無知を照らし出す知(小
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古典は自己を映す鏡であると言われるが、『弁明』は自己がいかなる者であるかを問いかける作品である。プラトンの他の著作と異なって対話形式ではなく、ソクラテスのモノローグが主であるため、読者は紀元前三九九年の古代アテナイの法廷の裁判官の一人であるかのように直接ソクラテスの一一一一口葉に耳を傾けることになる。読者はおそらくソクラテスを自己に照らして裁くことになるだろうが、結局はそのように裁いた自己自身もソクラテスによって裁かれているのである。すなわち、ソクラテスを裁いた当時のアテナイ市民が、この『弁明』という書によって、現代に至るまで裁かれてきたように、我々が『弁明』を読むたびに、自己が哲学する者か、哲学を排する者か、あるいはどうでもよい者かが問われているのである。したがって、『弁明』のソクラテスは現代においても、哲学する者と哲学しない者とを分ける試金石のような存在である。
無知を照らしだす知
「諸君は私からは真実のすべてを聞くであろう。」ヨワ 『ム弊ⅡⅢ叩刀』ⅣIL小於w叫川〃7(U八Vノ均7ノ}イノ}〒17八mW紺刊川志出心-111〃--1 「「I
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『弁明』のユニークなところは、自ら哲学をすることによって告訴された哲学者が一般市民に対して自己が哲学することの意味を弁明しなければならないという歴史事件に即した設定にある。すなわち、普通の哲学書のように、すでに哲学に関心のある読者に対して、哲学に固有な問題を純粋に思考の展開に基づいて論じた著作ではなく、哲学者が哲学に関心をもたない者に哲学することの意味をどこまで納得させうるのかということを事実に照らして示した著作である。そのため現代では一種の哲学入門のように読まれ、読まされる本となったが、誰にでも哲学に興味をもたせ、哲学が分かったと思わせるたぐいの本ではなく、むしろ大多数の読者はソクラテスと哲学に対して根強い反感をもったままで終わるであろうことを、ソクラテスの死刑という事実をもって先だって示してくれる本でもある。すなわち、哲学する者と哲学をしない者と理解の断絶に面して、相手の理解を開こうとするのは哲学する者の側であり、また相手が自ら哲学する者とならないかぎり対話が成立しないという現実を考えさせる書でもある。
『弁明』を始めるにあたり、ソクラテスは自分が法廷弁論にたけた者ではないとわざわざ断っているが、『弁明』を読む我々にはソクラテスがありあわせの言葉で語っているとは思われず、周到な論理的な筋書きに即して語っているように受け取れる。確かにソクラテスは最後まで美辞麗句に 「諸君はありあわせの言葉で心に浮かぶままに一一一一口われるものを聞くだろう。」弓の
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自分の語り方が普通の人々の好意を得られないだろうと十分に知っていて、あえてそのように語
るということは、それがソクラテスの命をかけたぎりぎりの選択であったことを示している。ソクラテスは人々に気に入るように話すこともできたわけであるが、たとえそのように話すことによっ て有罪にならずにすんだとしても、それは人々がソクラテスの真実を真実として理解したことには
ならないと考えたのである。そのため、ソクラテスは聞き手の関心に合わせて語るのではなく、ただ自己の真実だけを語ろうとする。そのことは同時に、聞き手が自分の好き嫌いに従うことなく、 語られた真実のみに心を向けて聞くことを要求するものなのである。そこで、もしこのようなソク ラテスの語り方に反感をもつだけであるならば、それは聞き手が感情に左右されやすく、語る者の 態度によって容易にだまされうる人間であり、ソクラテスの語る内容の真偽を判定する資格のない 人間であることを示すことになる。それゆえソクラテスの語り方は、聞く者が真理をどこまで知ろ
うとする者かを試す第一の関門となる。『弁明』は、実際の裁判の形式を踏まえて、ソクラテスが自己の無罪を明らかにするために行っ た第一弁論、有罪確定後刑罰の確定のための第二弁論、そして死刑票決の後の最終弁論という一一一つ の弁論から構成されている。プラトンは裁判の経過をそのまま追いながらも、ソクラテスの過去、 現在、未来に順々と光をあてていくという演出をしている。すなわち、第一に、何ゆえソクラテス 訴えず、人の同情をひくいっさいの効果的なパフォーマンスを拒絶する。そのようなやり方に対す るソクラテスの拒絶は、それが日常となっていた当時の法廷弁論とそれを普通と感じている人々へ の強い批判を含んでいるため、ソクラテスが自己の弁論の仕方に驚かないようにとあらかじめ注意 することは、彼の弁論の仕方が弁論として正当であればあるだけ、聞く人々に強い皮肉を感じさせ
ることになる{二18
が裁判を受けることになったのかということから語り始め、次第にソクラテスによって現に問われている事柄自体に我々が目を向けるように導いていき、最後にソクラテスの死後、若者たちが彼に代わって哲学を引き継ぎ、彼のために弁明するであろうというソクラテスの予一一一一口を加えることで、ソクラテス裁判という出来事の終わりがこの『弁明』という作品の始まりに接続する円環を形成し、現実の事件と作品とが厘然一体と重なり合うように作っている。このようにしてプラトンはソクラテスの事件を過去の一事件にすぎないものではないものとして、いわば時間を超えたかたちで我々の前に提起するのであるC『弁明』がどこまで現実のソクラテスの弁明に等しいのか、さらにはプラトンの語るソクラテス像がどこまでソクラテスの実像なのかという問題は、今日まで長く論議され、決着のつきようのない問題である。プラトンの描いたソクラテスは真理を日夜探求する哲学者であり、神とアテナイのためには命もかける勇気ある正義の人であるが、そのように非のうちどころのない理想的な人間であったならば、なぜ裁判にかけられることになったのかが我々には理解しがたくなる。
もし歴史においてアリストファネスの『雲』がソクラテスについて伝える唯一の資料であったな 「ソクラテスは地下のことや天上のことを探求し、負け目の言論を勝ち目の言論となし、かつ同じことを他の人々に教える点で罪があり、余計なことをするものである。」$ず
