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(1)

111

茨城県北部の段丘地形(1)

川尻・五浦間の段丘地形の発達

社会科地理学研究室 當 間 唯弘

(テフロクロノロジー)的方法によって,段丘面の区分 1 はじめに      ・対比をより確実なものにした。また,段丘を構成する

茨城県下には,関東ローム層におおわれた洪積台地が  堆積物の上・下限高度を測定し,段丘の内部構造を可能 広く分布している。とくに,12〜13万年前にその絶頂  な限り正確に把握するとともに,段丘堆積物およびこれ 期に達し建下末吉羅とその後の海退にともなって,県 をおおう関東。一ム層の層概観察することによって,

中部庸部砿成田層上部観和酷りなる広晦成 各段丘面の形噸境および形厳雌定した。鳩高

       4)

ハ,すなわちDuIa面(下末吉面)が形成された。この  度の測定には,ポーリン社製気圧高度計を用いたが,そ 海成面は,その後,川の侵食によって,那珂台地,東茨  の際,気圧の日変化による影響を補正するため,1時間 城台地,新治台地,筑波・稲敷台地,行方台地,鹿島台  ないし1時間30分ごとに海岸(ほぼ海抜Omの地点)で 齪どの台地面に分割され,隆起海岸平野をなしている.醸を読み取った。

一方,県北部では,八溝山地や阿武隅山地南部などの  図1 調査地域と露頭柱状図の位置

山間部を流れる河川に沿って河成段丘が分布し,とくに  Fig・1Map showing the studied area and the locat㎞s of the columar sections

那珂川や久慈川では,明瞭な河成段丘が認めら札これ  A エ。cation of the columar section

らに関する地形発達史や段丘堆積物の堆積環境,段丘面  B.Former shoreline of the Middle terrace 1      5)6)形成後の変位などが論じられた。また,那珂川下流域よ

り日立・高萩付近にかけての海岸地域では,地形発達史       幡。gE臨・

鍵ll繋1欝灘欝1犠艶      ㍉       軌ご凄&禦慧繋護麟綴難欝候  嘆卿血_

四腿AGO 4

丘面の形成と開析という2側面から,段丘の発達につい        H°s°皿貼  甜細。

て論ずる・ここで臆掴立市北馴11尻町付近よ  ㍗瀞γ…り,福島県境の五浦付近にいたる地域(図1)の段丘地        騰   ・∬娼餌・       恥形について報告する。      噛 田皿゜τ皿㎝

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2 調査方法       ㎜Hム

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空中写真(縮凡約、!4㈹)の判読により澱丘面    多駈・餅〜

を認定・区分し,段丘面の連続性という観点から,これ        窃  画      工SH工HO四α0

らの同定・対比を試みた・つぎに・野外において瀾東    蓼ローム層(火山灰層)の観察をおこない,火山灰編年学       ,銘

  ISH工H雌

@ 一ヒm

宦@ KOKムエHAHム K鯛AJ工RI

(2)

表1 茨城県北部海岸地域と南関東における段丘面の対比

Tablel Correlati㎝s of the terraces孟n the area frQmHitachi to Kita−Ibaraki

一〇kura     Kaizuka    Nakagawa   Iwash藍ta     The author    Yoshikawa

(1953)         (1957)         (1961)        (1967)  (in this paper)        et al.(1973)

Kujihama−   Kujihama−   in andaround Kujihama−    Kawaj iri−     South I(anto

㎞㎞a@ ・se Hita監轟i血w融i 、_   ㎎、㎝

V Terrace       L surface       TLc surface

Lower

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Midd且e    ・

Taga      夏Telrace   Middle    MI surface    S surface*

surface    surface       Terrace

Upper       Upper       皿 Terrace    Upper      T2 surface

・u・face   ・u・face  ITe・race   T・・race        T、 su・face

*Ssurface was formed during the age of Shimosueyoshi transgression

      れる粗砂,中砂層は,厚さ2〜57π程度で,分級が良く3・段丘面の区分・対比      斜層理がみられる。この斜層理は,海岸と直交する南向

大倉(、95呂1,貝塚(、薪),中川(、9δB,岩下(、覇 きの瀬で1疎方へほぼ7−8似内の触で傾き

による,日立・高萩付近の段丘面区分を表1に示す。こ  (図2−1,地点3,4,8,12),海岸線と平行する西向き のうち・日立付近の上位面と日立・高萩にわたる中位面  または東向きの露頭では波状である(図2−1,地点9)。

は海成面であるとされ,それ以下のものは河成面である  この粗砂,中砂層は,分級の良さと斜層理の特徴からみ と解されている。これらに対して,本論文における筆者  て,海浜砂層と解される。なお,この砂層のさらに下に の見解は,表・に示すように,上位面と中位面について観察される細砂層1駄倉(、953蕩解釈と同龍内湾 従来と多少異なっている。以下に,調査から得た資料に  浅海底に堆積した細砂層と解す。この段丘面の内陸側の 基づいて,本地域の段丘面の区分を欄する.  分布限界線すなわち旧汀灘あたる磯原工細地付近で

