間の第三の立場に置くであろう︵フェミニズム︑ポストコロニアル︶︒スピヴ
ァックは︑後者の立場である︒
一89一
世紀ドイツにおける共同体と宗教
返しという作業が可能であることが確認されているか︑推論可能であることを想像出来なくてはならない︒第二には︑自己を自己
の内に限定して︑認識されている︑あるいは認識されるであろう'自己の世界が︑自己うちにおいて絶対なのではなくどこまでも相
対として自己によって限定されていることを示すことである︒
( 出
) 司
・ ロ
・ 開
‑ P
E 3
5 5
0 1
5 2
P F
E S
‑ ‑
z g
虫 色
O P
E ‑
E g
g E
2 5
﹃ g
S S
F 君
主 塁
︒ ・
( U )
シモーヌ・ヴェ l ユの概念である︒対立するものを︑単純な二元論で考慮するのではなく︑多様な現実を内に包摂する概念であ
る︒この概念は︑多様な現実の共存と言う政治的課題に貢献するものと思われる︒例えば︑ガンジーの無抵抗主義は︑このような
思考形式に根ざすものである︒さらに︑この思考は︑女性的なものの本質として捉えることも出来る︒女性的なものの本質として
の多様性の現実的な包摂の議論は︑改めて別の論文で語らねばならない︒
( 日
) 司
2 0
﹃ の
m q
= 司
﹃ ゆ
C
門
日 開
E O
回 目
︒ m
g ‑
L q
E 2
5 ω
q o
N O
伊 丹
= 国
ω
の F q ‑ H m v ∞ ︒ ・ 司 ・ 印 ︒ ︒ ・
( 日
) 図
︒ ロ
q w
∞ }
E S ロ
︒ 当 ω E
= ロ 丘 ロ
m Z M ‑
F ω ︒ 円
︼ ﹃ 一 句
開 ︒ ︒ 目
︑ 司 E F
ω ︒ 同 }
町 可 g m
w 丹 ﹃ ︒
︒ ︒ 口 問
︒ 一 = 司
角 川 口 哲
H E σ ︒
︒ } g ‑
H b ロ 門
問 ︒ ロ ・
5 m v N
・
(幻)シュライエルマッヘルの教会論と近代政治哲学との関係について︒特に︑両者の領域における決断の問題の重要性について説明
すること︒教会を超越の表象とし︑原則的な意味においてエクレシアとすれば︑教会を表現する方法は︑本来次の二つの他はない︒
第一は︑形市上学的に内在化された超越としての教会である︒この場合内在は︑﹁私とは何か﹂という哲学的問いにより要請され
た直接的自我の外在︑すなわち他者の反映として作られたものである︒従って︑内在化された超越は︑仮構されたものであること
となる︒古典的な表現を使えば︑それは教会を偶像とする見解であるということとなろう︒第二には︑内在や外在という本来神学
的な用語では無縁な表現から自由な教会がそれである︒ここに特徴的なことは︑教会を信仰における決断(開己完﹃巳含口問)の共同
体として捉える点である︒そして︑その徴表はプラトン的超越とは異なる伝統の上に成り立つ︒第一の内在化された超越としての
教会は︑古典的形而上学との神学的融合の結果生じたものといえよう︒
他者とはなにかと言う問︒思考し理論化することを行動と理解するのなら︑知識人(理論家)は被抑圧集団を代弁│代表するこ
とはない︒(スピヴアック)行動し闘争する人々は︑発言することはない︒理論家と闘争する人とを区別するのなら︑自己の立場
は︑以下の二つが考えられよう︒第一には︑闘争する人は発言しないとすれば︑理論家による両者の同一化が生ずるであろう︒第
二には︑両者の領域を区別した上で︑自らをその中間の第三の立場に置くであろう(フェミニズム︑ポストコロニアル)︒スピヴ
アックは︑後者の立場である︒
‑ 89‑
89