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ら、ソクラテスという哲学者の名が現代にまで覚えられるものとなったかは疑わしい(二)。しかし『雲』が初演された紀元前四一一一一一年、すでにアテナイでソクラテスの名を知らない者はいないほど特異な存在になっていたわけである。その時点では、風刺に格好の材料とされ、大衆の噸笑の対象となることで、かろうじて無害な人物とされたと一一一一口えるかもしれない。天上や地上のことを云々する者も、一一一一口論を教える者も、ギリシャ文化の粋が集まるアテナイではめずらしくはなかったが、自然哲学にせよ、弁論術にせよ、もともとアテナイには縁のない外国人がアテナイにもたらしたものであり、アテナイ人の教養を根本から変える力をもっていた。それがいかにアテナイ人の伝統的な宗教観や道徳観を破壊する危険をもっているのかを、外国人ではないが、いかなるアテナイ人とも異なっているソクラテスという不可解な人物に照らして痛烈に批判しているのである。ソクラテスは外来の学問を変にまねたペテン師なのだとみなすことで、外来の新しい知識に対する一般人の劣等感をいくぶん紛らわすことができたのかもしれない。アテナイ人は演劇の内容を真実と思い込むほど教養のない市民ではなかった。ソクラテスが実際に何をなりわいとしているのか分からない人物であり、またその話も雲をつかむようなとらえどころのないものだという漠然とした印象をもっていたからこそ、言い知れぬ不安を笑い飛ばすしか手はなかったのかもしれない。劇中のソクラテスが支離滅裂で荒唐無稽であればあるだけ、アテナイというポリスの見通しの暗さが浮かび上がる作品となっている。ソクラテスとは誰なのか、何をする者なのかを誰もよく理解できなかった。分からないものにも、何らかの架空の名を振り当てることで、人は安心する。しかしそのような当座の安心は長続きはしない。それから二十年以上すぎてもう一度アテナイ市民は、今度は喜劇のなかでではなく、現実の裁判においてソクラテス自身と対決しなければならなくなる。実際のソクラテス裁判は、直接ソク
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ラテスの哲学自体に向けられたものではなく、若者に影響力があると見えるソクラテスという人物の宗教性を第一に問うことにあった一三)。裁判のなかでソクラテスは、いかにポリスの宗教への信心が厚いかを具体的に示そうとするよりも、自己が全身全霊を入れて打ち込んだ哲学という行為がもともと神への奉仕としてなされた行為であって、アテナイというポリスにとってなくてはならない意義をもつのだと説得しようとする。すなわち、反宗教的で、国家に有害であると告発されたソクラテスが、逆に最も敬虚で、アテナイに貢献した人物であることを認めさせようとしているのである。このことは一般のアテナイ人にとって唖然とするしかない出来事だったと言える。ソクラテスは、自分を裁くアテナイ人の価値基準に照らして、自己の哲学することがいかに意義のあることかを人々に納得させようとしているのである。そのことが古い価値観に従うほかには何も頼るところがない者たちの恨みを逆撫でしたことは言うまでもない。価値観というものは人の背後にあり、人が最も盲目であるところのものでもある。ソクラテスは人の最も急所とするところに食いついて離さない人間である。人が何よりも大切なものとして大事にたてまつりながらも、その実質が失なわれていることにうすうす気がついているところのもの、それを白日にさらす人間、それがソクラテスなのである。ソクラテスは誰にも頼まれないのに、自分だけが人を裁く権利を神に授けられたかのように他人の生を吟味する。なんという越権行為なのか。たとえソクラテスの行為そのものを裁く法がないとしても、ソクラテスの信じる神はソクラテスだけの神であって、我々が信じてきた神々とは違うと訴えられるのではないか。長い戦争と疫病による混乱、敗北の屈辱とそれに続く独裁政治の恐怖を経て、なんとかもう一度民主制にもどることができたアテナイ人たちにとって、敵はもはや外にもとめるべきではなく、自分たちのすぐ身近にいたと思われたのかもしれない。最も政治的ではないソクラテスが政治的に排
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「諸君よ、実際はおそらく神だけが本当の知者であり、人間として許された知恵の値打ちはごく些細なもの、いや全く取るに足らぬものであることを、私の名を例として、神は神託の中で言おうとしているのかもしれない。」出酉 除されるということは、自己に対する批判を許容しえないほどアテナイの政治が硬直しきっていることを如実にあらわしてしまった。アテナイの有識者の多くは、ソクラテスが亡命か追放かによって、アテナイの外に行ってくれればいいと願ったのではないだろうか。しかしそれは、他ならぬソクラテスの望むところではなかった。最後までアテナイのために生きて死ぬということが、」アテナイに対する自己の使命だと確信していたからである。こうしてみると、ソクラテスにおいて、哲学と神への信仰、そしてポリスへの忠誠とは、きわめて緊密につながりあっていたことが分かる。このような連関は、あくまでも歴史的な現象にすぎないのか、それともソクラテスの哲学を根本的に特徴づけるものなのか、この点が現代人にとってソクラテスの哲学が理解できない大きな理由であると一一一一口える。
デルフォイの神託がソクラテスの活動の出発点となる出来事として第一に提示される〈四〉。もちろん、親友カイレフォンがわざわざデルフォイにまで出向かずにはすまないほど、すでにソクラテスの知恵は広く人々に驚きを与えうるものであったのであろう。したがって、ソクラテスはデルフ
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オイの神託以前にすでに自らの哲学を始めていたと思われるが、その時点ではソクラテス自身にも自らのもとめるべき知恵がいかなる知であるのかは理解されていなかった。ソフォクレスの『オイディプス王』に自らの真実を知るきっかけを与えたのもデルフオイの神託であったが、ソクラテスをして自らに自らを知らしめたのもデルフォイの神託の謎であった。現代人には文学的な虚構のように感じられるかもしれないが、ギリシャ人にとって真実とは、たんに事実か虚構かという選択肢の一つではなく、自己とは何者かを照らしだすものであり、それは神的な知恵に向かって人間的な知恵の限りを尽くすことを通して初めて明るみにだされる出来事でもあったのである。おもしろいのは、ソクラテスが自分についてなされた神託を素直に受け入れないことである。ソクラテスよりも知者は誰もいないという神託の内容は誤っているように思われたからである。ソクラテスには神が嘘をつくとは信じられないし、かといって自分が知者であるとはまったく思えないので、さしあたって自分よりも知恵ある者を探すことにする。ソクラテスは人と知恵比べをしているようで、実際には神の知恵と対決しているのである。すなわち、ソクラテスが他者よりも知恵があることになれば、神の知恵に負けたことになり、他者の知恵に負ければ、神の知恵に勝つことになるという奇妙な戦いである。この戦いはソクラテスが勝つことで終わる戦いではなく、ソクラテスが負けるまで続けられなければならない戦いなのである。すなわち、普通の戦いのように勝つことが目的なのではなく、負けることによってのみ、神に正当に反論することができると考えられたからである。このように、神の知恵に対抗して始められた戦いであったが、次第にソクラテスはこのようなこの戦いをやり抜くことこそ、神から自己に与えられた使命であると了解するようになる。自己に対するこのような神話的な意味づけは、既成の神話に後退することではなく、新たな自己解釈の可能性を見い出すこととして捉えるべきものと一一一一口える。ソクラテスは直接神に問うのではな
