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黒須充

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長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 第25巻 第1号 131‑149 (1984年7月)

スポーツクラブにおける子どもの 社会化に関する研究

黒須充

A Study on the Socialization in Children's Sport Club

Mitsuru KUROSU

I.研究の動機、目的

少年スポ‑ツがブ‑ムとなった背景には、 ttかつてのピアグル‑プが衰退ない し崩壊したことから、スポーツを通して仲間集団の育成を"といった大人の側か らの意識の働きかけがあったことは言うまでもない。

1)

永吉等も、今日の少年スポーツクラブが(以下スポ‑ツクラブと略) 「体力の 養成」 「社会性の育成」などの機能に関して、かつてのピアグル‑プの機能的等 価物として期待されていることについて述べている。

つまり、今日のスポーツクラブは、かつてのピアグル‑プの機能的代替をも期 待されているといえるだろう。

本研究は、こうしたスポーツクラブの現状を子どもの社会化に焦点をあてて考 察し、今日のスポーツクラブの問題点と今後の課題を兄い出すことを目的とする。

Ⅱ.研究の前提

〔1〕ピアグループの概念規定

子どもの集団を取り上げようとする本論においては、まず「ピアグループ」の 概念を明確化することが必要だと思われる。ピアグループの類型については、こ れまでにも多くの研究がある。その代表的なものとして、ポッサ‑ド(Bossard)、

(2)

ブラウン(Brown)、そして竹之下の研究をあげることができよう。

2)

ポッサードは、ピアグループを「遊戯集団(playgroup)」 「クリーク(clique)」

「ギャング(gang)」を含むインフォーマルな集団とクラブ、友愛会、ボーイス

3)

カウト等を含むフォーマルな集団とに分類した。ブラウンは、パーソナリティの 発達上家庭に次いで第二に重要なのは、児童や青年の行動集団(activity group) であるとし、これを(1)一時的な遊戯集団(2)組織的集団またはギャング(3)青年を会

4)

員とする集団の三つに分類した。また竹之下は、ピアグル‑プを自発的に作られ るか否かを基準にして、 「遊戯集団」 「クリーク」 「ギャング」を含めた自然発 生的集団と学校内外のクラブを中心とする組織的集団に分類した。

以上、ピアグループの類型をポッサード、ブラウン、竹之下に従い概観してき たが、ブラウンの示す(1)一時的遊戯集団(2)組織的集団またはギャングは自然発生 的に形成される集団を意味し、また竹之下の概念規定もポッサ‑ドのそれとほと んど同じであることから本論ではポッサードの概念規定に従うことにする。

ポッサ‑ドは、ピアグループを遊戯集団、クリ‑ク、ギャングを含むインフォ ーマルな集団とクラブ、友愛会、ボーイスカウト等を含むフォーマルな集団とに 分類したが、遊戯集団、クリーク、ギャングを除いた他の集団(例えばスポ‑ツ クラブ)は、それらが重要な意味をもつにせよ完全にピアグル‑プとして構成、

管理されていないことから、ピアグループから除外すべきであると述べている。

そこで本論においては、ピアグル‑プを「自然発生的集団」として規定すること にする。またピアグループは、少年期だけでなく青年期についてもいわれ、広く 青少年の集団を意味するがここでは少年期を中心に考察を加えていく0

〔2〕ピアグループの社会化機能

ここでは、ピアグループが子どもの社会化においていかなる機能を果たしてい るのかについて考察を加える。

ピアグループの社会化について卓越した見解をもつ人に‑ビィガ‑スト(Hav‑

5)

ighurst)をあげることができる。彼はピアグループを「だいたい同じ年齢で共 通の感情を持ち、共に行動する人々の集まりをいう。事実、近所の遊び仲間はす べてこのピアグループであるが、ある大人に指導されているような集まりは必ず しもそうではない」と規定しているが、これはポッサードの概念規定をとる本論 のピアグループと極めて類似したものといえる。また‑ビィガーストは4‑10才 の子どもたちを対象として論じていることからも、本論で扱うピアグループと同

(3)

スポーツクラブにおける子どもの社会化に関する研究133

等のものとして考えても差しつかえないと思われる。

ハビィガーストは、ピアグループの子どものパ‑ソナ1)ティの形成に果たす役 割について次の四つの役割を挙げている。

m

(1)友だちと仲よくすること

ピアグループは子どもたちに社会的人格の学習‑すなわちどうすれば同輩の間 に社会的に了解される方法で自分をあらわすか‑をあたえている。

7)

(2)理性的な良心と価値判断の尺度を発達させること

「権威主義的」な良心から「理性的」な良心へと変化するのに、家庭の外の友 だち、つまり仲間関係が重要な意味をもっている。前者は両親の道徳的な声を自 分のうちにとりいれることによって、子どもの良心に厳格に与えられたものであ り、後者ではもっと方法に柔軟性があり、変化する社会でいろいろの目的に役立 つような適応性をそなえているのである。

8)

(3)適正な社会的態度を学習すること

ピアグループは、子どもが家庭のそとではじめて出会う最初ゐ社会グル‑プで あるがこれは子どもが将来一般の社会集団に対してとる態度を条件づける傾向を

もつものである。

9)