図1の各地点における,関東ローム層および段丘堆積  は,長径50㎝程度の片岩,砂岩などの扁平円礫がみられ 物の柱状図を図2−1,図2−2に示す。図2−1は,  (図2−1,地点3,4,)また,高萩北方の高戸付近では 図3の凡例Aで示された段丘面の内部構造をあらわして  第三系のシルト岩よりなる基盤表面に,ボーリングシェ いる。この段丘面は,海岸に沿って南北に長く分布し,  ルの生痕が認められる。なお,この段丘面の保存が悪い その高度は,漸新統のシルト岩,砂岩よりなる丘陵(山  本地域北端の五浦付近や,南端の川尻・伊師浜間の小貝 頂高度70〜100糀)と接する,分布域の西縁で高く,東  浜付近では,基底面に凹凸がみられ(図2−1,地点2,

方へ,海に向かってしだいに低下する。すなわち,本地  17),基底面が台状をなす所で,段丘堆積物が薄く,1 域南部の川尻,伊師本郷付近,および,その北方にある  〜2祝程度の厚さの,チャート,片岩,花商岩の中礫 上台や花貫川南岸の衛星通信所のある台地,さらには,  (pebble)をふくむ砂礫層である(地点1,2,17,18)。

関欄ll・大北川間の台地では・65−35?π付近まで,ま  花貫川や十王川に沿う2,3の地点(図2−1,地点13,

た,磯原北方の磯原工業団地付近で,65〜60御,本地  15,16)では,上述の海成堆積物の上に,長径80cπに達 域北端の大津,五浦付近の台地では,55^・40η程度へ  する花崩岩礫,30㎝2に達する片岩礫や第三系のシルト岩

       注2)と,東へその高度を減ずる。      礫をふくむ礫層ないし砂礫層が認められる。この堆積物

この段丘面を構成する堆積物は,一般に,比較的分級  は,礫の円磨の度合,分級の悪さ,上述の海成堆積物に のよい粗砂,中砂および砂礫からなり,層厚のやや厚い  比して巨礫(b・ulder)をふくむなどの点から,河成堆積 所では・上部の粗砂ないし中砂層の下に細砂層が観察さ  物と解さ札海退にともなって生じた海成面(この段丘 札この細砂層が・10㎜を越える厚さを示す所もある  の原面)上に流入した延長川に関連した堆積物と思われ

(図2−1・地点&駄15)。段丘堆積物の最上部にみら  る。以上の点から,図3の凡例Aで示される段丘面は,

(3)

当間:茨城県北部の段丘地形 (1)      113

図2−1 中位段丘1(M1面)における関東ローム層と段丘堆積物の柱状図       り

Fi昏2−1 Columnar sections of the Kanto loam and the Middle terrace l deposits.

A Surface soil B. Kanto loam  G P㎜ice  D. Sandy volcanicash E. Ashy silt F.Fine sand  αMedi鴨n or coarse sand   H. Gravel  I. Bedrock(↑ertiary)

J. Trace foss il K. Location number        L. Altitude

3     4     5   6

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(4)

図2}2 中位段丘2・中位段丘3,下位段丘における  Aで示された段丘面は,12〜13万年前にその絶頂期に

    関東ロームと段丘堆積物の柱状図Fig.2−2 Columnar sections of the Kant。 loam   達した下末吉海進とその後の海退によって生じた海成段

and the deposits ofMiddle terra㏄2・Middle   丘面と考えられる。ここでは,これを中位段丘1(M1面)

teπace 3 and Lower terrace.       と呼ぶ。なお,Ml面の旧汀線高度は,旧汀線付近の原

花貫川南岸の衛星通信所西方で55η以上)より,ほぼ55

4 一60鵠と推定される。

2

4 ...、27罰37   ぢ   67 鮒    1(鴻o馬    図2−2は,図3の凡例B,C, Dで示した各段丘面

ユ雛嚢糞 の内舗造を示す柱状図である.これらの地形醜一      48°       般に・厚さほぼ5初以内の,花商岩,閃緑岩,片岩礫を

Om       ふくむ礫層ないし砂礫層からなっている。図3,凡例B の段丘面は,本地域西部の主として花崩岩,閃緑岩より なる山地(山頂高度200〜400彿)と,その東方に接す 6 25  26  27  28  29  30   る第三系からなる丘陵との境界部,すなわち,北より小