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く、神から与えられた言葉を自分に対する問いかけとして受け取り、その意味を他者に対する自己の問いかけを通して検証するという形で解釈の可能性を開いていく。すなわち、神の言葉の謎を解くためには、他者に向かわなければならず、他者への関係なしには神への関係が無効になるというかたちで、自己における宗教性と社会性とが哲学という行為において抜き差しならない形で結び付けられている。すべてを意味づけるのは、神でも他者でもなく哲学する自己であるが、それは他者との対話という関係を通して自己に明らかになる神の言葉の意味なのであった。ソクラテスにとって神の一一一一口葉は自己について考えるきっかけを与え、ソクラテスがまさにソクラテスであることを明らかにするように、ソクラテスに作用する。ここでソクラテスを内から動かしているものは、真実は何かという問いだけなのである。近代以降、宗教と哲学、信仰と理性とは分離されるべきものという考えが当然のように信じられているため、哲学者であるソクラテスのとった一連の行動は理解しがたいものと思われるだろう。ソクラテスがもし神的な啓示を一切認めない人間であったら、友人が自分のことを神託で聞いてきたと言っても、愚かな友だと思い、たとえ神託が誤っているように思えても別に不思議だとは思わないかもしれない。このような場合神託はその者に何も語らない。ソクラテスが神託の謎を解こうと思ったのも、神託の権威を認めることを前提としているが、自己に真理として明らかにならなければ受け入れないという態度は哲学者の態度である。その結果、ソクラテスの他者に対して行った対話は哲学そのものであるが、哲学をすることの意味づけは宗教的である。確かに古代人は我々よりも出来事の神秘性を捉える感覚がはるかに鋭かったと一一一一口えるかもしれない。しかし、ソクラテスは神秘を自ら感じるに留まらず、真理を自ら確かめるという行為を通して、神の観るアテナイという劇場における自己の存在意義を実現できると考えたのである。
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ソクラテスは自分よりも知恵ある者をもとめて、政治家、詩人、職人を訪れる。これらはすべて アテナイという国家を築き、支えていると思われている知恵を代表するものであった。なかでも政 治家が第一にあげられているのは、政治家こそ国家のすべての事柄に関して舵取りとなる者と考え られたからであった。当時の有望な青年に第一に望まれたことはポリスにおいて有能な政治家とな
ることであった。ソクラテスが政治家に対して、実際にどのような問いを問うたのかについてはここでは一言も述べられていない。明らかなことは、ソクラテスは善美についての知を問うたというカロンアガトンカロンカガトンことだけである。ギリシャ語の美と善を合成して造られた}」の善美という一一一一口葉は、たんに美一般と善一般をかけ合わせた言葉ではなく、完成された人間に対して本来用いられる一一一一口葉であり、
アレテーそのような人間がもつ徳を形容する一一一一口葉であった一五)。したがって、ソクラーナスは、ポリスにおいて善美の人であることが最も期待される政治家に、人を善美たらしめるものとは何であるのかを問うたのであろう。政治家は自己が善美の人であることを語るのに必死となったかもしれないが、「この人間より私のほうが知恵がある。なぜなら、この男も私も、おそらく善美のことがらは、 何も知らないらしいけれども、この男は知らないのに何か知っているように思っているが、私
は知らないから、そのとおりにまた知らないと思っている。だからつまりこのちょっとしたことで、私のほうが知恵のあることになるらしい。」皀已匹I
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無知を照らし出す知(小Ⅱ|)
ソクラテスを満足させるだけの知恵をもちあわせていないばかりか、自分ではそれに気付いていなかった。政治家が善美について知をもたないということは、たんにその人間がめざすべき究極の価値に対する知がないだけでなく、ポリス全体のめざすべき究極の価値に対する知がないという事態を明らかにする。かくして、善美について知らない者がいかにして善美の人たりえるのかという問
題をソクラテスは提起することになる。政治家の次には詩人の知が問われる。詩といっても、古代ギリシャにおいて詩は、特定の文学ジャンルを指すわけではなく、文学全体を包括し、劇場での演劇や音楽を伴う総合芸術であった。とは言っても、書かれたものとして鑑賞される文学、個人の美的享楽のための芸術作品は存在しなかったのである。すなわち、詩は現代のように作家の個人的心情を歌うものではなく、民族の歴史と理想を神話を通して民衆に伝承するための公共的な役割を担ったものとして成立した。アテナイ人は子供の頃からホメロスを暗記し、歌い、演じさせられた。アテナイの民主制を築いた政治家が市民に第一に提供した施設は劇場であった。それはたんに娯楽のためというよりも、むしろ民主制の学校となるものでもあった。詩は市民に何が善美であるのかを訴え、政治の善し悪しを自ら判断する力を養うためのものであった。そのため、様々な劇がポリスの祭儀の際には競演され、そのなかから選ばれた優れた作品には市民から賞と栄誉が授与された。このように詩人の一一一一口葉は時代を越えて民族や社会に影響力をもつからこそ、詩人こそ善美について教えうる者と考えられたのであろう。ソクラテスは、詩人が生まれながらの才能や一種の神懸かりによって作ることを認めるが、すぐれた作品を生みだすこととそれを解釈する知をもつこととは違うことに気がつく。作者以外の者のほうが作者よりも作品をうまく説明できることがよくあるとソクラテスは一一一一口う。詩人は善美だと思われる事柄について巧みに語ることができても、善美そのも
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のについて自らが理解したことを語るわけではない。それゆえ、作品がすぐれていても、作者自身が善美についての知恵においてすぐれているわけではないと結論する。