(4)人格の独立性を養成すること

子どもが自分を自分自身の権利をもったひとりの人間として自覚し、自分の行 動に対して、以前よりもっと責任をもつようになるにつれて、彼は自分が何者で あるか、自分は何ができるか、自分はどう行動すべきか、などということを学ぶ ためにピアグループのなかにはいる必要が生じてくる。

以上、ハビィガーストの考えを概観してきたが、これらは子どもの社会化に果 たすピアグループの役割を明確に打ち出したものといえよう。子どもの社会化に とって、家庭、学校、ピアグループそれぞれ不可欠なものであることは言うまで もないが、ピアグループは上述のようにほぼ同年齢のものからなる集団であり、

そこでは対等で自由な人間関係の中での子どもたちの自主性、主体性が中心とな る。すなわちピアグループは、自主的、主体的な社会生活の能力や態度を発達さ せるうえで、家庭や学校では果たしえない独自の役割をもっているといえよう。

〔3〕ピアグループの崩壊とその機能的代替を期待されるスポーツクラブ ところが、最近、そうした社会化機能をもつピアグル‑プをみかけることが非

10)、11)、12)

常に少なくなってきた。様々な調査資料から、今日のピアグループの実態は次の ようなものとしてとらえることができよう。

(4)

(1)遊び集団の規模は縮小し、集団を構成しない一人遊びの割合がふえている。

(2)遊び場は戸外から屋内へと変化している。

(3)異年齢のメンバー構成から同年齢のメンバ‑だけによる集団へと移行して いる。

13)

井上は、 「とくに子どもの社会化についていえば、家庭とならんで重要な役割 を担ってきた同輩集団(peer group)の衰弱傾向に注目する必要があろう」と警 告し、ピアグル‑プの衰弱という現象のもつ社会的意味はきわめて重大であろう

と述べている。

さて、こうしたピアグル‑プの衰退ないし崩壊は、子どもの社会化を不十分な ものとするだろう。現代の子どもの体力不足、社会性の未発達等の問題もこうし たピアグループの崩壊と無関係ではないだろう。

ピアグループの回復を理由に世子どもにスポ‑ツを"といった大人の意識の働 きかけが今日の少年スポ‑ツのブ‑ムの背景になっていることは疑う余地のない ことであり、その高まりは、次の新聞記事からもうかがえる。

「子どもたちのスポーツ熟が昨今とみに高まってきた。子どもたちの体力不足 が社会問題にされていることもあって、子どもたちに基礎体力づくりをさせよう と子どもをつれてくる親がふえている」こうして考えてみた場合、現在のスポ

‑ツクラブは単にスポ‑ツを指導し、技術の向上を意図するだけでなく、 「体力 の養成」「社会性の育成」といった子どもの成長、発達や望ましい人間関係を育て ることなどをも社会から要請されているものとしてとらえることができよう。永

14)

富等も、今日の少年スポーツクラブが「体力の養成」 「社会性の育成」などの機 能に関して、かつてのピアグループの機能的等価物として期待されていることに ついて述べている。

つまり、かつてはピアグループが遊戯を介する中で、それら社会化機能をはた していたが、ピアグル‑プが崩壊したといわれる今日、スポーツクラブがその機 能的代替をも期待されていると考えることができるだろう。

Ⅲ.分析の枠組

まず、これまでの社会学における社会化研究を概観し、それに基づいてピアグ ループにおける社会化の概念図式を構成する。

〔1〕 「構造一棟能主義的アプローチ」による社会化過程分析と「シンボリッ ク相互作用論的アプローチ」による社会化過程分析

(5)

スポーツクラブにおける子どもの社会化に関する研究135 ここでは、家族社会学、教育社会学などで今日まで行われてきた社会化研究の 蓄積に頼り、 「社会化」の概念を明確化することを手はじめとして、その方法論 的な考察を加えていく。

15)

上子は社会化を「人が社会の成員として生活し行動するのに必要な文化を、つ まり社会的価値、社会規範、知識、技術を習得していく過程および習得させる過 程」として規定し「社会化の過程は明らかに学習の過程である。けれどもそれは 学習一般ではなく、その一部であり、特殊な学習であるという点で学習の概念と 異なっている。社会化は社会が承認し、是認する動機づけ、性向、行動などを学 習する過程である」と述べている。

]6)

山根は、家族における社会化を論じる中で「家族がシステムとして維持される ためには、その各成員が家族員としての同一性をもち、また家族の機能的要件を みたすために情緒的に関与しなければならない」と述べ、社会化を「個人が社会 の行動様式、価値、規範を学習する過程」として規定している。

17)

また山村は、子どもが大人になっていく過程を集団との関係においてとらえて おり、 「集団はすべて一定の地位と役割の体系をもっており子どもはそのよ うな集団のなかで特定の地位を占め、そこに期待されている役割を演ずることを 通して、それぞれ集団に応じた社会化を経験する」と述べている。

ざっと社会化の定義を概観してきたが、これら社会化研究はある意味で、役割 一社会体系の文脈で何らかの一致をみているものとしてとらえることができる。

すなわち、これらのアプローチはパーソンズ(T. Parsons)を代表とする構造一 機能分析によるものであり、従来の社会科学においては中心的な位置をしめてき たアプローチである。

では、構造一機能主義的アプローチとはどのようなものかを次にみてみよう。

ここでは「社会化」が、社会体系論における主要概念のひとつとして位置づけら

18)

れている。つまりパーソンズに従えば、社会体系がこの機能をもつことなしにそ の維持、存続はありえないということを意味している。こうした社会体系論的立

】9)