豆畑,関口,和野を連ねた線付近より,東方にあり,現

4 在の谷底平野と同じ程度の幅で,ゆるく蛇行するように

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轤潤

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分布している。その高度は,本地域北部の木剛ll・花園

?ヤの小豆鮒膿、5幅東方一里見で、。。−8伽,ここから南方へ下相田で50鵬,さらに上相田で40初と

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なり,M1面に比して,急な高度の減少がみられる。また

関根川沿いの関口付近の段丘面高度は110祝で,これよ り現在の関根川の谷をはなれ,北東へ中郷へ向かって塩 海進とその後の海退によって,その原面が生成された海 田川の谷へ続き,細原で60初,その東方(図1地点7付 成段丘面であり,一部花貫川や十王川に沿った地域で  近)で50〜40㎜となる。さらに,花貫川の北尾高萩 は,海退にともなう延長川に由来する堆積物がこの上に  西方では,和野で高度が110徊で,ここより東方へ低下 堆積している。      し,高萩の市街地のすぐ西にあたる高萩高校では40祝と

さらに,関東ローム層の層序から,図3,凡例Aで示さ  なる。

れる段丘面の同一性について検討する。段丘の原面をお   高度が100郷を越える小豆畑や里見,関口付近,和野

おう関東・一ム層は,囎伽上限(原面)よ吐1一 付近の駈面は,大倉(、953掌)による上位面,中川2mの所に,厚さ・・一・5⑳飴色細粒軽石よりな (、96鍔)による椴丘1。あたるものであり,臨下相ち鹿沼軽石層(賜、957蟹さむかつ色。一み層であ田や上相田,鯨台磁から高萩高校付近にかけての

り,その全体の厚さは,表面にみられる黒色の表土層を  40〜60祝の段丘面は,両者によって,それぞれ,中位 ふくめて2.5^・5㎜程度である。図2−1の各地点のロ  面,皿段丘とされたものである。しかし,筆者の写真判 一ム層は,ほぼ同一のものと解される。なお,地点4,6  読によれば,上記のように,これらは,小豆畑から上相 では,海成堆積物のすぐ上に,一部で,1−2伽の長さ  田へ,関口から細原へ,そして,和野から台高萩,高萩 の円筒状生痕のみられる火山灰質シルト層が認められる。 高校付近へ高度を減じながら続く,同一の段丘面である

これは,この段丘面に対比される那珂台地の茨城粘土層  ことが明らかとなった。この段丘を構成する堆績物は,

(躰ほカ・・97芽))と同様のも呪海退 ・ともなって各地点(図2−2,地点、乳2、,2職2。2璃)とも,

紗した内湾あるいは髄地の環境を反映した繍物と一般に最大5。伽、㈲花商岩麗ふくむ礫層ないし 解される。また・地点17では・鹿沼軽石層の蕊原面の  砂礫層である。この堆積物は,分級の悪さ,亜円礫亜 すぐ上に・不明瞭ながら・細粒軽石をふくむ部分が認め  角礫を主とするという点からみて河成堆積物と考えられ られた.この軽石は,綱台地軽石層(賊・95㌍)難 る.この河成の願をおおう関東。一ム層は源面より 相当するものと思われる。これらの諸点から,図a凡例  上1−2㎜の所に鹿沼軽石層をはさむかっ色ローム層で

(5)

当間:茨城県北部の段丘地形 (1)       115

図3 調査地域の地形学図

Fig.3 Geomorphological map of the studied area.

A、Middle terrace 1(MI surface)  B. Middle terrace 2(適2 surface) C.Middle terrace 3(M3 sur−

?≠モ?j D.工ower terrace(L surface) ]立Beach ridges and low ridges in alluv葛al plain

F.]Marshy plain and alluvial lowland G。 Terrace scarps and hillslopes having drainage sysfem H.舳ndoned ch包㎜els I. Fo㎜er shoreline of the MI surface

J・Huge coal−waste heap and area prepared for industrial complex or housing

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(6)

各地点とも,ほぼ同様の関東ローム層をのせていると考  図4 Ml面における段丘堆積物の基底面の地形 えられる・以上の点から・図3の朋Bの駈面1劇・弐tgBl認「黙、}催aphy°f the M・su「face ぼ同時代に形成された河成段丘面であると解釈する。こ  B.Former shoreline

こでは,この河成面を中位段丘2(M2面)と呼ぶ。       α脚讐 M2面をおおう関東ローム層は, M1面のものと類似し      尋       

ている.この点施噸はM、面と同時代に形成された    ,無磐

醗漂騰河離辮磁蹴芝饗  1気調

者は・双方を別の時期に形成されたものと考える・すな

      死

メ度は駆6伽である・臨関・から細原一続く   瑠艇      、M2面の原面高度は,細原で55陥その東方(図1,地       箒

点7付近)では46ηと低下し,さらに,和野から台高萩        曽

驚灘灘課驚灘  黛勿郷か

     り  Aτム帆A∩o巳

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たがって,M2面は,海成面であるM1面が離水し,陸化し         $g

甑れを下一された河成駈一と解  餐嚇・」…

図3,凡例Cで示した段丘面は,M2面をさらに下刻し

て発達した段丘面で,関口東方では2段の段丘面が認め  図5M1面の原面および段丘堆積物最上部の層相 られる.この段丘面を構成する繍物は・「般1㍉M・面 !19翻無蟹瓢認1,灘e躍、総 es