今日作家が作品について語ることは当然のことであり、マスメディアがそれを要求する。音楽家 や振り付け家でさえ、自己の作品が上映される前に解説させられることが曰本の教育テレビの慣例
である。しかしそれは滑稽なことなのである。すぐれた作品は作者が作品について語りうる以上のものを表現しているはずであり、実際に作品に描かれた以上のことを見る者に感じさせるはずであるが、はじめに作者の解釈を聴いてからしか作品を見ることができないということは、作品自体の 力が足りないか、作品を見る力が足りないかのいずれかをあらわしているからである。すぐれた作
品をすぐれた作品として評価するのは、作る者ではなく、むしろ見る者の知であることを明らかにしたのがソクラテスの知であった。ここでは、後にプラトンが理想国家から詩人を追放すべきだとするような強烈な批判はないが、その発端はかすかに感じられる。詩人の霊感が神託を語る巫女のものと同様のものとして位置づけられ、作者に依存しない鑑賞者の知が存在するかぎりでは、詩人はそれほど有害ではない。しかし、芸術が特定の価値観を民衆に植え付けるための政治的道具として利用され、民衆がそのことにまったく気がつかなくなったときに、哲学は弾圧される。そのようなことは現代に到るまで歴史が繰り
返し証明してきたことである。また政治自体が一つの演技になってしまうこともよくある。へたな芝居であることを見抜く目を民衆がもっていればだまされないのではあるが。最後に職人を訪れるが、ソクラテスの父が神殿を飾る石工であったことを顧みるならば、ソクラテスは自らの出身に関わる知について語っているのである。ソクラテスは技術者に知恵のあることを積極的に認めているが、彼らの知恵は自分の専門とする事柄に関するかぎりでの知恵であるのに、27
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人間に最も重要な善美についても自ら最高の知者であるかのように思い込んでいるため、このよう
な無知が彼らのもっている技術的な知が知恵であることを見えなくすると感じる(六)。そこで、彼 らの知と無知とを両方もつほうがいいのか、今のまま彼らの知に対しては無知のままでいるのがい いのかとソクラテスは自問し、技術知に対して無知のままでいるほうが、善美について無知である ことに無知であるよりも善いと結論する。このような選択は、ソクラテスが家業を継ぐことを止め
た際の決断を確かめるものであったのかもしれない。どちらにせよ善美については無知であるわけであるが、そのことを知るほうが、それを知らない で技術知をもつよりも善いというように、ソクラテスはそれぞれの知のもつ価値を比べているので あるが、実際には善美についての無知の知は技術知とは比較にならないほど価値をもっと言ってい ることになる。我々は技術知をいかにもとうと善美の知をもつことにはならないばかりか、技術知 をもつことでかえって善美の知をもっているかのように錯覚することになると言うのである。現代、 我々は技術知の点でソクラテスの時代よりもはるかに高度な知をもってはいるが、善美の知に関し てはソクラテスよりもすすんだ知をもっているわけではない。むしろ技術的な知の発達によって仕 事の能率が増し、快楽の手段が増すことで、幸福になれると錯覚しているかもしれない。技術によ って特定のことがよりよくできるようになったとしても、それによって我々自身が善美の人になる わけでも、善美についてより明らかに知るようになるわけでもないのである。ソクラテスがはるか 昔に警戒したように、技術知の進歩は善美の知に対する我々の無知を忘れるのに役立っていると言
えるのではないだろうか。プラトンの初期対話篇でソクラテスは善美の知について考えるためにしばしばこうした職人や音 楽家、医者など様々な技術知を具体的な例として引き合いに出している。しかし、そのことは善美
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デイアレクティケー
『弁明』のなかで唯一ソクラーナスの問答法が実際に行われているのが、告発者メレトスとの 短い対話である。ここでソクラテスは初期対話篇に共通する問いをメレトスに投げかけている。す なわち、「若者をより善くする者とは誰か」という非常に具体的な問いである。しかし、それに対
ノモスー〕てメレトスはとっさに「法」といういわば個々人を超えた存在を答えている。ギリシャ人にとの知を技術知と同じような知としてもとめることではない。ソクラテスにとって技術知は、善美に ついて我々がもっている考えが本当に知であるかを吟味するための尺度にすぎない。すなわち、善 美に関する知が知としてあるならば、現に知として成立している技術知と同じ、知としての特徴が あるはずだと予想されるからである。そうでなければ、善美についての知を知としてもとめること は不可能である。しかし、善美の知を技術知と対照することによって、かえって善美の知が技術知 のように限定された知としては成立できないことが明らかになるのである。このようにソクラテス の善美についての問いは、知そのものについての問いと不可分であり、善美の知を問うことによっ
て我々自身のもつ知の在り方が問いなおされることになるのである。「ではどうかここに来て、メレトス君さあ答えてくれたまえ。どうだね、君がこのうえなくた
いせつだと思っているのは自分より若い諸君ができるだけ善くなってくれるようにということなのかね。」画宣五
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無知を照らし出す知(。
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ノモスって「法」はたんに書かれた法というだけではなく、慣習という意味も1閂)っていたが、その社会における人々の行為の伝統的な規範を示すものとして、善悪を分けるものと言える(七)。しかし、ソクラテスはあくまでも「人」についての問いであったことを思い出させ、「法を第一にかつ直接に知る者は誰か」というかたちで問い直す。ソクラテスが問おうとしたのは、法そのものの根拠となる善美についての知、すなわち人を善美たらしめる知をもつ者とは誰かということなのである。その問いに対してメレトスは、機転を働かして、ここにいる裁判官たちだと答える。しかし皆がそうかと聞かれれば皆だと答えざるをえないし、傍聴人はどうか、議員はどうかと聞かれればそうだと認めざるをえなくなり、結局ソクラテス以外の皆が法を知る者だと結論せざるをえなくなる。メレトスは、誰が本当に善美を知る者であるかを区別する基準をもたず、現状の法に従う者はすべて法を知る者であり、すべての市民は法を知る者でなければならないという法の建前を語っているにすぎない。このようにしてソクラテスは、メレトスが若者の教育に関心があるようなふりをしているだけで、現実に何が若者の教育には必要なのかを考えたことはないと述べる。ソクラテスの問いは、誰が善美について知る者なのかという問いであったが、実際にはソクラテスに問われた者が善美について知らない者であることを明らかにする。ソクラテスもメレトスと同様に善美について知る者ではないのに、自己の無知を知るソクラテスは善美について知る者とそうでない者とを分ける知をもっているのである。さらに、ソクラテスはメレトスに対して、もし自分が故意にではなく若者を堕落させているとしたら個人的に教え諭すのが「法」であり、裁判につきだすのは「法」ではないと述べている。当時、些細なことを公の裁判にかけることは罰金刑にあたり、ソクラテスが無罪になれば、メレトスは国家に罰金を払わなければならなかった。したがって、ソクラテスは、法を知らないのはメレトスの