場において社会化とは、 「個人の社会的位置づけ、ないしは役割獲得の過程」と みなされている。さて、社会化過程はパーソンズによれば「役割を十分に演じる ために必要な指向の習得が、学習過程なのである。しかしそれは学習全般ではな

20)

く、学習の特殊な一部分である」が、この特殊な動機づけ過程を相互行為体系と の関連からみれば「社会化メカニズム」であるといえる。そして、 「社会化メカ ニズム」については、 「学習過程が、相揃的な役割を演じている相互行為過程の 肝要な一環である場合しか社会化のメカニズムは作用しないと仮定される。そこ

(6)

で社会化の担い手(socializingagents)だけでなく、社会化されるものもまた、

役割行為をおこなっていると考えなければならない。おそらく誕生した瞬間には、

幼児はそうしてはいない。しかしほとんどすぐさま、ある役害は吉かれに帰属され

21)

る」という役割理論によるアプローチがなされている。すなわちパーソンズによ れば、社会化は社会化の担い手と社会化される者との対応関係で、その過程は

「相捕的な役割相互行為過程」であると規定することができよう。

では、これら構造一機能分析による主要な分析概念である「役割」とは、いっ たいどのようなものとしてとらえられるのだb.うか。パ‑ソンズ等(パ‑ソンズ、

22)

ハーバード学派)の考える「役割」については、 『行為の総合理論をめざして』

の総合的宣言に明確にうちだされている。

大多数の分析の目的からみて社会構造のもっとも重要な単位は人間ではな く役割である。役割とは、行為者の志向のなかで相互作用の過程への彼の参 加を構成し、また規定するような、組織化された部分である。それは、行為 者自身の行為と彼が相互作用する他の人々の行為に関する一組の相揃的期待 をふくんでいる。

23)

船津も指摘するように、パーソンズにおいて「役割」とは、社会体系の安定に 寄与するものであり、人間は規範的性格を帯びた役割期待に従い、社会化と社会 統制を受けながら「役割行動」をする存在として考えられてしまっているのであ る。したがって、パーソンズにおける「役割」とは、 「所与の社会体系によって、

24)

あるいは社会的位置そのものから『与えられてある』もの」としてとらえられる ことができよう。それゆえそこに描かれている人間とは、 「社会システムの側か ら設立された<社会的地位>という単位から導かれる役割を課せられた<機能

25)

人>」なのである。そしてそこでは人間を、 「つねに一定の価値や規範に同調し、

26)

それに従って行動する存在」とか「役割期待を単に引き受けるだけの『あやつり

27)

人形』的存在」としてとらえられてしまっているのである。すなわち、従来の社 会化研究(メ‑ソンズを代表とする構造一機能分析)において社会化は、役割期 待への同調あるいは逸脱といった視点からのみ論じられており、そこでは役割期 待の受容的で一方的な内面化過程としてとらえられているといえよう。また、社 会化を社会体系の安定、維持に寄与するものとして、つまり社会化を単なる社会 の機能的要件としてとらることにより、社会化が「さまざまな可能性をもって誕 生したはずである個人が『報償と処罰のシステム』を通じ、社会により一定の行 動様式を押しつけられ限定される過程」としてとらえられているということがで28)

きよう。こうした意味で従来の社会化研究は、社会による人間の形成といった社

(7)

スポ‑ツクラブにおける子どもの社会化に関する研究137

会的側面が重視され、社会化とは単に上から課せられた役割期待を受動的に、ま た一方的に内面化させられる過程としてとらえられてきたということができるだ

ろう。

これに対し、人間が社会を形成するという「人間の主体性」の形成の問題を重 視し、個人の主体的自己形成過程を明らかにしようとする理論が最近究明されつ つある。これがシンボリック相互作用論である。

シンボリック相互作用論については、船津がその著『シンボリック相互作用論』

において簡潔、明瞭にまとめているのでそれを参考にしながら以下シンボリック 相互作用論の概要についてふれてみたい。

シンボリック相互作用論とは、人間のもつ自発性、創造性、積極性、主体性を 強調する理論であるところにその最大の特徴をもち、そこでは人間を単なる受け 身の存在としてではなく、積極的で活動的な、また創造的で主体的な存在として とらえられているのである。そして、シンボリック相互作用論においてはそのこ とを、人間の他の人間とのシンボルを通じての相互作用過程のうちにみいだし、

そこにおいて詳しく把握しようとする。すなわち、シンボルを通じての社会的相 互作用において人間は、 「他者の自己への役割期待」を内面化することによって

「自我」を形成するのである。こうして人間は、 「他者の役割期待を取得し自我 を形成するわけだが、その際かれは、ただ単に他者の役割期待をそのまま受け取 り、内面化してしまうのではなく、それを主体的に解釈し、修正し、変更したう えでとりいれるのである。つまり、シンボリック相互作用論において人間は、

「他者の役割期待」を相対化し、それを主体的に受けとめ、それに意味づけし、

自らに引き寄せて解釈する存在として、また他者の役割期待を選択し、修正し、

再構成する存在としてとらえられているのである。

では、こうした特徴をもつシンボリック相互作用論において「社会化」とはい ったいどのようなものとしてとらえられているのだろうか。

パーソンズを中心とする構造一機能分析において社会化は、 「他者の役割期待 の受容的で一方的な内面化過程」としてとらえられてきたことについては前述し てきた通りだが、シンボリック相互作用論ではこのような個人の能動的側面を無

29)

視した視点を「過社会化的人間観」 (D. H. Wrong)として批判し、社会化を次 のようなものとしてとらえている。つまり、ここでは、社会化を「他者の役割期 待の受け身的で一方向的な内面化過程」としてとらえるのではなく、 「他者の役 割期待を他者と相互作用することにより取得する過程」としてとらえているとい wr

(8)

こうしてみた場合、パーソンズ等の社会化論と同様にシンボリック相互作用論 においても「役割」がキー概念となってこよう。

シンボリック相互作用論者の中でも、その中心をなすところのタ‑ナー(R.H.