同様,花崩岩や閃緑岩の巨礫,片岩礫を主とする礫層な  A・StIatified medi㎜or cQarse sand        B.Sand and gravel

「し砂礫層で(図2−2,地点23,25,30)・その分布と  C.Gravel including boulder 層相から・河成繍物と解される・礫は・最九長径5・豊:留欝鍵}、譜「face

〜80(切程度で,M2面に比して,やや小さいようにみえ

る。河成の原面をおおう関東ローム層は,原面より上1      削,、ぱ

耐伽の所に鹿沼軽石層をはさむカ・っ色・一ム層で・    \ も㍉   

の相違は,関東ローム層の層序からも確認される。図3,凡

       膨や5 痰bで示した段丘面をここでは中位段丘3(M3面)と         距 琴も 呼ぶ。なお,M3面は,関根川北岸では,関口のやや東方         …圃ゐ瀕

謫モ一分布龍壺から塩田川の谷沿いに分布する   ・勤欄

@       鰍/、馬段丘面へ連なる。      ,召騨      δ 図3の凡例Dの地形面1工鹿沼軽石層のみられない,       一、、

厚さ・彿前後のかっ色・一ム層をのせており・その段丘   閥  _ 麗

レ鵬長綴鼎繋齢二髪 壌 ミi

鵬織窃雅瓢脳黛呈蕩並∵  餐瓢.

O   l   z   3㎞

面より後に形成された河成段丘面である。ここでは,3      職誰 つの中位段丘と区別して低位段丘(L面)と呼ぶ。L面

(7)

       117当間:茨城県北部の段丘地形 (1)

は,本地域南部の伊師本郷付近,高萩西方の花貫川北岸, 海崖下に礫浜が,そして,砂浜が発達していったと推定さ 大北川や木皿川沿いに広く分布し,その高度は,伊師本  れる。また,花貫川南側,衛星通信所のある台地でも 郷付近で25〜20鵬,花貫川沿いで80−20彿,大北川  (図2−1,地点12),高度50窺の基底面上に,磯原北 沿いで50創15㎜,木皿川沿いで80−20初で,いずれ  方のものと同様の斜層理のみられる砂礫層が堆積し,砂 も海側へ向かって高度を減ずる。      浜が発達したものと推定される。これに対して,旧汀線

結果として,本地城の段丘面を表1に示すように区分  の走り方からみて,海進絶頂期に,やや海が湾入してい した。つぎに,各段丘面の段丘堆積物および関東ローム  たと思われる中郷東方や石岡付近では,上記の地点に比 層の分布,層相に関する資料に基づき,M1面よりL面に  してやや分級の悪い,また特徴的な斜層理を欠く砂礫層 いたる段丘面の形成史を記述する。      が堆積した。ここでは,波のやや弱い,内湾的環境にあ

      ったと考えられる。なお,当時,海浜堆積物が堆積して4.中位段丘1(M1面)の形成史

いた地点は,図5に,凡例Aの記号で示し,やや分級の

 中位段丘1(Ml面)は,本地域より南へ 日立付近の  悪い砂礫が堆積していた地点は,凡例Bの記号で示した。         21)多賀面(貝塚,1957)へ,そして那珂台地へ続く海成面  海進の絶頂期に,より沖合にあたる,粟野から伊師本郷

であり,下末吉海進とその後の海退によって生成,離水  へかけての地域では,現在段丘堆積物上部の粗砂,中 したものである。っぎに,本地域のM1面が,下末吉期に  砂層の下にみられる細砂層が,浅海底に堆積していた。

どのようにして生成したかについて述べる。       12〜13万年前の下末吉海進の絶頂期がおわると,海  図4に,M1面を構成する海成堆積物の基底面の地形を  がしだいに後退しはじめた。これにともなってM1面の

@      22)

ヲす。この図は,大まかに見て,大倉(1953)の描いたも  原面が離水し,一部では,内湾海底から低湿地への環境 のと類似している。基底面は,旧汀線より,海側へむか  の変化が生じ,こうした地域に降下した火山灰は,火山 って低下するが,粟野から川尻にかけては,高度40〜30 灰質シルト層として原面上に堆積した(図2−1,地点 η揃後,幅2㎞内外で,わずかに海側へ傾く,平坦な台  4,6)。海が,旧汀線より,粟野,高萩付近の,原面高 状地形がみられる。これに対して,高萩北方の仁田沢付  度35〜40祝程度の地域まで退いた頃,段丘堆積物最上 近(基底面高度19㎜以下),花貫川河口付近(基底面高  部の海浜堆積物が堆積し,比較的平坦な浜堤が出現した 度15窺前後),伊師のやや南方(基底面高度23勿の各  (図2−2,地点8,9,10,11,13,14,図5の凡例Aで示さ 地点付近では,台状地形に対して谷地形をなしている。  れた地点)。なお,現在の岬部にあたり,粟野,高萩付 下末吉期の海は,この谷地形のみられる起伏に富んだ地  近に比べ,M1面の開析が進み,狭い台地面しかみられな 域へ侵入し,谷部に,基盤のシルト岩礫をふくむ細砂層  い大津,五浦付近や,本地域南端の伊師浜・川尻間では,