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ソクラテスは自ら政治に関ろうとはしなかったが、それは政治に関心がなかったからではなく、市民一人一人との対話という非政治的なかたちでこそ、政治の本質に関与できると考えたからであ あった。 方であると述べているのである。メレトスは個人的にはソクラテスに太刀打ちできないと感じたからこそ、このような公の場にソクラテスを引き出し、事を簡単に始末しようとしたのだろうが、事の本質は何かを自ら知ろうとはしないのである。そのため、そのことがアテナイというポリスに消すことのできない汚名をもたらすことになろうとはまったく気がついていなかった。ソクラテスは人間にとって何よりも重要な問題については、|対一で、時間をかけて、徹底的に話し合うことが重要であると考えた。すなわち、個々人が善美なることについて考えることは、アテナイの法に認められることであるばかりか、法の正しい理解と運用のためには絶対不可欠のものと考えるのである。事を決定する前に話し合うことこそ、民主政治の長所であるが、あまり考えずに多数決に頼り、大勢の意のままになってしまうことが多い。今日の民主制も同じ問題を抱えているが、古代アテナイの場合、くじ引きによってどんな市民も簡単に政治に参加しうる直接的な民主制であったため、危機に際して付和雷同する民衆を正しく導きうる指導者がなければどうしようもなくなる。当時のアテナイでは、何でも強引に強行裁決にもち込まれることが頻繁であり、ソクラテス|人が反対者になることも少なくなかったと語られている。確かに、ソクラテスのように考えていたら何ができるのかと反論されるかもしれない。しかし、実際に何かをすることだけが政治なのではなく、何かをしないことも政治なのである。何かしなければ現状を変えられないと思い、次々と何かをするがかえって混乱を生み出し、事態を悪化させることにしかならない場合もある。アテナイの政治はまさにそのような状況にあったのであり、ソクラテス裁判もその一つのあらわれで
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無知を照らし出す知(小
ならない。1
我々は何らかのはっきりした効果や進歩をもとめ、今よりも善い状態になろうとする。現代では何事でも量的に損得を計算しなければ、何が善いかどうかを判断できないと考えられている。このような善を測る基準や目標がそもそも正しいのかはあまり問題としない。問題とすれば先に進めない、損をすると思っている。ソクラテスのしたことは、人々に目に見える変化をまったくもたらさない。しかし、自己の外を変えることよりも先に、そのような自己自身の価値・観が本当に正しいかを知ることが大事なのである。そのため、ソクラテスはたいていの人がそれなしにも生きられると思っていることこそ、人生で最も意味のあることだと主張したのである。しかし、善美について何も知らないと言っているソクラテスが、どうして人間にとって最善のことについて語ることができたのであろうか。ソクラテスの生き方を支える知とは一体何だったのか。 った。ソクラテスの対話は自己の正しさを相手に認めさせようとするものではなく、善美に関して自己の無知がどこにあるかを各々が悟るためのものである。何が本当にめざすべきものかを知らないでただやみくもにつき進むことは、勇気ある行為でも、正義の行為でもない。自己が善美に関して無知であることを悟ることによってはじめて無知に基づく不正な行為にブレーキをかけることができる。ソクラテスのやり方は否定的ではあるが、否定を通してしか我々は最善のものを見い出せない。最善をもとめるがゆえに、最善でないものを最善のものと思い込むあやまちを避けなければ
|〈
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ソクラテスは今までにない何か新しい思想を考えだしてそれを教えた者ではない。我々はすぐれ
た思想家に自分では考えつかなかったすぐれた考えを教えてもらえると期待する。ソクラテスに対
してはその期待は完全に打ち砕かれる。けれどもソクラテス本人がそのような期待を徹底的に打ち砕かれた者だったのである。我々は自分の期待通りにならないことについては、何の意味もない経 験であったと評価しがちであるが、ソクラテスはそうではなかった。自己の期待が破られることこ
そ自己の無知を知る絶好の機会となるからである。ソクラテスが求めたのは、議論に勝つことではなく、むしろ打ち負かされることであった。なぜなら、そのことによって、自己の思惑が打ち砕か
れ、真理が明らかになると考えられたからである。ソクラテスは神託を聞く前にも自分が知恵のない者であると思っていた。様々な人と対話した後で、相手は自分の無知を知らないが、自分は自己の無知を知っているという違いに気がつく。無知
は無知でも、無知を知る者と無知を知らない者とでは、知に対してまるっきり違う態度をもつのである。無知を知らない無知の場合、自己は知らないのに知っていると思い込んでいるため、それ以上知る必要があるとは考えない。それに対して自己の無知を知る者は、自己が無知であることを知るがゆえに他人に知をもとめるが、まず他人の知が本当の知であるのかを吟味する。それがソクラテスのした対話であった。もし他人の知を吟味せずに受け入れるならば、それは他人の語ることをただ信じるにすぎず、いつまでも自己の知とはならない。我々が今まで学校で教えられてきたことは、ほとんどが教師の言うことをただ信じるものであっ「もし誰かが私からかって何かを学んだとか、あるいは他の誰も聞かなかったことを何か私に
聞いたとか言うなら、どうか彼の一一一一口うことは本当でないとご承知ありたい。」出ワ33
無知を照らし出す知(Ⅲ
)