Turner)、シブタニ(T. Shlbutani)、ゴフマン(E. Goffman)等の理論を採用 し、考察を加えていく。

m:

タ‑ナ‑は、 「役割形成」という概念を創出し、 「役割」を「相互作用過程」

にむすびつけて問題にしている。タ‑ナ‑によれば「役割取得」とは、 「規定さ れた役割の遂行」というような単純な過程ではなく、 「行為者が相互作用を組織 しようと試みる過程」であり、そこにおいて「役割」は創造され、修正されるも のとなる。そして、このような相互作用過程において人間は、単に他者の役割期 待に沿って役割を遂行するのではなく、それを意味づけ、解釈し、創造するとい

う能動的、主体的存在となる。

31)

シブタこもまた同様に、他者の役割期待にのみ従う人間のイメージを拒否し、

「相互作用過程」に結びつけて「役割」を問題としている。シブタニによれば、

人間の役割取得は、文化的規範によって規定された役割をストレ‑トに取得する ことではなく、他者との相互作用過程のなかでそれを選択し、自らに適合するよ うに変容したうえで受け入れるものとされ、これを説明するために「コンベンシ ョナルな役割」と「インターパーソナル役割」という二つの概念を創出した。

「コンベンショナルな役割」とは、人間に期待される行動の規定されたパター ン」であり、標準化された内容をもち、またインパーソナルな性質をもつもので あり、これに対し「インターパ‑ソナルな役割」とは、具体的に他者との相互作 用過程において形成されるものであり、人間の選択を最大限に許容するきわめて フレキシブルなものを指す。そして、このような「インターパ‑ソナルな役割」

を遂行することによって人間は、より積極的で主体的な存在となることを強調し ている。

32)

また、ゴフマンによれば、人間は社会からの役割期待に必ずしも同調せず、そ れに一致した行動をとらず、しばしばそこから離れ、それとは異なる行動を展開 する。いわば、一定の役割期待からは距離をおく「役割ディスタンス」行動をと るとされる。つまり、 「役割ディスタンス」概念は、 「行為者が自分の遂行する 役割を軽べつして、そこから離れることを効果的に表現する行為」をあらわすた めに導入された概念として受け取ることができる。

構造一機能分析における「役割」が、固定化されており、役割期待に関する個 人的解釈は許されず、役割が人間の相互行為の産物であることが見失われてしま

(9)

スポ‑ツクラブにおける子どもの社会化に関する研究139 っているのに対し、シンボリック相互作用論における「役割」とは、固定化され ておらず、互いが行動の中で再組織し、再構成できるような相互作用を経て取得 されるものとして受け取ることができよう。

こうした意味で、シンボリック相互作用論において「社会化」とは、社会の側 からの一方通行、つまり「他者の役割期待の受動的で一方向的な内面化過程」と

してとらえるのではなく、相互作用の過程、つまり、 「他者の役割期待を他者と 相互作用することにより取得する過程」としてとらえることができるだろう。

社会化とは、 「個人の側から見れば、自分が参加している集団の価値や文化や 行動様式を学習し内面化する過程であり、社会の側から見れば、個人をその集団

33)

に組み入れ、その集団が要求する型にはめこむ過程」を指し、 <人間による社会 の形成>と<社会による人間の形成>という二つの側面を含んでいることは周知 のことである。

すなわち、構造一機能分析による社会化の説明にしかたも、シンボリック相互 作用論による説明のしかたもそれぞれ社会化の一つの側面を言い表したものであ

り、実際の社会化過程においては、両者は同一過程の二つの側面として理解する ことができよう。今後の社会化研究においてどちらが主流を占めるかば、本論の 範囲を越えるものであり一概に述べることはできないが、今日の社会化研究がこ の二つのテ‑マ、二つの側面を統合的にとらえようとしていることは明らかであ る。

34)

一例をあげてみると、渡辺は、家族における社会化過程の理論モデルの構築を 試みるなかで、構造一機能分析理論をシンボリック相互作用論に体系的に導入し ようと試みている。その中でかれは、 「社会化を役割期待の受動的で一方向的な 内面化過程として狭くとらえるのではなく、当該の個人の主体性、能動性をも視 野に含む相互的な過程として広く把握することが、これまでしばしば看過されて きた」と述べ、社会化を相互作用過程としてとらえねばならないと提言している。

35)

また松原は、今日の社会学における「社会化」の動向を<社会化>一一‑<文化 化>一一一<人格化>として次のように説明を加えている。

狭義の<社会化>が、単に人が関係する相手から行動を期待され、それに統 制されることにより、指導され、保護され、形成されていく過程と理解されて いるとすれば、 <文化化>とは、単に社会化されるだけではなくて自らをそう した社会組織の一員として理解することを学ぶ過程に入ることを指している。