を堆積し,尾根部を波食して,高度30郷前後から上の台  比較的段丘堆積物が薄く,特徴的な斜層理砂層も認めら 状地賜なわち波飴(wav。.cu、 p1。、f。,m)を形成した れない。これらの地域では,海退に際して,礫浜あるい

と考えられる。この平坦な台状地形の表面には,第三系  は砂浜の発達が良好でなかったものと思われる。

のシルト岩を穿って,穿孔貝(boring shell)の生痕が残      5.中位段丘1(Ml面)形成後の段丘面の形

されており(図2−1,地点10,11),干潮線以下の波

フ作胱受ける瀦に,これらが蛆して、裁のと推  成史

定される。波食台の形成は,海の侵入(=相対的な海面   本地域では,M1面形成期(下末吉期)より,沖積世海 の上昇)にともなって促進され,2撫の絶頂期蛭す 進にともなって平野が形成されるまでに激段の河成段

なわち,海面が,高度55−60彿付近に達するまで続い  丘面が形成された。上述のように,筆者は,これらの河 たと思われる。この結果として,高度30〜40㎜付近で, 成段丘を,古いものから,中位段丘2(M2面),中位段 傾きがごくわずかで,旧汀線付近で,傾きが急になるよ  丘3(M3面),下位段丘(L面)の3つに区分した。

うな波食台が形成された。       図6は,関根川北岸の関口,宝壷,中郷付近の地形を 海進の絶頂期には,磯原の北方では,海側へ波食台に  概念的に示したダィァグラムである。ダイァグラムのう 続く基底面上に,波の作用によって良く円磨された扁平  ち,右下(東側)に,M1面にあたる高度50〜60窺の平

な巨礫をふくむ礫層が堆積し,その上に,分級の良い粗  坦な台地があり,M2面は,関根川沿いの関口から塩田川 砂,中砂が積み重なった。すなわち,そこでは,当時の  沿いの細原へ,高度110〜5伽までしだいに高度を減じ

(8)

図6 中郷付近における段丘面の開析状態       沖積平野へと,しだいに東へ流路を移動していった結果

F噛6Dia9「am showing th「ee dissected su「faces 生じた開析扇状地面のようにみえるが,子細に空中写真(M1, M2 and M3)near Nakag6 in Kita−Ibaraki.

んMI surfa㏄B. M2 su㎡ace C. M3 surface   判読を行なうと,和野のやや東方,坂東塚付近において D°Fo「me「sh)「eline of the Ml su「face      80〜90ηの高度で,南東方向へ傾くM2面力㍉北側の 99.0ηの三角点で示される尾根と,南側の90ηをやや

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越える丘にはさまれた谷底平野面であることが判明した。

ネお,坂東坂の東でM2面の幅が広くなるが,これは,

ゥっての花貫川が,M1面内に流入することによって,こ 刻み込んでできた平野の幅が多少広くなったもので ヘないかと考える。この地域のM2面の構成層は,1〃揃 繧ニやや薄い,花商岩礫を主体とする礫層である。なお,

アの時期に,和野付近では,花貫川北方にある関根川の x流が,当時の花貫川と合流していた可能性も考えられ 驕B

@以上の点から,本地域のM2面は,第三系の丘陵では,

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Z撚一懸.   ・、」   り   捗、 幅の狭い谷底平野面であり,下流へ,M1面の分布域に流

?オた川は,M1面を刻んでM2面を形成したと解される。

サして,M2面形成後,木皿川,関根川,花貫川など,本 地域の主要河川は流路を変更し,その上流を争奪された M2面では,川が無能川(misfit river)となり,争奪を 受けた所には,風隙(w孟nd gap)がよく認められる。

ながら分布する。細原付近より下流では,M1面を刻む,   図6のM3面の分布をみると,関根川沿いに,2段の 1段低い河成段丘として,M2面が認められる。すなわち, M3面があり,そのうち下段のものは,関口のさらに東 かつて,関根川は,関口から細原を通り,塩田川の谷に  方で北北東へ曲がり,宝壺から塩田川の谷へ分布する。

流下し,第三系よりなる丘陵内に幅のせまい谷底平野を  すなわち,M2面形成後に,関根川はM3面の分布域の位 発達させ,さらに下流へ,より以前に形成されていたM1 置に流路をとり,そこに谷底平野を形成し,塩田川の谷 面の分布域へ流入し,これをけずり込んで,1段低い河  沿いに東方へ流れて,M2面を下刻し,さらに1段低い河 成平野を形成していたことが推定される。この時の平野  成平野面を形成した。現在,M3面は,塩田川沿いに粟野 面がM2面である。      付近まで分布し,その高度は25郷前後となる。なお,こ