論理は、個別的なものと普遍的なものとの連関を言語を通して考えることに基づいている。したがって、自分だけに通用する論理は、論理として通用しない。それゆえ、論理は自己の考えの偏りを打ち破り、あいまいにしていることを明確にする力をもっている。そこで、論理は自己と他者に等しく開かれた関係を可能にするのである。すなわち、対話とは自己の論理が正しいかを他者に問いなおす場なのである。ソクラテスの無知の知は、ただ漠然と自分は無知だと思うことではなく、論理によって明確にされた自己の無知なのである。すなわち、論理によってのみ論理的な欠陥が明 たかもしれない。倫理的なことに関しても、我々ははじめに親から教えられることを信じて身に付ければ善い子として評価される。しかし、自分が本当に善いと思わなければ、人々が要求するように行為しても、それは演技にすぎない。また、我々が善いと思っていることも、社会の常識として信じていることがほとんどであり、本当に自分にとって善いと自分が判断できることはどこにあるのか分からない。それを明らかにしようとしたのがソクラテスの試みであった。ソクラテスの知の吟味の仕方は、語られた事柄のあいだに論理的な矛盾がないか、他にも考える可能性がないかを確かめることである。それは論理的に根拠づけて考える能力をもつかぎりで誰にでも可能である。もちろん、すべての人がソクラテスのようにいかなる時も論理的に考える習慣をもっているわけではないので、なかなかうまくいかない。プラトンの対話篇では、ソクラテスの対話の相手はソクラテスの誘導する論理についていけなくなり、自分の論理の矛盾に気がつかされても、なぜ矛盾に導かれたのかは見当もつかない。しかし、ソクラテスの論理も常に正しいとはかぎらないと考えることができるのは、対話を読む我々の特権である。実際プラトンの対話篇は、読者がソクラテスと同じ様にソクラテスの論理がはたして正しいかどうかを吟味できるように書かれている。
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このような論理を倫理的な事柄に適用させたのが、ソクラテスであった。たいていの場合、我々は建前と本音を使い分けて当然のごとく生きているが、ソクラテスの対話によってそれは論理的矛盾として自己と他者の前に引き出され、自己がいかに分裂した人間であるかが明るみに出される。善いと思うことができないのは、自分のなかに分裂があるからであり、そのことが自己に意識されずにいるならば、ますます分裂を深め、本当の自己は一体どこにあるのかが自分自身にも分からなくなってしまう。ソクラテスのパラドクスと言われる「人は自らすすんで悪をなすことはできない」ということも、たんなる主知主義と片付けるべきものではなく、むしろ人間の不可解さを見据えた言葉として理解すべきなのである。我々は善くないことを善くないと知りながら行うと思っているが、それは自分にとって本当に善くないことが何かを知らないから行ってしまうあやまちであると考えるのである。社会において善いと思われることと自己にとって善いと思われることとが自己において一致しないかぎり、不正を犯さないまでも、常に人々に対して演技をし、自分の思いどうりに人を操作しようとするようになる。したがってソクラテスの論理的な探求は、たんに論理的関係を知るためのものではなく、自己と善美との関係を知るためのものであった。善美について知ろうとすることは、自己が自己に対しても他者に対しても真に善美の人となることを目的とするのである。なぜなら、善美を達成することは、たんに自己の目的であるだけでなく、社会全体の目的でもあるからである。そのため、対話によって自己と他者との善美に対する共通理解をもとめることが、社会における真の倫理的な関係を実現するために必要な前提となるのである。すなわち、論理によって、|人よがりの倫理は倫理としては通用しないことになるのである。 らかになるのである。
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無知を照らし出す知(小
)
戦時だけではなく、平時でさえ政治的危険にさらされていたソクラテスが死について考えない時
はなかったのではないだろうか。『弁明』の最後に、驚くべきかたちで無知の知が語られるのは、死に対する無知の知である一八)。すなわち、死を恐れるとは、死が人間にとって最善のものかもし
このように自己と他者との対話に基づく倫理的関係をもとめるソクラテスの観点は、保守的な伝統主義者にも、過激な相対主義者にも受け入れられない。|方はその社会古来の慣習に従うことのみ正しいとし、他方はそうした慣習もそれぞれの社会において人が勝手に作ったものにすぎないと 考える。どちらにとっても異なる価値観をもっ者のあいだで、人間のもとめるべき真の価値とは何 かについての対話は成立しない。ソクラテスは社会の慣習の意義を否定するわけではなく、人間が 人間としてもつべき徳という普遍的な観点からそれを捉えなおそうとしたのである。そのため、ソ クラテス自身は予想しなかったことであるが、ソクラテスのもとめた倫理は特定の社会に限定され
た倫理という枠を越えて、すべての人間の共同体における倫理という意味をもちうることになるのである。「ともかく諸君、このことは、つまり死を免れることは難しいことじゃないのではないだろう か。むしろ悪を免れることのほうがはるかにいっそう難しいのではなかろうか。というのは悪
は死より足が速いからである。」窓口-(二
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れないのに最悪のことのように思い込んで恐れることであり、我々は死について何も知らないのだから、死を恐れる理由はないと言うのである。同じく、この世の生に耐えられない者が死を望むように、死を最善とみなして死を望む理由もないはずである。したがって、ソクラテスは死に対して恐れることも、望むこともないのである。すなわち、死はそれ自体として我々の知の対象とはなりえないがゆえに、恐れや欲求の対象にもなりえないと考えるのである。普通の人にとってこれはやせ我慢と思えるかもしれない。死は未知のものであるがゆえに恐ろしいと思われるからである。しかし、ソクラテスは、生きている人間にとって真に恐るべきものは悪であって、死ではないと言うのである。勇気とはたんに死を恐れないことにあるのではなく、悪を恐れるがゆえに死の危険を堪え忍ぶことにあると考えるのである{九)。ここでソクラテスに与えられた選択は、生か死かという選択ではなく、死刑をまぬがれるかわりに哲学しないで生きていくことと、たとえ死刑になろうと最後まで哲学をして生きていくこととの選択であった(十)。したがって、あくまでもいかに生きるかという選択であって、いかに死ぬかという選択ではない。どんな人にも死はかならず来る。死を引き延ばすことだけが最善なのではなく、今生きている生が自己に可能な限りで最善の生であるかが最も大切であり、それを考えることが哲学をすることなのである。だから、哲学なしに生きることは、生きる価値のない生を生きることだと結論する一十一〉。すなわち、自己の生の価値を吟味することが哲学であるのだから、哲学なしには価値そのものの意味がなくなるということである。そのため、哲学をして生きることこそが、人間にとって可能なかぎりの最大の善として捉えられたのである。もちろんソクラテスは哲学をすることだけが人生で価値があると言っているわけではないが、他の価値も哲学によって正しく価値づけられると考えている一十二)。さらに哲学も人間の究極的な価値を問うものとして、究極的な価値がなければ成立しえな