そして、さらに<人格化>というのは、人が社会的、文化的複合体としての人 間能力を身につけ主体的に生きていく過程をいう。こうして人間形成を受動的

(10)

形成とだけ見る立場から、主体的発達へというとらえ方をしようという傾向が、

社会学者のなかにも強まっている。

こうしたことから、今日の社会化研究の動向として、個人の「主体性」軽視か ら「主体性」重視‑と変わってきていることは事実として受けとることができる だろう。

すなわち、今後の社会化研究においては、 「文化を内面化させる側面」だけで なく、 「文化を内面化する側面」をも考慮に入れたとらえ方がなされねばならな いと考えられる。

〔2〕ピアグループにおける社会化

ピアグループにおける社会化を考えてみた場合、そこでは子ども相互のコント ロールが働き、子ども一子どもの相互関係も決して一方向的なものではなく、両 方向的な相互作用がおこなわれているといえる。つまり、ピアグループにおいて は、シンボリック相互作用論的な社会化がなされていると考えることができよう。

また、ピアグルrプにおいてしばしばみられる否定的関係が、子どもの社会化に おいて重要な意義をもつ理由は、 「互いが行動の中で、それまで知らなかった相

36)

手の在り方に気づくことによって可能となる役割の再構築がある」からだといえ る。それは、単にできあがったものとしての「役割」を演技するといった「構造 一機能分析」による「役割」のとらえ方というよりも、むしろ「役割」とは、固 定化されておらず、容易に再組織し、再構成できるものだとするシンボリック相 互作用論による「役割」のとらえ方に近いと思われる。

こうした意味において、かつてのピアグル‑プの機能的代替を期待されるスポ

‑、ノクラブの社会化過程を分析しようとする本論においては、シンボリック相互 作用論的アプローチをとることが妥当であると思われる。

シンボリック相互作用論の立場から社会化の基礎過程について述べる際、それ

37)

はG.H.Meadの「役割取得過程」としてとらえることができよう。ミードは、

社会化の過程を一貫して「他者の態度の取得」 「他者の役割の取得」としてとら えており、自我は他者とのシンボリックな相互作用において他者の態皮(役割) を取得することによって形成されるものであるとした.ミードはこれを「プレイ」

「ゲーム」という概念を用いて説明している。

まず子どもの「プレイ」の段階について、

遊戯(プレイ) ‑とくに規則のあるゲ‑ムの先行段階としての‑は、何か のふりをする遊戯(ごっこ)である。子どもは母親のふりをし、教師や警察

(11)

スポーツクラブにおける子どもの社会化に関する研究141

38)

のふりをして遊ぶ。すなわちわたしの表現だと、異なる役割を採用するO と述べている。

こうしたプレイの段階から規則あるゲ‑ムの段階へと子どもは成長していくわ けだが、 「プレイ」と「ゲーム」の違いについてミードは、

ゲ‑ムをやっている子は、そのゲ‑ムに参加している他のすべての子ども の態度をやってのける準備ができていて、しかも、これらのちがう役割をた がいにハッキリ関係づけていなければならない。何人かの人が参加したゲー ムになると、ある役割を受けもった子も、他のすべての人の役割を受けもつ 準備をしていなければならない。野球のナインに参加したら、自分自身の守 備位置にふくまれている各ポジションの反応を知らなければならない。つま

り、自分自身のプレイを遂行するため、他のポジションの人間がどうプレイ

39)

するかを知っていなければならない。

と指摘し、 「ゲームは"ごっこ''で他人の役割を採用する段階から、言葉の完全 な意味での自我意識にとって不可欠な組織化された役割を採用する段階‑、とい

40)

う子どもの生活における行路をしめしている」と述べている。ここでは、人間個 人は単に一人の人間の態度を取得するだけではなく、ゲ‑ムに参加している全て の人間の態度を取得しなければならないのである。つまり、プレイの段階におい ては、一人の人間の役割一母親、教師、警官‑を取得するといった単純な役割取 得であったのに対し、 「ゲ‑ム」の段階においては、一人の人間の役割だけでな く、多くの他者の役割を組織化し、一般化しなければならなくなる。そして、こ

41)

の「一般化された他者」を取得し、自らのうちに受け入れることによって、人間 個人は、自らの自我を形成するのである。

こうしてミ‑ドは、 「他者の役割の取得」過程を「プレイ」 「ゲ‑ム」 「一般 化された他者」という概念を用いて明らかにしているといえよう。

しかしミードの場合、自我をただ単に他者の態度(役割)をそのまま受け入れ たものとは考えない。かれは、他者の期待をそっくりそのまま受け入れるだけの

自我を「客我(me)」と呼び、この客我に対し、働きかけ新たなものを生みだす もう一つの自我を「主我(I)」とした。これがいわゆるIとmeの理論であるO

「me」とは、各人が相互作用過程のなかで、自分を他人の目からながめ、他者 の期待をそのまま受け入れ、これらを組織化し、一般化するところの「他者の態

42)

度の組織化されたセット」である。これに対して「I」とは、 「他者の態度に対

43)

する有機体の反応」である。しかし、その反応は刺激に対する単なる反応という ような消極的なものではなく、 meを主体的に受けとめ、働きかけ、それに変更

(12)