こうしたM2面の分布は,本地域でよく認められ,木  の地域のM3面は,厚さ3初以内の花簡岩礫の目立っ礫 皿川・花園川間では,小豆畑付近で,M2面が,現在の木  層からなっている。段丘面の勾配は,塩田川沿いの高度 皿llの谷とわかれ,東方へ,現在の花園川の谷へ分布し, 30η前後のM1面では,かなりゆるくなる。また,本地 ここから南へ方向を転じて,上相田付近で再び現在の木  域南部の伊師本郷付近にも,高度35〜20彿で,比較的 皿川に接近する。上相田付近のM2面と石岡付近のM1  勾配のゆるいM3面が分布する。この段丘の構成層も,

面の高度関係から,M2面形成当時,このような流路をと  厚さ3彿程度の礫層であり,その分布からみて,かつて っていた,かつての木剛llは, M1面の分布域へ流入し,  伊師本郷を通って北東へぬけていた,かつての十王川に M1面を刻み,1段低い河成平野面を作っていたと推定  よって作られたものと解される。総じて,]M2面,M3面を できる。また,この地域の第三系の丘陵内では,小豆畑  作った河川は,現在では,より西あるいは南側に流路を 里見付近より,幅の狭い谷底平野が形成されていた。な  とって流れている。こうした流路変更が何故生じたかに お,関根川北側のM2面も,木皿川・花園川間のM2面  ついては,現在のところ,正しい解答をあたえるほどの も,ともに,5〜6彿以内の厚さの花商岩の巨礫をふく  資料を得ていない。

む砂礫層からなっている。一方,高萩西方のM2面は,   鹿沼軽石層降下後,下位段丘(L面)が形成された。

かつての花貫川が,低位段丘の位置へ,そして,現在の  これは,花貫川北岸では,少なくとも2段にわかれるよ

(9)

当間:茨城県北部の段丘地形 (1)       119

うであり,より上の段丘は,厚さ5彿の花醐岩礫を主体  地に位置した川の刻み込みによって生じた谷と解される。

とする礫層からなる。このL面が,南関東の立川段丘の   一方,石岡付近のように,海退にともなって,内湾か ように,現在よりも低い海水準期に形成されたかどうか  ら低湿地へ移行した地域では,平野であった頃に,川が などの,第四紀地史に関連した問題についても,今のと 位置し,その後の開析は,こうした川を中心にして進行 ころ,十分な資料を得ていない。      し,その周辺に水系網が拡大していった。このため,こ

の地域では,開析がかなり進んでいる。また,大津や五 6.段丘面の開析状態      浦,伊師浜・川尻問では,海成の堆積物が薄く,海進以

さきに,本地域に分布する各段丘面の形成史について  前にあった谷地形が,海退後も埋められずに微起伏が残 述べた。現在の段丘地形は,過去のある時期に形成され  ってしまい,凹地に川が位置して開析の進行を促進した たその原面が,川の侵食作用と斜面での物質移動によっ  とも考えられる。なお,細部にわたる原面の起伏がいま て分割,解体されつつあるものと考えられる。ここでは, だ十分に把握されない現状では,これを確実な資料をも 段丘面の開析という側面から段丘の発達を考える。   って検証できない。

粟野・伊師本郷間には,M1面がやや広く残存している。  台地面の保存のよい粟野・伊師本郷間の地域では,関 一方,本地域の北部,大津,五浦付近より粟野までと,  根川が,かって,この地域をさけて塩田川へ流入してお 本地域南端の伊師浜・川尻間では,ごく断片的に,狭い  り,M2面の形成期に,花貫川は,現在より北の高萩付近 M1面が分布するにすぎない。以下に,段丘面の開析状  を流れていた。また・十王川は,M2面の形成時まで・伊 態の相違を生みだす,諸条件について,とくに,M1面の  師本郷から東北方へ流れていたが,その後,比較的平坦 内部構造,段丘面の形成環境などの差異に注目しながら  なM2面を残して,東方からさらに東南方へその流路を 論ずる。M1面の保存がよい粟野・伊師本郷間の地域では・ かえてしまった。このように・段丘面の保存のよい地域 上述のように,厚さ5−6初から,一部で20彿を越える はまた,主要河川の侵食から取り残された所でもある。

海成の砂層および砂礫層が観察される。とくに,段丘堆   図6において,本来,狭い谷底面であるM2面は,そ 積物の最上部には,ゆるく海側へ傾く斜層理を示す粗砂, の両脇を区切っていたであろう谷壁が,周囲の谷の発達 中砂からなる海浜堆積物がみられる。一方,段丘面の保  によって,ほとんど削りとられてしまっており,河成礫 存が悪い大津,五浦付近,および伊師浜,川尻付近では, 層からなるM2面の部分のみが台状に取り残されている。