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無知を照らし出す知(小Ⅱ|)
いはずであるが、究極的な価値に対して自己が無知であることを知る以外には、自己を正しくそこへ向けることはできないのである。死に対する無知の知は、善美に対する我々の無知の知に新たな光をあてることになる。すなわち、死に対する無知を認めることは、我々の生に対する無知を認めることに通じるのである。死が最悪とはかぎらないのであれば、我々の限られた生も最善であるとはかぎらないことになる。それゆえ、生きていけさえすればどうでもよいということにはならないのである。また、この世の生においては哲学なしには最善の生が不可能であるとしても、それ以上の生が可能であれば、より善き生、あるいはより大いなる知恵があるかもしれない。しかし、我々はこの世においてそれを知らないのである。すなわち、無知であるがゆえにその可能性を否定することはできないのである。したがって、我々は生きているかぎり、究極の善について完全な知をもちえないとしても、その無知を知ることによって、この世の生の可能性を越えた究極の価値に対して自己の生の可能性を開くことができるのである。すなわち、ソクラテスの探求する善美の知恵はこの世の生に限界づけられないものとして限られた生のなかでめざされうるものなのである。
「しかしともかく、もう立ち去るべき時である。私は死ぬために、諸君は生きるために。しかしわれわれのいずれがより大きい幸福に赴くことになるか、それは誰にも分からない、神様よりほかには。」色
ノ几
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ソクラテスはたんなる理性の人ではなかった。常にダイモーンの徴が彼には影のように付きまとっていた。彼がダイモーンから諭しを受けるという話は広く知られていたし、それに従って弟子達にも忠告を与えていたと友人クセノフォンは『思い出」に述べている〈十三)。おそらく裁判に訴えられた際、原告側の最も有力な決め手はこのダイモーンのお告げであったのかもしれない。クセノフォンはダイモーンがソクラテスになすべきことをも告げると述べているが(十四)、プラトンは『弁明」において、ソクラテスに対するダイモーンのお告げは常に禁止であったことを繰り返し強調する{十五}。くしゃみやつまずいたりすることまでダイモーンのせいだと言い習わされてきたように、ダイモーンはギリシャ人になじみ深い身近な霊的存在であった。ダイモーンは神話によって系統づけられ、性格づけられたオリュンポスの神々への信仰が成立する以前の民衆の素朴な信心を示すものであった{十六一。ソクラテスが自己に働く神秘をダイモーンと名指したのには、自らの信仰をギリシャ古来の民間信仰になぞらえる独特のイロニーが含まれていたのかもしれない。ソクラテスは裁判においてダイモーンがいかなる者かを明確にしようとはせず、神々あるいはその子という最大公約数的な一般見解をあげて、ダイモーンを信じるなら神も信じていることになると論じる{十七〉・ダイモーンが人々の信じる神であるかどうかということはソクラテスにはそれほど重要ではなかったのである。何よりもダイモーンヘの信仰の根拠は、自己に対して否定的に働くものの存在を自己が否定することができないという事実なのである。ソクラテスのダイモーンの声は、いわゆる良心や理性の声とは確かに異なるものであったと考えなければならない。なぜなら、ダイモーンによって禁じられたことは、誰にとっても明らかに悪しき行いと言える行為ではなく、あくまでもソクラテスにとっては悪であったことが後から分かるよ
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無知を照らし出す知(小
)
ソクラテスにおけるダイモーン現象は他者には測り知れないものではあるが、それを現代風に無意識や潜在意識と語っても何も分かったことにはならない。自己の考えに従って何かをしようとする時に、何も問題がないはずなのに自己のうちに強い抵抗感を体験することは多かれ少なかれ誰にでもあるのではないだろうか。善いと知りながらしないのは、善に対する無知によるとソクラテスは考えたが、ここでの無知は自己のもとめるべき善に対する無知というよりも、自己の存在を決定する力に対する無知なのである。自己の意識によって自己を動かそうとするが、自己の存在自体によって、自己の意識が突き返されてしまうのである。このような瞬間こそ、自己の意識が自己の存在の限界に突き当たった瞬間であり、自己の意識が自己の存在全体を完全には規定し尽くせないことを思い知らされる瞬間でもある。ソクラテスはダイモーンに託して、自己の存在そのもののもつ神秘について語ったのではないだろうか。人間のなすべき善に対する無知の知は対話によって他者に共有されうるが、このような自己の存在に関する根源的な無知の知は、感じる者がそれを受け入れるよりほかにはないのかもしれない。神秘を覆い隠してそれに関らないようにすることもできるかもしれないが、自己にはどうすることもできない自己の存在は自己には明らかなはずである。 うな行為であったからである。ダイモーンのお告げに従って国事から退いたおかげで、今日まで命をまっとうできたとソクラテスは言う{十八)。国の政治に関ることは、当時のアテナイ人にとって最も誇るべきことであり、それをあえてしないということは市民として無責任と思われても仕方ない不名誉なことであった。ソクラテスが自己に響く声に忠実であることによって政治に関らなかったということは、ソクラテスにも政治に関ろうとする気持ちが何度かあったことを示している。ここにはソクラテスの個としての側面があらわれ、我々はソクラテスの一一一一口葉を信頼するしかないことに
}・‐rなる。