を加えるという積極的な役割をもつものとしてとらえられる。しばらく「I」に ついてのミ‑ドの考えを概観してみようO

ある人が他者たちから採用する態度はかれ自身の経験のなかに現存するが、

それ(態度) ‑のかれの反応はあたらしい要素をふくむことになろう。 「I〕

EE>

は自由とか自発性とかの観念をもたらす。

「me」は「I」を検閲し統制するが「me」の検閲の目をかいくぐり、あ るいはその干渉をはねのけた反応が行われて、これが他者の態度に影響を与 え、自らの「me」を再構成し、さらには社会の価値観や制度の変容を促す

とされるのである。45)

繰り返すと、ミードは他者の期待を受け入れるだけの自我を「me」と呼び、

このmeに対し、働きかけ、新たなものを生みだすもうひとつの自我を「I」と した。つまり、人々の自我は、他者の役割期待とのかかわりにおいて形成されつ つも、他者の期待に応え̀るだけ(meの側面)では、自我の十全な発達は望めず、

このIとmeとのかかわり、両者の相互作用過程においてのみ完全な自我、個性 的自我が形成されるということを打ち出した理論といえよう。

ここで、ミードの「役割取得過程」の枠組、つまり、他者の役割期待、相互作 用、客我、主我、自我の概念をつかって図式化してみると、下図のようなものと

して理解することができるだろう。

自我

V 辛̲育

※この他者は単に身近な他者のみならず、集団、社会を表わす、一般化された 他者も含む。

図1ミードの「役割取得過程」

以上、ミードの「役割取得過程」 (以後ttミ‑ド的社会化"と呼ぶことにする) をまとめると、次のようなものとして把握することができる。

ミード的社会化とは、 「他者の役割期待を他者と相互作用することにより取得 する過程」であり、この他者の役割期待を受け入れ(meの側面) 、それを主体

(13)

スポーツクラブにおける子どもの社会化に関する研究143

的に受けとめ、解釈する(Iの側面)というIとmeの弁証法により形成された 主体的自我が他者に働きかけることにより、他者は自己のあり方、および期待の ありようを変容させるというのがミードのいわんとしたことではなかろうかoつ まり、ミードはこうした役割取得過程を論じる中で、自己と他者との関係が、決 して一方向的なものではなく、常に変化、変容するところのダイナミックな相互 作用からなるものであることを強調しているものと受け取れる。こうした意味に おいて、ミード的社会化を、お互いが意見を交換することにより、お互いの態度 に変化、変容がみられるような水平的相互作用として理解することができるo

なお、シンボリック相互作用論とは立場を異にするが、ピアグループにおける 社会化という問題に対し、ミードとかなり類似する考え方をとったピアジェ(∫.

46)

Piaget)の考えをあげねばならないだろう。

ピアジェは、権威が介在する関係を「社会的拘束(contrainte sociale)」 、平 等の関係を「協同(cooperation)」と名づけ、 「社会的拘束」だけでなく「協同」

もまた、あるいは、むしろ協同は拘束以上に社会化にとって重要な働きを演じる

47)

ことを指摘した。ピアジェは、こうした点を子どもたちの問で盛んに行われてい るゲームを分析することにより、 「拘束の規則」の内面化と「協同の規則」の内 面化の違いとして説明している。 「拘束の規則」の内面化とは、子どもがただ規 則を尊敬し、権威に盲従するという一方的尊敬、権威に対する服従、他律といっ たことばで特徴づけられる。これに対し、 「協同の規則」の内面化において子ど もは、相互的尊敬により規則を内面化し、そこでは、規則の真理は伝統に依存す るのではなくして、相互の一致と相互性とに依存するので、規則はもしそうあら ねばならないということが皆に賛成されるなら、変更されることができる。

すなわち、ピアジェによれば「拘束の規則」の内面化は、上下の人格的関係に おける上位者に対する下位者の一方的尊敬を通じてなされるため、その望ましさ は常に拘束として存在し、義務によって支えられたものとなる。一方、 「協同の 規則」の内面化は、同位者の相互尊敬を通じてなされるため、相互の立場を交換 することが可能であり、一方的な義務としてではなく、自律的な善によって支え

られるものとなる。

こうした意味において、同位者の相互尊敬を通じてなされる「協同の規則」の 内面化のみが、神聖化されることなく、自発的、自主的に遵守され、必要に応じ て発展させられるものとしてとらえることができるであろう。

以上、ミード、ピアジェそれぞれの理論を概観してきたわけであるが、ここか らピアグループにおける社会化をつぎのようなものとして特徴づけることができ

(14)

よう。

それは、単に権威的T)‑ダ‑に盲従する、つまり、上から課せられた一方向的、

強制的な意見に従うことにより社会化されるのではなく、お互いが意見を交換す ることにより、相互に影響し合い、お互いの態度に変容がみられるような水平的 な社会化を意味するのである。

Ⅳ.スポーツクラブにおける社会化

ピアグループにおける社会化が、水平的社会化を意味することについては既に 述べてきた。では、かつてのピアグループの機能的代替を期待されるところの現 在のスポ‑ツクラブにおいて、はたしてかつてのピアグル‑プにおいてなされて

いたような社会化が行われているのだろうか。

ミードの役割取得過程が水平的相互作用、いわば水平的社会化を意味すること については前述の通りであり、ここでは、ミードの役割取得過程に沿って現在の スポーツクラブにおける社会化の現状をみてみたい。