多少凹凸のみられる基底面の台状地形の上に,厚さ1初  このように,元来,谷底であったM2面は,現在では台 前後の薄い砂礫層が堆積している。また 同様に,段丘  状の尾根となり,逆転地形となっている。また,M3面で 面の保存が悪い粟野,石岡付近では,やや分級の不良な  は,両脇の谷壁斜面をなす丘陵は,主として北東方向や 砂礫からなり,所によっては,関東ローム層の下部が,  南西方向から伸張してきた谷の発達によって,山頂高度 内湾や低湿地のような環境を推定させる火山灰質シト層  を低められ,その山頂とM3面との比高は,わずか20祝 となる。この火山灰質シルト層は,磯原北方でも認めら 程度となり,所によっては,南南東から伸びた谷が,直 れる。       接,側面からM3面を侵食しはじめている。本地域のM2

横浜付近の下末吉面では,海退時に浜堤となった地域  面は,とくに,こうした開析状態を示すことが多く,木 では,駈面の保存狼いといわれる(太田ほか」973)皿・1,花副ll間の下欄,上相鮒近,高萩西方のM2 本地域においても,段丘面の保存のよい地域には,段丘  面などは,両脇の谷の発達によって,台状の地形となっ 堆積物の最上部に海浜堆積物がみられる。すなわち,M1 ている。なお, M1面については,大津,五浦付近のM1 面の原面の陸化時に,こうした地域では,ちょうど,現  面も,地形のみから旧汀線を認めることはできず,孤立 在の高萩付近の海岸線付近にみられるような浜堤が発達  した台地をなしている。

達せず,段丘面の開析は比較的おだやかに進行したと考  狭く,断片的である。これに対して,段丘面形成後,川 えられる。図3によれば,この地域では,海岸線に直角  の流路が変り,風隙や無能川が出現したような所と,小 方向に,段丘面を刻む谷と,海岸線に平行する方向の谷  規模な川に沿っては,M2面, M3面の保存がよい。主 がみられる。このうち前者は,この地域の段丘面の「般  要な谷沿いでは,段丘面形成後,川の侵食によって,谷 傾向に対応した必従谷と思われ,後者は,浜堤間の微低  底部に分布する段丘面が消滅してしまうのに対して,無

(10)

能川の流れる谷や小規模な谷では,段丘面形成後の川の

@       謝  辞侵食作用が弱く,段丘面が保存されやすいと解される。

最後に,下位段丘(L面)の開析状態について,とく   今回の調査には,東京教育大学大学院の島野安雄氏,

に,L面が広く分布する高萩西方,花貫川北岸の地域に  神奈川県立鎌倉高校の朝野哲夫氏,本学教育学部学生あ 関してのみ述べる。図3によれば,L面には,細長く,  片岡 均君の協力を得た。また,横浜国立大学教育学部 やや枝の少ない樹枝状の浅い谷がみられる。また,L面  の太田陽子教授にはポーリン社製気圧高度計の借用を快 南方の花貫川の沖積平野には,これと類似した分布をす  諾していただいた。これらの人々に深謝いたします。

る旧河道と思われる微低地が認められる。この点から,

      注L面に発達しつつある浅い谷は,現沖積面にみられる旧

河道状の溝のような地形を出発点としているものではな  注1 これらの台地名は,青野寿郎・尾留川正平編 いかと思われる。なお・この点については・より十分な    (1968):日本地誌5,659EのP.227の地形区分に 資料が必要である。      よった。

7.おわ り に       注2 図3の各段丘面内に描いた等高線は・国土地理院 発行1/25000地形図の等高線にっいて,幅約300初 本報告では,川尻・五浦間の地域について,段丘面の   の谷を埋めたものである。

区分を行なうとともに・各段丘面(原面)の形成史の解  注3 海成の段丘面の形成に関与した海がもっとも内陸 明と開析状態の把握という2つの側面から・段丘の発達    まで到達した時の海岸線を旧汀線と呼ぶ。

について論じた。今回の調査で明らかとなった事項を以  注4 貝塚によれば鹿沼浮石層 下にまとめる。      注5 貝塚によれば那珂台地浮石層

(1)本地域では・古いものから・中位段丘1(M1面)・ 注6 小豆畑付近では,東方へ分布するこの段丘面が,

中位段丘2(M2面),中位段丘3(M3面),下位段丘     南方へ流路をとる現木皿川によって,その上流を争

(工面)の4つの段丘面が認められた。このうち,M1面   奪され,風隙(wind gap)をなしている。

は下末吉期に形成された海成段丘であり・その他は河成  注7 図2−2,地点27では最九長径1.4彿の巨礫が 段丘である。      観察された。

② M1面の旧汀線高度は・本地域で55〜60那であ  注8 M3面は,関口の東方で,現関根川によって,その る。       上流を争奪され,風隙(wind gap)をなしている。

(3)段丘面の保存のよい粟野・伊師本郷間のM1面は・ 注9 この台状地形は,伊師浜・川尻問の地域では,高 海退時の浜堤にあたり・より北の石岡付近のより開析の    度20η程度まで海に向かって低下するが,高度40 進んだM1面は・内湾海底から低湿地へ移行した。     〜30ηの台状地形に比べ,30呪以下では,傾斜を