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このようにダイモーンの声は理解不可能な力をもって、外に向かおうとする自己を自己に留める作用をもつが、ソクラテスはダイモーンに従うだけでなく、なぜダイモーンが自己を止めたのかを後から理解しようとする。裁判においてソクラテスにはダイモーンのお告げはまったくなく、自己の弁明を押し止めるものが何もなかったから、こうして自分が死刑になることはきっと善いことなのだろうと述べている。すなわち、それがはっきりと善であるかはまだ分からないのである。ギリシャ人にとって幸福とはエウダイモニアと呼ばれ、善きダイモーンのご加護があることに由来するが、ソクラテスは「善き人には生きている時も死んだ時にも悪しきことは何もない」という倫理的確信と神への信頼をもって、自己に与えられる死を自己にとって善きものとして受け入れる〈十九)。このようにして、死に際してソクラテスは、今までのように自分のなそうとする行為を非とするものとしてダイモーンを経験するのではなく、自分のなしてきたすべての行為を是とするものとしてダイモーンを捉えなおすのである。人生の終わりに、ソクラテスのダイモーンは、もはや自己に対立するものではなく、自己と完全に重なりうるものと成りえたのである。
『弁明』は不思議な書であり、読むたびに新たに考えさせるものをもっている。ソクラテスの知は、人間の無知と知との際をどこまでも見据えるものであったが、我々は自己の無知に耐えきれず、自己から目を背け、安易に得られる安らぎを探す。どうせ無知ならば、いくら探求しても意味がないとあきらめたくなるかもしれない。しかし、そのように思うことも、自己が本当にめざすべきものに対する無知によるのである。ソクラテスの無知は、知の存立を疑う懐疑主義者の無知とは違っ
糸吉
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無知を照らし出す知(ノ
)
(三)ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』国》⑨色に記されるソクラテスに対する告訴状はアテナイの公式記録に基づくものとされるが、「ソクラテスは有罪である。国家の認める神々を認めず、他の新奇な神霊を
導入することのゆえに。また有罪である。若者を堕落させるがゆえに。」であり、クセノフオンの『思い出』閂. 註
(|)現実の裁判に不在であったクセノフォンも『弁明』を書いているが、その冒頭で、裁判の際のソクラテスの
高慢な口調が死刑をもたらしたとし、すでに七十歳を越えたソクラテスが生よりも死を望んだからであると解釈しているが、プラトンの『弁明』ではソクラテスがわざと法廷を侮辱するような語りをしたわけでも、
自ら有罪になろうとしたわけではないという解釈で書かれている。
(二)アリストファネスの『雲』はソクラテスの生前の活動についてソクラテスと親交のない同時代人の立場から
伝える唯一の資料である。ソクラテスは「賢い魂の思案所」という私塾において、カイレフオンなどの弟子達
が懸命に思案を引き出そうとしている点など、魂の産婆術を行っていたソクラテスの状況をうかがわせる点も て、むしろ人間の知の可能性を開くものであり、絶望的と思える状況のなかでも絶望に沈み込まないための踏み板となるものである。それゆえ、我々が生きるかぎり、自らの無知に対して自己を対時させる知の営みは尽きることがないのである。
ある。 各章の冒頭に引用した『弁明』の翻訳は、『ソクラテスの弁明』(山本光雄訳、角川文庫、一九五四年)と『プラトン全集1』(田中美知太郎訳、岩波書店、一九七五年)を参照した。
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(十二)「金銭から徳がではなく、徳から金銭やその他のものどもすべてが人間にとって私的にも公においても善い
ものになる」『弁明』四s
(十三)『思い出』]》]》←1m
(十四)「思い出』二》四》届 (+)『弁明』圏7の(十一)『弁明』務四 (九)勇気についての議論は『ラケス』『プロタゴラス』に展開されている。 (八)『弁明』呂囚IC (六)ここで技術者についてのみ知恵が認められているが、アリストテレスのように、技術と知恵ないし知識と知
恵の用語的な区別はさしあたり考えられていない。
(七)ノモスという一一一一□葉は、ここでは複数形となっているが、歴史的に多様な用法と変遷を伴ってきた言葉であり、
一概に「法」や「慣習」だけをあらわすというわけではない。ノモスが法規をあらわすようになったのは前六
世紀民主制の成立時期からであると考えられている。古代ギリシャにおいて法規がすべて書かれた法であった
かは明らかではないが、自然(ピュシス)と対比されるものとして、制定されたという意味をもっていた。 (五)善と美、さA
となっている。 得)』に述べられた告訴文とほほ同じであるが、プラトンの「弁明』Eワ中‐巳では順序が逆になっている。(四)デルフォイの神託はキリスト教時代に至るまで、古代人の運命を決する機能を有しており、個人的であれ政
治的であれ様々なうかがいに対して答えてきた。そこにはかなり広範に情報網が備えられていたと考えられて
いる。
さらに正義との同一性はプラトンの初期対話篇においてソクラテスの論駁を支える重要なモチーフ
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無知を照らし出す知(。
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・ソクラテスに関する古代文献
クセノフォーン『ソークラテースの思い出』佐々木理訳、岩波文庫、一九五三年
アリストパネース「雲」高津春繁訳、岩波文庫、’九七七年
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝(上)」加来彰俊訳、岩波文庫、’九八四年 (十七)(十八)(十九) (+六)ダイモーンはホメロスにおいて人間に対する超自然的な力として描かれてきたが、アルカイック時代には人
を破滅に駆り立る悪霊や運命をつかさどるものとして特徴づけられた。 (十五)『弁明』ご□》g口
・ソクラテスに関する哲学研究書
田中美知太郎「ソフィスト』講談社学術文庫、一九七六年、『ソクラテス』岩波新書、一九五七年 ・ギリシャの文化、法、宗教に関する参考文献ハルダー『ギリシャの文化』松本仁助訳、ヘルデル文庫、エンデルレ書店、’九六五年F・ハイネマン『ノモスとピュシス』廣川洋一他訳、みすず書房、一九八三年ドッズ「ギリシャ人と非理性』岩田靖夫他訳、みすず書房、’九七八年M.P・ニルソン『ギリシャ宗教史』小山宙丸他訳、創文社、一九九二年 『弁明』『弁明』『弁明』 図「、I①い』91の←]○-9
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G・ヴラストス「ソクラテスのエレンコス(論駁法)」「ギリシャ哲学の最前線I」井上忠、山本巍編訳、東京大
学出版、会、’九八六年
加藤信朗『初期ブラトン哲学』東京大学出版会、’九八八年
ブリックハウス/スミス『裁かれたソクラテス』米沢茂、三島輝夫訳、東海大学出版会、一九九四年イシドア.F・ストーン『ソクラテス裁判』永田康昭訳、法政大学出版局、’九九四年
北畠知量『ソクラテス研究』高文堂書房、’九九四年岩田靖夫『ソクラテス」勁草書房、’九九五年