ところで、ピアグループが子どもたちだけで構成されているという点で水平的 構造をもつのに対し、スポーツクラブは大人が関与しているという意味において、

垂直的構造をもっているといえるが、ここで垂直か水平かを問題とするのは、物 理的、客観的な相互関係が垂直か水平かではなくて、相互作用そのものが、垂直 になっているのか、又水平になっているのかが本論における最も重要な視点とな っていることをここでことわっておく。

スポーツクラブが、かつてのピアグループの機能的代替をなすためには、そこ において水平的な相互作用がなされねばならないと考えられるが、はたして現在 のスポーツクラブにおける相互作用はどのようになっているのだろうか。

スポーツクラブにおける相互作用をみる場合(I)指導者一子ども問の相互作用(2) 子ども一子ども問の相互作用を考慮せねばならないだろう。

(1)指導者一子どもの関係は、指導者の指示、注意がきわめて官僚制的、権威 主義的であり、盗意的関係というよりも、むしろ上下の関係、命令一服従の関係 になっているようだ。

(2)子ども一子どもの問に互いに意見を交換するといった行為はあまりみられ ない。ある問題が発生し、それを解決する過程において、子ども相互の水平的な 相互作用によるのではなく次図のような指導者の介入により解決がなされている ようだ。

(15)

スポーツクラブにおける子どもの社会化に関する研究145

図2指導者の介入による間接解決

これを、ミードの「役割取得過程」に沿って考察を加えると、

(l)指導者一子ども問の相互作用

指導者という地位的優越者の下での垂直的関係であり、ここでは、指導者によ り与えられた役割期待を受動的、一方的に内面化するにとどまっている。つまり、

他者の役割期待をただ単に一方的に内面化する(meの側面)だけであり、そこ にはIの出現はみられず、一般化された他者の変容もみられないであろう。こう した意味において、指導者一子どもの関係は、一方向的で垂直的な相互作用とい う性質をもっていると考えられる。

(2)子ども一子ども問の相互作用

他の子どもの役割は、あらかじめ外部のものによって指示されるか、決定され ているためミ‑ドのいうところの具体的他者と相互作用することによる役割取得 になっていない。つまり、仲間との社会的相互作用が現実に営まれる過程におい て役割を取得するのではなく、指導者によって与えられた非人称的役割の取得に

なっているため、そこには新しいIの出現はみられないだろう。

お互いが意見を交換することにより、お互いの態度に変容がみられるような相 互作用を水平的相互作用と呼ぶなら、お互いが意見を交換するのではなく、どち らかが一方的、強制的に意見を押しつけるという相互作用、つまり態度の変容が みられないような相互作用は垂直的相互作用と呼ぶことができるであろう。

こうして考えた場合、スポーツクラブにおける役割とは、仲間との水平的相互 作用が現実に営まれる過程において取得されたのではなく、上から課せられた役 割期待を受け身的、一方的に内面化するという上述で言うところの垂直的相互作 用により獲得されたものと考えることができる。そして、こうした垂直的相互作

(16)

用により獲得された役割とは、固定化されており、他者の役割期待に関する個人 的な解釈は許されず、役割が人間の相互作用の産物であるというよりも、上から 課せられた<モノ>としての性格が強いといえる。つまり、スポーツクラブにお ける社会化は、動的な役割の取得過程というよりも静的な役割の取得過程といっ た性格がつよいといえる。

こうした意味において、スポーツクラブにおける社会化とは、ミ‑ドのいうと ころの「他者と相互作用することにより他者の役割期待を取得する過程」という 水平的社会化ではなく、単なる「他者の役割期待を受け身的に一方的に内面化す

る過程」という垂直的社会化になっていると思われる。

自我

L‑×一一j

図3スポーツクラブにおける「役割取得過程」

V.まとめ

G. H. Meadの「社会化」概念は、今日のスポーツクラブにおける社会化の問 題を整理する一つの手掛かりを与えてくれる。それは、今日のスポーツクラブに おける社会化が、 F静的な役割の取得過程』あるいは、 『スポ‑ツという特殊な 世界への内面化過程』としてとらえ得ることにある。

前者について言えば、今日のスポーツクラブにおける社会化は、他者の役割期 待を受け身的、一方的に内面化するといったmeの側面だけが強調され、それを

自己の内部で解釈し、修正し、再構成するといったIの働きを無視したものにな っていることである。つまり、そこでは主体であるはずの子どもの能動的側面が 軽視され、ただ単に上から下‑教え込むといった受動的、垂直的社会化になって いるといえよう。 (受け身的、消極的存在としての子ども)

「三無主義」 「五無主義」をもちだすまでもなく、今の子どもたちから主体性、

自発性が失われてしまったことは、皆の認めるところである。

(17)

スポーツクラブにおける子どもの社会化に関する研究147 とくに、現代社会のように変化の激しい社会においては、現実の問題に直面した とき、正面からぶつかって主体的、自発的に問題を解決する能力を養成すること が必要であるe

したがって、スポーツクラブにおける社会化においても、単に上から下‑教え 込むといった垂直的社会化ではなく、指導者と子ども、子どもと子どもの水平的 相互作用(動的な役割の取得過程)を考慮し、子どもが主役となり、自らの意志 によってプレーすることができるような主体性、能動性を重視したところの社会 化がなされねばならないと考えられる。