9④ 従来・本地域で上位面・あるいは第皿段丘といわ    増し,急に高度が減少する。

れたものは,M2面に属する。

⑤ M2面とM3面は,主として谷底平野面であり,     引用文献

M2面形成後・河川の流路変更がみられ・風隙をもった  1)町田 洋・鈴木正男(197D:火山灰の絶対年代と 段丘面が残存している。      第四紀後期の編年一フィツシヨントラック法による

⑥ 第三系からなる丘陵域に分布するM2面, M3面    試み,科学,41,250−258

は・その周囲の丘陵頂部の急速な侵食・削剥による山頂  2)成瀬洋(1965):海水準変化の諸問題一日本にお の低下にともなって・孤立した台地状の地形となり・徐    ける第四紀地質学の一断面第四紀研究,4.83_94 々に地形の逆転が生じつっある。       3)斉藤登志雄・石井二夫・尾崎 博(1956):水戸市

以上の成果をふまえ・今後本地域の南に接する日立    付近に分布する成田層,地質雑,6琴399

付近の段丘地形について調査を行なう予定である。その  4)貝塚爽平(1958):関東平野の地形発達史,地理評,

際とくに,M1面の内部構造すなわち波食台や海浜堆積    31,5g−85

物の分布を詳細に把握すること・M2面・M3面・L面の対  5)小池一之(1961):那珂川流域の地形発達,地理評,

比・各地形面の開析状態などに留意する。         3曳498−513

(11)

当間:茨城県北部の丘陵地形 (1)      121

6)町田 貞(1957):段丘堆積物より見た久慈川中流  17)坂本享・田中啓策・曾屋龍典・野間泰二・松野久 の河岸段丘,東京教育大地理学報告1,113−134   也(1972):那珂湊地域の地質,地域地質研究報告,

7)貝塚爽平(1957):関東平野北東部の洪積台地,地    地質調査所,94P.

学雑,66,217−230       18)前掲 7)

8)岩下泰也(1967):日立地方の海岸段丘,茨城大卒  19)前 掲 9)

論52      20)前 掲10)

9)大倉陽子(1953):常磐沿岸地方南部の地形一特に  21)前 掲 7)

海岸段丘面の形成過程について,地理評26,52−62  22)前 掲 9)

10)中川久夫(1961):東北日本南部太平洋沿岸地方の  23)三位秀夫(1963):海蝕と海水準の関係にっいて,

段丘群,地質雑,67,66−78      海洋地質,2,8−17

11)前掲 9)       24)Bradley, Wα(1958):Submarine Abrasion 12)前 掲 7)       and Wavecut P latf。rms,Geol, Soc, America 13)前掲10)       Bul1.,69,967−974

14)前 掲 8)      25)太田陽子・当間唯弘・須磨重允(1971);台地の構 15)前掲 9)       造と開析,日本地理学会予稿集1,105

16)前 掲 7)

(12)

Geomorphological Study on Terraces in the Northem Part of I baraki Prefecture, Japal1.一 (1)

一AMarine Terrace and Fluvial Teπaces in Coastal Area from Kawajiri to Izura.

Tadashiro Tδma

Abstract

Two Marine terraces and some・f1ロvial.terraces have been recognized in the coastal area 丘om Hitachi to Kita−Ibaraki. In this p司per, privious classifications and correlati㎝s of the terra㏄s

distributed in the area from Kawajiri in Hitachi to Izura ih Kita−Iba臓ki, are re−examined throUgh the interpritati on of aerial photgraphs and observations of teπace dq⊃osits and  the Kanto loam (weathered volcanic ash bed).

The。 evolution of these terraces is discussed on  the basis of the process of fomation and dissection of their original surfaces・

In the studie己area, the terrace surfa㏄s are classified into Middle teπace 1 (MI surface),

Middle terrace 2(取12 su㎡ac{ウ,Middle terrace 3(M3 surface)a貝d工ower terrace(L sur釜ace). The Middle terra㏄1 孟s a marine teπace formed during the age of  t】be Shimosueyoshi transgression

and the then shore豊ine is 55−60m above present sea leve1. Three terraces younger than Middle terrace l  are  fluvia1.

It is inferred t㎞t the MI surface around Takahagi㎝erged to become slightly

undμlating beach ridges and that near Iso㎞ra in Kitrlbaraki it be㎝me m訂shy plain i㎜ediately

・ft・・ th・Shim・・uey・・hi t・a・・g・essi・n peak (120,000−130,㎜F・T.y聡. B.P.). At p,esent, th。

elevated MI surfaces are more dissected in the part of the ancient marshy plain than of the former beach ridges.

After the transgressi㎝, three strath termces were formed(M2,M3 and工in descending order).

At present, the Ml surface and the M2 surface have been dissected.into iso豆ated uplands through the extension of the drainage networks in adjacent hilly lands.

参照

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