つまり、子どもたちが主体的にスポーツ‑関わり、その中で自分の、または自 分たちの問題を解決していく能力を養成することが、現在のスポーツクラブに望

まれることだろう。 (主体性、問題解決能力の養成)

では、 『スポーツという特殊な世界‑の内面化過程』とはどういうことか。

かつてのピアグループの子どもたちは、スポーツを媒介とした一面的な人間関 係ではなく、多面的な状況においてさまざまな役割取得がなされていたが、現在 のスポーツクラブに通う子どもたちは、スポーツを介した一面的な人間関係にと どまり他の状況におけるかかわりがあまりみられないということである。

とくに、上級生になればなるほど、塾に行くのがあたりまえの環境となり、日 常生活での集団は形成されにくい。つまり、彼らはスポーツクラブの日だけに集

まる集団であり、そこでは自主的、自発的人間関係というよりも、機能的目標 (試合に勝つ)にあった部分的な人間関係にとどまっている。

言うまでもなく子どもは、スポーツだけによって社会化されるのではなく、文 化的活動を含めた多面的なものが内面化されることによってはじめて社会化され る存在である。こうした意味で、スポーツクラブにおける社会化は、スポ‑ツと いう特殊な世界‑の適応だけでなく、今の子どもたちに何が欠けているのか、子 どもたちの歪みは何なのかをしっかりつかみ、その子どもたちの歪み、社会の歪 みの調整の役割をはたしていくことが大切であると思われる。

<引用文献>

1)永富宏英・塚本真也: 「幼児,児童のスポーツ参加の社会的背景」 ,体育社会学研 究会編,スポーツ参与の社会学所収,道和書院, 1977, P121

2) T. H. S. Bossard・E. S. Boll共著:発達社会学,末吉悌次監訳,梁明書房,

1966, P504

(18)

3) F. T. Brown著:教育社会学上巻,西本三十二訳,朝倉書店, 1951, P 4)竹之下休蔵: 「青少年の集団」 ,日本教育社会学霜,教育社会学研究第4築,

1953,P3

5) R. T. Havighurst著:人間の発達課題と教育,荘司雅子他訳,牧書店, 1958,

P64

6) ibid. P66 7) ibid. P67 8) ibid. P72 9) ibid. P73

10)高野清純審:現代児童心理学,教育出版, 1982, P201

ll)指定都市教育研究所連盟編:現代の子どもの意識と行動,東洋館出版社, 1979,

P24

12)藤本浩之輔著:子どもの遊び空間, NHKブックス, 1974, P196‑198 13)井上俊: 「大衆社会」 ,作田啓一・日高六郎編,社会学のすすめ所収,筑摩書 戻, 1968、 P219

14)永書・塚本op. cit. PIOl

15)上子武次・姫岡勤編:家族‑その理論と実態‑,川島書店, 1971, Pl19 16)山根常男著:家族の倫理,垣内出版, 1972, P70

17)山村賢明・佐藤忠男編:現代社会と子ども,東洋館出版社, 1970, P 6‑7 18) T. Parsons著:社会体系論,佐藤勉訳,青木書店, 1974

19)船原治郎: 「教育過程」 ,麻生誠編,教育社会学所収,東京大学出版会, 1974,

P124

20) T. Parsons op. cit. P209 21) ibid. P 213

22) T. Parsons・E. Shils編著:行為の総合理論をめざして,永井道雄・作田啓一・

橋本其共訳,日本評論社, 1960, P37

23)船津衛著:シンボリック相互作用論,厚生閣版. 1976, P189‑190 24)斎藤吉雄: 「役割関連の立場」 ,社会学研究). 1968. P95

25)佐藤俊一: 「Role‑Taking (役割採用)と身体性」.日本社会心理学会編,社会心 理学における方法論の問題所収.勤葦書房, 1978, P80

26)船津op. cit. P189

27) ibid. P 170 28) ibid. P 173 29) ibid. P 189 30) ibid. P 193‑194

(19)

スポーツクラブにおける子どもの社会化に関する研究149

3D ibid. P 194

32) ibid. P 18

33)永井憲一著:学校教育と社会教育の結合.勤草書房, 1979, P 55

34)渡辺秀樹: 「社会化とライフスタイル」.青井和夫・庄司興吉鼠家族と地域の社 会学所収,東京大学出版会, 1980、 P27

35)桧原治郎: 「教育過程」 ,木原健太郎・松原治郎編,現代社会の人間形成所収, 東京大学出版会, 1976, P 126

36)住田正樹: 「地域社会に生きる子供」.松原治郎編著.地域の復権所収.学陽書 戻. 1980, P41

37)G. H. Mead著:精神自我社会.稲葉三千男・滝沢正樹・中野収訳.青木書店.

iJ的至 38) 39) 即の 41)

Aの

43) 44)

ibid. P 161 ibid. P 163 ibid. P 164 ibid. P 166 ibid. P 187 ibid. P 187 ibid. P 190

45)講座現代の社会とコミュニケ‑ションl基礎理論.東京大学出版会. 1973, P89

46) J. Piaget著:児童道徳判断の発達,大伴茂訳.同文書院, 1955

47)作田啓一: 「価値と行動」 ,作田啓一他著.今日の社会心理学,文化と行動.培風 館, 1963, P43

(昭和59年4月28日受理)

参照

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